さぽろぐ

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北国の暖かい方たちとともに

2020年04月06日

(増補版)689E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年3月~1898年3月)

題:(増補版)689E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年3月~1898年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.

  (投稿拒否の為、削除します。全文は、是非、下記のブログを御覧ください)

..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://stff2010.blog29.fc2.com/
または
  https://32983602.at.webry.info/202004/article_1.html
または
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
  


2020年04月03日

(増補版)688E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年2月~1898年3月)

題:(増補版)688E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年2月~1898年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1898年2月27日、日本鉄道(株)のストライキが、要求がとお
 り解除した(詳細は2月2日の欄を参照ください)
.
1898年2月、佐佐木信綱らが短歌雑誌「こゝろの華」を創刊
 した。
  佐佐木信綱を中心とする短歌結社の竹柏(ちくはく)
 会の機関誌として創刊された。
  歌壇最古の歴史を持っている月刊誌。
  初期の表記が「こころの華」。
  各個人の個性の尊重・発揮をはかる主宰の信綱の温厚・
 円満な人柄と指導から、穏健な詩風となっている。
  初期には、正岡子規、伊藤左千夫らの根岸短歌会や、
 落合直文、与謝野鉄幹らのあさ香社、さらに、旧派の歌
 人たちの寄稿もあって短歌総合誌の状態だった。
  しかし、1903年~1904年頃に、石榑千亦 (いしくれち
 また) が独力で編集しはじめてから竹柏会の機関誌の状
 態となった。
  温雅な歌風ながら個性を生かす信綱の指導下に、五島
 茂、川田順、新井洸(あきら)、斎藤瀏(りゆう)、前
 川佐美雄、木下利玄(りげん)、大塚楠緒子(くすおこ)、
 橘糸重、片山広子、九条武子、柳原白蓮、五島美代子、
 栗原潔子(きよこ)、石川不二子(ふじこ)、竹山広、伊藤
 一彦、谷岡亜紀、俵万智ら多彩な歌人、すぐれた歌人が
 生れた。
  1963年の信綱の没後も佐佐木由幾(ゆき)(1914年~2011
 年)、佐々木幸綱(ゆきつな)らの遺族の手で運営され、
 継続発刊し、個性伸長を方針にしている。
  1982年2月には1000号となった。
  昭和期に、前川佐美雄(さみお)、斎藤瀏(りゅう)、五
 島茂、五島美代子、山下陸奥らが分派して活躍し、歌文
 集「心の華叢書」を数多く刊行して現在に至っている。
.
1898年2月、鉄道作業局長官、逓信大臣にあて、「電信電話
 線工事施行並保存ニ関スル件」を提出し、承認され、鉄
 道作業局において電信線の架設および保守を自営した。
  鉄道電話は、鉄道事業者の内線電話で、列車運行の保
 安などのために公衆交換電話網の障害に影響されない通
 信網として整備されている。
  鉄道電話が整備される以前は、国鉄では業務連絡を電
 報で行っていた。
  そのため、モールス符号を修得した専門職・通信士(
 電信技師)が必要だった。
  その合理化・改善として、運転指令所と各停車場間に
 指令電話が整備された。
  その時、手動電話交換機が導入されて、現業機関同士
 の連絡が容易になされる様になったが、交換手に申し込
 んでから通話が出来るようになるまで「1時間待ち」にな
 るなど回線容量は逼迫して来た・・そのため、業務連絡
 に短波回線も使用した。
  1954年には、通信網の改善通達が出され、函館~青森
 間で運用成績が良かったマイクロウエーブ回線を増備す
 ることとなった。
  それから、国鉄と電々公社が全国即時通話網の構築を
 競い合うことになった。
  1961年、国鉄は、電々公社よりも早く全国マイクロウ
 エーブ網・自動交換機による全国ダイヤル即時通話を完
 成させた。
  1962年に発生した三河島事故、翌・1963年に発生した
 鶴見事故を受けて、列車防護無線の導入が為され、それ
 に代わって行く。
  現在受け持っている役目は、地上側からの非常電話や
 非常ボタンなど一般からの鉄道障害の報知用となってい
 る。
  1984年から、光ファイバー敷設が始まり・・また・・
  1990年代以降は、駅のインターホン・監視カメラ・案
 内表示板・駅自動放送・自動改札機・自動券売機と統合
 した、省力化システムなど、回線容量の増大を反映した
 種々の機能が追加された。
  2000年代に入って、一部の事業者でIP網化も行われ
 ている。
  (参考)IP網:または、IPネットワーク・・イン
     ターネット・プロトコル・スイート技術を利用
     して相互接続されたコンピュータネットワーク。
  (参考)コンピュータネットワーク:複数のコンピュ
     ータを接続する技術、または、接続されたシス
     テム全体。
      コンピュータシステムにおける「通信インフ
     ラ」自体、あるいは、通信インフラによって実
     現される接続や通信の総体とも言える。
.
1898年2月、プロシア工部省参事官のフランツ・バルツェル
 を逓信省工務顧問として傭聘(技術上の諮問に応じ、また、
 市街線の建設に従事、12月勅任取扱いとなり、1903年2月
 傭聘を解かれる)
  (参考)傭聘:ようへい、(国の招きにより)雇い入
     れること。
  (参考)フランツ・バルツェル:プロシア(ドイツ)
     の鉄道技術者・建築技術者で、明治の日本にお
     いてのお雇い外国人として鉄道技術の指導を行
     った。
      特に、東京駅とそこに至る高架鉄道の基本設
     計を行い、東京の鉄道網のグランドデザインを
     行った人物。
      1857年5月29日、ザクセン王国のドレスデンに
     おいて、数学教授の子として生まれ、プロイセ
     ン邦有鉄道(国鉄)の第1回の建築科試験を通っ
     て採用され、ベルリン市街線の高架工事やケル
     ンの駅改良工事などに携わり・・
      1884年にシンケル奨励賞を受賞。
      在外研究員としてスコットランドやアメリカ
     で研修を積み・・
      1892年からベルリン高等工業学校のハインリ
     ヒ・ミューラー=ブレスラウ教授(橋梁技術)
     の助手を務める
      1898年2月、日本政府の招聘に応じて妻と2人
     の娘を連れて日本へ赴任した。
      彼は、東京の鉄道網全体の計画をすることに
     なる。
      彼は、ロンドンやパリのターミナル駅の問題
     点などをすでに把握しており、また、その改善
     がなされたベルリンを知っていて、この知見が
     生かされた。
      また、彼は、鉄道網計画を実現するための構
     築物の構造計画に精通していた。
      また、ヘルマン・ルムシュッテルの提案など
     で実現されて行った。
  (参考)ヘルマン・ルムシュッテル:ドイツの鉄道技
     術者で、お雇い外国人として明治の日本で鉄道
     技術の指導を行った人物。
      豊富な経験と経歴を持ち、ドイツ政府による
     人選を経て、1887年に3年間の予定で日本に派遣
     された。
      来日に先立って二重橋や大阪の三大橋のドイ
     ツでの鋳造に際して製造監督などを任された。
      日本にドイツの技術を持ち込み、日本の鉄道
     発展に大きな影響と功績を持っている。
      それまではイギリス流の鉄道技術が主流であ
     った。
      蒸気機関車や客車・貨車まで技術が発展した。
      1892年、九州鉄道を退職し、東京の駐日ドイ
     ツ公使館付き技術顧問となった・・この頃にな
     ると日本の技術者たちも育って来た。
      東京駅周辺から山手線周辺、そして、その路
     線の構築など、見事な鉄道構造物、路線計画な
     どは彼らと日本の草莽崛起の技術者たちの功績
     による。
  (参考)草莽崛起:そうもうくっき、志を持った在野
     の人々が一斉に立ち上がり、大きな物事を成し
     遂げようとすること。
      江戸時代末期に、吉田松陰が民衆主体の改革
     を望んで唱えた思想。
.
1898年2月、陸軍省が、三十年式歩兵銃を軍用に制定した。
  陸軍は、1880年より、村田経芳が開発した十三年式村
 田銃、十八年式村田銃、二十二年式村田銃を採用して来
 た(村田銃)。
  これにかえて、1897年、有坂成章の開発した三十年式
 歩兵銃を採用した。
  三八式歩兵銃は日露戦争の主戦兵器で、三十年式歩兵
 銃を改良したもの。
  口径6.5mm、銃身長1575mm(全長:1275㎜)(銃身長
 790mm)、槓桿(こうかん)操作方式(ボルトアクション)、
 5連発小銃。
  欧米では、開発した有坂成章の名前から「アリサカ・
 ライフル」と呼んでいる。
  因みに、日清戦争の時、中国・清軍の一部では、ドイ
 ツから輸入した口径7.92mmの連発式ボルトアクション式
 小銃のGew88(1888年にドイツで採用。のちに清国が
 漢陽八八式歩槍として1895年から国産化した)を装備し
 た・・これは村田銃よりも優れていた。
  日本も連発式ボルトアクション式小銃の開発が急務と
 なった・・因みに、日本にあった連発式小銃の命中精度
 は悪かったので実戦配備ができなかった。
  三十年式歩兵銃は、発射薬に無煙火薬を用い、口径を
 6.5mm(三十年式実包)と小さく抑え、高初速で優れた命
 中率の銃にまとめ、マンリッヘル小銃やモーゼル小銃な
 ど、外国の銃にあった要素を取り込んで、画期的新機軸
 はないが、完成品は当時の世界水準を越えた傑作だった。
.
1898年2月、ドイツが、中国・清から膠州湾を租借した。
  この2月のドイツの膠州湾に引き続き、3月にはロシア
 が旅順・大連を租借している。
  この山東半島南海岸の租借地を1914年まで租借した。
  ドイツは、湾入り口東側の半島に青島(ちんたお)を
 建設した。
  中国の人口の多さにドイツは着目していた。
  植民地にして経済を支えるのに理想的だとした。
  ドイツの死活問題とされた。
  ドイツ海軍艦隊が砲艦外交をするドイツの役割を演じ
 た。
  また、戦時の防衛線の拠点としても有効と考えられた。
  母港・寄港地としての重要性が認識された。
  また、ドイツの宣伝拠点ともされた。
  この様な拠点を築くのが他国より遅いとドイツも焦っ
 ていた。
  1897年、ドイツ人キリスト教宣教師が殺害されたこと
 に因縁(ドイツ人宣教師の保護)を付けて侵略の武力行
 使をした。
  1897年11月7日、膠州湾占領作戦の命令が発せられた。
  1897年11月14日、ドイツ海兵隊が膠州湾に上陸した。
  戦闘は起きなかった・・ドイツは清国兵の1000人に退
 去を命じた・・湾岸全域を占領した。
  清国側はこの部隊を撤退させようとしたが無駄だった。
  1898年3月、ドイツは独清条約を結んで、膠州湾の99年
 間の租借を承認させた。
  卑劣な事にこの条約で、周辺の町や湾の水面全部と湾
 を囲む東西の半島や島々は含まれていなかったが、ドイ
 ツは無断で租借地と解釈して奪取した。
  ドイツの通行自由が発生し、逆に、中国・清の行動が
 規制され、ドイツ政府の承認なしで清の行動は出来なく
 なった。
  1898年4月6日、この奪われた地域が公的にドイツの保
 護下に置かれた。
  1899年7月1日、条約で決められた港だとされて開港し
 た。
  中国の主権は放棄されたことになった。
  第一次世界大戦で、日本はここを攻め・・ドイツ軍を
 放逐した・・
  ドイツの租借が1914年までというのはこの意味・・
.
1898年3月1日、北海道庁鉄道部、鉄道営業線路従事諸員服
 務規程を制定した。
.
1898年3月2日、徳川慶喜公が、幕末以来はじめて皇居へ参
 内し、明治天皇陛下・皇后陛下に拝謁した。
  慶喜公は、和服の羽織・袴姿で参内し、和室で座を賜
 った。
  そして、光栄なことに、皇后陛下の御手ずからお酌を
 してくださった。
  (参考)光栄:こうえい、輝くばかりの身のほまれ。
  贈り物に銀製花瓶一対、三組銀盃一組、紅白縮緬各一
 疋(ひき)を戴いた。
  この時も、西郷寅太郎の時とおなじく有栖川宮威仁親
 王殿下の斡旋によるものであった。
  また、陰で勝海舟が奔走していた。
  維新の時は、逆賊・慶喜と呼ばれた者が31年経って、
 本復(ほんぷく)され、名誉回復を遂げたということだ
 った。
  徳川家臣団もどれだけ喜んだことだろう。
  明治政府に対する怨念の解消に役立つった。
  また、明治35年に、徳川慶喜公は爵位を授けられた。
  (参考)西郷寅太郎:西郷隆盛の長男。
      日清戦争に従軍。
      明治35年父・隆盛の偉勲により華族に列し侯
     爵を授かる。同年から貴族院議員を務めた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:2020年1月11日、中国で新型コロナウイルスで死者が出る。
   データーからもはっきり中国発の中国武漢発生ウイルスであると証明している。
.
2020年1月11日、中国で新型コロナウイルスで死者が出る。
  2020年1月11日、感染者数41、死者数1(すべて中国)
  2020年1月16日、感染者数41、死者数2(すべて中国)
   死者が2名となる
  2020年1月17日、感染者数45、死者数2(すべて中国)
   感染者がこの日から増えだす。
  2020年1月18日、感染者数62、死者数2(すべて中国)
  2020年1月19日、感染者数121、死者数3(すべて中国)
  2020年1月20日、感染者数198、死者数3(すべて中国)
  2020年1月21日、感染者数295、死者数3、
   中国291(3)、日本1(0)、韓国1(0)、タイ2(0)
   (中国以外の国に感染者が発生し始める)
  2020年1月22日、感染者数447、死者数9、
   中国440(9)、日本1(0)、韓国1(0)、タイ3(0)、香港
   1(0)、
  2020年1月23日、感染者数581、死者数17、
   中国571(17)、日本1(0)、韓国1(0)、タイ4(0)、マカ
   オ1(0)、台湾1(0)、アメリカ1(0)、香港1(0)、
  2020年1月24日、感染者数847、死者数25、
   中国830(25)、日本1(0)、韓国2(0)、タイ4(0)、マカ
   オ2(0)、台湾1(0)、アメリカ2(0)、ベトナム2(0)、
   シンガポール1(0)、香港2(0)、
  2020年1月25日、感染者数1.320、死者数41、
   中国1,287(41)、日本3(0)、韓国2(0)、タイ4(0)、マ
   カオ2(0)、台湾3(0)、アメリカ2(0)、ベトナム2(0)、
   シンガポール3(0)、オーストラリア3(0)、フランス
   3(0)、ネパール1(0)、香港5(0)、
  2020年1月26日、感染者数2,017、死者数56、
   中国1,975(56)、日本3(0)、韓国2(0)、タイ5(0)、マ
   カオ2(0)、台湾3(0)、アメリカ5(0)、ベトナム2(0)、
   シンガポール4(0)、オーストラリア4(0)、フランス
   3(0)、ネパール1(0)、マレーシア4(0)、香港5(0)、
  2020年1月27日、感染者数2,798、死者数80、
   中国2,744(80)、日本4(0)、韓国4(0)、タイ5(0)、マ
   カオ5(0)、台湾4(0)、アメリカ5(0)、ベトナム2(0)、
   シンガポール4(0)、オーストラリア4(0)、フランス
   3(0)、ネパール1(0)、マレーシア4(0)、カナダ1(0)、
   香港8(0)、
  2020年1月28日、感染者数4,593、死者数106、
   中国4,515(106)、日本6(0)、韓国4(0)、タイ14(0)、
   マカオ7(0)、台湾7(0)、アメリカ5(0)、ベトナム2(0)、
   シンガポール7(0)、オーストラリア5(0)、フランス
   3(0)、ネパール1(0)、マレーシア4(0)、カナダ2(0)、
   ドイツ1(0)、スリランカ1(0)、カンボジア1(0)、香
   港8(0)、
  2020年1月29日、感染者数6,065、死者数132、
   中国5,974(132)、日本7(0)、韓国4(0)、タイ14(0)、
   マカオ7(0)、台湾8(0)、アメリカ5(0)、ベトナム2(0)、
   シンガポール7(0)、オーストラリア7(0)、フランス
   4(0)、ネパール1(0)、マレーシア4(0)、カナダ3(0)、
   ドイツ4(0)、スリランカ1(0)、カンボジア1(0)、ア
   ラブ首長国連邦4(0)、香港8(0)、
  2020年1月30日、感染者数7,818、死者数170、
   中国7,711(170)、日本11(0)、韓国4(0)、タイ14(0)、
   マカオ7(0)、台湾8(0)、アメリカ5(0)、ベトナム2(0)、
   シンガポール7(0)、オーストラリア7(0)、フランス
   4(0)、ネパール1(0)、マレーシア4(0)、カナダ3(0)、
   ドイツ4(0)、スリランカ1(0)、カンボジア1(0)、ア
   ラブ首長国連邦4(0)、香港10(0)、
.
2020年4月1日、新型コロナによる世界各国・地域の
 感染者数(死亡者数・死亡率)
(1)中国198(3)1.52%...①
(1)11,791(259)2.20%...①
(1)40,171(908)2.26%...③
(1)75,002(2,118)2.82%...⑤
(1)79,824(2,870)3.60%...③
  (1)80,695(3,097)3.84%...⑥
  (1)80,735(3,119)3.86%...⑥
   (1)80,824(3,189)3.95%...④
    (1)80,973(3,193)3.94%...③
     (1)80,881(3,226)3.99%...④
      (1)80,894(3,237)4.00%...
       (1)80,928(3,245)4.01%...
        (1)81,008(3,255)4.02%...⑦
         (1)81,054(3,261)4.02%...⑧
          (1)81,093(3,270)4.03%...⑩
           (1)81,218(3,281)4.04%...⑩
            (1)81,285(3,287)4.04%...⑩
             (2)81,340(3,292)4.05%...⑨
              (3)81,439(3,300)4.05%...⑩
               (3)81,470(3,304)4.06%...⑩
                (4)81,554(3,312)4.06%...⑪
                 (124,554人以上)
(--)韓国0(0)0.00%...
(6)12(0)0.00%...
(5)27(0)0.00%...
(2)104(0)0.00%...
(2)3,736(18)0.48%...⑩
  (2)7,134(50)0.70%...⑰
  (2)7,382(51)0.69%...⑱
   (4)8,086(72)0.89%...⑳
    (4)8,086(72)0.89%...⑪
     (5)8,320(84)1.01%...⑪
      (5)8,413(84)1.00%...
       (7)8,565(94)1.10%...
        (8)8,799(104)1.18%...⑲
         (8)8,897(110)1.24%...⑱
          (8)8,961(118)1.32%...⑱
           (8)9,137(127)1.39%...⑰
            (10)9,241(131)1.42%...⑳
             (10)9,332(139)1.49%...⑳
              (11)9,583(152)1.59%...21
               (12)9,661(158)1.64%...22
                (13)9.887(165)1.67%...22
(--)イタリア0(0)0.00%...
(16)2(0)0.00%...
(17)3(0)0.00%...
(17)3(0)0.00%...
(3)1,128(29)2.57%...④
  (3)5,883(234)3.98%...⑤
  (3)7,375(366)4.96%...④
   (2)17,660(1,268)7.18%...①
    (2)17,660(1.265)7.16%...①
     (2)27,980(2,158)7.71%...①
      (2)31,506(2,503)7.94%...
       (2)35,713(2,978)8.34%...①
        (2)47,021(4,032)8.57%...①
         (2)53,578(4,825)9.01%...①
          (2)59,138(5,476)9.26%...②
           (2)69,176(6,820)9.86%...①
            (2)74,386(7,503)10.09%...①
             (3)80,539(8,165)10.14%...①
              (2)92,472(10,023)10.84%...①
               (2)97,689(10,779)11.03%...①
                (2)105,792(12,428)11.75%...①
(--)イラン0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(20)2(0)0.00%...
(4)593(43)7.25%...②
 (4)5,823(145)2.49%...⑦
  (4)6,566(194)2.95%...⑧
   (3)11,364(514)4.52%...③
    (3)11,364(514)4.52%...②
     (3)16,169(988)6.11%...②
      (3)17,361(1,135)6.54%...
       (3)18,407(1,284)6.98%...③
        (4)20,610(1,556)7.55%...③
         (5)21,638(1,685)7.79%...②
          (5)23,049(1,812)7.86%...④
           (6)24,811(1,812)7.30%...④
            (6)27,017(2,077)7.69%...③
             (6)29,406(2,234)7.60%...③
              (7)35,408(2,517)7.11%...④
               (7)38,309(2,640)6.89%...④
                (7)44,606(2,898)6.50%...⑥
(--)ドイツ0(0)0.00%...
(11)7(0)0.00%...
(10)14(0)0.00%...
(9)16(0)0.00%...
(10)57(0)0.00%...
  (5)795(0)0.00%...⑲
  (6)1,112(0)0.00%...⑲
   (7)3,062(6)0.20%...23
    (6)3,675(8)0.22%...⑫
     (7)6,012(13)0.22%...⑭
      (6)8,198(12)0.15%...
       (5)10,999(20)0.18%...        
        (6)16,662(47)0.28%...25
         (6)18,610(55)0.30%...26
          (6)22,672(86)0.38%...27
           (5)29,212(126)0.43%...32
            (5)31,554(149)0.47%...31
             (5)43,938(198)0.45%...32
              (5)56,517(433)0.77%...28
               (5)57,695(389)0.67%...31
                (5)61,913(583)0.94%...29
(--)フランス0(0)0.00%...
(13)6(0)0.00%...
(11)11(0)0.00%...
(12)12(1)8.33%...②
(7)100(2)2.00%...⑧
  (6)716(10)1.40%...⑫
  (5)1.126(19)1.69%...⑭
   (6)3661(79)2.16%...⑩
    (7)3,667(79)2.15%...⑦
     (6)6,633(148)2.23%...⑧
      (7)7,730(175)2.26%...
       (6)9,134(244)2.67%...
        (7)12,612(450)3.57%...⑧
         (7)12,612(450)3.57%...⑩
          (7)16,018(674)4.21%...⑨
           (7)22,300(1,100)4.93%...⑦
            (7)25,233(1,331)5.27%...⑥
             (7)29,155(1,696)5.82%...⑥
              (6)37,575(2,314)6.16%...⑥
               (6)40,704(2,606)6.40%...⑤
                (6)52,128(3,523)6.76%...⑤
(--)アメリカ0(0)0.00%...
(9)8(0)0.00%...
(11)11(0)0.00%...
(11)13(0)0.00%...
(9)74(1)1.35%...⑨
 (7)518(11)2.12%...⑨
  (8)583(22)3.77%...⑦
   (8)2,727(54)1.98%...⑬
    (8)2,174(47)2.16%...⑥
     (8)4,482(86)1.92%...⑨
      (8)5,881(107)1.82%...
       (8)8,317(147)1.77%...
        (5)17,962(239)1.33%...⑯
         (4)24,380(340)1.39%...⑯
          (4)33,018(428)1.30%...⑲
           (3)46,442(474)1.02%...24
            (3)55,231(747)1.35%...22
             (1)85,689(886)1.03%...24
              (1)124,316(1,246)1.00%...24
               (1)142,152(2,467)1.74%...20
                (1)189,618(3,873)2.04%...⑲
(--)日本0(0)0.00%...
(3)17(0)0.00%...
(6)26(0)0.00%...
(3)93(1)1.08%...⑥
(5)256(6)2.34%...⑥
 (8)493(6)1.22%...⑬
  (9)521(7)1.34%...⑮
   (13)763(21)2.75%...⑧
    (15)725(21)2.90%...④
     (14)880(29)3.30%...⑥
      (14)918(31)3.38%...
       (14)961(33)3.43%...⑧
        (15)1,054(36)3.42%...⑩
         (18)1,100(41)3.73%...⑨
          (20)1,140(42)3.68%...⑪
           (24)1,190(42)3.53%...⑪
            (24)1,283(45)3.51%...⑪
             (24)1,375(47)3.42%...⑫
              (25)1,669(54)3.24%...⑫
               (24)1,858(55)2.96%...⑬
                (24)2,149(66)3.07%...⑮
(--)スペイン0(0)0.00%...
(18)1(0)0.00%...
(20)2(0)0.00%...
(20)2(0)0.00%...
(11)45(0)0.00%...
  (9)430(5)1.16%...⑭
  (7)589(10)1.70%...⑬
   (5)4231(120)2.84%...⑦
    (5)5,232(133)2.54%...⑤
     (4)11,178(491)4.39%...③
      (4)13,716(588)4.29%...
       (4)17,147(767)4.47%...⑤
        (3)24,926(1,326)5.32%...⑤
         (3)28,572(1,720)6.02%...⑤
          (3)33,089(2,182)6.59%...⑤
           (4)39,673(2,696)6.80%...⑤
            (4)47,610(3,434)7.22%...④
             (4)56,188(4,089)7.28%...④
              (4)72,248(5,690)7.88%...③
               (4)78,797(6,528)8.28%...③
                (3)94,417(8,189)8.67%...②
(--)スイス0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(21)18(0)0.00%...
  (10)264(2)0.76%...⑯
  (10)332(2)0.60%...⑲
   (9)1,125(8)0.71%...21
    (9)1,139(11)0.97%...⑩
     (9)2,269(14)0.62%...⑫
      (9)2,269(19)0.84%...
       (9)3,438(33)0.96%...
        (9)6,133(56)0.91%...⑳
         (9)7,014(60)0.86%...21
          (9)8,060(66)0.82%...23
           (9)8,836(66)0.75%...27
            (8)10,388(143)1.38%...21
             (9)9,714(103)1.06%...21
              (9)13,720(254)1.85%...⑲
               (9)14,354(235)1.64%...22
                (9)15,412(295)1.91%...21
(--)イギリス0(0)0.00%...
(16)2(0)0.00%...
(16)4(0)0.00%...
(14)9(0)0.00%...
(18)23(0)0.00%...
 (11)211(2)0.95%...⑮
  (11)278(2)0.72%...⑰
   (10)807(10)1.24%...⑯
    (14)801(8)1.00%...⑨
     (10)1,543(55)3.56%...⑤
      (10)1,950(60)3.08%...⑧
       (10)2,626(103)3.92%...⑦
        (10)3,983(177)4.44%...⑥
         (10)5,018(233)4.64%...⑦
          (10)5,683(281)4.94%...⑥
           (10)8,077(336)4.16%...⑨
            (9)9,529(422)4.43%...⑧
             (8)11,658(464)3.98%...⑩
              (8)17,089(1,019)5.96%...⑦
               (8)19,522(1,228)6.29%...⑦
                (8)22,412(1,411)6.30%...⑦
(--)オランダ0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(27)7(0)0.00%...
 (12)188(1)0.53%...⑱
  (12)265(3)1.13%...⑯
   (11)804(10)1.24%...⑯
    (12)804(10)1.24%...
     (11)1,413(24)1.70%
      (11)1,705(43)2.52%...⑩
       (11)2,051(58)2.83%...⑪
        (11)3,003(107)3.56%...⑨
         (11)3,640(137)5.19%...⑥
          (11)4,217(180)4.27%...⑧
           (12)4,764(214)4.49%...⑧
            (11)6,412(276)4.30%...⑨
             (11)6,439(357)5.54%...⑦
              (10)9,762(639)6.55%...⑤
               (10)10,866(639)5.88%...⑨
                (11)11,817(865)7.32%...③
(--)ベルギー0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(21)1(0)0.00%...
(23)1(0)0.00%...
(36)1(0)0.00%...
 (13)169(0)0.00%...⑲
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     (12)1,243(10)0.80%...
      (13)1,243(10)0.80%...⑳
       (13)1,795(21)1.17%...⑰
        (12)2,815(67)2.38%...⑫
         (12)3,401(75)2.21%...⑫
          (12)3,743(88)2.35%...⑬
           (13)3,743(88)2.35%...⑭
            (13)4,269(122)2.86%...⑫
             (13)4,937(178)3.61%...⑪
              (13)7,284(289)3.97%...⑪
               (11)10,836(353)3.26%...⑪
                (10)11,899(513)4.31%...⑩
(--)ノルウェー0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(22)15(0)0.00%...
  (14)147(0)0.00%...⑲
  (15)169(0)0.00%...⑲
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     ()
      ()
       ()
        ()
         ()
          ()
           (14)2,371(8)0.34%...34
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              (17)3,581(16)0.45%...33
               (16)4,268(20)0.47%...34
                (19)4,226(26)0.62%...33
(--)シンガポール0(0)0.00%...
(4)16(0)0.00%...
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 (15)138(0)0.00%...⑲
  (16)150(0)0.00%...⑲
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    (20)200(0)0.00%...
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      (21)266( )%...
       (21)345( )%...
        (21)432(2)0.46%...23
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(--)スウェーデン0(0)0.00%...
(18)1(0)0.00%...
(21)1(0)0.00%...
(23)1(0)0.00%...
(23)13(0)0.00%...
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     ()
      ()
       ()
        ()
         ()
          ()
           (15)2,016(25)1.24%...⑲
            (16)2,272(36)1.58%...⑱
             (17)2,510(42)1.67%...⑱
              (19)3,046(92)3.02%...⑬
               (19)3,700(102)2.76%...⑭
                (20)4,028(146)3.62%...⑫
(--)香港0(0)0.00%...
(5)13(0)0.00%...
(3)36(1)2.78%...②
(5)65(2)3.08%...④
(8)95(2)2.11%...⑦
 (17)109(2)1.83%...⑪
  (17)114(2)1.75%...⑫
   (25)137(4)2.92%...⑥
    ( )
     (25)162(4)2.47%...⑦
      (26)181(4)2.21%...⑫
       (26)208(4)1.92%...⑭
        (27)273(4)1.47%...⑭
         (25)317(4)1.26%...⑰
          (26)356(4)1.12%...⑳
           (30)386(4)1.04%...23
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             (35)453(4)0.88%...26
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                (33)714(4)0.56%...35
(--)オーストリア0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(25)10(0)0.00%...
 (18)104(0)0.00%...⑲
  (18)112(0)0.00%...⑲
   (17)504(1)0.20%...23
    (17)504(1)0.20%...
     (13)1,132(3)0.27%...
      (12)1,471(3)0.20%...25
       (12)1,843(5)0.27%...25
        (13)2,664(7)0.26%...26
         (13)3,026(9)0.30%...26
          (13)3,611(16)0.44%...24
           (11)4,876(25)0.51%...29
            (12)5,560(31)0.56%...30
             (12)5,888(34)0.58%...31
              (12)7,697(68)0.88%...26
               (13)8,788(68)0.77%...29
                (14)9,618(108)1.12%...26
(--)マレーシア0(0)0.00%...
(9)8(0)0.00%...
(7)18(0)0.00%...
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  (19)93(0)0.00%...⑲
  (19)93(0)0.00%...⑲
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    (21)197(0)0.00%...
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(--)オーストラリア0(0)0.00%...
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(--)ギリシャ0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
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    (23)190(1)0.53%...
     ( )
      ( )
       ( )
        ( )
         ( )
          ( )
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             (27)821(22)2.68%...⑬
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                (28)1,212(43)3.55%...⑬
(--)クウェート0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
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    ( )
     ( )
      ( )
       ( )
        ( )
         ( )
          ( )
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(--)カナダ0(0)0.00%...
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(--)バーレーン0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(14)40(0)0.00%...
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          ( )
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(--)イラク0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(23)13(0)0.00%...
  (25)54(4)7.41%...③
  (25)60(6)10.00%...①
   (31)93(9)0.97%...⑲
    ( )
     (28)124(10)8.06%...
      (27)154(11)7.14%...③
       (29)164(11)6.71%...④
        (28)208(17)8.17%...②
         (29)221(17)7.69%...③
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           (35)266(20)7.52%...③
            (36)316(27)8.54%...②
             (38)346(29)8.38%...②
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               (36)506(42)8.30%...②
                (36)630(46)7.30%...④
(--)タイ0(0)0.00%...
(2)19(0)0.00%...
(4)32(0)0.00%...
(6)35(0)0.00%...
(13)42(0)0.00%...
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  (27)50(1)2.00%...⑩
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    ( )
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             (25)934(4)0.43%...33
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(--)エジプト0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(23)1(0)0.00%...
(36)1(0)0.00%...
 (27)48(0)0.00%...⑲
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    ( )
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      (25)196(6)3.06%...⑨
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        (25)285(8)2.81%...⑪
         (27)294(10)3.40%...⑪
          (27)327(14)4.28%...⑦
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                (35)656(41)6.25%...⑧
(--)台湾0(0)0.00%...
(8)10(0)0.00%...
(7)18(0)0.00%...
(7)24(1)4.17%...③
(15)39(1)2.56%...⑤
  (28)45(1)2.22%...⑧
  (28)45(1)2.22%...⑨
   (37)50(1)2.00%...⑫
    ( )
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      (29)100(1)1.00%...⑰
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                (39)322(5)1.55%...23
(--)アラブ首長国連邦0(0)0.00%...
(14)4(0)0.00%...
(14)7(0)0.00%...
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 (28)45(0)0.00%...⑲
  (28)45(0)0.00%...⑲
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    ( )
     ( )
      ( )
       ( )
        ( )
         ( )
          ( )
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(--)インド0(0)0.00%...
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(17)3(0)0.00%...
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    ( )
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                (29)1,071(29)2.71%...⑰
(--)デンマーク0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(29)3(0)0.00%...
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  (32)38(0)0.00%...⑲
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     ( )
      ( )
       ( )
        ( )
         ( )
          ( )
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                (22)2,755(78)2.83%...⑯
(--イスラエル)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(27)7(0)0.00%...
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    (25)161(0)0.00%...
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      (19)427( )%...
       (18)529( )%...
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                (16)4,831(17)0.35%...37
(--)チェコ0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
 (32)26(0)0.00%...⑲
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     ( )
      ( )
       ( )
        ( )
         ( )
          ( )
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                (21)3,002(24)0.80%...31
(--)ブラジル0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(33)2(0)0.00%...
  (34)19(0)0.00%...⑲
  (35)25(0)0.00%...⑲
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    (27)151(0)0.00%...
     (21)234( )%...
      (20)290(1)0.34%...23
       (20)428(4)0.93%...⑳
        (18)904(11)1.22%...⑱
         (17)1,128(18)1.60%...⑭
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           (16)1,891(25)1.32%...⑱
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               (20)3,417(92)2.69%...⑯
                (18)4,256(136)3.20%...⑭
(--)フィンランド0(0)0.00%...
(18)1(0)0.00%...
(21)1(0)0.00%...
(23)1(0)0.00%...
(33)2(0)0.00%...
 (34)19(0)0.00%...⑲
  (34)30(0)0.00%...⑲
   (26)109(0)0.00%...26
    (26)155(0)0.00%...
     ( )
      ( )
       ( )
        ( )
         ( )
          ( )
           (26)700(1)0.14%...35
            (26)792(1)0.13%...38
             (26)880(3)0.34%...37
              (27)1,025(7)0.68%...31
               (26)1,218(9)0.74%...30
                (27)1,313(13)0.99%...28
(--)カタール0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(36)1(0)0.00%...
 (36)12(0)0.00%...⑲
  (36)15(0)0.00%...⑲
   (18)262(0)0.00%...26
    (18)320(0)0.00%...
     (18)401()%...
      (18)442()%...
       (19)452()%...
        (20)470()%...
         (21)481()%...
          (23)494()%...
           ( )
            (31)526(0)0.00%...39
             (31)537(0)0.00%...40
              (35)562(0)0.00%...40
               (34)590(1)0.17%...39
                (34)693(1)0,14%...39
(--)マカオ0(0)0.00%...
(11)7(0)0.00%...
(13)10(0)0.00%...
(13)10(0)0.00%...
(25)10(0)0.00%...
 (37)10(0)0.00%...⑲           
  (38)10(0)0.00%...⑲
   (41)10(0)0.00%...26
    ( )
     ( )
      ( )
       ( )
        ( )
         ( )
          ( )
           ( )
            (42)30(0)0.00%...39
             (42)33(0)0.00%...40
              (42)37(0)0.00%...40
               (42)38(0)0.00%...40
                (42)41(0)0.00%...40
(--)アルゼンチン0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
  (38) 9(1)11.11%...②
  (37)12(1)8.33%...③
   (38)34(2)5.88%...②
    ( )
     (30)65(2)3.08%...
      (30)79(2)%...
       (31)97(3)3.09%...⑨
        (29)158(3)1.90%...⑬
         (28)225(4)1.78%...⑬
          (28)266(4)1.50%...⑮
           ( )
            (37)301(4)1.33%...23
             (37)387(6)1.55%...⑲
              (32)589(12)2.04%...⑱
               (32)690(17)2.46%...⑱
                (32)820(20)2.44%...⑱
(--)メキシコ0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(33)2(0)0.00%...
  (39) 7(0)0.00%...⑲
  (40)7(0)0.00%...⑲
   (40)26(0)0.00%...26
    ( )
     ( )
      ( )
       ( )
        ( )
         ( )
          ( )
           (33)370(4)1.08%...21
            (35)370(4)1.08%...24
             (33)478(5)1.05%...23
              (32)589(8)1.36%...22
               (31)717(12)1.67%...21
                (30)993(20)2.01%...20
(--)フィリピン0(0)0.00%...
(18)1(0)0.00%...
(17)3(1)33.33%...①
(17)3(1)33.33%...①
(29)3(1)33.33%...①
  (40) 6(1)16.67%...①
  (38)10(1)10.00%...①
   (36)64(2)3.13%...⑤
    ( )
     (23)187(12)6.42%...
      (24)202(17)8.42%...①
       (24)217(17)7.83%...②
        (23)307(19)6.19%...④
         (23)380(25)6.58%...④
          (24)462(49)10.61%...①
           (31)380(33)8.68%...②
            (30)552(35)6.34%...⑤
             (29)636(38)5.97%...⑤
              (29)803(45)5.60%...⑧
               (27)1,075(68)6.33%...⑥
                (25)1,546(78)5.05%...⑨
(--)スロバキア0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
  (41)3(0)0.00%...⑲
  (41)5(0)0.00%...⑲
   (39)30(0)0.00%...26
    (28)141(0)0.00%...
     ( )
      ( )
       ( )
        ( )
         ( )
          ( )
           (38)191(0)0.00%...38
            (40)204(0)0.00%...39
             (32)528(4)0.76%...29
              (21)2,279(9)0.39%...35
               (40)295(0)0.00%...40
                (40)295(0)0.00%...40
(--)トルコ0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
(--)0(0)0.00%...
  (42)0(0)0.00%...⑲
  (42)0(0)0.00%...⑲
   (42)5(0)0.00%...26
    ( )
     ( )
      ( )
       ( )
        ( )
         ( )
          (19)1,236(30)2.43%...⑫
           (20)1,529(37)2.42%...⑬
            (19)1,872(44)2.35%...⑭
             (18)2,433(59)2.42%...⑭
              (14)5,698(92)1.61%...⑳
               (14)7,402(108)1.46%...24
                (12)10,827(168)1.55%...23
 (参考)1段目は日本経済新聞社インターネット2020年1月20日
     2段目は日本経済新聞社インターネット2020年2月1日
     3段目は日本経済新聞社インターネット2020年2月10日
     4段目は日本経済新聞社インターネット2020年2月20日
     5段目は日本経済新聞社インターネット2020年3月1日
     6段目は日本経済新聞社インターネット2020年3月8日
     7段目は日本経済新聞社インターネット2020年3月9日
     8段目は日本経済新聞社インターネット2020年3月14日
     9段目は日本経済新聞3月15日
     10段目は読売新聞2020年3月18日
     11段目は読売新聞2020年3月19日
     12段目は読売新聞2020年3月20日
     13段目は読売新聞2020年3月22日
     14段目は読売新聞2020年3月23日
     15段目は読売新聞2020年3月24日
     16段目は日本経済新聞社インターネット2020年3月25日
     17段目は日経の同上の2020年3月26日
     18段目は日経の同上の2020年3月27日
     19段目は日経の同上の2020年3月30日
     20段目は日本経済新聞社インターネット2020年4月1日
    ・WHOおよび各政府発表データー
    ・感染者数(死亡者数)死亡率
    ・3月15日世界全体145,374(5.429)3.73%
     3月29日世界全体645,837(29,200)4.52%
     死亡率が21%高くなっている。
    ・中国の( )は、4万3千人以上の陽性患者数を中国が
     理由を付けて少なくしたという情報がある・・
    ・EU内を通交自由としたことにより皮肉なことに、今・
     現在、EUは感染者が激増している。
    ・最上段の2020年1月20日の時点は中国のみ。
     データーからもはっきり中国発の中国武漢発生
     ウイルスであると証明している。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://stff2010.blog29.fc2.com/
または
  https://32983602.at.webry.info/202004/article_1.html
または
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/  


2020年03月30日

(増補版)687E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年2月~1898年2月)

題:(増補版)687E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年2月~1898年2月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1898年2月15日、ハバナ湾で米海軍の戦艦メイン号が爆発し、
 沈没した・・米西戦争の原因となる・・
  しかし、はっきりした原因が分からないのに・・アメ
 リカ国民の方々がスペイン憎しにされる・・アメリカの
 謀略だという強い説がある・・
  1898年2月15日のこの時のアメリカ戦艦メイン号爆発事
 件は、絶大な効果があった・・アメリカ国民の方々に『
 反スペイン感情』を完全に植え付ける絶大な効果を持た・・
 原因があやふやにされ明確ではないのにである・・怪し
 げな爆破事件だった。
  事件自体はもやもやした・・が・・ただ、はっきりし
 ていることは、アメリカ国民の方々が「はっきりとした
 反スペイン感情が植え付けられたという事・・反スペイ
 ンにさせられた」・・
  また、アメリカ国民の方々は、必要以上に「スペイン
 憎しとなった」・・
  何か、この手法は、この後の歴史の「ハワイの真珠湾」
 においても、アメリカは使った・・まったく類似した事
 件、行為だった。
  アメリカの西部劇でも、正直な農夫を呼び出し、人格
 攻撃などあらゆる言葉で口汚く罵(ののし)り、言いつ
 のって、農夫を怒らせ、先に銃を抜かせて、早打ちの殺
 し屋の銃使いの手によってその正直な農夫を撃ち殺す・・
  薄汚い正当防衛の論理を使う・・
  主人の死んて居なくなったその正直農夫の農場を奪う・・
 この様なやり方をアメリカは常とう手段とした・・その
 様な歴史だった・・
  この様なアメリカの常套手段のお家芸が、ここでも始
 まった・・??・・
  米西戦争が始まるきっかけとなった、この沈没事故・・
 戦艦メイン号が爆発し、沈没し、266名が犠牲となった・・
 尊い犠牲者の死者を出した・・
  不穏なこの様な経緯の中で、アメリカとスペインの米
 西戦争は始まる・・
  そして、筋書き通りのスペインの中枢戦力の壊滅が起
 きる・・、3か月後、1898年5月1日、マニラ湾海戦でスペ
 イン海軍は壊滅した・・そして、スペインは敗北した・・
  領土拡張主義のアメリカが、スペインに宣戦布告をし、
 スペイン領のキューバ・フィリピン・プエルトリコ・グ
 ァム島のすべてを自分の手のものになった。
  戦争は、わずか3ヶ月で終わるという、アメリカが勝つ
 事が分かっていた戦争だった・・
  アメリカの将軍が、戦争はいい商売だという意味の「
 War Is A Racket (戦争はいかがわしい商売だ)」と言
 った・・スメドリー・バトラー将軍は正直な人だった・・
  彼は、米西戦争などに従軍し、沖縄のアメリカ海兵隊
 基地司令部の司令官にもなった・・そして、退役した後、
 反戦運動家になった。
  そして、アメリカは、プエルトリコ・フィリピン・グ
 ァム島に対してわずかな金を払った・・何の金だ?・・
 意味不明の金を、何故、払うのだ?・・後ろめたさを拭
 (ぬぐ)うわずかな金か?・・が・・世界を煙に巻く行
 為でもあった・・誰に払ったというのか・・??・・泥
 棒が泥棒に払ったという感じ・・
  フィリピンの方々とって何の良いことも起きてなかっ
 た・・当然、フィリピンの方々から独立運動が起きた。
  しかし、アメリカは、これも、力でねじ伏せた・・そ
 して、植民地とした。
  大統領のマッキンリーは、アメリカは自由なので、そ
 の旗の下にフィリピンを置かれなければならないという
 『自分勝手な屁理屈』で自分の行為を正当化した。
  そしてまた、このアメリカ大統領のマッキンリーは、
 何か後ろめたかったのか?・・自分の悪さ加減を知って
 いたのか?・・それを打ち消したいのか?・・
  次の様なことも言った・・
  「アメリカは、フィリピン群島の強制的併合を行おう
 とするのではない」・・
  「予の道徳的規範によれば、かくのごときは、犯罪的
 侵略なり」と公言した・・声明した・・
  ・・が・・結局、やった事は・・「(キリスト教の)
 神の意志だ」と言って・・
  フィリピン統治をアメリカに委任させよと、委任する
 ことを要求した。
  そして、アメリカが扇動し、実行しなかった約束をし
 て、スペインと戦わせたフィリピンの独立戦士の方々と
 の約束も果たさず、フィリピンを領有した・・自分のも
 のとした・・
  「スペインとの戦いの後、独立させる」と言っていた・・
  この時、日本の民間人でフィリピンに味方する・・フ
 ィリピン独立運動を援助した人が多く出た。
  この時、アメリカは、「イギリスが香港に拠るごとく、
 我々(アメリカ)はマニラに拠る」と、マニラを根拠地
 として、アジア進出をしていく意志を公言した。
  そして、早速、1899年に、中国・清の門戸開放を要求
 した。
  アメリカが要求したことは、
  「支那は、アメリカの同意なくしてはいかなる国にも
 独占権を与えてはならぬ」「関税率を決めてはならぬ」
 「相互条約を結んではならぬ」・・などだった。
  この様な行動にアメリカが出たのは、日本が日清戦争
 で勝利し、中国の弱体が皆の知る所となり、露呈し・・
 アメリカなどヨーロッパ列強やロシアがこれを知り、ア
 メリカも自分の利益につなげたいと思った。
.
1898年2月24日、日本鉄道(株)の機関手400名が同盟罷工
 (日本初の鉄道スト)を起こした。
  日本鉄道の機関士らが同盟会指導者解雇反対のストラ
 イキを起こした(2月2日欄を参照ください)
.
1898年2月25日、大師電気鉄道(後の京浜急行電鉄)が創立
 された。
  京浜急行電鉄(株)のホームページの創業期には以下
 の文がある・・
  1899年(明治32年)1月21日、晴れ。
  午前10時、1両の電車が満員の乗客を乗せて六郷橋から
 大師へ向けて走った・・それが私たちの歴史の始まりだ
 った。
  その日は川崎大師(平間寺)の縁日に当たり、参詣を
 兼ねて関東で初めて、日本で3番目という営業用電車が走
 るのを一目見ようと、多数の見物人が押し寄せた。
  沿線の安全確保のために、川崎警察分署は数十人の巡
 査を派遣して、その整理に当たった。
  資本金9万8000円、立川勇次郎を代表者とし、所有車両
 5両、営業路線は約2kmの単線、職員は事務部4人、運転部
 8人、機械部4人、路線部1人の計17人で開業したのが、現
 在の京浜急行電鉄の前身、大師電気鉄道であった。
  開業後、名称を京浜電気鉄道と改め、京浜間全通とい
 う大きな目標に向かって歩み始めた
.
1898年2月25日、日本鉄道で機関方・火夫などの同盟罷業に
 より旅客列車の過半と貨物列車の全部が運休、3月3日、
 平常運転となる。
.
1898年2月26日、児玉源太郎が台湾総督に就任した(~1906
 年)
  児玉源太郎は、陸軍大将、山口県(周防・すおうの国)
 の生まれ(1852年2月25日~1906年7月23日)、徳山藩士・
 児玉半九郎忠硯とモトの長男。
  5歳の時、父が病死、長姉の夫・巌之丞(次郎彦)が家
 督を相続し、父親代わりとなる。
  1864年(12歳)義父が藩内の「俗論派(旧守派)のた
   めに暗殺される。
   一時、児玉家は廃絶する・・後、「正義派(急進派)
   が優勢となると、源太郎を家長として再興される。
  1867年(15歳)初陣、戊辰戦争の東征で献功隊の半隊
   司を務めた。
   東北、北海道の箱館戦を転戦し、軍人には珍しい短
   躯であったが、天性の機敏と胆力、的確ですばやい
   判断力と指導力で頭角を現わす。
  1867年(15歳)維新の後、陸軍に入る・・士族反乱に  
   対して活躍。
  1869年(17歳)大阪兵学寮に入る。
  1874年(22歳)佐賀の乱に参戦し、また・・
  1876年(24歳)神風連の乱でも手腕を見せ、並外れた
   実力を示した・・薩長の後ろ盾がないが出世して行
   く。
  熊本鎮台幕僚参謀長になった直後の・・
  1877年(25歳)の西南戦争では、負傷した樺山資紀に
   代わって熊本鎮台参謀長格で熊本籠城を指揮し、谷
   干城を助けた・・薩摩軍を撃退する。
  1881年(29歳)准少尉となる。
  東京鎮台第2連隊長を経て・・
  1885年(33歳)参謀本部第一局長として陸軍兵制の近
   代化を進めた。
   参謀本部管東局長、
  1887年(35歳)陸軍大学校の校長を兼任し、ドイツ人
   メッケル少佐と共に近代軍制整備に乗り出す・・
   ドイツの軍制やメッケルの戦術を日本に導入し、参
   謀養成教育を確立する。
   また、歩兵操典改正などにあたった。
  1891年(39歳)ヨーロッパ視察・・
  1892年(40歳)ヨーロッパより帰国し、陸軍次官兼軍
   務局長となる。
  1894年(42歳)日清戦争では大本営陸軍参謀となり、
   陸軍次官兼軍務局長として大山巌陸軍大臣が軍司令
   官として軍制の責任者(上司)であった・・戦功に
   より男爵となる。
  1898年(46歳)台湾総督となる(~1906年)
  1900年(48歳)第4次伊藤博文内閣の陸相(陸軍大臣)
  1901年(49歳)第1次桂太郎内閣の内相、
  1903年(51歳)内相(内務大臣)と文相(文部大臣)
   を兼務して陸相留任・・行政家としても評価される。
  1903年(52歳)参謀次長になる。
  1904年(52歳)陸軍大将になる。
  1904年(52歳)日露戦争では満州軍総参謀長。
  1906年(54歳)参謀総長として大山巌満州軍総司令官
   を補佐する)として作戦を指揮し活躍、その智謀を
   うたわれ、日露戦争の旅順攻略などで手腕を見せる。
   子爵となり、満鉄設立委員長ともなるが、在職中の・・
  1906年に没した、55才。 伯爵。知将であった・・
.
  (今日の言葉)
.
  題:アメリカ大統領のマッキンリーは・・
   「アメリカは、フィリピン群島の強制的併合を行おうとするのではない」・・
   「予の道徳的規範によれば、かくのごときは、犯罪的侵略なり」と公言し、声明した・・
.
1896年10月、ロシアは、南満州を縦貫する東三省鉄道と東
 清鉄道との接続も認めさせた・・そして・・これに続く・・
 1897年12月には、ロシア帝国海軍艦隊が、清の保護を名
 目に沿岸に来航し、艦隊の武力を背景にした「砲艦外交」
 が行われた。
  ロシアは清に対し、さらに満蒙での鉄道敷設、黄海沿
 岸の港湾租借などの追加条件を求めた。
.
1899年9月6日、アメリカが中国の門戸開放宣言をする。
  早く言えば、「俺にも中国の美味しいものをくれ、利
 権をくれ」だった・・
  太平洋の島々、大西洋の国々・・フィリピンなども、
 自分もせっせと利権を食っていて、中国に手が回らなか
 っただけのくせに・・
  この前の年・1898年、イギリス、ロシア、ドイツ、フ
 ランスなどが中国の利権を得て「美味しい思いをしてい
 る」のを知っているアメリカだった。
  アメリカだって、その年・1898年は、スペインと戦争
 をしたりしてスペインの利権をそっくり戴いていたのに
 である。
  その利権あさりに忙しくて中国へ手がまわらなかった
 だけではないか・・
  それが落ち着いた1899年、他国の中国の利権が美味し
 く見えて、「俺にもくれ」と叫んだ・・この様な叫びは
 二度も行っている・・
  アメリカは、フィリピンの独立革命戦士たちに嘘を言
 っていた・・「スペインをやっつけたら独立させるよ」・・
 と・・この約束を裏切ったので戦争となり、この戦争も
 続いていた。
  この様なことは言えないアメリカなのだ・・しかし、
 アメリカは、中国の利権を俺にも分けてくれと「中国の
 門戸開放宣言」をした。
  これは、「商業上の門戸開放政策に関する宣言」と美
 しく言った(第一次通諜)
  内容・・
  ①各国は、清国におこるその勢力範囲または租借地域
   内において条約港または既得の権益には干渉しない
   こと、
  ②また、関税や港税、鉄道運賃面で他国に対し不利益
   な待遇を与えないこと・・
  1900年7月3日、アメリカは、二回目の門戸開放宣言を
 する・・一回目に、「中国の領土保全をおこなう」が加
 えられた。
  東アジアでの勢力範囲拡大競争に出遅れたと言っても、
 アメリカは、フィリピンや太平洋の島々、プエルトリコ
 の多くを取っていた。
  しかし、止まるところを知らないアメリカの領土欲・・
  中国の利権を得ようと「中国の領土保全をうたって」
 「結果的にアメリカ自らの経済的影響力を列強の勢力圏
 全体に浸透させて行こう」とした・・
  その様な領土欲・利権獲得の目的に立っていた。

1899年9月6日、アメリカの門戸開放宣言(第一次門戸開放
 通牒)
  アメリカの国務長官のジョン・ヘイが、1899年9月6日
 にイギリス、ドイツ、ロシア、日本、イタリア、フラン
 スの6国へ通牒を送った・・第一次の門戸開放通牒・・
  これは、列強各国の行為を否定したものではない・・
  門戸開放通牒を受けたヨーロッパ各国勢力は、高関税
 政策によって、アメリカの自国市場を完全に閉ざしてお
 きながら、チャイナ市場だけは解放しろというアメリカ
 の御都合主義に対して冷淡だった。
  19世紀末から20世紀初頭のアメリカ合衆国の外交政策
 で、ヘイ国務長官が、1899年と1900年の二度の通牒で表
 明した中国に関する政策宣言・・
  中国における門戸開放、通商の機会均等、領土および
 行政の保全が主張されているが、実質的には『中国に対
 する帝国主義的収奪』へのアメリカの参加宣言を意味し
 ていた。
  アメリカの国務長官・ヘイによって提唱された外交政
 策・・
  中国の領土保全と門戸開放、商業上の機会均等を主張
 したもので、遅れて登場したアメリカが列強の帝国主義
 競争への割り込みを意図していた・・
  このアメリカには、一貫した方針が、ズーットあった。
  自国の領土の拡大である。
  アメリカ・インディアンの方々の地であるアメリカ大
 陸の奪取に引き続き・・太平洋の島々を奪い・・フィリ
 ピンを奪い・・しかし、アメリカが、アジアに到達した
 ときは遅すぎた。
  イギリスが、もう堂々とそのほとんどを植民地とし、
 インドからシンガポールへ至り、また、香港へ至り、中
 国各地に利権を確立させていた。
  ロシアは、シベリアに達して、北から中国へ至ってい
 た。
  また、フランスも、すでに、南から中国へ至り・・も
 はや出遅れているとアメリカは思った。
  そこで発したのが、この中国の門戸開放宣言だった。
  日本とロシアがぶつかった日露戦争において、アメリ
 カは日本を応援した。
  これは、ロシアが退くことがアメリカにとって都合が
 良かった・・ロシアの代わりになりたかった・・満州鉄
 道の利権に手を出すアメリカだった・・
  日露戦争が、日本の勝利で終わると、アメリカは手の
 ひらを返したように、今度は、日本と対抗するような態
 度を行なった・・
  ここを始まりとして、日本はアメリカと戦争をするよ
 うにされて行く・・第二次世界大戦の日本とアメリカの
 対決はここが始まりと言える・・
  アメリカは、日本と対抗することを前提として行動を
 続けて行く。
  日本はぎりぎりまで戦争回避につとめた。
  しかし、アメリカは、日本を追い込む手を緩めなかっ
 た・・アメリカは、日本との開戦への路線を心底に思っ
 てひた走った。
  アメリカは、中国の上海から中国浸透を企てた。
  第二次上海事変は、アメリカの大々的な支援を受けた
 中国・国民政府軍との日本租界の防衛戦だった・・
  アメリカは、陰で日本と戦っていた・・日米開戦の戦
 端が、この様にすでに陰で開かれていた・・アメリカの
 「宣戦布告なしの戦い」の始まりだった・・
  表面は穏やかに始まった・・キリスト教のアメリカ人
 宣教師を利用する手を使った・・
  中国での利益確保の先兵としてキリスト教を利用した。
  中国人留学生向けの予備校を作った・・「精華学園」
 と言った・・今、臭(くさ)いのが中国がやる「孔子学
 院」・・
  それと共に「日貨排斥(日本商品ボイコット)」を支
 援し、日本の貶(おとし)めと排斥行為を燃え上がらせ
 た・・アメリカは裏工作をした・・
  キリスト教宣教師は、反日のスパイとして動いた。
  また、蒋介石の国民政府と情報交換をし、手先となっ
 た。
  でたらめ情報のプロパガンダも盛んにした。
  これは、戦後の東京裁判までも影響するほどの嘘宣伝
 の工作だった。
  アメリカは満州の権益を、まず、欲しがった。
  この時、特に、満州に居る日本が「居る事が邪魔だ」
 と感じるアメリカだった。
  アメリカは、日本排除へ武力行使を始めた。
  フィリピンやグアムを軍事拠点として、イギリスやオ
 ーストラリア、オランダと一緒になって、南太平洋を取
 り囲むように、日本を包囲し、締め付け、また、攻撃態
 勢を作った・・ABCD包囲網・・
  アメリカは、日本に対して威嚇的になった・・また、
 強圧的になった。
  日本が先に手を出したように見せかけの中で、実際は、
 陰で隠れてアメリカが先に武力行使をしていた。
  アメリカが、真珠湾攻撃の以前に日本を攻撃している
 事実がある・・今時点では確定されている真実である。
  アメリカ大統領は「あれはボランティアだ」と言い訳
 したが、はっきりとした大統領の『命令書がある』こと
 が確認されている(アメリカ公文書館にその書類はある)
  この様に、アメリカは「挑発行為を行っていた」。
  中国から日本への大爆撃までアメリカは計画していた。
  アメリカは、この時、フィリピン独立派の制圧に手一
 杯でもあった。
.
1904年2月8日、日露戦争時のロシアのパンフレットなどの
 言葉・・
  (その1):
  「文化的で自由な日本との困難な戦争は、ロシアにと
   っては巨大な力の緊張を必要とする」(メーデー、リ
   ーフレット草案)
  (その2):
  「この犯罪的な恥ずべき戦争は、われらの大衆にこの
   ようなはてしない犠牲を要求しているのである。
   専制国家ロシアは、立憲国日本にすでに打ちやぶら
   れている」(専制とプロレタリアート)
  レーニンは、日露戦争が、ロシアの専制の政治体制を
 決定的に弱める働きをして、そして、崩壊に至ったと注
 目していた。
  (その3):
  日本人の吉野作造も次の文を書いた・・
  「露国は実に文明の敵なり。
  今若し露国日本に勝たん乎、政府の権力一層強く圧制
 益甚しからん。
  幸にして日本に敗れんか、或は自由民権論の努力を増
 す所以とならん。
  故に、吾人は文明のために又露国人民の安福のために
 切に露国の敗北を祈るもの也」
  (露国の敗北は世界平和の基也)
     ・
     ・
2020年3月24日、イタリアが財政が困窮し、そして、EUの
 お荷物になっていたのは有名な話しだったが・・
  (財政破たんの直前まで行っている状態だった)・・
  最近、その事があまり騒がれなくなったと思ったら、
 最近、分かったことは・・中国の金が入っていた。
  中国の一帯一路の金が、イタリアの都市に投下されて
 いる・・
  (ギリシャの様に返せ・・返せないなら港をよこせ・・
 に、ならなければよいが??)
  それが分かったのは、その中国の金と一緒に中国の人
 間も大量に流入していた。
  その中国人たちが、新型コロナウイルスも一緒にイタ
 リアへ持ち込んだ。
  今、中国の8万人を越える患者数の1番の次が5万人
 の患者数を越えるイタリア・・6万を越えるところ・・
 医療崩壊して死亡率も世界の二番目の高さ・・
  2020年3月24日、イタリア59,138(5,476)9.26%...②
  因みに、中国の一帯一路の海洋関係で、ギリシャのピ
 レウス港が、中国の借金のかたで取られた事は有名だが・・
  知られていないが、イタリアのトリエステ港も取られ
 ることになるだろう・・欧州の港湾の4割を、中国は金
 がらみで手中にしている・・パキスタンのグワダル港も
 中国の手に落ちている。
.
2020年3月、マスクを再生した試み。
  ポイントは、『殺菌し、形をくずさない』にした。
  汚れを取るより、殺菌して無菌にすることを重視し、
 使用できる形を維持することを重視したため、洗剤使用
 のもみ洗いはしないこととした。
  やったことは、使用したマスクの数枚を熱湯に形を維
 持する様にして入れ、完全に殺菌する。
  そのマスクをそのままやけどをしない様に、風呂場の
 フックに引っ掛け、水を切り、乾かす・・乾いてきたら、
 新聞紙の間にはさみ、押し花の要領で形を整えながらは
 さんで、重ねて、そして、重し(本など)をする。
  乾いたころ、押し花の要領で再生されたマスクが出来
 上がる。
  「入荷の予定はありません」と常に無い日本のマスク・・
  二階敏博自民党議員が胡麻すりで多くの日本のマスク
 を中国へ送ってしまったとばっちりをこんな形でリカバ
 リーしている。
.
2020年3月27日、新型コロナによる世界各国・地域の感染者
 数(死亡者数・死亡率)
(1)中国80,695(3,097)3.84%...⑥
 (1)80,735(3,119)3.86%...③
  (1)80,973(3,193)3.94%...③
   (1)80,881(3,226)3.99%...④
    (1)80,894(3,237)4.00%...
     (1)80,928(3,245)4.01%...
      (1)81,008(3,255)4.02%...⑦
       (1)81,054(3,261)4.02%...⑧
        (1)81,093(3,270)4.03%...⑩
         (1)81,218(3,281)4.04%...⑩
          (1)81,285(3,287)4.04%...⑩
           (2)81,340(3,292)4.05%...⑨
            (3)81,439(3,300)4.05%...⑩
           (124,439人以上)
(2)韓国7,134(50)0.70%...⑰
 (2)7,478(54)0.72%...⑪
  (4)8,086(72)0.89%...⑪
   (5)8,320(84)1.01%...⑪
    (5)8,413(84)1.00%...
     (7)8,565(94)1.10%...
      (8)8,799(104)1.18%...⑲
       (8)8,897(110)1.24%...⑱
        (8)8,961(118)1.32%...⑱
         (8)9,137(127)1.39%...⑰
          (10)9,241(131)1.42%...⑳
           (10)9,332(139)1.49%...⑳
            (11)9,583(152)1.59%...21
(3)イタリア5,883(234)3.98%...⑤
 (3)7,375(366)4.96%...①
  (2)17,660(1.265)7.16%...①
   (2)27,980(2,158)7.71%...①
    (2)31,506(2,503)7.94%...
     (2)35,713(2,978)8.34%...①
      (2)47,021(4,032)8.57%...①
       (2)53,578(4,825)9.01%...①
        (2)59,138(5,476)9.26%...②
         (2)69,176(6,820)9.86%...①
          (2)74,386(7,503)10.09%...①
           (3)80,539(8,165)10.14%...①
            (2)92,472(10,023)10.84%...①
(4)イラン5,823(145)2.49%...⑦
 (4)7,161(237)3.31%...④
  (3)11,364(514)4.52%...②
   (3)16,169(988)6.11%...②
    (3)17,361(1,135)6.54%...
     (3)18,407(1,284)6.98%...③
      (4)20,610(1,556)7.55%...③
       (5)21,638(1,685)7.79%...②
        (5)23,049(1,812)7.86%...④
         (6)24,811(1,812)7.30%...④
          (6)27,017(2,077)7.69%...③
           (6)29,406(2,234)7.60%...③
            (7)35,408(2,517)7.11%...④
(5)ドイツ795(0)0.00%...⑲
 (6)1,112( )...
  (6)3,675(8)0.22%...⑫
   (7)6,012(13)0.22%...⑭
    (6)8,198(12)0.15%...
     (5)10,999(20)0.18%...
      (6)16,662(47)0.28%...25
       (6)18,610(55)0.30%...26
        (6)22,672(86)0.38%...27
         (5)29,212(126)0.43%...32
          (5)31,554(149)0.47%...31
           (5)43,938(198)0.45%...32
            (5)56,517(433)0.77%...28
(6)フランス716(10)1.40%...⑫
 (5)1.126(19)1.69%...⑧
  (7)3,667(79)2.15%...⑦
   (6)6,633(148)2.23%...⑧
    (7)7,730(175)2.26%...
     (6)9,134(244)2.67%...
      (7)12,612(450)3.57%...⑧
       (7)12,612(450)3.57%...⑩
        (7)16,018(674)4.21%...⑨
         (7)22,300(1,100)4.93%...⑦
          (7)25,233(1,331)5.27%...⑥
           (7)29,155(1,696)5.82%...⑥
            (6)37,575(2,314)6.16%...⑥
(7)アメリカ518(11)2.12%...⑨
 (8)545(22)4,04%...②
  (8)2,174(47)2.16%...⑥
   (8)4,482(86)1.92%...⑨
    (8)5,881(107)1.82%...
     (8)8,317(147)1.77%...
      (5)17,962(239)1.33%...⑯
       (4)24,380(340)1.39%...⑯
        (4)33,018(428)1.30%...⑲
         (3)46,442(474)1.02%...24
          (3)55,231(747)1.35%...22
           (1)85,689(886)1.03%...24
            (1)124,316(1,246)1.00%...24
(8)日本493(6)1.22%...⑬
 (9)521(9)1.73%...⑦
  (15)725(21)2.90%...④
   (14)880(29)3.30%...⑥
    (14)918(31)3.38%...
     (14)961(33)3.43%...⑧
      (15)1,054(36)3.42%...⑩
       (18)1,100(41)3.73%...⑨
        (20)1,140(42)3.68%...⑪
         (24)1,190(42)3.53%...⑪
          (24)1,283(45)3.51%...⑪
           (24)1,375(47)3.42%...⑫
            (25)1,669(54)3.24%...⑫
(9)スペイン430(5)1.16%...⑭
 (7)999(16)1.60%...⑨
  (5)5,232(133)2.54%...⑤
   (4)11,178(491)4.39%...③
    (4)13,716(588)4.29%...
     (4)17,147(767)4.47%...⑤
      (3)24,926(1,326)5.32%...⑤
       (3)28,572(1,720)6.02%...⑤
        (3)33,089(2,182)6.59%...⑤
         (4)39,673(2,696)6.80%...⑤
          (4)47,610(3,434)7.22%...④
           (4)56,188(4,089)7.28%...④
            (4)72,248(5,690)7.88%...③
(10)スイス264(2)0.76%...⑯
 (10)312(2)0.64%...⑫
  (9)1,139(11)0.97%...⑩
   (9)2,269(14)0.62%...⑫
    (9)2,269(19)0.84%...
     (9)3,438(33)0.96%...
      (9)6,133(56)0.91%...⑳
       (9)7,014(60)0.86%...21
        (9)8,060(66)0.82%...23
         (9)8,836(66)0.75%...27
          (8)10,388(143)1.38%...21
           (9)9,714(103)1.06%...21
            (9)13,720(254)1.85%...⑲
(11)イギリス211(2)0.95%...⑮
 (11)273(2)0.73%...⑩
  (14)801(8)1.00%...⑨
   (10)1,543(55)3.56%...⑤
    (10)1,950(60)3.08%...⑧
     (10)2,626(103)3.92%...⑦
      (10)3,983(177)4.44%...⑥
       (10)5,018(233)4.64%...⑦
        (10)5,683(281)4.94%...⑥
         (10)8,077(336)4.16%...⑨
          (9)9,529(422)4.43%...⑧
           (8)11,658(464)3.98%...⑩
            (8)17,089(1,019)5.96%...⑦
(12)オランダ188(1)0.53%...⑱
 ( )
  (12)804(10)1.24%...
   (11)1,413(24)1.70%
    (11)1,705(43)2.52%...⑩
     (11)2,051(58)2.83%...⑪
      (11)3,003(107)3.56%...⑨
       (11)3,640(137)5.19%...⑥
        (11)4,217(180)4.27%...⑧
         (12)4,764(214)4.49%...⑧
          (11)6,412(276)4.30%...⑨
           (11)6,439(357)5.54%...⑦
            (10)9,762(639)6.55%...⑤
(13)ベルギー169(0)0.00%...⑲
 ( )
  (16)559(3)0.54%...
   (12)1,243(10)0.80%...
    (13)1,243(10)0.80%...⑳
     (13)1,795(21)1.17%...⑰
      (12)2,815(67)2.38%...⑫
       (12)3,401(75)2.21%...⑫
        (12)3,743(88)2.35%...⑬
         (13)3,743(88)2.35%...⑭
          (13)4,269(122)2.86%...⑫
           (13)4,937(178)3.61%...⑪
            (13)7,284(289)3.97%...⑪
(14)ノルウェー147(0)0.00%...⑲
 ( )
  (10)996(1)0.10%...
   ()
    ()
     ()
      ()
       ()
        ()
         (14)2,371(8)0.34%...34
          (14)2,566(10)0.39%...33
           (15)2,916(12)0.41%...34
            (17)3,581(16)0.45%...33
(15)シンガポール138(0)0.00%...⑲
 (12)160( )%...
  (20)200(0)0.00%...
   (20)266( )%...
    (21)266( )%...
     (21)345( )%...
      (21)432(2)0.46%...23
       (22)455(2)0.44%...24
        (22)509(2)0.39%...26
         (28)455(2)0.44%...31
          (29)558(2)0.36%...34
           (30)631(2)0.32%...38
            (30)732(2)0.27%...39
(16)スウェーデン137(0)0.00%...⑲
 ( )
  (11)814(1)0.12%...
   ()
    ()
     ()
      ()
       ()
        ()
         (15)2,016(25)1.24%...⑲
          (16)2,272(36)1.58%...⑱
           (17)2,510(42)1.67%...⑱
            (19)3,046(92)3.02%...⑬
(17)香港109(2)1.83%...⑪
 (14)115(3)2.61%...⑥
  ()
   (25)162(4)2.47%...⑦
    (26)181(4)2.21%...⑫
     (26)208(4)1.92%...⑭
      (27)273(4)1.47%...⑭
       (25)317(4)1.26%...⑰
        (26)356(4)1.12%...⑳
         (30)386(4)1.04%...23
          (32)410(4)0.98%...25
           (35)453(4)0.88%...26
            (34)582(4)0.69%...30
(18)オーストリア104(0)0.00%...⑲
 ( )
  (17)504(1)0.20%...
   (13)1,132(3)0.27%...
    (12)1,471(3)0.20%...25
     (12)1,843(5)0.27%...25
      (13)2,664(7)0.26%...26
       (13)3,026(9)0.30%...26
        (13)3,611(16)0.44%...24
         (11)4,876(25)0.51%...29
          (12)5,560(31)0.56%...30
           (12)5,888(34)0.58%...31
            (12)7,697(68)0.88%...26
(19)マレーシア93(0)0.00%...⑲
 (13)117( )%...
  (21)197(0)0.00%...
   (15)673(2)0.30%...⑬
    (15)790(2)0.25%...24
     (15)900(2)0.22%...26
      (14)1,183(8)0.68%...21
       (15)1,306(10)0.77%...22
        (16)1,518(14)0.92%...22
         (21)1,306(14)1.07%...22
          (20)1,796(16)0.89%...26
           (22)1,796(19)1.06%...21
            (24)2,161(26)1.20%...23
(20)オーストラリア74(3)4.05%...④
 (15)92(3)3.26%...⑤
  (19)200(3)1.50%...⑧
   (16)452(5)1.11%...⑩
    (17)565(6)1.06%...⑯
     (16)692(6)0.87%...22
      (16)1,068(7)0.66%...22
       (14)1,316(7)0.53%...23
        (14)1,709(7)0.41%...25
         (17)1,832(7)0.38%...33
          (15)2,423(8)0.33%...35
           (16)2,799(11)0.39%...35
            (16)3,635(14)0.39%...35
(21)ギリシャ66(0)0.00%...⑲
 ( )
  (23)190(1)0.53%...
   ()
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         (27)695(17)2.45%...⑫
          (27)743(20)2.69%...⑬
           (27)821(22)2.68%...⑬
            (28)966(28)2.90%...⑭
(22)クウェート62(0)0.00%...⑲
 (17)62()%...
  ()
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         (38)191(0)0.00%...38
          (41)195(0)0.00%...39
           (41)208(0)0.00%...40
            (41)235(0)0.00%...40
(23)カナダ57(0)0.00%...⑲
 (17)62()%...
  (22)193(1)0.52%...
   (17)424(4)0.94%...
    (16)569(8)1.41%...⑮
     (17)690(9)1.30%...⑯
      (17)971(12)1.24%...⑰
       (16)1,231(13)1.06%...⑳
        (17)1,430(20)1.40%...⑰
         (18)1,646(20)1.22%...⑳
          (21)1,739(25)1.44%...⑲
           (14)4,046(35)0.87%...27
            (15)4,018(39)0.97%...25
(24)バーレーン56(0)0.00%...⑲
 (16)77()%...
  (24)189(0)%...
   (22)221(1)0.45%...
    (22)242(1)0.41%...22
     (23)256(1)0.39%...23
      (24)287(1)0.35%...24
       (26)308(1)0.32%...25
        ( )
         (32)377(2)0.53%...28
          (34)392(3)0.77%...29
           (36)419(4)0.95%...25
            (37)473(4)0.85%...27
(25)イラク54(4)7.41%...③
 (18)55(6)10.91%...
  ( )
   (28)124(10)8.06%...
    (27)154(11)7.14%...③
     (29)164(11)6.71%...④
      (28)208(17)8.17%...②
       (29)221(17)7.69%...③
        (29)233(20)8.58%...③
         (35)266(20)7.52%...③
          (36)316(27)8.54%...②
           (38)346(29)8.38%...②
            (38)458(40)8.73%...②
(26)タイ50(1)2.00%...⑩
 (19)50(1)2.00%...
  ( )
   (24)177(1)0.56%...
    (23)212(1)0.47%...21
     (22)272(1)0.37%...24
      (22)411(1)0.24%...27
       (20)599(1)0.17%...28
        (21)721(1)0.14%...28
         (25)827(4)0.48%...30
          (25)934(4)0.43%...32
           (25)934(4)0.43%...33
            (26)1,136(5)0.44%...34
(27)エジプト48(0)0.00%...⑲
 (20)48()%...
  ( )
   (25)166(4)2,41%...
    (25)196(6)3.06%...⑨
     (25)210(6)2.86%...⑩
      (25)285(8)2.81%...⑪
       (27)294(10)3.40%...⑪
        (27)327(14)4.28%...⑦
         (34)366(19)5.19%...⑥
          (33)402(20)4.98%...⑦
           (34)456(21)4.61%...⑧
            (36)536(30)5.60%...⑧
(28)台湾45(1)2.22%...⑧
 (21)45(1)2.22%...
  ( )
   (29)77(1)1.30%...
    (29)100(1)1.00%...⑰
     (30)108(1)0.93%...⑳
      (30)153(2)1.31%...
       (30)169(2)1.18%...⑲
        (30)195(2)1.03%...21
         (36)216(2)0.93%...26
          (39)235(2)0.85%...27
           (40)252(2)0.79%...28
            (40)283(2)0.71%...29
(28)アラブ首長国連邦45(0)0.00%...⑲
 (21)45()%...
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         (37)198(2)1.01%...25
          (38)248(2)0.81%...28
           (39)333(2)0.60%...30
            (39)405(2)0.49%...32
(30)インド34(0)0.00%...⑲
 (23)43()%...
  ( )
   (27)137(3)0.22%...
    (28)147(3)2.04%...⑬
     (28)167(4)2.40%...⑬
      (26)283(4)1.41%...⑮
       (24)341(5)1.47%...⑮
        (25)433(7)1.62%...⑭
         (29)434(9)2.07%...⑮
          (28)562(9)1.60%...⑰
           (28)649(13)2.00%...⑯
            (31)724(17)2.35%...⑰
(31)デンマーク32(0)0.00%..
 ( )
  (13)804(0)0.00%...
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         (19)1,582(24)1.52%...⑯
          (22)1,717(32)1.86%...⑯
           (21)1,841(34)1.85%...⑰
            (23)2,199(52)2.36%...⑯
(32)イスラエル26(0)0.00%...⑲
 (24)39()%...
  (25)161(0)0.00%...
   (19)324( )%...
    (19)427( )%...
     (18)529( )%...
      (19)883(1)0.11%...29
       (19)945(1)0.11%...29
        (18)1,238(1)0.08%...29
         (22)1,238(1)0.08%...36
          (18)2,170(5)0.23%...36
           (20)2,369(5)0.21%...39
            (18)3,460(12)0.35%...38
(32)チェコ26(0)0.00%...⑲
(28)
  (28)141(0)0.00%...
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         (23)1,236(1)0.08%...37
          (23)1,394(3)0.22%...37
           (23)1,654(6)0.36%...36
            (21)2,279(9)0.39%...35
(34)ブラジル19(0)0.00%...⑲
 (25)25()%...
  (27)151(0)0.00%...
   (21)234( )%...
    (20)290(1)0.34%...23
     (20)428(4)0.93%...⑳
      (18)904(11)1.22%...⑱
       (17)1,128(18)1.60%...⑭
        (15)1,546(25)1.62%...⑯
         (16)1,891(25)1.32%...⑱
          (17)2,201(46)2.09%...⑮
           (18)2,433(57)2.34%...⑮
            (20)2,915(77)2.64%...⑮
(34)フィンランド19(0)0.00%...⑲
 ( )
  (26)155(0)0.00%...
   ()
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         (26)700(1)0.14%...35
          (26)792(1)0.13%...38
           (26)880(3)0.34%...37
            (27)1,025(7)0.68%...31
(36)カタール12(0)0.00%...⑲
 ( )
  (18)320(0)0.00%...
   (18)401()%...
    (18)442()%...
     (19)452()%...
      (20)470()%...
       (21)481()%...
        (23)494()%...
         ( )
          (31)526(0)0.00%...39
           (31)537(0)0.00%...40
            (35)562(0)0.00%...40
(37)マカオ10(0)0.00%...⑲
 (28)10()%...
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          (42)30(0)0.00%...39
           (42)33(0)0.00%...40
            (42)37(0)0.00%...40
(38)アルゼンチン9(1)11.11%...②
 (27)12(1)8.33%...
  ( )
   (30)65(2)3.08%...
    (30)79(2)%...
     (31)97(3)3.09%...⑨
      (29)158(3)1.90%...⑬
       (28)225(4)1.78%...⑬
        (28)266(4)1.50%...⑮
         ( )
          (37)301(4)1.33%...23
           (37)387(6)1.55%...⑲
            (32)589(12)2.04%...⑱
(39)メキシコ7(0)0.00%...⑲
 (29)7()%...
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         (33)370(4)1.08%...21
          (35)370(4)1.08%...24
           (33)478(5)1.05%...23
            (32)589(8)1.36%...22
(40)フィリピン6(1)16.67%...①
 (26)20(1)5.00%...
  ( )
   (23)187(12)6.42%...
    (24)202(17)8.42%...①
     (24)217(17)7.83%...②
      (23)307(19)6.19%...④
       (23)380(25)6.58%...④
        (24)462(49)10.61%...①
         (31)380(33)8.68%...②
          (30)552(35)6.34%...⑤
           (29)636(38)5.97%...⑤
            (29)803(45)5.60%...⑧
(41)スロバキア3(0)0.00%...⑲
 ( )
  (28)141(0)0.00%...
   ()
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       ()
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         (38)191(0)0.00%...38
          (40)204(0)0.00%...39
           (32)528(4)0.76%...29
            (21)2,279(9)0.39%...35
(--)トルコ--
 ( )
  ()
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    ()
     ()
      ()
       ()
        (19)1,236(30)2.43%...⑫
         (20)1,529(37)2.42%...⑬
          (19)1,872(44)2.35%...⑭
           (18)2,433(59)2.42%...⑭
            (14)5,698(92)1.61%...⑳
 (参考)1段目は日本経済新聞社インターネット2020年3月8日
     2段目は読売新聞2020年3月9日
     3段目は日本経済新聞3月15日
     4段目は読売新聞2020年3月18日
     5段目は読売新聞2020年3月19日
     6段目は読売新聞2020年3月20日
     7段目は読売新聞2020年3月22日
     8段目は読売新聞2020年3月23日
     9段目は読売新聞2020年3月24日
     10段目は日本経済新聞社インターネット2020年3月25日
     11段目は日経の同上の2020年3月26日
     12段目は日経の同上の2020年3月27日
    ・WHOおよび各政府発表データー
    ・感染者数(死亡者数)死亡率
    ・3月15日世界全体145,374(5.429)3.73%
     3月29日世界全体645,837(29,200)4.52%
     死亡率が21%高くなっている。
    ・中国の( )は、4万3千人以上の陽性患者数を中国が
     理由を付けて少なくしたという情報がある・・
    ・EU内を通交自由としたことにより皮肉なことに、今・
     現在、EUは感染者が激増している。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/  


2020年03月29日

(増補版)686E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年1月~1898年2月)

題:(増補版)686E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年1月~1898年2月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1898年1月20日、元帥府条例が公布された。
  小松宮彰仁親王、山県有朋、大山巌の陸軍大将3人と、
 海軍大将の西郷従道が元帥になった。
  これは、陸海軍大将から、特に功労が多大であった人
 より選ばれ、元帥府に列せられた。
.
1898年1月20日、九州鉄道の早岐駅~佐世保駅間、および、
 早岐駅~大村駅間が開通した。

1898年1月21日、絶影島貯炭庫設置問題
  軍事的拠点づくりにあせるロシアの挙動だった・・
  ロシア帝国の軍艦が、大韓帝国の釜山港に入港して、
 釜山の南方の絶影島(ぜつえいとう、現:韓国釜山広域
 市影島区)にあった日本人の荒木嘉作氏の所有地に勝手
 に、ロシアがマツやスギなどの苗を植え付けた。
  そして、軍艦の燃料である石炭の貯炭庫を設置しよう
 として、この島を占領し、占有化を図った。
  当時、外務大臣であった露国派の閔種黙が、私的に独
 断でロシアに借入を許容したという・・が、筋は明らか
 に通らず、ロシアは強行した・・
  この事件の後、ロシアは強行外交をして、アレクセー
 エフが、1898年2月、絶影島の租借を大韓帝国政府に承認
 させている・・
  この島は、すでに、日本が、正式な手続きを踏んで手
 にしていた島だった・・
  日本人の所有権はどうなるのか?などは無視された・・
  因みに、1886年、すでに、日本も、この島に貯炭庫を
 設けるため、韓国政府に対して、絶影島地所借入約書 (
 租借絶影島地基約単)を出して承認を受けていた・・
  そして、また、1891年には、月尾島地所借入約書 (租
 借月尾島地基約単)も結んでいる・・
  また、1898年3月に、ロシアは、経済的な関わりを強く
 したいと露韓銀行支店を韓国の首都の漢城府に設置した。
  過去に於いて、ロシアは、この島を借りようとして失
 敗している経緯がある。
  1889年、ロシア公使のカール・イバノビッチ・ヴェー
 バーは、元山及び絶影島に貯炭所を設置しようと朝鮮当
 局と交渉したが、朝鮮も反対したが、清国の反対にも会
 って失敗している。
  その後、ロシアは、巨済島を狙う・・そして、狙って
 いるという風評が流れたため、ロシアは韓国と巨済島不
 租借に関する露韓条約を結び、巨済島に興味の無いこと
 を表明しりしていた。
.
1898年1月、関西鉄道の車両に電灯が取付けられた。
  客車内に電灯設備が付けられたのは、全国の鉄道では
 最初だった。
  明治33年度末からピンチガスによって点灯した。
  ピンチガスは、原油・重油を蒸留して得られるガス。
  石炭ガスは光が微弱であった。
  ピンチガスは、その点、強い光のため航路標識につか
 われたりもした。
  1908年に至ると高圧洗浄アセチレンガスの灯器が輸入
 され、福岡県の「三池港第二号浮標」「同四号浮標」の
 浮標に使われた・・
  このガスは、さらに強い光が発せられた・・また、ボ
 ンベで点灯できる良さもあって広く各所で使われた。
  因みに、1874年(明治7年)に横浜港西波止場竿に石炭
 ガスで点灯されている・・これが我が国の灯台で最初に
 ガス灯が使われた事例・・
.
1898年、ロシアに対抗するイギリス(威海衛の租借)
  イギリスは、ロシアの租借した旅順・大連の反対側の
 山東半島の威海衛を租借した。
  そして、イギリス東洋艦隊の基地を建設した。
  また、イギリスは、1898年1月、ビルマから長江(最下
 流部は揚子江と呼ぶ)に至る鉄道の敷設権、および、長
 江流域の他国への不割譲などの利権を得た。
  この長江流域の鉄道敷設権は借款供与の引き換えだっ
 た。
  揚子江の流域の線として、香港と広州を結ぶ広九線、
 上海と南京を結ぶ滬寧線(こねいせん)がある・・
  そして、さらに、イギリスは、九竜半島北部地域(新
 界)の99年間の租借権も得た。
  因みに、イギリスが三国干渉に加わらなかったのは、
 日本が下関条約で長江流域の通商権を得たからだった。
.
1898年1月、フランス人が「パナール・ルヴァッソール」を
 日本に持ち込んだ・・このことから日本の自動車の歴史
 が始まった。
  この自動車の初渡来は、意外にもひっそりした幕開け
 だった・・マスコミの脚光も浴びなかった。
  この頃の日本は、人力車や鉄道の方が便利と思われて
 いて、新聞の扱いなども数行の小さな記事でしかなかっ
 た。
  (参考)パナール・ヴァッソール:パナールは、フラ
     ンスの自動車メーカーで、老舗自動車メーカー
     である。
      この頃は、最先端技術を保持していた。 
      また、パナール・ルヴァッソールは、パナー
     ルの誇る技術のフロントエンジン車で、1895年、
     パリ・ボルドー自動車レースにも参加している。
      パナール社は、現在、軍用車両を生産してい
     る。
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1898年2月2日、日本鉄道で機関士らが我党待遇期成大同盟
 会を結成した。
  2月24日に、機関士の待遇改善を求めるストライキを起
 こす事になる。
  日本鉄道会社は、1万人を超える社員をかかえる日本最
 大の鉄道会社だった。
  要求は、「社内身分の改善」「賃金引上げ」
  ストは、列車の遅延が起きても服務規定通り行動する
 順法闘争で行った。
  会社は強硬に対応して来た・・首謀者とみられる者を
 2名解雇し、運動を潰しにかかった。
  これで、機関士らはストに突入・・
  上野から青森まで全線で運転が止まった・・一時は警
 官も入る険悪な状態となった。
  この争議が他の会社へも広がる様相になった・・ここ
 で会社も妥協して来た・・要求はほぼ了解された・・争
 議状態は終結した。
  この記念碑が、東北新幹線の八戸駅から南西に300メー
 トルの所にある。
  碑文の表には・・
  日本労働組合運動発祥之地
  日本機関方同盟罷工記念碑
  一九九八年二月二十四日 百周年記念式典挙行
  全日本労働組合発祥百周年記念事業実行委員会
  記念大会長 島守光雄  実行委員長・三上秀光
  二〇〇二年九月五日 建之
  碑文の裏面には・・
  一八九八年(明治三十一)二月二十四日、当時最大の
 鉄道会社である「日本鉄道」の尻内(現八戸)機関庫から、
 機関方(機関士)らによる同盟罷工(ストライキ)が発生し
 一日を経ずして東北、関東の全線全機関庫に広がった。
  この罷工を指導した中心人物は、尻内機関庫の機関方
 石田六次郎であった(石田は後に復職、一九一九年知内
 の区長歴任)。
  この争議は、日清戦争後続発した争議の中で最大規模
 のもので、日本労働運動史上初めて労働者側の全面勝利
 に終ったこと、争議後に機関方らは日本で初めての本格
 的な単一労働組合「日鉄嬌正会」を組織したことからも、
 画期的なできごとであった。
  また,この罷工の最大の意義は、労働運動だけでなく、
 日本社会の近代的発展に大きな影響を与えたことにある。
  石田六次郎は次のように喝破する。
  「実業界に改新を与え、全国無数の団体に新空気を送
 り、またこれと同時に識者を覚醒し、直接間接 国家の裨
 益少なしとせず。
  これらの美挙を永遠に伝う、決して無益にあらず」。
 (「我党待遇期成大同盟会一ノ関支部記事」序、石田六
 次郎述 明治三十一年四月)
.
1898年2月3日、北海道の住民に対し、鉄道・汽船運賃の割
 引を実施した。
  (内務省告示第9号、官設鉄道5割引、私設鉄道はおおむ
 ね2割引)
.
1898年2月3日、成田鉄道の滑川駅(現:滑河)~佐原駅間が
 開通し、佐倉駅~佐原駅間が全通した。
.
1898年2月8日、九州鉄道筑豊線の臼井駅~下山田駅間が開
 通した。
.
1898年2月11日、「神戸新聞」が創刊された。
  川崎造船所の川崎芳太郎(川崎正蔵の養子)が創刊し
 た(川崎正蔵が創刊との記述もある)
  本社が神戸市にある日刊紙・・
  1931年、大阪時事新報社、京都日日新聞社と合併、三
   都合同新聞社となった・・が・・
  1935年、分離し、再び、神戸新聞社発行となった。
  1948年、「デイリースポーツ」を創刊した・・が・・
  1955年、デイリースポーツを分離独立させる。
  朝刊部数約53万部、夕刊28万部(1998)
  2017年、シェア20%で1位・・県内の購読率は高い。
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  (今日の言葉)
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  題:レーニンは、日露戦争に反対していた・・そして、言った・・
    「ロシア政府(ツァーリ政府)は、他国人が住み、遠く離れた他国の新しい土地を奪うための、
    破滅的で無意味な戦争に、貧しく飢えた人民を引きずり込んでいる」・・と・・
   (そのー2)
    イギリスの旅行作家イザベラ・バードは、自著に書く・・
    日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。
    盗む側と盗まれる側である。
    そして、盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。
    「搾取」 と「着服」は、上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、
    どの職位も売買の対象となっていた。
.
19世紀半ば以降、ロシア帝国は極東、特に、中国・清への
 圧力を強めていった。
 1858年4月、愛琿条約(あいぐん)を締結してロシアは黒
  竜江左岸地域を獲得し、
 1860年には、北京条約を締結して沿海州を獲得した。
  (参考) 愛琿条約:太平天国の乱やアロー戦争で清朝
     が苦しんでいるのに乗じ、東シベリア総督 N.N.
     ムラビヨフが、黒竜江将軍奕山 (えきさん) に
     迫って結んだもので、アムール川左岸をロシア
     領として割譲させ、ウスリー江以東の沿海の地
     をロシアと清の共同管理と決めた。
      次いで、1860年の北京条約で沿海の地もロシ
     ア領となり、アムール川流域からロシア人を締
     出したネルチンスク条約の効果はまったく失わ
     れた。
  (参考) 北京条約:アロー戦争の終結のため、清朝と
      イギリス、フランス、ロシアとの間で結ばれ
      た。
       この条約でロシアは、清朝とイギリス、フ
      ランス間の講和を斡旋しただけなのにその代
      償として、ロシア公使N.イグナチェフは、愛
      琿条約に追加、修正に加え、ウスリー川以東
      の沿海州を割譲させた。
       また、庫倫 (現ウラーンバートル) 、張家
      口での貿易を認めさせた。
.
1870年4月~5月、天津教案、
  天津で幼児が失踪する事件が相次いだ。
  6月に疫病が流行し、育嬰堂(孤児院)では30人~40人
 の子供たちが病死した。
  民衆の間では育嬰堂のキリスト教修道女が幼児を殺害
 して薬の材料にしているとの噂が広まった。
  1870年6月20日、誘拐犯人の武蘭珍が逮捕されキリスト
 教会とキリスト教信者の王三なる者が共犯であると供述
 した。
  翌日、天津知県の劉傑は、武蘭珍を伴って育嬰堂を調
 査したが、王三なる人物は存在せず、武蘭珍の供述はで
 たらめであることが分かった。
  キリスト教神父に謝罪し三口通商大臣の崇厚が善後策
 の協議に入った。
  しかし、この時すでに数千の群衆がキリスト教会を取
 り囲み、口論となり、やがてレンガでの殴り合いとなっ
 た。
  フランスの駐天津領事のアンリ・フォンタニールは、
 崇厚に派兵して鎮圧するように要求したが、満足いく回
 答が得られなかった。
  フォンタニールは、教会前の路上で劉傑と口論になり、
 発砲して劉傑の従者を殺害した。
  民衆は、憤慨してフォンタニールと秘書を殺害した。
  さらに、10人の修道女、2名の神父、2名のフランス領
 事館員、2名のフランス人、3名のロシア人、30人以上の
 中国人信者を殺戮し、フランス領事館とフランスやイギ
 リスの教会を焼き討ちした。
  1870年6月24日、フランスを中心とした7ヶ国艦隊が天
 津に到着し、総理各国事務衙門に抗議した。
.
1891年夏、長江教案、
  長江下流の河口付近から上流の宜昌(ぎしょう、湖北
 省西部の町)に及ぶ広い範囲で、キリスト教にたいする
 一連の暴動が発生した。
  長江流域上のこの教案は、ふたつの点できわめて特徴
 的だった。
  ひとつは、「宣教師が子どもを誘拐し、薬や銀を作る
 ために眼をくりぬいている」といううわさが、各地でい
 ずれも暴動の直接の引き金になった。
  これは、1870年の天津教案も同様だった。
  1891年の場合、注目されるところは、この謡言にくわ
 え、暴動が短期間にきわめて広範囲に及んだことだった。
  そのため、当時からすでに、哥老会が計画的に引き起
 こしたのだという陰謀説が取りざたされていた。
  この長江流域教案に関して、矢沢利彦氏の研究が、現
 在、重要で・・
  矢沢氏は、このなかで、一連の暴動が「計画的かつ組
 織的」であったとして哥老会陰謀説を支持しつつも、そ
 れは「推定」であると言っている。
  (参考)哥老会:かろうかい、中国の反体制秘密結社
     の一つ。
      白蓮教や天地会などの影響を受けながら、清
     代18世紀に四川省で生まれた。
      農民の互助自衛組織として発展、湖南省・湖
     北省を中心に長江流域に広がり、反清復明(はん
     しんふくみん)を掲げて活動した。
  (参考)反清復明:清朝の「女真族、満人」の異民族
     の支配を倒して、明朝の「漢民族」を復活させ
     る。
.
1896年5月、高宗・朝鮮国王は、ロシア皇帝ニコライ2世の
 戴冠式祝賀のために、閔詠煥らをロシアに派遣した。
  そして、ロシア外務省に借款、および、ロシア軍の朝
 鮮派遣を要請した。
.
1897年、朝鮮紀行(イザベラ・バード)
  イギリスの旅行作家イザベラ・バードは、大韓帝国と
 国号を変えて、独自の近代化を目指す光武改革について
 著書『朝鮮紀行』で、以下のように書いた・・
  (参考)朝鮮紀行:イザベラ・バードが1894年から1897
     年にかけて、4度にわたり最末期の李氏朝鮮(朝
     鮮王朝)を訪れた・・その旅行の記録。
      当時の朝鮮の風俗、社会、政治情勢などを知
     ることのできる歴史的資料と言われる。
  (参考)大韓帝国:国名を「帝国」としたのは、中国
     の冊封から離脱したのに際して、国王の称号を
     「皇帝」と変更したから・・
 ☆:両班制度について・・
  ・・また、身分制度に関して、両班は究極に無能であ
 り、その従者たちは金を払わず住民を脅して鶏や卵を奪
 っているとしている。
  両班は、公認の吸血鬼であり、ソウルには「盗む側」
 と「盗まれる側」の二つの身分しかないと、述べている。
 ☆:朝鮮の官僚について・・
  日本の発展に興味を持つ者も少数はいたものの、多く
 の者は搾取や不正利得ができなくなるという私利私欲の
 ために改革に反対していたとし・・
  堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手した
 が、それは困難きわまりなかったと、述べている。
 ☆:朝鮮人官僚の態度について・・
  朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数
 の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合な
 もので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。
  官吏階級は、改革で「搾取」や不正利得がもはやでき
 なくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻
 きとともに、全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、
 改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。
  政治腐敗は、ソウルが本拠地であるものの、どの地方
 でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質
 の不正がはぴこっており、勤勉実直な階層をしいたげて
 私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈(ばっこ)していた。
  このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本
 は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。
  名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前
 に忘れられている。
  公正な官吏の規範は存在しない。
 ☆:日本の改革の着手した時について・・
  日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしか
 なかった。
  盗む側と盗まれる側である。
  そして、盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含ま
 れる。
  「搾取」と「着服」は上層部から下級官吏にいたるま
 で全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象
 となっていた。
.
1899年、日清戦争後のヨーロッパなど帝国主義列強の露骨
 な中国侵略の動きは、民衆の排外感情をいっそう刺激す
 ることとなった
  強引なキリスト教の布教活動に対する民衆の反抗に対
 して、ドイツ軍の出兵を要請し、村落の焼き討ちや、多
 額の賠償金取り立てをもって臨むなど、きわめて侵略的
 な性格をもっていた。
  このような反キリスト教運動を仇教運動(きゅうきょ
 ううんどう)という。
  (参考)仇教運動:清代末期の中国に起こったキリス
     ト教反対運動・・キリスト教を排斥した・・
      初めは単なる反キリスト教運動だったが、し
     だいに排外・反帝国主義運動の性格を強め、1898
     年に始まる義和団事件で頂点に達した。
      「教案」ともいう。
      1860年の北京条約で中国全土に、キリスト教
     布教の自由が認められて以来、宣教師が多数入
     り込み、キリスト教会を設けて伝道した。
      彼らの活動は、中国人の伝統的生活様式を否
     定して破壊をするため、衝突することが多く、
     また、「キリスト教神父が先頭に立ち、砲艦が
     これに次ぐ」と言われるように、ヨーロッパ、
     アメリカの列強諸国の政治的・経済的進出の尖
     兵としての役割をも果しもしていた。
      中国人の民衆に対する「キリスト教宣教師と
     キリスト教徒」との紛争事件は、列強諸国の勢
     力と中国・清朝官憲の迎合的態度によって、キ
     リスト教教会側に有利に、常に、差別され、中
     国人側に不利に強引に押し付けられ処理された。
      このためキリスト教に対する中国人の反感が
     爆発した・・
      キリスト教宣教師への暴行、殺害、キリスト
     教徒への迫害、キリスト教会の焼打ちなどが行
     われるようになった。
      1870年4月~5月の天津教案、そして、1891年
     の長江教案がその代表的なもの。
      1898年をピークとする義和団事変は、教案が
     全般的な反ヨーロッパ運動に発展したものでも
     ある。
  清末の華北一帯では、帝国主義列強の圧迫による世情
 不安と生活の窮迫を背景として、秘密宗教・武術結社に
 入会する民衆が増えて行った。
  仇教運動も、こうした秘密宗教・武術結社に指導され
 たものが多かった。
  1900年には、大挙して北上し、天津・北京に迫る勢い
 となった。
  1900年6月、義和団は、ついに北京に入り、各国公使館
 を包囲した。
  清朝は、父祖の地「満州」を聖地と考えて、漢人の入
 植を制限した。
  ところが、財政が悪化したため、悠長なことも言って
 いられなくなった。
  そこで、漢人に満州の田畑を耕させて、税金をとろう
 と考えた。
  その結果、満州における漢人の人口は激増した。
  1900年2月、その義和団が山東省で蜂起した。
  スローガンは「扶清滅洋」・・
  義和団は、各地でキリスト教会を焼き払い、外国資本
 の鉄道を破壊し、外国人が居留する天津、北京を占拠し
 た。
  驚いた列強8カ国の公使団は、1900年4月5日、清国政府
 に対して義和団を鎮圧するよう要求した。
  列強8カ国は、北京に公使館(大使館)をおく帝政ロシ
 ア、イギリス、フランス、ドイツ帝国、オーストリア=
 ハンガリー帝国、イタリア、アメリカ合衆国、日本であ
 る。
  清朝の最高権力者・西太后は、義和団を「義挙」とし
 た。
  そして、列強8カ国に宣戦布告し、八旗軍(国軍)を出
 動させ、義和団と協同で、列強の建物などを破壊した。
  清朝の八旗軍と義和団は、北京の外交官区(東交民巷)
 を包囲し、ドイツと日本の公使館員を殺害した。
  この時点において、日本は、清国の領土は持っていな
 い・・また、鉄道敷設権も鉱山の採掘権も持っていない。
  西太后は、宣戦布告したのは・・1900年6月21日。
  それから2か月後、列強連合軍が首都の北京を制圧する。
  そして、1900年8月14日、各国の公使館員と居留民を無
 事保護できた。
  1901年4月、清朝と列強は、北京議定書(辛丑和約、し
 んちゅうわやく)を締結し、清朝に「4億5000万テール」
 の賠償金を要求した。
  この時、世界中の目が義和団事件にクギ付けになって
 いる隙に、ロシア軍は満州全土を占領した。
  山東省の食い詰めた漢人が、満州に移住した。
  その漢人が、故郷の山東省で義和団が蜂起したこと知
 ると、勢いづいて、満州でも暴動を起こした。
  外国人排斥、とくに、ロシアが敷設した「東清鉄道」
 は念入りに破壊された。
  ロシアの陸軍大臣クロパトキンは、小躍りして言う・・
  「チャンスが到来した! これで満州をおさえる口実
 ができた」・・と・・
  こうして、ロシアは、満州の権益を得るため、「東清
 鉄道」を守るため、17万7000人の大軍を満州へ送り込ん
 だ。
  義和団事件が鎮圧された後、列強8カ国は軍を引き揚げ
 たが、ロシアは撤兵しなかった・・満州に居続けた。
  列強が非難すると、ロシアは屁理屈で言い返した・・
  「鉄道の安全が保証されれば、すぐにでも撤退する」
 と・・
  日本は、その状況に、危機感をつのらせた。
  満州の次は朝鮮、そして、日本へ・・
  同盟締結後、日本とイギリスは、直ちに「ロシアの満
 州支配」に、厳重抗議した。
  さすがのロシアも「イギリスと日本」を怖れ、ロシア
 は満州からの撤兵を約束した・・が・・
  ところが ・・約束は守られなかった。
  それどころか、やはり、ロシアは、満州から鴨緑江を
 こえて、朝鮮に侵攻する構えをみせた・・
  もし、ロシア軍が進駐すれば、朝鮮は完全にロシア領
 になる状況だった。
.
1900年、満韓交換論を伊藤博文らが提唱する・・
  戦争の回避と、日本の安全保障のために・・
  満州でのロシア帝国の権利を認める代わりに、朝鮮半
 島での日本の権利を認めてもらおうという考えであり、
 1900年頃、伊藤博文等が提唱した。
  1900年、ロシアは、義和団の乱(北清事変)が起こる
 と満州に多数の兵を駐留させ、乱の平定後も混乱の収拾
 を理由として撤兵しなかった。
  日本としては、朝鮮半島に隣接した満州を安全地帯と
 し、さらに南下の気配(朝鮮を経て日本への侵略)を示
 す「ロシアへの対応」を検討せざるを得なくなっていた。
  三国干渉を主導したロシア・・日本では、そのロシア
 と交戦状態となったところで勝算はないという意見が多
 かった。
  ただ、山縣有朋や桂太郎、小村寿太郎らは、ロシアと
 の開戦を主張していた。
  これは、仮に日露協商が成立しても長続きせず、ロシ
 アの側がこれを破棄することは確実で、(その様なこと
 をよくやる国と見られていた)ならいっそのこと戦った
 ほうがよいと考えていた。
  ここに、同時に、ロシアの強引な振る舞いとその行動
 の脅威を感じているイギリスが居た。
  1903年8月に至って、日本は、ロシアに満韓交換論を提
 示して行く・・
  しかし、軍事的に勝るロシアは、これを拒否した・・
 そればかりではなく「朝鮮もくれ」という態度を示した。
  朝鮮を南北に分け、この北側には、日本の立ち入りが
 出来ないと、日本の利用は出来ないという案を言って来
 た。
  この段階を踏んで、朝鮮半島にロシアが入って来ると
 いう意思が示された。
  1904年、やむなく日本は、ロシアとの国交断絶に至る。
  戦いを避けたいという日本の提案は実現に至らなかっ
 た。
.
1900年6月20日、義和団の乱→国家間戦争(北清事変~1901
 年9月7日)
  中国・清朝末期の動乱・・清朝の西太后が反乱を支持
 して1900年6月21日に欧米列強諸国に宣戦布告をし、乱が
 国家間戦争となった。
  揚子江(ようすこう)以南を支配していた洋務派大官僚
 は義和団の発展を恐れ、北方からの波及を厳しく取り締
 まった。
  このため、北清事変ともいわれるように、運動は中国
 の北方に限定された。
  (参考)洋務派:ようむは、軍事中心の近代化を積極
     的に推進した曾国藩、李鴻章、左宗棠らの官僚
     グループ。
      アヘン戦争、太平天国との戦いを通じて、近
     代兵器、および、西洋近代文明の摂取の必要性
     を痛感し、1860年~1894年、洋式銃砲、艦船の
     輸入、外国人教官を招いての陸海軍の訓練、編
     成とともに、軍事工業育成のため機械工業の導
     入などを行なった。
      洋務派の根本思想は「中国の学問で身心を修
     め、西洋の学問 (科学,技術) で世事に応ずべ
     し」という「中体西用」論であり、これによっ
     て改良主義的近代化運動と伝統的な中華思想と
     の調整をはかろうとした。
      一面では、中国の近代産業の発達に刺激を与
     えたが、その経費の多くは釐金、海関税、外国
     借款などに頼り、民衆からの封建的搾取を基調
     としたため、中国の半植民地化の条件を整え、
     官僚資本を生み出した。
  イギリス、ロシア、ドイツ、フランス、アメリカ、日
 本、イタリア、オーストリアの8か国は連合軍をつくり、
 大沽(タークー)砲台、天津で官軍と義和団を破り、8月に
 北京に入城し、籠城(ろうじょう)55日に及んだ公使館員
 を救出した。
  西太后と光緒帝(こうしょてい、清の第11代皇帝)は西
 安に逃れ、失脚した守旧派にかわって実権を握った洋務
 派は、連合軍に協力、義和団の残部を虐殺した。
  1901年、翌年のこの年に、北京議定書(辛丑・しんち
 ゅう)条約)が成立し、中国の植民地化がいっそう深まる
 とともに、以後、膨大な賠償金の返済に長く苦しむこと
 になった。
.
1904年2月8日、日露戦争(~1905年9月5日)
  レーニンは、日露戦争に反対していた。
  「ロシア政府(ツァーリ政府)は、他国人が住み、遠く
 離れた他国の新しい土地を奪うための、破滅的で無意味
 な戦争に、貧しく飢えた人民を引きずり込んでいる」と。
  1903年夏、社会民主労働党は、実質的な結党大会にあ
 たる第二回大会を、ブリュッセルとロンドンで開催して
 いた。
  この時、レーニンが率いる多数派(ポリシェビスキ)と、
 マルトフが率いる少数派(メンシェビッキ)が党組織理論
 をめぐって対立していた。
  マルトフ派は、「ロシア官僚が満州を文明開化するの
 に反対」と言った・・
  また、「金持ち(ブルジョワ)の日本が韓国を文明開
 化するのにも反対」と言った。
  レーニンは「日露が戦う理由などない」という論理を
 展開していた。
     ・
     ・
     ・
2020年3月24日、新型コロナウイルスの猛威
  中国がデーターのごまかし・・中国が新型コロナウイ
 ルスに関するデーターをごまかしていた・・
  中国には独自の基準があるとしている・・それを公式
 数字としている・・と、中国らしい言い訳をしている。
  この中国らしい報道が読売新聞にある・・
  中国が無症状の4万3千人を除外したのではと報じてい
 る・・2月末以来の統計は信用できないし、今もやって
 いる・・以下その記事・・
  香港の英字紙サイスチャイナ・モーニングポストは23
 日、中国政府が新型コロナウイルス検査で陽性反応の出
 た感染者4万3000人以上(2月末時点)を、発熱やせきな
 ど肺炎とみられる症状を示さなかったことを理由に統計
 から除外していたと報じた。
  中国政府の内部資料から判明したという。
  中国本土の2月末時点の累計感染者は約8万人だった。
  当時、無症状の感染者を含めれば、累計で12万人を超
 えていたことになる。
  中国の国家衛生健康委員会は、発症前の感染者がウイ
 ルスを拡散させる可能性は低いとして、14日間の隔離中
 に症状が表われた場合に限り、統計に計上するとの独自
 の基準を持っている。
  日本では、無症状でも感染者として扱っている。
  中国のニュースサイト「財新」は23日、中国疾病対策
 センター内部の事情を知る専門家の話として、感染者が
 最も深刻な湖北省武漢市で、「現在も毎日数人から十数
 人が無症状のまま陽性反応が出ている」と伝えた。
  (評)
  日本のテレビなどの報道機関が、世界の死亡者数の合
 計が中国を超えた時は、大袈裟に報道した・・
  まったく中国へのゴマすりテレビ報道であった。
  中国は、今・現在でも、中国独自の判定基準の数字を
 世界の機関へ報告している・・世界の基準にすると数が
 多すぎてしまうのでその様にしていると言える・・この
 様な中国の誤魔化し態度は「おかしくて危険」・・
.
2020年3月27日、新型コロナによる世界各国・地域の感染者
 数(死亡者数・死亡率)
 (1)中国80,735(3,119)3.86%...③
  (1)80,973(3,193)3.94%...③
   (1)80,881(3,226)3.99%...④
    (1)80,894(3,237)4.00%...
     (1)80,928(3,245)4.01%...
      (1)81,008(3,255)4.02%...⑦
       (1)81,054(3,261)4.02%...⑧
        (1)81,093(3,270)4.03%...⑩
         (1)81,218(3,281)4.04%...⑩
          (1)81,285(3,287)4.04%...⑩
           (2)81,340(3,292)4.05%...⑨
           (124,340人以上)
 (2)韓国7,478(54)0.72%...⑪
  (4)8,086(72)0.89%...⑪
   (5)8,320(84)1.01%...⑪
    (5)8,413(84)1.00%...
     (7)8,565(94)1.10%...
      (8)8,799(104)1.18%...⑲
       (8)8,897(110)1.24%...⑱
        (8)8,961(118)1.32%...⑱
         (8)9,137(127)1.39%...⑰
          (10)9,241(131)1.42%...⑳
           (10)9,332(139)1.49%...⑳
 (3)イタリア7,375(366)4.96%...①
  (2)17,660(1.265)7.16%...①
   (2)27,980(2,158)7.71%...①
    (2)31,506(2,503)7.94%...
     (2)35,713(2,978)8.34%...①
      (2)47,021(4,032)8.57%...①
       (2)53,578(4,825)9.01%...①
        (2)59,138(5,476)9.26%...②
         (2)69,176(6,820)9.86%...①
          (2)74,386(7,503)10.09%...①
           (3)80,539(8,165)10.14%...①
 (4)イラン7,161(237)3.31%...④
  (3)11,364(514)4.52%...②
   (3)16,169(988)6.11%...②
    (3)17,361(1,135)6.54%...
     (3)18,407(1,284)6.98%...③
      (4)20,610(1,556)7.55%...③
       (5)21,638(1,685)7.79%...②
        (5)23,049(1,812)7.86%...④
         (6)24,811(1,812)7.30%...④
          (6)27,017(2,077)7.69%...③
           (6)29,406(2,234)7.60%...③
 (5)フランス1.126(19)1.69%...⑧
  (7)3,667(79)2.15%...⑦
   (6)6,633(148)2.23%...⑧
    (7)7,730(175)2.26%...
     (6)9,134(244)2.67%...
      (7)12,612(450)3.57%...⑧
       (7)12,612(450)3.57%...⑩
        (7)16,018(674)4.21%...⑨
         (7)22,300(1,100)4.93%...⑦
          (7)25,233(1,331)5.27%...⑥
           (7)29,155(1,696)5.82%...⑥
 (6)ドイツ1,112( )...
  (6)3,675(8)0.22%...⑫
   (7)6,012(13)0.22%...⑭
    (6)8,198(12)0.15%...
     (5)10,999(20)0.18%...
      (6)16,662(47)0.28%...25
       (6)18,610(55)0.30%...26
        (6)22,672(86)0.38%...27
         (5)29,212(126)0.43%...32
          (5)31,554(149)0.47%...31
           (5)43,938(198)0.45%...32
 (7)スペイン999(16)1.60%...⑨
  (5)5,232(133)2.54%...⑤
   (4)11,178(491)4.39%...③
    (4)13,716(588)4.29%...
     (4)17,147(767)4.47%...⑤
      (3)24,926(1,326)5.32%...⑤
       (3)28,572(1,720)6.02%...⑤
        (3)33,089(2,182)6.59%...⑤
         (4)39,673(2,696)6.80%...⑤
          (4)47,610(3,434)7.22%...④
           (4)56,188(4,089)7.28%...④
 (8)アメリカ545(22)4,04%...②
  (8)2,174(47)2.16%...⑥
   (8)4,482(86)1.92%...⑨
    (8)5,881(107)1.82%...
     (8)8,317(147)1.77%...
      (5)17,962(239)1.33%...⑯
       (4)24,380(340)1.39%...⑯
        (4)33,018(428)1.30%...⑲
         (3)46,442(474)1.02%...24
          (3)55,231(747)1.35%...22
           (1)85,689(886)1.03%...24
 (9)日本521(9)1.73%...⑦
  (15)725(21)2.90%...④
   (14)880(29)3.30%...⑥
    (14)918(31)3.38%...
     (14)961(33)3.43%...⑧
      (15)1,054(36)3.42%...⑩
       (18)1,100(41)3.73%...⑨
        (20)1,140(42)3.68%...⑪
         (24)1,190(42)3.53%...⑪
          (24)1,283(45)3.51%...⑪
           (24)1,375(47)3.42%...⑫
 (10)スイス312(2)0.64%...⑫
  (9)1,139(11)0.97%...⑩
   (9)2,269(14)0.62%...⑫
    (9)2,269(19)0.84%...
     (9)3,438(33)0.96%...
      (9)6,133(56)0.91%...⑳
       (9)7,014(60)0.86%...21
        (9)8,060(66)0.82%...23
         (9)8,836(66)0.75%...27
          (8)10,388(143)1.38%...21
           (9)9,714(103)1.06%...21
 (11)イギリス273(2)0.73%...⑩
  (14)801(8)1.00%...⑨
   (10)1,543(55)3.56%...⑤
    (10)1,950(60)3.08%...⑧
     (10)2,626(103)3.92%...⑦
      (10)3,983(177)4.44%...⑥
       (10)5,018(233)4.64%...⑦
        (10)5,683(281)4.94%...⑥
         (10)8,077(336)4.16%...⑨
          (9)9,529(422)4.43%...⑧
           (8)11,658(464)3.98%...⑩
 (12)シンガポール160( )%...
  (20)200(0)0.00%...
   (20)266( )%...
    (21)266( )%...
     (21)345( )%...
      (21)432(2)0.46%...23
       (22)455(2)0.44%...24
        (22)509(2)0.39%...26
         (28)455(2)0.44%...31
          (29)558(2)0.36%...34
           (30)631(2)0.32%...38
 (13)マレーシア117( )%...
  (21)197(0)0.00%...
   (15)673(2)0.30%...⑬
    (15)790(2)0.25%...24
     (15)900(2)0.22%...26
      (14)1,183(8)0.68%...21
       (15)1,306(10)0.77%...22
        (16)1,518(14)0.92%...22
         (21)1,306(14)1.07%...22
          (20)1,796(16)0.89%...26
           (22)1,796(19)1.06%...21
 (14)香港115(3)2.61%...⑥
  ()
   (25)162(4)2.47%...⑦
    (26)181(4)2.21%...⑫
     (26)208(4)1.92%...⑭
      (27)273(4)1.47%...⑭
       (25)317(4)1.26%...⑰
        (26)356(4)1.12%...⑳
         (30)386(4)1.04%...23
          (32)410(4)0.98%...25
           (35)453(4)0.88%...26
 (15)オーストラリア92(3)3.26%...⑤
  (19)200(3)1.50%...⑧
   (16)452(5)1.11%...⑩
    (17)565(6)1.06%...⑯
     (16)692(6)0.87%...22
      (16)1,068(7)0.66%...22
       (14)1,316(7)0.53%...23
        (14)1,709(7)0.41%...25
         (17)1,832(7)0.38%...33
          (15)2,423(8)0.33%...35
           (16)2,799(11)0.39%...35
 (16)バーレーン77()%...
  (24)189(0)%...
   (22)221(1)0.45%...
    (22)242(1)0.41%...22
     (23)256(1)0.39%...23
      (24)287(1)0.35%...24
       (26)308(1)0.32%...25
        ( )
         (32)377(2)0.53%...28
          (34)392(3)0.77%...29
           (36)419(4)0.95%...25
 (17)カナダ62()%...
  (22)193(1)0.52%...
   (17)424(4)0.94%...
    (16)569(8)1.41%...⑮
     (17)690(9)1.30%...⑯
      (17)971(12)1.24%...⑰
       (16)1,231(13)1.06%...⑳
        (17)1,430(20)1.40%...⑰
         (18)1,646(20)1.22%...⑳
          (21)1,739(25)1.44%...⑲
           (14)4,046(35)0.87%...27
 (18)イラク55(6)10.91%...
  ( )
   (28)124(10)8.06%...
    (27)154(11)7.14%...③
     (29)164(11)6.71%...④
      (28)208(17)8.17%...②
       (29)221(17)7.69%...③
        (29)233(20)8.58%...③
         (35)266(20)7.52%...③
          (36)316(27)8.54%...②
           (38)346(29)8.38%...②
 (19)タイ50(1)2.00%...
  ( )
   (24)177(1)0.56%...
    (23)212(1)0.47%...21
     (22)272(1)0.37%...24
      (22)411(1)0.24%...27
       (20)599(1)0.17%...28
        (21)721(1)0.14%...28
         (25)827(4)0.48%...30
          (25)934(4)0.43%...32
           (25)934(4)0.43%...33
 (20)エジプト48()%...
  ( )
   (25)166(4)2,41%...
    (25)196(6)3.06%...⑨
     (25)210(6)2.86%...⑩
      (25)285(8)2.81%...⑪
       (27)294(10)3.40%...⑪
        (27)327(14)4.28%...⑦
         (34)366(19)5.19%...⑥
          (33)402(20)4.98%...⑦
           (34)456(21)4.61%...⑧
 (21)台湾45(1)2.22%...
  ( )
   (29)77(1)1.30%...
    (29)100(1)1.00%...⑰
     (30)108(1)0.93%...⑳
      (30)153(2)1.31%...
       (30)169(2)1.18%...⑲
        (30)195(2)1.03%...21
         (36)216(2)0.93%...26
          (39)235(2)0.85%...27
           (40)252(2)0.79%...28
 (23)インド43()%...
  ( )
   (27)137(3)0.22%...
    (28)147(3)2.04%...⑬
     (28)167(4)2.40%...⑬
      (26)283(4)1.41%...⑮
       (24)341(5)1.47%...⑮
        (25)433(7)1.62%...⑭
         (29)434(9)2.07%...⑮
          (28)562(9)1.60%...⑰
           (28)649(13)2.00%...⑯
 (24)イスラエル39()%...
  (25)161(0)0.00%...
   (19)324( )%...
    (19)427( )%...
     (18)529( )%...
      (19)883(1)0.11%...29
       (19)945(1)0.11%...29
        (18)1,238(1)0.08%...29
         (22)1,238(1)0.08%...36
          (18)2,170(5)0.23%...36
           (20)2,369(5)0.21%...39
 (25)ブラジル25()%...
  (27)151(0)0.00%...
   (21)234( )%...
    (20)290(1)0.34%...23
     (20)428(4)0.93%...⑳
      (18)904(11)1.22%...⑱
       (17)1,128(18)1.60%...⑭
        (15)1,546(25)1.62%...⑯
         (16)1,891(25)1.32%...⑱
          (17)2,201(46)2.09%...⑮
           (18)2,433(57)2.34%...⑮
 (26)フィリピン20(1)5.00%...
  ( )
   (23)187(12)6.42%...
    (24)202(17)8.42%...①
     (24)217(17)7.83%...②
      (23)307(19)6.19%...④
       (23)380(25)6.58%...④
        (24)462(49)10.61%...①
         (31)380(33)8.68%...②
          (30)552(35)6.34%...⑤
           (29)636(38)5.97%...⑤
 (27)アルゼンチン12(1)8.33%...
  ( )
   (30)65(2)3.08%...
    (30)79(2)%...
     (31)97(3)3.09%...⑨
      (29)158(3)1.90%...⑬
       (28)225(4)1.78%...⑬
        (28)266(4)1.50%...⑮
         ( )
          (37)301(4)1.33%...23
           (37)387(6)1.55%...⑲
 ( )オランダ
  (12)804(10)1.24%...
   (11)1,413(24)1.70%
    (11)1,705(43)2.52%...⑩
     (11)2,051(58)2.83%...⑪
      (11)3,003(107)3.56%...⑨
       (11)3,640(137)5.19%...⑥
        (11)4,217(180)4.27%...⑧
         (12)4,764(214)4.49%...⑧
          (11)6,412(276)4.30%...⑨
           (11)6,439(357)5.54%...⑦
 ( )ベルギー
  (16)559(3)0.54%...
   (12)1,243(10)0.80%...
    (13)1,243(10)0.80%...⑳
     (13)1,795(21)1.17%...⑰
      (12)2,815(67)2.38%...⑫
       (12)3,401(75)2.21%...⑫
        (12)3,743(88)2.35%...⑬
         (13)3,743(88)2.35%...⑭
          (13)4,269(122)2.86%...⑫
           (13)4,937(178)3.61%...⑪
 ( )オーストリア
  (17)504(1)0.20%...
   (13)1,132(3)0.27%...
    (12)1,471(3)0.20%...25
     (12)1,843(5)0.27%...25
      (13)2,664(7)0.26%...26
       (13)3,026(9)0.30%...26
        (13)3,611(16)0.44%...24
         (11)4,876(25)0.51%...29
          (12)5,560(31)0.56%...30
           (12)5,888(34)0.58%...31
 ( )カタール
  (18)320(0)0.00%...
   (18)401()%...
    (18)442()%...
     (19)452()%...
      (20)470()%...
       (21)481()%...
        (23)494()%...
         ( )
          (31)526(0)0.00%...39
           (31)537(0)0.00%...40
 ( )トルコ( )%...
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        (19)1,236(30)2.43%...⑫
         (20)1,529(37)2.42%...⑬
          (19)1,872(44)2.35%...⑭
           (18)2,433(59)2.42%...⑭
 (17)クウェート62()%...
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         (38)191(0)0.00%...38
          (41)195(0)0.00%...39
           (41)208(0)0.00%...40
 (21)アラブ首長国連邦45()%...
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         (37)198(2)1.01%...25
          (38)248(2)0.81%...28
           (39)333(2)0.60%...30
 (28)マカオ10()%...
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         ()
          (42)30(0)0.00%...39
           (42)33(0)0.00%...40
 (29)メキシコ7()%...
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         (33)370(4)1.08%...21
          (35)370(4)1.08%...24
           (33)478(5)1.05%...23
 ( )ノルウェー( )%...
  (10)996(1)0.10%...
   ()
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        ()
         (14)2,371(8)0.34%...34
          (14)2,566(10)0.39%...33
           (15)2,916(12)0.41%...34
 ( )スウェーデン( )%...
  (11)814(1)0.12%...
   ()
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         (15)2,016(25)1.24%...⑲
          (16)2,272(36)1.58%...⑱
           (17)2,510(42)1.67%...⑱
 ( )デンマーク( )%...
  (13)804(0)0.00%...
   ()
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        ()
         (19)1,582(24)1.52%...⑯
          (22)1,717(32)1.86%...⑯
           (21)1,841(34)1.85%...⑰
 ( )ギリシャ( )%...
  (23)190(1)0.53%...
   ()
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       ()
        ()
         (27)695(17)2.45%...⑫
          (27)743(20)2.69%...⑬
           (27)821(22)2.68%...⑬
 ( )フィンランド( )%...
  (26)155(0)0.00%...
   ()
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       ()
        ()
         (26)700(1)0.14%...35
          (26)792(1)0.13%...38
           (26)880(3)0.34%...37
 ( )スロバキア( )%...
  (28)141(0)0.00%...
   ()
    ()
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       ()
        ()
         (38)191(0)0.00%...38
          (40)204(0)0.00%...39
           (32)528(4)0.76%...29
 ( )チェコ( )%...
  (28)141(0)0.00%...
   ()
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        ()
         (23)1,236(1)0.08%...37
          (23)1,394(3)0.22%...37
           (23)1,654(6)0.36%...36
 (参考)上段の上段は読売新聞2020年3月9日
     上段の中段は日本経済新聞3月15日
     上段の下段は読売新聞2020年3月18日
     中の上段は読売新聞2020年3月19日
     中の中は読売新聞2020年3月20日
     中の下は読売新聞2020年3月22日
     下段の上は読売新聞2020年3月23日
     下段の中は読売新聞2020年3月24日
     下段の下は日本経済新聞社インターネット2020年3月25日
     10段目は日経の同上の2020年3月26日
     11段目は日経の同上の2020年3月27日
    ・WHOおよび各政府発表データー
    ・感染者数(死亡者数)死亡率
    ・3月15日世界全体145,374(5.429)3,73%
    ・中国の( )は、4万3千人以上の陽性患者数を中国が
     理由を付けて少なくしたという情報がある・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
  


2020年03月24日

(増補版)685E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年1月~1898年1月)

題:(増補版)685E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年1月~1898年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1898年1月12日、第2次松方内閣が終了する。
  進歩党と提携して党首・大隈重信を外相に迎えて松隈
 (しょうわい)内閣と言われた第2次松方内閣は、伯爵の松
 方正義が第6代内閣総理大臣に任命され、1896年9月18日
 から1898年1月12日まで続いた。
  主なポストは薩摩閥が占めていた。
  大隈重信の主張を入れて言論・出版・集会の自由の尊
 重を掲げた。
  1896年11月に雑誌「二十六世紀」に宮内省が長州閥に
 支配されていると書き立てられ、その処分が問題化しも
 めた。
  日清戦争の償金をもとに金本位制度を採用した。
  その後、財源に窮して地租増徴案を提出して進歩党と
 対立し、大隈外相は辞任した。
  その後、野党連合の内閣不信任案にあい総辞職した。
.
1898年1月12日、第3次伊藤博文内閣が成立した。
  第3次伊藤内閣は、元老・伯爵の伊藤博文が第7代内閣
 総理大臣に任命され、1898年1月12日から1898年6月30日
 まで続いた。
  西園寺公望が文相となった。
  藩閥官僚を中心にして組閣がなされた。
  自由党と進歩党の両党の提携が失敗したが、その後、
 自由党との提携には成功した。
  しかし、1898年4月、自由党党首の板垣退助の入閣交渉
 が実現しなかったため、自由党は政府との提携を断絶し
 た。
  1898年5月からの第12議会に、日清戦争後の財源を安定
 させるため地租増税法案を提案したが、衆議院で自由・
 進歩両党を中心に圧倒的多数で否決された・・この反対
 を受けて議会を解散した。
  政府党を組織しようとしたが失敗し、自由・改進両党
 合同による憲政党の成立をまえにして総辞職した。
.
1898年1月12日、松方正義元勲優遇。
  国家に対して大きな勲功があったので元勲優遇の栄誉
 を受けた。
.
1898年1月12日、市町村立学校に学校医を置く旨が公布され
 た。
  1891年、文部省普通学務局は、我が国の学校衛生につ
 いての実態を把握しようと、文部省学校衛生事項取調嘱
 託の制度を設けた。
  次代を担う児童生徒の健康が国家的な観点から重視さ
 れ始めた。
  調査内容は、校舎、教室、校具、遊戯体操場などに関
 する設備衛生の調査、換気法、飲料水の適否、児童生徒
 の発育状況、疾病の状況・・全国的な調査で、統計資料
 も作成された。
  西洋資料の示唆を受けたが、独自に地道に行われた。
  ドイツ学校衛生のあり方が模範となった。
  これが、後の我が国の範となり端緒となった。
  1896年5月、勅令で学校衛生顧問会議の制度が発足し、
 12月に、第一回会議が開かれた。
  同時に、学校衛生主事が任命された。
  この会議の建議によって・・
  学生生徒身体検査規定(1897年3月)
  公立学校に学校医を置く(1898年1月21日)
  学校医職務規定(1898年2月26日)
  学校伝染病予防および消毒方法(1898年9月28日)
  未成年者喫煙禁止法(1900年3月7日)
  学齢未満児童就学禁止(1896年)
  柔術撃剣を体操術として生徒に課することの可否につ
 いて(1896年7月)
  近視予防の見地より教科書用の文字印刷等に関する標
 準の制定(1898年10月)・・などがある・・
  現在の学校保健に至るまでの基本的事項になった。
.
1898年1月13日、スパイ行為はなされたか?・・冤罪事件・・
 卑劣な人種差別・・
  エミール・ゾラが、ドレフュス事件に関する激しい弾
 劾文の公開質問状を掲載した("J'accuse")
  「私は弾劾する(わたしはだんがいする)」(フラン
 ス語: J'accuse )は、この日に発行された新聞「オーロ
 ール」に掲載された。
  公開質問状で、文豪のエミール・ゾラは、フランス大
 統領のフェリックス・フォールへ、政府の反ユダヤ主義
 や、スパイ容疑で終身懲役に処せられたフランス陸軍参
 謀本部将校アルフレド・ドレフュスの不法投獄を告発し
 た。
  裁判は誤っていると、重要証拠が不足していると指摘
 した・・
  これは大きな反響を呼んだ・・
  ゾラは告訴された・・そして・・
  1898年2月23日、名誉棄損で有罪判決となった・・
  ゾラは投獄されるのを逃れてイギリスに渡った・・
  ゾラがフランスへ戻ったのは、翌年・1899年6月だった。
  1896年11月に、「誤審:ドレフュス事件の真実}ベル
 ナール・ラザール著が出版され、ドレフュスの無実が表
 明されている。
  1894年、フランス参謀本部の砲兵長だったドレフュス
 が、ドイツ政府へ軍事機密情報を提供しているとされた。
  1896年に真犯人が現れたが、軍部がこれを隠匿した。
  ドレフュスは、フランス北東部アルザス地域の裕福な
 ユダヤ人家庭に生まれている。
  ドレフュスは終身流刑にされたが、軍部内で別の真犯
 人が居ることが分かったが、軍の威信と反ユダヤのため
 に、事件の真実が白日の下に公開されることは無かった。
  再審要求運動が家族・知人を中心にあったが、次第に
 拡大し、後の首相のG・クレマンソーらにも支持を受け
 た。
  世論は高まった・・様々な世論・・左翼、反ドレフュ
 ス派、右翼、対ドイツ愛国者、反ユダヤ人主義者、保守
 主義者などが形成された。
  1898年、事件に関わったH・アンリ大佐が文書の一部
 偽造を告白して自殺したため、再審が確実となった。
  1899年、ワルデック・ルソーの共和政防衛内閣が成立
 し、レンヌの軍法会議の再審で減刑された。
  しかし、依然、有罪だった・・大統領特赦で刑も免じ
 られ・・ドレフュスは釈放された。
  1903年、また、新たに有利な証拠が提出され、再審は
 確実となった。
  1906年7月、民事の破毀院(はきいん)はレンヌの判決
 を全面的に破棄した・・議会も復権法案を可決した。
  1906年7月22日、ドレフュスも正式に復権し無罪が確定
 した。
.
1898年頃、展望・・日露協商・・
  ロシアは領土を求め、不凍港を求め、ロシアは武力を
 背景に強引に南下して来た。
  日清戦争(~1895年4月17日)の後、下関条約(1895年
 4月17日、調印)から三国干渉(1895年4月23日)を経て
 日英同盟(1902年1月30日、調印)の締結にいたるまでの
 時期・・日露協商・・日本とロシアの間に結ばれた一連
 の協定・・
  三国干渉によって、満州への足場である遼東半島の還
 付を余儀なくされた日本を含め、満州から朝鮮にまで勢
 力を伸ばして来たロシアに、東アジアにある国々、およ
 び、この地域に関係するヨーロッパ列強諸国とアメリカ
 なども、そのロシアと厳しく関係することとなった・・
  日本も、この様なロシアと色々と安定策を模索し、講
 (こう)じることとなった・・
  朝鮮における日本とロシアの勢力関係を一時的に均衡
 にすべく、両国間に小村=ウェーバー覚書 (1896年5月14
 日、調印) 、山県=ロバノフ協定(1896年6月9日、調印)
 が取りかわされた。
  これによって中国・清および朝鮮における東アジアに
 おける両国間の対立は一時小康を保つかにみえた・・し
 かし・・
  1898年3月、ロシアは、旅順・大連の租借を得た・・租
 借に成功した。
  そしてまた、卑劣な事に秘密裏にロシアと韓国・朝鮮
 の間に「露韓合同条約」が締結され、韓国の財政権をロ
 シア人顧問アレクセーエフが掌握するに及んで、山県=
 ロバーノフ協定は空文化された。
  この強硬策は、韓国内の反感もかい、排露主義を胚胎
 させることとなり、その結果、ロシアは日露間に新たに
 西=ローゼン協定(1898年4月25日、調印)を結ばざるを
 えなくなった。
  (参考)アレクセーエフ:1843年~1917年、ロシアの
     軍人。提督。
     1899年、遼東半島のロシア租借地に関東府が設
     けられると、その守備隊および太平洋艦隊司令
     官に就任した。
      1900年義和団事変の際、鎮圧に従軍し、満州
     を占領した。その戦功により中将に昇進した。
      その後、対日強硬派の属し、中国だけでなく
     朝鮮も支配できると主張した。
      ニコライ2世も強硬派の影響を受け、朝鮮を手
     入れる価値があると考える様になる。
      1903年、大将に昇進、新たに創設された極東
     総督に任命された・・日本に対して敵視政策を
     採用した。
      1904年2月、日露戦争勃発と同時に極東ロシア
     陸海軍総司令官に任命されたが、沙河会戦の失
     敗ののち陸相 A.N.クロパトキンと交代、本国へ
     召喚された。
  西=ローゼン協定で、日露両国とも、韓国に対する内
 政不干渉、韓国政府より軍事教官や財政顧問派遣を要請
 されたときは相互に協議すること、朝鮮における日本の
 経済的地位の優越と日本・朝鮮間の商工業の発展を妨害し
 ないことをロシアが認め、承認することなどを規定した・・
  一方、日本は、ロシアの旅順、大連租借を黙認するこ
 ととなった。
  しかし、この協定も満州や朝鮮における両国の利害対
 立を解消するものとはならなかった・・
  1900年夏、北清事変に際し、ロシアは強硬な行動に出
 た・・満州全土を占領した・・
  この行為を境に、ロシアの無分別さに決別した日本は
 日英同盟の締結によるロシアとの対決へ傾いて行った。
  その後も日本国内では、伊藤博文、井上馨らが日露協
 商論を唱えた・・
  国論が二分した・・山県有朋らの日英同盟論と政策的
 に激しく対立した・・だが・・
  ・・日本の方向は・・ロシアの領土的侵略主義、武力
 侵攻を認めざる方向へ行く・・ロシアの排撃・・
  大局的に、英、米との提携を選択する立場が、結局、
 選ばれ・・日英同盟の締結にいたる。
.
  (今日の言葉)
.
  題:彼等(清国を指す)は頑迷不霊にして普通の道理を解せず、
    文明開化の進歩を見て之を悦ばざるのみか、反対に其進歩を
    妨げんとして無法にも我に反対の意を表したるが故に、
    止むを得ずして事の茲に及びたるのみ。(中略)
    幾千の清兵は何れも無辜(むこ)の人民にして
    之を鏖(みなごろし)にするは憐れむ可きが如くなれども、
    世界の文明進歩の為めに其妨害物を排除せんとするに
    多少の殺風景を演ずるは到底免れざるの数なれば、
    彼らも不幸にして清国の如き腐敗政府の下に生まれたる其
    運命の拙なきを自から諦むるの外なかる可し
.
1873年、ヨーロッパの不況(~1895年)
  1873年から1895年の22年間、中部ヨーロッパに不況が
 続いた。
  それは、北アメリカの小麦が、この地方に流入し、市
 場を圧倒し、また、過剰な生産設備が拡充されて工業の
 成長を停滞させたからだった。
.
1894年6月23日、日本が、やむなく中国・清へ絶交書を送っ
 た。
  いくら、中国・清国を説得しても駄目だった。
  また、朝鮮が、中国・清に地続きという事情があった
 とは言え、清の冊封体制下の支配を受け、干渉を受け、
 さらに、中国・清の朝鮮の関わりが大きくなり、日本へ
 の脅威が増す中、日本が朝鮮へ問えば「独立国としてあ
 りたい」と返事が来る。
  清は、自国に都合良く変え様とする朝鮮の状況・・
  その事について、日本が清へ朝鮮の状況を伴に改革し
 て行こうと提案しても拒否する清国だった。
  両国の軍事的衝突が次第に時間の問題と見られる様に
 なって行く。
  この様な状況の時の1894年7月16日、イギリスが、幕末
 以来の不平等条約を変える日英通商航海条約に合意して
 調印した。
  日本の懸案だった問題の一点が解決した。
  領事裁判権が廃止になるなどが取り決められた。
  (参考)日英通商航海条約:1894年7月16日に日本の駐
     英公使である青木周蔵と、イギリス外相キンバ
     ーリーによって調印された。
  この様な時、日本の代表的知識人の福沢諭吉は、以下
 の様に言う・・1894年7月29日「時事新報」・・
  「彼等(清国を指す)は頑迷不霊にして普通の道理を解
 せず、文明開化の進歩を見て之を悦ばざるのみか、反対
 に其進歩を妨げんとして無法にも我に反対の意を表した
 るが故に、止むを得ずして事の茲に及びたるのみ。
 (中略)幾千の清兵は何れも無辜(むこ)の人民にして
 之を鏖(みなごろし)にするは憐れむ可きが如くなれど
 も、世界の文明進歩の為めに其妨害物を排除せんとする
 に多少の殺風景を演ずるは到底免れざるの数なれば、彼
 らも不幸にして清国の如き腐敗政府の下に生まれたる其
 運命の拙なきを自から諦むるの外なかる可し」。
  おおよそ・・進歩を妨げるようなことを中国・清国側
  が行ない、また、行った・・だから、清国兵士には何
 の罪はないが、日本は文明の進歩のために清国と戦争す
 るのはやむを得ない選択になる・・と言っている。
  朝鮮の治安を、清国に依存させる様にしているなど清
 国へ批判をしている。
  (参考)日清戦争の宣戦布告の比較:1894年8月1日、
  清国ニ対スル宣戦ノ詔勅・・現代語訳・・
  天の助力を完全に保ってきた、万世一系の皇位を受け
 継いだ大日本帝国皇帝(明治天皇)は、忠実にして勇武
 なる汝ら、国民に示す。
  余は、ここに、清国に対して宣戦を布告する。
  余の政府関係者・官僚・役人のすべては、宜(よろし)
 く余の意志を体し、陸上にあっても海上にあっても、清
 国に対しては、交戦に従事し、それをもって国家の目的
 を達成するよう努力すべし。
  いやしくも国際法に抵触しない限り、各員、その立場
 と能力に応じて、あらゆる手段をつくして漏れ落ちると
 ころの無いように心を定めよ。
  余が深く考えるに、余の即位以来、二十有余年の間、
 文明開化を平和な治世のうちに求め、外国と事を構える
 ことは、極めてあってはならないことと信じ、政府に対
 して、常に友好国と友好関係を強くするよう努力させた。
  幸(さいわい)に、諸国との交際は、年をおうごとに
 親密さを加えてきた。
  どうして、予測できたであろうか。
  清国が、朝鮮事件によって、わが国に対し、隠すとこ
 ろのない友好関係にそむき、信義を失なわせる挙に出よ
 うとは。
  朝鮮は、帝国が、そのはじめより、導き誘って諸国の
 仲間となした一独立国である。
  しかし、清国は、ことあるごとに、自ら朝鮮を属国で
 あると主張し、陰に陽に朝鮮に内政干渉し、そこに内乱
 が起こるや、属国の危機を救うという口実で、朝鮮に対
 し出兵した。
  余は、明治十五年の済物浦条約により、朝鮮に兵を出
 して事変に備えさせ、更に朝鮮から戦乱を永久になくし、
 将来にわたって治安を保ち、それをもって東洋全域の平
 和を維持しようと欲し、まず清国に(朝鮮に関しては)
 協同で事にあたろうと告げたのだが、清国は態度を変え
 続け、さまざまないい訳をもうけて、この提案を拒んだ。
  帝国は、そのような情勢下で、朝鮮に対して、その悪
 政を改革し、国内では治安の基盤を堅くし、対外的には
 独立国の権利と義務を全うすることを勧め、朝鮮は、既
 にその勧めを肯定し受諾したのにもかかわらず、清国は
 終始、裏にいて、あらゆる方面から、その目的を妨害し、
 それどころか(外交上の)言を左右にしながら口実をも
 うけ、時間をかせぐ一方、(自国の)水陸の軍備を整え、
 それが整うや、ただちにその戦力をもって、(朝鮮征服
 の)欲望を達成しようとし、更に大軍を朝鮮半島に派兵
 し、我が海軍の艦を黄海に要撃し、(豊島沖海戦で日本
 海軍に敗れ)ほとんど壊滅の極となった。
  すなわち、清国の計略は、あきらかに朝鮮国の治安の
 責務をになうものとしての帝国を否定し、帝国が率先し
 て、独立諸国の列に加えた朝鮮の地位を、それらを明記
 した天津条約と共に、めくらましとごまかしの中に埋没
 させ、帝国の権利、利益に損害を与え、東洋の永続的な
 平和を保障できなくすることにある。
  これは疑いようがない。
  よくよく清国の為す所に関して、そのたくらみごとの
 ありかを深く洞察するならば、実に最初から(朝鮮はじ
 め東洋の)平和を犠牲にしてでも、その非常なる野望を
 遂げようとしていると言わざるをえない。
  事は既に、ここまできてしまったのである。
  余は、平和であることに終始し、それをもって、帝国
 の栄光を国内外にはっきりと顕現させることに専念して
 いるのではあるけれど、その一方で、公式に宣戦布告せ
 ざるをえない。
  汝ら、国民の忠実さと勇武さに寄り頼み、速(すみや
 か)に、この戦争に勝って、以前と同じ平和を恒久的に
 取り戻し、帝国の栄光を全うすることを決意する。
  (参考)
    清国政府の宣戦布告文:1894年8月1日、
  朝鮮ハ我大清ノ藩屏(ハンペイ:直轄の属領)タルコ
 ト二百余年、歳ニ職貢ヲ修メルハ中外共ニ知ル所タリ近
 ク十数年、
  該国時ニ内乱多ク朝廷ハ小ヲ宇ムヲ懐ト為シ、
  畳次兵ヲ派シテ前往勘定セシメ竝ニ員ヲ派シテ該国都
 城ニ駐紮セシメテ時ニ随ツテ保護セリ
  口語訳
  朝鮮は我々大清の属藩たること二百年あまり、年々朝
 貢をしていると内外に知れ渡って十数年。
  内乱が多いので、兵を派兵して平定し、また都城に駐
 屯させて保護している。
.
1897年、海上権力史論・・邦訳が出版される。
  アメリカ海軍大学校の戦史および戦略の教官・マハン
 の著書=「海上権力史論」が水交社により邦訳されて出
 版された。
  この本は、制海権と通商支配の保持が海上権力の目標
 とする考え方を示した・・艦隊決戦を制海権の柱とみる
 見方を示していた。
  これは、1907年から海軍大学校の教官だった佐藤鉄太
 郎により、日本では、すでに教えられていた。
  日露戦争時の東郷平八郎連合艦隊司令長官の作戦参謀
 の秋山真之もよく知るところだった。
.
1900年8月、ロシアは、義和団事件に乗じて南満州を占領し
 た・・ロシアはこの様な行為を良くする・・
  そして、アメリカが、中国の門戸開放宣言(1899年と
 1900年)をしていて、「門戸開放の流れにあるこの様な
 中国」で、ロシアは占領した南満州を門戸閉鎖した。
  また、ロシアは、1902年4月、中国・清と「満州還付に
 関する露清条約」を結び、「撤兵します」と約束をして
 おきながら、約束を守ろうとしないロシアだった。
  歴史の中で、ロシアという国は、この様に約束を破っ
 たり守らなかったりが非常に多い国・・
  まったく信用ができない国・・
.
1937年、紡績工場の女性寄宿労働者
  表記のように書くと何か堅苦しい(かたぐるしい)が
 当時、日本を支えていた主要な輸出品の生糸、その蚕の
 繭から糸を紡ぎ出す仕事をした女性の方たち・・企業戦
 士の方々・・
  当時の輸出の花形商品を作っていた女性方たち・・
  しかし、この女性の方々を最初に取り上げた作家が「
 女性哀史」と題名を付け、自虐的に非劇的に表現をした
 ところから誤解が生まれてしまった。
  トランジスターラジオなどで日本の輸出を支えていた
 時も若い女性の方たちだったが、工場の中に入って作っ
 てくれて日本の発展を支えてくれた。
  これと同じである・・女性哀史とネガティブにとらえ
 てイメージが作られ、始まったので生糸を紡ぐ女性たち
 に労働の締め付けなどがあったように「暗いイメージが
 作られた」・・小生も、その仕事をした女性に、直接、
 話を聞いているが、何もその様な虐げる根性の悪どい工
 場経営者なんて日本にはいない・・
  確かに、進んでいる今・現代よりも労働環境は時代を
 思わせるが、また、女工哀史も読んだが、ことさら悪く
 書いている小説だと言える・・
  蚕の蛹(さなぎ)の臭いは嫌だったとは聞いた・・そ
 の程度である・・
  当時のある女工の方が書いた文が以下・・
  「正門を出ると築山の植木の陰に男の子が四、五人い
 ました。
  社宅の子かなあ、元気のよさそうな子だなあと見てい
 ると同じ年頃の弟の顔を思い出しました。
  「こんにちわ」と声をかけますと私の顔を見るなり「
 や一い、紡績の豚、紡績の豚」とはやしたてました。
  そして、「親ぶたや」と言うとさあ一っと逃げていっ
 てしまいました。
  多分、私の袴姿を見て言い直したのでしょう。
  一瞬、私の浮き浮きした気分は消滅してしまいました。
  宝塚のむこうをはってこれから杭瀬の町を闊歩しよう
 と思っていたのに頭の血がすう一と下がっていくのが分
 かりました。
  (中略) が、紡績というものに対しての蔑視をもろに
 うけた私の心は深く傷つきました。
  この屈辱をかてにして寮生をこの蔑視から守らねば、
  という正義感のようなものがそのとき、私の身体じゅ
 うをかけめぐりました」
  これは東洋紡績の元従業員の回想の一部であり、彼女
 は昭和12年 (1937年) 2月、19歳で寄宿係として神崎工場
 に入社した。
  入社後まもないある日、来客接待の準備で杭瀬 (尼崎
 市小田地区) に出かけることになり、「はじめてつける
 袴がうれしくて、鏡の前をいったりきたり、似合うて、
 似合うてと誰れかれなく聞いて」、「どこかに出かけた
 い」弾む気持ちで工場の敷地から足を踏み出したとたん
 の出来事だった。
  (その2)
  フランスのストラスブール大学准教授、京都大学特任
 教授のサンドラ・シャール氏が「女工哀史を再考する」
 という本を書いた。
  その本の書評を加藤聖文氏(研究資料館准教授)が書か
 れた(読売新聞2020/3/15)
  表題に「人間らしい姿明らかに」とある。
  この表題の如く、今までの「女工哀史」のキーワード、
 そして、「逃げられれない悲惨さを背負い込んだ」「富
 国強兵を目指した大日本帝国の影」「苛酷な労働を強い
 られた貧しい農村出身の女工たち」のイメージはわずか
 な人たちの作った最初のイメージから始まったと説明し
 ている・・
  この様にして固有な特別なイメージが作られたと・・
  続く「ああ野麦峠」は、女工へのインタビューをした
 りして実像に迫り、ステレオタイプ化された女工像の見
 直しに迫った。
  (参考)ステレオタイプ:本来は同じ鋳型から打出さ
     れた多数のプレート (ステロ版) の意味である
     が、社会学や政治学の用語としては、一定の社
     会的現象について、ある集団内で共通に受入れ
     られている単純化された固定的な概念やイメー
     ジを表わすものとして用いられる。
      通常それは好悪とか善悪の感情を伴った「で
     きあい」の概念、あるいは「紋切り型」の態度
     というふうに訳される。
      ステレオタイプは、複雑な事象を簡単に説明
     するには役立つが、多くの場合、極度の単純化
     や歪曲化の危険を伴い、偏見や差別に連なるこ
     とになる。
      特に、支配者が、社会統制の手段としてそれ
     を意識的に操作する場合には、ナチスのユダヤ
     人に対する迫害運動、アメリカの「赤狩り」の
     ような、大きな社会的弊害を引起す。
  しかし、映画化がされると最初のイメージで作られ、
 実像から離れた悲劇性を強調したものになってしまった。
  このため実像から離れた「女工哀史」の本と映画の「
 ああ野麦峠」の作った悲劇が強調されたイメージが定着
 してしまった。
  歴史学において・・「残された多くの記録は、社会的
 強者によって作られたもので、社会的弱者が残した記録
 はほとんどない」・・と・・
  この女工たちも同様で、自らの体験を記録にする術(す
 べ)を持たなかった。
  著者は、フランスの社会史学の手法の応用と言葉に対
 する感性の鋭さでその実像に迫っている。
  「糸ひき歌」や元女工の聞き取り、文字にされない記
 録・・実像へ・・方言がちりばめられた女工たちの言葉・・
 女工たちの多様な人間らしい姿が明らかに・・
  女工哀史は感じられない書評に、やはり作られたイメ
 ージ、ある目的を持って作られたものと感じた。
  親孝行の娘たちが、それでも、それなりに青春の年頃
 の彼女たちに、あまり描かれない日々の楽しさはあった。
     ・
     ・
     ・
2020年3月12日、WHOは、新型コロナウイルスのパンデミ
 ックを宣言した。
  この犯人は中国である・・中国の武漢から流行が始ま
 ったのである。
  中国の武漢から流行し始めた新型コロナ・ウイルスの
 肺炎は、初期の中国での流行を押さえることに失敗し、
 世界へ流行し蔓延することになった。
  今日(2020年3月12日)の新聞は、世界保健機構(WHO)
 が「パンデミックを宣言した」と報じている。
  前のSARSの世界的流行も中国、そして、新型のイ
 ンフルエンザ流行の始まりも多くが中国。
  こんなに多くの悪性な病気の流行を起こす中国に何ら
 かの問題点がある・・直さねばならない。
.
2020年3月14日、「米軍が武漢にウイルスを持ち込んだ」と
 中国が言い出した。
  新型コロナウイルスと呼ばれる今回の肺炎球菌が、中
 国の武漢から流行(はや)りだした当初、中国・武漢市場
 で売られている様々な自然に居る野生生動を食するから
 だと言われた。
  動物から動物へと感染している病気(病原菌)が、動
 物から人間へ感染することが起き・・
  まだ、その段階で止まっていれば良いが、その時、恐
 れられたのが「人間から人間へ感染する様になる」こと
 だった。
  人間から人間への感染で病気が流行することが起きて
 しまうからだ。
  中国発の様々な新型インフルエンザの時も、中国の市
 場で売られている鶏(ニワトリ)が持つ新型のインフルエ
 ンザ・ウイルスだと言われた。
  このインフルエンザが流行して、ある年にはパンデミ
 ックになるのではないかと世の中は「はらはらした」。
  ワクチンが無いと騒がれがれた。
  医療関係者の様な重要な役割をしている人からワクチ
 ン投与をしようと言われた。
  そして、次は次世代を担う人たちだと言われた。
  老人は最後だと言われ、人間の重軽が人知れず語られ
 た。
  この時のこの様な新型のインフルエンザの大騒ぎも中
 国発だった。
  また、何度かの新型インフルエンザの流行も香港型や
 ソ連型などがあった。
  この度の肺炎球菌は、中国の武漢が流行発生地だとは
 っきりしている。
  武漢市の閉鎖が遅かったと言われた。
  そのため、新型肺炎球菌は世界へ飛び火して行った。
  この問題の重要性を気づいた中国人医師が公表すると、
 中国公権力は世間を騒がせたとして、この医師を拘束し
 た。
  そして、この事を中国は隠ぺいした・・公表を押さえ
 させた。
  一刻も早く公表し、かつ、一刻も早く早期の対応が大
 切なのにである・・放置させたため保菌者は、他人へ感
 染させ続けた。
  武漢市の1月の行事などで、皆と会食する場などで広ま
 ってしまった。
  これは大変だと中国の公権力が動き出した時は、完全
 に手遅れの遅い状態だった。
  新型コロナウイルスの肺炎球菌は、世界へと拡大の一
 途の状態となっていた。
  流行発生地の武漢の患者数はみるみる多数となって医
 療崩壊した。
  その事を報じるネットを、また、中国政府は抑え込ん
 だ・・隠そうとした・・秘密にしようとした。
  この様な段階になって、やっと・・中国・武漢市の閉
 鎖がなされた。
  流行拡大を始めた後だった。
  今、中国が、アメリカから武漢に来たグループが広げ
 たのだと言い出している。
  その根拠は説明されてない。
  中国は、当然、その大切な根拠を示して言うべきなの
 をその責任を果たしていない。
  言われなき責任を擦り付けられたアメリカは・・責任
 はお前だみたいなことを言われたアメリカは、当然、国
 の威信を掛けて抗議している。
  韓国の日本に対する「言われれ無き擦り付け発言」「
 根拠無き発言」の様に、アメリカは中国に濡れ衣を着せ
 られている。
  読売新聞(2020年3月14日)の報道では・・
  中国外務省の趙立堅(ジャオリ―ジェン)副報道局長
 が12日、自らのツイッターで、新型コロナウイルスは「
 米軍が武漢に持ち込んだ可能性がある」と主張した。
  中国政府がウイルスの発生源は「中国とは限らない」
 との立場を鮮明にしている中、趙氏の根拠不明な主張が
 波紋を呼んでいる。
  13日の定例記者会見には趙氏は姿を見せず、米メディ
 アなどが同僚の耿爽(グォンシュアン)福報道局長に、
 趙氏の主張の根拠や政府を代表した見解かどうかを問い
 ただした。
  耿氏は質問には直接答えず、「武漢ウイルス」と呼ぶ
 米政府高官らを非難した上で「ウイルスの発生源につい
 ては、中国は科学的かつ専門的な意見が必要と考える」
 との立場を繰り返した。
  中国本土ではツイッターは利用できないが、趙氏は2010
 年に開設したアカウントを駆使して国外からの中国批判
 に反論し、「戦う外交官」と呼ばれる。(以下略)
.
2020年3月17日、厚生労働省は、15ヶ所の新型コロナウイル
 スの感染拡大の原因を作ったクラスター(小規模な感染集
 団)を発表した。
  中国の武漢に発生し始まった今回の新型コロナウイル
 スの肺炎の伝染病は、この日本の15ヶ所のクラスターへ
 伝染され、日本の感染拡大が始まったのだった。
  経済的にこんなに打撃を与えられている新型コロナウ
 イルスの感染がこの様な限定されたヶ所から始まってい
 る。
  初期に、今、行っているレベルの行動を起こしていれ
 ば拡大を押さえる可能性が十分にあったと感じさせる。
  早期に、発生国からの入国規制や、15日間の経過観察
 の措置をとれば、日本の感染拡大は押さえられた。
  国内に入ってからでは遅い。
  いつも、この類いの伝染病は中国が発生国となって、
 無策で卑劣な再発が繰り返されている。
  これだけ繰り返したのなら、次回も中国発の迷惑伝染
 があると思わなければやらない。
  次回に同じ様なことが発生したら中国が何を言ようが
 「入国禁止措置をすぐ取るべきだ」。
  まったく無策な繰り返しを中国は行っている。
  東京オリンピック・パラリンピックも延期しなくては
 ならないだろう。
  日本の元自衛隊の将軍の提言・・
  コロナ対処に見る日本の欠陥
  2020年1月の春節(過去最高の訪日者)など中国から
 の旅行者の流入を止めず!(局地のみ)
  日本の各所(中国人旅行の痕跡大)に浸透を許して、
  3月、本格対処へ(ただし、要請で強制力なし)
  これが戦なら、水際で侵入を止めず、さらに全域に渡
 って敵の侵入を許した後、やっと全般作戦計画を発表す
 るという対処で・・緒戦で勝負あり!
  何を学ぶか!
  ①国境警備・緊急事態法もない欠陥国家!
  ②調整型危機管理の破綻!
  ③感染拡大は国防動員法による内部蜂起と同じ!
   中国頼みは致命的
  ④尖閣衝突でも局所しか防衛出動はかけない危惧
   (危機管理の中枢に自衛官経験者を)
.
2020年3月18日、感染源について米中が応酬する
  アメリカに責任転嫁する・・防疫努力を中傷する
  読売新聞によると・・
  米国のポンペオ国務長官と中国外交トップの楊潔篪(
 よう・けつち)共産党政治局員は16日、電話会談し、新
 型コロナウイルスに関する両国政府高官らの言動を巡っ
 て激しく非難し合った。
  米国務長官によると、ポンペオ氏は「中国が新型コロ
 ナウイルスの責任を米国に転嫁しようとしている」とし
 て、楊氏に「強い異議」を伝えた。さらに「今は偽情報
 や常識外れのうわさを流布させる時ではない」と強調し
 たという。
  中国政府は「ウイルスの感染源は特定できていない」
 との立場で、外務省報道官は、米軍が中国にウイルスを
 持ち込んだ可能性に言及した。
  米政府はこうした中国の態度に強く反発している。
  「武漢ウイルス」との言葉を使ってきたポンペオ氏に
 続き、トランプ大統領も16日のツイッターで「中国ウイ
 ルス」と表現した。
  一方、中国外務省の発表によると、会談で楊氏は「米
 側の一部は、中国側の防疫に向けた努力をいつも中傷し、
 中国に汚名を着せている。
  断固として反対し、強く非難する」と述べた上で、「
 米側は中国に対するいわれなき非難を即刻やめるべきだ」
 と主張した。
.
2020年3月22日、新型コロナによる世界各国・地域の感染者
 数(死亡者数・死亡率)
 (1)中国80,735(3,119)3.86%...③
  (1)80,973(3,193)3.94%...③
   (1)80,881(3,226)3.99%...④
    (1)80,894(3,237)4.00%...
     (1)80,928(3,245)4.01%...
      (1)81,008(3,255)4.02%...⑦
 (2)韓国7,478(54)0.72%...⑪
  (4)8,086(72)0.89%...⑪
   (5)8,320(84)1.01%...⑪
    (5)8,413(84)1.00%...
     (7)8,565(94)1.10%...
      (8)8,799(104)1.18%...⑲
 (3)イタリア7,375(366)4.96%...①
  (2)17,660(1.265)7.16%...①
   (2)27,980(2,158)7.71%...①
    (2)31,506(2,503)7.94%...
     (2)35,713(2,978)8.34%...①
      (2)47,021(4,032)8.57%...①
 (4)イラン7,161(237)3.31%...④
  (3)11,364(514)4.52%...②
   (3)16,169(988)6.11%...②
    (3)17,361(1,135)6.54%...
     (3)18,407(1,284)6.98%...③
      (4)20,610(1,556)7.55%...③
 (5)フランス1.126(19)1.69%...⑧
  (7)3,667(79)2.15%...⑦
   (6)6,633(148)2.23%...⑧
    (7)7,730(175)2.26%...
     (6)9,134(244)2.67%...
      (7)12,612(450)3.57%...⑧
 (6)ドイツ1,112( )...
  (6)3,675(8)0.22%...⑫
   (7)6,012(13)0.22%...⑭
    (6)8,198(12)0.15%...
     (5)10,999(20)0.18%...
      (6)16,662(47)0.28%...25
 (7)スペイン999(16)1.60%...⑨
  (5)5,232(133)2.54%...⑤
   (4)11,178(491)4.39%...③
    (4)13,716(588)4.29%...
     (4)17,147(767)4.47%...⑤
      (3)24,926(1,326)5.32%...⑤
 (8)アメリカ545(22)4,04%...②
  (8)2,174(47)2.16%...⑥
   (8)4,482(86)1.92%...⑨
    (8)5,881(107)1.82%...
     (8)8,317(147)1.77%...
      (5)17,962(239)1.33%...⑯
 (9)日本521(9)1.73%...⑦
  (15)725(21)2.90%...④
   (14)880(29)3.30%...⑥
    (14)918(31)3.38%...
     (14)961(33)3.43%...⑧
      (15)1,054(36)3.42%...⑩
 (10)スイス312(2)0.64%...⑫
  (9)1,139(11)0.97%...⑩
   (9)2,269(14)0.62%...⑫
    (9)2,269(19)0.84%...
     (9)3,438(33)0.96%...
      (9)6,133(56)0.91%...⑳
 (11)イギリス273(2)0.73%...⑩
  (14)801(8)1.00%...⑨
   (10)1,543(55)3.56%...⑤
    (10)1,950(60)3.08%...⑧
     (10)2,626(103)3.92%...⑦
      (10)3,983(177)4.44%...⑥
 (12)シンガポール160( )%...
  (20)200(0)0.00%...
   (20)266()%...
    (21)266()%...
     (21)345()%...
      (21)432(2)0.46%...23
 (13)マレーシア117( )%...
  (21)197(0)0.00%...
   (15)673(2)0.30%...⑬
    (15)790(2)0.25%...24
     (15)900(2)0.22%...26
      (14)1,183(8)0.68%...21
 (14)香港115(3)2.61%...⑥
  ()
   (25)162(4)2.47%...⑦
    (26)181(4)2.21%...⑫
     (26)208(4)1.92%...⑭
      (27)273(4)1.47%...⑭
 (15)オーストラリア92(3)3.26%...⑤
  (19)200(3)1.50%...⑧
   (16)452(5)1.11%...⑩
    (17)565(6)1.06%...⑯
     (16)692(6)0.87%...22
      (16)1,068(7)0.66%...22
 (16)バーレーン77()%...
  (24)189(0)%...
   (22)221(1)0.45%...
    (22)242(1)0.41%...22
     (23)256(1)0.39%...23
      (24)287(1)0.35%...24
 (17)カナダ62()%...
  (22)193(1)0.52%...
   (17)424(4)0.94%...
    (16)569(8)1.41%...⑮
     (17)690(9)1.30%...⑯
      (17)971(12)1.24%...⑰
 (17)クウェート62()%...
  ()
   ()
    ()
     ()
      ()
 (18)イラク55(6)10.91%...
  ()
   (28)124(10)8.06%...
    (27)154(11)7.14%...③
     (29)164(11)6.71%...④
      (28)208(17)8.17%...②
 (19)タイ50(1)2.00%...
  ()
   (24)177(1)0.56%...
    (23)212(1)0.47%...21
     (22)272(1)0.37%...24
      (22)411(1)0.24%...27
 (20)エジプト48()%...
  ()
   (25)166(4)2,41%...
    (25)196(6)3.06%...⑨
     (25)210(6)2.86%...⑩
      (25)285(8)2.81%...⑪
 (21)台湾45(1)2.22%...
  ()
   (29)77(1)1.30%...
    (29)100(1)1.00%...⑰
     (30)108(1)0.93%...⑳
      (30)153(2)0.13%...28
 (21)アラブ首長国連邦45()%...
  ()
   ()
    ()
     ()
      ()
 (23)インド43()%...
  ()
   (27)137(3)0.22%...
    (28)147(3)2.04%...⑬
     (28)167(4)2.40%...⑬
      (26)283(4)1.41%...⑮
 (24)イスラエル39()%...
  (25)161(0)0.00%...
   (19)324()%...
    (19)427()%...
     (18)529()%...
      (19)883(1)0.11%...29
 (25)ブラジル25()%...
  (27)151(0)0.00%...
   (21)234()%...
    (20)290(1)0.34%...23
     (20)428(4)0.93%...⑳
      (18)904(11)1.22%...⑱
 (26)フィリピン20(1)5.00%...
  ()
   (23)187(12)6.42%...
    (24)202(17)8.42%...①
     (24)217(17)7.83%...②
      (23)307(19)6.19%...④
 (27)アルゼンチン12(1)8.33%...
  ()
   (30)65(2)3.08%...
    (30)79(2)%...
     (31)97(3)3.09%...⑨
      (29)158(3)1.90%...⑬
 (28)マカオ10()%...
  ()
   ()
    ()
     ()
      ()
 (29)メキシコ7()%...
  ()
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()オランダ
  (12)804(10)1.24%...
   (11)1,413(24)1.70%
    (11)1,705(43)2.52%...⑩
     (11)2,051(58)2.83%...⑪
      (11)3,003(107)3.56%...⑨
 ()オーストリア
  (17)504(1)0.20%...
   (13)1,132(3)0.27%...
    (12)1,471(3)0.20%...25
     (12)1,843(5)0.27%...25
      (13)2,664(7)0.26%...26
 ()ベルギー
  (16)559(3)0.54%...
   (12)1,243(10)0.80%...
    (13)1,243(10)0.80%...⑳
     (13)1,795(21)1.17%...⑰
      (12)2,815(67)2.38%...⑫
 ()カタール
  (18)320(0)0.00%...
   (18)401()%...
    (18)442()%...
     (19)452()%...
      (20)470()%...
 ()ノルウェー( )%...
  (10)996(1)0.10%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()スウェーデン( )%...
  (11)814(1)0.12%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()デンマーク( )%...
  (13)804(0)0.00%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()ギリシャ( )%...
  (23)190(1)0.53%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()フィンランド( )%...
  (26)155(0)0.00%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()スロベニア( )%...
  (28)141(0)0.00%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 ()チェコ( )%...
  (28)141(0)0.00%...
   ()
    ()
     ()
      ()
 (参考)上段は読売新聞2020年3月9日
     中の上段は日本経済新聞3月15日
     中の中段は読売新聞2020年3月18日
     中の下段は読売新聞2020年3月19日
     下段の上は読売新聞2020年3月20日
     下段の下は読売新聞2020年3月22日
     WHOおよび各政府発表データー
     感染者数(死亡者数)死亡率
     3月15日世界全体145,374(5.429)3,73%
 (評)
  ・中国の感染者数が極端に多すぎる。
  ・台湾が少なくて素晴らしい。
  ・イラン、イタリア、韓国の感染者数の多のは中国人
   が多く入ったから・・日本の北海道・兵庫がこれ・・
   兵庫県はマスクを100万も中国へ送った。北海道は
   中国に多く土地を売り、多くの港が寄港の契約を
   している親中ぶり・・
  ・イタリア、イラン、スペイン、スイスの感染者の増
   加率が大きい。
  ・日本・シンガポールの感染者数の増加率は極端に低い
  ・イタリアの死亡率の増加が著しい。
  ・イランスペイン、日本の死亡率が増加傾向
  ・アメリカ、オーストラリアの死亡率が低下傾向
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
  


2020年03月21日

(増補版)684E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年1月~1898年1月)

題:(増補版)684E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年1月~1898年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1898年1月1日、大阪商船が、揚子江沿岸航路、上海~漢口
 線を開設した。
  日清汽船株式会社は、揚子江流域を中心に活動してい
 た現地企業で、1898年から1907年まで、上海~漢口線と
 上海~宜昌線を運営していた大阪商船を含め、日本郵船、
 湖南汽船、大東汽船から事業の委託が行われた。
  また、上海~漢口線などは政府が補助金を出して指定
 する「命令航路」だった。
  (参考)日清汽船会社:1907年3月25日に、海運業の競
     争回避のため国策で新設された会社。
      日本政府主導の長江航路一元化政策に基づき、
     日清戦争後から長江航路に進出していた大阪商
     船会社・日本郵船会社・湖南汽船会社・大東汽
     船会社の4社がそれぞれの航路を提供して設立し
     た汽船会社(資本金810万円)。
      設立には日本政府が関与し、年額80万円の補
     助金下付、逓信省管船局監理課長の社長就任な
     ど、国策会社としての性質が強かった。
      開設時には、既存の上海~蘇州間・上海~杭
     州間・上海~漢口間・蘇州~鎮江間・漢口~湘
     潭間などに加え、漢口~常往間・九江~南昌間・
     鎮江~清江間航路を開設した。
      当初は、上海~漢口間航路などで先発のイギ
     リス資本汽船会社であるバターフィールド・ス
     ワイア商会(太古洋行)、ジャーディン・マセ
     ソン商会(怡和洋行)、および、清国の招商局
     と激しい競争を展開したが、辛亥革命頃より優
     勢となり、第一次世界大戦期に業績を伸ばした。
      1918年には、大阪~漢口線、
      1920年には、上海~広東線、
      1922年には、四川航路(宜昌~重慶線)、
      1926年には、上海~天津線を開設。
      1928年の済南事件以後は、排日運動により業
     績が悪化。
      1937年7月の日中戦争勃発後は各航路が停止さ
     れた。
      因みに、この戦争にはアメリカも秘密裏に参
     戦していた。
      1939年8月5日には、日中間海運事業の統合の
     ため、東亜海運会社が日本政府指導下11社の共
     同出資により設立されると、資産・社員のすべ
     てを出資して海運業から撤退し、持株会社とな
     った。
.
1898年1月1日、葉煙草専売法が施行された。
  日清戦争後の財政的要請で施行された。
  葉たばこの密耕作や、横流しが横行し、目標の税収を
 得ることが出来なかった。
  その後、欧米のたばこ資本が国内のたばこ産業を独占
 するおそれが生じた。
  また、日露戦争の戦費を調達する必要があり、政府は、
 たばこの製造専売にふみ切った(1904年7月)
  経緯・・
  1876年、「煙草税則」で営業税と商品個々の印紙税の
   徴収を実施した。
  1883年、税則改正、
  1888年、税則改正、
  1898年、「葉煙草専売法」を施行して、税収入の増大
   を図った。
  1904年7月、「煙草専売法」により、原料葉たばこの買
   い上げから製造販売まで国の管理(製造専売)で行
   われることになった。
.
1898年1月1日、急行小荷物の取扱い
  山陽鉄道旅客列車による急行小荷物の取扱を開始し、
 主要駅到着の都度、即刻荷受人が配達の取扱を開始した。
.
1898年1月2日、中越鉄道の高岡駅~黒田駅間が開業し、高
 岡駅~城端駅間が全線開通した。
  城端線(じょうはなせん)が完成した。
  城端線は、散居村(さんきょそん)とチューリップ栽
 培で有名な砺波(となみ)平野を縦貫する地域輸送路線
 で、終点の城端駅からは世界遺産の白川郷・五箇山の合
 掌造り集落へのバス便がある。
.
1898年1月3日、アメリカの日本に対する威勢活動
  アメリカのアジア艦隊の旗艦・オリンピアが長崎に入
 港した。
  続いて、1月18日には横浜に入港する。
  これは、アメリカの威勢活動で、日本への威圧だった・・
  オリンピア:排水量5,586トン
   乗員:士官33名、兵員395名
   兵装:8インチ砲4門、
      40口径5インチ連射砲10門
      6ポンド砲4門
      1ポンド砲6門
      ガトリング砲4門
      18インチ魚雷発射管6門
   最大速力:20ノット(40km/h)
  この後、マニラ湾海戦をスペイン艦隊と戦う。
.
  (今日の言葉)
.
  題:フィリピンの独立戦士でフィリピンの初代大統領になったエミリオ・アギナルドは、
    部下のマリアノ・ポンセを日本に派遣した。
    日本にフィリピン独立維持のための戦いの助力を求めた。
    日本は、アジアの独立のために、これに答えて援軍を送る行動をした。
.
1895年7月、朝鮮の高宗や閔氏が、親露政策を採りだした。
  この3か月前の1895年4月23日に、三国干渉が起きてい
 た・・
  ロシアは、フランスとドイツの力を借りてまでして、
 三国干渉をして、ロシアの欲しい不凍港の旅順港と大連
 湾を持つ遼東半島を、日本から中国・清へ返還させた。
  そして、案の定、ロシアは、その3年後の1898年3月27
 日、その旅順港と大連湾を、中国から租借した。
  (ロシアの極東艦隊の不凍港の基地を持ちたいとして
 いた)
  また、日本とロシアは、1875年に、樺太千島交換条約
 を締結していた。
  すべての千島列島は日本の領土となっていた。
  これで、ますます、ロシアが、太平洋に出る海峡を失
 っていた・・ロシアは行動がとりにくくなっていた。
  この頃、イギリスも、ロシアと同じ様に極東に覇権を
 広げていて、ロシアと共に制海権を得ようと競っていた。
  この様な中で、海峡をコントロールするのは、日本が
 行なうという状況になっていた。
  日清戦争で勝利し、朝鮮を独立した国と中国に認めさ
 せた日本だったが、この朝鮮は、日本よりもこの様なロ
 シアに接近しようとしていた・・そして・・
  1895年7月、高宗や閔氏は、親露政策を採りだした。
  この前年・1894年10月、日本の特命全権公使の井上馨
 は、急進的な近代化の厳しい改革・朝鮮の内政改革(甲午
 改革)を提言していた。
  (1)宮中・府中の区別の導入
  (2)近代的官僚制採用と地方自治制導入
  (3)財政一元化、租税金納化、新式貨幣発行などの
    財政改革
  (4)諸身分の廃止、嫡庶子差別撤廃などの社会的改革
  (5)甲申事変後中断されていた留学生海外派遣を復活
    すること・・など・・
  近代的な法治国家を創出すること・・
  借款を供与して経済の活性化しようとした・・
  朝鮮開港以後、品質の悪い常平通宝などが発行され、
 通貨の混乱があった・・
  また、両班(りゃんばん、特権階級)に政治的・経済
 的・社会的支配力が集中していて近代化が阻害されてい
 た・・
  この両班の特権も廃止した(しかし、容易にこの特権
 は消滅しなかった・・今・現在でも、韓国・朝鮮には、
 この特権階級が残っている)・・
  王権の権力基盤を崩されるとも認識された・・
  この様な事があって、ロシア寄りとなった。
  この様な時に三国干渉が起こり、日本の威信が低下し
 ていたことも理由の一つ・・、
  日本と朝鮮の関係が低下して・・
  この様な経過から、1895年7月、朝鮮の高宗や閔氏が、
 親露政策を採りだした。
  日本は、関係強化をしたかった・・
  三国干渉から半年が過ぎた頃、1895年10月8日、朝鮮特
 派公使・三浦梧楼らは、大院君をかついで、高宗の妃・
 閔妃を排除しようとした・・乙未政変(いつびせいへん)
 乙未事変(いつびじへん)
  王宮に乱入したのは日本軍守備隊、領事館警察官、日
 本人壮士(大陸浪人)、朝鮮親衛隊、朝鮮訓練隊、朝鮮
 警務使らだった・・閔妃はこの者たちに暗殺されてしま
 った。
  ここに至るまでに、1894年3月28日、閔氏政権によって
 開化派の中心人物の金玉均が、閔妃の刺客の洪鐘宇の回
 転式拳銃で暗殺されていた。
  また、5月31日には、閔氏政権に不満を持つ農民が蜂起
 する甲午農民戦争が起きていた・・
  全州が農民たちに占領され・・統治能力を失っていた・・
  閔氏政権は宗主国の中国・清に軍の出動を依頼した・・
  鎮圧されて・・清の軍隊がそのまま朝鮮半島に駐留す
 ることになった・・日本の提案も受け入れられなかった。
  1895年10月10日、日本政府は、実情調査のため小村寿
 太郎外務省政務局長を京城に派遣した。
  三浦は、10月24日に、免官処分が下された・・
  小村が後任となった。
  三浦をはじめ事件に関与した容疑のある外交官、軍人
 らに帰朝命令が下された・・
  日本人民間人にも退韓が命ぜられた。
  軍人らの8人は、第五師団の軍法会議にかけられ、三浦
 ら48名は謀殺罪等で起訴された。
  朝鮮政府(金弘集政権)が、事件は朝鮮政府内部のも
 ので大院君に責任があるとし、その内容で決着をさせよ
 うとする朝鮮政府(金弘集政権)からの意向が日本へ伝
 えられた。
  事件発生時、京城領事館一等領事であった内田定槌は
 外務次官の原敬宛へ、事件関連の私信8通を送っていた・・
  閔妃を殺害したのは朝鮮人守備隊の陸軍少尉であるこ
 と(10月8日付)、
  「若し之を隠蔽せざるときは、我国の為め由々敷大事
 件と相成」ため事件への日本人の関与を隠蔽する工作を
 行っていること(10月11日付)を報告していた。
  史料に、高宗と純宗は殺害現場にいたことが記録され
 ている。
  高宗は、1906年、韓国統監代理・長谷川好道を謁見し
 た際、「我臣僚中不逞の徒」(私の部下の中に犯人が居
 た)と述べていた・・
  また、ロシア公使館から閔妃暗殺事件の容疑で特赦に
 なった趙羲淵(当時軍部大臣)、禹範善(訓錬隊第二大
 隊長)、李斗璜(訓錬隊第一大隊長)、李軫鎬(親衛第
 二大隊長)、李範来(訓錬隊副隊長)、権濚鎮(当時警
 務使)の6名ついて、「王妃を殺害した張本人である」と
 して処刑を勅命で命じている。
  実際の暗殺の首謀者や実行者は誰であったかについて
 は複数の学説が存在している。
.
1895年7月6日、李氏朝鮮の金弘集が、総理大臣を更迭され
 る。
  開化派の金弘集政権は、日本の支援を得て、甲午改革
 を進めていた。
  閔妃が、李範晋に命じて閔派内閣を組織し、金弘集等
 を暗殺する計画を立案した。
  1895年10月6日、閔派が、訓練隊の解散と武装解除を通
   告する。
  1895年10月8日、乙未事変
  1895年11月27日、李氏朝鮮の李範晋と李敏宏が、景福
   宮襲撃に関する諸般の準備開始する。
  1895年11月29日、午前1時頃 3発の号砲と共に一群の
   兵士(約兵士800人に刺客40人)は景福宮春生門前に
   押寄せ、開門を叫ぶ・・
  春生門の守備隊は、4小隊、中隊長李謙濟・小隊長李承
 奎・同李祖鉉・同権某 大隊長は李範来。
  暴徒の一手(約200人)、春生門の西側の北墻門に押寄
 せ、門扉を破壊して闖入する・・
  守備へは訓練兵5名→4名逃走、伍長は捕縛されるが 歩
 哨の兵6名他より暴徒は逃走。
  大隊長李範来(1隊)が北墻門より暴徒に説聞。
  臨時光化門の守備兵1小隊を春生門にむける。
  暴徒は退却し、隊長李道徹・中隊長南萬里・同李奎泓
 及び刺客4名、兵士5名を捕縛。
  (暴徒自から隊長・李道徹を捕えて投降)
  暴徒の別働隊は尚門外に集結。
  魚允中の説得で暴徒一同は其営舎に向て引きあげる。
  米国人「リゼンドル」「アンダーウード」「アツペン
 ゼイラ」「エビソン」「ニンステツド」「ダイ」等6人も
 宮殿に突入しようとピストルを出して威嚇するが、哨兵
 に拒絶される。
  米国人宣教師 「アンダーウード」「エビソン」は宮殿
 内に潜入する。
  高宗の前に出たアンダーウッド、引きあげる。
.
1896年6月、完全にロシアの手に落ちて行く中国・清と李氏
 朝鮮・・日本の瀬戸際までロシアが迫って来た
  1896年6月、ロシアと中国・清は秘密条約を結んだ。
  秘密にしたところがまったくおかしくて臭い。
  ロシアは、ニコライ二世の戴冠式に出席した李鴻章に
 莫大な賄賂を送った・・
  そして、その秘密の露清防敵相互援助条約(李・ロバノ
 フ密約)を結んだ。
  これで、中国国内にロシアの鉄道が好きに敷設でき・・
  ウラジオストクに通じる中東鉄道(東清鉄道)の敷設権
 も得た。
  1896年10月、東三省鉄道シベリア鉄道の接続が可能に・・
  1897年12月、ロシアは、旅順に軍艦を入港させて威圧
   しながら満蒙(満州、内モンゴル、蒙古)の鉄道敷設
   権、工業の独占権、黄海沿岸の港の祖者を清国に強
   要した。
  これで、日本がシュタインに指導を受けていた安全保
 障の危険ラインが崩れ・越えた・・そして・・
  1898年5月、ロシアは、旅順と大連を中国・清から租借
   した。
  ロシアは、満州を横断し旅順まで南下できるようにな
 った。
  そして、渤海湾のロシアの制海権を手に入れた。
  ここは、北京に至る死活的な重要な経路で、これを押
 さえた。
  そして、この年、韓国の高宗が親露政策を採りだした。
  ロシア軍人も派遣され、高宗には相談役名義のロシア
 軍人の顧問が付き、国王警備の名の下に高宗の周りには
 ロシア軍人が付き、韓国軍のロシア人教官も付き、露韓
 銀行も開設された・・経済の要を牛耳った・・
  日本の瀬戸際までロシアが迫って来た。
.
1898年、イギリスが、ロシアのえげつない行動を見ていて
 方針(政策)を転換した。
  ロシアは、利権や利益を、強力な武力を誇示しながら
 中国・清や李氏朝鮮・韓国に要求し、君臨して来た。
  しかし、世界には色々な勢力が居る・・ロシアの一人
 舞台ではなかった(1896年・東清鉄道敷設権、1898年・
 旅順・大連)
  1898年、イギリスは、このロシアを見て政策を転換し
 た。
  1895年、日本が日清戦争に勝って、朝鮮・韓国を独立
 国だと中国・清に認めさせ、講和条約にも書かせて、実
 行させたが・・
  これは朝鮮・韓国だけの問題だけではなく、東アジア
 の各国の中国の冊封体制が崩壊することにもつながり・・
  東アジア世界は、中国・清の冊封体制から国民国家シ
 ステムへと移行されて行った・・
  そして、列強各国は、意外と脆(もろ)くも敗れた「眠
 れる獅子と言われた中国・清」を見ていた。
  そして、ロシアが、えげつない態度を見せた・・
  そのロシアは、ただ経済上の利益を得るのではなく、
 鉱山採掘権・鉄道敷設権・港湾の租借、そして、他国へ
 利権を渡さない(均霑・きんてん)の約束など排他な利権
 を得ていた。
  このロシアを憎々しく見て、敏感に反応したのがイギ
 リスだった。
  イギリスは、多くの利益・利権を得ていたが、ロシア
 の刺激からイギリスは表だってロシアを牽制し、自らも
 利益・利権獲得を目指した。
  また、すでに、陸上で十二分な戦略的優位さを得てい
 るロシアが、更なる行動に出て、渤海湾の一港を得て、
 中国の首都への海上要路を制圧したことだった・・これ
 には大変な危機感を持った・・イギリスは黙過できない
 とした。
  ロシアに圧倒的な戦略的優位さが確立した事態が現出
 したことに対し、イギリスも対清政策を見直した。
  ロシアの渤海湾の勢力範囲の排他性を減ずる方向へ動
 いた。
  1898年、イギリスは、ロシアの租借した旅順・大連の
 反対側の山東半島の威海衛を租借し、イギリス東洋艦隊
 の基地とした。
  また、イギリスは、1898年1月、ビルマから長江に至る
 鉄道の敷設権・長江流域の他国への不割譲などの利権を
 得た。
  ドイツも一緒になって欲を出して、1898年3月、膠州湾・
 青島の租借、膠済鉄道敷設権・その沿線の鉱山採掘権を
 得た。
     ・
     ・
     ・
2020年3月20日、新型コロナによる世界各国・地域の感染者
 数(死亡者数・死亡率)
 (1)中国80,735(3,119)3.86%...③
  (1)80,973(3,193)3.94%...③
   (1)80,881(3,226)3.99%...④
    (1)80,894(3,237)4.00%...
     (1)80,928(3,245)4.01%...
 (2)韓国7,478(54)0.72%...⑪
  (4)8,086(72)0.89%...⑪
   (5)8,320(84)1.01%...⑪
    (5)8,413(84)1.00%...
     (7)8,565(94)1.10%...
 (3)イタリア7,375(366)4.96%...①
  (2)17,660(1.265)7.16%...①
   (2)27,980(2,158)7.71%...①
    (2)31,506(2,503)7.94%...
     (2)35,713(2,978)8.34%...①
 (4)イラン7,161(237)3.31%...④
  (3)11,364(514)4.52%...②
   (3)16,169(988)6.11%...②
    (3)17,361(1,135)6.54%...
     (3)18,407(1,284)6.98%...③
 (5)フランス1.126(19)1.69%...⑧
  (7)3,667(79)2.15%...⑦
   (6)6,633(148)2.23%...⑧
    (7)7,730(175)2.26%...
     (6)9,134(244)2.67%...
 (6)ドイツ1,112( )...
  (6)3,675(8)0.22%...⑫
   (7)6,012(13)0.22%...⑭
    (6)8,198(12)0.15%...
     (5)10,999(20)0.18%...
 (7)スペイン999(16)1.60%...⑨
  (5)5,232(133)2.54%...⑤
   (4)11,178(491)4.39%...③
    (4)13,716(588)4.29%...
     (4)17,147(767)4.47%...⑤
 (8)アメリカ545(22)4,04%...②
  (8)2,174(47)2.16%...⑥
   (8)4,482(86)1.92%...⑨
    (8)5,881(107)1.82%...
     (8)8,317(147)1.77%...
 (9)日本521(9)1.73%...⑦
  (15)725(21)2.90%...④
   (11)880(29)3.30%...⑥
    (14)918(31)3.38%...
     (14)961(33)3.43%...⑧
 (10)スイス312(2)0.64%...⑫
  (9)1,139(11)0.97%...⑩
   (9)2,269(14)0.62%...⑫
    (9)2,269(19)0.84%...
     (9)3,438(33)0.96%...
 (11)イギリス273(2)0.73%...⑩
  (14)801(8)1.00%...⑨
   (10)1,543(55)3.56%...⑤
    (10)1,950(60)3.08%...⑧
     (10)2,626(103)3.92%...⑦
  ☆オランダ1,413(24)1.70%
    (11)1,705(43)2.52%...⑩
     (11)2,051(58)2.83%...⑪
  ☆オーストリア1,132(3)0.27%
    (12)1,471(3)0.20%...25
     (12)1,843(5)0.27%...25
  ☆ベルギー1,243(10)0.80%
    (13)1,243(10)0.80%...⑳
     (13)1,795(21)1.17%...⑰
  ☆カタール401
    (18)442
     (19)452
  ☆イスラエル324
    (19)427
     (18)529
 (12)シンガポール160( )...
  (20)200(0)...
   (14)266
    (21)266
     (21)345
 (13)マレーシア117( )...
  (21)197(0)...
   (12)673(2)0.30%...⑬
    (15)790(2)0.25%...24
     (15)900(2)0.22%...26
 (14)香港115(3)2.61%...⑥
   (15)162(4)2.47%...⑦
    (26)181(4)2.21%...⑫
     (26)208(4)1.92%...⑭
 (15)オーストラリア92(3)3.26%...⑤
  (19)200(3)1.50%...⑧
   (13)452(5)1.11%...⑩
    (17)565(6)1.06%...⑯
     (16)692(6)0.87%...22
 (16)バーレーン77
  ☆バーレーン221(1)0.45%...
    (22)242(1)0.41%...22
     (23)256(1)0.39%...23
 (17)カナダ62
  ☆カナダ424(4)0.94%...
    (16)569(8)1.41%...⑮
     (17)690(9)1.30%...⑯
 (18)イラク55(6)10.91%...
☆イラク124(10)8.06%...
    (27)154(11)7.14%...③
     (28)164(11)6.71%...④
  ☆ブラジル234
    (20)290(1)0.34%...23
     (20)428(4)0.93%...⑳
  ☆タイ177(1)0.56%...
    (23)212(1)0.47%...21
     (22)272(1)0.37%...24
  ☆フィリピン187(12)6.42%...
    (24)202(17)8.42%...①
     (24)217(17)7.83%...②
  ☆エジプト166(4)2,41%...
    (25)196(6)3.06%...⑨
     (25)210(6)2.86%...⑩
  ☆インド137(3)0.22%...
    (28)147(3)2.04%...⑬
     (27)167(4)2.40%...⑬
  ☆台湾77(1)1.30%...
    (29)100(1)1.00%...⑰
     (29)108(1)0.93%...⑳
  ☆アルゼンチン65(2)3.08%...
     (30)97(3)3.09%...⑨
 (参考)上段は読売新聞2020年3月9日
     中の上段は日本経済新聞3月15日
     中の中段は読売新聞2020年3月18日
     中の下段は読売新聞2020年3月19日
     下段は読売新聞2020年3月20日
☆は3月18日
     WHOおよび各政府発表データー
     感染者数(死亡者数)死亡率
     3月15日世界全体145,374(5.429)3,73%
 (評)
  ・中国の感染者数が極端に多すぎる。
  ・イラン、イタリア、韓国の感染者数の多のは中国人
   が多く入ったから・・日本の北海道・兵庫がこれ・・
   兵庫県はマスクを100万も中国へ送った。北海道は
   中国に多く土地を売り、多くの港が寄港の契約を
   している親中ぶり・・
  ・イタリア、イラン、スペイン、スイスの感染者の増
   加率が大きい。
  ・日本・シンガポールの感染者数の増加率は極端に低い
  ・イタリアの死亡率の増加が著しい。
  ・イランスペイン、日本の死亡率が増加傾向
  ・アメリカ、オーストラリアの死亡率が低下傾向
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (添付ー1)
  日本を悪く言うが、日本はそんなに悪いことはしてい
 ない。
  日本より多く悪いことをした者たちが、「自分たちの
 悪さを隠そうと、日本を悪く言っている」。
  それだからこそ必死にプロパガンダしている。
  これに惑わされてはならない。
  今まで、これに惑わされて来た日本だった。
  だからこそ、本当のことを知らなければならない。  


2020年03月18日

(増補版)683E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年1月~1898年1月)

題:(増補版)683E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1898年1月~1898年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1898年、出来事:
・第二次松方内閣終了(~1月12日)
・第三次伊藤内閣成立(1月12日~6月30日)
  西園寺公望が、文相となる。
・第5回衆議院議員総選挙(3月15日)
・第一次大隈重信内閣成立(6月30日~10月31日)
  大隈重信を総理大臣、板垣退助を内務大臣とする憲政
 党内閣(隈板内閣)が成立。
・第6回衆議院議員総選挙(8月10日)
・第二次山縣有朋内閣成立(11月8日~1900年10月19日)
・家制度を中心とする明治「民法」の施行(7月16日)
  婚姻年齢は男17歳、女15歳以上
・慶喜公が、幕末以来はじめて参内して明治天皇陛下と皇
 后陛下に拝謁した。
・駐英公使の加藤高明が、日英の同盟の意見を具申した(
 3月26日)
・オーストリア皇后エリーザベトが暗殺された(9月10日)
・康有為が日本に亡命した(10月25日)
.
1898年、世界情勢
・ハバナ湾でアメリカ海軍の戦艦メイン号が爆発し沈没し
 た(2月15日)(米西戦争の一因)・・アメリカ国民の
 方々が反スペイン感情になる絶大なる効果があった(ア
 メリカの謀略という説がある)・・真珠湾と同じように
 国民世論を変える工作をした。
・米西戦争の宣言(4月25日)・・アメリカがフィリピンと
 グアムを領有する。
・米西戦争、マニラ湾海戦(5月1日)
・フィリピンの独立宣言(6月12日)
・アメリカがハワイを併合する(7月7日、マッキンリー大
 統領が議決案に署名した)
・米西戦争、アメリカ軍がプエルトリコに侵攻(7月25日)
・アメリカが、ウェーク島や米領サモアを新領土の植民地
 として手に入れた。
・アメリカでウィルミントン暴動、クーデター(11月10日)
・フランスが、中国から広州湾租借や雲南鉄道敷設権など
 を得た(4月10日)
・イギリスが威海衛と九竜を租借する(99年間の租借権を
 獲得)(6月9日)
・ファショダ事件・・イギリスとフランスがアフリカを取
 り合う経緯の中で起きた(7月10日)
・イギリスがバングラデシュのキク族の反乱を抑え込んだ、
 過酷な税金取立てと徴税がからむ抵抗の反乱。
・ドイツが膠州湾を租借した(2月)
・ロシアが旅順と大連を租借し(3月)、南満州鉄道敷設権
 を獲得する。
・ロシアが満州を占領した(9月23日)
・ロシア社会民主労働党が結成された。
・南イタリアで暴動が発生した。
.
1898年、海外貢献
・日本政府と韓国政府との間に京釜鉄道合同条約が締結さ
 れ、京釜鉄道建設へのみちが開かれた(9月8日)
.
1898年、SDGs活動
・下田歌子ら帝国婦人協会を発起した(11月)
・羽仁もと子が、報知新聞社に入社、『報知新聞』の編集
 者へ(初の女性記者)(12月1日)
.
1898年、データー
・全国銀行数:1,636
 資本金総額:3億3,474万4,230円に達する。
・紡績工場の数:72
.
1898年、物価
・兵士の副食費一日4銭5厘とは…(陸軍)
.
1898年、産業
・神戸港で生糸貿易が始まる(7月12日)
・三菱造船所で日本初の大型汽船「常陸丸」竣工(8月16日)
・豊田佐吉、動力織機の特許を取得(8月1日)
.
1898年、経済・金融
・大蔵省、東京市の卸売相場(25年分から)小売相場(26
 年分から)を毎月公表する(大正12年まで)(7月)
.
1898年、科学・発明・教育
・ピエール・キュリー、マリー・キュリー夫妻がラジウム
 の発見を発表(12月26日)
.
1898年、災害
・渡良瀬川が大洪水となる(9月6日)
.
1898年、交通
・大阪商船、揚子江沿岸航路、上海・漢口線を開設(1月1
 日)
・東海道線、横浜駅~大船駅間が複線開通(8月1日)
・蒸気機関車の燃料として重油を試用
・関西鉄道、客車内に電灯を設備(全国鉄道で最初)(1月)
・自動車がフランス人によって日本に持ち込まれた(1月)
.
1898年、論・文学・本・文化・報道
・正岡子規が「歌よみに与ふる書」を著す。
・勝海舟の「氷川清話」が刊行(10月)
・徳富蘆花、国民新聞に「不如帰」連載を開始(11月29日)
・佐佐木信綱ら短歌雑誌「こゝろの華」を創刊(2月)
・「神戸新聞」の創刊(2月11日)
・岡倉天心らが日本美術院を設立(10月15日)
・西郷隆盛銅像の除幕式(上野公園)(12月18日)
・後藤宙外「新著月刊」挿入の裸体画が告訴される(5月25
 日)(5・30無罪に)
・政府はなにを質問されても「ただいま調査中」ですます。
 便利な言葉だ(東朝)
・大阪歌舞伎座が開場した(2月12日)
・浅草パノラマ館が開館した(3月20日)
 上野パノラマ館が開館した(3月27日)
・三遊亭円朝、「累ヶ淵後日怪談」が真砂座で初演(3月)
・娘義太夫の豊竹呂昇が東京日本橋の宮松亭で初公演(9月
 1日)
.
1898年、スポーツ
・第1回水府流太田派対在留外国人競泳大会(8月13日)
・東京上野で初の国際自転車運動会(11月6日)

1898年、裁判・法
・民法全編施行(7月16日)
・軍艦外務令、艦船類別標準が定められる。
・市町村立学校に学校医を置く旨公布(1月12日)
・地租増徴法案が成立する。
・戸籍法公布(6月)
・葉煙草専売法が施行された(1月1日)
・男どうしの性行為は犯罪とみなす
.
1898年、その他
・長崎要塞の建設を始める(4月)
・片山潜、横山源之助らが貧民研究会を結成。
・美保関灯台点燈(11月)
・淀橋浄水場竣工。東京に初の近代水道(12月1日)
・アメリカ陸軍牛肉疑獄(8月1日)
.
  (今日の言葉)
.
  題:イギリスでは「白人の責務」、フランスでは「文明化の使命」、
    アメリカでは「マニフェスト・デスティニー」(明白な天命)
.
1444年、奴隷貿易の最初。
  初めて、黒人の方が、白人に奴隷貿易で連行される。
  ヨーロッパ中世において、古代以来の野蛮という観念
 が、キリスト教信仰という宗教の野蛮の観念と融合して
 『キリスト教徒でないものは野蛮人である』という観念
 に洗脳された。
  これが、ヨーロッパ人の野蛮観における一つの伝統と
 なった。
  大西洋側西アフリカ地域での奴隷貿易の開始期にあた
 る1444年、アフリカから黒人の方が奴隷として直接ポル
 トガルへ連行された。
  16世紀のヨーロッパでは、三角貿易に際して「黒人は
 生まれつき奴隷人種である」という主張がなされた。
  ヘーゲルは、「奴隷制度は、黒人たちのもとに人間的
 なものを呼び覚ましたくらいだ」と奴隷制を正当化さえ
 している。
     ・
     ・
1581年2月23日、『信長公紀』には、この日、イエズス会
 の巡察使ヴァリニャーノに随行していたアフリカ人が、
 信長に謁見したと記されている。
  日本の文献史上では、これがアフリカ人についての最
 初の記録。
  信長は、この黒人に差別的な感情は抱かなかった。
     ・
     ・
19世紀、この19世紀には、ヨーロッパ諸国とアメリカによ
 る、中近東、アフリカ、さらに、インドまでの西アジア
 における植民地分割は基本的に終了していた。
  それからは、手つかずに近かった東アジアへ略奪の矛
 先が向かって行った。
  この行為は、日本が中国を打ち崩した日清戦争後、さ
 らに激しくなった。
  新たな利益の地を求めていた列強各国の関心は、意外
 にもろくも崩れた中国がその矛先だと写り、完全に大西
 洋から太平洋へ移っていた。
  ここにロシアも、大きく、その存在を占めるようにな
 った。
  アメリカは、日露の動きを注意深く観察し、漁夫の利
 を得ようとした。
.
1872年、「アメリカの進歩」・・征服の正当化
  この年に描かれた絵で、アメリカ合衆国の西部への進
 出を「文明化」という名のもとに征服する姿を描いてい
 る。
  女神の右手には書物(キリスト教聖書)と電信線が抱えられ、背後には1869
 年に開通した大陸横断鉄道が描かれている。
  19世紀、欧米列強は、自分たちの植民地の卑劣な虐(
 いじ)め支配を、歪曲した言い方で正当化した。
  19世紀は、「重荷を担った白人」とか、「未開民族の
 啓蒙」とか・・という言葉で正当化し、この言葉が新聞
 紙面に踊った。
  20世紀になると「解放」とか、「後進地域の自決権と
 民主化を行なってあげた」となった。
  いずれの時も、自分たちの搾取の行為を、勝手に、ま
 た、都合のよい言葉で正当化し、自分たちの利益を非人
 道的行為で得ていた。
  そして、アメリカは、第二次世界大戦後、日本を「元
 の島国に戻すという方針の目的を持った」。
  また、アメリカは、中国をロシアの対抗勢力にしよう
 と考えた。
  アメリカの勝手な「やり方」だった。
  そして、世界および日本国内へ向かって「日本は、狂
 暴で貪欲だったからだ」と説明し、アメリカは正当だと
 宣伝し洗脳した。
  この思想は、イギリスでは「白人の責務」、フランス
 では「文明化の使命」、アメリカでは「マニフェスト・
 デスティニー」(明白な天命)などと呼んだ。
.
1895年4月17日、この日に日清戦争が終わったが、この後の
 1898年3月、ロシアは、日本に三国干渉をして遼東半島を
 返還させ・・ぬけぬけと、その遼東半島の南端の旅順と
 大連を手に入れ租借した。
  そして、ロシアは、そこにロシア艦隊を配備した。
  また、ウラジオストックにも巡洋艦4隻を配備した。
  日本が恐れていたこと「海においても制海権を奪おう
 というロシアの顔」が現れた。
  陸は、すでに、シベリア鉄道を敷き、また、中国から
 鉄道施設権を得て、威圧的な状況を作り出していた。
.
1895年、黄禍論の始まりだと言われる絵が、ドイツで描か
 れた。
  この絵は、ドイツ皇帝のヴィルヘルム二世が自ら下絵
 を描き、宮廷画家のヘルマン・クナックフスが仕上げ、
 ロシア皇帝のニコライ二世をはじめ各国元首へ送られた
 という唾棄すべき卑劣な軽蔑行為がなされた。
  これが、この後に広まっていく・・
  アメリカやオーストラリアを中心に、19世紀末から、
 「黄禍論(こうかろん)」が広まった。
  根にはキリスト教によって洗脳された「有色人種への
 蔑視観」の考え方があった。
  19世紀でさえ、ヨーロッパ諸国は邪悪な悪魔がアジア
 に住むと思わされていた。
  東方で唸りをあげる邪悪に対峙する様子を描いた絵が
 あった。
  ドイツは、ロシアのニコライ2世をたすけるため、日本
 をターゲットにして、日本の脅威を煽った。
  また、アメリカに警戒すべきはドイツではなく日本だ、
 白人種は共に日本に立ち向かうべきと言った。
  ドイツは、何種類ものプロパガンダのパンフレットを
 アメリカで配布した。
  1895年の作で、白人種に対する「黄色人種の脅威」を
 訴えるという絵画が発端だった・・
  1905年に、日露戦争で日本が勝利すると、黄禍論はア
 メリカで一気に起きた。
  軍事的というより、職を奪われるという経済的理由で
 広まった。
  同時に白人社会に対して野蛮な風習を持つアジア人と
 イメージされ支配されるとした。
  劣等人種のアジア人に白人が交わることも否定された。
  19世紀半ばから、中国人の移民によるコンフリクトが
 この背景にある。
  (参考)コンフリクト: 意見・感情・利害の衝突。争
     い。論争。対立。
  1850年代半ばのゴールドラッシュの時の中国人移民の
 カリフォルニアでスタートする。
  国家単位の中国人入国制限政策の登場は、オーストラ
 リアとニュージーランドで1881年(オーストラリアは1901
 年、移民制限法によって中国人移民を実質的に全面禁止)、
  カナダで1881年。
  1882年、アメリカの排華移民法(中国人排斥法)も、
 太平洋世界の白人多数は社会の中国人低廉労働者の大量
 流入への拒絶反応だった。
  そして、その後に日本人がターゲットになった。
  また、日露戦争後に、アメリカの帝国主義的利益を、
 直接推進する政治家や経済人のみならず、一般の市民レ
 ベルでも反日感情が高揚した。
  その底流には、白人支配体制を崩す「アジアの黄色人
 種の急速な台頭が恐怖だ」という、人種主義的脅威論が
 あった。
  具体的脅威としては、中国人の「大量移民による破壊」
 と、日露戦争に勝利した日本の「軍事力による破壊」で
 あった。
  日露戦争中、ロシアは、卑劣にも、黄禍論を使って反
 日宣伝を盛んに行なった。
  これが、ヨーロッパにも影響を与えた。
  しかし、日露戦争が終わると、その影響も消えた。
  しかし、アメリカでは、逆に、反日機運が高まった。
  サンフランシスコでは、白人と日系人の衝突が頻発し
 た。
  また、1913年には、カリフォルニア州議会が、日系人
 の土地所有を禁止する法律を作った。
  さらに、日本からアメリカへの移民をできなくした(
 排日移民法)
  この様な、日系人に対する差別と侮辱が、戦争の遠因
 として、はっきり存在した。
.
1928年、マザー・テレサ女史(18歳)がインドに赴いた。
  マザーテレサさん(1910年8月26日~1997年9月5日))
 は・・1946年(36歳)に、インドのカルカッタで、ヒン
 ズー教徒の方々が行っている『弱者救済の運動とその行
 動』の中に入って行って、ヒンズー教徒の方々と共に・・、
 弱者救済活動を始めた。
  インドの方々が行なっている「死を待つ人を救済する
 姿」、
  最貧民の方々への救済する姿を見ていて、手を貸した
 いと感じた。
  そのマザーテレサさんの行為が、そのことが、素晴ら
 しい業績となっていますが・・、
 (注):世間には・・キリスト教のプロパガンダ(嘘宣
   伝)だけが、あまりにも声高に叫ばれているため・・、
   真実が・・隠されています。
  初めて、この文を・・読まれた方は、驚かれたと思い
 ますが・・「真実は・・上記なのです」。
  キリスト教は、マザーテレサさんが、アメリカの映画
 に取り上げられ、脚光を浴びた事を知り・・、マザーテ
 レサさんに着目し・・キリスト教の「広告塔」にしまし
 た。
  そして、ヒンズー教の方たちを隠しました。
  ヒンズー教徒の方々は・・まったくと言ってよいほど、
 陰に隠れた状態に・・なってしまいました。
  それでも、インド政府は、マザーテレサさんを国葬に
 して・・マザーテレサさんを讃えました。
  そして・・、
  マザーテレサさんには、「別の業績」がありました・・、
  それは・・、
  「キリスト教の神は居ない」・・と、表明されたこと
 でした。
  マザーテレサさんは・・、キリスト教の神の存在に悩
 んでいました。キリスト教の神は居ない・・と、
  本国の色々な司祭などに・・長い期間、悩みを打ち明
 け続け・・、
  そして、相談をし続けていました。
  その事実は・・隠されていました・・が、
  また、彼女のこの悩みである「キリスト教の神の不存
 在」は、「彼女の死に至るまで」続きました。
  彼女は、死ぬまで、キリスト教の神は居ないと悩んで
 いました。
  このキリスト教の神が居ないという事実を、公表する
 事が彼女の希望であったのでしょう、このキリスト教に
 『不利な事実』・「真実」が公表されました、キリスト
 教の神は居ない・・と・・、
  このキリスト教の神は居ない・・神の死は・・
  今、アメリカに・・、
  「神の死の神学」という人々が居ます。
  この方たちは、キリスト教の『神の不存在を主張」し・・、
 成熟した現代社会・世界の人々は・・、それで十分やっ
 て行けるのだと言っています。
  『古代に発生したキリスト教』・・、
  その様な時代の、古代人とは・・現代人は違う・・と、
 主張する方たちです。
  そして、マザーテレサさんは思っていたと思います・・、
  「神が居ない」と言い続けて、公表に至ったことは・・、
  その行為が、「人類に貢献しうること」・・と、
  そう考えられて居られたから・・公表がなされました。
  また、『キリスト教の神の実在性を主張するそのもの
 が・・人類にとってよくないこと・・よくないもの』・・
 と、
  マザーテレサさんが、そう考えられているから・・、
  この様な、行動が取られたのだと言えます。
 (参考)神の死の神学:
  ニーチェの言葉である・・「神は死んだ」は・・、
  1960年代になり、公民権運動が盛んな時代のアメリカ
 の神学者たちも使うようになった。
  アメリカの神学者たちは・・現代社会において神は・・、
 人間に・・『リアルな存在ではない』・・という意味で、
 「神は死んでしまった」という意味で用いる。
 1957年に、アメリカの神学者ゲイブリル・ヴァハニアン
 は・・『神は死んだ』と題した著書を著した。
 ヴァニハンは・・その中で、無神論を・・『アメリカの
 大衆の生き方である』と、述べている。
  アメリカ人の神学者・トマス・アルタイザーは・・、
 エモリー大学で教えている間に、『神は死んだか?』を
 出版する。
  また、アメリカの神学者のウィリアム・ハミルトンが、
 異なった立場から・・、
 1961年に、著書『キリスト教の新しい本質』で・・、
 異なった視点の・・『神の死の神学』を展開した。
 そして、神が居ないと自覚する事で・・、
 人間の主体性が、そして、自律性が・・とりもどされ、
 前の時代の・・神に拘束された非人間性から・・脱却
 でき・・そして、人間らしさが取り戻せる・・と。
.
1941年12月8日、アメリカの論理・・
  アメリカの西部劇で、銃を使うのが大変上手な悪漢が、
 正義の民(銃などほとんどと言って持たない誠実に農業の
 耕作に勤(いそ)しむ農民)に対し、悪口を言いたい放題
 言って、誠実な農民の人格を傷付け、また、農民の愛す
 る家族や友人たちの立場まで傷付けて、誠実な農民を怒
 らせ、そして、先に銃に手をかけたところで、悪漢は、
 使い慣れた自分の銃を素早く抜き、誠実な農民を撃ち殺
 す・・そして、その悪漢は「正当防衛を主張」し、人を
 撃ち殺して起きながら、何も罪に問われない。
  この様な状況が、実際に、アメリカには存在した。
  この様なカラクリが、実際に、国際関係の国と国との
 関係でも起きた。
  それが、アメリカが「奇襲だ」とデッチあげた「日本
 の真珠湾攻撃」だった。
  幼稚なカラクリが行なわれた。
  奇襲でも何でもなかった・・
  奇襲に仕上げたのが「アメリカだった」。
  1週間も前に、ハワイの新聞には「日本が攻めてくるこ
 とが分かっていた記事が出ている」。
  アメリカは、日本の通信などのすべてを傍受していて
 知っていた。
  ルーズベルト大統領は、前日、親しい人に「明日、日
 本が攻めて来るよ」と言ったぐらいだった。
  日本艦隊に先行した日本の潜水艦(潜水艦は遅いので
 先にハワイに到達していた)・・その日本の潜水艦をア
 メリカは5隻も撃沈している・・これを秘密にした・・
 また、「あれは、鯨だ」と言った・・しかし、アメリカ
 は日本の潜水艦の乗組員を一人救助している・・鯨から
 日本の潜水艦の乗組員が出てくるわけはない。
  また、ハワイへ向かう日本の艦隊の無線も傍受してい
 て、逐一、日本艦隊の動きを察知していた・・まったく
 聞いてない振りをした・・このハワイへ向かう日本艦隊
 の海域をアメリカは「真空の海だ」と言った。
     ・
     ・
2012年11月14日、新日本製鐵情報漏洩事件
  新日本製鉄(現:新日鉄住金)が、ポスコ社等に対し
 て起こした裁判・・
  事件の概要・・
  新日本製鉄の有する電磁鋼板に関する技術を、韓国の
 鉄鋼最大手のポスコ社が不正に取得した。
  そして、これを使用したとして、不正競争防止法に基
 づき、上記技術を使用した電磁鋼板の製造販売差し止め
 と損害賠償(報道では約1,000億円)を求めた。
  ポスコ社とその日本法人に対して提訴した・・
  また、ポスコ社による上記技術の不正取得に関与した
 として、新日本製鉄の元社員に対しても、不正競争防止
 法に基づいて、損害賠償(報道では約800億円)を求めた。
  第1回の口頭弁論で・・被告であるポスコ社は全面的
 に争う構えをみせた・・
  報道では・・自社の技術を中国の鉄鋼大手である宝鋼
 集団に売ったとして、ポスコ社がその元社員を告訴した。
  その社員が、裁判にかけられた際、その社員が「流出
 させたのはポスコ社の技術ではなく、新日本製鉄の技術」
 と供述した。
  このことから、ポスコ社による新日本製鉄の技術の不
 正取得が発覚して、この裁判に至った。
  裁判にあたって、新日本製鉄は、裁判所からの証拠保
 全命令に基づいて、情報を流出させたとされる元社員宅
 から証拠書類を差し押さえるなど周到な準備をした・・
 そして、訴訟に踏み切った。
  この差し押さえで、どの程度、証拠が収集できたかは
 不明・・
  「民事事件」で元社員宅から証拠書類を差し押さえる
 というのはあまりない。
  「刑事事件」では、警察や検察が裁判所の令状に基づ
 いて、被疑者の自宅を捜索し、事件に関する証拠を差し
 押さえるということはよくあること。
  また、新日本製鉄は、ポスコ社だけでなく、情報を流
 出させた個人にも約800億円という高額の賠償を要求した。
  仮に、損害賠償が全額認められたとしても、個人が賠
 償するにはあまりにも負担が大きすぎ、実際に回収する
 ことは難しいが・・「他の社員への牽制」の意味が多分
 にあったと言える・・
  因みに・・原告である新日本製鉄と被告であるポスコ
 社は「業務提携関係」にある・・
  新日本製鉄の出版物にも・・
  「当社とPOSCOとは、2000年に戦略的提携契約を締結し
 て以降、研究開発・技術交流・原料調達等多くの分野で
 成果を上げており、現在も提携関係にあります。
  一方、個々の商品分野では互いに競争関係にあり、方
 向性電磁鋼板につきましては、これまで当社より、POSCO
 に対して、当社知的財産権を侵害している等として、警
 告及び請求等を行って参りましたが、問題解決の端緒が
 見えず、今回の提訴に至ったものです」・・とある。
  訴訟が長引けば、両社の業務提携関係にも何らかの影
 響が出ると考えられる。
  新日本製鉄にとって・・「会社にとって大事な技術の
 流出行為、そして、その技術の不正利用行為を許しては
 ならない」という思いが強かった。
  一般的に、技術流出事件は、相手方による技術流出行
 為等の立証は非常に難しいと言われている。
  メール等に履歴が残っていればはっきりするが・・
  相手にデータを渡した・・それをいつ、どこで、誰に、
 どのように渡したのか・・原告側が立証しなければなら
 ない・・かなり難しい・・
  「機密情報」・・重要な知的財産・・
  困難ではあるが・・知的財産を守るための努力の一環・・
.
2014年1月5日、座談の思想
  早稲田大学の鶴見太郎教授は、『座談の思想』という
 本を書かれた。
  その書評が、読売新聞の2014・1・5に載った。
  書評を書かれたのは、批評家の若松英輔氏・・
  「真実は書き記され得ない」というところがポイント・・
  キリスト教の聖書に、キリスト教は、『すべてが書か
 れている』と言うが、「いやいや、そんなもんじゃあり
 ませんよ」と、この本は言っている・・
  確かに、キリスト教自体も「言葉はロゴス」と言って
 いる・・が、
  そのロゴス、言葉にこそ神が居る・宿るのであるのな
 らば、ロゴスの言葉の中に神は居て、聖書の印刷された
 字面には居ないのだろう・・と、巷の話題となった・・、
  「真実は書き記され得ない所にある」
  「鍵となる言葉は、むしろ著作ではなく、座談の中に
 隠されている」・・と言う。
  だから、書かれた記録にだけ根拠を置く歴史観は疑問
 ・・という。
  そして、言う・・
  書くのは理性の働きだが、座談には感情が生々しく現
 れる・・と・・
  だから、感情の働きを見過ごした歴史は、剥製のよう
 な作りものになっている・・と・・
  これは、キリスト教聖書も同じ、キリスト教聖書も、
 作りものの剥製の様なもので、そこには、イエスの真の
 感情や・・伝えたいものは・・無い。
  そして言う。
  座談は、創造的であると、そして又、偶発的で生きて
 いると、座談は、他者と相まって、予測の出来ない展開
 へ進んで行き、他者の言葉が契機となって、話者が、今
 まで何を見て来たか、考えて来たかをより鮮明に自覚さ
 せ表出する・・という。
  驚くようなものが表出する事もある・・という・・、
  座談に誠実さがあり、繰り返し繰り返し、繰り返され
 れば、混迷を切り拓(ひら)く鍵が潜(ひそ)んでいる
 と・・いう。
  そして、沈思がともに大切という。
  そして、「感情と内省、中野重治の誠実」が秀逸とい
 う。
  時代の困難に対して、いつも誠実をもって抗(こう)
 したこの人物の軌跡を、今、考える事の意味は大きいと
 いう。
  そして、「歴史に潜む誠実を見い出す事が出来るのは、
 やはり現代の誠実なる精神だ」・・という言葉で・・結
 んでいる。
 つるみ・たろう=1965年、京都生まれ、。早稲田大教授。
 専門は日本近現代史。著書に「橋浦泰雄伝」など。
.
2020年2月13日、今、行なっているアメリカの暗号解読に
 よる情報収集の行為が・・明るみに・・犯罪なのか・・
  1970年代以降、アメリカとドイツが、暗号解読してい
 た。
  敵対国だけでなく同盟国の国レベルの情報を解読して
 いた。
  表題:スイス製暗号機、米CIAなどが細工 他国の
    機密を長年収集か=報道
  スイスの暗号機器メーカーを、アメリカとドイツの情
 報機関が、長年ひそかに所有し、このメーカーの機器を
 使用した国々の機密通信を、秘密裏に入手していた・・
 と、欧米メディアが11日報じた。
  スイスにあるクリプト社は、冷戦時代から2000年代ま
 で120カ国以上に暗号機器を供給した。
  スイス・クリプト社は、CX-52暗号機という製品を持っ
 ている。
  米中央情報局(CIA)とドイツ連邦情報局(BND)
 で働くスパイらは、同社の機器に仕掛けを施した・・そ
 して、各国の暗号を解読していた・・とされる。
  対象国には、イラン、インド、パキスタンなどが含ま
 れるという。
  アメリカ紙のワシントンポスト、ドイツ放送局のZD
 F、スイス放送局のSRFの3社は、CIAが、「世紀の
 情報クーデーター」と呼んでいた、過去の作戦に関する
 内部機密情報を入手した・・としている。
  1980年代、アメリカ情報職員が扱った外国の通信の約
 『4割』がクリプトの機器で暗号化されていた。
  同社は莫大な利益をあげ、それらはCIAとBNDに
 流れた。
  CIAは、「世紀の情報クーデーター」作戦について、
 「外国政府は、アメリカと西ドイツに相当な金を払いな
 がら、自らの極秘通信を少なくとも2つ(多くておそら
 く5つか6つ)の他国に読まれていた」と報告書に記し
 ていた。
  ワシントンポストによると、アメリカは、この作戦に
 より、イラン米大使館人質事件(1979年)の際、イラン
 当局の動きを監視することができた。
  また、フォークランド紛争(1982年)では、アルゼン
 チン軍の機密情報をイギリスに提供したという。
  一方、ロシアと中国は、クリプトの暗号機器を信用せ
 ず、使わなかった。
  2018年に、クリプトの一部を投資家が買収した後に設
 立されたスイスのクリプト・インターナショナルは、「
 CIAとBNDとも無関係」と表明。
  報道を受けて非常に困惑しているとした。
  スイス政府は、昨年11月に今回の件について通報を受
 けたと説明。
  調査担当者として、元連邦裁判官を指名したと述べた。
  クリプトの暗号機器は、ロシア人発明家のボリス・ハ
 ーゲリン氏がつくった小型暗号機が起源。
  同氏は、この小型機を、1940年代に、ナチス・ドイツ
 の占領下にあったノルウェーからアメリカに渡った際に
 つくった。
  戦地で使える小ささが支持され、米軍に約14万台を納
 入した。
  第2次世界大戦が終わると、ハーゲリン氏はスイスに移
 った。
  同氏の機器の進化は目覚しく、他国に対するスパイ活
 動ができなくなってしてしまうと、アメリカ政府が懸念
 したほどだった。
  アメリカの暗号解読の専門家ウィリアム・フリードマ
 ン氏は、ハーゲリン氏を説得。
  最新技術の機器は、アメリカが認めた国だけに販売さ
 れるようにした。
  それ以外の国々には、CIAが情報を入手できる、古
 いモデルが販売された。
  1970年代になると、アメリカとドイツがクリプトを買
 収。
  採用や技術開発、販売方針など、ほぼすべての企業活
 動を管理した。
  暗号機器に細工を施す諜報(ちょうほう)活動につい
 ては、疑惑が長年あったが、これまで証明されたことは
 なかった。
  スイス中に苦悶(くもん)のうめき声が広がっている。
  「私たちの評判はずたずたになった」とある政治ジャ
 ーナリストは嘆く。
  「私たちの中立性は欺まんだ」と別の人は書く。
  実際には、クリプト社の怪しい行為は何年もの間、う
 わさされていた。
  同社のスイス人社員らは、何らかの不正を疑っていた。
  スイス政府はずっと知っていた。
  同国政府は、CIAが細工していないクリプトの機器
 の供給を受けていた数少ない政府の1つだった。
  だが、面目を失う事態が世界的なメディアによって報
 じられ、痛みを感じている。
  今回の件は、スイスが払しょくに努めていた「スイス
 は正当な支払いを受ければ何でもする」というイメージ
 を想起させる。
  スイスの銀行は、かつて、独裁者たちが収奪した巨額
 の金を取り扱っていた。
  巨大な規模の脱税にも目をつぶっていた。
  それは、過去の遺物のはずだった。
  しかし、今回、スイス自慢の精密機器の分野も、お粗
 末なものとみられている。
  CIAがクリプトを利用したのは、まさにスイスの中
 立性と品質の定評が理由だった。
  世界中の政府関係者は、そうした定評があるがゆえに、
 同社の機器を購入するだろうと考えた。
  スイスは、金を手にし、問題のある機器を販売した。
  そして、いま、皆が知ることとなった。
  (参考:https://www.bbc.com/japanese/51470849
.
2020年2月22日、疫病と蝗害…聖書的な災いが現実に:狂気
 的な数千億のイナゴの大発生による被害範囲がアフリカ、
 中東から中国までの20カ国以上に拡大・・
  国連は6月までにイナゴの数が「現在の500倍に膨れあ
 がる可能性」を警告・・
.
2020年2月25日、バッタ大量発生、数千万人に食料危機の恐
 れ、東アフリカ・・
  作物を食い荒らす被害が急速に深刻化、春に迫る「最
 悪の大量発生」
  今、東アフリカでバッタの大量発生による被害「蝗害
 (こうがい)」が広がり、数千万人の食料供給が脅かさ
 れている。
  ひとつの都市を覆い尽くすほどに広がったバッタの群
 れが作物や牧草地に襲いかかり、ものの数時間ですべて
 を食い尽くしている。
  バッタの大量発生は、東アフリカでこれまでに7カ国に
 拡大した。
  近年にない規模だ。
  このバッタはサバクトビバッタという。
  アフリカと中東の乾燥した地域に生息していて、大雨
 が降って植物が繁茂すると大発生する。
  東アフリカとアラビア半島では、過去2年間でサイクロ
 ンに複数回見舞われるなど、異常に雨の多い天気が続い
 た。
  専門家は、この天気が蝗害の主な原因とみる。
  このところ嵐が増えているのは、近年顕著になってき
 た「インド洋ダイポールモード現象(IOD)」と関連して
 いるという。
  これはインド洋の東部と西部で海水温の差が生じる現
 象で、オーストラリア東部に大きな被害をもたらした森
 林火災とも関連する。
  一部の専門家は、今回の蝗害はこれから起こる大きな
 変化の前触れかもしれないと指摘する。
  海面温度の上昇は嵐のエネルギーを高め、気候変動は
 今回の蝗害を引き起こしたような海洋循環パターンを定
 着させるからだ。
  「サイクロンの多い年が続けば、『アフリカの角』と
 呼ばれる北東部での蝗害の発生数も増加するでしょう」
 と言うのは、国連食糧農業機関(FAO)の上級蝗害予報官
 であるキース・クレスマン氏・・
  バッタはどのように増えるのか?
  クレスマン氏によると、サバクトビバッタの大量発生
 のきっかけは2018年5月のサイクロン「メクヌ」だった。
  このサイクロンはアラビア半島南部の広大なルブアル
 ハリ砂漠に雨を降らせ、砂丘の間に多くの一時的な湖を
 出現させた。
  こうした場所でサバクトビバッタがさかんに繁殖して
 最初の大発生が起きたと見られる。
  同年10月にはアラビア海中部でサイクロン「ルバン」
 が発生して西に進み、同じ地域のイエメンとオマーンの
 国境付近に雨を降らせた。
  サバクトビバッタの寿命は約3カ月で、その間に繁殖す
 る。
  繁殖の条件がよければ、次の世代のバッタは20倍にも
 増える。
  つまり、サバクトビバッタは短期間のうちに急激に増
 加するのだ。
  2018年の2つのサイクロンによって、わずか9カ月の間
 に大発生が3度起こり、アラビア半島に生息するバッタは
 ざっと8000倍に増えた。
  増えすぎたバッタの群れは移動を始めた。
  2019年の夏までに、それは紅海とアデン湾を飛び越え
 てエチオピアとソマリアに渡り、その後、もう一度繁殖
 したとクレスマン氏は言う。
  不運はこれで終わらなかった。
  2019年10月に東アフリカの広い範囲で激しい雨が降り、
 さらに12月には季節外れのサイクロンがソマリアに上陸
 した。
  おかげでバッタはさらに繁殖した。
  バッタの群れは繁殖を続けながら新たな土地に襲いか
 かっていった。
  12月末には最初の群れがケニアに到達・・
  猛スピードで北部から中央部へと移動していった。
  2020年の1月にはケニアで過去70年で最悪の規模の蝗害
 が発生した。
  ジブチとエリトリアでも蝗害が始まり、2月9日にはウ
 ガンダ北東部とタンザニア北部にバッタが到達しはじめ
 た。
  (参考記事:「トビバッタの大群がエジプトに来襲」)
  迫りくる「壊滅的な打撃」
  最悪の大量発生はこれから起こるのかもしれない。
  秋に雨が降ったことで少なくとも2つの世代のバッタが
 大発生できるようになり、「当然のことながら非常に危
 険な状況を引き起こす」からだとクレスマン氏は言う。
  氏は、今年6月にはサバクトビバッタの個体数が現在の
 400倍に増え、もともと飢饉に脅かされているこの地域の
 作物や牧草地に壊滅的な打撃をもたらすおそれがあると
 危惧する。
  FAOによると、現在、ジブチ、エリトリア、エチオピア、
 ケニア、ソマリアの1300万人が「きわめて深刻な食料不
 足」に陥っていて、さらに2000万人がその一歩手前の状
 況にあるという。
  「タイミングが問題なのです」とクレスマン氏は言う。
  東アフリカでは、ほとんどの作物は最初の雨期である
 3月か4月に植えつけられる。
  「雨期が始まり、農夫が作物を植えようとする時期が、
 新しい世代のバッタが発生する時期と一致してしまうの
 です」
  アラビア半島でのバッタの繁殖を促した2018年の2つの
 サイクロンは、どちらも異例のものだった。
  NASAが説明しているように、アラビア海では数年にわ
 たりサイクロンが1つも発生しないことも珍しくない。
  2018年が嵐の多い年だったとすると、2019年は、北イ
 ンド洋にサイクロンが存在していた日数や、サイクロン
 の「熱帯低気圧積算エネルギー(ACE:台風の活動度の指
 標)」が過去最大を記録するなど、多くの新記録が出た
 極端な年だった。
  めったにない12月の嵐は、そうした極端な兆候の1つに
 すぎない。
  近年の(特に2019年の)嵐と関連が深い出来事が、イ
 ンド洋ダイポールモード現象だ。
  これには、インド洋の東と西のどちら側の海水温が高
 くなるかで、負と正の現象がある。
  負のダイポールモード現象では、偏西風が暖かい海水
 をオーストラリア付近まで押しやり、インド洋の東側で
 あるオーストラリア南部の雨量を増やす。
  対して、正のダイポールモード現象では偏西風が弱ま
 るため、東アフリカ付近の海水温が高くなり、降水量が
 増える。
  オーストラリア連邦科学産業研究機構(CSIRO)の気候
 科学者ウェンジュ・カイ氏によると、2018年の秋には正
 のインド洋ダイポールモード現象が発生していたという。
  その後、数カ月にわたりやや負になっていたが、それ
 から急激に正になり、2019年の秋には1870年以来2番目の
 強さになった。
  最近の東アフリカとオーストラリアの状況は、それか
 ら予想されるとおりのものだった。
  「アラビア半島に大雨をもたらした異常に活発なサイ
 クロン・シーズンは、強い正のインド洋ダイポールモー
 ド現象によって誘発されました。
  オーストラリアで記録的な干ばつになった原因も同じ
 です」と、商用気象サービス「ウェザー・アンダーグラ
 ウンド」の気象学者ボブ・ヘンソン氏は説明する。
  「もっと早くから行動するべきでした」
  最近の研究は、地球が温暖化すると、このパターンが
 一般化してくると指摘している。
  カイ氏の研究チームによる2014年の論文は、炭素排出
 量が最悪のシナリオをたどった場合、今世紀末には極端
 に強い正のインド洋ダイポールモード現象の頻度が3倍近
 くまで増加すると予想している。
  これに続く2018年の論文では、地球温暖化を1.5℃以内
 にとどめられたとしても(世界はこの目標値を10年以内
 に超えてしまうおそれがある)、その頻度は2倍に増える
 としている。
  カイ氏によると、インド洋ダイポールモード現象が全
 体としてすでに正の方に向かっている証拠があるという。
  そのせいで蝗害が増えるかどうかはまだわからないが、
 可能性はある。
  ダイポールモード現象のような海洋循環パターンを考
 えなくても、気候変動により各地の海水温は上昇してお
 り、豪雨の頻度が増えると予想される。
  最近の研究から、地球温暖化によりアラビア海の秋の
 サイクロンの威力がすでに増していることが指摘されて
 いる。
  同時に、気候変動を東アフリカ全域の干ばつや少雨と
 結びつけ、より不確かな将来像を描き出し、今よりも危
 険になることはほぼ確実だとする研究もある。
  東アフリカの気候がどの方向に進むかはまだわからな
 いが、蝗害を食い止めるために支援機関は緊急支援を行
 っている。
  この1月にはFAOが国際社会に対し、蝗害に苦しむ5カ国
 のバッタの駆除と農民・牧畜民の援助のために7600万ド
 ル(約85億円)の緊急支援を呼びかけた。
  クレスマン氏は、資金は集まるだろうと見ているが、
 行動のタイミングを心配している。
  バッタは繁殖を続けていて、ただちにもっと積極的な
 駆除を行わないと、必要な支援は格段に大きくなるおそ
 れがある。
  「基本的に、もっと早くから行動するべきでした」と
 クレスマン氏は言う。
.
2020年3月15日、新型コロナによる世界各国・地域の感染者
 数(死亡者数・死亡率)
 (1)中国80,735(3,119)3.86%...③
  (1)80,973(3,193)3.94%...③
 (2)韓国7,478(54)0.72%...⑪
  (4)8,086(72)0,89%...⑪
 (3)イタリア7,375(366)4.96%...①
  (2)17,660(1.265)7.16%...①
 (4)イラン7,161(237)3.31%...④
  (3)11,364(514)4.52%...②
 (5)フランス1.126(19)1,69%...⑧
  (7)3,667(79)2.15%...⑦
 (6)ドイツ1,112( )...
  (6)3,675(8)0.22%...⑫
 (7)スペイン999(16)1.60%...⑨
  (5)5,232(133)2.54%...⑤
 (8)アメリカ545(22)4,04%...②
  (8)2,174(47)2.16%...⑥
 (9)日本521(9)1.73%...⑦
  (15)725(21)2.90%...④
 (10)スイス312(2)0.64%...⑫
  (9)1,139(11)0.97%...⑩
 (11)イギリス273(2)0.73%...⑩
  (14)801(8)1.00%...⑨
 (12)シンガポール160( )...
  (20)200(0)...
 (13)マレーシア117( )...
  (21)197(0)...
 (14)香港115(3)2.61%...⑥
  ()
 (15)オーストラリア92(3)3.26%...⑤
  (19)200(3)1.50%...⑧
 (参考)上段は読売新聞2020年3月9日
     下段は日本経済新聞3月15日
     WHOおよび各政府発表データー
     感染者数(死亡者数)死亡率
     3月15日世界全体145,374(5.429)3,73%
 (評)
  ・中国の感染者数が極端に多すぎる
  ・イタリア、イラン、スペイン、スイスの感染者の増
   加率が大きい
  ・日本・シンガポールの感染者数の増加率は極端に低い
  ・イタリアの死亡率の増加が著しい
  ・イランスペイン、日本の死亡率が増加傾向
  ・アメリカ、オーストラリアの死亡率が低下傾向
 ..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
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2020年03月11日

(増補版)682E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年12月~1897年12月)

題:(増補版)682E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年12月~1897年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年12月18日、鉄道作業局長官に松本荘一郎が就任した。
  松本荘一郎(1848年~1903年)は、日本で最初の工学
 博士と言われている。
  東海道線や信越線を作るなど、各地の鉄道工事の中心
 的な役割を果たし、日本の鉄道の発展に尽くした人。
  1848年6月23日、播磨国神東郡粟賀村(現:兵庫県神崎
   郡神河町)に生まれた。
  1868年(20歳)箕作麟祥を師事し、塾に入り、三秀才
   と称された。
   大垣藩(岐阜県)藩士への推薦を受けて、同藩に出仕
   する・・のち、大学南校に入る。
  (参考)箕作麟祥:みつくりりんしょう、洋学者、法
     学者。
      生れた年に父・省吾が他界、祖父・箕作阮甫
     に養育され、洋学を祖父について習得。
      1863年、祖父の死にあい嫡孫として跡を継ぎ、
     幕臣に列せられた。
      1867年、徳川民部大輔に随行してフランスに
     渡り、フランス語を修得、
      1868年の翌年、帰朝。
      後、明治政府の一等訳官に任じられた。
      以後、元老院議官、司法次官、
      1889年、貴族院議員、法典調査会主査などを
     経て・・
      1891年、行政裁判所長官。
      その業績としては、フランス諸法典の翻訳、
     旧民法、商法の編纂事業などがあげられる。
      主著:『仏蘭西法律書』
  (参考)大学南校:文部省(文部科学省)の前身であ
     るとともに東京大学の源流諸機関の一つとされ、
     特に「大学南校」は東大法・理・文3学部の、
     「大学東校」は同医学部の前身となっているが、
     両校を完全に統合して単一の「大学」とする構
     想は、1877年の(旧)東京大学発足によっても
     果たされず、1881年の東大の組織改革によって
     ようやく実現したとみられている。
  1870年(22歳)アメリカ留学を命じられ、7年間、土木
   工学を学ぶ。
  1876年(28歳)帰国して、東京府御用掛として土木事
   務を担当し、東京大学工学科教授も務める。
  1879年(31歳)開拓使御用掛となり、炭鉱開掘、鉄道
   敷設、道路改正、市街整頓、石狩川河口改良などの
   事業を手掛け、開拓使廃止後も工部権大技長、農務
   権大技長として引き続き北海道の開拓を進めた。
  1884年(36歳)東京に戻って、全国の鉄道敷設計画を
   担当し、工部大技長・鉄道一等技師、鉄道庁部長、
   逓信省鉄道技監
  1888年(40歳)工学博士となる。
  1893年(45歳)鉄道庁長官、逓信省鉄道局長。
  1897年(49歳)鉄道作業局長官。
  1898年(50歳)帝国鉄道協会を設立した。
  1903年3月19日、死去、56歳
.
1897年12月20日、総武鉄道会社が、本所駅~横網駅間の建
 設出願をした。
  1898年12月1日、本所駅~秋葉原駅間延長の仮免状下付、
  1900年6月28日、免許状下付
.
1897年12月21日、帝国議会の第11議会が召集された。
.
1897年12月24日、手小荷物其他運送賃金規程を改正した。
.
1897年12月25日、衆議院が、内閣不信任案上程を受けた松
 方内閣によって解散となった。
  総理大臣:第6代、第二次松方正義内閣
  在職期間:1896年9月18日~1898年1月12日
  在職日数:482日
  旧薩摩藩出身者が大臣の半数を占めた。
  内閣発足の時、三菱財閥の岩崎弥之助は、松方に大隈
 重信との連携を提案し、第一次松方内閣の失敗をくり返
 さない様にと提案した。
  しかし、松方の出身の薩摩閥からも反対論が出た・・
  大隈の外務大臣は実現しなかったが、大隈の進歩党か
 ら各重職に進歩党からの起用がなされ、この内閣を松隈
 内閣(しょうわいないかく)と言われた・・
  本格的に、政党の政権参加が実現した・・
 松方内閣第一議会解散(氷川清話)(12月25日)
.
1897年12月25日、赤痢菌の発見・・世界に大きく寄与する。
  志賀潔(しがきよし、1871年2月7日~1957年1月25日、
 北里柴三郎の弟子)が、伝染病研究所で苦心して赤痢菌
 を発見した・・26歳の時だった。
  発見して、「細菌学雑誌」に『赤痢病原研究報告第一』
 を日本語で発表した。
  また、赤痢菌の発見とともに化学療法を研究し、明治
 時代の日本の近代化の中で世界に通用する科学研究の成
 果を成し遂げた偉大な先駆者と評されている。
  1898年(27歳)要約論文をドイツ語で発表する。
   これにより、赤痢菌の属名は志賀潔に因んでShigella
   とされた。
  1899年(28歳)内務省技師・伝染病研究所第一部長と
   なる。
  発見の前年の1896年には、赤痢が大流行をしていて、
 全国の死者数が22,356人となっていた。
  また、志賀潔は、1896年に大学を卒業して大日本私立
 衛生会伝染病研究所に入所、北里柴三郎に師事した・・
  その翌年の1897年に、赤痢菌発見の大功績をあげられ
 た。
  日本の医学者・細菌学者、朝鮮総督府医院長、京城医
 学専門学校校長、京城帝国大学総長などを歴任された。
  1926年(55歳)新たに創立された京城帝国大学(現在
   のソウル大学校)の医学部長に就任し、さらに
  1929年(58歳)京城帝国大学総長となって韓国・朝鮮の
   医学の進歩に貢献された。
   日本は、国内と分け隔てなく朝鮮・韓国の国づくり
   に誠実に取り組んでいた・・日本のなけなしの大偉
   人を韓国・朝鮮へ派遣して改革を推進した・・そし
   て、医学を根付かせた。
   NHKが、日韓併合という形で(植民地ではない)
   この一つの事例でも分かる様に誠実に韓国・朝鮮の
   改革に取り組んでいるのに、植民地支配でもないの
   に、NHK高校講座で「植民地支配」「植民地支配」
   と洗脳的に、何度も連呼するように放送していたが、
   NHKのこの様な学校放送は、まったくおかしい・・
   NHKから学校放送をする権利を取り消した方が良い・・
  尚、志賀潔の晩年は、私生活では清貧を貫き、数々の
 名誉を得ながらも、晩年は質素な暮らしに徹しておられ
 た。
.
1897年12月27日、阪鶴鉄道の池田駅(現:川西池田)~宝塚
 駅間が開通した。
  阪鶴鉄道(はんかくてつどう)は、1896年に設立され
 た会社で、大阪から福知山を経て、舞鶴を結んでいた鉄
 道路線。
  尼ヶ崎駅(のちの尼崎港)~池田駅間で営業していた
 摂津鉄道に出資していた小西業茂(小西新右衛門)らが、
 大阪財界人と結んで、軍港を擁し日本海側の主要都市の
 一つであった舞鶴と、大阪を結ぶ鉄道を計画したのが始
 まりだった・・そして、1893年に免許を出願申請した。
  舞鶴への鉄道敷設を競っていた京都鉄道に、京都駅~
 綾部駅~舞鶴駅間の仮免許が下りたため、阪鶴鉄道には、
 福知山駅~舞鶴駅間の免許が下りなかった・・など、競
 争が激しく行われた。
.
1897年12月27日、宮原二郎が、宮原式水管ボイラーの特許
 を取得した・・これも大発明だった。
  1904年、この「宮原式水管汽罐」(特許第3014号)の
 発明の功績によって、宮原二郎(1858年~1918年)に勲
 二等旭日重光章が下賜された。
  海軍技術将校だった宮原二郎は、英国に16年間、学ん
 だ。
  その技術と経験を活かしての発明に至った。
  この発明は、木炭を燃料とした蒸気船で、当時の軍艦
 や商船に採用された。
  宮原の汽罐は、価格が当時の世界標準の半分だった。
  また、給水と掃除が容易で、耐久性に富み、さらに燃
 費がよかった・・
  そして、小型でありながら高馬力であった。
  宮原式水管汽罐で高速化した日本海軍が実現でき、こ
 のボイラーは、陰の功績・功労者だった・・
  日露戦争の勝利もこのボイラーの性能が良かったから・・
 この性能は世界からも注目された。
  海軍は、フランス系、イギリス系、並びに、国産宮原
 式といった水管ボイラを数多く使用して来ていた。
  大形艦向けのボイラ、即ち、ベルヴィールやニクロー
 スの直接的代替物として宮原式が隆盛を迎えた。
  建艦実績:
  筑波(23260馬力)、生駒(22670馬力)、
  薩摩(18425馬力)、鞍馬(23081馬力)、
  利根(15402馬力)、安芸(28740馬力)、
  淀 (7030馬力)、 伊吹(27111馬力)、
  最上(7959馬力)、河内・摂津(30399馬力)、
  金剛(36275馬力)、扶桑(40000馬力)・・など
  「絶ヘス焚火スルコトニシテ圓罐ニテハ五分毎ニ一度
 給炭スヘキトキ水管罐ニテハ一分半乃至二分毎ニナスヲ
 適當ナリトス」・・ここに一つの特徴があった。
.
1897年12月28日、松方正義内閣が総辞職した。
.
1897年12月28日、阪鶴鉄道の神崎駅~池田駅間の改築工事
 が竣工した。
.
1897年12月29日、成田鉄道の成田駅~滑川駅(現:滑河)間
 が開通した。
  成田線は、総武本線の佐倉駅から北へ分岐して、成田
 駅を経て、利根川南岸に沿って、再び、総武本線との合
 流駅である松岸駅へ至る路線である。
  当初、千葉県は、東京との交通手段において鉄道と利
 根川水運が競合することによる共倒れを恐れていた。
  そのため、利根運河ができた以上は同地域には鉄道は
 不要だとの見解を取っていた。
  そのため、総武鉄道が開通したのが1894年と遅くなっ
 た。
  1894年7月25日になって、やっと、下総鉄道に仮免状の
 下付(佐倉駅~佐原駅間)となった。
.
1897年12月、鉄道小包郵便締切便取扱手続を制定した。
  鉄道郵便局があって、鉄道郵便を取り扱うため、郵政
 省には、もう一つの郵便局の一種があった。
  引受した郵便物を列車に連結した郵便車で運送し、一
 般の郵便システムで行う郵便と区分していた。
  鉄道事業者に郵便車を運行させて、これに職員が乗務
 し、鉄道沿線の郵便局から継送される郵便物を輸送する
 とともに、郵便車内で郵便物をあて先地域別に区分する
 業務を行っていた。
  明治期の日本政府は、鉄道は近代的な交通・通信イン
 フラの基盤として重要と位置付けていた。
  1872年に開通した日本最初の鉄道においても、郵便輸
 送が行われていた。
  また、当初は、郵便物を単に輸送するのみであったが、
 郵便物数の増加に伴って、送達速度の向上のために、1892
 年4月から、輸送中の鉄道郵便車内での郵便物のあて先地
 域別区分を開始した。
.
1897年12月、無線通信実験が行われた・・成功する。
  築地海岸に送信器設置し、船との無線通信を行ない成
 功した。
  逓信省電気試験所の松代松之助電信主任らが、築地海
 岸に送信機を設置し、受信機を小船に乗せて1.8kmの無線
 通信に成功した。
  「月島海岸と第五台場のおよそ1海里(=1.8km)の通信
 に成功した」とも言われている。
  世界的な無線通信試験が、1895年のマルコーニによる
 試験と言われているので、日本は早い時期に無線通信試
 験を行っていたと言える。
  ただ、1897年12月ではなく、1年遅い、1898年12月だと
 する説もある。
  1895年のマルコーニの無線実験の翌年の1896年、浅野
 電気試験所長から松代氏が調査を命じられている。
  また、1897年、逓信省でも無線通信の研究が始まって
 いる。
  「明治二十九年(1896年)十月、当時の逓信省管船局
 長・石橋絢彦が、電気試験所長・浅野応輔を訪ねて近著
 の外国雑誌にマルコニが無線電信というものを発明した
 という記事があることを知らせたので、浅野所長は、早
 速、その調査研究を所員松代松之助に命じた。
  松代所員は、その記事の掲載されてあるロンドン・エ
 レクトリシアンによって一応取調べ、なお、その原理と
 してはヘルツ波という書物で、マックスウェルの理論を
 実験によってよく説明してあったものを唯一の参考書と
 して試験研究を始めたのが翌三十年(1897年)七月であ
 った」 (電波監理委員会編、日本無線史第三巻)
.
1897年、動力自動織機を発明(日本)
  豊田佐吉(1867・3・19~1903・10・30)が、我が国初
 の木製の動力自動織機を発明した。
  この発明は大発明と言える発明で、世界の人を豊かに
 する偉大さがあったた。
  日本人が、世界の人々に貢献した数々の大発明の一つ。
  佐吉は、「能率の悪い手機を改良することができれば、
 きっと人々の役に立てる」と考えていた。
  「作っては壊すこと」を繰り返した・・佐吉は発明に
 没頭した。
  1890年(23歳)秋、佐吉の最初の発明となる「豊田(と
   よだ)式木製人力織機」を完成した・・
  1891年(24歳)の翌年に特許も取った(これが大切)・・
   それから「織りムラの解消」と「能率の向上」に努
   めた・・
   そして、人力より動力織機の発明へ向かった・・
   研究資金の確保にも努力した・・織機の改善は自分
   が使う事によって確かめた・・
  1892年(25歳)自分の発明した織機の数台で織布工場
   を開業した。
   織った布は問屋に好評だったが、経営と発明研究で、
   経営が苦しくなった・・
   やむなく工場は閉鎖された・・郷里に帰る・・伯父
   の家へ・・
   伯父の家に住み込みながら、動力織機の研究をした・・
  1894年(27歳)画期的な豊田式糸繰返(とよだいとく
   りかえし)機を完成した・・
   これを販売・・そのための店を開店・・軌道に乗る・・
   さらなる発明へ一心不乱に取り組む・・
  1896年(29歳)最初の動力織機の豊田式汽力織機(豊
   田式木鉄混製動力織機)を完成した・・
   安価な、生産性も良く、品質も向上した・・
   評判よし・・
   蒸気機関だけでなく、石油発動機も用いた・・
   後の三井物産が、この動力織機に注目し織機製作会
   社の設立を提案した・・
  1899年(32歳)合名会社が設立された・・
   佐吉は、技師長となり発明に専念した・・
   そして、佐吉個人の豊田商会を作った・・
.
1897年、黄熱病を発見する野口英世が、国家試験に合格し、
 医師になった。
.
1897年、ディングレー関税法
  アメリカは保護貿易を強化した。
  工業品、農業品、鉱業品という広範な産品の輸入に高い
 関税を課した。
  その平均関税率は54.5パーセントだった・・
  マッキンリー法の48.7パーセントさえも上回った。
  史上最高の税率57%に達した。
  アメリカ製品や農産物に高い関税を課す国に対して、
 大統領がその国からの粗糖、コーヒー、茶などの輸入に
 相当の関税を課すことも法律的にできた。
  中南米諸国は関税の引き下げに応じた。
  この法律は、アメリカ大統領のマッキンリーが定めた。
  第25代アメリカ大統領のウィリアム・マッキンリーは、
 1897年3月4日に大統領に就任していた。
  マッキンリーは、大統領になると議会に互恵主義の原
 則を再び受け入れる様に求めた。
  そして、このディングレー法では、互恵条項が復活し
 た。
  ブランデー、シャンパン、ワイン、絵画、彫像につい
 て大統領は20%の関税引き下げを基に互恵的関係を拡大
 する協定を締結する権限を有していた。

1897年、ブラウン管の発明
  ドイツの物理学者のフェルディナント・ブラウンが、
 ブラウン管を発明した。
  最初のブラウン管(陰極線管)とそれを使ったオシロ
 スコープを製作した・・
  約100年後の2000年代になって、液晶ディスプレイ、
 発光ダイオード、プラズマディスプレイなどのディスプ
 レイ装置が徐々に取って代わるようになるまで、このブ
 ラウン管は、テレビやコンピュータの表示装置として使
 われ続けた。

1897年、新渡戸稲造が、札幌農学校を辞職し、アメリカ
 西海岸で療養生活に入った。
  稲造は、重症の神経衰弱と診断され、休養を取るよう
 申し渡されていた。
.
1897年、「デナリ」・・アラスカにある山の名前である。
  北アメリカの最高峰である・・標高は6190メートル。
  アラスカに昔から住んでいた方々(インディアンの方
 々やエスキモーの方々)は、ロシア人が来る前から、こ
 のアラスカに住んでいた居た・・先住民の方々である。
  この方々の住む土地だった・・国だった。
  そして、アメリカ合衆国は、このアラスカをロシアか
 ら買った・・変な話である??
  もし、貴方の家に、貴方の見ず知らずの人間が来て・・
 そして、その後、「人間・A」が、そのあなたの家を「人
 間・R」から買ったと言って、貴方の家の所有権を主張さ
 れた時・・貴方は、どのように思われますか?
  まったく、この事態と同じ事が、このアラスカで起き
 ていた。
  アメリカ合衆国(人間・A)は、「アラスカはロシア
 (人間・R)から買ったから、俺のものだ」と、主張し
 た・・??・・嘘だ。
  そして、このアラスカの最高峰を、この先住民の方々
 =本当のアラスカの持ち主の方々は、「デナリ」と呼ん
 でいた。
  デナリは「偉大なもの」という意味で、ちゃんとした
 意味付けをしていた。
  だから・・当然、この山は「デナリ山」と呼ぶべき・・
  しかし、アメリカ合衆国は、1897年に、この時のアメ
 リカ合衆国の大統領であるウィリアム・マッキンリーか
 ら名前を取って、この山に、この名の『マッキンリー』
 と名付けた。
  アメリカ合衆国は、土地を奪うばかりでなく、名前ま
 で奪った。
  (追伸)2015年8月31日になって、アメリカ合衆国は
     「デナリ」を正式な呼称とすることを告示した。
      当然である・・土地の問題は、まだ、未解決・・
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国へのゴマすりで「万一の災害備蓄であるのマスク」を送ってしまった・・
    町にマスクが無い理由は・・これ・・犯人は○○・・
    新型コロナウイルスの肺炎蔓延の恐れの緊急事態になっている日本であるのに・・??
.
1720年12月、浦賀奉行所が、伊豆下田から横須賀(現:横須
 賀市西浦賀)に移転した(浦賀奉行所)
  浦賀への移転の目的は、幕府が最大の政策課題とした
 物価安定だった。
  物流の中継地として栄えた浦賀は、江戸湾の入り口に
 あり、積み荷や人を取り締まる「船改め」の拠点として、
 貨幣経済を支えていた。
  幕末には、「異国船対応」も役目となった。
  移転の当初の敷地は1700平方メートルだった奉行所は、
 1821年、4890平方メートルに拡張された。
  ペリーが来航した1年後の1855年には、6500平方メート
 ルになった。
  奉行1人、与力10人、同心50人だった体制も、江戸時代
 の幕末には、奉行2人、与力20人、同心100人に倍増され
 た・・それだけ仕事量が増えたのだった。
  1853年のペリー艦隊来航の以前にも、6回の外国船の接
 近がある。
  1837年には、日本人の漂流民7人を乗せたアメリカ商船・
 モリソン号が来て、奉行の太田資統(すけのり)は、幕府
 の「異国船打払令」に従って、近くの平根山台場から砲
 撃をして追い払った。
  この事件をきっかけに江戸幕府への批判が広がり、高
 野長英や渡辺崋山が捕らえられ、「蛮社の獄」が起きた。
  開国への動きが加速した。
  この事件の時の砲撃を、モリソン号の船長は最初、「
 祝砲だと勘違いした」。
  我々は歓迎されていると喜んだ。
  ペリー艦隊来航時は、その様子がかわら版で日本全国
 に広まった。
  禁止令が出ていたが、庶民は黒船見物に出掛けた。
  日本人は恐れおののいてなんかいない。
  「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四杯で夜も眠れず 」
 と心の中では笑っていた。
  (参考)上喜撰:じょうきせん、緑茶の銘柄(ブラン
     ド名)。宇治の高級茶。本来の銘柄名は喜撰で、
     その上等なものを上喜撰(あるいは正喜撰)と
     呼んだ・・お茶を四杯飲んで興奮したと??
  浦賀奉行所は話題の中心にあった。
  1868年、明治となって、奉行所は新政府に接収された。
  また、1872年、「船改め」の役目も終えた。
     ・
     ・
1883年11月、西周が、元老院の会議で、「局外中立を宣言
 するにはそれを実現するだけの軍備が必要だ」と述べた。
  「戦争は嫌だ。中立だ」などと甘い政策の野党が日本
 にあったが・・(今・現在も存在している党だが)・・
  それだけで戦争が避けられるのなら、世の中から戦争
 の一切が無くなる・・苦労はいらない・・
  それなりの国防ができていなければ、その様な宣言だ
 けでは「絵に描いた餅」に終わる・・
  この西周が演説した頃、最強な武力を持つロシアの艦
 隊が日本の長崎港に居た。
  しかも、このロシアは、また、武力を持つ中国・清と
 イリ紛争の最中だった。
  戦争となり中国・清が敗ける様なことがあったら、続
 けて日本も巻き込まれ、まったく軍事的な力のない日本
 はロシアの軍門に下る恐れがあるのを明治の要人たちは
 恐れた。
  西周は言う「断然に局外中立を守らば憂ふる無きに似
 たれども、単に局外中立を守るのみにしては足らず。
  必ず之を守るの軍備を要す」と言った。
  また、そうして中立を守ろうとしたって、中立を守る
 上での義務があった。
  「中立したって交戦国は海上交通を封鎖し、艦船の交
 通を遮断されたり、場合によっては船舶を捕獲されたり
 する。
  それを容認しなければならない」、また、「交戦国に
 軍事的に援助してはならない」また「軍需品を売っては
 いけない」また「交戦国へ金融的利便を与えてはならな
 い」「領域を交戦国が軍事的に使うのを、実力で妨げて
 はならない」など。
  だから、日本の中立を維持することや、シュタインが
 言った朝鮮の中立性を守ると言ったって、それなりの軍
 事力を持って大変なことに備える必要があった。
  そんな宣言だけで甘く済む様なものではないと・・
  また、実際に起き得ることであるが、歴史上でもあっ
 たことであるが、大国が我が陣営に入れと圧力をかけた
 場合、中立を守ることが出来るか?
  歴史上、中立を守れないという事例が、歴史上、多い。
  双方の陣営から働きかけがあったり、特に、軍事力が
 弱いと風前のさ迷う灯火の様になる・・
  その結果、戦争に巻き込まれる。
  今の日本の様な危うい周辺状況の中で、憲法論議もし
 ないで、また、国防の話しもしないで、国民を、実際は
 「危うい状況に置いて、逃げている政治」そして「国民
 に現状を訴えもしない政治」、その様な中に諦(あきら)
 めがあるのか?
  中国にゴマを擦る外交官の話を聞いたこともある。
  また、軍事的に押さえるアメリカも存在している。
  独立の立場に置かれていない状況下にある。
  リスクだけが増大している。
  そして、余談だが、今、韓国も中国へ近づいている・・
  核装備を持って毅然としているのは北朝鮮である・・
.
1894年3月29日、甲午農民戦争(こうごのうみんせんそう、
 東学党の乱)
  朝鮮の全羅道で農民が蜂起した。
  東学第1世教主が、邪教を広めたとして処刑されたのが
 発端だったが・・
  閔氏政権の重税政策や、両班(リャンバン、韓国に今
 でもいる民を牛耳る者たち)たちの間での賄賂と不正・
 収奪の横行・・そして、アメリカや西欧列強の外国資本
 の進出による民衆の生活圧迫、朝鮮社会の腐敗から地方
 自治体の官吏も農民虐めをし、収奪行為が充満していた・・
  その様な状況から、政治的改革の要求に代わって行っ
 た・・
 1894年5月4日、農民軍が白山に集結し、甲午農民戦争が
  再び開始された。
 1894年5月31日、農民が全州府を占領した。
  東学党の指導者の全琫準(ぜんほうじゅん)が発した
  呼びかけ、そして、その文を東学信者が国内に撒き、
  その呼び掛けに応じた農民が数万の軍勢となった。
  全羅道では、地方軍や政府軍を破った・・そして・・
  5月末、道都全州(チョンジュ)を占領した。
  朝鮮国王は、袁世凱(えんせいがい、中国・清の軍人、
  朝鮮政治に立ち入っていた者)の示唆によって中国・
  清に軍の出動を要請した・・清は、直ちに軍を出兵さ
  せた。
  (1885年4月に、日本と中国・清は、天津条約を結んで、
  この両国は、朝鮮から軍を撤兵させていた・・清は、
  日本を弱小国と軽く見るところがあり、この様な強行
  的な態度をよくとっていた)
 1894年6月2日、日本の公使館や居留民が、朝鮮へ出兵し
  た中国軍だけの中に、荒れる朝鮮の中に置かれる形と
  なった・・日本も保護のため派兵せざるを得なくなっ
  た。
 1894年6月3日、日本が、混成一個旅団と軍艦の派遣を閣
  議で決定した。
 1894年6月7日、中国・清へ、日本は天津条約第三款の規
  定に従って出兵することを通告した。
  清国も遅ればせながら出兵を通告した。
 1894年6月8日、中国・清の葉志超(ようしちょう)総督
  と、聶士成山西太原鎮総兵に率いられた清国軍(北洋
  陸軍、歩兵約2,500名、山砲8門)が牙山に上陸し占拠
  した。
  1894年7月24日時点で3880名に達した。
 1894年6月8日、ロシア公使が、天津で、清の李鴻章に、
  「清国は情報を故意に誇張し、朝鮮への対処をしてい
  る」とくぎを刺した・・
  そして、「反乱が鎮圧され次第、直ちに撤兵を」と言
  った。
  逆に、ロシアのカッシニ駐清公使は、日本の駐清臨時
  代理公使の小村寿太郎に「日本の派兵の必要を認めて
  いた」。
  清国の李鴻章は、「清は宗主国による属邦保護の旧例
  に従い、朝鮮の要請により行ったものだ」と言い、「
  ロシアとは無関係だ」と言った。
 1894年6月9日、清国軍が、朝鮮の牙山(あさん)に上陸。
  (参考)牙山は、ソウルより南に85km・大田広域市よ
     り北北西65kmに位置している。
 1894年6月10日、大鳥圭介在朝鮮公使が、陸戦隊を率いて
  漢城府に帰任した。
 1894年6月12日、漢城(現:ソウル)近郊に、既に来てい
  た清国軍と、日本からの派遣軍が布陣した。
 1894年6月12日、共同撤兵、袁世凱と大鳥間でほぼ妥結し
  た。
  ただ、日本を圧迫し威圧的だった清国だった。
  華夷秩序(かいちつじょ)があった。
  (参考)華夷秩序:中国の皇帝を頂点とする階層的な
     国際関係を指す。
      古来中国にある自分たちは優れた文明を持つ
     世界の中心(中華)で、周囲は未開の野蛮人(夷)
     であるとの考え方に根ざす。
      清国の戦線詔勅に、「朝鮮ハ我大清ノ藩屏〔
     ハンペイ:直轄の属領〕タルコト200年余、歳ニ
     職貢ヲ修メルハ中外共ニ知ル所タリ…」とある・・
 1894年6月16日、日本の陸奥宗光外相が、中国・清へ共同
  で農民戦争の沈静化をしようと申し入れた・・また、
  内政改革も共同で行おうと提案した。
   そして、清国が合意しなくても、日本は単独ででも
  これを行いますと伝えた。
 1894年6月20日、清の李鴻章が、ロシアに日清間の調停を
  依頼した。
   ロシアには、南下して行きたいという「南下政策」
  があって、この調停依頼自体が問題だった。
   ロシアの南下政策を警戒していたイギリスは反対
  した・・日本を支持した。
   因みに、この時、ロシアは、「清国が、いずれ朝鮮
  を清国の一省に変えてしまうとの企(たくら)みが北
  京に存在するかもしれない」という懸念も持っていた・・
   さらに、「朝鮮の国内問題に対する清国の断固たる
  干渉」が気になっていた・・
   この様な状況から、朝鮮国王が、ソウル駐在のロシ
  アの代表に対して、朝鮮をロシアの保護下に置いてほ
  しいとの要請ともなっていた・・
   強引な清から離脱したいという朝鮮だった。
   ロシアには、この強い姿勢の清国とロシアとの公然
  たる衝突に至るかもしれないという懸念も生まれてい
  た。
   清と露間にも紛争の可能性が存在した・・
   朝鮮国王の側近に、外交顧問という資格でデニーと
  いうアメリカ人が居て、朝鮮の利益を清国に対して有
  利に差配していた。
   また、朝鮮は、アメリカと、弱小の朝鮮軍に対し、
  朝鮮軍編成のためのアメリカ人教官の派遣について交
  渉などの要請も行なっていた・・
   このアメリカと、中国・清国などの存在が複雑さを
  増す要因だった・・
   これに、ヨーロッパ列強諸国も朝鮮に関わっていて、
  朝鮮は縮小された国際秩序の場だった。
   ロシアの南下を恐れたイギリスに支持されて、中国・
  清国軍の居る朝鮮に派遣された日本軍だった・・そし
  て、日本の提案が拒否され、緊張が高まって行く・・
 1894年6月22日、中国・清が、日本側の申し入れの一切を
  拒絶した・・
   日本政府は、対清国との初めての対決表明である第
  一次絶交書を送ることとした。
   日本は、朝鮮政府に対し清国と朝鮮との関係、つま
  り、「属国(朝鮮):宗主国(清国)」という宗属関
  係について問いていて、それに対して朝鮮側から日本
  に、「自らの国は自主国である」との回答を得ていた。
  (清国の強引なる清国軍の駐留状態で、朝鮮を属国と
  して扱おうとする不当な行動をとる清だった)
 1894年6月22日、清国の日本の朝鮮共同改革案の拒否に対
  して、御前会議で朝鮮内政の単独改革が決議された。
 1894年6月28日、日英間で条約改正交渉中のイギリス外相
  が調停に乗り出す・・日本の要請?・・
 1894年6月30日、ロシア公使ヒトロウォと陸奥とが会談し、
  「ロシア政府は、日本が朝鮮政府の日清両国の撤兵と
  いう希望をうけいれるよう勧告し、かつ日本が清国と
  同時撤兵をうけいれないならば、日本政府は重大な責
  めを負うことになる旨忠告する」と申し入れた。
 1894年7月2日、陸奥は、ヒトロウォに次の様に回答した・・
   「日本政府は、東学反乱の原因はのぞかれていない
  し、反乱そのものもなおまったく跡を絶つにいたって
  いないのではないかと考える。
   日本政府は、反乱再発のおそれがなくなれば撤兵す
  る」と・・
 1894年7月9日、中国・清の総理衙門総領大臣(外務大臣
  に相当)慶親王が、「日本の撤兵が先だ」としてイギ
  リスの調停案を拒絶した。
 1894年7月11日、伊藤内閣は、清の調停拒絶を非難すると
  ともに、強引なる主張ばかりをする清・・その清との
  国交断絶を表明する「第二次絶交書」を閣議で決定し
  た。
 1894年7月12日、中国・清がイギリスの調停案も拒否し・・
  金玉均も暗殺するという行為をする・・
   その清との日清の会談も決裂し、小村公使が、清国
  政府に第二次絶交書を手交した。
   清の軍人・袁世凱は、朝鮮で画策して、朝鮮国王の
  名で清国の出兵を要請させ・・朝鮮は、自主独立して
  いるという状態ではない状態・・清は、表面は美しく
  して出兵しているが、実態は、朝鮮を操作する状況・・
   日清間では、撤兵問題も話し合われたが、宋主権を
  持つという意識が清は強く、話し合いは紛糾した。
   開戦せざるを得ない状況が出て来て、日本は、開戦
  に当たって、イギリス・アメリカ・フランス・ドイツ・
  ロシアなどの関係各国に対し、清国に対する開戦を通
  告している。
   日本は艦隊をそろえようにも景気が悪く、予算が不
  十分だった・・長い間、希望がかなえられなかった・・
   しかし、景気が良くなると日本は艦を作って行った・・
  また、イギリスの指導も受けた。
   だが、日本は海軍国と言われるが、当時の日本は、
  海軍力に自信が無かった・・
 1894年7月17日、御前会議で慎重な審議を重ねられ、開戦
  がやむを得ないと確認された・・
   そして、最後通牒が送られた・・
   回答期限は、朝鮮に対しては7月22日、中国・清国に
  対しては7月24日とした。
 1894年7月19日、イギリスの第二次調停案への回答期限を、
  7月24日と清に通告した。
   日本が、中国・清へ、日本の手交した最後通牒の回
  答期限である7月24日を過ぎても、中国・清が、日本へ
  その返事もしないで、中国軍の朝鮮への増派をするな
  らば(それは、朝鮮に対する宗主国ぜんとした威嚇行
  為であるとともに、同時に)日本に対する威嚇行為(
  敵対)と見なす・・との内容の最後通牒を中国・清へ
  送った。
 1894年7月19日、朝鮮の望む自主独立と、宋主権を行使し
  主張する清国・・「断固なる処置を施すの必要あり」
  の訓令を受けた大鳥公使は、朝鮮が清国と結んでいる
  諸条約の廃棄を提案した。
 1894年7月20日、日清戦争の原因について開戦をやむなし
  とした外務大臣陸奥宗光は・・、
   「元来日本国の宣言するところにては、今回の戦争
  はその意全く朝鮮をして独立国たらしめんにあり」と
  回想している。(『蹇蹇録』岩波文庫)
   この様な無視の行為をする中国・清の態度であるな
  らば、陸奥宗光外相は、回答期限の7月25日以降は、清
  国の軍艦などへ日本が攻撃をしても、「外交上の問題
  はない」の旨を日本海軍へ伝えた。
   日本は、今まで自重し、清の強引な行動を静観して
  来たが、また、影で工作する清の態度を静観して来た
  が、この時点では、はっきりした毅然たる態度を示す
  という方針に替わった。
   朝鮮に駐在する大鳥圭介公使が、「中国の冊封体制
  による宗属関係の破棄・その他を要求した」。
   この日の午後、大島公使は、この様な状況になって
  は、毅然たる態度を示すべきとの方針において、自主
  独立の国としてありたいと日本へ伝えている朝鮮に対
  し、清国の宗主権を認めさせられている『中朝商民水
  陸貿易章程』を廃棄をしなさいと伝えた。
   また、朝鮮が希望する「自主独立を侵害」する清軍
  の撤退について、朝鮮の考え方を7月22日までに伝えて
  もらいたいと伝えた。
 1894年7月23日、日本は、清軍撃退依頼を出すようにと大
  院君へ伝えた。
   朝鮮政府内にある過去からの清国の武力行使と圧力
  に屈し、清国の属邦体制を止むなく認めて受け入れて
  いる派(親清派)と・・この強圧的な清に対して、日
  本に助けを求める親日派が朝鮮政府内にあって・・、
   親日派であった金玉均が、清国によって暗殺される
  如く、陰に陽に中国は強引な行動をしていた。
   その様な清の属邦体制を止むを得ず受け入れている
  現政権の王政派(閔妃)に対する親日政権の大院君に
  清軍撃退依頼を出すようにと伝えた。
 1894年7月23日、朝鮮へ増派する清、その行動を止めよう
  と、連合艦隊が佐世保港を出港した。
   この日の午前11時、強硬に陸兵増派をしようとして
  いる清国の行動を止めさせようと、海上封鎖の任務を
  帯びた伊東祐亨中将が率いる連合艦隊が、佐世保港か
  ら朝鮮半島の京畿湾へ向けて出港した。
 1894年7月23日、日本が朝鮮王宮へ軍を派遣し、午後5時、
  大島旅団長が朝鮮国王に面会した・・
   一人も死者が出るという行為ではない・・
   そして、この日の内に幕営地に引き上げた・・
   襲撃でもなければ、また、日清間の交戦も無い行動
  だった・・
  午前零時30分、公使より電報で「作戦通り実行せよ」
  と・・行動部隊の第六中隊が、迎秋門が破れなかった
  ので、囲壁を越え、内部より鋸と斧で門扉を開く(午
  前5時頃)第七・第五中隊が王宮に入る、そして、光化
  門・建春門も内部より開門した。
   この間、守備の朝鮮兵は抵抗する者もなく、また、
  皆、北方へ逃走した。
  午前4時20分~午前7時半、双方から銃撃が起きた。
   抵抗した一部の朝鮮兵は、北方の王宮囲壁を出て、
  白岳の方向に逃走した。
   国王は雍和門内に居て、山口大隊長が、日本軍兵を
  門内に入れない代わりに韓兵の武器交付を要求した・・
   承諾された・・
   大隊長が国王に拝謁し、「我が兵士は玉体を保護す
  るために居て、決して危害の及ばざるを期すべし。殿
  下幸いにこれを諒せよ」と・・
  (参考)諒:りょう、おもいやる。明らかにする。ま
     こと。
  午後5時、大島旅団長が王宮に入り、国王に面会・・
  夕方、日本軍は歩兵第二十一連隊第二大隊」に「王宮
  の守備」を命じたほか若干の部隊を王宮周辺要地に留
  め・・午後5時から午後6時の間、幕営地にひきあげた。
   これは、公使館と旅団が協議して計画していたこと
  だった・・この行為に対し、列強諸国からの批判は無
  く、誰かが殺害されたという事でもなかった。
   しかし、日本政府からはこの様なことをするなとの
  指令が出ていた・・しかし、この行為は、朝鮮の人々
  の反日意識を高めた・・この点からも、すべき行為で
  はなかった。
   この様な行為は中国・清もしていて、朝鮮の人々は
  清に対しても反感を持っていた。
   しかし、この後、この行為で王宮内の財貨宝物が略
  奪されたと、「してもいない行為を、した」とプロパ
  ガンダ(嘘宣伝)に使われた。
   清国の宋主権行使に苦渋していた朝鮮を救うとして
  もやり方が良くなかった。
   天皇陛下も、この事件に対し、また、武力行使に対
  し疑問を御明示された。
 1894年7月25日、高陞号(こうしょうごう)事件が起こっ
  た・・
   日本への返事を無視して、朝鮮への兵員増強をしよ
  うとしている中国・清だった・・
   清国の回答無視の決定により、清国軍の兵員増強・
  増派を確認した時点で、その行動阻止の行動がとれた・・
  1894年7月24日、第一遊撃隊は、牙山湾内にて清国軍艦
  「済遠」「広乙」が護送する陸兵1000名を乗せた輸送
  船「飛鯨号」の船団と出会ったが、回答期日前であっ
  たため、そのまま素通りさせた。
   そして、回答無視が確定した7月25日が来る。
  1894年7月25日午前10時8分、清国陸兵1100名(乃至1500
  名)が乗船するイギリス船籍商船「高陞号」は、日本
  艦艇の指示を受けて豊島沖に停船した。
  7月19日の日本が清国へ出した最後通牒で、日本艦隊に
  よる朝鮮西岸の海上封鎖を予期した清国直隷総督兼北
  洋大臣の李鴻章は、イギリス商船をチャーターして陸
  軍兵を搬送させる策を取っていた。
   第一遊撃隊司令官・坪井航三少将は、指示を無視し
  た「済遠」の追撃に向かった為、「浪速」艦長・東郷
  平八郎大佐が、このイギリスを敵に回しかねない難局
  に当たる事になった。
   東郷大佐は、浪速を高陞号から900メートル離れた位
  置に停留させると人見善五郎大尉に高陞号の臨検に向
  かうよう指示した。
   人見大尉は、カッター船に乗って高陞号に赴き、武
  器を手に殺気立つ清国兵達に囲まれた中で、高陞号船
  長ガルス・ウォルズウェーと面談した。
   浪速も警戒態勢をとって、砲門の狙いを定めていた。
   清国兵も迂闊には手を出せなかった。
   人見大尉は、高陞号の船籍と目的を尋ねて「英国ロ
  ンドンのインドシナ汽船会社代理店ジャーディン・マ
  セソン社所有のイギリス船籍商船である事」と、
   「清国政府にチャーターされ陸軍兵1100名と大砲14
  門、その他を朝鮮・牙山港へ搬送する途中である事」
  を確認した。
   続けて、高陞号を浪速に随行させるよう求めるとウ
  ォルズウェー船長は承諾した。
   人見大尉は、浪速に帰還し、その旨を東郷大佐に報
  告した。
   東郷大佐が、自艦浪速に続くよう英文の手旗信号を
  送ると高陞号から「重大事態発生」の信号が返って来
  た。
   清国兵の反抗が起きていた。
   その反抗を読み取った東郷大佐は、再び、人見大尉
  を高陞号に向かわせた。
   そして、可能ならウォルズウェー船長を浪速に移乗
  させるよう指示した。
   しかし、清国兵は、イギリス人が船を降りるならば
  殺害すると脅迫した。
   ウォルズウェー船長は、高陞号を天津・大沽港に引
  き返させるという妥協案を提案した。
   それを受けた東郷大佐は、まず、船長に高陞号から
  離れるようにとの英文信号を送った。
   返信は、「こちらからは離れられない状態だ、そち
  らから船を送ってもらいたい」だった。
   東郷大佐は、「それは出来ない」と信号して、再び、
  「船を離れるように」と送信した。
   この交信は、高陞号が清国兵に乗っ取られていて、
  叛乱状態にあって、その非戦闘員の資格を喪失した確
  証を得る為だった。
   高陞号の船上の清国兵は騒ぎ出していて、すでに、
  停船してから4時間ほどの時間が経過していた。
   東郷大佐は、攻撃の警告を発した。
  1894年7月25日13時45分、東郷大佐は、浪速のマストに
  攻撃警告の赤旗を掲げた。
   だが、高陞号船上はざわつくばかりで、反乱状態に
  あり、返信も無い状態だった。
   混乱などが起き、状況の改善は無く、進展無しと判
  断した東郷大佐は魚雷発射を命じた。
   魚雷接近で、清国兵が動揺し、その隙を突いてイギ
  リス人船員達が海に飛び込んだ。
   その状況を見て、東郷大佐は、すぐさまカッター船
  を出して救助に向かわせた。
   魚雷は不発に終わった・・
   清国兵たちは、海を泳ぐ船員達に銃撃し始めた・・
  そのため、複数名が殺害された。
   この様な中、日本水兵は、ウォルズウェー船長を含
  むイギリス人船員3名の救出に成功した。
   その後、東郷大佐は、やむなく右舷砲2門の砲撃で高
  陞号を撃沈した。
   この高陞号事件は、この後、日英間の問題となった・・
   しかし、結論的には・・東郷平八郎大佐を評価する
  声が上がった。
  1984年8月4日、イギリス政府は、長崎に英国海事裁判
  所を開き、8月7日に結審したが・・、
   この裁判は、ウォルズウェー高陞号船長に過失が無
  い事を証明するものだった。
   続いて、上海において開廷された英国海事裁判では、
  8月17日の結審宣告で、日本軍艦の行為は正当であると
  の判決が下った。
   日本政府に対する賠償請求を放棄する勧告がイギリ
  ス本国政府に伝えられた。
   イギリス政府が、この勧告を受け入れた事で高陞号
  事件は決着した。
   その後、国際法を熟知し、厳格な判断を下した浪速
  艦長・東郷平八郎大佐を評価する声が上がった。
 1894年7月25日、豊島沖(ほうとうおき)の海戦
  豊島沖で日清の武力が衝突し日清間が戦争状態になる。
 1894年8月1日、日清両国は宣戦布告をした。
   列強各国は、日清戦争で、日本が敗北するだろうと
  予測していた・・それだけ、清の力は強く、日本は弱
  小とされていた(長崎での事件などで清に馬鹿にされ
  ている日本だった)列強諸国は、「アジアの中心は中国
  だ」と見ていた。
.
1895日4月17日、日清講和条約(下関条約)が締結された。
  内容に、「清国は朝鮮国が完全無欠な独立自主の国で
 ある」ということを中国・清国に認めさせた。
  そして、「朝鮮国の独立を侵す清国へ行って、そして、
 行なう貢献典礼を全廃する」・・
  中国・清の朝鮮への属国行為の冊封行為を無くさせた。
  しかし、ロシアが、この時、日本が割譲させた遼東半
 島を三国干渉して返還させる。
     ・
     ・
     ・
2017年、アメリカの卑劣な差別の白人至上主義
  アメリカには、今・現在でも、盛んに白人至上主義を
 主張する輩たちが横行している。
  その一つが2017年頃から「Q」と名乗る輩たち・・
  白人至上主義礼讚を主張する者たち・・
  去年、この白人至上主義が影響していると指摘された
 アメリカのテキサス州などで銃撃事件が、多数、起きて
 いる。
  犯行予告が3件行なわれた。
  掲示板などに犯行予告がなされた。
  50人以上という驚くべき多数の人たちが犠牲になって
 いる。
  この様にアメリカは遅れた状態になっている。
  また、アメリカと同じキリスト教国のニュージーラン
 ドでも悲惨な銃を使った事件が起きている。
  キリスト教会(ニュージーランド・クライストチャーチ)
 で銃の乱射事件が起きた。
  犯行声明が投稿された。
  自分の言うことを聞かない者たちは「射殺してしまえ」
 である。
  キリスト教が洗脳する「異教徒は殺せ!」のキリスト
 教の教義そのままである。
  アメリカに今・現在もあるKKKという「有色人種の
 殺人集団」は、夜に白装束を着て、頭から顔も皆隠し、
 丘の頂(いただき)や森の中で、キリスト教の十字架を立
 て、それに油をかけて燃やし、行動の正しさを確認し合
 う・・火は赤々と天空に燃え上がる。
  こんなことを今・現在でもアメリカでやっている。
.
2020年3月、日本の新型コロナウイルスによる肺炎蔓延の原
 因の一翼となった「兵庫県の中国への100万のマスク
 の寄付行為」・・
  これによって日本で製造するマスクが国内に出回らず
 「皆、中国に送られ続けた」。
  日本国内では、何日、行っても「マスクの入荷は未定
 です」と言われた。
  わずかになったマスクは、ネットでびっくりする値段
 が付けられた。
  この様な原因を作ったのが、いつも「中国にゴマを擦
 ってばかりいる自民党の二階俊博議員」・・
  この議員発の馬鹿々々しい行為・発言から始まった。
.
2020年3月5日、中国へのゴマすりで万一の災害備蓄のマス
 クを送ってしまった・・
  町にマスクが無い理由はこれ・・
  新型コロナウイルスの肺炎蔓延の緊急事態になってい
 る日本であるのに・・??
  各市町村には、災害備蓄のマスクが用意されていた。
  しかし、自民党の二階俊博議員が、中国にマスクを100
 万送ると言ってそのマスクをかき集めて送ってしまった。
  兵庫県の井戸敏三知事(いど としぞう)が、この県
 だけで100万枚のマスクを送ってしまった。
  東京都は10万枚を送った。港区は5万枚。川崎市が8万
 枚。厚木市が2万枚。群馬県が2万枚。太田市が1万枚。水
 戸市が5万枚。日立市が2万枚。常陸太田市が約2万枚。阿
 見町2万枚以上。三条市10万枚。加茂市7万枚以上。柏崎
 市が8万枚以上。あわら市3万枚。由山梨県2万枚。富士宮
 市2万枚。富士市1万枚。沼津市1万枚。名古屋市10万枚。
 豊橋市1万枚。枚方市2万枚以上。池田市2万枚以上。日向
 市約3枚枚。姫路市1万枚。明石市1万枚。加古川市1万枚
 以上。伊丹市1万枚。東近江市1万枚。彦根市1万枚。鳥取
 県8万枚。境港市5万枚。島根県2万枚。松江市5万枚。出
 雲市3万枚。倉敷市2万枚。岡山市2万枚。広島県8万枚。
 広島市3万枚。庄原市1万枚。徳島市1万枚以上。宇和島市
 1万枚。新居浜市1万枚。探し万枚。唐津市1万枚。長崎県
 と長崎市10万枚以上。大村市1万枚以上。熊本市5万枚。
 大分市3万枚。宮崎市1万枚。薩摩川内市3万枚。鹿児島市
 約6万枚。沖縄県1万枚。などなど・・
  万一の時に使おうと用意していた災害備蓄のマスクを
 みんな中国へ送ってしまった。
  二階氏に言われた東京都は、防護服を10万着送ってし
 まった・・これから起きる万一の事態にどうするの?と
 問う声が多い・・
  また、日中友好を標榜している組織が100万枚以上の
 マスクを送ると声明を出し、日本で生産するマスクをせ
 っせと中国へ送り続けている。
  これでは日本国内に出回る訳はない。
  薬局やコンビニなどマスクを売る店頭にはマスクがい
 つ入って来るか見通しが立ちませんという状態で、日本
 人が使うマスクはまったく手に入らない状態になってい
 る。
  中国にゴマを摺って、日本人がいざという時に使う分
 まで送ってしまった。
  こんな無責任な国や地方自治体の姿勢で良いのか?
  日本の医療や介護の現場はマスクが非常に欲しい部署・・
  その部署にマスクが入って来ないので・・何で中国に
 送ってしまうの?という声が上がる。
  朝日新聞の2020年2月8日に、香川県が中国にマスクを
 送ってしまって県民から苦情が出ていることを報じてい
 る。
  県民が、まったくマスクが買えないで感染防御手段を
 奪った県を批判している。
  そして、今、日本が、新型コロナウイルスを指定感染
 症に指定したが、これで、外国人の感染者の治療費が無
 料になった。
  これで、日本が安全なので外国人(中国人など)の富
 裕層が日本に大勢入って来ているという。
  中国に甘い日本政府の姿勢が見える。
  除菌シートまで続々と中国へ送っているという。
  習近平主席の来日が延期になったが・・いつ?、この
 新型コロナウイルスの蔓延が収まるかが不明?
  東京オリンピック・パラリンピックが開催される時、
 完全に開催できるという判断が出来る状態になるか?
  この開催できるという見通しは、「まったく暗い」と
 言える・・
  無理に開催すれば、再度、日本発の「中国生まれの新
 型コロナウイルスの肺炎」が、日本発で、世界中に蔓延
 させることになりかねない・・
  東京オリンピック・パラリンピックも開催延期をする
 べきである・・
  2021年開催の1年延期にするべきである。
  その判断は5月・・
  あと60日間で収まる訳はない・・
  見通しが立つわけはない・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
  


2020年03月05日

(増補版)681E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年11月~1897年12月)

題:*(増補版)681E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年11月~1897年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年11月16日、京都鉄道が京都駅~大宮駅間を延伸し開
 業した。
  京都鉄道は、1893年に、設立された民営鉄道。
.
1897年11月16日 太田鉄道の水戸駅~久慈川駅間が開通した。
  太田鉄道は、茨城県水戸市と久慈郡太田町(現:常陸太
 田市)を結ぶために建設された私設鉄道である。
  多額の負債をかかえて水戸鉄道へ譲渡された。
  現在の東日本旅客鉄道(JR東日本)水郡線の一部。
.
1897年11月、官営鉄道の主要な駅で手荷物運搬業(赤帽)
 が許可された。
  赤帽は、鉄道の駅構内で旅客の依頼する手回り品運搬
 を業とした。
  赤い帽子を着用した。
  運搬料金は、重さ、個数に関わらず1回2銭だった。
  2006年、岡山駅で廃止され、全国で営業が終了した。
  1896年に、山陽鉄道が姫路、岡山、尾道、広島の駅に
 「荷運夫(にはこびふ)」を置いたのが最初という説も
 ある。
.
1897年11月、官設鉄道において、客車等級の上・中・下を
 1・2・3等に改め、客車外部に彩色し各等の区別を明瞭に
 した。
.
1897年11月、青梅鉄道が自営となり、甲武鉄道との営業委
 託契約を解除した。
  甲武鉄道の最初は、中野村の深草某が、日本橋から新
 宿・中野・杉並の青梅街道を通って田無まで走らせた馬
 車が最初と言われている。
  甲武鉄道は、多摩や山梨などからの丸太や石灰岩の物
 資を東京へ輸送する目的で開業された。
  当初は、羽村(西多摩)から四谷大木戸(現:新宿区)
 の間を玉川上水に沿って馬車鉄道を走らせる計画だった。
  穏やかな川の流れの勾配で、鉄道敷設にも都合が良い
 と計画され考えられたが、玉川上水の大切な飲み水が汚
 れるという理由で許可が下りなかった。
  また、甲州街道に沿っての鉄道敷設の計画もあったが、
 今ある街道の賑わいが奪われるという反対があまりにも
 激しかった。
  青梅街道も甲州街道も敷設できないとなり、武蔵野の
 原を走ることになる。
  この時の言葉・・「青梅街道や甲州街道以外の場所に
 陸蒸気(おかじょうき)を走らせてもお客はない、キツ
 ネやタヌキは蒸気には乗らない」・・
  八王子へめがけて、中野から立川に一直線の線路が引
 かれ武蔵野原を突っ切った・・
  これが、日本で二番目に長い直線区間(25キロメート
 ル)となった・・因みに、一番は北海道にあり、室蘭本
 線の社台から沼ノ端の28キロメートル。
  1889年4月、新宿駅~立川駅間が開業した・・
  1889年8月、八王子駅まで延伸された。
  開業時の駅は、新宿、中野、境(現:武蔵境)、国分
 寺、立川の4駅。
  今・現在、この駅が・・新宿、大久保、東中野、中野、
 高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪、吉祥寺、三鷹、武蔵
 境、東小金井、武蔵小金井、国分寺、西国分寺、国立、
 立川の17駅となっている。
.
1897年11月、中国社会は大混乱・・ドイツの卑劣な行動・・
 膠州湾の占領・・
  ドイツが、中国の山東省で、ドイツ人のキリスト教カ
 トリック宣教師が殺害されたという事件を口実にして、
 ドイツ皇帝のヴィルヘルム2世が、中国・山東省へ出兵を
 命じた。
  派兵されたドイツ軍は、膠州湾を占領した。
  そして、ドイツは、そのまま、中国・清政府から同地
 を租借地として奪ってしまった。
  この頃の欧米列強のやりたい放題の行為の一つだった・・
  この様な中国に於いて、この約3年後の1900年6月20日
 には義和団の乱が起きる。
  経済的に圧力をかけ、また、社会の規範を崩して行く
 アメリカやヨーロッパの列強の行動があった・・
  軍事力という威嚇を、時に使うという行動だった・・
  そして、白人キリスト教徒たちの傲慢さ、キリスト教
 側ばかりが有利に事が決まって行く社会だった・・
  この白人たちには平身低頭の中国官僚たちだった・・
  中国の宗教や孔子などが卑屈にみられる行動があった・・
 その様な雰囲気が中国社会に充満していた。
  強引な信者獲得のキリスト教の布教にも不満を持った
 人々=大衆が居た・・
  キリスト教会の破壊や聖職者の殺害の行動ともなった・・
  ドイツなどの列強が、清朝政府に抗議し、圧力をかけ、
 清朝の大衆への弾圧も起きた・・
  キリスト教会の建設で土地を強引に奪うこともあった・・
 それに抗議をしても、常に民衆側が不利に決着するとい
 う始末だった・・
  1899年の末になると、アメリカやヨーロッパの列強は、
 強烈に抗議し、政治のトップに死刑を要求する・・
  それほどまでの行動をし(このトップは、結局、処刑
 される)、代わりに袁世凱が赴任しする。
  赴任するとその傀儡(かいらい、あやつり人形、人の
 手先となって思いのままに使われる者)的な袁世凱は、
 義和団を弾圧するという状況だった・・
  翌年の1900年6月21日、中国・清国の西太后が、この反
 乱を支持した。
  このアメリカやヨーロッパの列強に宣戦布告し、国家
 間戦争となった(~1901年9月7日)
.
1897年12月1日、片山潜が、「労働世界」を創刊した。
  日本最初の労働組合の機関紙。
  1897年7月、労働組合期成会が結成され、その指導で
 同日の1897年12月1日に鉄工組合が発足した。
  この両者の共同機関紙として12月1日に創刊された。
  主筆は片山潜・・月2回の刊・・
  1900年9月から、片山個人の責任経営となる。
  1901年12月21日の第100号で一応廃刊。
  1902年1月1日から、日刊「内外新報」と改題したが続
   かなかった。
  1902年4月3日、雑誌「労働世界」として復刊。
  1903年3月3日から、「社会主義」と改題して社会主義
   協会の機関誌となった・・1904年まで続いた。
.
1897年12月1日、鉄工組合が発足した。
  正式名称:労働組合期成会鉄工組合。
  1897年12月、1088名の鉄工 (機械工) によって組織さ
   れた職業別組合。
  鉄工は、印刷工とともに、日本の労働運動の草分けで・・
  組織も定着し、組合として最初のもの・・
  1889年の同盟進工組の先駆的実践と高野房太郎らの労
 働組合期成会の支援が結成に大きく寄与・・
  機関紙「労働世界」の発行や共済活動への傾倒など協
 調的活動であった・・
  一時は全国に 42支部 5400名あまりの組合員を獲得し
 た・・
  しかし、不況と運動経験不足、規制によって、1900年
 の秋頃から急速に衰退した。
.
1897年12月1日、日本鉄道が、上・中・下等を1・2・3等に
 改めた。
.
1897年12月1日、日本鉄道の上野駅~青森駅間の直行列車が
 2往復運転となった。
  因みに・・上野発の夜行列車下りた時から、青森駅は
 雪の中、北へ帰る人の群れは誰も無口で、海鳴りだけを
 聞いている・・
  津軽海峡・冬景色の歌詞の一部であるが・・
  この様に直行列車の運転が開始されると、上野駅がタ
 ーミナル駅として機能するようになった。
  この年・1897年、日本鉄道の資本金は6000万円となり、
 日本一の大会社となった。
  1871年の明治になりたての頃、横浜に住む高島嘉右衛
 門は、東京と青森間の鉄道を建設しようと、工部省へ「
 陸奥青森まで鉄道築道の儀」を提出し、日本の鉄道建設
 が始まった。
  高島は、北海道まで結びたいという志があった・・そ
 して、国内で大きい財力を持つ大名華族の方々へ、その
 資金の助力を求めた。
  大きな苦難の山を乗り越えるにも、この方々の助力が
 色々な面で貢献した。
  日本の発展の基盤の鉄道建設の功労者の方々である。
  1891年9月1日、上野駅~青森駅間の開通式が行われた。
  出席した井上鉄道局長官は・・、
  「機関車は52両、客貨車は1,000両近く、営業に差支え
 ないだけ揃えることができた。
  会社としての本当の営業はこれから始まるのである」
 などと述べた。
.
1897年12月10日、出勤簿調査及諸届取扱規程を制定(鉄作乙
 発第1297号)
.
1897年12月15日、ロシア艦隊が、中国の旅順を占領した。
  旅順は、黄海に面する水深の深い良港で、唐代以来海
 上交通の要地で、清朝末期には、中国・清朝の北洋艦隊
 の軍港となった。
  1860年には、イギリスとフランスの連合軍が占領して
 いる。
  そして、この年・1897年、ロシア帝国海軍艦隊が清の
 保護を名目に沿岸に来航し、艦隊の武力を背景にした「
 砲艦外交」が行われた。
  さらに、ロシアは、中国・清に対し、満蒙での鉄道の
 敷設を求め、黄海沿岸の港湾の租借なども求めるという
 やりたい放題の要求をした。
  1898年3月、「旅順(港)大連(湾)租借に関する条約」
 がロシアと中国・清の間で結ばれる。
  これによりロシアは、遼東半島の南端の旅順・大連の
 25年間に渡る租借権と、東清鉄道と大連とを結ぶ支線(
 南満州支線)の鉄道敷設権を得て、軍港や鉄道の敷設を
 やり出した。
  これに対し、イギリスは、シベリア鉄道と旅順・大連
 を手にしたロシアが「東アジアで、陸軍のみならず、海
 軍でも優位に立つ」ということを懸念し、1898年5月に、
 中国・清に対して、大連対岸の威海衛を租借の許可をさ
 せた。
  因みに・・1945年、ソ連が旅順を占領管理し、1955年、
 ソ連軍が撤退し、中国海軍の軍港となっている。
.
  (今日の言葉)
.
  題:1941年1月、日米戦争を回避しようとする努力が始められ、
    「日本提案」という覚書が提出された。
.
19世紀後半、中国の行なっている冊封体制は・・
  中国側から言えば、「中国の徳に頼っていれば双方の
 国は安泰なのだ」という考え方の下に・・
  朝貢(ちょうこう)する国を属国とし、宗主国・中国
 の皇帝の臣下とする体制だった。
  (参考)朝貢:ちょうこう、(来朝して)朝廷にみつ
     ぎものを差し上げること。
  朝貢する国の王が、臣下の礼をとった時、中国皇帝か
 らその朝貢国の地域の「王」として資格を与えて貰う。
  朝鮮は、長くこの冊封体制下にあった・・
  伝統的に中国へ朝貢して、冊封して貰っていた。
  そして、虎の衣を借る狐の如く、中国から「朝鮮地方
 の民族的文化的な優越意識を確保」していた。
  宗主国・中国の朝鮮への冊封使が訪れた時には、下に
 も置かぬ接待をした・・手厚い夜の接待も伝統的に長ら
 く行なわれていた。
  この朝貢体制の「定められた儀礼の体系を守っていれ
 ば、朝鮮も安定した状態に居ることができた」。
  この様な冊封体制は・・
  欧米列強が掲げた体制=国際法を遵守して秩序を形成
 する体制と「相入れない状況下にあった」。
  特に、19世紀後半の東アジアには、中国の独自の体制
 を押し付けて良しとする独善性があり、時代にそぐわな
 い状況だった。
.
1880年11月30日、山県有朋は、天皇陛下へ「隣邦兵備略表」
 を上奏した。
  山県有朋は、1879年〜1880年、参謀本部長という役職
 にあった・・日本の国防計画や作戦計画などに関わる地
 位だった。
  山県有朋は、この期間、桂太郎らの将校十数名を中国・
 清国へ駐在武官や語学研究生の名目で派遣した。
  中国・清国の行なっている兵制改革の進展状況などを
 調べるのが本来の目的だった。
  そして、その報告を深刻に受けとめた。
  清国は、非常に進んだ近代的兵制への改革を進めてい
 た。
  その実態を目の当たりにした日本の俊英たちだった。
  その清国の望ましい状況にひきかえ、日本は、最前線
 の第一線の海岸防御の準備さえまったく不十分な状態に
 あるということが思い知らされた。
  1880年11月30日、山県有朋は、天皇陛下へ「隣邦兵備
 略表」を上奏した。
  その内容の概略は・・
  「国家の独立の維持のため、今、兵備を充実せしめた
 い」「万国公法があるといっても、それは強い者に対し
 大義名分を与え、弱い者に対しては同情を買うための口
 実を与えるぐらいのものに過ぎない」・・と・・
  この頃、1871年〜1881年に、イリ紛争が、清国とロシ
 アの間で起きていた。
  これは、ロシアが、イリ渓谷を占領したことに端を発
 した紛争で、これに対し、中国・清が、ヤクープ・ベク
 の樹立した国家を滅ぼし、ロシアとの間にイリ条約を締
 結し、領土を取りあった紛争だった。
  この様な事が、隣国で、まさに今、起きていた。
  その様な状況において、壱岐・対馬・隠岐・佐渡など
 防御の第一線であるはずのところがまったく無防備で、
 何の役にも立たない危機的な状態となっていると・・。
  中国・清は、李鴻章の下で対朝鮮政策を再編し、強化
 していた。
  日本の隣国である朝鮮への清国の干渉は強まっていた。
  日本への中国・清の圧力が、しんしんと伝わってくる
 状況だった。
  中国・清も、日本に対しての警戒心を強めていて、そ
 のために、朝鮮に対して、従来の冊封体制を逸脱するよ
 うなことまで強いていた。
  米朝修好条約にも、中国・清は口を出し、「朝鮮は清
 の属国だ」と条文への明文化さえさせようとした。
  これは、さすがに、アメリカの反対で条文化はしなか
 った。
.
1884年12月、甲申事変(こうしんじへん)
  中国・清による冊封体制に与(くみ)する朝鮮の閔氏政
 権に不満を持った者たちによって起きたクーデター。
  朝鮮の開化党の要人らが、中国・清の影響を受けてい
 る政権打倒に立ち上がった。
  しかし、打倒され、鎮圧され、中国・清は、朝鮮監視
 を強めるために袁世凱を駐剳(ちゅうさつ)朝鮮総理交渉
 通商事宣として派遣した。
  朝鮮国王のアドバイザーという名目だった・・
  そして、宗属関係を権力的関係に強化し、再編した。
  中国・清は、朝貢させるなどというおっとり収まる状
 態ではなく、積極的に関わり、乗り出して行って朝鮮を
 従えさせた。
  この様な不逞な中国の行動を日本は見ている。
  そして、強国・中国・清と日本は、1885年4月、天津条
 約を結び、日清両国論を公式に認めた形にする。
  日本の隣国・朝鮮の様に、強国・中国・清に好きに従
 属化されないようにした。
.
1885年4月15日、イギリスが、朝鮮半島の南にある巨文島(
 きょぶんとう、こむんとう、ポート・ハミルトン)を占領
 した。
  江戸時代末期に、欧米列強の各国が日本に来たが・・
  強烈な武力を誇示されたが・・
  そして、ロシアは、1807年、日本領の択捉島の日本の
 政府施設を攻撃し、南部藩や津軽藩の駐屯兵力と交戦さ
 えしたが・・
  この様な様々な列強各国の行動に、日本の政治体は揺
 さぶられていた。
  各地で、日本は理念を掲げて戦ったが、敗け・・そし
 て、何度も、大金を巻き上げられた。
  日本中に若き志を持った志士が生まれ・・活躍した・・
  無血で江戸城が、明け渡され・・新しい政治体制の明
 治となった。
  新しい政治体は、早く欧米列強に追い付こうと理知的
 な日本の指導者たちは努力した。
  国内の不満勢力の闘争も収まった頃(西南戦争・1877
 年など)、
  それから3年ほどが過ぎた1880年、参謀本部長の山県
 有朋は、天皇陛下へ「隣邦兵備略表」を上奏した。
  そしてまた、山縣は、再度、「進隣邦兵備略表」を上
 奏し、早急な国の備え、軍備の拡充を訴えた。
  また、同時に、山県は、1879年から1880年にかけて、
 日本の若手の俊英(優れ秀でている人)たちを隣国・中
 国・清へ派遣した。
  その俊英たちが中国を見て、日本へ伝えたことは「近
 代的改革を進め、武力の充実に励む中国の姿だった」。
  日本の施政者たちは、それに比して遅れている日本の
 姿に気付いた・・
  予算措置をし、日本の国防に励んだ・・軍備拡充を急
 いだ。
  時を経て1888年になると・・ロシアの不穏な動きが際
 立って来た・・ロシアの不穏な動きが際立って見えて来
 た。
  1871年〜1881年のイリ紛争・・この国境問題でロシア
 と中国との間で戦争が起こりそうになったが・・
  この時、ロシアの艦隊は長崎に居た(停泊していた)。
  もしこの時、ロシアと中国との間で戦争が起き、中国
 が敗ける様なことがあったら、べらぼうに強力な軍事力
 を持つロシアは、その勢いで日本への侵略もするという
 恐れもあった。
  対抗する軍事力をまったく持たない日本がそこにあっ
 た。
  朝鮮半島を巡るロシアとイギリスの動きも不穏だった。
  そして、日本よりしっかりした国の備えを持つ中国・
 清は、1884年、清仏戦争をしていた。
  これは、大々的に日本国内に報道された。
  この様な様々な成り行きは、最大の日本の関心事だっ
 た。
  日本の周辺は各国の力が様々にうごめいていた。
  中国・清は、武力に訴えてまでして安南(ベトナム)の
 利権を保持しようとした。
  武力に訴えてまでして、それを奪おうとするフランス
 に抵抗していた。
  この様なアジアの周辺の国々の状況だった。
  朝鮮半島においても、ロシアと対抗するイギリスが、
 1885年4月、朝鮮半島の南にある巨文島(ポート・ハミル
 トン)を占領した・・この島は、朝鮮海峡の軍事上の要衝
 だった。
  イギリスは、ロシアとの対抗上この様な行動をした。
  この時、イギリスとロシアとの戦いが、アフガニスタ
 ンで劇烈になっていた・・この中央アジアで一触即発の
 状況になっていた。
  そのためのイギリスの行動だった。
  また、ロシアはロシアで、朝鮮半島北部の日本海側の
 元山(げんざん、うおんさん、ポート・レザノフ)を奪お
 うとしていた。
  アジアの制海権を巡るイギリスとロシアの戦いだった。
  この様な嵐の中で、国の備えも整わない、まだ未熟な
 日本があった・・今・現在も、核ミサイルに囲まれてし
 まっている日本である・・
  中国は、日本の主だった「都市のすべて」に核ミサイ
 ルの照準を合わせているという・・この様な敵対行為を
 している中国・・この様な国の人が国賓で来日するとい
 う・・「桜を見る会」の話はするが、国を守る国防の話
 をまったくしない国会となっている。
.
1885年4月15日、巨文島事件
  巨文島(こむんとう、ポート・ハミルトン)は朝鮮の
 南部にある島(韓国・朝鮮の全羅南道と済州島の間)で・・
  イギリスが朝鮮の巨文島の占領行為をする時に「中国・
 清に許可をとった」と言ったことに、日本は、大きな衝
 撃を受けた。
  許可をした中国・清もおかしいが・・イギリスもおか
 しい?
  まったく関係ない国の許可で領土が奪われてしまう・・
  キリスト教国は、この様な不埒なことをよくやる。
  例えば、アメリカはフィリピンを奪って植民地にする
 時、スペインに金を渡した。
  フィリピンを買ったと称した。
  こんな嘘論理をキリスト教国は、世界のあちこちでや
 っている。
  「(キリスト教の)神の義があれば、人を殺しても良
 い」という屁理屈論理と同じである。
  こんなことだったら、世の中で、何でもできてしまう。
  ある店の品物を持ち去り、店とまったく関係のない人
 間へ金を渡す様なもの・・そんなの成立する訳はない・・
  その金を渡した相手がその店の主人の知り合いだから
 なんて何でも自分勝手な理屈を付けて、自分の行為を正
 当化している・・こんな行為はあり得ない。
  「朝鮮は一つの独立国なのだ」というのが日本の考え
 方だった。
  「一つの尊重すべき独立した国=朝鮮なのだ」という
 のが日本の見解だった。
  この後、日本は中国・清と戦争をすることになるが、
 その日清戦争に日本は勝って、中国・清に「朝鮮が独立
 国だということを認めさせた」。
.
1888年11月16日、山県有朋が、ローレンツ・フォン・シュ
 タインに会いにヨーロッパへ行く・・その命令が出た。
  シュタインは、伊藤博文に憲法を講じた人で・・
  この時、山県が会って、コメントを求めたかったのは
 不穏な動きをするロシアのことだった。
  ロシアは、シベリアを取れるだけ取り、さらに、アメ
 リカ大陸へ渡って行き・・
  また、ロシアは、太平洋にぶち当たって南下をし始め・・
  その様な行動をするロシア・・何をする分かわからな
 い・・かつて、江戸時代の末期、日本領の国後島へ攻撃
 した過去のロシアの荒っぽい蛮行があった。
  そして、ロシアは、シベリアに鉄道を敷き、大量の武
 器や兵士を運ぶことの出来る鉄道敷設も進展させていた。
  山県有朋は、この様な行動をするロシアのことなどが
 気がかりだった。
  1890年、首相の地位にあった山県有朋は、1890年12月
 6日、第一回帝国議会の施政方針演説で、下記の様な演説
 をした・・
  「国家の急務とするところは、行政・司法制度を整備
 し、農業・工業・通商を振興して国の実力をつけ、国家
 の独立を維持し、国権の拡張を図ることである。
  列国のあいだにあって、一国の独立を維持するには、
 単に主権線を守護するにとどまらず、進んで利益線を保
 護しなければならない。
  明治二十四年度中、歳出のかなりの部分を占めるのは
 陸海軍の経費であるが、巨大な金額をさいたのはそのた
 めである。・・」。
  この演説の2年前の1888年11月16日、山県有朋は、地方
 制度調査という名目でヨーロッパへの派遣を命じられて
 いた。
  山県の気がかりはロシアのことだった。
  随員を引き連れて、1888年12月2日、横浜港を出立し・・
  翌年の1889年1月11日にマルセイユに着き、パリ、ベル
 リンを歴訪したあと、ローレンツ・フォン・シュタイン
 の待つウィーンに、1889年6月に入った。
  そして、山県は、シュタインに会って日本の軍事につ
 いての「意見書」を渡し、意見を求めた。
  (参考)ローレンツ・フォン・シュタイン:ドイツの
     法学者、財政学者、社会学者。ウィーン大学教
     授。
      ヘーゲル哲学から出発してドイツ的社会科学
     の体系を確立。
      法を社会発展の所産と説き、法社会学の先駆
     をなし、行政学を階級対立を緩和する政策の原
     理とし、財政学では租税再生産力説で知られる。
      フランス社会運動史に関する著書もある。
      保守的な社会改良主義者で、1882年、渡欧中
     の伊藤博文に憲法を講じ、大きな影響を与えた。
  シュタインは、山県有朋の分析に対し「実に明晰」「
 正確」と評価を与えた・・が・・批判的なコメントもし
 た・・それが以下・・
  (1)シベリア鉄道は、ウラジオストックまで全通する
   ことがあったとしても、山県が恐れるほどには、日
   本の脅威にならない。
    その理由は、東アジアに到達する部分でシベリア
   鉄道は、中国の領土を通過しなければならないから
   で、これは、ロシアにとって一つの制約要因となる。
    また、日本に侵攻するロシア軍を仮に3万人とすれ
   ば、その兵員を客車で運ぶと900輌を要する。
    シベリア鉄道は、荒漠たる土地に一線路を敷いた
   ものに過ぎないので、全路線を保全しつつ3万の兵員
   をアジアまで移動させることは難しいだろう。
    そして、ユーラシア大陸の東に出れば、日本海を
   渡るために多くの輸送船を必要とする。
    しかも港は結氷する。
    シベリア鉄道によって、ロシアが日本を蹂躙する
   ことはほとんど無理である。
  (2)むしろシベリア鉄道は、「朝鮮の占領に関して必
   要あるを知るべし」。
    ロシアはこれによって、東亜に海軍を起こすこと
   ができる。
    この様な意味で、シベリア鉄道の着工は日本にと
   って大問題となるのである。
  (3)イギリスの東アジアへの干渉の度合いが、カナダ
   鉄道の北米大陸横断によって高まったと山県はみて
   いるが、それは違う。
    イギリスが、カナダ陸軍を使おうとすれば、カナ
   ダ国会の議決が必要となり、そうそう簡単にはいか
   ない。
  北太平洋の危機について山県が、シベリア鉄道の着工
 (1891年)や、カナダ鉄道の北米大陸横断によって格段
 に高まったとの判断を下していたのに対して、シュタイ
 ンは、シベリア鉄道竣工が日本にとって死活的に重大に
 なるのは、ロシアが朝鮮の占領を考慮した時だけである
 と論点を整理してコメントした。
.
1889年6月、山県有朋はウィーンに入り、シュタインに会
 った・・そして、色々な意見を求め、指導を受けた。
  ロシアは、16世紀後半になって、シベリアを自国の領
 土として侵略して行った・・
  そして、そこに、必死に鉄道を敷設して行く・・
  ウラジオストクまで全通した時、ロシアはジレンマに
 直面した。
  ウラジオストクまで行って太平洋に、直接、出て行か
 れる様になったが、この港は冬季に結氷した。
  鉄道を敷いて大軍団の軍事力を効率的に運ぶことがで
 きる様にはなったが、この様な冬季凍結の港では完全に
 活かすことはできない。
  ここで地図を見ればすぐに分かるが、結氷しない良港
 が朝鮮半島に存在した。
  ロシアは結氷しない良港を求めて行く・・
  この行動から数々の問題が発生して行く・・
  ロシアは凍結しない港、極東艦隊の根拠地を求めた。
  日本は、早い時期から、この様なロシアが、日本海に
 面した元山沖の湾を占領するだろうと予測した。
  山県有朋やシュタインの予想した東アジアの危機的状
 況から導き出された。
  シュタインは、朝鮮が「ロシアや中国に支配される」
 のではなく「中立が保たれるのが重要」と示した。
  この朝鮮中立を、日本は何よりも、軍事力を使ってで
 も進めるべきだという意見をシュタインは述べた。
  日本の安全保障のために「朝鮮の中立を武力を使って
 でも担保せよ」との指針を示した。
     ・
     ・
1934年9月4日、アメリカのナイ委員会が公聴会を始めた。
  アメリカの「ナイ委員長の委員会」は、アメリカが第
 一次世界大戦に参戦したのは「大銀行家」と「軍需資本
 家(軍需工業家・兵器製造業者)」のために参戦したのだ
 と考えていた。
  ナイ委員会は、この調査を進めた。
  調査主任はスチーブン・ラウセンブッシュだった。
  ナイ委員会は、1934年9月4日、公聴会を始めた。
  この問題は今・現在も「限りなく真実に近い問題とし
 てアメリカに存在すると世界は見ている」。
  (参考)ナイ委員会:1934年に、アメリカ連邦議会の
     上院に設立された軍需産業調査特別委員会。
      委員長:G.ナイ (1892年~1971年) 上院議員
     の名にちなみ、こう呼ばれた。
      同委員会は第1次世界大戦中、軍需産業資本家
     たちが「死の商人」としていかに莫大な利潤を
     獲得したかを次々と明らかにし、軍需産業の国
     有化や特別課税を勧告したが、立法化には成功
     しなかった。
      しかし、1934年のビンソン=トランメル法に
     影響を与えて、国防上の契約から莫大な利益を
     あげることを防ごうとする動きを強め、また、
     中立法制定の機運を促した。
.
1937年10月5日、隔離演説(日本批難演説)・・
  アメリカ国内でも批判が出る様な卑劣な日本への蔑(
 さげず)み演説がされた。
  フランクリン・ルーズベルト大統領が、この日、日本
 を批難する隔離演説をシカゴで行った。
  程度の低いこの演説に様々な批判が出るくらいだった。
  著名な漫画家で、4コマ漫画「スキッピー」の作者のパ
 ーシー・クロスビーは、ルーズべルトを痛烈に批判した。
  彼は、ニューヨーク・サンの広告枠を2ページ分購入し、
 演説を攻撃した。
  また、ウィリアム・ランドルフ・ハーストは、所有す
 る数々の新聞社で酷評し・・
  シカゴ・トリビューンのロバート・R・マコーミックも
 酷評した。
  さすがに、この演説に対するアメリカ国民の方々の反
 発は強かった。
  ルーズベルトは程度の悪い大統領だった。
.
1937年12月12日、バネ―号事件
  中国の南京付近で、揚子江上のアメリカ砲艦パネー号
 (パナイ号)を日本海軍機が爆撃し沈没させた事件。
  これが意図的なものなのか誤りによるものなのかにつ
 いては、事件当日以来、日本とアメリカとの間で主張が
 わかれた。
  日本は事件が誤りによって起きたとして、ただちにア
 メリカに対して陳謝した。
  この日本政府の陳謝は、アメリカ政府に受け入れられ、
 事態はおおむね収束した・・が・・
  アメリカで大々的に報道され、厳しい対日世論を引き
 起こした。
  背景として・・1937年8月13日に、第二次上海事変が起
 きていた。
  第二次上海事件は、今は新史料も出て来て、アメリカ
 が大々的に中国・国民党を支援して、上海の日本租界を
 攻撃させたことが分かっている。
  第二次上海事変勃発から約4ヶ月後のこの時も、日本軍
 は中国国民党政府の首都・南京へ向けて追撃戦をおこな
 っていた。
  海軍航空部隊もこれを支援して、撤退する中国軍部隊
 へ追撃し、中国軍部隊を乗せたジャンクの爆撃、輸送機
 関、輸送施設の爆撃などさまざまな作戦を展開していた。
  便衣兵(べんいへい、中国軍は民間人の平服を着て、
 卑怯な偽装していた。これでは民間人に犠牲が出てしま
 う)の存在があるため、日本軍は中国人の取調べなどを
 行っていた。
  その日本陸軍の部隊も、飛来した日本海軍機の爆撃や
 機銃掃射に巻き込まれ、日本兵にも死者2名、負傷者3名
 が出るくらいに戦いの状況は乱れていた。
  そこに、卑劣にも隠密裏に行動するアメリカ軍も絡ん
 でいた・・
  また、中国軍は、外国旗を掲揚して外国船を偽装した
 中国船に乗船したり、あるいは外国船を借用したり、さ
 らには中国軍に味方した外国船に護送されて南京からの
 脱出を図っていた(アメリカは、戦いの中心人物の蒋介
 石や司令部を救出という名目で連れ去っていた。これで
 は戦いが、さらにシッチャカメッチャカになる訳である)。
  陸軍の作戦に協力すべき任務を課せられていた海軍航
 空部隊指揮官は、12月11日以来、「南京方面の中国兵が
 船舶により上流方面に逃走しつつあり」、また、「此等
 船舶は屡々南京とその上流との間を往復しつつあり」等
 の情報を受領していた。
  1937年12月12日午前、中支那方面軍司令部に連絡参謀
 として派遣されていた青木武海軍少佐から「南京上流約
 10海里の揚子江上に中国の敗残兵を満載した商船約10隻
 が上流に向かって逃走中である。
  陸軍にはこの敵を攻撃する手段がないので、ぜひとも
 海軍航空部隊で攻撃してもらいたい」との(陸軍からの
 攻撃協力要請の)主旨の電話連絡を受けていた。
  この様な時、アメリカのバネ―号は中国軍に協力して
 いた・・
  中国空軍基地に運ぶガソリンを満載したタンカー3隻を
 護送していた。
  この様に中国軍とともに行動していたバネ―号を攻撃
 するのは誤りでも何でもなかった。
  れっきと参戦しているアメリカだった・・
  攻撃を受けたバネ―号には逃走する中国人を含む外国
 人(アメリカ人将校5人、兵士54人、アメリカ大使館員5
 人、民間人10人)を乗せていた。
  日本軍機の攻撃によって、死者が3人、重傷者48人が出
 た。
  同道していたアメリカの企業の船も危害を受けた。
  この様なバネ―号事件を、日本に対して何かと厳しく
 対応するルーズベルト大統領の外交部門を担当するコー
 デル・ハルは、「公正に日本を見ていなかった」。
  そして、コーデル・ハルの著書「ハル回顧録」で以下
 の様に表現した。
  「日本はだんだん不敵になり日本の飛行機がバネー号
 を撃沈した」・・と・・
  コーデル・ハルは、この著書でも分かるが、日本を戦
 争に駆り立てる言動をよくする。
  コーデル・ハルは、「ハル・ノート」を日本に突き付
 ける行動をした。
  これは、日本に最期通喋となって日本に戦争を決断さ
 せている。
  コーデル・ハルは、日米戦争を起こさせた者と言える。
  ルーズベルト大統領は、アメリカの自国の国内問題で
 忙しかった。
  実際に大統領の片腕となって外交を指揮したのはコー
 デル・ハルだった。
  このコーデル・ハルは、日本に対して良い印象を持っ
 ていない・・蔑視観さえ持っていた。
  アメリカ国内では、長い間、種々の日本への差別的プ
 ロパガンダ行為がなされており、日本との戦争はその行
 き着く先の道という行動がなされていた。
  逆に、日本には親米感情さえあったが、長い間、アメ
 リカで行われる日本への差別的排除行動、蔑(さげす)み
 行為、プロパガンダ行為がだんだん双方に、当然、日本
 にも不快感を醸成させ、戦争が醸し出されて行った。
  アメリカ国内で執拗に、陰湿に、長い期間、行なわれ
 たこのプロパガンダ行為が最も罪ある行為だった。
  その底には「有色人種への蔑視観を植え付け洗脳した
 キリスト教の教義とマインド・コントロールがあった」。
  これが日米の戦いへの道の基底にあった。
  当時、 唯一、日本だけが、白人キリスト教社会に抵抗
 できる状態だった。
  キリスト教の宗教の根には「異端への警戒感」があっ
 た。
  カナンの地を目指し、生き残ろうとした民族は、目的
 地へたどり着くと、蜜と乳の流れる豊穣のわずかな地に
 は、その砂漠の中の豊かな地には、数多くの民族が、や
 はり生き残ろうと群れていた。
  「我が民族さえ生き残って欲しい」と祈った。
  キリスト教は、この様な祈りから生まれた。
  他者排除の心が心底にある宗教・・
  「異教徒は殺せ」の教義を持つ宗教・・
  特に肌の色、有色の民への蔑視観とともに排除しよう
 と・・
  アメリカに、当然のごとくにして「排日移民法」がで
 きた・・卑劣な法律だった・・これも日米戦争の遠因と
 なった。
  アメリカではKKKなどの有色人種殺戮集団が今でも
 暗躍している。
.
1937年12月13日、中国の南京が陥落した。
  陥落の4日前の12月9日に、日本軍は飛行機で南京城内
 にビラを撒いて、中国軍に対し、犠牲が多くなる無駄な
 抵抗をしない様にと「降伏の勧告をした」。
  以下はその内容・・
  『日本軍は江南を席巻した・・南京城はすでに包囲さ
 れた。
  今後の交戦は百害あって一利なし。
  江寧の地は旧都にして中華民国の首都である。
  明の孝陵、中山陵など古跡名所が多くあり東亜文化の
 精髄の感がある。
  日本軍は抵抗する者に対しては寛恕しないが、無辜の
 民衆および敵意なき中国軍隊に対しては寛大をもってこ
 れを冒さない。
  文化財は保護する熱意がある。
  しかし、交戦を継続すれば、南京は戦禍を免れず、千
 載の文化は灰に帰す。
  貴軍に勧告する。
  南京城を平和裡に開放せよ。
  回答は10日正午中山路句容道上の歩哨線で受領する。
  もし貴軍が責任者を派遣するときは、必要の協定をむ
 すぶ。
  回答がない場合は、日本軍はやむをえず南京城攻略を
 開始する。
  投降勧告(原文中国語、現代日本語による抄訳)、大
 日本陸軍総司令官  松井石根
  (参考)寛恕:かんじょ、度量が広く、思いやりの深
     いこと。あやまちなどをとがめずに、広い心で
     許すこと。
  (参考)無辜:むこ、何の罪もないこと。
.
1941年1月、日米戦争を回避しようとする努力が始められ、
 「日本提案」という覚書が提出された。
  「ハル回顧録」には以下の様なことが記されている・・
  1923年、フランスがルールに侵入したのは予防手段を
 取ろうとしたものであったが、これは英国の激しい反対
 を招き、ポアンカレ―内閣はこのために潰れてしまった。
  その後、フランス政府は予防戦争に乗り出す勇気を失
 ってしまった。
  以下、同著を参考に記すと・・
  1935年、コーデル・ハルは、スズの貯蔵計画をたては
 じめた。
  これは、米国内では沢山生産されない戦略物資で、戦
 時には陸海軍にとって必要欠くべからざるものであった。
  そして、ゴムを加えて戦略物資の貯蔵を始めた。
  1937年10月5日、ルーズベルト大統領はシカゴで「隔離
 演説」をした。
  アメリカは、日本の通信を完全に傍受し中味を知って
 いた。
  (参考)アメリカは、卑劣にも日本の郵便物を開封す
     ることまでして日本の行動を傍受し知っていた。
      この様に何から何まで知っていたアメリカが
     この点だけからでも「真珠湾攻撃が奇襲だ」「
     アメリカは何も知らなかった」などと言えるは
     ずはない。
  そして、ハルの著書には、「我々が傍受していた東京
 からの通信が危機が迫っていることを明白に物語ってい
 た」と「ハル回顧録」に書かれるぐらいだった。
  ハル・ノートが日本に渡された日は、1941年11月26日・・
 「ハル回顧録」には提案(十ヶ条の平和的解決案」と記
 されている。
  正式には、「合衆国及日本国間協定の基礎概略」と称
 する。
  冒頭に「厳秘、一時的且拘束力なし」という但し書き
 が書かれていてアメリカの正式な提案ではなく、ハルの
 「覚書」だという。
  重要資源のほとんどをアメリカに依存していた日本が
 アメリカと戦争する理由は『まったくある訳はなかった』。
  民間の接触から始まった日米戦争の回避への接触は、
 1941年1月、「日本提案」という覚書が提出された。
  日米が接触していることは、ルーズベルト大統領、ハ
 ル国務長官へも報告されていた。
  ハルは、著書に、40回から50回、日本側と接触し会談
 したと記している。
  「もし日本が三国同盟から脱退すれば、アメリカは日
 ソ戦が起きた場合、日本を援助する」という提案もあっ
 たという。
  また、日本から、アメリカも北京議定書に基づいて中
 国にアメリカ軍が駐留しているが、日本だけの駐留だけ
 を問題にして言うのはおかしい・・というやり取りもあ
 り、アメリカは「なるべく早く撤退するつもりだ」とも
 言ったという。
  また、日本が、アメリカの「パナマ駐留」を指摘する
 と「あれは租借地でパナマ領ではない」と言い逃れを言
 ったという。
  「租借地を作っても良いのか」とも言うと、「それは
 困る」との返事がアメリカからあったという。
  満州国の承認について、アメリカ側から異議は出なか
 ったという。
  これらをまとめて、1941年4月9日に草案を受け取った
 ハル国務長官は、3日間に渡り国務省内で検討したが、
 「日本側ばかりが望むものばかり」と評した。
  しかし、ハルは、「一部は全然承諾は出来ない点もあ
 るけれども、そのまま受け入れる事のできる点、また、
 修正も加えて同意できる点もある」という結論を出した。
  そして、1941年4月16日に「日米諒解案」として決着し
 た。
  日本には、「アメリカの蒋介石援助」を停止したいと
 ころがあった。
  アメリカの介入なしに日中で問題を解決したい点があ
 った。
  アメリカは、この点は関わりたい態度だった。
  また、ルーズベルト大統領は、日本が三国同盟を結ん
 でいることに強い懸念を示していた。
  1941年4月16日、ハルは、野村大使と会談し、次の四原
 則を示した。
  (1)すべての国の領土と主権尊重
  (2)他国への内政不干渉を原則とすること
  (3)通商上の機会均等を含む平等の原則を守ること
  (4)平和的手段によって変更される場合を除き太平洋
    の現状維持
  しかし、野村大使は、この四原則を添付せずに日米諒
 解案を日本政府に送った。
  野村の言い訳は「日米の話し合いが進まなくなること
 を恐れて、これを押さえた」と説明した。
  日米諒解案・・
  1、日米両国は、相互に隣接する太平洋地域の強国であ
   ることを承認し、共同の努力により太平洋の平和を
   樹立し、友好的諒解を速やかに達成する。
  2、欧州戦争に対する態度として、日本は三国同盟の目
   的が、欧州戦争拡大を防止することにあり、その軍
   事上の義務は、ドイツが、現にこの戦争に参加して
   いない国によって、積極的に攻撃された場合のみ発
   動することを声明する。
   一方米国の欧州戦争に対する態度は、もっぱら自国
   の福祉と安全とを防衛するという見地によってのみ
   決することを声明する。
  3、日中戦争について、米国大統領が次の条件を容認し、
   日本政府がこれを保証したときは、大統領は蒋介石
   政権に和平を勧告する。
   A.中国の独立。
   B.日中間の協定による日本軍の中国撤兵。
   C.中国領土非併合。
   D.非賠償。
   E.中国の門戸開放方針の復活。
   F.蒋介石政権と汪兆銘政権の合流。
   G.中国への日本の集団的移民の自制。
   H.満州国の承認。
  4、太平洋平和維持のため、相互に他を脅威する海空力
   の配備をせず、日本は米国の希望に応じ、自国船舶
   を太平洋に就役させる。
   会談妥結後、両国は儀礼的に艦隊を派遣し合い、太
   平洋の平和到来を祝す。
  5、両国間通商の確保、日米通商航海条約の復活。
   米国よりの金クレジットの供与。
  6、日本の南西太平洋における発展は武力に訴えず、平
   和的手段によってのみ行われるという保障のもとに、
   米国は日本の石油・ゴム・錫・ニッケルなど重要資
   源の獲得に協力する。
  7、太平洋の政治的安定に関し両国は、
   A.太平洋地域に対する欧州諸国の進出を容認しない。
   B.両国はフィリピンの独立を保障。
   C.日本人移民は他国民と同等無差別の待遇を得る。
  以上の点について両国が合意すれば、ハワイにおいて
 ルーズベルト・近衛会談を行う。
  日米の和平への決着の道が示されたのだった。
  ただ、日本企業が中国に進出し、小売りの商人も居た、
 また、日本人が、多数、中国で経済活動をし、生活し、
 密着していた・・この保護のための日本軍駐留が出来な
 くなるという事が大きな問題点として存在した。
  この案で決着の道へ進みそうであったが、帰国した松
 岡外相は「その様な肯定的な受け取り方ではなかった」。
  そして、松岡独自の三原則が提議された。
  ・支那事変への貢献(アメリカが蒋介石に圧力をかけ
   て日中戦争解決に貢献する)
  ・三国同盟に抵触しないこと(ドイツへの信義)
  ・国際信義を破らない(アメリカの中国からの撤退)
  これが、ボタンの掛け違いの始まりだった。
  アメリカの狙いは、三国同盟の骨抜き、欧州戦争にお
 けるイギリス援助、日本の中国からの撤兵・・だった。
.
1941年3月3日、戦争回避のための日米交渉が始まった。
.
1941年12月8日、日本が真珠湾を攻撃したという報告を受け
 たイギリス首相のチャーチルは歓喜した・・「これで勝
 てた」と思った・・確実にアメリカ世論が転換して、ア
 メリカがヨーロッパ戦線に参戦するからだった。
  洋上でルーズベルト大統領と会談したとおりに事が運
 んだのだった。
  チャーチルは、この日、「感激と興奮とに満たされ、
 満足して私は床につき、救われた気持で感謝しながら眠
 りについた」チャーチル著「第二次世界大戦回顧録」
  ヒトラーという男が、ドイツで国民の方々を繰って国
 の実権を握ってしまう。
  この様な行動が許されてしまう素地は、資源が欲しい
 として始まった戦いにドイツは敗れ、その戦いの弁済を、
 戦勝国の立場の横暴さで、あまりにも過酷な弁済をドイ
 ツに科したところにあった。
  その様な素地から生まれたヒトラーの行なう事は、そ
 の反動で、あまりにも卑劣だった。
  苦しんだドイツ国民もそれを許した。
  イタリアも同じような不満からイタリアの実権を握っ
 たムッソリーニはヒトラーと同調した。
  この様にしてできた勢力との戦争が悲惨な戦いになっ
 た頃、アメリカの助力が求められた。
  しかし、アメリカ国民の方々は、あまりにも悲惨だっ
 た先の戦争(第一次世界大戦)の記憶から参戦には大反
 対だった。
  この時のアメリカ統領・ルーズベルトでさえ「戦争は
 しませんを公約していた」。
  しかし、ヨーロッパの戦いはあまりにも悲惨だった。
  その行く先はアメリカの望む方向ではなかった。
  ここで「戦争に加わるか?」「戦争に加わざるべきか?」
 の問題がアメリカに生まれた。
  戦争に加わるべきとなった時、引っ張り出されたのが
 日本だった。
  日本は、当然の様に最初からアメリカと戦うという気
 さえ「まったく無かった」。
  重要な輸入品の多くをアメリカに依存していた。
  アメリカ国民の「戦争はしたくない」「戦争はしませ
 ん」という世論の変更と、アメリカと戦う気のまったく
 無い日本を操作して日本に戦う気を起こさせるのが、ア
 メリカ大統領と外交の責任を負ったコーデル・ハル国務
 長官だった。
  コーデル・ハル国務長官は色々な手を打ち、日本に戦
 争の決断をさせる最期通喋の「ハル・ノート」を日本に
 突き付けた・・日米の戦い・ハワイの開始によって・・
 アメリカの世論は180度転換し、アメリカはヨーロッパ戦
 線へ参戦できる様になり、ヨーロッパ戦線へ参戦して行
 く。
  イギリスのチャーチル首相との約束通りに、その約束
 を果たせたアメリカのルーズベルト大統領だった。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
  


2020年02月27日

(増補版)680E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年11月~1897年11月)

題:(増補版)680E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年11月~1897年11月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年11月8日、兵員学校生徒乗車賃金割引規程を制定した。
.
1897年11月10日、隅田川の永代橋(えいたいばし)が完成
 した。
  徳川家康が江戸に入府してからの江戸時代に隅田川に
 架けられた橋は5つあるが、その4番目の橋。
  5代将軍・徳川綱吉の50歳を祝う記念事業として、関東
 郡代の伊奈忠順が指導して実施された(1698年8月説あり)
  「永代橋」という名は、対岸にあった中洲「永代島」
 (現:江東区富岡)に因み・・
  俗説として、江戸時代が末永く続く様にと願って名付
 けられたという・・
  因みに、赤穂浪士の吉良邸討ち入り後、この永代橋を
 渡って、泉岳寺へ向かっている。
  永代橋に絡む話として・・財政が窮乏した江戸幕府は
 1719年に、永代橋の維持管理を諦めて廃橋を決定した・・
  しかし、町方衆の嘆願によって、橋維持に伴う諸経費
 を町方がすべて負担するという条件で存続を許された。
  町方衆は、橋の通行料を取って、また、橋詰に市場を
 開いて収益を上げ費用を工面した・・そして、維持に努
 めた。
.
1897年11月10日、日本鉄道磐城線の岩沼駅~中村駅(現:相
 馬)間が開通した。
  日本鉄道は日本で初めての私鉄。
  そして、磐城線は水戸駅~岩沼駅間の路線。
  1898年8月23日には、金山隧道(かなやまずいどう)を
 開通させる。
  このトンネルは全長1656メートルで日本最長トンネル
 の座にしばらくあった。
  このトンネルは、1963年(昭和38年)に廃線とともに
 使われなくなった・・現在、土木学会選定の土木遺産A
 ランクの指定を受けている。
.
1897年11月11日、参宮鉄道の宮川駅~宇治山田駅間が開通
 した。
  1891年に、関西鉄道によって開業した亀山駅~津駅間
   を延長して、
  1893年12月31日に、津駅~相可駅(現:多気駅)~宮
   川駅が開業し、
  1897年11月11日に、宮川駅~山田駅(現:伊勢市駅)
   が開業し、
  1893年~1911年に、伊勢神宮の参詣路線として建設さ
   れ・・1911年7月21日に全通した。
.
1897年11月11日、関西鉄道の上野駅(現:伊賀上野駅)~
 加茂駅間が開通した。
.
1897年11月14日、ドイツ軍が、膠州湾を占領する。
  ドイツは、19世紀以来、帝国主義が拡大した。
  他のヨーロッパ列強の侵略行為の様に、植民地を獲得
 しようという意識が高まった・・これが、中国に植民地
 を建設するとという占領意識となった。
  この行為によって経済を支えようという事で行動が起
 こされる。
  中国の多くの人口と広大な領土の巨大な市場にも、他
 のヨーロッパ列強諸国などの欧米諸国と同様に目を付け
 た。
  マックス・ヴェ―バーなどの学者の植民地政策採用の
 思想にも影響を受けた。
  当時、欧米列強にとって中国は最重要の市場だった。
  植民地経営による収奪思想にあった欧米列強と同様に
 ドイツも、世界に軍事的影響力の拡大に努めた・・海軍
 基地網を構築した・・この様な背景からなされた膠州湾
 の占領であった。
  経緯・・
  1860年、プロイセン王国の遠征艦隊がアジアを訪問し、
   この際膠州湾周辺地域も調査された。
  1861年、プロイセンと清の貿易協定が調印された。
  1868年、フェルディナント・フォン・リヒトホーフェ
   ンは、1868年から1871年の中国探検の後、膠州湾を
   理想の艦隊基地として推薦した。
  1896年、ドイツ東洋艦隊の司令官だったアルフレート・
   フォン・ティルピッツ提督は、この地域を個人的に
   調査し・・ドイツは、三国干渉でともに清に対して
   恩を売ったロシア帝国やフランスに比べて中国での
   足場を築くのが遅れ、まだ、他の欧米列強の手のつ
   いていない地域を物色し、最終的に山東半島に目を
   つけた。
  1897年11月1日、山東省西部の巨野県(きょやけん、現:
   菏沢市)で、ドイツ人宣教師二人が殺される事件が
   起こる。
   この「鉅野事件」は、「ドイツ人宣教師の保護」と
   いう侵略の口実を与えた。
  1897年11月7日、上海にいたドイツ東洋艦隊司令官オッ
   トー・フォン・ディーデリヒスが、膠州湾占領作戦
   開始の命令を受ける。
   (彼は、1898年3月7日まで、軍総督の地位に就く)
  1897年11月14日、ドイツ海兵隊が、長期航海途中の上
   陸と陸上訓練とを口実に膠州湾に上陸、戦闘なしで
   膠澳の総兵衙門にいた清国兵たち1,000人以上に退去
   を命じて、湾岸全域を占領を行なった。
   清国側が、この部隊を撤退させようとした。
  1897年11月20日、清独交渉が始まったが・・
  1898年1月15日、宣教師事件の和解だけという結果で終
   わる・・不埒な染料行為は続く・・
.
1897年11月15日頃、ロシア軍が、遼東半島を占領した。
  ロシアは、三国干渉により遼東半島を日本から清朝に
 返還させることに成功し・・さらに・・
  1896年、東清鉄道の敷設権を得て、遼東半島に進出し
   た。
  1898年、25年間を期限として、遼東半島南部の旅順・
   大連を租借した。
   旅順(軍港)には極東艦隊を配置し、それに隣接す
   る大連(商業港)とともにアジア進出の拠点とした。
  しかし、後に、ロシアは、日露戦争に敗れた結果、ポ
 ーツマス条約によってその租借権を日本に譲渡した。
  その詳細は・・
  ロシアは、シベリアを濡れ手で粟の状態で領有した・・
 そして、シベリア鉄道を開通させ、その領有を確固とし
 た状態にした・・
  そうなると、ロシアは、太平洋側に不凍港が欲しくな
 った。
  そして、できれば要塞が完備できればよいと考えてい
 た。
  1896年5月、ロシア皇帝の隣席の下に、ベターな港とし
 てウラジオストクが選ばれた・・が・・ただ、この決定
 の後、喫緊の課題として不凍港の獲得が浮上した。
  ウラジオストクは冬季に氷結した。
  この頃、ロシアの太平洋艦隊は、冬季に長崎で越冬す
 ることを慣例としていた・・しかし・・
  1895年4月の三国干渉によって、日本の不利益な事をし
 たことで、日本の港湾の利用は何もなく実施できるとい
 う状態ではなかった。
  そして、越冬場所は膠州湾へ移っていた。
  しかし、その膠州湾・・ドイツの東アジアの艦隊が膠
 州湾を占領した・・
  そのため、冬季の迫る時期であったため、早急に、新
 たな場所が必要となった。
  釜山も最適と考えられていたが、日本の戦略重要地で
 あることから、大連港が候補として浮かんだ。
  ロシアの外務大臣・ムラヴィヨフは、「不凍港である
 ばかりでなく、朝鮮の港より戦略的利点がある」とした。
  1897年11月14日、ニコライ2世皇帝の召集で、大臣たち
   が集まった御前会議で、ムラヴィヨフは、大連湾だ
   けでなく旅順の占領も提案した。
   しかし、出席した海軍大臣、陸軍大臣、大蔵大臣な
   どに各自の案があった・・
   会議の決着は見られなかった。
  1897年11月28日、ニコライ2世が、旅順の占領を許可し
   た。
   ムラヴィヨフは功を焦っていた。
   彼は、イギリス艦隊が、遼東半島近海を航行して抑
   えていると皇帝の耳に入れ、煽った。
   この前日の11月27日には、ムラヴィヨフは「他の国
   家」に占領されない様に、旅順と大連湾にロシア艦
   隊を送るようにと提案していた。
   他の大臣や太平洋艦隊司令長官も、ドイツの膠州湾
   の占領に触発されて旅順の占領を上奏していた。
  この頃、この様なロシアを、イギリスも警戒していた。
  1897年11月25日には、イギリスの首相・ソールズベリ
 ーは、仁川に、ロシア軍艦が9隻集結中と知らされ、イギ
 リス艦隊も仁川へ派遣する様に指令した。
  ロシアはロシアで、駐清ロシア外交官が、イギリス艦
 隊が旅順へ派遣準備中という噂をペテルブルグへ打電し
 た。
  ロシアは、各地に停泊中のロシア艦隊を終結させ・・
  1897年12月4日、旅順に入港させた。
   この日に、ロシア艦隊を追って、イギリスの小型軍
   艦も旅順に入港した。
  1897年12月8日、ロシア艦隊は、大連湾へも入港し、イ
   ギリス艦隊を牽制した。
  1897年12月末、この時、清の軍艦3隻も、大連湾へ入
   港して三ヶ国が対峙することとなった。
  ロシアには、1896年に、中東鉄道敷設権を要求し、ま
 た、黄海への支線を要求している。
  不凍港への鉄道路線敷設の要求である。
  この様な点から、英露の大連湾をめぐる闘争となって
 いた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国は、何から何までもアメリカの真似をする。
    この様な中国の流れに、アメリカが対抗できるかは、まったく不透明。
    益々、日本を含む東アジアの危機は深まって行く。
.
紀元前3万6000年、日本に人類(ホモ・サピエンス)が到達
 した。
  日本に人類の遺跡が登場するのは、約3万8000年前。
  日本にやって来たホモ・サピエンス。
  ホモ・サピエンスは、約30万~20万年前にアフリカに
 誕生し・・
  5万年前以降にアフリカを出たホモ・サピエンスは、ヨ
 ーロッパ、アジア、シベリア、オセアニア、そして、ア
 メリカ大陸へと『大きな人類の移動のうねり』と共に大
 拡散して行った。
  そして、東アジアに到達したホモ・サピエンスは、陸
 続きだった日本にも、当然、到達した。
  また、そのホモ・サピエンスの別のグループは、やは
 り陸続きだったベーリング海峡を渡りアメリカ大陸へと
 渡って行ったが・・
  その東アジアに到達したホモ・サピエンスのモンゴロ
 イドは・・南アメリカの最南端にまで到達した。
  アフリカを出たホモ・サピエンス、その人の移動の大
 きなうねりは、地球上の至るところにまでおよんだ。
  アメリカ大陸の先住民が、モンゴロイドだという訳は
 この様な人類の移動の大きなうねりがあった。
  日本も、当然、その途中の段階で、その大きな人のう
 ねりの中に飲み込まれた。
  北から南から大陸からモンゴロイドの人々は日本に来
 た・・北海道の北のはしから、そしてその島々、そして、
 南の沖縄の島々を人類移動の『大きなうねり』が日本中
 をなめつくした。
  何万年の時の流れの中は「その様な時代だった」。
  最初は無土器だった。
  石器だけの時もあり、その石器さえないという時代も
 あった。
  あるのは長い長い時間の流れだった。
  日本中がその時間の中でなめ尽くす様に、人々はあち
 こちに移動し交雑し混血した。
  そして、縄文時代も形成され、その遺跡も北海道に多
 くある。
  この人々が「日本人の祖先(先住民)」となった。
  アイヌは、その後、紀元後になって、紀元後1280年代
 の日本へ襲来する元寇の前(10年くらい前)アムール
 川沿岸や樺太への「北の元寇」の時、その元に追われて、
 アムール川沿岸や樺太に住んでいたアイヌは日本に来た。
  この史実はモンゴルの文献に残っている。
  つまり、紀元後の何千年も経て日本に来たアイヌが、
 紀元前の何万年も前に日本に来た日本人の祖先を差しお
 いて「先住民だと主張した」。
  そして、政府へ圧力をかけて「法律に先住民と書かせ
 た」。
  「まったく恥ずかしい行為(史実に無い嘘の行為)」
 をアイヌの人々はした。
  この法律を、正しい史実に改正する運動をアイヌの方々
 は始めなさい。
  そして、「間違っていました」と謝罪しなさい。
  「もう二度としませんと宣言しなさい」。
  アイヌの歴史に汚点を残したことを悔いなさい。
  日本の若者に嘘のプロパガンダをすることを止めなさ
 い。
  こういう行為を影で支援するキリスト教団体は悔い改
 めて、この様な行為は止めなさい。
  NHKもこの様なキリスト教を支援をしないこと。
     ・
     ・
65年、この頃、パウロが亡くなる。
  初期キリスト教の使徒である。
  このパウロと協力者のソステネからコリントの教会の
 共同体へ宛てられた手紙に「コリントの信徒への手紙」
 がある。
  この「コリントの信徒への手紙(11章2節~16節)」で、
 「女が頭に『かぶり物』をしなくてはならない」とされ
 ている。
  パウロも、その様にかぶり物をするのが良いのだと考
 えていた。
  女が、何も被らないと娼婦に間違われるからだと弁護
 するキリスト教学者もいるが・・
  このコリント地域は、売春が盛んに行われる「売春の
 中心地」と言われる地だった・・その為、売春婦の多い
 港町だった。
  このかぶり物は、イスラム教のムスリムの女性の方々
 が被る布・・ヒジャブ(スカーフ)と同じようなもの・・
  今、ヒジャブ・・オシャレということで凄いことにな
 っているという。
  そして、ブルカ(イスラム教徒の女性が頭からかぶっ
 て全身を覆うように着る衣服)を禁止する「ブルカ禁止
 法」が、キリスト教国のフランスで作られた・・2011年
 4月11日に施行された。
  卑劣な事である・・宗教差別である・・
  国連は、SDGsで「ジェンダーの差別をなくそう」
 という活動をしているが・・キリスト教国のフランスの
 このブルカ禁止法は、同列に位置する「軽蔑すべき宗教
 差別」となっている。
  フランスは、ブルカやニカブを着用することを禁じ、
 違反すると罰金150ユーロ(1万8000円)を取ることにし
 ている・・
  そして、それを強制した父親や夫も、最高で金庫1年
 か、罰金30,000ユーロ(363万円)が科される。
  フランスの言い分は・・
  女性が強いられて着せられているという「逆の変な屁
 理屈」で、この法律の正当性を主張している・・
  この様な逆の言い方をすれば、「何でもすべてがおか
 しくなる」・・そのことが分からないのだろうか・・
  ・・であるならば、公平に、キリスト教徒にも禁止項
 目を作るべきだ・・
  例えば、公共の場で、一般の人々が見えるように十字
 架を付けたら罰金だ・・とかと・・
  因みに、ブルカ禁止法は、フランスの他に、ベルギー、
 オランダ、デンマークで成立しているという卑劣な状況
 になっている・・(スペインは検討中)・・
  ならば、「ビキニ禁止法」も同時に作りなさいという
 声もある・・
  何を着ようが、美しさや、信条を表現しているだけで
 ・・公権は介入しないこと・・
  アメリカでは、コーランを焚書にする計画がある・・
  また、モスクの建設を止めさせる計画もあるという・・
  公平そうに見え、そして、装っている国連のSDGs
 の「ジェンダー平等」の目標も、すり替わっていて・・
  イスラムの方々への批判だけとなって、偏(かたよ)
 っていることが多い・・
  キリスト教側からだけ見ていて、逆に、差別的な、卑
 劣なすり替えが行われいる・・
     ・
     ・
1284年、アイヌは日本の先住民ではない・・
  アムール川沿岸や樺太に居たアイヌは、1284年および
 1289年に二度の元寇が日本にあったが・・
  その元寇と同じ様な元寇が、そのアムール川沿岸や樺
 太に居るアイヌの人々にあった・・それを「北の元寇」
 と言うが、その「北の元寇」に追われてアイヌの人々は
 日本に来た・・来たのは13世紀の末だった。
  アイヌ協会の会長が、アイヌは「北海道の先住民だ」
 と言うが、北海道にはアイヌが通った道と同じ道の北か
 らのルートで、とっくの昔に、日本に渡って来ていた人々
 がいた(縄文の人たち)。
  アイヌが来た13世紀の末より何万年も前の人々がいた。
  日本に来た南ルートの人々や、朝鮮半島ルートの人々
 や、海からのルートの人々など、その何万年間、北海道
 から沖縄まで、日本中を往き来して、暮らし、交雑し、
 生活していた。
  その遺跡は北海道から沖縄まで数多く残っている。
  アイヌの人々を「北海道の先住民」とするのは間違い・・
 事実ではない。。
  故に、「アイヌを先住民と記述した法律文は科学的に、
 また、歴史的に間違いが記載されている」。
  「この法律は改正されなくてはならない」。
  また、この様な記載をする行為は他の日本に住む人々
 に対する差別である・・逆の差別となっている。
  本当に先住民であるべき人々に対する差別であり・・
 犯罪的でさえある・・
  法律は、正しい記述に改正されねばならない。
     ・
     ・
1777年、日本が、韓国・朝鮮へ改善して差し上げた行為が
 功を奏した・・それが人口で分かる・・
  韓国・朝鮮の人口の変化
  1777年、1804万人
  1877年、1689万人(李朝の酷さで人口が減っている)
  1910年、1313万人(李朝の酷さにここまで人口が減っ
   ていた)。
    この様な酷さから抜け出したいとする韓国・朝鮮
   の人たちであった。
    そして、この年、日韓併合がなされた・・韓国・
   朝鮮の人たちは、日本の様な一流国になりたいと言
   った。
  1942年、2553万人(日本が、日本からお金を持って行
   って、韓国・朝鮮へ資金を投入して、衛生面も改善
   され、社会資本も構築して充実し、韓国・朝鮮は、
   見違えるように良くなると、人口も倍増した)
.
1874年5月〜6月、大久保利通・・初代の内務卿(勧業・警察・
 土木など広範な権限を管掌する内務省の長官)
  その大久保利通が、「殖産興業に関する建議書」を建
 議した。
  「国の強弱は人民の貧富にかかっており、人民の貧富
 は物産の多寡に関係している・・
  そして、その物産の多寡は、ひとえに、政府が人民の
 工業を奨励するかどうかにかかっている」・・と述べ、
 政府の強力な指導による産業化で「富国」を達成すると
 した。
  政府奨励下の産業の発展や、大衆の政治参加への動き
 で近代化を達成しようとした。
  1880年代に、欧米で盛んに討議されていたナショナル・
 インタレスト(国家利益)の知見を日本も盛んに取り入れ
 た。
  自由放任の政策下での経済発展が、必ずしもナショナ
 ル・インタレスト(国家利益)を保護するものではないと
 した。
  (市場はキリスト教の神の自由の采配に任せるとした
 理屈があるが、これを否定した)
  むしろ国家を総合的にとらえ、国策論を展開するのが
 良いのだとした。
  この頃の福沢諭吉の論は・・
  政府が知者で人民が愚者と見てしまって、知者の政府
 が愚者の人民へ政治を行ってもうまく行かない・・
  それよりも、人民も政府も知者となってこそ政治はう
 まく行く・・と説いた。
  人民の知力が不十分なら民権の意識も伸長しない・・
 とした。
  政府が圧政をするからではない・・と・・
  対立と競争でもって双方が発展できるとした。
.
1875年4月、西郷隆盛に従って東京を離れた鹿児島の旧士族
 派がつくった士族民権雑誌「評論新聞」は、次の様な論
 陣をはった・・
  「法律は、公議與論で決められるべきであるのに、実
 際の政治は二、三の有司によって専制的に運営されてい
 る・・
  よって、国会を開設して、立法の大権を人民の手に掌
 握して、法律を本当の法律にしなければならない」・・
 と・・
  こんな早い時期から、まったく正論を主張していた。
.
1880年3月24日、この日の「東京横浜毎日新聞」の紙面は欧
 米列強諸国が迫る危機感を伝えている。
  「僅かに独立の位置を存し、欧州強国に力を抗せんと
 するの勢ある者は、支那・朝鮮・日本あるのみ。
  面して朝鮮とても版図狭隘人心振はず、若し廓羅(ロシ
 アのこと)一たび南向の志を起さば、朝鮮の独立も一朝の
 間にして覆滅するなる可し。
  故に東方諸国中、支那・日本を除かば、他に独立国な
 しと云ふも可なる者あり。
  欧州強国が東方辺海を横行するも、偶然にあらずと云
 ふ可し」。
.
1880年代から、ヨーロッパ列強諸国が、帝国主義的な行動
 をし始める。
  フランスがチュニジアへ軍事介入をし、また、イギリ
 スがエジプトへの軍事介入をした。
  そして、これらを契機に「アフリカの再分割が始まっ
 た」。
  世界の列強は、帝国主義の覇権を競い出した。
  これらの傾向は、第一次世界大戦まで続いた。
  アメリカを含む、ヨーロッパ列強各国は強大な兵力を
 保持しようと懸命になっていた。
  例えば、フランスやプロイセンは、兵力量を増やすた
 め徴兵制度の服役年限を長期化した。
.
1888年10月7日、後藤象二郎の演説・・
  千葉県千葉町の信之館で250名ほどの聴衆へ向かってな
 された。
  これが自由党系の新聞「東海新聞」に報じられている。
  「聞くところによれば、フランスの婦女子は、ドイツ
 のために奪われたアルザス・ロレーヌの二州を回復しよ
 うとして、非常にその問題を憂慮しているということで
 ある。
  婦女子においてさえそうであるならば、フランスの男
 子にとって、その問題はいかばかりであろうか。
  日本も治外法権によって実は独立を失っており、今や
 国民相共に一致団結して「一国独立の策」を講ずること
 が急務である。
  隣国のロシア皇帝は、アジア全州を併呑しようとして
 いるという。
  また、シベリア鉄道も着工されるのであれば、「今日
 我国の独立策を講ずること是れ実に焦眉の急務」である・・
  ロシアの南下の危機とともに語った。
.
1913年、日本が、中華民国を中国の正統政府として承認し
 た。
  (参考)中華民国:辛亥革命の結果、清朝に代って中
     国に成立した共和国の国号。
      1912年1月に、孫文を臨時大総統として成立し
     たが、次いで袁世凱が大総統となり、以後軍閥
     戦争が繰返された。
      孫文の指導する国民党は、1924年、中国共産
     党と提携、反封建の目的を果すため「北伐」、
     すなわち北方軍閥の討伐に乗出した。
      しかし、孫文の没後、蒋介石を中心とする国
     民党右派は、帝国主義諸国と結んで上海クーデ
     ターにより、1928年、正式に国民政府を樹立し、
     中国を統一した。
      国民政府は共産党を弾圧したが、その後、日
     本の動きが激化すると、1938年3月、「抗戦建国
     綱領」を制定し、第2次国共合作が成立した。
      しかし、依然として国共の対立は続き、1945
     年8月の日中戦争終了ののち内戦が激化、1949年
     10月、北京に中華人民共和国が成立すると国民
     党政府は台湾に渡り、今日まで中華民国と称し
     ている。
.
1914年7月28日、第一次世界大戦(~1918年11月11日)
  第一次世界大戦は、今までの戦争と違い「総力戦の様
 相を現した」。
  これからの戦争は、軍事だけではなく、経済や思想、
 情報操作・諜報などの情報戦など国家のあらゆる力を動
 員した激烈な総合戦を見せ、予想させた。
  そして、戦争しない人々の巨大な犠牲を交戦国、およ
 び、交戦国以外の人々にも強いるという戦争が予想され
 た。
  この情報戦において、中国は、種々の民族が入れ替わ
 り立ち代わり戦いが繰り広げられて来た地だった。
  中国は、この点から、単に武力で戦う以外の騙し合い、
 そして、諜報戦が凄まじく行われて来た。
  今・現在も、金と人(人口の多さ)を使って、中国は、
 世界へ工作員を送り、諜報戦を展開しているが、これは、
 今始まったことではない。
.
1914年10月31日、青島の戦い(~11月7日)
  日本とイギリスの連合軍は、第一次世界大戦中のこの
 時、ドイツ帝国の東アジアの拠点である青島を攻撃し、
 攻略した。
  この戦闘で、日本は、初めて航空機を投入し、空中戦
 や爆弾投下などがなされた。
  また、高射砲も用いられた。
  ドイツ要塞を近代的な戦術を用いて攻略した。
  優秀で強力な火力を持つドイツ要塞に対し、それを上
 回る質と量の火砲の破壊力と、十分な兵站に支えられて
 準備した弾薬を用いて粉砕した。
  大量の装備の陸揚げや、輸送路確保、輸送に時間をか
 けたが、砲撃開始後1週間で勝利を手にした。
  メディアは「遅い」と批判をしたが、最良な作戦だっ
 た。
  この戦争で、日本は満洲~大連~芝罘間の通信線の所
 有と運用権を譲り受けた。
  因みに、ドイツは、1897年以来、中国・清より青島を
 含む膠州湾一帯を租借し、青島に要塞を建設し、ドイツ
 東洋艦隊を配備していた。
  このドイツ東洋艦隊は、日本による海上封鎖を予期・
 推測して、開戦前に青島から出ていた・・
  しかし、ドイツへ向かう途中、フォークランド沖海戦
 で壊滅させられた。
  (参考)芝罘:しふう、中国の山東省煙台市にある市
     轄区。
  (参考)フォークランド沖開戦:1914年12月8日、第一
     次世界大戦で、イギリスとドイツが、アルゼン
     チン近くのフォークランド諸島沖で海戦を行な
     った。
      結果は、イギリスの勝利だった。
      イギリス海軍:指揮官:ダブトン・スターデ
       ィ-将軍
      戦力:巡洋艦2、装甲巡洋艦3、軽巡洋艦1
      沈没船:なし
      ドイツ海軍:指揮官:マクシミリアン・フォ
       ン・シュペー中将
      戦力:装甲巡洋艦2、防護巡洋艦3
      沈没:装甲巡洋艦2、防護巡洋艦2
.
1920年3月、尼港事件(にこうじけん)
  シベリア出兵中の1920年3月から5月にかけて、ロシア
 のトリャピーチンが率いるロシアと中国の共産パルチザ
 ン(遊撃隊)によって・・
  黒竜江(アムール川)の河口にあるニコライエフスク
 港(尼港)の日本の陸軍守備隊、及び、日本人居留民が
 無差別に虐殺された。
  パルチザンに対して一旦降伏した後、日本陸軍が、再
 度、反撃したが敗北した。
  生き残った日本人は、無差別に軍人であるか民間人で
 あるかを問わず捕虜にされた。
  そして、5月に、日本陸軍が、ニコライエフスクへ援軍
 を送ると・・パルチザンは、すべての捕虜を殺害した。
  そして、逃亡した。
  また、日本人以外の市民も殺害した。
  その上、町も焼き払った。
  後に、このパルチザンの責任者は、ソビエト連邦政府
 により死刑にされた。
  この事件による日本人犠牲者は約700名に上った。
  その半数は民間人であったため、国内世論は憤激の声
 が渦巻き、反共機運が強まった。
  後々まで尾を引くことになった。
  日本陸軍が、シベリア出兵を延長したのは、この事件
 による。
  この過激派軍は、赤軍系パルチザンと韓人教師朴エル
 リアが組織した「サハリン部隊」とが連合したものだっ
 た。
.
1921年、ワシントン海軍軍縮条約
  海軍軍縮とは名ばかり・・
  日本だけが、軍縮するという片寄った軍縮会議だった。
  この条約は、未曾有の大成功と、アメリカは、上下を
 あげて喜んだ。
  逆に、日本は、中国の、特に、満蒙における特殊権益
 を剥奪され・・
  また、太平洋に於ける日本の力を劣勢にさせられた。
  そして、日本は、東亜における日本の行動が拘束され
 たと感じた。
  しかし、アメリカは、これだけで満足しなかった。
  条約になかった戦艦以外も、日本に枠をはめようとし
 た。
  その目的で、「ジュネーブ会議」と「ロンドン会議」
 が、アメリカ主導で召集された。
  この会議でも、日本は、アメリカに屈服した。
  平和裏に終了させたい日本だった。
  アメリカは、力を誇示しての会議だった。
  軍縮会議と言うが・・「ごまかし」で、日本の戦艦比
 率を低くし、アメリカが優位に立ちたいという会議だっ
 た。
  その先には、アメリカの東洋を抑え込みたい、制覇し
 たいの野望があった。
  自分の力を誇示し、半分脅しで、無理に納得させたと
 いう状況だった・・これでは、ことは収まらない。
  逆に、きな臭くなるだけだった。
  会議のアメリカ代表は、会議の成果を意気揚々と報告
 した・・
  「わが国(アメリカ)が、軍艦拡大が終わるまで、日
 本は現勢力のまま待つという状態にさせ得た」と言った。
  また、「我が国(アメリカ)の巡洋艦が倍加するまで、
 日本はわずか2千トン(2パーセント)しか拡張できない」
 と、アメリカだけに利があることを誇った。
  また、「日本国内に海軍拡張の必要を説く声が大きい
 中を、日本の会議の代表は、困難な仕事をした」と、日
 本代表を褒める余裕もあった。
  まったく、公平さのない会議だった。
  その後の戦争の遠因となった。
.
1922年~1943年、イギリスの蛮行・・ビルマの王家の悲劇・・
  ビルマには王家血統の国主や君主が居た。
  しかし、イギリスは、その王家の男をすべて殺した。
 そして、女性はすべてインドへ連れて行き、引き渡した。
.
1923年8月17日、日英同盟が失効した。
  アメリカは、日英同盟を破棄させて、日本を国際的に
 孤立させることに成功した。
  そしてまた、軍縮会議という「軍縮」という言葉に、
 日本はマインド・コントロールされ、会議が終わってみ
 れば軍縮したのは日本だけという、アメリカは何ら軍縮
 になっていないという結果だった。
  アメリカの交渉団に、日本が褒め称えられる始末だっ
 た。
  アメリカは言った、「敵(自分の事、アメリカ)が、
 自分(日本)よりも優勢なる艦隊を建造するまで、自分
 (日本)の手を縛られる様な条約に(日本は)調印した」
 と言って日本を褒めた。
  1920年代後半から1930年代にかけて、アメリカは帝国
 主義的政策を露骨に進めて行った・・
  アメリカは、国際連盟に加盟していなかった・・
  にもかかわらず、アメリカは、アメリカの言う事を聞
 く国を使って、満州国について、国際連盟の場で日本に
 圧力を掛けた。
  国際連盟は、アメリカのウィルソン大統領の提唱で生
 まれたのだが、アメリカは加盟しなかった。
  1933年2月24日、国際連盟は、満州国の不承認を決議し
 た。
  また、アメリカは、「不戦の条約だ」と宣伝し締結し
 ながら、世界一の海軍力構築を目指した。
  そしてまた、アメリカは門戸開放が正しいのだと言っ
 て、東アジアの門戸開放を要求し、固執しているが、ラ
 テン・アメリカは、モンロー主義だと、門戸を閉鎖した。
  日本が、メキシコのマグダレナ湾に土地を租借しよう
 とした時、モンロー主義に反するとアメリカ上院で議決
 し通過させ、日本潰しをした。
  この様なアメリカの言う通り、日本がアメリカ路線で
 行ったなら、明らかに日本は、徐々に、アメリカへの従
 属性を強め、植民地にはならずとも、保護国のような状
 態になる状況だった。
  そして今・現在も、アメリカは、徐々に、日本の属国
 度を増している、この時代の再現の様な状況の下にある。
.
1941年12月、日本のハワイ真珠湾攻撃の連合艦隊より先行
 した日本の潜水艦・・
  (潜水艦は速力が遅いので連合艦隊より先行し・・そし
 て、それより早くハワイに到着していた)。
  この先行した日本の潜水艦が、アメリカ軍艦に発見さ
 れ、日本の真珠湾攻撃の前に、すでに日米の交戦は行な
 われていた。
  日本の5隻の潜水艦のすべてが撃沈された。
  アメリカは「日本が奇襲をしたという汚名を着せたい
 ため、この日米の交戦を秘密にした」。
  しかし、知られると「あれはクジラだったと嘘を言っ
 た」。
  卑劣である。
  5隻と戦い、クジラの様に血を吹き出さず、潜水艦の
 油や空気が吹き出しただろうに、見間違えることなどま
 ったくないことを、クジラだと嘘を言った。
  アメリカには不誠実にこの様な嘘をつくことが多くあ
 る。
.
1941年12月8日、真珠湾攻撃は航空機によって大きな戦果を
 あげた。
  日本の戦闘機は、一本の魚雷を腹に抱えた状態だった。
  戦艦攻撃用の魚雷・・その一本が重く、だからその一
 本の魚雷しか持つことはできなかった。
  大事な一本の敵戦艦への攻撃手段の魚雷は、重要な大
 切な攻撃手段だった。
  だから、日本の各戦闘機は狙いを定めて、その一本の
 魚雷を敵戦艦へ向けて投下した。
  有効な攻撃手段として訓練を重ねて来た日本の戦闘機
 の兵士たちは優秀だった。
  ピンポイントにアメリカ軍艦へその一本の魚雷を投下
 して行った。
  命中率は高く、重い魚雷は、そうしてまず最初に投下
 して軽くなりたかった・・日本の戦闘機はその行動をま
 ず最初に当然のごとく行った。
  その様に、どの日本の戦闘機も洗脳されたが如く敵戦
 艦へこの攻撃行動をした。
  ここにこれ以後の戦い方の象徴的事柄が示されていた。
  日本の戦闘機による軍艦への攻撃が大成功し、艦対艦
 の戦いによって決する勝敗ではなくなった。
  航空機による艦への攻撃が有効であると、世界は目を
 見張った・・
  艦対艦で勝敗が決する場合は、大きな巨砲を持った戦
 艦が有利だったが、この戦い方は過去の戦い方となった。
  アメリカは、すでに、それを日本の行動から教えられ
 悟り、ハワイの真珠湾からアメリカ航空母艦を隠し、そ
 して、その艦載機も隠した。
  虎の子の「日本への反撃のための手段」を隠した。
  日本の真珠湾攻撃があることを知っていたアメリカは
 その様な対応をすでにしていた。
  日本はすでに記したように軍艦を攻めた。
  しかし、肝心のアメリカの航空母艦を攻撃することは
 できなかった。
  そして、日本は、可能だった第二波攻撃をすることな
 しに攻撃を止めた。
  「武士の情(ぶしのなさけ)」だった。
  日本は欧米のアメリカやヨーロッパの様なとことんま
 で相手を打ちのめす様な卑劣な行為は行わない。
  全滅させる様な・・女性や子供、赤ん坊まで殺すアメ
 リカやヨーロッパの様な戦い方はしない。
  欧米の歴史には全滅行為をした上に、敵の畑に塩を撒
 (ま)くことまでした。
  二度と畑に作物ができない様にとの非情な行為である。
  逃げたりして生き残った者まで殺そうという魂胆(こ
 んたん)である・・
  日本はこの様な卑劣な行為は蔑(さげす)まれた。
  アメリカは次なる敵となるソ連への威嚇のために「行
 (おこな)う必要がまったく無かった原爆の投下までした」。
  それも手持ちの原爆のすべてを使って必要性がまった
 く無かった行為をした・・広島と長崎への原爆投下を行
 (おこな)った。
  ハワイの日本の真珠湾攻撃では、日本はアメリカの国
 民の方々への攻撃はまったく行わなかった・・アメリカ
 の民間の方々の一人も殺(あや)めてはいない。
  当然である。
  国際法でも非戦闘員への方々への攻撃はしてはならな
 いとされている。
  しかし、アメリカは、卑劣にも、日本の非戦闘員の市
 民の人たちへの殺戮を目的として軍事行動をした・・そ
 れも、その卑劣な攻撃を、とことんまで繰り返して行っ
 た。
  卑劣な行為を繰り返しまでして非戦闘員を殺戮した。
  全滅を狙う「じゅうたん爆撃」を行った。
  このアメリカと日本の差・・これは宗教の違いから来
 る。
  キリスト教で有色人種への蔑視観を洗脳されたアメリ
 カは、日本の非戦闘員への殺戮行為の罪悪感はまったく
 生じなかった。
  真実の愛・慈悲心を説く仏教とはまったく違っていた。
  キリスト教より半世紀も早く立宗された仏教は、真実
 の愛・慈悲心を説いた。
  円覚経という経典には「輪廻は愛を根本と為す」と説
 き・・
  また、本生譚には、飢えた獣の前に我が身を投げだす
 という愛が語られている・・など・・
  愛染明王は、愛を「いつくしむ」「おしむ」「めでる」
 と読み、関係している・・仏教は愛を深く説いている・・
  インドとギリシャとの交流があったその時代、その途
 中のキリスト教発生の地へもこの仏教は流布されていた。
  紀元前268年に王となったアショカ王は、仏教伝道師ま
 で派遣していた。
  また、インドにはギリシャ商人の仏教に帰依した姿が
 記録され、佛へ供養し奉納したものも残されている。
  (参考)武士の情け:(ぶしのなさけ)」とは、本来、
     「武士が武士に対して与える恩恵」を指す言葉・・
      武士が、弱い立場に立った他の武士に対して
     施す思いやり・・
      「武士が弱者に対して与える恩恵」・・
      「強者が弱者を憐れんで思いやる気持ち」・・
      武士は本来高潔な優しさをも持っている・・
      侍(さむらい)に慈悲心があってこそ正義の
     行動が行なえる・・
.
1944年8月~10月、国連憲章の原案となる「一般的国際機構
 設立に関する提案」が作成された。
  アメリカ合衆国、イギリス、ソビエト連邦、中華民国
 の政府代表がワシントンD.C.郊外のダンバートン・オー
 クスで会議を開き(ダンバートン・オークス会議)、国
 連憲章の原案となる「一般的国際機構設立に関する提案」
 を作成した。
  また、アメリカの国務長官を長年月たずさわったコー
 デル・ハルは、自著「ハル回顧録」で、「国際連合憲章
 は人間が作ったもので、完全無欠ではない」と言い・・
 その不都合なところは「改めて行け」ということを記述
 している。
  そして、今、「敵国条項」は、削除すべき時期となっ
 ている。
.
2017年10月、中国の習金平国家主席が、建国100年となる2049
 年をめどに、「社会主義現代化強国を築く」と言い・・
 「総合的な国力と国際的な影響力で世界トップレベルの
 国家になる」と宣言した。
  そのためにも、2035年までに「中国軍を世界一流の軍
 隊にする」とも宣言した。
  そして、この様な世界一の現代化した軍ができたら、
 理由は問わず、いつ中国が威嚇をもって台湾奪取を狙っ
 ても達成される状況が生まれる。
  今、香港の情勢や、台湾経済が順調であるということ
 から事態は安定しているが、この先はまったく不透明。
  そして、台湾が、中国の手に落ちれば、次は尖閣諸島
 や沖縄となる。
  中国の圧力は、今以上となる。
  今の現状でさえ、仮に、米中が東南アジアで対立した
 ら中国が圧倒する。
  南シナ海を、無謀にも中国は軍事拠点化したが、この
 地域では、中国の軍事拠点が圧倒している。
  その少ないアメリカの軍事拠点は、すべて中国のミサ
 イルの射程内となっている。
  中国の巡航ミサイルも高性能化し、また、高度で複雑
 な動きもする。
  アメリカ軍が本格展開する前に、在日米軍基地は、中
 国の一斉攻撃で無力化される。
  また、中国に取られた台湾が、中国の軍事拠点と化し
 たら、アメリカは完全に手出しできなくなる。
  中国は、南シナ海の西沙諸島は軍用機まで配属済みで、
 南沙諸島は管制塔や防空設備が出来上がり、軍用機の配
 備待ちという「ほぼ完了」という状態。
  こんなことのし放題となっている。
  世界は見過ごしている。
  中国のミサイルも高性能化し、アメリカは「こんな危
 険なアジア、危険過ぎて居られないと、アメリカ軍は撤
 退する」・・中国はそれを狙っている。
  この方法は、かつてアメリカが、ソ連を駆逐した方法。
  アメリカは圧倒的な軍事強化に邁進した・・ソ連はそ
 れで崩壊した・・
  中国は、何から何までもアメリカの真似をする。
  この様な中国の流れに、アメリカが対抗できるかは、
 まったく不透明。
  益々、日本を含む東アジアの危機は深まって行く。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
  


2020年02月18日

(増補版)679E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年10月~1897年11月)

題:(増補版)679E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年10月~1897年11月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年10月22日、海軍軍医学校が開校した。
  海軍軍医学校は、大日本帝国海軍において、軍人の医
 療・衛生を担当する軍医、および、看護士・薬剤師を養
 成するために設立された教育機関・・
  医学・薬学・歯学の3コースが設定され・・
  また、、海軍病院を総括指導する軍医を養成する普通
 科・高等科・特修科、医療現場で活動する看護士・技師
 を養成する選修科が設置された。
  ルーツは、1872年、海軍病院に「海軍病院学舎」が増
 設され、11名の医師へ、イギリスから招聘したアンダー
 ソン医学博士によって医術の手ほどきをさせた事が始ま
 りだった。
  9年にわたり医術教育は継続されたが・・
  1881年、第1回卒業生が送り出された機に、アンダーソ
 ン博士が帰国した、そのため、教育は続行不能となった。
  高木兼寛医務局副長を中心とする日本人医療スタッフ
 らは自ら教鞭をとった。
  1882年の翌年、海軍医務局学舎が立ち上げられた。
  そして、10名の医師の指導が始められた。
  また、軍医官依託学生制度を新設し、東京帝国大学医
 学部生7名を候補に挙げた。
  1886年、「海軍医学校」と改称され、ほぼ同時に、芝
 山へ移転した。
  海軍病院と離れたことから、臨床実験や実習は隣接す
 る東京慈恵医院の協力を得た。
  因みに、高木兼寛は、海軍生徒として英国セント・ト
 ーマス病院医学校(現:ロンドン大学群キングス・カレ
 ッジ・ロンドン医学部)で学んだ。
.
1897年10月25日 新橋駅の出発信号機、および、場内・遠方
 信号機と上下本線の転轍器とが、連動方式に切り換えら
 れた(インターロッキング方式)
  インターロッキングは、ある操作を行う時、誤操作や
 確認不足により、適正な手順以外による操作が行われる
 のを防止したり・・
  正常な製造・運転の行われる条件を逸脱した時、自動
 的に当該設備に対する原材料等の供給を遮断するなど・・
  製造や機器の運転を制御するもの・・
  具体的には、インターロック機構として保安上、重要
 な部分の運転を制御する計装回路に組み込まれている。
  例えば・・エレベータで、各階全ての扉が全て閉じて
 いなければかごは移動しないとか・・
  ボイラーで、燃料や水位が低い時には燃焼を始めない
 とか・・
.
1897年10月31日、進歩党代議士総会で、松方内閣との協力
 関係の断絶が決議された。
  1897年3月、第10回帝国議会に於いて、行政処分を全廃
 する新聞紙条例改正案が成立した。
  これは、進歩党が、行政処分を全廃する新聞紙条例緩
 和を求めていたからであった。
  しかし、長州閥の山県系の清浦奎吾司法大臣らが反対
 し、野党であった国民協会も全廃には比例的だった。
  この様な状況下で、伊藤の宮中支配を攻撃した「二十
 六世紀」が発行禁止になった・・
  また、これを転載した「日本」も発行停止となった。
  進歩党はこれに反発した。
  また、進歩党と協調を目指した薩摩閥の有力者が同調
 して、新聞紙条例の改正案の成立に至った。
  しかし・・
  1897年10月に至って、松方内閣は、進歩党の要求して
 いた四ヶ条の要求を拒否した・・これに対して進歩党は
 提携断絶を決議した。
  進歩党の要求した四カ条は・・内閣改造、政費節減、
 台湾統治の方針変更、立憲政体の運用の完備(対議会策
 を改め議員の腐敗を予防、選挙法罰則追加、政務官と事
 務官の区別の明確化)
.
1897年10月31日、中越鉄道の福光駅~城端駅間が開通した。
  中越鉄道は、富山県で現在の西日本旅客鉄道(JR西日
 本)城端線、及び、氷見線と日本貨物鉄道(JR貨物)新
 湊線を建設・運営していた私設鉄道のこと。
  城端線(じょうはなせん)は、富山県高岡市の高岡駅
 から富山県南砺市の城端駅に至る西日本旅客鉄道(JR西
 日本)の鉄道路線(地方交通線)のこと。
  氷見線(ひみせん)は、富山県高岡市の高岡駅から富
 山県氷見市の氷見駅に至る西日本旅客鉄道(JR西日本)
 の鉄道路線(地方交通線)のこと。
  新湊線(しんみなとせん)は、富山県高岡市の能町駅
 と高岡貨物駅とを結ぶ日本貨物鉄道(JR貨物)の鉄道路
 線のこと。
.
1897年10月31日、政府が、休止中の釧路鉄道(標茶駅~跡佐
 登駅間)を買収した。
  釧路鉄道会社と政府の間で19万9000円で買収契約が締
 結され、釧路鉄道は解散した。
  釧路鉄道は、北海道東部の硫黄山で産出される硫黄の
 輸送を目的として鉄道路線を運営した。
  硫黄鉱山の専用鉄道として建設された路線を継承し、
 北海道内では2番目(北海道の私鉄では最初)の鉄道事業
 者となった。
  鉱山を経営していた安田財閥によって建設・運営され
 たが、鉱山を保有した山田銀行(本店・函館)への貸し
 付け分が問題を生じて回収され、安田財閥としての硫黄
 の採掘が中止された。
  そのため、開通から10年足らずで事実上の廃止となっ
 た。
  短期間であったが、安田財閥の強固な財務基盤は、こ
 の釧路の硫黄鉱山によって形成なされた。
  また、硫黄鉱山の開発によって釧路の石炭産業(現:
 太平洋炭鉱)、釧路港、根室銀行(後:安田銀行、現:
 みずほ銀行)開設と釧路地域開発がなされた。
  これまでの経緯は・・
  1872年、佐野孫右衛門によりアトサヌプリ山麓の硫黄
   山で硫黄採掘が始まり・・
   佐野孫右衛門の亡き後は・・
   函館の山田銀行に譲渡され・・
  1887年、融資を受けていた安田善次郎に譲渡された。
.
1897年10月、李氏朝鮮が、日清戦争での日本の勝利により、
 鎖国体制の幕を閉じ・・清の属国から500余年ぶりに独立
 し、「大韓帝国」を誕生させ、初めて独立国家「光武」
 という年号を使うようになった。
  1907年、純宗(じゅんそう、李朝の第27代の王)は、
   軍隊の解散を命じたが・・
  1909年9月、韓国軍の中から36名を選抜し、日本の中央
   幼年学校に入学させた。
   その中に、後の陸軍中将・洪思翊(こうしよく)も
   いた・・この翌年の・・
  1910年、日韓併合によって日本と併合したが、この時、
   彼らは、対応を協議し、学業を継続し訓練を続行し
   た。
   洪思翊は、陸軍大学を卒業し、中将まで昇進した。
  太平洋戦争中、洪思翊中将は、フィリピンで捕虜収容
 所の所長の任務に当たっていたことから、東京裁判の裁
 判にかけられ、処刑された・・
  日本の軍人として中将まで昇進し、立派に戦い、戦後、
 処刑された韓国の軍人も居たことを・・韓国の加耶大学
 の崔基鎬(チェ・キホ)教授は、自著に記述する・・
  それにしても、捕虜として収容した日本の軍人として
 戦った人を殺すという行為は、捕虜虐待である。
  捕虜を虐待したと言う事で、捕虜にした人間を殺すと
 いう行為が正義として行われた戦勝国側の自分勝手があ
 ちこちでこの蛮行が行われていた。
  勝った国が、捕虜になった敗者側の人間を『勝手に殺
 す正義』などある訳がない。
  また、この洪思翊中将もそうだが、朝鮮出身の日本軍
 人として初めて「金鵄(きんし)勲章・功三級」を授与
 される武勲をたてた金錫源(きんしゃくげん)将軍は、
 ともに創氏改名はしていない。
  これは当時の「創氏改名」が強制でなかったことを証
 明している。
  また、崔基鎬教授も創氏改名をしなかったが、官・公
 吏または会社・銀行などの要職ではなんら差別を感じる
 ことはなかったと記している。
  「強制された」というのは、嘘のプロパガンダである。
.
1897年11月2日、松方内閣が、進歩党代議士総会に出席した
 進歩党出身の尾崎行雄、志賀重昂らを免官した。
.
1897年11月2日、北海道庁官制が改正された(勅令第392号)
  北海道庁に鉄道部を設置し、建設・保存・運輸・会計・
 私設鉄道に関する所管事項を定めた。
  (臨時北海道鉄道敷設部は廃止された)
.
1897年11月4日、鉄道作業局福井出張所を金沢に移し、金沢
 鉄道作業局出張所と改称した。
  また、1897年11月17日、同計理部福井派出所を福井出
 納事務所とし、金沢に計理部派出所を設置した。
  1889年、北陸本線が開業した。
  1893年、福井、金沢、富山方面への延伸工事が着工さ
   れた。
  1896年、敦賀駅~福井駅間が開業し、北陸線と命名さ
   れた。
  1897年11月4日 鉄道作業局福井出張所を金沢に移した。
.
1897年11月5日、入場切符(入場券)が発売される。
  発売駅は、新橋・品川・横浜・名古屋・京都・大阪・
 三ノ宮・神戸・金沢・横須賀、
  料金は2銭、通用は発売当日限り。
  因みに、日本で初めて入場券販売を行ったのは、1897
 年の山陽鉄道(後の山陽本線を敷設した私鉄)であった
 とされている。
.
1897年11月6日、大隈重信が、外相兼農商務相を辞任した。
  1897年3月29日、足尾銅山鉱毒事件で批判を受けていた
   榎本武揚農商務大臣が辞職し、大隈が農商務相を兼
   ねることとなっていた。
    大隈は、次官に大石正巳を就任させるなど進歩党
   員を農商務省に送り込み、
    また、古河鉱業に対して鉱害対策の徹底を求める
   一方で、操業は継続させていた。
  1897年10月、松方首相が、地租の増徴を図る方針をと
   ると、大隈と進歩党はこれに反対した。
  1897年10月31日、大隈は辞表を提出した。
  松方内閣は12月25日に倒れ、後継首相は伊藤博文とな
 った。
  伊藤は大隈に農商務大臣、板垣に法務大臣の地位を提
 示して入閣を求めたが、進歩党は大隈を内務大臣とし、
 更に重要大臣のポストを三つ要求するなど強気の対応を
 行った。
  板垣の入閣も行われず、第3次伊藤内閣は政党の支援を
 得られない形となった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:歴史を知って、過去を考え抜いておくことは、現在の事象が「いつか来た道」に当てはまるかどうかで
    未来の危険度をはかろうとする硬直的な態度よりは、はるかに現実的だと言える。
.
712年、古事記・・編纂され、天皇陛下へ献上された。
  この日本最古の歴史書が太安万侶(おおのやすまろ)
 により編纂され、元明天皇に献上された。
  上・中・下の3巻からなり・・
  天地開闢(てんちかいびゃく)から推古天皇の記事ま
 で記述されている。
  撰録帝紀 討覈舊辭 削僞定實 欲流後葉
  訓読文:帝紀を撰録(せんろく)し、旧辞を討覈(と
 うかく)して、偽りを削り実を定めて、後葉に流(つた)
 へむと欲(おも)ふ。
  歴史とは・・歴史は一回性を特徴とする。
  (参考)一回性:いっかいせい、ある事柄が一回しか
     起こらず、再現できないこと。
  故に、1例として・・
  いくら事例を積み重ねても、次に起こりうる戦争の形
 態がこうだと予測することはできない。
  ただ、歴史を知って、過去を考え抜いておくことは、
 現在の事象が「いつか来た道」に当てはまるかどうかで
 未来の危険度をはかろうとする硬直的な態度よりは、は
 るかに現実的だと言える。
     ・
     ・
1807年、択捉襲撃事件・・日本領の択捉島をロシアが襲っ
 た。
  ロシアは、昔から質(たち)の悪い国だった。
  日本の対外外交も、ロシアの質の悪さから見開きだし
 た。
  江戸文化の華やかさの一方、1807年、日本の国交開始
 の拒否の返事に、ロシアは質の悪い暴力をふるった。
  それが、1807年の日本領への択捉襲撃事件だった。
  これを知った平田篤胤は、「千島の白波」で早くもロ
 シア問題を提起した。
  (参考)千島の白波:平田篤胤の択捉事件に関する公
     私の文書を集めた書。
      事件に巻き込まれた当事者の報告や証言、箱
     館詰めの幕府役人が書き送った書状など・・、
  1861年4月には、重ねてのロシアの悪行・・ロシアの戦
 艦・ポサドニック号が対馬の芋崎浦で日本領を占拠する
 という行為を起こした。
  徳川幕府は、外国奉行の小栗忠順(ただまさ)を派遣し
 ロシアと交渉したが、ロシアは不敵にも退去せず、居座
 った。
  イギリス艦隊が対馬に、急遽、駆け付け、強硬に抗議
 し、イギリスの武威に屈したロシアは6ヶ月の占拠の後、
 9月に退去した・・勝海舟がイギリスに頼んだのだった。
  実際、この様な事態が、明治の時代になっても起きて
 いた。
  ロシアが、日本領の樺太から南下すること、また、朝
 鮮半島へ侵入する恐れなどの危惧があった。
  明治時代は、この質の悪いロシア問題が最も大きい危
 惧で危機だった。
  1870年5月、「大(おおい)に海軍を創立すべきの議」も
 この質の悪いロシアが最も警戒すべき国と想定していた。
  建白書の中でも・・
  「ロシアは、ヨーロッパとアジア、二つの大陸ににら
 みを利かせようとしている。
  ロシアは、太平天国の乱と、アロー号事件の対応に清
 朝の地を割取してしまった。
  この様な歴史的事実から、ロシアは「実に皇国に於て
 戒心第一の国である」・・と・・
  (参考)戒心:かいしん、油断しないこと。用心。
.
19世紀、キリスト教にマインド・コントロールされるヨー
 ロッパ人・・
  まだまだ、キリスト教に洗脳されて、世界に怪物が住
 むと思って航海するヨーロッパ人たちだった。
  キリスト教によってヨーロッパ社会は「アジアやアフ
 リカには怪物が住む」と洗脳されていた。
  大航海時代、ヨーロッパ人たちは「怪物に出会わない
 ことを不思議がった」。
  19世紀に至っても「アジア・アフリカに対する蔑視感
 は抜けなかった」。
  日本は、この19世紀の中頃に、欧米列強に国を開き、
 そして、明治となった。
  この様なアジア蔑視感に洗脳された者たちと関わった。
  東洋人・有色人種などへの人権を尊重するというよう
 な輩たちの時代ではなかった・・
  明治となって、国は強くならなければ駄目だと富国に
 励み、また、、国は強くならなければ駄目だと強兵にな
 ることに励んだ。
  欧米列強のアジアやアフリカに対する観点には「発展」
 を見る眼は無く、育てる気配も無かった。
  19世紀はイギリスを先頭とする西欧が世界の頂点に
 立ち、地球全体を強固に一つのシステムに統合しようと
 していた。
  自分たちの「価値観や制度や文明」を押し付ける行為
 ばかりであった。
  基本にアジア人やアフリカ人に対する「蔑視観」があ
 った。
  対象として尊重し、対等な社会や文化だという「同等
 な価値を有する」「独自な意味が存在する」と見る眼は
 まったく無かった・・
  研究したり考えたりしようという意識はまったく無か
 った。
  人類の一員などという見方はまったく無かった。
  人類的資質にまったく欠けるヨーロッパ・アメリカ人
 たちだった。
  特に、ヨーロッパのみに「発展」を認めるという見方
 は、キリスト教に洗脳され、マインド・コントロールさ
 れていたとは言え「犯罪的であった」。
  ここから様々な悪行為が発生して行った。
  また、ギリシャ文明に起源を求めて、キリスト教の暗
 黒社会から人間性を復活させたというのは自分たちに都
 合の良い言い方だった・・
  ギリシャ文明に先に目覚めていたのはイスラム社会だ
 った。
  ヨーロッパ社会は、その先生たるイスラム社会から知
 識を簒奪(さんだつ)しただけ・・奪っただけ・・
  イスラム世界はアジアだ、また、アフリカだ。
  アジア・アフリカは、ヨーロッパ文明の先生なのだ。
  また、ビザンチンからも奪っている。
.
1865年、トルストイの「戦争と平和」が発表され始めた(
 ~1869年)
  帝政ロシア末期の小説家のレフ・トルストイの小説「
 戦争と平和」は、トルストイが36歳の時に書き始め、
 1865年から1869年にかけて雑誌「ロシア報知」に発表さ
 れた。
  そして、トルストイが、自著「戦争と平和」に書いた・・
  「ルイ十四世は、非常に高慢で自信の強い人であった。
  彼にはあれこれの妾がいた。
  またあれこれの大臣がいた。
  彼らはフランスに悪い政治をしいた。
  ルイ十四世の後継ぎもか弱い人々で、彼らもフランス
 に悪い政治をしいた。
  彼らにもあれこれのお気に入りがあり、あれこれの妾
 がいた。
  そのほかに、いく人かの人々が、この頃、本を書いて
 いた。
  しかし、18世紀の終わりには、パリに、すべての人間
 は自由で平等であると言いはじめた二、三十人の人が集
 まっていたにちがいない。
  そのため全フランスで、人々は互いに殺し合うように
 なった。
  また、互いに川に投げ込むようになった」(エピローグ
 第二篇)
.
1870年5月、明晰なる明治の日本の官僚は・・
  万国公法に、「自衛権」がある、故に、日本も自衛の
 ための努力をしなければならないとした。
  この時、兵部省は、「至急大(おおい)に海軍を創立し、
 善く陸軍を整備して護国の大勢を立べきの論」・・が建
 白された。
  その要約は・・
  「最近、各国交際の道が開けて、国々は外面では『公
 議』を唱えているが、内面では『私心』を逞しくして、
 他国を併呑したり貿易港を力によって開かせたりしてい
 る。
  よって各国においては、陸海軍を増強してこれに備え
 ている。
  このような動きは、つまるところ万国公法の「自護の
 権」を大きくしようとしている行為なのである・・云々」。
  自衛権という言葉は、この頃には無く、「自護の権」
 として表現されている。
  万国公法で認められている自衛権のため陸海軍を拡張
 することは「独立国家の権利」であり、やるべき必須の
 こととしている。
.
1871年12月24日、明治のこの日の日付の建議書にも、ロシ
 アの質(たち)の悪さは書かれていた。
  第二次世界大戦後、日本は、日ソ中立条約を一方的に
 ソ連(現:ロシア)に破られて、満州の日本人開拓農民の
 方々が、ソ連戦車に踏みにじられて、虐殺され、また、
 日本人女性の方々が、ソ連兵に卑劣に強姦をされ続ける
 という痛ましい卑劣な行為がなされ、起きた。
  この様な質(たち)の悪いソ連(現:ロシア)は・・
 明治の時の日本の指導者たちも、この様な質(たち)の悪
 いロシアであると見抜いていた。
  1871年12月24日付、兵部大輔・山県有朋、少輔・河村
 純義、少輔・西郷従道の三名の建議に記された書にも、
 ロシアは「驕傲猖獗(きょうごうしょうけつ)」とか「北
 門の強敵」と書かれていた。
  また、ロシアはよく他国を裏切る国である。
  クリミア戦争(1853年〜1856年)で、イギリス・フラン
 ス・トルコなどの連合軍に敗け、ロシアは、黒海を武装
 化する権限を失った。
  1856年のパリ講和条約には、黒海の中立化条項があっ
 た・・しかし・・
  しかし、こんなことはどこ吹く風と、ロシアは、普仏
 戦争でヨーロッパが混乱している隙に・・
  1870年10月、黒海中立化条約をお得意の破棄を一方的
 に宣言した。
  ロシアは、年がら年中、こんなことをしている。
  また、清国の混乱している渦中には、愛琿条約(あいぐ
 んじょうやく)によって黒龍江以北の満州を奪っている。
  (参考)愛琿条約:1858年、アムール河岸の愛琿 (現
     在の愛輝) で、ロシアと中国・清朝との間に結
     ばれた条約。
      太平天国の乱やアロー戦争で清朝が苦しんで
     いるのに乗じ、東シベリア総督 N.N.ムラビヨフ
     が、黒竜江将軍奕山 (えきさん) に迫って結ん
     だ。
      アムール川左岸をロシア領、ウスリー江以東
     の沿海の地をロシアと清の共同管理と決めた。
      次いで、1860年の北京条約で沿海の地もロシ
     ア領となり、アムール川流域からロシア人を締
     出したネルチンスク条約の効果はまったく失わ
     れた。
     ・
     ・
1941年1月、アメリカ政府が、ドイツがソ連侵攻をするとい
 う極秘情報を掴んだ。
  その極秘情報を伝えたウッズは、既に、この前年の1940
 年8月に、ドイツ人友人からその情報を得ていた。
  だから、ドイツのヒトラーがソ連を攻撃するだろうと
 いうことは、その半年も前にアメリカは掴んでいた。
  アメリカは、その有力な証拠を持っていた。
  だから、アメリカ政府は、1941年6月22日に、ドイツの
 ソ連進攻が行われた時、アメリカ政府は驚きもしなかっ
 た。
  1941年1月、ドイツのベルリン駐在商務官のサム・ウッ
 ズからアメリカ政府へ極秘の報告があった。
  ウッズの一人のドイツ人の友人は、ナチスの反対者だ
 った。
  この友人は、ドイツ政府の各省、中央銀行、党の高級
 幹部などに深く食い込んでいた。
  この友人が、ヒトラーの指令部で、対ソ戦の準備につ
 いての会議が開かれているということを、ウッズへ1940
 年8月に知らせたのだった。
  それから数週間の後、この情報はさらに具体的になっ
 た。
  ヒトラーは、「ウラジオストックからジブラルタルま
 でドイツ軍で埋(うず)めるつもりだ」と言ったという。
  ウッズは、この友人との情報のやり取りは、この友人
 がある機関を通じて二枚の映画館の指定席劵を買い、ウ
 ッズに二枚の切符を送って来る。
  そして、彼の隣りに座り、薄暗がりの中でウッズのポ
 ケットに情報をすべり込ませた。
  ヒトラーが、イギリス空襲をしたり、イギリス侵攻を
 計画をしているという別の有力な情報は、ヒトラーが練
 り上げたソ連進攻を不意に実施するためのカモフラージ
 ュ情報だという情報も得ていた。
  ドイツは、ロシアの地方政治を担当する組織の計画ま
 でしていた。
  これらの経済顧問まで任命されていた。
  情報操作のルーブル紙も大量に印刷されていた。
.
1945年9月6日、トルーマン、アメリカ大統領が「日本降伏
 後における米国の初期の対日方針」を承認し、マッカー
 サーへ指令した。
  また、1948年(昭和23年)2月6日付、「ウォー・ギル
 ト・インフォーメーション・プログラム」との表題の文
 書がCI&E(民間情報教育局)からG-2(CIS・
 参謀第2部民間諜報局)宛てに発せられた。
  戦後のアメリカの日本占領の目的は、「日本という国
 の徹底的なる弱体化」にあった。
  それは、アメリカの国務省、陸軍、海軍の三省が合同
 で作成した「日本降伏後における米国の初期の対日方針」
 に明らかである。
  そして、その重点課題が「日本人の精神的弱体化」だ
 った。
  そのためにやることが「歴史の歪曲」と「アイデンテ
 ィティーの喪失」だった。
  アメリカに、その様な事をしなければならないと思わ
 せた出来事が、第二次世界大戦の末期、日本の見せた戦
 い方だった。
  「神風特攻隊」「沖縄決戦」「硫黄島決戦」などだっ
 た。
  アメリカに、これらのことごとが大きなショックを与
 えた。
  日本の戦闘員の人々が見せた驚異の自己犠牲の精神、
 アメリカに、これが「一番恐れさせた」。
  アメリカは、戦後、この精神を崩すことを最大の目標
 とした。
  ここに主眼が置かれた。
  学校教育の歴史教育がターゲットとされた。
  そのために、1945年12月15日、アメリカ占領軍(GHQ)
 から「神道指令」(国家神道、神社神道に対する政府の保
 証・支援・保全・監督ならびに弘布の廃止に関する件・・
 指令)が出された。
  これによって、政治家はキリスト教会などへ行っても
 良いが、神社へ行っては駄目だとされた。
  こと細やかにアメリカは指示した。
  アメリカ自身、政治に宗教的なことがあちこちでやっ
 ているのに、日本はこと細やかに禁止された。
  後に、「神経質な政教分離」で、日本が異常となる素
 地がここにあった。
  アメリカ人や西欧人には、国力の根元には必ず宗教が
 関わっているという見方をしていて・・故に、自国では、
 宗教を神経質に排除するなどという行為は行なっていな
 い・・しかし、日本ではやった・・
  GHQ指令に端を発する政教分離の名における神経質
 な宗教排除をする日本となっている。
  そして、これが、皇室の伝統にまでおよび、その影響
 が蔓延(はびこ)り、広がっている。
  「日本の伝統の破壊」、「国力の弱体化」の目的は達
 しつつある。
  日本は、政教分離条項の特例条項(実施可能条項)を設
 定すべきである。
.
1948年8月、日本人を馬鹿にしたアメリカの指示による識字
 率調査が行われた・・結果は、識字率:97.9%
  アメリカの日本に対する蔑視観から「漢字を廃止せよ」、
 英語化への目論見(もくろみ、くわだて)がなされた。
  「日本語は漢字が多いために覚えるのが難しく、識字
 率が上がりにくいために民主化を遅らせている」という
 のがアメリカの屁理屈・・アメリカの偏見があった。
  アメリカのGHQのジョン・ペルゼルが、日本語の漢
 字を止めて、ローマ字にせよとの計画を出した。
  また、わざわざアメリカは、「アメリカ教育使節団」
 を日本に送り込んだ。
  その報告書に、漢字全廃があった・・
  また、日本の仮名よりもローマ字のほうに利が多いと
 「浅はかな断定」がなされた。
  さらに、ローマ字は民主主義的市民精神と国際的理解
 の成長に大いに役立つと、自画自賛した。
  そこで、日本人の識字率を調べる事となった。
  正確な識字率の調査のため、民間情報教育局は国字ロ
 ーマ字論者の言語学者である柴田武に全国的な調査を指
 示した・・(統計処理は林知己夫が担当)。
  1948年8月、文部省教育研修所(現:国立教育政策研究
 所)により、15歳から64歳までの約1万7千人の日本人の
 老若男女を対象とした日本初の全国調査「日本人の読み
 書き能力調査」が実施された。
  その結果は、驚くべき識字率の高さであった。
  日本は、遠い昔の平安時代の女性に、文学の華が開い
 た様に教育に熱心な国柄・・
  江戸時代にも藩校の多さが素晴らしかったが・・当時、
 世界一の教育国の日本・・
  この調査においても・・その結果は、漢字の読み書き
 ができない者はわずかに2.1%だった・・
  97.9%の識字率・・
  当然の様に、日本人の識字率が非常に高いことが証明
 され、アメリカに知らしめた。
  柴田はテスト後にペルゼルに呼び出され、「識字率が
 低い結果でないと困る」と遠回しに言われた。
  しかし、柴田は「結果は曲げられない」と突っぱねた。
  日本語の仮名廃止の、ローマ字化は撤回された。
  (参考)柴田武:しばたたけし、1918年7月14日~2007
     年7月12日、日本の言語学者、国語学者。
      東京大学名誉教授、埼玉大学名誉教授。文学
      博士。愛知県名古屋市生まれ。
  こんな事をしたアメリカよ、自国のテストをせよ・・
  アメリカ(米語)をテストする・・
  日本の芭蕉の俳句・・
  「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡(あと)」。
  この俳句は10文字から出来ている。
  音は17音である。
  この深い意味をアメリカ語(米語)で表現してみなさい。
  句の奥深い背景も感じさせる様に書いてみなさい・・
  米語で10文字でどこまで表現できるか試してみなさい。
  10文字では全く表現できないでしょう・・
  如何(いか)に米語が劣っているかが分かるでしょう・・
 悟れるでしょう・・
  戦後、アメリカが黄色人種の蔑視で日本語を劣ったも
 のとして、米語にしろと命令したが、そうではないと分
 かったでしょう。
  逆に、「米語を日本語に変えるべきだと悟ったでしょ
 う」・・
  その他でも・・日本の国体を破壊しようという工作は
 しないこと!!
.
1994年、QRコードが発明された。
  QRコードを発明したのは・・日本人・・
  この便利なものを発明した日本人は、この特許権を世
 界に公開した。
  世界の方々が便利に豊かに幸せになればそれで良いと、
 特許権の独占的行使の権利を放棄した。
  世界の方々はそれによってどれ程の豊かさを得たとい
 うのか?
  この日本人に本当に感謝せねばならない。
  この様なことに思いも及ばずに過ごさないこと。
  この様な世界の人々を豊かにする発明をする日本人は
 数多い。
  例えば、青色発光ダイオード、これによってどれ程の
 電気が節電できているというのか?
  多くの電気をこれによって生み出されていると言える。
  この様な日本を「省エネルギーをしていない」などと
 批判してはいけない。
  QRコードは、そのたった一つで「びっくりする位の
 情報量が送れる」。
  たった一つの四角の中に膨大な情報が入っている。
  パターン認識が為(な)されている。
  ある種の表意文字と言える。
  日本語の優れているところは「表意文字と表音文字を
 持っているところ」。
  情報量の多い表意文字へ導く表音文字で、そのシステ
 ムで、日本語は、豊かな、そして、意味深い情報を送っ
 ている。
  表音文字だけの「米語、英語」の遅れた言語とは違う。
  また、表意文字だけの「中国語」の遅れた言語とは違
 う。
  QRコードへ近づくことのできる無限の可能性を持っ
 た表意文字を持つ日本語。
  この無限の優秀さを秘めた日本語を、アメリカは、戦
 後、日本人に日本語を使用することを止めさせ様とした。
  戦勝国の横暴さで「日本人に日本語を使うことを止め
 よ!!」と言った。
  「日本人は米語を使いなさい!!」の姿勢だった。
  この卑劣な横暴さに泣いた国がフィリピンだった。
  フィリピンは公用語を「米語にさせられた」。
  暴力である・・アメリカの強烈な暴力で強引に米語に
 させられた。
  可哀想に、フィリピンの方々は意思の伝達が出来なく
 なった。
  アメリカは、この様な卑劣な状態を無視し、看過した。
  アメリカは非情だった。
  アメリカは、フィリピンの方々が米語になれば自分た
 ちはそのままで意思伝達が出来るので便利だとそんな卑
 劣な考えにいた。
  後に、フィリピン方々はあまりの卑劣な状態を改善し
 ようと「フィリピンの元のフィリピン言語も公用語とし
 た」。
  アメリカは、逆に、アメリカが使用している米語を日
 本語やフィリピン原語にしてみなさい。
  今まで生活に使用していた言葉を「使用するな」と強
 引に抑えつけられる痛みを実感してみなさい!!
  その卑劣さが分かるだろう。
  また、日本語の優れていることをより深く理解するこ
 とに努めなさい。
  そして、日本語の良さを取り入れなさい。
  日本語は今まで柔軟に他言語の良さを取り入れて来た
 長い歴史がある。
  その経緯の中で、非常に優れた日本語に磨きをかけて
 来た。
  それを見習いなさい!!
  アメリカよ!! 遅れた自分たちが変わりなさい!!

2020年、1時間もあれば、すべてを覚え切ってしまう26文字
 しか知らない民よ! 日本語の表意文字を取り入れよ!!
  それによってより深い表現力が君たちに付くだろう。
  また、より深い思索の領域に入っていくことが出来る
 だろう。
  日本語の表意文字は、その一字一字自体が「QRコー
 ド」のように情報が含まれ深さを表わしている。
  その一字だけで深い意味が秘められている。
  戦後、日本語は文字が多くて劣っていると、アメリカ
 が日本語を廃止しようとしたことがあったが、まったく
 愚かな行為で浅はかな見方だった。
  完全に黄色人種への蔑視観があった・・キリスト教に
 洗脳された見方があった。
  (参考)QRコード:1994年、日本の自動車部品メー
     カーであるデンソー(愛知県)の開発部門(現:
     デンソーウェーブ)が発明したマトリックス型
     二次元コード。
      高速読み取りを目的の1つとしている。
      トヨタ生産方式「カンバン」(ジャストイン
     タイム生産システム)において、自動車部品工
     場や配送センター等での利用を念頭に開発され
     た。
      誤り検出訂正の能力が高く、また、オープン
     ソースとされたことから、トヨタのサプライチ
     ェーンの範囲から飛び出して独り歩きを始め、
     現在では日本に限らず世界に広く普及している。
      例えば、発明時には、民間においてインター
     ネットやスマートフォンが普及していなかった
     が、それらを用いる「QR決済」が現在、国に
     よっては主要な電子決済の地位を占めるように
     なっている。
      日本国内のテレビ局が、放送画面上にQRコ
     ードを提示して、自らのメディアであるテレビ
     放送とは異なるメディアのインターネットに誘
     う手法、あるいは、雑誌などの紙媒体にQRコ
     ードを提示してインターネットに誘う手法もし
     ばしば見られ、旧来のメディアと新しいメディ
     アのインターネットとの融合に用いられる例も
     多い。
      デンソー開発部門の原昌宏により1992年から
     新たなコードの開発がスタートし・・ 原が昼休
     憩の時間中に社内で打っていた囲碁をヒントに、
     開発目標としてコードの情報量を増やすだけで
     なく「正確に速く読み取れること」、また、油
     などの汚れがつく自動車関連工場で使われるこ
     とを想定し、汚れや破損への強さにもこだわり、
     2年の開発期間を経て1994年に完成した。
      QRコードが普及するよう敢(あ)えて特許
     をオープンにすることとし、規格化された技術
     に対して特許権を行使しないと宣言した。
      QRコードの開発チームは、2014年に、欧州
     特許庁が付与する欧州発明家賞を日本で初めて
     受賞した。
.
2020年2月5日、逗子の市道脇の崖が崩落し、18歳の女子高
 校生が亡くなった。
  読売新聞によると・・5日午前8時頃、神奈川県逗子市
 池子の市道脇の斜面が崩落し、歩道を歩いていた女子高
 校生(18)が土砂の下敷きになった。
  生徒は約20分後に救出されたが、搬送先の病院で死亡
 した。
  現場周辺はがけ崩れなどの恐れが有る『土砂災害警戒
 区域」に指定されているが、道路を管理する同市には崩
 落の前兆現象などの情報は寄せられておらず、市や県警
 逗子署などが原因を調べている。
  市などによると、斜面は高さ約15メートルで、斜面の
 上にはマンションが立っている。
  市道から約7メートルの高さまで石垣が補強されている
 が、その上にある樹木に覆われた約2~3メートルの民有
 地の一部が幅約13メートルにわたって崩れ落ちた。(中略)
  「凝灰岩」風化、原因か・・神奈川県逗子市の土砂崩
 れは、大雨や地震がない中で突然起きた。
  専門家は、火山灰などが固まってできた「凝灰岩」が
 風化してもろくなり、崩落した可能性を指摘する。
  横須賀市自然・人文博物館の柴田健一郎学芸員による
 と、現場周辺は、火山灰などが約400万~約250万年前に
 堆積(たいせき)してできた凝灰岩が広く分布している。
  東京電機大の安田進名誉教授(地盤工学)は、「凝灰
 岩は地表面で風雨にさらされたり、寒暖によって膨張と
 収縮を繰り返したりすると、風化を起こして崩れやすく
 なる」と話す。
  斜面は通常、大雨で地盤が緩んだり、地震で強い衝撃
 が加わったりすると崩れやすい。
  ただ、風化が激しい所では、風による樹木の揺れや、
 大型車両が付近を通る振動などが引き金になることもあ
 るという。
  安田さんは「今後、同様のことが周辺で起きる可能性
 はある。
  早急に地盤の点検を行い、補強工事など適切な対策を
 取るべきだ」と指摘した。
  この時、小生がテレビの報道を見て、まず、感じた事・・
  題:崖崩れの二次災害を恐れる・・
  逗子で崖崩れがあった。
  可哀想にその崖の下の公道を通行していた18才の若
 者が亡くなった。
  救助の方々が、その土砂の排除に大勢の方々の素晴ら
 しい姿が見られた。
  しかし、映し出されたその崩落したその崩の不安定さ
 が感じられる状況に心配となった。
  二次災害が起きなければ良いがと感じられ、思わず祈
 った。
  この様な状況判断をする体制はどの様になっているの
 か・・と思った。
  万一の「再度の崩落」に備える措置を講じてから救助
 するという方策は準備されているのか・・と思った。
  画面には、自分たちの二次災害の危険を顧みず救助行
 動を一生懸命にされている方々の美しい姿があった・・
  二次災害への配慮の体制や装備は・・どうなっている
 のか・・
  あの崖は地山(じやま)ではないのではないか・・?
  その様に見えるのです・・
  (参考)地山(じやま):人為的な盛土などが行われ
     ていない、自然のままの地盤のこと。
  近接するマンションの建設に伴う「埋め戻し土」であ
 って・・しっかりした地山ではないのではないか・・?
  土と石が混じる崩れ易い埋め戻し土の様に見え、そし
 て、思える。
  事故が再発しなければよいがと祈った。
  だから、マンションのところが崩れた・・と思えた。
  地山のところと同じ形状で崖を構築したのではないか・・?。
  見た目を同じにし、埋め戻し土だという配慮がなされ
 ていないように見えた・・
  (追伸)崖側に歩道があったことが不幸であった。
      マンション建設時に、建物から何メートルま
     で掘削し、崖のどの範囲までが掘削しての埋め
     戻し部なのか?・・
      だから、崖の上部にその埋め戻し土部があっ
     たのではないか?・・
      その部分が崩落を起こす切っ掛けの原因にな
     ったという様な事はなかったのか?
      マンション建設時の掘削振動が崖の地山を弱
     めなかったか?
      今後の対策として、ある程度の「安定のり面」
     にする必要があるのではないか?・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
  


2020年02月09日

(増補版)678E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年9月~1897年10月)

題:(増補版)678E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年9月~1897年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年9月、鹿児島線の八代駅~鹿児島駅間の測量に着手し
 た。
.
1897年9月、山陽鉄道会社が、一部の客車に電灯を設備する
 こととした。
  その電力の供給は電池だった・・
  1898年(明治31年)蓄電車を連結し・・
  1899年(明治32年)発電車を整備し、旅客列車に連結
   して電力を供給した。
.
1897年10月1日、金本位制が実施される。
  1897年3月26日、貨幣法が公布され、金本位制が確立さ
   れ・・
  1897年10月1日、貨幣法が施行され、金銀本位制が始ま
   った。
  貨幣法公布時の閣議書・・
  貨幣法、貨幣整理資金特別会計法ヲ定メ、明治十七年
 第十八号布告兌換銀行券条例、明治十八年第十四号布告・
 (紙幣漸次銀貨ニ交換ノ件)・中ヲ改正シ、明治十二年
 第三十五号布告・(貿易一円銀、洋銀並価通用ノ件)・
 ヲ廃止ス
  (参考)貨幣法の重点は、価格の度量標準の法定、お
     よび、貨幣の鋳造・発行の国家独占(造幣高権)
     の規定・・(貨幣の種類・価格の単位・品位・
     量目などを定めた)
      「純金ノ量目七百五十ミリグラムヲ以(もっ)
     テ価格ノ単位ト為(な)シ之(これ)ヲ円ト称」し、
     円の100分の1を銭、銭の10分の1を厘と定めた。
      貨幣法に基づいて鋳造されることになった金
     貨、銀貨、ニッケル貨、青銅貨の貨幣9種のうち、
     金貨3種は無制限法貨、他は補助貨とされ、また、
     銀兌換(だかん)をもって発足した兌換銀行券条
     例は金兌換と改正された。
      1897年の日本の貨幣法は、金本位制確立に伴
     い公布された・・が・・
      1938年になって、別に臨時通貨法が公布され、
     その後発行の補助貨や政府紙幣はこれに準拠し
     た。
      1987年、管理通貨制度に即して廃止された。
.
1897年10月1日、筑豊鉄道会社が、九州鉄道会社と合併し、
 筑豊鉄道会社は解散した。
  筑豊鉄道会社(筑豊興業鉄道)は、筑豊炭田の発展を
 後押しした麻生グループの鉄道網だった。
  筑豊興業鉄道は、筑豊の炭鉱主たちが発起した鉄道だ
 った。
  筑豊炭田は、炭鉱の数は多くても、そのそれぞれの経
 営規模は小さかった。
  故に、実際に出資できる炭鉱主は、ほんの数人しか居
 なかった。
  1889年7月21日、免許が交付された・・が・・この時、
 資本の50%以上が、堀田正養子爵を筆頭にした東京や大
 阪の有力者の出資だった。
  この様な時、麻生太吉は、会社の設立当初、全体の6番
 目、福岡県人としては2番目の株主となっている。
  太吉は、この後も、取締役として経営に参画した。
  筑豊炭田発展という目標があった。
  筑豊興業鉄道は、この頃としては異例の早さで事業展
 開をして行った。
  1891年8月30日、若松駅~直方駅が開業・・
  1893年7月3日、若松駅~飯塚駅間の全線が開通。
  その後、各区間が次々と開業・・
  明治末期に至り、筑豊全体にわたる鉄道網をほぼ完成
 させた。
 麻生太吉は、筑豊興業鉄道にとどまらず、筑豊の鉄道網
 のさらなる拡充を図った。
  1895年、筑豊興業鉄道が、筑豊鉄道と改称する。
  1897年、九州鉄道と合併。
  1907年、国有化。
  1917年、セメント事業の源となる九州産業を買収・・
   また、弓削田石灰工場の経営開始・・
  1919年、九州産業鉄道を設立し・・筑豊横断鉄道の建
   設に乗り出した。
    中元寺川鉄橋の架設や入水トンネルの開削などの
   難工事を完成させ・・
  1926年7月、芳雄駅(現:新飯塚駅)までの全線を開通。
   1933年の山陰本線の全線開通より早かった。
.
1897年10月12日、大韓帝国へ国号を改めた。
  李氏朝鮮の国王の高宗が、自主独立の国として国を整
 え示すため、国号を大韓帝国と改称し、自ら皇帝に即位
 し、皇帝専制政治が行なわれた。
  この国号の変更の動機は、日清和平条約によって清朝
 との宗属関係が消滅したと判断したからだった。
  そして、中国・清の冊封体制からの離脱したことを示
 すためだった。
  朝鮮王朝の堕落した状態から脱したいとしたが・・
  政治・経済機構は、まったく変更されなかった・・そ
 のまま朝鮮王朝の状況が続いていた。
  この帝国は、高宗、純宗と2代の14年間にわたった・・
  日露戦争の頃から、親日派政権となった。
  1904年、日韓議定書が調印され、日韓の協力関係が強
 くなった。
.
1897年10月12日、日本楽器製造株式会社(現:ヤマハ)が
 創業した。
  創業者の山葉寅楠が、静岡県浜松市で1台の壊れたオル
 ガンを修理したのをきっかけににして操業を開始した。
  1887年、浜松尋常小学校の壊れたオルガンの修理に成
   功したところからオルガン製作を決意した。
  1889年、浜松に合資会社・山葉風琴製造所を設立した。
  1897年10月12日、資本金10万円で日本楽器製造株式会
   社を設立し、初代社長に就任した。
  1900年、ピアノの製造を開始・・
  1949年、東京証券取引所に株式を上場した・・
  1954年、オルガンの教室を開講(ヤマハ音楽教室の前身)
  1955年、オートバイ部門をヤマハ発動機株式会社とし
   て分離・・
  1958年、メキシコの最初の海外法人ヤマハ・デ・メヒ
   コを設立した。
  1959年、電子オルガン(エレクトーン)の製造を開始・・
  1960年、アメリカに販売子会社を設立・・
  1962年、レクリエーション事業を開始した。
  1964年、リビング用品の製造を開始(FRP製バスタ
   ブ)
  1965年、管楽器の製造を開始・・
  1966年、財団法人ヤマハ音楽振興会を発足する・・
      西ドイツに販売子会社を設立・・
  2008年、オーストリアのピアノメーカー ベーゼンドル
   ファー社を買収
    フランスの業務用スピーカー製造・販売会社 ネキ
   ソ社を買収
.
1897年10月13日、文部省が、箝口訓令を発布した。
  教育団体や教師に対し政論を禁止する訓令(文部省訓
 令第十一号訓令)を発す(1893年10月説あり・・第九号
 公布か?)
  その内容・・
  「教育は政論の外に立つべき者たるに因り、学校教員
 たる者は明治二十二年十月九日文部省訓令・明治二十五
 年十二月十五日内訓の旨を注意することに怠らざるべし。
  教育会の名称に於ける団体にして、純粋なる教育事項
 の範囲の外に出て教育上又は其他の行政に渉り持論を論
 議し、政事上の新聞雑誌を発行するは一種の政論を為す
 者と認めざるを得ず。
  因ては其の団体は、法律上の手続を履み、相当なる政
 論の自由あると否とに拘らず、学校教員たる者の職務上
 の義務は此等団体の会員たるを許さざる者とす」
.
1897年10月14日、犬の運賃改訂(逓信省告示第302号)
  10月15日施行
  1頭につき、
25マイルまで20銭、
   50マイルまで35銭、
  100マイルまで55銭、
  100マイル以上は、50マイルもしくは50マイル未満ごと
   に20銭)
.
1897年10月16日、大韓帝国に国号を改めた国王の高宗が、
 中国・清から独立し、中国との宗属関係断絶を決めた。
  下関条約により李氏朝鮮は清から独立した。
.
1897年10月20日、高宗の第7男子・李垠(りぎん、イ・ウン)
 が誕生した。
  母は露館播遷で同行した女官・厳氏(厳妃)
  異母兄の李坧が即位する(純宗)と皇太子となった。
  1907年、満10歳(数え年11歳)の時、伊藤博文を中心
 とした日本政府の招きにより、留学目的で訪日した。
  1908年、学習院へ入学した。
.
1897年10月20日、豊州鉄道の後藤寺駅~豊国駅間、および、
 後藤寺駅~起行駅間が開通した。
  豊州鉄道(ほうしゅうてつどう)は、田川地域の石炭
 搬出を主目的として設立された福岡県と大分県で路線を
 建設して運営した鉄道事業者・・
  1890年11月19日、行橋駅~四日市駅(豊前善光寺駅)、
   行橋駅~伊田駅・香春駅の免許を受ける。
  1895年4月、小倉駅~行橋(ゆくはし)駅間が開業し、
  1897年9月、行橋駅~柳ヶ浦駅間が開業した。
  1901年9月3日、九州鉄道会社に吸収合併された。
  1907年、鉄道国有法により国に移管され、小倉駅~柳
   ヶ浦駅間は豊州線となる。
.
1897年10月21日、台湾総督府官制が公布された。
  1895年、下関条約が結ばれ、日本の台湾の領有ととも
   に、台北に行政機関として台湾総督府がおかれた。
  1896年、台湾総督府条例に基づいて、総督は陸・海軍
   の大・中将とされ、民政、軍政、軍令の全権を統轄
   した。
  1897年10月21日、台湾総督府官制が公布された。
  1919年、官制改革に伴って文官の総督が任命されるよ
   うになり純民政機関となった。
   各種の農産加工業が育成され、交通・通信・教育な
   どの近代化が推進された。
.
1897年10月21日、釧路線の池田駅~帯広駅間が開通した。
.
1897年10月21日、アメリカのアジア艦隊の司令官の交代が
 おこなわれた・・
  1897年に、海軍次官に起用されたセオドア・ルーズベ
 ルトは、ウィリアム・マッキンリー大統領に進言した・・
  「わがアジア艦隊は、マニラ湾を封鎖し、できれば占
 領すべきです」・・と・・
  そして、同じ考えである「太平洋でのアメリカの商業
 的優位を保つため、ハワイ諸島を支配し(占領し)、サ
 モアも影響力を持たねばならない」と主張した仲間であ
 るヘンリー・カボット・ロッジ上院議員を作った。
  そして、1897年10月21日のこの日、アジア艦隊司令官
 の首のすげ替えが行なわれた。
  ジョン・D・ロング司令官を解任し、ジョージ・デュー
 イ准将を新司令官になった。
  だいとうりょうは、新しい司令官に指示を出した・・
  「戦争が勃発したら、直ちに、スペイン艦隊を攻撃し
 ろ」・・と・・
  そして、「フィリピンのマニラ湾の制海権を手に入れ
 ろ」・・と・・
  この後、フィリピンの持ち主であるスペインと、戦争
 を行なう事になるアメリカは、この様な早い時期に、戦
 争をすることを、既に、決めていた。
  当然、戦争になれば、強力なアメリカの前では、スペ
 インは、打ちのめされるだけだった・・
  スペインとアメリカの戦争は、1898年のこの翌年に起
 きる。
  この時、日本は、アジアの弱小国の一つぐらいにしか
 見られていなかった。
  また、この時、このスペインが持つキューバにも、ア
 メリカの領土欲が及んでいた・・
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国が日本のマスメディアを操作している・・
    この様な「金を使った中国の操作・工作」が多岐にわたって行われている・・
    そして、それほどまでに、日本の技術が、アメリカの心胆を寒からしめた・・
.
4世紀~9世紀、沖ノ島で、この時代頃の生活用土器、金属
 器、祭祀品などが発見された。
  沖ノ島は、福岡県北部、宗像市に属する玄界灘の島。
  古くから島全体が「神宿る島」とされ、人々の信仰の
 太守になっている・・
  宗像大社沖津宮の境内で、一木一草一石たりとも持ち
 出し禁止、島で見聞きしたことを口外したりしてはいけ
 ない、女人禁制などの禁忌を守り、神職一人が交代で常
 駐している。
  全島玄武岩で構成され、海岸には海食崖が発達・・
  近海がタイなどの漁場であるため最盛期には漁民が仮
 小屋に泊まる。
  1954年からの三次にわたる学術調査によって4~9世紀
 の生活用土器、金属器、祭祀品などが発見され、古来、
 大陸との交通で果たした役割などが明らかにされた。
  出土した装飾品などは、総べてが国宝に指定された。
  2017年、沖ノ島全島、および、周辺の小屋島、御門柱
 (みかどばしら)、天狗岩の三つの岩礁が、「『神宿る
 島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」として、国連教育科学
 文化機関UNESCOの世界遺産の文化遺産に登録され
 た。
  全島を覆う原始林は、亜熱帯性植物の北限として国の
 天然記念物に指定されている。
  面積 0.69km2。周囲約 4km。
  日本を取りまく海・・この海は隔(へだ)てる海域では
 なく、あらゆる方法から、東アジアから多種多様な文化
 やモノを運ぶことのできる道だった。
  沖ノ島は、「海の正倉院」と言われる。
  その国際性豊かな豪華な遺物が豊富に発見される。
  この沖ノ島に、海上を渡ってあらゆる方向から品々が
 やって来ていた。
  朝鮮や中国のものの他に、「ペルシャのもの」も確認
 されている。
  沖ノ島は古来より神聖な場所として、信仰の対象とし
 て、様々な時代の祭祀の跡もある。
     ・
     ・
9世紀、「ひらがな」という日本独自の文字が作られた。
  平安時代の女性がこの便利な文字を使った。
  女子による平安文学が花開いた。
  そして、この時期に「カタカナ」も生まれた。
  仏門の僧がよく字を書いていたが、素早く文字を書く
 ために生んだ文字・カタカナだった。
  (参考)吉備真備(695年~775年)が片仮名を作った
     という説があるが、これは俗説に過ぎない。
  漢字の一部を使い、その文字の代わりとして用いるこ
 とは7世紀中頃から見られるが、片仮名の起源は9世紀初
 めの奈良の古宗派の学僧たちの間で漢文を和読するため
 に、訓点として借字(万葉仮名)の一部の字画を省略し
 付記したものに始まると考えられている。
  この借字は、当初、経典の行間の余白などにヲコト点
 とともに使われていた。
  それが小さく素早く記す必要から、字形の省略・簡化
 が進んだ結果、現在見る片仮名の原型となり、ヲコト点
 に成り代わって盛んに訓読に利用されるようになった。
  片仮名は、その発生の由来から、僧侶や博士家などに
 よって漢字の音や和訓を注記するために使われることが
 多く、ごく初期から漢字仮名交り文に用いた例も見られ
 る。
  後には、歌集や物語をはじめ、一般社会の日常の筆記
 にも使用範囲が広がったが、平仮名で書かれたものが美
 的な価値をもって鑑賞されるに至ったのと比べると、記
 号的・符号的性格が強い。
  当初は、字体に個人差・集団差が大きく、10世紀中頃
 までは異体字が多く見られ、時代を経るに従って字体の
 整理が進み、12世紀には現在のそれと近いものになった。
  故に、下記のNHKのニュース報道は間違い。
  間違い事例・・
  NHKがカタカナの起源が朝鮮半島の可能性と報じて
 いる。
  https://www.youtube.com/watch?v=yJuD4jpvpBA
  大方廣佛華厳経(だいほうこうぶつけごんきょう)で
 見つけたという・・紙のくぼみがそれだという。
  西暦740年ころ、新羅で書かれ奈良時代に伝わった。
  広島大学、小林芳規名誉教授と韓国の研究グループ
  その中の一つの巻物に墨で書かれた感じの横に「角筆
 (かくひつ)」で文字が書かれていることを確認した。
  360ヶ所に書き添えられている。
  漢字を省略した部分も多くあった。
  漢文を読み下すために使われたか?
  漢字の横に添えられた読み仮名と見られる文字は新羅
 の言語。
  日本のカタカナの源が新羅にあった可能性がこの資料
 から考えられる(教授談)
  専門家の間では「カタカナは、平安時代に日本で作り
 出され、日本だけで使われて来た」と。
  また、これは、この書が伝えられた日本が解読しよう
 と一生懸命日本で読もうとした人が書いたのであって、
 新羅で書かれたのではない。
  日本に来たこの経を日本の僧侶たちが一生懸命解読し
 ようとして、書いたのだった。
  NHKのニュース報道の間違い報道だった。
  NHKは、日本が貶(おとし)められることは喜んで
 放送する放送局となっている。
     ・
     ・
13世紀末、樺太やアムール川沿岸に居たアイヌは、この地
 域に居た色々な人たちと争いを起こしていた。
  その中のある人たちが元(げん)に助けを求めた。
  これによって「北の元寇」と言われる元寇が起きた。
  これによってアイヌは日本に逃れて来た。
  同じルートで紀元前3万年前に日本に渡って来た人々
 も居た・・この人たちはアイヌではなく、アイヌより先
 に日本に渡った「日本の先住民」・・
  故に、アイヌが最初に日本に来た人々ではない。
  当然、アイヌは先住民ではない。
  アイヌを先住民とした法律は間違った記述をしている。
  この法律の記述を、正しい記述に改正しなくてはなら
 ない。
  この事は、元寇を起こした国・モンゴルの史料に記述
 されている確かな事・・
     ・
     ・
1925年5月30日、五・三〇事件(ご・さんじゅうじけん)が
 起きた。
  この事件の2日前、1925年5月28日、中国国民党上海執
 行部が、反イギリス・反帝国主義運動の代表者らに対し、
 5月30日に大規模なデモを決行するよう呼びかけた。
  だが、その当日の5月30日朝、抗議活動の中心となって
 いた学生15人が、南京路にて、租界の警察機関である上
 海公共租界巡捕房に連行された。
  これに反発した民衆が、学生らの釈放を求め、数千人
 規模のデモを組織した。
  上海租界当局、および、イギリスなど租界の諸外国は、
 強硬に対処し多数の逮捕者が出た。
  また、イギリス人警察の警部の命令で、中国人やイン
 ド人の警官がデモ隊に発砲し、参加していた学生・労働
 者ら13人が射殺され、40人余りが負傷した。
  これをきっかけに、全市規模のゼネストに発展した。
  さらに、6月に始まった省港大罷工など全国に同様の運
 動が広がった。
  省港大罷工は、広東省と香港で行われ、香港を封鎖し
 た。
  上海を含めた他地域の運動が沈静化する中、1926年10
 月まで続けられた。
  第1次世界大戦後、帝国主義列強は、不平等条約の援護
 のもとに、上海、天津など沿海諸都市に工場を経営して、
 中国人労働者へ圧制を加えていた。
  この帝国主義列強の中国への経済的侵略の強まり、中
 国人労働者への劣悪な労働条件への反発が生まれた。
  1925年6月1日には、上海の労働者二十数万人がストラ
 イキに入った。
  また、上海総工会、次いで、工商学連合会が組織され
 た。
  そして、労働者は罷工、商人は罷市、学生は罷課によ
 る三罷闘争が全上海に展開された。
  工商学連合会は、17項目の交渉条件を提出し、責任者
 の処罰、損害賠償、労働者の権利保障、領事裁判権の取
 消し、外国軍隊の撤退などを要求した。
  大資本を代表する総商会が、妥協的態度に傾き、6月末
 に上海のゼネストは終った。
  一方、全国各地に広がった抗議デモに対して、外国軍
 隊による発砲事件が相次いで発生した・・
  特に、6月23日の広州沙基事件では憤激した民衆が、
 1926年10月まで16ヵ月にわたり対イギリス経済絶交運動
 を実施した。
  五・三〇事件は、不平等条約廃棄、反帝国主義を明確
 に目指し、労働者階級が運動の主導権を握った点に特徴
 がある。
  (参考)総商会:上海総商会会長・虞洽卿(ぐこうき
     ょう)は、中華民国の実業家・政治家。
      浙江財閥の巨頭として知られる人物で、主に
     航運業界で名を馳せた。
      中国同盟会や中国国民党に大規模な資金援助
     を行ったことでも知られている。
      五・三〇事件(五卅惨案)が発生すると、虞
     洽卿は段祺瑞の命令によってデモ隊との交渉に
     赴くため、1925年6月3日に上海へ戻った。
      虞は、総商会会長として「五卅事件委員会」
     を設置、自ら委員長となってデモ側の工商学聯
     合会と交渉を行った。
      諸外国の介入に対しては、虞は反発を示し、
     イギリスなどの外国製品不買などを支持した。
      また、デモ側からの権利保障の要望を認め、
     学業・職場復帰を促した。
.
1932年5月1日、国際連盟がリットン調査団を派遣し、調査
 を行っていた。
  この様な時、橋本虎之助関東軍参謀長が、小磯国昭陸
 軍次官に宛てて・・
  国際連盟を敵視する様な日本国内のNHKや新聞のメ
 ディアの論調に不快感を示して、注意を促した。
  その様な史料・・電報がある。
.
1939年6月24日、ドイツのベルリン駐在のアメリカの代理
 大使のアレクサンダー・カークから・・
  ドイツで異常な軍隊の移動と、軍事的な活動のうわさ
 があるところから、非常事態に対する準備が進められて
 いるという印象をあたえている、との報告がアメリカ政
 府に届いた。
.
1940年5月1日、イタリアのムッソリーニは、ローマ駐在の
 ウィリアム・フィリップス米国大使を引見して・・
  大使がルーズベルト米国大統領のメッセージを読むの
 を聞いたが、ムッソリーニは次の様に言った・・
  「ドイツは絶対に負けない。
  また、ヒトラーの征服によって生じた新しい地図を認
 めずに欧州の平和を考えることは出来ない。
  イタリアとしては、地中海の囚人の様な地位は耐え難
 いと考えており、
  イギリスが、スエズ運河やジブラルタルを所有してい
 るのはけしからんと思っている」・・と・・
  (参考)ジブラルタル:イベリア半島の南東端に位置
     するジブラルタル。
      ここは、スペイン領の様に見えるがイギリス
     領。
      ジブラルタル海峡幅はわずか14キロメートル。
      アフリカ大陸が目の前に望める・・
      1713年、ユトレヒト条約によってイギリスが
     手に入れた・・現在もイギリス軍が駐留してい
     る。
      箱根の関所のように地中海のにらみが効かせ
     られる絶好の地点。
      6.5キロ平方メートル、3万人が住む。
      住民:イギリス系27%、スペイン系24%、イ
     タリア系19%、ポルトガル系11%、その他19%、
      通貨は、ジブラルタル・ポンドで、レートは
     イギリス・ポンドと同じ。
      300年以上、イギリスが統治している・・スペ
     インが返還を求めている・・帰属の未解決地域・・
      イギリス本国と空路が開けている(イギリス
     から、直接、入ることが出来る)
      クルーズ船の寄港で観光の人気地である。
      ウィンストン・チャーチル通りなどとイギリ
     ス化している・・免税店がにぎわっている。
      ザ・ロックと呼ばれる岩山(標高426メートル)
     には、アフリカから持ち込まれたヨーロッパ唯
     一のサルが生息している・・観光客に人気。
      この岩山の為、ジブラルタル空港は、ヨーロ
     ッパ一の危険な空港と言われている。
.
1941年12月8日、例え、日本のハワイの真珠湾攻撃が、アメ
 リカの言う様に「奇襲だとすれば」、何と日本は、あま
 りにもアメリカの「お誂(あつら)え向きな行為」をした
 のか?
  その前まで、アメリカは、アメリカ議会は、戦争に繋(
 つな)がりそうな案件は、すべて、「神経質に否決してい
 た」。
  アメリカ議会は、「満場一致で戦争には反対していた」。
  ドイツが世界を騙し、ヨーロッパで大空軍を越境させ
 て、機械化部隊の戦車を国境を超えさせ、フランス首相
 が「フランスは数日内に降伏してしまう」と絶叫してい
 る時でさえ・・アメリカ大統領が、議会に対して、対ド
 イツへの宣戦布告について、その様な行動を、議会に通
 告すること自体が、「害こそあれ益はまったくない」と
 される様なアメリカだった。
  この様な非戦のアメリカだった。
  (参考)非戦:ひせん、戦争を否定すること。どんな
     戦争もいけない事だ(=非)と主張する態度。
  この様なアメリカに、まったくお誂(あつら)え向きな、
 これしかないという「日本の真珠湾攻撃だった」・・
  それも「日本が卑怯な奇襲攻撃をした」という筋書き
 が出来上がっていた。
  アメリカの西部劇でも分かる様に、「正義に燃えやす
 いアメリカだった」、その様な筋書き(日本の奇襲の真
 珠湾攻撃)が作られていた。
  そして、更に、アメリカの国民の方々が心配になる様
 な「こてんぱんな負けが演出されていた」・・
  だから、日本が大成功と湧いた・・作られた日本の大
 成功だった・・
  日本の優れた技術が航空機での戦艦攻撃に功を奏した
 面もあった・・
  それを知っているアメリカ・・これから航空機戦が主
 流になると知る中で、この虎の子の「航空機」と「航空
 母艦」のすべての4隻を・・アメリカは隠していた。
  日本が攻めて来ることを知っていたアメリカ、そして、
 アメリカ大統領・・そして、わずかな要人・・
  この情報は共有されていた。
  そして、ルーズベルト大統領は、家族へ・・「明日、
 日本が攻めて来るよ」と漏らしていた・・
  また、(日本が攻めて来ることはハワイの新聞にも、
 すでに掲載されていた・・日本が攻めて行くことは、ア
 メリカにとって予定された行動だった・・それを、奇襲
 に仕立て上げられた・・)
  そして、また、真珠湾へ先行した日本の潜水艦・・
  潜水艦は足が遅いので、日本の連合艦隊より先行し、
 真珠湾攻撃前にはハワイに到達していて、そのすべてが、
 アメリカ軍艦によって撃沈されていた。
  アメリカは、当然、このことを極秘とした。
  また、問われると「クジラだ」ととぼけた。
  今までには無かった様なクジラとの見間違いが「5回
 も連続で起きる訳がない」。
  また、2人乗務の日本の特殊潜航艇の乗務兵の合計10
 名の内の1人が、アメリカ側に救助されていた。
  あたかもクジラから出て来た日本の海軍兵士だった。
  こんな馬鹿馬鹿しいことを演出しながら「アメリカは、
 日本の奇襲をデッチ上げた」。
  何故? 日本は、こんな低劣なアメリカの演出劇に乗
 っかってしまったのか?
  日本側にも、アメリカの演出に乗る方向へ進めさせる
 者=工作員(スパイ)が居たとされる。
  アメリカの、この頃の「戦争は嫌だ」の風潮は、これ
 ほどまでに凄まじかった。
  ここまで日本にさせないとひっくり返らないと・・
  「戦争はしない」と公約して大統領となったルーズベ
 ルト・・
  この大統領は、「能ある鷹は爪を隠す」と言われるが、
 その爪を出したのだった。
  戦後、史料が公開される中で、それが見えた・・
  そして、今だにアメリカは日本を恐れて、国連には「
 敵国条項」を残したままにしているし・・
  真に日米が一体となった軍事体制を取ろうとしない。
  この日米軍事同盟に対抗する勢力が、取って代わろう
 という規模に膨れ上がっているというのに・・日本を必
 要以上に抑え込んでいる・・
  それほどまでに、日本の技術が、アメリカの心胆を寒
 からしめた・・
  (参考)心胆を寒からしめる:しんたんをさむからし
     める、心の底から恐れさせる。 ぞっとさせる。
     きもを冷やさせる。
     ・
     ・
2019年1月17日、中国が日本のマスメディアを操作している・・
  この様な「金を使った中国の操作・工作」が多岐にわ
 たって行われている・・
  毎日新聞へ中国政府から多額の金が・・
  イギリスの大学の調査によると、毎日新聞へ中国政府
 から多額の資金が入っているという。
  そして・・
  政治知新、2019年1月17日、毎日新聞取締役が中国の
 プロパガンダに加担と「自白」。
  毎日新聞が、ダントツに中国のプロパガンダに世界一
 貢献と認定された。
  毎日新聞には、「チャイナウオッチ」という毎日新聞
 の「別冊」を装った宣伝紙がある・・これが問題・・
  毎日新聞の取締役の小川一氏が言い訳をする・・
  「新聞社がお金をもらって、プロパガンダ記事を書く
 などということは、神に誓ってない」と言っている。
  しかし、小川氏は、フェイスブックに以下の様に書い
 た。
  「ツイッターからの続きで、英紙ガーディアンの報道
 についてコメントします。(中略)
  毎日新聞が『チャイナ・ウオッチ』の印刷、配布に協
 力しているのは『事実』です。
  毎日新聞は国の壁を超えた新たなジャーナリズムの構
 築を目指して、アメリカ、韓国、インドネシア、ベトナ
 ム、そして、中国の新聞と提携していますが、『チャイ
 ナ・ウオッチ』への協力はそうした事業の一環です。
  参考に特集記事を添付しました・・読んでみてくださ
 い。
  ただ、協力関係を作るにあたり、間違ってもプロパガ
 ンダと思われないように、記事の選択、削除、発行取り
 やめの権利は毎日新聞社が持ち、中国の一方的な宣伝に
 なるような政治の記事は除き、文化、芸術、スポーツ、
 観光などに絞った紙面にしたと聞いています。
  紙面を見るとそれは一目瞭然、プロパガンダとは無縁
 のものと分かります」・・と・・
  毎日新聞に中国からの金は入っているという協力関係
 はあると認めている。
  中国からの情報を印刷・配布していると認めている。
  中国からの情報がプロパガンダ臭のにおいが強いから
 こそ、毎日新聞はプロパガンダの批判を恐れた。
  過去にプロパガンダをうまく利用した組織のナチなど
 も文化や芸術やスポーツや観光を利用してやっていた。
  チャイナウオッチ紙は、中国共産党の機関紙「人民日
 報」の広告紙だと今はされている。
  高速道路がこんなに整備されているとかと、良い面は
 報道するが、中国の有名なスモッグの話には少しも触れ
 ないとか・・と・・排気ガス規制を無視した車が多いこ
 とにも触れない・・
  他国の知的財産を奪う行為にもまったく触れない・・
 日本の無印良品が商標権侵害だとされ敗訴したりした。
  また、他国では絶対にしないこと・・例えば、企業秘
 密を無理に開示させる行為が中国にはある・・
  スパイ会社になる中国の会社と合弁会社を必ず設立せ
 よとかの強制もある・・おいしい技術が盗まれて行く・・
  また、卑劣なのは、「中国で、海外企業が自動車や船
 舶、送電網の建設と言った重要な企業活動を行なう場合、
 必ず、中国側の資本が多い(過半になる状態)で合弁会
 社を作らなけらばならない」と、そして、イニシアチブ
 を中国が握り、重要なノウハウを次々と奪って行く。
  中国で仕事を始めた企業が、1年も経たないうちに同様
 技術を持った中国企業が出現して来る事例が多発してい
 る・・企業外へおいしい技術が流れて行っている。
  海外企業が、長い間、苦労し、その苦心惨憺(くしん
 さんたん)して蓄積した技術が一瞬で奪われるという。
  しかし、プロパガンダ紙には、この様な事はおくびに
 も出て来ない。
  ファーウェイの問題も国家の基盤を揺るがす大問題と
 なった。
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2019年11月、中国とロシア、深まる軍事交流。
  多くの米軍関係者たちは、過去の中華人民共和国とソ
 ビエト連邦の関係から類推して、中国とロシア間の軍事
 同盟は成立不可能とは言わないまでも、成立は極めて困
 難であろう、と考えてきた。
  つまり、いくらアメリカが中国とロシアを仮想敵視し
 ているとはいえ、両国が軍事同盟を結ぶ、あるいは軍事
 的な同盟関係に近い密接な協力関係を構築する、といっ
 た事態は到来しないだろうというのである。
  ところが・・
  実際には、中国とロシアの軍事的交流は加速度的に強
 化されているのだ。
  中国が構築している最新鋭ミサイル防衛システム(中
 国や北朝鮮をアメリカの攻撃から防御するとともに、日
 本や韓国それに台湾にとっては大きな軍事的脅威を加え
 ることになる)に対し、高性能早期警戒システムの援助
 を始めることをプーチン大統領が許可した。
  アメリカは「軍事大国との対決に打ち勝つ」ことを軍
 事戦略の主たる目標に掲げたものの、組織の再編や必要
 装備の調達などに手間取っているからだ。
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2019年11月17日、スリランカ大統領に、中国べったりの大
 統領が選ばれた。
  中国は、世界最多の人口を擁している。
  その最多の人口を・・世界工作に使っている。
  金は・・中国式MMTで・・無尽蔵に刷っている。
  この様な「人口と金」を世界にばらまき、ちりばめて
 いる。
  現在の世界のシステムを使って、「中国を浸透させて」
 行く。
  スリランカも、中国が重点的に影響力拡大を図ってい
 る国である。
  既に、港は、中国のものになっている。
  そして、中国工作員と言ったって「昔の様な諜報員」
 などと同じなどと言えるものではない。
  例えば、NHKは、中国へ、NHKの局内の一室を与
 えているが、NHKのその一室を借りて、そこに常駐し、
 昼や夜に声をかけて、一緒に食事をする、色々なよもや
 ま話しをする・・それだけだが・・
  その内、NHKは、日本の「中枢中の中枢」の国会の
 審議の映像を、「何らかのもっともらしい理由を付けて」
 中国へその映像を渡す・・マル秘情報を渡す。
  こんなことが、日本のあちこちでやられている。
  このスリランカにも中国べったりの大統領が生まれた。
  そして、その後の反動の大統領が生まれ、そして、今、
 その一騎討ちの大統領選挙が行なわれている。
  そしてまた、2019年11月17日、中国べったりの大統領
 が、スリランカの大統領にえらばれた。
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2019年12月3日、NATO、「中国の脅威」協議 トラン
 プ氏「強大化に対処」 (日本経済新聞)
  北大西洋条約機構(NATO)は3、4日の首脳会議で
 「中国の脅威」について協議する。
  欧州域内の港湾や通信などのインフラに中国の関与が
 強まり、米欧の軍事協力に支障を及ぼすとの危機感があ
 る。
  トランプ米大統領は3日、「強大化した中国に対処する」
 と述べた。
  米欧を射程に入れるとみられるミサイル開発を進めて
 いることも懸念材料となっている。
  首脳会議では中国への対応が主要議題の一つになる。
  NATOは、1949年に、旧ソ連への対抗を目的に創設
 されたがトランプ氏は「70年間で世界は大きく変わった」
 と指摘。
  「中国が非常に強大化した」と説明し、NATOも対
 処が必要だとの考えを表明した。
  NATOは、ロシアへの対抗やテロ対策に続く重要課
 題に中国政策を位置づける構えだ。
  ストルテンベルグ氏は、中国が米欧を射程に入れる大
 陸間弾道ミサイル(ICBM)や新型の極超音速ミサイ
 ルの開発を進めていると指摘。
  「中国の台頭がもたらす影響に対処する必要がある」
 と訴え、米欧で連携を深める考えを強調した。
  NATOには、欧州域内で中国の存在感が増し、安保
 に悪影響を及ぼすことへの懸念がある。
  中国の経済圏構想「一帯一路」に欧州の10カ国以上が
 協力覚書を結んだ。
  11月には中国が運営権を握るギリシャのピレウス港の
 拡張で両国が合意し、イタリアの港湾事業にも中国が関
 与する見通しだ。
  デンマーク領グリーンランドでは中国が空港改修など
 に意欲を示したとされる。
  インフラは有事の際に軍事的な戦略拠点になる可能性
 がある。
  フランスのマクロン大統領は10月下旬の英誌のインタ
 ビューで南欧諸国がインフラを中国に売却することにつ
 いて「ばかげている」と断じた。
  関係者によると、NATOはEUなどと協力して中国
 投資への警戒を訴える方針だ。
  通信インフラにも警戒が広がる。
  米政府高官によると、トランプ大統領は首脳会議で次
 世代通信規格「5G」の整備をめぐり、中国の通信技術
 のリスクを考慮すべきだと呼びかける。
  米政権は、中国が有事の際に『通信を遮断』したり、
 『軍事情報を盗んだりするリスク』があると主張する。
  ただ中国の脅威について加盟国が共通認識を持つのは
 容易ではない。
  欧州委員会は3月の報告書で中国を「構造的なライバ
 ル」と位置づける半面で「中国と対話を深める」とも明
 記した。
  中国を「修正主義勢力」とみなして経済・安保で徹底
 的に対峙する米国とは隔たりがある。
  東欧や南欧諸国は中国の経済支援をテコに経済浮揚を
 目指す思惑があり、中国との対立を望まない。
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2020年、今、北海道の「開拓博物館は閉鎖され、名前を変
 えた博物館になった」。
  その博物館は、アイヌの展示一色となった。
  そして、その展示に流れる主旨は「アイヌが虐げられ
 て来た」という嘘のでっち上げの展示となっている。
  今、北海道にへ、ある力によって強い工作が行われて
 いる。
  アイヌが先住民でもないのに「先住民だとされた」。
  北海道を含む、日本の沖縄から北海道まで、「縄文人
 がアイヌよりさかのぼること5万年前に住んでいたが、
 この縄文人が無視されている」。
  この様に、北海道の歴史がねじ曲げられている。
  アイヌは、紀元後の13世紀末に、元(蒙古)に追われて
 日本に来た「後から来た人たちであるが、この事が隠さ
 れている」。
  嘘のデッチ上げがプロパガンダ(嘘宣伝)されている。
.
2020年、今、韓国で作られだ映像が、日本のテレビを席巻
 している。
  安価ということで、日本のテレビ局はどこも、NHK
 をはじめ民放各局が、これでもかというほど放送されて
 いる。
  しかし、これはある目的を持ってこの様な状態となっ
 ている。
  この逆の「日本で作られた映像が、韓国で放送される
 ことは無い」。
  韓国で、「日本の映像を放送することは禁止されてい
 る」。
  何故? 韓国の映像が日本で放送され、日本の映像が
 韓国で放送禁止にされているのか?
  プロパガンダ(嘘宣伝)の工作である。
  日本国民へ工作がなされている。
  韓流映画に喜ぶ日本国民・・
  そして、反日教育で嘘の教育をされている韓国の青少
 年たちの若者。
  この様な工作の裏に中国が居る。
  北海道のアイヌのプロパガンダの裏にも中国が居る。
  今、ウイグルで、ウイグルの方々が、中国によって拘
 束されているが、そのほとんどが男性である。
  そして、ウイグル人の男性が少なくなったウイグルの
 地に漢民族の男性が送り込まれている。
  「洗国」である。
  チベットでも、一番多い民族は漢民族となってしまっ
 た。
  「洗国」・・中国が昔からやって来た洗国・・これは、
 ウイグル人女性と漢民族男性の混血を強制的に行わせ、
 ウイグルの国を乗っ取るという方法である。
  その内、日本でも・・強く中国の工作がなされている
 北海道と沖縄の日本人男性は、強制的に北海道と沖縄か
 ら追い出される事がなされるかもしれない。
  核武装した中国に、世界は手を出せないとして、中国
 は、こんなことを目論んでいる。
  今、ウイグルでその行動が着々と進んでいる。
  中国の南京で、南京事件をでっち上げて、南京博物館
 で展示しているが・・それより、日本で展示をしよう・・
 「日本の博物館を変えてしまえ」ということがなされて
 いる・・その1例:北海道の開拓博物館が無くなされて、
 今はアイヌについての展示ばかりの民族博物館になった
 いる。
  中国は人口がべらぼうに多い、この中国人の漢民族の
 人口を使った世界戦略である。
  今、北海道に、さらに、40万人の中国の漢民族が入っ
 て来る予定だという・・
  日本に対する洗国が、すでに、始まっている。
.
2020年1月31日、NHK・・日本を貶めるNHKの教育番組・・
 NHKには教育番組を放送する資格はない。
  NHKの高校講座「世界史」は、感受性の鋭い若者の
 高校生に日本を悪く印象づけ様とする番組だった。
  朝鮮・韓国を併合して「日本と同等の国になって貰お
 う」と、日本は資金を持ち出して、「朝鮮・韓国の国づ
 くり」を一生懸命にしたが・・
  この事にはまったく触れずに、「日本が植民地にした」
 「日本が植民地にした」と、ヨーロッパやアメリカが、
 アジア各国にした卑劣な植民地支配と同等の卑劣さを印
 象づけ様とする番組だった。
  また、日本は、横暴に日本文化を押し付けかの様な言
 い方の説明だった。
  「創氏改名」だって朝鮮・韓国の人たちの自由選択に
 任(まか)せた・・従来の名前のままでいたい人はその様
 にすることができた。
  この様なことも説明せずに、日本文化を押し付けたと
 説明した。
  日本を貶(おとし)め様とする意識が強い番組だった。
  NHKの高校講座の「歴史の番組」は、特に、日本を
 貶(おとし)め様とする性格が強い番組で、この種の洗脳
 的なNHKのやり方は以前からズーッとNHKは行なっ
 て来た。
  まったく卑劣と言う他はない。
  朝鮮・韓国の人たちは、日本の様な一流国家になりた
 いとも表現した。
  この事もこの番組は説明していない。
  NHKEテレビ、2020年1月31日、午後14時30分〜午後
 14時45分、NHK高校講座「世界史」、
  この様に日本を貶めることばかりするNHKの教育番
 組、NHKには教育番組を放送する資格はない。
.
2020年、ユーロ(欧州単一通貨)は、1999年に誕生したが、
 2020年は、それから約20年が経過した。
  ユーロを導入することは、経済がEU諸国と一体化す
 ることを意味し、ユーロは、欧州各国の統合を進める上
 で、最も強力な手段となっている。
  イギリスは、自国の通貨のポンドを維持している。
  EUでユーロを使うのは、加盟28ヶ国(英国を含む)の
 中で19ヶ国に止まっている。
  2015年に、リトアニアがユーロを導入して以降、新た
 にユーロを採用する国はない。
  因みに、非ユーロ圏諸国のユーロ導入支持率・・、
  スウェーデン36%(EU加盟国)
  ポーランド・46%(EU加盟国)
  ルーマニア・61%(EU加盟国)
  ブルガリア・47%(EU加盟国)
  チェコ・・・39%(EU加盟国)
  ハンガリー・66%(EU加盟国内)
  クロアチア・49%(EU加盟国)
  イギリス・・(データなし、EU加盟国)
  デンマーク・(データなし、EU加盟国)
  モンテネグロ(ユーロ独自採用、EU域外)
  コソボ・・・(ユーロ独自採用、EU域外)
.
2020年、日本のフッ化水素の韓国への輸出が46%と半減した
 とのこと。
  他の品もすべてが半減だとのこと。
  ビールは39%という・・3分の1という。
  韓国は、必死に抵抗しているのだろう。
  まったくこの様な対応しかできない韓国。
  自分(韓国)が輸入した日本の貴重な輸入物質を、韓
 国は輸出禁止国へ横流しをしていた。
  その様な法違反を韓国はしておきながら、それも指摘
 されながら「何度も無視して、法違反をした」。
  とうとう日本が韓国への優遇待遇を取り止めた・・
  韓国のレベルを、普通のレベルに戻した・・何も優遇
 するようなことをしていないと・・当然である・・
  そうしたら、韓国は、それ以外の物品でも、この様な
 やり方で不買運動をしたり、「おとな気なく卑劣な行為
 をする」。
  もう、筋の通らない韓国には、何を言っても無駄だ・・
 毅然と正論を言い続けるしかない。
  「だだを捏(こ)ねたら得をする」という過去の様な温
 情ある対応を日本は、韓国に対して「絶対にしないこと」。
  韓国に、「だだを捏ねたら損だ」ということを分かっ
 て貰えうこと!
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/  


2020年01月31日

(増補版)677E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年8月~1897年9月)

題:(増補版)677E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年8月~1897年9月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年8月26日、徳富蘇峰が、内務省勅任参事官に就任し、
 「変節した」との非難を受けた。
  徳富蘇峰は、三国干渉(1895年4月23日)がなされたの
 が「涙さえも出ない程、口惜しかった」・・と・・
  この当時、蘇峰は、記者として遼東半島の旅順に居た。
  そして、ロシア、フランス、ドイツの三国が、日本に
 恐喝的に返還をさせた屈辱行為を肌で感じていた。
  そして、日本も列強諸国並みの力を持たなくては、対
 等の外交などできやしないと考える様になっていた。
  そして、三国干渉の時の第二次伊藤博文内閣の次の第
 二次松方正義内閣に期待し、勅任参事官となった。
  蘇峰自伝には・・
  ・・ただ予が最も遺憾に堪えないのは、「新日本の青
 年」「将来之の日本」「国民之友」その他の予の著書を
 愛読し、真に予の味方である人々が、 恰も自ら裏切られ
 たるが如く感じて、予に対する信用と尊敬の念を失墜し
 たることだ。・・(中略)・・
  予は 固より当初から既に瓦解しかけつゝある松方内閣
 に、一身を投没するのは、予の前途について甚だ危険で
 あることを自覚した。
  しかしその際は 所謂る、「かくすればかくなるものと
 しりながら、止むにやまれぬ大和魂」といふ気持でやつ
 たのであるが、予の知己とも、親友とも云ふべき人々に
 さへも、諒解せられなかつたことは、甚だ遺憾千萬であ
 つた。
  ただ有り難くも予の両親だけは、よく予を諒解してく
 れた。
  世間の毀誉褒貶に拘らず、予の踏んだ道は利害得喪の
 打算からすれば、誤つてゐた道かも知れぬが、所謂る人
 間道、紳士道、男子道としては、斯くあるべき筈である
 と認めて呉れたのは、良に予にとつては涙の出るほど有
 難く感じた。
.
1897年8月26日 九州鉄道筑豊線の臼井駅~下山田駅間の敷
 設免許され・・
  1898年2月8日に九州鉄道の臼井~下山田間が開通した。
.
1897年8月29日、島崎藤村が、詩集『若菜集』を出版した。
  島崎藤村の処女作・第一詩集で、主として仙台時代に
 「文学界」に発表した作品(詩と序詞)が春陽堂から発
 行された。
  近代日本の明治ロマンチシズムのさきがけとして、詩
 情豊かな文語定型詩51編を収め、最初の芸術的開化とし
 て影響力は大きかった。
  典雅な七五定型詩の調べにのせて、青春のみずみずし
 い情感をうたい、恋愛の哀歓、自然への憧憬、流離の旅
 情、芸術への賛歌など、その主題はきわめて多彩。
  日本の近代詩の成立を告げた最初の記念碑として、高
 く評価された。
  官能や恋愛賛美などを謳い、多くの歌人や詩人に影響
 を与えた。
  (参考)序詞:じょことば、じょし、和歌やある種の
     韻文で、ある語句を導き出すためにその前に置
     かれる修辞的語句。
      枕詞と同様の修飾機能をもつが、枕詞が原則
     として五音で被修飾語との関係が固定している
     のに対し、序詞は長さも制限されず自由に創造
     されるという違いがある。
.
1897年8月29日、日本鉄道の磐城線平駅~久ノ浜駅間が開通
 した。
.
1897年8月31日、トーマス・エジソンが、キネトスコープの
 特許権を取得した。
  スクリーンに映写されるのではなく、箱の中をのぞき
 込む形になる。
  キネトスコープは、世界的に大ヒットし、その後2年
 でアメリカのほとんどの街にキネトスコープ・パーラー
 が設置されるほどになった。
  そして、驚くべきことに、エジソンは、1887年に、ニ
 ュージャージー州のウェストオレンジ研究室に移って、
 ここで、動画撮影機・キネトグラフを発明したと言われ
 ているが・・?
  実は、部下のウィリアム・ディックソンが発明したも
 のだった。
  発明者欄に、実際の発明者ではないエジソンの名前が
 書かれたのだろうが?・・これは、「特許無効の要件で
 ある」。
  実際の特許権は成立していない。
  特許権を含む知的財産権を盗む中国のことを言えない。
.
1897年8月、日本鉄道が、湯本駅~平間駅間を複線で開通さ
 せた。
.
1897年9月2日、拓殖務省廃止に伴い、北海道における鉄道
 の監督を内務省に移管した。
  1896年4月2日、台湾総督府を監督する目的で拓殖務省
 (たくしょくむしょう)が設置された。
  高島鞆之助が拓殖務大臣に任じられた。
  1897年9月2日、行政整理により廃止された。
  以後、内務省が台湾事務を担当した。
.
1897年9月6日、朝鮮政府が、ロシア軍人を顧問として、ロ
 シア式軍隊を編成した。
  1897年3月17日、駐ロシアの本野一郎代理公使は、前年
 の1896年の軍事教官の派遣について、ロシアのムラヴィ
 ヨフ外相に対して抗議した。
  この根拠は「山県・ロバノフ協定」だった。
  第四条には・・
  「韓国近衛兵及其他軍隊ヲ編成教育ノコトハ日露両国
 ニテ担保スルニ当リテ其分担方並ニ其人員ノ比例等ハ将
 来双方ノ代表者間ノ協議ニ付シテ定ムルコト相約シタ」
 となっていた。
  1897年の朝鮮政府のロシア士官招聘契約も、日本の知
 るところとなり、日本は抗議をした。
  これに対して、ムラヴィヨフ外相の返答は・・
  「( 5月4日)ローゼン氏東京ニ着シ日本政府トノ談判
 相整ウニ至ル迄ハ何事モ決定セサル様、ウェバー氏ヘ既
 ニ訓令ヲ発シ」ている・・と・・
  しかし、この訓令にもかかわらず・・
  1897年7月下旬、ロシア軍士官一行13名が仁川に到着し
 た。
  大隈重信外相は抗議をした。
  1897年8月13日、ムラヴィヨフ外相が回答する・・
  「過般韓国ニ到着シタル士官三名、下士官十名ハ、各
 旧約ニ依リテ同国ニ赴キタルモノニシテ、其延着シタル
 ハ全然旅中ノ都合ニ原因シタルモノナリ」・・と・・
  この発言は、歴史研究者の研究によって、ムラヴィヨ
 フ外相の言い訳であって、また、虚偽であることが明ら
 かとなった。
  問題は、ムラヴィヨフの訓令が、出先のウェーバーに
 届かず、さらに、ウェーバーは陸相と結んで、軍事教官
 派遣に関して、ムラヴィヨフ外相を無視し、差し置いて、
 皇帝の同意を得ていた。
  ロシアの外交が乱れていたのが原因だった。
.
1897年9月20日、北陸線の福井駅~小松駅間が開通した。
.
1897年9月25日、山陽鉄道の広島駅~徳山駅間が開通した。
.
1897年9月25日、豊州鉄道の行橋駅~長洲駅(現:柳ヶ浦駅)
 間が開通した。
.
1897年9月、京都帝国大学内に文科大学として理工科大学が
 設置された。
  日本で2番目に創設された。
  京都大学の起源は、1861年9月20日に、長崎に設立され
 た長崎養生所(その後、長崎精得館へ改称)まで遡る。
  1889年8月1日、第三高等中学校が、京都市吉田町に取
 得した新校地へ移転・・
  1894年、公布された高等学校令に基づいて第三高等中
 学校は旧制の第三高等学校となる。
  帝国大学令が制定後、近畿地方にも帝国大学の設置を
 求める声が上がっていたが、財政難のため見送られ続け
 ていた。
  最終的に、第三高等学校を東一条通の南側(現:吉田
 南キャンパス)に移転し、高等学校の土地・建物を大学
 が利用するという案が採用された。
  1896年、予算処置が可決される。
  1897年6月18日、京都帝国大学設置に関する勅令が制定
 され、京都帝国大学が発足した。
  創設時の計画では、1898年、まず法科大学から設置す
 る予定であったが、工科志望者の急増により1年前倒しと
 いう形で、創設と同年の1897年に、京都帝国大学理工科
 大学が設置された。
  敷地と建物には、上京区吉田町(現左京区吉田本町)に
 あった第三高等学校のものが転用され、まず、理工科大
 学(学部)が開設された。
.
1897年9月、佐世保要塞が建設を開始した。
  高後崎砲台・面高堡塁砲台が起工
  1891年より佐世保軍港の防禦計画の検討が開始された。
  1893年2月、防禦計画が決定された。
   しかし、日清戦争開戦のため、工事が開始が遅れ・・
  1897年、工事開始・・
  1897年9月、砲台建設開始・・高後崎砲台と面高堡塁か
   ら開始された。
  1901年11月まで、当初計画したすべての砲台が竣工・・
  1934年、江の島砲台が着工・・
  1936年8月、長崎要塞に合併され、佐世保要塞司令部は
   廃庁となる。
.
  (今日の言葉)
.
  題:1928年1月、アメリカで「対日全面戦争の作戦進捗予想」が策定された。
.
16世紀初頭、ロシアのミハイル・ロマノフの即位にストロ
 ガノフ家が貢献する。
  ロシアのストロガノフ家が、ポーランド人からの解放
 戦争では、D.M.ポジャルスキーとミーニン=スホルーク
 の解放軍に莫大な資金援助を提供し、ミハイル・ロマノ
 フの即位に貢献した。
  その後も、財政難に苦しむロマノフ朝諸帝にたびたび
 援助を与えた。
  そのため、ピョートル1世 (大帝) は一家の者を男爵に
 したり、また、パーベル1世は伯爵に叙した。
  ストロガノフ家は、18世紀~19世紀を通じて多くの政
 治家、高官を生んだ。
  (参考)ミハイル・ロマノフ:1596年~1645年、ロシ
     アのツァーリ (皇帝、在位:1613年~1645年) 。
      ロマノフ朝初代のツァーリ。
      モスクワ総主教フィラレートの子。
      1613年、動乱時代ののち、ゼムスキー・ソボ
     ール (全国議会) によってツァーリに選出され
     た。
      君主としては凡庸で、1633年まで「大君」と
     呼ばれた父親が実権を握っていた。
      彼の時代にロシアの秩序は次第に回復すると
     ともに、農奴制が強化され、ロマノフ朝支配の
     基盤が確立された。
      当初ゼムスキー・ソボールが重要な役割を果
     したが、帝権が強化されるとともにあまり招集
     されなくなった。
.
1558年、ロシアのストロガノフ家がシベリアなどの広大な
 領地をもらう、そして、シベリアへ乗り出して行く。
  ロシアのストロガノフ家が、イワン4世 (雷帝、在位:
 1533年~1574年、1576年~1584年)からカマ、チュソバヤ
 両河畔に広大な所領を得たのをはじめ、その後も、しば
 しばシベリア地方にかけて所領を獲得した。
  それらの土地を開発するかたわら、製塩業、製鉄、木
 材、毛皮売買など広範な事業を営んだ。
  ストロガノフ一家は、町や砦を建設し、私兵を用いて
 ウラル、シベリア地方に進出し、先住民の抵抗を排して
 領地を拡大した。
  その代表的なものが、1581年のコサック首領エルマク・
 チモフェービッチのシベリア遠征・・
.
1578年10月、ロシアのシベリアへの東進が開始される。
  ロシアは、ウラル山脈の西に展開するヨーロッパの国
 である。
  そして、そのウラル山脈の分水嶺以東の北アジア地域
 は、「シベリア」という。
  ここシベリアも、南極の様に、南極は条約によって領
 有権の主張は凍結されているが、シベリアの領有権主張
 も凍結されるべき地であった。
  最初に、ロシアからシベリアへ侵入したのは、正規ロ
 シア軍ではなく、ウラルの西側のカマ川やチュソヴァヤ
 川流域を領地としていたストロガノフという商人の私兵
 たちだった。
  当時、すでに枯渇していたウラル以西の毛皮資源に替
 わる、豊富な毛皮資源を求めた。
  そのため、シベリアへ進出し毛皮を求めるためだった。
  (参考)ストロガノフ家:ロシアの富裕な商人、産業
     家の家系。
      白海沿岸の農家から発し、16世紀初めアニカ
     がソリビチェゴツクで製塩業を営んで以来栄え
     た。
      1558年イワン4世 (雷帝)からカマ、チュソバ
     ヤ両河畔に広大な所領を得たのをはじめ、その
     後もしばしばシベリア地方にかけて所領を獲得、
     それらの土地を開発するかたわら、製塩業、製
     鉄、木材、毛皮売買など広範な事業を営んだ。
      一家は町や砦を建設し、私兵を用いてウラル、
     シベリア地方に進出し、先住民の抵抗を排して
     領地を拡大した。
  そして、シビル・ハン国が、1572年に、毛皮の朝貢を
 拒否したことでロシア・ツァーリ国のシベリア侵攻は決
 定的となった。
  この時のロシア人私兵は、コサックと呼ばれた。
  これらを率いたコサックの首長イェルマークによりシ
 ベリア征服が進められた。
  イェルマークは、1578年10月に、東進を開始し・・
  シビル・ハン国を攻撃、イェルマーク自身は途中戦死
 するものの、ついに、1598年シビル・ハン国は滅亡した。
  その後、ロシア人は、東進を続け・・
  1636年には、コサックのイヴァン・モスクヴィチンが
 オホーツク海へ至り、ロシア人はシベリア横断を達成し
 た。
  シベリアはロシア人の植民地となった。
  (参考)シビル・ハン国:シャイバーニー朝の一族ク
     チュム・ハン (在位:1556年~1598年) の建て
     た国家 (1556年~1598年) 。
      首都は西シベリアのイルティシュ、トボル両
     川の合流点トボリスク南東のシビル。
      ロシアのエルマク・チモフェービッチの攻撃
     を受け、クチュムはシビルから逃れたが、エル
     マクの死後、再びシビルに拠った。
      しかし、ロシアの攻撃に抗しきれず、クチュ
     ムは、1598年8月、オビ川流域で敗れ、シビル・
     ハン国は滅亡した。
      シベリアという名称はこのシビルに由来・・
  ウラル山脈の西=ヨーロッパの地に居たロシアは、東
 への領土拡張行動(侵略行動)を始めた。
  延々と続けたその侵略行為は、太平洋にぶつかると南
 下政策を始めた。
  そして、延々と続けた侵略地の連絡・物質移動のため
 にシベリア鉄道を敷設した。
  これと同じ頃、イギリスは、南の海を東へと領土を拡
 張していた。
  ロシアが、極東の地に来た頃、イギリスも、やはりそ
 の頃、極東の領域に達していて、南下するロシアと対決
 することになる・・
  このことをイギリスは予想していた。
  故に、ロシアのシベリア鉄道の敷設によるロシアの侵
 略領域の確実化行動は、日本だけでなくイギリスも気に
 していた・・
  シベリア鉄道によって、ロシアの武力の移動が容易に
 なった。
  ロシアの武力が容易に運ばれて来るから・・
  この武力を伴ったロシアの南下は軋轢を生んだ・・
  既存の権益者の欧米列強諸国と日本との間で軋轢を生
 んだ。
.
1581年、コサック首領エルマク・チモフェービッチのシベ
 リア遠征。
.
1598年8月、シビル・ハン国がロシアに滅ぼされ滅亡
  シビル・ハン国:シャイバーニー朝の一族クチュム・
 ハン (在位:1556年~1598年) の建てた国家 (1556年~
 1598年)
  首都は、西シベリアのイルティシュ、トボル両川の合
 流点トボリスク南東のシビル。
  ロシアのエルマク・チモフェービッチの攻撃を受け、
 クチュムはシビルから逃れたが、エルマクの死後、再び
 シビルに拠った。
  しかし、ロシアの攻撃に抗しきれず、クチュムは、1598
 年8月、オビ川流域で敗れ、シビル・ハン国は滅亡した。
  シベリアという名称はこのシビルに由来する。
.
1841年4月、三元里事件(さんげんりじけん)
  中国のアヘン戦争の最中に発生した反イギリス運動。
  平英団事件ともいう。
  1841年4月、広東協約が締結され、広州を攻撃するイギ
 リス軍と中国・清軍は休戦状態に入った。
  そこで四方砲台を占拠していたイギリス軍 1000人余が
 撤退のため、広東省城北方の三元里を通過しようとした
 とき、長槍、剣などで武装し、平英団の旗を掲げた村民
 に包囲攻撃され、多数のイギリス兵士が殺傷された。
  まもなく広州知府の説得で平英団は解散したが、この
 事件は、広東省民のその後十数年に及ぶ反英運動の発端
 となった。
.
1902年4月、ロシアと中国・清との間で条約が結ばれた・・
  その条約「満州還付に関する露清条約」・・
  ①条約調印後6ヶ月以内に、盛京省西南部地方の軍隊を
   撤退させる(第一期)
  ②次の6ヶ月以内に、盛京省残部および吉林省の軍隊を
   撤退させる(第二期)
  ③またその次の6ヶ月以内に、黒龍江省の軍隊を撤退さ
   せる(第三期)
  以上が、ロシアと清国との間で確認された・・しかし・・
  長城に一番近い地域からの撤兵、第一期の撤兵はつつ
 がなくなされたものの・・?
  第二期以降の撤兵に、ロシアは応じなかった。
  1903年4月18日、ロシアは、逆に、撤兵の見返りを清に
 七項目の要求を要求した・・
.
1903年4月18日、ロシアは、逆に、「撤兵の見返り」を清に
 要求した(七項目の要求)・・
  新聞報道では(1903年1月13日の記事)・・
  「露国自ら満州より撤兵す」と言ひ、既に其の第一回
 撤兵を終われりと曰ふも、是れ全然事実に非ずして彼は
 依然満州の占領を継続しつつあり、現に其の撤退したり
 と称する軍隊は僅かに服装を更たるのみ」
  ロシアの軍人は、軍服を脱いでいるだけだと報じてい
 る・・実態は、撤兵はなされていないと・・
  第二期の撤兵が近づく1903年2月16日の記事には・・
  近づきつつある第二次撤兵期限に際して、ロシアは表
 面上の撤兵をするだろう・・と書いている。
  ほとんどのロシア兵は、東清鉄道敷地圏内に入って、
 兵装を解いて人夫に偽装して、実態は撤兵しないだろう
 ・・と書いている。
  この時、日本は、清との条約に於いて、最恵国待遇条
 項があり、ロシアがこの様な状況であるなら、同様な状
 況を日本に与えてもらいたいとしている。
  日本は、この様な形で、しっかりロシアの撤兵を要求
 していた。
  強力な武力を背景にロシアが強硬な態度を取っていた。
  今・現在の中国が、やはり強力な武力を背景に、何ら
 根拠のない南シナ海を戦略基地としてしまった状況と同
 じ・・
.
1914年7月28日、第一次世界大戦(~1918年11月11日)
  日本には、この大戦に参加する意思と理由は無かった。
  1914年8月4日、日本は中立を宣言した。
  しかし、イギリス政府の日本の参戦についての対応が
 二転三転した。
  1914年8月7日、イギリスは「日本のドイツに対する正
 式な宣戦布告を伴わぬままで、極東におけるドイツの仮
 装巡洋艦を攻撃するよう」日本政府に要請した。
  この後、イギリスの態度は転々と変わるが・・
  日本国内の議論においても「参戦反対意見」が原敬、
 高橋是清、尾崎行雄、井上馨、山形有朋など重鎮から出
 るほどだった。
  この戦争に参戦したのは、イギリスからの要請で参加
 した様なものだった。
  そして、大隈重信首相は「今回の参戦には領土的な野
 心はない」と述べていた。
  1914年8月15日、日本はドイツに対して最後通牒を行な
 った。
  1914年8月23日、日本は1週間の回答期限を設けるとい
 う異例の対応を行なったが、ドイツは、結局、これに回
 答せず、日本は、この日に宣戦布告をした。
  イギリス海軍は、カナダ西岸での通商保護を日本に依
 頼した・・
  また、イギリス領シンガポールへの日本艦隊の派遣を
 要求するなど、日本海軍への期待を大きくしていた。
  チャーチル海軍大臣(後のイギリス首相)でさえ、日
 本への戦域制限をするのは日本に対しての敵対的で(失
 礼)であり、参戦を日本に求めたのであれば、その様な
 (要求はしないで)日本の制限のない要求を認めるべき
 だ」とグレイ外相に伝えていた。
  この第一次世界大戦から日本が学んだことは、「経済
 封鎖の恐ろしさ」と、さらなる「総力戦となる戦い方」
 となる「これからの戦いの総力戦の重要性」についてで
 あった。
  世界の風潮・・第一次大戦後は、世界はもう戦争はこ
 りごりの意識の中にあった。
  この様な風潮の中で、「国際協調と軍縮」が、世界大
 衆の求める方向だった。
  日本も、この戦後の社会的思潮は無視する訳には行か
 なかった。
  この様な流れの中で、イニシアティブをとったのがア
 メリカで・・各国及び日本は、このアメリカに操作され
 て行く。
  この当時のアメリカは、日本を仮想敵国と早くからし
 ていた。
  (1919年、アメリカで、日本を仮想敵国とするオレン
 ジプランが立案される・・)
  アメリカは、日本と共に第一次世界大戦を戦ったにも
 かかわらず、日本への大幅な軍縮を要求するロンドン海
 軍軍縮会議(1930年1月21日~1930年4月22日)のイニシ
 アティブをとり、操作した。
  この様な姿勢を早くから取り続けたアメリカの姿勢が
 この次に起きる第二次世界大戦を起こす最大の理由とな
 っていた。
  日本は、ロンドン海軍軍縮会議の要求を受け入れたが、
 そのため日本は「軍の近代化」により取り組まなくては
 ならないと意識した。
  また、短期によって決着する戦い方を構想せねばなら
 ならないとした。
  日本をこの様に思わせるアメリカの早期から日本を仮
 想敵国とした罪の大きさが存在した。
  この様な戦い方が構想される中で、この様な近代戦で、
 の遂行において、世界で唯一、アメリカだけが、長期に
 わたる戦争維持の自給自足が可能な理想的状況の中にあ
 った・・
  この様なことは、どこの国も分かりきっていた。
  それに対し、日本は、何もかも資源を他国に頼らなけ
 ればならない状況にあることも分かり切るほど分かって
 いた。
  鉄鋼や石油の基幹の物質でさえ、日本は、自国で何と
 かしたくてもまったくできない依存体質の資源小国であ
 ると十分過ぎるほど自覚していた。
  しかし、アメリカの日本を仮想敵国とする状況から、
 その様な状況に対する対応を構想せねばならない状況に
 置かれされた日本だった。
  それ故に、資源大国のアメリカが、新しい軍艦を建造
 するのに必要な期間(二年以内)に勝敗を決せねばなら
 ないという「短期決戦」を取らざるを得ない方針となっ
 た。
  しかし、1930年4月22日、ロンドン海軍軍縮条約の調印
 はなされた。
  この条約は、アメリカ・イギリス・フランス・イタリ
 ア・日本との間で結ばれたが、完全に日本がターゲット
 とされていた。
  この条約は、主力艦のタガ(制限)をすでに日本に嵌
 (は)めていたので・・この条約では、日本の補助艦(巡
 洋艦、駆逐艦、潜水艦)にもタガ(保有量制限)を嵌め様と
 するものだった。
  日本を完全に仮想敵国としてその仮想敵国の保有量制
 限の枠をがんじがらめにしようというものだった。
  「戦う意思十分なアメリカの様相で、やり方だった」。
  アメリカ5とイギリス5の10に対して、日本を3に押さえ
 込んだ」。
  日本の3(米英の6割)に対して、日本はささやかにも
 (7割)を要求した。
  それに対し、会議に於いて、アメリカのキャッスル駐
 日大使が、「なぜ日本は、軍事的かつ専門的見地からみ
 て対米七割を必要とするのか?」と「ぬけぬけ」と言い
 たいぐらいの発言を日本に対して行った。
  これに対し、日本は・・
  「日本は島嶼(とうしょ、島々)が多く、また、水道
 が多く、かつ海岸線が南北に長く伸びていて、この様な
 状況の中で、極東方面の海洋の安寧を維持する必要があ
 る」などという表向きの説明などせず、日本は逃げずに
 下記のように答えた。
  (参考)水道:すいどう、海において、陸地が両側に
     迫って狭くなった通路状の箇所のこと。水の流
     れる道、あるいは船の通り道という意味。
  日本の回答・・
  「七割要求の専門的な理由を討議するときには、どう
 しても日米戦争を仮想とした上での論議となってしまい、
 この会議場をあたかも小戦場化する危険がある。
  しかし、キャッスル大使との間であるから素直に申し
 上げるが、日本には、日本が七割以下の場合に、アメリ
 カが、日本を攻撃すれば日本は絶対に勝算がない。
  七割であっても、日本がアメリカを攻撃することはも
 とより不可能だけれども、アメリカから攻撃された場合、
 日本には多少のチャンスがあると考えている。
  したがって、日本としては、絶対に勝算がなくてもい
 いという案を提唱することはできない」・・と・・
  しかし、会議のイニシアティブを取り、そして繰るア
 メリカによって、日本は3とされてしまう。
  この時に、日本が言った様な「日本が勝つ見込みが絶
 対ない」という状況が作られてしまった。
  そして、何時、アメリカは、日本を攻撃しても良いと
 いう状況が作られてしまった。
  これから、アメリカは、日本の包囲網を構築し、経済
 的に枠をはめ、資源枯渇に追い込む戦略を進めて行く。
  第二次世界大戦が、アメリカによって作られて行く。
  1930年2月12日、会議をリードするまったく妥協しない
 アメリカに対し・・
  日本の若槻礼次郎全権が、双方の妥協が困難となった
 時点で言ったことは・・
  「此種の談合にては、虚心坦懐の必要を信ずるを以て、
 我方よりも最も率直に申上げんか、日本国民は日本は七
 割の兵力にては米国を攻撃し得ざる事明白なるに反し、
 真の仮定なるが、米国は理論上日本を攻撃し得べく、従
 て米が七割を拒み六割を主張するは、其の場合攻撃に便
 ならしめんとするが為に外ならずとの結論に到達するの
 外なく、此の感想を覆すことは絶対に不可能にして、従
 て我々は七割以下の比率に依る条約には到底調印し能は
 ざる、困難なる立場に在ることを充分諒得せられたし。
 (日本外交文書)
  (評)堂々と正論を発言している。
.
1916年、中国の軍閥・段祺瑞(だんきずい)は、北洋軍閥
 の一人で安徽派の領袖であるが、北京政府の実権を握っ
 た。
  中国の清時代の末、袁世凱の部下となり、中華民国成
 立後は陸軍総長に就任した。
  1915年、袁の帝制運動に反対して下野し・・
  1916年、袁の死後内閣を組織して、北京政府の実権を
   握った。
   国内の武力統一政策を推進した。
  1917年、日本の寺内正毅内閣の援段政策を機に日本と
   の結びつきを強め、巨額の借款を獲得した(西原借款)
   日本の軍事的財政的援助により、参戦軍3個師団を養
   成した。
  1918年5月、日中共同防敵軍事協定を締結した。
   政権保持のため、日本に大きく依存した。
   第1次世界大戦後、直隷派の勢力が台頭するなかで
   学生や民衆の反段反日の風潮が強まる・・
  1920年、安直戦争で直隷派に敗れ、天津に一時引退し
   た。
.
1917年、張勲の復辟 (帝政復活) 失敗後、段祺瑞内閣の復
 活、馮国璋大総統の就任とともに段、馮の対立が起り、
 両者の出身地によって安徽派、直隷派と呼ばれた。
  両派の対立は、まず・・
  1917年、中国の第1次世界大戦参加問題をめぐって表面
   化し、安徽派の勝利に終った結果・・
  1920年まで、安徽派が北京政府を支配し、南方派に対
   する武力討伐による国内統一策を推進したのに対抗
   して、直隷派はひそかに南方派のなかの広西派軍閥
    (陸栄廷ら) と結び、安徽派の武力統一策を牽制し
   た。
  1919年、馮の死により曹こんが筆頭となり・・
  1920年7月、安徽派との間の安直戦争に勝ち、以後2年
   間は、奉天派との提携による奉直連合政権時期が続
   き・・英米と結び、江蘇に斉燮元、両湖に呉佩孚を
   配置し、呉は、広東軍閥陳炯明とも、ひそかに連携
   して広東政府の孫文らを脅かした。
.
1920年、安直戦争
  呉佩孚(ごはいふ)は、北京中国、民国初期の軍閥で
 あり、山東省蓬莱県の人(1874年~1939年)であるが・・
  中国の清時代の末に、北洋第3鎮 (民国以後は第3師)
 の軍人となり、直隷総督・袁世凱(えんせいがい)傘下の
 曹こん(そうこん)の信を得て、部下として活躍した。
  1919年、曹の後を継ぎ第3師長に昇進し・・
  1920年の安直戦争で、段祺瑞の軍を破り・・
  1922年、第1次奉直戦争で奉天派の張作霖に勝ち、直隷
   派軍閥の巨頭となり、北京を支配した。
  1923年、二・七虐殺(京漢鉄道のストライキ)を武力
   弾圧した。
  1924年、第2次奉直戦争で、国民党の北伐に敗れ・・
   政界を退いたが・・
  1939年、汪兆銘(おうちょうめい)の南京政府に便乗し、
   日本に協力した。
   日中戦争中に北京臨時政府の綏請委員会委員長とな
   り、まもなく病死した。
.
1920年7月、中国の軍閥の呉佩孚は、安徽派との間の安直
 戦争に勝ち、以後2年間は奉天派との提携による奉直連
 合政権時期が続いた。
  そして、イギリス・アメリカと結び、江蘇に斉燮元、
 両湖に呉佩孚を配置し、呉は、広東軍閥陳炯明ともひそ
 かに連携して広東政府の孫文らを脅かした。
.
1922年末頃~1923年春頃、第一次世界大戦の後、アメリカ
 を初め、ヨーロッパの列強諸国が、東アジアに更なる干
 渉を強め、その焦点を中国に置いた・・そして、日本を
 ターゲットへ
  アジアの日本に対して、そのアメリカとヨーロッパ諸
 列強国は、日本への「経済封鎖と総力戦」の様相を見せ
 ていた。
  その様な情勢から、日本にとって、中国の資源の重要
 性は格段に上昇した。
  この様に欧米列強の狙う中国の「この頃の実態」は、
 1922年の末頃から1923年の春にかけての状況は、呉佩孚
 (ごはいふ)を中心とする直隷派が北京政界を支配してい
 た。
  しかし、中国国内は、各派か覇権を争っていた。
  ①段祺瑞(だんきずい)
  ②張作霖を中心とする奉天派、
  ③ソビエト=ロシアに接近しつつあった孫文。
  この三者が盟約を結び、直隷派と対抗しようとしてい
 た。
  (参考)呉佩孚:ごはいふ、北京中国、民国初期の軍
     閥。山東省蓬莱県の人。1874年~1939年。
      清末に、北洋第3鎮 (民国以後は第3師) の軍
     人となり、直隷総督・袁世凱(えんせいがい)傘
     下の曹こん(そうこん)の信を得て部下として
     活躍し、1919年曹の後を継ぎ第3師長に昇進。
      1920年安直戦争で段祺瑞の軍を破り、1922年
     第1次奉直戦争で奉天派の張作霖に勝ち、直隷派
     軍閥の巨頭となり、北京を支配した。
      1923年二・七虐殺(京漢鉄道のストライキ)を
     武力弾圧した。
      1924年第2次奉直戦争で国民党の北伐に敗れ、
     政界を退いたが、1939年、汪兆銘(おうちょうめ
     い)の南京政府に便乗し、日本に協力した。
      日中戦争中に北京臨時政府の綏請委員会委員
     長となり、まもなく病死した。
  (参考)直隷派:ちょくれいは、中国の北洋軍閥の一
     派。
      馮国璋、曹こん、呉佩孚、斉燮元、孫伝芳ら
     が中心であった。
      1917年頃にこの名称が生れ、1922年~1924年
     が全盛期で、北京政府を支配下においたが、1928
     年北伐成功に伴う北洋軍閥の全滅によって消滅
     した。
      1917年の張勲の復辟 (帝政復活) 失敗後、段
     祺瑞内閣の復活、馮国璋大総統の就任とともに
     段、馮の対立が起り、両者の出身地によって安
     徽派、直隷派と呼ばれた。
      両派の対立は、まず 1917年の中国の第1次世
     界大戦参加問題をめぐって表面化し、安徽派の
     勝利に終った結果、1920年まで安徽派が北京政
     府を支配し、南方派に対する武力討伐による国
     内統一策を推進したのに対抗して、直隷派はひ
     そかに南方派のなかの広西派軍閥 (陸栄廷ら)
     と結び、安徽派の武力統一策を牽制した。
      1919年馮の死により曹こんが筆頭となり、1920
     年7月安徽派との間の安直戦争に勝ち、以後2年
     間は奉天派との提携による奉直連合政権時期が
     続き、英米と結び江蘇に斉燮元、両湖に呉佩孚
     を配置し、呉は広東軍閥陳炯明ともひそかに連
     携して広東政府の孫文らを脅かした。
      ワシントン会議の際は対日強硬論を唱え、奉
     天派に支持された梁士詒内閣を親日売国として
     非難し、1922年4月~5月の第1次奉直戦争で奉天
     派張作霖に勝ち、以後2年間北京政府を掌握し全
     盛期にあった。
      1923年曹こんは賄賂により総統となり、賄選
     総統の悪名を残した。
      1924年9月~10月の第2次奉直戦争で、直隷派
     は馮玉祥の寝返りにより惨敗し、北京政府は安
     徽派、奉天派、国民軍の支配下におかれた。
      1926年国民軍に対抗して奉直連合軍が「反赤」
     をスローガンにして結成され、国民軍を破って
     北京に奉直連合内閣をつくり、広東の国民政府
     による国民革命に反対したが、1928年国民革命
     軍の北伐成功に伴い、北洋軍閥の各派とともに
     全滅した。
      一部の残党は東北や華北で再挙をはかり、抗
     日戦争中は日本による傀儡 (かいらい) 政権に
     も参加した。
  (参考)段祺瑞:だんきずい、中国の軍閥。北洋軍閥
     の一人で安徽派の領袖。
      清末、袁世凱の部下となり、中華民国成立後
     は陸軍総長に就任。
      1915年袁の帝制運動に反対して下野し、1916
     年袁の死後内閣を組織して北京政府の実権を握
     り、国内の武力統一政策を推進。
      1917年日本の寺内正毅内閣の援段政策を機に
     日本との結びつきを強め、巨額の借款を獲得し
      (西原借款) 、日本の軍事的財政的援助により
     参戦軍3個師団を養成。
      1918年5月日中共同防敵軍事協定を締結するな
     ど、自己の政権保持のため日本の政府、軍部に
     大きく依存するにいたった。
      第1次世界大戦後、直隷派の勢力が台頭するな
     かで学生や民衆の反段反日の風潮が強まり、1920
     年の安直戦争で直隷派に敗れ、天津に一時引退
     した。
      1924年第2次奉直戦争後、奉天派 (張作霖) と
     国民軍 (馮玉祥) に推されて臨時執政に就任。
      1926年3月学生、民衆の請願団に発砲して多数
     の死傷者を出し (三・一八事件) 、同年奉国戦
     争により下野し、大連から天津、南京へと移り、
     上海で死去。
  そして、この様に乱れた中国の財政は切迫し、窮状に
 あり、いつアメリカやイギリスなどの国際管理下に入る
 か分からないという状況だった。
  中国は、政治的に、また、経済的に疲弊した状況の極
 みにいた。
  当時の中国の歳入は4億5000万元、これに対し、歳出は
 6億5000万元で・・大幅な歳出超過の状態だった。
  中国の大きな歳入は「関税」や「塩税」であったが、
 これらの虎の子の歳入は、すでに、アメリカやイギリス
 などの監督下に置かれていた。
  その収入は、米欧の借款の担保としての元利払いに充
 当されていた。
  また更に、その使途についても厳密にアメリカやヨー
 ロッパ諸国の指示を受けるという状態だった。
  この様に手玉に取られる中国の実態を、日本はしっか
 り見ていた、掴んでいた。
  当時、日本は、中国内にしっかりした現地の駐在官を
 広範に持っていて、広範な情報収集組織を持っていた。
  この様な危機的な中国の財政情報を掴んでいた。
  そして、アメリカやヨーロッパの列強諸国が、中国に
 投下した資金が回収が出来ないと見たら、アメリカやヨ
 ーロッパの列強諸国は、中国の大事な歳入の関税や塩税
 に関する管理を「アメリカやヨーロッパの列強諸国の管
 理下に置く動きをする」と予測した。
  それは、1923年5月6日に起きた臨城事件で予測された。
  津浦鉄道の第二特急が、浦口から天津に向かう途中、
 臨城の付近で私兵集団の襲撃を受けた。
  アメリカ・イギリスに虐げられ、暴発した集団だった・・
  アメリカやヨーロッパの列強諸国に恨みを持った集団
 か?・・イギリス人1人が射殺され、外国人の16人が捕虜
 になった。
  アメリカ・イギリスは激怒した。
  イギリスは、北京政府に賠償を求めた(中国は賠償に
 応じた)
  また、責任者の処罰を要求し・・
  さらに・・津浦線に、イギリス人の運転と会計の主任
 を携(たずさ)わらせよ・・と要求した(この要求は、中
 国は拒否した)
  その他の要求から、列強諸国による共同の鉄道管理、
 漢口・上海への共同出兵、海軍による圧迫行動を、北京
 にいる列強諸国外交団の動きをした。
  そして、実態として、税関、塩税、郵政などの部分管
 理をすでに行なっていて・・中国支配に成功していると
 いう列強諸国の状態だった。
  中国の政争が続く中で、徐々に、アメリカやヨーロッ
 パの列強諸国のその力を、鉄道やその他部分の管理へも
 及ぼしつつあった。
  中国の財政破綻が確実化されつつある中で、その列強
 諸国に乗っ取られる状態へ進みつつあった。
  そして、その中心に・・イギリスが居た。
  それに対し、アメリカが、その覇権を横取りして、得
 ようといていた・・イギリスの既得権益を侵害しようと
 していた。
  そして、アメリカは、すでに、無線やバス路線で、多
 大な資本を使って乗っ取っりが完了していた。
  その様な方法を使って、アメリカはその他のところも
 権威者の地位を占め様としていた。
.
1923年、中国の軍閥の曹こんは、賄賂により総統となり、
 賄選総統の悪名を残した。
.
1923年5月6日、臨城事件
  津浦鉄道の第二特急が、浦口から天津に向かう途中、
 臨城の付近で私兵集団の襲撃を受けた。
  アメリカやヨーロッパの列強に恨みを持った集団か?・・
 イギリス人1人が射殺され、外国人の16人が捕虜になった。
  アメリカ・イギリスは激怒した。
  イギリスは、北京政府に賠償を求めた(中国は賠償に
 応じた)
  また、責任者の処罰を要求し・・
  さらに・・津浦線に、イギリス人の運転と会計の主任
 を携(たずさ)わらせよ・・と要求した(この要求は、中
 国は拒否した)
  その他の要求から、列強諸国による共同の鉄道管理、
 漢口・上海への共同出兵、海軍による圧迫行動を、北京
 にいる列強諸国外交団の動きをした。
  そして、実態として、税関、塩税、郵政などの部分管
 理をすでに行なっていて・・中国支配に成功していると
 いう列強諸国の状態だった。
  中国の政争が続く中で、徐々に、米欧列強諸国のその
 力を、鉄道やその他部分の管理へも及ぼしつつあった。
  その様な状況は、日本もよく情報を得ていた。
  中国の財政破綻が確実化されつつある中で、その列強
 諸国に乗っ取られる状態へ進みつつあった。
  そして、その中心に・・イギリスが居た。
  それに対し、アメリカが、その覇権を横取りして、得
 ようといていた・・イギリスの既得権益を侵害しようと
 していた。
  そして、アメリカは、すでに、無線やバス路線で、多
 大な資本を使って乗っ取っりが完了していた。
  その様な方法を使って、アメリカはその他のところも
 権威者の地位を占めようとしていた。
.
1924年9月~10月、第2次奉直戦争
  第2次奉直戦争で、直隷派は、馮玉祥の寝返りにより惨
 敗し、北京政府は安徽派、奉天派、国民軍の支配下にお
 かれた。
  段祺瑞(だんきずい)は、第2次奉直戦争後、奉天派
 (張作霖) と国民軍 (馮玉祥) に推されて臨時執政に就任
 した。
.
1924年、アメリカで日本を仮想敵国とするオレンジ・プラ
 ンが作られた。
  中国国内に軍閥が林立し、中国国内が四分五列し、乱
 れる中で、イギリスやアメリカの絶大な影響力に組みす
 る者もあれば、日本に助力を求める派もあった・・
  しかし、現実の中国の歴史は、アメリカやイギリス主
 導の国際管理という路線も、また、日本主導の「公平な」
 統一勧告という路線もとることはなかった。
  中国国民党が、ソビエト=ロシアと提携して、その指
 導のもとに、組織や体制をボルシェビッキ的なものに改
 変させていく過程へと進んだ。
  そして、この様な時、1924年、アメリカに日本を仮想
 敵国とするオレンジ・プランが作られた。
  そして、この対日作戦計画は、正式な作戦計画として
 大統領の承認を受け、採択された。
  アメリカは、このプラン以外の作戦計画も作られた。
  そして、このプランは・・
  ①第一段階は、日本による攻勢的攻撃の過程・・
  ②第二段階は、アメリカが様々な方法で日本近海に迫
   って行く過程・・
  ③第三段階は、大陸によって資源を補充しようとする
   日本の方策を、空と海からのアメリカの力によって
   封鎖し、包囲し、降伏させる過程・・
 として捉(とら)えていた。
  そして、今後、実際、この様に進んで行く。
  日本が真珠湾を攻撃しなくてはならない方向へ資源封
 鎖などを仕掛けられて行く。
  このアメリカの方策によって、窮地に陥った日本の真
 珠湾攻撃がアメリカの仕掛け通りになされた時、アメリ
 カのルーズベルト大統領は歓喜し、イギリスのチャーチ
 ル首相へ「予定通り行った」と歓喜して電話をし、喜び
 合った。
  (参考)ボルシェビッキ:ソ連共産党の前身。十月革
     命を指導。
      ロシア語で「多数派」の意味。
      1898年、ロシアのマルクス主義者は、ミンス
     クでロシア社会民主労働党を結成したが・・
      1903年、第2回党大会 (ブリュッセル、ロンド
     ン) において、党員の資格をきびしくするよう
     に要求するレーニン派と、それに反対するマル
     トフ派の間に対立が起った。
      レーニンの主張は、28対22(保留1) で敗れた
     が、その後党内における自組織の自治を否定さ
     れたブント派ら7人の代議員が退場したため逆に
     多数派となり、党人事などで優位を占めるよう
     になった。
      このとき以後、レーニン派は自派を多数派と
     称し、マルトフらを少数派 (メンシェビキ ) と
     呼ぶようになった。
      メンシェビキが、当面する革命をブルジョア
     革命と規定してプロレタリアートの従属的役割
     を主張するのに対し、ボルシェビキはプロレタ
     リアートが農民と提携してブルジョア革命を徹
     底することこそ重要であることを説くなど、両
     派の間には党の性格、革命戦術などの点で大き
     な差があった。
      第4回党大会 (1906年、ストックホルム) 、第
     5回党大会 (1907年、ロンドン) を合同で開催し
     たにもかかわらず、両派の対立はやまず、1912
     年、プラハで開かれた第6回全ロシア党協議会で、
     レーニンはメンシェビキと袂を分ち、独自の党
     を結成した。
      第1次世界大戦に際しては、敗北主義の立場を
     とり、自国の敗北を革命に転化させることを主
     張した。
      1917年の二月革命後,特に、4月レーニンが帰
     国して、戦争中止、ソビエトによる全権力の奪
     取 (→四月テーゼ ) を呼びかけて以後,ボルシ
     ェビキの勢力は強まり、労働者、農民、兵士の
     間に次第に影響力を増大していった。
      同年10月23日 (旧暦 10日) ボルシェビキ党
     中央委員会はレーニンの提唱する即時武装蜂起
     を 10対2で決議、11月7日 (旧暦 10月 25日) 臨
     時政府を倒して政権を掌握した。
      翌年3月党名をロシア共産党と改め、1952年、
     第 19回党大会においてさらにソ連共産党と改称
     した。
.
1926年3月、三・一八事件
  中国の段祺瑞(だんきずい)が、学生、民衆の請願団
 に発砲し、多数の死傷者を出した。
  この年、奉国戦争により下野し、大連から天津、南京
 へと移り、上海で死去した。
.
1926年4月、中国北部で、段祺瑞(だんきずい)が下野した
 後、奉天派の張作霖(ちょうさくりん)が呉佩孚(ごは
 いふ)とともに北京政府を支配した。
  (参考)張作霖:中国の軍人、軍閥政治家。遼寧省生。
      馬賊の出身。張学良の父。
      日露戦争時、機を見て日露双方のスパイとな
     る・・巧みな処世術を持っていた。
      1916年、奉天省の、次いで1919年まで東北三
     省の実権を握る。その後、直隷派と結び、一時、
     日本軍と結び東北の全権を掌握、奉天軍閥を形
     成、奉天派の総帥・首領となる。
      1922年、第1次奉直戦争では直隷派に敗れたが、
      1924年、第二次奉直戦争で直隷派を破り、
      1926年、東三省保安総司令に就任、その勢力
       は東北のみならず華北,華東を経て上海に
       及んだ。
      1927年、大元帥を称し、北京政府を掌握。
      1928年、国民党の北伐軍に大敗。逃亡の途中、
       列車が爆破され死去。
  1926年7月、中国南部では、国民革命軍総司令に就任し
 た蒋介石(しょうかいせき)が北伐を始めるという緊迫
 した状態になっていた。
  1927年末、中国の南京の国民政府がソビエト=ロシア
 との国交断絶に踏み切った。
  しかし、中国におけるソビエト=ロシアの軍事的強大
 化となる。
  何故? アメリカはこの様な情勢の中で、中国の資源
 を巡って日本をターゲットととしてうごめくのか?
  日本を資源的に封鎖したいアメリカがそこにあるが、
 戦争に至ってまでしても良いから日本の資源的封鎖をし
 たいアメリカの方針があった。
  アメリカは、中国の権益が欲しいと「中国の門戸開放」
 を宣言したが、資源に恵まれたアメリカが何故? そこ
 までこだわったのか?
  この様なアメリカに、日本も、アメリカとの戦争を意
 識し始める。
  石原莞爾(いしはらかんじ)は、ロシアの革命で乱れ
 ている今、国力を充実させて、アメリカと対峙するとい
 う意思表示をしている。
  荒唐無稽とも言えるがこの様な流れが生じて来ている。
  この様な風潮の中で、日本の工業が重化学工業化し、
 転換して行った。
  また、この様な風潮が、第一次世界大戦当時の日本の
 陸軍はまだまだ小陸軍であったが、この当時からドイツ
 や赤軍規模の大陸軍に発展して行った。
  技術上でも近代兵器を擁する、技術上に高度な陸軍へ
 と変貌して行った。
  アメリカの執拗な日本封じ込めがこの様な変貌をさせ
 る結果となった。
.
1926年、国民軍に対抗して奉直連合軍が「反赤」をスロー
 ガンにして結成され、国民軍を破って北京に奉直連合内
 閣を作った。
  広東の国民政府による国民革命に反対したが・・
  1928年、国民革命軍の北伐成功に伴い、北洋軍閥の各
   派とともに全滅した。
   一部の残党は東北や華北で再挙をはかり、抗日戦争
   中は、日本による傀儡 (かいらい) 政権にも参加し
   た。
.
1928年1月、アメリカで「対日全面戦争の作戦進捗予想」が
 策定された。
  アメリカは、この中で、「戦争はせいぜい二年」と短
 期と予想していた。
  また・・
  「我々は長期戦を覚悟しなければならない。
  しかし、できるだけ短期間に勝利を獲得できるよう作
 戦行動をとるべきである」・・としていた。
  第一次世界大戦が、1918年11月11日に終わって、もう
 アメリカは不埒(ふらち、道理にはずれ不届きなこと)
 にもこの様なことを暗躍させていた。
  日本に真珠湾攻撃をさせようとする動きが始まってい
 た。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/  


2020年01月20日

(増補版)676E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年8月~1897年8月)

題:(増補版)676E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年8月~1897年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年8月6日、奈良鉄道が、初瀬鉄道の全線を自社の延長
 線とする免許を得た。
  1897年10月1日、引継ぎを受けて工事を続行した。
  奈良鉄道は、京都と奈良を結ぶ鉄道として計画された。
  建設は京都から進められて、1896年に、七条駅~奈良
 駅間が全通した。
  そして、この年・1897年、奈良駅~桜井駅間の区間を
 建設していた初瀬鉄道を合併し・・
  1898年に、全通した。
.
1897年8月10日、両国川開きの花火大会で、多数の見物客の
 重みで木橋の両国橋の欄干が落ち、川に転落するなどで
 死傷者が多数でた。
  この事故を契機に、旧橋の上流に鉄橋が架けられた。
  因みに、両国川開きが初めて行われたことについて・・
 若月紫蘭『東京年中行事 下巻』(春陽堂、1911年)に
 以下の記述がある。
  「享保十八年(1733年)、八代将軍吉宗の時である。
  前年大飢饉の余勢をうけて米価しきりに騰貴し、山陽・
 西海・四国尤も甚しく、民の餓死するもの九十六万余人
 に及んだと言うにもかかわらず、漸く太平に慣れ、奢侈
 の風これより盛んならんとしたる江戸に於ては、この年
 五月二十八日を以て、今猶江戸名物の名残の一として数
 えられつつある、隅田川は両国の川開が初めて催された
 のである」
.
1897年8月18日、逓信省官制が改正(勅令第267号)されて、
 鉄道局を「鉄道の監督」および「私設鉄道の免許に関す
 る行政庁」とした。
  庶務課と監理課の2課を設置した。
.
1897年8月18日、鉄道作業局官制を公布(勅令第268号)した。
  それによって、作業局に建設・工務・汽車・運輸・計
 理の5部を設置・・
  建設部には、庶務・経理・監督の3掛を・・
  工務部には、計算・設計・庶務の3掛と国府津・静岡・
 名古屋・敦賀・神戸・長野の6保線事務所、および、新永
 間建築事務所を・・
  汽車部には、庶務・運転の2掛と新橋・長野の2機関事
 務所、および、新橋・神戸・長野の3工場を・・
  運輸部には、庶務・調査・運転・旅客・貨物の5掛と新
 橋・名古屋・神戸・敦賀・長野の5運輸事務所を・・
  計理部には、主計・出納・倉庫・検査・購買・庶務の
 6掛と静岡・名古屋・神戸・長野の4出納事務所、および、
 青森・福井・福島・八王子・篠ノ井の5派出所をそれぞれ
 設置した。
.
1897年8月18日、中越鉄道の福野駅~福光駅間が開通した。
  中越鉄道は富山県で最初に開業した鉄道。
  日本海側において、最初に開業した私設鉄道。
.
1897年8月24日、陸奥宗光が死去した。
  陸奥宗光:(1844年~1897年)紀州藩士、外交官、政
 治家。
  明治初期に行われた版籍奉還、廃藩置県、徴兵令、地
 租改正に大きな影響を与える。
  カミソリ大臣と言われる・・伯爵
  1844年8月20日(天保15年7月7日)紀伊藩士・伊達宗広
   (千広)と政子の子(6男)として生まれる。
   父は国学者・歴史家としても知られ、影響を受け、
   尊王攘夷思想を持つ・・
   父は紀州藩に仕え、財政再建を成した重臣(勘定奉
 行)・・しかし・・
  1852年(8歳)父が、藩内の政争に敗れ失脚・・一家は
   困苦と窮乏の生活となる・・
  1859年(15歳)江戸に出る・・
   安井息軒の塾などで学ぶが・・吉原通いが露見し破
   門となる・・その後、水本成美の塾で学ぶ・・
   これより陸奥陽之介と名乗る。
   父・宗広、宗興(伊達家養嗣子)が尊皇派であったた
   め長州、土佐の志士らとの交流ができ、坂本竜馬に
   知られ、神戸海軍操練所、亀山社中、海援隊と行動
   を共にする(1867年)・・
   長州藩の桂小五郎(木戸孝允)、伊藤俊輔(伊藤博
   文)などの志士と交友を持つ・・
   脱藩し、国事に奔走、尊王攘夷運動に・・
  1863年(19歳)勝海舟の神戸海軍操練所に入る・・
   才覚を発揮する陸奥に対する坂本竜馬の言葉・・
   「(刀を)二本差さなくても食っていけるのは、俺
   と陸奥だけだ」
   陸奥も竜馬のことを・・
   「その融通変化の才に富める彼の右に出るものあら
   ざりき。自由自在な人物、大空を翔る奔馬だ」と絶
   賛した。
  1867年(23歳)12月10日、龍馬が暗殺され・・
   後、紀州藩士・三浦休太郎を暗殺の黒幕と思い込む。
   海援隊の同志15人と共に彼の滞在する天満屋を襲撃
   する事件(天満屋事件)を起こした。
  1867年(23歳)維新政府が成立するや、
  1868年(24歳)岩倉具視の推挙により、外国事務局御
   用掛、次いで会計官権判事に任ぜられ、外国使臣と
   の応接、
   戊辰戦争に際し、中立を表明するアメリカと交渉し、
   甲鉄艦ストーンウォール号の引き渡しに成功、外国
   軍艦の購入に活躍・・金は大阪商人達に交渉して、
   一晩で借り受けることに成功・・
  1869年(25歳)大阪府知事・後藤象二郎の下で働いた
   のち、摂津県(のち大阪府に編入)知事、兵庫県知事・・
  1870年(26歳)薩長土肥を中心とする政府人事に不満
   を抱き、紀州藩強化策に専念、兵器購入、教師雇い
   入れのため欧州に出張すえう。
   廃藩置県ののち、神奈川県知事、外務大丞、大蔵省
   租税権頭から租税頭、大蔵少輔心得と進み、大隈重
   信、井上馨、渋沢栄一らと共に大蔵省改革派として
   活動した。
  1871年(27歳)神奈川県令
  1872年(28歳)租税頭、地租改正局長として地租改正
   を推進・・しかし・・
   薩長藩閥政府の状況に憤激して、官を辞し・・和歌
   山に帰る・・蓮子夫人が亡くなる・・翌年、亮子と
   結婚・・
  1873年(29歳)政変で、薩派が大蔵省を握ったため陸
   奥ははじき出された。
  1875年(31歳)大阪会議で政府と民権派が妥協し、そ
   の一環で設置された元老院成立で議官。幹事役を務
   めた。
  1877年(33歳)西南戦争に挙兵を企てた立志社・大江
   卓らに加担したと発覚(土佐立志社事件・政府転覆
   計画)として5年の刑を受け下獄(1878年)。
  1878年(34歳)下獄・・妻亮子にせっせと手紙を書く・・
   獄中で功利主義哲学者ジェレミ・ベンサムの著作を
   翻訳した。
  1883年(39歳)1月、特赦によって出獄
  1884年(40歳)イギリス、オーストリアに留学、シュ
   タイン(国家学)など猛勉強状態で学んだ(伊藤博
   文の勧めでのヨーロッパ留学)・・西洋近代社会の
   仕組み、内閣制度の仕組み、議会はどの様に運営さ
   れているか、民主政治の先進国のイギリスの知識と
   知恵の数々を盛んに吸収した。
  1886年(42歳)帰国後、外務省に入る。
   井上外相に引き上げられ弁理公使から特命全権公使
  1888年(44歳)駐米公使となり、日米条約、日墨条約
   の改正交渉に従事・・
  1890年(46歳)帰国、農商務大臣に就任、民党対策を
   主として担当した。
  1892年(48歳)第二次伊藤博文内閣の成立で外務大臣
   に就任し、念願の条約改正事業に着手・・
  1894年(50歳)日英条約の改正(治外法権を撤廃)を
   成功させ、以後、次々に各国との条約改正をなしと
   げた。
   また、朝鮮問題ではついに清国との開戦にいたる外
   交を展開し、開戦から三国干渉に至る難局に対処・・
   講和会議では全権をつとめ、下関条約締結に手腕を
   発揮した。
   アジアをめぐる国際関係に大きな変動をもたらすに
   至った。
   この経緯を『蹇蹇録』として外務省高官、および、
   ごく限られた政治中枢に配布した。
  1896年(52歳)5月、病気のため辞職後も、雑誌『世界
   之日本』(主筆は竹越三叉)を刊行するなど、政治的
   再起を目指していたが・・
  1897年8月24日、死去、54歳
   著書:『蹇蹇録(けんけんろく)』
   参考文献:『陸奥宗光』(現代日本思想大系10巻)
.
  (今日の言葉)
.
  題:果たして中国が・・「自分の意思を通せるのか?」
    中国の暗号資産(仮想通貨)は成功するか?
.
紀元前2世紀~紀元前1世紀、荒神谷(こうじんだに)遺跡
 が発見された・・これは大発見だった・・
  最初の発見は、農道建設で遺跡分布調査に入った調査
 員が、田んぼのあぜ道で一片の土器を拾ったことがきっ
 かけだった。
  弥生時代中期後葉~後期初頭
  島根県北東部、出雲市斐川町神庭(ひかわちょうかん
 ば)に所在する青銅器埋納遺跡。
  「出雲風土記」にある神名火(かんなび)山と言われ
 る標高366メートルの仏経山の北東、小さな谷間の標高22
 メートルの南向きの急斜面。
  1984年~1985年の島根県教育委員会の調査で、丘陵斜
 面の3地点から、整然と一括埋納した状態で銅剣358本、
 銅鐸(どうたく)6口、銅鉾16本がまとまって出土した。
  刃こぼれなどが見られず、形式が単一であることなど
 から、鋳造後比較的短期間のうちに一括埋納されたもの
 と考えられている。
  それまでの弥生時代の日本全土で出土した銅剣の総数
 を上回る数が一度に出土したのだった・・
  この地方の強大な勢力の存在を示すものだった。
  この銅剣は、武器としてより祭器としての性格が強い
 と考えられている。
  弥生時代を代表する3種の青銅器が一括埋納された遺跡
 の最初の発掘例となった。
  銅剣は中細銅剣で、損傷が見られず、単一型式を示す
 ことから、製作後比較的早い時期に埋納されたと考えら
 た。
  銅鐸はいずれも小型で、菱環鈕式横帯文銅鐸 1、外縁
 鈕式四区袈裟襷文銅鐸 5。
  銅鉾は中細形 2、中広形 14で、北部九州からの搬入品
 と考えられている。
  銅鐸・銅鉾も共伴遺物がなく埋納時期は不明、最も新
 相を示す中広銅鉾の年代より弥生中期末~後期前葉以降
 と考えられている。
  この遺跡は、弥生時代の青銅武器、特に、銅剣が過去
 の出土総数を大量に上回り、従来の分布論を破壊した。
  また、不時発見の多い埋納青銅器としては例外的に正
 式な発掘調査で出土し、埋納状況が明らかになった点も
 重要。
  1998年の出土品は一括して国宝に指定された。
  これによって、出雲が神話だけの存在ではないと考え
 られる契機となった・・
  王国あるいは文化圏の存在・・
  (参考)不時発見:工事中などに、予想されていなか
     った埋蔵文化財が確認されることを言う。
.
紀元前2世紀~紀元前1世紀、加茂岩倉遺跡が発見された・・
  これは、不時発見・・
  弥生時代中期から後期
  島根県東部、雲南市加茂に所在する弥生時代の集落跡
 の銅鐸埋納遺跡。
  赤川の支流を遡(さかのぼ)った狭い谷の最奥部、標
 高138メートルの丘陵南斜面の中腹。
  荒神谷遺跡と山を隔てて南東に僅か3.4キロメートルし
 か離れていない。
  1996年10月、農道工事に伴い丘陵地を掘削中に谷底よ
 り18mの斜面から、史上最多の39の銅鐸が発見された。
  重機による掘削中に、突然異様な音がしたため、直ち
 に重機を止めた運転者が「誰がポリバケツをこんなとこ
 ろに埋めたのか」と考えつつ近づいたところポリバケツ
 ではなく銅鐸を発見した。
  銅鐸の高さは30~50cmで、ほとんどが大きい銅鐸の中
 に小さな銅鐸が入っているという「入れ子」の状態で出
 土した。
  このうち7個は絵画銅鐸で、ウミガメの絵が描かれてい
 るものや、吊り手に小さな人の顔が描かれているものも
 あり、これらは、これまで出土したどの銅鐸にもみられ
 ない独特のもの。
  また 12個の銅鐸の吊り手には×印がついており、わず
 か3kmほど離れた神庭 (かんば) の荒神谷遺跡で出土した
 358本の銅剣の328本の把手にみられた×印との関係も注
 目を集めた。
  39個の銅鐸は国宝に指定された。
     ・
     ・
372年、倭王に、朝鮮半島の百済王が朝貢した時に、鉄刀
 「七支刀(しちしとう)」が献上された。
  ヤマト王権が担った外交の一端を示す史料である。
  刀の表裏に計61文字の銘文が金で表わされている。
  朝鮮半島で、高句麗が南下した事への危機感が贈呈の
 背景にあるとみられている。
  東アジア情勢を語る史料となっている。
  この鉄刀は、奈良の石上神宮に伝わり、国宝となって
 いる。
  長さ74・9センチ、
  日本書紀などの史書に、百済が倭に対して複数回朝貢
 していて、人質も差し出していることが記述されている。
  そして、七支刀の献上について、日本書紀神功皇后摂
 政52年条に、百済と倭国の同盟を記念して神功皇后へ「
 七子鏡」一枚とともに「七枝刀」一振りが献上されたと
 の記述がある。
  紀年論によると、この年が372年にあたり、年代的に
 日本書紀と七支刀の対応、および、合致が認められてい
 る。
  銘文の判読された内容・・
  表:「泰始四年(268年)夏の中月なる5月、最も夏な
    る日の16日、火徳の盛んな丙午の日の正午の刻に、
    百度鍛えた鋼の七支刀を造る。
     これを以て百兵の兵器の害を免れるであろう。
     恭謹の徳ある侯王(倭王)に栄えあれ、寿命を
    長くし、大吉の福祥あらんことを」
  裏:「先世以来、未だこのような刀は、百済には無か
    った。
     百済王と世子は生を聖なる晋の皇帝と倭に寄せ
    ることにした。
     それ故に、倭王が百済王に賜われた「旨」を元
    にこの刀を「造」った。
     後世にも永くこの刀と共に倭と百済が伝え示さ
    れんことを」
     ・
     ・
8世紀後期、日本は、唐文化を卒業し、唐文化を無条件に受
 容しなくなった。
     ・
     ・
10世紀末、この頃、現在、使用されている西洋歴(キリス
 ト紀元)が定着した。
  「イエスの生誕年が何時なのか?」の問題が起きた。
  古代のキリスト教年代学を受け継いだフライジングが
 ギリシャ語訳聖書をもとに計算して5500年と算出した。
  ユリウス・アフリカヌスでは5500年、
  エウセビオスとヒエロニムスでは5199年、
  アウグスティヌスでは5349年、
  人類史をキリスト教は6000年としている。
  このことから、キリスト教は、この頃、『終末が近い』
 とし、その終末の到来を恐れた。
  人々は、終末が切迫しているとの認識が強かった。
     ・
     ・
1882年5月、アメリカと朝鮮が米朝修好条約を締結した。
  この時、中国・清は、その条約の中に「朝鮮は、清の
 属国だ」という条文を入れさせようとした。
  朝鮮・韓国が、中国・清の冊封体制したにあったが、
 「そう甘いものではなかった」。
  ただ、中国・清に挨拶に行けば良いという様な甘いも
 のではなかった。
  1881年、清国は、対朝鮮関係を監督を強化した。
  わざわざ再編して強化した。
  今まで監督していたのは中国・清国の礼部が行ってい
 たが、海軍を率いて大活躍したことで有名な李鴻章の下
 に移した。
  この時、李鴻章は北洋大臣をしていた。
  朝鮮に対する清国の干渉は強まった。
  伝統的な宗属関係なんてものではなかった。
  その様な強烈な対応を清国はとった。
  また、その様な状況の中で、1882年5月、アメリカと朝
 鮮が、米朝修好条約を締結するが・・中国・清は斡旋・
 仲介をして、朝鮮は中国・清の「属国だ」と、条文に記
 す様に動いた。
  条約上で明文化しようとした。
  アメリカは、その異常さに反対をした。
  結果、中国の思惑は失敗した。
  中国・清は、この様に単なる冊封ということでなく、
 他国の条約締結にも口出しをして、アメリカだけでなく、
 欧米列強各国、および、世界へ印象づけ、朝鮮は、中国
 が宗主だということを承認させ様とした。
.
1918年12月22日、原内閣は、パリ講和会議に向けた人種差
 別撤廃に関する訓令案を決定した。
  欧米の人種差別行為を止めさせたかった。
  この当時、欧米列強諸国に、キリスト教にマインド・
 コントロールされた「有色人種差別」が根強くあった。
  (とは言っても、2020年の今・現在でも、人種差別が、
 まだ、なされている状況・・)
  この頃、黒人の方々が、卑劣な奴隷の身分から解放さ
 れていたとはいえ、まだまだ、アメリカ社会のキリスト
 教国やヨーロッパ社会には、黒人の方々を初め、黄色人
 種に対する人種差別がどぎつく、卑劣にも行われていた。
  ハワイの方々は、王国を潰され、アメリカに乗っ取ら
 れていた。
  日本は、それに強烈に抗議をしたが、その日本人が、
 黄色人種蔑視の差別を受けていた。
  中国人と共に、人種差別の嵐の中に居た。
  第二次世界大戦でも、黒人の方々は、最前線に立たさ
 れ、白人兵より黒人兵士の方が戦死率が高かった。
  70年前の出来事であるが、キリスト教に流れる有色人
 種差別観にマインド・コントロールされた状況は、そう
 簡単に抜けきるものではなかった。
  キリスト教国の国家がイニシアチブを取って出来た国
 際連盟も、キリスト教の価値観で判断されるという社会
 だった。
  イスラム社会がノーベル賞から除外されている今・現
 在の状況とまったく同じだった。
  強いキリスト教信仰のキリスト教国オーストラリアも、
 この前まで「白豪主義」と言って、「白人だけによる豪
 州(オーストラリア)」という軽蔑すべき人種差別政策を
 とっていた。
  また、先住民の黄色人種のアボリジニの方々を、動物
 のごとく撃ち取ってよいという法律を作ってまでして、
 アボリジニの方々を動物狩りの様に虐殺していた。
  また、この強いキリスト教信仰国家は、キリスト教の
 迷信「鯨は知恵のある動物で、高いステージにある」と
 いう迷信を掲げて、日本の捕鯨に大打撃を与えた。
  日本の食文化の一画にある鯨食は消し去られた。
  その一方、オーストラリアは、カンガルーを撲殺・虐
 殺するという行為をしている国。
  食文化というものは、それぞれの国々が育んだ尊重さ
 れるべきものだ。
  オーストラリアの歴史より古い太地(たいじ)町の鯨
 漁が大きな被害を受けた。
  オーストラリアは、この太地の方々へ謝罪と補償をし
 なければならない!!
.
1941年4月13日、日ソ中立条約が合意され、署名された。
  この条約の中に、満州国の領土保全と相互不可侵を約
 束した条項があった・・
  しかし、この後、ソ連は、この条項を無視し、満州な
 どへ武力侵攻の行使をした。
  ソ連は、1945年4月5日に、「翌年(1946年)に満期に
 なるが自動延長はしない」と日本政府に通達して来た。
  つまり、それまでは破棄しないという姿勢を見せ、「
 破棄する」という意思をソ連は日本側にまったく見せて
 いなかった・・つまり、現状は継続するという姿勢を見
 せていたが、ソ連は裏切った。
  そして、武力侵攻をし、日本人の一般市民を虐殺した。
  また、ソ連は捕虜と言ったが、日本兵ばかりではなく
 日本人の一般市民までシベリアへ連れ去った・・拉致・
 誘拐である・・
  この行為は「シベリア抑留」と言われているが・・拉
 致行為であり、誘拐行為である。
  そして、捕虜だと言っていたが、日本兵だけではなく
 大勢の日本人の一般市民を連れ去った。
  このことを書いた本「女たちのシベリア抑留(小柳ち
 ひろ著)」がある。
  ソ連は、多くの日本女性を強姦して卑劣な行為をした
 が、シベリアへも連れ去った。
  その日本女性たちは、その時から70年以上が経たなけ
 れば口を開くことが出来なかった・・それほど精神的シ
 ョックは大きかった・・あまりにもつらい出来事だった。
  開拓団の方々の妻たち、女子学生、日赤看護婦の方た
 ちなど・・
  本来、ソ連は連れ去ってはいけない方々まで、非人道
 的にも、ソ連(現:ロシア)は、シベリアという極寒の
 地へ連れ去っていた。
  そして、北極圏から中央アジアという広大なソ連の領
 内へ連れて行き、抑留し拘束した。
  そして、何ら罪のないこの様な方々へ重労働を科した。
  多くの方々が命を落とした。
  悲しいことに、この方たちの中に「日本に帰ろうと思
 っておりません」という留まらざるを得なくなった大き
 な精神的打撃を受けた方々も居る。
  まったく人生をソ連によって踏みにじられた方々・・
  ここに、ソ連の抑留システムのその極めて非人道的な
 面がある。
  これから、日本は、この補償についてもソ連(現:ロ
 シア)に求めて行かなければならない。
  韓国が言うような1000万円/1人という補償を求めて
 行かなければならない!
.
1946年11月3日、日本国憲法が公布された。
  日本国憲法は、アメリカが最初から最後まで、すべて
 を作った・・これがプロパガンダ(嘘宣伝)されている・・
  日本は、ただ、その憲法の『翻訳に徹しただけ』。
  しかし、この事実がまったくプロパガンダ(嘘宣伝)さ
 れ、戦後、70年以上経った2020年でさえ間違って認識し
 ている・・
  日本が自主的に作った「自主憲法だ」と・・
  その様に思い・・思わされている。
  日本は「翻訳だけ」という役割分担さえあった。
  しかし、この様な真実は「報道しては駄目だ」とアメ
 リカからの偽(いつわ)りの卑劣な強制があった。
  アメリカの何が「自由だと言うのだ?」・・
  アメリカの何が「民主主義だというのだ?」・・
  日本国民の民衆にまったく情報を与えないで、日本国
 民の意思などを問わないで、アメリカが『独裁』で与え
 た日本の現行憲法なのた。
  アメリカは、言論統制(プレス・コード)を強いた。
  アメリカは、ラジオ・コードも強いて、徹底的に検閲
 を実施し、秘密にさせた。
  事実は、まったく報道できない状態におかせた。
  長い間、アメリカは、この様な非民主主的な行為を日
 本に対して行っていた。
  NHKやマスコミは、「日本国憲法はアメリカが作っ
 た」とは決して報道しなかった。
  『最大のタブー』とされた。
  しかも、NHKやマスコミは、嘘を報道し始める。
  アメリカが作った日本憲法を、言い換えて「日本の政
 府草案だ」と「嘘の報道し始めた」。
  NHKやマスコミは、「日本がある程度、自主的に作
 ったのだ」と「嘘の言い方をし始めた」。
  アメリカが、強権をもって、箝口令(かんこうれい)の
 口封じをして、日本に与えた日本の現行憲法を「強烈に
 定着させた」。
  世界記憶遺産ものの「茶番劇憲法制定劇場だった」。
  アメリカの戦後の日本改造政策の大成功事例の一つだ
 った。
  それとも??? そのすべてをお見通しの日本国民は、
 そのアメリカの筋書きに、その演技指導に乗ったふりを
 して、やって来たのか?
  しかし、今、日本を取り巻く環境に、現行のこの日本
 国憲法は、耐えられなくなっている。
  そろそろ日本も、核兵器を搭載・装備した原子力潜水
 艦を持たねばならなくなっている。
  女房・子供の笑顔を維持するために、その行動に移る
 時になって来ている。
  愚かな人間・・ある程度の力を持たないと「外交の正
 常さ」は保てないのだ。
  その様な状態にしてから・・それから・・平和外交が
 スタートする。
  丸腰の人間に「真に耳を傾ける」は・・絵空事。
.
1959年、この年に始まった在日朝鮮人の帰国事業
  この帰国事業の始まる前の・・終戦後のこと・・
  日本へ、朝鮮半島から渡って来ている朝鮮の人たち・・
  そのお父さんたちは、朝鮮で貧しさの中で苦労し、日
 本に渡ればよくなるかと日本へ渡って来ていて・・日本
 に来たと言っても苦労はした。
  自分の子供たちには・・自分が食べさせねばならない
 と・・また、この子たちは餓えさせまいと・・自分は食
 べなくても、子供たちには食べさせた。
  そして、そのお父さんは、自分の知り合いの日本人宅
 を訪れた。
  お父さんは、子供たちとは違って、色々な人間関係を
 持っていて、人間的付き合いを持っていた。
  そして、朝鮮からの方々が訪れて来た、そして、長い
 話の中で食事をして戴いた。
  その様な中で、ある時の話だが・・お新香(カラシ菜)
 が美味しいと、その方はよく食べられた・・
  よく食べて戴いたので、母は、次から丼(どんぶり)で
 お代わりを出して差し上げた・・
  それも食べるという余程可哀想ですがお腹(なか)が空
 いていた様でした。
  食事がすでに終わっていたので、話の御茶受けにお新
 香を出したのですが、この様な展開をしていた。
  しかし、急に空きっ腹にお新香(おしんこう)を入れた
 ものだから、急に腹が痛くなり、急にトイレはどこです
 か?と聞いた。
  トイレを教えてあげたけれど、少しトイレまで遠かっ
 たので、トイレまでの途中の廊下でその方は粗相(そそう)
 をしてしまった。
  厳しい戦後の中の話の一コマで、日本人とて大変で、
 その中で朝鮮からの方々も必死に生きていた。
  日本人の人々も、できることをして差し上げていた。
  近所で、日本人のお父さんが栄養失調で亡くなったと
 いう話が耳にも入って来ていた頃・・その様な厳しい時
 代だった・・
  今・現在、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領が、
 半分、引っ掛けの様な言い掛かりを日本に言って来てい
 るが・・
  日本に来ていた韓国の当時の方々は、この文在寅の様
 な卑劣な非礼な言い方はしなかった。
  日本にまったく非が無い話に・・「日本から解決案を
 示せ」と言う韓国の文在寅である。
  例えば、あなたがまったく悪くない話で、相手から「
 誠実に解決案を示せ」と言われたらどの様に思いますか?
     ・
     ・
2020年1月12日、インド太平洋に、アメリカ陸軍が新部隊を
 配備する・・
  今後、2年で、中国やロシアに対抗 (読売新聞)
  アメリカのマッカーシー陸軍長官は10日、ワシントン
 市内で講演し、今後2年間で、複数領域で作戦を行う新た
 な2部隊をインド太平洋地域に配備する方針を明らかにし
 た。
  中国やロシアに対抗する狙いがあり、サイバー戦・電
 子戦の実行や、極超音速兵器の運用などを想定している
 という。
  「2021会計年度に最初の部隊を配備する」と述べたが、
 具体的な配備先には言及しなかった。
  「中国が米国の戦略上の脅威として台頭するだろう」
 とも指摘し、装備の近代化を進める重要性を強調した。
.
2020年、文在寅(ムン・ジェイン)・韓国大統領さん!!
  「他人(ひと)の顔を殴っておいて、未来志向で行こう」
 という言い方は成立しませんよ・・
  文在寅・韓国大統領よ、貴方は、よくこの様な引っ掛
 けの言い方をしますが・・貴方は、まず、謝罪をしなさ
 い。
  人を引っ掛ける言い方は止めなさい。
  誠実になりなさい!!
  元徴用工の件は、「条約で解決した」と合意しました
 ね!
  それを、「元徴用工の問題の解決案を日本政府が出し
 なさい」は、頓珍漢(とんちんかん)な言い方をする文在
 寅・韓国大統領となっています。
  「韓国政府が、すべて解決するから韓国政府へ金を渡
 してくれ」と言ったのは韓国政府です。
  その様に条約で確定し、約束したのを無視しないこと。
  問題があるのは「韓国政府に問題がある」のです。
  それを、さも、何も知らない世界の人を騙す様に、「
 日本政府に解決案を出しなさい」は成立しない言葉です。
  日本政府が、逆に、「韓国政府が解決するからと言っ
 たことが履行されてないではないか」・・と問いただし
 たい。
  だから、「韓国政府よ!! 解決案を出しなさい!!」と
 言いたい。
  こんな、人を騙す様な言い方ばかりする韓国政府よ、
 誠実になりなさい!!
.
2020年、文在寅・韓国大統領は「未来志向の改善をしたい」
 と言うなら、まず、自分の失言を謝罪しなさい!!
  自分の失言を謝罪しないで「未来志向で行こう!!」は
 成立しません。
  韓国大統領は「この様な引っ掛け発言をするから注意
 を要する」。
  謝罪がないなら安易にこの大統領とは手が握れない。
  例えば、他人(ひと)の顔を殴って、「未来志向のため
 に手を握ろう」と言われて、手が握れるか?という事。
  日本から「未来志向のために、韓国大統領の失礼発言
 について誠実に話し合おう、そして、悪いと韓国は分か
 ったら、誠実に謝罪しよう」と言いたい。
  韓国は、未来志向のために「誠実に謝罪しなさい!!」。
.
2020年、中国は、根拠を明確に示さないで「日本人を捕ま
 えている」。
  根拠を示さないので「拉致状態となっている」。
  それも一人・二人ではない。
  十人、またはそれ以上という大変異常な状態となって
 いる。
  これは犯罪行為だ。
  この様に中国は国際法的にも通用しない行為をする国
 家である。
  この様な状況の改善が何らなされない状態で「習金平
 を国賓として迎えようとしている」。
  この問題がはっきり解決されないならば、国賓として
 の訪日は拒否するべきだ。
.
2020年、社会資本の整備に於いて・・アンバランスな状況
 にある・・
  一方は勿体ない工事を行ない、一方はまったく手が付
 けられない・・
  予算のある組織が「まだまだ使えるものをバカバカ壊
 し、新しいものを造る」。
  予算の無い組織は、「直さなければならない」と思い
 ながらも、そのままにするから落下する様な橋などが出
 るというアンバランスな日本の社会資本の維持の状態と
 なっている。
  例えば、NEXCO中日本のやり方はまったく勿体な
 い。
  贅沢(ぜいたく)なやり方をしている。
  「30年、経ちましたから壊して作り替えてます」と言
 って壊している。
  30年で寿命が来るわけない。
  30年で作り替えるほど壊われる訳はない。
  また、これまで十分にメンテナンスをして「供用年限
 を伸ばす努力をして来たのか?」・・と言いたい。
  あたかも人間の寿命の様に「寿命が来ましたから」と
 何ら『根拠のない年限』で取り壊しの破壊行為となって
 いる。
  人間の細胞の寿命とはまったく違うのだ。
  その事が分かっていない。
  予算が余っているのだ。
  テレビでも新聞でも、不必要な宣伝・通知を繰り返し
 ている。
  まったく潤沢(じゅんたく、豊かにあるさま)な行動
 をしている。
  その取り壊し行為、そして、作り替えにしっかりした
 裏付けがあるのか?
  「どんぶり勘定的な30年が来たから」では駄目なのだ。
  点検を丁寧に行なって、メンテナンスを丁寧に行なっ
 ていれば「半永久的に供用できるものなのだ」。
  工事をする技術者集団の無駄遣いとなっている。
  本当に修復が必要な日本の他の社会資本へその技術者
 集団を振り向けるべきだ。
  何しろ丁寧に点検して、丁寧にメンテナンスをせよ!!
  社会資本は大事に大切に使いなさい!!
  このNEXCO中日本の潤沢な金は他へ回わすべきだ!!
.
2020年、日本人は、子供に、よく「ありがとうと言いなさ
 い」と言う。
  子供に、何か良いことをしてくれた方に、子供が感謝
 の言葉を忘れている時には、親は、その感謝の言葉を子
 供に言い、感謝の気持ちを現(あらわ)すことを促(うなが)
 す・・それが大切な行為だから、その様にしつける・・
  「感謝の気持ちを表わすことが、人間関係を築く上で
 一番大切だ」ということを「教え」そして「しつける」。
  日本は、韓国に大分(だいぶ)良いことをして来ている
 が、韓国から「感謝の言葉を貰(もら)ったことがない」。
  韓国は、プライドが高いので感謝の言葉を言わない。
  しかし、優しい日本は、その様な韓国の態度でも、何
 かと韓国を助けて来た。
  そして、韓国は、相変わらず感謝の言葉のない行為を
 し続けて来た。
  逆に、卑劣な行為を日本にして、日本はその様な卑劣
 な行為を受けて来た。
  日本人はしないという最悪レベルの「卑劣な行為」を
 受けて来た・・
  日本大使館前の慰安婦像の設置が最悪な行為で、その
 反省さえ韓国にはない・・
  この様な濡れ衣をでっち上げられたうえに、さらに、
 この様な行為をされている・・
  これからは、この様な事を看過せず、必ず、韓国に正
 邪を正そう。
  そして、必ず、韓国に感謝の意を表明させ、感謝状を
 必ず貰(もら)おう。
  今まで、日本にあることないこと、悪口の言いたい放
 題でも、日本は、金を出したりして支援をしたが、この
 様な態度の時は、絶対に金は出さない様にしよう。
  国際裁判所での判決が、そのほとんどが日本の勝利に
 なっている様に、常に、日本は正論を言って来た。
  つまり、日本の正論が分からない韓国には、日本の正
 論をあくまでも説き、その正論が理解されないなら絶対
 に金は出さない様にしよう。
  理解されて金を出したのならば、常に、感謝状を貰お
 う。
  約束をしたって、後で、なんだかんだと好き勝手を言
 って条約でも何でも、取り決めたことまでひっくり返す
 韓国には、ここまでしっかり徹底的にやろう。
  そして、条約をひっくり返す場合は、違約金を支払う
 取り決めにしよう。
  これから、韓国には、温情抜きで毅然としよう。
  同じことは繰り返さない様にしよう。
  いくら応援しても、後の金、次の金を引き出すために
 何かを探して、悪口を言い出す韓国には、とことん正邪
 を正してから、金を出す様にしよう。
  「ひねくれたやり方が通る様な状況」に絶対ならない
 様にしよう。
  韓国系の日本の国会議員も、韓国の屁理屈に手を貸す
 様なことはしない様に・・
.
2020年、26の文字しか知らない民よ!!
  十万字を超えると言われる漢字の事が想像できるか?
  ナポレオンの辞書には、「不可能」という言葉が無い
 そうだが??
  我々の辞書には、約五万字が記載されている。
  そして、常に、三千字以上の文字を使用する民の思索
 の深さが想像できるか?
  そして、26文字しか知らない民よ・・君たちは表意文
 字を持たないが・・表音文字だけの世界に住んでいるが・・??
  日本語は、表音文字以外にも表意文字を持ち、そして、
 表音文字も一種類ではない・・この様な豊富な文字で意
 思を伝達をしているのだ・・
  君たちは、この豊かな日本語に代わりなさい!!
  日本語を、世界共通語にしなさい!!
.
2020年、日本の財務省は、国際金融カルテルの動きに敏感
 に影響されている。
  日本の財務省は、日本の生存の根幹を左右し、日本の
 生命の根幹も左右している・・
  例えば、今回の消費税の増税も、財務省の強い意思の
 下に行われた。
  消費税を増税しない方が良いことは誰でも分かってい
 た・・
  今まで消費税を上げると、毎回、景気は後退局面を迎
 えていた・・
  それで、消費税を増税しないで景気上昇をさせた方が
 良いという事は誰もが思っていたが・・その様にはなら
 なかった。
  その様な強い意思で増税を行わせた財務省が悪いとい
 う話も出るが・・財務省への裏の力があった。
  国際金融カルテルは・・アメリカに関係している。
  そして、そこで力を持っているのが銀行幹部たち・・
  この選挙で選ばれた訳でもない者たちが、金融カルテ
 ルを牛耳って、各国の中央銀行を通じて、各国の経済を
 無言のうちにコントロールし、支配している。
  余り知られていないが・・国家を超越した巨大な存在
 となっている。
  アメリカがきれいごとを言って、「グローバリズム」
 なんて言って・・
  アメリカの仕掛けは・・アメリカの中央銀行の様に思
 わせているFRB(連邦準備銀行)が・・中央銀行の役割
 しているのが・・これは「おかしい組織」・・
  何で?? 国の中央銀行の様なことをするのだ??
  FRBの正体は「完全なる民間の銀行」・・
  何で?? 民間機関が国の役割を行っているのだ?
  この様なシステムを成立させている・・アメリカの金
 融システム・・
  そして、これが、ウォール街やシティグループを持っ
 ている。
  そして、これらに大きく影響されている日本の中央銀
 行の日本銀行(日銀)・・
  そして、財務省。
  為替を操作され・・自由にされている。
  日本人が一生懸命に働いても、為替で操作されれば、
 国の状態は変わってしまう。
  簡単には、良くなんてならない。
  完全に操作されている。
  こんな面を持つ「自由主義社会の金融システム」・・
 こんな資本主義制度下で働いている。
  ディープステイトと言われる者たちに集まる利益メカ
 ニズムが存在し・・
  反対行為をすれば「操作されてしまう」・・
  財務省が悪いのではない・・
  これに挑戦している形になっているのが中国・・
  果たして中国が・・「自分の意思を通せるのか?」
  中国の暗号資産(仮想通貨)は成功するか?
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
  


2020年01月12日

(増補版)675E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年6月~1897年8月)

題:(増補版)675E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年6月~1897年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年6月29日、中越鉄道の高岡駅~伏木駅間の建設の仮免
 許状が下付された。
.
1897年6月、滝川仮工場(旭川工場の前身)が作業を開始した。
.
1897年6月、十勝線の旭川駅~美瑛駅間が着工した。
.
1897年6月、天塩線の旭川駅~蘭留駅間が着工された。
.
1897年6月 関西鉄道の加茂駅~木津駅間の建設の仮免許状
 が下付された。
.
1897年7月1日、第十八国立銀行が、国立銀行制度改革で株
 式会社十八銀行と改称転換した。
  営業は継続・・
  因みに、1907年(明治40年)十八銀行は、ウラジオス
 トクに松田銀行部(十八銀行支店)を開業した。
  ロシアは、外国人法人による銀行支店の開設を認めな
 いため、頭取の松田庄三郎の個人名義として開業し、こ
 れは実質的な支店である。
.
1897年7月1日 北海道炭砿鉄道の室蘭駅~輪西駅間が開業し
 た。
  因みに、従来の室蘭駅は輪西駅と改称し、新たに室蘭
 駅を設置)した。
  北海道炭礦鉄道(ほっかいどうたんこうてつどう)は、
 官営幌内鉄道が開業した手宮駅(小樽市)~幌内駅(三
 笠市)間の鉄道路線を、1889年(明治22年)に譲渡され、
 現在の北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の一部など
 を建設した私鉄。
  沿線の炭鉱から産出される石炭を、積出港に運搬する
 役目を担った。
.
1897年7月1日、逓信大臣が、閣議に鉄道局から作業機関を
 分離し鉄道作業局の設置を提案した。
.
1897年7月4日、労働組合期成会の発起人会が開会し・・
  翌日の1897年7月5日、労働組合期成会が創立した。
  労働組合期成会は、労働組合結成を目的とした団体で、
 1897年7月5日に高野房太郎らによって、労働組合運動の
 促進をめざす「労働組合期成会」が結成された。
  期成会の母体となったのは、1891年(明治24年)に、
 サンフランシスコで日本人労働者により組織された職工
 義友会だった。
  高野房太郎は、城常太郎、沢田半之助の職工義友会の
 仲間とともに仮幹事に選ばれた・・片山潜も加わった。
  労働者が中心のものの、一部財界人、知識人が資金を
 援助し演説会に出演するなど・・
  秀英舎(大日本印刷)の社長・佐久間貞一、東京工業
 学校(東京工業大学)講師の鈴木純一郎、高野の弟岩三
 郎ら・・
  後に、期成会に積極的に応じ、会員に加わったのは鉄
 工関係だった。
  鉄工は、旋盤工や仕上工、缶詰工など金属関係の職工
 の総称で、多くは東京砲兵工廠や石川島造船所、日本鉄
 道大宮工場など比較的大規模な工場で働く労働者だった。
  1897年12月1日、労働組合期成会の働きかけで日本最初
 の近代的労働組合「鉄工組合」が創立された。
.
1897年7月10日、九州鉄道の武雄駅~早岐駅間が開通した。
.
1897年7月12日、貨車取扱及貨物積載方心得を制定した(鉄
 運乙第763号、7月20日施行)
.
1897年7月15日、豊川鉄道の豊橋駅~豊川駅間が開通した。
.
1897年7月19日、汽車検疫規則が制定された(内務省令第19
 号)
.
1897年7月22日、九州鉄道の長与駅~長崎駅(現:浦上駅)間
 が開通した。
.
1897年7月22日、豊川鉄道の豊川駅~一宮駅間が開通した。
.
1897年7月30日、成田鉄道延長線の成田駅~川越駅間(我孫
 子・野田・岩槻・大宮経由)仮免許状下付を出願した。
  (関東鉄道会社計画線、および、総州鉄道会社計画線を
 協議のうえ成田鉄道会社延長線とすることを協定したも
 の、31年9月19日免許状下付)
.
1897年7月、長野県松本で木下尚江や中村太八郎らが、普通
 選挙同盟会を結成した。
.
1897年8月1日、北越鉄道の鉢崎駅~柏崎駅間が開通した。
  北越鉄道は新潟県内で鉄道を建設し、営業した鉄道事
 業者。
  現在の信越本線・・この線が、日本海岸の直江津から
 内陸の長野に向けて、1886年、路線を伸ばしはじめたも
 のの、直江津以北の官設による建設は見通しが立たない
 と判明した。
  そのため、地元新潟県有志は、渋沢栄一に東京の資本
 家を呼び込むことを依頼した。
  渋沢を発起人代表として、1895年、北越鉄道株式会社
 (本社:新潟市)を設立した。
.
1897年8月2日、日本勧業銀行が開業した。
  日本勧業銀行(後のみずほ銀行)が創立された。
  日本勧業銀行は・・殖産興業政策の推進の観点から、
 1877年頃より構想されて来た特殊銀行として設立された。
  1896年、日清戦争後の企業勃興期であったこの時に制
   された日本勧業銀行法により・・翌年1897年2月、資
   本金定1000万円で開業した。
   不動産担保による長期資金供給の専門金融機関とし
   ての性格を持ち、長期低利による農業開発資金、地
   方公共団体の耕地・農道・水路などの整備・改良資
   金などの貸し付けが期待されていた。
   その運用資金は、主として債券発行で調達されるも
   のとされた。
   開業当初には紡績業への救済もあったが、耕地整理
   資金の供給など農業面へ貢献するところが大きかっ
   た。
  1897年6月、日本勧業銀行法(勧銀法)に基づいて、
   ①農工水産業の改良、
   ②発達を促すため長期資金を供給する特殊銀行・・
    として設立された。
   創業時の資本金は1000万円。
   当時は、預金業務は許されていなかった。
   債券発行は認められていた。
  1902年、工業向けの長期資金供給機関として日本興業
   銀行が設立されたため・・
   日本勧業銀行は、農業向け長期資金供給機関として
   の性格を強めた。
  1910年、勧銀法改正によって預金、手形割引、短期貸
   付業務を開始した。
  第2次世界大戦後、救済銀行の役割を果たし、1921年の
 日本勧業銀行及農工銀行ノ合併ニ関スル法律(勧農合併
 法)以来、農工銀行の吸収、合併によって全国の支店網
 を形成した。
  1950年、勧銀法廃止で普通銀行となった。
  1952年、長期信用銀行法の制定により、日本興業銀行
   が長期信用銀行に転換したが、日本勧業銀行は普通
   銀行として残存した。
  1971年10月1日、第一銀行と合併し、第一勧業銀行と改
   称した。
  2000年、日本興業銀行、富士銀行と共に持株会社みず
   ほホールディングスを設立した。
  2002年、3行が統合・再編されて、みずほ銀行、および、
   みずほコーポレート銀行となった。
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1897年8月4日、後藤象二郎が死去した。
  後藤象二郎(ごとうしょうじろう)1838年(天保9年3
 月19日)~1897年(明治30年)8月4日、60歳
  土佐高地藩士の出身。幕末から明治の武士、政治家。
  義伯父・吉田東洋に訓育された。
  乾(板垣)退助とは竹馬の友。
  1858年(20歳)参政(仕置役)吉田東洋に抜擢され郡
   奉行、普請奉行に任じた。
  1862年(24歳)武市瑞山一派による東洋暗殺事件後は
   藩の航海見習生として江戸に出て航海術、蘭学、英
   学などを学ぶなどして雌伏期間。
  1863年(25歳)前藩主・山内容堂(豊信)が7年ぶりに
   帰藩、藩論を元に復して勤王党粛清を実行すると、
   象二郎は大監察に就任した。
  1865年(27歳)武市瑞山ら勤王党の罪状裁断の衝に当
   たった。
   吉田東洋の富国強兵路線を継承し、推進機関たる開
   成館を開設、開港場・長崎に出張所を置き土佐の特
   産品の樟脳の輸出を企て、自ら長崎に出張。
   この時、亀山社中を経営する脱藩浪士・坂本竜馬と
   開合、坂本の論策である広議政体論・大政奉還論に
   賛同、山内容堂の強い支持を得て、公議政体派とし
   て討幕派とのつばぜり合いを演じたが、王政復古政
   変から鳥羽・伏見の戦いに至り、討幕派に機先を制
   せられた。
  1867年(29歳)1月、坂本龍馬と長崎の清風亭で会談し
   た・・土佐藩が大政奉還に武家手動き出す契機とな
   った。
   龍馬は、姉の乙女らへの手紙で、後藤について「実
   ニ同志ニて人のたましいも志も、土佐国中で外ニハ
   あるまいと存候(ぞんじそうろう)」と評している。
  公武合体・大政奉還運動に活躍(公議政体論を唱え、
 前藩主・山内豊信(とよしげ)を説得し、大政奉還の建
 白書を幕府に提出させた。徳川慶喜の動きに影響を与え
 た)
  明治維新後は新政府に仕えた(参与、参議を歴任)が・・
  1873年(明治6年)(35歳)征韓論に敗れて辞任し、西
   郷隆盛、板垣退助と共に下野した。
  副島種臣、江藤新平、板垣退助らとともに愛国公党を
 組織して、民撰議院設立建白書の提出に参画した。
  1881年(43歳)板垣退助らと自由党を結成。
  1887年(49歳)自由民権運動末期の大同団結運動を提
   唱し起こし、大きな役割を果たしたが政府に買収さ
   れ・・
  1889年(51歳)以降、逓信相・農商務相を歴任した。
  伯爵。
  1897年8月4日死去。60歳。
.
  (今日の言葉)
.
  題:海底でも日米の連携を強化する。
    その目的は、中国が、この分野で情報を奪う恐れがあるから・・
    また、国賓としての習近平の来日の条件・・
    習金平の国賓としての訪日の条件として、訪日したら日本のしきたりに従うということ。
    つまり、日本の安倍首相と習金平がそろって「靖国神社の参拝を行なう」ということ。
.
1392年~1897年、李氏朝鮮
  韓国・朝鮮の李朝は、その500年間の歴史のすべてが政
 争に明け暮れた。
  豊臣秀吉軍が朝鮮へ行くが、韓国・朝鮮と戦う意思は
 無かった。
  (参考)文禄・慶長の役:
      文禄の役(1592年~1593年)
      慶長の役(1597年~1598年)
  「仮道入明(かどうにゅうみん」で、朝鮮半島を通っ
 て中国の明に入るのが目的だった。
  この様なことが起きそうな、この様な国家緊急のこの
 時でさえ、韓国・朝鮮の李朝は、王や臣下が、国家や国
 民の事など、まったく眼中になく、政争を続けていた。
  李朝は、中国・明の冊封を受け、従属されている半独
 立国家の状態であった・・
  外交、国防は、明へ委託状態だった。
  眼が中国にしか向いていないという状態だった。
  そして、「虎の威を借る狐」状態で・・
  日本をまったく馬鹿にし、無視し・・情報も無いに等
 しかった。
  当然、正しい日本についての情報が無ければ、また、
 正しい判断もできないという状態だった。
  秀吉が侵攻ではなく「仮道入明」で、その意思を伝え
 るため、李朝の国王の日本への招待の意味の入朝の国書
 を送っても、半分無視で、その対応を李氏朝鮮は誤るの
 だった・・『無能力』状態だった。
     ・
     ・
1544年10月、史実をまったく無視する嘘のテレビの韓国番組
  史実として・・『朝鮮王朝実録』の『中宗実録(チュ
 ンジョンシルロク)』に大長今と呼ばれて重用され、王
 の主治医となった医女がいたことが書かれている。
  大長今に関する記述は中宗実録に10箇所あるが・・
  王の主治医を務めたとされる記述は、中宗39年(1544
 年)10月の『予證女醫知之』(予の証は女医これを知る)
 という一行のみである。
  放送大学教授対談で、吉田光男放送大学教授・東京大
 学名誉教授(朝鮮史)は、高橋和夫放送大学教授の『チ
 ャングムの誓い』が歴史に忠実であるか? の問いに・・
  ほぼ100%フィクション(作りごと)で、史実に基づい
 ていない・・と答えている。
  古田博司筑波大学教授は、チャングムの「物語をその
 まま史実だと思いこんでいる」ファンも多いが・・
  「朝鮮の李朝では、女子が宮中に出仕すると王様と疑
 似婚姻関係に入るので、一生外に出られない」ので「チ
 ャングム女史のように出たり入ったりはできない」・・
  また、「ドラマでは、李朝時代は色彩にあふれている
 が、ほんとうは顔料がないので、民間には色はない」と
 本作を非難している。
  朝鮮王朝時代の陶磁器(李朝白磁など)の顔料は青(
 青花)黒(鉄絵)赤(辰砂)の3種類だけ・・、
  そのうち1色、または、2色を用いた淡彩画的なものし
 かなく、日本の伊万里焼の色絵磁器のような華やかなも
 のはない。
  当然ながら、朝鮮と日本とでは美意識は異なる。
  著名なものとしては、大阪市立東洋陶磁美術館所蔵の
 青花辰砂蓮花文壺などがある。
     ・
     ・
1898年5月、ロシアが、中国・清へ卑劣な最終的な利益獲得
 要求をする・・それは・・
  ①旅順と大連の25年間の租借、
  ②満州を横断する東清鉄道から旅順と大連までの南支
   線の敷設権。
  ロシアは、これによって満州を通過してその南の旅順
 まで南下できる様になった。
  このことによって、ロシアは、渤海湾とその周辺の制
 海権を得た。
  また、渤海湾に面する天津から北京に至る重要な戦略
 的領域を押さえた。
  そして、この頃、ロシアは、韓国の高宗が親露政策を
 とっていたこともあり、ロシアは、韓国へ軍人を派遣し
 た。
  また、軍事教官の派遣と国王警備の編成について韓国
 側と進めている。
  また、ロシアのアレクセーエフが韓国の財政顧問とな
 った。
  また、彼は、関税長にも任命された。
  また、露韓銀行も開設された。
  完全にロシアの南下政策の領土獲得政策が日本の『水
 際まで迫って来ていた』。
.
1898年、イギリスのアジアにおける政策が大転換した。
  その原因は、ロシアだった。
  この年、ロシアは、中国・清をまったく馬鹿にした威
 圧的な条約を結んだが・・
  イギリスにとって一番気になったのは渤海湾、および、
 その周辺のロシアの制海権が確立したことだった。
  このことによって中国の首都・北京への海上要路をロ
 シアは制圧できる様になった。
  それでなくても、ロシアは、武力的にまた威圧的に領
 土を奪い、十二分に陸上の要衝を抑え、戦略的優位を持
 つに至っていた。
  ロシアの行動は、単に、経済的利益を得るという行動
 だけではなかった。
  このアジアのバランスを崩す侵略国家・ロシアの出鼻
 をくじいたのが日本だった。
  日本は、日露戦争で、この侵略国家ロシアの出鼻をく
 じいたのだった。
  また、日清戦争で中国・清は、日本との戦いに敗け、
 韓国を属国としていた冊封 体制を止めさせられた。
  これは、単に、韓国を独立させたというだけの話だけ
 でなく、東アジア諸国にも影響を与えた。
  中国の冊封から逃れさせた。
  その様な中国へ、また、東アジア諸国へ、利権を求め
 てヨーロッパ列強諸国が寄り付いて来た。
  ただ、ロシアの領土的侵略的野心を持った行為はだけ
 は、単なる経済的利権を求める今までの形を変えて、侵
 略国家丸出しで『覇権を構築して来ていた』。
  今、中国が、南シナ海の戦略基地化の侵略的事例の様
 に・・今、中国は、この時のロシアの様な行為をしてい
 る。
  この時、卑劣な条約によるロシアの進出に、イギリス
 は、方針を大転換した。
  ロシアの圧倒的な戦略的優位の確立という事態を黙過
 できないとした。
  1898年5月、イギリスは、ロシアへの対抗措置として、
 渤海湾の反対側に、威海衛を軍港として中国・清から租
 借した。
  また、1898年6月、すでに手にしていた香港島の対岸(
 中国本土の側)の九竜半島を99年の租借をした。
.
1900年、傲慢なロシアが、中国の義和団事件に乗じて『南
 満州を占領した』・・日露戦争前のロシアの傲慢な蛮行・・
  (参考)義和団事件:欧米ロシアなどの列強による
     山東半島租借危機感を抱いた中国民衆が、「扶
     清滅洋」のスローガンを掲げて武装集団化し、
     1899年に蜂起した。
      翌・1900年には、天津を占領し、北京も掌握
     したが・・
      同年・1900年8月14日、英・米・ロシア・日本
     などの列強8ヶ国連合軍によって制圧された。
  (参考)扶清滅洋:ふしんめつよう、清朝を助けて西
     洋を討ち滅ぼす意。
      中国清末、欧米勢力の進出に反対して民族主
     義者が用いた標語。
      義和団のスローガンとなった。
  (参考)多額の賠償金のほか、北京・山海関沿線の外国
     の駐兵権を認め、人民の反帝運動の鎮圧を清朝
     が義務づけられるなど、中国の半植民地化をい
     っそう深めるものであった。 
      1899年から1900年にかけ、義和団が「扶清滅
     洋」の旗をかかげたことから、清朝と義和団の
     関係については異なる評価があるが、清朝は基
     本的に反人民的立場をとりつつも、宮廷内抗争
     もからんで懐柔・利用と弾圧の両面の対応の間を
     揺れ動き、対外的には排外主義と投降主義の間
     を揺れ動いた。
      結局、義和団と帝国主義列強の両者から追い
     つめられ、帝国主義の側に投降した。
  このロシアのこじつけ理由による南満州の侵略・占領
 行為・・
  世界、および、日本の注目は、当然、ロシアは撤退す
 るもので、いつ撤退するかという点だった。
  1902年4月に、ロシアと中国・清との間で条約が結ばれ
 た・・
  その条約「満州還付に関する露清条約」では・・
  ①条約調印後6ヶ月以内に、盛京省西南部地方の軍隊を
   撤退させる(第一期)
  ②次の6ヶ月以内に、盛京省残部および吉林省の軍隊を
   撤退させる(第二期)
  ③またその次の6ヶ月以内に、黒龍江省の軍隊を撤退さ
   せる(第三期)
  以上が、ロシアと清国との間で確認された・・
  しかし・・
  長城に一番近い地域からの撤兵・・この第一期の撤兵
 はつつがなくなされたものの・・?
  第二期以降の撤兵に、ロシアは応じなかった。
  1903年4月18日、ロシアは、逆に、撤兵の見返りを清に
 要求した・・七項目の要求・・
  新聞報道・・1903年1月13日の記事・・
  「露国自ら満州より撤兵すといひ、既に其の第一回撤
 兵を終われりと曰ふも、是れ全然事実に非ずして彼は依
 然満州の占領を継続しつつあり、現に其の撤退したりと
 称する軍隊は僅かに服装を更たるのみ」
  ロシアの軍人は、軍服を脱いでいるだけだと報じてい
 る。
  実態は、撤兵はなされていないと・・
  第二期の撤兵が近づく1903年2月16日の記事には・・
  近づきつつある第二次撤兵期限に際して、ロシアは表
 面上の撤兵をするだろう・・と書いている。
  ほとんどのロシア兵は、東清鉄道敷地圏内に入って、
 兵装を解いて人夫に偽装して、実態は撤兵しないだろう
 と書いている。
  この時、日本は、清との条約に於いて、最恵国待遇条
 項があり、ロシアがこの様な状況であるなら、同様な状
 況を日本に与えてもらいたいとしている。
  逆に、日本は、この様な形で、しっかりロシアの撤兵
 を要求していた。
  強力な武力を背景に、ロシアが強硬な態度を中国に取
 っていた。
  今・現在の中国が、やはり強力な武力を背景に、何ら
 根拠のない南シナ海を戦略基地としてしまった状況と同
 じである・・
.
1904年2月8日、日露戦争(~1905年9月5日)
  日本政府が、国民を積極的に開戦へ導いたという痕跡
 はまったくなかった。
  また、日清戦争(1894年7月25日~1895年4月17日)の
 後、約10年、日本政府の側が日露開戦へキャンペーンを
 したなどということもまったくなかった。
  日露が戦えば日本は敗けるというのが、世界も日本も
 その様な見方だった。
  しかし、ロシアの「南下政策の侵略性」は最悪だった。
  中国は、良いようにロシアに領土を蝕(むしば)まれて
 いた。
  この様な東アジアにおけるロシアの態度によって「英
 米の政策が明確に大転換した」。
  満州地域において、日本とロシアの関係が最悪になっ
 ていた。
  ロシアの満州占領は強引だった。
  この様なロシアに、国際的な環境も戦争への道を自然
 に導くものであった。
  ロシアとの戦争を支持できる論理が広く社会に行き渡
 っていた。
  門戸を閉じる非文明のロシアという見方もあった。
  また、「自国民に専制をしくロシア」という見方もロ
 シアを悪者にしていた。
  まったく今の中国と同様・・武力と経済だけが異常に
 発達し、政治は一部の者による独裁という異常さだった・・
 民意はまったく聞かれないという状況だった。
  しかし、日本が、この悪者のロシアに対抗するとして
 も、ロシアとの戦争を可能とする軍備拡張が可能か?、
 また、その計画と完整時期は?
  また、戦費の確保が可能か? それも安定的に確保で
 きるのか?
  この様な戦略的問題点が種々あった。
  逆に、日本政府は、民間の対露強硬論を抑制するよう
 に動いていた。
  非力な日本の戦力・・
  日清戦争開戦時と日露戦争の開戦時を比較しても、そ
 の差は歴然だった。
  日本は、やみくもに戦争への道を進んだのではなかっ
 た。
  日清戦争開戦時、軍艦28隻、5万7600トン。水雷艇24隻、
 1475トン。
  主力の軍艦は、一隻たりとて世界的な水準ではなかっ
 た。
  10年後の日露戦争開戦時にはどの様になったのか?・・
  軍艦152隻、26万4600トン。
  この増強を可能にしたのは、1896年度からの世界水準
 の戦艦の建造努力で6隻(富士、八島、敷島、初瀬、朝日、
 三笠)。
  装甲巡洋艦6隻(浅間、常磐、八雲、吾妻、出雲、磐手)
 を基幹とする103隻、15万3000トン。
  この建艦計画を海軍が建て、着手し、達成させた。
  それを支えた日本の造船技術が凄かった。
  これが、日露戦争を勝利へ導いた第一関門だった。
  また、海軍だけでなく陸軍も努力した。
  日清戦争の時、8個師団(近衛、第一師団〜第七師団)だ
 ったが・・
  1898年には、第八師団〜第十二師団(弘前、金沢、姫路、
 丸亀、小倉)の五師団を一挙に新設した。
  また、日露戦争の開戦の頃は、第十三師団〜第十八師
 団(高田、宇都宮、豊橋、京都、岡山、久留米)を増設し
 た。
  そして、十九師団態勢となった。
  今、中国が、毎年、20%近くという馬鹿げた軍拡を続け
 て来ていて、民意も聞かないという独裁体制で、これを
 いいことにやって来ていて、この時のロシアの如く侵略
 的に南シナ海を奪ったりしている・・世界と協調しよう
 ともしない。
  世界は、これに迎合するな!!
  こんなことをして中国が作ろうとしている社会は、中
 華思想で、冊封体制社会・・
  中国へなびけば良しとして、敵対すれば悪しとする、
 何ら世界の声を聞かない、現在の中国の国家体制の世界
 版ができる。
  次元の低い統治システム、時代が遡(さかのぼ)る統治
 システム・・
  経済優先で、低劣な理念の中で生きることになる。
  個人の自由は低く見られる社会となる。
  そのいびつな社会を維持するために監視社会となる。
  情報は開示されず、隣の人が急に不明のうちに居なく
 なるという社会となる。
  体制への「ごますりマスコミ」しか存在しない。
     ・
     ・
1944年2月、日本の本土への帰還・・アメリカは、日本の民
 間人の乗った帰還の船も狙った・・
  島民及び日本人入植者
  日本人居留民の本土疎開
  マリアナ諸島防衛が真剣に検討されるようになると食
 糧事情も鑑み、昭和19年2月に兵員増強の輸送船の帰りの
 船を利用して、婦女子・老人の日本への帰国が計画され
 た。
  一方、16歳〜60歳の男性は防衛強化要員として帰国が
 禁止された。
  上記の疎開計画に従い、日本への帰国対象者はマリア
 ナ諸島各島からサイパンへと集結していた。
  しかし、3月の帰国船「亜米利加丸」がアメリカの潜水
 艦に撃沈され、500名の民間人ほぼ全員が死亡するなどの
 事件があった・・
  そのため疎開は進捗しなかった。
  そのほかにも、卑劣にも、6月4日沈没の「白山丸」な
 どでも多数の民間人の犠牲者が出ている。
  アメリカ海軍は、太平洋戦争開戦当初から民間船への
 無差別・無警告攻撃を行う無制限潜水艦作戦を卑劣にも
 実施していた。
  日本の真珠湾攻撃では、1人のアメリカ民間人の殺戮を
 していない。
  戦闘開始段階での在留邦人は約20,000人と推計される。
.
1945年~1989年、米ソ冷戦期は44年間続いた。
  アメリカ・ロシアは、冷戦期、3万発~4万発もの核弾
 頭を製造し持っていた。
  本気で相手を殺そうとして持っていた。
  こんな軍事政策を、アメリカとロシアは実行していた。
  こんな事は、一瞬に「ニューヨーク・ホロコースト」
 「モスクワ・ホロコースト」(核大虐殺)が現出して、
 国家指導者のコントロール不能状態となる。
  何百基、何千基、何万基、撃ち合って、世界中が阿鼻
 叫喚の核地獄となる。
  始めたアメリカとロシアはもとより、お互いの国民の
 半分は、30分~40分以内に死に至る。
  アメリカとロシアの当事国だけではなく、1時間以内に、
 全世界の半数が死ぬ。
  今・現代、この様な核保有国に、中国もなった。
  そして、何百万年も、えいえいと築いてきた人類のす
 べてが消滅する。
  「(キリスト教の)神の義があれば、人を誅しても良
 い」は・・成立しない。
  アメリカも、ロシアも、キリスト教国である・・??
.
1945年、戦後、マッカーサーが、日本人を馬鹿にして、日
 本語の字数の多いことにびっくりして・・「こんなに字
 を覚えている訳がないだろう」・・と・・
  「日本語は低劣だから英語に変えろ」と言った。
  そうだろう、わずか26文字のアルファベットしか知ら
 ない御仁に、日本語は驚嘆な字数だろう・・言葉だろう。
  「テストをしてみろ」という事になり・・まったく日
 本人を馬鹿にした話だが・・テストが行われた・・
  テストを日本人に実施してみて「そのほとんどが100点
 に近い点を取ったという日本人」に、また、「マッカー
 サーは、びっくりした」。
  低劣な文字数の人間には想像できない「ハイレベルの
 日本人」の話だった。
  逆に、アメリカが日本語化せよ!!
.
1950年6月25日~1953年7月27日、朝鮮戦争が戦われた。
  1950年11月24日、この朝鮮戦争中のこの日、アメリカ
   のF51戦闘機が偵察中に、北朝鮮最北部の小さな家
   の周囲で、何やら不明な行為が行われているのを発
   見した。
  1950年11月25日のその翌日、その家をアメリカ軍は、
   大挙して攻撃した。
   ナパーム弾による繰り返し爆撃をした。
   この家は、司令部だった。
   ここに、毛沢東の長男・毛岸英が居て、このナパー
   ム弾攻撃で、焼き死んだ。
  (参考)毛岸英:もうがんえい、1922年10月24日~1950
     年11月25日、28歳、毛沢東の長男、
      1950年夏、北京機器総厰の党総支部の副書記
     に任じられた。
      しかし、朝鮮戦争で彭徳懐のロシア語通訳と
     して従軍中、平安北道昌城郡東倉面大楡里(現
     在の東倉郡大楡労働者区)において、アメリカ
     空軍のナパーム弾による爆撃で戦死した。
      墓には、北朝鮮の最高指導者でもある金正日
     やその後継者の金正恩など両国の要人が訪れた。
  毛沢東も将来を楽しみにする才能に恵まれた人だった。
  元帥のロシア語通訳も勤める優秀さだった。
  中国首脳は、アメリカと、中国軍に朝鮮戦争で空中援
 護をしなかったソ連のスターリンに、その死の責任を帰
 した。
  毛沢東は、この子息の死について、常に、スターリン
 を責めた。
  この朝鮮戦争で、ソウルは4回も統治する持ち主が入れ
 替わった・・そのくらい激戦だった。
  そのため、ソウルの栄光を示す歴史遺産などは、その
 ほとんどが失われた。
  南北朝鮮で、合わせて数百万人の人々がこの戦争で死
 んだ。
  そして、500万人が難民になり、数十万人の子が、孤児
 となった。
.
1980年代、慰安婦問題が議論されるようになり問題となる。
  NHKや朝日新聞が、韓国の慰安婦問題などの火付け
 役だった・・(参考:ニュース女子)
  慰安婦問題は、日本の活動家が頼み込んで問題にして
 くれと言った。
  中国なんか問題にしてなかったのにこの様な行動をし
 た。
  頼み込んだのはNHKの元ディレクターの女性や、朝
 日新聞の女性記者などの大手マスコミの活動家だった。
  由々しきなのは徴用工判決に向けて日韓併合が違法で
 あったというアイデアを持ち込んだのも東京大学の教授
 や京大、一橋などの一流大学の教授陣が日韓の学者たち
 とやった。
  (参考)大沼 保昭(おおぬま やすあき、1946年〈昭
     和21年〉3月8日~2018年〈平成30年〉10月16日
     は、日本の法学者。東京大学名誉教授。
      元明治大学法学部特任教授。専門は国際法学。
      東大法学部在学中に、全共闘運動やベトナム
     反戦運動に影響を受け、在日韓国・朝鮮人の指
     紋押捺撤廃やサハリン残留朝鮮人の帰還運動な
     どに参加。
      また戦争責任問題の追及でも知られるなどリ
     ベラル色が濃いが、日本国憲法第9条に関しては
     改正容認の立場を取るなど、従来の左派勢力と
     は立場を異にしている。
      日本軍の関与と強制性を認めた1993年の河野
     談話を否定する動きには「『看護婦になる』な
     どと業者にだまされた人が多い。
      日本軍は慰安所を黙認していた。
      法的、道義的に許されない行為に国家として
     関与していたことの責任がある」「戦争を反省
     して、平和で安全で豊かな社会をつくってきた
     戦後の歩みこそが誇り」と語り、保守派が過去
     を反省する姿勢を「自虐」と断じることへの危
     惧を表明した。
      「首相が被害者のところに行って深々と頭を
     下げてほしい」と語った。
  西岡力氏が強調した。
  慰安婦が強制連行されたわけでも性奴隷でもなかった
 ように・・
  また、徴用工は強制連行されたわけでも奴隷労働を強
 いられたわけでもなく・・
  日韓間では解決済みの問題である。
  西岡氏は当時の状況を具体的に振りかえるべきだと、
 強調する。
  私が補償するから、私に金をくれと言った韓国政府・・
  それ故、日本に個人補償させずに、まとめて資金を受
 けとった朴正熙元大統領・・
  もし日本が個人補償をしたら、朝鮮戦争の戦死者の補
 償よりも、日本の徴用で死んだ人への補償の方が高くな
 る。
  韓国の国が持たない。
  だから日本の資金をまとめて受けとり、それで独立運
 動家や亡くなった人の遺族に奨学金を出した。
  一人一人に配ると食べて終わりですから、ダム、製鉄
 所、道路を作り経済成長につなげ、元慰安婦も元徴用工
 も元独立運動家も皆を豊かにする『漢江の奇跡』に結び
 つけた。
  1966年から1975年まで、日本の資金の韓国経済成長へ
 の寄与率は20%。
  日韓双方に良い結果をもたらした。
  1965年の日韓請求権協定における「完全かつ最終的な
 解決」という合意がある・・韓国はこれを無視する。
.
1997年、NHKの北九州局の経理職員が印鑑の不正使用を
 して、銀行の口座から100万円を着服した。
.
1999年、NHK京都放送局の営業職員が、2001年にかけて
 208万円を着服していた。
.
2004年7月以降、NHKの不祥事
  ①出向のNHK職員が経費を私的に流用(約370万円)
  ②NHK職員が着服(取引銀行通帳改竄して約300万)
.
2019年5月19日、キリスト教に偏するNHKは、仏教を蔑視
 し、貶(おとし)める。
  この様なNHKが、「何かに失敗する」と仏壇の鐘(
 鈴・りん)をチーンと鳴らすという「仏教を貶(おとし)
 め、馬鹿にする放送をした」。
  NHKは、この様な放送を度々するという放送局で・・
  2019年5月19日、午後13時12分確認、NHKワールドで
 もしていた・・
  何度もビデオを見せて貶めるという放送内容だった。
.
2019年12月31日、田原総一朗のテレビの生放送における天
 皇陛下への侮蔑的発言・・
  生放送なので犯罪的行為がすぐに放送されるという問
 題があった・・
  田原総一朗が、急にその根拠を示さずにテレビで「天
 皇陛下に対する侮蔑的発言をした」。
  まったく根拠を示さず、一方的な侮辱だった。
  犯罪的な行為であり、この行為は看過してはならない。
  テレビ朝日にも、日本国民の電波を預かる意識がまっ
 たくない。
  放送法の違反行為でもある。
  この責任を田原総一朗に取らせよ・・テレビ朝日にに
 取らせよ。
  この様な生番組におけるゲリラ的な発言、生放送は直
 ぐに電波として日本全国へ流れてしまう。
  田原の「事前に計画された犯行」の様相がはっきり存
 在する。
  この行為によって日本国民が持っていた天皇陛下に対
 する尊敬の念が大きく傷付けられた。
  この失ったものに対する補償を田原総一朗と放送局(
 テレビ朝日、朝まで生テレビ)はするべきである。
  (参考)放送時間:朝まで生テレビ、2019年12月31日
      0時30分~5時50分
  国に供託金を積む行為をまずせよ!!
  この番組は、間違った発言ばかりをしている。
  次の様な「訂正とお詫び」がある。
  「先月29日の放送で田原総一朗が『ベネッセが自民党
 の下村博文衆議院議員に二千数百万円の献金をしている』
 という趣旨の発言をしました。
  しかし、ベネッセから下村議員へのそのような献金は
 ありませんでした。お詫びと訂正を致します」となった・・
  (その2)
  以下もあり、この様な事が多発している。
  「2019年12月7日、テレビ朝日系で11月30日未明に放送
 された討論番組『朝まで生テレビ!』で、司会のジャー
 ナリスト田原総一朗が事実と異なる発言をしたとして、
 同番組は7日までに公式サイトとツイッターで謝罪した」
  謝罪すれば済むという問題ではない。
  上記のように、確信犯的な行為を何回も続けてやって
 いる。
.
2020年、韓国は、苦しければ日本に助けてもらい、助けて
 もらっても帰る時は礼も言わずに帰るという国。
  礼儀に失した国。
  助けてもらう時もプライドが高いから『助けてくれ』
 と言わずに、その意思がありありなのに言わない。
  日本人は優しいからその点に気を配って、悟って助け
 てあげる。
  しかし、韓国は礼も言わない。
  簡単な挨拶だけ・・
  日本人なら「いつも、ありがとうございます」と常日
 頃から助けられていることも含めて礼をする。
  しかし、韓国は、プライドが高いのでその様なことは
 言わない。
  日本に「あることないこと、言いたい放題で、礼を失
 することまでする韓国」。
  助けてもらいたいなら「礼を尽くして、助けて下さい」
 と言うべきだが、韓国は言わない。
  駄々をこねたら「おしまい」ということを韓国に学ば
 せなければならない・・
  日本は、優しくて、人が良いから「そこで、韓国に与
 えてしまうから駄目なのだ」。
  駄々をこねたら、その論理が正しいのかが見極めがつ
 くまで、分別が付くまで「韓国を助ける行動を起こして
 は駄目なのだ」
  日本は毅然と正邪を正して、示さなければならない・・
  韓国の悪いところは、昔から素直に「金を支援して貰
 いたい」と言わないところ。
  韓国はプライドが高過ぎる。
  決して素直に金の支援を要求しない。
  逆モーションに来る。
  日本をこてんこてんに悪く言う。
  小遣いが欲しい子供が、素直に「小遣い、ちょうだい
 よ」と言う子と、何だか分からないが「ぐずぐずといつ
 までも駄々をこね、ぐずっている子」との違いである。
  日本は、優しいから思いやって小遣いをやったが、こ
 れが悪かった。
  これから、筋が通らないことには「一円もやらないこ
 と」。
  そして、必ず「ありがとう」と言わせること。
  毎回、御礼状を韓国から貰うこと。
  韓国には優しさが通じない。
  喉元を過ぎれば次の手が出て来るという国。
  韓国には一切妥協はしないこと・・
.
2020年1月8日、海底でも日米の連携を強化する。
  その目的は、中国が、この分野で情報を奪う恐れがあ
 るからで・・中国への情報流出懸念を無くすため・・
  読売新聞によると・・
  日本政府が海底ケーブルの輸出支援に乗り出す・・
  その目的は、この分野での中国勢の台頭を放置すれば、
 重要な機密データーが途中で抜き取られるといった安全
 保障上の不安を抱えてしまうから・・
  次世代通信規格「5G]の普及を見据えて、日米は携
 帯電話の基地局などのファーウェイ製の通信機器への警
 戒を強めているが、海底ケーブルでも連携を進める。
  世界のデータ通信量は、5Gの普及などで、2022年に、
 2018年の2.5倍に膨らむと予想されている。
  これに連動して、海底ケーブルの需要も拡大する見通
 しだ。
  アメリカは、同盟国に中国製の通信機器を使用しない
 よう呼びかけている・・そして、海底ケーブルについて
 も神経をとがらせている。
  アメリカ紙ウォール・ストリート・ジャーナルは昨年
 8月、中国通信大手が参加する香港~ロサンゼルス間の海
 底ケーブル事業に対し、米政府が許可しないことを検討
 していると報じた。
  また、米国と緊密に連携しているオーストラリア政府
 は2018年、ソロモン諸島などと結ぶ海底ケーブル建設で
 ファーウェイの小会社を排除した。
  米国などの懸念が最も大きいとみられるのが、海底ケ
 ーブルの両端に設けられる施設「陸揚げ局」などでのデ
 ータの抜き取りだ。
  この施設に中国製品が入り込むことを米国は強く警戒
 している。
  今後、ファーウェイの小会社など中国勢による海底ケ
 ーブルの敷設が拡大すれば、そこを起点として、ほかの
 ファーウェイ製品の使用が広がる可能性がある。
  海底ケーブルの敷設を受注した企業と同系列の機器を
 陸揚げ局など地上でも使用するケースが多いためだ。
  海底ケーブルの受注が突破口になり、米国によるファ
 ーウェイ製品排除の呼びかけの効果が抑え込まれる形だ。
  NECなど日本勢が受注競争で中国勢に敗れる影響は
 米国にも及ぶ。
  一方、中国政府側には、自国企業が海底ケーブル分野
 へ積極的に進出することで、新興国への影響力を強めよ
 うとする国家戦略がのぞく。
  習近平国家主席が推進する巨大経済圏構想「一帯一路」
 の海底版だと見ることもできる。
  海底ケーブルをめぐっても米中が攻防を繰り広げる中、
 日本の輸出支援は成果を上げることが出来るのか。
  例えば、日本は高速鉄道で一時、圧倒的に優位な立場
 に居ながら、その後、中国の急速な追い上げを受け、受
 注に競り負けるケースもあった。
  こうした轍(てつ)を踏んではならないが、そこに中
 国の低価格戦略が立ちふさがる。
  携帯電話の基地局の価格では、ファーウェイ製は日本
 勢の3分の1の安さだとされる。
  海底ケーブルでも同様に日本勢は価格面では、ファー
 ウェイに太刀打ちできないと見られる。
  このため、日本政府は今後、データの機密保持など日
 本勢が長年培ってきた信頼性と、品質の高さを前面に押
 し出し、日本勢が技術力で中国勢を上回っている間に、
 他国に売り込みをかける方針だ。
.
2020年1月8日、国賓としての習近平の来日の条件・・
  習金平の国賓としての訪日の条件として、訪日したら
 日本のしきたりに従うということ。
  つまり、日本の安倍首相と習金平がそろって「靖国神
 社の参拝を行なう」ということ。
  そして、安倍首相と習金平は神殿にぬかづき、玉ぐし
 を捧げるということ。
  これができないのなら「国賓としての来日の資格はな
 い」。
  日本は、この日本の一番大切なことを中国に要求せよ!!
  また、今回の中国の習金平の国賓来日の答礼で「天皇
 陛下の訪中を依頼されても、天皇陛下が訪中してはなら
 ない」。
  答礼の訪中は、安倍首相がするべき・・
  万一の中国での天皇陛下の「暗殺のリスク」は避けね
 ばならない。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  キリスト教よ! 性悪説で原罪があると言いたてるが・・
  純真な人々に「原罪がある」と言いたてる者こそ
 「原罪がある」。
  キリスト教聖職者たちよ! 君たちのためにどれだけ
 の若者が命を絶ったか?
  純真な人々には、「悉皆成仏(しっかいじょうぶつ)」
 を説き、諭しなさい・・
  「分け隔てなく、皆様に、佛となれる仏性が備わって
 いるのです」と諭す、そして、希望ある未来の仏性を備
 えた生活を享受する喜びを与える仏教。
  その様な仏性を持って生まれて来た大切なあなたの体
 なのですよ・・と教え、諭す仏教。
  破滅の心に洗脳され、性悪説に希望を無くし、天国の
 ことしか考えない・・その様に洗脳するキリスト教から・・
 目を覚ましなさい。
  純真な人々に「原罪がある」と言いたてる者こそ「原罪
 がある」。  


2020年01月08日

(増補版)674E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年6月~1897年6月)

題:(増補版)674E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年6月~1897年6月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年6月12日、日本機械学会が設立された。
  これは、機械工学とその関連分野の学会・・
  設立の目的:「機械に関する学術、技芸の進歩、発達
 をはかり、かつ工業の発展のためにつくす」・・
  民法第34条により、文部大臣の認可を受けた社団法人・・
  会員数は、1996年3月現在、正員36,616名、准員2,466
 名、学生員5,598名、特別員1,053社の合計45,733名・・
  組織:東京の本部・事務局と・・
  全国各ブロックに置かれた8支部(北海道、東北、関
 東、東海、北陸信越、関西、中国四国、九州)・・
  および、20部門(計算力学、バイオエンジニアリング、
 材料力学、機械材料・材料加工、流体工学、熱工学、エン
 ジンシステム、動力エネルギーシステム、環境工学、機
 械力学・計測制御、機素潤滑設計、設計工学・システム、
 生産加工・工作機械、FA、ロボティクス・メカトロニク
 ス、情報・知能・精密機器、産業・化学機械、交通・物流、
 宇宙工学、技術と社会)・・からなる。
  (参考)FA:Factory Automation(ファクトリーオ
     ートメーション) ・・ 工場の自動化
  日本人のために、日本人が設計・製造し、日本人がそ
 れを使い生活するところから機械の国産化の歴史が始ま
 る。
  日本の産業革命は、この学会が設立された時期とほぼ
 同時期に確立したと言われている。
.
1897年6月16日、あめりかが詭弁のハワイ併合をする。
  米・ハワイ併合条約が調印され、ハワイ併合がなされ
 た。
  日本政府は、この不誠実なアメリカの行為に対して抗
 議を行った。
  (参考)詭弁:きべん、道理に合わない、言いくるめ
     の議論。ごまかしの議論。
 「詭弁を弄(ろう)する」。論理学で、相手の思考の混乱
 や感情につけ入って相手をだます、見掛け上は正しそう
 な、虚偽の推論。
.
1897年6月17日、神奈川県の船大工の360名が同盟罷工を行
 なった。
.
1897年6月18日、京都帝国大学(後の京都大学)が創立した。
  (6月22日説あり)
  創立以来「自由の学風」を建学の精神としている。
  日本で2番目に創設された、帝国大学の流れを汲んでい
 る国立大学・・
  大学の起源は、1861年9月20日(文久元年8月16日)に
 長崎に設立された長崎養生所(後、長崎精得館へ改称)
 まで遡る。
  1949年、理学部教授・湯川秀樹が日本人初のノーベル
 賞に輝いた。
.
1897年6月20日、高山樗牛(たかやまちょぎゅう)が、日本
 主義を提唱した。
  文学者、文芸評論家、ジャーナリスト、美学者、倫理
 学者、
  1871年1月10日、山形県に生まれる・・山形県鶴岡の酒
   井藩士の子(旧庄内藩士斎藤親信・ちかのぶ、芳の
   次男として生まれる)
  1873年(2歳)高山家の養子へ(父方の伯父・高山久平
  の家)、養父の転勤で山形、福島と移る・・
  少年期から投書雑誌「穎才新誌」や地元新聞に投稿す
 るなど、文才を発揮する。
  1886年(15歳)上京し、東京英語学校に入学・・
  1887年(16歳)第二高等学校に入学(1888年説あり)
  1891年(20歳)学校の有志らと語らって「文学会雑誌」
   を創刊し数編の論文を載せた・・そこに、人生への
   懐疑、文学への志向などすでに浪漫主義のモチーフ
   があった・・
  1893年(22歳)東京帝国大学文科大学哲学科に入学。
  1894年(23歳)大学在学中、「平家物語」に材を取っ
   た悲恋物語の歴史小説「滝口入道」を日就社の懸賞
   募集に応募し、当選し「読売新聞」に掲載された。
   一躍有名になったが、以後は小説の筆を執らなかっ
   た。
   学問の活性化を目指してエッセイストの道を選択し
   た・・
  帝大文科大学の帝国文学会機関誌「帝国文学」や博文
 館の雑誌「太陽」などに、それまでの戯作を批判し理想
 主義的文学を高く評価する評論を次々と発表し、注目を
 集める。
  1895年(24歳)「帝国文学」発刊に参加・・上田敏、
   姉崎嘲風(あねさきちょうふう)らと編集委員となる・・
   近松文学に託して自らの思いを吐露する・・「愛」
   こそ「人生に対しては幸福の最大なる源」であり、
   「情死」こそ「幸福なる愛の最後」と書く・・
  1896年(25歳)大学卒業と同時に第二高等学校教授に
   就任し、一時、中央論壇から離れる・・が・・評論
   への志望が強く、翌年4月、二高教授を辞職し博文館
   へ入社・・
  1897年(26歳)「太陽」を主宰し復帰(主幹を務める)・・
   鋭い批評文を精力的に書く・・それとともに、東京
   帝国大学や東京専門学校(早大)に出講する。
   国家を史上の人格的存在ととらえ(国家至上主義)、
   それを自我の独立と直結する日本主義を井上哲二郎
   らと唱えた・・論壇を領導(りょうどう、統率して
   指導すること)する・・日本主義を太陽に掲載・・
   木村鷹太郎らと大日本協会を起こし、機関誌「日本
   主義」を創刊した・・
  1900年(29歳)欧州留学を目の前にして、突如、血を
   吐いて倒れる・・
   次いで、ニーチェの死に際し、大いに感化を受ける・・
  「美的生活を論ず」等でニーチェの思想を賛美し、ニ
  ーチェ主義を主張する・・個人主義へ転換・・本能満
  足主知を主張し、浪漫主義宣言として反響を呼ぶ・・
  ニーチェへ傾倒は、ニーチェを天才主義の文明評論家
 として解釈し礼讃する・・ニーチェの強烈な「超人」的
 な個性に魅かれて行く・・「美的生活を論ず」など大き
 な反響を引き起こした・・
  この天才主義、主我主義は、理想の人格を日蓮に見い
 出し、崇拝し傾倒した・・日蓮を絶対的な予言者と見た・・
  1902年(31歳)文学博士となる・・
  明治35年12月24日(1902年)歿、32歳
  死の直後、桑木厳翼(くわきげんよく)が、樗牛の「煩
 悶(はんもん、浪漫主義~日本主義~個人主義の三変)は、
 一貫して一つの問題に触れて居(い)」た、それは「人生
 問題と云(い)ふものゝ解決であつた」と述べている・・
  このように、変転する彼の思想遍歴のうちに新しい時
 代の刻印をはっきりと見ることができる。
  著「美的生活を論ず(1901年)」「わが袖の記(1897
 年)」「文明批評家としての文学者(1901年)」「平家
 雑感(1901年)」「平相国(1902年)」「日蓮上人と日
 本国(1902年)」「日蓮と基督(1902年)」「日蓮上人
 とは如何なる人ぞ(1902年)」など。
  言葉:己れの立てるところを深く掘れ、そこには必ず
    泉あらん
.
1897年6月26日、河口慧海(えかい)が、チベット調査に出
 発した。
  河口慧海(かわぐちえかい)、黄檗宗の僧侶、仏教学
 者、チベット探検家、大正大学教授。
  「チベット旅行記」など著書多数。
  中国や日本に伝承されている仏典に疑問が指す・・従
 来の漢訳仏典の正確さに疑問を抱いた。
  仏陀本来の教えの意味を知りたいと・・それが分かる
 物を求める・・梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を
 決意・・チベット語原典の研究を志して、インドからチ
 ベットへ密入国・・
  日本人で初めて首都・ラサに至り、チベット一切経な
 どの多数の貴重な資料を将来(しょうらい、持って帰る
 こと)した。
  「西蔵旅行記」「在家仏教」をはじめとして数多くの
 著作を残している・・慧文社から著作選集も出版されて
 いる。
  1866年(慶応2年)摂津国堺山伏町(現:大阪府堺市堺
 区北旅籠町西3丁)生まれた。
  1899年(明治32年)(33歳)1月、仏陀成道の地ブッダ
   ガヤに参り、摩訶菩提会の創設者であるダンマパー
   ラ居士より釈迦牟尼如来の舎利をおさめた銀製の塔
   とその捧呈書、貝多羅葉の経文一巻をチベットに辿
   り着いた際に法王ダライ・ラマに献上して欲しいと
   託された。
  1900年(34歳)7月4日、ネパール領トルボ(ドルポ/ド
   ルパ)地方とチベット領との境にあるクン・ラ(峠)
   を密かに越え、ついにチベット西北原への入境に成
   功した。
  1902年(明治35年)(36歳)5月上旬、日本人だという
   素性が判明する恐れが強くなった為にラサ脱出を計
   画した。
    親しくしていた天和堂(テンホータン)という薬
   屋の中国人夫妻らの手助けもあり、集めていた仏典
   などを馬で送る手配を済ませた後、
  1902年(36歳)5月29日、英領インドに向けてラサを脱
   出する。
   捕まった者たちが投獄の上、責め苦に会っていると
   いう情報を聞きながら・・ネパールへ
  1903年(37歳)3月、慧海が自ら書いたチベット法王ダ
   ライ・ラマ宛ての上書をネパール国王を通じて法王
   へ送ってもらう事に成功・・また、国王より多くの
   梵語仏典を賜る。
  因みに、1887年(明治20年)前後から、日本仏教界に
 は「入蔵熱」(チベット入国フィーバー)が起こってい
 た。
  何人もの有為の仏教徒が、ヒマラヤ山脈からチベット
 高原にかけ、果てしなく広がる「未テラ・インコグニタ
 知の土地」の探検に名乗りを上げていた。
  当時、チベットは国が閉ざされていた。
  チベットの内情はほとんど知られない国だった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:2040年、アメリカの白人が、50%以下になり、マイノリティになる・・
.
紀元前7200万年、この頃の恐竜の骨が、北海道で見つかっ
た。
  全身骨格の可能性がある。
  希少な例。
  2013年9月から本格発掘を開始する。
  ハドロサウルス科の恐竜。7.2トン。
  全長8メートル。白亜紀後期。
  顎(あご)と歯。
  800~1000本の歯を持っている。
  植物を食べていた。
  裸子植物も食べる歯だった。
  2014年9月、頭部発見を目指す。
  歯の化石発見。頭もあるはず ⇒⇒ あった。
     ・
     ・
     ・
9世紀~10世紀、神聖ローマ帝国が成立した(1806年まで
 続いた)
  神聖ローマ帝国は、ローマ皇帝が頂点に居る国家だっ
 た。
  しかし、それはプロセイン、オーストリア、バイエル
 ンなどの「領邦国家」や、ハンブルク、ケルンなどの「
 自由都市(帝国都市)」が350くらい集まって構成されてい
 た。
  この領邦国家の下には、農村や領邦都市があった。
  それらは、領邦君主の政治支配は受けるが、都市はお
 おむねギルドなどの市民の団体によって運営されていた。
  農村は、東部などでは領主が直接経営する場合もある
 が、西部ドイツでは、村の運営も村人自身にゆだねられ
 ているのが多かった。
  領邦国家や自由都市が集まって一つの有機体の「神聖
 ローマ帝国」を構成していた。
  1806年、この神聖ローマ帝国が、ナポレオンによって
 命脈を絶たれた。
  そして、この頂点に居た君主は、絶対君主として「キ
 リスト教の神」から授けられたと、長い間、ヨーロッパ
 で、何らかの政治的主張の根拠とされたのが、いつも「
 キリスト教の神」だった。
  この考え方も、命脈が絶たれる時代となっていた。
  啓蒙主義者たちは、「人間の持つ理性を気付かせた」。
  君主の権力の源にキリスト教の神へ求め王権の絶対性
 を主張し唱える「王権神授説」があったが、これを批判
 した。
  啓蒙主義者たちは「歴史の主体を人間に於いてその根
 拠を説いた」。
  「キリスト教の神の姿」が消える時代となった。
  当然の人間主体の正当な論理だった。
     ・
     ・
17世紀〜18世紀半ば、ヨーロッパに列強諸国が成立した時
 代。
  各々の個性が異なるフランス、イギリス、ロシア、オ
 ーストリア、プロイセンが成立した。
  そして、これから、世界で悪さを始める。
.
17世紀、綿に関わる産業が、17世紀のイギリス産業革命の
 主要産業となった・・ここにインドの犠牲があった・・
  綿花を原料とする木綿・綿織物は、インドが原産であ
 る。
  12世紀になって中国へ伝わり、重要な産業となった。
  また、西方にも伝わり、イスラム世界を経由してヨー
 ロッパにも伝えらられた。
  17世紀のイギリスの産業革命の主要産業となって、イ
 ギリス産綿布は、インドや中国に運ばれ、大きな経済的
 変動の要因になった。
  インドには、豊かになる素地があった。
  広い国土に、そして、その沃野に綿は良く育った。
  また、綿工業もよく育っていた。
  しかし、イギリスは、このインドを単なる綿の原料供
 給国に貶(おとし)めてしまった。
  インドの綿産業を奪い、綿製品の消費国にして利益を
 収奪した。
  イギリスは、綿工業の製品を大量生産し、インドの産
 業を潰した。
  それは、イギリスの目的通りのけいかだった・・
  そして、イギリスは、産業革命がさらに進んだ。
  逆に、インド綿産業は破壊されて、そして、無くなっ
 た。
  そして、インドは、イギリスの市場となって落ちぶれ
 た。
  これを、イギリスは、インド社会を「文明化した」と
 称した。
  キリスト教の神の「倫理的信託だ」と称した。
  イギリスに、「インドを文明化する使命があった」と
 論じた。
  発展途上のインドに、「半未開状態に居る事を押し付
 けた」。
  「停滞状態に居る事を押し付けた」。
  そして、イギリスは、インドを支配した。
  自身は、これを「天命だ」「義務だ」と称して、侵略
 状態を正当化した。
  この様な「ヨーロッパ諸国の『偽善論』で世界の支配
 が行われた」。
  フランス・ドイツの列強諸国も、競い合いながら、同
 様にして「世界で収奪した」。
.
1642年、イギリス議会とイギリス王室が内戦を起こした。
  10年間にわたる大戦争で、何十万人という犠牲者を出
 した。
  クロムウェルが率いる議会軍が王朝軍を破り・・
  1649年、国王のチャールズ一世を処刑し・・
  共和制を宣言した(ピューリタン革命、1642年~1649年)
  イギリス王室は途絶えた・・
  そして、このイギリスの共和制も、クロムウェルの死
 去によって終わった・・
  1660年から、王政に再び復帰した。
     ・
     ・
18世紀末、この頃に至ると、キリスト教国のヨーロッパ諸
 国は、やっと『劣等感から』立ち直ることができた。
  18世紀の初めに知った、特に、「中国の事実」は衝撃
 的だった。
  まず、中国の歴史の事実が、キリスト教の構築して来
 た「歴史を完全に破壊した」。
  そのキリスト教の歴史の空理空論が実証された。
  しかも、その中国の「史実は、確かなもの」で崩すこ
 とが出来なかった。
  キリスト教の架空の作り話が痛烈に指摘された状態に
 なった。
  そして、この打ちのめされたヨーロッパは、この状況
 から立ち直るためにとった方策は、「徹底的な中国やア
 ジアの卑下だった」。
  2000年以上前に、ヨーロッパが影も形も無かった頃に、
 中国は立派な社会・文化・文明を築いていたが・・「そ
 の状態で進歩は停止し、今は、その古いままにある」と・・
 屁理屈を言った・・
  この徹底的な蔑(さげす)みによってヨーロッパは、
 やっと立ち直った。
  中国が、世界最古で、かつ現在でも最高の民族である
 ことを認めますが、その水準に停止している・・と、「
 200年前のヨーロッパ」のままだ・・と・・
  ヨーロッパは、何ら根拠のない「こんな薄ら根拠」で
 立ち直った。
  卑劣な「中国やアジアの差別化によって」自らを慰め、
 そして、救われた。
  モンテスキューは、自著「法の精神(1748年)」で、
 政体がヨーロッパでは「専制政体や君主政体」で自由を
 基礎として、文化の進歩や発展が生じるが・・
  中国やアジアは、古来から常に専制政体が存続してい
 て、その政体は、「人間の隷属を基礎としている」ので、
 文化も変化せず進歩もしないし、停滞していると決め付
 けた。
  その様なヨーロッパは、中国やアジアは、暖(あった)
 かいからそうなるのだなどと、もっともらしい風土論で、
 その自信回復を支持した。
  アジアを無気力とし、ヨーロッパは、強い国と強い国
 が接し、互いに接して、その国々は、ほぼ同様な勇気を
 持っていると自身を讃美した。
  肥沃で広大な沃野を持つアジアを評価してない、また、
 ヨーロッパのハレムの女性の存在などに目が行ってない、
 また、市民的奴隷制の存在にも目が行ってない。
  ローマなど奴隷制社会である。
  「アジアの政治的な隷属」などヨーロッパが指摘でき
 る立場にはない。
.
1806年〜1807年、ロシアは、江戸幕府に、日本との通商を
 断わられた腹いせに、『日本の領土の樺太(現:サハリン)』
 や『日本領の択捉島(えとろふとう)』にある日本の施設
 を襲撃した。
  この様なことを卑劣にも繰り返していた。
  特に、択捉事件の時は、南部藩と津軽藩の藩兵と激し
 い交戦をした。
  日本は、退却を余儀なくされた。
  このことを江戸幕府は、隠すことなく全国の諸大名に
 報じた。
  ロシア船蝦夷地襲撃の情報は瞬(またた)く間に全国へ
 広まった。
  「蝦夷地での騒動の噂を禁じた町触(まちぶれ)も出さ
 れたりした」。
  また、「日本国の大恥」「異国之物笑(いこくのものわ
 らい)」などと幕府の軍事面の失点を非難する言葉もあっ
 た。
  攘夷の意識は国民の中にもあった。
  日本近海への外国列強の接近に対する危機感は、幕府
 や大名だけでなく、「一般国民にも高かった」。
  民衆も、地域共同体の運営を通じた政治的才覚が民の
 中にも育っていた。
.
1820年以降、アメリカやイギリスの宣教師が次々とハワイ
 へ押し寄せた・・そして・・
  1898年に、アメリカに併合されてしまった。
  その後、英語化が進められ、現在はハワイ語は消滅の
 危機にある。
.
1862年4月4日、ユゴーの「レ・ミゼラブル」が発売された。
  翌日の午後、パリで第一部上下巻6000部が完売した。
  第二部、第三部の発売の日には、朝6時に早くも出版社
 の前の通りは人であふれ、行列の整理のために警察官が
 出勤する騒ぎになった。
  そして、「レ・ミゼラブル」は世界各地でベストセラ
 ーとなった。
.
1870年、ダーウィンが「種の起源」を発表したのが1859年
 だった。
  当然、従来のキリスト教聖書の教えるところの人間の
 位置づけと真っ向から対立するため・・
  キリスト教の宗教界は大騒ぎとなった・・
  大きな批判の声が挙げられた・・反対の声が挙げられ
 た。
  そして、論争がなされた・・
  しかし、キリスト教が敗けるのも早かった。
  1870年を過ぎる頃は、キリスト教の命運は尽きていた。
  各国の学界も、進化論に軍配を挙げた・・
  進化論の位置づけもゆるぎないものとなっていた。
.
1896年6月、ロシアは、ニコライ二世の戴冠式に出席した中
 国・清の李鴻章に莫大な賄賂を送り、条約を締結した。
  その条約は、対日秘密条約で「露清防敵相互援助条約」
 (李・ロバノフ密約)だった。
  内容は、条約の標記の内容の他・・
  鉄道敷設権をロシアへ与えるものだった。
  ロシアは、黒龍江省と吉林省を通ってウラジオストッ
 クに通じる中東鉄道(東清鉄道)の敷設権を得たのだった。
  さらに、1896年10月、東清鉄道に関する条約が改定さ
 れて、黒龍江省と吉林省と盛京省の東三省鉄道とシベリ
 ア鉄道の接続が認められた。
  そして、ロシアは、傲慢にも、1897年12月、中国・清
 を脅した。
  ロシアは、旅順に軍艦を入港させて清を脅し、強引に
 次のことごとを要求した。
  ①黄海沿岸の一港の租借、
  ②工業の独占権、
  ③満州と内モンゴルの鉄道敷設権(満蒙鉄道敷設権)、
  ロシアは、シベリア鉄道の有効性を向上したかった。
  この鉄道ですみやかに兵力を東アジアへ運びたかった。
  ロシアの南下政策で、益々、日本海沿岸から朝鮮が、
 ロシアの行動しやすい権益利益領域となって来た。
.
1898年5月、ロシアが、中国・清へ最終的な利益獲得要求を
 した・・それは・・
  ①旅順と大連の25年間の租借、
  ②満州を横断する東清鉄道から旅順と大連までの南支
   線の敷設権。
  ロシアは、これによって満州を通過してその南の旅順
 まで南下できる様になった。
  このことによって、ロシアは、渤海湾とその周辺の制
 海権を得た。
  また、渤海湾に面する天津から北京に至る重要な戦略
 的領域を押さえた。
  そして、この頃、ロシアは、韓国の高宗が親露政策を
 とっていたこともあり、ロシアは、韓国へ軍人を派遣し
 た。
  また、軍事教官の派遣と国王警備の編成について韓国
 側と進めた。
  また、ロシアのアレクセーエフが、韓国の財政顧問と
 なった。
  また、彼は、関税長にも任命された。
  また、露韓銀行も開設された。
  完全にロシアの南下政策の領土獲得政策が日本の水際
 まで迫って来ていた。
.
1898年、イギリスのアジアにおける政策が大転換した。
  その原因は、大胆な行動をするロシアだった。
  この年、ロシアは、中国・清をまったく馬鹿にした威
 圧的な条約を結んだ。
  イギリスにとって一番気になったのは渤海湾、および、
 その周辺のロシアの『制海権が確立』したことだった。
  このことによって、ロシアは、中国の首都・北京への
 海上要路が制圧できる様になった。
  それでなくても、ロシアは、武力的にまた威圧的に領
 土を奪い、十二分に陸上の要衝を抑え、戦略的優位を持
 つに至っていた・・陸上でも制圧していた・・
  ロシアの行動は、単に、経済的利益を得るという行動
 だけではなかった。
  この様なアジアのバランスを崩す侵略国家・ロシアの
 出鼻をくじいたのが日本だった。
  日本は、日露戦争で、この侵略国家・ロシアの出鼻を
 くじいたのだった。
  また、日清戦争で中国・清は、日本との戦いに敗け、
 韓国を属国としていた冊封体制を止めさせられた。
  これは、単に、韓国を独立させたというだけの話だけ
 でなく、東アジア諸国にも影響を与えた。
  中国の冊封から逃れさせた。
  その様な中国へ、また、東アジア諸国への利権を求め
 てヨーロッパ列強諸国が寄り付いて来た。
  ただ、ロシアの領土的侵略的野心を持った行為は、単
 なる経済的利権を求める「今までの形」を変えて、侵略
 国家丸出しで・・ロシアは覇権を構築して来た。
  今、中国が、南シナ海の戦略基地化の侵略的事例の様
 に・・今、中国は、この時のロシアの様な行為をしてい
 る。
  この時の、卑劣な条約によるロシアの進出に、イギリ
 スは、方針を大転換した。
  ロシアの圧倒的な戦略的優位の確立という事態を黙過
 できないとした。
  1898年5月、イギリスは、ロシアへの対抗措置として、
 渤海湾の反対側に、威海衛を軍港として中国・清から租
 借した。
  また、1898年6月、すでに手にしていた香港島の対岸(
 中国本土の側)の九竜半島を99年の租借をした。
.
1920年代〜1930年代、日本は、この頃、盛んにコミンテル
 ンの策動にあった・・が、しかし、それに対して日本は
 あまりにも無防備だった。
  そして、今、日本は、中国の膨大な金と人(工作員)の
 策動を受けているが、それに対する防備が「無策」と言
 われている。
  日本は、今、諜報機関が必要とされている。
.
1996年~1997年、NHKの岡山局の放送部長が、架空の飲
 食費名目で着服、90万円の詐取(さしゅ、金などをだま
 し取ること)をしていた。
.
1998年~2000年、NHKの編成局のチーフプロデューサー
 とEPが、1998年から2000年にかけて、カラ出張をして、
 架空経費請求を繰り返した。
  これによって300万円を着服した。
.
2000年、怪(あや)しい日本のメディア
  スパイ容疑で北朝鮮で逮捕され、拘留された日本経済
 新聞の元記者の杉島隆という人が居るが・・
  結局、この年に、1年半の拘留の後に、杉島氏は釈放さ
 れた。
  しかし、この時、TBSが怪しいニュースを報じた。
  TBSは、特ダネの様に「現在、北朝鮮に拘留中の杉
 島氏に死刑判決が出ました」と間違いニュースを報じた。
  実際は、釈放されたのにである。
  何で、こうなったのか?
  これは、北朝鮮からTBSに偽の間違った情報がリー
 クされ、流されたのを、TBSは、喜び勇んで特ダネ的
 に放送したのだった。
  そして、この事によって、TBSという放送局は、北
 朝鮮と、この様なニュースが流れる特別な関係を持って
 いることを露呈してしまった・・ばれてしまった。
  また、不思議な事に・・
  この時、北朝鮮の取調官(北朝鮮という国の官吏)が、
 この釈放された日本経済新聞元記者の杉島氏に、「日本
 のメディアは、おまえの事をちゃんと報道するかな」と
 言っていたという・・?
  TBSと北朝鮮の怪しいつながりが感じられる言葉だ・・?
  そしてまた、日本の国民は、この様な報道機関の、こ
 の様なレベルのニュースを聞かされているということ。
  杉島氏は、日本に帰国後、この事情を聞くために、T
 BSの偉い人を訪問した・・しかし、無視されたという。
  重責を担う報道機関であるなら、当然、この事情を国
 民に明らかにする行動を起こすはずだ・・また、責任あ
 る回答をすべきだった。
  ちなみに、日本の大切な報道機関の一つであるこのT
 BSが、一時、赤字で困窮したとき・・外国資本が入り、
 それ以後、この外国資本を意識する放送をしているよう
 に感じられた。
  ある意味、日本の国民のための大切な報道機関の一つ
 のTBSが、資本を出した外国を意識し、ある意味コン
 トロールされた放送姿勢になっていると言えた。
  TBSは、「ある特定宗教」に有利な放送をよくする。
  日本のメディアに、アメリカ系資本が入って来ていて、
 コントロールされている傾向が強くなっている。
.
2004年8月、NHKのソウル支局長が不適切な経理処理をし
 ていることが発覚した。
  このNHKの支局長は、1993年~1997年の間、外部プ
 ロダクションへの支払いを、月60万円~210万円も上乗せ
 して請求していた。
.
2015年9月5日、NHKの自虐放送。
  NHKの全編が『日本が悪い』の自虐放送だった。
  かくらきよし。経済ジャーナリスト。
  NHKが、氏素性のはっきりしない者に「土曜コラム」
 を話させ放送していた。
  2015・9・5、午前5時50分、NHKラジオ第一、
  天皇陛下が、戦争を宣言したから戦争が始まったと言
 わんばかりの話し方だった。
  また、「現政権が進めている政策が、戦争を誘発する」
 と印象されるような言い方だった。
  全放送を通して自虐的で、日本が悪いのだの言い方で・・
  そして、単純論理の言い方をつなげた放送で、「日本
 の70万の軍隊で、中国各地を占領したから、日本が悪い」
 という言い方だった。
  また、「アメリカやイギリスに挑戦していったから悪
 いのだ」の言い方だった・・こんな放送をするNHK・・
  「アメリカは、我慢していて、そして、満を持してや
 った」と・・、
  「アメリカとイギリスが正しくて、日本が悪い」とい
 う言い方で、公正さはまったく無かった。
.
2020年1月7日、元徴用工(旧朝鮮半島出身労働者)訴訟で原
 告代理人を務める弁護士らが、元徴用工問題の解決策を
 検討するため、日韓両国の法曹・政財界関係者らによる
 「共同協議体」の創設を提案した。
  協議が進む間は、訴訟で敗訴した日本企業の資産売却
 手続きを中断する可能性も示唆した。
  以上、2020年1月7日の読売新聞から・・
  これは詭弁だ。
  日韓の条約で、これは「韓国政府が対応する」ことに
 なっている・・この筋から逃げている・・
  正論をどうするかから逃げている。
  問題は、韓国政府にある・・その韓国政府の責任を追
 及していない。
  「日本は、まったく、この問題の関係者ではない」と
 条約で調印されたが・・この件から逃げている。
  韓国がよくやる引っ掛けの「こんな手」にひっかかる
 な!!
  韓国政府よ!! 誠実に対応しなさい・・責任を取りな
 さい!!
  資産売却手続きを凍結するというのなら、韓国が違反
 して、禁輸国へ輸出した物品の日本からの輸出も凍結せ
 よ!!
.
2020年1月7日、中国が日本の国会議員に金を掴(つか)ま
 せた。
  不正を働いた・・中国の日本工作の一端が表に出た・・
  中国が、金を使って日本の国会議員の抱き込みを謀(は
 か)った。
  中国がやっている金を使った日本工作の一端が暴露さ
 れた。
  読売新聞2020年1月7日の報道によると・・
  カジノを中核とした日本の統合型リゾート(IR)事
 業を巡る汚職事件で、中国企業側が現金100万円を提供し
 たとしている5人の衆議院議員側の内、日本維新の会の下
 地幹郎衆議院議員(58歳)(比例九州)が6日、那覇市で
 記者会見し、受領を認めた。
  下地氏は「深く反省している」と謝罪し、返金の意向
 を示す一方、進退については「後援会と相談したい」と
 述べた。
  5人のうち、公に受領を認めたのは初めて。
  (評)中国からの工作は、金によるものが多いが、様々
    な形で、また、色々な方面から日本を解体をした
    いと、中国工作が行われている。
.
2040年、アメリカの白人が、50%以下になり、マイノリティ
 になる・・
  ニューヨーク・タイムズが報じている。
  また、「超大国の自殺」の本で、パトリック・J・ブキ
 ャナンは、アメリカの人口における人種の比率の変化が
 著しい・・と指摘している。
  半世紀前には、白人が90%で、黒人が10%弱だったが・・
 現在、白人は70%以下となり、黒人が15%、ヒスパニック
 系とアジア系で15%と、白人比率の急減少を指摘している。
  国の形も大変化する。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  NHKは、CCTVへ映像を何十年も前から映像資料
 を渡している。
  例えば、一例として、国会の委員会の審議状況の映像
 のすべてを渡している
  CCTVは中国中央電視台で、中国(中華人民共和国)
 の国営放送のテレビ局。
  国営通信の新華社とともに「メディア」と言うより、
 中国共産党のための宣伝機関とされている。
  これはスパイ行為である。
  


2020年01月06日

(増補版)673E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年5月~1897年6月)

題:(増補版)673E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年5月~1897年6月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年5月、東海道線の大垣駅~長岡駅間の勾配改良工事に
 着手した。
.
1897年5月、甲武鉄道が、旅客運賃の賃率市街線3等運賃の
 1銭3厘を1銭2厘の標準に改正し、実施した。
  同時に、従来の定期乗車券を廃し、回数乗車券を設定
 した。
.
1897年5月、京都鉄道が、京都駅の使用について、鉄道局と
 協定をした。
  その結果、京都駅発着列車本数が制限された。
  そのため、同社は、同社発着用の京都起点駅として大
 宮駅を仮設とした。
.
1897年6月1日、官営八幡製鉄所が開庁した。
  八幡村に官営製鉄所が開庁した。
  背後に筑豊炭田が控え、また、海陸の輸送も便利だっ
 た。
.
1897年6月1日、沖ノ山炭鉱(後の宇部興産)が創立した。
  本社:山口県宇部市
  創業目的は、宇部炭田開発のため、渡辺祐策によって
 匿名組合沖ノ山炭鉱が創設された。
  (1928年株式会社に改組)
  (参考)匿名組合:とくめいくみあい、商法上の契約
     によって組織される営業のための組合。
      当事者の一方(匿名組合員)が相手方(営業
     者)の営業のために出資し、相手方がその営業
     から生じる利益を分配することを約するもの。
  その後、炭鉱用機器の製作修理を目的とする匿名組合
 宇部新川鉄工所(1914年設立、1917年(株)宇部鉄工所に改
 組)、
  同鉱の石炭・粘土と付近に産出する石灰石を利用する宇
 部セメント製造(株)(1923年)
  さらに、宇部炭の完全ガス化による硫安製造のために
 宇部窒素工業(株)(1933年)が相次いで設立された。
  同一資本であるこれら4社が合併して、1942年3月、宇
 部興産(株)が発足した。
.
1897年6月1日 総武鉄道の成東駅~銚子駅間が開通し、本所
 駅~銚子駅間が全通した。
.
1897年6月4日、台湾の基隆(きいるん)から入港の大阪商
 船「福岡丸」船内で死亡した婦人を検疫した結果、ペス
 トと判明した。
  日本はすでにその兆候をつかんで検疫をする様にとの
 告示が出ていた。
  1897年(明治30年)5月5日、内務省告示第37号 台湾
 ニ於ケル「ペスト」伝播モ兆アル同地ヲ発シ又ハ同地ヲ
 経及ヒ同地ヲ発シ他港ヲ軽テ来ル船舶ヲ諸港ニ於テ検疫
 ヲ実施ス
  1897年(明治30年)6月7日、内務省告示第44号、台湾
 及清国上海上以南ノ地方ヲ発他港ヲ軽テ来ル船舶ニ検疫
 ヲ実施ス 
.
1897年6月5日、鉄道学校が創立され開校した。
  岩倉高校の前身の私立鉄道学校。
  神田錦町に開校した。
  1901年(明治34年)8月5日、現在の上野に移転。
  現在の岩倉高校は、鉄道界の恩人の岩倉具視の遺徳に
 因(ちな)んで、岩倉の二文字を校名に冠した(1903年
 12月21日)
.
1897年6月7日、日本勧業銀行の設立が許可された。
  1896年(明治29年)、農工業の改良のための長期融資
   を目的に「日本勧業銀行法」(勧銀法)が制定され
   た。
  1897年、日本勧業銀行が政府を中心に設立され、東京
   に本店を置き、支店は大阪のみに限った。
  それ以外の地は、北海道を除き、各府県に事実上の子
 会社である農工銀行(勧業銀行法と同時に制定された「
 農工銀行法」に基づく)が設置された。
  勧銀への取り次ぎ、または、勧銀と同等の業務を行っ
 た。
  なお、基幹産業(特に重化学工業)向けには別途:日
 本興業銀行(興銀)が設置され、勧銀との棲み分けが行
 われた。
  また、北海道には、勧銀や興銀の代わりに北海道拓殖
 銀行(拓銀)が設置された。
.
1897年6月10日、古社寺保存法が公布された。
  この法律は、古社寺の建造物や宝物の保存に関する事
 項をさだめ、国宝指定が始まった。
  明治政府は、1871年(明治4年)「古器旧物保存方」を
 布告し、廃仏毀釈によって破壊された文化遺産の調査を
 始めた。
  古社寺保存法では、古社寺の建造物及び宝物類で、「
 特ニ歴史ノ証徴又ハ美術ノ模範」であるものを「特別保
 護建造物」または「国宝」に指定し、保護した。
  当初、本法の所管官庁は内務省であったが、1913年に
 は文部省となった。
  日本における明治時代以降の文化財保護法制は、1871
 年(明治4年)の太政官布告「古器旧物保存方」に始まった
 が・・
  文化財の保存と公開、そのための補助という文化財保
 護行政の基本的内容を一応もりこんだのは、この1897年
 の「古社寺保存法」が最初だった。
  なお、その後、1919年に公布された「史蹟名勝天然紀
 念物保存法」が制定された。
.
1897年6月10日、雑誌「実業之日本」が創刊された。
  読売新聞の記者であった増田儀一と光岡威一郎が設立
 した大日本実業学会から創刊された月刊誌。
  これは経済雑誌で、大日本実業学会(後の実業之日本
 社)が発行した。
  四六倍判(B6判)、本文50ページ、定価10銭。
  実業界の成功事例を載せて好評を得た・・
  また、実業人の修養雑誌としても人気を得た。
  1899年から月2回となるが、1945年に月刊に復した。
  実業という言葉を普及させた。
  実業界の青年に、俸給生活に安易につくことを戒め、
 自ら独自の進路を発見し、進んで艱難(かんなん)を冒す
 ことを説いた。
.
1897年6月12日、長崎入港の福岡丸でペストで男子船客が死
 亡した。
  1897年6月4日に入港した福岡丸船の乗船の男子船客発
 病して、船内で死亡した。
  これは、初めて長崎港にペストが侵入した事例。
.
  (今日の言葉)
.
  題:第二次世界大戦のとき、ドイツは東からソ連を攻めてくれと日本に言った・・
    日本は、「日ソ中立条約」があるからその様な事は出来ないと、「きっぱりと断った」・・
    しかし、そのソ連は、日ソ中立条約を一方的に破って、日本の領土の占守島に攻めて来た・・
    日本は、ここでの戦いで勝利した・・しかし、終戦となっていたので武器を置いた・・
    日本とソ連は、「合意の上」でその武器を置く「終戦の式をした」・・
    しかし、ソ連は、その後、日本の領土の千島列島と北方四島に対し武力行使をして「日本の領土を不法に奪った」・・
.
18世紀の末、イギリスのインドの植民地支配が進む・・イ
 ンドの方々は深刻な貧困に陥(おちい)って行った。
  インドの方々は、イギリスに反抗して「糸車で綿布を
 作った」。
  イギリスは、植民地・インドの美味しいものをしゃぶ
 り尽くした。
  インドには、綿栽培から綿布を作って衣服を得るとい
 う一連の産業と文化があった。
  宗主国・イギリスは、そのシステムを破壊した。
  イギリス自身のため、自分の利益のために、インドを
 破壊した。
  インドで綿花だけを作らせた。
  インドでは、その後のことは行わせず、、その後の工
 程のすべてをイギリス国内で行った。
  産業革命をしたイギリスは、それでインドを破壊した。
  それで出来た綿布を、インドで高く売った。
  インドの方々を「ただの消費者とした」。
  決してインドの方々に『綿布を作らせなかった』。
  インドの方々は「糸車で綿布を作った」、それが、イ
 ギリスへの『反逆の証(あかし)』だった。
  また、イギリスは、インドの安い労働力を使ってアヘ
 ン(麻薬)を作らせて、それを中国へ売った。
  中国には、イギリスが買いたいものが山ほどあった。
  その一つの中国茶は高級品だったが、イギリスの一般
 家庭でも飲めるほどになった。
  しかし、輸入超過のイギリスが使った手が「中国への
 麻薬販売だった」。
  中国が止めてくれと何度も言ったが、イギリスは止め
 なかった。
.
1840年、アヘン戦争
  イギリスはアヘンの密貿易をして、そして、中国を侵
 略していた・・そのイギリスと中国との戦い・・
  中国・清政府は、アヘンを投棄した・・傲慢なイギリ
 スは、この行為に抗議して開戦した・・当然のようにイ
 ギリスが勝利した。
  1942年、南京条約を締結して、香港などを割譲させ、
 中国権益を奪った。
  これを契機に、ヨーロッパ列強諸国は餌食(えじき)
 に群がる様に中国をむしばんで行った。
  満州、満州と言うけれど、そして、この満州で日本が
 酷(ひど)いことをしたと言われるが、そして、その被害
 を中国が受けたと言われるが、それは、日本を貶(おとし)
 める「誇大に語られる洗脳工作」・・
  まず、満州では、そのロシアがほとんどを占めた・・
 日本もいたの程度・・
  しかし、陰に隠れて、何も語られないイギリスは、隠
 密裏にされているが、さも中国の中に居ないようにされ
 ているイギリスだが、何と第一の中国の利権国だった・・
 何しろ中国侵略の歴史があった・・
  そして、第二がロシア(歴史的な侵略行為国・・南下
 政策という侵略行為を続けた国)・・
  第三がフランス(ベトナム・ビルマ・タイから北上す
 る)・・以上の三国でほとんどが占められていた・・
  そのあと、第四がドイツ・・そして、第五が日本・・
  この国々が、中国の美味しい汁を吸っていた国々・・
 ヨーロッパ列強と言われる国々がほとんど・・
  だから、第一のイギリスは、この日本とロシアを笑う
 が如く、満州以外のすべての中国の『いちばん美味しい
 良い所』を全部押さえていた。
.
1858年7月、コレラ流行・・我国最大の流行
  伝染病の流行で、多くの死者が出たという我が国の怖
 い事例がこの年である。
  1858年7月、支那より長崎に入港したアメリカ軍艦ミシ
 シッピー号により、日本全国に及んだ。
  江戸に於いて最も甚だしく、7月27日より9月23日まで
 の55日間の死者が26万人以上という。
  また、8月の1ヶ月間の死者が3万1000人以上・・
  8月26日までに10万3000人以上が死亡した。
  全国で患者数が数十万、死者十数万に達したと推定さ
 れている。
  『頃痢流行記』に記される惨状・・
  「死するもの多き一町に百数人、少なきは五十、六十
 人、葬礼の棺大道小路に陸続きて昼夜を棄ず絶ゆる間な
 く、お府内数万の寺院は何処も門前に市をなし。焼場の
 棺所せまきまで積ならべて山をなせり・・」と・・
  之が腐敗して臭気甚だしく、更に流行を強める處があ
 る為、八月寺社奉行より速に処理するよう、コレラに関
 する初めての防疫触令が発せられた。
  この時の日本の蘭方医家は活躍する・・
  河に沿って流行するを好むと発し、此病の伝染を防ぐ
 の法は、政令を以て域市、船舶、或は病院に此患人あれ
 ば之を外に移し、無病者と隔離別居せしむるを一良法と
 す・・と提言し、
  尚、予防の処置が重要と提言し活躍している。
  そして、一般人の公衆の予防を法令を以って布達すべ
 きとも提言している。
.
1895年4月17日、下関条約・・日清戦争後の講和会議を経て
 下関条約が結ばれた。
  日清戦争の清も戦争する前は「まさか日本には負ける
 とは思っていなかった」。
  ロシアにしたって「清は負けたかもしれないが、我々・
 ロシアは日本に負けるはずはない」と思っていた。
  だから、ロシアの不凍港を求めた領土侵略は凄まじか
 った。
  ロシアが「最強国だった」からだった。
  基本的に、この様な心がロシアにあった。
  日露戦争を、世界のどこの国も日本が負けると思って
 いた。
  ロシアの横暴はこの様なところから来ていた。
  日清戦争後の、ロシアなどの日本への三国干渉もこの
 様なところから来ていた。
  欲しかった遼東半島を、日清戦争後の下関条約で日本
 に取られ、ロシアの不凍港にしたかった地を失ったから
 だった。
  しかし、傲慢(ごうまん)なロシアは、日本にその遼
 東半島を返還させた。
  日本を戦争で打ち負かせたいとした清の戦争の敗戦の
 結果を、超大国のロシアは横やりを入れて取り上げた。
  そして、後に、ロシアは、この遼東半島を奪う・・結
 局、自分のものにする。
.
1935年8月31日、アメリカで、中立法が成立した。
  ヨーロッパの戦争に巻き込まれるのを恐れたアメリカ
 が、この法律を制定した。
  この年(1935年)のイタリア・エチオピア戦争を機に
 制定され、交戦国への軍需品輸出と借款(しゃっかん)
 供与を禁止した。
  この背景には、アメリカ国民の方々の戦争に関与する
 ことへの回避と、孤立主義の選択があった。
.
1939年9月4日、アメリカが、欧州大戦に中立宣言をした。
  アメリカは、ドイツにそれ程恨みがあるわけではなか
 った。
  そして、ドイツに投資をしている投資家や企業も沢山
 あった。
  例えば、ドイツに子会社を持っているフォードやGM
 などはドイツが戦争を始めても、以前とまったく変わら
 ずドイツ子会社を営業させ続けていた。
  アメリカにとってドイツと戦わなければならない理由
 は見当たらず・・
  特に、当時、アメリカは孤立主義を採り、議会が参戦
 に賛成する雰囲気はなかった。
  しかし、1940年中盤に入ると一変する。
  イギリス支援に傾き・・
  日本へも圧力をかけ始めた。
  この一変の理由の一つに、ドイツのマルクの『世界通
 貨化の動き』があった・・この動きと反ナチスへのアメ
 リカの態度の転換は連動している。
  今、中国が、アメリカ・ドルの世界通貨に挑戦し、中
 国・人民元の世界通貨化と、中国の仮想通貨(暗号通貨)
 を実施しようとしている。
  今、米中で摩擦が起きているが、この摩擦は、『この
 意味からも尋常ではない』。
.
1941年3月11日、中立国のアメリカが、レンドリース法を成
 立させて、アメリカ自らは参戦しない代わりに、ソ連や
 イギリス、中華民国などの、ドイツや日本、イタリアと
 の交戦国に対して大規模軍事支援を開始する。
.
1941年8月頃、ドイツが日本に対し、東から対ソ攻撃を行う
 よう働きかけた。
  しかし、日本は、独ソ戦開始前、すでに、ソ連と1941
 年4月13日に、日ソ中立条約を締結していたので、これを
 きっぱりと拒否した。
  (しかし、ソ連は、この「日ソ中立条約を誠実に守ら
 なかった」)
.
1941年10月中旬、ドイツ軍がモスクワに接近する。
  ドイツ軍は、1941年7月16日にスモレンスク・・
  1941年9月19日に、キエフを占領・・
  さらに北部のレニングラードを包囲し、
  1941年10月中旬には、首都モスクワに接近。
  モスクワ市内では一時混乱状態も発生し、そのため、
 ソ連政府の一部は、約960km離れたクイビシェフへ疎開し
 た。
.
1944年、アメリカの軍事視察団が、中国共産党のメッカで
 ある延安に行った・・第二次世界大戦が行なわれている
 最中だった・・
  毛沢東幹部らは、この軍事使節団を大歓迎した。
  1944年7月~1944年11月は、毛沢東の共産党軍とアメリ
 カは蜜月状態だった。
  そして、中国の背後に居るアメリカという状態となっ
 た・・
  巧妙にアメリカは立ち回った。
  中国・共産党軍の毛沢東は延安に居て・・
  アメリカは、この延安の毛沢東のところにエマーソン
 という外交官を派遣した(1944年11月)
  アメリカは、この様に中国・共産党軍のところに外交
 官を派遣する行為の様に「アメリカは、中国・共産党軍
 の毛沢東を承認していた」。
  エマーソンは、後に、ライシャワー駐日大使の下で駐
 日公使を務めるほどの重要人物だった。
  そして、アメリカは、この毛沢東軍に大量の武器を供
 与した。
  OSS(戦略事務局、後のCIA) 長官のドノヴァンは、
 延安の毛沢東に大量の武器や物資を送った。
  その目的は、「中国・共産勢力を勢いづかせることだ
 った」。
  また、この時、アメリカのジャーナリズムも毛沢東を
 讚美し、その素晴らしさを新聞に書き立てた。
  アメリカのジャーナリストのスメドレーは、毛沢東の
 共産党軍に密着取材して、讚美した記事を世界に発信し
 た。
  この様に毛沢東勢力を、アメリカは、あらゆる面から
 支援した。
  アメリカの国家を動かしている勢力が、それが狙いだ
 った。
  中国・蒋介石軍は、日本と戦わせられて、衰弱をさせ
 られ、疲弊させられていた。
  日本は、中国の首都・南京が陥落すれば戦争は終結す
 ると見ていた。
  しかし、その様にはさせじと・・戦争終結をさせなか
 ったのはアメリカだった。
  日本が仕切りに「和平提案をする」が、蒋介石は引き
 延ばした・・アメリカの差し金だった。
  あやふやな態度であった。
  和平をしようとしない蒋介石は「事実上、和平拒否を
 しているのと同じだった」。
  アメリカによる「蒋介石勢力の疲弊策」で推移した。
  蒋介石軍は、更なる中国・奥地の重慶へ逃げた。
  この様にして・・アメリカが背後にいる中国での戦い
 は続いて行った。
  中国・蒋介石軍に、上海の日本祖界を攻めさせたアメ
 リカの筋書き通りの展開が続いた。
.
1944年11月、アメリカ軍事視察団の要員の一人としてエマ
 ーソンが、中国共産党の拠点の延安へ行った。
  占領下の日本国民に、戦争に対する贖罪(しょくざい)
 意識を植え付けるため、連合国軍総司令部(GHQ)が、
 中国・延安で、中国共産党が、日本軍捕虜に行った心理
 戦(洗脳工作)の手法を取り入れたことが英国立公文書
 館所蔵の秘密文書で判明した。
  (産経新聞)
  GHQの工作は、「ウオー・ギルト・インフォメーシ
 ョン・プログラム(WGIP)」と呼ばれ、現在に至る
 まで日本人の歴史観に大きな影響を与えている。
  文書は、GHQでマッカーサーの政治顧問付補佐官だ
 った米国の外交官、ジョン・エマーソンが、1957年3月12
 日、共産主義者との疑惑が浮上したカナダの外交官、ハ
 ーバート・ノーマンとの関連で米上院国内治安小委員会
 で証言した記録で、「ノーマン・ファイル」(KV2/
 3261)にあった。
  1944年11月に、米軍事視察団の戦時情報局(OWI)
 要員として延安を訪問したエマーソンは、中国共産党の
 支配下で野坂参三(延安では岡野進と称した)元議長が
 日本軍捕虜の思想改造に成功した、として「岡野と日本
 人民解放連盟が行った活動の経験と業績が、対日戦争(
 政策)に役立つと確信した」と証言。
  さらに「共産主義者の組織であったが、捕虜たちが反
 軍国主義や反戦活動に喜んで参加するまで吹き込み(洗
 脳)に成功したことから彼らの成果はわれわれ(米国)
 の対日政策に貢献できると思った」と述べている。
  エマーソンは、後に、「(延安での収穫を元に)日本
 に降伏を勧告する宣伝と戦後に対する心理作戦を考えた」
 (大森実『戦後秘史4赤旗とGHQ』)と告白した。
  エマーソンが「対日政策に貢献できる」と証言した「
 心理戦」は、日本兵に侵略者としての罪悪感を植え付け
 るもので、軍国主義者と人民(国民)を区別し、軍国主
 義者への批判と人民への同情を兵士に呼びかける「二分
 法」によるプロパガンダ(宣伝)だった。
  GHQは、終戦直後の1945年9月に「プレスコード」
 (新聞綱領)を定めて言論を統制し、一般人の私信まで
 検閲を実施した。
  1945年10月には、「日本人の各層に、敗北と戦争を起
 こした罪、現在と将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国
 主義者の責任、連合国による軍事占領の理由と目的を周
 知徹底する」との一般命令第4号を出した。
  さらに、1945年12月8日から全国の新聞に『太平洋戦史』
 を掲載、翌日からラジオ番組『真相はこうだ』を放送さ
 せ、戦勝国史観を浸透させた。
  日本人にさきの戦争への罪悪感を植え付けた連合国軍
 総司令部(GHQ)の「ウオー・ギルト・インフォメー
 ション・プログラム(WGIP)」。
  その原点は、大戦末期の中国・延安で中国共産党によ
 る日本軍捕虜に対する「心理戦」にあった。                  
  「日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙に
 いとまがない」
  1945年12月8日、GHQの民間情報教育局(CIE)に
 強要され、新聞各紙が連載を始めた『太平洋戦史』では、
 「大東亜戦争」を公的に使用禁止し、冒頭から「真実を
 隠蔽(いんぺい)した軍国主義者」と「大本営発表にだ
 まされた国民」を二分して対峙(たいじ)させ、日本が
 非道極まりない国だったと全国民にすり込んだ。
  それは現在も国民的な「神話」となっている。
  文芸評論家の江藤淳は『閉された言語空間』で、WG
 IPと規定し、「日本と米国との戦いを、『軍国主義者』
 と『国民』との戦いにすり替えようとする」と指摘。
  『軍国主義者』と『国民』の架空の対立を導入して、
 「大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、
 『軍国主義者』が悪かったから起(おこ)った災厄」と
 米国の戦争責任を『軍国主義者』に押しつけたと指摘し
 た。
  『軍国主義者』と『国民』の対立という「二分法」の
 「洗脳」を1944年11月、延安で学んだのがGHQでマッ
 カーサーの政治顧問付補佐官を務めたジョン・エマーソ
 ンだった。
  英国立公文書館所蔵の秘密文書によると、エマーソン
 は、1957年3月12日、米上院国内治安小委員会で、初期G
 HQが民主化のため日本共産党と手を握ったことを認め
 ている。
  エマーソンは、戦前の1936年から1941年までと、終戦
 直後の1945年~1946年、さらに、1962年から1966年まで
 3度日本に駐在した日本専門家。
  占領初期は、政治顧問として対敵諜報部に所属した。
  エマーソンが『戦後秘史4』で大森実に語ったところ
 によると、ルーズベルト大統領のニューディール支持者
 で大戦中は米戦時情報局(OWI)要員として中国・重
 慶に赴任し、中国共産党・八路軍の対日心理作戦の成功
 に注目し、戦後の占領政策を視野に経験に学ぼうとした。
  エマーソンらOWIのスタッフが作成した『延安リポ
 ート』(山本武利編訳)によると、野坂らは、天皇批判
 を軍国主義者に置き換え、軍国主義者と人民(国民)を
 区別し、軍国主義者への批判と人民への同情を呼びかけ
 る心理工作を繰り返し、贖罪(しょくざい)意識を植え
 付けた日本軍捕虜を反戦兵士に「転向」させるまで洗脳
 した。
  野坂の日本人民解放連盟は、八路軍敵軍工作部と表裏
 一体で、彼らの工作は中国共産党によるものだった。
  中国共産党は、反戦日本兵の育成を通じて、徐々に厭
 戦(えんせん)感と贖罪意識を強め、やがて日本人全体
 を精神的捕虜にする狙いだった。
  中国軍が連合軍捕虜を外部隔離や尋問、集団・自己批
 判させて共産主義者に強制的思想改造したのは、1950年
 に勃発した朝鮮戦争が最初で、「洗脳」の新語が生まれ
 たが、延安では集団批判で日本人捕虜に「洗脳」の原型
 といえる思想改造が行われた。
  エマーソンらGHQの実務家にとって延安で学んだ「
 捕虜」洗脳は、占領政策を遂行するためのよき「先例」
 となった。
  GHQは、「洗脳」手法を積極的に取り入れ、東京裁
 判などの節目で展開し、「悪い侵略戦争をした」と日本
 人に自虐史観を植え付けた。 
  (参考)二分法:「共通の敵を打倒するため連帯でき
     る諸勢力と共闘する」との毛沢東の理論。
  中国共産党は、戦後一貫して少数の軍国主義者と大多
 数の日本人民を区分する対日外交政策を取っている。
  1972年の日中国交正常化の際、中国内の反日感情を抑
 制するための根拠として使われた。
  教科書問題や靖国問題でも同じ論法をとっている。
  反日プロパガンダ招いた壮大な「歴史戦」 外交評論
 家・加瀬英明氏
  「GHQは、日本民族から独立心を奪い、精神を破壊
 して未来永劫(えいごう)にわたって属国とするために
 WGIPを仕掛けた。
  軍国主義者と人民を区分する『二分法』は、毛沢東時
 代からの中国共産党の教化政策。
  米国は、朝鮮戦争まで中国共産党と太いパイプがあり、
 エマーソンの証言通り、延安で成功した日本人捕虜に対
 する手法を占領政策で日本が二度と歯向かわないように
 利用した。
  その結果、自虐史観が蔓延(まんえん)し、『河野談
 話』『村山談話』のように日本人自身が過剰に自己否定
 し、中国、韓国の反日プロパガンダを招いた。
  壮大な『歴史戦』といえる」
  (参考)ウオー・ギルト・インフォメーション・プロ
     グラム(WGIP):GHQが占領政策として
     戦争に対する罪悪感を日本人に植え付けるため
     行った宣伝計画。
      日本の歴史や文化・伝統を破壊し、日本人自
     身が日本人を否定して精神を改造するよう誘導、
     原爆投下や大都市の無差別爆撃などを行った米
     国の正当化を図った。
      新聞や雑誌、ラジオを検閲し、占領政策にあ
     うよう書き直させたり、発禁処分にしたりした。
      検閲に協力した日本人は数千人といわれ、メ
     ディアや官界、大学などで活躍した。
.
1945年12月8日、日本がハワイの真珠湾を攻撃する際、アメ
 リカは、事前に、準備よく、ハワイの真珠湾から空母4隻
 を退避させていた。
  アメリカには、日本の技術によって、何が起きるかは
 予知できていた。
  日本は、魚雷を戦闘機から投下して艦を破壊できる技
 術を開発していた。
  当初は、投下した魚雷が海中に没したりして、目的を
 果たせないでいた・・しかし、日本はその技術を得た・・
  日本が技術開発し、航空機によって軍艦を撃沈した時、
 世界は驚嘆した。
  この時、戦う形態が大変革した。
  この時から、「航空機が戦いの主軸となる」と明らか
 に示されていた。
  アメリカは、さすが、これからの主軸の「航空母艦と
 積載された戦闘機」を犠牲にはできなかった。
  傍受した情報などで、日本が攻めてくることを知って
 いたアメリカによって、空母4隻は事前に隠されていた。
  空母の居ない真珠湾だったが、日本が開発した航空機
 からの魚雷攻撃によって、多くのアメリカの艦船に多大
 な被害を与えた。
  これで「ルーズベルトの目的が果たされた」。
  ルーズベルトは、すでに、近しい人に「明日、日本が
 攻めて来るよ」と言っていた・・
  この一例の様に、アメリカは、すべて日本の動き・情
 報は事前に掴んでいた。
  これが・・ルーズベルトの筋書きだった・・アメリカ
 の筋書きだった。
  「日本から大被害を受ける」「アメリカ国民を驚嘆さ
 せる」「壊滅的だと危機感を抱かせる」「何とかしなけ
 ればと思わせる」、そして、「日本は卑怯な奇襲をした」
 「だから、ここで正義のために立ち上がらなければなら
 ない」と・・
  アメリカ世論は大転換した。
  ルーズベルトは、日本が真珠湾攻撃した時、思惑通り
 に行ったとイギリスのチャーチルへ電話をした・・二人
 は喜び合った・・アメリカの援軍がヨーロッパにも来る・・
 と・・
  アメリカは、この後、ヨーロッパ戦線、そして、太平
 洋戦線へ「大手を振って乗り出して行く」。
  ルーズベルトは、「私は、戦争に反対です。戦争はし
 ません」を大統領選の公約として大統領になった人。
  アメリカ国民の方々の「アメリカは戦争をしない」に
 迎合した大統領だった。
  しかし、この様な形で「アメリカ国民の方々を裏切っ
 た」。
  ここまでに至る道は必然という行為しかして来なかっ
 たルーズベルト、一途に日本との開戦を目指したルーズ
 ベルト、真珠湾は、ただ、その結果に過ぎなかった。
  真珠湾の前からアメリカは隠密利に中国へアメリカ軍
 を派兵し、兵器も送り込み、真珠湾攻撃の前から日本に
 秘密に奇襲攻撃をしているアメリカだった。
  ベトナム戦争の時も、最後はアメリカは影から外へ出
 て来て、「アメリカ対北ベトナム」の戦いになったが、
 この中国でもアメリカは大いに介入した。
  そこに「日本を叩きたいアメリカ」があった。
  中国の戦いにおいて「日中戦争」というのは間違い、
 「日中米戦争」である。
  アメリカは、「遠慮会釈なしに戦争に関わった」。
.
1949年10月1日、中国(中華人民共和国)が建国した。
  国共内戦に勝利した毛沢東が北京を首都とする中華人
 民共和国の成立を宣言した。
  後に、蒋介石の中国国民党が、広州から台湾へ逃亡し
 た。
  そして、これがソビエト連邦の支援を受けながら建国
 したと言われるが、『そのソ連が讃美するほど』この建
 国にアメリカが支援していた。
  日本が第二次世界大戦に敗けた後(敗ける直前から)、
 アメリカは、意外な動きをした。
  日本が敗けて、中国では国共内戦が始まった。
  アメリカは、この中国の戦い(共産党の毛沢東と国民
 党の蒋介石の戦い)の内・・アメリカは意外にも「共産
 党の毛沢東を応援した」。
  アメリカのトルーマン大統領は、戦後すぐに、ジョー
 ジ・マーシャルを特使として中国へ行かせた。
  アメリカは、毛沢東を支援した。
  そして、マーシャルは、国民党への武器援助の実施を
 遅らさせた。
  そして、蒋介石に、毛沢東を攻撃しない様にと要求し
 た。
  この時、毛沢東・共産党は「崩壊寸前」の状態だった。
  マーシャルは、「共産党に対する攻撃を停止しなけれ
 ばアメリカは蒋介石を支援しない」と圧力をかけた。
  その結果、共産党と国民党の即時停戦が成立した。
  蒋介石は、もう少しで勝利するところだった。
  勝利を目の前にして、蒋介石は、アメリカの強要で攻
 撃を停止せざるを得なかった。
  この停戦の期間中、毛沢東は体制の建て直しができ、
 息を吹き返すことができた。
  中国・共産党軍は、力を盛り返すことができた。
  そして、その後、国共の戦いで、毛沢東は勝利に終わ
 った。
  そして、1949年、中華人民共和国が建国された。
  共産中国の中華人民共和国を作ったのは『アメリカだ
 った』。
  アメリカの反共運動をしたマッカーシー上院議員は、
 共産スバイ狩りの「赤狩り」をしたが、「共産・中国は
 アメリカがつくった」という本を出版した。
  この本の中で、マーシャルの背信外交を批判している。
  また、バーンズ国務長官も著書「素直に語ろう」の中
 で次の様に書いている・・
  「スターリンは、マーシャル将軍を称賛した。
  中国問題に決着をつけられる人間は、マーシャル以外
 には居ないと言った。
  スターリンは、こうも言ったかもしれない。
  自分(スターリン)が満足できる様に・・」・・と・・
  ソ連の外務大臣のグロムイコも、回想録で、マーシャ
 ルを絶賛している。
  ルーズベルトの周りは、社会主義者ばかりだった。
  側近のハリー・ホプキンスも、ルーズベルトの夫人の
 エレノア・ルーズベルトも社会主義者だった。
  この社会主義者のルーズベルトの側近たちに取り入っ
 たマーシャルだった。
  共産主義を防ぐふりをしながら、実際は、これらの意
 向を受けて共産化を支援した。
  今、日本にも、大量の金と人(工作員)を使った中国の
 働きかけ・意向の方向へ動かそうという動きがなされて
 いる。
.
1995年、この年から「ヴェノナ文書」が公開された。
  この極秘史料が公開されたことで、第二次世界大戦の
 真実の姿が分かって来た。
  このアメリカの文書は、ワシントンのソ連大使館など
 からモスクワに打電されたソ連の情報機関員(スパイ)の
 電報を集めたもの。
  アメリカ政府は、日本に対して行なっていたことと同
 じ行為(傍受)をソ連に対しても行っていた。
  ソ連の通信のすべてを傍受していた。
  この暗号も、当初はあまり解読できなかったが、しか
 し、アメリカは傍受と共に解読を延々と続けた。
  この行為は、第二次世界大戦後のレーガン大統領(1981
 年1月20日就任)の頃まで延々と解読作業を続けた。
  解読作業には、スーパー・コンピューターも駆使され
 た。
  この解明された内容からアメリカ政府内にうようよと
 ソ連スパイが居ることが分かった。
  アメリカ共産党員が300人以上アメリカ政府内に潜入し
 ていることも分かった。
  F・ルーズベルト政権(任期:1933年3月4日~1945年
 4月12日)の財務次官のハリー・D・ホワイトもソ連のス
 パイだった。
  この男は、日本へ出す「ハル・ノート」を起草してい
 る(1941年11月26日に日本側へ出された)
  ハル・ノートは、非常に高圧的に日本へ要求事項を突
 き付けた文書で、「最後通牒」と言われた。
  これを受け取った日本は、1945年12月1日、御前会議を
 開き「開戦もやむなし」となった。
  本当は、日米交渉は、この頃、ぎりぎりのところで「
 まとまりそう」でもあった。
  この情報を得ていたソ連のコミンテル、あるいは、ス
 ターリンは、ソ連のスパイのホワイトやアルジャー・ヒ
 ス(アメリカ国務省の高官)に、ハル・ノートの草案を作
 らせた。
  ソ連のモスクワは、このハル・ノートを「日米に戦争
 を始めさせ、開戦に踏み切らせる最後の切り札」という
 位置付けにしていた。
  また、日米が開戦すると、日本は、アメリカとの戦争
 にかかりきりとなり、ソ連のリスクは減り・・
  また、アメリカは、ドイツと戦うソ連に、莫大な援助
 を開始すると見られていた。
  さらに、何故?この様な工作をソ連が必死しにしたの
 かは、1941年秋頃は、ソ連は、ドイツに一方的に攻めら
 れ、モスクワが陥落寸前にあったからだった。
  何としても、「日本のリスクを低減させ」、そして、
 極東の戦力をドイツ戦線へ集結させたかった。
  そして、ソ連は、この時、同時に、日本に居るソ連の
 スパイも動かした。
  ゾルゲや尾崎秀実(ほつみ)である。
  このスパイ以上の大物スパイが居たとも見られている。
  この頃の東京帝国大学は、ソ連のスパイの巣だった。
  ここでスパイが量産されていた。
  ここ出身の尾崎秀実は、近衛内閣のブレーンで、日本
 の国策決定に大きく関わっていた。
  そして、強行策を提示して行く。
  日米の開戦打開の会談を進める側より、日本を対米戦
 争へ向かう方向へ動いている。
  ドイツとの同盟の必要性も提言している。
  その底に、日本で革命を起こしたいがあった。
  「ゾルゲ事件」「企画院事件」「満鉄調査部事件」な
 ど、その一端が事件となっている。
  また、宮中にも多くの共産主義者が潜入していて、天
 皇陛下の側近たちの中にも疑わしい動きをするものが居
 た。
  ゾルゲ事件で逮捕され、「有罪」となった西園寺公一
 (きんかず)は、特に謎が一杯である。
.
2020年、今、中国のかつての「冊封体制」が、また、築か
 れ始めている。
  東アジアに、中国は、かつての冊封体制(さくほうた
 いせい)を築こうとしている。
  反対するものは抹殺である。
  冊封体制に入れば利益収奪の対象となる。
  ウィンウィンはない。
  一方的に貢ぐ行為が要求される。
  利益を上げても中国外への「持ち出しは禁止」である。
  その利益は、中国内で再投資せよと・・
  そして、中国の発展に寄与する経済活動をせよと「近
 代的奴隷システム」に組み入れられる。
  働いたって女房・子供の生活費や教育費として持ち出
 しはできない。
  巨大な強力な「中国の武力」によってその囲い込みが
 計られている。
  日清戦争は、この様な中国・清の囲い込みから朝鮮を
 脱却させた・・「朝鮮は独立国だ」と、日本は清に認め
 させた。
  そして、この「冊封体制」というのは、文字通り「冊
 の中に封じておく」というもの。
  冊の中で、中国の都合良くやっていれば「良し」とす
 るもの。
  中国の意に反すれば成敗される。
  日本は、その中国・清の「鼻っ柱」を、日清戦争で朝
 鮮独立を認めさせて「折った」ということ。
  (参考)鼻っ柱を折る:はなっぱしらをおる、つけ上
     がった相手の向こう意気や自信をくじく。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  ロシア(旧:ソ連)よ!
  千島列島と北方四島を日本に返還しなさい。
  終戦後の1945年8月18日に、占守島に奇襲攻撃して来た
 行為を反省しなさい。
  占守島の戦いで日本は戦いに勝っていたのに、終戦後
 であったので、ソ連(現:ロシア)と合意の上で日本は
 武器を置いた・・日露間の戦争はここに終わった。
  しかし、日ソの合意の終戦の後、日本兵の居ない日本
 領の千島列島と北方四島をソ連(現:ロシア)は不法に
 占拠し始めた。
  千島列島の最北端の占守島の戦いで、日本が武器を置
 く式を日露合意で行ったことを遵守せよ!
  だから、君たちには、日本の領土を勝手に盗る行為を
 行なう正義の論理は無い。  


2019年12月26日

(増補版)672E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年5月~1897年5月)

題:(増補版)672E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年5月~1897年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年5月10日、日本郵船の艀船水夫六百名が同盟罷工した。
.
1897年5月11日、島村駐ハワイ公使が、日本人移民の受け入
 れ拒否問題を抗議した。
  日本人移民の上陸を拒否しながら・・1897年6月16日、
 アメリカはハワイ併合の新条約に調印し、ハワイを併合
 した・・日本はこれにも抗議をした。
  1897年にアメリカ大統領に就任した共和党のウィリア
 ム・マッキンレーは、ハワイ併合を推進し・・
  1897年6月に併合の新条約に調印した。
.
1897年5月13日、北越鉄道の春日新田駅~鉢崎駅(現:米山
 駅)間が開通した。
  北越鉄道は、新潟県内で鉄道を建設し営業した鉄道事
 業者・・
  北越鉄道は、現在の信越本線で・・
  1886年に、日本海岸の直江津から内陸の長野に向けて
   路線を伸ばしはじめたものの・・
   直江津以北の官設による建設は見通しが立たないと
   判明・・
   そのため、地元新潟県有志は、渋沢栄一に東京の資
   本家を呼び込むことを依頼した・・そして・・
  1895年、渋沢を発起人代表として、北越鉄道株式会社
   (本社:新潟市)を設立した。
  1897年、直江津側の春日新田駅~鉢崎駅を皮切りに、
   順次延伸し開業して行った。
.
1897年5月17日、名古屋に、御園座(みそのざ)が開場した。
  1895年、御園座の初代社長、長谷川太兵衛(たひょう
   え)は「東西に負けない一流の劇場を名古屋につく
   りたい」と、劇場設立に乗り出した。
  1896年、名古屋劇場株式会社が創立され、劇場名は御
   園座と定められた。
  1897年、劇場本館が完成した。
   左右に大きなドームがあるルネッサンス式洋風建築
   で、場内には大きなシャンデリアがつるされていた。
   当時の名古屋の芝居小屋で、ひときわモダンで新し
   い劇場の出現だった。
   客席はすべて桟敷で、玄関左には芝居茶屋五軒が並
   び、上等の客は芝居茶屋で食事をとる仕組みになっ
   ていた。
  1897年5月、開場し、柿葺落(こけらおとし)興行(
   1896年6月19日)は、初世市川左團次の一座・・
   当時「團・菊・左」(九世市川團十郎、五世尾上菊
   五郎、初世市川左團次)と称された人気役者の一座
   だった・・大盛況・・
   劇場内はつま先立ちで・・入場できなかった人は帰
   りかねて劇場の前にたむろしていた。
   続く6月の公演も左團次一座が勤めた。
.
1897年5月27日、東京鉱山監督署長が、足尾銅山に対して
 鉱毒除防工事命令を出した。
  足尾銅山の鉱毒予防工事命令は、1897年5月27日付で、
 古河市兵衛に伝達された。
  その工事内容は、第1回(1896年12月)、第2回(1897
 年5月13日)の予防工事命令とは、比較にならない規模の
 ものだった。
  東京鉱山監督署長によるこの命令書は、37項から成り、
 その主とするところは、「亜砒酸及煙媒を凝結降沈せし
 め、且、硫酸製造又其他脱硫の方法を以て亜砒酸瓦斯を
 除却」する脱硫塔、「沈澱池濾過池」、「泥渣堆積所」、
 「畑道及大烟突」等々の建設であった。
  そして、これらの建設を、期限をきって義務づけ、37
 項に、「此命令書の事項に違背するときは直に鉱業を停
 止すべし」としていた。
  明らかに、この命令書は、藩閥政府の意図に沿った鉱
 業継続を前提にしたものであった。
  とくに、この37項は、政府部内と農商務省内部の鉱業
 停止派、そして、被害農民への申しわけと、さらに、世
 論の鎮静化を狙いとしていた。
  この命令書がはらむ欺瞞と空洞性は、この予防工事の
 完成後、その命令責任者であった東京鉱山監督署長が、
 足尾鉱業所長に就任したことに、みごとに象徴されてい
 た。
  その内容について、類例のないこの予防工事は果して
 実効を収め得るものだろうか・・と、古河側すら危ぶむ
 ありさまだった。
  とくに、脱琉塔は、いかなる装置によるべきかは全く
 成案を欠き、確信のもてない古河の設計、そのまま承認・
 施工させるという、馴れあい工事だった。
  はじめ、古河側が危惧したようにその効果は薄く、脱
 硫装置に至っては全く機能せず、煙害は一層激化した。
  そのため製錬所の上流にある松木村民は、1901年1月に
 「煙害救助請願書」を政府に提出することになるが、結
 局、解決されずに、この年の暮に廃村となった。
  そして、古河は、最初の危惧をも忘れ去り、予防工事
 後は「足尾銅山に在る、脱硫塔は世界稀有の、殆ど、絶
 一の事業」と自慢し、以後は、完全に開き直ってしまっ
 た。
  この工事に要した費用は、賃金47万円、材料費42万円、
 食料雑費15万円、総計104万円で、その一部の資金は、
 第一銀行の渋沢栄一の融資でまかなった。
  この鉱毒予防工事命令の発動を、被害農民たちは、ど
 のように受けとったか・・
  多くの被害農民たちが、みずからの闘いの成果として
 受けとめた。
  被害農民の一人、永島与八は、「我々の願うところは
 防禦ではなく停止にあるとしながらも、
 長年の間、田中代議士が東奔西走身を挺して運動を続け、
 議会において幾度か血涙を揮って政府に質問を為したこ
 とが刺激となり、一方、「我々被害民が生命がけで運動
 したことが動機となって、ともかくこれだけの命令を下
 した)」としていることに、それが伺えた。
.
1897年5月、井上哲次郎らが、大日本協会を設立して、雑誌
 「日本主義」を創刊した。
  政府の欧化政策に対する反動として起こった国家主義
 思想で・・日本古来の伝統的精神を重視しようとした。
  欧化主義・民主主義・社会主義に反対しながら、日本
 古来の伝統や国粋を擁護しようとした思想、運動・・
  思想的には一定の体系を成しておらず、その内容は、
 論者によって相違するが、政治的には欧米協調主義への
 反対と国権・対外強硬策の強調を主張した。
  井上哲次郎のぼか、三宅雪嶺や高山樗牛らによって提
 唱された。
.
1897年5月、緒方正規が、ペスト菌がネズミのノミによって
 媒介していることを発見した。
  緒方正規(おがたまさのり、1853年12月5日~1919年
 7月30日(65歳没)
  肥後国八代郡河俣村小字鶴(現・熊本県八代市)
  衛生学者、細菌学者
  東京帝国大学医科大学学長、東京帝大教授。
  日本における衛生学、細菌学の基礎を確立した。
  長男の緒方規雄は細菌学者、次男の緒方益雄は衛生学
 者。
  1880年、東京帝大医学部を卒業。
  1881年、ドイツのマックス・フォン・ペッテンコーフ
   ァーのもとへ留学、
   ミュンヘン大学で衛生学を学んだ。
  1882年、ベルリン大学で、ロベルト・コッホの弟子で
   あるフリードリヒ・レフラーに細菌学を学ぶ。
  1884年、帰国。
  1885年、東大医学部の衛生学教室と内務省衛生試験所
   に着任し、衛生試験所に細菌室を創設。
  1885年、北里柴三郎にドイツ留学を勧めて、レフラー
   宛に紹介状を書く。
  1885年、脚気病原菌説を発表。
   ドイツ留学中の北里は、この学説を批判した。
   現在、北里の批判が正しかったことが分かっている。
   この事件によって、北里は、東大の医学部と対立し
   続けることになる。
   赤痢やペスト菌の研究でも二人は対立しあう。
   研究面で何かと対決することが多かったが、私生活
   では晩年まで交流が続く。
  1886年、帝国大学医科大学の衛生学初代教授となる。
  1896年、台湾でペストが流行した時、現地調査を行い、
   ペスト菌に対する北里の研究(1894年)の誤りを指
   摘した。
   北里が単体分離したと思っていた病原菌には、実は
   ペスト菌を含む2種類の菌が含まれており、この誤り
   を北里は認め、自説を撤回した。
   また、ペストは、ネズミのノミを媒介として流行す
   ることを証明し、ドイツの専門誌に発表した。
  1898年、医科大学学長を勤める。
   東京学士会院会員、第5回日本医学会総会会頭などを
   歴任。
  1919年、食道癌になり、静養していたが、気管支・肺
   に転移し、肺壊疽も併発し、1919年7月30日、死去。
  因みに、日本のペスト流行の初めは、1899年に、流行
 地の中国から侵入したのが初のペスト。
  この翌年、東京市は、予防のため一匹あたり5銭でネズ
 ミを買い上げた。
  ペストが、日本に侵入してから大小の流行が起こった。
  しかし、死亡が2420人に抑えられ、日本がペストの根
 絶に成功したのは、ペスト菌の発見者である北里柴三郎
 や、日本政府のペスト防御対策(特に、ペスト保菌ネズ
 ミの撲滅対策)にある。
  1926年以降、今日まで、ペスト患者は出ていない。
   北里は、研究者としてのみでなく、医療行政家とし
   ても極めて優秀だった。  
  1899年、北里の建議によって開港検疫法にペストが病
   原体として追加された。
.
  (今日の言葉)
.
  題:韓国の謝罪がないのなら、韓国と妥協をするな!
    今回、韓国から謝罪もないのに、日本は妥協をした・・
.
1879年、琉球処分。
  琉球の島民66人が台湾に漂着した時、その54人が殺さ
 れるという事件が起きた。
  この解決に際して、中国・清は、台湾の民を「化外の
 民(けがいのたみ、中国の国家統治の及ばない者たち)」
 と日本へ回答した。
  この琉球処分の時も、中国・清は、琉球島民を日本国
 民と認めた。
  日本は、そこで、1879年(明治12年)琉球を日本領土
 とし、沖縄県を設置した。
  NHKの高校講座では、この様な事はまったく放送し
 ない・・中国の事ばかりを放送するという偏った講座と
 なっている。
  中国に偏するNHKとなっていて、高校生を洗脳して
 いる。
.
1882年7月23日:壬午(じんご)事変
  興宣大院君らの煽動を受けて、朝鮮の首府漢城(現:
 ソウル)で反乱が起こった。
  閔氏政権が進める開化政策に不満をつのらせ・・
  また、朝鮮政府が日本人教官を採用して訓練した新式
 の軍隊を優先することへの不満から朝鮮の『旧軍隊』の
 起こした反乱だった。
  閔氏政権の要人が殺され、また、日本人も殺され、日
 本公使館も焼き打ちにあった。
  大院君は、再び政権を握り、閔氏政権のした改革を元
 に戻してしまった。
  この時、中国・清は軍隊を出した。
  日本も出したが、清は介入して事変を鎮圧し、そして、
 この事態に乗じて朝鮮政権にあった大院君を自国・中国
 へ連れ去り清の保定に幽閉した・・大介入だった。
  これによって清の指導権が一段と強化された。
  中国・清は、内政干渉以上の介入を強烈に行なった。
  日本は、この様な事態を憂慮し看過できなかった。
  日本より優れた軍事力を持つ中国・清国・・この時、
 緊急的な日本の軍事力整備の必要性が痛感された。
  この年・1882年8月15日、山県有朋は「財政の議」を
 太政官に建議した。
  日本の望ましい軍備は、日本と直接関係ある列国(中国・
 清を指している)との比較からいった場合、軍艦48隻、さ
 らに運輸船若干であり、そして、これを東西の二鎮守府
 に分けて配備する必要があるとした。
.
1883年8月と1885年4月、清仏戦争
  中国・清国が、フランスに対して武力に訴えてまでし
 て安南(ベトナム)との宗属関係(冊封体制)を守ろうと
 した。
  当時、この清国のこの行為が、日本にとって衝撃的だ
 った。
  日本のマスコミもこれに大きく関心を示し・・この詳
 細が、当時、日本で報道され続けた。
  日本は、軍拡する清国が、この様な行動をとることに
 より「切実な問題」として捉えていた。
  この当時、一触即発の状況下にあった。
  1885年4月、イギリスは、この様な一触即発の事態に備
 える目的で、「巨文島を占領する」という挙に出た。
  巨文島(こむんとう)は、半島の南、朝鮮海峡上の要
 衝を占め、全羅南道と済州島を結ぶ水路の中間にある島
 で・・
  英露両国の対立が、当時、イギリスの保護領化されて
 いたアフガニスタン地域をめぐって顕在化していた。
  ロシアも、朝鮮半島北部の日本海側に位置する元山(ウ
 ォンサン、ポート・レザノフ)を奪い取ろうとしていた。
  この様な危機が、日本の周りに、現実的に目に見えて
 いた。
  また、英露は、これに伴ってこの地域に有利な制海権
 を築こうとしていた。
  (状況)領土的野心を持つ欧米列強諸国の中のフラン
     スは、1840年頃より、ベトナム(阮朝)に対し
     て、その行動が始まっていた。
      1858年~1862年のコーチシナ戦争で、フラン
     スはベトナム(阮朝)が南部に設置していたい
     くつかの行政区を武力併合した。
      そして、それらを統合して仏領コーチシナを
     形成し、東南アジアの進出の拠点とした。
      侵略し、領土を奪おうとする欧米列強諸国だ
     った。
.
1884年12月、甲申政変(こうしんせいへん)が起きた。
  これはクーデターで、朝鮮・韓国の開化党らが、中国・
 清の影響下にある閔氏打倒のために起こした。
  この後、朝鮮国王のアドバイザーとして、中国・清は、
 袁世凱を駐剳(ちゅうさつ)朝鮮総理交渉通商事宜として
 派遣した。
  この様にして伝統的な宗属関係(冊封)を越えて、権
 力的な関係に再編強化した。
  この様に中国・清も直接的に加わって、朝鮮の周りに
 不穏な情勢が渦巻いていた。
  中国・清は、朝鮮・韓国へ駐剳朝鮮総理交渉通商事宜
 を送って、朝鮮・韓国の中国人商人たちの商業活動がう
 まくいくようにし、関税を壟断(ろうだん、利益や権利
 を独り占めに独占する)した。
.
1885年4月15日、イギリス東洋艦隊が、朝鮮の巨文(くもん)
 島を占拠した。
  イギリスが、巨文島を占領した時、イギリスは、中国・
 清の許可をとった上で実行した。
  この事は、当時の日本に「大きな衝撃を与えた」。
  朝鮮、韓国の独立性は、「第三国もその独立性を認め、
 認め合うことが大事で必要」と日本は見ていた。
  当時の様な、中国・清の冊封体制によっての韓国・朝
 鮮の属国化による占有化は異常事態と見ていた。
  その様な立脚点が、巨文島占領におけるイギリスの中
 国・清への許可を求めたことによって否定された。
  この様な事態の推移から、ロシアの「朝鮮・韓国の港
 湾などの占領」の可能性も高まったからだった。
  イギリスは、自らの帝国主義的行為の実施に、中国・
 清の冊封の従来の宗属関係を利用したのだった。
  また、中国の従来の宗属関係は、ロシアの朝鮮占領の
 可能性を作り出す恐れを作っていた。
  朝鮮・韓国に、この様な事態が起きることを山県や西
 周は憂慮していた。
  そして、英露の対決の事態、懸念、危険性が生じて来
 た・・英露の対決が深まって行く。
  朝鮮における、中国・清の宗主権の主張は、イギリス
 やロシアに朝鮮侵入の契機を与えることになった。
.
1910年8月29日、日韓併合
  日韓併合の時点、韓国・朝鮮には公立学校は、たった
 100校しかなかった。
  日韓併合後、日本は、日本並みに韓国・朝鮮にしたい
 と誠実に、一生懸命に学校を作った・・その結果、1930
 年、の段階で、公立学校1500校も日本は創った。
  そして、1942年には、4271校の公立学校を作り・・
  しかも、鉄筋コンクリートの立派な学校を日本は作っ
 た。
  そして、立派なレンガ造もある。
  その点、日本は?と言えば、1950年になっても、日本
 の小学校は木造で、そんなに良い校舎ではなかった。
  日本は、誠実に、台湾と共に朝鮮・韓国も、日本の地・
 内地と同じような学校、または、それ以上の学校をを建
 てた。
  日本の内地と同じ(差別などない)統治をした。
  この事を韓国は感謝の意思を表明すべきである。
.
1937年8月13日、第二次上海事変
  表面上は、日本と中国の戦争のようではあるが・・背
 後からアメリカの大きな介入があった・・最近の資料開
 示で、そのことが明らかになった・・
  これが、第二次世界大戦の遠因となっている・・
  「日本が、中国で戦争を拡大させた」という批判は、
 安易な、また、物事をよく見ていない言い方である。
  一例を言えば、中国の上海という場所は、イギリス人
 などのヨーロッパ人や日本人が居た(租界と言った)。
  その租界に、各国は、その居留民を守るため、兵士を
 駐留させて居た。
  日本も、日本兵を駐留させて居た。
  戦争のための駐留ではない・・故に、僅かな兵力だっ
 た。
  しかし、この日本をターゲット(攻撃目標)に、中国
 は攻撃を仕掛けて来た。
  日本も鎮圧したが、深追いせずにいた。
  国際連盟から賞賛されたくらいだった。
  しかし、アメリカに支援された中国・国民党軍は、巨
 大な兵力で、また、攻めて来た。
  この攻撃する戦力のさらに外にも、アメリカに支援さ
 れた「巨大な戦力」を持った軍で、日本を二重に包囲す
 ることがなされるという状況で・・、
  戦争が、収まるという状況ではなかった。
  中国・国民党軍(蒋介石)を、アメリカなどが支援す
 る「何本もの援蒋ルート」の存在が、すべての問題の根
 幹で・・これが、戦争を止めさせないシステムだった。
  アメリカは、日本を徹底的に叩(たた)きたいのでこ
 の様な事をやった。
  中途半端におさめたくないアメリカだった。
.
1937年8月13日、第二次上海事変・・日本租界に、中国軍が
 攻めて来たが・・
  NHKは日本を貶(おとし)めようと、内容は、日本が
 攻撃するというまったく逆の番組を作って放送する放送
 局だった・・
  NHKは「日中戦争は日本が始めた」と、まったく史
 実に反する番組を作って放送した。
  そのNHKの放送行為を批判して書いた本が「日中戦
 争、戦争を望んだ中国、望まなかった日本」(2008年、P
 HP研究所)だ。
  この本は、中国人歴史学者の林思雲氏も加わっている。
  NHKのプロパガンダの間違い番組が槍玉に挙げられ
 て、こてんこてんに批判がされている。
  NHKは、何しろ「何でも日本がやったとした」。
  中国は、まったく関係ないという番組だった。
  日本が好きに何でも日本の意向ですべて決まって行っ
 たとした。
  中国人歴史学者の林思雲氏は、こんな木偶の坊(でく
 のぼう)の様な中国人ではないと批判し指摘する。
  日本にされるがままの中国ではないという。
  中国を擁護するNHKは、逆に、「中国を無能な人形
 の様に扱っている」・・その様なところに気がつかない
 NHK。
  だから無能な中国に、「悪漢の日本」がしたい放題に
 できたという「低劣・劣悪な番組の筋となる」。
  NHKは、日本さえ貶めれば良いと思っていた。
  ただそれだけだった。
  真実を探ろうという本筋は消えている。
  林思雲氏は書く・・
  「中国人から見ると、この様に片方だけに戦争責任を
 求める論法には傲慢さが含まれている。
  即ち、日本を日中戦争の主導者と見なし、日本が戦争
 を拡大しようと思えば拡大でき、拡大させまいと思えば
 拡大させぬことが出来たのであり、戦争の方向は日本の
 意思でコントロールできたと言うものであるが、自発的
 に進んで戦おうとした中国人の意思が軽視されている。
  この様な見方は、当時の実情に符合しない。
  実際には、当時の日本は、決して戦争の方向をコント
 ロールしていなかった。
  中国側において自発的に日本と戦おうとする意思が高
 まっている状況では、たとえ日本が戦争を拡大したくな
 くても、中国側は日本と全面戦争を開始したであろう」
 と書く・・
  林思雲氏は、日中戦争は、日本の意思で起こったもの
 ではなく、中国人が日本との全面戦争を決意し、自発的
 に戦う意思を持っていたことで起こった・・と説明して
 いる。
  NHKは、日本を貶(おとし)めたい一心でこの様な
 まったく逆のプロパガンダの筋の番組を作ったが、史実
 を捻じ曲げてまでこの様な行為をする「とんでもない放
 送局となっている」。
  大量の資金と武器を、中国は、アメリカから支援され・・
 ドイツからは、軍事的な指導者を招き入れ、トーチカの
 防御陣地群を作ってまでして、まったく寝耳の日本租界
 を襲って来た・・この第二次上海事変から日中戦争の泥
 沼戦争が始まった。
  アメリカに支援されているから延々と戦いは続いた。
  第二次世界大戦の遠因になって行った・・
     ・
     ・
1947年、戦後の日本に、新しい憲法が発布した。
  戦争の後、日本を占領したアメリカは、戦争前からの
 日本の政府を「存続したままにした」。
  また、憲法も変えずに「そのままにした」。
  戦後も、大日本帝国憲法の国が存続していた。
  その体制がしっかりしていたので、アメリカはそのま
 まにする方が有利りだとした。
  アメリカは、この日本政府へ指示を出して色々なこと
 をさせた。
  日本国民は、この様にして、アメリカの支配を受けて
 いた。
  戦争が終わった後の1945年、1946年、1947年に渡って
 大日本帝国の日本が存続し、その日本に、海外に居た元
 日本兵や一般人の400万人〜500万人の人たちが一斉に帰
 国した。
  それまでは、乏しいながらも流通していた食糧の流通
 がこの時に至って途絶えた。
  それまでは、食糧はある程度は回っていて、食糧はあ
 った。
  流通も動いていて、犯罪もほとんどない社会だった。
  しかし、交通網は麻痺する社会となった。
  流通は途絶えた。
  食糧難が起きた。
  そして、アメリカ進駐軍の性的犯罪が氾濫した。
  1946年が最悪だった。
  その翌年もまだ大変だった。
  1948年に、少しずつ回復の兆(きざ)しが見え、日本国
 民は耐えた。
  この様にして復興した日本に『韓国は金をせびる』。
  まったく関係のない事柄に、言いがかりを付けて来る・・
     ・
     ・
1989年9月、日米構造協議が始まった。
  そして、この協議開始と時を同じにするように、何故
 か?『日本のプラス成長』も止まった。
  1989年9月、第1回の日米構造協議が開催された・・悪
 夢の始まりだった。
  これは、日米両国の次官級の経済協議であるが・・
  1989年7月の日米首脳会談において、ブッシュ大統領と
 宇野宗佑首相によって合意され、そして、始められた。
  この頃、日本経済が好調で・・
  1985年9月に、プラザ合意がなされて・・
  これ以降、日本は努力し、「円高・ドル安の為替調整」
 の方向へ動かし・・
  また、日本は、内需拡大の努力も行った・・
  しかし、アメリカ側の努力が足りずに、アメリカの対
 日貿易赤字が縮小しなかった。
  そのため、アメリカは、日米構造協議という名目で、
 この事態を改善したいと日本へ言って来た・・
  年間500億ドルのアメリカの対日貿易赤字は減らないの
 だった。
  1989年の日米首脳会談で、ブッシュ大統領は、このこ
 とを言った「日米間の貿易不均衡に端を発した日米貿易
 摩擦で、この解消を目指した協議」をしたいと、そして・・
  1989年9月、第1回協議は・・開催された。
  そして、それ以後・・2か月に1回、会議は開催された・・
  1990年6月に至って「最終報告」がまとめられた。
  この報告は・・
  日本は、1991年から10年間で公共投資を430兆円へ拡大
 せよ・・
  また、大規模小売店舗法の規制緩和を行なえ・・
  系列取り引きの排除・・などを行なえ・・となった・・
  1991年5月に至って、第1回の追補年次報告書が作成さ
 れ、アメリカは「日本市場は開かれてない」と言った・・
 日本は「閉鎖的だ」と言い、「商法などの改正も行なえ」
 と要求した・・そして・・
  1991年以降も、フォローアップ(事後点検)会合が開
 かれた・・
  1992年7月、第2回の追補年次報告書が作成され、最終
 報告に盛込まれた措置の進展状況に関する再評価が行わ
 れた。
  これに加え、第2回年次報告書には、1992年1月の日米
 首脳会談での日米構造協議の再活性化に関する合意をふ
 まえた両国のビジネス環境に対処するための新たな取決
 めが含まれた・・そして・・
  1993年1月にビル・クリントン政権になって、G・H・W・
 ブッシュ政権時代の日米構造協議のかわりに「日米包括
 経済協議」としたいと言って来た・・
  より厳しい要求を日本へ掲げて来た・・
  これは、「構造問題と個別の産業交渉」を組み合わせ
 て日本を変ようという要求で・・アメリカに良好な状況
 を作ろうというものだった・・そして・・
  1993年夏以降、その日米包括経済協議は始まった。
  1995年に、自動車が・・そして・・
  1996年に、フィルムが・・、
   世界貿易機関(WTO)への提訴という動きも起り、
   摩擦が起こりながら、難航した。
   その後・・日米間の経済協議は・・、
  1997年から、日米規制緩和対話となり・・
  2001年、「成長のための日米経済パートナーシップ」
   となり・・、
  2002年から、「規制改革イニシアティブ」・・などと
   なり・・話は続いている・・
  建前は、「お互いに構造問題を指摘し合う」というも
 のだったが・・アメリカの要求ばかりが強すぎる会議と
 なっている・・
  表題:日米両国の対外収支の不均衡是正に向けてマク
 ロ経済の政策協調努力を補完するものとして、日米双方
 が相手国の構造問題を指摘し合い、みずからが必要と考
 える構造改革に取組むことを目的とする協議・・と美し
 いが・・
  1990年7月の最終報告で・・「日本側措置として、公共
   投資の拡充、大店法および独禁法の改正策」などと
   なり・・
   「米側措置として、財政赤字削減、競争力の強化」
   などが最終報告書に盛込まれ、発表された。
  (このアメリカの財政赤字削減は達成されていない)
  この協議は、まったく不公平な協議であった。
  完全に日本に対して、見下す的な、要求の多い協議だ
 った。
  日本は、アメリカの強硬な要求に応ずるしかなかった。
  アメリカは、基礎的な経済学の原則すら完全に無視し、
 屁理屈理論を一方的に強弁した。
  言い掛かりばかりの発言で、協議の体のなさない協議
 だった。
  「日米間の貿易赤字が存在する理由の大部分は、日本
 のアン・フェア・トレード(不公正な通商政策)にある・・
 とされた。
  これを直ちに是正しないと、日本企業に厳しい制裁を
 加える・・とされた・・
  制裁が嫌なら、アメリカの財とサービスを日本が強制
 的に購入せよ」・・とされ・・この様な一方的な要求と
 恫喝が行なわれた・・
  経済学のロジックを完全に無視するアメリカだった。
  「日米構造協議」は命令だった・・
  または、命令に近い指導(強要だった)・・?
  アメリカの冷酷で利己的な金融業者の発言権があり・・
  また、投票権が与えられ・・
  彼らに、日本企業の経営や人事まで介入させるという
 状況で・・
  この様な状況ならば、日本の雇用関係と人間関係は破
 壊されて行く・・という結果となった・・
.
2004年7月、NHKのチーフプロデューサーの磯野克己が、
  制作費を着服した。
  (1996年~2001年で約4888万円)
  その後の報道で、1億円以上という多額となった。
.
2007年、『性奴隷などというものは存在しなかった』とい
 う調査結果が出ていた・・
  2007年に、すでに、「性奴隷」は存在しなかったとい
 う調査結果を受け取っているにもかかわらず、それを無
 視して、在米中国人団体が慰安婦像を立て始めた。
  アメリカの中国人団体の「この像を建てる目的」は、
 『日米韓を離反させる』ためだった。
  慰安婦のオモニ(おばさん)と自称する人が叫んでい
 た「2度と再び日本を立ち上がれなくする」・・そのた
 めの情報戦略の一環だった。
  これは、「伊藤博文を殺害した安重根記念館を作る」
 と韓国に持ちかけた工作と・・絡んでいた。
  はっきりと「20万人強制連行」という行為が、報告書
 によって、慰安婦像をつくる前から『否定されていて』・・
  一方、諸外国に『韓国は、ただの売春婦と、外国要人
 を殺害したテロリストの銅像を建てる国』という印象を
 与えてしまう事を恐れた(事実がその通りなのだが・・)
  韓国の信用を毀損してしまうという事が起きている・・
  騒いで世界の注目を集めて、一方、その事実を世界が
 知ると・・その韓国の嘘・韓国のデッチアゲが分かって
 しまい、信用失墜となる心配があった。
  日本は、『根拠の無い主張』がなされている像によっ
 て、「在米住民同士が対立するという懸念がある」と表
 明した・・像を建立するアメリカの各自治体へ建立中止
 行動をすべき・・
.
2017年07月15日、日本を裏切り続けるNHK
  貴方のNHK受信料が、日本を貶(おとし)めるために
 使われています。
  日本を貶めるために作られている「外国で発行される
 冊子」に使われています。
  NHKは、「その様な団体へ金を渡し、支援していま
 す」。
  外国で発行している「日本を貶(おとし)めるフリー
 ペーパー」に、NHKは、貴方のNHK受信料の金を出
 して支援している・・スポンサーになっている。
  日本を裏切る行為をしているNHKとなっている。
  日本を貶める番組を外国へ送る行為もしているNHK
 だ。
  海外に居る日本人が、その様なNHKの提供した番組
 を見て、びっくりして連絡をして来た。
  こんなNHKの受信料を支払うのは「止めましょう」。
  (資料)
  日本を貶めるフリーペーパーのスポンサーに『NHK
 も名を連ねる』 
  欧州の『反日』フリーペーパーはこんなにヒドい…
  2017年07月15日 03:00
  前衆議院議員 杉田水脈 月刊正論8月号
  4月と5月に大統領選挙の取材で出かけたフランスで、
 私のツイッターを見たパリ在住の女性から相談が寄せら
 れた。
  早速お会いして話を伺うことになりました。
  彼女は30代。
  現地でフランス人と結婚し、仕事をしています。
  住み始めて15年になるそうです。
  社会保障の話なども詳しく伺ったのですが、私が最も
 びっくりしたのは彼女が持ってきてくれた一冊のフリー
 ペーパーでした。
 この「ZOOM JAPON」という名のフリーペーパ
 ーは、2010年6月創刊。
  フランス語圏において、日本の文化的情報を総合的に
 発信する唯一の無料月刊誌とのことです。
  現在、フランス国内約850ヶ所に配布拠点があり、
 フランスを中心に毎月7万部、多い時には15万部も発行
 されています。
  英語、イタリア語、スペイン語にも翻訳され、ヨーロ
 ッパ中で配布され、JAPAN EXPOや国際旅行博
 覧会の会場をはじめ、多種多様な日本関連イベント会場
 でも積極的に配布をされています。
.
2017年、理化学研究所の改革の必要性・・
  国の最高の研究機関と言われる理化学研究所の研究発
 表会へ行った。
  そこで得たパンフレットのデーターを見て驚いた。
  今回、初めて見た理研のデーター(一部)だったが・・
  (理研のパンフレットでその様なデーターを見るは初
 めて・・)
  それまで、理研のイメージは、国の最高研究機関で「
 すごいのではないか」と思っていた・・が・・
  しかし、その先入観は打ち砕かれた・・
  それまで思っていたイメージのものとは「真逆だった」。
  そのパンフレットに書かれていたその数値は、イメー
 ジしていた数値とあまりにもかけ離れた「低水準さだっ
 た」。
  理研の予算は約1000億円である・・しかし、その研究
 成果である特許料収入は3億円である・・少なすぎる・・
 0.3%の特許料収入である・・驚くべき低水準のパーセン
 テージである・・一桁・二桁違う・・自分の研究費ぐら
 い自分で稼げ!
  これでは、一緒に共同研究をしている企業は儲かって
 いないで困っているなと思えた・・理研との共同研究は、
 逆に、「お荷物だ」くらいに思われているのではないか
 と思えた。
  また、特許の出願件数が、国内出願・海外出願を合わ
 せて年間400件である・・これも非常に少ない・・研究員
 数は3014名、その他職員を含めて3531名である・・
  つまり、研究職の約10名が、「たった1件の特許を、1
 年間かけて出願している」という数字である・・
  ほとんどの研究職員が、肝心かなめの「特許出願をし
 ない研究員」ということになる。
  『10人中9名が特許も出さない研究員』・・
  「国を富ます知的財産権・工業所有権を得る大切さを
 理解しているのか?」・・と言いたい・・
  『ほとんどの研究員が遊んでいるのではないか?』
  また、『特許のひらめかない欠陥研究員ではないか』
  1年間あれば、1名が4~5件の特許の出願くらいは普通
 は出来るはずである・・
  10名居れば「40件~50件の特許が出願できる」はずで
 ある・・この低率さに非常に驚く・・
  今は、多項制の特許出願ができるので、その特許出願
 の価値はこの数倍となる・・
  (この多項制の特許にも気付かねばならない・・ひら
 めかなければならない)
  そして、『研究論文数も少ない』・・
  年平均2510論文である・・
  研究員数が3500名以上であるので・・
  これは、1年間、研究を行なって来た研究員が、その研
 究成果の論文を、『まったく何も出さない』という者も
 多く居るという数字となる・・
  研究成果をまとめて論文にすることもしない・・特許
 も出さない・・という姿が見えて来る・・
  ただただ、研究費の消費だけとなる。
  『まったく呆れる』状況に見える・・
  最低、論文は、1年間に1件は出さなければ、自分の研
 究成果をまとめる事をしなければ、資格剥奪ぐらいにす
 べきである・・
  『何もまとめるべき研究成果が無い』という事となる。
  論文が出せないというのであるのならば『失格である』。
  1000億円の予算を消費する理化学研究所・・それへの
 研究投資は、改革すべきところが多々ある課題である。
.
2018年、中国には、農村に戸籍を持つ者(農民工)がいる。
  2018年には、2億8836万人と中国国家統計局が発表して
 いる・・全人口の約2割・・
  平均月収が、3721元(約6万2000円)
  1980年以降に生まれた新世代農民工は、農民工全体の
 約51.5%を占めた。
  しかし、農民工の平均年齢が40.2歳と高齢化が進んで
 いる。
  都市と農村という二元的な管理構造を持つ中国で・・
 格差が生じている・・
  1980年代の半ばまで、都市労働者について一律いわゆ
 る「固定工」システムがとられ、学校を卒業すれば、国
 から職が行政的に分配された・・
  そして、基本的に定年まで、その職場で勤務が出来た。
  都市労働者の就業は、基本的に国によって保障されて
 いた。
  これが出来るのは、農村からの人口移動を戸籍制度に
 よって厳しく制限し、都市を閉じられた空間に出来たか
 らだった。
  中国の発展のカラクリは、農民工という差別した人々
 を存在させていることだった・・
  安い労働力の供給源となっている。
  その安い労働力を使いたいと、外国企業が中国進出し
 た・・これが「世界の工場となった中国のカラクリ」・・
  中国へ進出した外国企業などの資本・金は、中国の外
 へ持ち出せないとされた。
  だから、いくら中国で儲けても、その中国で儲けた金
 が、中国外へ持ち出せないようにされていた。
  結局、中国へ進出した企業は、名前だけは進出した企
 業名ではあるが、中国の中だけでの再投資しかできない
 ので、『中国の発展に尽くすだけの企業』となり、さも、
 中国企業と同じような立場となる・・
  中国発展だけに尽くすだけの企業となる。
  中国進出の企業は、必ず、中国企業との合弁の形をと
 らされる。
  これは、進出企業の「総べてのノウハウを奪う」とい
 う目的だった。
  それまでに培(つちか)ったその企業のすべての美味
 しい技術などのノウハウが盗られてしまった。
  中国の発展を、さらに補強するため、中国は、あらゆ
 る手段を使って「外国の知的財産を盗む」。
  その為には、国際法も無視し、ネットを通じて盗んだ
 り、中国人学者を学生として外国の大学や研究所へ送り
 込んだりしている(産業スパイ)
  大学や最先端研究所へ、日本の最高の研究機関である
 理化学研究所にも大勢来ている。
  外国への拠点づくり、中国は、自国の土地は外国人は
 所有できないが、外国は、その逆で、「中国人は、外国
 の土地を買って、所有する」・・そのことを許している。
  そこで、中国は、国家として(表は、個人として)外
 国の土地を世界中で買っている。
  そこで、中国へ進出した企業にした逆のことをする。
  それは、その外国で、『中国企業だけの商サイクル』
 をつくり、利益を中国本国へ送っている。
  中国が進出した国(日本など)の利益は無く、その国
 に経済的に貢献していない。
  今まで華僑として個人がしていたことを、中国という
 国家が、『国家規模でやり出した』。
  そして、国家がやるから規模も壮大だし、必ず、利益
 は、『すべてが中国へ還元される』。
  「世界のトップの頭脳」を中国の国家が、目の飛び出
 る金で招聘する。
  また、優秀な学生を、目の飛び出る様な給料で募集す
 る。
  これは、今までアメリカがやっていたこと。
  今までのアメリカの発展を、中国は、これで奪おうと
 考えている。
  民間の力でやるのではなく、人民元がいくらでも刷れ
 る中国という国家が、これをやる。
  人民元を「固定相場制もどき」にしたところに問題の
 根本がある。
  中国は、この為替の利点を享受して来た。
  アン・フェアな形で世界に入って来た。
  それを中国に許してしまった。
  中国を、公正なシステムの中へ戻せ。
  この国の事だから為替操作をするだろうが、形は公正
 にしなければならない。
  ここで「ある情報」・・
  中国側の厳しい規制にもかかわらず、香港やベトナム、
 ラオス、ロシア国境など、中国と陸続きの税関において、
 毎日のように何回も入出国を繰り返す運輸業者、旅行業
 者、行商人、国境を越えて通勤する一般人などの中には、
 多額の現金を数回に分けて合法的に中国国外へ持ち出し・
 持ち込みを請け負っている例もあるという。
.
2019年12月8日、中国びいきのNHK・・
  デジタル人民元のNHKの解説は、完全に中国の側に
 立った解説だった。
  中国を『正当だ』とし、中国がやっている方向は『未
 来的だ』と美化ばかりするNHKとなっていた。
  この様なNHK・・「NHKが良い放送局か」の調査
 をした結果、5ポイント低下して5割を割ったという報告
 がある。
  イギリスのジョンソン首相が、公共放送のBBCの「
 受信料を廃止する」と示唆した。
  日本の公共放送と言われるNHKも「受信料を廃止に
 すべきだ!」。
  2019年12月12日、ジョンソン首相は、世論調査でも不
 満が多数を占めていると認識していた。
  そして、この日に投開票されるイギリス総選挙を前に、
 ジョンソン首相は、受信料を撤廃することについて「必
 ず検討する」と発言した。
  イギリスでも、日本のように「若者のテレビ離れ」が
 起きているという・・その若者の批判が強いという・・
  NHKは、とり過ぎの受信料が余剰することによって
 「金があるから拡大する」というおかしな拡大が、不合
 理な拡大が続いて来た。
  余剰のNHKの受信料は、優良民放番組の支援へその
 余剰資金を与えるべきである。
  (民放には、NHKをはるかに超える優良番組が数多
 くある・・それを「より育てよ!」)
  この民放の有料番組へ、NHKの余剰金で応援せよ!
  NHKは、甘い体制の中で拡大だけを続けている・・
  大改革をしなければならない課題が多いNHKである・・
  イギリスは、公共放送の受信を「拒否できる権利」を
 検討している・・
  選択権を個人に持たせようとしている・・
  NHKは、公共放送は名ばかりで・・
  日本を貶めたり、キリスト教に偏した放送をしたり、
 中国が喜ぶ番組にしたり・・と・・
  どぶに捨てたいような放送局となっている・・
.
2019年、日本の技術立国の構築は『国是』である・・
   しかし、この事を裏切る日本の研究者ばかり・・
  日本の『技術立国は国是』である。
  これは知的財産権を確立することで成立する。
  日本の財産である知的財産権の特許などを構築して行
 くことが大切・・
  だからこそ、日本政府は、研究開発費を助成している。
  しかし、この行為を行なわない日本の研究者ばかりな
 のである。
  本来のやるべきことをしていない日本の研究者。
  技術研究会・技術発表会を聞きに行って、どこでも思
 う事は「技術立国の日本にしよう」と思っていない研究
 者たちの姿をそこに見る。
  結論を先に言えば・・知的財産権の特許などに関わり
 たくない・・「知的財産権の構築は大変だから」と逃げ
 ている・・研究時間が無くなる・・特許を出すのは大変
 だ・・など・・
  「知的財産権の一つである特許」なんてものは出さな
 いという研究者ばかりの姿を見るということになる。
  「質問をすると」言い訳ばかり言って逃げる研究者ば
 かりである。
  『研究開発者』という言葉があるが、この様な「研究
 開発者」にお目にかかる技術発表会に「ぶち当たること
 はない」。
  すべてが「研究者」である・・肝心の「開発」はやら
 ない。
  開発行為から逃げているから、開発が抜け落ちた研究
 者ばかりである。
  自分の研究行為から得た新規な知見から「さらにアイ
 デアを閃(ひらめ)かせて特許を得ようという段階を上が
 る者が皆無の研究発表会ばかりである」。
  これでは、我々・納税者の税金を食べているだけであ
 る。
  いつまで経っても税金を納税し続けるだけで、「いつ
 まで経っても日本の技術立国の実現が達成できる訳がな
 い」。
  この点の改善をしないと研究開発費を投入しても、そ
 の効果は上がらない。
  「特許が出せない研究者」は居る・・アイデアを閃(
 ひらめ)かせられない研究者は居る・・しかし、これは
 不適格者である。
  アイデアを豊かに「閃かせさせることができる開発者」
 も居る。
  しかし、アイデアを豊かに閃かせられる研究開発者な
 のに、面倒だからと、特許を出さないで「逃げている研
 究開発者も居る」。
  今・現在の日本の研究所や技術センターと称する所は
 この様な研究者ばかりである。
  研究開発費を配分する評価システムが悪いのだ・・
  その様に指導する組織が、日本には組織されていない・・
 日本には皆無である。
  研究さえしていればOKという組織ばかりである。
  「肝心の技術立国への成果」を求めない組織ばかりで
 ある。
  日本の最高の研究所である理化学研究所をはじめ○○
 (名を伏す)や△△(名を伏す)などまったく甘い。
  理化学研究所に至っては、10人の研究者が1年に1つの
 特許を出願だけである。
  10人の研究者たちが、1年間に、よってたかってアイデ
 アを絞ったら1つしか、「アイデアが閃(ひらめ)なかった」
 という体たらくである(こんなんで技術立国が構築でき
 るわけがない)
  『肝心のアイデアを閃かせる業務=辛(つら)い業務』
 から逃げているからである。
  貴重な研究開発費を貰っている研究所は、日本では、
 こんな研究所ばかりである。
  「特許をもっと出せ」と言う憎まれ役が、各研究所に
 居ないのである・・
  各研究所に「この様なことを言う憎まれ役や部署を作
 れ!」。
  肝心な特許庁にも作ることである。
  現状は、皆んなが「仲良しグループになっている」。
  甘い研究体制で満足しているのである・・
  この点を「アメリカに学べ!!」。
  「知財権獲得の苦労話」がまったく出ない研究発表会・
 技術発表会ばかりである。
  質問すれば、「知りません・・業者に任せています」
 と、肝心の特許出願の行為を「他人事の様に言う研究者」
 の返事が来たこともあった・・
  いつまで経っても日本の技術立国は達成できない。
  中国に抜かれっ放しとなっている。
  この様な心の持ちようなら、魂胆なら、次の目標の「
 世界特許を目指そう」というより高い、向上心のある状
 況・気にもならないだろう。
.
2019年、アメリカで、日本を貶(おとし)める慰安婦像を
 建てているのは「中国人団体」であって、韓国系団体で
 はない。
  在米の中国人団体の影響・・
  「世界抗日戦争史実維護連合会」を参照のこと。
  古森義久氏によると、慰安婦の碑に関わった在米韓国
 人の団体は、慰安婦に関することを活動目標としていな
 い。
  この在米韓国人の団体は、規模が非常に小さく、設立
 して間もない団体でしかないという。
  米国における慰安婦像の建立の中心的動き・・
  従軍慰安婦碑の建立を、広範に、また且つ、積極的に、
 組織的に推進しているのは、在米韓国人の団体ではなく、
 「中国政府系」の在米中国人団体である・・
  その名は・・『世界抗日戦争史実維護連合会』である。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%AE%E7%A2%91#.E5.9C.A8.E7.B1.B3.E4.B8.AD.E5.9B.BD.E4.BA.BA.E5.9B.A3.E4.BD.93.E3.81.AE.E5.BD.B1.E9.9F.BF
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
  


2019年12月22日

(増補版)671E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年5月~1897年5月)

題:(増補版)671E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年5月~1897年5月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆中国の九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年5月1日、京都帝国博物館(後の京都国立博物館)が
 開館した。
  当館は、主に、平安時代から江戸時代にかけての京都
 の文化を中心とした文化財を、収集・保管・展示すると
 ともに、文化財に関する研究、普及活動を行っている。
  1888年、宮内省に臨時全国宝物取調局(局長:九鬼隆
   一)が設置され・・
   日本各地の社寺等の文化財(当時の用語では「宝物」)
   の調査が行われた。
   その結果、京都・奈良には特に文化財が集中してお
   り、それらを収蔵保管する施設の整備が「急務」と
   された。
  こうして、当時の日本政府は、京都と奈良に国立の博
 物館を設置することにした。
  1890年、帝国京都博物館の建設地を東山七条の現在地
   に定めた。
   この土地は、方広寺(大仏)旧境内にあたる。
   東半が民有地、西半は七条御料地(旧恭明宮)で・・
   恭明宮は、明治初年の神仏分離後、それまで御所の
   御黒戸に安置されていた仏像や歴代天皇の位牌を安
   置していた施設。
  1891年、本館は、当初3階建てで計画された・・が・・
   この年に発生した濃尾地震で、レンガ造2階建ての建
   物が多く倒壊した。
   ことを踏まえて、平屋建てに変更された。
  1892年6月、博物館・本館は、片山東熊の設計になる煉
   瓦造平屋建てのフレンチ・ルネサンス様式で・・
   そして、この時、建築工事が着工された。1
   設計者の片山は、赤坂離宮のほか、奈良国立博物館
   本館や東京国立博物館表慶館の設計も行なっている。
  1895年10月、竣工。
  1897年5月、諸準備が整って、博物館が開館した。
.
1897年5月1日、総武鉄道の佐倉駅~成東駅間が開通した。
  1894年7月、市川駅~佐倉駅間が総武鉄道会社によって
   まず、開通した。
  1904年4月、両国駅~銚子駅間が全通した。
.
1897年5月4日、道府県に地方視学が設置された。
  視学(しがく)とは、旧制度の国家および地方教育の
 行政官で・・
  市視学・郡視学・府県視学がある。
  学事の視察、および、教育指導監督を行なった。
  地方の視学は、教員人事の実権を持っていた。
  1872年の学制によって始まり、後に、文部省、道府県、
   郡、市に置かれた。
   戦時中に教学官と改称され・・
  1948年、指導主事に移行した。
.
1897年5月4日、中越鉄道の黒田仮停車場~福野駅間が開通
 した(17.2km)
  中越鉄道は、富山県で最初に開業した私設鉄道。
  富山県西部の砺波(となみ)地方から産出される米な
 どの農産物を、伏木港へ輸送することを目的として地元
 の地主などを中心に設立された。
  当初、経営不振に陥ったが、明治末頃からの経済情勢
 の好転と、伏木港の改修による増強などを追い風として
 輸送量が増加し、経営も順調となった。
.
1897年5月9日、カナダで、日本人・中国人排斥法案が可決
 した。
  鉄道工事に両国人の労働者を使うことが禁じられた。
  1858年、ゴールド・ラッシュを伴って、サンフランシ
   スコや中国本土から金鉱を目指して移民が押し寄せ
   た・・この移民の波の後、カナダへの移住の波が続
   いた。
  1881年~1885年、10000人の中国人が、カナダ太平洋鉄
   道を築くために契約がなされた。
  1882年、アメリカが、カナディアン・パシフィック鉄
   道の中国人労働者に関する特別法を可決したため、
   アメリカに居た多くの中国人達はバンクーバーへや
   ってきた。
  1885年、人頭税が課されて、その流入を止める動き・
   カナダ入国が制限され始めたが、中国人の入国は衰
   えなかった。
  1886年、また、一方、鉄道がバンクーバーまで通じる
   と、森を切り開いて、街を造成するため多くの労働
   力が必要とされた。
   州政府は、自ら開拓することを条件に、中国人に10
   年間無償で現メイン・ストリートの160エーカーの土
   地を貸与した。
   これが、バンクーバーのチャイナタウンの発展する 
   きっかけになった。
  1890年代、チャイナタウンは拡大して行く・・
   白人の雇用を奪うものとみなされて来た・・激しい
   差別が始まった。
   バンクーバーのチャイナタウンは、トロントの次に
   カナダでは2番目に大きい規模へ・・
   この頃の中国人は、中国の習慣・風習をそのまま持
   ち込んでいた・・
   男性は辮髪、女性は纏足(てんそく)、広東語を話
   し、広東食を食べ、冠婚葬祭・宗教儀礼もすべて中
   国の風習・習慣のままだった。
  1897年、中国人の商人が、次第に新しい事業に投資し、
   チャイナタウンは大きく発展して行く・・
   バンクーバーの町づくりに大きく貢献していた・・
   しかし、すべての労働市場へは進出が出来なかった。
   主流社会からも外された・・差別がより広く見られ
   た。
   中国人には、投票権が許されていなかった・・しか
   し、差別に抵抗し、法廷闘争もした。
  1907年、バンクーバー暴動へ
   この年の始めに、アメリカ合衆国での転航禁止令に
   よって、日本人移民が、渡航先をアメリカからカナ
   ダに変更した・・そのため、カナダ入国移民が急増
   した・・これが背景となった。
   また、カリフォルニア州での、排日運動に刺激され
   た。
   1907年8月、「アジア人排斥同盟」が結成された。
   1907年9月7日、バンクーバー暴動が起きる・・
   排日活動家と中国人排斥活動家、政治家、白人労働
   組合は、「ホワイト・カナダ」をスローガンとして、
   仕事を奪われたとストライキなども組織し、集会が
   市公会堂で開かれた。
   東洋人移民の全面停止を訴えた・・
   人種差別的な演説会となった・・
   夕刻に開催されたこの集会に、数千人が詰めかけ、
   公会堂に入りきらず、建物前の道路で、州総督を模
   した人形に火をつけて燃やした。
   これは、総督みずからが所有する炭坑に、中国人や
   日本人労働者を多数雇用していたことに加え・・
   この総督は、この年の東洋人移民の制限する法律に
   拒否権を発動した・・このことへの反発だった。
   公会堂の中では、イギリス帝国を築いたのは「アン
   グロ・サクソンの血属だ」、東洋人の移民停止は「
   必要だ」と言う演説が次々行なわれていた。
   そして、公会堂の外の群衆が、9000人に膨れ上がっ
   て、チャイナタウンへ向かってデモ行進(押し寄せ
   る)し、差別的スローガンを叫び、投石し、暴徒と
   化して行き・・
   資産を壊し、中国人街に隣接する日本人街へも押し
   寄せ、投石し、店から略奪もした。
   夜半まで3回ないし4回・・行われた。
   日本人街は抵抗をした・・これを、新聞が「排日暴
   動」と報道し、全カナダが注目した。
   また、新聞は、暴動を誘発した要因としてアメリカ
   の排日運動の影響だと報じた・・
   暴動は、アメリカ人が扇動した排日運動によって引
   き起こされたと一貫して報じた。
   イギリス政府は、それまでのアメリカの排日運動に
   批判的だったが、これで面目を失った。
   「カナダの政府および国民を非難することなく、同
   時に、同盟国である日本を傷つけることなく、自己
   の立場を擁護するために」選んだ責任転嫁だったこ
   とを認めた。
   カナダ政府は、日本へ特使を派遣した。
   日本政府は、毅然と遺憾の意を表明し、賠償を求め
   た・・
   また、それに、早急な対応をしたカナダ政府は、損
   害賠償として、日本人被害者に9000ドル、中国人被
   害者に26000ドルが支払われた。
   中国人の大多数は社会の下層にいた。
   職業選択においても差別された・・選択できる仕事
   は、給料の低いサーモン加工工場、家具製造場、農
   場、クリーニング業、飲食業など・・
   法律や医療関係は従事しては駄目とされていた。
  1923年、中国人労働者とその家族のカナダ入国を禁止
   する「中国人排斥法」が制定された。
  1947年、「中国人排斥法」が廃止されるのはこの年・・
   中国から家族を呼び寄せられるようになった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:キリスト教は、ビックバン説ができるとその説に乗っかって・・キリスト教の神・創造主が宇宙・地球を創った時だとしたが・・
    宇宙に始まりがあるという考えに、アインシュタインは否定的だった。
.
紀元前180億年、ビッグバンが起きた。
  ビックバン宇宙論によって導き出された一説の宇宙の
 爆発的膨張が始まった。
  観測で遠くの銀河が遠ざかっていることが観測された。
  それから、それを過去に戻ったところが「宇宙の始ま
 りだ」とした。
  ビックバンは、そうであるならその時は高温・高密度
 であっただろうとして出された説(物理学者の間で合意
 されたものではない)・・
  因みに、宇宙に始まりがあったという考えに、アイン
 シュタインは否定的・・
  キリスト教は、これがキリスト教の神・創造主の「宇
 宙創造だ」とこの説に乗っかった。
  しかし、そのキリスト教の神・創造主が創った宇宙・
 地球は、ダーウィンが証明した通り・・進化して来た。
  キリスト教の神・創造主の「創造が不完全であった」
  そのため、その修正がなされ、より適合したものへの
 進化がなされた・・と・・
  そして、今、人間は、今、ゲノムの技術を手に入れた。
  6日間でキリスト教の神・創造主が創ったその後を、
 人間の手によって、「より良いものがそのゲノム技術で
 創られている」。
     ・
     ・
     ・
紀元前35万年、ナウマン象が、日本列島に現れた。
  日本列島の旧石器時代は、日本列島へ人類が移住して
 来た時に始まり、その終りは1万6000年前である。
  最終氷期の時に、大陸と繋がった北海道だけはマンモ
 ス動物群が宗谷陸峡を渡って来ることが出来た。
  ナウマン象は、約35万年前に日本列島に現れ、約1万
 7000年前に絶滅した。
  長野県野尻湖遺跡の約4万年前の地層からナウマン象の
 骨製品がまとまって発見された。
  12万年前の島根県出雲市多岐町砂原にある砂原遺跡は、
 中期旧石器時代の遺跡である。
  岩手県遠野市の金取遺跡(9〜8万年前)から中期旧石
 器が発見されている。
  そして、約4万年前の後期旧石器時代早期より黒曜石の
 採掘が続けられた栃木県高原山黒曜石原産地遺跡群では
 知的で効率的な作業の痕跡も確認されている。
  日本の旧石器時代の調査・研究が始まるきっかけを作
 った相沢忠洋氏の岩宿での旧石器が発見され・・それ以
 降、日本列島の全域で4000ヶ所を超える遺跡が確認され
 ている・・そして・・
  これらの遺跡のほとんどが約3万年前から1.2万年前の
 後期旧石器時代となる。
  日本列島の後期旧石器時代は、3.5万年前に始まり、縄
 文時代へ移行する1.5万年前までの「2万年間続いた」。
  遺跡は、樺太から沖縄まで約1万ヶ所以上が確認された。
  また、青森県外ヶ浜町大平山元遺跡出土の土器に付着
 した炭化物のAMS法放射性炭素年代測定暦年較正年代
 法で、1万6500年前と出た。
  北海道の何万年も続く旧石器時代・・
  そして、それに続く1万年以上の縄文時代と弥生時代に
 生きた本当の日本の先住民・・
  日本の本当の祖先たちは、この様な長い年月を北海道
 の地にも居た。
  その北海道の生活の痕跡は、本州奥羽地方などより、
 逆に濃いのだと古代史研究家の歴史学者(東大教授)は
 言う。
  わずかな年数・・最近の七百年前に、北海道に来たア
 イヌが日本の先住民であるはずがない。
  日本の政治家は、圧力に屈して「アイヌが先住民」と
 いう法律を作ってしまったが、これは間違い。
  この科学的に間違った法律は改正すべきである。
  また、圧力をかけた者は、「間違いを認めて、謝罪を
 表明すべきである」。
  また、この者たちへ数々の名目で渡した金は「その返
 済を求めるべきである」。
  その返還訴訟もすべきである。
     ・
     ・
紀元前12万年、日本の旧石器時代の始まり・・
  日本に人類が移住して来た時が始まり、旧石器時代は
 無土器時代、先土器時代、先縄文時代ともいう。
  日本列島での人類の足跡は、12年前(島根県出雲市多
 伎町砂原、砂原遺跡)がある。
  因みに、日本人の祖先たちは、舟に乗って海上をかな
 り自由に往来した・・それは、伊豆諸島や神津島産の黒
 曜石が、関東地方の後期旧石器時代の遺跡から発見され
 ている事からも分かる。
  また、特筆できることは、磨製石器の世界最古のもの
 が日本列島で製作されていて、かなり独自の文化が形成
 されていたと言える・・その年代は4万年前~3万年前。
     ・
     ・
紀元前16000年、縄文時代が始まった。
  日本の縄文時代の始期と終期については多くの議論が
 あるが、まず始期に関しては一般的に16000±100年前と
 考えられている。
  終期は概ね約3000年前とされている(諸説ある)
  縄文の人口は26万人、戦争が無い・・長期無変動文化。
  世界最古の縄文土器文明。
  森林と石清水の文明・・砂漠の文明とは違う。
  人々の暮らしの知恵、祭祀のあり方、建物の技術、社
 会構成、埋葬の形式などに一つの型が生じて、文化的同
 一性が形成された。
  海により大陸から切断された古地理的条件は、必ずし
 も人種の同一性を可能にはしないけれども生活文化の共
 通性と連続性を引き起こす可能性は高かった。
  稲作は縄文時代に始まっていた。
  森に覆われた湿潤な風土は体質と深く関係して(砂漠
 の文明とまったく違うものだった)
  日本は稲作が中心、他の地域は放牧と牧畜(牧畜と遊
 牧民)。
  東日本にはブナの森が広がり、他に楢・栗・胡桃(く
 るみ)、落葉広葉樹林に覆われ、縄文後期に杉林が拡大
 した。
  西日本には早くから杉林があり、ブナ・楢が退いて、
 代わりに樫・椎・楠などの常緑広葉樹林となった。
  「栗の栽培」はかなり早くから行われていた。
  また、「カキの養殖」も行なわれていた。
  日本の地と違い、ユーラシア大陸は民族が入り交じり
 戦争の世の中にあった。
     ・  
     ・
紀元前10000年、日本の稲の痕跡がある・・起源とされる
 中国の長江より古い。
  鹿児島県の遺跡では、12000年前の薩摩火山灰の下層か
 らイネのプラント・オパールが検出されており、これは、
 稲作起源地と想定されている中国長江流域よりも古い年
 代となる。
     ・
     ・
紀元前8000年、稲作の起源
  稲作の起源は2017年現在、考古学的な調査と野生稲の
 約350系統のDNA解析の結果、約1万年前の中国・長江
 流域の湖南省周辺地域と考えられている。
  (かつては、雲南省の遺跡から発掘された4400年前の
 試料や、遺伝情報の多様性といった状況から雲南省周辺
 からインドアッサム州周辺にかけての地域が発祥地とさ
 れていた)
     ・
     ・
紀元前6000年、日本へ伝播するジャポニカ米の稲作が始ま
 る。
  長江流域にある草鞋山遺跡のプラント・オパール分析
 によれば、約6000年前にその地ではジャポニカ米が栽培
 されており、インディカ米の出現はずっと下るという。
  野生稲集団からジャポニカ米の系統が生まれ、後に、
 その集団に対して異なる野生系統が複数回交配した結果、
 インディカ米の系統が生じたと考えられている。
.
紀元前6000年~紀元前3000年、中国国内の稲作の伝播
  中国では、紀元前6000年~紀元前3000年までの栽培痕
 跡は、黄河流域を北限とした地域に限られている。
  紀元前3000年以降、山東半島先端部にまで分布した。
.
紀元前6000年、日本列島の稲作の起源となる地域=中国・
 長江流域で稲作が始まる。
  現在の南京や武漢の長江流域の下流域から中流域にか
 けて稲作が始まった。
  今・現在、遺跡や遺物の発掘や研究が進み、その日本
 までの稲作伝搬ルートが解明されつつある。
  その研究成果による