さぽろぐ

日記・一般  |札幌市豊平区

ログインヘルプ


北国の暖かい方たちとともに › 真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感) › (増補版)578E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年3月~1893年4月)

2018年02月15日

(増補版)578E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年3月~1893年4月)

題:(増補版)578E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年3月~1893年4月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1893年3月、大阪~神戸間で電話が開通した。
  3月25日時点での契約者数は、大阪141、神戸74。
  また、この頃、「モシモシ」という言葉が流行した。
1893年3月、筑豊興業鉄道が、若松駅構内炭積用桟橋架設工
 事一部竣工し、使用を開始した。
1893年4月1日、直江津線の横川~軽井沢間(11.3km)が開
 通した。
  碓氷峠は、日本で初めてのアプト式を採用した。
  これにより上野から直江津までが全通した。
  鉄道局は、難所の碓氷峠を日本で初めてのアプト式軌
 道を採用した。
  これまで、1885年に、高崎~横川間が開通していた。
  また、このアプト式は、1963年に、廃止された。
  また、この時、同時に、横川・丸山(信)および矢ヶ崎
 (信)・軽井沢間を複線として使用を開始した。
  そして、アプト式蒸気機関車による旅客列車4往復の運
 転を開始した。
  (運転時分:下り1時間18分、上り1時間20分、中間に熊
 ノ平信号場を設けた。
  なお、開通まで、碓氷馬車鉄道会社が、鉄道馬車によ
 って客貨を輸送していた。
1893年4月1日、西多摩郡・北多摩郡・南多摩郡の多摩3郡
 が、神奈川県から東京府へ移管された。
  三多摩の名の由来はこれ。
  水路の関係(水源問題)で・・東京の上水道の水源が
 多摩地区で神奈川ではなく、管理面で東京府へ移管しよ
 うとなった。
  きっかけは、1886年のコレラの大流行。
  この時、「多摩川上流で、コレラ患者の衣服が洗濯さ
 れた」という噂が広まった。
  (実際は、洗濯したのは水道水に影響しない多摩川支
 流であったが・・)
  東京への上水道となる玉川上水への汚染は無かったが、
 この後、管理面を一貫して強化するため、東京府へ移管
 する事となった。
  因みに、明治維新頃、この地は、「品川県」「韮山(
 にらやま)県」「入間(いるま)県」「西端(にしばた)
 県」だったが、
  1871年の廃藩置県で、神奈川県の所属となっていた。
1893年4月1日、鉄道局本庁が逓信省構内へ移転した。
1893年4月1日、長崎電灯株式会社が開業した。
  長崎市内に初めて電燈がついた。
  68戸に供給、取付け灯数129灯、うちアーク灯9灯
1893年4月2日、秋山好古(34歳)が、多美(23歳)と結婚した。
  陸軍少尉のころ、下宿していた旧旗本・佐久間家の長
 女・多美と結婚に至った。
1893年4月8日、青森~福島間の鉄道建設のために、青森に
 鉄道庁出張所を設置した。
  また、敦賀~富山間の鉄道建設のため、敦賀に、また、
 鉄道庁出張所を設置した、青森・敦賀に鉄道庁第三部派
 出所を設置した。
1893年4月11日、「文官判任以上退官賜金ノ件」改正公布(
 勅令第20号)
  朕茲ニ文官判任以上ノ者退官賜金ノ件ヲ裁可ス。睦仁
 (明治天皇陛下)、内閣総理大臣山縣有朋、大蔵大臣伯
 爵松方正義、勅令第九十八号、文官判任以上ノ者在官満
 一年以上十五年未満ニシテ退官シタル者ニハ退官現時ノ
 俸給半箇月分ヲ以テ在官年数ノ一箇年ニ当テ其年数ニ応
 スル金額ヲ一時支給ス但非職満期ニ由リ退官シタル者ハ
 其在職最終ノ俸給額ニ依リ之ヲ給ス、本令施行前ニ満年
 賜金若クハ一時賜金ヲ受ケタル者又ハ前項ノ賜金ヲ受ケ
 タル者再ヒ任官シ自後退官シタルトキハ前項ニ掲クル在
 官年数ヲ春再任ノ日ヨリ・・云々
1893年4月14日、出版条例を廃止して出版法を公布した(4
 月13日説あり)
  出版物取締り法規で、1869年5月の出版条例 (行政官達
  444号) と、1887年12月の出版条例 (明治20年勅令76号)
 を引継いで、新聞、定期刊行雑誌を除くすべての文書図
 画と、学術関係などの雑誌を取締りの対象とした。
  出版法は、基本的には、出版条例を踏襲したが、出版
 物の発行要件で、出版にあたっては発行日から到達すべ
 き日数を除いて3日前に内務省へ2部納本することとし
 た。
  また、出版届けを出すことや、出版物の末尾に発行者・
 印刷者の氏名・住所を記載することなどを決めた。
  そして、違反した場合には、執筆者・発行者の処罰の
 ほか、 出版物・紙型などの没収まで及んだ。
1893年4月15日、版権法が公布された(4月14日説あり)
  版権(はんけん)は、著作権の旧称で、出版権である
 著作物を複製・発売する権利を決めた。
  1899年に、著作権法 (明治32年法律第39号)(旧著作権
 法)が公布されるまでの間に用いられた。
  この当時の「版権」は、現在の著作権法での著作権と
 は異なっていて、著作物のうちの一部である「図書」な
 ど(概ね、現在の著作権法での「言語の著作物」にあた
 る)についての権利であって、
  脚本、音楽、写真、映画等は、その対象とされていな
 かった。
1893年4月、「集会及政社法」 改正
  1890年の「集会及政社法」では女性の政談集会や、政
 治結社への参加を禁じられていた。
  この法律の撤廃は女性運動の重要な課題となった。 
  日本の政府は、早くから女性への権利に目覚めていて、
 すでに、1871年には、津田梅子ら5人の女性をアメリカ合
 衆国に留学させていて、1872年には学制を発布して、「
 男女平等の義務教育」を実施していた。
  また、1874年には、東京に女子師範学校(現:お茶の水
 女子大学)を設立していた。
  アメリカは、まだ女性が差別されていて、アメリカで
 女性の参政権が認められたのは1920年である。
1893年4月、津村順天堂が開店し、婦人薬の「中将湯(ち
 ゅうじょうとう)」を発売した。
  ツムラの婦人薬、中将湯、第2類医薬品
  (1)更年期障害(のぼせ、不眠、イライラ)、冷え
    症に
  (2)16種類の生薬の婦人薬
  (3)創業以来のロングセラー商品
  効能・効果:産前産後の障害(貧血、疲労倦怠、めま
 い、むくみ)、血の道症、更年期障害、不安神経症、月
 経不順、月経痛、頭痛、肩こり、腹痛、腰痛、冷え症、
 のぼせ、めまい、耳鳴り、不眠症、息切れ、動悸、むく
 み、感冒
.  
  (今日の言葉)
.
  題:核兵器の攻撃兵器の種類によっては、日本の3分の1が蒸発してから、
   防衛出動するというのである・・
    今の憲法では、その様にしかできないと言うのである。
.
紀元前5万年、アボリジニの方々が、スンダランドからオー
 ストラリアに来た。
  その時以来、延々と、アボリジニの方々は、オースト
 ラリアに住み続けた。
  完全に、オーストラリアの地はアボリジニの方々の地
 となった・・国となった。
  だが、しかし、その時から50000年以上も後になって、
 キリスト教の白人たちがやって来た。
  今、紀元2000年が過ぎた頃である。
  このアボリジニの方々が、オーストラリアを国にして
 来た『50000年という年月』にどのくらいの重みがあるの
 かを考えて見なさい。
  1642年に、オランダ人のアベル・タスマンがタスマニ
 ア島を発見した。
  (このタスマニア島のアボリジニの方々も、白人キリ
 スト教徒に、この後、絶滅させられる)
  そして、このアベル・タスマンは、この後、ニュージ
 ーランドを発見している。
  17世紀末に、イギリス海賊のウィリアム・ダンビアが
 オーストラリア西海岸に上陸した。
  (結局、このイギリスがオーストラリアを奪う)
  このダンピアノ報告を受けたイギリス王立協会は改め
 て調査船を派遣した。
  1766年、イギリスは、ジェームス・クックを派遣し、
  1766年10月7日にニュージーランドを発見し、
  1770年4月20日に、オーストラリア東海岸を発見した。
  1770年4月29日に、シドニー南方のボタニー湾に上陸し
 た。
  クックは、この東海岸一帯をイギリス国王ジョージ3世
 の名において領有すると宣言した。
  (「天の名において、この領有を認めない」)
  そして、この地を「ニュー・サウス・ウエールズ」と
 命名した。
  そして、18世紀に後半に至ると、イギリスは、この地
 の開発を本格的に進めることにした。
  この計画の当初より、全住民のアボリジニの方々の殺
 戮が計画(全滅計画)として卑劣にもあった。
  そして、資源獲得と囚人対策があった。
  イギリスという国のこの方針により、先住民のアボリ
 ジニの方々は殺戮され始めた。
  アボリジニの方々に言わせれば、当然、『私たちの地
 が、イギリスに侵略された』となった(これが正論)
  そして、アボリジニの方々は、動物の狩りをされるよ
 うに射殺され続けた。
  「今日は、○○匹を獲った」と書かれた日記が残され
 ている。
  もしアボリジニの方々が、この逆の行為をしたら『正
 当』とイギリスは認めるのか?
  イギリスは、その考え方を受け入れられるのか?
  自分たちは、アボリジニの方々に対して行っておきな
 がら、その行為を、当然、受け入れられないだろう。
  その様なことを、イギリスはしたのだ。
  アボリジニの方々が、最新式の武器を持って、イギリ
 スへ上陸し、イギリスがやったことと同じことをやった
 なら、その行為を、イギリスは、認められるか?
  アボリジニの旗を立て、領有したと宣言したら・・、
  「君たちを同じことをしているのだ」という論理は、
 認められるか?
  イギリスに問う?
  または、悔い改めて懺悔せよ。
  キリスト教聖職者たちが、陰の任務として、『侵略の
 尖兵』としての任務を与えられて、世界のあちこちで植
 民地化の可能性を探るスパイ行為にうごめいていたが・・
  最悪の暗躍の極悪行為をしていたが・・
  すべての悲劇は、ここから始まった。
  アメリカ大陸のインディオの方々は、1000万人を越え
 る、途方もない数の方々が殺された。
  悪の殺戮行為を、歴史上、長い長い期間、やって来て
 いる。
  いい加減止めれば良いものを・・
  今・現代も、『形を変えて』、日本などで、色々な工
 作をしている。
  放送媒体にも潜り込んでいる、NHKにも潜り込んで
 いる。
  官僚にも、教育界にも、その他にも潜り込んでいる。
.
712年、古事記が、献上された。
  日本現存の最古の歴史書であり、文学で・・、
  この古事記に、既に、日本には『民の声は天の声』の
 考え方があった。
  この様に、『民主主義の心・考え方』は、日本古来か
 らの考え方・在り方だった。
  偉大な日本は、現代が理想としている民主主義を、す
 でに、見通し、そして、遠い昔から、実現していた。
  この書は3巻あり、序 (上表文) に、天皇陛下の天武
 天皇の命によって、稗田阿礼 (ひえだのあれ) が「誦習
 (しょうしゅう、書物などを口に出して繰り返し読むこ
 と)」していた『帝紀(皇室の記録)』『旧辞(神話・
 伝説)』を、元明天皇の命によって、側近の太安麻呂 (
 おおのやすまろ) が「撰録」し・・、
  712年(和銅5年)に、献上した。
  しかし、「誦習」「撰録」の具体的内容については諸
 説があり・・、
  天地の始りから推古天皇の時代までの皇室を中心とす
 る歴史が記され・・、
  その内容は、伝説を含む話や歌謡、系譜で・・、
  誦習を、「稗田阿礼の暗唱」という説もある・・、
  古事記原文は・・、
  「時に舎人有り。姓は稗田、名は阿礼、年はこれ廿八。
 人と為り聡明にして、目に度れば口に誦み、耳に払るれ
 ば心に勒す。即ち阿礼に勅語して、帝皇の日継及び先代
 の旧辞を誦み習はしめたまひき。」
  ここの「誦み習はしめ」が、「暗唱説」と「誦習説」
 となっている。
  ただ、当時の字である漢文の古い記録の古語を、節を
 つけて朗々と訓読する技術を持っていた人・稗田阿礼と
 解されている。
.
1066年、イギリス人は、ノルマン人の国。
  イギリスは、1066年に、フランスのノルマンディ地方
 を支配していたノルマン人が、イングランドを征服して
 建てられた。
  だから、元々、フランスに居た民族だった。
  故に、イギリス王は、フランスにも、広大な領地を持
 っていた。
  このフランスで、国王による統一の動きが強まりと、
 このイギリス王の地が絡んで戦いが始まった。
  経済的に重要な毛織物の中心地フランドル地方、天然
 の良港ボルドーを巡るフランス南西部での英仏の対立が
 激化して行って、戦争が起こった。
  このいざこざは継続して行く・・、
  その時から約271年後の1337年、フランス王は、イギリ
 ス領のボルドーと、この地方・アキテーヌ盆地を取り返
 そうとする。
  しかし、イギリス王エドワード3世は、自分の母が、
 フランス王の妹だったことを理由に、フランス王位を要
 求した・・そして、武力行使に出た・・派兵した。
  こうして戦端が開かれた・・
  長い長い戦いの幕「百年戦争(1337年~1453年)」の
 愚かなる戦いの幕が開いた。
  フランス貴族は分裂した。
  その為、戦いは一貫して、イギリスに有利に展開した。
  戦争中の1347年~1351年に、恐ろしい伝染病であるペ
 ストが、ヨーロッパ全土に蔓延し、大流行した。
  キリスト教の教義による「天のみ清浄」という洗脳で、
 地は汚(けが)れたものとされ、糞尿を道にまくという
 例の様な不衛生さが町を汚し、ペスト菌を媒介するネズ
 ミが増え・・ペスト流行をさらに悪化させた。
  このペストの大流行で、ヨーロッパ人の3分の1の人た
 ちが死んだ。
  1428年に、キリスト教の神がかり的な話で、神のお告
 げがあったとジャンヌ・ダルクという少女が登場する。
  白い馬にまたがり、聖母マリアの旗を持っていた。
  フランスは戦況を盛り返した。
  しかし、迷信だらけのキリスト教が、またも、この少
 女を魔女として、焼き殺してしまう。
  ジャンヌ・ダルクは、1431年に、19歳で、キリスト教
 聖職者の汚い「引っ掛け尋問」で魔女にされてしまう。
  ノルマンディ地方の都市ルーアンで「魔女」として処
 刑された(焚刑で焼き殺された)
  1453年に、イギリス軍が、ドーバー海峡に面した都市・
 カレーを除くフランス領土を放棄する事で戦争は終わっ
 た。
  イギリスは、ブリテン島だけとなった(スモール・ブ
 リテンの誕生)
  この後、バラ戦争(1455年~1485年)を始める。
.
1096年、第一回十字軍、
  とても聖戦などは言えないような戦いで、無実の住民
 の虐殺が実態の様相だった。
  イスラエルの住民の5万人のほとんどは殺された。
  そして、本来の目的の様に略奪が行われた。
  残った住民は、1万人に満たなかった。
  イスラム教徒側は、最初、何のための攻撃だかが理解
 できなかった。
  キリスト教聖職者(ローマ教皇のあおり)は嘘をつい
 た。
  何らエルサレムを奪ったなどとの行為は無かった。
  それなのに十字軍の行為は行われた。
  この様に、企てられた悪行の軍隊だった。
  しかし、卑劣にも、この様な企てが何回も行われる。
.
1774年、アメリカ第一回大陸会議
.
1776年7月4日、アメリカが建国された。
  大陸会議がアメリカ独立宣言を採択し、アメリカ合衆
 国が成立した。
  それから・・アメリカは、建国以来約240年・・その内、
 219年間、アメリカは戦争をしている。
.
1821年、オスマン帝国の崩壊は、1821年のギリシャ独立戦
 争から始まった(~1829年)
  アメリカは、「グローバリゼーション」を提唱してい
 るが・・、
  そして、これで、新しい人類社会の舞台が作れると主
 張しているが・・、
  これは明らかにアメリカの世界を繰る方策で・・、
  「アメリカ化」を目指していることは明らか・・、
  当然、アメリカの国益に通じる「アメリカの都合よい」、
 「アメリカが考えるグローバリゼーション」となってい
 る。
  このオスマンの時代の状況も・・これだった・・、
  オスマン世界に対抗したのが・・イギリス・フランス
 などだった。
  大きく強くなったオスマン帝国のイスラム世界に、手
 を焼いた(儲けが得られないと)イギリス・フランス・
 オーストリア・ロシアは・・、
  この時は・・「ナショナリズム」が良いのだと、しき
 りに言った。
  そして、オスマン帝国内の諸国・民族の自立心を呼び
 起こさせ・・オスマン帝国崩しを行なった。
  それによって・・オスマン帝国は、内部から崩壊して
 行った、そして、とうとう解体してしまった。
  今、アメリカは、このグローバリゼーションを行なっ
 ている・・この逆の立場・・目的は同じ・・、
  だから・・日本へ、しきりに、「グローバリゼーショ
 ンが良い」と吹聴している・・、
  日本を、かつてのオスマン帝国の様に「弱体化しよう
 としている」。
  オスマン帝国の崩壊は、1821年のギリシャ独立戦争か
 ら始まったが・・、その為、イギリス・フランス・ロシ
 アは、ギリシャの独立を支援した。
  そして、オスマン帝国の主力艦隊を壊滅させた。
  そして、1829年には、ロシアが、アドリアノープル(
 現:エディルネ、トルコ最西端の都市)を占領し、ギリ
 シャとセルビアの独立をオスマン帝国に認めさせた。
  そして、ギリシャは、イギリス・ロシアなどに支えら
 れて、ドイツから貴族を王様として招いて、ギリシャ王
 国を建てた(1830年)。
  まったく自分たちの都合よい様に・・グル(共謀者)
 となって武力行使をして、作った。
  そこには、利益のみが優先し、論理の正しさや、正義
 などは・・まったく無かった。
  また、自分の利益を保持したいイギリスは、このオス
 マン帝国の混乱を利用して、東地中海で、国益を得たい
 と、エジプト=トルコ戦争で、エジプトを支援した。
  1830年代に、オスマン帝国から独立させた。
  そして、1840年に、エジプトの太守の世襲を認めた。
.
1904年4月22日、ロバート・オッペンハイマーが生まれた。
  ユダヤ系アメリカ人の物理学者。
  第二次世界大戦の時、アメリカのロスアラモス国立研
 究所の所長として、マンハッタン計画を主導し、原子爆
 弾開発プロジェクトの指導者的役割を果たし、原子爆弾
 を作り上げた。
  このオッペンハイマーに次の言葉がある・・、
  「既に負けている日本に落とすべきではなかった」
.
1945年4月26日、リチャード・リー・アーミテージが生まれ
 た。
  アメリカ合衆国の軍人、政治家。
  アメリカのアーミテージ元国務副長官の言葉:
  「(靖国神社の参拝について)他国から参拝するなと
 指図されるようなことがあれば、逆に、必ず参拝しなけ
 ればならない」。
.
1945年8月6日、広島の市民の方々が生活する家々を見なが
 ら接近したアメリカ軍機は、原爆を、その市民の方々の
 真上に「アメリカが下した命令通り」に投下した。
  キノコ雲が上がった。
  そのアメリカ軍機は、命令通りにその後の偵察をした。
  キノコ雲が上昇したあとには、何もない、蒸発した姿
 しかなかった・・、
  何もかもが蒸発した広島の町しか見えなかった。
  少し前にはあったあの市民たちが生活する姿は・・
 一瞬にして、何もかもが変わって・・無くなっていた。
  蒸発した町を見た「投下したアメリカ兵」は・・
  『何ていう事をしたんだ』と叫んだ・・
  これが、まともな人間の気持ち・・である、
  そして、この後、命令とはいえ、この卑劣な行為が重
 くこの米兵の人生を変えて行った・・
  今・現在は、ミサイルという兵器でなされる攻撃であ
 る・・
  何十発、何百発と・・、
  一度に、何発も発射される可能性のある攻撃・・この
 様な事態が考えられている。
  広島・長崎のような町々が・・いくつも生まれる・・
  ミサイルという人間が乗務しない飛行物体によって・・
  広島・長崎の時にはあった「かすかに残されたこの投
 下した人間の思い」もないという無機質な大攻撃が今・
 現代には存在する。
  しかし、日本は、憲法の鎖にしばられ、この憲法解釈
 から・・この様な攻撃に対して・・まったく苦しい防衛
 が強いられている。
  「1発目の核攻撃は甘受しなければならない状況に置
 かれている」・・と、国会で答弁された・・憲法がこの
 様に答えさせた。
  『最初の1発目の原爆攻撃で生き残った日本人が、防衛
 に出動する』という形・憲法の形となっている。
  普通の人間なら・・これでは、防衛だなんて・・これ
 では呼べない形となっている・・と
  日本人の死んだ人を山と積んでからでないと、憲法に
 よって、防衛の形はつくれない・・と
  現憲法のために・・防衛がある様で、ない形となって
 いる。
  中国の習近平が、オーストラリアで・・、
  「○○年には、日本は無くなっている」という発言の
 言葉があるが・・この言葉が、不気味に頭によぎる・・
 残る。
  疎(おろそ)かにされている日本の防衛が、完全に馬
 鹿にされている。
.
1945年8月6日、広島・長崎の原爆で亡くなった方たちは、
 まったくと言って死ぬべき理由が無い方々だった。
  アメリカは、「アメリカの若い兵士が救われた」と腹
 が立つ屁理屈を言ったが、
  アメリカは、「原爆投下を正当化している」が、
  投下の目的は、誰の目にも明らかのように「世界で、
 アメリカだけが保持した『極大な破壊力を持つ兵器』の
 世界への誇示」だった。
  アメリカは、誰の目にも明らかな様に、「戦後を、唯
 一保持する魔の破壊力の兵器で、世界を牛耳りたい、そ
 れをアメリカができる」・・だった。
  圧倒的軍事力による世界への君臨が、この時、意識さ
 れていた。
  広島・長崎の、あまりにも多い犠牲者の方々は、まっ
 たく死ぬべき理由のない「アメリカの卑劣な考え方」か
 ら実施がなされた犠牲者となられた。
  そのあまりにもひどい卑劣な破壊力は、アメリカは、
 実験場で事前に実施して、「事前に、充分、分かってい
 た」。
  しかし、広島・長崎に投下し、実施した。
  キリスト教の有色人種の蔑視観に洗脳された白人キリ
 スト教徒のアメリカにとって、「投下すべきではないの
 抑止」に働かなかった。
  だから、戦後の世界制覇への君臨の欲望の成就が、優
 先されてしまった。
  戦後、アメリカに対抗するだろう国・ソ連が、はっき
 り見えていた状況の中で、広島・長崎の方々を「無為に
 殺した」。
  ソ連は、そのアメリカの圧倒的破壊力を保持する軍事
 力に服従する道を取らず・・対抗する方針を選んだ。
  世界は、原爆を保持する二つ大国の対立構造となった。
  アメリカのイメージした「希望的なアメリカ一極支配
 体制」などという虚構の体制にはならなかった。
  次に、原爆保持数で圧倒しようという無益な競争が始
 まる。
  アメリカが、立脚した「圧倒的軍事力で世界制覇する」
 は、世界が真似て、その後、「世界の方針」となった。
  米ソの二大対立構造が世界へ波及した・・中国が、こ
 の方針で台頭した。
  そして今、アメリカと同等のの対抗軸に、中国も、今・
 現代、存在するという悲しむべき状況にある。
  アメリカが、「銃の無い社会」が実現できない様に、
 今、世界は、核兵器のない社会から遠く離れてしまった。
  そしてさらに、今、30歳代の若輩の者が「私のテーブ
 ルの上に『核兵器のボタン』がある」と言う世界となっ
 てしまった。
  広島・長崎の市民の方々への人命軽視のキリスト教に
 洗脳された判断から、この様な残酷な残念な経緯を至っ
 てしまった。
  人類は、キリスト教によって「大きく道を踏み外して
 しまった」。
  自国民優越思想を植え付けるキリスト教は、「異教徒
 は殺せ」の異端排除のキリスト教教義によって助長され
 る。
  この様なキリスト教だという事をまったく知らない明
 治の日本の諸兄は、ただ西洋崇拝の感情からキリスト教
 に寄した。
  しかし、だが、新島襄の様に、日本で聞いたキリスト
 教宣教師の美化する話と、実際、理想を抱いて渡ったア
 メリカに住んで見て、体験し、その相違の大きさに落胆
 した。
  新島襄も、自らも、有色人種として差別を受け、また、
 あちこちで毎日、差別される有色人種の姿を見て、キリ
 スト教の限界を、ここに至って「やっと知った」。
  キリスト教思考では人類は救えないと・・、
  すべての元凶は、キリスト教に由来すると・・、
.
1947年2月20日、アメリカを主体とする占領軍の総司令部(
 (GHQ)が、輸出品に製造国名の記載を命令した 。
  (Made in Occupied Japan)
  そして、アメリカの総司令官のダグラス・マッカーサ
 ー将軍の言葉・・
  「戦争において、軍略上、最も効果的な武器とされる
 ものは、食糧、その他の物資を外部の補給源に依存して
 いる兵力を、完全に封鎖する事である。
  日本軍が、ついに無益な抵抗を止めざるを得なくなっ
 たのは、他ならぬ・・この武器によってであった」。
  今・現在、食糧自給率が他の国より極端に低い日本が
 「まさしくこの状態にある」。
  農業を大切にしない日本。
  しかし、アメリカは、自国の農産品を日本へ売りたい
 がために、さらに、日本の農業潰(つぶ)しにかかって
 いる。
  まさしく、マッカーサーの言葉状態に、今の日本が、
 さらに、なって行く。
  だから・・これは、何も戦時中の事だけではない。
  今・現代、日本は、考えられないくらい「食料自給率
 が低い国」となっているのである。
  とうとう・・食糧自給率が、30%以下となった。
  (それも、改善されずに、年々、下がっている)
  そして、アメリカの農作物を買わされている。
  今、日本人は、「天国の極楽とんぼの状態に、贅沢に
 食べ物をパクパク食べているが??」、
  国の食糧倉庫は・・乏しいものである??
  戦後・・日本が、あれほど悲惨に日本の諸都市が、ア
 メリカの無慈悲な無差別爆撃で破壊されても・・日本に
 は、『あの時、豊かな農村があった』。
  戦後の奇跡の復興と言ったって、この豊かな農村、ま
 た、この地へ、農作物を買い出しに行った「食べるもの
 のない都市の人たち」へ、着物など、直ぐに必要という
 物でも無いものと交換してくれた『優しい農家の方々』
 が、豊かな農産物と共に、日本の農村には、大勢、居ら
 れた。
  この農村の優しさが、空襲で何もなくなって困ってい
 る人々への優しい心が、『戦後の爆発的復興の起爆剤と
 なった』・・
  これを知ってか知らずか・・今の日本がある。
  しかし、今、アメリカは、日本の『命の源泉』の、こ
 の農村の農業を壊している。
  今の日本は、自転車操業の食糧サイクルの中で、「天
 国の極楽トンボの食糧状態」の中で、問題の深刻さに気
 付いていない。
  マッカーサーが言う様に、かつての日本軍の様になら
 ないように・・、
  中国が、南シナ海を、自分の領土にしたい目的の一つ
 が・・これ。
  日本の物資を運ぶ「シーレーンの遮断」。
  日本の首ねっこを掴みたいのだ。
  リスキーな日本は、目覚めなければならない。
  無頓着な・・お人好しな・・温厚な日本人・・死ぬ直
 前まで・・その死が迫っている事が分からぬ民族・・、
  偉大なる功績と、長い歴史を持つ日本が・・日本文化
 が・・その中で豊かに育まれて来たが・・その明日は・・
 これほど儚(はかな)いものだったのかと憂える時代の
 中に、今ある。
  すべてをアメリカに依存して・・それで良しとして・・
 自らの努力を・・知らないふりをして・・放棄している。
  「国防をする」を「戦争をする」と取り違えて・・ま
 ったく「自らを守ろうとしない」・・
  20XX年に、天国で、天国へ行った日本人へ、「国防の
 努力を怠(おこた)ったからですよ」と言われるだろう。
  また、「アメリカが守ってくれる」と言ったって・・
 「ここに来てしまったのですね」と言われるだろう。
  アメリカにしてみれば、アメリカの都市のその一つに・・
 核が落ちるという事を考えたら・・、
  日本に核が落ちたからって、安易に核反撃をする手が
 縮(ちぢ)こまってしまうということ・・
  自らを守ることを、他人に頼っていては始まらないの
 だ。
  核の傘は、「夢の傘である可能性が高いのだ」。
  今、日本は、スイスの武装中立国の様に、スイスの様
 な核を持った武装中立国の様に・・ならねばならぬ。
  テレビで、非武装中立を論じた者がいたが・・殺され
 てもいいのか?と聞かれて、「良い」と元気に言ったそ
 の御仁が・・
  「そのことを、あなたの妻や子にまで押し付けるので
 すか?」と問われて、返事に窮したが、
  そして、ああだこうだと言ってはいたが・・最後に自
 虐的に「お花畑論理でした」と絞り出すように吐いた言
 葉が、「その実態を表わしている」。
  自分だけなら勢いよく格好良く言ってはいたが、愛す
 る人々、妻・子供・日本の方々のこと・・他の人々の命
 の話しに話が及ぶと、その無責任論理の展開が出来ない
 ことを・・ここに至って知る。
  無責任論理で「妻や子と一緒に自殺行為は出来ない」
 ということを・・やっと知る・・
  愛する妻や子にも、他の人々にも「生きる権利がある」
 ・・当然・・
  その人々を守り抜く責任もある。
  安易な非武装中立論は唱えられない・・
  「国防」と「戦争」は違うのだ。
.
1962年10月22日 、キューバ危機。
  アメリカは、キューバに、ソ連軍のミサイル基地が建
 設中であると発表した。
  そして、抗議し、その撤去を要求した。
  そして、1962年10月22日以降、アメリカは、183隻の戦
 艦と1190機の戦闘機を動員して、キューバの海上封鎖を
 実施した。
  アメリカ大統領のJ.F.ケネディは、キューバから攻撃
 があった場合には、ソ連によるものとみなして報復する
 とした。
  アメリカの海上封鎖に、ソ連が譲歩してミサイルを撤
 去し、衝突は回避された。
  第三次世界大戦の直前だった。
  これまでの経緯・・、
  1959年1月、キューバに、カストロの革命政府が成立し
   た・・そして・・アメリカは、
  1961年1月に、キューバ、アメリカ両国は断交した。
  1961年4月、ケネディ政権は、反カストロ分子のキュー
   バ侵攻を援助したが、これに失敗した(ピッグス湾事
   件)。
  1962年1月、米州機構からのキューバを除名し、食糧・
   医薬品以外の全面禁輸などにより、政治的・経済的
   なキューバの孤立化をはかった。
.
1984年、イギリスのサッチャー首相が、EUに拠出してい
 る金が、馬鹿らしくなって、「返してくれ」と拠出金払
 い戻しを要求した。
  「不労所得の金」と、「汗水流した金」は差別せよ。
  インターネット決済の場合、その様なシステムを導入
 して、汗水流した金の価値を上げよ。
  例えば、汗水流した学生のアルバイトの金には、コン
 ビニでの買い物をした場合、2割安くする・・とか。
  逆に、ギャンブルや競馬で得た大金の場合は、2割余計
 に支払わせるとか・・と。
  ここで思いがおよぶのが、キリスト教のこと・・何し
 ろ、キリスト教は、楽して手に入れる事しか教えない。
  その極端が、困ったら隣国の富を奪え・・(キリスト
 教の)神の義があるから、その様な行為は許されるのだ・・
 と説く。
  そして、その隣国の富をとことん奪う事を教える。
  「生娘は生かしておけ」とか、「奴隷にせよ」とか、
 「○○人は男だけ殺せ」とか、「△△人は皆殺しにせよ」
 とか・・と・・こんな事ばかりが聖書に書かれている。
  この様に、自己の利益にさといキリスト教民族は、自
 民族に利益をと、なりふり構わず、他民族を殺してまで
 して、自民族の利益を得ようとする・・、
  今、EU諸国は、「自己の主権の明け渡しにつながる
 件には反対し、反発を強くしている」。
  だから、EUが、まとまる訳が無い。
  EUのどの国も、「EUへの自分たちの拠出金」を少
 なくなるようにし、また、逆に、EUの歳出において、
 「自国に、より多くの補助金が入ってくるように画策す
 ることに奔走する」。
  その様な事に、「なんだかんだと理屈を付けて右往左
 往している」。
  何ら大所高所の観点のない「キリスト教民族が利益を
 自己へ引き入れようとする様な行為となっている」。
  楽ばかりを追い求めるキリスト教。
  プレゼント話の多いキリスト教。
  貰うことが常態化した国は、「EUからの補助金は、
 すでに重要な常態化した収入源」と位置付けている。
  貰うことが当然と化している。
  グローバリズムの音頭で始まったEUなんて、何ら美
 しくもなんともない。
  補助金を当てにする、貰うのが常態化したぐうたらを、
 さらにぐうたらにしている。
  だから、EUの予算交渉は熾烈(しれつ)を極め、「
 ヨーロッパは一つ」、「皆で協力して助け合うのだ」と
 いう理念は影も形もない。
  ヨーロッパが一つになるという理念は・・、
  逆に、各国のエゴがむき出しでぶつかり合い、「その
 理念と真逆」という真実の姿をまざまざと見せつけてい
 る。
  たっぷりと補助金を貰ったギリシャは、その国民性「
 宵越しの金は持たない」の使い方を「し続けている」。
  何ら国の発展に寄与していない補助金となっている。
  EUは、「人間、生きるに大切な食料確保」に注力し
 ている。
  どこかの国の様に「天から食べ物が降って来る」かの
 ような施策は取らない(日本はまったくダメ)
  この点、EUは、しっかり農業を大切に補助し保護し
 ている。
  全歳出の45パーセントは農業に対する補助金となって
 いる。
  この大きな財源に対して、毎年、熾烈な奪い合いが演
 じられている。
  「自国以外はすべて敵」の心境となっているEU内諸
 国となっている。
  そして、その補助金に対して、国別に格差をつけて差
 別化している。
  この様にしなければならない理由は、それなりにあっ
 たのだが、これが穏便にすまない訳となっている。
  抗議の嵐が錯綜しているEUとなっている。
  各国の恨みつらみも生じている。
  かつて、資源やエネルギーを仏独が取り合って戦争ば
 かりしていた愚かな状態を乗り越えようとして出来たE
 Uで、今、補助金の取り合いという新たな抗争・争いの
 事態が起きている。
  そして、開発補助金。
  これも、EU歳出の30%を占める大きな財源で、同じ
 様に取り合う事態が演じられている。
  嘘の報告書まで作って裏切りの奪い合いとなっている。
  オリーブ畑が広がっているはずなのに岩山ばかりの地
 だとか、オリーブの木の1本もない事態とか、車が無い所
 に道路を作る話とか、羊も居ない所に牧畜補助金・・な
 どなど・・と・・、
  こんな人を欺(あざむ)く取り合いとなっている。
  美しくもなんともない。
  賄賂も蔓延している部門もあるという、また、補助金
 の獲得がなされると、「個人の獲得金」に様に思って使
 われるとか・・
  日本が、朝鮮・韓国へ、どんどん金をつぎ込んで、共
 に豊かになろうと、山野に植林し、鉄道を引き、道路を
 作り、ダムを造り、学校を作り、衛生環境を良くしよう
 と邁進し人口が3倍にするなど、こんな姿の一端も無い。
  これに頭に来たイギリスのサッチャー首相は、1984年、
 イギリスが拠出した金を返してくれと、拠出金の払い戻
 しを要求した。
  イギリスは、EU拠出金の65%を支払わないで済むよ
 うになった(毎年の免除)
.
2013年12月、日本の大学の「英語化」の動きが活発になっ
 てきた。
  「英語化」とは、大学で英語による授業を増やすこと
 のほか、外国人教員の増員、留学生の増員、事務業務の
 英語化、などなどなど・・など・・
  仮の話であるが・・今、アメリカ全土の小学校の授業
 を・・、
  ハワイ州も、そして、アラスカ州も、そのアメリカ全
 土の州の小学校の授業を・・「日本語でしなさい」とし
 たならば、
  その様にすると、「アメリカの技術力が向上する」し、
 また、「アメリカ全土の道徳心が向上する」し、「アメ
 リカが、より幸せになる」からと、
  この様な理由を挙げながら、半分、強制的に、「アメ
 リカで行なわれている英語(米語)の授業を止めさせて」、
 アメリカ全土の子供たちの、小学生の授業を変えさせた
 ら、アメリカの方たちは、どのように思うだろうか?
  「そうするメリットがあるのですから」と言われ、
 「有無を言わせず」、「小学生の授業の日本語化が行わ
 れたら」・・、
  アメリカの方たちは、どのように思うのだろうか?
  何しろ、良い所が、色々とあるのですよ・・と。
  日本語にしないのは、おかしいでしょう・・と。
  アメリカは、フィリピンで、「このような事」を、や
 った・・やらされた
  そして、日本でも、戦後、アメリカはやろうとした・・
 そして、止めた・・だが、今また、やろうとしている。
  フィリピンの方たちの言葉を取り上げ・・、
  今、フィリピンは英語化している。可哀想に・・。
  母国語教育でなければ技術は育たない。
  母国語教育で文化をはぐくみ進化しなくてはならない。
  ・・・
  グローバル化の必要性が叫ばれる中、大学の「英語化」
 が進んでいる・・が
  英語の授業を増やし、英語が母国語の教員を増やし、
 留学生を増やし、事務職員にも英語が堪能な人たちを増
 やす。
  そうしなければ世界との競争に負けると国はいう。
  そのための予算ならつけるという施策の結果、各大学
 は競うように英語化に突き進んでいる。
  だが、在米25年の佐藤匠徳・奈良先端科学技術大学
 院大学教授は「こんなことをしていると日本の競争力が
 下がる」という・・・なぜか?
  授業の英語化すると・・当然、授業の質が低下する。
  日本語の質の高い言語を使わないマイナスと・・、
  日本語という母国語レベルに遠く及ばない語彙数、語
 彙の深さ・質などが低下した授業の質が高いと言えない
 のは説明する必要はない。
  (英語という言語は質的にまったく劣っている)
  キリスト教聖職者が、現代ではまったく使われなくな
 ったラテン語を、組織から要請されて習得するのに一生
 を費やしているという人もいる・・人生を無為に、無駄
 に時間を喪失している・・という話にも通じる(時間と
 労力の無駄遣い)
  英語が話せたから「グローバルな人間だ」は、アメリ
 カのプロパガンダ・嘘話し・・、
  英語がペラペラでも・・その筋のことがわからなけれ
 ばいつまでも阿呆である。
  英語に力を入れる偏った勉強は阿呆づくりとなる。
  特に幼児期からは悲惨だ。
  グローバルなら中国語だと言う御仁も居る。
  世界一の投資家はアメリカからシンガポールに移住し、
 御子息に中国語を習わせている。
  凋落の英語を嫌った。
.
2014年1月1日、中国の最新データーによる人口は、13億6072
 万人。
  人口調査するごとに人口が増える中国。
  最近では、「一人っ子政策の強制」によって、生まれ
 た子を届け出ないで隠し、その子が、調査で新たに見つ
 かり登録される。
  中国は、これを、頭をかかえないで、この人口を領土
 拡張に使っている。
  チベットへ行かせ、チベットの地は、とうとう漢民族
 が、一番多いという場所になってしまった。
  民主主義の世の中、住民の意思が尊重される、その住
 民の意思が、何をやっても「漢民族の意思」となった。
  チベットの地は、当然、チベットの地ではなくなって
 行く。
  そして、チベット民族への圧迫も行なわれていて、チ
 ベット民族が拡散され、追い出されることが、同時に行
 われて、チベットは、ますます漢民族の地となってしま
 った。
  日本へ難民となって来ている方が嘆き、本を出されて
 いる。
  中国は、こんなことを、「内モンゴル」でもやってい
 る。
  「ウィグル自治区」でもやっている。
  これらの地の名前は、近いうちに、漢民族の州の名が、
 「漢民族の州だ」として名付けられるだろう。
  チベット・モンゴル・ウィグルは消えるだろう。
  かつて、満州族の多くいた地、日本が満州国の建国を
 助けて差し上げたが、今は、そこに満州族は居ない。
  殺されたのか? 追い出されたのか?
  文化大革命時には、想像できないくらいの自国民を中
 国は殺した・・中国は、この様なことが何度も起きると
 いう国なのだ。
  何かが起きたのだ・・そうでなければ、この様な極端
 な変化は起きない訳だ。
  そして、この様な行為が、中国国内だけではなくなっ
 ている。
  オーストラリアの牧草地が、ドンドン中国人に買われ、
 今、中国人オーナーの牧場が多くなっている。
  その中国人オーナーが、オーストラリア人を雇うとい
 う逆転現象が起きている。
  金のある中国が、今、問題になっている。
  金を貸したギリシャが、その金の返済ができなくなっ
 たら、ギリシャの港を中国の軍艦が寄港できる形にして
 しまうという、金の力で、軍事的影響力の拡大を行なっ
 た。
  こんなことは、スリランカでも行っている。
  また、中国の狙いは、尖閣諸島だけではなく、この様
 な土地買い上げが、沖縄でも行われている。
  そしてまた、北海道の安い土地が、中国によって買い
 占められている。
  土地を現金化して大都市へ出たいという日本人の地主
 から買い上げている。
  かつて、バブルの頃、日本の東京の土地の値段で、ア
 メリカ全土が買い占められると言われた。
  金さえあれば何でもできると、今、中国は、その行動
 をしている。
  だから、今、北海道の「すすきの(薄野)」は、中国
 に乗っ取られたという。
  また、札幌に中華街の中国人町を造る計画が進行中と
 いう。
  日本の公的機関がそこへ地下鉄を通すという手伝いを
 しているという。
  今、中華街の某中国人の店に、毛沢東の肖像画が飾ら
 れていることの異様さや、異常さを不気味に感じている。
  また、何故か? 中国人のラーメン屋には、どこも、
 中国寄りの記事を書く朝日新聞が置いてある。
  この様な気になることが増えている。
.
2017年、サイバー攻撃に長(た)けた中国
  サイバー攻撃とは、コンピューターネットワーク上で、
 特定の国家、企業、団体、個人に対して行われるクラッ
 キング行為で、政治的、社会的理由に基づき、社会に混
 乱をもたらしたり、国家の安全保障を脅かしたりするこ
 とを目的とする破壊活動。
   そして、通信などのネットワークに侵入し、壊したり
 データを盗んだりし、市民生活や企業、政府、軍の活動
 に被害を与え・・、
  アメリカは、企業情報を中国が盗み、大統領選にロシ
 アが介入したと指摘した。
  しかし、アメリカのネット侵入による情報収集も、オ
 バマ政権時に発覚したりした。
  そしてさらに、データーを盗むだけではなく、相手を
 混乱させる目的からデーター改ざんなどもされている。
  このインターネット工作で、中国は、アメリカの最新
 鋭の『核弾頭技術』の情報を得た、集めていた。
.
2018年、アメリカは、現実的な使用可能な小型原爆で抑止
 力を向上させる必要がある・・とし・・、
  また、アメリカは、先制攻撃もあり得るとした。
  (参考)先制攻撃:先に攻撃すること、
  これを、別な表現をすれば・・
  今・現代、当然、日々、技術は進歩をしている・・、
  第二次世界大戦時に生まれた原子爆弾の威力も「格段
 に強力に、より大きくなっている・・
  原爆が生まれた直後の頃は、広島・長崎の都市が蒸発
 する爆発威力であったが・・、
  今・現代は、1発の原爆で、東京都・神奈川県・埼玉
 県・千葉県が蒸発する威力となっている。
  または、「日本は3発の核爆弾で蒸発する」とも言わ
 れている。
  アメリカは、この様な核爆弾を、広島・長崎投下型の
 核爆弾にする・・と・・、
  若しくは、さらに使いやすい小型爆弾を持つ方向に行
 く・・とした。
  そして、日本の防衛(国防)の考え方が、国会で議論
 されているが・・、政府は次の考え方を示した。
  日本の防衛(国防)は、日本国憲法に則(のっと)り
 実施されなければならないのは当然であり・・、
  その防衛姿勢を具体的に言えば、相手の武力攻撃があ
 った後に、防衛力発動を行なうという事となる。
  (憲法の攻撃武力の行使抑制でこの形になる)
  しかし、攻撃を受けたからと言って、最小限での防衛
 力発動となる。
  そして、その対応に於いて、日本は防衛のための武器
 だけの姿勢に留める。
  この様に大変厳しい防衛戦略となっている(憲法によ
 る抑制のために・・)
  例えば1例、ミサイル攻撃を受けた日本は、『1発目は、
 その攻撃を甘受しなければならない』。
  憲法に則って防衛を実施する形と言えば、この様な形
 となる・・と・・日本政府は示した。
  この占守防衛の形は、日本政府の一貫した形として来
 た・・これは、今後も変更せず堅持すると・・(以上)
  誰もが、楽しく、幸せな毎日を過ごして見過ごして来
 た日本の防衛・・しかし・・、
  その日常の平和・幸福を突き詰めて行くと、この様な
 形の上に立脚している・・砂上の楼閣なのだ・・
  1発目は甘受する・・つまり、関東平野の諸県や都が
 蒸発してから、防衛に動き出すということだ・・、
  もしくは、攻撃兵器の種類によっては、日本の3分の
 1が蒸発してから、防衛出動するというのである・・
  今の憲法では、その様にしかできないと言うのである。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive


あなたにおススメの記事

 脳の萎縮を遅くし、脳の活性化を維持し、生活を幸せに導く方法・・ (2023-10-30 02:41)
 水俣病・・まだ、続く、本日・2023年10月12日、東京新聞が報じる・・被害者救済を渋る国の姿勢がまたも・・ (2023-10-13 02:30)
 水俣病・・当時、有機水銀の様な毒は、胎盤を通して胎児には伝わらないと思われていた。 (2023-10-09 05:57)
 水俣病・・石牟礼道子さんは、やはり、国が一番悪いのだと言われました。原因者のチッソが、一番、悪いけど・・ (2023-10-08 04:41)
 (増補版)720(添付資料-7)E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1899年4月~1899年5月) (2022-10-30 02:25)
 (増補版)720(添付資料-6)E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1899年4月~1899年5月) (2022-10-16 03:33)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
(増補版)578E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年3月~1893年4月)
    コメント(0)