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北国の暖かい方たちとともに

2019年12月08日

(増補版)669E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年4月~1897年4月)

題:(増補版)669E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年4月~1897年4月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年4月17日、房総鉄道の大網駅~一ノ宮駅(現:上総一ノ
 宮駅)間が開通した。
  千葉県の動脈の発展は・・
  1893年9月7日、房総鉄道馬車会社に鉄道免許状が下付
   された(千葉郡蘇我町~山辺郡大網町間)
  1896年1月20日、房総鉄道会社によって、蘇我駅~大網
   間が開業した。
  1896年2月25日、千葉駅~蘇我駅間が延伸されて開業。
   総武鉄道と接続された。
  1896年11月1日、土気駅が開業。
  1897年4月17日、大網駅~一ノ宮駅が延伸されて開業。
  1898年3月25日、岩沼駅(現:八積駅)が開業。
  1899年12月13日、一ノ宮駅~大原駅間が延伸して開業
   した。
.
1897年4月20日、九州鉄道の門司駅~小倉駅間が複線で開通
 した。
  1888年、九州鉄道は創立され(1887年説あり)
   北九州を中心に路線を延長し、私鉄併合を進めて(17
   社の私設鉄道)、九州の鉄道網をほぼ独占した。
  1888年6月27日、営業が認可された。
  1889年12月11日、九州で初めての鉄道として博多駅~千
   歳川仮停車場(筑後川北岸)間を開業した。
   博多から南へ向かって開業した・・
  1891年4月1日、門司駅(現:門司港駅)まで東へ向かっ
   た。
  1891年7月1日、熊本駅まで南へ向かう
  1891年8月20日、鳥栖駅~佐賀駅間を開業(現在の長崎
   本線の一部)
  1896年11月21日、八代駅まで延伸(現在の鹿児島本線)
  1897年10月1日、筑豊鉄道を合併した・・この後、この
   他、伊万里鉄道、豊州鉄道、唐津鉄道などを統合する。
  1907年7月1日、鉄道国有法によって国有化され解散した。
   この時の路線の総延長は716.6km。
.
1897年4月21日、房総鉄道の一ノ宮駅~勝浦駅間の延長免許
 状が下付された。
.
1897年4月22日、八王子で大火。
  データーでは死者42人、負傷者223人、被災者1万人、全
 焼家屋3341戸、午後3時40分に出火し、北西の強風にあお
 られ、わずか4時間で約6割を焼失・・とある。
  大火の年に発行された「風俗画報」第140号には・・
  「全焼三千百〇四戸、半焼三十戸、土蔵二百〇二化して
 烏有と為り」「火元は大横町七十五番地齋藤平吉方より十
 間(18m)ばかり隔たりし北裏、機織業荻島市太郎方の煙突
 の油煙が、右齋藤方の家(屋)根へ飛び来たりて発火したり
 とも云い、又齋藤方の二階より発火したりとも云いて未だ
 判然とせず」。
  「出火は、廿二日午後三時四十分頃なるが、当日は朝の
 程より風激しくて雨雲低く舞下がり(中略)午後よりは晴模
 様となりて風は益々荒れ増される折しも、同町大横町より
 出火して瞬く隙(ひま)に隣家に燃え移り、之と同時に火元
 を距(さ)ること凡そ六町(約650m)余りなる妙薬寺に飛び
 火し、次いで同町第一の劇場関谷座にも飛び火して、一時
 に黒煙を逆巻き上げ、復(また)風に吹き倒されては追々に
 燃え進み、大横町の火は元横山町大通り八日市を、妙薬寺
 の火は元横山町本町を、又関谷座の火は元横山町並びに本
 町の下手を焼き廻り、都合三手に別れて猛烈なる火先を揃
 え、正東の方向即ち新町に向かって突き掛け来たりしは、
 出火より僅かに十五分の後なり」こうして八王子の中心部
 は焼けた。
  その後、炎は浅川沿岸に達したので「流石(さすが)の火
 勢も此に防ぎ止めらるべしと思いきや、何時の程にか二町
 (約220m)余の川幅を飛び越して小宮村大和田に延焼した
 る折こそあれ、西北より吹きたる風は一変して西南となり
 たるにぞ、火は再び川を吹き戻され風下なる横山町、八日
 市、馬乗町三丁目、小門町、上野町、寺町、馬乗町一丁目
 をあれあれという間に焼き払い、火元よりは遙か西方に当
 たれる八幡町を焼き、右側は同町の七十八銀行、左側は小
 林屋方に於いて、又東の方面は八王子停車場(駅)傍らの旅
 人宿角喜に於いて、辛うじて消し止めたるは同七時半頃な
 りし」
  40人死亡、焼失家屋約3500余戸、主な焼失建物は、東京
 地方裁判支所、八王子区裁判所、郵便電信局、郡役所、町
 役所、収税所、警察署など行政機関。
  また小学校3校、銀行2行、劇場2館、寺院1か所、神社2
 社、また繁華街が焼けたので貸座敷(遊女屋)多数が焼失し
 ている。
  なお大火となった原因として、当時の風の勢いが強かっ
 たことのほか、8組480人の消防組員(現・消防団員)は奮闘
 したが、火先が多数だったことで進退の自由を失いやむを
 得ず消防器具を焼き尽くしてしまったこと、消火の指揮に
 あたる警察署員も一時に数か所から燃え上がったため人命
 救助を優先し、消防の指揮までは行き届かなかったと指摘
 している。
 (出典:八王子市郷土資料館編「明治時代の八王子>七 明
 治三〇年の八王子大火>災異門 112頁~120頁:画報子著・
 八王子町の火災」)
.
1897年4月23日、東京朝日新聞が、八王子大火の内容原稿を
 伝書鳩を使って輸送した。
  前日の八王子大火に関する報道で、業界で初めて記事伝
 送に伝書鳩を使用。
  状況としては、この当時は、八王子と言っても遠い町だ
 った。
  通信手段も焼かれ、焼け残った鉄道電信でやっと第1報
 が届いたのが翌日の4月23日の午前2時34分だった。
  しかし、電信(電報)では詳しい記事ではなく全体が
 つかめない・・ここで鳩を使う事を思いついた記者が居た。
  3羽の鳩を風呂敷に包んで上野駅から汽車で八王子へ向
 かった記者は、夕方、八王子へ着いた。
  八王子ではローソクを灯して焼死人を番をする人たちが
 居た。 
  状況が分かる明け方を待つ・・半分焼けた憲兵駐屯所に
 警察官も居て取材・・
  概要を管に収めて鳩の足に結び最初の一羽を放す・・鳩
 は社へ向かう様子が無い・・
  二羽目を放す・・ぐるぐると高く回って東京の方面へ矢
 のように飛び去る。
  三羽目は、逆に、西へ行ってしまった。
  あれれと見ていたら、方向転換して、恐ろしく早い速度
 で東京をめざした。
  この頃になって、やっと最初の一羽目の鳩も舞い上がっ
 た。
  そして、取材をして、翌朝、社へ向かい、新宿で新聞を
 買って確かめると鳩に託した記事が書かれていた・・目頭
 が熱くなった・・
.
1897年4月27日、生糸直輸出奨励法が公布された。
  この年、はじめて綿糸が輸出超過となった。
  労働運動も高まっていて、4月6日には、高野房太郎らが
 「職工義勇会」を結成していた。
  横浜の居留地に居た外国人たちが行なう居留地貿易は、
 輸出入ともに圧倒的であった。
  日本の貿易を牛耳っていた。
  この様な貿易の状況下、外国人商館は、強い条約上の権
 利と豊かな資本力を背景にして貿易を独占して来ていた。
  日本人の経営する商社が、1877年頃から成長してきたが、
 圧倒的影響力を外国人に行使されていた。
  この様な外国人勢力に対抗したのが、国内生産者から集
 荷し、そして、その商品を納入した邦人の売込問屋だった。
  因みに、この逆に、外国人商館から輸入商品を仕入れて、
 国内の商人に還流させたのは邦人の取引問屋・・
  不平等条約の体制下、日本の貿易の担い手たちは、この
 様な体制で行われていた。
  今・現代では普通のことである「直輸入」「直輸出」な
 どという概念は夢の様な概念だった。
  明治の中頃まで売込問屋→外国人商館→輸出だった。
  そして、生糸は、100パーセントが横浜から輸出されて
 いた。
  日本の生糸は安くされており、取引価格は欧米市場の3
 分の2から2分の1だった。
  零細で小資本の製造者(養蚕農家)、そして、問屋から、
 大資本の外国人商館へ、安値に買い叩かれた・・恒常的に
 この形で来ていた。
  また、卑劣にも、この外国商館が、何が何やらの不明瞭
 な商習慣をちらつかせていて、見本品生糸を出させて没収
 したり、○○料だと意味不明の金を取ったりした。
  この様な状況を把握していた日本政府は、1873年に、居
 留地外商を経由しない輸出を考えていた・・
  直輸出に注目していた・・
  大久保利通の配下の人たちだった・・
  理論的な提唱者は、旧薩摩藩の前田正名(大蔵、内務、
 農商務の各省をの高官を歴任している)だった。
  日本が生糸を貿易の目玉にして大きく貿易上の利益を確
 保し、成長したのは、この人の功績としても良い。
  1880年には、直輸出商社の起業や、直輸出参入者が拡大
 した。
  そして、明治20年代(1887年代)に入って行くと、生糸
 直輸出に関与した製糸業の人たちが多くなって行く。
  そして、全国的に拡大して行く。
  外国人に制せられた商権と商習慣を打破して行く・・
  その行動の中に士族系の製糸業者も居た・・
  豪農も共に行動した・・
  そして、政府の直輸出奨励政策に士族・豪農層が敏感に
 積極的に反応し、協力した。
  しかし、直輸出への道は順調だったとは言えない・・
 不況にあって政策が転換されたりの紆余曲折があった。
  また、直輸出は、すぐに代金が手に入らないという欠点
 もあった。
  アメリカへの直輸出の場合、代金を手にできるのは半年
 後だった。
  横浜の外国人商館に売れば現金決算であった・・
  ここに関係するのが邦人商社の資金的な力の有無だった
 (資金余力は弱体だった)
  政府・横浜正金銀行の保護政策も後退する時もあった。
  1889年、前田正名が高官として復帰した・・そして・・
  1890年、次官として昇任し、大蔵省に対して強い保護継
   続の養成があった。
   大蔵大臣の松方正義も、生糸直輸出業関係者と強い
   つながりも持っていた。
  時の知識人・福沢諭吉も、生糸直輸出が解体されたら、
 横浜居留地外商などが競争相手が消滅したことにより、
 一層低価格で国産生糸を買い叩くであろうとの危惧を提言
 していた。
  1889年の生糸直輸出業の廃絶という愚かな行動を回避
   することが出来た。
  1890年11月、生糸直輸出業者による立法制定運動が始ま
   った。
   しかし、この運動もうまくいかなかった。
  1897年5月、生糸直輸出奨励法の廃止となる。
  1899年7月、第一次条約改正が施行される。
   邦人の貿易活動も活性化をし、日本の産業革命もなさ
   れ、蚕糸業が拡大し、生糸輸出も増加し、そして、邦
   人の資本力も強化された・・
   ここに出て来たのが、横浜生糸合名会社と、財閥系の
   三井物産合名会社の「直貿易」形式による大量に米・
   仏両国市場に輸出する体制が確立された。
  1909年、日本が生糸輸出量の世界一となった。
   外国人商館に牛耳られていた生糸も邦人によって自由
   に取り扱える様になって行った。
.
  (今日の言葉)
.
  題:共産政権の洗脳の恐ろしさ・・
    民主的ではない政権のため・・
    民意を聞かずにその政権を維持するため、意見を異にするものに敏感になり、その意見を必死に洗脳する・・
    そして、その洗脳は凄まじくなる・・
.
1950年7月、共産政権の洗脳の恐ろしさ
  日本も、この共産国家・中国から卑劣で激烈な洗脳工
 作を受けていた。
  共産主義政権の独特の考え方による洗脳教育の事例・・
  共産主義の恐ろしさはここにある。
  日本の敗戦以降、終戦によって武器を置いていた満州
 や朝鮮に駐留していた日本軍を中心に、また兵士以外の
 一般人である官吏を含めた日本人の約60万人が、日ソ中
 立条約を一方的に破って、侵入して来たソ連軍によって
 殺戮・虐殺され、そして、捕らえられた。
  武器を置いていた元兵士や一般人を、そのほとんどの
 人たちをシベリアへ送った・・送られてしまった。
  そして、量も少なく、また、質の悪い最悪の食物しか
 与えられず、酷寒の地で重労働を強いられ、させられ・・
 それによって、その多数の日本人たちが死んだ・・死亡
 した。
  その死亡者数は、捕まって輸送される途中での死者も
 含めて、何と約6万人もの命を失った・・失なわされた。
  この死亡者数は、もっと多数だとする調査数字もある。
  そして、最悪なのは、これらの「捕虜」の中から969人
 が、中国に引き渡された・・何の権利もないのに、この
 様な事が行われた・・
  そして、共産・中国の「撫順戦犯管理所」 と称する
 監獄へ送られた。
  終戦となった後、5年も経ている1950年7月のことだっ
 た・・
  その内訳は・・、
  第59師団 の将兵260余名、
  第39師団 の200余名の順に多く、そのほか63師
 団、117師団、それに満州国高官らが含まれていた。
  一方、中国山西省では、日本の降伏後も・・
  国民党系の閻錫山 (えんしゃくざん)軍と共産八路軍
 (はちろぐん)が戦争状態にあった・・
  閻錫山は、「日本人居留民を帰国させる」などの条件
 を付けて、日本軍(第1軍、司令部・太原=たいげん)
 に残留を希望し、要請した。
  日本軍は、これを受け入れて、閻錫山軍とともに共産
 八路軍と戦った。
  結果は、共産八路軍の勝利に終わった。
  日本軍は投降した。
  第1軍関係者と、それに他の理由で捕まった若干名を
 合わせた140名 が、「太原戦犯管理所」 に送られた。
  撫順(ぶじゅん)、太原(たいげん)の両管理所(監
 獄)に収容された 「1109人」 が 「中国戦犯」とさ
 れた。
  しかし、実際は中国に拘束された人々、「中国抑留者
 (または 抑留者)」である。
  この抑留されてしまった方々(抑留者)が釈放されて、
 帰国するのは・・1956年以降・・
  故に、そのほとんどの人が、6年間、残りの人はそれ
 以上の抑留をさせられてしまった。
  ソ連の分と合わせると、実に、10年以上も捕らえら
 れていたこととなる。
  中国に抑留されていた6年の間・・この時に、非人道
 的な、卑劣な最悪の洗脳行為がなされた。
  共産政権・中国は、美しく「学習」などと称していた。
  これは人権をまったく考慮に入れない激烈・卑劣な洗
 脳教育で、大いに問題があった。
  そして、抑留者の方々は、帰国後、「中帰連」(中国
 帰還者連絡会)を組織し、さまざまな活動を行って来た。
  「何としてでも帰国したい」と彼らが、どう行動した
 か、そして、その様な彼らに、中国はどの様な事をした
 かが明らかとなった・・
  当然、「帰りたい一心」と「殺されたくない」という
 切羽詰まった状況から、その経過は、当然、事実ではな
 い展開となっている・・
  共産中国に都合の良いことが『ねつ造』されていた・・
  しかし、日本の報道機関や、言論人らは、彼らの「証
 言」を確かな事実かのように受けとめて報道した。
  「証言」と称するのがおかしい状況であるのに、あえ
 て見過ごした・・
  助かりたい一心の「妄言」であり、「虚言」であり、
 殺される恐怖から逃れたいの「妄言・虚言」であった・・
  (参考)妄言:もうげん、でまかせで根拠のない言葉。
      虚言:(助かりたいの)あざむく言葉。
  中国は、この様な非人道的な方法で妄言・虚言を多く
 引き出し・・中国以外には無かったことを、何故か?中
 国に限ってある様に、真実の如くに言い張った。
  「脅迫で得た証言」が「真実ではないこと」は誰でも
 が知っている。
  彼らが、抑留中に書いた「手記」「供述書」あるいは
 帰国後証言が、中帰連の主張通りに「すべて事実」なの
 かどうか・・まったく事実ではないことが明らかとなっ
 た。
  「罪を認めれば寛大な処置が受けられる」と誘われる。、
  「罪を認めなければ厳しい処置を受けなければならな
 い」と脅迫される。
  中国語で「坦白従寛」自白するか?「抗拒従厳」抵抗
 するか?・・と迫られる・・
  「抵抗すれば恥辱にまみれた死への道」、「自白すれ
 ば明るい生への道」である。 
  事実でないことであっても、あるいは、まったく身に
 覚えがないことであっても、中国の取調べ側が「事実」
 だという心証を持つなり、あるいは、ある意図をもって
 その様にすれば、「厳しい処置」をちらつかせることだ
 けで、「自白」を自由自在に引き出すことができた・・
 それが可能だった。
  「日本人の戦犯と呼ばれた人々」の洗脳問題について
 考えると、死刑になるかもしれないという恐怖、何とし
 ても故国へ帰りたいという熱望、当然、これを知ってい
 る中国側・・これらを背景に、中国側の取調側もうまく
 立ち回った。
  中国は、自白中心の取調べをした。
  自白と言っても、恐怖が背中にある、死刑をちらつか
 せられた自白である。
  中国の検察側が、具体的な犯罪事実を提示することは
 まずなかったが、誘導という問題は大いにあった。
  当然、黙秘権などあるはずもない・・これでは、死刑
 判決が待っていた。
  「お調べがついているでしょうから、それをお示しく
 ださい」
  「そうすれば私も思い出せることもあるでしょう」 と
 言ったって聞き入れてはくれない・・
  「中国は、お前が自らの記憶に基づいて述べることを
 要求する」。
  「誠実な態度であれば思い出せるはずである」・・
   または、居丈高に「今日は監房に帰れ」と、繰り返
 し繰り返し何度も何度もなんべん言われたことか・・
  同室の佐古さんも検察員に同じようなことを言われて
 いるとみえ、「援助者」に批判されていた。
  佐古さんは、一度、「わしゃ死んだ方が楽じゃ」・・
  「深石さん、お願いだから殺してくれんか」 と言った
 ことがあった・・
  私にも、「あんたはいつか監獄の中で自殺した者の話
 をしたことがありますね。どんな方法かね」 と・・
  泣きそうな顔で真剣になって尋ねるので、私はゾッと
 して恐ろしくなったこともあった。
  佐古さんは、牡丹江鉄道警備旅団長(少将)
  階級の下の者を落としてから上へ・・
  低い階級を先にして、上位者は後に、というのが取調
 べの方法だった・・
  下位者に対して、「上官の命令によってやったのだか
 ら、お前の罪は軽い(お前には罪はない)」などと水を
 向けられれば、「自白」がしやすくなることも見越して
 いた・・
  「グループ認罪」・・
  学習先行組
  何時の間にか2年余の月日が経っていた・・ある日の
 朝、係員が、「所長の話があるから全員外にでる様に」
 と伝えてきた。
  屋上で並んで待つこと約10分・・
  やがて、所長が、中央に用意された一段高い壇上に上
 り、「やあ、諸君待たせてしまって申訳ない・・
  皆元気かね・・
  諸君の両親や兄弟は諸君の帰りを待っていることでし
 ようね・・
  ところで労働しながら、過去中国でどんな事を、つま
 り何人中国人民を殺し、どんな風に被害を与えたか、
  即ち「焼く」「殺す」「犯す」 等々を、何処でどうし
 て行ったかを、良心的にありのままを書いて出しなさい」
 と、通訳が訓示を説明した。
  「認罪運動」
  中国に来て以来3年後の1953年、確か9月の中旬だっ
 たと思うが、全員が、屋外に整列させられて所長の来場
 を待った。
  いやな予感がした。
  皆も何やら心配そうな顔をしていた。
  所長が壇上に立った。
  「諸君は中国人民を何だと思っている。
  中国人民は、君達の様な帝国主義思想の持ち主は絶対
 に許さない。
  中国人民は、日本帝国主義軍隊に一貫して斗ってきた。
  そして、勝利したのだ。
  君達は負けた。
  即ち、日本帝国主義軍隊は破滅したのだ。
  にも拘らず、君達は何等思想的には変化を見せず、帝
 国主義その儘である。
  環境を考えろ、環境を! 」と叫ぶように拳を握って、
 更に言葉を続けた。
  「中国人民は、君達を招待したのではない。
  勝手に日本帝国主義者が、武装して海を渡りわが中国
 に乱入したのだ。
  そして、我々の同胞を殺し極悪非道の犯行を平気でや
 って来た。
  それは誰だ! 
  お前達ではないか!
  その重大な犯罪を中国人民は許すと思うか! 
  絶対に許さない。
  お前達を殺すも生かすも、中国人民の権利であり、自
 由意志である。
  ・・・ 」
  こうして数ヵ月が過ぎた日、再度、「供述書」の提出
 を命ぜられた。
  紙切れ一枚たりとも残さず提出し、全員が屋外に並ぶ。
 「どす黒い日焼けした顔、骨太の体格、血走った目つき、
 これに金棒を持たせたら閻魔大王にそっくり」の所長が
 口を開く・・
  この所長は、孫 明斉 と思われる。
  孫は、撫順監獄の開所当時から所長だった人物・・
  「今日の私が閻魔様に見えるか、それとも仏様に見え
 るか・・どちらに見えるかは、君達自身が決めることで
 ある。
  真面目に学習し、真面目に思想改造に努力している者
 には仏様に見えるだろうし、学習をサボり、まあまあ人
 並みに机に座り、なんとか人にくっついて行けさえすり
 ゃあ思想改造はどうであろうと、皆と一緒に帰れるンだ
 と考えている者には、閻魔様に見えるだろう」。 
  認罪とは、素直な気持で自分の罪行を認め、素直に書
 き出す事であて、決してむづかしい事ではない。
  誤魔化そうとする者に限って、むづかしく考える。
  これは悪質である。
  即ち、『焼く』『殺す』『犯す』の重大犯行を、何時、
 何処で、何を、誰が、何をしたか、を具体的に供述する
 事である。
  最初は野菜を取りましたとか、豚をとりましたとか、
 又ちょっと時間が経つと、戦争で弾丸を射ちましたので、
 若し当っていれば人を殺したことになりますとか、或は
 1人殺しましただの、いや2人位だったと思いますだの・・
  君達は中国人民の生命をどう考えているのだ。
  鉛筆の走り具合で1人が2人になったり、3人が4人
 になったり、
  そうかと思えば忘れましたとか好き勝ってな事を言っ
 ている。
  嘘を言うな嘘を!
  残虐非道の人殺しをしていて、忘れましたで済むと思
 うか?
  大虐殺の実行者が、その虐殺を覆いかくし、「葱」だ
 「豚」だと書き出して、「 私は認罪が終わりました」
 と知らん顔をしている者もいる。
  図々しいのも甚だしい。
  ・・・ 〉
  命との引き換え、帰国との引き換えに「言わざるを得
 なかった」、
  「書かざるを得なかった犯罪行為」である・・がゆえ
 に、特段の信ずべき根拠がないかぎり、信じるのは無理
 と考えるのが常識というものである・・
  朝日新聞や、NHKなどのメディア、学者らは、抑留
 者の証言を正しいものとして、それを根拠に、日本軍叩
 きに力を注いだ。
  ねつ造された事実をどう理解するのだ・・
  その様なもので、日本国民を、メディアは洗脳した。
  罪行は厳重だが、認罪態度の比較的よい元日本軍中隊
 長大尉の宮崎 弘に、全所の戦犯の前で、認罪・告白・摘
 発の模範的発表をさせた。
  この様に身をもって説く典型的な発言は、強烈な影響
 力があり、その他の戦犯の認罪にしっかりした推進作用
 を引き起こした。
  みんなは真似て、ある事ないことで話を作った。
  宮崎中隊長らの演説は、「思想改造」が成功を収め、
 それゆえに、管理所側が計画した演出だった。
  「一体、国に帰れるのか」、「それとも殺されるのか」
 と不安な空気が部屋中に充満していた・・
  そのうち、手洗水の原液を飲んで自殺する者や、便所
 で自殺する者も出はじめた・・
  このため、屋外の便所のドアは取り外され、便器の口
 を木で狭めたりして自殺者の出ないよう措置がこうじら
 れた。
  こうした中で多くが末梢神経症にかかり、重症者は小
 便の出るのもわからない始末であった。
  また、記憶にも錯覚が起こって来た・・
  「俗にいう監獄病だよ」と誰かが言った・・
  2ヵ月余りにわたる徹底した、綿密な工作によって、
 尉官級以下の日本戦犯は、基本的に自己の犯した重大な
 罪行を明白に捏造(ねつぞう)を交えて告白し、
  また4000余件の摘発資料を書き上げ、上司、あるいは、
 他の者の罪行1万4000余項目を摘発した。
  主要でない日本戦争犯罪者、あるいは改悛の情がわり
 に著しい日本戦争犯罪者に対しては寛大に処理し、起訴
 を免除することができるとの放送が終わると、各監房は
 沸き立った。
  拘留者たちは涙ながらに声高く 「中華人民共和国万歳」
 「中国共産党万歳」 と叫んだ。
  こうして、「罪を認めれば寛大な処置が受けられ、罪
 を認めなければ厳しい処置を受けなければならない」 と
 した「二つの態度と二つの道」 が効果を発揮した。
  日本の罪は作られた・・そして、「思想改造工作」は
 成功裏に終了した。
  討論を通した誘導
  散々、吹き込まれて来たのですから、罪を認めないか
 ぎり帰国の望みが絶たれると抑留者は考えざるを得ませ
 んでした。
  大部分の抑留者は、真面目に認罪、反省の道を進んで
 こそ、中国人民の寛大な処遇を勝ち取ることができるの
 だ、ということを認識するようになり、次から次へと多
 くの罪行をねつ造を交えて告白するに至った」(金所長)
 というのも不思議ではない。
  撫順戦犯管理所に拘禁中の700余名の尉官級以下の
 日本人戦犯が、次々に自己の罪を認めて、悔悟(かいご、
 悔いること)し始めた。
  彼らは、自分が進んで犯した重大な罪行だけでなく、
 同僚や上司の罪行についても想像し大胆に暴露し、摘発
 した。
  キリスト教の魔女裁判の時もこの事があり、尋問され、
 口を割ることを強いられた子供が、想像して母親を魔女
 だとキリスト教会へ訴える例さえあった。
  2年から3年の学習と認罪教育を経て、80パーセント
 以上の尉官級以下の日本人戦犯は、2980項の罪行を告白
 し、637件の摘発資料を書き出した。 
  こうして、1955年から1956年にかけて、個人差はあれ、
 ほぼ全員が、これではどのような刑罰を受けても止むを
 得ない、むしろ当然である、といった心境になった。
  「グループ認罪」によって導かれた「集団虚偽事件」
 は虚偽であったことが証明された。
  あるひどい者は、吸血鬼のように、中国人を惨殺した
 後、その肝と脳味噌を食べたとさえ嘘の供述をした。
  この様な人間性の一かけらもないような野獣のごとき
 実例は枚挙にいとまがない。
  日本人が肝臓やら心臓を煮てくったのという類の「証
 言」が非常に多いのは、書類上、紛れもない事実・・
  もちろん、日本には、この様な風習はない・・
  逆に、中国にはある・・誘導されたのだ・・このこと
 は『食人宴席』(鄭義、光文社)に記載されている。
  飢餓が襲った毛沢東のした文化大革命中に、広西省全
 域に広がった食人事件が記されている。
  日本人が知らない「人体から肝臓を取り出すさいのそ
 のさばき方」、とても、日本人が、想像で書けるもので
 はない。
  この「証言」は作り話・・その事が「労工狩り」に記
 されている。
  不安でたまらなくなる。
  帝国主義思想だと言われた。
  もう帰れない、いつ絞首刑になるのだろう、いつ銃殺
 されるのだろう。
 「すぐにもやられるような気もしますし、もう夜が眠ら
 れないのです。
  2日、3日と眠られない。
  軍隊のなかでどんなに苦しいときでも、殴られても生
 き抜いたのも、帰りたい一心です。
  ソ連で5年間耐えられたのも、日本へ帰る望みがあっ
 たから。
  よく坦白(中国語で罪行の告白)する者は日本に帰す、
 頑強に抵抗する者は処罰する・・と言っている。
  これはもうなんとか帰させてもらわなくちゃと気を取
 り直して、また書くわけです・・
  報告書を出すとすぐ呼ばれる。
 「お前は帝国主義思想だ」
 呉 浩然指導員の答えはそれだけ・・
  何が帝国主義思想なのか、いかなる説明もなかった。
  小島さんはますます滅入ってしまう・・
  坦白(タンパイ)した「堤防決壊事件」が事実無根で、
 事実は連日の大雨による運河の自然決壊であり、さらに
 加えて小島が731部隊が加わったと虚偽の証言をつけ
 加えた・・
  どのカードを切れば「許される戦犯」になれるか、慮
 (おもんばか)った・・
  この告白の後、例によって呉浩然指導員からすぐ呼び
 出された。
  今度は、「小島 お前は進歩した」といい、彼は嬉し
 そうに握手を求めた。
  小島さんは「しめた、褒められた」。
  「これで俺は日本へ帰れるかもしれない」とほくそ笑
 んだ。
  ひとつ書いて褒められたのだから、もう少し書いてや
 ろう。
  そこで、今度は、拷問や刺殺を四つほど書いて出した。
  期待に反して、呉指導員の評価は変わらず、「帝国主
 義思想にすぎない」と批判される・・
  だが、思い出し切れない。
  それでも100項目を越えた。
  そのなかで、告白に値すると思うものを総て清書し、
 呉浩然指導員に提出した。
  小島中尉だけではなく、抑留者全員がたどった道だっ
 た・・
  「何度も提出しては書き直し、提出しては書き直させ
 られた」と・・
  この延長線上の様に、小島中尉は、NHKのテレビに
 出演し(1989年8月)自らの悪党ぶりを強調した・・
  しかし、小島中尉直属の部下の見方は、これとは大き
 な隔たりがある・・
  機関銃中隊に所属し、小島の在任期間のすべてを直属
 の部下として小島を見てきた内田元軍曹は、「いるのか
 いないのかわからないような中隊長でした。
  率先してなにかやる中隊長ではなかった」と戦友会に
 出席した時に説明していた・・
  内田軍曹は、「どうしてウソをいうのか」と小島に電
 話をかけ、理由を問いただした・・
  その時の小島の答えは、「人にはいろいろあるから」
 といった要領を得ない発言しかもどって来なかった・・
  内田軍曹は「何を言っているのかよくわからなかった」
 とも話した。
  また、内田軍曹と同様、小島中尉の直属部下だった T
 は、「小心な人でした。兵隊に対しては温和に接した人
 です。
  残虐なことはありません。
  何の都合か法螺(ホラ)を吹いているようです」と
 書いた。
  小島の自称する「鬼の典型」とは、およそ縁のうすい
 人柄が浮かび上がる・・小島を知る将兵たちの一致した
 話だった・・
  小島は自らしゃべりはじめ、メディアなどに聞かれる
 たびに、話が量、質ともエスカレートし、饒舌になって
 行った・・
  自然決壊であった運河に「コレラ菌を撒いた」と言い、
 あげくに、「731部隊と協力した」とまで証言を膨ら
 ませて行った・・
  永富博道・元曹長の場合、NHKテレビや朝日新聞で
 大きく報じられた・・『レイプ オブ 南京』という本に
 も、残虐行為の証言者として登場する。
  同一人物の「実体験」にしては、「記憶違い」とは性
 質の異なる、言いかえれば間違うはずもないことに間違
 いが出ている・・
  例えば、前者では、榎本は中国人の娘を慰みものとし
 て2日前から連れ歩いていたはず・・
  しかし、後者では副食がないからといって、中隊長が
 1人で部落から連れてきた娘だというのです。
  また、前者では、伊藤中隊長の姿はどこにも見当たら
 ず、榎本曹長1人で強姦のうえ庖丁で殺害、肉を切りと
 って配給している。
  それに油で料理したのは兵隊たち・・
  後者になると、殺害は中隊長と2人、しかも凶器は短
 剣となる・・
  そして肉をスライスし、油でいためるのも2人・・
  記憶違いという次元のものでないことは誰でもが判断
 できる。
  中隊長が兵隊の副食を作る、こんな事はある訳はない、
 この1点を知っただけでもこの「証言」を、誰もが信じ
 ない。
  榎本(新井)と同じ部隊にいた他の将兵とずいぶん連
 絡をとったが、この様な話を真面目に受け取る人は誰一
 人いなかった・・でっち上げの嘘・・
  そのうちの1人は、「娘を食ったなどとんでもない」・・
  「自分たちが一番よく知っていることだ」と青森県の
 弘前から電話をして来てくれた・・
  なぜこんな話がまかり通るのか・・
  しかも、書店で堂々と売られているばかりか、学校教
 育の場に持ち込まれてさえしている・・
  ノンフィクション賞をとった精神科医まで信じている。
  そのうち、日本を貶(おとし)めるのが得意なNHK
 や、朝日新聞をはじめとする報道機関が抑留者を取材源
 にして日本の貶め報道が増えた・・
  元をたどれば、中国抑留者の「証言」だけによる「59
 師団史」だということを1人のヨタ話がこの様に広がっ
 た・・
  (評)
  今、中国は、新疆ウイグル自治区のウイグル人の方々
 を80万人~200万人も強制収容所に拘束している。
  そして、上に記した様な、強烈な共産主義の洗脳教育
 がなされている。
  一党独裁であるが故に、民主的でないが故に、他の意
 見や思想に対して敏感となり・・強烈となる・・
  それは国家体制を維持するためで・・体制維持の洗脳
 が強烈に行われる。
  民主的に政治が行なっていないという政治体制の裏返
 しである。
  民意を聞いてないからこそ、その民意を一つの方向(
 共産主義独裁国家是認の方向)に向けておきたいために
 必死に民の洗脳が行われる。
  これをしっかりやらないと自らの存在が危うくなる。
  上記の様に、日本もこの卑劣な洗脳の思想操作をされ
 た。
  この補償も日本は中国に求めなければならない。
     ・
     ・
2019年、韓国は不正輸出の常習犯・・
  文在寅政権で急激に増加した大量破壊兵器関連物質の
 横流しが明白になった。
  韓国の不正輸出は、今まで常に行われていた・・
  文在寅大統領の就任前は18件/年間だったのが・・
  この文在寅大統領が就任した後、60件/年間の急増ペー
 スになった。
  そして、韓国は、不正輸出で年がら年中摘発されてい
 て・・
  2015年~2019年3月まで、156件もの不正輸出の摘発が
 なされている。
  まったく反省の兆(きざ)しの無い韓国となっている・・
 確信犯である。
  ◆ジイソプロピルアミンをパキスタンなどに不正輸出
   していた。これは化学兵器の原料となる。
  ◆フッ化ナトリウムをイランへ不正輸出していた。
   これはサリンの原料である。
  ◆生物安全キャビネットをシリアへ不正輸出していた。
   これは、生物兵器製造の資機材である。
  ◆フッ化水素酸をアラブ首長国連邦(UAE)へ不正
   輸出していた。
   これは核兵器製造に使われ、また、サリンの原料で
   ある・・これらは一端に過ぎない・・
.
2019年11月22日、韓国が、GSOMIA破棄を撤回した・・
 止めた・・
  今まで、北朝鮮が、韓国に「GSOMIAを破棄して
 くれ」と言っていた。
  しかし、韓国は、今回の騒ぎを起こして、逆に「GS
 OMIAは止めません・・切れません」という韓国の状
 況を北朝鮮に「ばらしてしまった」。
  今回、韓国は、非常に下手な、不味(まず)い演技を
 してしまった・・「墓穴を掘ってしまった」。
  北朝鮮と韓国は、拙(まず)い関係に陥(おちい)っ
 た。
  今、韓国は、文在寅政権に反対するデモが盛んに行わ
 れている。
  しかし、ここでおかしいのが・・日本のマスコミがま
 ったくこの事を報道しない。
  規模も最大級となっている。
  (資料ー1)
  2019年10月3日、ソウルで文在寅(ムン・ジェイン)大
 統領の退陣要求デモ・・韓国・・AFP(国際ニュース)
  文大統領の支持率は、疑惑の渦中にある曺国(チョ・
 グク、Cho Kuk)新法相の任命を受けて過去最低に落ち込
 んでいる。(c)AFP
  世界の三大通信社の一つであるAFP通信が伝えてい
 る。
  (資料ー2)
  2019年11月2日、韓国・反文在寅デモ、光化門「青瓦台
 包囲作戦」ソウル都心麻痺 !!
  https://www.youtube.com/watch?v=va0IJwYd-H0
  韓国のメディアの偏向報道に、韓国の方々も気づき、
 若い人が中心に騒がれ始めたのがきっかけで、今は連日、
 数10万人のデモが行われている。
  想像できないくらいの規模で行われているのに、日本
 のメディアはまったく報じないのも疑問???
  (資料ー3)
  2019年9月30日、韓国“デモ事情”激変!「反日」から
 「反文」へ 
  韓国でデモの様相が激変している。「タマネギ男」こ
 と、チョ国(チョ・グク)法相周辺のスキャンダルや、
 韓国経済の危機的現状、北朝鮮主導の「赤化統一」への
 警戒感から、「反日」デモがなりを潜め、文在寅(ムン・
 ジェイン)政権への批判が高まっている。
  「1年前に取材で訪韓したときに比べて、街の雰囲気
 が様変わりした。
  韓国は『自由主義陣営に残るか』『北朝鮮、中国圏に
 傾くか』という、大きな意味で分水嶺(ぶんすいれい)
 に来ている」
  「反文」デモが過激化し始めたのは、文大統領が今月・
 9月9日、娘の不正入学疑惑や、息子の兵役逃れ疑惑、
 私募ファンド投資疑惑などが連続炸裂(さくれつ)して
 いたチョ氏を法相に強行任命して以降・・
  「反文」「反チョ」デモについて、「中国の科挙制度
 の流れをくむ超学歴中心社会や、兵役制度に苦しんでい
 る学生や若者たちの神経を逆なでし、激怒させた。
  中には、日本大使館前のデモでは「文在寅政権は日本
 政府に謝れ!」と書かれた横断幕を掲げたデモの一団も
 いた。
  参加者が持つ紙には「韓国のホワイトリスト排除、文
 在寅は責任をとれ!!」「韓米日三角同盟解体するな」
 「亡国的反日扇動はもうやめろ」と言葉も踊っていた。
  「文在寅OUT」という赤い張り紙とともに、文氏の
 飛び出た顔写真を車のフロントガラスに貼り付け、手の
 ひらの写真をつけたワイパーが動くたびに往復ビンタを
 する仕掛けもあった。
.
2019年11月25日、中国が「ウイグル人の弾圧をしていた」
 と、この日、その証拠の公文書が流出した。
  中国政府が、ウイグル人を収容所で「洗脳」していた。
  2019年11月25日、この公文書が流出した。
  国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)が入手
 した公文書には、中国・新疆ウイグル自治区の強制収容
 所で行われている残忍な「思想教育」の実態が記されて
 いた。
  拷問と殺戮も行われていると言われている。
  だが、その様な「中国の人権問題」に沈黙する日本の
 政治家たち・・
  今、日本人が、意味不明で「10人も中国につかまって
 いる」。
  この様な状況の中で、日本は、習近平国家主席を国賓
 として日本へ呼ぼうとしている・・
  おかしいのではないか??
  また、このような時、中国政府が主導する組織的なス
 パイ活動が明らかになった。
  香港・台湾・オーストラリアでスパイ活動をしていた
 中国人スパイが、オーストラリアに亡命申請をした。
  そして、言った・・
  「中国政府による、組織的なスパイ活動と政治体制の
 乗っ取り」を警告した。
  国際社会は、中国へ強制収容所を見せろと迫らなけれ
 ばならない。
  また、ルーズベルト大統領の時、共産圏の工作員がう
 ようよ大統領の周辺に居て、国家体制が乗っ取られてい
 たが、この様な事に最大の警戒をしなければならない。
  しかし、今・現代、日本の政治家の多くが親中である
 と言われている。
  そして、また、「ウイグル人を弾圧している中国の証
 拠」を米紙ニューヨーク・タイムズも指摘した。
  以下はその記事・・
  (資料ー1)
  ウイグル族弾圧・・内部文書・・米報道・・習氏演説
 や指示書など・・
  米紙ニューヨーク・タイムズは16日(2019年11月16日)
 中国政府が中国新疆ウイグル自治区で行なっている少数
 民族ウイグル族らへの弾圧を裏付ける内部文書を入手し
 たとし、内容を報じた。
  中国外務省は18日の定例記者会見で、「中国が新疆で
 行っている反テロの努力を貶めるものだ」として報道を
 強く非難した。
  ニューヨーク・タイムズが入手した文書は、習氏や共
 産党幹部の非公開の演説資料のほか、自治区当局者への
 指示書など24種類、計403頁に上るという。
  中国の政府関係者から提供されたとし、「中国共産党
 内部にも、弾圧を疑問視する声がある」と指摘した。
  文書には、習近平国家主席が2014年に行なった内部会
 議での演説内容も含まれており、ウイグル族の取締りを
 「テロや分裂主義との戦い」と表現し、「一切容赦はす
 るな」と指示していたとしている。
  また、文書の中には、米国などがウイグル族らの強制
 収容所だと指摘している施設に関し、収容者の家族から
 の問い合わせに対応する想定問答もあった。
  例えば、「家族はどこに居るか」といった質問に対し、
 「政府が設立した訓練学校で学習している。
  生活環境はとても良い」などと答えるよう書かれてい
 た。
  中国政府は施設について、イスラム過激主義の影響を
 受けた人を教化するための「職業技能教育訓練センター」
 だと主張している。
  習政権は、信仰より党の指導を優先させようとする「
 宗教の中国化」を打ち出し、治安維持を名目にウイグル
 族らへの抑圧を強めているとされる。
  (資料ー2)
  ウイグルに思想教育1年超・・ICIJ、中国の文書入
 手・・
  国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)は24日(
 2019年11月24日)、中国当局がウイグル族ら少数民族を
 収容している新疆ウイグル自治区の施設に関する内部文
 書を入手し、内容を公開した。
  このうち新疆ウイグル自治区の共産党委員会が2017年
 11月に作成したとされる文書は、「職業技能教育訓練セ
 ンター」の管理や運用について定める内容だった。
  脱走防止策として、見張り台や鍵付きのドアを整備し、
 「死角がないよう」監視カメラを設置するよう求めてい
 た。
  職業訓練の前に、中国語教育や思想教育などを「少な
 くとも1年以上」行なうことを指示する一方、「週1回は
 家族と電話で話すことを保証する」ことも盛り込まれて
 いた。
  センターについて中国政府は、イスラム過激主義の影
 響を受けた人を教化するための施設と主張している。
  また、別の文書には、自治区のある地域で2017年6月の
 1週間に約1万6000人が施設に送られたとの記述があった。
  米国務省は、自治区内の拘束者が80万人~200万人に上
 る可能性を指摘しているが、中国政府は収容人数を明ら
 かにしていない。
.
2019年11月27日、「香港人権・民主主義法」がアメリカで
 成立した。
  この法律は、中国が「一国二制度」を守っているかな
 どを、米国務省が毎年の検証することを義務付けた法律
 だった。
  この日、米国トランプ大統領が署名し、法案が成立し
 た。
  米中対立の新たな火種となる。
  中国は「内政干渉だ」と言ったが、中国が言う内政干
 渉に当らない・・
  それは、中国は、香港が返還された時、アメリカに約
 束をした・・
  「香港は、一国二制度があるから」と中国は、アメリ
 カと約束をして、アメリカ企業の香港への誘致をアメリ
 カに誘いをかける行動をしていた・・だから、アメリカ
 はそれをチェックする義務がある。
  台湾の蔡英文総統は、ツイッターで呼びかけて「自由
 と民主主義を信じる皆さん、ともに立ち上がり、混乱す
 る香港の情勢に関心を寄せましょう」と言った。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  元徴用工のこと・・
  日本で儲けたいと給料の良い日本に来て韓国・朝鮮の
 人が、日本で働いて帰った。
  日本の給料が良いから、韓国・朝鮮から密航的に来て、
 捕まった人が、また密航して来るほど日本の給料は良か
 った。
  元徴用工の話は、この様な状況の中に始まる・・
  今ごろになって、韓国が、日本に御礼を言うどころか
 文句を付けている。
  韓国の裁判所は、日本のどこが悪くて判決を出したの
 か? 
  事実認定を間違っている。
  賠償をする様な事を日本がしたと言う。
  これは、慰安婦問題と同じような韓国のでっち上げだ。
  そもそも問題となる様な事は無いのだ。
  また、例え、韓国の裁判所の判決の様な事はないが、
 あるとしたって、日本と韓国の間には、「この類いの問
 題が生じた場合は、韓国政府が責任をもって解決すると
 なっている」。
  「日本には問題が及ばない」と、国と国の約束で、条
 約として取り決められている。
  だから、今、無理を承知で韓国は、色々とその無理を
 押し通して、日本に言っているが、詳しい事を知らない
 世界の人たちを騙(だま)している。
  そして、韓国は、世界の人たちを繰っている。
  世界の人たちへ、「日本がおかしいのではないか」と
 世界に思わせ様としている。
  まったく日本に問題のない話を、何か問題のありそう
 な話にしようとしている。
  日本は、また、変な妥協をすると、その妥協が、例え
 小さな妥協であっても、「やっぱり日本がおかしかった
 のか」となる。
  日本は、この様な筋の通らない話しは「突っぱねよ!!」。
  「正論だけ言っていなさい」。
  慰安婦の時の二の舞はするな!
  また、世界へ理解して貰(もら)う努力をせよ!!
  韓国へ正論を言っても通じない。
  日本に譲歩を求める韓国大統領はおかしい?
  何も悪くない日本に、その説明もしない韓国に、譲歩
 を求める韓国はおかしい?
  韓国は、「得意な引っ掛け」を、日本に対して行って
 いる事になる。
  この様な卑劣なところが、韓国には、昔からある。
  また、「平行線」と表現すること自体もおかしいこと
 なのだ。
  何も問題ない日本に、その問題も説明できない韓国に、
 平行線となる線は無いのだ・・その様な状態の韓国なの
 だ。
  平行線もなにも問題自体が日本に無いのだ。
  また、韓国大統領が「未来志向の話し合いをしたい」
 と言ったって、「日本の問題点の説明もしない韓国に、
 未来を語る資格はない」。
  日本に問題があるというのなら、誠実に日本の問題点
 を説明しなさい。
  「そもそも問題が無いものに、問題があるとした韓国
 の問題を解消しないで、話し合いをしようという論理は
 成立しない」。
  未来志向であろうがなかろうが「その未来の発展の芽
 を摘み取っている韓国の論理を撤回して、その様なデッ
 チアゲを謝罪がなければ、話し合いも何もできる訳はな
 い」。
  この様な韓国の態度を例えるならば・・
  「日本の顔を殴っておいて、日本に謝罪もしないで、
 握手したいと言っている様なもの」。
  「謝罪しないで、未来志向の話し合いをしよう」と言
 っている様なもの。
  韓国は、日本と未来志向の話し合いがしたいならば、
 まず、元徴用工での非礼の謝罪をしなさい。
  韓国に非があるのに、謝罪も、また、反省も示さずに、
 「両国間の懸案が早期に解決するよう、互いに努力しよ
 う」なんて言えるものだ。
  この様な、韓国の世界を誤魔化す態度が、そもそもの
 問題なのだ。
  韓国よ!、誠実になりなさい。
  そして、日本は、あくまで筋を通しなさい。
  変な妥協をしては、世界を誤らせる。
  また、変な誤解を日本は受けてしまう。
  いつもの様にしつこい韓国だが、正論だけをこの件に
 ついては言っていなさい。
  韓国のこの様なおかしさはアメリカには分かって貰っ
 たので、これからは世界に理解してもらう様にしよう。
  この様な不誠実な韓国大統領の「退陣せよの声」が、
 韓国国内に満ちている。
  この様な韓国大統領には、正論だけで応じて下さい。
  


2019年12月03日

(増補版)668E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年3月~1897年4月)

題:(増補版)668E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年3月~1897年4月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年3月29日、私設鉄道条例中改正法が公布された(法律
 第23・24号) (3月26日説あり)
  1987年5月18日に私設鐵道條例が公布されていた。
  第一條 旅客及貨物運輸營業ノ目的ヲ以テ鐵道ヲ布設
     セントスル者ハ發起人五人以上結合シ鐵道會社
     創立願書ニ起業目論見書ヲ添ヘ本社ヲ設置セン
     トスル地ノ地方廳ヲ經由シテ政府ニ差出スヘシ
     馬車鐵道ハ本條例定ムル所ノ限ニアラス
  上記の法律が改正された。
  第六條 會社ハ其登記ノ日ヨリ六箇月以内ニ鐵道布設
     工事ニ著手シ免許状ニ記載シタル豫定期限内ニ
     竣功スヘシ若シ其期限内ニ竣功シ難キ事由アル
     トキハ少クトモ二箇月以前本社所在ノ地方廳ヲ
     經由シテ政府ニ具申シ延期ヲ請フヘシ但其延期
     ハ豫定期限ノ半ヲ超ユルコトヲ得ス・・など
.
1897年3月31日、北海道鉄道敷設法予定鉄道線路中小樽より
 函館に至る鉄道は、私設鉄道会社に敷設を許可すること
 を得る旨の法律が公布された(法律第35号)
.
1897年3月31日、赤帽(あかぼう)の設置
  山陽鉄道の主要駅に、乗降客の便をはかるため、明治
 29年度において、荷運夫(にはこびふ)を配置し、駅構
 内の旅客手回荷物の運搬を開始した。(1896年12月説あ
 り)また(1897年11月説あり)
  明治31年8月現在姫路・岡山・尾道・広島・宮島・徳山・
 三田尻の7駅に数人ずつ置かれ、運搬料金は2銭(重さ、
 個数に関わらず1回2銭)
  1897年に新橋駅に置かれたのが皮切りで主要駅に広が
 る。
  第一次大戦期には、チップを上乗せするのが一般的に
 なった。
  荷物は車内携行制限があったがそれ以上でも赤帽が運
 び込めば黙認された。
  1928年には、京都駅と大阪駅で女性による「白帽」の
 営業が始まったが普及しなかった。
.
1897年3月、貴族院が、「統計事務拡充ニ関スル建議」を行
 った。
.
1897年3月、日本銀行が、東京卸売物価指数(明治20年1月
 基準)の公表を開始した。
  1887年(明治20年)1月に卸売物価指数が始まり、
  1895年に貨幣制度調査会が、我が国最初の物価指数を
   作成した・・また、同年・・
  1895年、農商務省が重要商品指数を公表した。
   続いて、他の機関でも物価指数の作成が行なわれた。
   こうした中で・・
  1897年で、日本銀行が、東京卸売物価指数の公表を開
   始した(明治20年を基準にした指数)
   採用品目は30品目で、明治31年以降は40品目。
.
1897年4月1日、伝染病予防法が公布された(法律第36号)
  伝染病予防法は、伝染病の予防、及び、伝染病患者に
 対する適正な医療の普及を図ることによつて、伝染病が
 個人的にも社会的にも害を及ぼすことを防止し、もつて
 公共の福祉を増進することを目的として制定された法律。
  コレラ、赤痢(疫痢を含む)、腸チフス、パラチフス、
 痘瘡、発疹チフス、猩紅熱、ジフテリア、流行性脳脊髄
 膜炎、および、ペストの10種の急性伝染病の予防に関し
 て規定されている(いわゆる十種伝染病)
  各都道府県市町村に、清潔方法、消毒方法、予防処置
 の施行、伝染病院、予防委員、検疫委員、防疫監吏など
 の設置を義務づけるほか、家宅などへの立入り、交通遮
 断、隔離、強制収容、物件の使用禁止、死体および家屋
 などの処分、届け出義務、費用の支弁、国庫の負担など
 について規定した。
  しかし、伝染病の拡大阻止を優先するあまり、患者の
 人権に対する配慮に欠けた部分があった。
  1897年の施行以来、国内に非常在性の伝染病の国内侵
 入後、および、常在性の主要な伝染病の伝播予防を目的
 とする種々の法律の中核となる。
  しかし、予防対策や治療法、および、衛生思想の普及
 が不十分な時代に制定された法律で、感染者の隔離や感
 染地域の交通遮断、集会の禁止、強制消毒など、時代に
 あわない内容となった。
  そのため、1999年に廃止された。
  かわって、感染症予防・医療法(感染症法、平成10年
 法律114号)が施行された。
.
1897年4月1日、台湾銀行法が公布された。
  台湾の資源を開発することを目的に制定された。
  そして、1899年には半官半民の台湾銀行が設立された。
  普通の銀行業務を行う一方、台湾の中央銀行として台
 湾銀行券を発行した。
.
1897年4月1日、住友家が、日本製銅(株)を買収し、住友
 伸銅場を開業した・・場所は大阪市福島区。
  1913年6月11日、住友伸銅所と改称した。
  業務は、銅・真鍮類を板や棒・線に加工する。
  1909年7月20日、製管工場
  1912年5月1日、鋼管工場を新設し、日本で初めて銅や
   真鍮の引き抜き管、継目無し鋼管の製造を行なう。
  現在の住友金属工業鋼管製造所
  因みに・・
  1681年、住友家の別子銅山の前に、岡山県高梁市の吉
   岡銅山の経営に着手していた。
   この地では今でも住友電工焼結合金(株)が世界最
   大級の焼結部品工場を展開している。
  1691年、吉岡銅山の支配人が、対岸の愛媛県新居浜市
   に鉱脈があるとの情報を入手した。
    それが、世界有数の鉱山・別子銅山の発見だった。
   そして、開坑につながった。
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1897年4月6日、高野房太郎が、職工義友会で労働組合結成
 を促(うなが)す演説を行う。
  職工義友会(しょっこうぎゆうかい)は、この年、城
 常太郎、高野房太郎、沢田半之助らがつくった労働組合
 結成の研究・準備機関で、研究、宣伝機関だった。
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1897年4月10日、臨時北海道鉄道敷設部官制の一部改正官設
 鉄道の予算決算、出納、物品の購買、保管、出納に関す
 る事項を追加した(勅令第81号)
  1886年に開拓使が廃止されて、北海道庁が置かれ・・
  北海道庁は、開拓のために鉄道がどうしても必要と判
 断し、北海道庁が自ら鉄道建設・運営を行うという方針
 が打ち出された。
  国においても、北海道における鉄道網の建設が必要と
 判断して建設計画は策定していた。
  1896年、北海道鉄道敷設法が公布され、そして、施行
 されて、北海道庁がその建設に当たることになった。
  故に、北海道官設鉄道は、北海道庁鉄道部が建設し、
 運営した鉄道。
  北海道庁鉄道部が設置されるのは、1897年11月5日。
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1897年4月11日、山陽鉄道官鉄線を介して関西鉄道と連絡運
 輸を開始した。
  1888年1月に山陽鉄道は設立され・・
  1888年11月1日、兵庫駅~明石駅間が開通した。
  1888年12月23日には延伸されて明石駅~姫路駅が開通。
  1889年9月1日、神戸駅~兵庫駅間が開通。
  山陽鉄道は積極的な経営方針を採った。
  すでに、1894年には長距離急行列車を運行していた。
  1898年には車内灯を電化し、ボーイを添乗させた。
  1899年、食堂車の連結
  1900年、一等寝台車の投入・・など
.
1897年4月15日、バデーニ言語令
  オーストリア=ハンガリー帝国のボヘミア地方におい
 て、ドイツ語と並んでチェコ語も公用語と定めた政令(
 バデーニ言語令)がバデーニ首相によって発布された。
  この地域は、二重帝国と言われ、極めて多くの民族が
 関係する国家だった。
  オーストリアだけでも、ドイツ人、チェコ人、ポーラ
 ンド人、ウクライナ人、イタリア人、スロベニア人が居
 住し、混在し、複雑な民族が織りなすモザイク的状況だ
 った。
  この様な状況の中で政治・社会問題化していた課題が
 多かった。
  特に、言語や教育などの文化的領域が大きな問題だっ
 た。
  1867年、ハンガリー人に広範な自治権を認めざるを得
 ない状態になると、オーストリア内のスラブ系民族の不
 満が高まった・・
  そして、この年、ポーランド人もハンガリー人の様な
 独立的な地位が要求された。
  1868年、政府は、ポーランド人が多く居住する地域に 
 公用語をポーランド語に限定する言語令を発して、妥協
 した。
  1868年以降、3次に渡ってスラブ系の諸民族に自国語の
 使用を公に承認した「言語令」を発した。
  特に、第3次のバデーニ言語令は、チェコ人のチェコ
 語の公的な使用を認め、大きく拡げたものであったため、
 ドイツ系住民が大反発をし、国は大混乱した。
  こんな混乱が延々と続いて・・バデーニ言語令に至っ
 た。
  日本も、今、移民法的な法律ができて、中国人が一番
 多く日本に流入し(70万人)、そして、工作員まがいの
 中国人がますます増えているが・・
  その内、日本の公用語に、中国語も公用語に入れろの
 要求が出るという騒ぎになるだろう。
.
  (今日の言葉)
.
  題:日本も、今、移民法的な法律ができて、中国人が一番多く流入し(70万人)、そして、工作員まがいの中国人がますます増えているが・・
   その内、日本の公用語に、中国語も公用語に入れろの要求が出るという騒ぎになるだろう。
.
紀元前1万4000年、縄文時代が日本に形成される(~紀元
 前1000年)
  この人たちが日本の先住民・・アイヌの人たちではな
 い・・政府に圧力をかけて、法律に「アイヌは先住民」
 と書かせたが間違い・・
  アフリカを出発したホモ・サピエンス・・
  そのホモ・サピエンスが、紀元前3万年に日本に来た
 (当然、アイヌではない)
  そして、無土器時代を経験し、約1万6000年前から約
 3000年前まで、北海道から沖縄本島にかけて縄文人が住
 み、縄文文化を形成していた・・この系列が日本人の祖
 先であり、先住民である。
  だから、北海道にも、当然、「縄文人の遺跡」はある
 (アイヌの遺跡ではない)
  日本人の祖先である縄文人が、当然、北海道に住んで
 居た。
  北海道のこの縄文人の遺跡群をユネスコの世界遺産(
 文化遺産)に掲載される活動を進めている。
  紀元前の遠い昔から日本人の祖先が、北海道で生活し
 て来た遺跡群は、キウス周堤墓群(千歳市)、北黄金貝
 塚(伊達市)、入江・高砂貝塚(洞爺湖町)、大船遺跡
 (函館市)、垣ノ島遺跡(函館市)などである。
  アフリカからのホモ・サピエンスの人類の大移動は、
 日本列島でも行われ、北海道にも住み、縄文遺跡として
 残していた。
  しかし、この日本の先住民を差しおいて「アイヌが先
 住民だと法律に書かれた」。
  政府が陳情の圧力に屈したというが、紀元前3万年に
 来た日本人の祖先が先住民ではなく、紀元後の13世紀
 に日本に来たアイヌが先住民だと法律に書く大間違いを
 している。
  この『間違った法律』を改正して行かなければならな
 い!!
     ・
     ・
     ・
紀元前2400年~紀元前1000年、日本人が、この頃、漁労民
 となり、園耕民となった(約4400年前~3000年前)
  縄文時代の後期になって、第二の渡来民がやって来た。
  日本には、この後にも、第三期の渡来民が来る。
  この第二の渡来の民の集団は、黄海沿岸に住む「海の
 民」と推定された。
  漁労を主とする狩猟採集民か、もしくは、狩猟採集と
 農耕をともに生業とする園耕民であった考えられた。
  この人々は、日本列島中心部において、縄文人と混血
 した。
  以上の様に・・この頃は、アイヌの「ア」の字もない
 「アイヌの痕跡もない時代」。
  アイヌが先住民である訳がない。
  アイヌの人々が、圧力を日本政府にかけて「先住民」
 と日本の法律に書き込ませたが、まったくの嘘で間違い。
  この様な酷(ひど)い行為は反省し、取り消して戴き
 たい。
     ・
     ・
     ・
825年、この頃、日本に、小野小町という女性歌人が生まれ
 た。
  世は、平安時代という戦争がまったく無い「平和な時
 代」だった。
  日本は、仏教の男女平等思想が古くから根付き、この
 時代の女性方も教養が高く、文化的な活動を活発にして
 いた。
  小野小町は、六歌仙という有名な女性歌人だった。
  美人で美しい女性であることでも有名だった・・絶世
 の美女と言われ七小町など数々の逸話がある。
  系図的には小野一族である小野篁の息子である出羽郡
 司・小野良真の娘だという。
  生没年は種々の資料から825年~900年頃と想定されて
 いる。
  日本は、この様に、古い時代より女性への差別のない
 国だったため、この様な伝説が、西洋と違って豊富に残
 っている。
  日本独自に発展して来た「能(のう)」・・
  その能の演者の方が書かれたものを読むと、「もっと
 何かが物語るのではと・・」とか、「声を出すのではな
 く・・して・・した結果、洩れて・・したものと心掛け
 ている」とか、「・・は・・というけれど、・・の・・
 は何か?」とか、「・・は・・だ、・・して何が悪いの
 だ?」とか、「・・も・・、また、・・も・・、・・も・・
 だ、なら・・は・・では?」とか・・と、現状について
 の探求、求めに求め、続けている。
  例えば、奥深い能の作品の一つである「卒塔婆小町」。
  美貌の小野小町が、「私のところに百夜通ったら付き
 合ってあげるわ」と揶揄半分で深草の少将へ言う。
  その言葉に、雨の日も風の日も雪深い日も、通い続け
 る深草の少将。
  そして、九十九日・・あと一日というところで力尽き
 て死んでしまった深草の少将。
  この無念は計り知れない。
  そして、時を経て・・美貌を誇った小町も老境に入る。
  ここが、能「卒塔婆小町」の話となる。
  どの様な能なのかは是非、御覧戴きたい。
  日本の宝の作品を味わって戴きたい。
  能は、教えてもらってできるというものではなく、自
 分で勉強し、自分で創るものだ、また、単に習うもので
 はない・・と、能の演技を探求する演者は語る・・
  習ってできるというものでもない、これまで培(つちか)
 って来たことを信じ、自分で感じるままに気負いなくや
 りたいと・・語る・・
     ・
     ・
     ・
18世紀、数々の科学的知識を得て、キリスト教の妄想から
 解き放たれた人類・・
  この人類は、「キリスト教聖書は、『人間が書き記し
 た書物』」などの真実を知り、キリスト教の批判的研究
 も進展させた。
  キリスト教は、それまで、キリスト教聖書は「その一
 字一句のすべてが、キリスト教の神がもたらした言葉」
 とし、無謬(むびゅう、絶対間違いない)としていた。
  その「無謬(むびゅう、間違いは一切ない)だ」とされ
 ていた看板が剥がれ落ちた・・
  大前提が崩れ去った世紀だった。
  この考えは、急速にヨーロッパへ広がった。
  根拠の崩れ去ったキリスト教年代学は「年代学論争が
 終焉を迎え」・・
  キリスト教普遍史は土台も支柱も崩壊した。
.
19世紀、西欧列強諸国は、その置かれた優利な立場を利用
 して、世界を、植民地または半植民地にして行った・・
  その非人道的行為の被害を受けたのがアジア・アフリ
 カの諸国だった。
  しかし、ヨーロッパ列強諸国は、この様な歴史を強引
 に理論的に支えて合理化した。
  この考え方が世界に広く伝えられた。
  何ごともヨーロッパは進んだと見た日本も西洋礼讚の
 中に居た。
  ヨーロッパは、「アジアは古代」・「暗黒大陸」・・
 アフリカは「未開」・「野蛮」(原始時代)に停滞してい
 るとした。
.
1854年3月31日、日米和親条約
  日本側全権:林復斎(大学頭)、アメリカ側全権:東
 インド艦隊司令長官のマシュー・ペリー。
  下田と箱館(函館)を開港し、食料、石炭などの供給
 も約束した。
  第二ヶ条
  一 伊豆下田、松前地箱館の両港は、日本政府に於て、
 亜墨利加船薪水、食料、石炭、欠乏の品を日本人に而調
 候丈は給候為め、渡来の儀差免し候。
  尤下田港は約条書面調印之上即時相開き、箱館は来年
 三月より相始候事。
  燃料の供給は、茅沼(かやぬま)炭山を開発し・・
  1867年、海岸までの3kmの運炭鉄道の工事も始めた。
  この茅沼炭鉱軌道は、日本で最初の鉄道と言われる。
  場所は積丹半島の北海道後志支庁管内古宇郡泊村で、
 茅沼炭鉱での軽便鉄道。
  また、この茅沼炭鉱は、1856年、茅沼にて偶然石炭が
 発見され・・開港まもない箱館にとって、欧米の蒸気船
 用の石炭の確保もあり・・直ちに、箱館奉行所は茅沼に
 て石炭の調査を開始した。
  1864年、箱館奉行所はアメリカ人技師を招き、茅沼炭
 鉱の採掘を開始した。
  そのような中、鶴嘴(つるはし)とモッコといった人
 力による採掘運搬を見て、イギリス人技師エラスムス・
 ガウワーが、効率化のために鉄道(トロッコ)の建設を
 提案した。
  1866年、測量が開始され、建設が始まった。
     ・
     ・
     ・
1939年、日本の渋谷に地下鉄が開通した。
  しかし、その翌年の1940年には、日本は、朝鮮の京城
 に、地下鉄を作ってあげた。
  日本は、誠実に韓国・朝鮮の国づくりをしていた。
  韓国・朝鮮の近代化を熱心に行った。
  この様な事に関して、韓国から感謝の言葉はまったく
 無い・・
  逆に、無いことを有る様にしてまでして日本に貶(お
 とし)め発言を言う・・お金が欲しいなら欲しいと素直
 に誠実に言いなさい。
.
1945年8月23日、第二次世界大戦の終わった後のこの日から
 ソ連は日本に対して卑劣な行為を続けた・・日本人を殺
 戮し、虐殺し、そして、拉致した。
  日本が、ポツダム宣言受諾を通告し、第二次世界大戦
 は終わっていた。
  日本からの通達で、日本軍も武器を置いていた。
  ソ連のスターリンは、1945年8月16日、「日本軍の捕虜
 は用いるな」と命令を出していた。
  当然、戦いの終結で武器を置いたのだから捕虜ではな
 い、日本国民である・・一般人である・・しかし・・
  1945年8月23日、日本のシベリア抑留の原因となる命令
 をスターリンは前言を翻(ひるがえ)し、「日本人をシベ
 リアへ連れ去った」・・拉致行為である。
  ソ連は、60万人の元兵士と一般人の日本人を拉致した。
  この行為の謝罪がロシア大統領のエリツィンからあっ
 た・・しかし、この行為の補償についての話は、まだ決
 着してない。
  韓国は、日本に何の落ち度の無い 徴用工について1人
 当たり1000万円の要求をして来た。
  日本も、ソ連(現:ロシア)へ60万人×1000万円の要求を
 するべきだ・・することができる、韓国の様に・・6兆円
 になる訳だ・・
  ロシアは日本へ6兆円を支払うべきだ。
  日本も韓国の様にしつこく要求をして行こう。
.
1966年、アメリカがソ連に総額300億ドルを融資した。
  このアメリカの行為はまったくおかしかった。
  この時はベトナム戦争の真っ最中だった。
  アメリカのジョンソン大統領は、戦争の相手の北ベト
 ナムの後ろ楯となっていることを承知しているソ連へ、
 多額の金を渡した。
  経済協力という名目だった。
  また、ジョンソン大統領は、東欧諸国に対しても金を
 出した。
  ソ連は、この金でアメリカから非戦略物資を買った。
  しかし、実際は石油、航空機部品、レーダー、コンピ
 ューター、トラック車両など明らかな戦略物資だった。
  ソ連はそれを北ベトナムへ渡した・・北ベトナムへ送
 った。
.
1996年3月、中国福建省の永安にある中国ミサイル部隊は、
 台湾で初の総統を、直接、選ぶ選挙が行なわれる直前の
 この時、台湾の南西沖の海上に短距離弾道ミサイル「東
 風(DF)15」を2発を撃ち込んだ。
  当選しそうな台湾独立派の李登輝氏を牽制するつもり
 だった。
  中国は脅(おど)しのつもりだった。
  しかし、台湾の方々は、この中国のやり方に反発した。
  また、アメリカもすぐに原子力空母を派遣した。
  そして、結局、この中国の脅しは、台湾独立派の李登
 輝総統を生んだ、圧勝だった。
  今、中国は、台湾が独立をするのなら武力行使をする
 と脅している。
  民意を尊重する気はない。
  選挙のない中国、自国民の民意さえ聞かない中国。
  一部の者だけの判断で政治がなされている。
  それに中国という国は「三戦」と言って「世論戦」「
 心理戦」「法律戦」を古来から行なうとされて来た。
  宣伝を駆使して世論を揺さぶることをお家芸とした。
  自国のみならず世界を揺さぶっている。
  中国の国営の中央テレビに軍事専門チャンネルさえあ
 る。
  台湾の軍事情報関係筋の分析では、大きく力を付けた
 中国航空戦力は、台湾を大幅に上回り、「在日米軍や日
 本の航空自衛隊」と対抗することを想定している。
  日本の領空侵犯も大幅に増加した。
  中国で、最近、開発された国産ステルス戦闘機が日本
 の周辺を飛行する日も近いとされている。
  知らぬ間に中国機が、日本の奥深くの空域に居たとい
 うことも起きかねない。
  また、中国はステルス無人機や超音速滑空兵器という
 最新兵器も持ってちいる。
  中国軍幹部は、「アメリカ軍などの相手がかなり損害
 を受けると認識するように、最新兵器の情報も開示する」
 と公言している。
  習金平国家主席は「強軍」を掲げて目指している。
.
2018年10月30日、韓国の最高裁にあたる大法院は、新日本
 製鉄(現:日本製鉄)に対し、韓国人4人へ1人あたり1億
 ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じるという不当な
 根拠の全く無い判決をした。
  韓国国内の司法の判決である。
  しかし、これは、韓国政府は、1965年の日韓請求権協
 定で「解決済み」としていたことだった。
  しかし、韓国の大法院は個人の請求権は消滅していな
 いとした。
  日本政府と韓国政府が合意して決定した事項に対して
 韓国司法がその政府間の合意事項を無視した。
  豊かな日本で働きたいと応募して来た韓国・朝鮮人の
 原告らが、募集要項に応じた事実はどうなっているのか?
  韓国の大法院は、この様な事実をどの様に解釈して判
 決を出したのか?
  奴隷のように扱われたとした原告の訴える権利は発生
 しているのか?
  その補償を求めた。
  特に、差別されたわけでもなく、豊かな日本で働きた
 いと応募して来た・・
  そして、当時は、誰もが一生懸命働いていた時代だっ
 た・・現在の労働環境とは違う。
  それが、当時、誰でもが当たり前だった。
  その様なことが立証されないで、「判決ありき」の判
 決だった。
  例え、原告が言う事が正しいとしても(その様なこと
 はないが・・)その様な時には、韓国政府の責任におい
 て対応するとして日韓間で条約として取り決められてい
 る。
  この様な条文も無視されて日本企業が賠償するとした
 無謀な判決をした。
  それにしても・・韓国が、今まで、あることないこと
 を色々と日本に言って来たが・・そして、日本を蔑(さ
 げす)む行為を韓国はして来たが、日本はこの韓国の行
 為に対して真剣に抗議をして来なかった。
  穏便に収めようとする日本の行為も良くなかった。
  この様なことから「卑劣な徴用工の判決を生んだ」。
  日本はしっかり抗議すべきことは抗議し、そして、世
 界へ説明するべきであった。
  それにしても、韓国政府も、しっかり大法院へ説明し、
 本問題は「韓国の国内問題だ」という認識も持っていな
 いおかしなところが問題である。
  韓国政府は、都合よく問題を捏造(ねつぞう)してい
 る。
  (参考)捏造:ねつぞう、本当は無いことをあるかの
     ように偽(いつわ)って作り上げること。
.
2018年以降、中国企業のアメリカでの新規上場が、ほとん
 ど行われないという状態になっている。
  「アメリカから追い出される中国」という状態になっ
 ている。
  世界の経済の流れは、「人・物・金の移動の自由化」
 である・・が・・
  それを、「維持するルールを破る社会」が現れた。
  1992年、中国の鄧小平は、改革開放路線をとって、中
   国の現状のルールを棚上げし・・
   「世界の市場原理に基づく社会主義経済を確立する」
   という命題にした。
    豊かになるためには、中国の現状のルールは棚上
   げにすると決めたという世界へ約束した宣言であっ
   た・・そして、さらに・・
  2001年に、中国は、WTOに加盟する時、「資本の自
   由化を約束」し、また、「外資規制の撤廃を約束」
   した・・そして、国有企業なども無くすと約束した・
  そして、次の5つの約束もした。
  (1)、知的財産の保護
  (2)、公平かつ公正な裁判システム
  (3)、透明性
  (4)、補助金の廃止
  (5)、価格統制の廃止
  2016年に、さらに、中国・人民元の世界の通貨として
   参入するための約束として、SDR(特別引出権)
   入りを約束し、「為替・資本の自由化も条件として
   約束した」。
   しかし、今・現在、この約束は守られていない。
  (参考)RDR:特別引出権、国際通貨基金(IMF)
     が加盟国の準備資産を補完する手段として、
     1969年に創設した国際準備資産、及びその単位。
     ISO 4217における通貨コードはXDR。
  (参考)SDR配分を受けた国は、いつでもIMFの
     仲介を受けて、自身の保有SDRと引き換えに
     他の加盟国の保有する自由利用可能通貨(IM
     Fが定める。現在はドル・ユーロ・円・ポンド・
     人民元)を引き出すことができる。
  逆に、習近平は、社会主義の「偉大なる中華民族の復
 興」を掲げた。
  これは、世界ルールに沿うというより「新時代の中国
 の特色ある社会主義へ進む」とするもの・・
  そして、「世界との協調」というより、「世界の覇権
 を狙う」と宣言した。
  その世界の約束を守らせようとするアメリカと、対立
 関係に入った中国という経済・貿易面の対立関係が発生
 した。
  約束を守らない中国に対して、「人・物・金」の処置
 の行動をアメリカはとりだした。
 ☆物において、物への制裁
  ①輸出関税:中国からの輸入品3805品目、総額3000億
   ドル分に最大25パーセントの関税を上乗せした。
   これからも拡大して行く・・
  ②新ココム:中国に最先端技術が渡らない仕組みを作
   る・・ファーウェイに対する技術輸出の禁止。
 ☆人において、人への制裁、
  ①ビザ(査証)の厳格化:2018年6月、ハイテク分野
   での中国人の留学生、研究者ビザを5年から1年にし
   た・・
  ②入国審査の厳格化
   来年(2020年)から、中国軍と関係する人物は、ア
   メリカへの入国は出来ない方向へ・・
   また、ウイグルや香港の弾圧に加わった人物も規制
   を強める方向へ・・
 ☆金において、金への制裁
  中国経済への一番大きなインパクトのある分野・・
  これまで中国経済を発展させ、そして、支えて来たア
 メリカ・ドルの力・・
  中国は、自国通貨の人民元では海外投資が出来なかっ
 た・・
  中国が、海外で事業を行なうためにはアメリカ・ドル
 が必要だった・・
  その米ドルを調達方法には二つある。
  ①中国が、海外に輸出し、輸出した代金を米ドルでも
   らう・・
  ②中国企業が、海外で上場したり債券を発行したりす
   ることによって海外から資金を調達する。
  上記の①は・・
  「アメリカの貿易関税で一気に縮小した」・・
  もう一つの②は・・
  「上場廃止や中国市場への投資制限を検討している」・・
  2019年6月5日、マルコ・ルビオ米国上院議員は、「外
   資上場企業の監査強化法案」を提出した。
  内容は、「アメリカに上場する中国企業が、金融上の
 透明性、および、責任に関する規制遵守を拒否すること
 はもう許されるべきではない」とした。
  また、トランプ政権のピーター・ナバロ米国大統領補
 佐官は、「アメリカ市場から中国企業を追い出すべきだ
 」と語った。
  中国企業は、中国の国内法によって、「会計監査の資
 料」や「会計監査の情報」を海外へ持ち出すことが出来
 なくされている・・
  結果だけの開示では、第三者が良否の判断ができない
 という状態である。
  故に、中国の上場企業の透明性が無い状態となってい
 る。
  2018年以降、アメリカで中国企業のIPO(新規上場)
   はほとんど行われていない・・さらに・・
  2019年9月27日、ロイター通信によると、トランプ政権
   は、アメリカで上場されている中国株の廃止を検討
   し始めた。
  上場廃止の決定によって、当然、中国株価は大暴落と
 なる。
  また、当然、中国の上場企業の資金調達もできなくな
 る。
  株式だけでなく債権においても、起債、ドル建ての債
 権発行がほとんど出来ない状況となっている。
  そこで、中国企業が頼ったのが香港・・
  香港ドルの裏付けが米ドルであるからだった・・
  香港で上場し、米ドルを手に入れたいとした・・
  しかし、その香港は、マスコミが報じる様な状態でマ
 ーケット機能がおかしくなっている。
  海外での新規上場を成功させようとしたアリババも、
 アメリカでの上場をあきらめた状態・・
  そこで、香港での新規上場を求めたが、これも失敗に
 終わっている・・香港の政治的混乱が高まる中で株式上
 場を延期せざるを得ない状況となっている。
  上場できない、そして、米ドルが手に入らないという
 状態となっている・・
  「中国企業が世界から締め出される」という可能性が
 高まっている・・
  ロールオーバーでの「外貨で借りたものは外貨で返す」
 ということが出来なくなっている・・
  やむなく外国に持つ中国資産を売却して、外貨を得て
 返却するという行動に陥(おちい)って来ている・・
 アメリカと中国の「乖離の世界」が始まった・・
  参考:https://www.youtube.com/watch?v=hoWcVOQNqc0
.
2019年11月15日、中国の投資が、最低の伸びとなった。
  鉱工業生産も鈍化した。
  この日の読売新聞から・・
  中国国家統計局は14日、10月の主要経済統計を発表し
 た。
  公共事業や企業の設備投資などの固定資産投資は1月~
 10月の累計で前年同期比5.2%増となり、データを確認で
 きる1996年以降で最低となった。
  生産や消費関連の指標の伸び率も軒並み鈍化し、中国
 経済が一段と減速している状況が浮き彫りになった。
  国家統計局の劉愛華(リウアイファ)報道官は14日の
 記者会見で、「経済の下押し圧力は引き続き増大してい
 る」との認識を示した。
  固定資産投資の伸び率は1月~9月より0.2ポイント縮小。
  景気対策の柱であるインフラ(社会基盤〉投資は1月~
 9月より0.3ポイント低い4.2%増。
  民間投資も0.3ポイント低い4.4%増にとどまった。
  生産の動向を示す鉱工業生産は前年同月より1.1ポイン
 ト低い4.7%増と、伸びが大幅に鈍化した。
  小売売上高(社会消費品小売総額)は前年より0.6ポイ
 ント低い7.2%増だった。
.
2019年11月15日、中国で、肺ペストが流行している。
  中国紙・光明日報などは14日、内モンゴル自治区の住
 民2人が12日に肺ペストと診断され、北京の医療機関で治
 療を受けていると伝えた。
  このうち1人が重体という。
  当局は2人との接触者を隔離する措置を取った。
  日本の国立感染症研究所によると、肺ペストは「最も
 危険なタイプ」のペストとされ、発病後12時間~24時間
 で死亡する可能性がある。
.
2019年11月28日、日本の国の機関で「中国の宣伝工作」を
 働く・・
  「組踊と能」という国立能楽堂の講演を聞いた(開催日:
 2019年11月28日)。
  まったく日本を貶(おとし)め、日本を隠すという講演
 だった。
  国立のこの場でこの様な講演が行なわれるのか?とい
 う驚きの講演だった。
  「組踊」は沖縄の伝統芸能である。
  その始まりは、その創始者が「能(のう)」に感激し
 て作ったという芸能である。
  しかし、この講演者(岐阜女子大学教授・MО氏)は、
 この『肝心な話』はせずに避けて講演した。
  (参考)組踊の解説においても・・
      1718年に、沖縄の琉球王・尚敬王に踊奉行の
     職に任じられた玉城朝薫(たまぐすくちょうく
     ん)が、かねてから造詣の深かった日本本土の
     能楽などから組踊を作り、また、琉球の芸能も
     加えて作った・・とある・・そして・・
      1719年、中国からの冊封使の前で、「鶴亀二
     児復父仇事、二童敵討」と「鐘魔事、執心鐘入」
     の二題を演じた・・これが組踊の始まりとある。
  この様な良い面およびこの後の「日本と沖縄の文化・
 芸能面での良い関係にはまったく触れず・・
  逆に、中国との良い関係があると強調して講演した・・
  日本に触れるとしても、日本の沖縄に対する悪い行為
 (侵攻したなどと)強調した。
  (講演の例)1312年の明の古い時代から沖縄は中国と
    関係があったとか・・
     王国が作られると、中国と冊封の儀が行われ、
    妃殿服を持って来たとか、
     4か月~8ヶ月も滞在したとかと中国のことばか
    り美しく表現し、良い状況を話した。
     それも、組踊と関係ない話ばかりを話し・・
     日本の事を話したかと思うと、1609年に琉球は
    薩摩の侵攻を受けたなどという悪い話だけ・・と
    いう講演の状態・・
  中国から来た使節に歓待して組踊が演じたとか
  沖縄は日本の侵攻を受けたとかと・・それを言うなら
 沖縄は中国に圧迫され強権を使われて沖縄は中国へ冊封
 するに至るなどの「沖縄への脅し行為」を説明しなけれ
 ばならない。
  配布したブリントには書かなかったと、「昨夜、書い
 てないと気が付いた」などと言って、上記の様な事を話
 した・・その内容をプリントに記すとまずいと思っただ
 けなのだ。
  中国と沖縄との良い関係がある様な話を次々と言い、
 逆に、日本には侵攻を受けたという、明らかに日本が悪
 いことをして、中国とは良い関係にあったと思わせる洗
 脳的な話し方だった。
  完全に冒頭から「悪者の日本」の洗脳だった、そして、
 それに対し「善の中国」の洗脳だった。
  中国と組踊はまったく関係が無いのに、この様な形で
 中国を出し続けるという講演だった。
  題名にある『能と組踊』という関係の話はまったく触
 れないという状態(触れると日本と沖縄が良い関係にな
 る・・それで触れられないという状態)講演題名そっち
 のけの話だった。
  日本の能と沖縄の組踊に関係があるということが都合
 悪いという講演だった。
  その後も、能との関係の組踊の話ではなく、「組踊だ
 けの話」に終始した。
  中国は、冊封使がただ観覧するだけという立場の話な
 のに『中国の宣伝講演』となっていた。
  創作した人が能の鑑賞に日本に行って交歓したなどと
 いう歴史的な良好な史実も話されなかった。
  また、都合が悪いのか、質問の機会もなくカットされ
 た。
  国立能楽堂の担当者に、肝心の「能と組踊の関係につ
 いて、まったく説明が無かったです」と言うと、「忘れ
 たのでしょう」とあっけらかんと言った。
  肝心の「能に感激して組踊を作った」という肝心のこ
 とを忘れて話さなかったのだという返事が来た。
  学芸員らしき人は、この問題点を理解しているらしか
 ったが、館長もしくは事務局長らしき人間は上記の様に
 「とぼけた」。
  完全にある種の「イデオロギーの下」に講演がなされ
 たと感じた。
  そして、逃げた返事のこの講演に対する国の機関の責
 任者らしき人間の対応があった。
  今、中国が、世界で盛んに行っているプロパガンダ行
 為に国立能楽堂もはまっていると感じた。
  今、リトアニアなどのバルト三国が、この様な中国の
 工作で、すべて三国が「中国色になっている」という。
  国立能楽堂でもその様な一端を見た。
  話をしていて、国立能楽堂は「この様な行為がなされ
 ている」と承知している様だった(驚きの様子もなく、
 意外だの様子もなく・・「言われたか」という感じの対
 応だった)
  例え、この講演者が言う様に「能と組踊がまったく関
 係がない」というのなら、国立能楽堂で、能に関する講
 演として講演議題に上げるのがおかしい。
  そんな無関係のものを議題として聴衆を呼び集める行
 為がおかしい。
  いずれにしても「ある作為の働いている国の機関の国
 立能楽堂」となっている。
  この問題の徹底的な糾明を行なって戴きたい・・
  そして、その徹底的な改革・改善を行なって戴きたい。
  中国親派の工作者を存在させているという雰囲気であ
 る。
  また、傍(かたわ)らで、我々の話をしつこく追い、
 終始、聞き耳を立てている風情で、立ち聞きしていた輩
 が居たことも申し添えたい。
  そして、その輩が、一言、「イデオロギーとは何だ」
 と言った・・が無視した。
  私は、この輩に「この館の者か?」と反問した・・
 「違う」という返事だったので無視した。
  今、中国は、外国からの声が一般民衆に届かない様に
 しているが、その様にしているという事は、それをされ
 ると困るということ・・だから、それを逆に中国は外国
 へ行なっている・・その行為者・関係者を派遣している。
  この講師は、中国工作員にこの様な講演をする様にと 
 されている可能性も感じた。
  また、この国立能楽堂は、国立能楽堂の解説板に(立派
 な大きな板に解説文を記している)に、根拠の薄い、あや
 ふやな根拠であるのに、能楽は中国由来であるとわざわ
 ざ最初に記述している・・違和感がある。
  こんな言い方をするならインドのサンスクリット劇に
 似て根拠があるという類いの話がなんでも沢山出来る。
  まったく中国美化のプロパガンダに類する話である。
  また、横浜能楽堂においても、この様なおかしな行動
 を見た。
  急に、能が始まる前に、館長が解説したいと出て来て
 話を始めて、言うことは日本を貶(おとし)める話で、良
 いことは言わず、日本は人権侵害の国だ言う・・少数民
 族を抑圧していると・・
  日本の能楽の世界に「日本を貶め、中国を美化する力」
 が働いている。
  また、追記すると・・
  急に話をしたいと横浜能楽堂の館長の様に、講演会に
 突然出て来た事例に(主催者は困ったという風情だったが)
 明治大学の学長が居る。
  やはり、この学長も「日本をとことん蔑(さげ)んだ」。
  高校生が来ているからと強引に「話したい」と参加し
 たという。
  この様に、日本のトップに工作がなされている。
  北朝鮮の「美女軍団」ではないがあらゆる懐柔と工作
 がなされていると感じる。
  日本のトップたちに、その様な事例が多いことを知ら
 せ認識させよ!!
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  自衛隊幹部ノ嫁サンハ中国人が多いという。
  中国ノ美化ヲシ日本を蔑(さげす)む輩は組織のトップ
 だ。
  横浜能楽堂も館長だった。
  また、相模原の公務員研修所も館長だった。
  中国工作員が働めくのをあからさまに感じる様になっ
 た今、日本は「逆工作員を作るべきだ」。
  また、だいぶ前から、NHKは「中国美化をし、日本
 を蔑(さげす)んで来た」。
  このNHKの組織を徹底的に洗え!!
  朝日新聞などの日本解体を目論む(もくろむ)組織にも
 「逆工作員を潜入させよ!!」。
  移民の自由化を進める日本に、日本に対して良からぬ
 工作をする輩が大勢入って来テイルカラ、ソレノ対抗組
 織ト要員ノ充実ヲ計ラナケレバナラナイ。
  国会や国の組織ニモ私服を配置セヨ!!
  マタ、日本ノ研究組織ニモ潜入サセヨ!!
  マタ逆工作員養成組織ヲ作レ。
  


2019年11月23日

(増補版)667E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年3月~1897年3月)

題:(増補版)667E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年3月~1897年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年3月24日、新聞紙条例の一部改正法が公布された。
  1897年10月1日、実施された。
  内容は・・
  第二十二條 外務大臣陸軍大臣海軍大臣ハ特ニ命令ヲ
     發シテ外交又ハ軍事ニ關スル事項ノ記載ヲ禁ス
     ルコトヲ得
  第二十三條 第二十二條第三十二條及第三十三條ニ關
     シ吿發ヲ爲ストキハ內務大臣又ハ拓殖務大臣ハ
     其新聞紙ノ發賣頒布ヲ停止シ假ニ之ヲ差押ヘ其
     吿發ニ係ル論說又ハ事項ト同一主旨ノ論說又ハ
     事項ノ記載ヲ停止スルコトヲ得
      裁判所ハ犯罪ノ情狀ニ依リ第二十二條ノ禁令
     ヲ犯シ又ハ第三十二條及第三十三條及第三十三
     條ヲ犯シタル新聞紙ノ發行ヲ禁止スルコトヲ得
  第三十二條 皇室ノ尊嚴ヲ冒瀆シ政體ヲ變壞シ又ハ朝
     憲ヲ紊亂セントスルノ論說ヲ記載シタルトキハ
     發行人編輯人印刷人ヲ二月以上二年以下ノ輕禁
     錮ニ處シ五十圓以上三百圓以下ノ罰金ヲ附加ス
      本條ヲ犯シタル者ハ其犯罪ノ用ニ供シタル器
     械ヲ沒收ス
  第三十三條 社會ノ秩序又ハ風俗ヲ壞亂スル事項ヲ記
     載シタルトキハ發行人編輯人ヲ一月以上六月以
     下ノ輕禁錮又ハ二十圓以上三百圓以下ノ罰金ニ
     處ス
.
1897年3月24日、閣議で足尾鉱毒調査委員会の設置を決定
 した。
  内閣に足尾鉱毒事件調査委員会をおく。
.
1897年3月25日、水産講習所を設置する。
  国が設置する機関で、農商務省の所管。
  水産に関する教育・研究機関。
  1888年、設立の水産伝習所を改組・改称し・・
  1897年、発足。
  1947年、第一水産講習所と改称。
      また、水産講習所下関分所を第二水産講習所
     とした。
     (これは、朝鮮の水産も振興しようとして設け
     られた朝鮮総督府所管の釜山水産専門学校を吸
     収した・・日本は一生懸命、朝鮮を振興しよう
     としていた)
  1949年、東京水産大学となる。
  1950年、文部省の所管となる。
  2003年、東京商船大学と統合して東京海洋大学となる。
.
1897年3月29日、貨幣法が公布された(金本位制確立)
  貨幣法が議会を通過し、銀本位制から金本位制を基本
 とした・・
  この法律は、貨幣の製造および発行に関する法律。
  1897年10月1日、実施
  1988年(昭和63年)3月末に廃止された(この法によっ
   て規定された本位貨幣の金貨が廃止となった)
  制定の背景・・
  1871年6月27日、新貨条例を公布し、日本は金本位制
   を基本とする近代貨幣制度をスタートさせた。
  しかし、1.5グラムの純金を1圓と定めた旧金貨は、金
 の準備不足から少量の発行となった。
  また、この頃、貿易赤字であり、また、世界的な銀安
 であり、1897年のこの年までに発行された日本の金貨の
 81パーセントが日本国外に流出するという状況だった。
  また、日本は、江戸時代末以来、メキシコドル(墨銀)
 が大量に流入していた。
  そして、東洋の貿易取引の決済は銀貨が中心であった。
  そのため、貿易一圓銀貨の発行高が伸びていた・・ま
 た・・
  (参考)貿易一圓銀貨:1871年の新貨条例によって、
     対外貿易専用銀貨として発行されていた。
  1878年5月27日、太政官布告第12号によって、貿易一圓
   銀貨は日本国内でも金貨と等価に無制限通用が認め
   られた・・これで、事実上の金銀複本位制となって
   いた・・また・・
  1885年5月9日以来、日本銀行兌換銀券が発行されて、
   実態は銀本位制であった・・(金本位制の名目化)
  また、アメリカにおいて、ネバダ銀鉱の大幅な増産が
 始められ・・世界的に銀の供給が著しく増大した。
  国際的に銀相場は下落傾向であった。
  明治初期には金銀相場が1:16であったが・・
  新貨条例に基づく金貨および銀貨の金銀比価1:16.01も
 これに準じていたが・・
  銀価の下落によって、次第に乖離した。
  各国も銀本位制から離脱した・・金本位制への移行に
 拍車がかかった。
  1894年、ついに、金銀相場が1:32.56となった。
   銀価は明治初期の頃と比較し半値になった。
   事実上の銀本位制であった日本円もほぼ半値となっ
   て物価は高騰した・・国民生活が圧迫され、国家財
   政も圧迫された・・貿易にも支障が出た。
  主要な世界の国々は、金本位制を採用し、銀貨の鋳造
 を止めて行く状況となった。
  日本も円を安定させるためにも、金本位制の採用へと
 向かう。
  1893年10月14日、閣議を経て、貨幣制度調査会が設置
   された。
   明治の初め以来からの日本国内の金銀貨の流通状況
 が検討され、また、世界の金本位制及び銀本位制を採用
 する主要国の金貨・銀貨の製造状況、流通状況、および、
 金銀価格の変動原因などが調査された。
  その調査検討から、銀本位制国家は、一時的に輸出需
 要が増大して、農業および商工業において好況となるが、一
 輸入は困難となり物価は騰貴して、国費も増大するとい
 う結論が得られた。
  この結論は、円安に伴う輸出による利益は一時的なも
 のにとどまるが・・
  長期に亘る影響を考えると通貨の安定こそが大切で、
 国益につながるという結論だった。
  調査会の委員の20名の内、8名が幣制改革の必要があ
 りとし、必要ないとする者は7名だった。
  また、幣制改革を必要とするものの内、金本位制にす
 べきとは6名、金銀複本位制とすべきは2名だった。
  しかし、金本位制を実施する上で、巨額の金準備が必
 要だった・・しかし、この金準備は出来ないとされた・・
  この様な時・1895年4月17日、日清戦争による賠償金と、
 遼東半島返還による還付金などが得られることになった。
  1895年5月、これによって、大蔵大臣・松方正義は、金
   で受領するという草案を内閣総理大臣・伊藤博文に
   提出し・・分割しての受領という形になった。
  日本は、物価を安定させるため金本位制を主軸とした
 幣制改革を行うことになった。
  1897年2月25日、内閣総理大臣兼大蔵大臣の松方正義が、
   金準備が整ったとし、貨幣法およびその付属法案を
   閣議に提出する。
.
  (今日の言葉)
.
  題:ブレマー氏は「米国による秩序の終焉(しゅうえん)」と題して基調講演をした。
.
1945年8月23日、シベリア抑留
  日本とソ連は、武装解除後、日本人保護について合意
 していた。
  しかし、ソ連は、その通りに行わず、シベリアへ連れ
 去った。
  1945年8月16の第二次世界大戦が終わった後、スターリ
 ンは、当初、日本人を捕虜として用いないという命令を
 内務人民委員ラブレンチ―・べリヤに下していた。
  しかし、1945年8月23日、「国家防衛委員会決定 No.
 9898」に基づき、日本軍捕虜50万人のソ連内の捕虜収容
 所へ移送し、強制労働を行わせる命令を下した。
  日本の終戦ののち以降、満州や朝鮮に駐留していた日
 本軍を中心に、一般人の官吏を含めた日本人の約60万人
 が、日ソ中立条約を一方的に破られて、侵入して来たソ
 連軍によって虐殺され、殺戮され、そして、捕らえられ、
 武装解除され、そのほとんどの人たちが、シベリアに連
 れ去られ、送られ・・拉致されてしまった。
  そして、量も少なく、また、質の悪い最悪の食物しか
 与えられず・・酷寒の地で重労働をさせられた・・
  それによって、その多くの数の日本人たちが死亡した。
  その死亡者数は、捕まって輸送される途中での死者も
 含めて、何と約6万人もの命が失なわされていた。
  この死亡者数は、もっと多数だとする調査数字もあり・・
  そして、最悪なのは、これらの「捕虜」の中から969人
 もの人たちが、何の言われもなく、さらに、中国へ渡さ
 れるという非人道的行為がなされた。
  この様な行為も非難をされなければならないソ連の行
 為だった。
  この中国へ送られた日本人の人々も、中国共産党政府
 によって非人道的行為を受けた。
  非人道的虐待をともなう洗脳がなされた。
  中国洗脳担当者による執拗な身体的、また、精神的苦
 痛を与えられながらの、自分の行なってない行為、して
 いない行為までしたという様に「ねつ造させられた」・・
 そして、それが書類に書かされた。
  その洗脳作業には、それに従わなければ「死刑にされ
 る」・・死が目の前に有り得るという状況の中で洗脳さ
 れるという状態だった。
  生命を奪われる恐怖の中で、来る日も来る日も洗脳と
 尋問がなされた。
  中国が喜ぶようなことを、してない様な悪行為を言わ
 なければ執拗にいつまでも苦しめられた。
  NHKは、卑劣にも、この様な状況の中で作られた審
 問調書を真実なものだとして、放送番組を作り、放送し、
 「日本を貶(おとし)めた」。
  まったくNHKの行為は卑劣だった・・年がら年中、
 こんなことをしている・・
  また、この様なソ連の行為は、ソ連も参加して作られ
 たポツダム宣言に違反するものであった・・それを知っ
 てて行なったソ連の行為は極悪であった。
  1993年10月に訪日したロシアのエリツィン大統領は「
 非人道的行為だった」と謝罪をしている・・当然の謝罪
 であるが、この謝罪だけで済むのか?
  今後、この補償も求めなければならない。
     ・
     ・
     ・
2019年11月12日、ブラジルも中国になった。
  この日付けの読売新聞を参考に・・
  ブラジル、中国重視の姿勢・・中国の投資拡大への期
 待、外交は親米を維持するが・・
  親米派を自任するブラジルのボルソナロ大統領が、中
 国重視の姿勢を見せている。
  低迷する経済を立て直すうえで、中国からの投資拡大
 などにつなげる狙いがある。
  ただ米国への配慮も目立ち、13日にブラジルで始まる
 ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカの新興5か
 国(BRICS)首脳会議では、議長国としての立ち回
 りに注目が集まる。
  ボルソナロ氏は10月下旬、今年1月の大統領就任後初め
 て中国を公式訪問した。
  習近平国家主席との会談で「中国はブラジル最大の貿
 易相手国だ」。
  「両国関係を質的、量的に高めたい」と強調した。
  ボルソナロ氏は、昨年の選挙中、経済的影響力を増す
 中国について「ブラジルを買っている」と批判していた
 が、その後は中国との関係強化を掲げた。
  一方、ボルソナロ氏は、トランプ大統領を「尊敬して
 いる」と公言し、外交面では親米路線を取って来た。
  政情不安が続くベネズエラを巡っては、暫定大統領を
 宣言したグアイド国会議長を支持し、反米左派のマドゥ
 ロ大統領の退陣圧力を強化する米国と足並みをそろえて
 来た。
  11回目となる今回のBRICS首脳会議でも、グアイ
 ド氏(ベネズエラ暫定大統領)への支持を各国に促した
 い考えだが・・
  中国やロシアなど他の4か国はマドゥロ政権支持の立場
 で、調整が難航することも予想される。
  次世代通信規格「5G]の本格導入を巡っては、米国
 が中国通信機器大手「華為技術」(ファーウェイ)の製
 品締め出しを図る中・・
  ブラジルのモウラン副大統領は6月、5G向け周波数
 を割り当てるオークションからファーウェイを排除しな
 い方針を示した。
  ただ、ボルソナロ氏は、ファーウェイについて明言を
 避け、米国側と対応を協議していると述べるにとどめて
 いる。(後略)
  (評)
  中国は、情報戦略でも世界制覇をしたいとしている。
  そして、その鍵となる企業のファーウェイを世界に拡
 大し、根付かせたいとしている。
  アメリカと中国のぶつかり合う分野で、ブラジル・そ
 の他の各国がどうするか?・・である。
.
2019年11月13日、中国に飲み込まれるギリシャ
  中国とギリシャ・・ギリシャ港に投資の合意・・中国
 の習氏「一帯一路」の成果を強調、首脳会談で・・
  この日の読売新聞の記事は・・
  中国の習近平国家主席は11日、ギリシャの首都アテネ
 でミツォタキス首相と会談し、巨大経済圏構想「一帯一
 路」の拠点であるピレウス港への投資促進などで合意し
 た。
  中国は、ピレウスを一帯一路の成功例としてアピール
 し、欧州経済への影響力拡大の足掛かりとする構え・・
  中国国家主席に因るギリシャ訪問は11年ぶり・・
  会談で、両首脳は、投資促進の他、製造・金融業での
 協力、ギリシャから中国への農産物輸出拡大などを約束
 した。
  中国外務省によると、会談で収支は、「ピレウスは間
 もなく地中海最大の貨物の積み替え港となる」と述べ、
 中国と欧州を結ぶ「物流拠点とする構想」を強調した。
  ミツォタキス氏は「ギリシャは、中国が欧州市場に進
 出する門戸となりたい」と語り、一帯一路への積極参加
 を強調したという。
  ピレウスは、ギリシャ最大の港で、2016年に経営権を
 得た中国国有海運会社「中国遠洋運輸〈コスコ)」は、
 港整備のために6億ユーロ(約720億円)を投資する計画・・
  会談後、習氏は、ミツォタキス氏に案内されて港を視
 察し、盛大な歓迎を受ける様子が現地メディアで報じら
 れた。
  習氏は、コスコが現地で雇用創出に貢献したとして、
 「一帯一路はスローガンではなく『素晴らしい現実だ』」
 と強調して見せた。
  ギリシャが、中国に急接近しているのは、経済的な協
 力を得て、債務危機からの回復途上にある経済・財政運
 営を軌道に乗せるため・・
  今年4月には、中国と中・東欧16カ国との定例首脳会議
 「16プラス1」への参加を表明していた。
  今年7月に誕生したミツォタキス政権は、外資導入によ
 る経済活性化を看板政策に掲げ、前政権よりさらに中国
 に歩み寄っており、中国・ギリシャの関係は今後も深ま
 って行くとみられている。
  (評)
  中国が、国際社会に受け入れられて、経済も第2位のア
 メリカに次ぐ巨大国となっているが・・そして、その1位
 のアメリカに接近しているが・・
  ある程度、中国・人民元が世界に流通するようになる
 と、「第二の世界通貨のような使い方」がし始められる・・
  その様な立場を使って、中国の金融の力・金の力を使
 い始めて来た・・
  このギリシャ以外でも、世界のあちこちの世界の国が
 中国になびいている・・新興の世界基軸通貨国と見てい
 るのだろう・・
  中国が民意を問わない、選挙をしない、独裁政権だと
 する非民主的な社会だとする点は・・何処の国も問うて
 いない・・問わない・・まず、自分の口が満たされてか
 ら・・というところか・・
  新疆ウイグルの人々を拘束し、テロ対策だと公言して
 いる中国の行為を問わない・・本当は非人道的行為をし
 ているのだが・・
  南シナ海の様に違反行為をして公海を我が物にする行
 為も問わない。
  自国の経済・金融がうまくいけばいいという世界の態
 度となっている・・おかしい?
  遠い国だからとでも思っているのか?・・遠い国が困
 っているのに対して「目をつぶっている態度」。
  ギリシャ国民の方々も、豊かになれれば良いと・・共
 産主義の独裁国家で、何をやっている国かは、まったく
 問わないという態度で、習氏に大声援を送って、歓迎し
 ている。
  完全に中国・ギリシャ同盟が成立している状況だ。
  80年以上前に、欧州に現れた国の様な行動を取らなけ
 れば良いが・・などとの注意・配慮が働いているのか?
  これは、国際社会が、中国がウイグルの方々へやって
 いる事や南シナ海でやっていること、そして、その他に
 対して、「真剣にその行動を問わないという問題点」か
 ら派生し、発生している。
  (参考)派生:はせい、ある源から別の物または事が
     枝分かれして生ずること。
  また、国連という唯一の国際機関があるが、中国はも
 う一つの国際機関を作ろうとしているのかもしれない。
  中国の行き着くところにそれがあるのか・・中国グル
 ープの繁栄・・
  中国の歴史を見れば分かるが、中国は、遠い昔から覇
 権を拡大し続けて来ている。
.
2019年11月13日、中国の軍拡・・中国の軍拡の勢いがさら
 に増す・・
  この日付けの読売新聞が報じる・・
  空母装備、米を猛追・・最新技術開発者は「国宝級」
  中国軍は建国から70年で、陸軍を重視した大陸型の軍
 隊から、外洋で米軍に対抗する膨張型に様変わりしよう
 としている。
  習近平政権が進める「強軍」路線の実相を探る。
  破格待遇・・
  中国海軍に「国宝級」と称される技術者がいる。
  海軍工程大学の教授を務める電気工学の専門家、馬偉
 明(マーウェイミン)氏(59歳)・・
  中国の官製メディアは、馬氏が空母艦載機の発艦方式
 で最新の「電磁式カタパルト」の自主開発に成功したと
 伝えている。
  習政権は、10月1日の建国70年に合わせ、馬氏を「兵器
 の現代化に貢献した」功績で表彰した。
  中旬には、工程大がある湖北省武漢を訪れた習国家主
 席が、馬氏と親しげに握手し、言葉を交わす様子が報じ
 られた。
  さらに、馬氏は10月末、9000万人を超える中国共産党
 員のうちトップ約200人の中央委員に昇格した。
  共産党筋によれば、「何者かによる襲撃など万一の事
 態」に備え、外出先は自宅で4人の護衛要員による警備が
 付いている。
  馬氏は、現在、軍では「技術少将」の肩書を持つが、
 技術系では極めて異例の中将への昇格が取り沙汰されて
 いる。
  電磁式カタパルトは、米軍が世界で初めて実用化にこ
 ぎ着けたハイテク技術だ。
  米国の11隻の現役空母のうち、最新空母「ジェラルド・
 フォード」1隻にしか搭載されていない。
  中国で就役・進水済みの空母2隻は、艦載機が艦首の勾
 配を利用して発艦する「スキージャンプ式」を採用して
 いる。
  エンジンの出力のみに頼るため、重い航空機は発艦が
 難しい。
  電磁式カタパルトなら、重装備の戦闘機を矢継ぎ早に
 飛ばせるようになり、攻撃力強化につながる。
  早期警戒ヘリに代わり固定翼の早期警戒機の運用も可
 能になり、数百キロメートル先の敵艦の接近を探知でき
 るようになる。
  西太平洋における米軍の作戦行動を阻む能力が、大き
 く向上する。(中略)
  約10年前の建造当時、スキージャンプ式の甲板だった
 が、昨年までの改修工事で平らになった。
  そして9月、中国海軍のミサイル駆逐艦の元艦長が、講
 演で、上海で建造中の3隻目の空母に電磁式が搭載される
 と明言したと報じられた。(中略)
  米中関係筋は「中国が核心技術を取得したのは間違い
 なさそうだが、戦闘機を飛ばせるかどうかは別問題だ」
 と疑問符を付ける。
  米空母の電磁式は故障が続き、トランプ大統領も「壊
 れやすい」と不満を漏らす。
  中国には、空母を6隻保有する計画があるとの観測があ
 る。
  中国のある国防専門家は語った・・
  「ミサイルだけでも十分、米国をけん制できるが、空
 母建設は止まらない」。
  「習国家主席の『強軍の夢』の象徴だからだ」。
  (評)
  中国の軍拡の行き先は止まらない。
  中国の世界戦略が「アメリカ以外の総べて」に向いて
 いるからだ。
  「人口は世界最大」で、「打出の小槌状態の金」で行
 く着くところまで行く状況・・
  「太平洋を半分づつにしよう」と中国が言ったのは、
 「途中の経過の表明」に過ぎない・・世界へと向かって
 いる・・
.
2019年11月15日、中国が、「中国は発展途上国だ」と二枚
 舌を使っている。
  この日の読売新聞は・・
  中国、WTO「途上国」に固執・・「大国」と使い分
 け、もうこの主張は「卒業の時だ」と伝えている・・
  世界第2位の経済大国の経済大国の中国が「世界最大の
 発展途上国」を自称している。
  世界の経済成長をリードし、月の裏側にロケットを飛
 ばし、高級ブランド品が飛ぶように売れる国家は果たし
 て途上国なのか。
  10月26日、晩秋の北京。
  日中の有識者を集めて開かれた「東京~北京フォーラ
 ム」での討論は白熱した。
  「中国は絶大な経済力があり、先進国として振る舞っ
 ていく段階ではないか」
  「世界第2位の経済大国になったからといって先進国に
 なるわけではない」
  日本側は、世界貿易機関(WTO)で中国が途上国の
 地位を維持することへの違和感を伝えたのに対し・・
  中国側は、一歩も譲らず、議論は平行線のまま終わっ
 た。
  中国は、1978年に改革・開放政策を導入し、外国から
 資本と優れた技術を取り込んで、世界も驚く高速成長を
 続けて来た。
  国際通貨基金(IMF)によると、名目国内総生産(
 GDP)は・・
  中国が、WTOに加盟した2001年は日本の3分の1以下
 だったが、2010年に日本を抜いて世界第2位に躍り出た。
  今や日本の2.5倍を超え、米国を追う。
  富裕層もけた違いに多い。
  スイスの金融王手クレディ・スイスが10月に発表した
 調査によると、世界トップ10%の富裕層に入った中国人
 は1億人に上り・・
  初めて米国(9900万人)を上回った。
  高級車メルセデス・ベンツの今年1月~9月の販売台数
 は50万台を超え、世界販売の3割を占める。
  中国自身、経済発展を誇示している。
  国家統計局は、10月の建国70年を前に「経済・社会発
 展の成果シリーズ報告」と題する発表文を23本も出した。
  そこには、世界の経済成長寄与率やモノの輸出入総額
 など世界トップクラスの経済指標がずらりと並ぶ。
  1月には月の裏側への無人探査機の着陸に、世界で初め
 て成功した。
  科学技術力も高い。
  ある時は「世界最大の発展途上国」、またある時は、
 豊かで巨大な「大国」と、自国の位置づけを使い分ける
 事への批判は根強い。
  日本の麻生財務相は5月、中国の劉昆(リウクン)財務
 相と会談後の記者会見で・・
  「都合の良い時に『発展途上国』のような顔をして、
 都合の良い時には『別の顔』という調子いいことではだ
 めだ」と語った。
  アメリカのトランプ大統領は7月、ツイッターにこう投
 稿した。
  「WTOは壊れている。最も裕福な国々がルールを避
 けるために途上国だと主張し、優遇されている。こんな
 事は終わりだ」と・・
  問題の根底には、WTOのルールに「途上国」に関す
 る規定が無く、加盟国の自己申告制を採用していること
 がある。
  中国は2001年にWTOに加盟した際、途上国だと申告
 し、現在に至っている。(中略)
  (参考)中国が世界上位の主な経済指標・・
     ・世界の経済成長寄与率:1位(27.5%)
     ・国内総生産・GDP:2位(13.6兆ドル)
     ・モノの輸出入総額:1位(4.6兆ドル)
     ・対外直接投資額:2位(1300億ドル)
     ・高速鉄道の営業キロ数:1位(3万キロ)
     ・高速道路の総延長:1位(14.3万キロ)
     ・海外観光支出額:1位(2600億ドル)
  中国は、巨大経済圏構想「一帯一路」を提唱し、国際
 金融機関のアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立
 した。
  沿線国を積極的に経済支援するなど「チャイナマネー」
 は世界を席巻している。
  支援を受けるどころか、他国を支援する側に回ってい
 る。
  日本の識者は、中国が途上国に固執する理由について、
 「途上国であれば、強いリーダーのもとで国家の有限な
 資本や労働力を1か所に集中投入するような政策運営の妥
 当性を担保できる」と指摘する。
  共産党一党独裁を続ける統治上の問題だと説明する。
  WTO改革の議論が進む中、韓国は10月、WTOにお
 ける途上国の地位を放棄することを決めた。
  シンガポール、ブラジル、台湾に続く動き・・自称「
 途上国」の中国の立場は理解されなくなって来ている。
  中国は、途上国にしがみつくのではなく、卒業して、
 人類の発展のために「その責務を果たすべきだ」。
  (評)
  韓国は、北朝鮮に日本の貴重な物質を渡していた。
  渡す事が禁じられていることを知っていてその様な行
 為をした。
  その為、日本は、韓国の優遇的地位を取り消し、韓国
 を『普通』の地位にした。
  そうしたら、日本が、「対韓輸出厳格化をした」と、
 事実に沿わない表現をした・・韓国の不正行為が原因で
 『普通』の地位に戻しただけなのに・・『優遇を受ける
 権利が無い』とした、その様な行為をしたのだから・・
  また、WTOでも、韓国は、相応しくない地位にいた
 が、その地位を放棄した。
.
2019年11月16日、アメリカのニューヨーク・タイムズが、
 中国が、ウイグル族の弾圧をしていると、その内部文書
 があると報じた。
  それは、習金平の演説や指示書だと・・
  (2019/11/19読売新聞)
  米紙ニューヨーク・タイムズは16日、中国政府が中国
 新疆ウイグル自治区で行っている少数民族ウイグル族ら
 への弾圧を裏付ける内部文書を入手したとし、内容を報
 じた。
  中国外務省は18日の定例記者会見で、「中国が新疆で
 行っている反テロの努力をおとしめるものだ」として報
 道を強く非難した。
  ニューヨーク・タイムズが入手した文書は、習氏や共
 産党幹部の非公開の演説資料のほか、自治区当局者への
 指示書など24種類、計403頁に上るという。
  中国の政府関係者から提供されたとし、「中国共産党
 内部にも、弾圧を疑問視する声がある」と指摘した。
  文書には、習近平国家主席が、2014年に行った内部会
 議での演説内容も含まれており、ウイグル族の取締りを
 「テロや分裂主義との闘い」と表現し、「一切容赦はす
 るな」と指示していたとしている。
  また、文書の中には、米国などが「ウイグル族らの強
 制収容所だ」と指摘している施設に関し、収容者の家族
 からの問合せに対応する想定問答もあった。
  例えば、「家族はどこにいるか」といった質問に対し、
 「政府が設立した訓練学校で学習している。生活環境は
 とても良い」などと答えるようと書かれていた。
  中国政府は、施設について、イスラム過激主義の影響
 を受けた人を教化するための「職業技能教育訓練センタ
 ー」だと主張している。
  習政権は、信仰より党の指導を優先させようとする「
 宗教の中国化」を打ち出し、治安維持を名目にウイグル
 族らへの抑圧を強めていると・・
.
2019年11月18日、スリランカの大統領選で親中派の大統領
 が当選した。
  スリランカ「親中」回帰か・・野党候補が当選した・・
  任期満了に伴って16日に行われたスリランカの大統領
 選は、選挙管理委員会が17日、野党候補で元国防次官の
 ゴタバヤ・ラジャパクサ氏(70歳)が当選したと発表し
 た。
  かつて中国依存を強めた兄のマヒンダ・ラジャパクサ
 前大統領を首相に指名する構えで、スリランカが親中路
 線に回帰する可能性がある。
  選挙戦は、ゴタバヤ氏と、現政権で閣僚を務める与党
 幹部のサジット・プレマダサ氏(52歳)の事実上の一騎
 打ちとなっていた。
  選管によると、得票率はゴタバヤ氏が52.2パーセント、
 プレマダサ氏は41.9パーセントだった。
  プレマダサ氏が17日、敗北を認める声明を出し、ゴタ
 バヤ氏はその後、ツイッターで「国民は新しい旅の参加
 者になる」などと勝利宣言した。
  任期は5年となる。  
  ゴタバヤ氏は、約30年続いた内戦を終結させたことで
 今も英雄視されるマヒンダ氏と共に、選挙戦を展開した。
  4月に250人以上が犠牲となった同時爆破テロを受け、
 国防次官の経験を生かした治安対策強化を訴えて支持を
 集めた。
  マヒンダ氏は大統領だった2005年~2015年、南部ハン
 バントタ港などの大規模インフラ(社会基盤〉開発で中
 国から多額の資金支援を受けた。
  対中債務の拡大や一族による政治支配で批判を浴び、
 2015年の大統領選では敗北したが、弟ゴタバヤ氏の今回
 の勝利で復権を果たす事になる。
  巨大経済圏構想「一帯一路」を掲げ、海上交通の要衝
 であるスリランカを重視する中国の影響力がさらに強ま
 るとの見方が出ており、インド太平洋地域の安全保障上
 の観点から日米豪やインドの懸念が高まりそうだ。
  大統領選には過去最多の35人が立候補した。
  有権者数は約1600万人で、投票率は83.7パーセントだ
 った。(参考:読売新聞2019/11/18)
  (参考)争点は、実質経済成長率が5%(2015年)から
     3.2%(2018年推計)まで落ち込んだ経済の回復
     と、今年4月に起きた同時爆破テロ後の治安対策・・。
      ラジャパクサ兄弟は、約30年続いた少数派タ
     ミル人過激派組織との内戦を2009年に集結させ
     た兄のマヒンダ氏は、多数派シンハラ人の英雄
     的存在として今も人気・・。
      弟のゴタバヤ氏は兄の下で国防次官を務めた
     経験を強調して、テロを防げなかった現政権を
     批判してきた。
      ハンバントタ港の中国の軍効果の懸念のため、
     シリセナ大統領は「脱中国」を目指したが、依
     然として中国の影響力は残り、中国のスリラン
     カ経済への浸透度は大きい。
.
2019年11月19日、ASEAN国防相会議で、中国の南シナ
 海の行動に批判が集中した。
  アメリカは「航行の自由」強化を示した。
  東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本や米国、中
 国など計18ヶ国が参加する拡大ASEAN国防相会議が
 18日、バンコクで開かれた。中国が軍事拠点化を進める
 南シナ海問題が主要議題となり、日米を含めて懸念を表
 明する参加国が相次いだ。
  日本の河野防衛相は会議の冒頭、中国による南シナ海
 の軍事拠点化の動きについて≪あらゆる一方的な現状変
 更の試みや他国に対する威圧に強く反対する」と批判し
 た。
  日本政府関係者によると、南シナ海をめぐって多くの
 参加国が安全保障状の懸念を訴えたという。
  米国のエスパー国防長官も、南シナ海を巡っては日本
 と同様の立場を表明したものとみられる。エスパー氏は
 17日のASEAN各国の国防相との会議で、南シナ海の
 軍事拠点化を図る中国に触れ、「受け入れがたい行為だ」
 などと厳しく批判していた。
  その際、エスパー氏は中五kの海洋進出に対抗して南
 シナ海などに軍艦船などを派遣する「航行の自由作戦」
 を強化していく考えを示し、各国にも作戦への参加を呼
 び掛けていた。
  ただ、会議で採択された共同声明には、南シナ海の文
 言は無く、「我々は国連海洋法条約を含む国際法の原則
 に基づいて紛争を平和的に解決し、高校の自由を維持・
 尊重して行く」との表現にとどまった。
  中国が南シナ海を明記することに抵抗したためとみら
 れる。(参考:読売新聞2019/11/19)
  (評)
  「中国が南シナ海を明記することに抵抗した」として
 表現をどこのことかを不明の状態として明記しなかった
 という事は、どこの事を会議で討論したのかを明示して
 いない事で、会議の討論自体を否定したことになる。
  会議の目的を達していないことになる。
  何のための会議かが宙に浮いた状態となっている。
  中国の意見を書き、多数意見を書いてこそ目的を達す
 る。
  こんなあやふやな会議は何度やっても前に進まない。
.
2019年11月19日、アメリカが、南シナ海の中国の行動に対
 して、懸念を直接伝達した模様・・
  米国のエスパー国防長官は18日、訪問先のバンコクで
 中国の魏鳳和(ウェイフォンフォー)国務委員兼国防相
 と会談した。
  エスパー氏は、中国が軍事拠点化を進める南シナ海問
 題について強い懸念を直接伝えたとみられる。
  中国国防相の報道官は会談後の記者会見で、南シナ海
 問題について「中国は南シナ海の領土主権と海洋権益だ
 けでなく、その平和と安定も断固として守る」と反発し
 た。
  その上で、「航行の自由作戦」で軍の艦船などを派遣
 する米国が情勢を不安定化させていると主張した。(参
 考:読売新聞2019/11/19)
  (評)
  この南シナ海問題についての新聞記事は、アメリカの
 意見が不明となっていて・・
  中国の意見のみが明確に記載されていて、中国の主張
 のみを報じる記事となっている。
  この中国の主張する点が正しいのかが今後の議題だ。
  是非、この点の討議を行ってもらいたい。
  その点、日本の河野防衛相のASEANでの会議で、
 明確に中国の南シナ海における軍事拠点化の動きについ
 て「あらゆる一方的な現状変更の試みや他国に対する威
 圧に強く反対する」との批判の言葉は正しくて立派だ。
.
2019年11月19日、中国の国産空母が、大連から南シナ海へ
 入り、就役した。
  中国海軍の報道官は18日、中国初の国産空母が台湾海
 峡を南下し、南シナ海に入ったと発表した。
  近く、南シナ海に面した海南島・三亜の海軍基地を母
 港として就役する可能性がある。
  国産空母は遼寧省大連の国有造船所で建造され、昨年
 5月から周辺海域で試験航海を続けている。
  今回は14日に大連を出港した。
  就役前では異例の長距離航行で、米国や台湾をけん制
 する狙いがあるようだ。
  報道官は「特定の目標に向けたものではなく現在の情
 勢とは無関係だ」と主張した。
  これに関連し、中国紙・環球時報は18日、国産空母が
 三亜の海軍基地で近く就役し、「中国の主権と領土の統
 一」を守る役割を果たすとの海軍専門家の話を伝えた。
  (参考:読売新聞2019/11/19)
.
2019年11月19日、ブレマー氏は「米国による秩序の終焉(
 しゅうえん)」と題して基調講演。
  米政治学者のイアン・ブレマー氏と経団連の中西宏明
 会長が共同議長を務める「GZERO(Gゼロ)サミッ
 ト」が18日、東京都内で開かれ、日米欧などの政治家、
 専門家らが、指導国不在で混迷する世界の課題や日本に
 期待される役割などを議論した。
  ブレマー氏は「米国による秩序の終焉(しゅうえん)」
 と題して基調講演。
  中国が「欧米に対抗すべく、独自の技術システムの構
 築を進めている」ことを「グローバリゼーションに対す
 る最大の脅威だ」と指摘した。
  その上で日本に対し、「米中の国益が一致する領域に
 おいては協調を、互いに競争する領域においては最悪の
 衝突を避ける行動を働きかけることが出来る」と期待を
 示した。
  パネルディスカッションでは、飯塚恵子・読売新聞編
 集委員が、「中国は高度な技術を使って市民を監視し、
 コントロールしている。
  日本は先端技術と統治に関するルールを作っていく側
 にならないといけない」と語った。
  安倍首相は同サミットにビデオメッセージを寄せ、「
 扇の要の様に絶妙なバランスで英知を束ね、世界に新た
 な元号・令和のように美しい調和をもたらすことが日本
 の使命だ」と訴えた。
  サミット開催に合わせ、ブレマー、中西両氏は読売新
 聞に共同で寄稿した。
  日本は、国際機関の機能強化や生活の質の向上につな
 がる革新的な解決策の提供などの5分野で世界に貢献でき
 ると訴えた。(参考:読売新聞2019/11/19)
  (評)
  上記に記載の「国際機関の機能強化」のためにも「国
 連の日本やドイツに対する『敵国条項』は廃棄せよ」。
  もう時代遅れにもなっている・・また、今、国連は、
 SDGsを進めて「差別の撤廃を進めている」、この敵
 国条項こそ「差別の最たるもの」だ。
.
2019年11月20日、スリランカが、親中派の大統領が当選し、
 新首相の使命へ・・中国と関係改善へ・・親中へ回帰・・
  スリランカの新大統領に就任したゴタバヤ・ラジャパ
 クサ氏(70歳)、その兄で新首相に指名される見込みの
 マヒンダ氏(74歳)が17日、最大都市コロンボで読売新
 聞の単独取材に応じた。
  2005年~2015年に大統領を務め、中国依存を強めたマ
 ヒンダ氏は「中国は経済面のパートナーだ」と述べ、親
 中回帰の可能性を示唆した。
  マヒンダ氏は大統領時代、中国から多額の経済支援を
 受け、南部ハンバントタ港など大型インフラ(社会基盤)
 整備を進めた。
  対中債務が増え、ハンバントタ港を中国に99年間貸与
 する事になった。
  2015年の大統領選では、対中依存の見直しを掲げたシ
 リセナ前大統領に敗れた。
  マヒンダ氏は中国について「昔から良き友人だ」と語
 り、新政権下で中国との関係改善が進む事への期待をに
 じませた。
  一方、地域大国で中国の進出を警戒する隣国インドを
 「極めて重要な隣人だ」と述べ、中印間でのバランス外
 交の重要性も強調した。(参考:読売新聞2019/11/20)
  (評)
  ネパールも中国の工作で王政が崩壊しているが、中国
 化が進む。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  中国・人民元は、世界の通貨覇権を狙っている。
  アメリカ・ドルへの挑戦をし始めた。
  しかし、実態はただの紙切れの人民元・・
  その裏付けを保証するものは何もない。
  それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応な振る
 舞い。
  何故? こんな大間違いが起きたのか?
  その中国・人民元の振る舞いの初めには、ウォール街
 の行なった間違いがあった。
  ウォール街は、中国を一時的に大いに助け、そして、
 援助し、そして、ウォールは大いに儲けた。
  アメリカの歴代政権も、「それはウィンウィンだ」と
 勘違いして、大いに進めさせた。
  そして、アジア・・
  アジアで大きな経済的影響力を持つ華僑・・
  この華僑と中国を刺戟させて心身を興奮させないよう
 にという政策がとられた・・これに固執し、続けられた。
  しかし、今、この間違いが、とんでもないことになる
 という事態が発生している・・、
  この様な事態は看過できない、見過ごせないと、何と
 かしなければという行動が・・とられ始めた。
  トランプ・アメリカ大統領は、中国・習近平のアキレ
 ス腱を撞く(つく)行動をとり始めた。
  その目標は、当然、「紙きれの中国・人民元に通貨覇
 権を絶対に握らせない」というところにある。
  高関税に始まり、金融戦争が始まる。
  例え、通商が犠牲になっても「国家の安全保障が大切
 だ」という理念がある。
  中国を甘やかせた最大のポイントは、人民元が変動相
 場制が通常なのに、その状態になっていないことにある。
  中国・人民元は変動相場制に移行させるべきだ・・そ
 れが当然だ・・
  (日本は、堂々と、変動相場制に移行した)・・
  この図体ばかりが大きい中国は、変動相場制が恐怖で、
 逃げ回ってばかりいる・・
  アメリカの保護下に居た・・しかし、そのアメリカを、
 身分不相応に食い始めた。
  今、中国は、ドルが枯渇している・・
  外貨準備も激減している・・
  資金が中国から逃げ、ますます、余計に、中国・人民
 元の裏付けが無くなっている・・
  それに、不動産バブルが崩壊し・・空室ばかり・・株
 安も起きるという災禍・わざわいの中国となっている。
  直接投資が激減している・・貿易も、事実上、赤字と
 なっている・・もう中国の時代は終わった・・明らかに
 ASEANへ移行している。
  異常な二桁の軍拡で作られた景気・・そして、人民元
 札の増発で、景気を煽るという嘘が「ばれ始めた」・・
  知的財産権無視で次世代技術を盗取し、軍事などへ転
 用して来た。
  アメリカのトランプ政権は、ファーウェイやZTEを
 阻止し、スパイ摘発をしている・・
  また、企業買収を止めさせ、拠点買収を阻止している。
  もう中国は、変動相場制へ移行させねばならない・・
  そんな最恵国待遇の特待席には、いつまでも置いてお
 けない。
  有頂天でやっている「一帯一路」は、当然、しぼんで
 行く・・
  世界の工場と言われた中国の生産拠点も「存在意義が
 無くなった」・・獅子身中の虫に成り下がった。
  中国の政治形態が変わり、真からの自由な経済社会に
 ならないのなら・・消えゆくのみ・・
  中国が生き残る道は、真からの自由経済社会と民主主
 義国家への道・・
  AIの熾烈な戦いが繰り広げられる戦国時代の後に、
 その様な社会が来る。
  少数の者が牛耳る監視社会が、多くの奴隷的農民層を
 使うという一時代前の形態の中国社会が生き残れるはず
 はない・・
  そして、中国がやれると思っている方法、したいと思
 っている方法は・・
  二国間の人民元の取引の拡大・・
  その方法で、世界通貨の米ドルの国際社会に挑戦しよ
 うとしている。
  中国とA国が中国・人民元で貿易を拡大し・・
  また、別に中国とB国が中国・人民元で貿易を拡大す
 れば・・一帯一路であらゆる国々と貿易拡大して行けば、
 A国とB国も相互に人民元で貿易が拡大していけると考
 えている。
  米ドルの世界通貨圏で貿易が繁栄している様に、人民
 元の通用圏を拡大し、繁栄しようとしている。
  米ドル世界通貨に対峙したいとしている。
  だから、仕切りに中国は以前から「二国間交渉」を主
 張して来ている。
  (追伸)
  NHKは、CCTVへ映像を何十年も前から映像資料
 を渡している。
  例えば、一例として、国会の委員会の審議状況の映像
 のすべてを渡している
  CCTVは中国中央電視台で、中国(中華人民共和国)
 の国営放送のテレビ局。
  国営通信の新華社とともに「メディア」と言うより、
 中国共産党のための宣伝機関とされている。
  これはスパイ行為である。
  


2019年11月19日

(増補版)666E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年2月~1897年3月)

題:(増補版)666E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年2月~1897年3月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年2月、来日したアメリカ人のモールスとの間に京仁鉄
 道の譲受け交渉が進められる。
  1897年5月8日、京仁鉄道引受組合とモールスとの間に
 正式契約が成立した。
  京仁線は、大韓民国のソウルにある鉄道路線で、朝鮮
 半島最初の鉄道。
  経緯・・
  1894年8月20日、日朝暫定合同条款。
  1895年3月30日、日本銀行と朝鮮政府間に300万円の借
   款(年利6分。租税抵当3年据置後2年で償還。銀貨と
   紙幣半額ずつ)。
  1896年1月、朝鮮政府が経費不足300万円と鉄道建設費
   200万円の借入の申入れ
  1896年3月29日、京仁鉄道敷設権をモールスに売る(日
   朝暫定合同条款の違反行為)
  1896年4月17日、朝鮮駐在公使・小村寿太郎、朝鮮政府
   に対し、アメリカ人モールスに京仁鉄道敷設権を与
   えることは暫定合同条款違反と抗議をする。
  1896年1月、モールスが、建設資金を本国で募集するも
   出資者がなく日本に出資をもとめる。
  1897年1月、モールスが、大川平三郎経由で京釜鉄道発
   起委員長の渋沢栄一へ京仁鉄道敷設権の譲渡を申し
   出る。
  1897年5月4日、京仁鉄道引受組合が成立する。
  1897年10月21日、アメリカ人モールスが、価格を5万ド
   ルから30万ドルに要求する。
   モールスに百万円貸与で解決する。
  1897年10月13日、朝鮮から大韓帝国へ。
  1898年3月8日、モールスが三百万円でフランスシンジ
   ケートに転売を計画する。
  1898年10月31日、京仁鉄道敷設工事の紛議が頻出。
   モールスは困り、現状で京仁鉄道引受組合に引渡し
   を提案する。
   百八十万円で買取る。
  1899年1月31日、渋沢が、横浜正金銀行によりモールス
   と会見後、京仁鉄道譲受の手続を完了する。
  1899年5月15日、京仁鉄道引受組合は鉄道敷設工事を直
   営とし、京仁鉄道合資会社設立した。
   渋沢は取締役社長。
  1899年9月18日、仁川から鷺梁津間の一部開通を祝して
   仁川停留所にて開通式を行った。
   山縣総理や各国大使が参列した。
  1900年11月12日、京仁鉄道全線営業開始、全面開通式。
  1903年11月1日、京仁鉄道が京釜鉄道へ合併吸収され、
   京釜鉄道京仁線となる。
.
1897年3月2日~3月5日、鉱毒被害民、第一回大挙押出し。
  足尾鉱毒被害者の2000人が農商務省に鉱山の創業停止
 を訴えた。
  足尾鉱毒被害者800名が上京して請願運動
  経緯・・
  1896年9月、大洪水が起き、その直後・・
  1896年10月5日、田中正造は、鉱毒事件の基本的解決を
   をめざして栃木・群馬両県下10ヵ町村有志とともに、
   同盟を結んだ・・この同盟は拡大されて行った。
   運動が被害民を包含する地域の鉱毒反対闘争となっ
   た。
   今までは、個別に県知事や鉱山監督署、農商務省な
   どへ請願を行なっていた行動が変わった。
   組織も固められて行った。
   担当官庁である農商務省も対応が変わって行く・・
  1896年11月、農事試験所・技師を群馬・栃木両県へ出
   張させて、鉱毒被害調査報告の提出を求めた。
  1896年12月、省内に足尾銅山鉱毒調査委員会を設けら
   れ、そして、委員5名を任命した。
  1897年2月、第10議会で田中正造は、藩閥政府の責任
   を追及し、鉱業停止を要求した。
   これが新聞に報道されると、組織化されつつあった
   被害農民らの2000余名は,第1回大挙東京押出しを決
   行した。
   憲兵や警官の阻止行動を突破して上京した800余名は、
   関係省庁等に陳情・請願して世論に訴えた。
  1897年3月2日~3月5日、鉱毒被害民、第一回大挙押出
   し。
  1897年3月18日、四県鉱業停止請願事務所を東京に設置
   した。
  1897年3月18日、樺山内相と榎本農商務相による田中の
   質問に対する「答弁書」に、「将来鉱業ト農業ト衝
   突スル場合ニ適用スベキ方針ヲ確定スルノ必要ヲ認
   メ、之ニ関スル各般の調査ヲ)」とした。
  1897年3月24日、榎本農商務相の現地視察する。
   また、この日、被害農民3000余名が官憲の阻止行動
   を突破して、第2回大挙東京押出しを決行した。
   被害農民の直接行動と鉱毒世論の高揚を背景に、こ
   の日政府は,足尾銅山鉱毒調査会(第1次調査会)を設
   置した。
   法制局長官の神鞭知常(かみむちともつね)を委員長
   とする委員18(含追加)名を発表した。
   その直後、榎本農商務相は、辞職した。
   外相の大隈重信が兼務した。
   だが、この第1次調査会は、世論の鎮静化と、被害農
   民の直接行動抑制への狙いを秘めて設置されていた。
.
1897年3月6日、大谷駅~京都駅間の複線開通する。
  下り線が増設された。
.
1897年3月20日、ハワイ移民のうち上陸拒否にあった463人
 が送還された。
.
1897年3月20日、貴族院議員の谷干城(たにたてき)や津田
 仙・栗原彦三郎らが、足尾鉱毒の被害地を視察した。
.
1897年3月22日、「The Japan Times」の創刊。
  日本で初めて日刊英字新聞の「ジャパンタイムズ」が
 創刊された。
  日本人が初めて経営・編集した日刊英字新聞だった。
  伊藤博文や福沢諭吉などの支援を受ける。
  山田季治を社長、頭本元貞を主筆。
  1865年に創刊された前身となる英国人のリッカビーに
 よるジャパンタイムズと合併した形だった。
  因みに・・
  1918年には、ジャパンメール(1870年にW.G.ハウェル
 とH.N.レイが創刊した親日派の英字紙)と合併し、「ジ
 ャパンタイムズ&メール」となる。
.
1897年3月23日、農商務大臣の榎本武揚が、鉱毒事件の被害
 地を視察した。
  鉱毒被害民、第2回大挙押出し(~3月30日)
  足尾鉱毒被害者が、農商務省に鉱山の操業停止を訴え
 た。
  1890年後半頃より、渡良瀬川の河川魚の大量浮上など
 で目にとまるようになり、また、農作物への被害で流域
 周辺住民を鉱毒反対運動に立上がらせた。
  地元からの数次の建議や、上申にもかかわらず、改善
 がみられなかった。
  そのため、1897年以来、たびたび農民方が、大挙して
 上京し、抗議行動を起こした。
  警官と衝突もし一大社会問題となった。
  1891年、代議士の田中正造は、議会に訴えて、世に被
 害の惨状を知らせた。
  1901年、その訴えが、中々、受け入れられず天皇陛下
 への直訴(じきそ、直接、天皇陛下へ訴える)に至った。
  1897年3月23日、内閣に足尾銅山鉱毒事件調査委員会の
 設置が決定された。
.
  (今日の言葉)
.
  題:韓国が、元徴用工が虐(しいた)げられたというのは嘘。
    日本人も韓国・朝鮮人も、皆が、一生懸命、働く時代だった。
    「職業に就けて良かった」という時代だった・・感謝する時代だった。
.
紀元前427年、プラトンが生まれた(~紀元前347年)
  プラトンは、古代ギリシャの哲学者である。
  ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師である。
  そのギリシャに奴隷が居たが、ギリシャはこの奴隷を
 アジアから奪い取って来ていた。
  ギリシャを、「ヨーロッパの理知の世界」として誇り
 として存在しているが、アジア人蔑視観がこのギリシャ
 にあり、また、その影響でヨーロッパにもあった。
  (ヨーロッパの蛮行はこの観念から生まれている)
  古代ギリシャは、そこから派生して「アジアに数多く
 の怪物が住んでいる」と考えていた。
  (ヨーロッパの大航海時代の者たちも怪物に会うこと
 を恐れながら航海していた)
  知的哲学者とされるプラトンの国家論は、当然の如く
 奴隷制度を前提としている。
  だから、プラトンは、ギリシャ市民に「働くことを禁
 じた(奴隷にさせよ・・と・・)」。
  今・現代でも働かないギリシャで、EU(欧州連合)
 のお荷物になっている・・その大赤字がEUの大問題と
 なっている・・
  このプラトンも「ギリシャ市民が、商業に携わること
 を禁じ、また、手工業さえ市民が携わらずに奴隷にさせ
 よ」とした。
  プラトンは、「法律」という彼の著作にしっかりとこ
 のことを書いた。
  しかし、この様なことは隠されて、美しいことのみが
 プロパガンダされている。
  そして、この様な迷信と共に、キリスト教がローマへ
 伝わって行く。
  大プリニウスは「博物誌」で「怪物たちのカタログ」
 さえ書いている。
  そして、「類似の人類」などの表現と共に記されてい
 る。
  「キリスト教の教父」と言われるアウグスティヌスで
 さえ「怪物たちについて色々と論じている」。
  そして、「アダムから出た」と言い・・
  ローマ時代は、「アジア(アフリカを含む)は、一段と
 劣った人間たちが住む」とする世界観の中に居た。
  (参考)大プリニウス:古代ローマの博物誌家。
      イタリアのコモに生まれ、
      かなり若くしてローマに出て、文学、法律、
     雄弁術を学び、軍人としての訓練も身につけた。
      ネロ帝(在位:54年~68年)の治世初期まで、
     およそ23歳から10年あまり騎兵大隊に所属し、
     ドイツに駐留した。
      帰国後は、10年間おもに文人として活躍した。
      次の皇帝のウェスパシアヌスの信任があつか
     った彼は、スペインやアフリカ北部に財務官と
     して赴任し、博物誌的な見聞も広めた。
      晩年は、ナポリ湾ミセヌム基地の海軍提督に
     なったが、おりから79年のウェスウィウス(ベス
     ビオ)火山の大噴火に際し、知的な探索意欲から
     現場に急行したが、ポンペイの近くで噴煙に巻
     かれ遭難死を遂げた。
      彼の著書「博物誌」37巻は一級の百科全書的
     な古典である。
.
紀元前146年、ポエニ戦争。
  ローマの歴史家であるアッピアノス(2世紀の人)が伝え
 るところによると・・
  紀元前146年に、徹底的に破壊され、滅亡したカルタゴ
 を見たスピキオが、涙を流しながら・・
  「アッシリア人とメディア人の国々、当時とりわけ巨
 大だったペルシャ人の、そして、つい最近、目もあやな
 登場を果たしたマケドニア人の諸国」と数えあげながら、
 これらの国々もカルタゴと同じ滅亡の憂き目を見たと言
 って嘆いたという。
  (参考)目もあやに:目が吸い寄せられるまでに美し
     く・・
     ・
     ・
354年、アウグスティヌスが生まれた(~430年)
  彼は、キリスト教から「教父」と呼ばれている。
  彼は、キリスト教には無かった「人を救う」という教
 義を作った。
  キリスト教には元々「人を救う」という教義が無かっ
 た・・今、当然のようにそのことを言う・・
  彼は、「終末が訪れて、審判を受け、そして、救済さ
 れ、神の国に行ける」と、そして、救済されるとした。
  これが人類の至る終着点だとした。
  アダムとエバで始まる始点を持つキリスト教の人類の
 始点に対して、今まで無かった終着点を作ったのは彼だ
 った。
  楽園を追われた人類が、キリスト教の神に関わって至
 るところの終着点を彼は示した。
  また、彼は、キリスト教の神を浮き立たせるために「
 悪魔の国」を作った。
  「地上の国」を「悪魔の国」とした。
  そして、ヘブライ人=ユダヤ人の一民族からなる「神
 の国」と、その他のすべての民族が属する「地上の国」
 との対立・抗争として描いた。
  こうして彼が始めたキリスト教の歴史が引き継がれ、
 キリスト教史となりはじめた。
  そして、18世紀以後、科学が発達してその理知的判断
 から、キリスト教普遍史として怪物も登場させて発展し
 て来たそのキリスト教歴史観は完全に否定されて消滅し
 た。
.
476年〜10世紀、中世ヨーロッパ前期。
  西ローマ帝国が、476年に滅亡した後、ゲルマン人諸国
 の興亡、7世紀に興ったイスラム勢力、古代ローマ時代に
 実現していた「地中海世界」が崩壊、
  また、東部では、東ローマ帝国を中心として「東ヨー
 ロッパ世界」が形成される。
  西部では、フランク人による統一が進められ・・
  800年、カール大帝の「西ローマ帝国復興」によって
 ローマ皇帝とローマ法王(教皇)という二つの焦点を持つ
 「楕円ヨーロッパ」=「西ヨーロッパ世界」が成立した。
  キリスト教は、この頃、北欧の一部を除いて西欧に広
 がっていた。
     ・
     ・
     ・
1193年、北方十字軍
  クレメンス教皇(ローマ法王)が、この年、呼びかけ
 て北方十字軍が始まった。
  キリスト教の教義である「異教徒は殺せ」の教義どお
 りの行動だった、
  1154年、フィンランドの南西部が、すでにスエーデン
 によってキリスト教化されていた(1155年説と1157年説
 がある)
  「異民族のキリスト教化」という名目上の目標を掲げ
 て、バルト海沿岸地域へ進出した「北方十字軍」は・・、
 遠征の当初から本来の宗教的な目的を失っていた。
  その実際の実態は、「北方諸国の植民地化」だった。
  ローマ教皇からお墨付きをもらって・・、
  世俗の最高権力者である神聖ローマ皇帝の思惑とも重
 なって、キリスト教による征服事業での拡大を続けた。
  その先端に立ったのが「ドイツ騎士団」だった。
  そして、13世紀には、ハンガリー王国から追放された
 ドイツ騎士団だったが・・
  この武力集団は、異教徒征伐の命を受けてプロイセン
 の地(現在のカリーニングラードからポーランド北部)
 に活動拠点を移した。
  そして、その武力の威力によって、先住民であるプロ
 イセン人を殺戮の限りを尽くして制圧した・・そして、
 その地のすべてを掠奪し、収奪した。
  その後も・・略奪と搾取を重ねながら、莫大な富を築
 いた。
  「ドイツ騎士団領」という軍事国家まで作った。
  しかし、乱逆なこのキリスト教集団は、周辺諸国の貴
 族を集めて「人間狩りツアーを開催する」という卑劣さ
 だった。
  その残虐きわまりない性質と傍若無人ぶり・・
  ドイツ騎士団は、リヴォニア(現在のラトヴィア西部
 からエストニア南部)を征服していたリヴォニア帯剣騎
 士団も吸収した。
  そして、さらに、現在のリトアニアの地へと侵攻した。
  それに対し、ミンダウカス王の下に諸部族が結集して
 リトアニア大公国が誕生した・・そして、強大な戦力を
 形成し、ドイツ騎士団を押し返した。
  その後、お互いが侵略行為を重ねた。
  拮抗した戦争状態が続いた・・
  同じ様にドイツ騎士団と領土問題で対立を深めるポー
 ランドとの同盟関係を成立させる。
  1385年、ついにリトアニアはキリスト教を受け入れ(
 当初は形式的なものだった)、両国は連合国となってド
 イツ騎士団と対立する。
  キリスト教の教義でもある「異教徒は殺せ」の異教徒
 との戦いという大義名分を失ったドイツ騎士団は激高し
 て、互いの存亡をかけた激烈な総力戦をする。
  そして、ポーランド・リトアニア連合は、1410年の「
 グルンヴァルト(タンネンベルク)の戦い」で勝利し、
 ドイツ騎士団に壊滅的な打撃を与えた。
  ドイツ騎士団は、徐々に衰退し、やがて消滅した。
  ポーランド・リトアニア連合国は、ヨーロッパ最大領
 土の国へと発展する。
  そして、その後、200年に渡る黄金時代を築いた。
     ・
     ・
1247年、モンゴル帝国が4度目の高麗への侵攻をした。
.
13世紀半ば、モンゴルの樺太侵攻(~14世紀初頭)
  モンゴル帝国(元朝)による樺太(サハリン)アイヌ
 (骨嵬)への攻撃・・
  日本への元寇に対し、「北からの蒙古襲来」「もうひ
 とつの蒙古襲来」「北の元寇」という。
  13世紀半ば~14世紀初頭、アイヌは、ユーラシア大陸
 のアムール川流域に居たが・・中国の『元(モンゴル)』
 に追われ・・その北方の地から、13世紀半ばから14世紀
 初頭にかけて、日本に来た。
  これを、「北の元寇」と言い・・また、「北からの蒙
 古襲来」「モンゴルの樺太侵攻」「もうひとつの蒙古襲
 来」と言うが・・
  この様に、アイヌは、北方(アムール川流域、そして、
 樺太)に住んでいた。
  日本には、すでに、紀元前に、南方から日本に来たり、
 朝鮮半島から来たり、太平洋を渡って来たり、紀元前と
 いう遠い昔に、あらゆる方向から日本に来ていた。
  アフリカから発した人類移動の大きなうねりの様に、
 アイヌ以前のこの先住民たちは、北海道を含めて日本中
 を歩きまわり、そして、移動して、日本人が形成された・・
  この人たちが日本人の先住民であって・・アイヌは、
 明らかに先住民ではない。
  人類の起源のホモ・サピエンス(新人)が、アフリカ
 に登場したのが紀元前20万年である。
  ホモ・サピエンスが、全地球的な拡散を始めたのが紀
 元前5万年前(紀元前5~6万年説や、紀元前6~7万年説や
 紀元前10万年説もある)
  そして、岩手県遠野市の金取遺跡の人類の足跡は、紀
 元前8~9万年・・この頃の人類の足跡は、すでに、日本
 の各所で数千ヶ所ある・・当然、アイヌではない。
  そして、現代人の祖先であるホモ・サピエンスが東ア
 ジアにまで到着したのが紀元前5~6万年である。
  そして、紀元前4万年に、日本に、旧石器時代の遺跡が
 急に増えることから、研究者の多くが、現代の日本人に
 つながる人々(日本の先住民の人々)が、少なくともこ
 の頃に、日本で暮らしていたとしている(この頃にも、
 当然、アイヌは居ない)
  日本列島には、あらゆる方向から日本人の祖先となる
 人々が来たのが紀元前6万~紀元前4万年で・・アイヌは
 紀元後13世紀~14世紀である。
  因みに、ホモ・サピエンスの前にアフリカを出たデニ
 ソワ人も、紀元前12万年に、日本には居た(島根県の砂
 原遺跡)
  日本の法律に圧力をかけて「先住民」と書かせたアイ
 ヌの人々は、汚点を作っている。
  アイヌの人々は、日本の先住民ではないのに「先住民
 だ」との嘘の主張をして、先住民とさせた。
  日本政府に圧力をかけ、日本の法律の中に「先住民」
 だと記載させた。
  しかし、そうはなっても事実は事実、事実は変わらな
 い・・アイヌは、鎌倉時代の末期に蒙古(モンゴル)に
 追われて日本に来た人たち・・日本の先住民ではない。
  日本の先住民は、縄文の人たちであることは変わらな
 い・・アイヌの人たちは、嘘を言っている。
.
14世紀〜1453年、中世ヨーロッパ後期。
  中世的な政治秩序も、また、社会秩序も揺るぎ始めた。
  皇帝権に続いて教皇権も没落した・・全ヨーロッパ的
 な権威が衰退した。
  かわって王権が力を伸ばし、国王を中心とした新しい
 体制に移り始めた。
  黒死病(ペスト)などの疫病や争乱が続いた。
     ・
     ・
1716年、伊藤若冲が生まれる。
  江戸時代中期に活躍した絵師・伊藤若冲(じゃくちゅ
 う)(1716年~1800年)が、39歳代で手掛けたとみられ
 る彩色画「蕪に双鶏図(かぶにそうけいず)」が見つか
 ったと2019年11月5日、収蔵する京都市の福田美術館が
 発表した。
  これまで存在が知られていない作品で、専門家は、「
 若冲の初期作品は数点しかなく、後の代表作の特徴がう
 かがえる貴重な発見」としている。
  若冲は、主に、動植物を描き、30歳代には「景和(け
 いわ)」を名乗ったとされる。
  代表作に40歳代で制作した極彩色の「動植綵絵(どう
 しょくさいえ)」がある。
  今回見つかった作品は、縦1.11メートル、横0.68メー
 トル。
  首を下に向けた鶏の雄と、うずくまった雌の周りに葉
 が傷んだカブが描かれている。
  関西在住の所有者の依頼で鑑定したところ、若冲の最
 初期の作品とされる「雪中雄鶏図(ゆうけうず)」(細
 見美術館増)と同じ景和の印章がある事や、鶏の羽の精
 密な表現などから、初期作品と推定された。
  福田美術館の岡田季之学芸課長は・・
  「雪中雄鶏図に比べ、色遣いや地面の表現などにやや
 未熟さがあり、さらに若い時期の作品かもしれない」と
 している。
  彩色画は、来年3月20日に同館で始まる特別展で展示す
 る。
  美術史家・辻惟雄さんの話・・
  「手慣れた筆致で鶏を描いている一方、カブの葉など
 は懸命に写生したような初々しさがのぞく。
  葉が鳥に見えるだまし絵の要素もあり、動植綵絵の原
 型が詰まった重要な発見だ」。
     ・
     ・
1906年10月、アメリカで「日本人学童隔離事件」が起きる。
  日米関係が急速に悪化して行く。
  日露戦争後に、アメリカで何か仕掛けが働いている。
.
1945年4月30日、ヒトラーが自殺する。
  1945年4月23日、ヒトラー自殺の7日前にソ連軍が、ベ
   ルリン市内に突入していた(ベルリン市街戦)
  1945年4月29日、ドイツ親衛隊全国指導者・ヒムラーが、
   独断で英米に対し降伏を申し出たことがBBCで放
   送され、ヒトラーに最後の打撃を与えた。
    ヒトラーは激怒した・・ヒムラーを解任するとと
   もにその逮捕命令を出したが、もはやドイツ国内は
   その執行すらできない状態であった。
    終末が近づいたことを悟ったヒトラーは、個人的、
   政治的遺書の口述を行った。
    この政治的遺書の中で、戦争はユダヤ人に責任が
   あるとしたほか、大統領兼国防軍最高司令官職にカ
   ール・デーニッツ海軍元帥、首相にゲッベルス、ナ
   チ党担当大臣にボルマンをそれぞれ指名した。
    さらに「国際ユダヤ人」に対する抵抗の継続を訴
   えた。
    個人的遺書では、愛人エーファとの結婚と、自殺
   後に遺体を焼却することを述べた。
    この遺書をタイプした秘書トラウドル・ユンゲに
   ヒトラーは「ドイツ人は私の運動(ナチズム)に値
   しないことを自ら証明した」と語り、自らの政治活
   動が終焉したことを認めた。
    遺書をタイプした後の午前2時、エーファと結婚式
   を挙げた・・そして・・
  1945年4月30日、毒薬の効果を確かめるため愛犬ブロン
   ディを毒殺した後、午後3時にエーファと共に自室に
   入り、自殺した。56歳没。
  ドイツには、「ゼロ時」と呼ばれる時がある。
  ヒトラーが地下の隠れ家で「最後を悟って自殺」した
 その時以来、ドイツに政府が無くなった。
  第二次世界大戦のドイツにはその様な時があった。
  この時、ドイツ人は「無権利の状態」にされてしまっ
 た。
  ドイツ人たちは、右往左往した。
  逃げまどった。
  ドイツの最後の地・ベルリンの市民の逃げる先はアメ
 リカ占領地域だった。
  ソ連地区から、民衆は逃げまどった。
  しかし、アメリカ地区に来たからと言ったってアメリ
 カ兵もドイツ人に対して優しかった訳ではなかった。
  婦女暴行などは、ソ連兵でもアメリカ兵でも同じであ
 った。
  だからと言って、ドイツ人女性が、助けを求めたり、
 訴え出たりする法廷などがあるという訳ではなかった。
  アウシュビッツのドイツの蛮行が暴かれ始め、知られ
 る様にもなっていて、「ドイツ国民に対しては、どの様
 なことをしても許される」という情勢が生まれてもいた。
  ドイツ人の発言も完全に封鎖されていた。
  噂が噂を生むという状況で・・
  「何年から何年生まれのドイツの青年は結婚が許され
 なくなる」とか、
  「市町村のドイツ人の長が次々と追放されている、ユ
 ダヤ人に変えられている」という風説が、一斉に広がっ
 たりしていた。
  不安を募らせていた。
  幸い、日本には、天皇陛下が終戦の詔(みことのり)を
 発せられて比較的落ち着いた状況の中にあった・・、乱
 れた戦後とはなったが、その中にも早くから戦後復興へ
 の道へと歩み始めた・・
  一例として、教科書に墨を塗るなどして戦後体制へ粛々
 と冷静に判断されながら、教育は続けられ、そして、そ
 れなりに民主的な方向へ向かって行った。
  しかし、アメリカの進駐軍による婦女暴行は多発した、
 その対応に苦慮した。
  アメリカ軍の要請により慰安所が設けられた。
  それに関して卑劣な状況も現れた。
  このことに関しても、アメリカによる人種差別が現れ
 ていた。
  黒人の方々を差別し、白人と黒人とを差別し区分した
 慰安施設とされた。
  また、アメリカの女性士官のための慰安施設も要請に
 より設けられた。
  韓国がやっている様な慰安婦像を国連に建てるべきだ
 と思えるぐらいだった。
  常識ある日本はその様な真似はしないが・・
.
2018年12月20日15時頃、レーダー照射問題
  日本の能登半島沖の日本海において、韓国海軍の駆逐
 艦「広開土大王」が・・
  平素の警戒監視・情報収集の一環として行動している
 日本の海上自衛隊・P-1哨戒機に対して・・
  火器管制レーダー(射撃指揮システムで使用されるレ
 ーダー)を照射した。
  この行為は、「次は撃ち落とします」という戦時以外
 は使用しない、また、ふつう状態の時は「絶対にしては
 いけない行為」を、韓国は行った。
  この重大事項に対して、絶対見逃せない危険行為であ
 るため、日本政府は、当然、毅然と抗議した。
  韓国は、「宣戦布告なしに戦争行為をしようとしてい
 るに値する行為」であった。
  これに対し、また、今後のためにも、また、不測の事
 態が起こらないためにも、日本と韓国の間で事実関係な
 どの協議が開始された。
  日本が、「哨戒機に対するレーダー照射があった」が、
 「どうしてその様な行為をしたのか」と問いただすと・・
  韓国の返事は、ころころと変わった・・
  韓国は、当初は、「哨戒機を追跡する目的ではなかっ
 た」と答えた。
  そして、「北朝鮮の遭難船のためにレーダーを稼働した
 のを日本側が誤解した」などとした。・・しかし・・
  しかし、その後、「レーダー照射はしていない」と前
 言をひるがえし、前言を取り消した。
  韓国の二枚舌発言の為に、話は前に戻った・・
  (参考)二枚舌:前後矛盾したことを言うこと。うそ
     をつくこと。
  日本の哨戒機への韓国のレーダー照射の有無自体の主
 張が対立することになった。
  また、韓国は、韓国海軍艦艇に日本の海上自衛隊機が
 低空飛行で接近し、「威嚇飛行」を行ったと主張し始め
 た。
  日本は、規定通りの飛行で「威嚇飛行を行っていない」
 「その様な事実はない」と説明した。
  日本は、その証拠を示した・・しかし・・
  韓国は、日本からの証拠を示されたことに対して、筋
 が通る正しい返事が出来ない状態になった・・その後も、
 このままの状態のまま・・
  例えば、日本の防衛省の解析した結果を説明した・・
  韓国艦の火器官制レーダー(STIR-180)からのレーダ
 ー波を一定時間継続して複数回照射されていた証拠をは
 っきりと示した・・これによって、韓国が、レーダー照
 射はしていないという発言は崩れた・・
  また、近くの船には、そのような種類のレーダーが搭
 載されている訳もなく、また、ない事も説明した・・
  故に、はっきりした韓国艦の行為なのである。
  その他についても、韓国は、言を左右にして、晴れで
 雲一つない穏やかな環境の中であるのに・・
  韓国は、状況が荒れていて無線が聞き取れなかったな
 どと、事実に基づかない言い訳(いいわけ)ばかりをし
 た。
  また、逆に、韓国は、自分の示した証拠(動画)で無
 線の音声がちゃんと録音されて聞き取れているのに、無
 線が聞けなかったなどと主張したりしている・・
  この様な体たらくの言い訳の韓国となっている。
  韓国は、北朝鮮の船の救助をしていたと言い・・
  日本が、動画でしっかり規定どおりの飛行しているの
 を示していることに対し・・接近したと主張した(その
 証拠を、韓国は、示すことが出来ていない・・ただ近づ
 いた近づいたと言うだけ・・日本は、証拠を示して説明
 していることと大きな差がある)
  この協議において、すべてが、日本側が証拠を示した
 ことによる事実関係がはっきり成立していて、明らかに
 韓国の側に問題点があるとなるのだが・・が・・
  韓国は、その後、口を閉ざして何も説明をしないとい
 う状況となり、また、事実関係を認めて、謝罪するとい
 うことにもなっていない。
  (評)
  韓国よ!! 都合が悪くなったら黙るのでなく、自分の
 非を謝罪をすることをしなさい。
  まず、日本の自衛隊機にレーダー照射をして自衛隊機
 を撃ち落とそうとした行為を謝罪しなさい。
  謝罪したくないなら、正々堂々と反論をしなさい・・
 黙ったままでいるのでは君の言いたいことが分からない・・
 それとも反論できないのか?
  「北朝鮮へ物資を渡すところを見られたくなかった」
 と白状しなさい。
  韓国よ! この件以外の、この他の反論できないで黙
 ったままでいる数々の事を謝罪しなさい。
  韓国は、国連の議決違反をしていた・・北朝鮮船へ物
 資を洋上で渡していたのだ。
.
2019年9月13日、韓国の文在寅大統領が「克日」を打ち出す。
  文在寅(ムン・ジェイン)韓国政権は「克日」(日本
 に打ち克つ)を掲げた。
  そして、「日本の侵略に対する第二の独立運動だ」と
 した。
  この侵略は、経済侵略を指している。
  この様な過激なスローガンを韓国の文在寅大統領は、
 国民に掲げて、呼び掛け、韓国の国民の方々を煽(あお)
 り、焚き付けている。
  日本商品の不買運動も盛んに行われている。
  しかし、これらのすべてを日本のせいにしているが、
 これは大きく間違っている。
  韓国は、世界を騙(だま)している。
  日本は、誠実に、何から何まで日本は韓国を助け、日
 本は援助をして来ている。
  韓国は、その様に日本から恩を受けている状況にある
 のに、日本の目をかすめて、韓国以外へ戦略物質を渡し
 ている。
  日本にしかできない「貴重な物質」を、韓国名で輸入
 して、その貴重な物質を輸出してはいけない国へ、韓国
 は、隠密裏に、隠れて、その様な輸出禁止国へ手渡すと
 いう不正な事をしている。
  この様な重大違反を韓国はしている。
  そこで、日本は、韓国の「優遇的な位置」に置いてい
 た今までの韓国を、「ただ、その他の国と同じ、普通の
 状態に戻した」。
  普通の状態に戻しただけなのに・・韓国は、日本が制
 裁をしていると過剰な表現で、韓国は世界を騙(だま)
 す発言をしている。
  今、韓国の経済は最悪な状態にある。
  その経済悪化の流れは止まらない状況にある。
  韓国の各種の経済統計の数字がそれを表わしている。
  文在寅大統領は、以前から、中国や北朝鮮の路線に接
 近する行動をとって来た。
  この文在寅大統領の行動は変わらないだろうが、この
 政治の方向性もこの様な経済状態になったことと関係し
 ている。
  2019年9月3日の韓国の新聞は、8月の消費者物価動向に
 おいて前年同月より0.04%落ち、1965年以来の悪化状況
 を示した。
  これは、1999年2月のアジア通貨危機後の0.2%以降最
 も低い水準となっていて、デフレーションへの懸念が広
 がっている。
  同じく、2019年9月12日の中央日報も「景気先行指数が、
 26ヶ月連続的に下落し、過去最長だ」と最悪状態を伝え
 ている。
  文在寅氏が大統領に就任した2017年5月頃から下落傾向
 に転じたことも示された。
  聯合ニュースの9月1日版は「韓国の輸出額が9ヶ月減で
 8月は13.6%減、半導体などが振るわず」と報じ・・
  朝鮮日報の9月13日版は「失業給付が過去最高になった
 ・・韓国政府が雇用保険を23%引き上げざるを得ない状
 況になったことを伝えている」と報じ・・
  韓国企業の格付けが相次ぎ下方修正される可能性を報
 じ・・韓国の政府債務が700兆ウォンに迫ったと報じ・・
 米中貿易紛争の直撃を韓国族船企業が受け、発注・船舶
 価格が不振だ・・などと報じている。
  また、韓国の貧富の格差が6倍から11倍になったという
 昨年に急激に変化した実態も報じられている。
  文政権の政策によって自営業や中小企業が打撃を受け
 雇用が減少したと報じ、貧困層はますます貧しくなる方
 向にあると報じている・・
  また、韓国がおかしいことは・・
  WTO(世界貿易機関)へ提訴して、韓国が敗けたの
 に、、韓国は勝ったように言って、世界へ嘘を言ってい
 る。
  2019年9月11日、韓国の文在寅政権は、日本の輸出規制
 が「差別的だ」としてWTO(世界貿易機関)に提訴し
 た。
  韓国メディアは、韓国が正義で立ち上がったなどと大
 騒ぎだった。
  日本が悪いから提訴したのだとの見方だけで・・まっ
 たく公平に見ずに、自分の足元を見ていない韓国となっ
 ている。
  また、韓国の卑劣な所は、元徴用工の話とこれは、ま
 ったく関係が無いのに、関係していると言う言い方だっ
 た・・
  これは、輸出してはいけない国へ、韓国は、韓国名で
 日本から輸入したその物質を、不正をして輸出禁止国へ
 渡している・・この問題点をすり替えている・・真の問
 題点が見えない様にしている。
  まったく争うにしても不誠実なやり方だ。
  そして、また、まったく関係のない韓国が過去に勝っ
 た事例まで持ち出して「真の問題点を見えない様にして
 いる」・・日本の水産物が放射能汚染しているという問
 題である。
  韓国という国は、問題点の解決へ向けて誠実に努力を
 するという行動をとるより・・、
  あれも、これもと、過去の問題まで持ち出して、問題
 に何でもなすり付けて・・広げて行く国である。
  千一夜物語ではないが・・問題が永久に解決しない。
  問題を解決しようとしない国=韓国となっている・・
  因みに、日韓の間でWTOで争ったもののうち、日本
 は13件に勝っていて、敗けたのは1件だけ・・ほとんどに
 日本は勝っている・・
  そのほとんどにおいて、日本が正しい行動をしている
 と認められ、判決されている・・しかし・・
  韓国メディアが誠実に真実を伝えないから、韓国国民
 の方々は誤解を持つ・・すべてに韓国が勝っていると思
 っている・・日本は酷い国だと思っている・・
  韓国メディアは・・
  「韓国、大部分で勝訴」とか、
  「韓国が『判定勝ち』」とか、
  「韓国、大部分勝訴」など・・軒並み真実を見誤る報
 道の仕方をしている・・勝ったように報じる。
  WTO裁決で(韓国は負けたが)大部分で勝ったとは?
  WTO裁決で(韓国は負けたが)判定勝ちをしたとは?
  上記の()部分を伝えない韓国メディア。
  韓国は、微々たる問題で負けたんではない・・とか・・
  手続き上の問題で負けたんではない・・とか・・
  問題点を良く見れば韓国が勝った点が多い・・とか・・
  日本は重要な点の1点に勝利したに過ぎない・・とか・・
  実質的には韓国が勝利している・・とか・・
  韓国が負けたなどと勝敗を争うところではない・・と
 か・・
  争っている部分は微々たる部分だとか・・と何だかん
 だと判決を韓国は受け入れようとしていない。
  はっきり韓国は負けても、逆に、韓国は勝訴だと言い、
  「怒り心頭だ」と苛立つ(いらだつ)韓国となってい
 る。
  日本の担当官は・・
  「WTOの紛争解決で、日本に負けたという『不都合
 な真実』を認めたくない韓国国内向けの強弁だ」と冷静
 に見解を述べている。
  駄々っ子の様な行動をとり続ける韓国となっている。
.
2019年11月2日、鰻(うなぎ)の完全養殖
  『技術の日本』が鰻の完全養殖へ挑む・・
  この日の読売新聞が報じる・・抜粋・・
  マグロの完全養殖に成功した近畿大学水産研究所(和
 歌山県白浜町)は1日、出荷量が減少しているニホンウ
 ナギの完全養殖を目指すと発表した。
  早ければ4年後に、食用のウナギとして試験的に販売し、
 将来は商品化も狙うという。
  同研究所は今年、中断していた養殖ウナギの研究を再
 開し、9月に人工孵化(ふか)に成功した。
  11月1日までに飼育期間は50日に達しており、これらを
 親魚まで育て、産卵させて卵を得るサイクルの確立を目
 指す。
  ウナギの完全養殖は、2010年に水産総合研究センター
 (現:水産研究・教育機構)が成功したが、コストが高
 く商品化には至っていない。
  同研究所は、稚魚が好む餌の開発や効率的な飼育法を
 研究する。
  完全養殖の実験は、同研究所の浦神実験場(同県那智
 勝浦町)が行なう。
  近大は、昨年・2010年に、完全養殖に成功した田中秀
 樹氏を場長に起用した。
  田中氏は、1日の記者会見で「完全養殖を実現して、
 ウナギを安定的に供給できるようにしたい」と抱負を述
 べた。
.
2019年11月18日、元徴用工のこと・・
  日本人は奥ゆかしくておとなしいから、韓国が言う元
 徴用工のことをあからさまに反論しない・・が・・
  本当のことを言えば、可哀想だが、韓国および朝鮮は、
 当時、貧し過ぎるぐらい貧しかった。
  その様な状況であるので、日本へ、韓国・朝鮮の人た
 ちは豊かな日本に来たがっていた。
  また、日本の様な一等国になりたいとしていた。
  そして、多くの韓国・朝鮮の人たちが日本に来た。
  その様な韓国・朝鮮の人たちが、日本には溢れていた。
  その様な韓国・朝鮮の人たちは、日本が、一生懸命、
 韓国・朝鮮の国を良くする努力をしたから良い国になっ
 て行ったが、そして、その様に良くなった国に帰った人
 も多く居たが、日本に残った人たちも多かった。
  その日本に残った方々は、すっかり日本に同化し、今
 では、日本人とすっかり変わらないで、分からないが、
 その様な経過をたどった。
  だから、日本に来て働いた韓国・朝鮮の人たちは、数
 え切れないくらい大勢いた。
  元徴用工と言ったって、日本人を含めて、当時は、職
 業を探すのも、皆が大変だった。
  日本人でさえ、働くところがそうそう無かった。
  元徴用工と言ったって運が良くて仕事に就けたという
 こと・・日本人とて同じ・・仕事に就ければ「ありがた
 かった」・・
  日本は、差別がないから優秀な人は誰でも職業に就け
 た。
  元徴用工が虐げられたというのは嘘。
  皆が、一生懸命、働く時代だった。
  「職業に就けて良かった」という時代だった・・感謝
 する時代だった。
  そして、戦後、戦争の後の復興は大変だった。
  今より数段大変な時代だった。
  この時だって虐げられたなんて言う状態ではない。
  逆に、雇用されれば、助けられて、ありがとうという
 状態だった。
  何を、今さら、隔世の感がある今ごろになって、その
 当時のことが分からない人たちばかりの時代になって、
 今ごろ、虐げられたなんて言い出すのだ。
  それよりも『感謝の言葉』を言うべきだ。
  中国だってそうだ。
  中国が豊かになれば、「民主的になって」「自由な国
 になる」だろうと、中国を国際社会は受け入れて、助け、
 豊かな中国になったと思ったら、手のひらを返して「領
 土拡大主義で、その行動をあからさまにしている」。
  当時、私の家にも、朝鮮の方々が来て、話しを長らく
 して、食事をして帰るというつきあいをしていた。
  その後、その方が、朝鮮に帰ったかどうか?
  帰ったのなら幸せに暮らしているか?・・母は気遣い、
 何度も口にした・・誰でもその様に優しい日本だった。
  差別も無い日本だった。
  今ごろ、元徴用工のことを口に出し、金を出しなさい
 は「言ってはいけないこと」、また、「その様なことは
 言えないこと」。
  基金だ、何だと、韓国は言って、さもあった様に世界
 を騙(だま)す韓国・・その様な世界を騙す行為は止め
 なさい。
  「Hさん(個人名は伏す)元気にしているか?」「幸せ
 な生活をしているか?」「韓国に帰ったのか? 北朝鮮
 に帰ったのか?」と朝鮮に帰ったかもしれないHさんを
 案(あん)じていた母だった。
  ほとんどの日本人が母の様だった。
  韓国よ! 「恩を仇で返す様な行為」は止めなさい。
  日韓議員連盟の議員たちは、変な妥協はしないで下さ
 い・・筋を通して下さい。
  「日本は誠実にやって来たよ」と正論を説いて下さい。
  日韓議員連盟の議員の方々の中には、すっかり日本に
 同化し、日本人とすっかり変わらないで、日本人同様に
 なられた方も多いと思われますが、韓国に良い様にとい
 うことより、真実は何か?という真実を偽(いつわ)らない
 行動をお願いします。
  逆に、日本に救済された徴用工を、悪に仕立てた韓国
 を「たしなめて下さい」。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  中国・人民元は、世界の通貨覇権を狙っている。
  アメリカ・ドルへの挑戦をし始めた。
  しかし、実態はただの紙切れの人民元・・
  その裏付けを保証するものは何もない。
  それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応な振る
 舞い。
  何故? こんな大間違いが起きたのか?
  その中国・人民元の振る舞いの初めには、ウォール街
 の行なった間違いがあった。
  ウォール街は、中国を一時的に大いに助け、そして、
 援助し、そして、ウォールは大いに儲けた。
  アメリカの歴代政権も、「それはウィンウィンだ」と
 勘違いして、大いに進めさせた。
  そして、アジア・・
  アジアで大きな経済的影響力を持つ華僑・・
  この華僑と中国を刺戟させて心身を興奮させないよう
 にという政策がとられた・・これに固執し、続けられた。
  しかし、今、この間違いが、とんでもないことになる
 という事態が発生している・・、
  この様な事態は看過できない、見過ごせないと、何と
 かしなければという行動が・・とられ始めた。
  トランプ・アメリカ大統領は、中国・習近平のアキレ
 ス腱を撞く(つく)行動をとり始めた。
  その目標は、当然、「紙きれの中国・人民元に通貨覇
 権を絶対に握らせない」というところにある。
  高関税に始まり、金融戦争が始まる。
  例え、通商が犠牲になっても「国家の安全保障が大切
 だ」という理念がある。
  中国を甘やかせた最大のポイントは、人民元が変動相
 場制が通常なのに、その状態になっていないことにある。
  中国・人民元は変動相場制に移行させるべきだ・・そ
 れが当然だ・・
  (日本は、堂々と、変動相場制に移行した)・・
  この図体ばかりが大きい中国は、変動相場制が恐怖で、
 逃げ回ってばかりいる・・
  アメリカの保護下に居た・・しかし、そのアメリカを、
 身分不相応に食い始めた。
  今、中国は、ドルが枯渇している・・
  外貨準備も激減している・・
  資金が中国から逃げ、ますます、余計に、中国・人民
 元の裏付けが無くなっている・・
  それに、不動産バブルが崩壊し・・空室ばかり・・株
 安も起きるという災禍・わざわいの中国となっている。
  直接投資が激減している・・貿易も、事実上、赤字と
 なっている・・もう中国の時代は終わった・・明らかに
 ASEANへ移行している。
  異常な二桁の軍拡で作られた景気・・そして、人民元
 札の増発で、景気を煽るという嘘が「ばれ始めた」・・
  知的財産権無視で次世代技術を盗取し、軍事などへ転
 用して来た。
  アメリカのトランプ政権は、ファーウェイやZTEを
 阻止し、スパイ摘発をしている・・
  また、企業買収を止めさせ、拠点買収を阻止している。
  もう中国は、変動相場制へ移行させねばならない・・
  そんな最恵国待遇の特待席には、いつまでも置いてお
 けない。
  有頂天でやっている「一帯一路」は、当然、しぼんで
 行く・・
  世界の工場と言われた中国の生産拠点も「存在意義が
 無くなった」・・獅子身中の虫に成り下がった。
  中国の政治形態が変わり、真からの自由な経済社会に
 ならないのなら・・消えゆくのみ・・
  中国が生き残る道は、真からの自由経済社会と民主主
 義国家への道・・
  AIの熾烈な戦いが繰り広げられる戦国時代の後に、
 その様な社会が来る。
  少数の者が牛耳る監視社会が、多くの奴隷的農民層を
 使うという一時代前の形態の中国社会が生き残れるはず
 はない・・
  そして、中国がやれると思っている方法、したいと思
 っている方法は・・
  二国間の人民元の取引の拡大・・
  その方法で、世界通貨の米ドルの国際社会に挑戦しよ
 うとしている。
  中国とA国が中国・人民元で貿易を拡大し・・
  また、別に中国とB国が中国・人民元で貿易を拡大す
 れば・・一帯一路であらゆる国々と貿易拡大して行けば、
 A国とB国も相互に人民元で貿易が拡大していけると考
 えている。
  米ドルの世界通貨圏で貿易が繁栄している様に、人民
 元の通用圏を拡大し、繁栄しようとしている。
  米ドル世界通貨に対峙したいとしている。
  だから、仕切りに中国は以前から「二国間交渉」を主
 張して来ている。
  


2019年11月13日

(増補版)665E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年2月~1897年2月)

題:(増補版)665E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年2月~1897年2月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
 ☆九段線否定の国連決議をするべきだ。
.
1897年2月15日:衆議院議員・望月右内が、鉄道敷設法改正
 案を第10回帝国議会に提出した。
  鉄道建設費調達の公債募集その他・・この法案は未成
  立だった。
.
1897年2月15日、京都鉄道の二条駅~嵯峨駅(現:嵯峨嵐山
 駅)間が開通し、同時に開業する。
  1893年に、民営鉄道の京都鉄道が設立された。
   現在の山陰本線のうち、嵯峨野線の区間に相当する
   路線を建設し、運営した。
  日本海側の主要都市である舞鶴市までの鉄道敷設が課
 題となり、そこで、田中源太郎、浜岡光哲らが発起人と
 なって、京都から舞鶴までの鉄路敷設を目的に会社が設
 立された。
  1895年、京都駅から綾部を経て、舞鶴に至る鉄道免許
   を受けた。
   断崖絶壁に線路を通し、トンネル8箇所、橋梁は50箇
   所を越える保津峡の難工事も苦心の末・・
  1900年、京都駅~園部駅間が開業した。
   しかし、園部駅以北は、資金難のため、工事が遅々
   として進まなかった。
  1902年4月、政府は、舞鶴鎮守府開庁と共に、京都から
   舞鶴へ通じる鉄道建設が国策遂行上重要として・・
  1902年4月、未成部分の京都鉄道の鉄道免許を取り消し、
   政府自らの手で京都から舞鶴へ通じる鉄道の建設を
   開始した。
  1904年、官設で、福知山駅~綾部駅~新舞鶴駅(現:
   東舞鶴駅)間と支線が開通し、阪鶴鉄道に貸与され
   て開業した。
.
1897年2月16日、摂津鉄道が、阪鶴鉄道に買収され、引渡し
 が完了した。
  1891年、川辺馬車鉄道会社が、この年に開業した尼崎
   ~伊丹間の馬車鉄道を、池田(川西池田)まで延伸
   して、軽便鉄道化した(摂津鉄道)
  1892年、川辺馬車鉄道が解散した。
  1893年3月、伊丹駅~池田駅間の延伸工事を開始する。
  1893年12月12日、尼崎駅~長洲駅~伊丹駅~池田駅で
   開業する。
   舞鶴への軍事的重要性により摂津鉄道もその建設の
   一社として組み込まれた。
.
1897年2月18日、朝鮮の一部大臣や官吏たちが、軟禁状態の
 国王・高宗に還宮を迫る。
  ロシアの参謀本部大佐・公使館付武官プチャータから
 国王警護の保証を得てから(ロシア側は、朝鮮側にこれ
 に関する道義的保証を与えることになっていた)、国王
 に還宮を迫った。
  2月19日の翌日に還宮が迫るという勅令が出され、翌日、
 それが行われた。
  ただし、国王が戻ったのは、昌徳宮ではなく、ロシア
 公使館付近にある慶運宮であった。
  (参考)昌徳宮:しょうとくきゅう、ソウルにある李
     氏朝鮮の王族の宮殿。
  (参考)慶運宮:トクスグン、ソウルにある李氏朝鮮
     の宮殿・・第9代国王・成宗の実兄の月山大君の
     邸宅。
  (参考)景福宮:けいふくきゅう、李氏朝鮮王朝の王
     宮、ソウルにある。敷地の一部に大統領宮廷(
     青瓦台)が置かれている。
  (参考)これより先、ロシア公使館に「播遷(はせん、
     遠くさらうこと)」されていた国王は、独立協
     会などの「還宮」要請をうけて1897年2月、王妃
     が殺害された景福宮ではなく、英米露公使館に
     近い、別宮の慶雲宮へ「還宮(キョンウングン)」
     し、そこを正宮とした。
  これを契機に君主を皇帝と称する問題が浮上した。
  官僚と儒者が皇帝と称すべきことを建言したので、国
 王・高宗は、年号を光武(クワンム)としたのについで、
 1897年10月、皇帝即位式を挙行し、国号を大韓帝国(韓
 国)とあらためた。
  中国皇帝をはじめ各国君主と同格の独立国の元首であ
 ることを宣言した。
.
1897年2月20日、李氏朝鮮国王・高宗が、慶運宮に還宮(元
 の宮へ戻る)した。
.
1897年2月21日、讃岐鉄道の丸亀駅~高松駅間が開通し、高
 松駅~琴平駅間に直通列車(40分等間隔)運転が実施され
 た。
  香川県の多度津において、回船問屋の大隅屋を経営し
 ていた景山甚右衛門が、上京し、鉄道を見たときに地元
 にも鉄道を敷く必要があると決断した。
  そして、多度津駅の近くの多度津港から、金刀比羅宮
 へ向かう参拝客の輸送を目的にして讃岐鉄道を設立した。
  発起人に、計画に協力した香川県議会議員の大久保諶
 之丞もいた。
  1887年、私設鉄道条例によって申請をし・・1887年7月
   11日に仮免許状が下付された(丸亀駅~多度津駅~
   琴平駅)
  1888年2月、本社が多度津に置かれて会社が設立された。
  1888年4月、起工した。
  1889年5月23日、丸亀駅~多度津駅~琴平駅間を開業
  (四国で2番目の開業)そして・・
  1897年2月21日、高松駅までが延伸され、高松駅~丸亀
   駅間が開業した。
  1904年、山陽鉄道に買収され、合併したことにより会
   社は解散・・
  1906年、鉄道国有法に基づいて国有化された。
  1910年、宇高連絡船が開業した。
.
1897年2月25日、日本鉄道の磐城線水戸駅~平駅間が開通し
 た。
  平は、1966年にいわき市となったが、これまでは、駅
 名も平駅(たいらえき)だった・・そして・・
  1897年2月25日のこの日、磐城線の水戸駅と平駅間が開
   業すると同時に、平駅として開設された。
  1897年8月29日、平駅と久ノ浜駅間が延伸されて開業さ
   れ、平駅は途中駅となった。
  1906年11月1日、国有化される。
  1909年10月12日、線路名称制定により常磐線の所属に
   なる。
.
1897年2月25日、日本鉄道の宇都宮駅~片岡駅間の線路変更
 工事が完成し、岡本駅~氏家駅経由新線が開通した。
  これによって、古田駅~長久保駅経由線は廃止された。
.
1897年2月27日、日本人のハワイ移民の665人のうち463人が
 手続きが不備だとされ、また、その他の理由などを言わ
 れて上陸を拒否される・・この件に関し日本は正当に抗
 議した。
 ・・経緯・・
  1830年頃より、サトウキビ畑や製糖工場の労働力確保
   のため移民による労働力を得る方策が行われた。
  1835年、サトウキビを輸出品と捉え、大規模生産をし
   て輸出しようとする動きが出た。
  1839年、ハワイ王国が「権利宣言」を公布した。
  1840年10月8日、ハワイ王国憲法が公布され、立憲君主
   制を成立させた・・諸外国間で独立承認が進められ
   た。
  1842年、アメリカ大統領のジョン・タイラーも、ハワ
   イ王国を独立国として承認した。
  1843年2月、イギリス軍艦がハワイのホノルル港に入り
   威圧的な行動をした。
   ハワイ国王のカメハメハ3世と強行会談が行われ、臨
   時政府が成立させられた・・ハワイ政庁にイギリス
   国旗が掲揚させられた・・アメリカとフランスの動
   きから、この臨時政府は短命に終わった。
  1843年7月、ハワイ王国の主権が成立し戻った。
   その後、アメリカ・イギリス・フランスの干渉が酷
   かった・・が、解決し、イギリスとフランスの承認
   も得られた。
   しかし、アメリカ・ヨーロッパによるハワイ王国内
   での政治的発言は多く、強められて行く。
  1844年、ハワイへ帰化するからとの屁理屈で、ハワイ
   政府の要職へ着任することを認めさせられる。
  1845年、要職着任が基本法として成立して、立法議会
   が開かせられた。
   ハワイの慣習や考え方なども変えさせられ、土地の
   所有のハワイの習慣についても変えさせられた。
  1849年、アメリカ国内のジャーナリズムが、「ハワイ
   を併合して、ハワイ州とせよ」と主張し始めた。
  1850年、外国人による土地私有が認められた。
   白人外国人の投資家がハワイ各地を買収し確保し、
   サトウキビ農場が設立された・・これが一大産業と
   なり急成長して行く。
   (クレアナ法が制定されて、外国人が土地を持てる
   ようになる)・・そして・・
   (なんと!この12年後の1862年には、ハワイ諸島の
   75パーセントが外国人所有となる・・この為、元々
   ハワイに居たハワイ人の方々の生活基盤は失われた・・
   国が乗っ取られた状態になってしまった)
  1852年、ハワイ憲法が改正させられ、新しい憲法・・
   欧米に都合の良いハワイ王国憲法が成立した。
   ハワイの慣習や考え方などががらりと変えさせられ、
   土地の所有についても一変した。
  1852年、「ハワイを併合してハワイ州とせよ」との法
   案がアメリカ議会に提出された。
   この年、ハワイ王国のカメハメハ4世が王位に就いた。
  1852年、中国人労働者が来はじめる。
   中国人労働者のハワイ定着率は悪かった。
   サトウキビ労働者から離れ、商売を始めたりした。
   この様な行為をする中国人は非難を受けた・・中国
   人労働者の受入れ数を制限し始める。
  1855円頃、ハワイ王国政府内に、アメリカ系、イギリ
   ス系、ハワイ王国系の政治グループが居るという状
   況となった。
   (アメリカとイギリスによる政治の乗っ取り・参画・・
   そして、互いに対立をし合うという卑劣な状況)
   アメリカ国内の実業家たちが、アメリカ世論を動か
   して、ハワイを併合させようとする動きをする状況
   が見られた。
  1860年代に入ると、アメリカから金儲けに目がくらん
   だ者たちの参入が加速した。
  1860年、ハワイ王国は藁をもつかむ気持ちで宗教にす
   がる・・キリスト教の「ハワイアン改革カトリック
   教」を設立する・・そして、イングランド国教会の
   聖職者を招く・・列強関係との対等の地位を保ちた
   いという切ない行為であった・・イギリスのヴィク
   トリア女王を教母として祭り上げた。
  1862年、ほとんどのハワイの土地が外国人所有となる・・
   75パーセントが外国人所有の土地となる。
   そして、この年、アルバート王子が死去する。
   アルバート王子は、カメハメハ4世の最初の、そして、
   たった一人の息子・王子だった・・そして、また・・
   その翌年・・
  1863年11月、ハワイ王国の国王・カメハメハ4世が死去
   した・・
   連続的な死はクエスチョンであった・・
   王位は、兄が承継し、カメハメハ5世として即位した。
  1864年8月、ハワイ王国憲法という新しい憲法を公布し
   た・・
   王が親英政策であるため、アメリカは、ハワイがイ
   ギリスに傾斜することを恐れた・・アメリカは、秘
   密裏にハワイ王国を併合する計画を進めた。
   また、不思議に・・1860年代のこの年代には、多く
   のハワイのハワイ人の方々が感染症のため亡くなっ
   た・・ハワイ人の方々に感染症予防の免疫が無かっ
   たとされた。
  1868年からの日本の移民が開始された。
  1871年8月、日本とハワイ王国との間に、日布修好通商
   条約が締結された。
  1872年、不思議な事に、次の王位継承者を指名するこ
   となしにカメハメハ5世が急死した・・ルナリロ王へ・・
  1873年1月、ルナリロ王が即位する。
   後継の使命が無かったので・・選挙によって親米派
   のルナリロが王位継承者となって親米的な政治を行
   う・・閣僚にアメリカ人を採用したり、親米政策を
   実行した・・アルコール依存症になっていた・・
   しかし、やはり、在位わずか1年1ヶ月で、次の王位
   継承者を指名することなく亡くなった・・
  1874年2月13日、デイヴィッド・カラカウアが王位を継
   承し即位する・・
   再び、選挙によって保守で、親日のカラカウア王が
   即位した・・しかし、この時は、すでに時遅しで、
   政権は傀儡政権となっていた。
   この王は、即位後、後継者の指名をして前の失敗を
   繰り返さない様にした。
  1876年、関税が撤廃され、世界有数のサトウキビ輸出
   が盛んになった。
   カラカウア王が、アメリカを訪れ貿易関税撤廃相互
   条約(米布互恵条約)を締結する・・
   しかし、この条約の中に、ハワイのいかなる領土も
   アメリカ以外の他国に譲渡せず、貸与せず、特権も
   与えないという条項も取り決められていた。
  1881年、カラカウア王が、幼なじみだという白人を伴
   い世界一周旅行を「お忍び」で行う・・約10ヶ月間
   の旅行だった・・
   日本にも来た・・そして、姪の王位継承者のカイウ
   ラニ王女と、日本の皇族の山階宮定磨王(後の東伏
   見宮依仁親王)との縁談の話を希望した・・非常に
   熱心にこの話が進められた・・心中ではアメリカの
   策謀に悩まれていたのだろう・・日本に救済を求め
   る合図だった・・
  1887年11月、米布互恵条約の更新が行われる。
   この時の条件として「より大きな高次元な益を求め
   る」として「真珠湾のアメリカによる独占使用権」
   が条件にさせられた。
   もう、これは、ハワイ王国の部分的乗っ取りだった・・
   カラカウア王もリリウオカラニ王女も反対だった。
   しかし、アメリカ上院は強硬だった。
  1887年、ハワイ王国の野党によって怪しげな秘密結社
   が結成され、怪しげな動きが始まった。
   新憲法の採択を王に要求した・・この陰謀組織は、
   白人市民義勇軍と結託していた・・
   王は、内閣の解散で抵抗した・・これが成功したか
   に見えたが・・後に、この秘密結社がこの新憲法草
   案を王に承認させた・・
   1887年7月に採択されてしまった(1887年憲法)・・
   この憲法は「銃剣憲法」と言われた・・威嚇のもと
   に強制的に調印させられた憲法だった。
   数々の不公正があり、欧米系の富裕層のみに選挙権
   があるという憲法内容の不公正な状況・・
   この憲法によって、完全にハワイの政治的権力を手
   に入れた欧米系諸国だった。
   ハワイ王の王権も制限させられていた。
  1889年、ハワイ王国の軍人らが、あまりにもの不正さ
   に抵抗するが失敗した・・武力差があって敗けると
   分かっていての反抗だった・・正義の主張だった・・
  1890年、ハワイの砂糖により打撃を受けていたアメリ
   カ国内の製糖業を助けるため、アメリカの関税法が
   改正された・・
   ハワイの製糖業は大打撃を受ける・・ハワイ経済は
   深刻な不況となる。
   ハワイの製糖業を経営していたアメリカ人は、この
   状況に不満を持った・・
   ハワイを、アメリカの保護領にするしかないという
   考えを持ち始める・・そして・・その翌年・・
  1891年1月20日、カラカウア王が、サンフランシスコで
   死去した・・
   リリウオカラニ王女が王位に就いた。
   リリウオカラニ王女が指名した閣僚は入閣すること
   を承諾しなかった・・承諾できる状況ではなかった・・
   内閣が機能しない事態に陥った。
  1892年11月、ようやく組閣の為の閣僚承認がなされて
   政治危機を脱することができた。
   問題は山積みされていた・・
   リリウオカラニ王女はアヘンの売買についての政策
   を打ち出した・・これに対し、アメリカ系白人から
   批判が噴出した。
   1864年憲法によってハワイ王の権力が剥奪されてい
   る問題もあった。
   こうした動きにアメリカは危機感を持った。
   アメリカの駐ハワイ公使ジョン・L・スティーブン
   スは、ハワイ王国の転覆と暫定政府の樹立を計画し
   た。
   すでに、1892年春には、親米派による「併合クラブ」
   という秘密結社が出来ていた。
  1893年1月14日、ハワイ公使と息の合っている者たちら
   の呼びかけにより怪しげな組織がつくられ、集会を
   開こうとしていた・・これに対し、王党派は「反逆
   罪の適用」を検討した。
   この混乱を収めるための「リリウオカラニ王女によ
   る新憲法」を作らせてはならないという状況になっ
   た・・混乱が起き・・リリウオカラニ王女は宮殿外
   に待機する群衆に向かって、憲法の施行はしばらく
   延期すると発表した。
  1893年1月16日、怪しげな組織の指導者・サーストンは
   王女を糾弾した。
   駐米ハワイ公使は「ホノルルの非常事態だ」として
   「アメリカ人の生命および財産の安全確保のため海
   兵隊の上陸を要請する」と通達した。
   午後5時、アメリカ海兵隊が武装して上陸した。
   アメリカによる武力行使が行なわれた・・
  1893年1月17日、新政府樹立の準備のため、判事が辞任
   した・・
   午後2時、政府庁舎に「公安委員会」一同が集結する・・
   すると、ハワイ王国の終結が宣言されて、暫定政府
   の樹立が宣言された。
   ハワイ王国の政府庁舎や公文書館が占拠された・・
   戒厳令が布かれた・・
   そして、各国の外交使節団やリリウオカラニ王女に
   対して暫定政府が樹立されたことが伝えられた。
   リリウオカラニ王女は、特使を派遣して、アメリカ
   が暫定政府を承認しないように求めた。
   しかし、「暫定政府は承認された」とアメリカは回
   答した。
   また、アメリカは、「ハワイ王国の存在は承認しな
   い」と回答した。
   リリウオカラニ王女は、「反逆行為のすべてに対し
   て、ここに厳重な抗議をします」と長い声明文を送
   付した。
  1893年2月1日、ハワイ政府庁舎に星条旗が掲揚された。
   後に、アメリカのクリーブランド大統領は、この様
   な過激な行動をとるべき理由は何も存在しなかった
   ことを表明し、一外交官が軍隊を上陸させて有効な
   政府を倒す手助けをしたことが大統領に報告され、
   ハワイ政庁の星条旗を下ろさせ、アメリカ海兵隊を
   船に戻すようにとの指示がなされた。
   クリーブランド大統領は、この様な行動を「ホノル
   ルの無法な占拠」と批判した・・そして、公使を更
   迭することを決定した。
   新しい駐米ハワイ公使は、リリウオカラニ王女の女
   王復位と暫定政府の取り消しを模索した。
  1893年4月、日本は、ハワイ王国と改正条約を締結して
   いた・・
   日本は、ハワイ王国を対等の国として認めていた。
  1893年11月、日本は、アメリカのハワイ併合の動きを
   止めさせるため、この時、邦人保護のため、東郷平
   八郎が率いる巡洋艦と他2隻をハワイに派遣した・・
   そして、ハワイのホノルル港に入り、抗議の停泊を
   行なった・・そして、クーデター勢力を威嚇した・・
   この時、米国軍艦も3隻が停泊中だった。
   この日本の行動を女王を支持するハワイの方々は涙
   を流して歓喜した。
  1893年12月20日、アメリカの新公使は、「リリウオカ
   ラニ王女を正式なハワイの統治者であることを認め、
   現地位と権力のすべてから退くこと」とクリーブラ
   ンド大統領のメッセージを伝えた・・しかし・・
  1893年12月23日、「過ちがあったのはアメリカ政府の
   機関であり、暫定政府とは無関係である・・クリー
   ブランド政権の要求は内政干渉である」との声明が
   ハワイ暫定政府から発せられた・・
   さらに、暫定政府を恒久的な政府として運営するた
   め、「ハワイ共和国」と改称された。
  1894年3月、日本は軍艦を撤収することを決めた。
   牽制という一定の目的は果たしたが、親日的なハワ
   イ王国政府を復活させるという目的は果たせなかっ
   た。
  1894年7月4日、新憲法の発布がなされ、ハワイ共和国
   という新国家が成立したと宣言がなされた。
   ハワイ共和国の大統領には、サンフォード・ドール
   が就任した(ハワイ共和国の最初で最後の大統領)
   ハワイ共和国憲法は、まったくアメリカの憲法と極
   似だった・・ただ、東洋人から選挙権を剥奪し、市
   民権も与えなかった・・そして、公職からも追放し
   た・・白人の優越・優遇がなされていた。
   この様な事態に、ハワイの王党派は日本に援助を求
   めた。
   駐日ハワイ公使は、日布修好通商条約の有効性と対
   等化を求めた。
   日本は、1893年4月にハワイ王国と改正条約を締結し
   ていた・・日本は、ハワイ王国を対等の国として認
   めていた。
   日本は、アメリカのハワイ併合の動きを止めさせる
   ため、1893年11月、邦人保護のため東郷平八郎が率
   いる巡洋艦と他2隻をハワイに派遣した・・そして、
   ハワイのホノルル港に入り、停泊させた・・クーデ
   ター勢力を威嚇した・・この時、米国軍艦も3隻が停
   泊中だった。
   この行動を女王を支持するハワイの方々は涙を流し
   て歓喜した。
   翌年、日本は、軍艦「浪速」を「高千穂」に交替さ
   せたりした。
   1894年3月、日本は軍艦を撤収することを決めた。
  1895年1月6日、王政復古を目ざして、ハワイの方々が
   武装して蜂起した・・ワイキキでの衝突が発端だっ
   た・・強権によって2週間後に鎮圧された。  
   リリウオカラニ王女は、この件に関与していなかっ
   たが、黙っていたことが問題視された・・そして・・
  1895年1月16日、弾薬や銃器を隠し持っていたという理
   由で、リリウオカラニ王女は、他の王族と共に反逆
   罪によって逮捕された・・
   アメリカ人だって机の引き出しに銃器を持っている
   だろうに・・物置の奥の棚の上に銃器を置いている
   だろうに・・
   リリウオカラニ王女は自由が剥奪された・・イオラ
   ニ宮殿に閉じ込められた。
   この蜂起で多くのハワイ人の方々が虐殺された。
  1895年1月22日、リリウオカラニ王女は、約200名のハ
   ワイ人の方々の命を救うため、王位の請求はしない
   とした・・断念した。
   そして、今後はハワイ共和国へ忠誠を誓い、一般市
   民として生きることを宣言書に署名させられた。
   ハワイ王国の存立することの断念である。
  1895年2月27日、リリウオカラニ王女が反乱に加担した
   として5年間の重労働と5000ドルの罰金の判決がなさ
   れた(アメリカは、この様な『不法な裁判』は歴史
   上よくやる・・裁判をやれば正義だとする・・公正
   に運営されない裁判が正義か?・・そんな訳はない)
  1895年9月6日、リリウオカラニ王女が釈放される。
  1897年2月27日、日本人のハワイ移民の665人のうち463
   人が手続きが不備だとされ、また、その他の理由な
   どとされて上陸を拒否された。
   これは、日本人移民による人口増加と、それに伴う
   日本政府の影響力増大への警戒や、アメリカによる
   ハワイ併合問題・思惑がからんで複雑に展開した。
   1897年5月、日本は、軍艦をもって抗議行動をした。
   1898年8月、ハワイに出来た政府から日本へ賠償金が
   支払われ、非が認められ、この様な事がなされた。
  1898年3月16日、ハワイ併合のアメリカ議会での議案が
   アメリカ議会に出された。
  1898年6月15日、ハワイ併合の議案がアメリカ下院を通
   過し、
   1898年7月6日にはアメリカ上院を通過し、
   1898年7月7日に、マッキンリー大統領が署名し、ハ
   ワイはアメリカに併合されてしまった。
   日本は、抗議をした。
   アメリカの法律である中国人排斥法が適用された。
  1898年8月12日、アメリカのハワイ編入宣言がなされた。
   正午にハワイ国旗が降ろされ、星条旗がイオラニ宮
   殿に掲揚された。
   アメリカの準州としての扱いを受けることになった。
  1902年にはサトウキビ労働者の70パーセントは日本人
   移民だった。  
  1924年、排日移民法が成立した。
   この時まで約22万人の日本人がハワイへ行っている。
  1993年11月、アメリカ合衆国議会は、ハワイ併合に至
   る過程が違法だったと認め、公式に謝罪する両院合
   同決議を採択した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:1993年11月、アメリカ合衆国議会は、ハワイ併合に至る過程が違法だったと認め、公式に謝罪する両院合同決議を採択した。
    日本の抗議行動は正しかった。
.
紀元前2000年頃〜紀元前12世紀、古代ギリシャのミケーネ
 時代
  古代ギリシャ人の歴史は、インド・ヨーロッパ語族の
 大移動の一環としてアカイア人とイオニア人がギリシャ
 半島に南下して来たことに始まる。
  彼らは、紀元前1600年頃より、ホメーロスの叙事詩に
 も出て来るミケーネはじめ、強力な王権を中心とした王
 国を、ギリシャ各地に建設、西アジアの諸国とも盛んに
 交流した。
  有名なトロイ戦争が行われたのはこの時代の末期だっ
 た。
.
紀元前12世紀〜紀元前8世紀、古代ギリシャの暗黒時代
  ドーリア人の南下で、ミケーネ時代の諸王国が滅び、
 混乱期が続き・・
  その期間を経て、各地にポリスが成立するまでの時期。
  末期には、ホメーロスの叙事詩や神話体系、アルファ
 ベットができる。
.
紀元前8世紀〜紀元前4世紀、古代ギリシャのポリス時代
  本土のアテネや、スパルタや、コリントなど多数のポ
 リスが形成された・・そのほか、紀元前7世紀末〜紀元前
 6世紀にかけて、黒海や地中海沿岸の各地に多数の植民ポ
 リスが建設された。
  このうち、3度の「ペルシア戦争(紀元前492年〜紀元
 前479年)」を勝ち抜いて・・それ以降は、「古典期ポリ
 ス」の時代と呼ばれ、歴史上最も輝いた時代となった。
  政治面では、アテネを筆頭に、広く古代民主政治が行
 われた。
  文化面では、ペリクレスによって、パルテノン神殿が
 再建され、アテネを中心に、アイスキュロスなどの悲劇
 詩人や喜劇詩人、ヘロドトスやトゥキュディデスなどの
 歴史家、ソクラテスやプラトン、末期にはアリストテレ
 スなどの哲学者が出た。
.
紀元前4世紀〜紀元前146年、古代ギリシャのヘレニズム時
 代
  アレクサンドロス大王の時代から、ギリシャがローマ
 の属州になって、独立を失うまでの時代。
  ギリシャ文化がアジアの文化と融合して「ヘレニズム
 文化」が展開された時代。
     ・
     ・
     ・
1920年、EQ:心の知能指数(こころのちのうしすう、英:
 Emotional Intelligence Quotient、EQ)は、心の知能
  (英: Emotional Intelligence、EI) を測定する指標で
 ある。
  心の知能とは、自己や他者の感情を知覚し、また自分
 の感情をコントロールする知能を指す。
  1920年、コロンビア大学のエドワード・ソーンダイク
 が、他人と付き合う能力を「社会的知性」として取り上
 げた。
  1975年、ハワード・ガードナー が、『The shattered
 mind』を発表し、他者との対話と自己との対話の両方を
 理論化した「多重知能 (MI) 理論」(人には8種類の知
 性のタイプがあるとしたもので、後に、2種類を追加)を
 初めて唱えた。
  ガードナーを始めとする多くの心理学者は、IQテス
 トのような従来からの知性の尺度では、人の認識力を完
 全には捉えきれないと考えている。
.
1932年3月1日、満州国の建国宣言
  今(2019年)、「中国東北部」と称する地域がある。
  「中国東北部」は、中国(中華人民共和国)の東北側
 外縁に存在する地域だという・・
  歴史的に満州(まんしゅう、英語:Manchuria)と呼ば
 れていた地域・・
  ここは、中国がわざわざ「中国東北部」と呼ばせたと
 ころに味噌がある。
  この呼び名にさせた所に中国の「後ろめたさ」がある。
  この地は、今まで「満州人が多く住んで居た」。
  今の中国政権の漢民族が住んで居た地ではない。
  一番ではないが朝鮮民族も居た。
  だから、韓国は、この地域は、かつて朝鮮民族の地だ
 ったと韓国の小学生に教えている。
  この様に、万里の長城の外で、「毛外の地だ」と呼ん
 でいたこの地域が、今では「中国東北部」と呼ぶ・・「
 漢民族の中国の地」となっている。
  中国は、古来より色々な民族が入れ代わり、そして、
 立ち代わり・・
  そして、細かく分かれたりして・・長い歴史を変遷し
 て来た・・
  今、中国政権を取っている漢民族も、元々は、黄河中
 流域に住んでいた民族・・
  万里の長城の外で「化外の地」とされたこの「中国東
 北部」は、荒野ばかりの辺境の地だった・・
  そのこともあって、漢民族(漢人)はこの地を化外の
 地とし、入植をしようとさえしなかった。
  この地が、動き出すのは近年になってであり・・ロシ
 アが南下して来てからである。
  日本は、日露戦争に勝ち、ロシアからこの地を引き継
 ぎ(侵略したのではない)、満州人の多いこの地に「満
 州国」の建国を手伝う・・
  日本は、韓国・朝鮮や、台湾と同じく、この満州にも、
 日本からの資本を投下することによって、鉄道を敷設し
 たり、発電所(社会を建設するためには、また、発展さ
 せるためには、大切な基本中の基本の必須の社会インフ
 ラ)を建設したり・・
  また、近代的な建物など社会インフラ建設をし、社会
 整備した。
  社会環境も変わり・・満州に、中国からの移民が流入
 し始めるとともに、日本からも、荒野の開拓民が移民し
 た。
  人口は5割増となった。
  (参考)1932年3月1日、張景恵、臧式毅、煕洽、馬占
     山の四巨頭と熱河省の湯玉麟、内モンゴルのジ
     ェリム盟長チメトセムピル、ホロンバイル副都
     統の凌陞が委員とする東北行政委員会が、元首
     として清朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀を満洲国
     執政とする満洲国の建国を宣言した(元号は大
     同)。
      首都には長春が選ばれ、新京と命名された。
      国務院総理(首相)には鄭孝胥が就任した。
      その後、1934年3月1日には、溥儀が皇帝とし
     て即位し、満洲国は帝政に移行した(元号は康
     徳に改元)。
      国務総理大臣(国務院総理から改称)には鄭
     孝胥(後に張景恵)が就任した。
  (参考)張景恵:ちょうけいけい、遼寧省台安に生ま
     れ、青年期の日清戦争の頃、台安県に武装自衛
     団を組織し、張作霖に帰順した。
      張作霖が清朝に帰順すると、これに従い、奉
     天での治安維持に当たる。
      1911年の辛亥革命では清朝武官の身分であっ
     たので清朝側で戦う。
      清朝が崩壊し、成立した中華民国の奉天都督
     の配下の師団長に任命される。
      袁世凱の死亡後、指導的立場になる。
  (参考)臧式毅:ぞうしきき、中華民国の政治家で、
     また、北京政府、奉天派の軍人。
      1925年9月、江蘇督弁に任命された楊宇霆に随
     って、南京に入り、省署参謀長に任命された。
      1926年12月1日には、張作霖が安国軍総司令に
     推戴されると、公署参議として、奉軍留守司令
     を委ねられている。
      1931年の満州事変時は、和平交渉に中国側で
     携わる。
      1931年12月15日、奉天省長、遼寧の統治を行
     なう。
  (参考)煕洽:きこう、政治家。辛亥革命時に、宗社
     党の清朝復活運動に尽力する。
      また、奉天および吉林省の張学良からの独立
     を宣言したりした。
      満州事変時は、東北辺防軍の駐吉林副司令官
     兼吉林省主席の張作相の吉林における政務を代
     行する。
      そして、吉林省の長官公署の長官ともなる。
  (参考)馬占山:ばせんざん、軍人。張作霖の側近に
     見出され旅団長となり、満州事変時は、張学良
     に黒竜江省政府主席代理を任命される。
      大軍を指揮し、混乱する地域で戦う。
      謝介石の説得に応じて独立政権樹立に参加。
.
1995年7月、ヴェノナ文書が公開される。
  ヴェノナ文書とは・・
  ベノナ計画が、1943年~1980年までの37年間の長期に
 わたって、アメリカ合衆国陸軍情報部(後のNSA/アメ
 リカ国家安全保障局)と、イギリスの情報機関が協力して
 行った「ソ連」と「米国内に多数存在したソ連スパイ」
 との間で有線電信により交信された多数の暗号電文を解
 読する極秘プロジェクトの名称・・
  ヴェノナと表記したり、解読されたファイル群をベノ
 ナ文書と呼称する。
  1995年7月に、これらソビエトスパイの暗号解読文書の
 一部が公開され始め・・
  さらなる公開で、約3000に上る解読文書が公開された。
  この事によって、東京裁判の判決がひっくり返る新事
 実が出て来たりした・・
  また、多くの歴史的見解がひっくり返った。
  アメリカ政府の内部にはソ連・コミンテルンのスパイ
 がうようよといた・・
  (ちなみに、「スパイ防止法」の無い今の日本は、こ
 の当時の様に、日本国内に、スパイが多い状態となって
 いる・・という)
.
2018年1月26日、中国が、北極海でも「一帯一路」、権益拡
 大へ白書発表
  上記の表題の日本経済新聞によると・・
  中国政府は26日、北極海の開発や利用に関する基本政
 策をまとめた「北極政策白書」を初公表した。
  北極海を通る航路を「氷上のシルクロード」と呼び、
 中国主導の広域経済圏構想「一帯一路」と結びつける方
 針を示した。
  地球温暖化で氷が解けており、船舶の通航や資源開発
 が容易になった北極海で権益拡大をめざす。
  海運企業などによると東アジアから欧州にいたる北極
 海経由の航路は、インド洋からスエズ運河を抜ける従来
 ルートに比べて時間が「約3割短縮される」。
  北極海は資源も豊富で、ロシアの都市ヤマルでは液化
 天然ガス(LNG)の生産を2017年末から始めた。
  核抑止の要となる潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)
 を搭載した原子力潜水艦を米露の狭間に配備できる軍事
 的な要衝でもあり、中国の関心は強い。
  中国は白書で「北極圏に最も近い国の一つ」と自国を
 位置づけ、経済や環境など幅広い分野で北極の利害関係
 国だと明示した。
  「中国はエネルギーの消費大国であり、北極海航路や
 資源開発は中国経済に大きく影響する」とし、権益確保
 に向けて積極的に関与する方針を示した。
  具体的には、「企業が北極海航路のインフラ建設や商
 業利用に参加することを奨励する」「企業が石油や天然
 ガス、鉱物資源の開発に参加することを支持する」と白
 書に盛り込んだ。
  中国の進出には乱開発や安全保障面の懸念が指摘され
 る。
  孔鉉佑・外務次官は、記者会見で「別のたくらみがあ
 るとか、資源の略奪や環境破壊などの懸念はまったく不
 要だ」と訴えた。
  北極圏に領海や領土を持たないことを考慮し、白書に
 は沿岸国の主権や管轄権を尊重するとも明記した。
  ただ、そのうえで「中国は北極における国際ルールの
 制定に積極的な役割を果たす」との方針を示した。
  北極には、平和利用を定めた南極条約のような国際ル
 ールがまだ整備されていない。
  利用や開発をめぐる国際秩序の形成が今後の課題とな
 っていることが念頭にあるもようだ。
  新たな国際ルールは、米国やロシア、デンマークなど
 8つの北極圏国で構成する「北極評議会」が議論を主導し
 ている。
  中国は13年に日本や韓国などとともにオブザーバーと
 して議論に参加した。
  白書発表は中国の意思をより強く反映する意思表明と
 もいえそうだ。
  中国の習近平(シー・ジンピン)国家主席は、2017年
 に、ロシアやフィンランド、ノルウェー、デンマークな
 ど北極評議会の加盟国の首脳と相次いで会談した。
  「氷上のシルクロード」に言及したこともある。
  北極海の開発について首脳間で協力を呼びかけており、
 関係国との連携強化にも余念がない。以上
  (関連)
  苫小牧港と釧路港が中国化する。
  中国が、北極海航路の開拓のため、苫小牧港と釧路港
 が欲しいと金(中国・人民元)の勢いで手に入れている。
  また、この北海道資産のほか、千歳空港の周りの土地
 も手に入れている。
  また、40万人の中国人(漢民族)を北海道に入れる計
 画でいて、北海道知事は歓迎している。
  東京開催から、マラソンと競歩が、北海道へ移ったの
 もこの動きの中国が関係している。
  また、札幌に中国街を作る予定・・
  日本国民は税金を支払い、この税金を使って北海道を
 良くして来たが、その利便性を手に入れたいとしている。
  北海道には米軍基地がないのも「中国にとって都合が
 良い」という。
  中国は日本に移民し、そして、日本人名となり帰化し
 た人の名で「北海道の土地を買っている」。
  この様な土地が多くあるという。
  オーストラリアのタスマニア島でも同じ様なことを中
 国は行っていて、オーストラリアで問題となっていて、
 また、タスマニア島では、中国からオーストラリアへ帰
 化した元中国人が立候補し、政治に参加しようとした。
  これも、問題となって、事前に、騒がれ落選した。
  しかし、日本は「のほほん」としていて・・日本の北
 海道の場合には、北海道知事が歓迎している様に、すべ
 て「のほほんとしている」。
  中国の世界制覇の下の行動を無視している。
  それとも、それが、中国からの核ミサイルの飛来を避
 ける道だとでも考えているのか?
  国土防衛をしっかり考えない日本に対し・・
  この様な方法で、中国は日本を、順次、手に入れて行
 くだろう・・次は、沖縄だという。
  アイヌが、「歴史の真実を無視して」先住民とされて
 しまったが、これも関係しているという。
  この動きに同調している国政レベルの議員が、菅義偉
 議員だという。
.
2019年10月30日、アメリカ高官が、中国が介入することに
 対して批判した。
  ダライ・ラマの後継者選び・・
  アメリカ国務省のアリス・ウェルズ次官補代行(南・
 中央アジア担当)は10月30日、チベット仏教の最高指導
 者ダライ・ラマ14世の後継者選びに関し、「中国共産党
 による『中国の法や規則に従うべきだ』との主張は意味
 をなさない」とツイッターに投稿した。
  中国政府の介入を批判したもので、中国側の反発は必
 至だ。
  ウェルズ氏はツイッターに「チベットの人々は、他の
 宗教の信者たちと同様に、政府の介入なしに自分たちの
 指導者を選び、崇拝する自由が与えられるべきだ」と書
 き込んだ。
  中国は、ダライ・ラマの後継を選ぶ制度のあり方につ
 いて、決定権が中国政府のみにあるとしており、こうし
 た主張を強くけん制した形だ。(参考:読売新聞)
.
2019年10月30日、イスラエルが、中国の投資を監視するこ
 とにした。
  イスラエル政府は10月30日の治安閣議で、外国からの
 投資内容を審査する委員会の設置を決めた。
  複数の地元メディアによると、イスラエルへの投資を
 加速させている中国に懸念を強めている米国が、中国の
 投資を監視する狙いで設置を要請していた。
  巨大経済圏構想「一帯一路」を掲げる中国は、地中海
 に新たな海上交通路を確保する狙いで、20億ドル(約2200
 億円)を投じてイスラエル北部で港湾建設を進めている。
  2021年に港の運用を開始する予定だ。
  米国のムニューシン財務長官は、委員会設置決定の直
 前にエルサレムでネタニヤフ首相と会談しており、設置
 を要請したとみられる。
  委員会は年内にも作業を開始し、安全保障上の問題の
 有無などを審査する予定だ。(参考:読売新聞)
.
2019年11月1日、日本の研究者が、中国で急に捕まって、拘
 束されている・・中国への渡航を自粛する動きがある。
  北海道大学教授が学術交流で中国へ行ったら拘束され
 た・・以下、読売新聞から・・抜粋・・
  中国・北京で北海道大学の40歳代の日本人男性教授が
 拘束された問題を受け、日本人の中国研究者の間で中国
 渡航を自粛する動きが出ている。
  男性が研究する中国近現代史などの分野で、資料収集
 や中国の研究者らとの交流が中国当局に問題視されかね
 ないと懸念しているためだ。
  日中間の学術交流への影響が広がりつつある。
  拘束された男性と協力して中国現代史に関する研究を
 していた複数の大学教授らは、当面の渡航自粛を申し合
 わせた。
  近く予定していた北京などへの出張は中止する方向だ。
  関係者は「中国当局に痛くもない腹を探られたくない」
 と語る。
  男性は当局からスパイ活動などの疑いをかけられたと
 見られている。
  しかし、男性は知人の研究者に対し、日本の政府機関
 を念頭に「接触してくるところはあるが、お金を貰った
 り関係をつくったりしては駄目だ」と語っていたという。
  この研究者は「男性が日本政府のためにスパイ活動を
 行っていたとは考えられない」と語り、「建国前後の混
 乱など、共産党政権に不都合は歴史資料を収集すると当
 局ににらまれるのではないか」と不安を訴える。
  日本の著名な中国研究者らで作る「新しい日中関係を
 考える研究者の会」(代表幹事=天児慧・早稲田大学名誉
 教授)は10月29日、男性の拘束に「言葉にしがたい衝撃
 を受けた」とする緊急アピールを発表した。
  男性は中国社会科学院近代史研究所の招きで北京を訪
 問したとしている。
  中国外務省の耿爽(グオンシュアン)副報道局長は31
 日の定例記者会見で、訪中する学者や旅行者は歓迎する
 としつつ、「犯罪行為があれば法に基づく処置を受ける
 のは当然だ」と主張した。(参考:読売新聞)
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  元徴用工のこと・・
  日本で儲けたいと給料の良い日本に来て韓国・朝鮮の
 人が、日本で働いて帰った。
  日本の給料が良いから、韓国・朝鮮から密航的に来て、
 捕まった人が、また密航して来るほど日本の給料は良か
 った。
  元徴用工の話は、この様な状況の中に始まる・・
  今ごろになって、韓国が、日本に御礼を言うどころか
 文句を付けている。
  韓国の裁判所は、日本のどこが悪くて判決を出したの
 か? 事実認定を間違っている。
  賠償をする様な事を日本がしたと言う。
  これは、慰安婦問題と同じような韓国のでっち上げだ。
  そもそも問題となる様な事は無いのだ。
  また、例え、韓国の裁判所の判決の様な事はないが、
 あるとしたって、日本と韓国の間には、「この類いの問
 題が生じた場合は、韓国政府が責任をもって解決すると
 なっている」。
  「日本には問題が及ばない」と、国と国の約束で、条
 約として取り決められている。
  だから、今、無理を承知で韓国は、色々とその無理を
 押し通して、日本に言っているが、詳しい事を知らない
 世界の人たちを騙している。
  そして、韓国は、世界の人たちを繰っている。
  世界の人たちは、「日本がおかしいのではないか」と
 世界に思わせ様としている。
  まったく日本に問題のない話しを、何か問題のありそ
 うな話しにしようとしている。
  日本は、また、変な妥協をすると、その妥協が、例え
 小さな妥協であっても、「やっぱり日本がおかしかった
 のか」となる。
  日本は、この様な筋の通らない話しは「突っぱねよ!!」。
  正論だけ言っていなさい。
  慰安婦の時の二の舞はするな!
  また、世界へ理解して貰(もら)う努力をせよ!!
  韓国へ正論を言っても通じない。
  日本に譲歩を求める韓国大統領はおかしい?
  何も悪くない日本に、その説明もしない韓国に、譲歩
 を求める韓国はおかしい?
  韓国は、「得意な引っ掛け」を、日本に対して行って
 いる事になる。
  この様な卑劣なところが、韓国には、昔からある。
  また、「平行線」と表現すること自体もおかしいこと
 なのだ。
  何も問題ない日本に、その問題も説明できない韓国に、
 平行線となる線は無いのだ・・その様な状態の韓国なの
 だ。
  平行線もなにも問題自体が日本に無いのだ。
  また、韓国大統領が「未来志向の話し合いをしたい」
 と言ったって、「日本の問題点の説明もしない韓国に、
 未来を語る資格はない」。
  日本に問題があるというのなら、誠実に日本の問題点
 を説明しなさい。
  「そもそも問題が無いものに、問題があるとした韓国
 の問題を解消しないで、話し合いをしようという論理は
 成立しない」。
  未来志向であろうがなかろうが「その未来の発展の芽
 を摘み取っている韓国の論理を撤回して、その様なデッ
 チアゲを謝罪がなければ、話し合いも何もできる訳はな
 い」。
  この様な韓国の態度を例えるならば・・
  「日本の顔を殴っておいて、日本に謝罪もしないで、
 握手したいと言っている様なもの」。
  「謝罪しないで、未来志向の話し合いをしよう」と言
 っている様なもの。
  韓国は、日本と未来志向の話し合いがしたいならば、
 まず、元徴用工での非礼の謝罪をしなさい。
  韓国に非があるのに、謝罪も、また、反省も示さずに、
 「両国間の懸案が早期に解決するよう、互いに努力しよ
 う」なんて言えるものだ。
  この様な、韓国の世界を誤魔化す態度が、そもそもの
 問題なのだ。
  韓国よ!、誠実になりなさい。
  そして、日本は、あくまで筋を通しなさい。
  変な妥協をしては、世界を誤らせる。
  また、変な誤解を日本は受けてしまう。
  いつもの様にしつこい韓国だが、正論だけをこの件に
 ついては言っていなさい。
  韓国のこの様なおかしさはアメリカには分かって貰っ
 たので、これからは世界に理解してもらう様にしよう。
  この様な不誠実な韓国大統領の「退陣せよの声」が、
 韓国国内に満ちている。
  この様な韓国大統領には、正論だけで応じて下さい。

  


2019年11月06日

(増補版)664E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年1月~1897年2月)

題:(増補版)664E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年1月~1897年2月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
.
1897年1月31日、西周(にしあまね)が死去した。
  (1829年~1897年)
  哲学者(日本最初の西洋哲学者)、啓蒙思想家・啓蒙
 学者。幕府開成所教授。東京学士会院会長。東京師範学
 校校長、元老院議官。貴族院勅撰議員。
  1829年3月7日(文政12年2月3日)生まれ
   岩見(いわみ)国(島根県)、津和野藩医の長男(
   父は時義、母はカネ)
    若くして儒学、朱子学を学び、荻生徂徠にも啓発
   された。
  1854年(25歳)ペリーの来航によって蘭学、洋学の必
   要を悟り、専念したく脱藩へ・・
  1857年(28歳)脱藩して蕃書調所に出仕、教授手伝並
   となり・・蘭学を学び、英学を杉田成卿、手塚律蔵
   に学び、英語の発音を中浜万次郎に学んだ。
  1862年(33歳)幕府派遣留学生として、榎本武揚、津
   田真道らとオランダのライデン大学に留学、シモン・
   フィセリングに師事し、邦楽、経済学、統計学など
   を学んだが、J.S.ミルの功利主義や、A.コントの
   実証主義の哲学、および、カントの恒久平和の思想
   に感銘し、共鳴した。
  1865年(36歳)帰国して、開成所教授となり、幕命に
   よって万国公法の翻訳を大成して行く(1868年)・・
  1866年(37歳)大政奉還前後は徳川慶喜の政治顧問と
   もなり京都に行く、私塾も開いて哲学を講義した・・
  1868年(39歳)沼津兵学校頭取となったが・・
  1870年(41歳)明治維新の政府に招かれ、新政府軍部
   官僚となり、近代軍制の整備にあたる・・
    兵部省のちの陸軍省のほか文部省にも勤務し、か
   たわら私塾・育英舎を開いた。
    兵部省・陸軍省での軍制整備では軍人訓誡、軍人
   勅諭の原案の起草に関係する。
  1873年(44歳)福沢諭吉、森有礼、中村正直らと「明
   六社」の設立に参加し、1874年(45歳)明六社を結
   成し活躍した。
    西洋文明や西洋哲学の紹介、啓蒙思想の普及活動
   に努め、尽力し『明六雑誌』に哲学論文を発表した・・
  1874年(45歳)新しい時代の青年を教育するために学
   問全体の統一的理解の必要を感じ、『百一新論』で
   この統一科学の試みを「哲学」と称した。
    彼の哲学はミル、コントの実証主義哲学をモデル
   とし、自然科学の土台の上に社会、人文科学を積み
   重ねる学問体系を志し、これらの諸科学をつなぐ環
   となる原理を物理と心理、学と術、コントの歴史3段
   階説、ミルの帰納法などに求めたが、未完成に終わ
   る。
    のちに人間性論に関心を移して人間論を展開。
    彼は主観、客観、概念、観念、理性、悟性、感性、
   演繹、帰納、定義、命題、実体、属性など多くの哲
   学用語を訳出した。日本近代哲学の父といわれる。
  1880年(51歳)山県有朋の下で軍事政策にも参画し『
   軍人勅諭草案』を著した。
  1897年(明治30年1月31日)歿、69歳。
  著「百一新論(1874年)」「致知啓蒙(1874年)」「
 百学連環」など、訳書に「万国公法(1868年)」「心理
 学(1875年~1876年)」「利学(1877年)」など・・
 「西周全集」全4巻がある。
.
1897年1月、正岡子規が、雑誌「ホトトギス」を創刊した。
  ホトトギスは俳句雑誌で、子規の援助によって柳原極
 堂が、松山に創刊した日本派初の俳誌・・
  1898年10月、発行所を東京に移し、高浜虚子が編集発
 行を担当・・
  子規一派の機関誌として、内藤鳴雪、河東碧梧桐、石
 井露月、佐藤紅緑らを擁し、新聞「日本」の子規選俳句
 欄と並び、日本派興隆の拠点となる。
  1902年、子規の没後、虚子がこれを継承し、碧梧桐は
 「日本俳句」欄を継承し、それぞれ子規の奥義を継いだ。
  しかし、両者の俳句観に対立が生じ、俳壇の中心はし
 だいに碧梧桐選「日本俳句」に移った。
  それとともに、虚子は小説に力を注ぐようになり、「
 ホトトギス」は文芸雑誌化した。
  しかし、碧梧桐の新傾向俳句が変調をし始めると・・
  1912年、虚子は、「ホトトギス」誌上、雑詠欄を復活
 する・・
  そして、反新傾向を標榜し、平明にして余韻ある句を
 唱道し、渡辺水巴、村上鬼城、飯田蛇笏、前田普羅、原
 石鼎が輩出して、大正興隆期を迎えた。
  昭和に入ると、水原秋桜子、山口誓子、阿波野青畝、
 高野素十らのほか、山口青邨、富安風生を擁し、花鳥諷
 詠、写生俳句の提唱に「ホトトギス」の全盛期を形成し
 た。
  さらに、中村草田男、川端茅舎、星野立子、中村汀女
 らの新人を加えて、新興俳句の勃興にも伝統を持って揺
 るぎなく俳壇の王座に君臨した。
  1951年、虚子は、長子・年尾にこれを継承させて・・
  1955年、年尾の没後からは、年尾の二女・稲畑汀子が
 受け継いだ・・
  明治、大正、昭和、平成・令和の五代にわたる最古の
 俳誌としての歴史に輝いている。
  復刻版『ホトトギス(明治期)』全174巻(1973年、日
 本近代文学館)がある。
.
1897年1月、政府が、第10回帝国議会に、多治見駅~岐阜駅
 間、松本駅~高山駅~富山駅間の鉄道を・・
  また、中央線の神奈川駅~八王子駅間を第1期線に加え
 る法律案を提出した。
  前者は、2月24日に衆議院を通過し、3月9日に貴族院を
 通過して、3月13日に法律第6号として公布された。
  後者案は消滅)した。
.
1897年1月、臨時台湾鉄道隊が、台北駅~花蓮港駅~宜蘭駅
 間の東海岸と、東西横断線の埔里社駅~花蓮港駅間の比
 較線の調査を実施した。
  日本は、韓国・朝鮮の鉄道を国じゅう張り巡らし敷設
 したが、台湾も同じように、一生懸命、努力した。
.
1897年2月2日、英照皇太后の御遺体を輸送するため青山(仮)・
 京都間に臨時列車運転した。
  1889年に、皇后陛下、および、皇太后陛下の共用の御
 召車が作られ、1893年には、御料車から外されて貴賓車
 となっていた。
  その車両が、英照皇太后陛下の霊柩車両となった。
.
1897年2月5日、製鉄所官制によって、福岡県八幡村に製鉄
 所の建設が決定した(2月6日説あり)
  この製鉄所官制は、1896年3月に、公布されていた。
  そして、1896年、政府によって候補地が選ばれていた。
  青森、釜石、塩釜、千葉、品川、鶴見、静岡、和歌山、
 尾道、呉、大竹、梅田、大里(門司区)、板櫃(小倉北
 区)、八幡(八幡東区)、大牟田、長崎・・
  各候補地とも誘致活動を展開した。
  その結果、北九州3か所を含む4か所に絞られた。
  呉(広島県)、大里(門司区)、板櫃(小倉北区)、
 八幡(八幡東区)
  洞海湾(八幡)から石炭を入手する若松港の水深が浅
 く、大型船が入港できないとなり、大里が有利な立場に
 なった。
  また、大里は、筑豊炭田を背後に持っていることが有
 利だった・・しかし、葦(アシ)が生い茂る湿地状の土
 地が多かった。
  しかし、陸海の交通の便に優れ、多くの人口も抱え、
 八幡の及ばない好条件を備えていた。
  この時点で、若松築港会社の会長・安川敬一郎は、「
 水深さえ深くすれば八幡は大里に勝る」と確信した。
  政治工作が展開された・・
  旧黒田藩主の金子堅太郎、岩崎弥太郎、渋沢栄一の同
 意を得た。
  そして、渋沢栄一と後の長官の和田維四郎を通じて、
 候補地決定の責任者である大島道太郎と長官の山内堤雲
 への説得を依頼した。
  安川敬一郎のこの様な行動が功を奏し、用地買収担当
 の製鉄所事務次官に八幡出張の辞令が出た。
  八幡村の芳賀種義村長も、村民に対して「八幡村に製
 鉄所を、日本の鉄づくりは八幡から」と説得した。
  そして、100万平方メートルの広大な土地の取得が実現
 し、また、価格も予定の半値の協力を得た・・そして、
 この日の決定を得た。
.
1897年2月9日、浪速鉄道が、関西鉄道へ譲渡して解散した。
.
1897年2月15日、活動写真が登場する。
  1896年、フランスに渡っていた稲畑勝太郎(実業家、
 貴族院議員)が、オーギュスト・リュミエール(エジソ
 ンと並び称せられるフランスの映画発明者)から、2台の
 シネマトグラフ(撮影と英社の機能を持つ)を購入して
 いた。
  1897年、フランスから帰国した稲畑勝太郎は、シネマ
 トグラフの映像を大阪市戎橋(えびすばし)通りの南地
 演舞場で上映した。
  日本初の「映画興行だった」。
  「自動写真」と名付けた。
  1897年3月6日には、東京市の「新居商会」によって、
 神田錦輝館で「電気活動大写真会」と銘打ち、バイタス
 コープが上映された。
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  (今日の言葉)
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  題:中国が、インターネット上の空白の「価値創造の世界」に乗り出した。
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紀元前7万年前、人間の認知能力が、この頃、より向上した。
  (参考)認知:にんち、ある事柄をはっきり認める事。
  (参考)認知考古学:にんちこうこがく・・
     心の進化を研究する進化心理学を取り入れ、遺
     物・遺跡の分析から
      古代人の精神状態を解明しようとする、新し
     い研究分野。
     ・
     ・
     ・
紀元前1000年、人類が、貨幣、帝国、普遍的宗教という想
 像上のものを皆が共有できるようになった。
     ・
     ・
     ・
1526年、インドの北にイスラーム国家が建国された。
  後に、インドの全域を治めた「ムガル」。
  このムガルとは、ペルシア語でモンゴルを意味する「
 ムグール」の発音が変化したもの。
  このインドのムガル帝国は、モンゴル系民族にあたる。
  16世紀初め、アフガニスタンから侵攻したバーブルが
   北インドに建国したイスラーム国家。
  17世紀後半のアウラングゼーブ帝時代に最盛期となり、
   ほぼインド全域を支配した。
    しかし、ヒンドゥー教徒との融和策を廃棄したこ
   とから衰退し、
  18世紀には、イギリス・フランスの侵攻を受けて弱体
   化し、
  1875年に、インド大反乱が起こり、
  1876年の翌年、滅亡した。
  ティムールの5代の孫に当たるバーブルが、インドに開
 いたイスラーム教スンナ派を奉じる王朝。
  バーブルが、ティムール(チンギス=ハンの子孫と称
 していた)の家系につながっていることから、自らをモ
 ンゴル系と称していた。
  ムガル帝国の支配者層は、トルコ=モンゴル系と言え
 る。
  1526年、パーニーパットの戦いでロディー朝を破った
 バーブルがデリーに入り、建国した。
  イスラーム教(スンナ派)を奉じる。
  公用語はペルシア語が用いられた。
  文化面では、デリー=スルタン朝に始まるイスラーム
 文化とインド文化の融合が進み、インド=イスラーム文
 化が開化した。
     ・
     ・
1791年9月3日、フランス革命後のこの年、フランス憲法(
 1791年憲法)が制定され、キリスト教に由来する王権神
 授説を放棄した。
  そして、国王は、「国民の代表者」とし歳費を貰う一
 官吏として規定された。
  しかし、国王は、行政権をもち、内閣閣僚を議会外か
 ら任免することができ、議会の立法権に対し拒否権を持
 っていた。
  議員は、選挙によってえらばれたが、国民の大半を占
 める農民や貧民(受動的市民)は政治から排除され、選
 挙権は無かった。
  後の憲法と異なり、国民投票には付されず、国王の裁
 可によって効力を持った。
  内容は、革命派と反革命派との妥協の産物であった。
  この為、混乱は治まらず・・
  1792年8月10日、チュイルリー宮殿襲撃(8月10日事件)
 が起き、「1791年憲法」は破綻した。
  1789年10月、「ヴェルサイユ行進」(十月事件)以来、
 国王ルイ16世は、オーストリアやスペイン・ブルボン朝
 の宮廷に行動費の援助と列強による支援を要請する一方、
 聖職者民事基本法をめぐる宗教界の紛糾を利用してフラ
 ンス国内を分裂に導こうとした。
  1790年夏、25,000名の反革命の農民ゲリラが組織され、
 国王がリヨンに脱出したら内戦に持ち込もうという計画
 がなされた(リヨンの陰謀)
  1790年、キリスト教聖職者への土地財産の払い下げが
 農民にとって不利な競売方式だったため、農民の不満が
 爆発し、各地での農民一揆となった。
  1790年春から、経済もインフレ状態で、物価高騰で庶
 民の生活は困窮を極めた。
  1790年8月、ナンシー連隊の兵士の反乱となる(ナンシ
 ー事件)・・政治も混乱・・
  1791年6月20日、国王逃亡事件(ヴァレンヌ事件)とな
 る。
  ルイ16世一家がパリを脱出し、
  6月22日、東部国境に近いヴァレンヌで捕まる・・
  亡命だと国民に受け取られ、喧伝される・・
  国王の権威は失墜した・・共和派の台頭と立憲王政の
 成立の見込みが無くなり・・反革命側に居るルイ16世は
 処刑の可能性が高まった・・
  そして、国王を処刑する・・
  その後も続く恐怖政治・・処刑者が続出する状態が続
 いた・・
  1799年のナポレオンによるクーデターまで混乱は続い
 た。
.
1820年、ハワイにアメリカのキリスト教・プロテスタント
 の宣教師団が来訪する。
  この時からアメリカのハワイを奪う行為が始まる。
  そして・・
  1849年、アメリカとハワイが、修好通商条約を締結し・・
  1897年6月16日、アメリカがハワイを併合する・・日本
   が抗議をする。
  そして、今、アメリカ合衆国の一つの州となったハワ
 イ王国の滅亡後の姿がある。
  英語化がなされて、ハワイ語は、今、滅亡の危機にあ
 る。
  文化はおろか、言葉も奪われてしまっている。
.
1830年、インディアン強制移住法
  アメリカ第37代大統領アンドリュー・ジャクソンが、
 インディアン強制移住法によって、約10万人のインディ
 アンの方々を強制的に移住させた。
  先住の民・アメリカ・インディアンの方々が、先祖代々
 の地を、アメリカ白人たちに追われた・・、
  ミシシッピ川の西のオクラホマや、アリゾナなどへ
 強制的に移住させられた。
  白人アメリカ人、キリスト教プロテスタントに、何の
 正義があるというのだ・・追い出す権利があるというの
 だ・・
.
1859年、横浜が開港すると、もうその翌年の1860年には、
 横浜を守る神奈川台場が、神奈川区の海岸部につくられ、
 防御施設を備えて整備された。
  外国船を監視し、迎撃する任務があり、海岸砲台も設
 置された。
  江戸湾には、この他にも品川区に品川台場などあり、
 この様な台場は日本各地に作られた。
  その数は約1000ヵ所ある。
  日本は、しっかりした防衛意識の下に行動していた。
  今・現在の様な体たらくではなかった。
  「戦争が嫌い」でマインドコントロールされ、妻や子
 を守ることさえ放棄している。
  「戦争が嫌い」で防衛行動さえしないで「戦争が起き
 ないなら、誰も苦労はしない」。
  しっかりした防衛体制をとってこそ、「悲惨な戦争を
 避けられる」。
  弱味があれば「いじめっこ」が関わって来るように、
 逆に、戦争を起こされ巻き込まれる。
.
1863年、南北戦争のチャンセラーズヴィルの戦いで、北軍
 のフッカー将軍が、南軍のロバート・E・リー将軍に対し
 て惨めな敗北を喫した。
  このことは、アメリカで、一番知られていることであ
 る・・が・・、
  この北軍のフッカー将軍・・南北戦争に売春婦を連れ
 て行ったことでも有名(従軍慰安婦である)
  (参考)ジョセフ・フッカー(1814年11月13日~1879
     年10月31日)は、アメリカ合衆国の職業軍人で
     あり、南北戦争のときは北軍の少将を務めた。
      フッカーは、南北戦争の全体で従軍し多くの
     実績を挙げたが、1863年のチャンセラーズヴィ
     ルの戦いで大敗北を喫す。
.
1911年12月16日、トーマス・ブレーク・グラバーが死んだ。
  武器商人として幕末の日本で活躍し、暗躍した。
  イギリス人(スコットランド出身)の商人。
  その長崎のグラバーさんが、『牛が食べたい』と言え
 ば、幕府は、牛屠場を、その最適地を探して作って上げ、
 その要望に寄り添った。
  それに対しオーストラリアは、その反対だった。
  オーストラリアの国が出来る前から・・日本はクジラ
 獲りをしてきた。
  そのオーストラリアの国の歴史より古い日本のクジラ
 獲りを「止めろ」とこの国は言った。
  その理由が・・勝手な理由で・・キリスト教では、ク
 ジラは知恵があって、高い地位にいる動物だからだと言
 う。
  カンガルーを殴り殺しているオーストラリア。
  自分のやっている事は、何ら気付かず、正しいという。
  キリスト教は、祭りだと言っては七面鳥を食うが、そ
 れは問題ないのか?
  ヨーロッパの先住民のケルト人は殺すし・・ヨーロッ
 パ大陸から居なくなってしまった・・
  自分たちがやっていることは良いのだと言う・・
  自分たちがやってないことは違和感がある、「だから・・
 やめろ」・・と言う。
  こんな論理が正しいとしている方が「野蛮ではないの
 か?」。
  「その各々に、文化があり、尊重しなければならない」。
  クジラを食べるのも食の文化・・
  牛を食べる文化と同じ・・
  散々、クジラの油が欲しいと、クジラを殺して来たの
 に、急に、手のひらを返したように日本を悪者にした・・
  本音は、牛肉を買ってくれ・・なのだろー・・、
  もっと、正直に、まともに言いなさい・・キリスト教
 の性悪説の様な言い方は止めるべき・・
.
1946年3月31日、終戦の後、日本を占領したアメリカ(GHQ)
 は、日本の国語教育における漢字の学習を廃止し・・
  最終的に、「日本語をローマ字で表記せよ」とする計
 画を持っていた・・
  (参考)1946年3月、アメリカ教育使節団が、GHQ
     の要請で来日し、この日に、その報告を提出し
     ・・その中に、日本の学校教育の漢字の弊害を
     言及した・・
      そして、ローマ字が便利だと馬鹿々々しい浅
     はかな提案をした。
  民主化のためなどと屁理屈の理屈が付けられていた。
  もし、その計画が行われていたら以下の様になる・・
  Doon igigo no kubetsuga konnan ni naru.
  Yotte,hayai dankai de iikae ga fukyu shite ita.
  Kubetuga shiyasui youni,gairaigo no torikomi ga
 susundeita kamo shirenai.
  Meijijidai no doon igigo tairyo seisan wa nakatta.
  まったく馬鹿々々しいのが分かる・・
  ローマ字化と民主化はまったく別の話・・
  また、これで、民主化が進められるとは強引な言い掛
 かり・・
  「煩雑で不合理な文字を使っている=野蛮人=非民主
 的」という強引な論理も展開し、垣間見られた。
  日本の国体の解体と破壊が本音だった。
  そして・・
  こんなに多くの漢字を覚えている訳がないと、この日
 本を占領したアメリカは、日本人を馬鹿にして英語化し
 ようとしていた(アメリカに植民地にされたフィリピン
 の様に・・)
  日本の知識人方は、必死に説明し、理解を求めた。
  そうしたら「テストをしよう」という事になった。
  テストをした結果・・
  ほとんどの人たちが、100点に近い結果となり、アメリ
 カ進駐軍は驚いた・・キリスト教から来る有色人種蔑視
 観もあって、日本人がその様に見られていた。
  日本語は、何万という漢字と、平仮名やカタカナ、そ
 して、アルファベットなども使って意思を記し、伝えて
 いる。
  当然、心の機敏、細やかな意思の伝達ができる。
  それに対して米語や英語は、アルファベットだけ・・
  アルファベットの26文字だけ、そのたった26の文字
 で意思伝達する。
  その意思伝達手段は、順列組み合わせだけで識別性を
 出すしかない。
  日本語の様に表音文字以外にも「何万の表意文字」を
 持つ言葉の様な豊かな伝達は米語・英語にはない・・そ
 の様な芸当はできない。
  頭の中の思考も言葉で行っているので、米語・英語の
 思考は、日本語による思考に及ぶことはできない。
  いくら翻訳機が発達しても日本語の翻訳は「米語・英
 語レベルの翻訳レベルとなる」。
  つまり、米語圏・英語圏の人達は、到底、日本語の奥
 深い領域に分け入ることはできない。
  日本語を学ばない限り、日本語の深さは理解出来ない。
  安易な翻訳で(または、翻訳機で)分かったふりをし
 てはならない。
  その逆の英語の日本語翻訳は「余裕であり」・・アル
 ファベット26文字しか頭にない人たちの領域の総べては
 分かり得る。
  因みに、フィリピンは、独立した後に公用語を米語だ
 けではなく、現地語も公用語に加えた・・
  アメリカの強引な英語化の弊害に泣いている結果だっ
 た。
.
2019年、韓国の本当の声
  韓国の知識人が、とうとう本当の声をあげた。
  「嘘ばかりの韓国の話」を恥ずかしいと思ったのか、
 その真実を言い出した。
  https://www.youtube.com/watch?v=WCxIQCBdj34
  李栄薫(李承晩学堂の校長の話)(1:22:30より)
  李承晩TV視聴者の皆さま、こんにちは・・
  危機の韓国の根源・・反日種族主義
        (日本語翻訳:鈴木喜久子)
  今日の主題は、1910年に、日帝が実施した土地調査事
 業に関することです。
  題名は、「片手にはピストルを、もう一方の手には測
 量器を」、この様に付けてみました。
  1910年、大韓帝国を併合した日帝の朝鮮総督府は、す
 ぐに全国の土地の調査を始めました。
  朝鮮土地調査事業でした。
  1918年まで、8年間実施されたその調査事業のため、韓
 半島全域の土地状態が調査されました。
  お見せしているこの背景の写真は調査事業当時、土地
 調査班が測量をしている場面です。
  土地調査の結果、全国土が約2300万ヘクタールである
 と明らかにされました。
  (本来、自分の国土ぐらい自分たちで測量をして、済
 ませておかなければならない。
  その様な基本的な事までして無かった韓国・朝鮮・・
  日本は、すでに江戸時代に伊能忠敬が測量をしていた)
  そのうち、約486万町歩が人間の生活空間として、田ん
 ぼ、畑、大地、河川、堤防、道路、鉄道用地、貯水池、
 墓地などであり・・
  残り1800万ヘクタールが山地でした。
  1960年代以来、中学・高校の国史教科書は、日帝が行
 なった土地調査事業の目的が、朝鮮の農民の土地を収奪
 するためのものだ・・と書いた。
  そのような目的で実施されたと生徒たちに教えてきま
 した。
  朝鮮の農民の土地を収奪するためのものだ・・と・・
  1960年に、歴史教育学会が作った教科書は、全体のう
 ちの半分が総督府の国有地として収奪されたと教えまし
 た。
  1967年のある教科書は、全国の土地の40%が総督府の
 所有地に収奪されたと書きました。
  当時までは、検認定教科書でした。
  従って書く人によって、教科書によってみな内容が少
 しずつ違っていました。
  1974年から、国定教科書にかわりました。
  以後36年間、2010年まで、韓国史教科書は土地調査事
 業に対して全国の土地40%が総督府の所有地に収奪され
 たと教えました。
  しかし、ところでどの研究者もこの40%という数値を
 証明したことがありません。
  検認定であれ、国定であれ、教科書を書いた歴史学者
 たちが勝手気ままに作り出した数値に過ぎません。
  収奪を強調する必要があり、どの程度の収奪なのか具
 体的に話さなければならず、勝手に作り上げた数値にす
 ぎません。
  ところで、それが歳月が流れるにつれ、不動の真実に
 なってしまいました。
  視聴者の皆様は「おかしい」と考える事でしょう。
  誰も証明したことのない学説と数値をどうやって、1960
 年から数えれば50年もの間、教科書に事実であるかのよ
 うに書き、生徒たちを教えることが出来るのかという事
 です。
  内容をもう少し紹介すると、その教育を受けた大多数
 の国民は記憶している事と思いますが、
  総督府は土地を申告するよう農民たちに申告書を配り
 ました。
  1910年代、農民たちは所有権がなんであるか、意識も
 薄弱で、申告が何であるかも知らない曖昧(あいまい)
 な状態でした。
  文字も分かりませんでした。
  それで申告の期限を平気で破りました。
  そうするとまるで総督府が待ってたとばかりにその土
 地を総督府の所有地(国有地)に没収しそれを東洋拓殖
 株式会社や日本から来た日本の移民に払い下げしたとで
 っち上げて言うのです。
  歴史の授業でこの部分が出ると、教える教師も教わる
 生徒も共に涙を流したと言います。
  あまりに悔しく恨めしかったからです。
  大学の私の講義室で、ある学生が、実際、高校生の時
 その様なことがあったと、経験を私に話してくれました。
  そんなにも世代に渡り、涙で怨(うら)みで共有され
 伝承されて来た事が、この講座を通し私が批判しようと
 する反日種族主義の歴史意識です。
  しかし、異常の内容は「真っ赤な嘘です」。
  1910年代、我々の先祖が申告が何であったのか知らな
 かったとは。
  朝鮮王国500年間、我々の先祖たちは、3年に一度ずつ
 戸籍を申告して来ました。
  今、お見せしているこの背景の画面は、そうやって3年
 に一度ずつ申告されたある家の戸籍の事例です。
  中国・明の国では10年に一度ずつ戸籍を申告しました。
  その次の清の国になってからは戸籍を申告することが
 無くなりました。
  それに比べると我々韓国人は500年間、3年に一度ずつ
 戸籍を申告しました。
  世界で一番申告を訓練された人々です。
  これで、申告が何であったか知らなかったと言えます
 か?
  話にならない荒唐無稽な説です。
  にもかかわらず、その様な説を教科書に平然と書いた
 という事は、その教科書を執筆した歴史学者も無意識の
 中で20世紀初の韓国人を野蛮な最悪レベルに置かれた種
 族として感覚したためです。
  韓国の人々の多数が文字を知らなかったのは事実です。
  (だから、日本が、一生懸命、韓国・朝鮮じゅうに小
 学校や中学校、大学まで作ったのです)
  調査によれば19世紀末、人口の約85パーセントは文盲
 でした。
  (日本は、この時、文盲率はほとんど0パーセントで、
 だから、韓国・朝鮮に学校が必要と感じたのです)
  しかし、村には文字の分かる人がいるものです。
  村には秩序があります。
  私が発掘したものですが、土地調査事業当時の申告書
 を見ると、次の画面がそれです。
  この申告書の筆跡を見ると村単位で同一です。
  つまり、村を代表する人が、村の人々の申告書を代筆
 してあげていたのです。
  それで、我々の歴史教科書は、我々の伝統の村々には
 隣人も居らず、相互扶助の秩序もない野蛮な状態、野蛮
 な村と描写したことになります。
  それもまた、反日種族主義の感覚だったと私は考えま
 す。
  土地の40%が総督府の国有地に収奪されたという「で
 たらめな学説」がこんなにも長い間、50年間、教科書に
 堂々と記述できたのでしょうか?
  少し深く考えてみたら誰もが分かる嘘です。
  我々の先祖たちは、土地を命綱だと考えていました。
  土地人之命脈也といいました。
  土地が人の命脈です。
  どこの誰が自分の命綱が切れるのに黙って放っておく
 でしょうか?
  妻子が飢えてしまうというのに家族が乞食になってし
 まうのに、黙って見ている人がどこに居ますか?
  誰もが決死的に抗戦をします。
  侵略者の力がもとよりあまりにも強暴で、仕方が無か
 ったとしましょう。
  それでも奪われた恨(うら)みだけは忘れずにいつか
 土地を、財産を取り戻そうと機会を伺い待つものです。
  ついに、1945年、解放になりました。
  土地調査事業が終わってわずか27年後です。
  土地を奪われた大部分の人々は、ほとんどが生きてい
 ました。
  土地を奪われた人々は倭族が退却したのだから、土地
 を返してもらおうと叫んで当然でした。
  しかし、誰もその様に叫んだ人は居ませんでした。
  土地台帳を保管している全国の郡庁と裁判所のどこに
 もそのような騒ぎが請願として起こりませんでした。
  全国の農地の40%も奪われたのにどうしたんでしょう
 か。
  それは初めからその様なことが無かったからです。
  それでも韓国の国史の教科書には、平然とそんな話を
 作り上げ、何と50年以上も国民をそうやって教えました。
  他でもない反日種族主義の非科学であり、迷信でした。
  また、土地調査事業当時、一部の土地から所有権をめ
 ぐって紛争がありました。
  全国436万町歩の田畑の大地のうち12万町歩に過ぎない
 約2.5%程度の国有地でその様な紛争が発生しました。
  これと関連して、慎ヨン厦教授が書いた「朝鮮土地調
 査事業研究」という本を挙げることができます。
  背景の画面に見える写真が慎ヨン厦教授であり、その
 本が慎ヨン厦教授が関連して書いた「朝鮮土地調査事業
 研究」という本です。
  この本の中で慎教授は、国有地紛争に関して「片手に
 ピストルを、もう一方の手には測量器を」という言葉を
 作り出しました。
  今日の講義の題目でもあります。
  この言葉の意味は、総督府を相手にある民間人がその
 土地が民有だ、私の所有だと主張し抵抗すると、総督府
 の土地調査を行う土地調査班員は、ピストルでそれを制
 圧したと言います。
  その様に慎ヨン厦は、土地調査事業がピストルの発射
 を同伴する暴力的な行為だったと文学的に叙述しました。
  当時、土地調査班員は、軍服の様な制服を着て、腰に
 拳銃を付けていました。
  常時、そういう訳ではありません。
  必要な時に、そうしましたが、山奥に入ると山の獣の
 攻撃を受ける危険がありました。
  (朝鮮には日本には居ない虎が居た。加藤清正の虎退
 治の話があるくらい)
  実際、当時の報告書を見るとその様な事故があり、人
 命の損傷が発生したりもしました。
  また、山奥では匪賊が活動したりしてました。
  (参考)匪賊:ひぞく、集団的に略奪などを行なう賊。
  それで、護身用に拳銃を付ける必要もあった訳です。
  その拳銃が朝鮮の農民に向かって発射された事はあり
 ません。
  当時、農民たちはむしろ調査班を歓迎しました。
  調査班が来ると土地の所有者は、自分の土地に、自分
 の名前を書いた立札を持って待機しました。
  里長と隣人たちが、一緒に立ち会って、この人がこの
 土地の所有者で当事者であることを確認してくれたので
 す。
  土地調査局は、調査を終えると土地台帳の原本を公開
 しました。
  そうしてから異議申請を受け付けました。
  人々は、自身の土地と名前が公簿に記されているのを
 見て喜びました。
  調査班員に対する農民たちの反応は、初めは大変警戒
 的な眼差し(まなざし)でしたが、彼らのしている活動
 内容を理解してからは、概して友好的でした。
  それなのにどうして慎ヨン厦教授は「片手にはピスト
 ルを、もう一方の手には測量器を」という「でたらめな
 小説」を書いたのでしょうか。
  彼は、土地調査事業に関して研究しながら一線の郡庁
 や裁判所に所蔵されている土地台帳を見たことがありま
 せん。
  当時、土地台帳を提出した申告書や測量関係の資料を
 発掘し整理したこともありません。
  全国各地で国有地紛争が発生した時、紛争の内容と判
 決がどうだったのか関連資料をめくっても見ませんでし
 た。
  彼は、総督府が編纂した土地調査事業の報告書をめく
 って読む方式で、自身が幼い頃もっていた先入観を学術
 書として書き込んで包装しただけです。
  それに対して韓国の学会と知性界は歓声をあげました。
  日帝の土地収奪が具体的に証明されたということです。
  そうして、慎ヨン厦教授に栄光の学術賞を授与しまし
 た。
  私は、先の講義で、小説家・趙廷来を虐殺の狂気に捕
 らわれた憎悪の小説家だと批判しました。
  彼の大河小説「アリラン」は、土地調査事業、当時、
 一介の駐在所の警察が土地調査事業に抵抗する朝鮮農民
 を即決処刑する場面を劇的に演出しました。
  全国的に4000余名の朝鮮人がその様に処刑されたと言
 いました。
  実は、趙廷来がそういう風に「でたらめな歴史」を小
 説にしたのは彼の責任だけではなかったのです。
  実は、その数年前に、少し前に紹介したように慎ヨン
 厦という韓国社会学界を代表する学者が、「片手にはピ
 ストルを、もう一方の手には測量器を」そんな内容ので
 たらめな学術書を編纂していたのです。
  日帝の朝鮮併合は、土地を収奪するためのものではあ
 りませんでした。
  この韓半島を、2300万ヘクタールに及ぶこの韓半島全
 体を、その付属領土として支配する目的で来たのです。
  12万ヘクタールに及ぶ国有地を収奪するために来たの
 ではないのです。
  この地に暮らす朝鮮人全体を永久に日本人として同化
 させる目的で来たのです。
  (当時、韓国・朝鮮は併合されることを望んでいた。
 併合されて、日本の様な一等国になりたいと表現してい
 た)
  それで彼らの法と制度と機構をこの地に移植したので
 す。
  その一環として、以前の朝鮮王朝は知り得ていない全
 国の土地がどのくらいなのか、その面積がどれ程なのか、
 その形質がどうなのかを、そして、その所有者が誰なの
 かを調査したのでした。
  それが土地調査事業でした。
  そして、当時、創られて土地台帳と地籍図は今もこの
 国が大韓民国が行なうあらゆる土地行政の基礎資料に重
 宝に活用されています。
  (ならば、日本にその御礼を言わなければならない。
  そうです、何から何まで韓国・朝鮮は失礼ですが遅れ
 ていました。支配しようとするものが鉄道や学校を作っ
 たりしますか? 道路を整備したり、衛生状態を良くし
 たり、韓国・朝鮮の人口が、瞬く間に、2倍になり、そし
 て、豊かになりました。これらについての感謝を表明し
 てください)。
  (だから、この部分は言い過ぎではありませんか?)
  教科書を執筆した歴史家や慎ヨン厦教授は日帝の朝鮮
 支配の目的、そのメカニズム、その結果や歴史的意義を
 知らずにいました。
  そんな中で、彼らは、朝鮮はもちろんのこと日本を奪
 われ、奪うという野蛮な種族として感覚しました。
  実は、その様な歴史の認識がいつから出発したのかを、
 私は調査してみたことがありますが、1910年代当時から
 だったと言えます。
  皆さまはこのシリーズ講義の三番目で金容三先生の鉄
 杭騒動に関する講義を覚えていらっしゃることでしょう。
  土地調査事業当時、総督府が全国各地に大小の三角点
 を設置しました。
  お見せする背景画面が全国、釜山から咸鏡北道(ハム
 ギョンブクどう)まで、済州島までを連結する大三角点
 の網です。
  すると多くの人々が三角点の表示を日帝が朝鮮の急所
 を突き、民族精気を遮断するため打ち付けたのだと誤解
 し、それを破棄しました。
  金容三先生の講義にその話が出て来るので確認して下
 さるようお願いします。
  その様に当時の朝鮮人たちは日帝の土地調査事業を気
 脈遮断、または風水侵略として感覚し、「誤解しました」。
  日帝が行なったその他のすべての行政がその様に認識
 されたケースが沢山あります。
  当時、多くの朝鮮人は日帝が敷設する鉄道と道路に対
 してその様な感情を持ちました。
  (まったく便利でその利便性を享受しているのに、感
 謝の念をまったく持たなかった。いままでの畑のあぜ道
 のような道での輸送とはまったく違った便利な状況にな
 ったのに感謝の念がまったく無い)
   道路の施設過程で村の守護神である堂山の木が切ら
 れたりもしました。
  私が読んだある両班(ヤンバン:朝鮮の官僚)の日記
 はその道路と鉄道に対し「そんなものが一体我々の生活
 と何の関係があるというのだ」と嘆息しました。
  その様に日帝が行なった各種近代化施設や行政は、伝
 統文化、伝統風水、伝統タブーに対する破壊として感覚
 され、憤りの対象となったのです。
  そうしてできたのが土地調査事業の収奪説です。
  その韓国人たちが、朝鮮たちが抱えている近代化に対
 する集団的被害妄想感覚、その収奪感覚、その意識を1960
 年代の歴史学者たちは、全国の農地の40%が収奪された
 と嘘の包装をして教科書に載せたのです。
  鉄杭騒動が起こった時、この背景の画面は、鉄杭を撤
 去するため祭官の服装をした人たちが、祭礼を行なって
 いる場面ですが、きょう私の批判の対象となった慎ヨン
 厦教授は、次の様な論文を書きました。
  「日帝は、当時、韓人たちの多数が風水地理を信頼し
 山川の精気を重視するという事実に注目し、名山の血脈
 にこれを遮断し息の根を止めようと鉄杭を打った。
  勿論、日帝自身は、風水地理説を信仰していなかった
 が、韓国人がこれを信じたため韓国人の挫折感を植え付
 けるためこの様な政策を取ったのだ」・・
  皆さま、これが話しになるでしょうか?
  しかし、この様な「話にならない話」を、韓国を代表
 する、社会学界を代表する慎ヨン厦教授がしているので
 す。
  皆さまは、なぜ私が慎ヨン厦教授が代表している、日
 帝の土地収奪説を反日種族主義の象徴として批判してい
 るのかお分かりのことと思います。
  全国の土地の40%を収奪したという教科書の叙述は、
 全国所々の軍部隊、または、村が自身が必要なため打っ
 た鉄杭を、日帝が朝鮮の精気を抹殺するために打ったも
 のだと言って、1990年代の政府にまで出ていって、撤去
 騒動を起こしたその野蛮精神世界を忠実に複製反映して
 いるためです。
  視聴者の皆さま、あまり寂しく考えないでください。
  わずか50年前、20年前の出来事です。
  この様な歴史騒動や歴史叙述は、20世紀末まで韓国の
 精神文化が、依然として野蛮の最悪レベルに置かれてい
 ることを間違いなく証明しています。
  今日の講義はこれでおわります。
  ありがとうございました。
             以上(1:52:33まで)
  (評)
  しっかり測量のための三角点を打つことは大切な行動・・
  日本が、土地調査事業をしたのは、韓国・朝鮮に鉄道
 を引くのも、また、橋を作るのも、何でも、土地の状況
 がはっきり分からなければできないからであって・・
  土地調査が一番大切なやるべきことで・・
  そして、一番の基礎のデーター資料を作るために行な
 ったのであって、
  それを悪く言うのは、韓国の被害妄想意識で、韓国は、
 この点を改めなくてはならない。
  そして、日本は、その様な基本的な事から地道に始め
 て、韓国・朝鮮の国づくりを一生懸命に誠実にやった・・
  日本に感謝し、御礼を言わなければならない。
  そうであるのに、韓国政府は、なんだかんだと日本を
 嘘ででっち上げて、貶(おとし)めて来た・・
  これに対して、韓国政府の言い分があるならはっきり
 言いなさい、そして、書きなさい・・ただただ感情的に
 言っているだけであり・・それは駄目。
  そして、日本は、韓国のそれが間違っていたら、しっ
 かり説明をし、この際、徹底的にしっかり謝罪させなけ
 ればならない。
  韓国は、都合が悪くなると黙って何も言わない・・
  再び、この様なデッチアゲが起きないように、しっか
 り謝罪までさせなければならない。
  何年間もくだくだしていたのは、しっかり謝罪をさせ
 なかったからで、これを要求しなければならない。
  例えば、韓国人は以下の様なことを言う・・
  ある韓国の人が答えた「韓国は、中国の属国だという
 根性があり、そう思っていたから、中国には言えないし
 怒れない」・・と・・
  これの裏を返せば、「デッチアゲでも何でも日本に対
 しては言う」・・ということ。
.
2019年、中国が、インターネット上の「価値創造の世界」
 に乗り出した。
  仮想通貨方式というか、MMT方式というか、中国方
 式というか、実体のない作られた価値、その様なものが
 社会に通用している。
  実体のないものの価値を疑わないので、その様なもの
 が世界に通用しているのである。
  疑う余地がないと見るか、疑う気がないのか、疑う能
 力がないのか・・何しろ、今、世界にその様なものが通
 用し流通している。
  その価値はどこで作られているのか?
  明日から「ただの紙くずになるかも知れないもの」が
 通用し流通している。
  中国は、インターネット上の価値創造の世界に乗り出
 した。
  中国が1万元とポチッと押せば「1万元の価値が生み出
 される世界である」。
  今までは1万元札を刷っていたが、その手間もなくなっ
 た。
  中国は無限の価値創造の世界へ入った。
  軍拡投資も「し放題である」。
  北朝鮮への支援も「し放題である」。
  韓国も中国へ靡(なび)く。
  中国はアメリカと拮抗(きっこう)して行く。
  そこに、アメリカに抑(おさ)え込まれた日本が居る。
  憲法改正して軍を持つのはまかりならんと言うアメリ
 カが居る。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/  


2019年11月03日

(増補版)663E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年1月~1897年1月)

題:(増補版)663E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年1月~1897年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
.
1897年1月1日、尾崎紅葉が、読売新聞で「金色夜叉」の連
 載を始める。
  大変な話題となる。
  1902年5月11日まで連載された(金色夜叉は未完)
  1868年1月10日、尾崎紅葉(おざきこうよう)は、代々
 商家であったが廃業して名人角彫師・谷斎として知られ、
 また、幇間(ほうかん)もしていた惣蔵と庸の長男として、
 江戸の芝中門前町で生まれた(一節では12月27日生まれ)
 小説家となる。
  寺子屋・梅泉堂、その移行した桜川小学校から府立二
 中(日比谷高校)へ進む・・
  しかし、中退し、三田英学校で英語を学ぶ・・
  さらに、東大予備門(東大国文科)に進み、さらに漢
 学塾・綏猷堂や崇文館で漢学や漢詩文も学ぶ・・
  1885年2月(17歳)山田美妙らと近代最初の小説結社で
 ある硯友社(けんゆうしゃ)を結成し・・
  1885年5月(17歳)その機関紙である「我楽多文庫(が
 らくたぶんこ)」を創刊した(~1889年10月)
  1889年(21歳)「二人比丘尼色懴悔」で認められ、文
 壇にデビューし、文壇的地位を確立した(出世作)
  1890年(22歳)帝国大学を中退する。
  写実的態度を深めるとともに、井原西鶴に傾倒・・
  この西鶴の影響した雅俗折衷体の文体を用いた「伽羅
 枕(1890年・22歳)」「二人女房」「三人妻(1892年・
 24歳)」を発表した。
  また、近代ヨーロッパ文学に学んで、ゾラの翻案「む
 き玉子(1891年・23歳)」などを書いた・・
  心理的写実主義の体得や、言文一致体への移行に努め、
 写実主義の最高作であり言文一致体の小説として意義深
 い「多情多恨(1896年・28歳)」や「金色夜叉(1897年・
 29歳~1902年・34歳)など代表作へ至る。
  明治文壇の大御所の泉鏡花・徳田秋声・小栗風葉など
 多くの門下生・門人も世に送り出している。
  幸田露伴と共に紅露時代を現出した人・・俳句も手が
 ける。
  作「伽羅枕」「三人妻」「多情多恨」「金色夜叉」等。
  1868年に生まれ、1903年10月30日に胃がんにて没した
 (37歳)・・尾崎紅葉は、この当時の人気作家であると
 いう面だけでなく・・文学の近代化の過渡期にあって、
 外国文学の受容や、古典文学への残映も模索し、また、
 進化した文体への模索など、新旧の様々な方面へ華々し
 く才能を花開かせた短命の輝く人生だった・・その存在
 は大きい。
.
1897年1月1日、両毛鉄道が、日本鉄道へ譲渡される。
  両毛線は、栃木県小山市の小山駅から群馬県前橋市の
 新前橋駅まで結ばれる路線・・営業キロ数:84.4㎞。
  両毛地域と呼ばれる栃木県南西部から群馬県南東部に
 至る平野部の諸都市を結んだ路線で、この地域で盛んに
 生産されていた生糸や、桐生織に代表される織物の輸送
 のために建設された。
  思川や渡良瀬川やその本流である利根川など、大きな
 河川を横切ることが多い路線である。
  1889年11月に、両毛鉄道の前橋駅が利根川左岸側に開
 業すると、日本鉄道も利根川を渡って両毛鉄道の前橋駅
 に乗入れ・・
  1890年12月に、利根川橋梁の完成によって日本鉄道の
 高崎駅とも連絡した(両鉄道が接続された)
  1887年に、両毛鉄道は設立されたものの、建設工事の
 一切は日本鉄道の支線として国が行なっていた。
  また、開業後の線路の保守や、営業その他いっさいの
 業務も日本鉄道に委託されていた。
  この1897年に日本鉄道は両毛鉄道を合併したが、1906
 年に鉄道国有法施行で、日本鉄道が国有化された。
  1909年の線路名称設定時に両区間は統合され、小山駅
 ~高崎駅間が両毛線とされた。
.
1897年1月1日、東海道線と北陸線の両線と、大阪鉄道玉造
 駅分岐線の間に連絡運輸が開始された。
  水運が発達した大阪、また物資が集積して栄える大阪・・
  1868年に大阪港が開港したが・・明治の中頃から、さ
 らに輸送量が増大して、その対応が出来なくなって来て
 いた。
  大型船は、神戸港に入港する様になった。
  1897年、大阪市は、港湾の整備拡大に乗り出した。
  この工事の資材輸送と、また、築港の完成後の貨物輸
 送を目的に大阪駅と大阪港を結ぶ鉄道の建設も計画され
 たりした。
  大阪市と連携して近代都市化し、機械金属工業や、河
 内木綿を基盤とした大規模紡績工場等が立地するように
 なり、ここに都市としての基盤が出来上がった。
  この地域にとって古から生駒山脈越えの東西交通も重
 要であった。
.
1897年1月9日 逓信省鉄道事務官任用に関する件公布(勅令
 第4号)
.
1897年1月11日、英照皇太后(えいじょうこうたいごう)崩御
  孝明天皇妃が亡くなられる。
  京都生まれで、父は関白・九条尚忠。
  官職位階、宮殿殿舎、服飾、武具、年中行事、典礼な
 どの有職故実(ゆうそくこじつ)に詳しい方だった。
  また、知的な方で読書は古典・国史をはじめ西洋理学
 の訳書にまで及んだ。
  明治天皇が践祚されてから皇太后となられ、京都御所
 の南東にある仙洞御所(せんとうごしょ)に移られ、ま
 た、後に、東京の赤坂離宮、青山御所に住まわれた。
  勝海舟が、その時の政府の会計について・・
  孝明天皇を慕っていた勝海舟、また、徳川思いの勝海
 舟・・つい、言葉が漏れる・・
  勝海舟は、明治政府に対して常に批判的であった。
  薩長出身のやることが小さくまとまっていて「小人島
 (こびとじま)の豆人形が動いているみたいだ」と言っ
 ている。
  その根拠は、徳川幕府はとにかく400万石の動かして来
 たものだが、薩長藩はせいぜい72万石、長州が36万石、
 佐賀が20万石程度の経済のやりくりしか知っていない。
  徳川は400万石のスケールだ。
  そういう薩長土肥の田舎政治家のすることはケチケチ
 していてみみっちくて、見ていられない、と言う。
  現に、明治30年に英照皇太后(孝明天皇妃)がお亡く
 なりになった時、政府はその御葬儀の予算をどの程度に
 して良いかに迷った。勝海舟は、旧幕時代、仁孝天皇(
 孝明天皇の乳帝)や孝明天皇の御葬儀のときの会計の控
 えを持っていて、それを参考資料に提出したりした。
  京都の公卿たちへの手当てや付け届にしても、旧幕時
 代の方が余程、ゆったりしていた。(氷川清話)
 英照皇太后崩御(氷川清話)(
.
1897年1月15日、関西鉄道の柘植駅~上野駅(現:伊賀上野
 駅)間が延伸され、開通し、営業開始された。
.
1897年1月17日、河北新報が創刊された。
  河北新報(かほくしんぽう)は、東北地方を代表する
 地方紙で、1897年に、一力健治郎(1863年~1929年)が
 東北地方の産業と文化の振興を掲げて創刊した。
  1900年1月、年中無休刊を宣言して30年間これを実行し
   た。
   また、不偏不党を標榜(ひようぼう)し、広告を重
   視して経営の確立を図った。
  1904年、日露戦争中は号外発行などニュース報道に力
   を入れ、先行各社を圧倒した。
  1922年3月から夕刊を発行・・
  1923年から昭和にかけて、岩手版、福島版、磐城版、
   青森版、山形版、秋田版を次々と創設、宮城県を中
   心に東北6県をカバーする広域紙に成長した。
  1941年に、新聞事業令の発布で宮城県唯一の日刊紙と
   なった。
  1950年、「夕刊とうほく新聞」を合併した。
  本社は仙台市。
  「河北」は白河の関より北の意。
  主に宮城県内で読まれるが、他の東北各県でも購読さ
 れている。
.
1897年1月19日、成田鉄道の成田駅~佐倉駅間が開通した。
  この年に開業した成田鉄道は、新勝寺への参拝者で賑
 わう路線。
  JR成田線と京成電鉄のルーツである。
  1907年、東京・本所(押上)から成田・佐倉までの電
   気軌道の建設が許可され・・
  1909年、京成電気軌道株式会社が設立された。
  それまでは蒸気機関車(SL)だった・・
  SL5300型は・・
  1882年、官鉄が旅客用機関車として、英国ピーコック
   社から2Bのテンダー機関車を2両(5312、5313号
   機)、2Bタンク機関車を2両(5490、5491号機)
   輸入したのが始まりだった。
  比較運転の後、テンダー機は日本鉄道で使用された。
  タンク機は官鉄で使用した。
  1884年、比較検討の結果、テンダー機の方が好成績を
   収めたので、官鉄のタンク機が、神戸工場でテンダ
   ー機に改造された。
   この2両は国有化後5490形になり関東地区で働いた。
  1918年、5490号機は、成田鉄道に払い下げられ、1921
   年、廃車解体されてしまった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:相手の顔を殴っておいて・・その謝罪もしないで・・未来志向の話をしようなんて言うのは『 おかしい! 』
    韓国よ、まず、誠実な態度になりなさい。
    汚い、世界を誤魔化す態度は止めなさい!
.
1724年、石器の発見
  ジョセフ・フランソワ・ラフィトーは、二つの論文を
 書いた。
  その論文は、「雷石の紀源と用途について」と、「原
 初の時代の習俗と比較したアメリカの未開人の習俗」で、
  この二つの論文の中で、「アメリカ先住民が使用して
 いる石器を実見した」・・
  石器という物を実験してみて・・
  雨の降った後に発見される「雷石」は、「古代の人間
 が制作した石器だ」・・と知る。
  そして、石器は、「未開人」の道具であると同様、「
 原初の時代の習俗」であったと主張した。
  雨が降って土が崩れて出て来た雷石は、古代人の石斧
 だと知る。
     ・
     ・
1913年、日本人を排斥するアメリカ
  この年、アメリカのカリフォルニア州で「排日土地法」
 が成立した。
  長年に渡るアメリカの日本叩きに日本国民は激昂した。
  アメリカはこれが目的だった。
  日本が力を付けて来たことに対する行動を取り始めた
 アメリカは、この段階から始めた。
  日本のマス・メディアのNHKや朝日新聞などの放送
 や新聞や雑誌は、堰を切ったように、アメリカ側の対日
 態度を激しく攻撃した。
  アメリカの思惑に完全にはまっていた。
  これらの動きの根底を見抜いていたのが石橋湛山だっ
 た。
  この問題は、「理屈ではなく感情だ」と見抜いた。
  条約などを持ち出して、理屈で言っても理屈で正しい
 日本の言うことが通らないと、また、通ったとしても一
 時的なものだと見抜いていた。
  この根は深いとも見抜いた。
  人種の違いから来る人種問題にあると見抜いた。
  湛山は、息長く理解を求めて行くしかないとした。
  しかし、NHKや朝日新聞などのマス・メディアは、
 「彼等(アメリカ側)に罪あり・・
  偏見あらば、我れは寧(むし)ろ却(かえ)って之れを棄
 て、飽くまで正しき道理の上に行動してこそ、初めて日
 本の日本たる立場あり・・」と論じた。
.
2007年9月10日、アメリカの金融トリック
  この日付で、某金融アナリストは下記の報告をする。
  『急変する世界経済』・・
  つい一ヶ月前まで、日本経済の先行きについては楽観
 論一色であった。
  多くのエコノミストは、2008年末まで現在の好況・・
 といっても実質で2%程度の成長だが・・が続くと主張し
 ていた。
  すでに、2002年2月から始まった今回の景気拡大は、昨
 年(2006年)10月に57ヶ月と、戦後最長の長さを更新し
 ていたから、「超長期の景気拡大になるもの」と予想さ
 れていた。
  国際機関も概ねそのような見通しを発表していた。
  たとえば、2007年7月25日に発表されたIMFの最新予
 測では・・
  日本の2007年、2008年の成長率は2.6%、2.0%と、4月の
 見通しを上方修正したほどであった。
  その中で、少数の経済学者のみは、2007年には、景気
 循環は下降局面に入ると見ていた・・が、この様な主張
 は少数説だった。
 状況が、2007年8月に入って急速に変わった。
  米国のサブプライムローン(低所得者向け住宅ローン)
 問題が、予想外にも、世界的な広がりを持つものである
 ということが、次第に、はっきりしてきた。
  アメリカのブッシュ大統領(子)は、低所得者にも住
 宅が持てるようにすると、表面的には美しい事を言った。
  しかし、このキリスト教を強く信仰するこの大統領は、
 他の大統領が出来なかったことをするには、やはり、そ
 こに・・「トリック(嘘)」のような事が必要だった。
  結果的に、世界中が、非常に大きな迷惑をこうむった。
  キリスト教が常にやる聖書の書き換えと同じだった。
  アメリカの「不良金融資産の大量販売」という状態で
 発覚した。
  アメリカを震源地にした全世界的規模の金融恐慌が深
 まりを見せている・・と、長周新聞(地方紙)が伝えた。
  日本の必死の状況について主に伝えている・・
  大騒ぎの日本、そして、同じ様な世界・・その逆に大
 儲けしているアメリカ・・その新聞を参考にして、以下
 にその状況を記述する・・と・・
  実体経済や、各国の人々の生活に深刻な影響を与え、
 ツケをみな転嫁して延命をはかっている。
  小泉首相・竹中蔵相路線で「金融立国」を志向してき
 た日本国内でも、金融崩壊はあらわとなっており、銀行
 の貸し渋りで中小企業は相次ぐ黒字倒産、
  輸出に依存してきた製造業は、大量首切りを強行する
 など、かつてない状況があらわれている。
  『銀行は焦げ付きを次々と発表』
  近年、「市場最高益」をあげてきた大銀行は、焦げ付
 きを次々と発表した。
  株安の進行によってみずほフィナンシャルグループ、
 三井住友フィナンシャルグループ、三菱東京UFJなど
 三大銀行の時価総額の合計は9兆6900億円と5年ぶりに10
 兆円を割った。
  ピーク時の2006年4月には、その4倍あったことから見
 ると『短期日に巨額の資産が吹き飛んだ』ことがわかる。
  メガバンクの9月中間決算は軒並み減益で、資本増強の
 動きに出ている。
  不良債権の処理費が、前期の3倍に跳ね上がり、純利益
 は前年比で58%も減少した。
  モルガン・スタンレーに90億ドルの資本支援を迫られ
 るなど、たかられた三菱UFJフィナンシャル・グルー
 プは1兆円の資本増強。
  3大銀行の調達額の合計は約1兆7000億円にのぼった。
  サブプライム債券を、約5兆5000億円つかまされた農林
 中央金庫も1兆円規模の増資を打ち出した。
  1兆円を超える資本は傘下の信連や農協から調達すると
 いっている。
  9月中間期の純利益は、前年同期比で92%減の104億円。
  有価証券の価格下落で1120億円の損失処理を実施した
 ことが要因となった。
  9月末の有価証券の含み損は、国内金融機関のなかでは
 最大の約1兆5000億円にも膨らんでいる。
  資産の多くを有価証券などで運用しており、約58兆円
 もの資産のうち市場運用資産が7割弱を占めている。
  9月末時点で、証券化商品を6兆8000億円も保有してい
 る。
  「日本を代表する機関投資家」と豪語してきたが、要
 するに、農民漁民のカネを原資にして金融市場の『カモ』
 になっている。
  11月26日に出そろった地方銀行・第2地方銀行の103行
 の9月中間決算では、3分の1にあたる33行が赤字に陥った。
  地域経済が疲弊して、貸し出しが伸び悩む一方で、近
 年は、投資信託販売などにシフトし、海外投資などで利
 益を追求してきたのが特徴で、リーマン・ブラザーズ社
 債の関連損失などを計上した銀行も少なくない。
  損害保険大手6社の9月中間決算では、有価証券評価損
 などの関連損失の合計は約1900億円にものぼった。
  東京海上ホールディングス、三井住友海上、損保ジャ
 パン、あいおい損保、ニッセイ同和の五社が、当期最終
 利益で大幅減益の見通しになっている。
  損保ジャパンは、520億円の最終赤字に陥る見通し。
  新車販売が冷え込んだ影響で、自動車保険が不振とな
 り、住宅バブルがはじけて火災保険も不振。
  本業が振るわない一方で、リーマン・ブラザーズの社
 債や海外への株式投資、証券化商品の焦げ付きが最大要
 因となった。
  三井住友海上は、900億円もの損失を計上し、東京海上
 が724億円にのぼった。
  リーマン関連など完全にデフォルトしたものを損失計
 上として数字に乗せているほか、株式の評価損などが含
 まれているが、AIG、サブプライム2社、つぶれかかっ
 ているシティ(バンク)など、破綻が確定していけばさ
 らに深刻な損失が表面化することになる。
  9月初旬には、「邦銀が存在感を示すビッグチャンス」
 「世界最強」などと言っていたが、一転してピンチに陥
 っている。
  金融庁が、11月28日に発表した2008年9月末の国内金融
 機関の証券化商品の損失は、3兆2730億円にもなった。
  6月末から27%増加している。
  農林中金など大手銀行の損失額は2兆7760億円となった。
  サブプライム関連は、そのうち9500億円で、あとは、
 その他の証券化商品による損失である。
  国内金融機関が保有している証券化商品の総額は22兆
 2710億円(9月末時点)とされ、わずか3カ月で1割強が水
 の泡となった。
  10月以後、膨らみ続けている損失はさらにひどいと見
 られている。
  また、投資信託協会は、11月14日、国内の投信の純資
 産総額が10月だけで11兆円減少したと発表した。
  9月も合わせると18兆円にもなる。
  個人から投資信託会社が資金を調達して、国内外の株
 や債券に投資して運用するもので、
  ここ数年は、「貯蓄から投資へ」とキャンペーンが張
 られ、銀行や証券会社、郵便局までがさまざまな商品を
 組み合わせて窓口販売、訪問販売に熱を上げてきた。
  その結果、『巨額の個人資産が吹き飛んだ』ことを意
 味している。
  知識のない素人、高齢者や退職者を『カモ』にして、
 リスクを負わせるハメとなった。
  個人の損失は、「自己責任」で、大手金融機関の損失
 は『公的資金をぶち込んで救済』するシカケになってい
 る。
  『年金資金で株式買上げ 市場運用分約93兆円』
  NYダウも、日経平均も、各国金融市場も暴落したり、
 若干持ち直したりしながら、しかし、基本的にはジリ貧
 で下落し続けている。
  この過程で、不可解な買い上げがやられている。
  ドブに捨てるように、公的年金資金がぶち込まれて、
 怒濤の株式買い上げをやっている。
  日経平均株価は、放って置いたら暴落が避けられない
 のが実情だ。
  年金資金の市場運用分は、92兆9273億円にものぼり、
 財投債分の26兆9894億円をはるかに上回っている。
  四半期別に見てみると、この市場に投げ込んでいる92
 兆円で、7月から9月末までだけで、4兆2383億円の損失を
 出していることも明らかになっている。
  10月、11月、12月は、前期以上に「買い上げ」をやっ
 ているので、損失は10兆円ほどに膨れあがってもおかし
 くないという指摘もある。
  株式運用だけでなく、企業社債(資金調達)などにも
 突っ込んでいるが、運用の詳細については明らかではな
 い。
  株式市場において、外資投機集団が売り逃げしていく
 のを補う形で、日本の年金資金が買い支えする構図。
  みなが知らぬ間に、老後資金が、企業資金の穴埋めに
 張り替えられている。
  今後は、郵貯・簡保の株式運用も取り沙汰されており、
 『国民の金融資産も好き勝手に使われている』。
  米国でも国が銀行救済 『日本に米国債買わせ』
  金融危機にさいして、世界の富をかき集めて『バブル
 を謳歌してきた米国』では、政府が連日のように金融機
 関の「救済策」を打ち出している。
  『赤字財政でカネはない』のに、金儲けした連中の尻
 拭いのために、ドルと米国債を『大量に刷り散らかして』
 国が救済している。
  米政府と米連邦準備制度理事会(FRB)が、投融資
 や保証を通じて抱えているリスクは最大で8兆ドル(約
 760兆円)にのぼる見通しになっている。
  対応如何で『焦げ付く可能性』が十分ある。
  米連邦預金保険公社(FDIC)を通じて、銀行債務
 と決済性預金を保証させるために、1兆9000億ドル。
  FRBは、企業が資金調達のために発行するコマーシ
 ャルペーパー(CP)の買い入れに1兆8000億ドルを拠出
 して、『資金繰り支援』。
  住宅ローンや消費者ローン対策に8000億ドル。
  金融機関への資本注入や、不良資産救済に総額で7000
 億ドル。
  MMF(マネー・マネジメント・ファンド、公社債や
 短期金融資産で運用される投資信託で「極めて安全性が
 高く元本割れしない」といわれていた)向けの資金提供
 に6000億ドル。
  その元本保証に500億ドル。
  住宅ローンの借り換え支援促進策に3000億ドルなど、
 『すさまじい額』である。
  その他、破綻寸前の各社を『政府が抱え込んだ』こと
 によって、シティグループの不良資産に政府保証として
 2500億ドル。
  550兆円ものサブプライム債券をばらまいた、ファニー
 メイ、フレディマックの住宅公社の尻拭いに2000億ドル。
  保険最大手だったAIGには1500億ドル。
  ベアー・スターンズの救済に290億ドル(約2兆8000億
 円)。
  FRBが公定歩合をいじって、金融機関の資金繰りを
 助け、直接貸し出す制度は『無制限に運用』されている。
  また、各国の中央銀行とドル資金を融通する金額も無
 制限で、滞在リスクは上乗せされるすう勢。
  EUも、景気対策として25兆円規模の経済対策を加盟
 国に提案。
  企業支援や税制優遇などを実施するとしている。
  信用収縮が起きる過程で「最後の貸し手としての機能
 を果たす」といって中央銀行が登場し、量的緩和とか利
 下げなどを打ち出して資金を拠出している。
  政府が救済といっても資金はなく、『膨大な国債を発
 行』したり、博打のツケは『国家国民に転嫁』しつつ延
 命をはかっているわけだ。
  しかし、アメリカ政府の『大盤振る舞い』にせよ、こ
 れは、目先をしのいだ結果、ドルが『大量に溢れかえっ
 て』大暴落することになるほかない。
  そして、減価した分、日本など、『米国債を買わされ
 てきた国々は泣く目』にあう。
  日本は、9月時点で約100兆円もの外貨準備を保有し、
 ほとんどが『ドル建て』である。
  日本政府が日銀から100兆円を借りて、『米国債100兆
 円買い込んで』いる格好。
  しかし、ドルの日本円に対する価値は、日を追う事に
 『下落』しており、外貨準備の『評価損』は20兆~25兆
 円に達しているとも見られている(日本の奉仕)。
  『輸出総額が大幅に減少 労働者の大量解雇も』
  金融だけにとどまらず、実体経済にも波及している。
  財務省が発表した10月の貿易統計速報では、アジア向
 けの輸出額が7年ぶりに前年割れとなるなど、総額で前年
 同月比7.7%の大幅減少となった。
  米国向け輸出は、14カ月連続、欧州向けは3カ月連続
 で前年割れとなった。
  とりわけ自動車の落ち込みが最大要因になっている。
  国内でも消費は落ち込み、11月の国内新車販売台数は
 前年比33%減となった。
  トヨタは、トヨタ九州の生産計画を、来年1~3月期は、
 前年比で『60%減』の方針を出し、『ライン停止』も発
 表した。
  派遣・期間工などの非正規雇用を次々と『切り捨て』
 ているのは自動車産業だけでなく、他の製造業にも共通
 している。
  厚生労働省は、10月から3月の半年間に、非正規労働者
 が3万人が失職すると発表。
  すでに、解雇されたり、契約解除が確定している分だ
 けで3万人であり、新たに発生してくる解雇者などの数字
 は含まれていない。
  「定額給付金」をばらまいてどうにかなる事態ではな
 く、金融から実体経済にいたるまでの『破綻が進行』す
 るなかで、労働者が路頭に放り出されて食っていけず、
 現役世代が、これまでに経験したことのない社会状況が
 広がっている。
.
2019年、日本企業が中国から撤退したくてもできないよう
 にされている。
  中国から資金を持ち出すことが出来なくされている。
  いくら大きな金を、日本企業が中国に持っていても、
 その金を日本に持って来れない。
  (これを、アメリカは「持ち出せるようにしろ」と言
 っている)
  これが、日本の企業の弱味になっている・・
  だから、日本の経営者は、中国の言いなりになるしか
 ない状態となっている。
  この中国に弱みを握られている日本企業が、日本の政
 治家に働きかけている・・が、政治家もやりようがない
 状態・・
.
2019年、アメリカの中国への要求
 ・貿易赤字の解消(アメリカからの購入拡大)
 ・不正な産業補助などを廃止する。
 ・外国の知的財産権の侵害・・知的財産権の保護
 ・企業の財産権と活動の保証
 ・為替の最終的自由化と通貨切り下げの禁止
 ・外国企業差別、投資制限撤廃と資本移動の自由
  (時間軸での目標と検証プロセスの徹底)
  (守らなければ報復関税→中国はWTOへの提訴をし
 ない)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆☆☆
2018年9月26日、ポイズンピル(日米共同声明)
 1、 2018年9月26日にニューヨークで開催された日米首
  脳会談において、ドナルド・トランプ大統領と安倍晋
  三首相は、両国経済が合わせて世界の国内総生産(GD
  P)の約30%を占めることを認識し、強固で安定した、
  双方に利益をもたらす日米の貿易・経済関係の重要性
  を確認した。
   大統領は、互恵的な貿易の重要性、また日本や他の
  国々との間にある貿易赤字を削減する重要性をあらた
  めて表明した。
   安倍首相は、自由かつ公正で、ルールに基づいた貿
  易の重要性を強調した。
 2~5は略す
 6、日米両国は、第三国の非市場志向型の政策や慣行か
  ら日米両国の企業と労働者をより良く守るための協力
  を強化する。
   したがって我々は、WTO改革、電子商取引の議論
  を促進すると共に、知的財産の収奪、強制的技術移転、
  貿易歪曲的な産業補助金、国有企業によって創り出さ
  れる歪曲化及び過剰生産を含む不公正な貿易慣行に対
  処するため、日米、また日米欧三極の協力を通じて、
  緊密に作業して行く。
 7、日米両国は上記について信頼関係に基づき議論を行
  なうこととし、その協議が行われている間、本共同声
  明の精神に反する行動をとらない。
   また、他の関税関連問題の早期解決に努める。
  (注)これは、対中国で出来ている。
     中国を対象としてできている。
     これによって、日本もアメリカと連動して動か
    なければならないことになっている。
     中国に対抗して動くアメリカに連動して動かね
    ばならない日本としている。
  (参考)ポイズンピル:企業における買収防衛策のひ
     とつ。
      既に、自社の株主となっている人たちに事前
     に新株予約権を発行しておくことにより、会社
     が好ましくないと思っている相手に自社の株式
     を奪われることを防ぐことを言う。
.
2019年、中国の通貨戦略・・仮想通貨(暗号資産)
  中国が、今、実施しようとしている仮想通貨(暗黒資産)
 は、中国・人民元による米国ドル潰しの趣旨と同じこと
 をしようとしている。
  中国が、貨幣的な価値を暗号資産として仮想通貨的に
 与え・・
  その中国発の仮想通貨をネットの中で流通させて、結
 局、中国が出した仮想通貨で世界的規模で決済を行おう
 とする・・
  そこには「米ドルの介在が一切ない」。
  世界通貨として存在する米ドルの立場を崩そうとする
 もの。
  世界の基軸通貨として存在する米ドル・・その今の世
 界の基準的成り立ちを崩そうとするもの。
  今の米ドル、円、ユーロの法定通貨の存在を揺るがす
 もの。
  この中国の仮想通貨は、流通において価値の変動が起
 きる。
  暴れ馬的になり、統制のとれない世界となった時、中
 国だけで統制がとることができるのか?
  また、その時に、独裁国家の中国が、国際的立場に立
 たずに自国だけが有利な決定をするのではないか・・
  中国のシステムであるが故に、国際機関は制御できな
 い・・見ているだけとなる・・
  今の世界の金融秩序への無謀な挑戦と見える・・
  また、このシステムは、資産の流れが不透明となり、
 「汚い金(裏金)」が大手を振って世界を闊歩しやすい
 システム・・
  その結果、邪悪な行為・商売が、世界に増える。
  テロ集団も資金が得られ易くなる。
  リスクの多い世界となる。
  安全性が保たれている現在の決済網は崩される。
  まったく補償のない決済システムである。
  中国がどの様な責任をとるのかが「まったく不明」。
  不透明さなどを、逆に、利用しようとする者が都合が
 良いと参加する。
  このシステムを中国が強引に実施した時の国際的な制
 裁がない。
  国際社会は、安定と安全を損なわされるだけとなる。
.
2019年10月17日、中国が、南太平洋に覇権を築きつつある。
  ソロモン諸島の地方政府が、中国へ、ソロモン諸島の
 一つの島を「丸ごと」与えた・・
  75年間の貸与とした。
  また、中国とソロモン諸島政府は、「戦略的協力関係
 を持つ」ことで合意した。
  今、南太平洋の島嶼国が中国に急接近している。
  2019年9月、台湾と断交し、中国と国交を結んだ。
  そして、島を丸ごと貸し出す覚書を結んだ。
  港湾などが、将来、軍事利用される恐れがある。
  これは、豪州の安全保障を脅かすもの・・豪州の懸念
 が深まっている。
  アメリカの覇権領域に食い込んで来た中国・・
  アメリカと中国の覇権争いが急速に高まって行く。
  豪紙のフィナンシャル・レビューなどによると・・
  覚書は、ソロモン諸島の首都ホニアラの北東20キロメ
 ートルに位置するツラギ島(2平方キロメートル)につ
 いて・・
  島を管轄する中央州政府と、北京の複合企業「中国森
 田」との賃貸契約を認める内容となっている。
  日付は、ソロモン諸島と中国が国交を樹立した翌日の
 9月22日。
  2019年10月17日、ソロモン諸島政府と中国との間に「
 戦略的協力関係」を持つことで合意した。
  ソロモン諸島のソガバレ首相は台湾との断交に際し、
 「(台湾は)経済や政治面で完全に役立たずだった。
  豪州も何をしたというのか」・・と述べた。
  一方で、中国に、多大な経済的支援に期待する姿勢を
 示した。
  ツラギ島では、石油・ガス開発のほか漁業拠点の整備
 や空港拡張などが検討されているという。
  島周辺の海域は水深が深く、大型船が寄港できる条件
 が整っている。
  豪州戦略政策研究所のピーター・ジェニングス所長は
 「豪州の玄関口に、中国の軍事基地が建設されかねない」 
 との懸念を示した。
  太平洋の島嶼国各国は、積極的に経済支援を提供する
 中国への依存を強めている。
  豪民間調査機関・ローウィー研究所は21日に公表した
 報告書で・・
  「トンガとサモア、バヌアツの経済は、世界で最も中
 国の融資に頼っている」と指摘した。
  これらの国々で債務返済が滞った場合、港湾など重要
 施設が中国に差し押さえられ、軍事拠点として利用され
 る可能性がある」と・・
  (参考・・読売新聞、2019年10月24)
.
2019年、中国の脅威・・
  世界を手中に収めようとする中国の姿が見えている今
 となっている
  そのために、日本の安全が非常に危うくなっている・・
  矢野義昭氏(元陸上自衛隊小平学校副校長・陸将補)
 の話・・(抜粋)・・
  中国の独裁体制が続くが・・
  その体制ゆえに、経済成長以上の速さで軍事費を投入
 することができる中国・・
  この今までのやり方は今後とも変わらないと予測され
 ている・・
  国家資本主義的体制と言われる中国、ある意味、ファ
 シズム体制となっている中国・・
  この体制下で、米中摩擦で落ち込んだ経済を立て直す
 ためにも、さらに軍事に資本を投入し、経済活性化をは
 かる中国・・
  特に、先端技術分野を重点に・・例えば、航空宇宙、
 サイバー、電磁波、人工知能(AI)、量子通信・量子
 コンピューター、ネットワーク・サイバー、無人兵器な
 どへ重点投資している・・
  現に、「兆円単位の大規模投資」を結集してやってい
 る・・
  そして、その開発成果を輸出して外貨を稼ぐという方
 針で行っている・・
  その結果、中国の社会全体が、また、経済全体が、さ
 らなる軍事化へ向けて進んでいる。
  (ナチが軍事に巨大投資して行ったように)・・
  これと併せて、軍事戦略面でも、従来の近代的兵器の
 戦略、例えばミサイル、艦艇、戦車などのハードパワー
 を使用した戦い方ではなく・・
  むしろ、新しい戦争概念にある航空宇宙、サイバー、
 電磁波、レーザーなどで・・
  これから、アメリカと勝負のできる分野において、重
 点投資をして、勝利をおさめて行く行動をしている・・
  これに合わせて、情報戦(サイバー、フェイクニュー
 スなどを使い)「総合的な情報による戦い」を進める・・
  軍だけでなく、公安関係も含めて、また、対外的だけ
 でなく、国内面においても、実施している・・
  国民意識をコントロールすること、外国選挙のコント
 ロールなど、組織的に実施して行く・・
  また、デジタル監視社会を国内に徹底する・・国民の
 個人情報も集め、評価を行ない、点数化し、管理し、コ
 ントロールする・・
  徹底した監視社会の進化をはかり、完璧化して行く・・
  現に今、これを進め、これが進んでいる・・
  個人情報を全面的に収拾している・・
  そのための巨大なビックデーターも蓄積も進めている・・
  それと共に、人工知能・AIの進化も高度化して行っ
 ている・・
  この中国モデルは、非常に脅威な進め方となっている・・
  開発独裁の中国の態勢が、トップダウンで強烈に進め
 られている・・
  軍事と公安維持に特化してやって行っている・・
  こういうシステムが、今後、中東、アフリカ、中央ア
 ジア等へと、ドンドン拡散していく・・
  また、見落とせないのが「中国とロシアの関係」・・
  現在、中国とロシアとの貿易が「1000億ドルを超えて
 いる」・・
  これを倍増しようと「中露間で合意がなされている」・・
  合意分野は、エネルギー分野、軍事関係、安全保障、
 技術の先端分野を「重点にする」となっている・・
  今、ロシアも、アメリカの経済制裁を受けているが、
 これまで蓄積されたロシアの技術、例えば、ジェットエ
 ンジン技術等の軍事技術を主にして、中露共同研究開発
 をしていく・・
  また、ロシアの弱点だった情報技術やマイクロチップ
 などに対し、中国のファイブG(5G)と交流させて技
 術力を挙げて行くとしている・・
  そして、その成果を、途上国へ武器輸出し、影響力を
 拡大して行くとしている・・
  この様な現状と予測の中で、日本はどうするのか?・・
  アメリカ・欧州・オーストラリア・インド・東南アジ
 アなど「価値観を共有する国々と連携」し、この国際的
 連帯の中で、どの様に対抗して行くかを検討し、進めて
 行かなければならない・・
  これからの今後は、この行動が問われている・・
  これの中心課題にあるのが「核兵器をどの様にするの
 か?」・・そして、「兵器の最新化」・・そして、航空
 宇宙やサイバーなどのグローバル戦に対する「非対称戦
 への対応」、また、「兵器の共同開発」・・
  (先端技術を持つアメリカや欧州と連携する・・そし
 て、大陸国の中露に対抗する)・・
  これに重点投資をする・・
  アメリカの財政赤字が厳しい現状にあるが、今、アメ
 リカは民政への予算を詰めて軍事予算へ投入をしている・・
  それが、政権交代においてどうなるかの問題があるが、
 アメリカ以外の国々が、アメリカ財政を支えて行く必要
 性がある、中露に対抗するために・・
  そして、これから日本も「総合的」に軍事面や安全保
 障面にも全面的に関わって行かなければならない・・
  その為にも集団的自衛権をフル・スペックで使える体
 制にする・・憲法改正も必要である・・
  (参考)非対称戦:その交戦様態が、正規軍同士では
     ない戦闘である点を特徴とし、相手と同じ戦術
     では勝利が困難な交戦集団が、相手にとって予
     想も対抗も困難な別の手段によって戦闘をしか
     けることで戦われる。
      一般には、テロやゲリラ戦という言葉で認識
     される場合が多い。
  https://www.youtube.com/watch?v=7iIadMYkens&t=2441s

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆☆☆
2019年10月25日、韓国の文政権は、国家間の約束を守りな
 さい・・
  この日の読売新聞の社説・・抜粋・・
  「元徴用工問題」・・
  まず、韓国政府が、元徴用工の問題で対応策を取る。
  これが日韓関係を正常化する第一歩である。
  安倍首相が、韓国の李洛淵首相と会談した。
  安倍首相は、元徴用工への賠償を日本企業に命じた韓
 国最高裁の判決について「日韓関係の法的基盤を崩す」
 と批判し、「韓国側に対処を求めた」。
  李氏は「両国が知恵を集めて難関を克服して行ける」
 と述べ、(韓国がすべきことを何ら提示できずに)並行
 線をたどった。
  文在寅大統領は李氏を通じて安倍首相に親書を送った。
  「懸案が早期に解決するよう努力しよう」という趣旨
 が書かれていた。
  日本企業が不利益を被らないよう、善後策を講じる責
 任は『韓国政府にこそある』。
  日本にも譲歩を求めるかのような「文政権の姿勢」は
 受け入れられない。
  日本企業の資産が強制的に売却される事態になれば、
 日韓関係のさらなる悪化は避けられまい。
  日韓請求権・経済協力協定は、請求権問題の『完全か
 つ最終的解決』を『確認』している。
  韓国の歴代政権も、元徴用工の請求権が協定の対象で
 あると『認めてきた』。
  ところが、文氏は2017年の大統領就任以来、徴用工を
 日本の植民地支配の被害者に位置づけ、名誉回復と補償
 の問題は未解決だと強調してきた。
  最高裁判決も是認し、事態を放置した。
  支持基盤の左派層を意識したのだろう。
  ここにきて、日本と対話する姿勢を示した背景には、
 韓国国内の事情がある。
  北朝鮮との関係は停滞している。
  米中の貿易摩擦のあおりを受けて、経済成長は鈍化し
 た。
  (韓国国内の)対日関係の改善を求める経済界の声は
 強まっている。
  (韓国に対する)対日関係の改善を促す米政府への配
 慮も働いた。
  韓国政府は8月、対日関係の悪化を踏まえて、日韓軍事
 情報包括保護協定(GSOMIA)を破棄する方針を決
 めた。
  (韓国は、改善するどころか、逆に、反発し、強硬姿
 勢をとっている)。
  11月下旬に執行する予定だ。
  北朝鮮は、弾道ミサイルの発射を繰り返しており、脅
 威は高まっている。
  トランプ米政権は、日米韓の安全保障協力を維持する
 観点から、韓国に対して、方針の再考を促している。
  文政権は、米側の意向も踏まえ、方針を撤回すべきで
 ある。
  輸出管理制度も日韓間の懸案となっている。
  日本政府が、輸出手続き簡略化の優遇を受けられる対
 象国から韓国を除外したことについて、韓国は反発して
 いる。
  日本の措置は、(韓国の側の)輸出管理制度や運用に
 (韓国側の)不十分な点があることが理由だ。
  日韓間で冷静に話し合うことが求められる。
                     以上
  (評)
  隣り同志は互いに親善でなければならぬ・・
  また、礼節を守らなければならぬ・・このことは・・
 ということは、これは、決して個人間のみの事ではない・・
  国と国との関係に於いても「これだと言える」・・
  この様な態度を取らなければ、両国民の生活は永遠に
 幸福なり得ない・・
  韓国は、正直にならなければならない・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・☆☆☆
2019年10月26日、【討論】米中対決とグローバル化した世
 界[桜R1/10/26]
 ・文明の衝突・・
  中国の特色ある社会主義・・
  中国の国家体制は、巨大な開発独裁・・
  1億5000万人(OECDレベル)、1億5000万人(都市
 住民)、3億人(新都市住民)、7億人(農民戸籍、これ
 は農奴で農民奴隷、この人たちが、実質、支えている)・・
  これは階層的なカースト社会である。
  開発独裁の優位性(人権が無いために出来る)、選挙
 による政変が無いため、反対の無い、反対を抑えた中で
 強力に中長期的な国家計画が立てられる。
  国有企業を利用し、資本主義企業を淘汰し、より有利
 な戦いが出来る・・
  個人の権利が弱く、人権問題や知的財産権などが守ら
 れない・・
  国家の上にある共産党、実態としての三権分立が無い。
 ・アメリカの正義・・キリスト教を基本とした価値観・・
 普遍的価値(自由、民主主義、基本的人権、法の支配、
 市場経済)
  世界の警察は、これ(アメリカの正義)を守るためで
 あり(70数年、アメリカは戦争をし続けて来た)、それ
 がアメリ
 カによる世界の覇権を可能にしている。
  国家は国民のためにあり、国家の介入を極力避ける政
 策をとってきた・・
  自由な貿易→自由で公平な貿易
 ・アメリカの敵になった中国・・
  中国の特色ある社会主義 VS 普遍的価値観、
  南シナ海人工島 VS 航行の自由作戦
  一帯一路(陸路および海路)VS インド太平洋ファ
 ンド
  RCEP(中国を中心とした貿易体制)VS アメリ
 カの自由貿易協定
  アメリカは各国に踏み絵を踏ませ始めている。
  その第一弾がファーウェイ。
  これを守らないなら追い出し、情報共有もしない。
 ・天網スカイネット・・ファーウェイ、ZTE、ハイテ
 ラ、ダーファ、ハイクビジョン・・
  ウイグル人拘束の為に利用されており、関連企業と大
 学など研究機関が早い段階で制裁対象になる可能性が指
 摘されている。
  また、議会は人権弾圧に関係した人物や団体などのリ
 ストを作ることを求めており、これを入国管理や規制に
 利用することを求めている。
  AI、顔認証、先端技術を持つ企業に、ファーウェイ
 同様の規制をかける・・技術の一切を中国へ渡さない。
  MITは中国と共同開発をしていたが、この様なもの
 すべてを潰す・・中国との全面戦争化。
  来年、更なる国防権限法による制裁
 ・3つのキーワード
  FIRRMA:外国投資リスク審査現代化法
  ECRA:米国輸出管理改革法
  CFIUS:対米外国投資委員会
  中国の投資に対して厳格な審査の実施(企業丸ごとな
 どで奪われる技術をその様な方法で渡さない)
  日米の貿易交渉の要(かなめ)として、日本がアメリ
 カの動きに連動する様に強く求められる予定。
  日本も、法改正して外国企業による企業買収に対して
 規制をかけ始める予定・・国会に緊急上程される予定。
  アメリカの態度は、中国に対して、同盟国と共に技術
 を渡さないという態度・・これを明確に示した。
  しかし、日本の国会議員の認識が甘い・・中国べった
 り・・中国に美味しい思いをさせてもらった議員たちが
 居る・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  元徴用工のこと・・
  日本で儲けたいと給料の良い日本に来て韓国・朝鮮の
 人が、日本で働いて帰った。
  日本の給料が良いから、韓国・朝鮮から密航的に来て、
 捕まった人が、また密航して来るほど日本の給料は良か
 った。
  元徴用工の話は、この様な状況の中に始まる・・
  今ごろになって、韓国が、日本に御礼を言うどころか
 文句を付けている。
  韓国の裁判所は、日本のどこが悪くて判決を出したの
 か? 
  事実認定を間違っている。
  賠償をする様な事を日本がしたと言う。
  これは、慰安婦問題と同じような韓国のでっち上げだ。
  そもそも問題となる様な事は無いのだ。
  また、例え、韓国の裁判所の判決の様な事はないが、
 あるとしたって、日本と韓国の間には、「この類いの問
 題が生じた場合は、韓国政府が責任をもって解決すると
 なっている」。
  「日本には問題が及ばない」と、国と国の約束で、条
 約として取り決められている。
  だから、今、無理を承知で韓国は、色々とその無理を
 押し通して、日本に言っているが、詳しい事を知らない
 世界の人たちを騙(だま)している。
  そして、韓国は、世界の人たちを繰っている。
  世界の人たちへ、「日本がおかしいのではないか」と
 世界に思わせ様としている。
  まったく日本に問題のない話を、何か問題のありそう
 な話にしようとしている。
  日本は、また、変な妥協をすると、その妥協が、例え
 小さな妥協であっても、「やっぱり日本がおかしかった
 のか」となる。
  日本は、この様な筋の通らない話しは「突っぱねよ!!」。
  「正論だけ言っていなさい」。
  慰安婦の時の二の舞はするな!
  また、世界へ理解して貰(もら)う努力をせよ!!
  韓国へ正論を言っても通じない。
  日本に譲歩を求める韓国大統領はおかしい?
  何も悪くない日本に、その説明もしない韓国に、譲歩
 を求める韓国はおかしい?
  韓国は、「得意な引っ掛け」を、日本に対して行って
 いる事になる。
  この様な卑劣なところが、韓国には、昔からある。
  また、「平行線」と表現すること自体もおかしいこと
 なのだ。
  何も問題ない日本に、その問題も説明できない韓国に、
 平行線となる線は無いのだ・・その様な状態の韓国なの
 だ。
  平行線もなにも問題自体が日本に無いのだ。
  また、韓国大統領が「未来志向の話し合いをしたい」
 と言ったって、「日本の問題点の説明もしない韓国に、
 未来を語る資格はない」。
  日本に問題があるというのなら、誠実に日本の問題点
 を説明しなさい。
  「そもそも問題が無いものに、問題があるとした韓国
 の問題を解消しないで、話し合いをしようという論理は
 成立しない」。
  未来志向であろうがなかろうが「その未来の発展の芽
 を摘み取っている韓国の論理を撤回して、その様なデッ
 チアゲを謝罪がなければ、話し合いも何もできる訳はな
 い」。
  この様な韓国の態度を例えるならば・・
  「日本の顔を殴っておいて、日本に謝罪もしないで、
 握手したいと言っている様なもの」。
  「謝罪しないで、未来志向の話し合いをしよう」と言
 っている様なもの。
  韓国は、日本と未来志向の話し合いがしたいならば、
 まず、元徴用工での非礼の謝罪をしなさい。
  韓国に非があるのに、謝罪も、また、反省も示さずに、
 「両国間の懸案が早期に解決するよう、互いに努力しよ
 う」なんて言えるものだ。
  この様な、韓国の世界を誤魔化す態度が、そもそもの
 問題なのだ。
  韓国よ!、誠実になりなさい。
  そして、日本は、あくまで筋を通しなさい。
  変な妥協をしては、世界を誤らせる。
  また、変な誤解を日本は受けてしまう。
  いつもの様にしつこい韓国だが、正論だけをこの件に
 ついては言っていなさい。
  韓国のこの様なおかしさはアメリカには分かって貰っ
 たので、これからは世界に理解してもらう様にしよう。
  この様な不誠実な韓国大統領の「退陣せよの声」が、
 韓国国内に満ちている。
  この様な韓国大統領には、正論だけで応じて下さい。
  


2019年10月29日

(増補版)662E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年1月~1897年1月)

題:(増補版)662E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1897年1月~1897年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
1897年、出来事:
・総理大臣:第6代、第二次松方正義内閣
  在職期間:1896年9月18日~1898年1月12日
  在職日数:482日
  旧薩摩藩出身者が大臣の半数を占めた。
  内閣発足の時、三菱財閥の岩崎弥之助は松方に大隈重
 信との連携を提案し、第一次松方内閣の失敗をくり返さ
 ない様にと提案した。
  しかし、松方の出身の薩摩閥からも反対論が出た・・
  大隈の外務大臣は実現しなかったが大隈の進歩党から
 各重職に進歩党からの起用がなされ、この内閣を松隈内
 閣(しょうわいないかく)と言われた・・本格的、政党
 の政権参加が実現した・・
 松方内閣第一議会解散(氷川清話)(12月25日)
・八幡製鉄所、設立、着工
  明治政府の殖産興業、富国強兵の元、1895年、製鉄事
 業調査会が設置され・・
  1896年3月30日、製鉄所官制が発布され・・
  1897年、着工された・・
  1901年2月5日、八幡製鉄所、東田第一高炉の火入れが
 行われた。
・英照皇太后崩御(氷川清話)(1月11日)
  英照皇太后(えいじょうこうたいごう)は孝明天皇の
 皇后。
  京都生まれで、父は関白・九条尚忠。
  官職位階、宮殿殿舎、服飾、武具、年中行事、典礼な
 どの有職故実(ゆうそくこじつ)詳しい方だった。
  また、知的な方で読書は古典・国史をはじめ西洋理学
 の訳書にまで及んだ。
  明治天皇が践祚されてから皇太后となられ京都御所の
 南東にある仙洞御所(せんとうごしょ)に移られ、また、
 後に、東京の赤坂離宮、青山御所に住まわれた。
・綿糸の輸出額が、輸入額を超えた。
  1890年に、綿糸の生産量は、輸入量を上まわり・・
  1894年頃から、中国・朝鮮への綿糸輸出が急増し・・
  1897年には、綿糸の輸出量が輸入量を上まわった。
  綿布は、1909年に、輸出高が輸入高を上回り・・
  生糸輸出高は、この年(1909年)世界一となった。
・足尾鉱毒被害者が、農商務省に鉱山の操業停止を訴えた。
  1890年代後半頃より、渡良瀬川の河川魚の大量浮上な
 どで目にとまるようになり、また、農作物への被害で流
 域周辺住民を鉱毒反対運動に立上がらせた。
  地元からの数次の建議や、上申にもかかわらず、改善
 がみられなかった。
  そのため、1897年以来、たびたび農民方が、大挙して
 上京し、抗議行動を起こした。
  警官と衝突もし一大社会問題となった。
  1891年、代議士の田中正造は、議会に訴えて、世に被
 害の惨状を知らせた。
  1901年、その訴えが、中々、受け入れられず天皇陛下
 への直訴(じきそ、直接、天皇陛下へ訴える)に至った。
  1897年3月23日、内閣に足尾銅山鉱毒事件調査委員会の
 設置が決定された。
・河口慧海が、チベット調査に出発(6月26日)
 河口慧海(かわぐちえかい)仏教学者、チベット探検家、
 大正大学教授。「チベット旅行記」など著書多数。
  従来の漢訳仏典の正確さに疑問を抱き、チベット語原
 典の研究を志して、インドからチベットへ密入国、日本
 人で初めて首都ラサに至り、チベット一切経などの多数
 の貴重な資料を将来(しょうらい、持って帰ること)
.
1897年、世界情勢
・ドイツ軍、膠州湾を占領(11月14日)
・ロシア軍、遼東半島を占領(11月15日)
・ロシア艦隊が、旅順を占領(12月15日)
・ハワイ移民が上陸拒否にあう。
・島村駐ハワイ公使が移民受け入れ拒否問題を抗議(5月
 11日)
・アメリカがハワイ併合、日本は抗議した(6月16日)
・カナダで日本人・中国人排斥法案が可決した(5月9日)
・台湾総督府官制公布(10月21日)
  総督を陸軍大中将とする。
・朝鮮政府、ロシア式軍隊を編成(9月6日)
・李氏朝鮮が、清から独立し「大韓帝国」に(10月16日)
.
1897年、データー
・日本の総人口:42,400,000人
.
1897年、物価
・くず餅1銭5厘
・PR誌「学灯」5銭、年間購読料55銭
・句誌ホトトギス6銭
.
1897年、産業
・官営八幡製鉄所開庁(6月1日)
 八幡村に官営製鉄所が開庁した。
・沖ノ山炭鉱(後の宇部興産)創立(6月1日)
・日本楽器製造(株)(現:ヤマハ)創業(10月12日)
.
1897年、経済・金融
・日本銀行が、東京卸売物価指数(明治20年1月基準)の
 公表を開始した(3月)
・日本勧業銀行が開業した(8月2日)
.
1897年、科学・発明・教育
・ドイツの物理学者のフェルディナント・ブラウンが、ブ
 ラウン管を発明した。
  最初のブラウン管(陰極線管)とそれを使ったオシロ
 スコープを製作し、約100年後の2000年代になって液晶デ
 ィスプレイ、発光ダイオード、プラズマディスプレイな
 どのディスプレイ装置が徐々に取って代わるようになる
 まで、このブラウン管は、テレビやコンピュータの表示
 装置として使われ続けた。
・豊田佐吉が我が国初の木製の動力自動織機を発明した。
  世界の人を豊かにする偉大な発明だった。
  日本人が世界の人々に貢献した数々の大発明の一つ。
  佐吉は「能率の悪い手機を改良することができれば、
 きっと人々の役に立てる」と考えていた。
  作っては壊すことを繰り返す、佐吉は発明に没頭した。
  1890年秋、佐吉の最初の発明となる「豊田(とよだ)式
 木製人力織機」を完成する・・
  翌年、特許も取る(これが大切)・・織りムラの解消
 と能率の向上に努める・・
  そして、人力より動力織機の発明へ向かう・・研究資
 金の確保にも努力し、織機の改善は自分が使う事により
 確かめた・・
  1892年、自分の発明した織機数台で織布工場を開業す
 る・・織った布は問屋に好評だったが、経営と発明研究
 で、経営が苦しくなる・・やむなく工場閉鎖・・郷里に
 帰り伯父の家へ、住み込みながら動力織機の研究・・
  1894年、画期的な豊田式糸繰返(とよだいとくりかえ
 し)機を完成・・これを販売・・そのための店を開店・・
 軌道に乗る・・さらなる発明へ一心不乱に取り組む・・
  1896年、最初の動力織機の豊田式汽力織機(豊田式木
 鉄混製動力織機) を完成・・安価な生産性良い品質も
 向上した・・評判よし・・蒸気機関だけでなく、石油発
 動機も用いる・・
  後の三井物産が、この動力織機に注目し織機製作会社
 の設立を提案・・
  1899年、合名会社が設立された・・佐吉は技師長とな
 り発明に専念・・そして、佐吉個人の豊田商会を作る・・
・築地海岸に送信器設置し船との無線通信に成功(12月)
・京都帝国大学(後の京都大学)創立(6月18日)
・水産講習所(後の東京水産大学)が設置された(3月25日)
・海軍軍医学校が開校した(10月22日)
・鉄道学校が開校(6月5日)
・帝国図書館が開館(4月27日)
・京都帝国博物館が開館(5月1日)
.
1897年、医学・伝染病
・志賀潔(北里柴三郎の弟子)が伝染病研究所で赤痢菌を
 発見した(12月25日)
・黄熱病を発見する野口英世が、国家試験に合格し医師に
 なった。
・長崎入港の福岡丸でペスト、男子船客が死亡(6月12日)
.
1897年、食
・陸軍が一般糧食に肉を採用した。
・アメリカ人がコーヒーを飲む様になって、日本のお茶の
 輸出が減った。
.
1897年、交通
・永代橋が完成した(11月10日)
・日本鉄道が、1D1形テンダ機関車(のちの9700形)を購入し
 た。
  この機関車は、勾配線用としてアメリカのボールドウ
 ィン社で製作されたもの、1D1形は世界最初に属し、後に
 ミカド形の名称で貨物用機関車の標準形となる。
・鉄道作業局が、ボーナルの定規鈑桁を「作三〇年式上路
 鈑桁」として制度化した。
・新橋工場で2軸ボギー客車16両を製作した。
.
1897年、論・文学・本・文化・報道
・島崎藤村の「若菜集」を出版(8月29日)
・正岡子規、「ほととぎす」を創刊(1月)
・勝海舟が「全国貨幣総数大略」を編す(氷川清話)
・尾崎紅葉が「金色夜叉」を新聞に連載を始めた(1月1日)
・国木田独歩が溝ノ口を訪れて「忘れ得ぬ人々」を著わす。
・活動写真登場・・
  稲畑勝太郎、大阪南地演舞場シネマトグラフを上映
  (2月15日)
・日本で初めて日刊英字新聞の「ジャパンタイムズ」が創
 刊された。
・「労働世界」創刊(12月1日)
・雑誌「日本主義」創刊(5月)
・雑誌「実業之日本」創刊(6月10日)
.
1897年、スポーツ
・第1回ボストンマラソンが開催された。
.
1897年、裁判・法
・貨幣法:金本位制へ(3月29日)
・台湾銀行法公布(4月1日)
・新聞紙条例改正公布(3月24日)
・伝染病予防法公布(4月1日)
・古社寺保存法公布(6月10日)
・千坂みつ子の公判・・
  千五百人が傍聴券を求めて押し合い、けが人が出た(
 毎日新聞)
  前年の『時事』に、貴族院議員で某県知事の娘、千坂
 みつ子。美人、頭よく、英語たくみ。金づかいが派手で、
 離婚となる。 男をあさり、詐欺をやり、そのあげくつか
 まる。34歳・・とある・・
・ディングレー関税法
  保護貿易の強化。史上最高の税率57%
  アメリカ大統領のマッキンリーが定めた。
.
1897年、その他
・海軍兵器製造所を「海軍造兵廠」と改称した。
・陸奥宗光没(8月23日、24日?)
  蹇々録(けんけんろく)脱稿(1895年12月):陸奥宗
 光の外交記録
・後藤象二郎死去(8月4日)
・西周(にしあまね)死去(1月31日)
・日本最初の労働組合、鉄工組合できる。
・新渡戸稲造が、札幌農学校を辞職し、アメリカ西海岸で
 療養生活に入った。
  稲造は、重症の神経衰弱と診断され、休養を取るよう
 申し渡されていた。
・八王子で大火(4月22日)
.
  (今日の言葉)
.
  題:アメリカ政府の慰安婦問題調査で、「奴隷化」の証拠発見されず・・日本側の主張の強力な後押しに・・
.
1895年12月、陸奥宗光が蹇蹇録(けんけんろく)を脱稿し
 た。
  これは、陸奥宗光の外交記録。
  1895年10月、療養中の大磯で速記者に口述し、推敲し
 てできたもの・・だが、当時の外務省の機密文書を引用
 していた。
  その為、外交秘録であることから、秘密出版として少
 数が作られた・・一般には流布しなかった。
  内容は・・
  1894年に朝鮮半島南部で起こった甲午(こうご)農民戦
 争から日清戦争、下関条約、ロシア・ドイツ・フランス
 の三国干渉に至るまでを、外相であった著者の立場から
 記述した。
.
1908年6月30日7時2分(現地時間)ツングースカの天体衝突
 (ツングーズカ事件)(ツングースカ大爆発)
  シベリアのツングースカで、彗星か隕石と思われる天
 体が落下して、大爆発が起きた。
  近年の天体衝突では、比較的大規模なものだった。
  仮に数時間ずれていたら、ヨーロッパに落下していた。
  ロシアの中央シベリア、エニセイ川支流のポドカメン
 ナヤ・ツングースカ川上流(現:ロシア連邦クラスノヤ
 ルスク地方)の上空で隕石が大爆発した。
  落下した隕石が大気中で爆発したために、強烈な空振
 が発生した。
  中心地と目される場所から半径約30㎞~50kmにわたっ
 て森林が炎上した。
  そして、約2,150平方キロメートルの範囲の樹木がなぎ
 倒された。
  1,000km離れた家の窓ガラスも割れ、爆発によって生じ
 たキノコ雲は、数百km離れた場所からも目撃された。
  イルクーツクでは、衝撃による地震が観測され、爆発
 から数夜に渡ってアジアおよびヨーロッパにおいても、
 夜空は明るく輝き、ロンドンでは真夜中に人工灯火なし
 に新聞が読めるほどであった。
  地面の破壊規模から見て、爆発した「物体」の大きさ
 は当初3mから70mと推定された。
  近くに村落がなかったため、死者は報告されていない。
  破壊力は、TNT火薬にして5~15メガトンと考えられ
 ていたが、5メガトン程と訂正された。
  爆発地点で、地球表面にはほとんど存在しない元素の
 イリジウムが検出された。
.
1937年、日本は、韓国・朝鮮の国鉄や私鉄を合わせて、こ
 の年の時点で、すでに、5000キロメートルもの鉄道を作
 ってあげていた・・
  この様な遠大な長距離の鉄道がすでに出来ていて・・
  さらに・・
  1945年までに、1000キロメートルの鉄道を延長して作
 ってあげていた。
  そして、漢口(かんこう)の大鉄橋も、日本が作って
 あげた・・
  1899年から、まったく鉄道などない韓国・朝鮮に、日
 本は鉄道を作ってあげ始めていた・・
  日本が、仁川と京城の間に鉄道を敷設し・・それまで
 鉄道などまったく無い韓国・朝鮮に、凄い鉄道網を日本
 は短期間に作ってあげた。
.
2005年8月末、アメリカに「ハリケーン・カトリーナ」が襲
 った。
  アメリカ合衆国南東部を襲った大型ハリケーンだった。
  発生:2005年8月23日
  消滅:2005年8月31日
  最低気圧:902hPa
  最大風速:280km/h
  ハリケーンの強さを表すシンプソン・スケールで、最
 大時で最高のカテゴリー5、
  ルイジアナ州上陸時でカテゴリー3
  死者:1836名(行方不明者:705名)
  被害:1080億USD(約11兆7000億円)
  被害地域:特に甚大被害地域:アラバマ州、ミシシッ
   ピー州、ルイジアナ州
  9月4日に、犠牲者の遺体の捜索、収容が始まり、復旧
 作業中の作業員9人が銃撃され、警察は容疑者5人を射殺
 するという様なことも起きた。
  9月5日には、災害救助にあたる米軍の数が5万人を超え
 た。
  日本の支援:150万ドル・・米国赤十字社に対する20万
 ドルの資金供与と、フロリダ州に所有する緊急援助物資
 (テント、毛布、発電機、簡易水槽等)の備蓄倉庫より、
 30万ドル相当までの必要かつ供与可能な物資を供与する
 用意があると表明した。
  また、その後、最大50万ドル相当の緊急援助物資を供
 与する方針を追加表明した。
  また・・
  アメリカは、ハリケーンの襲来時に・・
  「逃げないで残留する人は、身体にマジックで社会保
 障番号を書いてください」というメッセージを発した。
  これで多くの避難を促(うなが)した。
  「避難しないと、死ぬ事態となる」をはっきり想像さ
 せ、そして、意識させ、逃げねば損をすると感じる様に
 した。
  人間の判断では、プラスの利益には敏感な判断ができ
 るが、同じ額を損する時(同じ額のマイナスの時)それ
 に対する判断は保守的となり、損のしがちとなる。
  人間の損得の認識には偏りがある。
  だから、故に、マイナスの損の場合、第三者の促(う
 なが)しが必要となる。
  株の利益確定はすぐ出来るが、損切りはなかなか出来
 ないのと同じ。
  因みに、この時、大韓民国は、3000万ドルの支援を表
 明した・・その具体内容は現金と救援品だったが、アメ
 リカは拒否した。
  北朝鮮は、赤十字社を通じて見舞いの書簡を送ってい
 る。
  日本企業が多数、支援金を送っている・・
  トヨタ自動車:500万ドル、ホンダ:500万ドル、豊田
 自動織機:30万ドル、デンソー:7.5万ドル、ヤマハ発動
 機:義援金と5000万円相当の同社製品、日本プロ野球連
 盟:500万円、スズキ:義援金と同社製品のバギー車など、
 日産自動車:75万ドルとトラック50台、新潟県:9000ド
 ル、アイシン精機:6万ドル・・など
  卑劣なのは・・
  米アイダホ州のテレビ局KPVIで、気象予報士のス
 コット・スティーヴンズが、「カトリーナは、日本のヤ
 クザが原子爆弾投下の報復として、ハリケーンや台風を
 人工的につくり出すロシア製機器を購入して発生させた」
 という根拠がない話を展開した。
  後日、このスティーヴンズは、9年間勤務していた局を
 退職した。
.
2014年11月27日、アメリカ政府が、慰安婦問題を調査した
 が「奴隷化した」との証拠が発見されなかった。
  韓国のデッチアゲが確認された。
  当然である。
  韓国が大騒ぎをして、日本に濡れ衣を着せる行為もこ
 れで決着させねばならない。
  また、日本大使館前に慰安婦像を置くという非礼をし
 ているが、日本に謝罪して、撤去すべきである。
  また、世界各地に像を設置するという破廉恥な非常識
 な行為をしているが、これも反省して、止めるべきであ
 る。
  この日の産経新聞のニュースが伝えるところによると・・
  http://www.sankei.com/world/news/141127/wor1411270003-n2.html
  米政府の慰安婦問題調査で、「奴隷化」の証拠発見さ
 れず・・日本側の主張の強力な後押しに
  「米政府が、クリントン、ブッシュ両政権下で、8年
 かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調
 査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や、「女性の組
 織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書
 は一点も発見されなかったことが明らかとなった。
  戦時の米軍は、慰安婦制度を日本国内の売春制度の単
 なる延長とみていたという。
  調査結果は、日本側の慰安婦問題での主張の強力な補
 強になることも期待される。
  米政府の調査結果は、「ナチス戦争犯罪と日本帝国政
 府の記録の各省庁作業班(IWG)米国議会あて最終報
 告」として、2007年4月にまとめられた。
  米側で提起されることはほとんどなかったが、慰安婦
 問題の分析を進める米国人ジャーナリスト、マイケル・
 ヨン氏とその調査班と産経新聞の取材により、慰安婦問
 題に関する調査結果部分の全容が確認された。
  調査対象となった未公開や秘密の公式文書は計850
 万ページ。
  そのうち14万2000ページが日本の戦争犯罪にかかわる
 文書だった。
  日本に関する文書の点検基準の一つとして「いわゆる
 慰安婦プログラム=日本軍統治地域女性の性的目的のた
 めの組織的奴隷化」にかかわる文書の発見と報告が指示
 されていた。
  だが、報告では日本の官憲による捕虜虐待や民間人殺
 傷の代表例が数十件列記されたが、慰安婦関連は皆無だ
 った。
  報告の序文でIWG委員長代行のスティーブン・ガー
 フィンケル氏は、慰安婦問題で戦争犯罪の裏づけがなか
 ったことを「失望」と表明。
  調査を促した在米中国系組織「世界抗日戦争史実維護
 連合会」の名をあげ「こうした結果になったことは残念
 だ」と記した。
  IWGは、米専門家6人による日本部分の追加論文も
 発表した。
  論文は慰安婦問題について
  (1)戦争中、米軍は日本の慰安婦制度を国内で合法
    だった売春制の延長だとみていた
  (2)その結果、米軍は慰安婦制度の実態への理解や
    注意に欠け、特に調査もせず、関連文書が存在し
    ないこととなった・・と指摘した。
  ヨン氏は「これだけの規模の調査で何も出てこないこ
 とは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』と
 いう(韓国の)主張が虚構であることを証明した。
  日本側は、調査を材料に、米議会の対日非難決議や国
 連のクマラスワミ報告などの撤回を求めるべきだ」と語
 った。(ワシントン駐在客員特派員・古森義久)
  http://www.geibundo.com/mizuhonokuni/mi20110117.html
  ラディカ・クマラスワミ 氏のレポート(1996年)
  http://www.awf.or.jp/pdf/0031.pdf
  慰安婦像について
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E3%81%AE%E7%A2%91
  慰安婦像を立て始めた時期は、2010年からで、その主
 体は中国系団体の世界抗日戦争史実維護連合会である・・
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  アイヌの人々は、日本の先住民ではありません。
  日本の先住民は、アフリカ由来の日本人です。
  アメリカの先住民が、アフリカ由来のアメリカ・イン
 ディアンの方々であるのと同じです。
  アイヌの人々は、13世紀に、蒙古に追われて日本に来
 ました(モンゴルの樺太侵攻、1264年の樺太アイヌへの攻
 撃など)
  2019年4月16日に、衆議院と参議院で成立した(菅官房
 長官の主導でなされたという)「アイヌの人々の誇りが
 尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法
 律(俗称:アイヌ新法)」は、科学的にも、また、歴史
 的にもまったく正しくありません・・
  間違った記述があります・・
  また、日本人がアイヌの人々を虐げてもいないのに、
 さも、虐げ行為をしている様な法案名となっている・・
  日本人が、逆に、虐げられている法案名となっている。
  この法律の間違った記述を「正しく改正する」声を上
 げましょう。
  また、日本人の遺伝子・DNAを持った何千年も前の
 紀元前の縄文人が、北海道の縄文遺跡から出た縄文人の
 歯の遺伝子分析から科学的に立証されています。
  日本人が先住民族なのは「はっきりした事」なのです・・
  その様な痕跡もないアイヌの人々を先住民だとしてし
 まいました。  


2019年10月25日

(増補版)661E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年12月~1896年12月)

題:(増補版)661E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年12月~1896年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
.
1896年12月25日、日本鉄道の土浦線田端駅~土浦駅間、お
 よび、隅田川線田端駅~隅田川駅間が開通した。
  日本鉄道は、日本初の私鉄で、現在の東北本線や高崎
 線、常磐線など、東日本の東日本旅客鉄道(JR東日本)
 の路線の多くを建設・運営していた会社で・・、
  1872年5月、高島嘉右衛門が、東京から青森に至って北
 海道の開拓を支える鉄道の建設をすべきと政府に建言し
 た。
  この高島を支援した岩倉具視、鍋島直大、蜂須賀茂韶
 らが、政府へ、「華族と士族が家財をもって会社を建て、
 東京と青森あるいは東京と越後新潟に鉄路を敷き蒸気機
 関車を走らせることを補す」と建言した。
  この様な経緯で、1881年8月1日、岩倉具視をはじめと
 する華族などが参加し、私立鉄道会社の「日本鉄道」の
 創立が決定した。
  1896年には、日本鉄道は、東京・田端駅~水戸駅間を
 開通させた。
  実質的な現在の常磐線としての建設は、それまで船に
 頼っていた常磐炭田から産出される石炭の輸送ルート確
 保を目的としていた。
.
1896年12月25日、日本鉄道の隅田川駅に船溜、運河を開削
 して、貨物積卸場・石炭積卸場・貨物倉庫等を建て、ま
 た、起重機を設置した。
  (参考)船溜:ふなだまり、 風波を避けて船を碇泊さ
     せるところ。また、船が碇をおろして休止して
     いる場所。
.
1896年12月25日、元アメリカ海兵隊音楽隊隊長のジョン・
 フィリップ・スーザが、行進曲「星条旗よ永遠なれ」を
 作曲した。
  1987年12月には、アメリカ合衆国の「国の公式行進曲」
 (National March)に制定された。
  多くのアメリカの演奏会では、しばしば最後の曲目の
 直後に続けて自然に演奏され、聴衆はそれに合わせて手
 拍子を打つ。
  https://www.youtube.com/watch?v=h9nbSgzMfcM
  (参考)因みに、三大マーチの一つとされる軍艦マー
     チは、1893年、鳥山啓作詞の「軍艦」に曲を付
     けて軍歌とし、その後、1897年頃に、准士官相
     当官の軍楽師(最高階級)だった瀬戸口藤吉が
     新たに作曲し、1900年に「軍艦行進曲」として
     誕生した
     https://www.youtube.com/watch?v=s6ZrQ73zxdw
.
1896年12月31日、日本鉄道会社が、両毛鉄道会社線の買収
 の本契約を締結した。
  1897年年1月1日、営業が継承され、両毛鉄道会社は任
 意解散した。
.
1896年、正岡子規が、日本新聞にベースボールの解説文を
 連載した。
  1884年、正岡子規は、東京大学予備門時代にベースボ
   ールを知り、野球に熱中したといわれる。
    正岡子規は、野球を題材とした短歌、俳句を数多
   く詠み「野球(のぼる)」の雅号も使っている。
  1889年7月、郷里の松山にバットとボールを持ち帰り、
   松山中学の生徒らにベースボールを教えた。
  1890年2月、「筆まかせ」の雅号の項に「野球」が初めて
   見られ、幼名「升」から(のぼーる)と読ませている。
  1896年、「日本」新聞に連載された「松蘿玉液」の中
   で野球のルール、用具、方法などについてくわしく
   解説した。
    野球を詠んだ短歌、俳句も数多く見られ、新聞や
   自分の作品の中で紹介し、野球の普及に多大な貢献
   をした。
   「久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見
   れど飽かぬかも」
   「今やかの三つのベースに人満ちてそヾろに胸の打
   ち騒ぐかな」
  2002年に、正岡子規は野球殿堂入りをした。
   野球を愛した明治の俳人・歌人とされている。
  (参照:野球殿堂博物館ホームページ)
  (参考)日本新聞:陸羯南(くがかつなん)が1889年に
     創刊した。記者に福本日南、三宅雪嶺、長谷川
     如是閑らがいた。杉浦重剛らの雑誌「日本人」
     とともにナショナリズム運動の拠点として国民
     主義〉をとなえて藩閥政府を批判した。
      文芸欄は正岡子規を中心とする短歌・俳句の
     革新運動の拠点となる。
.
1896年、拓殖務省台湾府を置く(氷川清話)
  台湾事務局関係事務と北海道拓殖事務を統轄する機関
 として拓殖務省(たくしょくむしょう)が設置された。
.
1896年、イエロー・ジャーナリズムの競争が熾烈となる・・
  日本も、この卑劣な嘘報道に大いに影響を受けた。
  「イエロー」は、「ニューヨーク・ジャーナル」と「
 ニューヨーク・ワールド」が「イエローキッド」の色刷
 り漫画を奪い合って掲載した事から名付けられた・・が・・、
 煽情的な、そして、興味本位の新聞編集と記事を売り物
 として・・嘘も交えて記事にするという破廉恥な報道だ
 った。
.
1896年、アラスカで金鉱が発見された。
  アラスカを、アメリカは、ロシアから購入した(1867
 年3月30日調印)・・が・・、
  そのロシアへ投資した720万ドルで買ったアラスカで、
 1896年、金鉱が発見された。
  また、この金鉱だけではなく「資源の宝庫」であるこ
 とが判明した。
  買った当時、国務長官のウィリアム・H・スワードは、
 「巨大な保冷庫を購入した」とアメリカ国民に非難され
 た。
  当然、資源の発見でスワードの評価が高いものに変わ
 った。
.
1896年、ダウ平均株価が初めて発表される。
  ダウ・ジョーンズ社が開発した。
  当初は12銘柄による平均株価としてスタートした。
  この頃から今でも残っているのはGEの1銘柄だけ・・
 でも、長い歴史の中で、GEは構成銘柄から2回外れた。
.
1896年、東海道線の本格的な改良工事に着手した。
  この年度から7か年継続事業として可決された。
  衆議院議員・望月右内は、政府提出案と並んで鉄道敷
 設法第2条の改正案を議会に提出した(未成立)
  軌制取調委員、広軌・狭軌の得失をはじめ広軌改築の
 方法および経費など審議。
  仙石貢「広軌鉄道ニ関スル意見」、南清「広軌鉄道ニ
 係ハル意見」、白石直治「広狭軌道比較論」を軌制取調
 委員に提出した。
  東京中野に鉄道大隊編成(陸軍)
  山陽鉄道兵庫工場で1B1形タンク機関車(のちの850形)
 を製作した。
.
1896年、宮沢賢治が岩手県に生まれた(1896年~1933年)
.
1896年、日本初のボクシングジムができる。
  米国帰りの元柔道家・齋藤虎之助とジェームス北條の
 2人が、横浜市石川町に日本初のボクシングジム「メリケ
 ン練習所」を開設した。
  そして、1902年に、横浜山手公会堂(パブリックホー
 ル)でボクシングの試合が行われた。
  そのことを時事新報は・・
  「目下横浜市山下町グランドホテル滞在中なる拳闘家
 スラヴィン氏と同市喜楽座に演芸中なる怪力家ルシフア
 ー氏との拳闘仕合は既報の如く愈々本日午後五時三十分
 より同市山手町パブリックホールに於て開会せらるゝ筈
 にて、当夜は本邦駐在英国公使マクドナル氏も見物する
 由」
.
1896年、赤痢が大流行をして、全国の死者数が22,356人と
 なる。
  志賀潔は、この翌年の1897年12月25日に、苦心して赤
 痢の病原菌を発見した。
  腸チフスが流行し、死者数が9,174人となる。
.
  (今日の言葉)
.
  題:グローバル化一辺倒は・・間違い・・
    保護主義は、保護そのものが目的ではなく、国内分業を進め、かつ、分業した国民同士の結合を強めていくことが根幹で、
    それが経済発展につながる
.
紀元前63年頃、古代ローマ時代の地理学者ストラボンが生ま
 れた。
  古代ギリシアのポリス間紛争では、敗れた側の住民で
 成年男性は殺害され、女性や子供は奴隷にされた。
  「ギリシャ」や「ローマ」の社会は、奴隷制を基盤に
 したものだった・・因みに、キリスト教の聖書の申命記
 には、これと同じことが書かれている。
  ギリシャ世界のポリスは、スパルタを除いて、奴隷の
 収奪を主要な目的にはしていなかったが・・
  奴隷交易は、デロス島が行なったことが著名であり、
 ストラボンの地理書には、1日に1万人以上を扱うことが
 出来たと記されている。
  (参考)ストラボン:古代ローマ時代のギリシア系の
     地理学者・歴史家・哲学者。
      紀元前63年頃に生まれ~紀元後23年頃に没。
      全17巻から成るギリシャ語で書かれた「地理
     書」の大著は、当時の古代ローマの人々の地理
     観・歴史観を明示している。
  そして、ヨーロッパの「古代」及び「中世」の生産様
 式に関係する土地所有は・・
  ギリシャやローマの土地所有も、また、その後の「ゲ
 ルマン的土地所有」と封建国家の土地所有など、いずれ
 も、奴隷制と農奴制の下で行われていた。
  資本主義社会にある「自由な労働」は陰も形も無かっ
 た。
  生産者である奴隷と農奴は、自身は主人によって生産
 手段の一部として所有されていた。
  その後に続く新大陸のアメリカが、長らくアフリカの
 方々を奴隷として使役し、人権を虐げたのは、このヨー
 ロッパから引き継がれていた。
  また、イギリスが何の抵抗も無く卑劣な非人道的な奴
 隷貿易を行なっていたのも、古代から続くヨーロッパの
 この様な歴史に根付き・・何の反省なく行われて来てい
 た。
  この様なことを行なわせる考え方の基本を作ったのが
 キリスト教の考え方・教義だった。
  ヨーロッパに連綿と続く奴隷と農奴の歴史、古代から
 中世、そして、アメリカの奴隷制へと続く、宗教的な固
 定的観念の下で行われていた。
     ・
     ・
1841年、ドイツ人経済学者のフリードリヒ・リストが、「
 政治経済学の国民的体系」を示し、貿易の自由化を批判
 した。
  この頃、発展していたイギリスは、「自由貿易政策」
 をとる様に、ドイツへ迫(せま)った。
  それに対するドイツの論理は、「経済的発展段階の異
 なるドイツは、自由貿易をとるべきではない」・・
  ドイツは、「国家が、経済政策のイニシアチブをとっ
 て保護貿易政策を採用すべきだ」とドイツ側の主張をは
 っきりと言った。
  産業資本家の代弁者の様なイギリスだった。
  国民が主体の政策、その国民が、ドイツの近代化をす
 るのだ・・と主張するドイツだった。
  リストは、「国際貿易で、後進工業国がイギリスに太
 刀打ちするためには、国家による干渉が必要である」と
 も言っていた。
  そしてまた、イギリスは、工業の為、農村から過剰人
 口が流出するにまかせていたが・・
  「ドイツは、イギリスの様にはなり得ないし、また、
 そうなってはならない」と、リストは言っている。
  日本の柴山桂太・京都大学准教授は・・
  「保護主義は、保護そのものが目的ではなく、国内分
 業を進め、かつ、分業した国民同士の結合を強めていく
 ことが根幹で、それが経済発展につながる」と言われて
 いる。
  (参考)フリードリヒ・リスト:1789年に、ドイツで
     生まれたリストは、幼稚産業論を主張し、スミ
     スやリカードによって主張されてきた「貿易自
     由化の議論」に異議を唱えた。
      リストが生まれた当時、ドイツの工業は、イ
     ギリスの製品が大量に輸入されたために、壊滅
     的打撃を受けた。
      そのためリストは、国家の産業を育成するた
     めに貿易自由化を規制する必要を論じた。
      「政治経済学の国民的体系」は観察、理論化、
     比較、政策提言から成り立っており、貿易自由
     化を批判した。
.
1859年、横浜が、開港され、国際貿易港となった。
  この頃の横浜には、東海道の神奈川宿がある。
  開港前からこの神奈川宿は、6000人の人口を擁するこ
 の地域の最大の人口密集地だった。
  そして、江戸湾の西岸における海運の拠点・神奈川湊
 の拠点もあった。
  この地域の経済・文化の中心地として繁栄していた。
  開港して、外国人居留地が設置され、そこの外国人が、
 この当時の横浜の様子を写真に撮った。
  その一人がロシエだった。
  ロシエの撮影した神奈川宿の最高地点・権現山から神
 奈川宿方向を眺望した代表的写真がある。
  その写真は、当時の街道沿いに整然と並ぶ家並みには
 豊かさがあり、高さが整ったその平屋の家並は、日本人
 らしい規律正しさを感じさせる。
  また、その街道も直接的で都市計画的に意識して整備
 された様な街道を思わせる。
  豊かなに、そして、それなりにしっかり施政されてい
 る様子が伺わせる。
  街道を行く旅人たちへ日陰を与えようと、並樹が植ら
 れた話しは有名いだが、滝の川の流れにも橋がかかり、
 しっかり都市整備がなされている。
  この地点の挿絵にも、少なからず船が海に浮かんで、
 豊かさを感じさせる。
  (参考)ロシエ:1829年7月16日、スイスのフリブール(
     フライブルク)州に属する村で生まれた。
      フランス語圏のスイス人。
      フルネームは、ピエール・ジョセフ・ロシエ。
      1855年10月、ロシエは、写真家としてフラン
     スとイギリスに旅たち・・
      ロンドンでネクレッティ&ザンブラ社に関係
     する。
      この会社は、イタリア人が創始したガラス機
     器メーカーで、写真業界にも進出していた。
      カメラマンを派遣して、ヨーロッパ各地を手
     始めに、エジプトなど東地中海各地の映像を収
     集し、組写真として販売し、成功していた。
      1858年、同社は、イギリスが始めた第二次ア
     ヘン戦争で注目を集めていた中国へカメラマン
     を派遣した・・
      この時に選抜されたのがロシエだった。
      彼は、広東を中心に撮影活動をしたが、フィ
     リピンや日本でも撮影を行った。
      1859年、横浜が海溝されて、江戸に公使館、
     そして、神奈川に領事館を開設しようとイギリ
     ス領事のオールコックが、軍艦サンプソン号で
     日本に来るが、ロシエもこの船に乗って日本に
     来た。
      そして、開港直後の横浜の写真を撮影し、残
     した。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  公開される議論がまったく見えない中国の体制を変え
 る声をあげよう。
  (追伸)
  中国の国連での立場は「オブザーバー・レベル」にす
 るべきだ。
  (追伸)
  NHKは、CCTVへ映像を何十年も前から映像資料
 を渡している。
  例えば、一例として、国会の委員会の審議状況の映像
 のすべてを渡している
  CCTVは中国中央電視台で、中国(中華人民共和国)
 の国営放送のテレビ局。
  国営通信の新華社とともに「メディア」と言うより、
 中国共産党のための宣伝機関とされている。
  これはスパイ行為である。  


2019年10月22日

(増補版)660E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年12月~1896年12月)

題:(増補版)660E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年12月~1896年12月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・正しいことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
.
1896年12月9日、中央東線の笹子トンネルが着工された。
  因みに、中央本線は、公式には東京~名古屋(正確に
 は神田~代々木と新宿~塩尻~名古屋)であるが・・
  途中の塩尻駅で、JR東日本とJR東海が会社が変わる事
 もあって、塩尻駅を跨(また)いで運行されている列車
 は特急・普通共に一本も無い。
  これからJR東日本区間の中央本線は中央東線と呼ばれ
 る事がある。
  そして、この工事は、削岩機に初めて電動機が使用さ
 れ・・日本最初の水力発電によって坑内や坑外の電灯を
 点灯した。
  また、電話を設備し、電力によって空気圧搾機を運転
 し、さらに電気機関車を運転して運搬車を牽引した・・
  こうして、最新の体制で中央東線の笹子トンネル工事
 は着工された。
  長さ:4657,3メートル
  幅:4.58メートル
  煉瓦トンネル・石積坑門
  竣工:1902年10月
  上記した様に、日本人技術者による最新技術を駆使し
 た模範的最新技術の鉄道トンネル工事だった。
  当初、明治政府による東京~京都間の幹線鉄道計画は、
 東海道と中山道の2つのルートが比較検討された。
  その結果、中山道の計画が選択された。
  1871年から踏査がなされ・・
  1874年、1875年とイギリス人建築師長R・V・ボイル
 も実施調査を進めた。
  しかし、資金不足のため建設は停滞した。
  1883年、測量を着手し建設に着手すると、中部山岳地
 帯であること、および、碓氷峠が予想以上に難工事であ
 ることが判明した。
  トンネル掘削、そして、急こう配を克服しなければな
 らない「技術的課題が解決できなかった」。
  この頃、トンネル掘削は手掘りで掘られていた。
  1890年代に入ると、工部大学校や東京大学の日本人技
 術者が育って来ていた・・お雇い外国人に代わって活躍
 するようになっていた。
  1892年、鉄道敷設法が公布され、日本の鉄道建設の基
 本方針も確立した。
  また、鉄道の敷設は、経済的観点や軍事的観点からも
 その重要性は確認されていた。
  海岸線を通る東海道は、海から攻撃される弱点がある
 ため、東京から名古屋へ至る「第二の鉄道建設」が重要
 とされた。
  そして、碓氷峠はアプト式鉄道で開通した。
  そして、新たな長いトンネルとなる笹子峠を貫くトン
 ネルが計画され、検討された。
  建設費は400万円(現在の金額で230億円)と見積もら
 れた。
  これまで、鉄道庁は、トンネル掘削技術が未熟なこと
 から1600メートルを越えるトンネル工事は避けて来てい
 た。
  また、アプト方式の経費は4分の1だった。
  しかし、アプト式の欠点は、輸送力が大幅に落ちる事
 だった・・
  碓氷峠で、軍事輸送試験まで行った(東京日日新聞、
 1893年8月29日)
  この結果を受け、政府は、中央線の鉄道建設を決定し
 た。
  1896年から中央線の建設工事が始まった。
  そして、この4656メートルの最難関工事の「笹子トン
 ネル工事の成功か否か」が、日本の鉄道建設事業の成功
 の命運を決める工事となった。
  日本の将来の鉄道網の計画に深くかかわる工事となっ
 た。
  大量輸送手段を方針とした鉄道建設事業だった。
  笹子隧道建設工事は、工部大学校を卒業した古川阪次
 郎の設計と監督(監督長)のもとで進められた。
  当時としては、まったく考えられない長い距離の掘削
 だった。
  トンネルの両側から進められた掘削・・古川は積極的、
 かつ、意欲的に新しい技術を導入した。
  工事用の自家水力発電所をトンネル出口付近に建設し、
 前記したように、この電力を大いに活用した。
  電気雷管を用いた掘削も用い、初めて三角測量にトラ
 ンシットも用いた。
  硬い岩盤と湧水に妨げられ悩まされ、一昼夜の掘削進
 行がわずか30センチメートルという状況が数か月も続い
 た。
  しかし、予定工期が8年間のところを6年間で完成させ
 た。
  建設費は予定より少ない220万円であった。
  しかし、忘れてはならないことは、難工事だったこと
 もあって、この工事にあたって命を捧げた方が多かった。
  この記念碑的な難工事の笹子トンネル工事で犠牲とな
 った方々は100名を超えている。
  この工事犠牲者の方々の御冥福を祈らなければならな
 い、感謝しなければならない・・この方々の命を犠牲に
 してこの難工事は成就した。
  この命のお蔭での成功があり、今・現在の超電導リニ
 アモーターカーの日本の誇る最新鉄道技術へとつながっ
 ている。
  また、笹子の道路トンネルであるが・・
  便利さを享受しているこのトンネルで・・
  2018年12月2日、トンネル天井版が落下するという不運
 な事故が起きた・・9名の方々が亡くなられた。
  「津波の様に天井版が落下して来た」とNHKのニュ
 ースで、この事故に遭遇した方が証言していた・・
  この証言の事実から分かる様に、隣の天井版が落下す
 るとき、「その落下する天井版を支えきれず」に、その
 隣の天井版も共に落下し、そして、次々に津波の様に落
 下して行ったという事故だと分かる。
  隣の天井版が落下したからといって、津波の様に次々
 に落ちるような天井版であっては欠陥であって、これは
 問題である。
  これは、天井版を支えていたアンカーボルト、吊るし
 ていたアンカーボルトの「耐力不足」だと明らかに言え
 る(支え切れてないという事)・・
  ここに問題の根幹がある。
  一か所が落ちて、その隣も一緒に落ちるという支える
 役目のアンカーボルトの性能不足が、この性能設計が欠
 陥となっている・・この様な状況は最悪である。
  このアンカーボルト部を含む吊り下げ部の設計ミスが
 根本的な原因である。
  まず第一に、アンカーボルトを上向きに使わせたこと
 を良しとした規準が良くない・・
  今後、アンカーボルトの上向き使用はさせないように
 しなければならない。
  (この技術が生まれた当初より、上向きの使用は避け
 る様にと言われていた・・特に、振動のある部分)
  このトンネルの様な重い天井版の所に、上向きで使わ
 せたという「設計」に問題があり・・
  また、使用する環境(状況)も悪い・・この重い天井
 版が、常に、自動車の振動を受け・・この振動だけでは
 なく・・走り去る際の車の風圧の変化をも受ける・・
  この様な作用による上下動を、常に受けて、上下し、
 振動している。
  この様な作用を受け続けているアンカーボルトは・・
 重い天井版には地球の引力も常にかかり、振動と風圧変
 化の上下動の、それらの稼働によるアンカーボルトの接
 着剤(樹脂)の促進劣化が、耐力劣化・耐力低下を進ま
 せる・・その様な状況下にずーっとあった・・
  それが、経年において、アンカーボルトの耐力維持の
 限界に達して行く・・
  限界に達し、維持されず落下する・・
  これは、接着剤で止めるという工法の「アンカーボル
 ト工法」を「上向きに使って、支える機能を要求した設
 計のミスであり、罪である」。
  どんな接着剤や糊でも・・経年において劣化し、剥が
 れるものである・・それを、永久に信頼するという設計
 思想で設計し、それに振動などという促進劣化が作用し
 た・・
  促進する因子が働いていて・・そして、使われている
 向きが上向きである・・
  そして、この点検を目視検査でさせていたのもミスで
 ある。
  目視で「明日、落ちるボルトが分かるはずがない」。
  明日、引き抜け落ちるボルトが分かるのだったら、こ
 の目視での点検方法を教えてあげなくてはならない・・
 見ただけの目視検査で分かるわけはない。
  しかし、結局、この「点検作業のミス」にされた不合
 理が、この事故にはある・・可哀想に・・濡れ衣である・・
  点検作業の会社に罪が着せられてしまった・・この誤
 った判決も歴史に永久に残るだろう。
  「接着剤のぬれ」の問題もある・・
  科学が進んだとはいえ、接着剤の工法は信頼性が低い
 のだ・・樹脂はいつかは劣化し、性能は保持されなくな
 る・・
.
1896年12月9日、アルフレッド・ジャリの戯曲「ユビュ王」
 が初演された。
  アルフレッド・ジャリはフランスの小説家で劇作家。
  この日、彼の代表作の戯曲「ユビュ王」がパリのウー
 ブル座で初演された。
  ユビュ王は5幕で、悪意に満ちた卑劣なユビュ親爺について
 の演劇で、ユビュ親爺が王位を簒奪(さんだつ、本来、
 君主の地位の継承資格が無い者が、君主の地位を奪取す
 ること)してやりたい放題の限りを尽くす・・が追放さ
 れ、諸国を放浪するという不条理に満ちた物語。
  第一声が「くそったれ!」で始まり、辛辣で卑猥な台
 詞が続き、観客は騒然となる・・そして、大スキャンダ
 ルを巻き起こした。
  この作は、ジャリが15歳の時に作った、中学校の教師
 をからかった生徒たちの茶番劇「ポーランド人たち」を、
 マクベスやナポレオンなどを混ぜ合わせて作り上げた怪
 物的人物ユビュを主人公とした荒唐無稽な劇を戯曲に書
 き直したもの。
  最初はスキャンダルになったものの、その後、この作
 の全体にみられる欲望の解放や人間の愚劣さ、不条理の
 具体的表現などによって、シュールリアリストたちの受
 け入れるところとなり、賞賛を受けた。
  現代では、現代劇の先駆的地位を得ている。
  そして、ジャリは、悪趣味と退廃に満ちた生活を送っ
 て、アルコールや薬物の中毒となり、そのために結核が
 悪化し、34歳でパリに死去した。
.
1896年12月10日、大日本教育会と国家教育社が合併されて
 帝国教育会が結成された。
  全国的な教師、校長、教育行政官で構成される教育者
 団体・・教育界の中央機関。
  「我国教育社会ノ中央機関トナリ教育ノ改良及ヒ上進
 ヲ図ルコト」を目的とした。
  各種の調査部会をおいて調査活動を行い・・
  1937年には、第6回世界教育会議を主催した。
  1944年に、大日本教育会と改称し・・
  1947年、日本教職員組合(日教組)が成立した後・・
  1948年、各地方教育会と共に解散した。
.
1896年12月14日、グラスゴー地下鉄が開業した。
  ロンドン、イスタンブール、ブタペストに次ぐ世界で
 4番目に古い地下鉄。
  環状線(1周が24分)の1路線のみ・・営業区間は全線
 複線、3両編成。
  駅からの発車直後に30‰程度の下り勾配で重力を用い
 て一気に加速するようにしている。
  また、駅に着く直前は20‰程の上り勾配で減速する様
 にしていて、減速エネルギーを位置エネルギーに変えて
 消費電力を抑えるようにしている。
  ホームもこの為に弓なりになっている。
  開業当時は、サンフランシスコの様なグリップ式のケ
 ーブルカーだった。
  また、開業当初は、乗客が心身を休める様にと定員を
 座席数+4人と定め、それ以上の客が乗車することを拒ん
 でいた。
  東京の地下鉄の創業者である早川徳治は、この地下鉄
 の乗車体験から「これからの日本も『ゆとりのある生活』
 が必要だ」と考え、東京の地下鉄の構想を考えた。
.
1896年12月18日、高等教育会議規則を公布した。
  高等教育会議は、教育全般に関する日本最初の文部大
 臣の教育諮詢機関。
  松方正義内閣の蜂須賀茂韶文相の下で発足した。
  教育政策、制度の立案について広く教育界の世論を聞
 くため帝国議会の建議を入れて設置された。
  専門学校、中学校、高等女学校、その他各種の私立学
 校に関する改革や整備案も諮問された。
  帝国大学総長、直轄諸学長、教育行政官らが委員の中
 心で民間からの参加は二名だった。
  1913年6月に廃止され、代わって教育調査会が設けられ
 た。
.
1896年12月22日、第10回帝国議会が召集された。
  1896年12月25日~1897年3月24日 (通常会)
  金本位制実施のための貨幣法、貿易振興関連諸法、1億
 3000万円余の軍拡予算(歳出総額の約49%)などを成立
 させた。
  財源に窮して、首相は第11議会に地租増徴案を提出し
 ようとした。
.
  (今日の言葉)
.
  題:習近平もプーチンも、そのことは知っているだろう・・
.
911年、ハインリヒ1世が国王に選出された。
  東フランク王国で、カロリング家の国王・ルートヴィ
 ヒが死去し、その家系が途絶えると・・
  東フランクの諸侯(部族大公)は、フランケン大公の
 コンラート1世に続いて、ザクセン大公のハインリヒ1
 世を国王に選出した。
  カール大帝の時、フランク王国に征服されたザクセン
 人の中から国王が出たわけである・・が、それは、カロ
 リング家の諸王が、ノルマン人やマジャール人の侵攻に
 対処できなかったためであり、諸侯がより強力な王権を
 求めたためであった。
  933年になると、ハインリヒ1世は、その期待に応えて、
 マジャール人との戦いに勝利した。
  その子でザクセン朝第2代国王となったのがオットー
 1世であった。
  936年に、そのオットーは、バイエルンなどの有力部族
 を抑え・・
  アーヘンで、東フランク国王(ドイツ王)に即位し、
 外敵の侵入を防止して・・勢力を東方に拡大しながら、
 有力諸侯を抑え、国内統一につとめた。
  その際、教会勢力に対して、保護と同時に、統制に努
 め、聖職の叙任を通じて、教会を支配する帝国教会政策
 を推進した。
.
912年11月23日、オットー大帝が生まれた。
  ヨーロッパが、中国の歴史や文化に出会って目覚めた
 この頃・・
  また、それまでのことが・・新しい科学的知識を得て、
 その結果、「おかしい?」と疑問符を投げかけていた「
 キリスト教の諸々の論理」に、特に、「歴史的論理」に
 「決定的な否定」が与えられていた。
  その役目をしたのが中国の歴史や文化だった。
  この「決して小さくないダメージ」に、ヨーロッパは、
 打ちのめされていた。
  このダメージからヨーロッパは、立ち上がるために、
 空威張り論理を主張した。
  また、高い位置からの「上から目線」で、中国やアジ
 アを見下す態度をし始めた。
  そして、自分たちの文化を「自画自賛した」。
  しかし、そこには、ヨーロッパ中世の「キリスト教が
 災いした」消すに消せない暗い事々の悪事実があった。
  しかし、それさえも、ヨーロッパは省いた。
  さすがに、キリスト教世界に存在する「類例のない
 悪事は、表に出す事は出来なかった」。
  完全に、ヨーロッパは「中世を欠落させた」。
  進歩したヨーロッパのみの、「万歳状態」だった。
  しかし、中世を省いたとはいえ・・
  一例を言えば、ルイ14世のやった政治と言ったって、
 また、その社会と言ったって、そんなに進歩していると
 は「到底、言えるものではなかった。
  アジアの中国から伝えられる史実は素晴らしかった・・
  中国は、すでに、遠い昔に漢字が発明され、情報社会
 になっていて、また、情報や知識が積み重ねられる発達
 した社会となっていた。
  ヨーロッパがする様な卑下には無理があった。
  農耕文化も発達し、豊かであった。
  文盲ばかりのヨーロッパとは違っていた。
  神聖ローマ帝国のオットー大帝だって、ようやく30代
 の人生の後半になって、ラテン語の文字を習ったという
 状況だった。
  ヨーロッパ貴族でさえ、その大部分が、文字を読める
 状態ではなかった。
  ヨーロッパは、知識の衰退さえ起きるという劣悪な社
 会状況だった。
  (参考)オットー大帝:オットー1世、ドイツ、ザクセ
     ン朝の王(在位:936年~973年)。
      ハインリヒ1世の子で大帝と称される。
      父の後をうけて王朝の基礎を確立し、ドイツ
     の国家統一を強力に推進した。
      962年、教皇ヨハネス12世から帝冠を受け神聖
     ローマ帝国を創始した。
      早くからノルマン、マジャールなど外敵を討
     ち(レヒフェルトの戦)、国家統一強化も強力
     に推進する。
      この頃のドイツは、ザクセン、フランケン、
     ロートリンゲン、シュワーベン、バイエルンの
     自立性の強い諸部族大公領から成っていた。
      オットーは、これを抑え、国内諸部族の分立
     を克服するため、当初は一族の近縁者を配置し
     た・・
      ・・が、後に、帝国教会政策に転換した。
      形骸化して消滅したローマ皇帝の称号を約40
     年ぶりに復活させて、国制を確立させ、神聖ロ
     ーマ帝国の初代皇帝とも言われる。
      ローマ教皇の援助要請によるローマ遠征は、
     ドイツ王権と神聖ローマ皇帝権との結合を生ん
     だが、やがて、皇帝対教皇の衝突の遠因ともな
     った(イタリア政策)。
      彼の教会政策、ビザンティン文化との交流に
     より古典的学芸の復活が興り、オットー朝ルネ
     サンスといわれる時代が始まった。
  (参考)オットー1世は、国内の有力諸侯を抑えるた
     めに、キリスト教ローマ=カトリック教会を利
     用した。
      以前から、ゲルマン社会では、教会を創建し
     た有力者の私有物と見るのが一般的であったが、
      オットー1世は、その習慣を拡大し、帝国内
     の教会は、皇帝の保護を受けるとともに、皇帝
     に服するものであるとして、司教以下の聖職者
     に自らの一族を任命して、その統制に当たった。
      これらの聖職者は、同時に、帝国の官僚とし
     ても活動し、教区内の農民は皇帝軍の兵士とし
     て徴用された・・この政策を帝国教会政策とい
     う。
     そのねらいは、教会支配を通じて諸侯の力を抑
     え、皇帝権力を強めることにあった。
      また、国家行政の主要な部分を聖職者に委ね
     たが、それによって役職者の世襲化を防ぎ(聖
     職者は妻帯できなかったので)、ラテン語を読
     み書きでき文書を扱うのになれていた聖職者を
     使うことで行政の能率が上がり、全国的な均質
     な行政が可能になるなどの利点があった。
.
955年、レヒフェルトの戦い
  ドイツのバイエルン州の南西部にあるアウグルブルク
 近郊で、オットー1世が、東方から侵入したマジャール人
 を破り、さらに、周辺のスラヴ人に対して軍事植民を行
 い、征服活動と共にキリスト教の布教に努めた。
.
961年、オットー1世がローマへ遠征し、北イタリアで教皇
 領を脅かしていたベレンガリオ2世を倒し・・
  イタリア王位継承権を持つロターリオ2世の未亡人ア
 デライーデと951年、結婚し、パヴィアにおいてランゴバ
 ルド・イタリア王を名乗った。
.
962年2月2日、オットー1世が、ローマにおいてヨハネス12
 世・教皇から皇帝の称号と冠を授けられた。
  オットー1世・・東フランク王国ザクセン朝の王・・マ
 ジャール人を撃退・・イタリアに遠征して、962年、戴冠
 しローマ皇帝となる・・後に、神聖ローマ皇帝初代とさ
 れる。
  「神聖ローマ帝国」の国号が使われ出したのは200年後
 の13世紀。
.
968年、オットー1世は、かねてよりの悲願であったマクデ
 ブルク大司教座の設立に着手した。
  そして、これによってマクデブルクは、ハルバーシュ
 タット司教区から独立して大司教区となった。
  そして、ハーフェンブルク・ブランデンブルク・マイ
 セン・メルゼブルク・ツァイツがその属司教区となった。
.
11世紀、オットー1世以降の神聖ローマ帝国は、ドイツ皇
 帝が継承することとなり、それによって神聖ローマ皇帝
 は、ローマ教皇に対して優位に立っていた。
  しかし、11世紀ローマ教皇側の反撃が始まって、聖職
 叙任権闘争となり・・
  1122年、ヴォルムス協約で妥協(皇帝側の)が成立し
 て終結した。
     ・
     ・
18世紀に、中国に入ったフランスのキリスト教イエズス会
 の宣教師たちは、ヨーロッパへ種々の情報を報告した。
  その内容にヨーロッパ人たちは驚いた。
  中国は、清の全盛期だった。
  そして、清の歴史の古さや見事さにびっくりする。
  また、政治制度の見事さや産物の豊かさにびっくりす
 る。
  次々と報告がなされた。
  アメリカ大陸の先住民に対しては、自らの「文明」を
 誇ることが出来たヨーロッパ人だったが、中国の文明に
 対しては、ヨーロッパの文明の独自性や優越性を主張し
 ようとしても、その根拠を持つことは容易ではなかった。
  むしろ最初は、中国文明に圧倒された。
.
1766年、ドイツの大学で、初めてゲッティンゲン大学に「
 歴史学研究室」が設置された。
  そして、アカデミズムの世界で、歴史学が独立した学
 問と認知された。
  因みに、このゲッティンゲン大学は、1737年に設立さ
 れている。
  そして、この歴史学で、使用する年号体系に苦労をし
 た。
  三度もあれだこれだと変えられた。
  ヘブライ人の年号計算だとか・・
  ギリシャ人の年号計算だとか・・と・・
  しかし、教科書が食い違ったり、その迷う不利益も分
 かっていた。
  そして、次の様な言葉も残っている・・
  「キリスト教の天地創造から行なう笑止で不正確な算
 定も、完全に廃棄することはできる」と宣言さえされた。
  そして、ペルシャのキュロス大王まで遡(さかのぼ)
 ることにした。
  しかし、揺れ動く中で、ただの中性的・数学的年号と
 して捉えた「イエス紀元」が使われることになった(宗
 教的意味合いから使われているのではない)
  ここで、完全にキリスト教的意味合いは否定され、
 キリスト教普遍史の意味合いもまったく無くなっていた。
.
1781年11月29、ゾング号事件
  事件は、この日から起きた・・
  イギリスは、初めから終わりまで、アフリカの方々を
 奴隷としてアメリカへ運び続けた国。
  イギリスは、初めから終わりまで奴隷貿易をした国。
  そのアフリカの方々を、奴隷として買い続けたのがア
 メリカ。
  この事件は、この時に起きた・・
  生きたまま奴隷を海に投げ込めば保険が出ると、奴隷
 を海に投げ捨てた事件だった・・卑劣にもこの様な事を
 した・・
  1781年、イギリスの奴隷船ゾング号の船員が、アフリ
 カ人奴隷を、船から海に落として死亡させた。
  この事件で奴隷の方々の合計132人が死亡した。
  奴隷は、当初、442人が乗っていた・・約30%の奴隷を
 海に投げ捨てた。
  ゾング号が運んでいた奴隷には保険がかけられており、
 ゾング号の所有者は保険金の支払いを求めて裁判を起こ
 した。
  ゾング号側は・・水不足が原因で、奴隷の全滅を防ぐ
 ために衰弱した奴隷から「投荷」を行い、処分したのだ
 と主張した・・
  ・・が、最終的に、水不足については船員の過失が原
 因だと判断されゾング号側が敗訴した。
  だが、船員が殺人罪に問われることはなかった。
  (参考)投荷:なげに、航行が困難になったとき、積
     荷を海中に投げ捨てて船の重量を軽くすること。
  イギリスで非人道的な奴隷貿易が廃止されるのが、1788
 年で、奴隷貿易を規制する初の法律(ドルベン法)が、
 この年になって、やっと制定された。
  因みに、この事件の一審では、奴隷を海に捨てる行為
 自体は、「馬を海に捨てることと変わらない」として問
 題視されなかった。
  問題点は、「投荷」を行う必然性が争点となった・・
 が当初はゾング号側が勝訴した。
  しかし、上告審で、この投荷の行為が、大雨が降って
 水が手に入った後も、ゾング号は投荷をしていたことが
 判明し、ゾング号が主張していた「水不足で、奴隷の全
 滅を防ぐために投荷をした」という主張が崩れた。
  キリスト教の有色人種蔑視観の洗脳が、この様な非人
 道的行為をさせていた。
.
1806年、神聖ローマ帝国が、ついに滅亡した。
  そして、続いてイエナ・アウエルシュテットノ戦いで
 プロイセンも敗れた。
  ドイツは、この後、ナポレオンに支配される。
  ドイツは、この時代を「外国人支配の時代」と自嘲的
 に呼ぶ。
  この様な屈辱的な時代に居たのがグリム兄弟だった。
  この様な人々が、積極的に政治に関与して行った・・
  そして、ナショナリズムを唱え始める。
  民族を一つの有機体ととらえ、フランス人とも異なる
 ドイツ人の民族的個性を自覚させた。
  1812年に発行された「グリム童話集」の初版は、民族
 としてのドイツ人の魂の源を民話に求め、民族的な魂の
 覚醒を通じてドイツ人を奮起させようと編まれた。
.
1839年6月28日、アミスタッド号事件
  スペインの奴隷輸送船・アミスタッド号の航海は・・
  1839年6月28日、スペイン植民地であったキューバのハ
 バナから始まった。
  船には、奴隷として購入されたとされた53人のアフリ
 カ人が乗っていた。
  船は、キューバのプエルト・プリンチペ(カマグエイ
 州)に向かっていたが・・
  1839年7月2日、アフリカ人の一人が自らの鎖を解くこ
 とに成功した。
  そして、仲間の鎖も解いた。
  彼等は、船のコック(アフリカ人たちを脅していた)
 と船長を殺害した。
  戦闘中に2人のアフリカ人も命を失い、また、2人の船
 員が逃走した。
  アフリカ人たちは、偽造書類上、奴隷たちの所有者と
 なっていたホセ・ルイスとペドロ・モンテスの2人につい
 ては、彼等が船をアフリカに向かわせると信じて殺さず、
  また、船長が、個人的に所有していた奴隷についても
 命を奪わなかった。
  しかし、舵を握ったルイスたちは、アフリカ人たちを
 だまし、アミスタッド号をアメリカ合衆国海岸沿いに北
 へ航行させた。
  アミスタッド号は、沿岸でしばしば目撃され・・
  1839年8月26日、ロングアイランドの半マイル沖に投錨
 し、数名のアフリカ人たちが、水や物資を確保するため
 に上陸した際に、アメリカ海軍ブリッグ艦ワシントン号
 により発見され、司令官のゲドニー大尉の命令で、ワシ
 ントン号乗員は、アミスタッド号及び奴隷たちを拘留し、
 コネチカット州へ連行した。
  大尉は、そこで海事法に基づいて、船体、積荷、及び、
 アフリカ人たちの海難救助報告書を提出した(この行為
 は、文書誹毀罪に相当)
  伝えられるところによれば、ゲドニー大尉は、コネチ
 カット州では奴隷所有が合法であったために、コネチカ
 ット州に上陸し、奴隷たちから利益を得ようとしていた。
  (参考)誹毀罪:ひきざい、旧刑法上の罪名で、現在
     の名誉毀損罪に相当。
.
1877年代、日本の修学旅行が、師範学校などで始まった。
  最初は、「長途遠足」と言っていた。
  1887年に、「大日本教育会雑誌」に「修学旅行」の文
 言が登場した。
  修学旅行は、「定期ノ休業中ニ於(オイ)テ一ヶ年六十
 日以内」で行なう事が定められた。
  師範学校で修学旅行が公式化した。
  因みに、この規定は、全国一律の規定で、中には、「
 ヘビ部門ハ、マムシトアオダイショウ、昆虫デハタマム
 シナドノ標本ヲ確保セヨ」と具体的に規定していて、細
 かい。
.
1918年11月11日、第一次世界大戦が終わる。
  第一次世界大戦が終わった後・・イギリスは疲れ切っ
 た・・、
  イギリスは、「疲れ切った覇権国」となってしまった。
  世界大戦で・・巨額の借金を抱えた。
  イギリス財政は、恒常的な危機状態となった。
  また、イギリスは、多数の優秀な若者も失っていた。
  経済面でも、そして、人材面でも、イギリスは・・、
 「終わってしまった帝国」となった。
  そして、今・現在、21世紀・・、
  アメリカも、21世紀のアメリカも「疲れ切った覇権国」
 となって来ている。
  過去の戦乱の「陰の中にあるアメリカ」となっている。
  アメリカは、1980年代後半に、世界一の債権国となっ
 ていた。
  しかし・・1990年代のクリントン政権末期には、国民
 の平均貯蓄率が0%となり・・
  最近の十数年のアメリカは、毎年、世界経済の純貯蓄
 額の8割を借りるという、驚くべき金を借りる国となって
 いる・・借りねばならないという国に落ちぶれている。
  自国の財政赤字・経常赤字を・・借金で・・金を借り
 るということで・・補てんしている。
  (その金を貸しているのが日本・・この先、返してく
 れるかどうかわからない金を貸している)
  ブッシュ大統領(子)の時の2007年~2008年に発覚し
 た・・アメリカの嘘(ペテン)・・アメリカの「不良
 金融資産の大量販売」は・・自国の過少貯蓄・過剰消費
 構造を、ごまかすための金融トリックだった。
  キリスト教の強い信仰を持ったこの大統領(ブッシュ・
 子)も、やはり、キリスト教の嘘つき体質に染まってい
 た・・また、何でも武力で事を収めるキリスト教体質を
 現わしていた(イラク戦争など)
  この金融トリックで、大損した日本の会社、そして、
 個人も多く、そして、悲惨だった。
  (この大きな損は・・逆に、アメリカの利益となって、
 アメリカへ大金が流れ込んだ・・こんなことまでするア
 メリカだった)
  こんなことで、世界を誤魔化してまでして、アメリカ
 は金を集めた。
  現在のアメリカ経済の実質規模は、世界経済の2割を切
 るまで低落している・・持続的下降状況・・
  ところが、「世界一の借金しているにもかかわらず」
 アメリカは、自国の軍事的な覇権を維新するために、軍
 事予算だけは、世界全体の軍事支出の「5割~6割」も使
 っている・・それを真似しているのが、今の中国・・
  また、アメリカの中央銀行(連邦準備制度)は、実質
 的な資産の裏付けのないペーパー・マネー(米ドル札)
 を、異常な状態で・・何兆ドルも増刷し、国際通貨市場
 に流入させている・・これも中国は真似をして人民元を
 刷りまくっている・・
  紙に刷って、世界に支払えば・・事が済むという立場
 にアメリカは居るから(世界の基軸通貨の発行国)・・
 その様な裏付けのない・無責任な紙幣印刷をしている。
  アメリカの無責任なマクロ経済政策となっている。
  いつまでも続くわけのない状況にある・・今は、中国
 が一緒になってやっている・・
  つじつまが合わなくても、嘘で塗り固めてやって行っ
 ている。
.
1946年5月3日、「東京裁判は嘘だらけだ」と、東京裁判の
 嘘も暴(あば)いた本「マオ」・・
  本「マオ」は、2005年に出版されたが、豊富な史料や
 証拠で、戦前・戦中の日中関係や、日ソ関係、特に、戦
 争責任問題にかかわってくる歴史的出来事について、
  「東京裁判」の史観的な理解を「覆(くつがえ)すよ
 うな記述がいくつも出て来る」。
  東京裁判の「事実認定が、完全に覆(くつがえ)され
 る」。
  「東京裁判が誤っている、間違っていると証明してい
 る」。
  裁判結果が、判決が、覆(くつがえ)ることになる。
  今・現在だったら「再審」もの・・
  よく新聞をにぎわす「再審無罪」と同じ・・
  逆に言えば、法律まで後から作って・・日本人(併合
 していた朝鮮の方々も含めて)を罪を作って貶(おとし)
 めた悪行為の裁判が明らかになっている。
  法律を後から作ったのも悪だが、「事実認定まで誤魔
 化していた」という卑劣な作られた裁判だった。
  秘密文書が公開されて、真実が明らかになると、アメ
 リカの「連合国側の嘘」が明らかになる状況となった。
  日本側の主張が証明された・・
  また、中国共産政権の悪行為の実像が明らかになって
 いる。
  これまで歴史を動かしてきたのは「政治情勢」や「経
 済力」「軍事力」「科学技術」と言われて来た、
  しかし、それにも勝(まさ)るとも劣らないものに「
 インテリジェンス」「諜報活動」が、つくづく大きいと
 感じさせた。
  日本は、この点が弱いと言われている・・
  何しろ過去の日本も、アメリカや中国共産党政権、そ
 して、ソ連共産党政権・コミンテルン組織に「牛耳られ、
 繰られていた」。
  特に、アメリカ・ルーズベルトは「策士」だった。
  この策士を策する組織があった・・
  20世紀の国際関係史で、「今までのものの信用度」は
 大きく低下している。
  20世紀の国際関係史は、根本的に再検討されなければ
 ならない状況にある・・
.
1952年、戦争犯罪人とされた人々の名誉回復がなされた。
  昭和27年のサンフランシスコ講和条約発効の後、国会
 で社会党議員も賛成して・・全会一致で名誉回復が行わ
 れた。
  東條大将以下の刑死した戦争犯罪人は、「法務死」と
 して扱われた・・
  犯罪人に対する刑死の扱いとはなっていない・・
  したがって「靖国神社にA級戦犯が祀られている云々」
 の論理は誤り・・
  また、「日本は極東国際軍事裁判(東京裁判)を受け入
 れているから、A級戦犯はあくまでもA級戦犯だ」と言
 う意見がある・・
  ・・が、ここで云うところの「裁判」すなわち原文の
 「ジャッジメント」は「判決」と訳すの正当・・
  つまり、日本は「東京裁判を受け入れた(認めた)」の
 ではなく、「東京裁判の判決を受け入れた」と解釈する・・
  これが、正しい考え方・・
  戦犯の名誉は回復されて・・前科者ではない・・
  東京裁判でA級戦犯であった重光葵氏は、その後も政界
 に復帰した・・また、国際外交で活躍した・・
  A級戦犯の名誉が回復された、国際社会もそれを認めた
 という証拠・・
.
1950年代末まで、日本に残された戦争花嫁
  戦後すぐから、1950年代末までに、4万人を越し、5万
 人ともと言われている女性方・・
  日本女性が一番多い状況だった・・
  アメリカ兵と日本人女性との婚姻は、卑劣にもアメリ
 カの移民法によって「認められていなかった」・・
  基本的人権を侵すアメリカだった・・有色人種(日本)
 への蔑視観も関係した・・
  1946年6月29日、アメリカ軍人婚約者法(G.I. Fiancees
  Act)、通称:GI婚約者法が施行された。
  しかし、喜んだのもつかの間、結婚しても日本人妻は
 アメリカ法によって「入国できなかった」。
  1947年7月に、日本人戦争花嫁法が制定され、日本人妻、
 子供の入国が出来るようになったというが・・まだまだ、
 壁があった。
  1952年に、移民国籍法(すべての人種に帰化権を申請
 する資格を認めた法律)が制定されるまで、アメリカは、
 日本人を含むアジア人や有色人種に対して冷たかった。
  (参考)1882年、アメリカで、中国人排斥法が制定さ
    れた。
     強制収容や国外追放の処罰を課すことで、中国
    人労働者の移民を一時的に停止させた。
     この後、日本人がターゲットにされた。
     1915年、連邦最高裁判所が、日系移民の市民権
    資格がないとした。
     また、帰化申請も認めないとした。
     1917年、アジア地域の移民禁止地域を設けて、
    アジアからの移民を制限した。
     (全てのアジア系移民はアメリカ入国を禁止)
     1922年、ケーブル法で、日本を含むアジア系移
    民と結婚したアメリカ女性は、市民権剥奪とした。
     1923年、インド人もターゲットにされた。
     今、2019年、国連は、SDGsの活動をしてい
    るが、この様な歴史の反省もさせなさい・・そし
    て、国連の記憶遺産に登録させなさい・・
  日本の戦争花嫁となった女性:その方々は、進駐して
 来たアメリカ兵の妻となったが・・、
  そして、家庭が築かれ、子供が生まれる方々もいたが・・、
  しかし、その夫・父の多くが・・アメリカ兵として、
 アメリカへ帰国していく時に、妻と子は、日本に置き去
 りにされた。
  軍の命令によるアメリカへの帰国だった・・、
  家庭が破綻(はたん)しての帰国ではない・・
  家庭は、それなりの愛のある家庭だったが・・、
  そして、やむなく・・残された日本人女性の方々は、
 アメリカへ手紙を書いた・・連絡を取る努力をした。
  その時、アメリカへの・・その手紙の書けない、その
 女性の方々の味方となったのが、渋谷の「恋文横丁」の
 英語文の書ける人々だった。
  可哀想な置いてきぼりの彼女たちの味方となって・・
 アメリカ兵士へ連絡文・恋文を代理で書いていた。
  その内の何通が? 誠実な返信を貰った事だろう・・
.
1962年10月22日、キューバ危機
  キューバにソ連軍のミサイル基地が建設中であること
 が発見され・・それに抗議して、1962年10月22日以降、
 アメリカが、183隻の戦艦などの艦艇と、1190機の戦闘機
 などの軍用機でキューバを海上封鎖した。
  アメリカ大統領のJ.F.ケネディは、キューバから攻撃
 があった場合には、ソ連によるものとみなして報復する
 とした。
  1959年1月のカストロのキューバ革命以来、
  1961年1月、キューバとアメリカ両国の断交、
  1961年4月、ケネディ政権による反カストロ分子のキュ
   ーバ侵攻の援助・・
  1962年1月、アメリカが米州機構からキューバを除名し、
 食糧や医薬品以外の全面禁輸などにより、政治的・経済
 的なキューバ孤立化をはかったりした・・など両国の関
 係は悪化していた。
  ソ連は、これに対して、キューバへの支援を強化した・・
 ミサイル基地建設もその一環であった。
  水面下の交渉をへて、10月28日に、ソ連のフルシチョ
 フ書記長がミサイル撤去を約束した・・
  海上封鎖は解除された・・核戦争の直前だった・・
  米ソの核戦争の脅威が現実に近づいた一瞬として、冷
 戦時代の軍事的緊張を象徴する事件となった・・
  しかし、危機後、米ソは急速に接近し・・
  1963年に、米ソ直通電話(ホット・ライン)がつくら
 れ、部分的核実験停止条約が成立するなど、米ソの平和
 共存と雪解けムードが生まれた。
.
1962年、ノースウッズ作戦
  この作戦は、キューバのカストロ政権を転覆させるた
 め・・アメリカが秘密裏に計画した偽装工作・・
  反カストロ工作として計画され、テロリストに見せか
 けた攻撃をアメリカ国内で起こすことによって、アメリ
 カ国民の対キューバ感情を悪化させ、内外の世論をキュ
 ーバ攻撃の容認へと向かわせることを目的としていた(
 実行されず)
  その一つが、ケネディ大統領のキューバの「ソ連核ミ
 サイル基地」の構築を止めさせるため、キューバ攻撃の
 口実を作るため、キューバ人に扮した工作員が航空機を
 ハイジャックし、多発テロを起こす隠密作戦をアメリカ
 の統合参謀本部は、本気で実行しようとしていた。
  1997年、計画を記した文書は、それまで機密扱いであ
 った・・が・・
  ケネディ大統領暗殺事件に関する記録を調査する委員
 会によって一般に知られるところとなった。
.
2017年9月7日、北朝鮮が・・水爆を開発した。
  そして、「貴方たちが北朝鮮を攻撃し、全滅させよう
 とするなら、貴方たちも全滅します」と・・
  また、「世界のすべてが絶滅する状況になる!」と・・
  そのキーワードに「電磁パルス(EPM)」がある。
  電磁パルスは、「放射線の一種のガンマ線が宇宙空間
 から地表に降り注ぐことで、大気中の窒素や酸素の分子
 から電子が飛び出して生じる電磁波で・・
  落雷で、電子機器が故障するのと同様に、強烈な電磁
 パルスは、電気を通すケーブル内部に強い電流を発生さ
 せる・・このことで、電子機器をショートさせ、破壊す
 る」。
  北朝鮮は、例えば、上空135キロメートルで、10キロト
 ンの核爆発を起こしたとしたら、半契約1300㎞、直径2600
 ㎞の超広大な範囲にその現象を起こさせる事ができる・・
  そうばれば、その範囲の人々は生きていけない・・
  死の状態に至る・・その様な行為が出来る・・と・・
  以下は、その事を伝えるこの日の読売新聞・・(抜粋)
  北朝鮮が3日、金正恩朝鮮労働党委員長による水素爆弾
 の視察を伝える声明で・・
  「高空で爆発させて広大な地域に対する超強力な電磁
 パルス(EMP)攻撃をできる熱核弾頭だ」と主張した・・
  そして、初めてEMP弾の開発に言及した。
  都市機能を壊滅させるだけでなく、国防システムも麻
 痺させかねない新たな脅威の懸念となった。
  「1回の爆発で、数千キロメートルに及ぶ電力と通信網
 を破壊する」。
  CNNテレビ(アメリカのテレビ局)は3日、北朝鮮が
 EMP攻撃能力を獲得したと宣言したことを受け、米エ
 ネルギー省が1月に公表した報告書を引用し、警鐘を鳴ら
 した。
  EMP弾は、最高400㎞程度の高高度での核爆発によっ
 て生じる電磁パルスにより、人を直接殺傷せずに電気、
 通信、交通など社会インフラ全体を壊滅させる核攻撃・・
  たった一発で、甚大な被害を与え、高度に電化された
 先進国ほど影響を受けやすい。
  2004年に、米議会に提出された専門家委員会の報告書
 によると、米国全土で社会インフラが崩壊し、復旧に数
 年を要した場合、食糧や燃料、医薬品などの物資の不足
 と衛生状態の悪化が起こると指摘・・
  深刻な疫病と飢餓が生じる結果として「1年後には、米
 国人の90%が死亡」という衝撃的な結末を予測した。
  実際、米国が、1962年7月、太平洋上の高度400㎞でT
 NT火薬換算1400キロ・トンの核弾頭を起爆させる高高
 度核実験を行ったところ・・
  1300㎞以上離れたハワイ諸島で停電や電話局のシステ
 ム故障、警報機の誤動作などが起きた。
  予想以上の効果に、米露をはじめ各国でEPM弾の開
 発が始まった。
  ジェームズ・ウルジー元米中央情報局(CIA)長官
 は、米紙への寄稿で、北朝鮮がEMP開発のためロシア
 技術者を採用したと、ロシア軍幹部が、2004年に述べた
 と明らかにしている。
  北朝鮮は、今回の核実験後、EMP弾の威力を誇示。
  朝鮮労働党機関紙「労働新聞」は4日、技術エリートを
 養成する金策工業総合大のキム・ソンウォン学部長が、
 「核兵器が30~100㎞の高さで爆発すると強い電磁波によ
 り通信施設と電気系統が破壊される」と解説する記事を
 載せた。
  EMP弾は、核弾頭が大気圏に再突入する前に爆発し
 ても威力を発揮する。
  北朝鮮は、大陸間弾道ミサイル(ICBM)の最後の
 関門である再突入技術を実証していない。
  北朝鮮が、ここへ来て、EMP能力獲得を主張し始め
 たのは、「再突入技術が確立してなくても、甚大な被害
 を及ぼす攻撃が出来ると言いたいのだろう」と防衛省関
 係者は分析する・・(中略)・・
  爆発し、発生した電磁波の侵入を防ぐには「究極的に
 は鉄の塊で囲った上で、内部で自家発電するしかない」
 が「すべての装備に対策を施すのは財政的にも不可能」・・
  電子機器が破壊され、戦闘機も機能しなくなり、戦車
 も動けなくなり・・レーダーも破壊され・・ミサイル迎
 撃も難しくなり・・ハイテク化した軍は機能しなくなり・・
  (相手の都市攻撃をしなくても・・少ない核兵器数で、
 地球上のすべての場所の、蓄積して来た文明・都市機能
 のすべてが失われる・・)
  (これは、せっせと軍拡投資している中国も、アメリ
 カも含めロシアも・・地球上のすべてのものが、その様
 な状態となる・・)
  (習近平もプーチンも、そのことは知っているだろう)
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/  


2019年10月15日

2019年10月09日

(増補版)658E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年10月~1896年11月)

題:(増補版)658E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年10月~1896年11月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・あくまでも、正しいことを教えてあげねばな
  らない!
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
.
1896年10月、篠ノ井線の篠ノ井駅~松本駅間が着工された。
  篠ノ井線(しののいせん)は、長野県長野市の篠ノ井
 駅から長野県塩尻市の塩尻駅までを結ぶ路線。
  当時、日本は、防衛のことをよく検討していた。
  関東と近畿を連絡する鉄道は、平時は海岸を走る海路
 の便があり・・
  戦時には、敵の攻撃を受けやすい海岸を走る東海道本
 線ではなく、内陸部の中山道を経由する路線が検討され
 た。
  しかし、実際に、路線建設が行なわれると建設費がか
 さみ、また、山岳部などにより輸送力が制約された・・
  そのため、工事はほとんど進まず中止となった。
  しかし、資材輸送線として始まった直江津から長野を
 経由して上田へ至る路線は、そのまま建設が続行された。
  そして、さらに、延長されて、碓氷峠を越えて高崎ま
 でが、1893年4月に完工した。
  また、1892年6月に、鉄道敷設法が制定されていて、後
 に、中央本線と言われる路線の建設が始まっていた。
  これを受けて、長野県会は、1892年12月に、中央本線
 と信越本線を連絡する「長野若シクハ篠ノ井ヨリ松本ヲ
 経テ塩尻又ハ洗馬ニ至ル路線」を、第一期線に追加する
 ように帝国議会へ要請する決議を採択していた・・これ
 を中央連絡線と称した。
  1893年3月から鉄道庁の技師が派遣され、調査が行われ
 た。
  この結果、6つの路線が候補となった。
  しかし、そのどのルートを選んでも、険しい峠を長大
 トンネルで結び、そして、地質の悪い区間を通過しなけ
 ればならないという悪条件の重なる状況だった。
  その結果、距離が最も短い篠ノ井線が、建設費や運営
 の点で有利と判断された。
  この報告を受け、1894年6月23日、帝国議会で「長野県
 下長野若ハ篠ノ井ヨリ松本ヲ経テ前項ノ路線ニ接続スル
 鉄道」が第一期路線に格上げされ、起点は、篠ノ井と確
 定した。
  1896年予算で、建設費が決まり、明治28年度(1895年)
 から明治31年度(1898年)までの予定で施行されること
 となった。
  全線を11の工区に分けて、1896年10月に着工された。
  1900年から篠ノ井方より順次延伸され・・
  1902年に塩尻まで全通した。
.
1896年11月1日、全国の504の税務署が開署した。
.
1896年11月3日、米大統領選挙でウィリアム・マッキンリー
 が勝利し、第25代アメリカ大統領となった・・
  共和党のウィリアム・マッキンリーは、民主党のウィ
 リアム・ジェニングス・ブライアンを破った。
  この選挙を、歴史家たちは、アメリカ史の中でも最も
 劇的な選挙戦の一つとした・・が、ひどい金権選挙だっ
 た・・
  ブライアンより「10倍もの金を遣った」マッキンリー
 が、金の威力で勝利した選挙だった。
  マッキンリーの共和党の選挙対策本部長のマーク・ハ
 ンナは、350万ドルの贅沢な予算に裏付けられ・・その金
 の威力を使った多くの近代的選挙技術を発明し、実行し
 た。
  対立候補のブライアンは、36歳・・
  ブライアンの演説は、非常に劇的だった・・
  主要政党で、大統領候補に指名された者として、最も
 若かった。
  多くの実業家や銀行家たちは恐れた・・それは、ブラ
 イアンが、人民主義的言葉遣いで人気を取って当選し、
 政権を取って、金本位制を終わらせるという政策を支持
 し、実行することに恐れていた・・
  ブライアンは、資金集めに苦労していた。
  マッキンリーは、南北戦争の退役軍人だった。
  マッキンリーと共和党は、金本位制はアメリカ経済に
 は必要だ・・必須だと言っていた。
  共和党は、卑劣なことに、ブライアンの顔を書いた偽
 1ドル札を印刷してまでして、ブライアンを揶揄した、そ
 して、誹謗した。
  ブライアンの資金力は、マッキンリーの10分の1だった。
  ブライアンの魅力は、背が高く、人を魅了する雄弁な
 演説だった・・
  ブライアンは、信念と情熱を表現した・・
  彼を見るために、大勢の「莫大な群衆」が集まった・・
  南部や西部では、支持者がパレードをして、示威行動
 までして出迎えた・・
  これに対し、マッキンリーは、オハイオ州の自宅前で、
 しょぼくれた「玄関前」選挙運動を行なった。
  しかし、金の勢いで、有権者を自宅前に列車で連れて
 来るということをした。
  有権者集団は、そして、大歓待された・・
  その集団へ向かって演説がなされた。
  そして、マッキンリーの代わりの『国内遊説者』を、
 金に飽かせて、国中に回らせ、巡らせ、旅をさせた・・
  そして、ブライアンを危険な急進者と貶(おとし)め
 た。
  ブライアンが、もし選挙に勝てば、工場は閉鎖され、
 労働者は職を失うことになる・・という張り紙を張り巡
 らせた。
.
1896年11月8日、「古事類苑」の刊行が始められた。
  古事類苑(こじるいえん)は、政府が編纂した一種の
 百科事典。
  本文1000巻の官撰(かんせん)の百科事典として、我
 が国唯一のもの・・
  文化・社会など諸般の事項を採録。
  1879年、西村茂樹が建議し、小中村清矩(きよのり)ら
   が編集に着手したのに始まった。
   文部省に編纂係が設けられ、企画され、編集が開始
   された。
  1890年、皇典講究所に委託される
  1895年、神宮司庁が編集を継続し、この部署で完成さ
   れた。
  1896年、刊行を開始する
  1913年、完結(1914年説あり)35年間が費やされた。
  内容は、古代から近世までの歴代の制度、文物、社会
 全般にわたり、天部、歳時部、地部、神祇部、帝王部、
 動物部、植物部、金石部など30部門に分類され・・
  さらに、編・条・項と分類している。
  また、付・併入を必要の時に加えた。
  中国や日本の先行の類書の体裁にならって部門分類し、
 古今の書籍・文書・六国史以下、1867年までの文献から
 原文のまま引用し、例証を収載して理解させようとして
 いる。
  江戸時代以前の日本文化の研究に大きな便益を供して
 いる。
.
1896年11月14日、雑誌『二十六世紀』が発行禁止となる。
  土方宮内大臣の行状を痛烈に批判し、伊藤首相へも攻
 撃したため発行禁止となった。
  論文転載の新聞『日本』、批判を支持した『万朝報』
 『国民新聞』なども発禁になった。
  この事件を契機に、新聞紙条例から発行禁止や停止を
 廃止する改正が実現した(1897年)
.
1896年11月17日、神戸でキネトスコープ(のぞき眼鏡式活
 動写真)の上映が始まった。
  (11月25日から12月1月までの説がある・・日本映画の
 日が12月1日であるのは、これから来ている)
  日本初の活動写真が、神戸神港倶楽部で上映された。
  高橋新治が輸入した「キネトスコープ」(ニーテスコ
 ップ・・電氣作用寫眞活動機械)の映像を滞在中の小松
 宮彰仁親王に見せた。
  因みに、キネトスコープはエジソンが発明した。
  1893年、シカゴ万国博覧会に出展され・・
  1894年4月14日、ニューヨークのブロードウェイ1155番
   地に世界初の映画館(キネトスコープ・パーラー)
   が設置された。
   この箱をのぞき見する型は「ピープショー」と呼ば
   れ世界で大ヒットした。
   スクリーンに投影されて皆が見られる型は、1895年
   にリュミエール兄弟が発明する「シネマトグラフ」
   を待たねばならない。
.
1896年11月21日、客車等級別塗装の最初がなされた。
  関西鉄道が、客車の外側を帯で塗り分け塗装をして、
 等級を判別させた。
  上等が白、中等が青、下等が赤・・
  これは、誤乗車を防ぐというためだった。
  1872年の鉄道開業の時にも、客車は3等級とされ、上等・
 中等・下等に区分していた。
  また、下等の名称が乗客の感情を害するため、1897年
 11月、一等・二等・三等へ変えられた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:日本の対馬が、韓国に乗っ取られようとしている。
   有志の議員団が、この日、緊急要望書を出した。
   また、中国が、その韓国にとって代わろうとする意思がうかがえる。
.
紀元前5世紀頃、生姜(ショウガ)が、インドや中国で栽培さ
 れ始めた。
  生姜は、ショウガ科の多年草で、食材や生薬として広
 く利用されている。
  原産地は、熱帯アジア。
  日本には、2世紀〜3世紀、中国から伝わった。
  奈良時代になり栽培が始まる。
  薬効は、発汗、健胃、鎮吐作用など。
     ・
     ・
15世紀半ば~17世紀半ば、大航海時代
  中世において、キリスト教は、ヘブライ語聖書なども
 動員して「年代決定を検討し、そして、その齟齬(そご)
 を決定し、直して来た」。
  そして、時代が、大航海時代に入ると、「新しい知見」
 が知られ・・新しい知識が入って来て・・それまでのキ
 リスト教が行なって来た「決定し直して来た年代」まで
 もが、また、齟齬(そご、食い違い、合わないこと)が
 生じた。
  このことにキリスト教は焦(あせ)った。
  加えて、科学的知見も、この時代、新たに人々は知る
 様になると、それとの齟齬も生じていた。
  あらゆる面からキリスト教普遍史の年代決定は崩れて
 行った。
  この様な事は・・当然の事だった。
  何も知らない古代・・空想で作り上げて来た「キリス
 ト教のストーリーだった」・・
  その様なものが、正しい結果を示す事こそ「奇跡だっ
 た」。
  当然、その様にはならなかった・・事実を示された大
 航海時代だった。
.
1609年、ケプラーが「惑星の法則」を発見し、また、ガリ
 レオが、この年、天体望遠鏡を発明した。
  この近代科学の知見は、それまでのキリスト教によっ
 て築かれて来た迷信的社会へ衝撃を与えた。
  有名なガリレオの宗教裁判が開かれた。
  キリスト教は焦(あせ)った。
  しかし、人々は、これを契機に次々と科学的知見を得
 て行く・・その様な智識を知った人々となった。
  キリスト教の矛盾に目覚めて行った。
  大航海時代の知見とともに「地球規模の理解を得よう
 とする思考」・・そして、キリスト教の迷信から脱却し
 て行った。
  17世紀は「科学革命」に開かれた時代だった。
  同時に、市民たちは、「自分たちの思想」を主張し始
 めた。
  キリスト教聖職者が演じた「虚飾の世界」の終焉が始
 まった。
  理性が民衆の手に戻って行った。
  人間の能力が主導権を握り出す17世紀は、「科学革命
 の世紀」だった。
  人間や社会を「理性に照らして吟味する人々」になっ
 た。
  「(キリスト教の)神の似姿の人間」の話は、作った
 話だと「皆が、誰もが思う時代」へなって行った。
.
1618年、北海道の金山で働く人を訪問するキリスト教聖職
 者・・
  キリスト教イエズス会士のアンジェリスは、1618年と
 1621年の二度、北海道の松前の金山に働くキリスト教徒
 を訪問した。
  また、カルバーリョも、1620年、やはり、松前の金山
 のキリスト教信徒を訪問している。
.
1743年、コンドルセが生まれた。
  コンドルセ(1743年〜1794年)は、フランス革命期の
 代表的な啓蒙思想家・・そして、革命家であるが・・
  彼は、はっきり言った「自然が我々を生んだ・・そし
 て、その地球」と・・
  キリスト教の神による「創造の神秘」を否定した。
  また、「キリスト教の神によるアダムの創造」も彼は
 否定した。
  根本的出発点に「人間には独自の『人間能力』がある」
 とした。
  人間の精神活動を行なう能力、理性を持つ独自性を言
 い、キリスト教の神の呪縛から解き放った。
  理性の存在する人間を謳った。
  自然体系の中の存在、その一員としての人間という、
 至極、当然な考え方に至った。
  しかし、今・現在でも、その呪縛に捉われ続けている
 人たちが居る。
     ・
     ・
1939年3月28日、スペイン内乱が終結する。
  この終結した1939年以来、33年間も、同じ独りのファ
 シストに支配されてしまった国=スペイン。
   労働者革命の挫折した国、インターナショナリズム
 の墓場となった国、国際義勇兵が絶望した国、そして、
 勝利した独裁者が、なお生きて、コインに刻印され、暴
 力装置を握っていた国だった・・
  「スペインは、眼の国だ」と言う・・
  「猜疑的な眼」がどこにもみられた。
  バレンシアの郵便局の玄関には、二人ずつ、兵隊の様
 な緑色の服を着た男が、横柄に立っていた・・監視兵だ
 った・・
  注意してみると銀行のドアの影、駅、広場、市庁舎、
 ホテル、大学、バザール市場、そういう人の集まりそう
 な場所に、監視専門の「眼」の居ることが分かった。
  外国人旅行者へも眼が光り、どんな辺鄙(へんぴ)な
 海辺のキャンプ場に行っても、ものの10分としない内に、
 どこからともなく「眼」が現れた。
  ライフルを肩から下げている眼もあった。
  カルタヘナの海では、軽機関銃を持つ陰気な男の「眼」
 に晒(さら)され、近づいて来て、人品を胡散(うさん)
 臭そうに確かめられた。
  ちなみに、1939年1月、バルセロナは陥落した。
  1939年3月27日、フランコ軍は、マドリードに入城し、
 スペイン共和国は崩壊した。
  150万人もの方々の難民も出た。
  ぼろをまとい、子供の手を引いた方々が、長い行列を
 作って、凍った道を逃れて行った。
.
2017年6月、タカタ株式会社が潰れた。
  タカタ株式会社は、エアバッグ・シートベルト・チャ
 イルドシートなど、自動車用安全部品を製造していた日
 本の企業である・・
  2017年6月に、負債総額1兆円を超えて製造業としては
 戦後最大の経営破綻をした。
  タカタ株式会社は、シートベルト・チャイルドシート・
 エアバッグなどを製造していた企業であり、自動車メー
 カーからの出資を受けていない完全独立の部品メーカー
 だった。
  創業の地である彦根市と、その周辺の長浜市や愛荘町
 に、日本国内の製造拠点があった。
  エアバッグでは、世界市場でシェア 20%を占めていた
 (2011年3月期)
  1933年、高田武三が、彦根で高田工場として創業した。
  織物製造を開始し、織物の技術を活かした救命索も製
 造した。
  2006年11月、東京証券取引所に上場した。
  2017年6月26日、同社の主力商品のエアバッグの欠陥
   リコールにより、最終的な負債が1兆円を超える見通
   しとなり、東京地方裁判所に民事再生法の適用を申
   請した。
  国内の製造業では、戦後最大の経営破綻だった。
  なお、タカタ本体には、欠陥リコールの原因となった
 硝酸アンモニウムを使ったインフレーターの製造・販売
 事業を残し、他の事業を米国のキー・セイフティー・シ
 ステムズ(中国の寧波均勝電子の100%子会社)に譲渡せ
 ざるを得なくなり、譲渡した。
  2017年7月27日、上場廃止となった。
  経緯・・
  エアバッグの草創期より製造を進めてきた経緯から、
 トヨタ自動車、本田技研工業、日産自動車をはじめとす
 る日本の自動車各社のほか、フォルクスワーゲン、BM
 W、メルセデス・ベンツ、フォード・モーター、GM、
 フェラーリ、テスラ、マクラーレンなど各国の自動車メ
 ーカーにも納品し、世界シェアは2位に上った。
  1セット数千円の単価ながら、2014年3月期決算では、
 社の売上高の約4割がエアバッグによるものとなった。
  2004年、Honda Accordでエアバッグが爆発し、金属
 片で運転手を傷つけると、タカタはそれを異常と呼んだ。
  2008年頃より重要部品である、膨張ガスを発生させる
 インフレーター関連の不具合が相次いで判明、米国とマ
 レーシアでは破裂したインフレーターの金属片により死
 亡事故も起きた。
  2008年11月より断続的にリコールが行われている。
  2014年11月時点で対象車の累計は1,700万台に達した。
  2015年11月、アメリカ合衆国運輸省の国家道路交通安
   全局(NHTSA)は、タカタのエアバッグの欠陥を企業の
   不祥事と位置づけ、同社が適切なリコールや情報開
   示を行わなかったため、アメリカ国内で被害を拡大
   したとして最大2億ドル(約240億円)の民事制裁金
   を科すと発表した。
  NHTSAが一社に科す制裁金としては過去最高額だった。
  タカタと自動車メーカーに対して、2019年末までに、
 エアバッグの修理を完了するように命じた。
  制裁金に加えてリコール費用、訴訟費用が巨額に膨ら
 む可能性があり、会社存続の危機と指摘された。
  日本経済新聞によると、2016年4月時点でエアバッグ
 のリコール対象となる搭載車は世界で1億台以上、費用は、
 総額1兆円に上るものとみられる。
  街の声・・
  自動車が衝突するとき、その衝突が激しい時、運転し
 ていた人は、その衝突の対象物がその運転者に達しない
 時でも、運転者を衝突対象物が運転者に直接ぶつからな
 くても、運転者は死ぬ時がある。
  それは、運転者が慣性の法則によって前方へ投げ出さ
 れるからである。
  前方へ投げ出された運転者は、衝突対象物に達しない
 で、衝突対象物との衝突が避けられたとしても、運転者
 はそれで死ぬ。
  それは、運転者の非常に近い位置に「ハンドルがある」
 かあらでもある。
  当然、運転者は、運転の必要性からハンドルは運転者
 の非常に近い位置に置かれている。
  だから故に、このハンドルに衝突して死んでいる。
  まったく多くの人々が、これで亡くなった・・
  この状態から大勢の運転者の方々の命を救えないかと
 考え・・考えだされたのが「運転者がハンドルに衝突す
 る直前に、その運転者の命を救う衝突衝撃吸収材を存在
 させる」という考え方だった。
  この衝撃吸収材を作り出すことが「多くの亡くなる方々
 を救うヒントだった」。
  その解決策は、衝突衝撃で亡くなろうとしている運転
 者の前に、その衝突直前に、バルーンの柔らかい衝突衝
 撃吸収材を膨らませようという考え方だった。
  苦労の研究開発が始まった。
  「多くの方々の命を救え」と研究者たちは、一生懸命
 に研究し、努力した・・色々な試作品が出来た。
  それでも、より多くの命を救うという大きな使命の下
 に、色々な技術や知恵が取り入れられ、改良も加えられ
 た。
  多くの人々を救うため、早く世の中に出したいという
 研究者や関係者の使命感もあった。
  実際のテストも繰り返され、何度も繰り返され、製品
 の品質向上もさせ、多くの方々を救うものが、やっと世
 に出せることが出来た・・やはり多くの人々を救くった。
  偉大な功績だった。
  この製品で、器機で、自動車衝突という不幸中の中に
 も、自動車運転者の命を、多くの自動車運転者の命を救
 った・・その様な製品だった。
  正に研究開発者の優しさが、製品に、商品になったよ
 うだった。
  しかし、あらゆるものに完全は無い・・あらゆるもの
 に100パーセントは無い。
  そのわずかな部分で、その商品目的が達せられなくて、
 多くの方々を、本当に多くの方々を救っているにもかか
 わらず、そのわずかな部分において、製品目的が達せら
 れなくて、亡くなる方が出てしまった。
  人の命という事で、大切な人の命という事で大問題と
 なった。
  そして、その多くの人々を救って来たその会社は潰(
 つぶ)れてしまった。
  巨大な賠償金を課して、会社を潰したたアメリカは正
 義だったのか?
  問題は確かにあった・・確かにそれは大きな問題では
 あるが、この会社が救ったそれ以上の多くの命に目が行
 っていない。
  また、この後、これから救われるだろう方々の存在に
 も目が行っていない。
  また、この会社が、中国の会社になってしまったとい
 うことが気になる・・
.
2019年9月5日、中国は、チベット族やウィグル族などの
 土地を「同化政策」の名の下に、奪う行為の圧力を強め
 た。
  この日の読売新聞によると・・抜粋・・
  習近平政権は、「中華民族」だという名目を掲げてい
 る。
  その名の下に「同化圧力」を強める政策をとっている。
  国有企業の進出には「反対が許されない」。
  中国北部・内モンゴル自治区、中部バインノール市の
 草原の中で、羊飼いのムチの音が聞こえた。
  50頭余りの群れを追うモンゴル族の郭貴月さん(70歳)
 の姿を見つけた。
  郭さんの放牧地の北には国有企業の金精錬工場の敷地
 が広がる。
  工場建設に伴う土地の接収で、多くのモンゴル族が去
 ることになり、辺りで放牧を続けるのは郭さんだけにな
 った。
  草原には、寂れた家畜小屋や民家がただずみ、半野生
 化した馬が草をはむ。
  「国有企業に、我々の場所に作らないでほしいと言え
 なかった」。
  郭さんの顔のしわがひときわ深くなった。
  自治区は、金やレアアース(希土類)、石炭など鉱物
 資源が豊富だ。
  中国の経済発展に伴い2000年以降、自治区外からの国
 有企業の進出が本格化した。
  生態環境省によると、鉱山開発による草原損失面積は、
 2015年までに、香川県に匹敵する1835平方キロメートル
 に上る。
  郭さんの放牧地近くの工場を巡っては2014年、漏れ出
 した毒物が原因とみられる羊の大量死が起こった。
  昨年1月以降、一部のモンゴル族が環境汚染の改善と不
 当な土地収用への補償を求め政府に陳情をしようとした
 が、米政府系のラジオ自由アジア(RFA)によると、
 当局に拘束された。
  モンゴルの人々は、13世紀に広大な帝国を築いた。
  中国の清朝崩壊後、最終的に旧ソ連の影響が強かった
 地域が「モンゴル人民共和国」として独立した。
  南隣の地域も一緒に独立を模索したが、結局、内モン
 ゴル自治区として中国に残った。
  自治区に民族の名を関しているものの、モンゴル族は
 清朝の頃から人口で漢族に圧倒されてきた(漢族の流入)
  (日本の北海道にも漢族が流入するだろう)
  現在、漢族は約8割、モンゴル族は2割弱という割合だ。
  両者の摩擦は絶えない。
  今年4月にも、バインノール市で、100人超のモンゴル
 族が生活改善を求めて地方政府庁舎に詰めかけた。
  公安当局ともみ合いになって怪我人も出た。
  「抗議が収まらないのは、生きるために最低限必要な
 草原を奪われ、文化をないがしろにされて居るからだ」。
  自治区出身で米ニューヨークを拠点に自治区の状況を
 発信するとトゴチョグ・エンフバトさん(46歳)はモン
 ゴル族の思いを語る。
  包頭市政府は、昨年6月、草原の中にモンゴル伝統の移
 動式住居「パオ」を建て始めた。
  今や30か所に上る。
  その一つに4月、地元の共産党幹部が100キロメートル
 四方の草原に暮らすモンゴル族10人を招いた。
  特別に習近平総書記(国家主席)のパネルを飾ったパ
 オの中で、幹部は「党は経済発展と民族団結を促し、辺
 境地域の安定を図る。党の指導を聞き、協力してほしい」
 と呼び掛けた(中国化政策)
  パオは、当局が中国共産党の指導を広めるための拠点
 だ。
  だから、外面は乳白色でも「紅色蒙古包(赤いモンゴ
 ルのパオ)」と名付けられている。
  草原に指導の網を張り巡らす背景には、「モンゴル族
 は容易の扇動され、政府に対抗しかねない」(漢族の地 
 方政府幹部)との不信感が垣間見える。
  緊張は続く。
  (関連事項)
  モンゴル人民共和国と共に独立の行動をすればよかっ
 た。
  その後の、漢民族の流入と共に漢民族が多数となって
 しまった。
  他の自治区と同様、この地も、モンゴル族は、強制的
 に他へ移住させられたりもしたのだろう・・
  他と同様・・その様なことで漢民族が圧倒的多数とな
 ったのだろう・・この様な方法で国が奪われていく・・
  (参考)モンゴル族は、13世紀に巨大な版図を誇った
     モンゴル帝国の末裔だ。
      チベット仏教を信仰する人が多く、主に牧畜
     業に従事する。
      かつては家畜の群れとともに移動生活を送っ
     ていたが、現在は定住生活を営む。
      固有の言語を有し、民族楽器である「馬頭琴」
     は日本でも親しまれている。
      中国国内に約598万人おり、内モンゴル自治区
     内には約420万人が暮らす。
      ただ、自治区の総人口(約2470万人)の約17
     %に過ぎず、漢族が約79%を占める。
  (参考)モンゴル族の主な抵抗の歴史・・
     1995年12月、フフホト、モンゴル族の活動家の
      8人が拘束された。
      反発した学生らが2度のデモをした。
     2011年5月、シリンホト、炭鉱開発に抗議する
      モンゴル族が漢族にひき殺される。
      自治区各地で抗議のデモが起きた。
     2013年5月、赤峰、放牧地の不法占拠に抗議した
      放牧民6人が拘束された。
     2018年7月、興安盟、江蘇省の企業と開発に抗議
      する遊牧民が衝突した。
      怪我人が多数出た。
     2019年4月、バインノール、100人超のモンゴル
      族が生活改善を求め地方政府庁舎に詰めかけ、
      公安当局ともみ合いになる。
.
2019年9月15日、脱中国が世界の流れになって来ている。
  東南アジアが、その「脱中国」の受け皿になる積極的
 姿勢の状態にある。
  その様子を伝えたのが、この日の読売新聞・・抜粋
  東南アジア諸国が、中国からの生産移転の受け皿を目
 指す動きを強めている。
  米中が制裁・報復関税の報酬で対立を深めていること
 を受け、中国から生産拠点を移す事を計画する企業が増
 えているためだ。
  各国は、税制優遇策などをアピールし、投資を呼び込
 もうとしている。
  タイのソムキット副首相は10日の閣議後、記者団に対
 して強調した。
  「米中摩擦をチャンスとして、海外企業の誘致を拡大
 する」と・・
  タイ政府は、この日、中国から工場などを移転する企
 業への優遇措置をまとめた政策「タイランドプラス」を
 決めた。
  最大50パーセントの法人税減税などが柱だ。
  プラユット首相が、トップを務める投資運営委員会を
 儲け、規制緩和にも取り組む。
  投資運営委員会には、タイに移転する企業を手続き面
 で支援する特別チームを置く。
  スリヤ工業相は今月中に日本を訪れ、日本企業にも優
 遇策をアピールする計画だ。
  フィリピンでは、ロペス貿易産業相が11日、「今が中
 国から製造業を呼び込む良い機会だ」とする声明を発表
 した。
  国家経済開発庁と連携し、外資の参入規制緩和などに
 取り組むことを明らかにした。
  人件費の安いカンボジアは、縫製品などで、中国に代
 わる生産拠点として存在感を増している。
  米国向け輸出の増加もつながっており、1月~6月の対
 米輸出額は22億ドル超と前年同期から3割近く伸びた。
  後発開発途上国として、米国や日本に輸出する際、関
 税が低くて済むという強みもある。
  米ファッション産業協会の調査では、約半数の加盟企
 業が今後2年以内にカンボジアでの調達拡大を検討してい
 る。
  カンボジア縫製業協会のカイン副事務局長は、「生産
 移転の流れは鮮明だ。
  設備投資と人材育成を進め、需要を取り込みたい」と
 話す。
  ミャンマーでは、日本が支援する経済特区への在中企
 業の視察が増えている。
  アウン・サン・スー・チー国家顧問は8月、日米共催の
 投資フォーラムで、「規制の緩和をさらに進め、経済発
 展のパートナーとなる企業を呼び込みたい」と意気込ん
 だ。
  実際に、中国から東南アジアへの生産移転に向けた動
 きは広がりつつある。
  タイ地元紙によると、すでに台湾の電源大手、デルタ
 や音響機器のメリーエレクトロニクス、日本のリコーや
 シャープなど10社ほどがタイへの工場移転を計画。
  米タイヤメーカー大手など30社以上が東南アジアへの
 移転を検討している。
  各国は、こうした移転の動きを一段と加速させ、陰り
 の見える経済の成長につなげたい考えだ。
  東南アジア諸国連合(ASEAN)主要6カ国の今年4
 月~6月期の国内総生産(GDP)は、米中対立を受けた
 中国景気減速の影響で、内需が堅調だったマレーシアを
 除き、いずれも減速した。
  各国は、生産拠点の増加で先進国向け輸出が増えれば、
 低迷する対中輸出を補えると見込んでいる。
.
2019年9月18日、日本の対馬が、韓国に乗っ取られようとし
 ている。
  有志の議員団が、この日、緊急要望書を出した。
  以下・・その抜粋・・
  『対馬振興強化に関する緊急要望』
日本の尊厳と国益を護る会
  去る16日、私たちは、長崎県の対馬の現状を視察しま
 した。
  対馬は、わが国にとって古来より大陸や朝鮮半島との
 交易の窓口として、また、わが国防衛の要として大きな
 役割を担ってきました。
  しかし、止まらぬ過疎化や高齢化の中で、対馬に韓国
 の資本と人が入り込み、漁場が荒らされたり、自衛隊基
 地の周辺など安全保障上重要な土地も韓国資本に買収さ
 れているなど、わが国にとって極めて重要な要衝の地の
 将来が危ぶまれる状況になっています。
  また、中国も、韓国にとって代わろうとする意思がう
 かがえます。
  そして、昨今の揺らぐ朝鮮半島情勢を鑑みると、今後、
 対馬のわが国の安全保障上の重要性はかつてなく高まる
 ものと予想されます。
  そこで護る会は、対馬をわが国にとって戦略上の重要
 拠点と位置づけた上、下記の対策を早急に講じ、対馬振
 興に力強い新たな一歩を踏み出すよう、速やかな実施を
 要望します。

 1.「対馬振興法(仮称)」を制定し、国境の要衝としての
  対馬の位置づけを明確にするとともに国土の保全を図
  り、島民の目線に立った総合的な対馬振興計画を策定
  し、これらを両輪で実施すること。
 2.国民が対馬の歴史と文化に一層容易に触れられるよう、
  現在、有人国境離島法の対象とはなっていない対馬へ
  の旅行者の航空運賃等の引き下げを、大胆に躊躇なく
  実施すること。
 3.対馬への修学旅行等を増やすための助成を行うこと。
 4.海上自衛隊防備隊周辺の土地を国有化するとともに、
  朝鮮半島有事を想定し港湾の整備を行うこと。
 5.国境防衛の要となってきた対馬の歴史も含め、福岡に
  元寇に関する公的な歴史館を設置すること。
  (参考)
  中国と韓国は、最近、大変緊密になって来ている。
  この対馬の工作は、韓国にさせて、煮詰まって来たら
 中国が乗り出すという手を取っていると見られる。
.
2019年、対馬海峡を見て思う事
  (参考:長尾たかし議員のホームページ)
  日露戦争で日本帝国海軍がバルチック艦隊と戦った日
 本海海戦の主戦場、対馬海峡を見て思った事。
  朝鮮半島有事が起きた際、或いは南北統一が現実のも
 のになった時、この海(対馬海峡)が「38度線」となっ
 て、朝鮮半島と日本との軍事境界線になるのだろうと。
  そして、台湾、尖閣諸島有事と連動するのだろうと。
  その過程において軍事的な対応は米国が何とかしてく
 れると思うことは、完全に誤りであり、米国の事情、北
 朝鮮、中国、ロシアの本音を理解していない浅はかな考
 えです。
  確かに朝鮮半島有事が起きれば主として対応するのは
 米国です。
  しかし、米軍の軍事的キャパはこれで一杯です。
  その時は、台湾を含む尖閣諸島など他の地域の防衛が
 手薄になることを覚悟しなければなりません。
  日本も北朝鮮からのミサイル攻撃に対応するため、イ
 ージス艦などは日本海に展開せざるを得ず、海上保安庁
 も在韓邦人の救出の対応を迫られることになれば、尖閣
 諸島や沖縄、南西諸島、台湾はガラ空き、防御は不可能
 となります。
  そして、我が国にとって生命線である台湾、台湾海峡
 が、中国に抑えられる。
  朝鮮半島有事が起きてほくそ笑むのは中国なのです。
  我が国の防衛体制も予算も、深刻なまでに足りないの
 です。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
  


2019年10月01日

(増補版)657E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年9月~1896年10月)

題:(増補版)657E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年9月~1896年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・あくまでも、正しいことを教えてあげねばな
  らない!
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民の選択を受けない指導者たち・・民主化が達
  成できない国=中国・・
.
1896年9月28日、蜂須賀茂韶(はちすかもちあき)が、文相
 (第 2次松方内閣)となる。
  1846年9月28日、生誕~1918年2月10日、死没
   阿波国徳島藩の第14代(最後)の藩主。
  1872年(26歳)明治維新の時、オックスフォード大学
   に留学。
   侯爵、
  1896年(50歳)3月14日、勲一等瑞宝章
  1903年(57歳)12月26日、旭日大綬章
  1918年(72歳)2月10日、旭日桐花大綬章
.
1896年9月 ロシアが、豆満江上流地域・鴨緑江上流地域・
 鬱陵島・茂山の森林伐採権を取得した。
  ロシアが、朝鮮半島の利権をじわじわと奪って行く。
  また、1903年には、ロシアは、この権利(森林伐採権)
 を悪用して、ロシア軍を鴨緑江河口の龍岩浦に駐屯させ
 た・・そして、軍事基地を作ろうとした。
  朝鮮半島地域を軍事力をもって牛耳り、そして、ロシ
 ア領土化しようとした・・
  日露戦争の原因の一つとなった。
  (参考)豆満江:とうまんこう、中国と朝鮮の国境の
     白頭山(中国名:長白山)に源を発する。
      中華人民共和国(中国)、朝鮮民主主義人民
     共和国(北朝鮮)、ロシアの国境地帯を東へ流
     れ日本海に注ぐ、全長約500kmの河川。
  (参考)鴨緑江:おうりょっこう、中国東北部と北朝
     鮮との国境となっている川。
      白頭山に源を発し黄海に注ぐ。
      水の色が鴨の頭の色に似ていると言われたこ
     とからこの名がある。
  (参考)鬱陵島:うつりょうとう、朝鮮半島の東、日
     本海に浮かぶ直径10キロメートルの島。
  (参考)茂山:むさん、もさん、朝鮮半島北部に位置
     する。
      北東アジアで最大規模の埋蔵量を持つという
     鉄鉱山・茂山鉱山がある。
      満州族(女真族)など中国東北地方の諸族が
     朝鮮半島へ侵入する通路の一つにあたり、朝鮮
     の李王朝は、ここに兵営を置き北辺防備をした。
.
1896年10月1日、川崎造船所(後の川崎重工業)が設立され
 た。
  兵庫県神戸市に設立された川崎造船神戸工場の前身で、
 後の、川崎重工業株式会社(10月15日説あり)
  1869年、加賀藩士の3人が、加賀藩の七尾造船所が閉鎖
   されたため、その設備を譲り受け、兵庫川崎の浜に
   設立したことに始まる・・
   この事と・・
  1878年、川崎正蔵は、近代的な造船所の必要性を感じ
   ていた・・そこで・・
   東京の築地に川崎築地造船所を設立した。
  1881年、川崎正蔵は、また、神戸に川崎兵庫造船所を
   設立した。
   まだ、日本は、和船が重んじられていた時代で、経
   営は苦しかった・・
   官糖の取り扱いで利益を得て、事業を支えていた。
  1880年、国が、官営工場を民間に払い下げる方針を示
   した。
  1886年、官営・兵庫造船所が、川崎正蔵に払い下げら
   れた、設備は優れていた・・この機能を取り入れた・・
   そして、名称も、川崎造船所と改称された。
   東京は閉鎖され、神戸に集約する・・
  1994年、日清戦争が事業を拡大させた・・新造、修繕
   の需要が増大した・・
  1896年10月15日、株式会社川崎造船所が設立された。
   松方正義の3男の松方幸次郎が初代の社長となった。
   川崎正蔵の息子たち3人は運悪く亡くなっていた。
   川崎には、養子の4男が居たが、まだ10歳であるため、
   松方が後継者とされた。
   社長は、積極的に設備投資をし、拡大して行く・・
.
1896年10月16日、東武鉄道が設立された。
  伸び盛りの日本である・・次々と会社が設立された。
  また、富国強兵の下、盛んに国力の充実に努められた。
  新千円札の顔となる渋沢栄一も盛んに貢献する。
  この日、東武鉄道(東武グループの中核となる企業)
 が設立された。
  1895年(明治28年)4月6日:創立願いが出された。
  1896年6月22日、仮免状が下付された。
  1896年10月16日、創立総会が開催された。
   役員の選任(専務取締役:末延道成、取締役:今村
   清之助、南條新六郎、原六郎、渡辺洪基)
  1899年8月27日、初の路線である現在の伊勢崎線の北千
   住駅~久喜駅間が開業した。
  1945年3月10日、東京大空襲により東京の下町地区が大
   被害を受けた・・東武鉄道も、浅草地区を中心とし
   た伊勢崎線沿線が被災した。
  1945年4月13日、国際法違反となるアメリカ軍による民
   間人殺戮、及び、民間施設を攻撃対象とする攻撃が
   盛んに行われた。
   東武鉄道も、この空襲により池袋地区を中心とした
   東上本線沿線が被災する。
  2012年5月22日、東京スカイツリーをはじめとした、東
   京スカイツリータウンを開業させた。
.
1896年10月21日、税務管理局官制公布されて、全国に税務
 署が設置された(11月説あり)
  47府県の収税部は、全国23の税務管理局に再編・統合
 されて、府県収税部のもとに置かれていた収税署は、税
 務署と改称された。
  これによって、これまで、府県が取り扱ってきた国税
 事務は、大蔵省主税局のもとに一元化されて、税務行政
 の統一的な執行体制が成立した。
  設立当初の税務署は、税務管理局の出張所のような機
 関だったが・・
  1902年、税務監督局官制と税務署官制の施行によって、
 税務管理局は、税務監督局へと改組され、税務署の監督
 機関、税務署は、国税の執行機関となり、役割が明確に
 区別されるようになった。
  創設された当初の税務署の機構は、直税・間税・庶務
 に分かれていた。
  1896年の租税収入の割合は・・
  ①地租46%、②酒税23.8%、③所得税2.2%、④その他
 28%・・
  その他には・・営業(収益)税、個別消費税、関税、
 印紙収入など・・
  直税課は、地租、営業税、所得税などを担当したが、
 この時代は、地租が高い税収入を占めていて、職員は、
 土地の分合筆、地目の変換、災害などの際には、税務署
 に備え付けの土地台帳などの帳簿類を修正するほか、管
 轄内の土地の実地検査を定期的に行っていた(豊臣秀吉
 の検地を思い出される)
  土地の測量には、器具を用いた・・「測板(平板)測
 量法」が採用されていた。
  この測量技術の修得のため、税務職員を対象にして、
 各税務監督局内では講習会が開かれた。
  また、税務署が主催する町村職員に対する測量講習会
 も開かれた。
  間税課は、間接税を担当した・・その中心は酒税。
  1899年から、酒税が、国税収入の首位を占めるように
 なり、重要性が高まった。
  1899年、自家用酒の醸造が全面禁止された。
  密造酒の取り締まりも、間税職員の重要な任務となっ
 た。
.
1896年10月25日、南和鉄道が、葛駅~五条駅間を開通させ、
 また、五条駅~二見駅間を開通させて、高田駅~二見駅
 間を全通させた。
  南和鉄道は、奈良県にあった私鉄。
  後に、1904年12月9日、関西鉄道に買収され・・さらに、
 国有化へ・・
  奈良県の吉野川流域には、大阪鉄道が、当初の広大な
 計画の一部として路線を建設するものとされていた。
  しかし、その実現性は、少なくなって行く推移をした・・
  そのため、地元資本で路線敷設をしようということに
 なった。
  大阪鉄道の高田駅から分岐し、五条駅に至る鉄道敷設
 を申請する。
  1891年、仮免許が下り、
  1893年、免許が下付され・・
  1896年、全線が開通した・・
  五条駅~二見駅間は、吉野川水運、主に、木材運搬の
 ために建設された路線だった。
.
1896年10月、日本郵船が、豪州航路を開設した。
  日本郵船の始まりは、岩崎弥太郎に始まる。
  同郷・土佐の坂本龍馬が率いる海援隊・・その商法に
 思想面で影響を受けた岩崎弥太郎だった・・
  生まれ育った土佐で、海運業を興す決意をした。
  岩崎彌太郎は、藩の汽船を購入し、その資金調達の仕
 事を通して経営方法を学んだ。
  1870年(明治3年)東京・大阪・高知間で、海上物資輸
   送を行う九十九商会(後の三菱商会)が大阪市西区
   で設立された。
    そして、三菱財閥(三菱グループ)の源流企業と
   なって行く・・
  1875年(明治8年)国有会社である日本国郵便蒸気船会
   社の経営が、岩崎弥太郎に任された。
   (三菱商会が郵便汽船三菱会社へ改称される)
  1875年、郵便汽船三菱会社は、en:Pacific Mail Steamship
    Company と契約をし・・
    政府の援助や吉岡銅山の利益を元に、洋銀78万ド
   ルを支払って部分的な事業譲渡を受けた。
  1885年(明治18年)政府の仲介で、郵便汽船三菱会社
   と三井系国策会社である共同運輸会社は合併し、日
   本郵船会社が設立された。
  1896年、驚愕的な航路の開設をする・・
   欧州・米国、豪州に一挙に定期航路を開設した・・
   世界の海運界を驚愕させた。
    それまで、日本の定期航路は、遠洋といえどもイ
   ンド洋までだったが、それが、太平洋を制覇して、
   インド洋、地中海を経て、大西洋に至るという大事
   件だった。
  そして、今・現在、国内・海外を合わせて350以上の都
 市の港へ、755隻の船を運行させ乗り入れている・・世界
 最大手の海運会社のひとつとなっている。
  因みに、ユダヤの方々を、ナチスから救ったのは日本
 郵船だった。
  日本経由で、パレスチナや北米へ向かう難民たちの救
 出に協力した。
  ユダヤ人難民のリーダー、ゾフラ・バルハフティック
 は、その著書『REFUGEE AND SURVIVOR』の一章、NYK PROJECT
 に、当時の模様を克明に記している。
.
  (今日の言葉)
.
  題:韓国の方々が、自国の文在寅(ムン・ジェイン)政権の行動を批判し始めた。
    自国の政権がしていることを「おかしい」「嘘だ」と言い出した・・「虚飾されている」と言い出した。
    李氏朝鮮の時代も「嘘をついて、国が滅びて行った」が、今もその様なことをしている・・と言い出した。
    今、韓国・朝鮮の良識ある知識層が声を上げ始めた・・
.
1523年、「モルッカ諸島記」という世界一周記が発刊され
 た。
  1521年、マゼランは、世界一周を果たせず、フィリピ
 ンで戦死していた。
  (マゼランが、世界一周をしたというのは間違い)
  世界一周を目指した船は5隻だったが、スペインに帰着
 できたのは「たったの1隻だった」。
  そして、この本は、やっと帰り着いた船員から聞き書
 きしたものだった。
  船員たちは言う・・
  「世界を一周して来たが、全地域にわたって、その様
 な怪物、また、怪物然とした人間には一度も出会ったり、
 見たりしたことは無かった」・・と・・
  また、「その様な怪物が存在していることも、また、
 かつて存在していたという事も、聞いたことは無かった」・・
 と・・
  「それらの怪物についてのことは、偽りと言わざるを
 得ない」・・と・・
  キリスト教に洗脳されて作られた「怪物妄想」は、こ
 の様に強く人々を洗脳し、人々をマインド・コントロー
 ルしていた。
  怪物が居るのではと怯(おび)え、好戦的になりやす
 いマインド・コントロールが、キリスト教ヨーロッパ人
 を防御的にし、また、好戦的にしていた。
  この様な航海者が実見した証言があっても、このキリ
 スト教が洗脳したマインド・コントロールは、人々から
 なかなか抜けなかった。
  「どこかに怪物は居るはずだ」と思い続けさせた。
  このキリスト教の洗脳のマインド・コントロールから
 抜け出すことが出来るのは、18世紀にならなければなら
 なかった。
  ヨーロッパの図鑑などの書籍類から、怪物が消えたの
 は18世紀だった。
  アメリカ大陸で、インディオに出合ったスペイン人と
 キリスト教聖職者たちは、バチカンのローマ法王(教皇)
 に問い合わせると、「人間ではない」という返事に、こ
 の返事を契機にして大虐殺が長期間に渡って行われた。
.
1614年、徳川幕府が、キリスト教宣教師の追放令を出した。
  キリスト教は、ひたすらこのことを言いたてる・・そ
 して、弾圧されたと言う。
  これは、キリスト教が良くする言い方で、すでに、キ
 リスト教宣教師の追放令は、豊臣秀吉が、遠い以前に、
 既に、出していて・・
  その時、その令に従ったキリスト教宣教師は、長崎か
 ら船で出国していて・・何も問題は起こらなかった。
  秀吉は、弾圧も何もしていない。
  令に従えば、何も問題は無かった。
  しかし、キリスト教宣教師で、この令に従わない「法
 律違反者」がいた。
  その為、徳川幕府が、また、キリスト教宣教師の追放
 令を出さざるを得なかった。
  当初、キリスト教という異教に対し、日本の文化は、
 柔軟で、優しかった。
  日本人の優しさから来ていた。
  穏便に温厚に他宗教を受け入れていた。
  これは、キリスト教の様に、民族が混在する風土で育
 った宗教とはちがう・・「他民族や、異教徒は殺せ」の
 キリストの教えるところとは、まったく違う日本の風土
 だった。
  織田信長は、優遇さえした。
  そして、豊臣秀吉も、最初は、信長と同様に、倣(な
 ら)っていた。
  しかし、キリスト教宣教師の「陰の使命」が分かって
 来た。
  「日本を植民地にする」という密命を帯びたキリスト
 教宣教師の「その密命」を豊臣秀吉は知った。
  長崎などが要塞化されつつあった。
  また、キリスト教は、日本の若い女性をヨーロッパな
 どへ売る人身売買を行なっていた。
  キリスト教会がその拠点となってその南蛮貿易を実施
 していた。
  豊臣秀吉は、臣下にそのことを調べさせた。
  その結果、「間違いない事実」と判明した。
  キリスト教教会は、その元締めさえしていて、キリス
 ト教が、この様な背景を持つ組織であった・・
  このことを、まったくキリスト教は説明もしない。
  ただただ「弾圧された」「弾圧された」と、この事だ
 けを、日本だけでなく世界へ言いつのった。
  キリスト教に偏するNHKも、学校放送で、感受性の
 鋭い世代を狙って(高校講座で)キリスト教に同調した
 言い方で、日本を貶(おとし)める教育放送をし続けて
 いる。
  そして、今・現代・・新たな宗教弾圧を「キリスト教」
 がやっている。
  まったく別の宗教となってしまった「隠れキリシタン」
 と言われた方々が、今・現代、まったくキリスト教とは
 違った宗教形態となっている・・
  日本の宗教の神道や仏教の宗教形態になっているが・・
  これを無理に元に戻そうという「強引な宗教弾圧的な
 行為」をキリスト教はやっている。
  「自分たちのやっている」キリスト教の様に戻したい
 と、強引に介入して行っている。
  「潜伏キリシタン」という新たな言葉も使ってマイン
 ド・コントロールしている。
  「隠れキリシタン」とはキリスト教会に復帰しない者
 たちの事だとレッテルを貼っている。
  また、一人のおばあさんが、新たに出来たキリスト教
 会に来て、「マリア様の像が見たい」と言ったことを、
 「隠れキリシタンの発見だ」と言った。
  裏付けもあると大袈裟に宣伝した。
  江戸時代の事を、昭和15年になってその裏付けを取っ
 たと言う。
  裏付けを取った・・確かめた・・と言ったって、100年
 近くも後になって確かめたということ・・
  キリスト教を信仰する者を研究者として、「この事が
 (裏付けが)調べられた」と言っている。
  キリスト教の人たちの働きかけで、半分の人がキリス
 ト教になったという。
  宗教の勧誘は自由だが、隠れキリシタンが居たという
 この地域に、特に、だから、重点的に執拗な勧誘が行な
 われている。
  まったく違って、変わってしまった宗教になった方々
 へ・・キリスト教とまったく違った儀式をしている人た
 ちへ、神道の社・やしろを建てて神道的な儀式をしてい
 る方々の所へ、キリスト教は介入している。
  キリスト教聖職者が、キリスト教の原色の派手な聖職
 者服を着て、参列し、自分たちのキリスト教の儀式を行
 なって、介入している。
  隠れキリシタンの方々が、長い年月の中で培(つちか)
 ったキリスト教とまったく違った形となった宗教儀式を
 元に戻したいとしてやっている・・介入している。
  この方々の宗教を尊重していない・・新たな弾圧行為
 となっている。
  この様な行為をしてまでして「作り上げた状況」を、
 現状を・・「隠れキリシタンの現状は世界でもまれな例
 である」「世界史上、特異である」と作り上げられた現
 状が世界遺産として評価されてしまって、世界遺産とな
 った。
  今までの歴史の中で、神道や仏教に戻った方々の宗教
 形態が、その信仰が、まったく無視された。
  仏教が大切にしている先祖からの伝承や信仰形態を大
 切にしている方々の行為を無視した・・立場がまったく
 無い状態にされている。
  半分の方々は、「キリスト教に戻らず」に、その自分
 たちの信仰を保っている・・そして、これまで変えたい
 とキリスト教は強引に介入している。
     ・
     ・
1913年、ガンビアのアフリカゾウが、絶滅した。
  気象変動などによる干ばつ、そして、民族紛争、象牙
 目的の乱獲などによって生息数は減少した。
  象牙価格が高騰していることや、内乱や民族紛争によ
 って、より殺傷力のある自動小銃や機関銃などの火器が、
 密猟者に渡ったことによって・・
  幼獣も含めて「群れ単位の虐殺」が行われることなど、
 密猟者の手口が悪質化している問題がある。
  ガンビアでは、1913年に絶滅し・・
  また、ブルンジでは、1970年代に絶滅し・・
  モーリタニアでは、1980年代に絶滅し・・
  スワジランドでは、1920年代に絶滅した。
  しかし、スワジランドの場合は、1980年代から1990年
 代に再導入された。
  一部の地域では、減少傾向にあるが、地域によるもの
 の1960年~1980年代に底を打ち、生息数は漸増傾向にあ
 ると推定された・・
  2000年代には、大半を占めるアフリカ大陸東部個体群
 や南部個体群では、生息数は年あたり4%の上昇率で増加
 しているという報告例もある。
  今までの生息数の経緯は・・
  1970年代における生息数は、270万頭、
  1980年の生息数は、100万頭、
  1988年の生息数は、62万頭と推定されている。
  1995年における生息数は、約28万頭が確認されている。
  最近の過去は、10年で11万1000頭が減少し・・
  今、約41万5000頭となっている。
  地面に着くほどの大きな牙を持つ巨象は、世界で25頭
 前後に減ってしまった。
  象牙の密漁で殺されている。
  ケニアの国立公園の「サタオ2世」が殺されていたこと
 が、最近、確認された。
  毒矢で殺されていた。
  重さ50㎏~52㎏の2本の巨大な牙は、切り取られずに残
 されていた。
  密猟者2人が逮捕された。
  サタオ2世は、2014年に密猟者に殺された巨像「サタオ」
 にちなんで名づけられていた。
.
1945年、若泉敬・京都産業大学教授(佐藤栄作首相の政治を
 助けた業績がある方)は・・
  中学生の頃、アメリカ軍による空襲によって、大量無
 差別虐殺された日本の婦女子の焼けただれた死体が、ご
 ろごろ転がる道を歩きながら、背筋がぞくぞくするよう
 な恐怖感、嘔吐感、虚脱感、絶望感を感じたと言われた。
  その少年時代の体験から、佐藤栄作首相の政治を助け
 ていた時・・
  「原爆を落とされるような、あんなひどいことをされ
 たから、二度とアメリカに逆らってはいけない」と思っ
 たという。
  昭和5年生まれの先生と同じ年齢の方は言う・・
  「焼夷弾は非常に酷(むご)い。
  火の中を逃げ回って、結局、焼かれて死ぬのだから・・」
 ・・と・・
  国際法違反の一般人・民間人の殺戮を狙ったアメリカ
 の都市への無差別爆撃・・じゅうたん爆撃・・
.
2008年11月、エジプトのサッカラでシェシェティ女王のピ
 ラミッドが発見された。
  これは、エジプト国内での118基目のピラミッド。
  (参考)サッカラ:古代エジプトの首都だったメンフ
     ィスのネクロポリス(巨大な墓地、または、埋
     葬場所)で、多数のピラミッドがある。
  古代エジプトのピラミッドは、巨石を四角錐状に積み
 上げて、中に通路や部屋を配置した。
  建造物として、王が、天に昇る階段としての役割・・
  そして、ピラミッドの斜めの外形は、太陽光を模した
 ものとも言われている。
  ピラミッドは、単体で完成したものではなく、付随す
 る葬祭殿などとの複合体として捉えるべきもの。
  大ピラミッドなど、本体には基本的に北面に入り口が
 ある・・
  そして、玄室(げんしつ、棺を納める室)に至る道や、
 「重力分散の間」と呼ばれる未解明の機構がある。
  ヘロドトスが、「歴史」に記述した「奴隷が強制労働
 で築いた王墓」は間違いである。
  古代ギリシャの歴史家のヘロドトスが、自分の国家の
 状況からその様に想像したのだろうが・・
  1990年代に入ってから、ギザの大ピラミッド付近でピ
 ラミッド建造に関わったとされる人々の住居跡や墓が見
 つかった・・そして・・
  ピラミッド建設に関わった道具や手術跡など、高度な
 外科治療が施された人骨が発見された。
  更に、女性や子供達の骨も数多く発見され、家族で暮
 らして、ピラミッド建設に従事していたと推測された。
  このような事実から、定住して、ピラミッド建設に携
 わっていて・・
  虐げられていた奴隷ではなく、専属の労働者が居たと
 考えられた。
  また、ピラミッド建設に必要な高い建築技術は、専門
 の技術者でなければ従事できない。
  建設に関する労働者のチーム編成や作業記録が、文字
 で残っていることから、専門的な知識を持った技術者が
 居たことも推測された。
  また、住居跡があることから、技術者は、年間を通し
 てピラミッド建設現場に居住していたと考えられた。
  ナイル川が、上流のサバナ気候の影響で氾濫し、農業
 ができない間、農民が労働力として使われていた救済土
 木事業という説もある(一般労働者)
  ナイル川の洪水に立ち向かい、その洪水のサイクル性
 から暦を発達させ、洪水の時は、ピラミッド建設をした。
  そして、近年の研究で、このピラミッド建設が、失業
 対策と分かった。
  洪水期の畑仕事が出来ない民のために、ピラミッド建
 設をさせていた(奴隷による建設ではない)
  メソポタミア文明の場合、チグリス・ユーフラテス川
 の洪水で、キリスト教の祖先アブラハムは、この洪水の
 地・ウルを逃げ出した。
  そして、蜜と乳の流れるカナンの地を目指した。
  一方(エジプト)は、留まって洪水に立ち向かい、一
 方(メソポタミア)は理想の地を探し求めて、その地を
 捨てる・・この違いは何から来るのか・・
.
2018年11月、韓国の方々が、自国の文在寅(ムン・ジェイ
 ン)政権などの行動を批判し始めた。
  自国の政権がしていることを「おかしい」「嘘だ」と
 言い出した・・「虚飾されている」と言い出した。
  李氏朝鮮の時代も「嘘をついて国が滅びて行った」が、
 今もその様なことをしている・・と言い出した。
  今、韓国・朝鮮の良識ある知識層が声を上げ始めた・・
  韓国のロビー活動で「間違ったことを信じている国連、
 誤解をしている国連の担当者の人たち」にも、この話を
 聞いて貰いたい・・
  (関連事項)アメリカ軍が、第二次世界大戦後、日本
     に進駐して来た時、横須賀地区だけで、また、
     進駐の4か月の短期間だけで、アメリカ軍人にレ
     イプされた日本女性への性犯罪が数百件にもな
     った・・アメリカの謝罪は無い・・
  https://www.youtube.com/watch?v=WCxIQCBdj34
   李栄薫氏(李承晩学堂の校長)の話
          (参考・・日本語翻訳:林寿泉氏)
  李承晩TVの視聴者の皆さま、こんにちは・・
  「日本軍慰安婦問題の真実」の第4回目です。
  李承晩TVは、「事実」と「自由」という価値と精神
 に基づいて我が国(韓国・朝鮮)の歴史を省察する番組
 です。
  毎日、展開される現実のニュースを報道するとか、そ
 れについて論評することには、距離をおくことにしてい
 ます。
  今までの8ヶ月間、その原則を守って来ました。
  しかし、今日は、多少、時事的な問題を扱わざるを得
 なくなりました。
  何日か前に、正に、このシリーズの主題である日本軍
 慰安婦問題に関して、見過ごす事の出来ない二つの事件
 が言論報道されたからです。
  一つは、文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が、アメリ
 カを訪問する途中、あるメディアにインタービューをさ
 れたときに話したことです。
  「日本の昭和天皇は戦犯である。その戦犯の子供であ
 る現在の天皇か総理大臣が、慰安婦の手を握り、心から
 謝れば慰安婦問題は簡単に解決する。しかし、そうしな
 いから遺憾である」という趣旨の発言でした。
  この発言に対して、日本の政界と国民が激怒していま
 す。
  日本の外務大臣は、異例的に、非常に無礼な発言だと
 憤慨し、謝罪を要求しています。
  私も、文喜相(ムン・ヒサン)国会議長の発言は、誤
 ったものだと思います。
  国会議長と言えば、一国を代表する、序列2位の公人で
 あります。
  この様な公人が、無頼漢レベルの軽薄で浅薄な発言を
 したと思います。
  韓国のマスコミは、沈黙する事で、文喜相氏を擁護し
 ているようですが・・
  私は、彼の大韓民国の国家品格を顕著に損なった責任
 は、逃れる事のできないものだと思います。
  文喜相氏は、国会議長を辞退し、政界を引退すべきで
 す。
  もしそれが出来なくて、そして、いやならば、自分の
 主張が正しいという主張の下で、日本を相手に論争をし
 て下さい。
  論争をするのであれば、次のいくつかの事項を念頭に
 おいて頂きたい。
  まず、第二次世界大戦で、日本と戦争をしたアメリカ、
 イギリス、オーストラリアを始め連合国44ヶ国は、戦争
 後、日本天皇を戦犯としたことはありません。
  その44ヶ国に、韓国は、参加できませんでした。
  参加することを希望しましたが、拒絶されました。
  1951年のサンフランシスコ平和条約は、韓国を、旧日
 本帝国と(一体だった状態)から分離、解放された地域
 と規定しました。
  旧日本帝国に併合されていた歴史的事実があり、その
 根源、権利の源泉については、事実が、確認されました。
  つまり、客観的に韓国人は、日本に対して戦争の責任
 を追求する立場にいません(日本と一体になって行動し
 ていた状況にあった国)
  文喜相氏は、何を根拠に日本天皇を戦犯として規定す
 るのか、その根拠を示してほしいです。
  日本の肩をもつために言っているのではありません。
  私は、韓国人であると同時に、世界人です。
  そういう観点から、歴史的事実を冷静、かつ、客観的
 に話しているだけです。
  周知の様に、日本の天皇は、日本国家の象徴的な存在
 であります。
  政治には介入しません。
  謝罪をするとか、しないとか的な立場にいません。
  そうでありながら、日本人からは尊敬され、愛される
 日本の象徴であります。
  日本は、我が国の友邦です。軍事的にもそうです。
  また、韓国の経済は、日本の経済と深く繋がっていま
 す。
  韓国の10大輸出産業において、100ドル分を輸出するた
 めには、20ドル分の日本の高級部品、素材、装置を輸入
 しなければなりません。
  そうしなければ、韓国の輸出産業は、韓国経済の再生
 産は、麻痺します。
  そのため、日本は、我が国にとって非常に大切な友邦
 であります。
  隣家や同じ町内の目上の人を誹謗しないのと同じよう
 に、隣国のそういう歴史と文化は、尊重しなければなら
 ないものです。
  このようなことを分からない筈のない、政界の重鎮が
 軍事的に、経済的に非常に大切な隣国を冒涜しました。
  そのため、私は、彼は謝罪し、それから、犯した誤り
 が大きいため、もうお歳でもありますし、政界を引退す
 るのが当然だと思います。
  また、もうひとつ、彼が念頭に置かなければならない
 ことは、日本を代表する内閣総理や関係大臣が慰安婦問
 題に対して謝罪をしたのは、一、二回ではないというこ
 とです(大局的見地から謝罪した行為)
  彼(文喜相氏)が知らないかも知れないという老婆心
 から一つの事例だけご紹介します。
  ご覧になっている画面は、2001年、当時の小泉総理が
 生存していた元韓国人慰安婦、一人一人に送った謝罪の
 手紙です。
  単に、送っただけではありません。
  日本の官吏が、直接一人一人を訪ね、深くお辞儀をし、
 手紙を朗読してから渡す、丁重な格式ばったものでした。
  ただの謝罪ではなく、品格のある贖罪または陳謝でし
 た。
  英語でapologize(謝罪)ではなく、atone(償い)で
 あると言いました。
  非常に品格のある、贖罪と陳謝の儀礼に従ったもので
 ありました。
  内容を読んでみてもそうです。
  長くないので、翻訳文をお読みします。
  政府と国民が協力して進めている「女性のためのアジ
 ア平和国民基金」を通じ、元従軍慰安婦の方々への我が
 国の国民的な償いが行なわれるに際し、私の気持ちを表
 明させていただきます。
  いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、
 多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題でございま
 した。
  私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆる
 従軍慰安婦として数多くの苦痛を経験され、心身にわた
 り癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心から
 おわびと反省の気持ちを申し上げます。
  我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げる
 わけにはまいりません。
  我が国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわび
 と反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しく
 これを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性
 の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでい
 かなければならないと考えております。
  末筆ながら、皆様方のこれからの人生が安らかなもの
 となりますよう、こころからお祈りしております。
  日本国内閣総理大臣 小泉純一郎」
  私は、この手紙を読んで、日本国の立場で、できる限
 りの最善の謝罪を、品格のある陳謝をしたと思います。
  単純に政府だけでなく、手紙の中で表現されている様
 に、国民的、国家的な陳謝をしたのであります。
  陳謝の手紙が朗読されたとき、少なくない慰安婦達が
 泣きました。
  そして、その謝罪を受け入れました。
  私が会った、ある慰安婦は、その手紙を大切に保管し
 ていました。
  しかし、謝罪を受け入れない慰安婦がいました。
  慰安婦運動団体は、返って日本の謝罪を非難しました。
  私は、それを大きい間違いだと思います。
  そのことにより、それから18年間、韓日両国の関係が
 大きくねじられました。
  その経済的損失は、図りしれないものです。
  何人もの運動家達が、アマチュア的な運動家達が、歴
 史家達が、国家の大計を台無しにしたと私は思います。
  私は、その点を申し上げるためにこの講義をやってい
 ます・・これから徐々に、順番になれば詳しくご説明し
 ます。
  私が、今、文喜相氏に思い出してもらいたい点は、小
 泉総理の陳謝の手紙を含めて、日本政府の国民的謝罪が、
 それ以降にも、何回もあったということです。
  総理が、韓国に来て、手を握ってこそ謝罪になります
 か?
  お辞儀をすれば、その品格のある陳謝では謝罪になり
 ませんか?
  あなた方の行動は、何の論理かわかりません。
  ここで、文喜相氏を含めて慰安婦運動団体、ひいては、
 全ての韓国人に投げたい質問があります。
  彼ら、いや、我ら皆は、はたして謝罪を受け入れる心
 の態勢ができているのでしょうか?
  日本の総理が、韓国に来て慰安婦の手を握り、謝罪し
 たとしましょう。
  それで終わるのでしょうか?
  慰安婦問題が起きてからの28年間の歴史を見ると、そ
 うでないと、私は、断言できます。
  我々の皆、(韓国は)もっと正直になりましょう。
  解決を拒否するために、紛争を持続させるために、問
 題を続けて提起しているのではないでしょうか?
  私は、文喜相氏が紛争を増幅させる意図で、その様な
 発言をしたと思っても過言ではない程、この問題を巡っ
 て、今までの28年間に渡り、韓国の政府、運動団体、国
 民の皆が見せた態度は「正直ではなかったと思います」。
  別の最近のニュースに関して言及すべき問題は、御覧
 の写真に関するものです。
  この写真は、日本軍慰安婦と関連して、今までの20余
 年間、最も広く知られている写真であります。
  各級の歴史書に、教科書に、必ずと言って良いほど載
 せられてきたものです。
  最近、ソウル大学校のジョン・ジンソン教授のチーム
 が、写真の所有者を探して、写真の原本を購入したそう
 です。
  そのことを、多くの新聞と放送が大きく報道しながら、
 韓国人の涙と激怒を誘う記事を書きました。
  例えば、世界日報は、「目を閉じた臨月の被害者、彼
 女たちの勇気を記憶しながら」と書きました。
  私は、その勇気がいったい何なのか、理解できません。
  写真の中での妊娠している女性は、平壌(ピョンヤン)
 の南浦(ナンポ)出身ですが、中国の南京と、ビルマで
 慰安婦生活をした後、1944年9月、中国の祟山(すうざん)
 で捕虜となった後で撮った写真だそうです(捕虜として
 の写真)
  とにかく、私は、今までスキャンしてきた史料写真の
 代わりに原本を手に入れたのが、どうしてそんなに大き
 いニュースになるのか、よく理解できません。
  その問題はおいておくにしても、私は、それに対する
 言論(マスコミ)の報道姿勢について言いたいことがあ
 ります。
  私が、ジョン・ジンソン教授のチームと言論(マスコ
 ミ)に聞きたいことは、次の様なものです。
  このような妊娠と臨月と流産の被害を被った女性が、
 全日本軍慰安婦の中で、どの程度いたのかという問題で
 す。
  私は、この問題と関連して、まず、以前の講義で紹介
 しました1950年代~1960年代の韓国人相手の慰安婦と、
 米軍相手の慰安婦の妊娠、出産、流産について申し上げ
 たいと思います。
  そうすることにより、私の質問の意図が自ずと鮮明に
 浮き彫りになるからであります。
  以前ご紹介しました、1964年に、パク・デグン氏が、
 郡山(クンサン)市の保健所に登録された慰安婦達の実
 態を調査したその論文は、慰安婦達の妊娠、出産、流産
 の回数まで調べました。
  そのことについては、以前の講義では、敢(あ)えて
 紹介しませんでしたが、今、紹介する必要性が生じまし
 た。
  韓国人相手の慰安婦の188人の中では、33人が出産をし
 ました。
  米軍慰安婦の132人の中では、69人が出産を経験しまし
 た。
  米軍慰安婦の半分近くが出産を経験したのです。
  その出産経験というのは、間違いなく米軍兵との関係
 による出産なのか、あるいは、慰安婦になる前の婚姻関
 係による出産なのかが、明らかなものではありません。
  とにかく相当数の女性たちが、米軍と関係を持って子
 供を出産したのは事実です。
  出産問題については、ここまでにしておきます。
  次は、流産問題について申し上げます。
  先の写真での女性が流産したという事からです。
  ご覧の表は、どれほど多くの女性たちが、郡山地区の
 慰安婦達が、流産を経験したのかを示しています。
  韓国人相手の慰安婦188人中37人が流産を経験しました
 が、自然流産6人、人工流産が31人です。
  米軍慰安婦132人中、流産を経験した人は89人ですが、
 21人が自然流産、68人が人工流産でした。
  人工流産の回数を見ますと、1回から20回まであります。
  5回以上が18人もいます。
  10回、20回、その様な遺産の回数を私には想像し難い
 のです。
  鋭い刃が、女性たちの体を数回かき乱したのです。
  これが、1964年当時の軍周辺の基地村で行われた反女
 性、反人権の実態でした。
  米軍慰安婦の半分近くが出産を経験したと申し上げま
 したが、その結果、全国的に数多くの混血児が生まれた
 のは、我々韓国人が、皆がよく知っている事です。
  ご覧の表は、1955年~1969年までの各年度の混血児の
 総人数です。
  混血児の総人数に続き、その隣に混血児で外国に、主
 に、アメリカに、養子として送られた子供の数を示して
 います。
  その子供たちが、白人系か黒人系か、その他の第3系か
 が共に示されています。
  この数値は少し曖昧です。
  混血児の総人数が、養子を送ってから残った数なのか、
 養子を含めての数なのかが、時期によって曖昧(あいま
 い)です。
  とにかく、1969年まで、1955年から12年間9058人の混
 血児が、主に、アメリカに養子として送られました。
  その後でも、1969年のその年に、国内には1393人の混
 血児が居ました。
  混血児は、1955年以来、毎年600人~700人ずつ生まれ、
 その傾向は、1960年代の中後半に入り、返って増えたの
 ではないかという気がします。
  どうして、この様な事が起きたのでしょうか?
  先ず、米軍が、兵士たちの性慰安行為を管理しなかっ
 たからです。
  つまり、兵士たちが、慰安婦と性交渉をする時は、必
 ず、コンドームを着用するように強制しなかったのです。
  韓国人相手の慰安婦に比べて、米軍慰安婦の流産回数
 が、先ほどお見せしましたように、はるかに多いです。
  その事は、米軍の兵士たちが、女性たちの妊娠と性病
 の危険性に鈍感で、コンドームを着用しなかったからで
 す。
  それに比べて、今度またご紹介しますが、日本軍では、
 性病統制の目的で、兵士たちにコンドームの着用を義務
 化しました。
  この事から、日本軍慰安婦の妊娠と流産の頻度は、1950
 年代の米軍慰安婦よりはるかに低かった、ということが
 言えます。
  女性たちの立場から考えて、どちらがより有利なもの
 だったでしょうか?
  視聴者の皆さんが、ご自身で判断してみてください。
  2番目は、この様な数多くの女性たちの妊娠と出産、流
 産と、そして、養子問題、この事で言えることは、当時
 の韓国人の人権意識は非常に低かった。
  ほぼ欠如した状態だったということが示されています。
  基地村の包主(ポジュ、楼主、経営者)達は、女性た
 ちに流産を強要しました。
  そこで、数多くの人工流産が行われたのです。
  そこで、数多くのメス裁きが女性達の体をかき回した
 のです。
  韓国社会は、どうだったのでしょうか?
  流産の危険を克服して生まれた子供たちを、韓国社会
 は包容しませんでした・・(受け入れを拒否しました)
  彼らを、皆、海の向こうのアメリカに送ってしまいま
 した。
  1950年代の「保健社会統計年報」では、混血児を後天
 性小児麻痺や先天性心身障害者と同じ障害者と分類して、
 扱っています。
  正常の人間とみなしていなかったのです。
  そのような人権意識の徹底的に欠如した状態が、先程
 お見せしましたような、凄惨なほどの基地村の慰安婦達
 の流産を強要したのです。
  そして、ようやく生まれた子供は、祖国から捨てられ、
 アメリカへ養子として送られました。
  多くの基地村の女性たちが、生きることをあきらめ、
 毒薬を飲み、線路に飛び込んで自殺したのは、こういう、
 妊娠、流産、出産、子供を養子として送られる衝撃が原
 因でした。
  そのため、私は、ご覧の、問題の写真の原本を購入し
 たことを大々的に報道する大学の研究チームと言論(マ
 スコミ)に聞きたいです。
  私たちが良く知っている我々の中の反人権行為、反人
 権犯罪、1950年代~1960年代、基地村で行われた反人権、
 反女性の犯罪、少なくとも女性たちの半分近くが妊娠と
 出産と流産を経験した。
  そういう反人権の実態が、日本軍慰安所でも、そのよ
 うな範囲と頻度で、あったかという質問です。
  そのような歴史の矛盾性、同時代性の問題を、果たし
 て研究者達は、意識しているのか聞きたいのです。
  研究者が、ある史料を発掘し、貴重に引用する時は、
 それがどれほど一般的に自分が分析・追跡する問題を代
 表するかという事を考えなければなりません。
  従って、私は、この大学の研究チームが、写真を公開
 し、大々的に宣伝する前に、日本軍慰安婦の妊娠、出産、
 流産の頻度がどれほどのものだったのかを、まず、示さ
 なければならないと思います。
  その後でこそ、今の写真が史料としての生命を有しま
 す。
  その後でこそ、言論(マスコミ)が、臨月の危険性、
 彼女たちの勇気に感服すると言えると思います。
  これに関連して、私が知っている情報を一つご紹介し
 ます。
  これは、1943年と1944年に、ビルマのラングーンとシ
 ンガポールにあった日本軍慰安所の管理人、日本語で帳
 場と言いますが、帳場で働いていたパク・チグンという
 人の日記です。
  今度、順番になれば、この日記が伝える情報を詳しく
 ご紹介します。
  ラングーンとシンガポールでの約2年間の生活の間、こ
 の人が管理した慰安婦は合わせて30名余りでした。
  その中で、妊娠と出産を経験した女性は、たった一人
 です。
  日記の関連部分は次の通りです。
  「1944年7月、慰安稼業婦、ホ・○○は目下妊娠7ヶ月
 で休業届を提出した」。
  それから2ヶ月後の日記です。
  「1944年9月、本倶楽部の稼業婦、ホ・○○は、妊娠中
 であったが、今晩、中央病院に入院し、23時半に男児を
 出産した」。
  妊娠の出産の比率は、すべての慰安婦の中で、1年6ヶ
 月間、30分の1でした。
  日本軍兵士たちが、軍の統制に従って、サック、すな
 わちコンドームを着用したからです。
  パク・チグンの日記には、他の慰安所に所属した一人
 の慰安婦が、妊娠7ヶ月で自然流産したことも記されてい
 ました。
  全ての日記の中で、約2年間の日記の中で、女性たちの
 妊娠、出産、流産に関することは2件に過ぎません。
  私は、この事を知っているため、先ほどお見せしまし
 たその写真が、果たして、どの程度、日本軍慰安婦の実
 態を一般的に代表するのか、その代表性があるものか、
 という疑心を私は抱くのであります。
  最後に指摘したいことは、言論(マスコミ)が、ひい
 ては我ら韓国人一般が、果たしてそんなに、あの写真を
 見て憤怒するほど自身の歴史に対して「責任が無いか」
 という点です。
  もっと広範囲で、残酷な反人権、反女性の犯罪的行為
 が近い過去に、自分の過去に行われていたことに対して
 は、どうしてそんなに無関心なのでしょうか?(目を背
 けるのでしょうか?)
  私は、日記を紹介した時に「ホ・○○」と読みました。
  日記の本文には、正確な名前が載っています。
  私は、パク・チグンの日記を発掘・発刊するにあたっ
 て、女性たちの名前や韓国の住所をすべて削除しました。
  万が一、生きている本人と彼女たちの子孫が傷つくか
 が心配だったからです。
  しかし、日本軍慰安婦達をどうするつもりなのか、
  運動団体は全てを明かしています。
  実名を、そして、実の顔を公開する様に強要したので
 す。
  これは、女性たちの名誉や身体が持つ尊厳に対しての、
 もう一つの「暴力」ではないでしょうか?
  あの時代の写真は、実は教科書に載せるには相応しく
 ない、極めて暴力的な想像を引き起こします。
  そう想像させることは良いことでしょうか?
  その写真を、その原本が手に入ったと、再び大々的に
 報道し、再び、韓国人を憤怒させ、涙を誘うことは、裏
 返せば、写真の中の女性たちに対する、継続的な暴力で
 はないでしょうか?
  韓国人の心情が、そんなに暴力的だから、そんなに執
 拗に日本政府と国民の謝罪までも拒否し、両国の友好関
 係を、未来の協力関係を進んで破綻させて来たのではな
 いでしょうか?
  言論(マスコミ)の報道を見ながら、私は、そういう
 複雑な思いがしました。
  その複雑な思いを一つずつこれからしっかりと発表し
 て行きたいと思います。
  今日はここまでに致します。
.
2019年、中国は、なんだかんだと相手に「金を渡す」。
  例えば、中国で出版してあげるから本を書きなさいと
 持ちかけ、本を書かせて、出版部数の印税を、まだ、販
 売していないのにその金を渡す事をしている。
  この様な様々な手口で相手を手なずける。
  しかし、この様に書かせた本は、実際に中国で売られ
 るかというと、その様なことはない。
  完全に、金を渡すための方策となっている。
  当然、本の内容は、中国が有利になる様に書かせてい
 る。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
  


2019年09月25日

(増補版)656E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年8月~1896年9月)

題:(増補版)656E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年8月~1896年9月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・
  だからこそ、正しいことを言って正しい関係を作らな
  ければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはなら
  ない・・あくまでも、正しいことを教えてあげねばな
  らない!
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解するこ
  とにつとめなければならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならな
  い・・民主化の達成できない国=中国・・
.
1896年8月、日本郵船が、北米航路を開設した。
  明治維新の直後に、日本を導く国として三菱グループ
 の最初の会社として誕生した・・世界の既得権益を堅持
 しようとする海運会社を相手に闘いを挑んだ日本のリー
 ディングカンパニー。
  度重なる困難に打ち勝ちながら、世界有数の総合物流
 企業として成長して来た。
  開国当初の日本海運は、外国船に太刀打ちできず、イ
 ギリスやアメリカの船会社に日本近海はもとより独占さ
 れ尽くしている状況だった。
  岩崎弥太郎は、藩の廻漕業・九十九商会を継承して、
 1874年、本拠を東京に移した。
  数々の業績で、大久保利通・大隈重信らの信用を得て、
 政府より海運を一任された。
  1875年、政府の命を受け、日本初の外国航路となる横
 浜~上海定期航路を開設した。
  この時、航路を独占していたアメリカのパシフィック
 メール社は、三菱商会(当時の社名)を潰しにかかり、
 9か月におよぶ運賃切り下げを行ない、競争状態に入る。
  結局、日本沿岸より撤退する。
  また、イギリスのP&O社も航路を開設して、対抗し
 て来た。
  政府の支援も得て、結局、この社も半年後に航路を閉
 じた。
  しかし、熾烈な戦いに勝ち、順風満帆の時ばかりでは
 なかった・・1881年、政界の地図が変わり逆風も吹き始
 める・・官民の風当たりが強くなる。
  1882年、半官半民の共同運輸会社が設立された。
  この会社との熾烈を極める競争が始まる・・会社の体
 力は両社とも極めて消耗する・・世論は理解を示さず、
 味方をしなかった・・
  日本海運の危機が生まれた・・消滅の危機・・この危
 機を救ったのが西郷隆盛の弟・西郷従道農商務卿だった。
  1885年、交渉が実を結び、郵便汽船三菱会社と共同運
 輸は合併する・・日本郵船会社の誕生となる。
  だからと言って、順風満帆の船出ではなかった。
  日本の発展はすさまじく、陸路の運搬も急速に発展し、
 その競争もし烈だった・・また、地方船主も生まれてい
 た。
  ここで、日本郵船は海外に活路を見い出した。
  1893年、日本初の遠洋航路であるボンベイ航路を開設。
  日本の輸出産業の花形である紡績産業の発展とともに、
 日本郵船は、欧米の船会社との競争にも打ち勝ち、日本
 の輸出拡大に貢献して行った。
  1894年の日清戦争後、日本政府は、海外航路拡充の法
 律を次々と制定した・・さらに、日本の海運も大きく進
 展して行った・・そこで・・
  1896年、日本郵船は、アメリカ、ヨーロッパ、オース
 トラリアへの三大遠洋定期航路を開設して行く。
  この決断は功を奏した・・この快挙は、日本の国際的
 な名声も高めた・・日本郵船は、世界の船会社としての
 地位を固めた・・そして、海運国日本が築かれて行く・・
  (参照:日本郵船ホームページ)
.
1896年9月1日、東海道線の新橋駅~神戸駅間に、急行列車
 が登場した。
  所要時間は、17時間22分だった。
  尚、急行料金は不要だった。
  この急行列車の開設は、2年前の1894年に、当時、私鉄
 だった山陽鉄道(現在の山陽本線を運営していた)が、
 急行列車を運行し始めたから、その刺激を受けた結果だ
 った。
.
1896年9月5日、「鉄道略則第13条列記物品〔貴重品〕及牛
 馬獣類ヲ旅客列車便ニテ運送スル場合ニ仕払フヘキ増賃
 金割合」を改正した(逓信省告示第167号)
  25マイル(40.2㎞)未満の輸送では、価格100円につき
 10銭、
  25マイル以上50マイル未満は同20銭、
  50マイル以上は同30銭、
  価格100円未満は100円に切上げ計算する。
.
1896年9月7日、大阪市に汽車製造合資会社(後の、汽車製造
 株式会社)が創業した。
  鉄道車両の製造会社で、1972年、川崎重工業に吸収合
 併された。
  日本の鉄道行政の黎明期を牽引した井上勝が・・、
  1893年3月に設立した・・日本初の民間機関車メーカー。
  1899年7月、井上は鉄道庁長官を務めたが、長官を辞す
 るに際して、その機に、長州藩の先輩である井上馨や、
 黒田長成、前田利嗣、毛利五郎らの旧諸侯や、岩崎久弥、
 住友吉左衛門、渋沢栄一、安田善次郎らの実業界の有力
 者らが出資し、1899年7月、大阪市西区川北大字島屋(現:
 此花区島屋)に開業した。
  メーカーとしての出発は、外国製の機関車などの模倣
 から始まり、日本の独自の改善を施して行くという発展
 を果たした・・
  日本人の優秀さが、どのジャンルにおいても、この様
 な抜群の吸収力・応用力から発した。
.
1896年9月9日、平瀬作五郎がイチョウの精子を発見した。
  「花粉管端より躍然精虫の遊動して活発に転々突進す
 る状況を目撃」・・小石川植物園の平瀬作五郎が、世界
 で初めてイチョウの泳ぐ精子を発見した模様を表現した
 言葉だった(1894年説あり)
  平瀬作五郎(1856年~1925年、植物学者)安政3年1月
 7日、越前国(福井市)に生まれる。
  1872年(16歳)福井藩中学校(藩校)に入学、卒業後、
   図画術教授補助に任命される。
  1873年(17歳)東京に出て油絵を学ぶ。
  1875年(19歳)帰郷し、岐阜中学の図画教師となる。
   かたわら「小学用器画法」(1888年)ほか図画教科
   書を著した。
  1888年(32歳)帝国大学理科大学(現:東京大学理学
   部)植物学教室へ画工となる。
  1890年(34歳)技手となる。植物学に興味を抱く。
  1893年(37歳)助手となり、矢田部良吉教授の植物図
   を描く。イチョウの研究を始める。
  1894年(38歳)池野成一郎(この後、東京大学教授と
   なる。ソテツの精子の発見者)の助言で、イチョウ
   の花粉管内に精子を発見した・・
    裸子植物に初めて精子を発見・・受精過程を追跡
   した(イチョウの受胎および胚の発生研究)
  1896年(40歳)イチョウの精子発見を発表した。
   ソテツの発見と共に、これらの発見は、植物分類学・
   細胞学・進化学上の一大事件であった・・
    海外の学者にも称賛された。
   平瀬作五郎は、当時、助教授だった池野成一郎に、
   精子を発見した時、寄生虫だと思って見せた・・そ
   れを見るなり池野は「精子だ」と直感したという。
  1896年9月9日、「花粉管端より躍然精虫の遊動して活
   発に転々突進する状況を目撃」・・となる。
  1896年10月、「いてふノ精虫に就テ」という論文を発
   表する(裸子植物の世界初の精子の発見)・・なお・・
   1894年1月、最初の論文「ぎんなんノ受胎期二就テ」
   を「植物学雑誌」に発表という史料もある。
   そして、1896年に、イチョウの精子を世界初でプレ
   パラート上で確認したの史料もある。
  1897年(41歳)東京大学を退職し、彦根中学へ転出、
   一時、研究も断念する不幸の時期があった。
  1912年(56歳)池野と共に学士院恩賜賞を受ける。
   初めは、平瀬作五郎の授与は予定されていなかった
   と言われている・・が、しかし、池野成一郎が、「
   平瀬が貰わないならば、私も断らせて戴く」と言い、
   二人の同時受賞となったという。
   後半生は、平野は、花園中学校で教鞭をとる。
  1918年(62歳)クロマツの受精に関する報告をする。
  1924年(68歳)肝硬変で花園中学校を退職する。
  1925年1月4日、京都市右京区御室の自宅で永眠された。
  尚、平瀬作五郎の精子発見のイチョウの木は、今でも、
 東京都文京区白山の東京大学理学部付属植物園に保存さ
 れている。
  1956年、その記念のイチョウの木の下に記念碑が建立
   された。
   「精子発見六十週年」と刻まれた。
  1996年9月9日、「イチョウ精子発見百周年記念市民国
   際フォーラム」が、東京大学安田講堂で開催され、
   広瀬作五郎の功績が讃えられた。
.
1896年9月14日、豊州鉄道の伊田駅~添田駅間の建設に際し、
 田川郡大任村、および、同郡伊田村の両地区の500戸の住
 民から、良田の11町余がつぶされて悲境に陥ると、線路
 の迂回要求の請願書が出された。
  (1899年9月16日、川崎駅~添田駅間、および、伊田駅
 ~伊加利駅間の建設出願と同時に、伊田駅~添田駅間の
 線路敷設権の取消願を提出して、翌年3月13日に認可され
 た)
.
1896年9月18日、第2次松方正義内閣が成立した。
  進歩党の大隈重信は、内閣連帯性、言論・集会・出版
 の自由、民間人登用の3条件を提出し、大蔵大臣に就任
 した。
  第6代第2次松方内閣が成立した(~1898年1月12日)
  第1次松方内閣のトキの帝国議会対策での失敗もあり、
 組閣は順調とは言えなかった。
  松方自身が率いる薩摩藩からも反対論が出る状況だった。
  種々の妥協からこの内閣を「松隈内閣(しょうわいな
 いかく)」とも呼ばれる。
  特筆すべきは、政党の本格的な政権参加が実現した。
  また、1897年3月26年に、金本位制の貨幣法が公布され
 た(「大隅財政」「松方財政」は悲願としていた)
 松方内閣第十議会(氷川清話)
.
1896年9月21日、奈良鉄道と連絡運輸を開始した。
  京都と奈良の2つの古都を結ぶ鉄道は、鉄道省(国鉄)
 の運営する奈良線が、1896年に開通していただけで・・、
  そして、蒸気運転でもあって速度は低く、列車本数も、
 1日12往復と少なく、都市間交通としては不便という問題
 点があった。
.
1896年9月25日、明治座で歌舞伎役者の初世・市川左団次一
 座が興行した。
  (参考)初世:しょせい、初代に同じ。
  25日間の全部を売り切った。
  近所のそば屋の印を押した切手(売り切りそば券)を
 袋に入れて、頭取が配った・・大入袋のはじまり
  これが大評判となり、25日間の興業切符の全部が売り
 切りとなった・・
  明治座は、1893年に新築され・・市川左団次(初代)
 は、座元(劇場所有者兼興行総責任者)として近代的な
 劇場経営を行った。
  新作物中心の興行を推進した。
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国の南太平洋への影響力拡大に警戒が必要・・
   また、中国・人民元は、世界の通貨覇権を狙っている。
   アメリカ・ドルへの挑戦をし始めた。
   そして、電磁パルスで、皆が皆、世界中の人々が、公平に死に至ることを、
   習近平や金正恩、そして、文在寅やプーチンへ教えてやれ!
   地下に隠れたって駄目!
.
2世紀末、ローマ帝国内にキリスト教が広まった。
  キリスト教は、2世紀末には、ローマ帝国全土に教線を
 拡大していた。
  ディオクレティアヌス帝の退位(305年)後に起こった
 内戦を収拾して、そして、その後に、単独の皇帝となる
 コンスタンティヌス1世(大帝。在位:副帝:306年~、
 正帝324年~337年)は、当時の東帝リキニウスと共同で、
 313年に、ミラノ勅令を公布し、キリスト教を公認した。
  その後も、キリスト教の影響力は増大を続け、ユリア
 ヌス帝による異教復興などの揺り戻しはあったが・・
  後のテオドシウス1世(在位:379年~395年)の時に、
 国教に定められた・・
  そして、キリスト教の教義どおり、異教が禁止された
 (392年)
  394年には、かつてローマの永続と安定の象徴とされ、
 フォロ・ロマーノにありローマの建国期より火を絶やす
 ことのなかったウェスタ神殿のウェスタの聖なる炎も消
 されるに至った・・異教だから消せ・・と・・
  ローマ時代のキリスト教徒は、特に、「終末」の意識
 が高かった。
  中世は、「イエスが時間を支配し、世界を支配する」
 と考える意識を強く持たされた・・
  そして、キリスト教会は、復活祭表の改定の必要性か
 ら・・「イエス紀元」が、525年に、考案された。
  考案したのは、スキタイ人のキリスト教修道士(デオ
 ニシウス・エクシグウス)だった。
  彼は、「復活祭を、ディオクレティアヌス暦でやって
 いるのは、不信心な迫害者の記憶に結びつけることにな
 り、気に入らないから」と、その理由を書いた。
  それまでは、アレクサンドリアの司祭の復活祭を決め
 る表を使っていた。
  また、ディオクレティアヌスは、キリスト教の迫害を
 していた。
  ちなみに、ギリシャ人は、紀元前776年を紀元とする
 「オリンピック紀元」を使っていた。
  また、「ローマ人は、紀元前753年を起源とする、「ロ
 ーマ建国紀元」を使っていた。
  また、紀元前284年のディオクレテゥヌス帝の即位を紀
 元とする年号は、ローマ帝国内で、広く使用されていた
 が、この「ディオクレテヌス暦」は、ローマ帝国を越え
 て使用を強制できなかった。
  今・現在、キリスト教のイエス生誕に関連する西洋暦
 を使っているが、キリスト教が迫害されて、気に入らな
 かったため、キリスト教修道士が計算し作り出したのだ
 った・・しかし、ちなみに、イエスの生誕日は不明なの
 である。
.
354年11月13日、キリスト教の教父と言われるアウグスティ
 ヌスが生まれた(~430年8月28日)
  彼が有名になるのは、キリスト教がローマ帝国に公認
 され、国教とされた時期と重なるグッド・タイミングも
 あった。
  彼は、後のキリスト教へ多大な影響を与えた。
  衰退しかけたキリスト教を復興し、中世のキリスト教
 が栄える時代へとつなげた。
  ただ、悲しいかな、また、当然のことであるが、彼は、
 現代の様な科学知識が無いため、色々な間違いをし、ま
 た、発言もしている。
  そして、アウグスティヌスの最大の発明品と言われる
 「死んだ後の救済」をキリスト教の教理とした。
  ここに、救済の「神の国が出現する」とした。
  人々は信じ、現世では夢は叶えられない「終末と最後
 の審判の後に実現する『神の国の実現』に救済される」
 とした。
  人々は、その彼の発明品によって、また、キリスト教
 聖職者が説く『殉教』を美しく感じさせられた。
  結果、自分の命を軽く扱い、捨てるという行為が安易
 になされた。
  この様な若者が多く出る状況となった。
  また、幼い子供の頃の絵本「フランダースの犬」も、
 この様なストーリーで、幼児がマインド・コントロール
 される状況となっている。
  神の前で死んで行く主人公を美しく感じさせられ、マ
 インド・コントロールしている・・その様な幼い頃より
 の洗脳する絵本・・
  それが、「永遠の至福なのだ」と洗脳し・・青年期の
 自殺へとつながる。
     ・
     ・
15世紀、ヨーロッパ中世末の15世紀・・悪魔と契約してキ
 リスト教社会の破壊をたくらむ者という「魔女」の概念
 が、「キリスト教会によって作られた」。
  男尊女卑のキリスト教の如く・・女性が悪者にされた。
  そして、最初の大規模な魔女裁判がおこった。
  そしてまた、16世紀後半~17世紀には「魔女熱狂」と
 言われる多くの女性が焚刑(ふんけい、焼き殺す刑罰)
 となる大迫害時代となった。
  その中心は、キリスト教会内にあるキリスト教裁判所
 で行われた・・
  そして、その裁判長は、キリスト教聖職者がなった。
  魔女でも何でもない女性が裁かれ焼かれた。
  目的は、大きくなりたい、権威が欲しいとするキリス
 ト教の資金集めが目的だった・・また当時、権威のあっ
 た助産婦(家庭医でもあった)がターゲットだった(権
 威者の消滅)・・夜、薬草を煎じる姿を魔女としたりし
 た・・また、資産家の女性が狙われた・・
  社会は、燃え盛る「キリスト教の魔女狩り」の社会と
 なった。
  魔女にされた無実の女性は、キリスト教会内にあるキ
 リスト教裁判所で、必死に無実を訴えた。
  それでも、キリスト教聖職者のキリスト教裁判所の裁
 判長は、色々な拷問を続けて無実の女性を痛めつけた。
  助かる者はいないという状態だった・・
  長い陰湿な拷問が続いた。
  キリスト教聖職者の性的ストレス解消もなされるとい
 う軽蔑的行為もなされた。
  最後は、女性方は、皆、魔女とされ焚刑となった。
  燃え盛るキリスト教の魔女狩りの嵐の前に、なすすべ
 もなかった。
  そして、見せしめの「市中引き回し」が行われ、キリ
 スト教聖職者がその先頭を歩いた。
  そして、町の広場で、顔見知りの方々の見守る中で焼
 かれた。
  卑劣なキリスト教の考える、そして、その行為だった。
  燃え盛るキリスト教の迷信宗教の中で、女性は、真実
 を訴えながら焼かれた。
  女性の財産は、キリスト教会に奪われた。
  キリスト教は、これが目的だった。
  キリスト教会は、女性を焼いた薪代(まきだい)まで
 請求した。
  この様に、初めから終わりまで、キリスト教が仕組ん
 でいるこのことが明らかな事柄に対し、最近になって、
 「すべては民間の世俗が行なったこと」と、被害者側に
 ある市民の行為だと、キリスト教は「なすりつける行為」
 を言い始めている・・恥の上塗り・・
.
1816年、キリスト教聖職者のロバート・フィンリーは、黒
  人の方々をアフリカに送還するための「アメリカ植民
 協会」を結成した。
  この真の意味は、奴隷解放ではなく、黒人は、たとえ
 「自由人」であっても、白人社会の中で白人と一緒に生
 活する事は出来ないという白人優越=黒人蔑視の人種的
 偏見に根ざしていた・・古来から、キリスト教はこの考
 え方をした・・アウグスチヌスもアフリカのエチオピア
 の方々を迫害した・・
  また、その政策は、黒人の方々を「隔離」し「追放」
 することだった。
  そして、その3年後の1819年、アフリカのフランス領の
 象牙海岸の隣接地に4万平方キロメートルの地域が、植民・
 棄民のための場所として用意された。
  そして、まもなく、入植が行なわれ、首都は、ジェー
 ムズ・モンロー大統領の名前にちなんで「モンロビア」
 と名付けた。
  現在のリベリア共和国である。
  しかし、入植した人数は、極めて少なかった。
  皮肉なことに、アフリカ最初の独立国となった。
  エイブラハム・リンカーン大統領は、この棄民政策を
 推進した。
  自由黒人の進歩派の方々は、この政策の真意を見抜き
 反対した。
  そして、その戦いの先頭に立った。
  やがて、この自由黒人の奴隷制廃止主義者の方々も加
 わった。
  卑劣なキリスト教聖職者から始まったこの行動・行為
 も、この様な経過を辿(たど)った。
  そして、黒人の方々は、1830年に、アメリカ自由黒人
 協会を結成した。
  黒人の方々による最初の政治結社だった。
  集会運動を通して、アフリカ送還の棄民政策に反対し
 た。
  また、当然、黒人奴隷制度に反対し、逃亡奴隷に手を
 差し伸べ、黒人の方々の市民としての権利(選挙権や教
 育や仕事など)を要求し、平等を要求し、肌の色による
 差別行為に抵抗した。
  アメリカには、このような差別が根強く残った・・今、
 国連がSDGsをしているが、男女平等も大切だが、『
 まず第一に、人権の尊重と平等を掲げよ』・・
.
1911年、日本へ軍事技術を教える事に対しての警戒感が明
 確となった。
  日露戦争で、日本海軍が、あまりにも見事に、ロシア
 海軍を殲滅(せんめつ)したことが、世界に大きく衝撃
 を与えた。
  この事により、これ以降、日本は、海外の諸外国の先
 進国から、特に、海軍関係の知識を教える事に対し、警
 戒されるようになった。
  日本の留学生が、イギリスの海軍兵学校へ行くが、日
 英同盟があっても、1911年の時点であっても、英国海軍
 省からの指示で、「砲術の授業に日本人は入れるな」と
 された。
  また、第一次世界大戦の時点でも、日本とイギリスは、
 一緒になって、ドイツに対して戦った同盟国であったが、
 軍事技術の供与は、大きく制限された。
  アメリカもこの時期、この様な警戒を日本に対してし
 始め、イギリスと同様な動きとなった。
  今・現在の現時点において、中国が、「太平洋を半分
 づつにしよう」と、アメリカに言っているが、この言葉
 に代表される様に、また、習近平の言葉の様に、「世界
 覇権を得る」「2049年に、中国は軍事と経済で世界を制
 する」という目標を掲げる中国には「最大限の警戒を要
 する」。
.
1942年2月15日、シンガポールが陥落した。
  シンガポールの戦いが、1942年2月7日から、イギリス
 の海峡植民地のシンガポールで、日本とイギリスの間で
 行われた・・そして、イギリスのシンガポールは、2月15
 日に陥落した。
  2倍以上の兵力を誇ったイギリス・・そのイギリスとの
 戦い・・また、難攻不落と言われていたシンガポールの
 要塞。
  ここを、10日足らずで攻略した日本・・
  この結果、イギリスは、率いる軍として、歴史上最大
 規模の将兵が降伏し、捕虜となった。
  この時、イギリスのチャーチル首相は言った・・
 「イギリス軍の歴史上最悪の惨事であり、最大の降伏だ」
 と・・
  日本の緒戦(しょせん)の勝利は、東南アジアやイン
 ドの方々に「独立への夢と勇気」を育(はぐく)んだ。
  東南アジアにおける日本軍の目ざましいの進撃は、現
 地のかた々の協力なしには、なし得なかった・・
  協力があってこそなし得た。
  イギリス軍に居たインド軍兵士の中からインド国民軍
 が結成された。
  日本軍と協力して、インドへ向けて進撃を始めた。
  インドネシアやビルマでも、軍隊が作られた・・
  そして、日本軍は指導した。
  マレーシアの独立運動家で、元上院議員のラジャー・
 ダト・ノンチック氏は書いた・・
  「日本軍は、長い間、アジア各国を植民地として支配
 していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てな
 いと諦(あきら)めていたアジアの民族に、驚異の感動
 と自信とを与えてくれた。
  長い間、眠っていた「自分たちの祖国を、自分たちの
 国にしよう」という心を目覚めさせてくれた。
  私たちは、マレー半島を進撃して行く日本軍に、歓呼
 の声を上げました。
  敗れて逃げてゆくイギリス軍を見た時に、今まで感じ
 たことのない興奮を覚えました」・・と・・
  (追伸)アジアの各地から日本軍が撤退した後、これ
     等のアジアの国々は、ほぼ十数年の間に次々と
     自力で独立を達成した。
      日本軍の兵士の中には、現地に残って独立戦
     争に参加する日本兵士も多かった。
      インドネシアでは、その戦士たちは、英雄戦
     士の墓に眠っている。
.
1945年12月1日、サイパンで、最後まで戦い抜いた日本軍が
 山を下りた。
  サイパン島に残ったわずかな日本軍地上部隊は、ゲリ
 ラ化して、遊撃戦に移行していた。
  そして、各個で戦闘を継続した。
  日本のポツダム宣言受諾後も、その事実を知らない陸
 海軍の将兵らは、遊撃戦を継続していた・・
  ・・が、ポツダム宣言受諾の事実を知り順次投降した。
  タッポーチョ山を拠点としていた歩兵第18連隊衛生隊
 の大場栄陸軍大尉以下47名の部隊は、1945年11月27日(
 発令は25日)に、独立混成第9連隊長の天羽馬八陸軍少将
 (陸士第23期卒)の正式の命を受け・・
  1945年12月1日、軍歌(彼らの部隊の隊歌と「歩兵の本
 領」)を歌って戦没者の霊に弔意を示しながら山を降り、
  そして、投降した。
  栄光ある軍事行動に従事していた彼らは、大本営のサ
 イパン放棄を知らず、必ず友軍がサイパンを奪還に来る
 と信じていた。
  大規模な投降としては・・最後のものとなった。
  なお、歩兵第18連隊主力は、1944年5月に、グアムに移
 駐したが、衛生隊ほかは移駐が間に合わず、サイパンの
 戦いに加わることになった。
.
2019年、題名:キリスト教の性悪説では子供は伸びない・・
  また、その性悪説の精神的圧迫は、自殺の危険を招く・・
  テレビの司会者などで、キリスト教の考え方の「性悪
 説が優れている」と、自分のキリスト教信仰を『巧妙に
 伝道している者』が居るが・・
  そして、また、仏教の性善説を貶(おとし)める発言
 を・・自分の立場を利用して行なう者がいる・・
  これは「放送法の違反行為となる」・・公平な報道で
 はない・・
  特に、キリスト教に偏するNHKに、この行為は多い。
  科学的には、「子供は、前向きに性善説的に褒(ほ)
 め、育てる方が良い」と結論されている。
  例えば、子供にキリスト教の様な「性悪説的な精神的
 圧迫」を加えた場合、そこから「トラウマが発生する」。
  その精神的トラウマが、身体的トラウマにもなり・・
  キリスト教の若者に自殺が多いが、常に与えられ続け
 る性悪の圧迫は、蓄積すると爆発する・・怖いのである。
  その内、希望まで無くなってしまう・・
  常に、性悪説的に発想し、思考展開し・・そして、そ
 れらが行動・行為に、反映してくる・・
  そしてまた、その精神的圧迫が身体的に影響してくる。
  性悪説の危機的な状況を察知すると、脳は、ストレス
 ホルモン系と自律神経系とを動員して、それを回避しよ
 うとする・・本能がそうさせる。
  それが、常に、与えられ続けると、逃げ場の無い状態
 となる。
  体や本能が、その対応をとることが出来なくなる。
  その結果、身体は、体内でその警報を、ずっと鳴り続
 けさせる。
  トラウマ状態になって行く。
  危機的状況から本能や体が対応できなく、思うように
 守れなくなると、自分の体の主導権が奪われた状態に陥
 (おちい)る。
  トラウマとなると、自分の体が感じているはずの事を
 正確に感じることが出来なくなる・・想像することが破
 壊される。
  常に、身体は緊張状態となっている。
  自分の感覚から受け取った情報を正確に処理できなく
 なって・・
  自分の内部で起こる感情の変化を自覚することが出来
 なって・・
  緊張しっぱなしの体が悲鳴を上げる・・
  薬物療法で緩和しても、根本的な解決とはならない。
  この様な展開が、恐ろしい結果を生む・・
  マイナスの圧迫、その常時の圧迫の怖さである。
  人間は、性善説的に、前向きに明るく思考展開した方
 が良い・・科学的にも証明されている・・
.
2019年、電磁パルスによる殺傷が起きる。
  広島や長崎の原爆は、地上500メートルで爆発した。
  それによって、超高温で焼かれ蒸発し、殺され、死ん
 だ。
  人間は蒸発して行った。
  石造建物の石に、「ここに人がいたんだな」と思わせ
 る影の黒い痕跡だけを残して、人間は跡形もなく居なく
 なって、蒸発していた。
  母を探しに行ったら、台所に母の指輪だけが落ちてい
 たという話も聞く。
  原爆の超強烈なエネルギーは、その様なエネルギー・・
  広島・長崎は、山に囲まれているから、被害はその山
 に囲まれた地域内だけになった・・
  東京に投下されたら、関東平野は広いから、その広大
 な面積が焼かれ、蒸発させられることになる・・
  それに、今は広島・長崎の時の原爆より、けた違いに
 巨大になっている。
  ここで知っておきたいことは・・爆発高さが広島・長
 崎の時が500メートルだったが、この高さが高くなると
 どうなるか?・・ということである。
  日本は、地上数十キロメートルで爆発されると、日本
 全土が、原爆の熱によっては死なないが、原爆の爆発に
 よって発生する「電磁パルス」によって、結局、死に至
 ることになる。
  (参考)高高度核爆発:
      高高度における核爆発・・
      強力な電磁パルス(EMP)を攻撃手段として利
     用し、広範囲での電力インフラストラクチャー
     や通信、情報機器の機能停止を狙う。
      爆発高度によって分類されるものであり、核
     兵器の種類や爆発規模などは問わない。
      高度数十km以上の高層大気圏における核爆発
     においては、大気が非常に希薄であり、核爆発
     の効果に関して、高度が上がるにつれ爆風は減
     少していく。
      核爆発のエネルギーは電磁放射線が多くを占
     めることとなる。
      核爆発により核分裂後10ps(10~11秒)以内
     に発生したガンマ線(X線)が大気層の高度20km
     ~40km付近の希薄な空気分子に衝突し、電子を
     叩き出し(コンプトン効果)、叩き出された電
     子が地球磁場の磁力線に沿って螺旋状に跳び、
     10nsほどの急峻な立ち上がりで強力な電磁パル
     ス (EMP) を発生させる。
      大気が希薄であることからガンマ線は遠方ま
     で届き、発生した電磁パルスの影響範囲は水平
     距離で100km~1,000km程度にまで達する場合が
     ある。
  電気・水道・ガスをはじめ、金融システムはじめ現代
 社会は、コンピューター・システムによって生きている。
  原爆の高高度のこの炸裂で、この電磁パルスによって、
 やられる。
  人間は死なないだろうが・・社会基盤を失う。
  この失われた社会基盤の普及は、数年を要する。
  結局、人類は生きて行けないで・・死に至る・・
  衛生状態も良好に保てない状況の中で・・死滅する・・
  核弾頭ミサイルを撃墜し、大気圏、再突入できないと
 しても、この位置で炸裂したら、この電磁パルスで、遅
 かれ早かれ、死に至る・・
  日本全土がこの憂き目にあう。
  例えば、この逆、北朝鮮の上空で、この状態と同じこ
 とが起きれば、当然、同じことが起きる。
  北朝鮮上空と言ったが、隣国の中国へも被害が及ぶ。
  北京にも被害が及ぶ。
  即死は無いが、結局は、広い範囲が死に至る。
  大気圏の核爆発というのはその様なもの・・
  核爆発による攻撃のボタンを押した者が、自分たちだ
 けが生き残れると思っているのは・・『妄想だ』。
  皆、一緒に死ぬ羽目に陥(おちい)る・・
  人工衛星も、駄目となる・・近代の機器は壊滅する・・
  電磁パルスで、皆が皆、世界中の人々が、公平に死に
 至ることを、習近平や金正恩や文在寅、そして、プーチ
 ンへ教えてやれ!
  地下に隠れたって駄目!
.
2019年、韓国政府は、慰安婦問題の虚偽がはっきりした現
 在・・その様々な虚偽発言で「傷ついた日本国民」へ
 謝罪せよ!
  韓国政府は、今まで、日本政府へ主張して来た「慰安
 婦」について、それが、虚偽であったことがはっきりし
 た・・その様な今、韓国大統領名で、謝罪文を書き、発
 表すべきだ。
  朝日新聞が、虚偽だと明確に認め、謝罪している様に、
 同じ様に行動すべきである。
  また、この件で、長い間の虚偽行動で、日本国民の心
 が非常に傷ついた、この事に対して、韓国政府は基金を
 設けて、その修復に努めよ!
.
2019年9月24日、中国の南太平洋への影響力拡大に警戒が
 必要という読売新聞の社説が掲載された・・
  以下、その抜粋・・
  経済援助と引き換えに台湾との断交を迫り、影響力を
 拡大する。
  南太平洋での中国の動向には警戒が欠かせない。
  南太平洋の島嶼国、ソロモン諸島とキリバスが相次い
 で台湾と断行し、中国と国交を樹立することを決めた。
  これで、台湾が外交関係を持つ国は、世界で15カ国だ
 けになった。
  中国が、台湾を国際的に孤立させようと、攻勢を強め
 ているのは明らかだ。
  南太平洋はかつて、中国と台湾が熾烈(しれつ)な援
 助外交を展開したが、近年は、中国が経済力を背景に存
 在感を増している。
  オーストラリアの調査機関によると、中国は、2006年
 からの10年間で、南太平洋の国々に17億8000万ドル(約
 1920億円)を援助した。
  今や豪米両国国に次ぐ主要な援助国となった。
  この地域の秩序を主導する米豪に対抗する戦略だろう。
  懸念されるのは、中国の南太平洋への進出によって、
 地域の緊張が高まる事態だ。
  「海洋強国」を国家目標とする中国は、太平洋やイン
 ド洋など遠海へと活動範囲を広げている。
  国際ルールに反した一方的な海洋進出や、相手国の財
 政状況を無視した融資が批判されてきた。
  中国の習近平国家主席は南シナ海について「軍事拠点
 化しない」と約束した。
  にもかかわらず、岩礁を埋め立てた人工島にレーダー
 やミサイルを設置し、「航行の自由」を脅かしている。
  インド洋の島国スリランカは、中国への債務返済が出
 来なくなり、南アジア最大級のハンバントタ港の権益を
 事実上、譲渡した。
  南太平洋で同様の問題が起きないとは言いきれない。
  島嶼国の多くが中国への経済的な依存度を高めている。
  バヌアツでは、中国が港湾整備を進め、軍事利用する
 との見方が出ている。
  南太平洋は、アジアと米大陸をつなぐシーレーン(海
 上交通路)にあたる。
  米軍がアジア太平洋の戦略拠点として基地を置くハワ
 イやグアムに近い。
  日米豪などが共有する「自由で開かれたインド太平洋」
 構想でも大切な地域だ。
  中国が島嶼国を拠点に軍事活動を強化し、地域の安定
 を揺るがす事態を防ぐため、米豪や日本が、南太平洋諸
 国への関与を強めることが求められる。
  経済援助に加え、安全保障協力が重要である。
  米豪は、パプアニューギニア・マヌス島の海軍基地を
 拡充し、周辺での軍事演習も強化している。
  島嶼国の防衛力向上に資する支援を積み重ねたい。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  中国・人民元は、世界の通貨覇権を狙っている。
  アメリカ・ドルへの挑戦をし始めた。
  しかし、実態はただの紙切れの人民元・・
  その裏付けを保証するものは何もない。
  それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応な振る
 舞い。
  何故? こんな大間違いが起きたのか?
  その中国・人民元の振る舞いの初めには、ウォール街
 の行なった間違いがあった。
  ウォール街は、中国を一時的に大いに助け、そして、
 援助し、そして、ウォールは大いに儲けた。
  アメリカの歴代政権も、「それはウィンウィンだ」と
 勘違いして、大いに進めさせた。
  そして、アジア・・
  アジアで大きな経済的影響力を持つ華僑・・
  この華僑と中国を刺戟させて心身を興奮させないよう
 にという政策がとられた・・これに固執し、続けられた。
  しかし、今、この間違いが、とんでもないことになる
 という事態が発生している・・、
  この様な事態は看過できない、見過ごせないと、何と
 かしなければという行動が・・とられ始めた。
  トランプ・アメリカ大統領は、中国・習近平のアキレ
 ス腱を撞く(つく)行動をとり始めた。
  その目標は、当然、「紙きれの中国・人民元に通貨覇
 権を絶対に握らせない」というところにある。
  高関税に始まり、金融戦争が始まる。
  例え、通商が犠牲になっても「国家の安全保障が大切
 だ」という理念がある。
  中国を甘やかせた最大のポイントは、人民元が変動相
 場制が通常なのに、その状態になっていないことにある。
  中国・人民元は変動相場制に移行させるべきだ・・そ
 れが当然だ・・
  (日本は、堂々と、変動相場制に移行した)・・
  この図体ばかりが大きい中国は、変動相場制が恐怖で、
 逃げ回ってばかりいる・・
  アメリカの保護下に居た・・しかし、そのアメリカを、
 身分不相応に食い始めた。
  今、中国は、ドルが枯渇している・・
  外貨準備も激減している・・
  資金が中国から逃げ、ますます、余計に、中国・人民
 元の裏付けが無くなっている・・
  それに、不動産バブルが崩壊し・・空室ばかり・・株
 安も起きるという災禍・わざわいの中国となっている。
  直接投資が激減している・・貿易も、事実上、赤字と
 なっている・・もう中国の時代は終わった・・明らかに
 ASEANへ移行している。
  異常な二桁の軍拡で作られた景気・・そして、人民元
 札の増発で、景気を煽るという嘘が「ばれ始めた」・・
  知的財産権無視で次世代技術を盗取し、軍事などへ転
 用して来た。
  アメリカのトランプ政権は、ファーウェイやZTEを
 阻止し、スパイ摘発をしている・・
  また、企業買収を止めさせ、拠点買収を阻止している。
  もう中国は、変動相場制へ移行させねばならない・・
  そんな最恵国待遇の特待席には、いつまでも置いてお
 けない。
  有頂天でやっている「一帯一路」は、当然、しぼんで
 行く・・
  世界の工場と言われた中国の生産拠点も「存在意義が
 無くなった」・・獅子身中の虫に成り下がった。
  中国の政治形態が変わり、真からの自由な経済社会に
 ならないのなら・・消えゆくのみ・・
  中国が生き残る道は、真からの自由経済社会と民主主
 義国家への道・・
  AIの熾烈な戦いが繰り広げられる戦国時代の後に、
 その様な社会が来る。
  少数の者が牛耳る監視社会が、多くの奴隷的農民層を
 使うという一時代前の形態の中国社会が生き残れるはず
 はない・・
  (追伸)
  NHKは、CCTVへ映像を何十年も前から映像資料
 を渡している。
  例えば、一例として、国会の委員会の審議状況の映像
 のすべてを渡している
  CCTVは中国中央電視台で、中国(中華人民共和国)
 の国営放送のテレビ局。
  国営通信の新華社とともに「メディア」と言うより、
 中国共産党のための宣伝機関とされている。
  これはスパイ行為である。
  


2019年09月18日

(増補版)655E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年8月~1896年8月)

題:(増補版)655E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年8月~1896年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
  にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
  様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
  こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
  される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
.
1896年8月26日、関西鉄道会社が、城河鉄道の免許路線(四
 条畷駅~木津駅間、および、大住駅~八幡駅間)を、自社
 の延長線として建設を申請した。
  1897年1月20日、免許状下付、
  1897年2月26日、城河鉄道会社が解散した。
  発起人の異なる城河鉄道の免許が下り、それを、関西
 鉄道が自社の鉄道として建設した。
  関西鉄道は、設立当初から大阪進出を目指していた。
  そして、城河鉄道を買収し、四条畷駅~木津駅間の建
 設と合わせて名阪を結ぶ路線を手に入れた。
.
1896年8月26日、関西鉄道会社が、浪速鉄道全線を自社の延
 長線とすることを申請した。
  1897年1月20日、認可、
  1897年2月9日、引渡しが完了して、浪速鉄道会社が解
 散した。
.
1896年8月27日、イギリス・ザンジバル戦争
  イギリスの国益獲得の目的の戦争。
  ザンジバル島は、アフリカ東部のインド洋上の島。
  タンザニア沖にある・・マダガスカル島の北方である。
  この島は、1890年からイギリスの保護領であったが、
 1963年にやっと独立できた。
  1896年8月27日、イギリスとザンジバル保護国の間で、
 軍事衝突が発生した。
  この衝突は38分から45分で終了し、史上最短の戦争と
 言われている。
  衝突の原因は、この2日前に亡くなったスルタンの跡継
 ぎ問題だった・・
  ハリド・ビン・バルガシュが後を継いだが、イギリス
 が、別の、イギリスに都合の良い、イギリスの国益が得
 られる者をスルタンにしたいとしたことから衝突が起き
 た。
  イギリスが武力行使を始めた。
  被害数:
  イギリス・・負傷1名
  ザンジバル保護国・・戦死・負傷者500名、グラスゴー
   沈没、ランチ2隻沈没、沿岸砲1門破壊
  ザンジバルの略歴は・・
  10世紀頃から、アフリカ大陸の内陸との交易の基地と
   して繁栄した・・特に、白人が行なう卑劣な奴隷貿
   易の奴隷の積出港であった。
   今でも奴隷市場の跡がある。
   ザンジバルは、ペルシア語で「黒人の海岸」を意味
   する。
  16世紀に、ポルトガル人が侵略しようとしたが、島民
   とペルシャ湾沿岸地域から移住して来たアラブ人に
   よって撃退された。
   その後、アラブ人の影響が強まって・・
  1840年、オマーンのスルタン(君主)であったセイド・
   サイードが、ザンジバルに都を移し、東アフリカ地
   域の貿易を支配した。
  1858年に、ザンジバルのブーサイード朝からの独立を
   宣言・・イギリスが承認していた・・フランスも触
   手を伸ばすという複雑の状況にあった。
  『イギリス・ザンジバル戦争』は、武力差の大きい状
 態の弱小相手を牛耳るという卑劣さで「世界記憶遺産に
 するべきである」。
.
1896年8月30日、北海道鉄道敷設部技術長・田辺朔郎が道内
 鉄道敷設部長に復命した。
  北海道庁長官・原保太郎が、この復命書に基づき、北
 海道における鉄道の第1期・第2期線の区分・工費等を作
 成し、拓殖務大臣に上申し、政府が一部を訂正ののち、
 第10回帝国議会に提出し、協賛を得た。
  田辺朔郎(たなべさくろう)は、土木技術者、琵琶湖
 疎水や日本初の水力発電の建設、関門海底トンネルの提
 言などを行なった日本の近代土木工学の礎を築いた人。
  北海道官設鉄道敷設部長として北海道の幹線鉄道開発
 に着手した。
  狩勝峠の名付け親。
  1861年12月2日、幕臣の田辺孫次郎(忠篤)の長男とし
   て東京市の根津愛染町に生まれた。
   生後、9ヶ月の時、父が病死・・家督を継ぐ。
  1873(12歳)岩倉遣欧使節団の一等書記官として洋行
   していた伯父が帰国し、横浜港へ迎えに行った際に
   外国汽船ゴールデンエイジ号の機関室で蒸気エンジ
   ンを見たことで工学に興味をもち、科学者を志した。
  1875年(14歳)工学寮付属小学校へ転校。
  1877年(16歳)工部大学校(工学寮より改称)に進み
   土木工学を専攻した。
  1883年(22歳)卒業と同時に、京都府の御用掛に採用
   され、弱冠22歳で大工事である琵琶湖疎水の担当と
   なった。
  1890年(29歳)第一疎水完成後、帝国大学工科大学(
   工部大学校より改称)の教授に任命されて帰京。
   同年、榎本武揚の媒酌で北垣の長女静子と結婚。
   北海道庁長官に就任した北垣の要請で、北海道全道
   に1000マイル(約1600km)の幹線鉄道敷設計画の調
   査に着手し、計画・建設に携わる。
.
1896年8月31日、第2次伊藤内閣が総辞職した。
  第5代第2次伊藤博文内閣(~1896年8月31日)
  伊藤博文の単独辞任により黒田清隆が臨時兼任となる
 (1896年8月31日~1896年9月18日)
  この第二次伊藤内閣は波乱含みで、予算と不平等条約
 改正を論題として政争が繰り広げられた。
  冊封体制で朝鮮半島を自由にしていた中国・清に代わ
 りロシアが進出し、ロシアの属国の様な状況となった。
  (1896年2月11日の露館播遷は、ロシアの朝鮮王の軟禁
 行為・・ここでロシアは利権を色々と収奪した)
  朝鮮半島のこの様な状況で、1896年3月28日まで開かれ
 た第9議会では、陸海軍の更なる拡張や増税など大幅に拡
 充した予算案が、少ない削減だけで済んで通過した。
  また、造船奨励法、航海奨励法、民法など重要法案も
 次々と成立した・・が・・
  しかし、1895年8月には、前首相で大蔵大臣の松方正義
 と伊藤が対立し、松方が辞任していた。
  また、1896年5月には、陸奥も外相を辞任していた。
  また、1896年8月には、松方の後を引き受けた渡辺も、
 財政問題の行き詰まりから辞表を提出した。
.
1896年8月31日、陸羽地震が発生した。
  209名の死者出る
  秋田県と岩手県の県境山間部での大地震。
  揺れは広範囲で観測されるが、強い揺れは山間部の極
 狭い範囲に集中した。
  死者209人、負傷者779人、全壊5792軒、半壊3045軒、
 山崩れ9899ヶ所。
  梅ノ湯温泉などで温泉の量と温度に変化が出る。
 (日本被害地震総覧)
.
1896年8月31日、郡司成忠(ぐんじしげただ)らが、再び、
 千島列島の最北の占守島(しゅむしゅとう)に上陸した。
 (1896年9月説あり)
  (参考)郡司成忠:日本海軍軍人、探検家、開拓者。
     1860年12月28日~1924年8月15日、
      開拓事業団「報效義会」を結成し、北千島の
     探検・開発に尽力した。
      小説家の幸田露伴は弟。
  1892年、郡司の千島への夢は堅かった。
  郡司は、海軍大尉を退いて予備役となり、民間人とし
 て千島を目指すことにした。
  横須賀鎮守府で不要になった短艇を払い下げてもらい、
 これで千島へ向かうことにした。
  1893年2月22日、後に「千島拓殖演説」と呼ばれる講演
 を行なった。
  この翌々日には、土方久元宮内大臣から拓殖隊に「報
 效義会」という名が与えられた。
  これらが、新聞などのメディアで報じられると、その
 反響は大きく、1892年、シベリア横断を実行した福島安
 正とともに国民の人気を集めるようになった。
  これらの世論の高まりによって、岩崎弥太郎や黒田清
 隆、谷干城といった面々を始めとして、寄付金は当初の
 予定額を超えるほどに集まり、また、入会希望者も続々
 と増えた。
  そして、東京朝日新聞社の横川勇次(後の横川省三)
 が特派記者として同行することも決まった。
  日本中、注目は郡司に集まりすぎるほど集まっていた。
  そして、1893年3月20日、郡司以下、約80人の報效義会
 員は5隻のボートで千島へ向かった。
  当初、郡司は、航海日数33日、気象などのために航行
 不能の日が33日、それに余裕の10日を加えた計76日もあ
 れば目的地へ到達できると想定していた。
  しかし、実際には、この予定通りにはまったく行かな
 かった。
  1893年5月10日、一行は、全行程の約1/6の地点である
 釜石港付近にいた・・
  ・・が、当初の予定であればこの日には、全行程の約
 2/3の地点に当たる択捉島に着いているはずだった。
  当初の予定から、これほどの遅れを出していた。
  理由は、例年以上の荒天続きで、しかも向かい風であ
 る北風の吹く日が多く・・小さなボートのため接岸航海
 が必至だった。
  また、国民的な人気となっていたため、寄港した各地
 で歓迎会なども開かれた・・これが、時間を浪費した。
  しかし、悪影響のみではなく、気仙沼では、地元の篤
 志家から帆船「鼎浦丸」の寄贈を受けた。
  このような中、1893年5月22日、郡司一行にとって大き
 な事件が起きた。
  この日、八戸の鮫港を出航した郡司たちは、下北郡東
 通村白糠の沖で暴風雨に会ってしまった。
  ボートのうち1隻が遭難し、乗組員の10人が全員死亡し
 てしまった。
  さらに、1893年5月27日、別行程で千島へ向かっていた
 鼎浦丸が暴風雨により、鮫村(現:八戸市)大久喜沖で
 遭難した・・これでも、乗組員9人が全員死亡した。
  その上、1893年5月28日には、郡司が負傷し、八戸病院
 に入院することとなった。
  郡司の自殺未遂説もあるが、詳細は不明・・暴風雨で
 の隊員の死亡が原因か?
  この一連の事件のため、それまでの計画の完全見直し
 が行われた。
  軍艦・磐城に曳航され、当初の予定では占守島に着い
 ているはずの1893年6月5日に、函館へ入港した。
  ここで、白瀬矗らの陸行組と合流する・・、
  地元の富豪・平出喜三郎の好意で、その持船に便乗さ
 せてもらい、1893年6月17日、択捉島の紗那に到着した。
  郡司は、一旦、ここに報效義会の本部を設立すること
 にした。
  1893年7月3日、郡司の実父である幸田成延をはじめと
 した会員の家族も到着した。
  1893年7月20日、硫黄採掘のため捨子古丹島(しゃすこ
 たんとう)に向かうという泰洋丸という帆船が紗那に入
 港した。
  郡司が、便乗を依頼したところ、泰洋丸船主・馬場禎
 四郎の返事は、「捨子古丹島には、硫黄採掘のため20日
 ほど滞在するから、その間に、占守島まで送っても良い、
 ただし、全員は乗せられないので15人程度にしてほしい」
 というものだった。
  こうして、郡司は、自分や白瀬、横川勇次、高橋伝五
 郎など18人の先遣隊を選抜して、泰洋丸に乗り込んだ。
  1893年7月31日、泰洋丸は、捨子古丹島に到着した。
  しかし、ここで、馬場は、占守島への回航を拒否した。
  帰還途中に新知島(しんしるとう)に寄るのはどうか
 という代案を出してきた。
  馬場の推測される理由は・・、
  採掘に手一杯で、泰洋丸を占守島へ回航させる人員が
 確保できないこと・・千島が荒天気に入る時期であるこ
 と・・占守島へ回航させる間に不慮の事故が起きる心配・・
 硫黄を持ち帰れなくなる可能性・・など
  便乗者である郡司は、これに抗議することもできなか
 った。
  新知島のブロウトン湾の岩礁を爆破し、同湾を天然の
 良港に改造しようという計画を建て、その提案を了解し
 た。
  泰洋丸のメンバーが硫黄採掘をしている時に、郡司は、
 白瀬と共に島内一周の探検を実行した。
  郡司は、捨子古丹島での越年は可能と判断した。
  そして、先遣隊18人のうち高橋伝五郎など9人を残留さ
 せることにした。
  しかし、郡司は、占守島を全力で開拓することを目的
 としていた。
  (郡司は、その著書『千島国占守島探険誌』の中でこ
 の選択について「実ニ忍ビザル所アリ」と記している)
  捨子古丹島残留メンバーと別れた後、泰洋丸で新知島
 へ向かっていたが、その途中で、偶然、八戸から函館ま
 で郡司らを運んだ軍艦・磐城と再会した。
  軍艦・磐城は、測量のため、占守島へ向かうところで
 あり、郡司は、便乗させてもらうことを請願したところ、
 これが許可された。
  ただし、捨子古丹島に残留した9人については、任務の
 関係上、捨子古丹島への寄港が無理であり、回収はでき
 なかった。
  そして、1893年8月31日、郡司は、紆余曲折の末に占守
 島へ到着した。
  占守島における郡司らの越冬は、特に問題もなく過ぎ
 た。
  心配されていた脚気に罹る者もおらず、また、サケや
 マスが無尽蔵に獲れたことなどもあって食料にも困らな
 かった。
  春が訪れて島の雪が溶けだした頃には、島を精力的に
 探険する余裕さえあった。
  しかし、他の島における越冬は、郡司らのように順調
 には行っていなかった。
  1894年5月10日、島の周囲の流氷が流れ去ったため、郡
 司たちは、和田の安否を確認しようと艀(はしけ)で幌
 筵島(ほろむしろとう)へと渡った。
  しかし、和田は、小屋の中で死体となっていた。
  残された日記から、和田は、脚気に罹って、4月上旬ご
 ろに衰弱死したことが判明した。
  (参考)脚気:かっけ、ビタミンB1が不足することで
     発症する。
      初期には疲れやすい、食欲不振、倦怠感など
     の症状から始まり、次に、主に神経や心臓に関
     連した症状が現れる可能性がある。
      心拍数が増加することから、動悸や下肢のむ
     くみが生じることがあり、病状が進行すると、
     心不全を発症する。
  そして、1894年6月28日、再び、磐城が占守島に現れた。
  ここで、郡司は、衝撃的な事実を知らされた。
  捨子古丹島で越冬していた9人が、全員死亡・行方不明
 となっているというのだった。
  まず、9人のうち、高橋ら4人は、小屋の中で全員死体
 になっていたという。
  磐城の軍医によれば、死因は明らかに窒息死であり、
 寒気を防ごうと密閉した小屋の中で焚火をしたための一
 酸化炭素中毒であろうとのことだった。
  小屋に残されていた日記には、彼らが脚気に罹って衰
 弱していたことが記されていた。
  また、高橋の死体が、戸口の方に這っていった痕跡が
 あったことから、体の自由がきかず逃げ出すことができ
 なかったと推測された。
  そして、この日記から、残る5人が10月に食料補充のた
 め越渇磨島(えかるまとう)に出漁し、そのまま帰還し
 なかったということも判明した。
  (参考)越渇磨島(えかるまとう)は、1700年(元禄
     13年)、元禄国絵図のため、松前藩が幕府に呈
     上した松前島郷帳に、「ゑかるまし」の名が記
     載されている。
  白瀬は、後に、艀が流されて越渇磨島から帰還できな
 くなり餓死したか、帰航の途中で船が沈んだのだろうと
 推測している。
  磐城が告げたもう一つの衝撃的な事は・・、
  日清間に緊張が走っており、戦争になるかもしれない
 ということだった・・占守島にいた7人は、全員が予備役
 とはいえ軍人であり、戦争となれば召集される可能性が
 あった。
  郡司は、軍人としての使命と、千島の拓殖(たくしょ
 く、未開の地を切り開いて、そこに住みつくこと)とい
 う使命があった。
  磐城艦長の柏原長繁の強い説得もあって、占守島を引
 き揚げることを決意した。
  この時、郡司は、当初、全員を引き揚げさせる予定で
 あった。
  それに対して、択捉島から報效義会員5人を引き連れて
 磐城に便乗していた郡司の実父・幸田成延が・・、
  占守島の拓殖を完全に途切れさせるべきではないとし
 て、連れてきた会員5人と自分が、島に残留すると主張し
 た。
  郡司は、若者であっても生きていくのが厳しい極寒の
 地に老父(この時、60歳前後であったと推測されている)
 を残留させることは到底できなかった。
  また、新たにやってきた5人の会員は、越冬の経験も浅
 く、もし彼らを残留させるのであれば、経験の豊かな人
 間による統率がなければ捨子古丹島の二の舞になるのは
 目に見えていた。
  しかし、成延の「占守島の拓殖維持」という意志は固
 く、最終的に郡司は、白瀬に5人を率いての残留を頼みこ
 むことになる。
  最終的に、白瀬も、郡司の頼みを受け入れた。
  島に残った白瀬らであったが、彼らの越冬は凄惨なも
 のとなった。
  6人中3人は脚気のため死亡し、白瀬を含む生き残った
 3人も愛犬を射殺してその肉を食べ、かろうじて命をつな
 いだ。
  この様な危機に追い込まれた。
  白瀬らは、1895年8月になって、北海道庁長官の命令で
 差し向けられたラッコ猟漁船に救助された。
  この千島から帰還で、報效義会の第一次千島拓殖は終
 わった・・
  そして、第二次千島拓殖へと続く・・
  千島から帰還した郡司は、召集された。
  水雷敷設隊の分隊長などとして、日清戦争に参加した。
  防材破壊に使用する爆薬の不足に悩んでいた鈴木貫太
 郎に爆薬を提供したのが郡司だった。
  (参考)防材:ぼうざい、船舶の運航を遮断するため、
     鉄鎖などでつないで水路に敷設する大きな材木。
      敵の艦船の侵入を防ぐため、河口や港湾の入
     口などに敷設する木材類。
  戦争終結後、郡司は、報效義会の再生を図って来た千
 島の重要性を説く演説などを続けた。
  こうして、1896年の初夏ごろ、会員数57人の第二次報
 效義会を結成した。
  この第二次報效義会は、参加者の中に郡司の妻など女
 性も14人含まれていた。
  探険的要素が強かった前回とは違って、拓殖のみがそ
 の目的だった。
  また、谷干城らの尽力によって、「報效義会保護案」
 が議会で成立した。
  3年間、補助金が政府から出ることも決定した。
  1896年9月、占守島に、再び、渡った第二次報效義会
 は、前準備がしっかりしていたこともあり、今度は着実
 に成果を上げて行った。
  開拓本部に、魚肉の缶詰工場や、鍛(たん、金属をた
 たいて上質なものにする)工場が建設され、幌延島には
 分村が作られた。
  会員も増加して行き、1903年には、占守島の定住者は
 170人(男100人、女70人)にまで膨らんだ。
  この日本の領土の占守島が、ロシア(旧ソ連)に奪われ
 ている・・
  第二次世界大戦が終わっているのに、武力をもって不
 法占拠された・・
  しかも、日本の守備隊が戦いに勝っているにもかかわ
 らず・・
.
  (今日の言葉)
.
  題:それまで、韓国・朝鮮には、小学校は5校しかなかった・・
   ・・が、日本は、一生懸命、小学校を建てて、その数は、4271校にもなった。
.
紀元前2世紀、「スイス」のラテン語表記の源となったヘル
 ウェティイ族はケルト人の部族だった・・この頃の最初
 の記録が残されている。
  (参考)ヘルウェティイ族:現在のスイスから南ドイ
     ツにかけて居住していたガリア人の部族。
      スイスの古名であるヘルヴェティアは、この
     部族に由来する。
  (参考)ケルト人:中央アジアの草原から馬と車輪付
     きの乗り物(戦車、馬車)を持ってヨーロッパ
     に渡来したインド・ヨーロッパ語族ケルト語派
     の言語を用いていた民族。
      古代ローマ人からは、ガリア人とも呼ばれて
     いた。
  (参考)ガリア人:ケルト語派を話すいわゆるケルト
     人のうち、ガリア地域に居住してガリア語ある
     いはゴール語を話した諸部族の人々を指す。
      古代ローマ人は、ローマ側による呼称「ガリ
     ア人」と「ケルト人」をおおむね同義として扱
     った。
      しかし、いわゆるケルト人の中でも、小アジ
     アに移住したケルト人(ガラティア人)やブリ
     テン島の諸部族に対するガリア人は明らかに区
     別される。
  ヘルウェティイ族に関する最初の記録は、紀元前2世紀
 に遡(さかのぼ)る。
  紀元前1世紀に、現在のスイス中部平原とドイツ南西部
 に移り住んだ。
  現在のスイス東部には、ラエティア人が住んでいた。
  ラエティア人は、紀元前8世紀からイタリア半島で都市
 国家を築いたエトルリア人が起源になっていると考える
 学説もある。
  (参考)ラエティア:ローマ帝国の属州・・その領域
     は、現在のスイス東部および中央部(ライン川
     上流やボーデン湖を含む)、ドイツのバイエル
     ン州南部やドナウ川上流部、オーストリアのフ
     ォアアールベルク州、オーストリアとイタリア
     にまたがるチロル地方の大部分、および、イタ
     リアのロンバルディア州の一部からなる。
      ローマ帝国時代のラエティアは、西はヘルウ
     ェティイ族の国に接し、東はノリクム、北はウ
     ィンデリキア、南はガリア・キサルピナに接し
     た。
      北側の国境線は、リーメス(ドイツから続く
     長城)の一部によってドナウ川沿いに166kmにわ
     たって守られていた。
      ラエティアとイタリアとの間は、アルプス山
     脈をレッチェン峠(レージア峠)で越えるクラ
     ウディア・アウグスタ街道によって結ばれた。
     ・
     ・
     ・
13世紀半ば~14世紀初頭、アイヌは、ユーラシア大陸のア
 ムール川流域に居たが・・中国の『元』に追われて北方
 から、13世紀半ばから14世紀初頭に、日本に来た。
  これを、「北の元寇」と言い・・また、「北からの蒙
 古襲来」「モンゴルの樺太侵攻」「もうひとつの蒙古襲
 来」とも呼ばれている。
  この様に、アイヌは、北方(アムール川流域、そして、
 樺太)に住んでいた。
  日本へは、紀元前に既に、南方から日本に来たり、朝
 鮮半島から来たり、太平洋を渡って来たり、紀元前とい
 う遠い昔に、あらゆる方向から日本に来て、アフリカか
 らの人類移動の大きなうねりの様に北海道も含めて日本
 中を歩きまわり移動し、日本人が形成された・・この人
 たちが日本人の先住民であって・・アイヌは先住民では
 ない。
  人類の起源のホモ・サピエンス(新人)が、アフリカ
 に登場したのが紀元前20万年。
  ホモ・サピエンスが、全地球的な拡散を始めたのが紀
 元前5万年前(紀元前5~6万年説や紀元前6~7万年説や
 紀元前10万年説もある)
  そして、岩手県遠野市の金取遺跡の人類の足跡は、紀
 元前8~9万年・・この頃の人類の足跡は日本の各所で数
 千ヶ所ある。
  そして、ホモ・サピエンスが東アジアにまで到着した
 のが紀元前5~6万年。
  そして、紀元前4万年に、日本に、旧石器時代の遺跡が
 急に増えることから、研究者の多くが、現代の日本人に
 つながる人々が、少なくともこの頃に日本で暮らしてい
 たとしている(この頃には、アイヌは居ない)
  日本列島には、あらゆる方向から日本人の祖先となる
 人々が来たのが紀元前6万~紀元前4万年で・・アイヌは
 13世紀~14世紀。
  因みに、ホモ・サピエンスの前にアフリカを出たデニ
 ソワ人が、紀元前12万年に、日本には居た(島根県の砂
 原遺跡)
     ・
     ・
1492年10月12日、コロンブスが、アメリカ大陸の島を発見
 して、上陸した。
  大航海時代・・
  この時代に、ヨーロッパ人が持っていた世界観は・・
  「三つの大陸からなる平版状の世界で・・世界の果て
 は、奈落になっていて・・南方では、海が沸騰していて、
 その先には進むことが出来ない」
  大航海時代に、この世界観が崩れた。
  コロンブスが、1492年10月12日、アメリカの島を発見
 し、上陸し、そこが、インドの東端であると思った。
  また、出会った先住民をインディオと名付けて、呼ん
 だ。
  このコロンブスは、「大陸は三つだ」という世界の世
 界観の中で航海した。
  続いて、1503年、アメリゴ・ベスプッチが、アメリカ
 に到達し、この大陸を「新大陸」と呼んだ。
  (インドではなく、新大陸だと認識した)
  1519年~1522年、マゼランが、世界一周の航海をした。
  1569年、オランダの地図学者であるゲラルドゥス・メ
 ルカトルが、南北のアメリカ大陸の入った(アジアとは
 別だと認識して)世界地図を描いた。
  この頃(16世紀)は、まだ、太平洋が不明で、ベーリ
 ング海峡の存在も不明であった。
  このベーリング海峡は、1728年に、発見される。
  この様にして、ヨーロッパ人は、「球体の大地」と「
 四つの大陸」の世界の概念を構築して行った。
  この様な経過の中で、「キリスト教普遍史の世界観は
 否定され・・崩れ去った」。
  ヨーロッパ人が、「空論の想像で出来たキリスト教概
 念」から解放されて行った・・
.
15世紀半ば~17世紀半ば
  大航海時代の罪作りなところは・・
  (参考)大航海時代(だいこうかいじだい)とは、ヨ
     ーロッパ人が、アフリカ・アジア・アメリカ大
     陸への大規模な航海を行い、発見した土地で略
     奪や搾取の限りを尽くした時代。
      15世紀半ばから17世紀半ばまで続き、主にポ
     ルトガルとスペインにより行われた(wikipedia
     より)
  大航海が行なわれたこの時代にあった「罪作りな所」・・
  それを形成したのが、キリスト教概念・・
  そのキリスト教概念は・・
  「世界には、アダムの子孫の怪物がいる(アウグステ
 ィヌス)」とされ、洗脳されていた・・
  ヨーロッパ人たちは、航海技術を得て、世界へ出て行
 くと、出会ったのは「怪物では無くて、人間だった」。
  その人間が、キリスト教で「蔑視観を植え付けられた
 有色人種たちだった」。
  キリスト教徒のスペイン人とキリスト教聖職者たちは、
 長い年月に渡って「この人たちに対し、殺戮のし放題を
 した」。
  この行為が始まる最初に関わったのが、キリスト教の
 バチカンのローマ法王(教皇)だった。
  スペイン人とキリスト教聖職者たちは、このバチカン
 のローマ法王に、この現地人について問うと「人間では
 ない」という返事があった。
  キリスト教徒のスペイン人やポルトガル人たちは、こ
 れを契機に、先住民の「インディオの方々への殺戮」を
 開始した。
  「インドやアジアには怪物が居る」と説かれ、洗脳さ
 れて(この頃には、まだ、アメリカは発見されていなか
 った)・・この様なキリスト教概念を持って航海に出て・・
  アメリカへ行ったコロンブスは、第一回の航海の帰り・・
  その航海で記した・・
  「私は、多くの皆さんが考えているような怪物には出
 会っておりません」・・と・・
.
1697年4月24日(元禄10年3月4日)、賀茂真淵が生まれた
 (~1769年)
  (参考)賀茂真淵:江戸中期の国学者・歌人。
      遠江(とおとうみ)浜松の禰宜(ねぎ)の子・・
      浜松の脇本陣梅谷家に入婿後、上洛し、荷田
     春満(かだのあずままろ)門下となり学び・・春
     満没後、江戸へ出る・・村田春海,加藤千蔭ら
     を門下とする。
      1746年(49歳)田安宗武に仕ええたが、辞し、
      1760年(63歳)隠居。
      1763年(66歳)松阪で本居宣長が入門。
      浜町県居に住して、幾多の著述を完成する(
     広く古典を研究し、復古主義を唱える)
      近世国学(国学の基礎を築く)、及び、和歌
     史上大きな足跡を残し、国学の四大人の一人と
     される。
      著「万葉考」「にひまなび」「祝詞考」「冠
     辞考」「歌意考」「国意考」「賀茂翁家集」な
     ど・・
  日本には数多(アマタ)の識者がいる。
  賀茂真淵も、その日本の識者の一人。
  賀茂真淵は、国学者で万葉集を研究した。
  賀茂真淵は、静岡県浜松市に生まれた。
  賀茂真淵は、41歳の時に江戸に出た。
  弟子に優秀な学者の本居信長など多くの門人が居る。
  平賀源内も、賀茂真淵の弟子である。
  賀茂真淵が、名を成し、故郷・浜松の生家に帰った時、
 その長歌が残されている。
  それを、口語訳で記すと・・
  「江戸に暮らしていて、毎年、毎年、お慕い申してい
 るので、父と母は、故郷で健在でいらっしゃるかのよう
 に、いつもは、その様に思っていたのだけれども(中略)
  この度、唐突に帰って来て、出会った故郷の人々に尋
 ねてみると、父はもうこの世にはおられず、また、母も、
 この世にはいらっしゃらないけれども、私の妹が、白髪
 の目立つ頭で、家の門から出て来るのを見ると、ああ、
 母上は健在でいらっしゃたと見誤ってしまい(中略)
  妹の方は、父上が来られたと不思議そうに思っている
 のであった。
  しばらくは、互いに問いかける事もなく、玉のような
 涙をこぼして向かい合い、昔をしのぶ数々の言葉を交わ
 したことである」。
.
1830年代以降、アメリカのバッファローの大量殺戮
  アメリカの先住民であるアメリカ・インディアンの方々
 は、バッファローを食用とし、
  また、バッファローの毛皮は、服・靴・テントなど、
 骨は矢じりに利用し、バッファローは、生活に無くては
 ならないものだった。
  1830年代以降、アメリカは、そのバッファローを大量
 殺戮する様になる。
  また、大陸横断鉄道が敷設された1860年代以降は、ま
 たそれ以上、より多くの殺戮が行われた。
  1870年代の写真には、バッファロー(アメリカ・バイ
 ソン)を肥料にするために乱獲したとするそのバッファ
 ローの頭骨の山の頂(いただき)に立つ白人の写真があ
 る。
  アメリカは、バッファローを1400万頭も殺戮した。
  あきらかに、その目的は、アメリカ・インディアンの
 方々の食糧が、バッファローだったから、アメリカ・イ
 ンディアンの方々を絶滅させる目的で、アメリカは、バ
 ッファローを絶滅させた・・アメリカ政府の飢餓作戦だ
 った・・多くのバッファローが、利用もされずに放置さ
 れていた(肥料にするのだとされた)
  アメリカ・インディアンの方々は、食糧だけでなく、
 生活の手段もすべて失って、絶滅寸前になってしまった。
  カナダも、同様な事をした。
  カナダのインディアンの方々は、絶滅してしまった。
  この様な民族の排除行為は、ドイツのナチスと変わら
 ない卑劣な行為となって歴史に残った・・
.
1939年10月21日、アメリカで、原子爆弾の開発に関する最
 初の会合が行われた。
  ナチス・ドイツが、先に、核兵器を保有することを恐
 れた亡命ユダヤ人物理学者レオ・シラードらは・・
  1939年、同じ亡命ユダヤ人のアインシュタインの署名
 を借りてルーズベルト大統領に信書を送った。
  アメリカ政府は、核開発への動きを始めた。
  すでに、1939年6月には、原子爆弾に関する画期的な研
 究が行われていた。
  イギリスのバーミンガム大学のユダヤ系物理学学者オ
 ットー・フリッシュとルドルフ・パイエルスが、ウラン
 235の臨界質量に関して画期的な発見をしていた。
  計算によると、ウラン235を爆発させるには数kgから10
 kgで十分だと見積もられていた。
  また、オットー・フリッシュとルドルフ・パイエルス
 は、「ガンバレル方式」と呼ばれる単純な兵器の機構と、
 ドイツが核兵器を開発しつつあることに対する警告のレ
 ポートを書いて、バーミンガム大学物理学科主任のマー
 ク・オリファントを通じて、イギリス防空科学調査委員
 会議長、オクスフォード大学のヘンリー・トマス・ティ
 ザードへ送っていた。
  学術的に、すでに、原子爆弾は出来上がっていた。
  (参考)ガンバレル方式:核兵器の構造の種類の一つ
     で、ヒロシマ型とも呼ばれる。
      核分裂反応の連鎖反応を引き起こす臨界状態
     を達成するために、砲身状の構造を用いる。
      臨界量に達する核物質を分割したうえで砲身
     状の構造の両端に置き、火薬により一方の物質
     をもう片方へと衝突させ、臨界を達成、核爆発
     を発生させる。
  ルーズベルトは、国立標準局長官のリーマン・ブリッ
 グズに命じて「S-1ウラン委員会」を設け、シラードから
 提案された問題を検討した。
  1939年10月21日に、ブリッグズは、シラード、ユージ
 ン・ウィグナーとエドワード・テラーと、初めての会合
 を開いた。
  1939年11月1日、諮問委員会は、大統領宛の報告書を作
 成し、潜水艦の動力源として核分裂反応の調査を開始す
 ることを報告した。
  しかし、「もしその(ウランの)反応が爆発性のもの
 ならば、既知のどんなものと比べてもはるかに大きな破
 壊力をもった爆弾になる」とも書いた。
  原子爆弾を投下される日本は・・
  1945年、日本は、原爆を落とされる前から、戦争を終
 結させようと活動していた。
  しかし、アメリカは、日本を降伏させなかった。
  その間、アメリカは、何をしていたのか?というと「
 原子爆弾が出来上がるのを待っていた」。
  アメリカは原爆を落としたかった・・その原爆威力を
 ソ連という次なる対決相手になる状況にあったソ連に見
 せ付けたかった・・
  そして、その原爆投下の行為によって・・
  鉄やガラスも蒸発するほどの高熱に晒された。
  その強烈な熱線によって、屋外にいた広島・長崎の人々
 は、全身の皮膚が炭化した・・
  そして、内臓組織に至るまで高熱で水分が蒸発して行
 った。
  その経過において、苦悶の姿態の形状を示す「水気の
 無い黒焦げの遺骸」が道路などに大量に残された。
  アメリカは、原爆の投下の前から、反撃力が皆無とな
 った日本に・・「まったく反撃のできない日本」に対し
 て、アメリカの勝ちが確定していたこの時に、アメリカ
 は、この様な非人道的な人非人行為を行った。
  アメリカは、また、戦争の終わった後のことを考えて
 都市爆撃をしていた。
  日本が居なくなった後に、すでに、ソ連が、新たな敵
 となることが見えていたので「世界で、唯一、アメリカ
 が原子爆弾を持った。その威力は絶大・・広島・長崎に
 原爆を投下して、その絶大な威力、悲惨な状況を見せつ
 け、その上、都市爆撃のじゅうたん爆撃さえした」・・
  また、アメリカは、戦争終結後、進駐する用地の確保
 のための卑劣な爆撃さえした。
  戦後、アメリカは、最初の大部隊を横浜に進駐したが、
 その兵舎を立てる広大な用地の確保がしたいため・・
  アメリカは、横浜の南区を爆撃し、まったくの住宅地
 で、戦争の「セ」の字もない「まったく関係のない住宅
 地」を、広く爆撃してさえしていた。
  無益な殺生、卑劣、この上ない行為をしていた。
.
1945年8月6日、広島に原爆が投下される。
  原爆に遭(あ)った女性が、「言い残したい」と語る
 話・・
  「忘れられない話の一つです」と語る・・
  広島で、原爆に遭ったその方が、その原爆投下された
 広島の道を歩いていると、小さな子供の手を引いて、向
 こうから歩いてくる若い女性に出会った。
  原爆投下後に、小さな子の手を引いた女性・・
  その女性は、背中にも赤ちゃんを背負っていた。
  そして、その女性に尋ねられた。
  「背中に背負っている子供は大丈夫でしょうか?」と。
  その女性は、背中をのぞくと、その赤ちゃんは、こと
 切れて、亡くなっていた。
  しかし、その女性は、そのことが告げられなくて、「
 大丈夫ですよ」と言った。
  それから・・そのまま、その若い女性は小さな子供の
 手を引いて歩いて行ったが・・
  この子供の手を引いて、背中にもう一人の子供を背負
 って、どこに行こうとしていたのだろうか?
  そして、この後、この3人は、どうなったのだろうか?
  もしかすると、さっきまで、原爆の落ちる前までは、
 手を引いた小さな子と、両親との所へ楽しい話をしなが
 ら行くところだったのかもしれない・・
  子供たちを(孫を)親に見せに行く、そして、「楽し
 い話をしていた」のかもしれない。
  「おじいちゃんとおばあちゃんに会えるんだ」と話し
 ていたのかもしれない。
.
1945年8月6日、広島に原爆が投下された後の情景・・
  こと切れた母の乳を吸う子は、今も無事(ぶじ)で、
 育っていたのだろうか?
  広島で原爆に遭(あ)い、倒れた母は、1本の木にもた
 れかかり、子供へ乳を与えた。
  この情景を証言する方は、この若い母は、この方が見
 た時には、亡くなられていたと・・
  だが、この抱かれた子は、懸命に、母の乳を吸ってい
 た・・と言う。
  母は、「最期の乳」を、我が子へ、必死になってあげ
 たのだろう・・
  我が子の「生」を祈って・・
  乳をあげながら、生を祈って、こと切れたのだろう・・
  シャローム・・キリスト教の教義。
  シャローム・・それは、キリスト教の教える平和の教
 義。
  キリスト教は、すべてを破壊しつくしての後に、平和
 が来ると教える。
  アメリカのキリスト教を強く信仰しているルーズベル
 ト大統領は、これを、広島・長崎に実行した。
  すべてを破壊しようと、広島・長崎に原爆を落とさせ
 た。
  それが、愚かな行為だと、まったく気づいていなかっ
 た。
.
1945年8月6日、広島に原爆が投下された後の情景・・
  そう・・そうなんだよ・・と、その方は言った。
  知人のその方は、原爆の投下時は、少し離れた所(学
 校)へ行っていたので、原爆の直撃は免れた・・
  しかし、自宅は、直撃を受けているのではないか?・・
 と・・その少年は、母が心配になる・・投下直後の自宅
 へ戻った・・まったく、灰だけになった町・・自宅を探
 すのも大変となってしまった生まれ育った見慣れた町の
 変貌ぶりだった・・その様相は、まったく違っていた・・
 やっと、自分の家を探し当て・・母の存在の痕跡はまっ
 たく感じさせなかった・・が・・家のコンクリートの基
 礎の形で、ここが台所だったなと思えるところに、母の
 「指輪だけ」が落ちていた・・と・・その方は言った。
  私が、本当にすべてが蒸発してしまうのですねと言っ
 たら・・冒頭の言葉・・「そう、そうなんです」と、上
 記の話をしてくれた・・この方が、原爆を受けている方
 とは知らずに言った言葉だった・・
  そして、どうも、その時、お客様が来ていたようだっ
 た・・応接間に、お役様用の茶碗と母の茶碗があったか
 らとも・・言った・・
  そのお客様も、その方のお母さんも、まったく蒸発し
 て・・痕跡も残していなかった・・と・・骨さえも残っ
 ていなかった・・と・・
  その方は・・友達仲間の中で・・一番早く亡くなられ
 てしまった・・原爆が影響していたのか・・?
.
2019年8月12日、中国に媚(こび)を売る事ばかりをするNHK、
  中国への媚(こび)売り番組の放送局のNHK、
  また、中国に利することばかりをするNHK、
  このNHK出身者の池上彰が、まったくNHKがやる
 ことと同じことをやっている。
  何もしないで平和なら、誰もがこれが一番なのは、当
 たり前。
  その様にあってもらいたいと思う・・が・・
  しかし、世の中、その様に行かない。
  日本の都市のすべてに、核爆弾を積んだミサイルの照
 準を合わせている中国。
  いざとなったら日本の都市のすべてを広島や長崎の様
 にしてしまうと言う中国。
  日本は、この様な中国に屈してしまう状況に今ある。
  このような時、池上彰は、この様な中国を支援するよ
 うな事をテレビでやっている。
  中国のやっていることを隠している・・
  そして、中国隠しで、放送の媒体を自由に使っている。
  日本国民を脅(おど)してばかりいる。
  中国に利する様な論理を展開する。
  日本が、中国の脅威から「自分を守ろうとすることは
 駄目だ」という偏った放送をする。
  元NHKの局員だという面目が躍如の放送をする池上彰。
  一生懸命に国を守る国防をすると悲劇が起きると洗脳
 的に言う池上彰の偏した論理が放送されている。
  2019年8月12日、テレビ東京、20:00~21:54、「池上
 彰の戦争を考える」
.
2019年、NHKは、不公正な放送局である。
  NHKは、日本を貶(おとし)めてばかりいる。
  NHKのその様な一つが以下である・・
  NHKは、日本の側ばかりを見せて、日本が好んで戦
 争を選択して行った様に「編集して作った番組」で、視
 聴者を錯覚させ、日本を貶めて放送した。
  NHKは、この様な番組の作り方を良くしていて・・
 そして、日本を貶めている。
  第二次世界大戦の場合も、日本側のみを編集して、番
 組を作るというマインド・コントロール番組を放送した。
  例えば、お化け屋敷において・・脅している方を映さ
 ないで、脅されている方ばかりを映して放送した場合、
 視聴者は全体像を把握できないで、その脅されている人
 を異常な状態と見えてしまう。
  お化け屋敷に入った人の状況のみの映像を放送したな
 らば、異常に怖がってばかりしているその人の印象しか
 残らない。
  その異常さが印象づけされ、印象操作されてしまう。
  この様な場合は、当然、脅している方も映し、また、
 それに反応している脅される方を映すのが当たり前であ
 るが、NHKはこの様なやり方をしない・・
  まったく異常状態の番組の作り方をして放送し、視聴
 者を繰っている。
  視聴者が、正しい状況把握が出来ない状態にして、印
 象操作している。
  このNHKが放送した第二次世界大戦の放送の場合も、
 日本側のみを放送して、日本が、だんだん、一方的に強
 硬な策を採用して、日本の悪い状況が作り出されてしま
 うという結果をNHKは作っている。
  お化け屋敷の脅す方が見えない状況と同じで、印象が
 日本が悪いという状況が作り出されてしまう。
  アメリカが、日本を戦争に追い込んでいく状況は、ま
 ったく見えない状況となっている。
  まったくNHKは、卑劣なやり方で、日本を貶めてば
 かりいる。
  「NHKスペシャル」「歴史秘話ヒストリア」などが、
 よくこの手を使う。
.
2019年、NHKやヤ池上彰は、朝鮮・韓国を日本が植民地
 にしたと貶(おとし)めるが、これは間違い、「併合し
 たのである」。
  植民地という用語は、元々は「開拓地」や「入植地」
 などと同様に、正否の価値判断を含まない一般術語であ
 り、近代植民地法制学においても、社会科学の講学上の
 概念にすぎない。
  ただし、外地を「植民地」「殖民地」と呼ぶことへの
 感情的な反発は、明治期からすでに存在していた。
  忌避語・侮蔑語のようなニュアンスがあり・・
  外地を植民地と呼称することは回避され・・
  「我国にては斯(植民)の如き公の呼称を法律上一切
 加えず単に台湾朝鮮樺太等地名を呼ぶ」ことが事実上の
 慣例となった。
  この様な歴史を知っているのか?いないのか?NHK
 や池上彰は「日本は朝鮮を植民地にした」と放送し続け
 た。
  日本は、「朝鮮」と言い、また、「外地」と言ってい
 た。
  法的に「外地」と言っていた。
  多様な議員の中には、日本を貶めるため、「植民地支
 配」と表現する日本の議員も存在する。
  韓国は、反日教育の為、この併合が韓国・朝鮮の近代
 化に寄与している面をまったく隠している。
  そして、韓国は、韓国の方が、日本のおかげで近代化
 したと事実を言うと徹底的に弾圧されるという社会とな
 っている。
  逮捕され投獄される例さえある(言論弾圧)
  日本は、朝鮮・韓国を、日本と併合した同等の国とし
 て考え、自分の国の様に思って韓国・朝鮮の国づくりを
 した。
  日露戦争の兵隊を運ぶために鉄道を敷いたのだと韓国
 は言うが、それなら北へ行く1本の鉄道だけで済む。
  しかし、日本は、その様な目的ではないから、遅れて
 いる韓国・朝鮮に鉄道を敷いてあげようと、韓国・朝鮮
 の国のあらゆる所、韓国・朝鮮の国じゅうに鉄道を敷い
 た。
  また、教育が重要で大切だから、韓国・朝鮮の国じゅ
 うに小学校や中学校、大学まで国じゅうに造ってあげた。
  日本の大学以上に立派な大学さえある。
  それまで、韓国・朝鮮には、小学校は5校しかなかった
 が、日本は、一生懸命、小学校を建てて、その数は、4271
 校にもなった。
  無いに等しかった韓国・朝鮮の初等教育を作ったのは
 日本だった。
  勿論、中学校や大学までも作ってあげて、日本は、韓
 国・朝鮮の教育を作り上げた。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  アイヌの人々は、日本の先住民ではありません。
  日本の先住民は、アフリカ由来の日本人です。
  アメリカの先住民が、アフリカ由来のアメリカ・イン
 ディアンの方々であるのと同じです。
  アイヌの人々は、13世紀に、蒙古に追われて日本に来
 ました(モンゴルの樺太侵攻、1264年の樺太アイヌへの攻
 撃など)
  2019年4月16日に、衆議院と参議院で成立した(菅官房
 長官の主導でなされたという)「アイヌの人々の誇りが
 尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法
 律(俗称:アイヌ新法)」は、科学的にも、また、歴史
 的にもまったく正しくありません・・間違った記述があ
 ります・・また、日本人がアイヌの人々を虐げてもいな
 いのに、さも、虐げ行為をしている様な法案名となって
 いる・・日本人が虐げられている法案名となっている。
  この法律の間違った記述を「正しく改正する」声を上
 げましょう。
  また、日本人の遺伝子・DNAを持った何千年も前の
 紀元前の縄文人が、北海道の縄文遺跡から出た縄文人の
 歯の遺伝子分析から科学的に立証されています。
  日本人が先住民族なのです・・そのような痕跡もない
 アイヌの人々を先住民だとしてしまいました。
  


2019年09月12日

(増補版)654E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年8月~1896年8月)



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2019年09月05日

(増補版)653E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年7月~1896年8月)

題:(増補版)653E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年7月~1896年8月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
 される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆J・ロックの言葉:議論こそは真理を広める唯一の正
  しい方法だ。
 ☆歴史を知って、アイデンティティが形成される。
.
1896年7月24日、名古屋に株式会社鉄道車両製造所(現:日
 本車両製造株式会社)が創業した。
  1896年9月に鉄道車両の製造販売を目的として設立との
 説明もある。
  別説:1896年7月26日、日本車輌製造株式会社設立。
  企業家・奥田正香ら中京財界人により創立。
  鉄道庁・鉄道関係者以外の民間人による車両会社設立
 は前例がなかった。
  この頃、車両だけでなく大八車も製作した。
  笹島仮工場にて操業開始。
  1896年8月18日、農商務省指令、第10399号
  「明治29年7月30日付申請、日本車輌製造株式会社設立
 の件、免許す」 農商務省大臣、子爵、榎本武揚
         申請者:奥田正香、他拾名
  1897年、熱田工場が稼働した。
.
1896年7月、上川線の空知太駅~旭川駅間の建設工事が着工
 された。
.
1896年7月、加能鉄道会社が、社名を七尾鉄道株式会社と改
 称した。
 沿革・・
  1894年5月、第4回鉄道会議の中で加能鉄道認可に関す
   る審議がなされた。
   鉄道会議とは、「鉄道会議規則」に基づき鉄道担当
   官庁が1892年に設置した諮問会議で、渋沢栄一は第1
   回より臨時議員として出席していた。
   加賀の津幡町から能登半島の七尾町に至る加能鉄道
   について「半島の突先に鉄道を架ける必要はない」
   などの意見があり、それに対して渋沢栄一は、突先
   であっても七尾港は良港であり、津幡から七尾への
   連絡線は地域のためにおおいに利益ある路線と反論
   した。
    また、地域の繁盛になることだから許可を希望す
   ると意見を述べた。
    審議の結果、過半数の賛成を得て加能鉄道への仮
   免状下付は可決された。
    この決定を受けて、加能鉄道会社には同年9月に仮
   免許が、1896年4月に本免許が下付された。
    同社は、七尾鉄道と社名を変更して工事に着手、
   七尾・津幡間の工事は1898年4月に竣工した。
.
1896年7月、関西鉄道会社と浪速鉄道(大阪片町・四条畷間
 営業)が譲受の契約を締結した。
  関西鉄道は、官設鉄道の経路から外れた東海道沿いの
 滋賀、三重県下の都市を東海道線に結ぶ目的で設立され
 た。
  しかし、大阪進出の意図はあった。
  そして、また、名古屋と大阪の間に出願した大阪鉄道
  (初代)との間で調整も行なわれていた。
  その後、路線を奈良へ向けて西へ延長し、片町~四条
 畷を開業していた浪速鉄道、および、四条畷から木津方
 面の路線免許を持つ(未開業の)城河鉄道を合併して現
 在の片町線経由で名古屋・大阪間を開通した。
  そして、1898年に大阪片町にターミナルを入手した。
  しかし、敷地の拡張が困難なため網島に起点を移設し、
 さらに湊町から奈良に路線網を持つ大阪鉄道 (初代)を合
 併し現在の関西本線を全通させ、湊町にターミナルを、
 再度、移転させた。
.
1896年7月、フランスが、朝鮮半島の鉄道敷設権を取得した。
  この年、ソウルと現在北朝鮮の新義を結ぶ京義線(き
 ょんうぃせん)の敷設権を取得した。
  結局、この後、この路線も日本が建設を行なう・・そ
 して、朝鮮半島・韓国の社会資本の充実の貢献を行なう。
  日本は、朝鮮半島のあらゆる地方の鉄道敷設を行ない
 朝鮮半島の物流の改善に貢献しており、朝鮮・韓国経済
 などの発展の元を築いた。
  韓国は、この様な日本の行為を、まったくと言って良
 いほど感謝の意を示していない。
  それまでは、畑のあぜ道の様な状況の道路に物流を頼
 っていた朝鮮・韓国・・この改善が第一に必要とした日
 本は、朝鮮・韓国の鉄道敷設に多くの日本の資本を提供
 し、実施した。
  また、これ等に従事した日本の技術者の汗の結晶に、
 韓国は感謝の意を示していない。
  また、これ等の多くの工事に従事し、亡くなった工事
 関係者の多くの方々への慰霊の意も示していない。
  韓国は、これは、日露戦争の兵士を送るために作った
 のだと、感謝どころか批判をしている。
  多くの朝鮮・韓国の人々が、汽車や列車に乗って生活
 を享受している姿を、その様に表現している。
  その便利さに笑顔でいる朝鮮の方々の顔を見ていない
 で、その様な言い方をしている。
  何をしてあげても、この国は感謝をしない国・・逆に、
 恩を仇で返す国。
  誠実に対処して来た日本の「ことごとくの好意」に、
 韓国は、意地の悪い言い方を続けている。
.
1896年7月、朝鮮で改革派が、独立協会を組織した。
  軍事、財政、人事権にまで干渉するロシアを排除する
 ため、市民を動員して万民共同会が開催された。
  多くの成果が上げられた。
  李商在、徐載弼、尹致昊、李完用らを中心に結成され
 た組織だった。
  これらの人々は、日本の好意を理解している人々だっ
 た。
  協会は、機関誌「独立協会報」を発行、また、ハング
 ル専用の「独立新聞」の発行した。
  因みに、このハングル文字も、それまで使われていな
 かったこの朝鮮文字の良さを発見し、使用する様に提案
 したのは、慶應義塾大学を創立した日本の福沢諭吉氏だ
 った。
  独立建設活動などにより一般大衆の支持を受け、わず
 か3ヵ月で会員約1万名に達した。
  この様にして、この協会は、民衆への啓蒙団体から、
 政治団体へ変化して行った。
  1898年10月に至り、協会は、官民合同によって官民共
 同会議を開催した。
  そして、国政を改善するための6ヵ条を決議した。
  しかし、政府は、決議案を空文化させ・・反対行動を
 とる様になる・・
  協会の幹部に対して懐柔行為がなされたり、果ては、
 強硬手段の逮捕など・・あらゆる手段を用いて弾圧する
 様になった。
  1899年、政府が、皇国協会を示唆し扇動して流血事件
 を引き起させた・・
  独立協会は、やむなく解散した。
  朝鮮の改革派の有志が、軍事、財政、人事権にまで干
 渉し、朝鮮の独立を崩壊させるロシアに対して立ち上が
 ったが、そして、市民も参加して大きな行動となったが、
 結局、弾圧を受けて崩壊して行く・・
  この様な所にも、日本が、ロシアに対して立ち上がっ
 た遠因があった・・
.
1896年8月1日、釧路鉄道の標茶駅~跡佐登駅間の営業が休
 止された。
  釧路鉄道(くしろてつどう)は、北海道東部の硫黄山
 で産出される硫黄の輸送を目的として建設された。
  硫黄輸送の専用鉄道で、鉄道事業者は安田財閥。
  安田財閥は、この事業で基盤が築かれたと言われてい
 る。
  しかし、鉱山保有する山田銀行への貸し付け分の回収
 が関係し、硫黄の採掘が中止され、開通から10年足らず
 で廃止となった。
  しかし、この鉄道によって釧路地域の開発が進展した。
  安田善次郎氏は、1921年に、釧路の発展の功績によっ
 て釧路区(現:釧路市)から表彰された。
  因みに、1872年、佐野孫右衛門が硫黄山の採掘を始め
 た・・
  1886年、北海道開拓使の方針に基づいて、採掘が開始
 された。
  佐野孫右衛門は、凾館の山田銀行に譲渡していた。
  1887年、山田銀行へ融資していた安田善次郎へ譲渡さ
 れた。
  この鉄道によって、当時、馬によって運び、標茶から
 船で運ぶという大変な運送が改善され改革された。

1896年8月6日、フランスが、マダガスカルを「植民地だ」
 と宣言した。
  フランスは、その強大な武力を背景に、アフリカ大陸
 の西側、インド洋上にある島々を侵略し・・また、イン
 ド、および、東南アジアを侵略して領有した。
  フランスは、広大な地を植民地とした。
  ヨーロッパ列強の一つのメンバーであるフランスの行
 為だけでも、この様な横暴を世界にしていた。
  マダガスカルは、4世紀から5世紀の頃、東南アジアか
 らオーストロネシア語系の人びとや、マライ系の人びと
 が、インド洋を渡ってやって来ていた。
  そして、アフリカ東岸に住みついて、社会が形成され
 た・・
  10世紀頃には、マダガスカル島に移住して来た人々が
 いるとされている。
  現在でも、マダガスカル島は、インドネシアや、マレ
 ーシアの人々との近親性があり、稲作農耕も行われてい
 る。
  15世紀以降、イスラーム化した・・アラブ系住民も増
 加した。
  イスラーム国家も存在した・・、
  19世紀後半、ヨーロッパ諸国の帝国主義の列強諸国に
 よるアフリカ分割の悪夢の時代に、フランスが侵入して
 来た。
  1880年代~1890年代、フランスは、優れた自分たちの
 武器による武力をもって、抵抗を排除して、領有権を奪
 った。
  マダガスカルの方々は抵抗した・・たびたびの反フラ
 ンスの抵抗運動は起きた・・しかし、その度に、武力で
 押さえつけられた。
  独立は、20世紀に至るまで果たせなかった・・
  1960年に至って、やっと独立が果たせた。
  マダガスカルの19世紀初めは、アンドゥリアナムプイ
 ニメリナ王の息子であるラダマ1世がメリナ王国を引き継
 いでいた。
  彼は、先進的な考え方の持ち主で、国民の教育レベル
 を引き上げようとした。
  ヨーロッパの知識を取り入れなければ、ヨーロッパに
 植民地にされたままになってしまうという危機感を持っ
 た。
  それに対し、今・現代の日本は、中国が、沖縄や北海
 道などを狙っている中にあるが、まったくその様な状況
 についての危機感は無いという状況になっている。
  植民地化の危惧を抱いていたラダマ1世は、モーリシャ
 スの『イギリス総督』であったファーカーの援助を受け、
 軍隊をイギリス流に訓練した。
  さらに、奴隷貿易の廃止運動を行ない・・また、学校
 の設立、アルファベットによるマダガスカル語表記の導
 入など、近代化=西欧化政策を進めた。
  日本が、学校を一生懸命に建設して、朝鮮・韓国の教
 育を一生懸命にしたのと同じ・・
  しかし、1828年、志なかばでラダマ1世は死去した。
  ラダマ1世の第一夫人が、ラナヴァルナ1世として即位
 した。
  彼女は、植民地行為がありありのヨーロッパ諸国に対
 し、敵視政策に切り替えた。
  まず、植民地行為の尖兵であったキリスト教を、1835
 年に、布教の禁止を行なった・・しかし・・
  1861年、ラナヴァルナI世は死去する。
  その息子が、ラダマ2世として即位した。
  ラダマ2世は、再び、ヨーロッパ化を推し進める苦悩の
 政策へと変更した。
  しかし、その政策が急であったため、欧化反対派によ
 って、1863年に、暗殺された。
  ラダマ2世の後継は、その妃であったラスヘリナが即位
 した。
  1868年、このラスヘリナも没する・・暗殺か?
  やむなく、従妹がラナヴァルナ2世として即位した。
  彼女は、行政改革に努めるが、メリナ王国は衰退して
 行く。
  メリナ王国が衰退を続けると、ハイエナの様なイギリ
 スは、王国の衰退を察して、植民地化の野心を向け始め
 た。
  これを察したフランスは、それに先んじるため、1883
 年に、タマタブ(マダガスカル東部の都市トゥアマシナ
 の旧称)を占領した。
  1883年、ラナヴァルナ2世が没する。
  その従妹が、ラナヴァルナ3世として即位した。
  1890年、メリナ王国の保護権をフランスに認めざるを
 得なかった。
  一方、イギリスに接近し、軍隊の再整備を進めた。
  1894年、フランスは最後通牒を突きつけた。
  1895年、メリナの王宮の置かれていたアンタナナリヴ
 (マダガスカルの首都)を占領する。
  1897年、フランスは、ラナヴァルナ3世を拘束し、レユ
 ニオン島に流した。
  そして、メリナ王国を滅ぼした。
  1896年8月6日、フランス政府は、マダガスカルを植民
 地としたことを宣言した・・フランスは、この宣言を正
 式だと称した。
  この様な歴史は、日本を貶める事ばかりを放送するN
 HKは、まったく放送しない。
  フランスがマダガスカルを植民地化した(1896年8月6
 日)・・
  この解放は、第二次世界大戦後の日本の戦いの後とな
 る。
.
  (今日の言葉)
.
  題:彦星(ひこぼし)と、織姫(たなばたつめ)と、今夜(こよい)逢(あ)ふ、
   天(あま)の川門(かわと)に、波(なみ)立(た)つなこめ
.
698年、遠い昔からジェンダー平等(男女平等)だった日本・・
  また、身分の上下ない社会だった。
  今(2019年)、盛んに国連はSDGsをして「ジェン
 ダー平等を啓蒙している」が・・
  世界は、日本をお手本とするべきである・・
  万葉集に・・
  「彦星(ひこぼし)と、織姫(たなばたつめ)と、今
 夜(こよい)逢(あ)ふ、天(あま)の川門(かわと)
 に、波(なみ)立(た)つなこめ」(詠み人知らず)・・
 がある・・
  (訳)彦星と織姫が逢う今夜なのです・・
  天の川の渡し場に、波よ、決して荒く立ってくれない
 でください・・
  今から1300年以上も前の日本人の優しい心が伝わって
 来る。
  彦星(牽牛星)と織女(織女星)の逢瀬が、年に一度
 だけ許されるという七夕(たなばた)の和歌です・・
  この伝説は、持統天皇が在位していた698年代頃、中国
 から日本に伝来したと言われているが・・
  この話は、それまで、それ以前から日本各地にあった
 「棚機津女(たなばたつめ)伝説」と融合した。
  それは、年に一度、7月に訪れる神への捧げものとして
 処女が水辺の棚で神衣(しんい)を織ったという話・・
  これと融合して庶民の間にも広まり、人々の想像力を
 掻き立てたのだった・・
  万葉集には、130余首も七夕歌が収録されている。
  その多くが庶民の歌で「詠み人知らず」となっている。
  身分の上下、貴賤もない社会の日本だった・・
  日本は、遠い昔から庶民の一般市民と隔たりない処遇
 をしていた優しい平等な国だった。
  遠いこの昔から、女性方々も尊重されていた。
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9世紀~10世紀、神聖ローマ帝国が出来た(~1806年)
  神聖ローマ帝国は、代々のドイツ王が、ローマ教皇か
 ら冠を授けられて、皇帝となった。
  神聖ローマ帝国は、実質的にはドイツ帝国・・
  神聖ローマ帝国は、巨大な領域を持つ。
  最盛期の版図は、現在のドイツ、オーストリア、イタ
 リア、フランス、チェコ、スイス、オランダ、ベルギー、
 ポーランド、リヒテンシュタイン、ルクセンブルク、モ
 ナコ、クロアチア、サンマリノ、スロバキアなど現在の
 EUの領土とほぼ同じ・・
  巨大だが、国家とか連邦という性格は・・ほとんど無
 い。
  帝国全体を総括する行政機関も無かった。
  多くの領域の緩い集合体の様なものだった。
  軍も借りものが集まったもので、帝国全域を包括する
 ナショナリズム持った。
  この様なこの領域は、独立を保つ実力も無かったが、
 権威を犯すなと存続した。
  しかし、1806年、ナポレオンの台頭で幕を閉じた。
  しかし、ドイツ人の武力によるリベンジは素早かった。
  1870年、普仏戦争でフランスを負かし、
  翌年の1871年には、鉄の宰相ビスマルクが活躍して、
 ドイツ帝国が起こった。
  そして、第一次世界大戦の敗北で、そのドイツ帝国が
 消滅すると、今度は、ヒトラーが台頭した・・そして、
 再再度、ヨーロッパ制覇を目論んだ。
  ヒトラー政権は、神聖ローマ帝国、後のビスマルクの
 ドイツ帝国に続く第三帝国と呼ばれた。
  そして、その第三帝国は、無残に滅び、消滅した。
  そして、二度と立ち直れないと思われたが、西ドイツ
 は、1990年、東ドイツを飲み込み、一体となりヨーロッ
 パで第一の大きな国となった。
  そして、今(2017年)、EUに君臨した。
  一番の影響力のある国となっている。
  そして、その軍事力でも強大になって行くと予測され
 ている。
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1158年、キリスト教聖職者のオットーが死んだ。
  キリスト教の「教父」と言われたアウグスティヌス(
 354年~430年)は、その生存した古代の時代なりの考え
 方をしていた。
  その様な古代の遅れた認識で、その存在が古代ゆえに
 やむを得ない面があるが・・問題は、その彼の遅れた論
 理が、今・現在もなお、現在に至るまで、多大にキリス
 ト教へ影響を与え、延々とキリスト教に引き継がれ、キ
 リスト教の遅れた状況を作り出す原因となっている
  その様なことの一つが、「キリスト教普遍史」である。
  彼=アウグスティヌスは、「ローマ帝国が終われば、
 人類が終わる」と考えた。
  そして、キリスト教の教義である「人類の終末に訪れ
 る最後の審判」となり、その審判を恐れた。
  悲しいかな、まったく無用な恐怖なのであるが、キリ
 スト教は、この恐怖を抱えていた・・今・現在も・・
  しかし、そのローマ帝国が滅び、年月を経ても、「何
 も起こらなかった」。
  びくびくして・・年月だけが過ぎた。
  当然の事だった。
  しかし、年を経て、その整合性を問う話が沸き出て来
 た・・そのことを考えた者が現れた。
  ドイツのキリスト教聖職者のオットーだった。
  彼は、中世的普遍史の完成者と言われている・・そし
 て、彼は「年代記」を書いてアウグスティヌスを訂正し
 た・・。
  彼は、ローマ帝国まではアウグスティヌスを踏襲した。
  問題はその後にあった。
  キリスト教が色々な面で、辻褄(つじつま)合わせを
 色々、苦労してやっているが、オットーもこの辻褄合わ
 せに苦渋した。
  そして、考え出したのが「帝権移動」の屁理屈論理だ
 った。
  何を意味するのか?・・まったくのこじつけ論理なの
 だが・・「ローマの帝権は移動し、そして、続いている」
 とこじつけた。
  だから、キリスト教が説く「終末は来なかったのだ」、
 また、「最後の審判」も無かったのだとした。
  彼の帝権移動論を細かく書くのも馬鹿々々しいが、そ
 の抜粋・概要を以下に書くと・・
  ローマ帝国は、ラテン人のローマ帝国だった。
  しかし、ローマ帝国の滅亡後、数世紀を経過しても、
 なお、世界は終末を迎えることなく存続していた。
  カール大帝が皇帝に即位した。
  ローマ建設から1552年、カールは、ローマ教皇によっ
 てパトロキウスの称号を与えられ、アウグストゥス以後
 第69代の皇帝かつアウグストゥスと呼ばれた。(中略)
  コンスタンティヌス帝から以後この時まで、首都にコ
 ンスタンティノーブルに中心が置かれていたローマ人の
 統治権は、こうしてフランク人に移された・・
  ・・意味不明な事を延々と書き・・
  はっきりしているのは、「ローマ帝国は滅亡してない、
 引き継がれた」・・だった。
  まだまだこの他にも「おひれはひれ」が付いているが
 割愛(かつあい、はぶく)する。
  何しろ、現在も、コンスタンティノーブルが存在して
 いるが、ならば、「現在も、ローマ帝国は存在している
 のか?」と、キリスト教に言いたいところだ。
  キリスト教は終末が来ること、その時に演じられる「
 最後の審判」におびえている・・
  この様に、遠い昔の古代から「いつ来るか?」「いつ
 来るか?」と怯えている。
  このキリスト教の終末論理には「色々な怪物も登場し
 たり、色々な華やかな話も展開する」。
  教父のアウグスティヌスは、「怪物たちもアダムの子
 孫だ」と言う様な人だった。
  そして、また、アウグスティヌスは、「この怪物と胎
 児」について「理性的で死すべき生き物」として、自分
 勝手な論理展開をした。
  そして、この定義に当てはまるので「すべて起き上が
 り、生きるか死ぬかを求められるべきだ」と言った。
  これらは、「インドは世界の果てだ」という言葉と共
 に語られる・・
  キリスト教において、「意味が分からなくても、心配
 してはならない世界の話」。
  ちなみに、オットーの生涯は1111年?~1158年。
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17世紀~18世紀、ヨーロッパの啓蒙時代
  「啓蒙時代」とは、17世紀~18世紀に、ヨーロッパで
 広まった、キリスト教神学に代表される旧来の伝統や権
 威を『理性のもとに批判』し、民衆を啓蒙し、目覚めさ
 せようとした時代だった。
  中世のヨーロッパは、キリスト教の考え方によって日
 常が歪(ゆが)められていた。
  しかし、科学知識が、革命的に得られて来た事によっ
 て、その知識を得た啓蒙主義者たちは、その歪んだキリ
 スト教の観念に立ち向かって行った。
  その一つが、「キリスト教普遍史」に立ち向かった知
 識人たちであった。
  彼らは、厳しく「キリスト教普遍史」を批判し、キリ
 スト教の「時間観念」に立ち向かった。
  そして、彼らは、キリスト教普遍史とまったく異なっ
 た「時間観念の下で過去を見直した」。
  キリスト教から見れば「異端的考え方をする者たち」
 だった。
  それまでの常識とされて来た「キリスト教から洗脳さ
 れた歴史の時間」からは「かけ離れた長大な時間だった」。
  「地球が巨大な火の玉だった」という事は、キリスト
 教観念からは・・まったく考えられなかった。
  その様な科学知識などを知った知識人たちには、キリ
 スト教観念に沿って説明することは「苦痛だった」。
  それでも、地球の誕生は7万5000年前と、また、人類の
 誕生は6000年~8000年前と、キリスト教の時間観念に妥
 協をした。
  でも、キリスト教普遍史の時間スケールからは「大き
 くはみ出していた」。
  すべてがはみ出していた。
  太陽系の他の惑星が同時に誕生したこと、地球の誕生
 前の「物質の創造」「光と闇の分離」など、どうしても
 キリスト教聖書に沿って説明が出来ない面が「多々あっ
 た」。
  キリスト教は、彼らを脅(おど)した。
  しかし、彼らは、そのキリスト教の脅しには屈しなか
 った。
  彼らは、また、一般人に配慮した。
  キリスト教に洗脳されていた一般人、この一般人から
 理解が得られる説明に心がけた。
  人類の誕生は、キリスト教聖書の記述に合わせたりし
 た。
  日常生活が、キリスト教観念によって影響されている
 一般人、その人々に配慮した。
  間違った観念の下で生きている問題に対し、正しい観
 念を「必ずしも与え得なかった」。
  間違った観念の下で暮らす怖さを取り除いてあげられ
 なかった・・そのもどかしさの中に科学者たち・知識人
 たちは居た。。
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1883年、アメリカで、黒人の方々に対し、大変卑劣な差別
 判決が出た。
  合衆国最高裁判所が、「アメリカ国民に与えられた色々
 な特権(公民権)は、そもそも州の市民にそなわるもの
 であるから、これ等は黒人の市民権付与を規定した憲法
 修正第十四条の適用は受けない」として、「1875年の公
 民権法を否定した」。
  この判決によって、アメリカでは、堂々と黒人の方々
 への「差別」が、一層さらに、行われる事態となった。
  交通機関、学校、レストラン、教会、映画館などなど
 において人種差別行為が行なわれ、また、隔離も行なわ
 れた。
  また、州法や市条例やその他によって、法制化して確
 実化した・・そして、縛(しば)った。
  1896年5月18日には、さらに、最高裁判所が、「列車で
 黒人隔離をしても、平等だ」という、「隔離しても平等
 という屁理屈判決」を出した。
  これが、また、差別行為を正当化して、アメリカ差別
 社会は、一層その卑劣さを増した。
  軽蔑を通り越すアメリカの黒人の方々に対する差別に
 憤りが湧く。
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19世紀末、スペインのバルセロナ地方に独立したいという
 動きがある・・差別が原因・・
  これは、19世紀の末頃から、常にあった。
  スペイン中央政府のカタルーニャ民族を軽視する行動
 が原因だった。
  また、カタルーニャは裕福な州で、中央政府のカタル
 ーニャへの支出金があまりに少なく・・
  カタルーニャ州が税金として支出する金額と隔たりが
 大きい・・還元される金額が少ないという状況もあり、
 独立運動と結び付いて行った。
  2010年代、特に、盛んになった。
  また、イギリスのグリーンランド地方でも独立したい
 という動きがある。
  理解できる活動である。
  今、帰属しているスペインやイギリスは、他国民の多
 くを殺戮して来た、本当に多くの人々を殺戮して来た。
  これを思うと、帰属している国と、我々は違う民族な
 のだと、それを主張したいとなるのだった。
  アメリカも、本当に、多くの他民族をキリスト教観で
 乱暴な対処をして来た。
  バルセロナ・・スペイン北東部のカタルニャ自治州で、
 バルセロナ県の県都である。
  伝承であるが、フェニキア人によって建てられた。
  バルセロナの名は、カルタゴの名家のバルカスによる
 とされている。
  ローマ人、そして、西ゴート人の支配を受け、そして、
  717年頃、イスラムの統治下に置かれた・・しかし・・
  801年、カロリング朝フランク王国のルイ1世によって
 征服された。
  9世紀末に、バルセロナ伯領の首都となった。
  中世を通じて、ゼノアやベネチアと並ぶ地中海岸の商
 業の中心地として発展した。
  カタルニャ王国の首都として、アラゴン王権に対抗し、
 商人層を中心とする民主的な自治を行なった。
  独立の気運は「常に高くあった」。
  内乱時には、人民戦線政府の最後の拠点となった。
  このカタルニャには「自治運動があった」。
  この地方は、スペイン中央部とは経済的にも文化的に
 も異なっていて・・
  19世紀末頃から自治運動が絶えなかった。
  1923年、再び自治運動が高まり・・
  1931年4月、地方選挙後、カタルニャ自治政府の樹立を
   宣言をした。
   この時、スペイン全土でも共和派が大勝し、国王は
   亡命した。
  1931年、共和憲法によって地方自治が承認された。
  1932年9月、カタルニャ自治法によって自治州と認めら
   れた・・しかし・・
  1934年10月、耕作法をめぐって中央政府と対立し、カ
   タルニャは独立を宣言したが、すぐに軍隊によって
   武力で鎮圧された・・そして、自治法は停止された。
   スペイン内乱中もカタルニャと中央政府との対立が
   続き「内戦中の内戦」が展開された。
  1939年、 F.フランコの勝利で自治運動も不可能となる。
   しかし・・
  1975年、フランコ総統が死に・・その後・・
  1977年、中央政府の了解のもとに臨時自治政府が成立
   した。
  1978年、新憲法によって正式に自治が認められた。
   中心都市はバルセロナ。
  1980年、第1回自治州議会選挙以来、穏健派連合が過半
   数を制してきた。
  1992年3月、自治州議会選挙では独立を標榜するカタル
   ニャ共和左翼党が野党第2党に進出した・・しかし、
   穏健派連合優位の構図に大きな変化はない。
  日本でも、中国が陰で働きかけるアイヌや沖縄を独立
 させようという工作や運動が水面下でなされている・・
.
1933年1月30日、ヒトラーが、ドイツ首相に就任した。
  ナチス(単数形のナチ)は・・
  1919年、K.ハラーによってミュンヘンで結成された「
   ドイツ労働党」を、ヒトラーが民族主義と社会主義
   を巧みに接合させた・・
  1920年、「国家社会主義ドイツ労働者党」と改名した。
  1921年、ヒトラーが党首となったが・・
  1923年、ヒトラーは、ミュンヘン一揆を企てて投獄さ
   れた。
   党は解散したが、ヒトラーの出獄とともに大衆政党
   として再出発した。
  1925年、党員数はわずか2万7000人にすぎなかった・・
   しかし、その後、群小右翼団体を吸収して膨張した。
  1929年、党員数17万6000人・・
  1930年9月、総選挙で 18.3%を獲得して第2党となり・・
  1931年、党員数80万6000人・・
  1932年7月、総選挙で37.4%を得て第1党に躍進した。
  1933年1月、軍部や財界と取引を行なって、この時、政
   権を獲得した・・
   党員数は390万人とふくれあがった。
  そして、破滅的な第2次世界大戦への道をとった。
  このヒトラー時代のドイツは、自国に有利になる様に
 「女性を道具として卑劣に使った」。
  まことに卑劣な話であるが、この時のドイツは、外国
 から来た者へ、自国女性に性的な対応をする様にさせた
(ハニートラップ)
  朝鮮・韓国が、中国に冊封されている時、国の施設を
 持って、この様な事を行なっていたが(これは、史実と
 して明確に確定している)・・ドイツも、この様な状況
 であった。
  また、ドイツは、「現地妻」を制度的に用いていた。
  外国からの者へ「現地妻」を提供していた。
  また、冷戦中には、ソ連のKGBも、この様な事を行
 なった。
.
1937年8月13日、第二次上海事変:アメリカに支援された中
 国軍が攻めて来た。
  上海事件・・この戦いが、本格的な中国との戦いにな
 ったきっかけだった・・
  この戦いは、陰で、アメリカが、中国を支援をしてい
 た。
  これが、最大の悲惨な状況を作り出す不幸だった。
  ベトナムとアメリカの戦争と同じだった。
  アメリカが、陰だとはいえ、間接的に参戦することに
 よって、中国での戦いは「悲惨な戦争となった」。
  大量の武器などの物量を中国へ与え、戦いを大きくし、
 また、戦いへ仕向けていっていたアメリカだった。
  歴史教科書にはこのような事は書かれていないが・・
  ただ日中の戦いだったら・・早期に「決着はついてい
 て、終わっていた」。
  戦う当事国同士なら、早期に戦いは決着し、悲惨な結
 果にもならずに済んだ戦いだった。
  アメリカという第三国による一方の中国への支援が、
 この様な形での「間接的な、アメリカの戦争への参戦」
 が、戦いを長引かせ、また、より悲惨な状況とした。
  ベトナムでの戦いも、ベトナムとフランスとの戦いで、
 すでに、決着し、終わっていた。
  しかし、アメリカが乗り出した・・より強力な武器を
 使って・・また、非人道的な武器や行為を行なって・・
  そして、結局、最後は、陰に隠れてい居られなくなっ
 たアメリカは表に出て来た。
  アメリカ軍それ自体が表で参戦するという、卑劣で破
 廉恥な戦争行為となった。
  そして、表面立ってのベトナムとアメリカの戦いが新
 たに生まれた。
  ベトナム・アメリカ戦に変わった。
  戦いは、また続いた・・戦いは長いものとなり、また、
 筆舌に尽くせぬ卑劣な手を使ってでもアメリカは勝とう
 とし(枯葉作戦など)、しかし、アメリカは勝つことが
 出来なかった。
  ただ、戦争と何ら関係ないベトナムの一般の方々が、
 女性の方々が・・そして、小さな子供たちが・・大勢、
 死んだだけだった・・多くの奇形児も生まれた・・
  日中の戦争も・・泥沼となった・・
.
1945年9月10日、GHQが「新聞報道取締方針」(SCAPIN-16)
 を発令し、検閲を開始した。
  アメリカは、あらゆる面で、日本をコントロールし始
 めた・・卑劣だった・・(戦争に勝ったら、そんなこと
 が出来るのか?)
  日本には誇るべき平安京の時代がある・・女性は尊重
 されていた。
  当然、その様な社会環境から・・女性も高い教養を身
 に付けていた。
  その様な社会環境から、「人類最初の長編小説」が、
 日本のこの時代に書かれた。
  アメリカは影も形もないこの時代・・1200年以上も前
 に書かれていて、そして、生まれていた・・
  日本の女性の手によって書かれていた。
  こんな遠い昔でも、日本は、アメリカの様な奴隷制度
 の欠片(かけら)もない平等な社会だった・・そして、
 女性の人格も尊重される社会だった。
  まったく卑劣極まるレベルのアメリカの奴隷社会とは、
 まったく隔絶されて違う・・品位ある社会だった。
  日本は遠い昔から、奴隷社会などという遅れた社会か
 ら隔絶していて・・戦争もなく、兵役もなく、宗教の自
 由があり、言論の自由もあった。
  アメリカが、第二次世界大戦後、その様なことを「日
 本に教えるのだ」と言ったのは間違いだった・・逆に、
 日本から学ぶべきだった。
  アメリカの自国の歴史をもって、「日本もそうなのだ
 ろう」と思うことは、「おこがましい(出過ぎている。
 さしでがましい)」・・反省してもらいたい。
  日本人のプライドを奪うことを、この後、戦後に、ア
 メリカは、まだまだ行った・・まったく卑劣である。
  そんなことは、どこの国もやらなかった。
  だから、その点について、イギリスのチャーチルは、
 さすがに言った。
  そんなことをしたら、「タルタル人の様だと」と・・
  タルタル人と同じではないかと・・
  「タルタル人の時代に戻ってしまうではないか」と・・
  アメリカは、戦争に勝ったかもしれないが、それでは、
 タルタル人と同等ではないか・・と・・
  チャーチルは、数日間、抵抗した。
  しかし、アメリカに押し切られた。
  歴史に裏打ちされた品格を持つ日本は、この点で勝利
 していた・・人間として大事なこの点で、日本はアメリ
 カに勝ち、アメリカは敗けていた。
  (参考)タルタル人:タタール(Tatar)は、北アジア
     のモンゴル高原とシベリアとカザフステップか
     ら東ヨーロッパのリトアニアにかけての幅広い
     地域にかけて活動したモンゴル系、テュルク系、
     ツングース系およびサモエード系とフィン=ウ
     ゴル系の一部など様々な民族を指す語として様々
     な人々によって用いられてきた民族総称。
      日本では、韃靼(だったん)という表記も用
     いた。
.
1994年、今(2019年)から25年前、アメリカと北朝鮮は、
 かなり危機的な状態となった。
  クリントン大統領の時である。
  アメリカに「やる」という話が出た。
  アメリカ海軍は、「トマホーク」を使えば、北朝鮮の
 原子燃料施設を破壊できるという考えだった。
  アメリカ兵の犠牲も出ない。
  金もかからない・・と・・
  「やる寸前」まで行った。
  しかし、北朝鮮がアメリカを脅した・・
  「もし、アメリカ軍がトマホーク攻撃を仕掛けてきた
 ら、地上戦でソウルを火の海にしてやる」と言った。
  また、作戦の実行に、アメリカ陸軍が反対した。
  韓国に、アメリカ軍3万人に加えて、その家族が3万5000
 人が居た。
  将兵家族の引き上げの問題である。
  そして、クリントン政権のペリー国防長官が、クリン
 トン大統領へ「全面戦争になったら、100万人の死者が出
 る」と・・言った。
  また、「アメリカ人も、8万人~10万人死亡する。
  そして、我が国が負担する軍事費用は、1000億ドル(
 11兆円)に上る」と報告した。
  クリントン大統領は・・屈した。
  この時が、北朝鮮の核施設を無くすチャンスだったと
 言われている。
  この時、日本は何をするべきだったのか?
  その考え方が、「まとまっていなかった」。
  この時、日米で共同作戦を取っていれば、「日米安保
 体制も、ゆるぎないものになっていた」という・・
  日本には、「自国の安全保障に対して何をなすべきか?」
 の「一本、筋の通った論理」が無かった。
  「何も考えないで、アメリカに、頼り切っている状態
 の日本があった」。
  日本の安全保障であるのに、それを真剣に突き詰めて
 いたのか・・?・・これは、今でも続いている・・
  ただただ、戦争は嫌だと言っているだけで良いのか?
  それで済むなら誰だってそれでよいとする・・
  NHKや池上彰は、「徴兵制は怖い」などと脅す事だ
 けをしている・・本質の解説は「逃げている」・・
  北朝鮮は、必死に生き残りをかけてやっていて・・北
 朝鮮は、核とミサイルで自国民を守った。
  アメリカは、最後まで責任をとってくれるのか・・?
  今日の香港・・明日の東京・・そして、ニューヨーク・・
  周りに核に囲まれた日本・・銃を持った者たちによっ
 て、あなたの愛する妻や子が囲まれた時、あなたは何を
 するのですか?・・
  今日も銃の乱射で多くの人が亡くなったアメリカの報
 道が新聞にあるが・・

.
1995年、クリントン政権のジョセフ・ナイ国防次官補が「
 アメリカのアジアに対する『深い関与』戦略」という論
 文を発表した。
  それは、「アメリカは、ヨーロッパから軍隊を引き揚
 げても、東アジアからは撤退しない、『深い関与』を続
 ける」というものだった。
  アメリカ軍が、駐留を続けることによって「東アジア
 地域での軍備競争を抑える」だった。
  また、ペリー国防長官も、似たような主張をした。
  アメリカは、「日本を抑え付けておきたい」と言えな
 いから、この様な言い方をした。
  また、「瓶のふた論」も展開できないから、こんな言
 い方をした。
  「瓶のふた論」は・・もう古い・・
  ペリー国防長官の言い方は、「東アジアを安定させた
 い。軍備競争が起きないようにしたい。それ故に、我々
 は、冷戦が終わっても日本に5万人のアメリカ軍を駐留さ
 せる」と。
  どの様な言い方になっても、結局、「瓶のふた論」の
 思想の行動をアメリカは続けている。
  そして、その「瓶のふた論」をするアメリカへ、「思
 いやり予算」と称して日本国民の血税が支払われている。
  ところが、このペリーという男が、曲者(くせもの)
 で、「中国が、大好きな親中派」・・
  それも、自分さえよければ良いの男だった。
  クリントン政権の前に居たカーター政権で何をやった
 かと言うと、「アメリカの軍事技術を、せっせと中国に
 渡していた」。
  国防次官という身分で、「軍事技術供与」と称して、
 アメリカのノウハウを渡していた。
  そして、この行為は、この後も続いた。
  カーター政権を辞め、スタンフォード大学に戻ってか
 ら、「武器・軍事技術輸出に関するコンサルティング会
 社」を作った。
  目当ては、政権にいた時に作った中国。
  中国を最大の客として、重要な軍事技術を中国へ渡し
 た。
  それも、20年以上の期間に渡って。
  中国は、国防予算をうなぎ上りに増やした。
  前代未聞の4年から5年ごとに、倍増・倍増・倍増の超
 軍拡。
  「東アジアに軍拡競争をさせない」というアメリカの
 公言(人前で隠しだてすることなく堂々と言うこと)は、
 「絵に書いた餅」となった。
  アメリカなんて、こんな事が展開する国だった。
  アメリカ企業は、中国をお得意様として、中国に対す
 る軍事技術の輸出をどんどん増やした。
  「自分の懐に、金が転がり込めば、何でもいいのさ」
 の状態だった。
  アメリカ政府は、黙認した。
  北朝鮮も、この時期、せっせと核弾頭の材料である核
 燃料を増産した。
  1994年、アメリカは、北朝鮮と「これ以上プルトニウ
 ムを作らない」合意をした。
  しかし、1996年、北朝鮮は、このアメリカとの合意・
 約束を破って、パキスタンから「ウラニウム濃縮技術」
 を導入した。
  アメリカは、この重大な情報を日本に秘密にした。
  日米同盟なんてチャンチャラおかしいという状態。
  同盟関係なんてありもしないという日米同盟だった。
  裏切り者の卑怯なアメリカだった。
  さらに、アメリカが、卑怯で卑劣なのは、この状態を
 黙認したこと、核弾頭の開発を続ける北朝鮮を野放しに
 したこと・・この様な事を、アメリカはした。
  何の対抗策も取らなかった。
  日本だけには、ガチガチと枠をはめるアメリカだった。
  日本の自主防衛能力の構築だけが、ガチガチに抑え付
 けられていた。
  そして、2017年、北朝鮮は、立派な核保有国となり、
  ICBM(大陸間弾道弾)も保有する国となった。
.
2002年2月18日、アメリカのブッシュ大統領が来日した。
  この時、「小泉首相と靖国神社に共同参拝したい」と
 申し入れられていたという。
  日本は、中国を刺戟したくないと、この申し入れを断
 った・・(何を怖がっているのか?)
  その結果、ブッシュ大統領の単独による明治神宮の参
 拝になったという。
  日本は、中国に気を使い過ぎている。
  ウイグルの方々を300万人も拘束している中国、ウイグ
 ルの方々へ「洗脳とか、思想教育とか」をしている・・
  この抗議に対して、中国は「テロ対策だ」という「説
 明にならない説明」をしている中国となっている。
  さらなる抗議に対しては、「内政干渉だ」と突っぱね
 る中国となっている。
  その様な状況に対して、その正反対に、気を使い過ぎ
 る日本となっている。
  明治神宮の共同参拝までしなかった日本・・
  「政教分離にならない」というのも理由だったという。
  アメリカは、大統領の就任式にキリスト教の聖書に手
 を置いて祈り、誓うが、一定の範囲に宗教が関わること
 は正しい、「正義だ」、「許されるのだ」。
  宗教を否定する共産主義の中国とは違うのだ。
  馬鹿々々しいほど律義に行なう日本の方が「おかしい」。
  民の選挙も行なわない・・そして、宗教を否定する中
 国の方が・・「おかしいのだ」。
  日本は、中国の内政干渉には、きっぱり撥ね付ける必
 要がある。
  アメリカは日本に対して言っている、「マッカーサー
 の神道指令」を卒業して、「独自の日本の正義の態度を
 示せ」と・・
  その背景に、「中国に毅然と日本の主張をせよ」との
 思いがある。
  最近のアメリカは、日本に対し、「もっと自分の国に
 誇りを持った歴史観を持つべきだ」というメッセージを
 盛んに発している。
  靖国神社の参拝についても、反対の意見は無い。
  逆に、この類の話の中で、「中国への警戒感や脅威論
 が出る」という状況となっている。
.
2011年、ドイツと中国の間で「二国間政府サミット」が定
 期的に開催されるようになった。
  これは、やはり、狙いは商談・・金儲け・・
  首脳同士、閣僚同士の会談の影で、盛んに産業界の大
 物たちが、政府のサポートを受けながら大型契約の交渉
 に熱中していた。
.
2018年1月14日、スエーデンで、「ジャングルで一番格好の
 良い猿」と言って、黒人の子供の写真を載せる宣伝広告
 がなされた。
  考えられないほどの、「最低の人種差別の宣伝」で、
 世界で、この会社の商品の不買運動を始めよう。
  最悪な卑劣さで、怒りが心頭に達する。
  産経ニュース、2018年1月14日、「ジャングルで最もか
 っこいいサル」…黒人差別の広告に抗議、南アでH&M
 店が襲撃される
  スウェーデンの衣料品大手H&Mが、黒人への差別的
 な広告を使用した問題で、南アフリカ国内にある同社の
 複数の店舗が13日に襲撃され、商品が盗まれるなどの
 被害が出た。
  黒人の権利擁護を訴える野党が、支持者に呼び掛けて
 いた抗議行動が過激化した。
  南アのメディアが報じた。
  地元警察によると、最大都市ヨハネスブルクの店舗で
 は、商品が略奪され警官隊がゴム弾で制圧。
  商品が床にまき散らされた店もあった。
  H&Mによると、客や店員にけがはなかった。
  「ジャングルで最もかっこいいサル」と記したパーカ
 を黒人少年のモデルに着せた写真を、H&Mが広告に使
 っていたことが今月に判明。
  「人種差別だ」と批判が相次いでいた。
  支持者に抗議行動を呼び掛けた野党、経済的解放の闘
 士(EFF)のマレマ党首は「黒人への侮辱は許さない。
  (H&Mは)教訓を学んだだろう」と述べ、襲撃の謝
 罪を拒否した。
.
2019年、存立危機事態(産経新聞の解説文)・・
  自衛隊による集団的自衛権の行使が可能だと日本政府
 が判断する事態の称呼。
  安全保障関連法は、「密接な関係にある他国への武力
 攻撃が発生し、日本の存立が脅かされ、国民の生命、自
 由、幸福追求の権利が根底から覆(くつがえ)される明
 白な危険がある事態」と定義している。
  「国民を守るため、他に適当な手段がない」「必要最
 小限度の実力行使にとどまる」と合わせて「武力行使の
 新3要件」を満たす場合に、集団的自衛権の行使が認めら
 れる。
  この条文を読んでいるうちに、中国や北朝鮮からの核
 ミサイルは・・着弾するだろう。
.
2019年8月2日、日本は、韓国への「ホワイト国の指定」を
 取り外した。
  これは、韓国が、「軍事上の重大違反」を繰り返すと
 いう重大ミスがあったからだった・・当然の処置だった。
  この韓国へ与えてあげていた「貿易上の優遇処置」の
 取り外しは、特に、「軍事関係の重要品」を不適切国へ
 輸出するという「重大違反を重ねていた」からだった。
  この様な事は、重要な事として韓国も十分知っている
 事だったが、現実に起きることは、韓国の『重大なミス
 が重なる』という状況だった。
  この様な事に対して、韓国は謝罪も説明も一切ない。
  韓国へ与えてあげていた『ホワイト国の優遇処置』を、
 『普通のポジションへ戻した』。
  韓国の輸出不正の多い状態は、「二段階降下が適正で
 あった」が、「普通レベルに留めて」あげた。
  軍事的に重要な戦略物資の不適切な輸出は、非常に神
 経を尖(とが)らせなければならない重要な面であるが、
 故意ではないかと疑われるほど、韓国は「重大ミスが重
 なるという韓国の状況であった」。
  そこで、日本政府になり代わって、韓国政府へ、以下
 の文を書く・・
  日本政府が、韓国のホワイト国(輸出手続き上の最遇
 国)から排除する決定を下した。
  これは、韓国政府が、問題を解決するための外交的努
 力を拒否し、事態を一層悪化させる極めて無謀な行為を
 繰り返していたことに依ることであって、深い遺憾を表
 明する。
  問題を解決するために、膝を突き合せようという日本
 政府の熱意と提案を、韓国政府は、ついに、頑なに自説
 を曲げないで受け入れなかった。
  一定の期限を定め、現状をこれ以上悪化させないよう
 にしながら交渉の時間を持つように促す米国の提案にも、
 韓国政府は応ぜず、解決案にほど遠い自説を曲げなかっ
 た。
  韓国政府は、日本政府と国際社会の外交的解決の努力
 を無視し、状況を悪化させて来た責任を、韓国政府は重
 く反省しなければならない。
  この様な責任が、韓国政府にあるという事が明らかに
 なった以上、これから起きる事態の責任も、全面的に韓
 国政府にあるという点を、はっきりと警告する。
  どの様な理由で言い訳をしようとも、韓国政府の今回
 の行動は、まったく国際社会のルールを踏み外している。
  決着している過去の問題を何度も蒸し返したり、持ち
 出したりして、建設的な前向きな解決をしようとしない
 韓国政府に問題が存在する。
  最も近い隣人であり、友好国であるべき韓国が、この
 様な行為をとって来た事は、実に失望すべき事であり、
 残念なことである。
  この様な不正を押し付ける韓国の姿勢は、国際社会の
 これからの為にも、はっきりと指摘して行かなくてはな
 らない。
  国際社会はお互いが助け合うことが基本であり、ルー
 ルに反することを、自国に有利だからと行なう韓国政府
 の行為は、断固指摘せねばならない立場に日本政府には
 ある。
  日本政府は、韓国のこの様は不当な行動に対し、断固
 として正しい事実に則った態度を取って行く。
  韓国政府が行なう盗人たけだけしく騒ぐ状況を決して
 日本政府は座視しない。
  日本政府は、韓国政府の行なう措置に応じて、対応措
 置を強化して行く。
  そして、今までの、韓国政府の甘えの体質も反省すべ
 きである。
  不正な行動をする韓国政府は、大きな代償があるとい
 うことを認識しなければならない。
  日本政府は、対抗の悪循環を望んではいない。
  止められる方法はただ一つ、韓国政府が、偽りの行動
 を反省し、誠実にそして真実の行動をとることにある。
  日韓両国には、日本が韓国の国づくり、また、社会資
 本づくりなどに貢献して来た歴史があるが、この事につ
 いても一切の感謝の気持ちを韓国は表明していない。
  韓国政府は、この様な事に対する誠実な感謝の気持ち
 を表明すべきである。
  遠い昔から、江戸時代から、韓国政府は、この様な蒸
 し返しの行為を、日本政府に対して繰り返し行なって来
 た歴史がある。
  しかし、日韓政府の正常化に挑戦して行くことに対し、
 日本政府は努力するが、肝心な韓国政府が昔から日本に
 して来たような態度を繰り返すならば、歴史は繰り返さ
 れることとなる。
  共に、日本と延びたいのならば、国際ルールに則り、
 正しい行動の出来る国に韓国政府はならなければならな
 い。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  ロシア(旧ソ連)よ!
  千島列島と北方四島を日本に返還しなさい。
  終戦後の1945年8月18日に、占守島に奇襲攻撃して来た
 行為を反省しなさい。
  占守島の戦いで日本は戦いに勝っていたのに、終戦後
 であったので、ソ連(現ロシア)と合意の上で日本は武
 器を置いた・・日露間の戦争はここに終わった。
  しかし、日露の合意の終戦の後、日本兵の居ない日本
 領の千島列島と北方四島をソ連(現ロシア)は不法に占
 拠し始めた。
  千島列島の最北端の占守島の戦いで、日本が武器を置
 く式を日露合意で行ったことを遵守せよ!
  だから、君たちには、日本の領土を勝手に盗る行為を
 行なう正義の論理は無い。
  


2019年07月24日

(増補版)652E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年7月~1896年7月)

題:(増補版)652E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年7月~1896年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
 される。
.
1896年7月6日、京釜鉄道株式会社の設立発起人総会が東京
 で開催された。
  京城(現:ソウル)と釜山を結ぶ京釜鉄道株式会社を
 日本は設立をして、朝鮮半島の国造りに努力した。
  朝鮮半島を縦貫するこの路線は最重要路線で、現在も、
 大韓民国の韓国鉄道公社(KORAIL)京釜線として継承さ
 れ、経済活動に貢献している。
  この様な日本の誠実な努力に、韓国は感謝しなければ
 ならない。
  朝鮮半島に誠実な国造りをした国は日本しかなく・・
 その他の国は韓国・朝鮮半島の利権ばかりをしゃぶって
 いた。
  19世紀の後半と言えば、朝鮮政府は大変に財政上、逼
 迫(ひっぱく、行き詰って余裕のないこと)していた。
  そこで、朝鮮政府は、多くの鉱山採掘権などの利権を
 外国に売り払い、そして、盗られていた。
  アメリカは、京仁鉄道の敷設権を得ていて、工事を開
 始したが途中で投げ出した。
  因みに、1896年3月、日本銀行は、朝鮮政府へ応援をす
 るため300万円の借款(長期間にわたる資金の融資)を与
 えていた。
  朝鮮という地は、建設を成功させにくい地でもある。
  このアメリカの場合は、労働争議や支払い争議で中止
 された。
  この路線も、日本が引き継いで完成させてあげた。
  1900年7月に全面開通した。
  因みに、1900年2月に、日本の衆議院は、朝鮮半島の鉄
 道が完成し、充実する様に法案まで成立させたりしてい
 た「帝国臣民ノ外国ニ於ケル鉄道敷設ニ関スル法律案」・・
.
1896年7月8日、東京美術学校に西洋画科・図案科の2科が
 新たに設置された。
  この年、西洋画科が新設され、黒田清輝、藤島武二、
 横山大観らが指導にあたった。
  東京美術学校は・・
 1884年7月、文部省に図画教育改良を目的とする図画調
  査会が置かれ、調査が行われ、官立美術学校を設置す
  ることに決定されたことに始まる。
 1885年12月、文部省学務一局に図画取調掛が置かれ、そ
  して、アーネスト・フェノロサ、岡倉覚三、狩野芳崖、
  狩野友信らが委員となって設立準備が進められた。
 1886年2月、図画取調掛の事務所が小石川植物園内に移さ
  れ、岡倉覚三がその主幹となった。
 1886年9月、文部省と宮内省が協議し、フェノロサと岡倉
  を委員とする欧米の美術及び秘術教育視察が行なわれ
  た。
 1887年10月、二人の報告に基づき、勅令によって、図画
  取調掛及び工部大学校内「工部美術部」を統合・改編
  して東京美術学校が設立された。
  また、校則も定められた。
 1887年12月、東京都台東区上野公園の現在地へ移転する。
 1889年2月、開校される。
  5年制の学校として、普通科(2年)、専修科(3年)、
  特別の課程(1年)を置いて、授業を開始した。
  普通科:絵画・造形、専修科:絵画(日本画)・彫刻
  (木彫)、美術工芸(金工・漆工)に分かれていた。
 1890年、岡倉覚三が就任し、事実上の初代校長となる。
  副校長はフェノロサが務めた。
  開校時の教官は、他に、黒川真頼・橋本雅邦、小島憲
  之であり・・
  後に、川端玉章・巨勢小石・加納夏雄・高村光雲らを
  加えた。
 1892年、鋳金科を設置。
 1893年、第1回卒業式が挙行される。
  横山大観らの卒業生を送り出す。
 1895年、鍛金科を設置。
 1896年、西洋画科と図案科を設置。
  西洋画家の教官には、黒田清輝・藤島武二・和田英作・
  岡田三郎助、
  図案科の教官には、福地復一・横山大観・本多天城ら
  が就任した。
 1898年、美術学校騒動が起きた。
  岡倉覚三の学校運営が問題とされ、岡倉をはじめ、橋
  本、横山、下村観山、菱田春草らの多数の教官が退任
  し、日本美術院を結成した。
 1899年、塑造科を設置。
 1902年、図案科に建築教室を設置。
 1905年、学科を再編成し、日本画、西洋画、図案、彫刻、
  金工、鋳造、漆工の7科とする。
 1907年、図案師範科(3年制)を設置。
 1914年、製版科(3年制)を設置された。
  (図案科が第一部(工芸図按)と第二部(建築装飾)
  に分離の史料もある)
  当時は、年限1年の予科、年限3年~6年の本科(絵画科、
 彫刻科、工芸科、建築科)と師範科、年限2年の研究科か
 らなった。
.
1896年7月10日、基隆駅~新竹駅間の鉄道運輸の営業が開始
 された。
  台湾総督府鉄道の営業開始で、台湾の近代化と地域開
 発の原動力となって行った。
  基隆(きいるん)は台湾北部にあり、新竹(しんちく)
 は台湾北西部にある。
  新竹駅の駅舎は、現在でも日本人建築家の松崎万長が
 設計し、そして、建設・完成された立派な状態で使用さ
 れている・・
  台湾での現存の最古の駅舎となっている。
  1994年から、台湾の学者、複数の有志の方々の呼び掛
 けや保存運動の展開によって・・
  1998年6月23日に、台湾の国定古蹟(台湾の国の文化遺
 産)に指定された。
.
1896年7月10日、新聲(声)社(現:新潮社)が創業された。
  佐藤義亮(さとうぎりょう)が新声舎を設立し、雑誌
 「新声」を刊行したが破綻した。
  1904年に新潮社を創立し、文芸雑誌「新潮」を創刊し
 た。
  佐藤(1878年~1951年)は、18歳の時に文学を志して
 上京し、1896年のこの年、新声社を設立したのだった。
.
1896年7月15日、北陸線の敦賀駅~福井駅間が開通した。
  北陸線と命名されたのもこの年・・
  そして、この日に、北陸線と各連絡社線との相互荷物
 取扱も開始された。
  この区間の建設において・・特に、敦賀駅~今庄駅間
 は険しい山地であったため、その山地を避け、海側の杉
 津駅経由で建設された(今の北陸トンネルの所)・・
  それでも、急勾配と12か所のトンネル、4か所のスイッ
 チバックが連続するという難所だった。
  難工事で命を落とした方も多かっただろう・・
  誠実な国造りの賜物で開通した・・快適な旅行が出来
 る現在、この様な先人の苦労を偲(しの)び、また、感
 謝しなければならない。
  日本の技術を駆使した朝鮮・韓国は感謝さえしない・・
.
1896年7月21日、日清通商航海条約が調印された。
  下関条約に基づいて結ばれた日本と清国との通商航海
 条約で、北京において、日本と清朝の間に締結された。
  領事裁判権・協定関税・最恵国待遇を含む欧米諸国と
 同一内容の条約。
  日清両国人の共同経営事業についての規定、日本人の
 登録商標・著作権保護の規定などを定め、追加条約も締
 結した。
  今・現在の中国の著作権を含む知的財産権を盗む行為
 の様な事が無い様にと約束した。
  これによって、日本と中国との通商の基礎ができた。
  1896年10月20日、批准書交換が行われた。
  1896年10月28日、発効。
  辛亥革命で成立した中華民国にも継続された。
  日本側全権は林董(はやしただす、伯爵、外交官)
  ちなみに、林董は、榎本武揚の軍に加わって箱館戦争
 に参加している。
  1928年に至り、中国は改訂したいとし、日本は応諾し
 て、条約の改定が行なわれた。
.
1896年7月21日、信越地方が数日にわたる降雨のため、軽井
 沢駅~直江津駅間の線路は、各所で破壊された。
  御代田付近では、機関車が30尺(9.1m)下に転落した。
  客車・貨車も、脱線転覆した。
  全線が運転中止となった。
  7月23日に一部区間が開通し・・
  全線開通は、8月22日だった。
.
1896年7月22日、新潟市から長岡市大洪水
  信濃川の堤防の各所が決壊した。
  被災面積は18000haに及んだ。
  信濃川の洪水としては有史以来の過去最大規模で・・
  破堤地にちなんで「横田切れ」と呼ばれる。
  破堤してから21日後でも、新潟市新通は、まだ浸水し
 ていた。
  長岡市中之島は、浸水が引かないため堤防上に小屋を
 建てて生活する人も居た。
  この「横田切れ」による被害は、死者43名、浸水家屋
 43684戸、浸水耕地58254ヘクタール。
  新潟市から長岡市のほぼ全域が浸水する大水害だった。
  この後、原田貞介が大河津分水工事改良案を提出し・・
  1909年、原田案をもとに、第二期大河津分水路工事が
 建設された。
  難工事で100名以上の殉職者を出しながら、1922年に、
 通水に成功した・・2年後の1922年、皆が待望し悲願した
 完成に至った。
  この分水によって、この後、信濃川本流が破堤するこ
 とはなくなった。
  (史料)大河津水位14尺4寸(4.32m)となる。
      各地の被害は・・木津に破堤あり、亀田郷は
     皆無作となる・・
      白根郷では赤渋字赤池の安中542の上手が破れ、
     新築早々の五幣氏宅は根こそぎ流される。
      横田でも破堤し、泥海となった(大洪水:横
     田切れ)鷲ノ木の煉瓦水門が損傷し漏水。
  初期の1918年~1941年に、千曲川第一期補修工事が進
 められていたが、洪水が、1年おきぐらいにどこかで起き
 るという状況で、苦労させられていた。
  尚、現在も、補修事業は進められている。
.
  (今日の言葉)
.
  題:NHKや新聞は、南京へ進軍することを煽った。
    キリスト教に良いことをすれば、あなたにも良いことが起きますよと言われて、
    ローマのコンスタンティヌス帝はキリスト教を国教にしたが、その後、ローマは西ゴート人に侵略された。
    クーベルタンの言葉:「体力の劣る女性が、オリンピックに参加することは、オリンピックの品位を落とす」。
    学校放送の資質に欠けるNHK
    中国に、北海道の土地が、もう1割も買われている。
.
紀元前202年、ザマの戦いが起きた。
  北アフリカのザマを戦場として、ハンニバルの率いる
 カルタゴ軍は、スキピオの率いるローマ軍と戦い、敗北
 した。
  その16年前の紀元前218年、イベリア半島を出発したカ
 ルタゴ軍は、アルプスを越えてイタリア半島に侵入した。
  知将のハンニバルは、ローマ軍を蹂躙(じゅうりん)
 し、勢いづいた。
  ローマが、この時、恐れたことは、このハンニバル軍
 にイベリア半島に残っていたカルタゴ軍が合流すること
 だった。
     ・
     ・
410年8月24日、ローマ略奪(りゃくだつ)
  アラリック1世が率いる西ゴート族が、西ローマ帝国の
 ローマへ侵攻し、陥落させ、ローマ市内を略奪した。
  「永遠の都」として象徴的な地位にあったローマに対
 して、恥辱に溢れた略奪が行われた。
  外敵に対する無敵を誇ったローマが略奪されて、陥落
 した。
  このことは、ローマ帝国内外に大きな動揺をもたらし
 た。
  キリスト教聖職者で神学者であるヒエロニムスは、皮
 肉を込めて言った・・
  「全世界を収奪し続けたローマが、外敵から収奪され
 ている」・・と・・
  キリスト教は、ローマ帝国がキリスト教を国教とした
 ことを非常に讃美した(これは、今・現代もしている)
  これは、当然で、この事によってキリスト教は大いに
 宣教され、延びた。
  キリスト教になればいいことがありますよという「相
 互授受」を説いた・・この言葉が効いたのだった。
  国教にしたコンスタンティヌス帝は、キリスト教が説
 く「相互授受」、つまり、キリスト教にとって利するこ
 とをすれば、ローマ帝国にとっても良いことが、キリス
 ト教の神によってもたらされる、良いことが起きるとい
 う教義・原理で・・コンスタンティヌス帝も、これを当
 てにしていた・・しかし・・??・・
  キリスト教の神による見返りを期待して、国教とした
 のだった・・が・・
  今・現在も、キリスト教の神からの見返りの奇跡を信
 じて祈っているが・・古代は生贄(いけにえ)さえ捧げ
 て、その犠牲の見返りを求めていた。
  しかし、その後、このコンスタンティヌス帝に起きた
 ことと言えば・・決して、キリスト教が語らぬ酷(ひど)
 いことだった。
  410年、キリスト教が嫌う異民族である「西ゴート族」
 が・・その王のアラリック1世が・・侵入し・・これに
 よってローマ帝国は椋略(りょうりゃく)されてしまっ
 た。
  最悪の事が起きてしまった。
  キリスト教を国教にしてあげたのに、その結果は、永
 遠の都のローマが、蛮族の餌食となってしまった・・と・・
  この様な結果を怒ったのが「ローマの人たちだった」。
  キリスト教の神に乗り換えて、ローマの神々を追い出
 したから悪いのだと怒った。
  さらに、ローマの人たちは、キリスト教の神への批判
 を始め、そして、その責任を問う声を上げ、その声が満
 ちた・・ローマ中に沸き起こった。
  唯一神のキリスト教の神の災厄(さいやく)だ・・と・・
     ・
     ・
11世紀、ヨーロッパで盛んにつくられた世界図にTO図が
 ある。
  Tはドン川、ナイル川、地中海で、Oはオーケアノス。
  (参考)オーケアノス:ギリシア神話に登場する海神。
      ティーターンの一族に属し、特に、外洋の海
     流を神格化したもの。
  ギリシア神話の世界観では、世界は円盤状になってお
 り、大陸の周りを海が取り囲み、海流=オーケアノスがぐ
 るぐると回っているとされた。
  それ故、神話において、オーケアノスの領域という言
 葉は、しばしば「地の果て」という意味で用いられる。
  TO図は、ここまでは古代の考えを引き継いで、世界
 の中心にエルサレムを置いた。
  そして、東の果ては、アダムとエバが住むとして神聖
 な楽園とした。
  (東の東と言えば極東・・だとすれば、日本になる・・)
  そして、ノアの息子たちの子孫の、アジア人はセム、
 アフリカ人はハム、ヨーロッパ人はヤペテの子孫と考え
 ていた。
  7世紀から始まるイスラム世界の発展へも影響を与えた。
     ・
     ・
1896年4月6日、アテネオリンピックが開催された(~1896
 年4月15日)
  この開催は、フランスのピエール・ド・クーベルタン
 男爵の活動・提唱によると言うが・・
  このクーベルタンに次のような言葉がある・・
  「体力の劣る女性が、オリンピックに参加することは、
 オリンピックの品位を落とす」。
.
1937年8月13日、第二次上海事変が始まる。
  アメリカに武器・弾薬を援助されて、大部隊で日本を
 攻めて来た蒋介石の中国軍・・
  この第二次上海事変は、約2ヶ月間戦われた(~1937年
 10月26日)
  寝耳に水の上海の日本租界へ、中華民国軍の大部隊が
 攻めて来た。
  1937年7月29日の通州事件で、日本人が230名も虐殺さ
 れるという悲惨な、そして、卑劣な事件があったが・・
  この様な第二次上海事変という様なことがあるとも知
 らない日本は、その上海には、わずかな兵しかいなかっ
 た・・
  しかし、約2ヶ月の激烈な戦いで、日本は中国軍を撤退
 させた。
  この頃、欧米列強の思惑は・・
  フィリピンを橋頭保として中国の利権を得たいとする
 アメリカと・・そして・・
  アヘン戦争以来、広く中国にガン細胞の如くにはびこ
 り、美味しい汁を吸うシステムを構築していたイギリス
 などが・・
  新興のごとく現れた有色人種のアジア人の日本に対し
 「この美味しい利権を断たれるのではないかと恐れた」
 のは・・利権獲得者が「そう思うのも自然だった」。
  この様な行動を・・ロシア・ドイツ・フランスも中国
 で行なっていた。
  中国という広大な大領域の国には、利権漁りのアメリ
 カやヨーロッパ諸国が群がり「巣食っていた」。
  そして、第二次上海事変・・戦争はおさめたものの、
 この突然に攻めて来た中国軍を「追撃するか」どうかに
 日本は迷った・・
  南京まで進軍するかという時に、NHKや新聞などの
 メディアは、「煽って、進軍を肯定した」。
  突然に攻めて来た中国軍の悪さもあったが、この追撃
 するという方向になって行く・・「このままにする」と
 いう不拡大派を押し切って行く。
  日本国民も、このNHKやメディアに影響されて、正
 しい思考を阻(はば)まれ、熱狂した・・
  そして、国の方向を・・メディアの煽りで・・決めて
 行く・・
  NHKなどのメディアの責任は重大だった。
  今・現在も、NHKなどメディアが、不要な日本政権
 批判や、トランプ政権批判を行なっているが・・日本国
 民を洗脳し、繰っている状態になっているが・・
  この第二次上海事変の当時と同じことをやっている。
  お昼の、洗脳の「ニュース・バラエティ番組」も最悪
 である。
  この時の南京進軍も、NHKなどのマス・メディアの
 責任である。
  1932年の第一次上海事変が、華中に多くの利権を持つ
 アメリカやイギリスの圧力で、停戦協定が結ばれたよう
 に・・
  第二次上海事変も、アメリカやイギリスの干渉によっ
 て停戦にしたいと、中国国民政府の蒋介石は、戦争を仕
 掛けておきながら、停戦を希望し、思っていた。
  この時の日本のメディア(NHKや新聞)は、この様
 な中国を「日本を侮(あなど)っている」「暴挙なのは
 支那だ」と煽った。
  強硬論が強くなった時、天皇陛下は、不拡大の御意思
 を示された・・が・・
  不拡大の意見は孤立して行った。
.
1941年、アメリカの黒人の方々は、キリスト教会でさえ、
 白人と隔離され、出入りを禁止にされ、差別をされた。
  キリスト教会の「神の祈祷」すら白人と一緒に出来な
 かった。
  アメリカ中がその様な様相で、大都市であっても、汽
 車、電車、バス、映画館、学校、ホテル、レストラン、
 図書館、海水浴場、便所などなど、あらゆるところで、
 アメリカ白人たちは黒人の方々を差別した。
  黒人男性が、白人女性を乱暴したというような噂(う
 わさ)が広がると、「単なる噂であるのに」・・
  また、有罪無罪に関わらず、犠牲と勝手に選んだ黒人
 の方を野外でリンチして、木の枝に吊るして、絞殺をす
 るという残忍な殺し方をした。
  単に、黒人の方々だけではなく、この白人の優越感か
 ら来る残忍さは、全有色人種に向けておよんでいた。
  特に、1930年代後半から、日本人は許せないという「
 理由のない敵愾心」が、大東亜戦争(第二次世界大戦)
 の原因となった。
  その底には、日本が、アジアのリーダーになりつつあ
 る姿をアメリカは恐れた。
  しかし、結局、戦争は起き、結果はアジアの諸国が独
 立を勝ち得て、欧米列強の「収奪の植民地状態」から脱
 し得た。
  1941年、アメリカ上院議員クロード・ペッパーは言っ
 た・・
  「もし全能であるキリスト教の神が、ジャップ(日本
 に対する蔑称)に東洋を支配させる思(おぼ)し召しが
 あるのなら、必ず、彼らを白人人種におつくりになった
 であろう(キリスト教の神は、彼らを有色人種に作った
 のは、東洋を支配などさせるなとのことだ)」と議会で
 演説をした。
  アメリカには、人種差別感を持たない方々も居られる
 だろうが、戦争が起きようとしているこの時期、この様
 な有色人種蔑視感を丸出しの上院議員が議会演説をする
 という異常なアメリカだった。
.
1950年6月25日、韓国・老斤里(のぐんり)における大虐殺。
  この卑劣な事件は、半世紀を経て明るみに出た。
  アメリカ軍が、避難民を約400人を虐殺した。
  老斤里は、忠清北道の永同郡にあり、ソウルから南へ
 160キロの所にある。
  韓国政府は冷たく扱い、この事をタブーとして語らせ
 なかった。
  1944年4月になって、やっと本にして出版できた・・小
 説として「君、われわれの痛みがわかるか」である。
  それまでアメリカ大統領へも陳情の手紙を送ったが、
 なしのつぶて、無回答だった。
  この事件は、朝鮮戦争が始まった直後の1950年6月25日
 から始まった。
  北朝鮮軍がソウルに侵入すると、非難だとして韓国住
 民が集められ、首都がソウルから大田に移されたが、そ
 の太田も7月20日に陥落すると、米軍は避難命令を出した。
  住民は、さらに、避難行動をした。
  他からの避難民も加わり、林渓里には数百人が集まっ
 た。
  7月25日、朝8時、米軍が突然来て、後方に非難するか
 ら集まれと命令した。
  午後11時頃、600人ぐらいを強制的に出発させた。
  深夜になって、米軍は、川辺の野原に這いつくばらさ
 せて、その周囲を銃をもって監視した。
  この日に、7人が撃ち殺された。
  その翌日、戦闘機2機で機銃掃射された。
  逃げた人々へも、米兵が銃撃した。
  この様な事を続けた。
  北朝鮮軍兵士は、この中には居なかった。
  トンネルに逃げ、そのトンネル内にも銃撃した。
  トンネルの双方からも銃撃した。
  29日まで続いた・・この様な虐殺事件だった。
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1988年3月、南シナ海問題・・中国とベトナム間で武力衝突
 が発生し・・ベトナム兵の77名が死亡した。
  1995年、中国が、ミスチーフ礁に建造物を設置した。
   この地の領有権のあるフィリピンが領有を主張し、
   中国とフィリピンが対立した。
   中国は習近平政権下で、軍事進出をする姿勢を強め
   た。
  2014年以降、中国が、南沙群島で人工島や軍事施設な
   どを建設し始めた。
  2016年、フィリピンが、中国を相手に提訴した国際裁
   判で、常設仲裁裁判所は、中国が領有して来たとす
   る南シナ海のほとんどの全域を含む「九段線」の主
   張は根拠がないとし・・中国の主張する歴史的な権
   利は「ない」との判決を下した。
  この様に、世界的な決定がなされている南シナ海は「
 公海」である・・
  この公海を、公海という本来の形にしておくことは、
 「世界の核心的利益である」。
  この海を、中国の資金で、元の海の姿へ戻させなけれ
 ばならない。
  また、この様な行為をする、本例の様な行為をする中
 国が、普通の脅威・リスクのない国に戻ったら、沖縄の
 辺野古の海も元の海へ戻さなくてはならない。
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2008年10月、アメリカが、北朝鮮の「テロ支援国家」の指
 定を解除した。
  今の北朝鮮を作ったのは、アメリカのブッシュ大統領
 の「テロ支援国家」の指定。
  この脅しをきっかけに、北朝鮮は、核とミサイルの開
 発を始めた。
  そして、中国が支援した。
  しかし、アメリカは、テロ支援国家の指定はしたが、
 対応に「中途半端な態度」を取った・・
  2006年10月、北朝鮮が、第一回の核実験の後、アメリ
 カは、手の平を返す・・
  まったく甘い対応に変えた。
  経済制裁も解除した。
  また、北朝鮮の核兵器製造施設を査察の対象から外し
 た。
  また、北朝鮮が、核弾頭用のウラニウム濃縮施設を数
 ヶ所を建設して来た事も問題にしない。
  そして、2008年10月、ブッシュ大統領が「テロ支援国
 家」の指定まで解除してしまった。
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2015年、リャルリー・エブト襲撃事件。
  キリスト教による、イスラムの方々への蔑(さげす)
 み行為が事件となった。
  フランスのパリで起きた事件。
  風刺週刊誌を発行している「リャルリー・エブト」の
 本社が襲撃され、編集者など12名が殺害された。
  この週刊誌は、イスラムの方々を蔑む風刺画を一度な
 らず何度も掲載し・・
  また、これだけではなく、イスラム教のムハンマド預
 言者を貶(おとし)める行為を絵などでたびたび掲載な
 どを行なっていた。
  「表現の自由がある」と軽薄に無制限に理解し、イス
 ラムの方々の尊重すべきことに全く配慮してなかった。
  イスラムの方々を、ただただ傷つける無配慮な行為を
 続けて来ていた。
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2017年8月30日、残念なことだが、北朝鮮は、ミサイルの大
 気圏再突入時の問題はクリアーした。
  技術的な問題を解決した。
  帯広のNHKの監視カメラの映像が、北朝鮮のミサイ
 ルが明るい光を放ちながら落下していく様子を撮影して
 いた。
  これは、北朝鮮のミサイルが、大気圏再突入をする時
 に、バラバラにならずに、正常に機能し、正常な形で落
 下して行った姿だった。
  また、近い将来、日本のミサイル防衛システムは、ま
 ったく役に立たなくなることが予測されている。
  日本のMDシステム(弾道ミサイルv防衛システム)
 では、北朝鮮の核攻撃を防ぐことが出来ないということ。
  また、北朝鮮は、近い将来、「巡航ミサイル技術を習
 得すると予測されている」。
  北朝鮮と一緒に、ミサイルを開発してきたイランとパ
 キスタンは、すでに巡航ミサイル技術を持っている。
  巡行核ミサイルは、小型の漁船や貨物船からも発射で
 きる小回りのきく核ミサイル。
  また、自由に航路を変えながら低空を飛行するため、
 日本のMDシステムでは、ほとんど北朝鮮の核攻撃を捕
 捉(ほそく)が不可能なので、防ぐことはできない。
  アメリカに命令されて、高価な金を払って買ったシス
 テムも役に立たない。
  中国の勢力圏拡張政策と、それと共生する北朝鮮。
  日本は、抜本的な防衛システムの構築をはかれ。
  また、中国・北朝鮮は、「大勢の工作員を、日本に、
 潜り込ませているが、そして、自国に都合の良い方向に、
 日本の内政と外交と世論を誘導しているが・・
  これにも対処せよ」。
  中国・北朝鮮のやりたい放題の活動の場と日本はなっ
 ている・・日本の世論誘導もやっている。
  日本の優秀なビジネスマン、銀行員、学者、ジャーナ
 リストが狙われている、繰られている。
  大量の金も、ばらまかれている。
  こういう静かな戦争が行われている。
  NHKは、日本国民を操作する番組ばかりを放送して
 いる、
  例えば、反日思想の沖縄の彫刻家の番組(この様に偏
 った企画の番組ばかりを放送するNHK)・・反日作家
 を特にクローズアップするNHK・・反日放送局となっ
 ている・・2017年8月30日のメモから・・
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2017年10月13日、日本とインドの同盟関係
  本当に「同盟」になり始めた日本とインドの関係(日
 経ビジネスを参考にして・・)
  安倍晋三首相は10月8日、インターネットテレビに出演
 して「日本とインドは同盟国といえるぐらいの関係にな
 っている」と明言した。
  その理由として、日印米3か国の海洋共同演習マラバー
 ルを挙げた。
  話の流れでそれ以上の説明はなかったのだが、この発
 言は日印の最新の動向をよく示している。
  日印間には、日米同盟のような深い関係はない。
  それでも過去数年、とくにここ数か月、日印間の防衛
 協力が明らかに進展している。
  最近の動向は、以下に挙げる3つの点で、日本とインド
 が「同盟」状態になりつつあることを示している。
  「同盟」の要諦は危機に臨んだ時の協力
  「同盟」関係にあるか、そうでないかを分ける指標は
 何だろうか。
  最も重要な指標は、条約が結ばれているかどうか、で
 はない・・戦争や危機の時に味方であるかどうかである。
  実際、条約を結んでいても味方とならない場合があり
 得る。
  例えば、イタリアは、第1次世界大戦の時、ドイツやオ
 ーストリアと同盟を約束する条約を結んでいたにもかか
 わらず、オーストリアに宣戦を布告した。
  イタリアは第2次世界大戦でも、途中まではドイツと一
 緒に戦ったが、戦争の最末期、政権が交代すると、連合
 国に加わった(連合国が勝つと分かっている時である)
  戦争や危機に臨んだときの態度は、同盟の最も重要な
 側面である。
  この観点から見た時に、日印「同盟」関係をはっきり
 と示したのが、6月16日から8月28日まで続いた、インド
 と中国の危機に際しての、日本政府の態度だ。
  危機が起きた地域はドグラム高地といい、中国とブー
 タンの双方が領有権を主張している。
  インドにとっては、インド「本土」とインド北東部を
 つなぐ細い鶴の首のような部分に、クサビのように突き
 刺さる地域で、防衛上の要地である。
  そのため、この地域は長年、安全保障上の問題になっ
 てきた。
  そのような敏感な地域で、中国軍は戦車の重量に耐え
 る道路の建設を開始した。
  当初、中国軍による建設を阻止すべくブータン軍が(
 たった8人で)割って入ったが、中国軍に追い返された。
  そこで、ブータンの安全保障を担うインドが軍を派遣
 して道路建設阻止に着手した。
  そこから73日間に及ぶ、にらみ合いの状態に入った。
  インド軍が数百人規模だったのに対し、中国は1万2000
 人、戦車150両、さらに、火砲もそろえた大陣容を派遣し
 た。
  さらに、中国空軍も新型戦闘機による飛行を大幅に増
 やしたほか、周辺のチベット地域では大量の物資を運び
 こんで大規模な軍事演習も実施した。
  中国軍の広報官は1962年に中国がインドを負かしたこ
 とを思い出すよう言及、明確に戦争を示唆した。
  これに対抗してインドも、ドグラム高地周辺の3個軍団
 4万5000人が陣地を構築した。
  さらに、4000㎞に及ぶ印中国境(含:実効支配線)全
 体でも警戒態勢に入ったため、印中が武力衝突する可能
 性が高まった。
  日本は、この対立で存在感を示した。
  戦後の日本の対応としては驚くべきことかもしれない。
  7月に、ヘリ空母「いずも」をインド洋に派遣した。
  インド空母、米空母とともに大規模な海洋共同演習「
 マラバール2017」を実施して、日印米の協力関係の強さ
 を示した。
  この派遣は、印中の危機が起きる前から決まっていた。
  しかし、中国のメディアは、「インドは日米に期待す
 るな」と報じた。
  これは、ヘリ空母「いずも」の存在も気にしている証
 といえる。
  さらに8月18日、日本の平松賢司駐印大使が、「力によ
 る現状変更を非難する」と発言した。
  これは一般論をいったにすぎない。
  しかし、インド政府は、当時、「力による現状変更を
 迫っている」と中国を非難しており、日本大使の発言は、
 その論理を受けたものだった。
  しかも、この発言は絶妙のタイミングで行われた。
  4000㎞の国境でにらみ合いを続ける印中両軍が8月15日、
 カシミールで小競り合いを起こした。
  取っ組み合いを始め、石を投げ合い、負傷者が出た。
  緊張が高まり、インドが不安を高めた瞬間に、日本大
 使が発言したのだ。
  しかも、このドグラム高地の印中対立について、米英
 豪などは中立的な発言しかしていなかった。
  だからインドは、日本が主要国で唯一、インドを無条
 件に支持したものと受け止めた。
  日本の存在感は、ここで終わらなかった。
  緊張が緩和し、印中両軍がにらみ合いの場所から150m
 ずつ後退した8月28日にも、日本の存在感が際立った。
  当時は、中国でBRICS会議が行われる直前で・・
  BRICS会議にインドのナレンドラ・モディ首相が
 出席するかどうか、中国は気にしていた。
  しかし、それだけではない。
  中国が気にしていたことがもう一つあった。
  9月にインドの国防相が訪日し、同月、安倍首相が訪印
 することだった。
  もし対立を続けていたら、日本とインドの対中防衛協
 力が大幅に進展してしまう。
  中国は、その前に危機を終わらせたかったと予想され
 た。
  この様に、実際の危機が起きたときに、日本とインド
 の協力関係が目に見える形で発揮された。
  訪日したインドの国防相も、安倍首相を迎えたモディ
 首相も、日本に感謝を表明した。
  インドの一部では、尖閣諸島で危機が起きたとき、イ
 ンドは日本を支持すべきか、議論が起き始めている。
  実際に条約を結んではいなくても、戦争や危機の時に
 作動する事実上の「同盟」関係は成立しつつある。
  機密情報を共有する仕組みはあるか
  戦争や危機に臨んだ時の関係以外にも、日印の「同盟」
 関係を示す指標がある。
  防衛上の機密情報を交換できる体制ができているか、
 防衛協力する際に使う物品を融通できる体制ができてい
 るか、
  防衛技術協力は進んでいるか・・だ。
  同盟国は共同で軍事作戦を行う。
  その時、何が必要だろうか
  軍事作戦にかかわる秘密情報を交換したり、燃料や弾
 薬といった物品を交換したりする体制が必要だ。
  また、同盟国は、機密性の高い高度な兵器を共同で開
 発をする。
  この点について、日本とインドの体制はどうか・・
  機密情報の交換について、日印は「防衛装備品・技術
 移転協定」「秘密軍事情報保護協定」の二つに2015年12
 月に署名した。
  安倍首相が、9月に訪印した時にモディ首相と発した共
 同声明は、「マラバール」共同演習について「対潜戦(
 対潜水艦戦)」を念頭に置いて協力すると明記している。
  対潜水艦戦は、もっとも機密度の高い情報を扱う分野
 の一つだ。
  次に補給品の融通に関して・・「マラバール2017」に
 おいて、海上自衛隊の護衛艦が初めて、インドの補給艦
 から給油を受けた。
  これはインドから燃料を買ったことを意味する。
  こうした協力について、海上安全保障保護協定のよう
 な正式な協定を結ぶべく、両国の間で、交渉が行われて
 いる。
  そして、防衛技術協力・・9月に、インドの国防相が訪
 日したときの共同声明と、同月に安倍首相が訪印したと
 きの共同声明をみると、その両方に防衛技術協力の記述
 がある。
  例えば、安倍首相訪印時の共同声明には「マラバール
 その他の共同訓練、警戒監視及び無人システム技術、防
 衛産業協力等の防衛装備品・技術協力を含む、防衛・安
 全保障協力及び対話を発展させること」と明記している。
  陸上無人車両(UGV)、ロボティクス分野、US2 救難飛
 行艇、デュアルユース技術(軍用にも使える民生用技術
 のこと)など具体的な名前を挙げて協力を進める方針1。
  (参考)外務省「日印共同声明:自由で、開かれ、繁
     栄したインド太平洋に向けて」2017年9月14日、
      インドが求める対パキスタンの協力、さらに、
     日印の「同盟」関係を示すものがあるとすれば、
     外交政策における協力である。
      2つの特徴的な動きがある。
      1つは、インドが日本の対北朝鮮政策に協力す
     ると同時に、日本がインドの対パキスタン政策
     に協力するようになっている。
  モディ首相が、2016年11月に、訪日した際の日印共同
 声明で初めて、「北朝鮮」と「パキスタン」の文言が同
 時に明記された。
  安倍首相が、2017年9月に、訪印した際の共同声明にも
 入っている。
  実は、これは、インド側の認識と関係している。
  インドは、北朝鮮の核開発問題をパキスタンの核開発
 の問題と同種に考える傾向がある。
  真の黒幕は中国で、北朝鮮とパキスタンは中国の支援
 を受けて核を開発しているとみる専門家がいる。
  したがって、日本が、対北朝鮮政策でインドとの協力
 を考える場合、インドは対パキスタン政策で協力するよ
 う要求してくる傾向がある。
  特に、インドが現在懸念しているのは、パキスタン国
 内にテロリストの拠点があることだ。
  故に、日本が、対北朝鮮政策でインドに協力を求める
 と、インドはパキスタンのテロリストについて日本の協
 力を求める。
  そこで昨年、この点について協議が行われた模様・・
  これまで日印共同声明に「北朝鮮」「パキスタン」の
 記述はなかった。
  しかし、昨年の共同声明には、北朝鮮を非難する声明
 が入った・・そして、「両首脳はまた、パキスタンに対
 し、2008年11月のムンバイにおけるテロ攻撃及び2016年
 のパタンコートにおけるテロ攻撃を含めたテロ攻撃の犯
 人を裁判にかけることを要求した」と明記した。
  パキスタンは、昨年、この共同声明を受け、すぐに懸
 念を表明した。
  しかし、今年の共同声明にも「パキスタン」の国名を
 記述しただけでなく、さらに具体的なテロ組織に言及し
 た記述がある。
  日印関係の変化をよく示している(ちなみに、パキス
 タンに対してより強いテロ対策を求める文言は、インド
 と会談した米国や英国などの声明にも盛り込まれており、
 インドを支持する方向へ態度が変化している)。
  (参考)外務省「日印共同声明」2016年12月12日、お
     よび、外務省「日印共同声明:自由で開かれ、
     繁栄したインド太平洋に向けて」2017年9月14日、
  インフラ開発で協力・・さらに、インフラ建設におけ
 る日印協力が、安全保障の色を帯びている。
  特に、今年9月の日印共同声明に盛り込まれたインド北
 東部におけるインフラ開発は対中政策として重要な影響
 を持つ。
  インド北東部の開発は、インドと東南アジアとの貿易
 を進展させるため、東南アジアにおける中国の影響力を
 押し下げる効果が期待されている。
  また、インド北東部は、印中両軍がにらみ合いをした
 ドグラム高地につながる。
  インド軍は、インド北東部のインフラを利用して、国
 境地域に軍をよりすばやく展開することが可能になる。
  そして興味深いことは、インド北東部は、外国では日
 本だけにインフラ開発の許可が下りている地域・・
  また、日印が進める「アジア・アフリカ成長回廊」構
 想も注目・・
  これまで日本とインドが別々に行ってきたアフリカに
 対する援助を、共同で進める構想・・
  日印はすでに5回もアフリカ政策を協議しており、調整
 が進んでいる。
  日印、日米、米印もアフリカ政策を調整しており、イ
 ンドは米国と一緒にアフリカの軍隊の訓練などにも着手
 している。
  よって、日印の協力は、日印米3か国協力の一環でもあ
 る。
  前述の共同声明でもアフリカについて繰り返し言及した。
  日印にとって、アフリカは、少なくとも3つの視点から
 重要・・中国がアフリカのインド洋沿岸地域に軍事拠点
 を作りつつある。
  第2に、資源が豊富で、これも中国と獲得競争となって
 いる。
  第3に、日印が国連常任理事国入りを目指すに当たって、
 アフリカは50以上の票を持つ。
  日印は、スリランカのトリンコマリー港や、イランの
 チャーバハール港、インドのアンダマン・ニコバル諸島
 などの開発でも協力しており、インド洋における中国の
 影響力拡大を抑える効果が期待されている。
  依然として世界で一定の力を持つ日本と、どんどん世
 界で発言力を高めるインドの「同盟」は、中国の台頭と
 ならんで、世界情勢を変える大きな要因となる。
  しかし、過去に、インド外務省・高官に次の様な言葉
 があったことを思い出す・・、
  「我々は、アメリカと、軍事同盟関係に入りたくない。
  アメリカという国は、他の諸国と本当に平等な同盟関
 係を結ぶことが出来ない国だ。
  アメリカと同盟関係に入った国は皆、独立した外交・
 軍事政策を運営する能力を奪われている。
  インドは、アメリカとの同盟関係に入ることによって、
 日本の様な惨(みじ)めな立場に置かれたくない」。
  一人立ち出来ない日本の防衛が、インドの叡智ある方々
 にはっきり見えていた。
.
2019年1月15日、NHK:学校放送の資質に欠けるNHK・・
  NHKが、高校講座の学校放送で、必死に光エネルギ
 ーは循環しないと教えていた。
  これは間違い。
  光エネルギーの循環サイクルが大きいだけだ。
  循環しないと教えるのは間違い。
  そして、地球上で循環しているエネルギーも存在して
 いるのだ。
  この様な事もNHKは教えていない。
  キリスト教に偏するNHKは、何度も洗脳的にこの「
 循環しない」を「繰り返して」この事を言った。
  これは、キリスト教に偏するNHKが、キリスト教が
 嫌う仏教の「輪廻を否定したい」からだった。
  だから、洗脳的なこの様なNHKの放送態度になった
 のだった。
  「天空の冷域との冷輻射の熱のやり取り」をNHKは
 「消えた」と教えた。
  これは間違い。
  アメリカの学校で進化論を否定する教育をしているが、
 このNHKの放送もその類いとなっている。
  アメリカの学校で進化論を認めたくない理由は、「キ
 リスト教の神が猿から人間を造るわけがない」という理
 由だった。
  だから、科学的に立証されているダーウィンの進化論
 を否定したのだった。
  NHKは、この様に宗教的に中立ではない。
  この結果、アメリカの様な「正しくない知識の教え方
 をする」。
  NHKは、学校放送に携わる資質に欠けている。
  NHKには、学校放送をさせないようにしなければな
 らない。
  2019年1月15日、午後2時40分~午後3時00分、NHKE
 テレビ、高校講座、「生物基礎」で現認。
.
2019年、北海道の土地はもう1割が中国に買われている。
  日本の主権を崩そうという種々の活動が行われている。
  チェチェ思想の中に旧民革命論がある。
  沖縄で、北朝鮮や韓国・中国からの旅行者が政治活動
 をしている・・これは法律違反行為であるが行なわれて
 いる。
.
2019年7月17日、MMT(現代貨幣理論)の提唱者が来日し
 た。
  そのインタビュー記事が読売新聞に報じられた・・
  以下はその抜粋・・
  「現代金融理論」(MMT)を提唱する米ニューヨー
 ク州立大のステファニー・ケルトン教授が16日、講演会
 出席のため来日したのを機に、読売新聞のインタビュー
 に応じた。
  日本は、積極的な財政出動で所得や個人消費の拡大を
 目指すべきだと強調した。
  MMT(Modern Monetary Theory)は、独自の通貨を
 持つ国は、通貨を発行すれば借金の返済に充てられるた
 め、物価が急上昇しない限り、赤字が増えても財政は破
 綻しないとする経済理論だ。
  2020年の米大統領選に向けて、米議会野党・民主党で
 支持が広がっている。
  インタビューで、ケルトン氏は、「政府予算と家計を
 同じように考えることは大きな間違いだ。
  (急激な)インフレにならない限り、財政赤字は過剰
 支出の証拠でなく、景気を下支えする。
  物価が4%上昇しても、この世の終わりでは無い」と話
 した。
  物価の上昇圧力が高まった場合に、増税や歳出削減を
 行なうべきだとした。
  日本の債務残高は、国内総生産(GDP)の約2.4倍で、
 主要国でも最も大きいが、物価の上昇は鈍い。
  ケルトン氏は、今後も、日本で急激に物価が上がる可
 能性は「限りなくゼロに近い」と述べ・・、
  保育や介護を担う人材の処遇改善などで個人消費を刺
 戟すべきだとした。
  10月に予定される消費税率の10%への引き上げについ
 ては、「国民の消費が過熱して物価が上昇している局面
 で消費増税を行なうことは理解できるが、日本が直面し
 ているのは正反対の問題だ」と指摘し、実施に否定的な
 認識を示した。
  ケルトン氏が出席して都内で行われた講演会には、積
 極財政を支持する元内閣官房参与の藤井聡・京大教授ら
 が参加した。
  ケルトン氏は、「政府の赤字は悪でも脅威でもない」
 と強調した。
  MMTに対し、主流派の経済学者などからは批判が相
 次いでいる。
  米連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長は2月、
 MMTを「自国の通貨で借金するのは問題ないという考
 え方は間違っている」と語り・・
  米政府は支出を減らすか、収入を増やすべきだと主張
 した。
  ローレンス・サマーズ元米財務長官も、「極端な物価
 上昇を引き起こす。
  為替レートの崩壊を招くだろう」と指摘する。(以下略)
.
2019年、「隠れキリシタン」は、ウィキペディアでも下記
 のように説明されるが・・これ等は作られた虚構の状況
 である。
  従来からキリスト教徒の研究者によって、多くの研究
 がなされて来て・・
  その結果、キリスト教を美化するように、また、殉教
 とかの讃美などがなされて来て・・真実が曲げられ、公
 表がなされて来た。
  しかし、公平な立場で研究した事例を見ると・・その
 実態はまったく違う結果となる・・
  その例の一つが、中園茂生氏の研究・・
  中園氏は、平戸市生月町博物館の学芸員で・・その研
 究結果であるが・・
  その研究成果を発表した本「かくれキリシタンの起源」
 を見ると・・
  研究成果として従来語られた「迫害を逃れて辺鄙(へ
 んぴ)な離島や半島に住み着き、外部との接触を避け、
 貧しさの中で信仰を守った」というのは事実ではないと、
 作り上げられているとした。
  それを、各地域の生業・経済状況を歴史的にその経過
 をたどり、明らかにした・・と・・
  そして、キリシタン遺物についても、作り上げられて
 いて虚構だと・・検証している。
  また、次のような記述も見られる・・
  現在のキリスト教カトリックとの繋がりを思わせる「
 洗礼」や「オラショ」の祈りを唱える面がみられるが、
 まったく関係を感じさせない要素が多く・・
  また、地域の違いがあったりして、カトリックなら一
 定であるはずが、形態の異なる状況にある。
  また、仏教や神道に明確に帰依した信仰状態にある。
  キリスト教カトリックとは、根本的に違いが現れてい
 る・・と・・
  また、本「異端の歴史」には、ルターやイギリスの国
 教会も異端であって、キリスト教ではないとされている。
  因みに、ウィキペディアには、以下のように説明され
 ている・・
  『日本では、1549年にフランシスコ・ザビエルが来日
 して以降、キリスト教の布教がおこなわれて次第に改宗
 する者(キリシタン)が増えていった。
  しかし、江戸時代には、1614年に徳川家康による禁教
 令によってキリスト教信仰は禁止され、さらに1637年に
 起きた島原の乱の前後からは幕府による徹底したキリス
 ト教禁止、キリシタン取り締まりが行われた。
  当時のカトリック信徒(キリシタン)やその子孫は、
 表向きは仏教徒として振る舞うことを余儀なくされ、ま
 た、1644年以降は国内にカトリックの司祭が一人もいな
 い状況ながらも、密かにキリスト教の信仰を捨てずに代々
 伝えていった(潜伏キリシタン)。
  「潜伏キリシタン」は、ごく小さな集落単位で秘密組
 織を作ってひそかに祈祷文「オラショ」を唱えて祈りを
 続け、慈母観音像を聖母マリアに見立てたり(今日、そ
 れらの観音像は「マリア観音」と呼ばれる)、聖像聖画
 やメダイ、ロザリオ、クルス(十字架)などの聖具を秘
 蔵して「納戸神」として祀ったり、キリスト教伝来当時
 にならったやり方で生まれた子に洗礼を授けるなどして
 信仰を守りつづけた(これらの信仰の形式は地方によっ
 て異なる。
.
2019年、映像分野は、三権分立が確立していない。
  権力が、一か所に集まることを防いだり、行き過ぎを
 止められなくなることを防いだりというシステムが確立
 していない。
  膨大な権力がNHKに集中している・・あたかも専制
 君主の如くになっている。
  NHK内部にあるチェック・システムは「お飾りにな
 っている」・・
  国民・視聴者が、NHKとは別の機関で審査ができる
 システムを作るべきである・・
  現状は、NHKは、好き勝手に、巨大な影響力を持っ
 ている放送媒体となっている・・
  専制君主的に任されているということの自覚も責任感
 もない。
  だから、自由に、NHKにとって都合の良いことが「
 ひたすらに行われている」・・
  それが見える形になっているという一つが、NHK職
 員の給料だ・・一般人の給料の「何と! 4倍となってい
 る」・・お手盛りでこんなことまでやっている。
  NHKに都合の悪いものは、勝手にNHKは廃棄処分
 をしている・・この様な権利まで持っている・・
  また、国会の委員会などの映像を、すべてをNHKは
 撮影して・・NHKの単独判断で、それを中国へ渡して
 いる・・これは、スパイ行為である・・
  また、NHKは、公開放送や講演会などの撮影は、放
 送開始前から、入口から入場する一般人の観覧者・参加
 者の映像を無断で撮影している・・
  個人情報の無視をしている・・
  これを、中国へ無断で提供していないのかが心配にな
 る・・
  この様な無断撮影行為は、NHKセンターの入口の入
 場者の撮影でも行っている・・日本人の顔映像を収集し
 ているのでは?と思える様な状況である・・
  これも、中国へ渡すの?とNHKへ問いたい・・
  NHKへ来た「NHKへのクレーム」は、1年で廃棄処
 分にしている・・置き場がないというのがその理由・・
 都合の悪いのは早く処分したいのだろう・・処分の権利
 がNHKにあるのだと言う・・
  NHKの権力は分散せよ・・
  NHKの放送映像は、国立国会図書館が印刷物媒体を
 保管する様に、NHKの別機関がその映像媒体のすべて
 を保管せよ・・そして、NHKを提訴する時の証拠映像
 も発行し、出せるようにしなさい!
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
  


2019年07月20日

(増補版)651E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年6月~1896年7月)

題:(増補版)651E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年6月~1896年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成
 される。
.
1896年6月20日、鉄道会議規則を改正した(勅令第257号、同
 会議議員増員)
  鉄道会議は、日本において1892年6月21日から1949年6
 月1日まで、鉄道敷設法16条に定められた「鉄道会議規則」
 (明治25年勅令第51号)に基づいて、鉄道担当官庁(内
 務省→逓信省→鉄道省→運輸通信省→運輸省)に設置さ
 れた諮問会議。
  鉄道敷設法で定められた鉄道建設の順序や鉄道公債の
 発行などについて主管大臣に諮問した。
  ただし、実際には、鉄道政策全体について諮問してい
 る。
  定数は議長1名・議員20名(ただし、臨時議員として複
 数名の追加が認められた)・幹事1名で構成されていた。
  初回会議は、1892年12月13日から20日まで開かれた。
  初代議長には、川上操六陸軍参謀次長が就任した。
.
1896年6月22日、李範晋(イ・ボムジン)が、駐米特命全権
 公使になった。
  李範晋は、1895年10月8日の閔妃暗殺事件(乙未事変)
 をロシアと組んで実行していた(高宗王の妃である閔妃
 は殺害された)
  そしてまた、李範晋は、その約1ヶ月半の後、1895年11
 月28日の春生門事件の首謀者だった。
  (総理大臣の金弘集を暗殺しようと企てた事件・・未
 遂に終わった・・失敗の後、ロシア公使館へ逃げ込む・・
 そしてのち、ロシアの指示で忠清道で暴動を起こした)
  閔妃が殺害された後、金弘集内閣は近代化への改革を
 推し進めていた。
  (これは、日本の指導で改革が進められ、小学校の設
 立、郵便網の整備、種痘法の施行、太陽暦の採用、断髪
 令、軍制改革などが行われた)
  この改革に反発した抵抗が起きていた・・
  その様な中、1896年2月11日、高宗王は、虚言で煽られ
 てロシア公使館へ移り、軟禁状態となった(露館播遷)、
 金弘集は殺害され、乙未改革(いつびかいかく)は終わ
 った。
  この日の前日の1896年2月10日に、ロシアは、ソウルに
 水兵107名と大砲を入れるという武力誇示の強行策を行な
 っていた。
  この時も、親露派の李範晋は策動していた・・「ロシ
 ア公使館への逃げ込み(露館播遷)を成功させた中心人物」
 と美化表現がされている・・実際は、嘘と脅(おど)し
 の誘い出しの策謀行為だった・・
  これで、ロシア公使館内の傀儡政権が成立し、ロシア
 はこの後、多くの朝鮮利権を獲得する・・そして、親日
 派の改革派を排除し、粛清し、近代化と逆行をする事を
 始めた(旧守派の行為)・・
  しかし、ソウル以外の地域では、このソウルの政策は
 まったく受け入れられず・・暴徒が蜂起したりしている・・
  ソウルの政令が地方に伝わらない状態(無政府状態)
 となっている。
  この様な展開の中、アメリカにも清国の権益の分け前
 を均等に得る権利があると主張するアメリカへ、李範晋
 は駐米特命全権公使となった。
  因みに、李範晋は、露館播遷の時に、法務大臣に就任
 していた。
  李範晋(1853年~1911年)は、大韓帝国の最初で最後
 の常駐ロシア公使(1899年)でもあった。
  日本とロシアが戦争状態になると、ロシア公使の李範
 晋への本国からの送金は途絶え・・生活に困窮した李範
 晋はロシアへ救済を求めた。
  李範晋の最後は、1911年1月13日に自殺をしている。
.
1896年6月25日、函樽鉄道会社の発起人が、東京府知事を通
 じて拓殖務大臣・逓信大臣へ会社創立認可の出願をした。
  1897年4月29日、拓殖務大臣から仮免状が下付された。
  北海道函館区平田文右衛門ほか200人は、函館鉄道を発
 起し、小樽・余市・長万部・森・函館間の鉄道建設を請
 願した。
  北海道の開拓は着々と行われた。
  小樽~函館間の鉄道として、1895年発起された北海道
 鉄道は、渋沢栄一らが発起人に加わって、1896年、函樽
 鉄道と改称され、再請願された。
  1900年、認可されて、北海道鉄道と再改称し、設立さ
 れた。
  また、渋沢栄一は、1897年設立の函館馬車鉄道の株主
 にもなっている。
.
1896年7月1日、渋沢栄一、浅野總一郎らにより東洋汽船が
 創立された。
  東洋汽船創立発起人総会は、渋沢栄一が56歳の時、1896
 年4月25日に行われていた。
  栄一、浅野総一郎外三十二名ト共ニ、我邦ト独・米・
 露間ノ三大海外定期航路ヲ開設スルノ目的ヲ以テ、東洋
 汽船株式会社創立ヲ発起シ、是日発起人総会ニ於テ創立
 委員ニ選バレ、後、創立委員長トナル。
  マタ大東汽船ノ合併ニモ与ル。
  この頃、渋沢栄一は、日本郵船の重役でもあり、競合
 企業の設立を支援したことで、栄一を非難する声もあっ
 た・・それに対しての渋沢栄一の言葉・・
  ・・余ノ事業ノ為メニ奔走スルハ一念国家ノ利益ヲ計
 ルニアリ、故ニ成立ノ見込アル事業ナレハ、幾箇ニテモ
 成立セシムルコトニ尽力シ、国家経済ノ発達ヲ助ケント
 ス、銀行業ナリ、紡績業ナリ、其他幾多ノ商工業ニシテ、
 余ノ関係セルモノ皆尽ク然ラサルナシ、但成立ノ見込ナ
 クシテ、徒ニ競争ノミヲ事トスルモノニ至テハ、余ノ取
 ラサル所ナリ [後略]
  関連年表・・
  1908年4月22日、三菱造船所で、わが国初のタービン船
   の天洋丸(東洋汽船)が完成した。
   全長168米、全幅19米、1万3454瓲、平均速力約20.6
   節、船価約4千万円
   建造費は工賃のみを三菱が請け負い、材料は東洋汽
   船が英国から支給・・燃料に初めて重油を使用。
   初めて短波無線送受信装置を採用した。
   客室設備は特別室をはじめ、ロンジ・喫煙室・読書
   室・食堂など豪華を極めた。
   桑港(サンフランシスコ)航路に就航した。
.
1896年7月2日、川上音二郎が、東京神田に川上座を開場し
 た。
  川上音二郎(1864年2月8日~1911年11月11日)は、筑
 前黒田藩(福岡藩)出身。
  「オッペケペー節」で一世を風靡した興行師・芸術家、
 新派劇の創始者。
  この新派劇は書生芝居、壮士芝居と言われ、やがて新
 派となり、旧劇(歌舞伎)と人気を競った。
  1895年に、歌舞伎座の舞台で「威海衛陥落」を上演し
 た。
  歌舞伎の殿堂に素人あがりの役者が出るのは異例のこ
 とだった。
  劇通の人々を驚かせ、市川團十郎は、川上が歌舞伎座
 の桧舞台を踏んだことに激怒し、舞台を削り直させたと
 いう。
  1895年末に、泉鏡花の小説を舞台化した「滝の白糸」
 を浅草座で上演した。
  この作品は、新派劇の代表的な演目となった。
  そして、1896年に、東京市神田区に川上座を開場する。
.
1896年7月3日、台湾総督府鉄道局告示第2号で「鉄道規則」
 を制定し、一般運輸営業に適用した。
  運用は台湾鉄道輸送規則。
  台湾鉄道会社を、1896年5月に発起し、南北縦貫鉄道建
 設を請願し、政府もこれを許可した。
  しかし、株式の募集は進展しなかった。
  総督府の後藤新平民政長官は、重要事業の鉄道建設は、
 民間会社では不可能と判断した。
  そこで、解決策として公債を募集したりして、積極的
 に政策を進めた。
.
1896年7月5日、東海道線の向日町駅~吹田駅間が複線で開
 通した・・ますます発展する東海道線だった・・
  この頃の東海道線の動き・・
  1895年10月、神戸駅から西へ伸びる山陽鉄道(現在の
   山陽本線)との直通運転が始まった。
  1896年、新橋駅~神戸駅間の急行列車の運行が開始さ
   れた。
  1900年、寝台車の連結が開始された。
  1901年、食堂車の連結が開始された。
  1906年、最急行が登場した。
  1909年、新橋駅~神戸駅間が12時間50分にまで短縮。
  1912年、最急行が特別急行(特急)に変更され、新橋
   駅~山陽本線下関駅間で運行された。
.
1896年7月5日、日本初の電力会社・東京電灯が営業を開始
 した。
  1896年、東京電灯の浅草発電所で、国産初の発電機を
 使用。
  電気事業取締規則が公布された(逓信省令第5号)
  電気事業の創業当初は、電気工作物に対する保安取締
 りが主たる行政だった。
  電気事業者の監督行政が全国統一化される。
  経緯・・
  1887年、東京電灯が第二電灯局を建設し、日本初の火
   力発電所を誕生させ(出力25kW)、家庭配電(210V
   直流)を開始した。
  1890年、東京電灯に、警視庁が電柱広告を許可し、電
   柱広告が始まる。
  1892年、東京電灯が、電灯1万灯祝典を挙行した。
   (開設当時の電灯数130余灯が5年あまりで1万灯を越
   えた)
  1895年、東京電灯・浅草発電所の操業が開始した。
   このとき使用したドイツ、AEG製の発電機が50ヘ
   ルツであった・・これで東日本標準が50ヘルツとな
   った。
  1896年、東京電灯・浅草発電所で国産初の発電機を使
   用し、電気事業取締規則が制定され、電気事業者の
   監督行政が全国統一化した。
   この頃の電気事業者は、火力発電23カ所、水力発電
   7ヶ所、水・火力併用3ヶ所、電灯数12万余。
.
  (今日の言葉)
.
  題:海洋圧迫戦略・・
    アメリカは、中国の接近阻止・領域拒否(A2/AD)戦略遂行の
   初動である第1列島線への短期高烈度の戦いを跳ね除け、
   中国軍に勝つことを決心した・・
    そして、その対中国戦略と作戦を完結させた。
    また、アメリカのトランプ政権は、日本が攻撃されれば
   アメリカは生命や財産をかけて、いかなる犠牲を払っても
   日本を守るとしている。
.
1815年、イギリスが、英仏戦争のとき、軍票を初めて発行
 した。
  軍票・・どこの国でもやったことに軍票というものが
 ある・・外国の戦地で、その軍票を刷って必要なものを
 調達した。
  今・現代でも、ダムが欲しいなら自国通貨を刷って造
 るという方法がある・・また、道路が欲しなら自国通貨
 を刷ればよいのだ・・自国の企業に、その仕事を発注す
 ればよい。
  わざわざ、裏付けのない中国・人民元を、一帯一路の
 中国に頭を下げて借りに行くことはない・・その様な行
 為は止めた方が良い
  自国の港が、担保で盗られるリスクがある。
  (参考)軍票:ぐんぴょう、軍用手票、戦争時におい
     て、占領地もしくは勢力下にて、軍隊が現地か
     らの物資調達、及び、その他の支払いのために
     発行する紙幣で、政府紙幣の一種と解された(
     こともある)。
      最終的に、その軍隊が所属する政府によって
     軍票所持者に対し債務支払いを行なう必要があ
     る。
.
1905年、クナップは、この年、通貨とは「法による創造物」
 であり、商品によるものではないと論じた・・MMT理
 論の始まり・・
  (参考)クナップ:ゲオルク・フリードリヒ・クナッ
     プ
  クナップは、国家は単なる紙としての通貨を創造する
 ことができ・・「その国家の納税においてこの通貨が受
 け入れられる限り」・・これを法定通貨として商品と交
 換可能な通貨にすることができる・・と論じた・・
  そして、従来の考え方を金属主義と名付けた。
  このクナップらの考え方から、MMT(現代貨幣理論)
 がまとめ上げられた。
  MMT(現代貨幣理論)、あるいは、新表券主義とは、
 現代経済の貨幣が借用書により成立していることを捉え
 て・・
  政府は、税収に制約される必要はなく、任意の自国通
 貨建て国債発行により財政支出量を調整することで、望
 ましいインフレレベルを目指す経済政策を行うことを理
 論の中心とした。
  これまで、一般的に行われて来た理論、また、多くの
 経済理論では、政府の財政赤字が拡大すれば、同時に、
 金利上昇と景気悪化を招くとしていた・・
  それ故に、政府の国債発行の拡大は望ましくないとし
 て来た・・その主眼を財政均衡主義に置いて主張されて
 きた。
  しかし、その一方で、MMTでは、財政赤字拡大で景
 気悪化を招くことはないとしていて・・
  ただ、マネーサプライの増加によるインフレ圧力がか
 かるのみだとした。
  この対立は、多くの議論を呼んで来ていた。
  また、政府は、将来の支払いに対して無制限的な支払
 い能力を有していることから、政府の債務超過による破
 綻は起こりえない・・
  赤字国債発行の限度はインフレ率によって示される・・
 としている。
.
2007年、麻生太郎氏(現:副首相、当時:外務大臣)が、
 「自由と繁栄の弧」という素晴らしい構想を説いた。
  これは、日本から始まって、カンボジアやラオス、ベ
 トナムといった東南アジアの国々を通り、
  さらには、中央アジア諸国やグルジア、アゼルバイジ
 ャンといったコーカサス地方の国々を経由して、
  トルコ、中欧、東欧からバルト三国までぐるっと延び
 る月(ムーン)のような形をした一帯を指している。
  これらの国々は、皆、経済がうまく行って、それなり
 に反映している。
  この各国と共通価値観を共有する。
  この共通の価値観で、一緒にやろうと話しかけた。
  麻生大臣は、大成功を収めた。
  この時、『中国やロシアは、この動きに大変脅威に思
 った』。
  軍拡を進める国を、平和の鎖が取り囲んだ形になった
 からだった。
  この様な価値観は、まったく持っていなかったので、
 対抗する価値観を築こうともしなかった。
  これは、ものすごい思想攻勢だった。
  日本の外交の王道は、ここにあった。
  今・現在、中国は、この価値に気付き、この凄さに気
 付き、この素晴らしさに気付き、『「一帯一路」構想を
 ぶち上げた』。
  中国の習近平総書記は、2013年9月7日になって、カザ
 フスタンのナザルバエフ大学で一帯一路構想を初めて演
 説した。
  そして、続けて、その約1ヶ月後、インドネシア国会で、
 アジアインフラ投資銀行(AIIB)を演説した。
  麻生太郎氏が構想を説いてから、5年の後のことだった。
.
2018年、アメリカのトランプ政権は、レパトリ減税を行な
 った。
  これは、『海外の利益や余剰金をアメリカに引き上げ
 る目的』があり・・従来の35パーセントを15.5パーセン
 トに引き下げた。
  中国の経済成長を促してきた「アメリカ資本の対中投
 資を中国から引き揚げさせる」ためでもある。
  通年の数倍の資金がアメリカへ戻った。
  また、今まで海外で発生した利益や余剰金は、翌年に
 繰り越すと課税されなかったが、トランプ政権は、この
 制度を廃止した。
  しかし、日本は、財務省が「プライマリーバランス黒
 字化目標」という『狂った目標』に固執し、日本はデフ
 レ脱却に『必須の政府支出拡大に踏み出せない』でいる・・
 そして、亡国の道を歩んでいる・・
  そして、減税どころか、消費税増税をしようさえして
 いる。
.
2019年、MMT(現代貨幣理論)という経済理論が脚光を
 浴びている・・
  https://www.youtube.com/watch?v=CMLYpWlQp1E
  注目される理由は・・
  MMTは、「自国通貨建てで財政赤字を拡大させれば
 政府は簡単に経済の長期停滞から脱出できる」としてい
 る・・
  経済学者の重鎮たちは批判をしている・・
  その批判は、財政支出の拡大によって金利が急騰し、
 民間投資が阻害される(クラウディングアウト)という
 もの・・
  また、財政支出を無限に拡大させるとハイパー・イン
 フレになると言っている・・
  これに対し、MMTを主張する人たちは・・
  クラウディングアウト懸念に対して、「中央銀行が
 固定(ゼロ)金利政策を採用し、財政赤字をそのままフ
 ァイナンスすれば、財政赤字の増加分、そのまま資金供
 給が増加するので、民間投資が押し出されることはない
 (また、中央銀行が、ゼロ金利政策を長期間維持するこ
 とが予想できれば、将来の政策金利の予想で決まる長期
 金利も低位安定するはずである)と・・
  むしろ、政府が、自らの負債である国債や通貨の発行
 量を増やしてこなかったことが、世の中の金回りを悪く
 して・・
  その結果として、長期的な景気低迷が続いていると・・
  MMT推進派の言い分は・・
  財政再建一辺倒で、消費税などの税金を上げて、消費
 を縮小させ、経済を停滞させるより・・
  政府の負債拡大によって、通貨の流通速度を上げ、民
 間部門にも新たな需要を『積極的に生み出す』ことが良
 いのだ・・と・・
  また、インフレ発生現象は、ある特定の部門の資金需
 要のバランスが崩れることに起こることに限られている
 と・・
  東洋経済ONLINEには以下の記述がある・・
  マネーストックが物価に影響するという考えに基づい
 て、日本だけでなく主要国では政府が国債を発行する際
 に、中央銀行が直接引き受けを行うことは原則として禁
 止されており、市中で消化している。
  これは、政府が国債を発行することでマネーストック
 が増加することを回避するためだ。
  新規に発行される国債を民間金融機関が引き受けると、
 国債発行額分だけ金融機関の日銀当座預金が減少するの
 で、多くの場合、日銀はこれを相殺するような操作を行
 い、金利やマネーストックが大きく変動しないようにし
 ている。
  しかし、マネーストックの変化がインフレを引き起こ
 すわけではないと考えているMMTでは、政府が発行す
 る国債を中央銀行が直接引き受けてマネーストックが増
 加しても、インフレの原因にはならないと考える。
  ミッチェル教授は、政府の財政赤字を通貨発行で賄う
 (明示的財政ファイナンス)ことが国債発行で賄うより
 もインフレ的だということはない、と述べている。
  インフレが起きるかどうかは支出の規模のみに依存し
 ており、総需要の成長速度が生産力の伸びを超えない限
 りハイパー・インフレーションの危険はないと主張して
 いる。
  日本では、1990年以降に、マネーストックが大幅に増
 加しているにも関わらず、名目GDPはわずかしか増加
 していない。
  古典派のような単純な貨幣数量説が成立していないの
 は明らかだ。
  日本は、ハイパーインフレどころか、前年比2%の消費
 者物価上昇すら視野に入ってこない状況なので、当面は
 財政赤字の継続による政府債務残高の増加が高インフレ
 をもたらすという心配は不要に見える。
  しかし、財政赤字が続くと民間部門、特に、家計の純
 金融資産が増加していくので、いずれ状況は大きく変わ
 るだろう。
  金融資産とは誰かの債務であり、MMTが強調する部
 門別のフローとストックの会計的な関係で分かるように、
 政府が財政赤字を続けると民間部門の金融資産は増加し
 ていく。
  1980年度末から2018年度末までの間に、日本の家計は
 純金融資産の名目GDP比を95.6%から279.5%にまで高
 めてきた。
  家計が金融資産を増やそうとしているときに、誰も債
 務を増やそうとしなければ家計は目的を達することがで
 きないので、さらに消費支出を切り詰めて金融資産を増
 やそうとする。
  このため経済は需要不足となって低迷する。
  だが、政府が減税するなり支出を増やすなりして債務
 を増やせば、GDPが高い水準に戻り均衡する。
  政府が提供する金融資産は通常は国債だが、MMTで
 は政府と中央銀行を一体と考えるので通貨(実際には民
 間銀行が日銀に保有する当座預金)だという違いがある。
  だが、狙っている経済効果には大差がない。
  金融緩和で株価を上昇させて家計金融資産を増やすと
 いうのも、家計の貯蓄意欲を満たすための政策と考えら
 れるだろう。
  こうした政策でしばらくの間は経済はフローの均衡を
 実現することができるが、時間が経てばストックにひず
 みがたまり、どこかで家計や企業の行動が大きく変化す
 る恐れが大きい。
  米国のITバブルや、サブプライムローンによる住宅
 バブルも、金融緩和で株価や住宅価格を上昇させて家計
 資産を増やすことにより、消費の拡大を維持しようとす
 る政策の結果起きたことだ。
  景気はしばらく好調だったが、資産価格の上昇を維持
 できなくなっていずれもバブルが崩壊し、経済が大混乱
 に陥った。
  資産価格を上昇させるのに比べれば、財政赤字を続け
 る方法は家計金融資産の増加が緩やかな分、持続性が高
 いだろう。
  しかし、家計貯蓄が黒字のまま維持されるとは限らな
 い。
  貯蓄を増やすためには消費支出を可処分所得以下に維
 持し続けなくてはならないが、現在積み上げられている
 貯蓄の多くは、将来の老後生活に使うなどの目的で蓄え
 られているものだ。
  団塊世代が完全に引退して、もっと高齢になって医療
 や介護で貯蓄を取り崩すようになると、日本の家計部門
 全体でも、毎年の所得に比べて金融資産が積み上がる状
 態が止まり、取り崩しが進んでいくと考えられる。
  日本の場合には人口の高齢化と減少が進むので、子孫
 のために残す資産は減少し、運用機会を求めて円建て資
 産から外貨建て資産へのシフトが今よりも活発になるだ
 ろう。
  円高のトレンドが弱まり円安に動き出せば、海外への
 資本逃避が加速するおそれもある。
  急速な円安が起こって輸入物価の上昇から消費者物価
 上昇率が大幅に高まっても、政府が増税や歳出削減を行
 うには国会の審議を経なくてはならず、対応が後手に回
 る恐れが大きい。
  単純化すると、MMTでは上図の青い線のようにGD
 Pギャップがプラスであれば物価が上昇し、マイナスで
 あれば物価が下落するという関係を想定していることに
 なる。
  インフレが行きすぎないようにするには、物価上昇率
 が高まったら、政府支出を削減したり増税したりしてG
 DPギャップを縮小すれば、物価上昇率は低下すればよ
 いことになっている。
  しかし、物価の動きはそれほど単純ではない。
  物価上昇率の低下が続いたデフレの状況ではGDPギ
 ャップと物価上昇率との関係は、赤い線のようにGDP
 ギャップがかなり大きなプラス(需要超過)にならない
 と物価上昇率がプラスにならない。
  逆に、過去に物価上昇が続いていたインフレの場合に
 は、黄緑色の線のようにGDPギャップがマイナス(供
 給超過)になっても物価上昇がしばらく続くというよう
 に、過去の物価状況の履歴が残ると考えられている(履
 歴効果)。
  このため、現在の日本のようにデフレ心理が定着して
 いる状況では、GDPギャップをかなり大きなプラスに
 しないと物価上昇率をプラスにできない。
  だが、物価が上昇するようになり、上昇率が高くなり
 すぎた場合、これを適切な水準に引き戻すためには、黄
 緑色のカーブが示すように厳しい財政引き締めが必要に
 なり、低所得層を中心に生活に悪影響が出るだろう。
  世界経済は1970年代から1980年代にかけて、失業率が
 高いにも関わらず物価上昇率が高いというスタグフレー
 ションに悩まされた。
  スタグフレーションでは、GDPギャップがプラスに
 なって実際の需要が経済の供給力を超えるよりも前に、
 物価上昇率が高まってしまう。
  ミッチェルらのマクロ経済学の教科書にもスタグフレ
 ーションの歴史の記述はあるが、どのような政策を行え
 ばよいと考えているのか明確な記述は見当たらなかった。
  状況認知の遅れ、判断の誤り、合意形成の遅れなど、
 最適な政策が最適なタイミングで実施できない可能性は
 歴史を見れば高い。
  経済の動きは、政府が自在に微調整できるというもの
 ではない。
  スタグフレーションへの対処法などわかっていないこ
 とも多いことを考えれば、政府がインフレをうまくコン
 トロールできるというのは、信用しすぎというものでは
 ないか。
  (参考)安倍総理は、国会での質問に答えて、MMT
     (現代金融理論)の提唱する政策を行っている
     わけではない、と述べたと報道されている。
.
2019年、アメリカの通貨発行が怪しいと言う意見・・
  現在の金融危機の根本は、アメリカ中央銀行であるF
 RBの強い独立性にある。
  強い独立性というよりも実際はこれは政府機関ではな
 く、民間資本によって運営されている銀行である。
  収支報告もなく、実態は闇の中だ。
  いま中国経済の不安が喧伝されているが、中国金融が
 アメリカと違うところは、中国の中央銀行である中国人
 民銀行は、ちゃんとした中国政府の管理下にあるという
 ことだ。
  歴史的にも、通貨発行権は本来国家のもとにある。
  国家管理を離れ、民間銀行によって恣意的に通貨を発
 行しているのが、アメリカの中央銀行であるFRBであ
 る。
  中国経済を不安視するマスコミは多いが、アメリカ経
 済の金融不安、特に、通貨発行権を疑問視するマスコミ
 は少ない。
  https://blog.goo.ne.jp/akiko_019/e/fbb31a794dd34556ffe301c0147f463b
  (参考意見)米国では政府が直接、通貨を発行するこ
     とのメリットを評価する声はいまなお、根強い。
      政治権力者にとっては、政府が直接、通貨発
     行権を掌握できれば、ウォール街から自由にな
     れる。
      発券銀行である中国人民銀行は、軍と行政府
     同様、党の支配下に置かれている。
      人民銀行から資金供給を受ける国有商業銀行
     も党支配下にある。
      つまり、人民銀行を中心とする金融システム
     全体が党によってコントロールされる。
      通貨の発行と配分権は、党指導者が保有して
     いるのだから、人民元はその本質において、政
     府紙幣である。
      見かけは日米欧のような中央銀行制度をとっ
     ているのだから、人民元はグリーンバックのよ
     うに国際金融資本から憎まれることもない。
      世界の大手金融機関は、人民元業務を新たな
     収益源にしようと躍起になっている。
  (参考情報)中国も国際経済上の要請によって金融改
     革すなわち金融門戸開放を行い、外国銀行が人
     民元口座を扱えるようになった。
      銀行は、銀行であるかぎり顧客の預金を元手
     に『信用創造を行うことができる』。
      外国銀行が人民元を預かるということは、外
     国銀行が人民元の信用創造を行うことができる、
     つまり、『人民元という中国の通貨を発行する
     ことができる』ことを意味する。
      一人の中国人がチェース・マンハッタン銀行
     の北京支店に人民元口座を開設し、1万元預け
     たとする。
      チェース・マンハッタン銀行はそれを準備金
     として、中国の企業が人民元を貸してほしいと
     言えば、約100万元まで融資することができる。
      その手続きはいたって簡単。
      その企業の銀行通帳に「1000000RNB」と印
     刷するだけである(信用創造)
      「外国の銀行も人民元を発行できる」こと・・
     その額が大きくなれば「通貨主権」そして「金
     融主権」への影響力も大きくなる。
      宋鴻兵氏は、米国ワシントンのアメリカン大
     学で修士号を取得。
      様々な職を経て、2002年から2007年まではフ
     ァニーメイとフレディマックでコンサルタント
     を務めた経歴を持つ。
      両者はサブプライム・ローン問題のまさに当
     事者であり、宋氏はそうした米国の金融証券業
     界に潜入し、その悪辣な詐欺的手法をつぶさに
     観察、分析した。
      その後、中国に戻り2008年より環球財経研究
     院院長である。
  http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=241276
  (参考意見)仮想通貨は、各国が通貨発行権によって
     コントロールできないお金である。
      すなわち、皆がビットコインで取引をすれば
     通貨の供給をコントロールする事によって景気
     をコントロールする事ができなくなる。
      両替も不要。
      投機的資金流入で乱高下。
      新たなお金になるか、単なる投機商品に留ま
     るか・・
      税金の支払いには利用できない。
      地方自治体がこの仕組みで資金調達が可能か?
  (参考)産経新聞・・抜粋・・
      2010年、中国は、国内総生産(GDP)規模
     で日本を抜き去った。
      人民元資金供給こそは中国の軍拡の原動力。
      リーマンショック後、人民銀行による人民元
     資金供給量がドル換算で1兆ドル増えるごとに、
     軍事費は約500億ドル増えた。
      中国は、米国の量的緩和政策に伴うドル資金
     増加量に見合う分、通貨を膨張させてきた。
      それに合わせて軍事にカネをつぎ込んだ。
      毛沢東は「銃口から権力が生まれる」と言っ
     たが、カネから銃口が生まれた。 
.
2019年7月17日、文政権(韓国)の日本批判は筋違いだ。
  この日の読売新聞が、標記の社説を報じた・・
  以下、その抜粋・概要・・
  「論点をすり替えて、日本非難に終始する韓国政府の
 姿勢は受け入れられない。
  韓国が、自国の輸出管理体制を検証し、見直すことが
 先決だ。
  日本政府が、軍事転用の恐れのある3品目の韓国向け輸
 出を厳格化した(ホワイト国指定を止めた・・優遇する
 ことを止め普通の国並みにした)ことに、韓国が反発し
 ている。
  (参考)ホワイト国とは・・大量破壊兵器等に関する
     条約に加盟し、輸出管理レジームに全て参加し、
     キャッチオール制度を導入している国について
     は、これらの国から大量破壊兵器の拡散が行わ
     れるおそれがないことが明白であり、俗称でホ
     ワイト国と呼んでいる。
  (参考)キャッチオール規制:輸出に当たり、製品、
     材料、技術(設計図、ノウハウなど)が相手国に
     よって大量破壊兵器(WMD)やミサイルの開発、
     生産に利用される可能性がある場合に、貿易管
     理を担当する政府機関(日本は経済産業省)に輸
     出許可の申請を行う制度。
  日本は、手続き簡略化の優遇を受けられる「ホワイト
 国」からも韓国を除外する方針。
  日本が問題にしているのは、韓国の輸出管理の緩さで
 ある。(中略)
  通常兵器にも使われる物資の輸出を制限する「キャッ
 チオール規制」が整っていない。
  日韓当局者の幹部協議は、2017年に文在寅政権が発足
 してから開かれていない。
  不正輸出の懸念が(韓国)にある以上、日本が手続き
 を厳しくするのはやむを得ない。
  文大統領は、日本側に一方的に非があると主張し、「
 日本経済に、より大きな被害が生じることを警告してお
 く」と批判している。
  日本の措置を政治的、経済的な動機と決めつけ、自ら
 事態改善に動こうとしない。
  世界の主要国は、民生品であっても兵器開発に利用さ
 れる可能性がある戦略物資の輸出には目を光らせてきた。
  日本も、2015年以降、経済産業省が行政処分を下した
 違法輸出を9件公表している。
  この中には、兵庫県の企業が3500キログラム超の炭素
 繊維を、韓国を経由して中国に無許可で輸出していた案
 件も含まれている。
  また、韓国政府は、2015年~2019年3月に戦略物資の違
 法輸出を156件も摘発したという(多すぎる)。
  北朝鮮の友好国であるイランやシリアに化学物質など
 が輸出されていた。
  韓国政府は、この様な実態なのに輸出管理が適正に行
 われていると言う・・違法輸出も増えている。
  EU(欧州連合)も韓国をホワイト国に指定していな
 い・・韓国向け輸出を、他のアジア諸国向けと同様な扱
 いで・・厳しい審査としている。
  (韓国の実態の緩さから)日本がEUと同じような措
 置をすることが適正だとした・・それを不当だと一方的
 に言うのは理解に苦しむ。(中略)
  日本政府は今回輸出手続きを厳しくした3品目で(韓国
 の)不適切な事案を確認したと発表している。
.
2019年、北朝鮮寄りとなった韓国の現政権であるが・・
  ・・というより、北朝鮮との一体化を目指す韓国の様
 相・・
  事大主義の韓国は、中国の顔色ばかり見ている・・
  その中国に対する・・アメリカの対中国の新戦略は・・
 『日本・アメリカ・台湾の防衛を一体化させる』という
 方針に変わった。
  アメリカは、従来のエアシーバトルに加え、海洋圧迫
 戦略の合体により『アメリカは中国に勝つことを決定し
 た』。
  (参考)統合エア・シー・バトル構想・・
      米国防総省は、2010年2月に議会に提出した
     QDR2010において、現在行われているテロと
     の戦いを最優先課題に位置付ける一方で、「将
     来において最も蓋然性が高く、死活的に重要な
     脅威に備える」ことを戦略目標として明示した。
      統合エア・シー・バトル構想は、その戦略目
     標を達成するための一手段として開発される。
      米国防総省が認識する「将来の脅威」とは・・
      それは、「戦力投射能力及び侵攻に対する抑
     止、並びに同盟国等の救援のための行動に対す
     る潜在的脅威」である。
      これらは、中国やイランなどが身に付けつつ
     ある「アクセス阻止」及び「領域拒否」の能力
     (戦略)によってもたらされる。
     「アクセス阻止」とは、前方展開基地などの固
     定地域や軍事目標への接近(戦域への戦力の展
     開、利用)を阻止することであり、「領域拒否」
     は、特定の地域における行動の自由を制限する
     ことを狙いとし、それらの対象領域は、海、空、
     陸、宇宙及びサイバー空間の全次元にわたる。
      なかでも、米国防総省が脅威の主たる対象と
     みているのは、中国のアクセス阻止/領域拒否
     の能力である。
      米国は、中国を脅威であるとは公言していな
     いが、QDR等の戦略文書や「中国の軍事力」
     報告書等を分析すれば、国防総省が脅威の主対
     象としているのは中国であることが見て取れる。
  (参考)海洋圧迫戦略・・
      米国は、中国の接近阻止・領域拒否(A2/AD)
     戦略遂行の初動である第1列島線への短期高烈
     度の戦いを跳ね除け、中国軍に勝つことを決心
     し、その対中戦略・作戦をほぼ完結させた。
      米国の戦略予算評価局(CSBA)が、2019年5月
     に海洋圧迫戦略(MPS)を発表した。
      MPSは、エアシーバトル(ASB)では曖昧であ
     った部分を補強し、対中国戦略を事実上完結さ
     せたもの・・
      ASBをはじめとするCSBA の考え方は国防省の
     戦略そのものになっていることから、間違いな
     く米国の戦略の主要部分となり、これで米国が
     2010年から検討を進めていたASBが10年がかりで、
     ついに完成したことになる。
      従来のASBの海空軍を主体とした「動的戦力」
     と今回のMPS の陸軍・海兵隊を主体とした地上
     発射かつ機動型の、いわゆる「静的戦力」を組
     み合わせ、その上でそれぞれの領域を大胆に跨
     ぎながら、統合作戦で戦うというものである。
      これは、防勢的ではあるものの、自衛隊が2009
     年以来、具体化してきた南西諸島防衛の作戦・
     戦略そのものである。
      わが国では、米国が当初に打ち出したASBに目
     を奪われるあまり、いくら第1列島線に地上発
     射型ミサイルを配置する意義を陸自関係者が説
     いても、軽んじられてきたが、米国からの逆輸
     入によってその重要性が認識され、日本のマル
     チドメイン(領域横断)の戦いが完成するなら、
     望ましい方向への戦略転換として歓迎しなけれ
     ばならない。
      海洋圧迫戦略(説明ー2)
      この戦略の目的は、西太平洋における中国の
     奇襲的侵攻による既成事実化を排除し、軍事侵
     攻の試みは失敗すると中国の指導者に思わせる
     こと(INF条約廃棄に対応)
      この戦略は拒否的抑止力で、第1列島線に沿
     って精密打撃ネットワークを構築するというも
     ので、①海空軍・電子戦などを後ろ盾に、②第
     1列島線沿いに米国、同盟国の対艦・対空・電
     子戦の部隊を配置するとともに、③東シナ海な
     どの内部で作戦する潜水艦・無人艇・無人ステ
     ルス爆撃機で構成するInside-Out Defense(イン
     サイドアップ・ディフェンス)作戦構想である。
      中国のA2/AD戦略を逆手に取るもので、
     主として海上目標に対して、地対艦ミサイルを
     発射する陸軍・海兵隊が中心(同盟国・友好国
     と一体化)
      米軍戦略として初めて南・東シナ海と共に台
     湾を明記した。
.
2019年、アメリカのトランプ政権は、日本が攻撃されれば
 アメリカは生命や財産をかけて、いかなる犠牲を払って
 も日本を守るとしている。
  また、日本の生命線の石油を、ホルムズ海峡を通って
 得ているが・・このホルムズ海峡を守っているのもアメ
 リカであり、日本はアメリカに頼り切っている。
  この様な日本の存立にかかわる時、日本は、当然、ア
 メリカの支援に駆け付けるべきだ。
.
2019年、米国国防権限法2019(NDAA2019)
  日本は、中国のわずかな発注の新幹線の仕事をした時、
 この重要な日本の技術は、中国に盗まれた。
  それ以後、中国は、この日本の重要な技術を使って、
 世界の新幹線の仕事を受注している。
  インドネシア新幹線が、日本の受注がほとんど決まっ
 ている時、中国の妨害工事費で受注が出来なかったこと
 などが代表例である。
  また、中国国内に新幹線網を構築して、軍事上の重要
 な措置を構築している。
  今、米国国防権限法2019(NDAA2019)は、これま
 での軍事技術に加え、『重要なインフラや先端技術』も、
 安全保障上の重要な問題だとした。
  また、この次の案であるNDDA2020では、中国軍と
 のかかわりが疑われる人物や企業・団体などと支援を受
 けている人物や企業・団体などリストの作成を指示して
 いる。
  同盟国(日本など)に対しても同調を求めている。
.
2025年、中国は、世界のテクノロジーの最先端国になると
 している。
  「中国聖像2025年」を掲げ、世界経済を支配したい
 としている。
.
2029年、AIが、人間の能力を超越する。
  (参考)AI:人間が持っている、認識や推論などの
     能力をコンピューターでも可能にするための技
     術の総称・・人工知能とも呼ぶ。
      AIを応用したシステムには、専門家の知識
     をデータベース化して問題解決に利用するエキ
     スパートシステムなどの例がある。
      また、人間の知能にできるだけ近い機械を作
     ろうとする研究の他に、人間が知能を使ってす
     ることを機械にさせようという研究の、大きく
     分けて2系統のトレンドが存在する。
      生物の遺伝原理を用いる遺伝アルゴリズム、
     専門家の知見を蓄積するエキスパートシステム、
     音声認識、画像認識、感性処理、ゲーム、自然
     言語処理、推論、探索、知識表現、データマイ
     ニング、ニューラルネット、そして、ロボット
     など、多彩な研究テーマの総体として疑似知能
     が模索されている。
  アメリカのAI研究者のレイ・カーツワイルは、人工
 知能の飛躍的な発展によって、AIと人間が一体化し「
 ポスト・ヒューマン」が誕生すると言う。
  彼は、2029年には、「AIが、人間の能力を超越する」
 と言い・・
  2045年には、「技術的特異点に至り、ポスト・ヒュー
 マンが誕生する」と言っている。
  しかし、人工知能には、「自分を振り返ることが出来
 ないという欠落点がある」と反論を言う人も居る。
  『人工知能は、自己認識をすることが出来ない』と指
 摘する。
  それは、あくまでも機械に過ぎない・・と言う。
.
2049年、中国の習近平主席は「中国の軍事と経済の世界一」
 達成を、この年を目標に掲げている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  https://yumesyakai.blogspot.com/
.
  (追伸)
  中国・人民元は通貨覇権を狙っている。
  アメリカ・ドルへの挑戦を始めた。
  しかし、実態はただの紙切れ。
  その裏付けを保証するものは何もない。
  それは、実体のない通貨=人民元の身分不相応の振る
 舞い。
  何故? こんな大間違いが起きたのか?
  その中国・人民元の振る舞いの初めには、ウォール街
 の行なった間違いがあった。
  ウォール街は、中国を一時的に大いに助け、そして、
 援助し、そして、ウォールも大いに儲けた。
  アメリカの歴代政権も、「それはウィンウィンだ」と
 勘違いして、大いに進めた。
  そして、アジア・・
  アジアに大きな経済的影響力を持つ華僑・・
  この華僑と中国を刺戟させ、心身を興奮させないよう
 にという政策がとられ、固執し、続けられた。
  しかし、今、この間違いがとんでもないことになると、
 看過できない、見過ごせないと、何とかしなければとい
 う行動が・・とられ始めて来た。
  トランプ・アメリカ大統領は、中国・習近平のアキレ
 ス腱を撞く(つく)行動をとり始めた。
  その目標は、当然、「紙きれの中国・人民元に通貨覇
 権を絶対に握らせない」というところにある。
  高関税に始まり、金融戦争が始まる。
  例え、通商が犠牲になっても「国家の安全保障が大切
 だ」という理念がある。
  中国を甘やかせた最大のポイントは、人民元が変動相
 場制が通常なのに、その状態になっていない。
  中国・人民元は変動相場制に移行させるべき・・
  (日本は、堂々と、変動相場制に移行したが)・・こ
 の図体ばかり大きい中国は、変動相場制が恐怖なので、
 逃げ回ってばかりいた・・
  アメリカの保護下に居た・・そのアメリカを、身分不
 相応に食い始めた。
  今、中国は、ドルが枯渇している・・外貨準備も激減
 している・・資金が中国から逃げ、ますます、余計に、
 中国・人民元の裏付けが無くなっている・・
  それに、不動産バブルが崩壊・・空室ばかり・・株安
 も起きるという災禍・わざわいの中国となっている。
  直接投資が激減するだろう・・貿易も赤字となるだろ
 う・・もう中国の時代は終わった・・ASEANだ。
  異常な二桁の軍拡で作られた景気・・そして、人民元
 増発でも景気を煽るという嘘・・
  知的財産権無視で次世代技術を盗取し、軍事などへ転
 用している。
  アメリカのトランプ政権は、ファーウェイやZTEを
 阻止し、スパイ摘発をしている・・
  また、企業買収を止めさせ、拠点買収を阻止している。
  もう中国は、変動相場制へ移行させねばならない・・
 そんな最恵国待遇の特待席には、いつまでも置いておけない。
  有頂天でやっている「一帯一路」はしぼんで行く。
  世界の工場と言われた中国の生産拠点も「存在意義が
 無くなった」・・獅子身中の虫に成り下がった。
  中国の政治形態が変わり、真からの自由な経済社会に
 ならないのなら・・消えゆくのみ・・
  AIの熾烈な戦いが繰り広げられる戦国時代の後に、
 その様な社会が来る。
  少数の者が牛耳る監視社会が、多くの奴隷的農民層を
 使うという一時代前の形態の中国社会が生き残れるはず
 がない・・
  


2019年07月11日

(増補版)650E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年6月~1896年6月)

題:(増補版)650E2/3:2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1896年6月~1896年6月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
  真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なもの
 にする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆
 様の、そして、人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切な
 こと・・
.
1896年6月4日、ヘンリー・フォードが初の四輪自動車の試
 作に成功し、この日に試運転をした。
  紀元前4000年、人類が「ころ」から車輪を発明した。
  1250年、哲学者のR.ベーコンが、「いつの日か、馬な
   どに引かせている車が、自身の力で走る車が可能と
   なろう」と言った。
  15世紀~16世紀、レオナルド・ダ・ビンチの新発明の
   意想図の中に、木をしなわせて力を蓄え、それを歯
   車で取り出し、車輪を回して走る自走車がある。
  1569年、オランダのシモン・ステビンが、2本のマス
   トの帆を動力源とした自走車を作った・・28人を乗
   せて海岸の砂上を時速24キロメートルで走った。
  1648年、ドイツのハンス・ハウチュが、ぜんまいで自
   走する1人乗りの車を作り、時速1.5キロメートルで
   走った。
  1680年、イギリスのニュートンが、ボイラーで作った
   高圧蒸気を、後方の細い管から噴射し、この推力で
   走る車の模型実験に成功した。
   また、この年、オランダのホイヘンスが、火薬を用
   いた内燃機関を提唱した。
  18世紀、蒸気機関を動力源とした自動車が試みられた。
   これが、最初の自動車の製作と言われている。
  1796年、フランスのN.J.キュニョー(ベルギー人?)
   が砲車牽引用の三輪の「蒸気を動力とする自動車」
   を作り、4人を乗せて時速9.5キロメートルで走った・・
   因みに、キュニョーはルイ15世の砲兵大尉だった。
   そして、この三輪車は長さ7.2メートル、幅2.3メー
   トルという巨大な車だった・・しかし、操縦不能で
   城壁に激突してしまった。
   以後、蒸気自動車は、アメリカ・イギリスなどで研
   究がなされて行き、実績を上げる。
  1801年、イギリスのトレビシックが、実用的な蒸気自
   動車を完成させた・・時速14キロメートルで走る・・
   運転手の不注意で爆発した。
  1803年、トレビシックが、改良型の蒸気自動車を作る・・
   直径3.2メートルの駆動輪兼用の後輪を持つ四輪車だ
   った。
   交通遮断したロンドン市中を走り、「馬車より速い」
   と言われ、成功した。
   また、この頃、マカダムが発明したタールを用いた
   簡易舗装の道路網が、イギリス全国に建設された。
  19世紀初、蒸気自動車が実用化され、バスやトラック
   などとして使われた。
  1831年、イギリスで、スチーム・コーチ(蒸気馬車、
   20人乗り六輪車)が定期旅客輸送が行われ始めた。
   4か月で3000人を運んだという記録がある(成功)
   同様に、この年、ハンコックが、ロンドン市中と近
   郊を結ぶ路線の定期運行を始めた。
  1840年代、スチーム・コーチの平均時速が25キロメー
   トルに性能向上している。
   ハンコックのオートマトンは32キロメートルを出し
   た。
  1850年代、スチーム・コーチが急速に姿を消す・・効
   率の良い鉄道が発達したため・・
   また、道路を傷めるという理由で、スチーム・コー
   チの道路通行料が12倍も高く設定された。
   また、ロード・ロコモティブは危険ということで、
   車の前を昼間は赤旗、夜間は赤ランプを持って走れ
   という規制や、町中では時速3.2キロメートル以下で
   走れなどの規制が厳しくなった。
   しかし、イギリスでは、蒸気自動車の改良がなされ
   て、使われ続ける(1930年代まで蒸気自動車は作ら
   れた)・・それに対する・・ガソリン自動車のアメ
   リカでの発達を待たねばならない状況だった・・
  19世紀半ば、電気自動車が発明された・・一時、普及
   した・・しかし、ネックは蓄電池の容量の問題だっ
   た。
   しかし、アメリカでは1920年代まで生産された。
  1858年、イタリアのバルサンティとマッテウッチが、
   石炭ガスを燃料とする内燃機関を製作した。
  1860年、フランスのルノアールが、点火装置を持った
   ガスエンジンを作った。
  1862年、フランスのボー・ド・ロシャが、4サイクル・
   エンジンの原理を発見した。
  1863年、フランスのルノアールが、ガソリンで回るエ
   ンジンを木製の四輪車に積み、走った。
  1864年、オーストリアのマルクスが、ガソリンエンジ
   ンの開発を進め、この年、それによって走る車を試
   作した・・1875年にも試作し、これは、時速8キロメ
   ートルで走ることが、後日、確認された。
  1865年、イタリアのベルナルディが、ガソリンエンジ
   ンを作った。
  1876年、ドイツのN.A.オットーが、実用的な4サイ
   クル・ガスエンジンを製品化し、それをダイムラー
   が改良して高速のガソリンエンジンを作った・・
   1885年には、このエンジンを付けた二輪ガソリン自
   動車を製作した・・
   また、この年、C.F.ベンツも2サイクルエンジン
   付きの三輪自動車を作った・・これらが、現代の自
   動車の原型となった。
   これらの技術が、、広大な土地のアメリカで発展し
   て行く。
  1884年、フランスのドラマール・ドブットビルが、ガ
   ソリン自動車の試作に成功した(この100年後、フラ
   ンスは盛大にこの発明を祝う)
  1886年、ダイムラーが、四輪馬車にハンドルを付け、
   また、460㏄のエンジンを付けて四輪自動車を作る。
   また、この年、ベンツが、独力でガソリンエンジン
   を製作し、実用的な三輪自動車を完成させ、後に、
   製造販売を企業化させた。
  1893年、アメリカでデュリエ兄弟が、四輪馬車を改造
   したアメリカ初のガソリン自動車を試作し・・後に、
   商業生産に入った・・多くのメーカーがこれに続い
   た。
  1894年、初のモータースポーツ・イベントが、フラン
   スの新聞社の主催で開かれた・・
   パリ~ルーアン間126キロメートで行われた・・1着
   は蒸気自動車で、6時間、平均時速21キロメートル
   (運転手と汽缶士による走行だった)・・
   因みに2位と3位はガソリン車だった・・ガソリン車
   の優位性が脚光を浴びた。
  1896年6月4日、ヘンリー・フォードが、初の四輪自動
   車の試作に成功し、この日に試運転をした。
  1899年、日本初の自動車であるアメリカ製の電気自動
   車が入った。
  1900年、フォードの大量生産方式によって大衆化した
   自動車・・日本への輸入はこの年・・
  1904年、日本で初の自動車製作が行われた(蒸気自動
   車)
  1907年、日本で初のガソリン自動車が製作された(東
   京自動車製作所)・・産業化には至らず。
  1908年、H.フォードが、T型車で単一車種の大量生産
   を始めた・・自動車普及の上で画期的なことだった。
   この年の10月1日に発表された「T型フォード」は、
   ハンドルが左にあり、エンジンとトランスミッショ
   ンの全体がボンネットで覆われ・・エンジンは4気筒、
   サスペンションは2つの半楕円形バネを使い・・運転
   が単純で、修理も容易、そして、安価だった。
  1910年頃、アメリカで、急速に自動車が普及し、個人
   単位の人と物流の速度が飛躍的に高まり、移動距離
   が大幅に伸びた。
.
1896年6月6日、フランス留学から帰国した黒田清輝(せい
 き)らが、洋画・彫刻の美術団体の白馬会を結成した。
  白馬会は、この年、明治美術会を脱会した黒田清輝、
 久米桂一郎、山本芳翠らによって設立され、和田英作、
 藤島武二、岡田三郎助、小代(しようだい)為重、小林
 万吾、長原孝太郎、彫刻の菊地鋳太郎、佐野昭(あきら)、
 版画の合田清らも参加した・・また、評論家の吉岡芳陵、
 岩村透(とおる)らも参加した。
  会名は、会の同志たちがしばしば白馬(しろうま)(ど
 ぶろく)を飲みつつ談論したことに由来した。
  明治美術会の脱会は、芸術家の自由を標榜し、感覚の
 解放を求めた(フランスの明るい画風の)外光派の人た
 ちにとって、明治美術会の古い体質は耐えがたかった。
  旧派ないし脂派 (やには) と呼ばれた明治美術会の暗
 い作風を不満とし、官僚的組織に対して自由主義を主張
 した。
  外光派的な明るい画風で新派また紫派と呼ばれ、しだ
 いに明治洋風美術の主流となった。
  フランス印象派の手法を伝え、研究所を設けて、和田
 英作・藤島武二などの後進の養成もした。
  1896年10月、岡倉天心の率いる日本絵画協会と合同で
 第1回展を開催し・・1910年の解散まで13回を数えた。
  1910年まで展覧会を続け、洋画の発展に多くの功績を
 残したが、1911年に解散し、中堅作家が光風会を組織し
 た。
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1896年6月9日、日本とロシア間で、山縣=ロバノフ協定を
 締結した。
  山県有朋、ロシア外相ロバノフと朝鮮に関する議定書
 に調印する。
  李氏朝鮮の宮廷内の親日派と親露派の権力闘争による
 不安定な政治情勢は、日本とロシアの双方に対しても危
 険な状況にさらしていた。
  協定は、サンクトペテルブルク(モスクワ?)におい
 て、山縣有朋全権大使と、ロシア帝国の外務大臣A.B.
 ロバノフの間で交わされた。
  公開4条項と秘密2条項からなり、両国政府は必要な場
 合、合意をもって朝鮮に経済援助を与えること、朝鮮の
 独立を保証すること、朝鮮の財政改革を促進すること、
 近代的警察及び軍隊を組織すること、電信線を維持する
 こと、両国が合意をもって軍隊を派遣するときは用兵地
 域を確定すること、両国の駐屯兵因数などが協定された。
  背景は、ロシアの干渉などで、李氏朝鮮の不安定な政
 治情勢が、日露間に種々の軋轢となって存在していた。
  そこで、日露間で協定を結び、互いに朝鮮の独立を確
 認し合い・・
 そして、朝鮮の立場を保証することを約した。
  また、朝鮮財政の悪い状態の改革を促進することを約
 し・・その他・警察・軍事・電信線維持などを約した。
  ロシアのロバノフは、この協定とほぼ同時に、中国・
 清の李鴻章、朝鮮の朴泳煥と、それぞれ密約を結んでい
 た→露清同盟密約。
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1896年6月12日 ロシア、月尾島西南地段(44,316m2 年銀貨
 361元)租借契約を取得。
  朝鮮の高宗がロシア公使館に軟禁され、ここで政務を
 取り行なった結果、ロシアは種々の利権を獲得した。
  また、欧米列強も同じような朝鮮利権を獲得するに至
 った。
  この様な状況は正規な状況ではなく、自主性は放棄さ
 せられていた。
  この様な状況は、この後の、日露戦争の結果、朝鮮は
 中立が宣言で来る。
  また、1895年11月28日には、ロシア、アメリカ、親露
 派の朝鮮の大臣・李範晋が、総理大臣の金弘集の暗殺を
 を企てた(春生門事件)
  この様に揺れ動く朝鮮内の事で日露は議定書の締結を、
 二度、続けた。
  しかし、この日、ロシアは、月尾島と361元の銀貨の租
 借契約を取得した。
  (参考)月尾島:ウォルミド、仁川広域市中区に属し
     ている島・・しかし、現在は、島と陸地の間が
     埋め立てられている。
      島の形状が半月の尾ひれの様な形から名付け
     られた。
.
1896年6月15日、明治三陸地震で大津波が起き、死者2万名
 を越えた・・
  午後7時32分30秒、震源は釜石町の東方200キロメート
 ルの三陸沖。
  三陸地方に大津波が押し寄せ、死者27,000人、家屋の
 流失・破壊1万戸に達した。
  村落の移転などの対策は進まなかった。
  地震規模はマグニチュード8.2~8.5で巨大地震・・
  観測史上最高の遡上高で、海抜38.2mを記録する津波が
 発生・・
  (参考)津波の遡上高:陸を駆け上って到達した高さ。
  各地の震度は2~3程度であり、緩やかな長く続く震動
 であった・・
  誰も気にかけない程度の地震であった・・
  最大は秋田県仙北郡の震度4・・
  地震動による直接的な被害はほとんどなかったが、大
 津波が発生し、甚大な被害が発生した・・
  海溝型地震と推定され・・三陸沖地震の一つと考えら
 れている・・
  固有地震であるが、震源域は特定されていない・・
  (別史料)
  三陸地方に弱い地震・・およそ40分後に大津波が襲来・・
  9879軒が流出、倒壊1844軒、船6930艘に被害、死者
 26,360人、負傷者4,398人・・
  村落集団移転を行った集落は、1933年の津波で被害は
 軽微だったが、移転しなかった集落は、再度、甚大な被
 害を受けた。
  (注意)この地震は、震度分布に基づいて長らくマグ
     ニチュード7.6とされてきた・・
      しかし、津波の大きさを考慮して数値が改め
     られている「理科年表 平成18年」
  大津波の第一波は、地震発生から約30分後の午後8時7
 分に記録され・・
  遡上高は、気仙郡吉浜村(旧:気仙郡三陸町吉浜、現:
 大船渡市三陸町吉浜)で22.4m・・
  同郡綾里村(旧:気仙郡三陸町綾里、現・大船渡市三
 陸町綾里)で21.9m・・
  綾里湾の奥では、入り組んだ谷状の部分を遡上して、
 日本の本州で観測された津波では、当時、最も高い遡上
 高である海抜38.2mを記録した。
  この時、ハワイへも2.4m~9.14m、カリフォルニアに
 2.90mの津波が到達している。
  ハワイでは、波止場が破壊され、住宅の複数棟が流失
 した(カリフォルニアの被害記録はなし)
.
1896年6月16日、軌制取調委員が、軌間、および、軌条重量
 の調査を終了した。
  1896年に、逓信省に軌制取調委員会が発足し、改軌に
 要する費用と、その利点・欠点などの調査を行った。
  この時まで・・1892年に、鉄道建設ブームが巻き起こ
 り、私設鉄道の規模が官営鉄道をまたたく間に上回る・・
 第2次鉄道建設ブーム・・
  日本各地には規模の小さな鉄道会社が設立された・・
  不安定な経営・・
  鉄道国営化による鉄道整備・輸送力増強促進、運賃の
 低廉化が求められる・・
  この様な中で起きた「改軌論争」・・1910年まで繰り
 広げられた大論争だった・・
  日本は、鉄道導入にあたって「狭軌」を選択した・・
  これは、イギリス(御雇い外国人?)が推薦したとい
 う説と、山岳河川の多い日本で、狭軌の方が有利という
 説・・鉄道整備を早く進められるから判断した説・・
  この「狭軌」を「標準軌」に改良し、輸送力を増強し
 ようとする動きが起きた・・この「改軌論」が日本の鉄
 道界で一大論争となった・・
  結論として・・
  1910年の鉄道会議で東海道本線・山陽本線などの主要
 14路線を1911年度からの13ヵ年で標準軌(当時はこれを
 「広軌」と呼んだ)に改築する案が可決された。
  これにより、東京の市街線や東海道・山陽本線で新た
 に建造される建造物は、標準軌規格で設計する通達も出
 された。
  この頃建設されていた磐越西線では、実際に平瀬トン
 ネルが一部標準軌の規格で建設されている。
  これに対し、原敬率いる立憲政友会が横槍を入れた。
  政友会の基本方針は、低規格でもいいから全国に路線
 を張り巡らせようとする「建主改従」となっており、後
 藤の提案した「改主建従」と真っ向から対立していた。
  帝国議会で両者がぶつかり合った結果、「改軌」に対
 する予算は出さないことになった。
  1911年4月、より低予算での改軌と、改軌線区の拡大を
 目指すため「広軌鉄道改築準備委員会」が政府内に発足
 し、審議が行われた・・しかし・・
  1911年8月、原敬が、内閣鉄道院総裁(内務大臣兼務)
 に就任したため、広軌計画は中止となった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:中国、ウイグル抑圧拡大・・
    中国の弾圧強化を憂慮する。
    香港デモ、イギリスが中国批判
    ロシア(旧ソ連)よ!
    千島列島と北方四島を日本に返還しなさい。
.
紀元前10~紀元前8世紀、ギリシャに都市国家(ポリス)が
 形成され始めた。
  ギリシャのこの小規模都市国家のポリスは、大小200ほ
 どが存在した・・
  強大な帝国という形ではなかった。
  このポリスの中心部には、アクロポリスという外敵を
 見張ることのできる丘があった。
  その周辺部に人々は集住した。
  ギリシャのこのポリス時代の前は「王国」だった。
  「シキュオン」や「アルゴス」などの王国があった。
  そこでは、スパルタを除いて、王は居らず、貴族政が
 行われた。
  (参考)ポリス:古代ギリシアの都市国家・・
      村落集住 (シュノイキスモス) によって、君
     主政に対立する国家形態として生じ・・
      その起源は紀元前10~紀元前8世紀にまでさか
     のぼる。
      自然風土や社会的・宗教的要因によって数多
     くのポリスが分立した。
      その規模は、ほとんどはごく小さく、植民市
      (アポイキア ) として成立したものも多い。
      ポリスは、中心市と農耕周域部から成り、大
     多数は城壁を備え、市内には原ポリスである城
     塞(アクロ・ポリス) 、市場 (アゴラ) が存在し、
     周域部には、市民の所有地、共有地があったが、
     その領域は通常狭い範囲に限られていた。
      ポリスは、自由と自治を理想とし、市民は氏
     族および宗教共同体の一員であるばかりでなく、
     国家共同体の一員としてもっぱら政務、軍務に
     たずさわった。
      完成されたポリスにおいては、そうした市民
     団の枠は在留外人 (メトイコス ) や奴隷などと
     身分的に厳格に区別された。
      このような体制を基盤として市民全体の政治
     参与を実現した民会 (エクレシア ) の存在は古
     典古代の特色的なこと。
      ポリスにはさまざまの型があった。
      最も典型的なのはアテネで、その民主政組織
     はほかのポリスに大きな影響を与えた。
      ポリスは、相互の絶えざる分立抗争と内部の
     党派争いなどによって紀元前4世紀には凋落しは
     じめた。
      続くヘレニズム時代の知的文化的基盤はポリ
     スの伝統に根ざしている。
      また、ポリスにおいては文明の発達とともに、
     さまざまな政治現象が生じ、多くの思想家たち
     は、これに刺激されて政治理論を生み出し、ポ
     リスは政治学の母胎だった。
  (参考)シキュオン:ペロポネソス半島の北部、コリ
     ントの北西に位置する古代ギリシアの都市。
      アルゴスの植民市 (アポイキア) として政治
     的、宗教的に従属していたが、紀元前660年頃、
     オルタゴラスによって僭主政が樹立され、その
     孫のクレイステネスのときに国力は最大となり、
     彼は、第1次神聖戦争でロクリスを破壊した。
      僭主政は、約100年続いたがスパルタによって
     倒され、以後スパルタの同盟市となり、紀元前
     3世紀にはアカイア同盟に参加。
      その後、衰退し、紀元前2世紀には廃虚となっ
     た。
      シキュオンは、アルカイック時代から美術の
     中心地として知られ、紀元前4世紀には、彫刻家
     リュシッポスを生んだ。
  (参考)アルゴス:ギリシアのペロポネソス半島北東
     部のアルゴリス地方の中心都市。
      中期青銅器時代から人が住み、ミケーネ期に
     隆盛をみた。
      紀元前1100~紀元前1000年、ドーリス人が、
     ここを基地に半島へ侵入したと推定されている。
      紀元前8世紀頃からスパルタと抗争・・
      紀元前669年、これを破って半島の度量衡を統
     一したが、スパルタの力が伸びるにつれて、ア
     テネ、コリント、テーベと次々に結んで対抗し
     た。
      テーベが衰えると、マケドニアのフィリッポ
     ス2世の支援を求め、紀元前229年には、アカイ
     ア連盟に加盟した。
      紀元前146年のローマのコリント破壊で相対的
     に重要性を増し、アカイア連盟の中核となった。
      3世紀後半頃、一時ゴート人に占拠されたが、
     ビザンチン時代には繁栄。
      1204年、フランク人のアカイア王国建設でア
     ルゴスは衰退した。
      14~15世紀にトルコ人に侵入され、住民はア
     ルバニア人と入れ替わった。
      19世紀のギリシア独立戦争で最初の自由議会
     がアルゴスに招集された。
  (参考)貴族政:代表的なポリスであるアテネでは、
     ドーリア人の攻撃をはねのけながらポリスを形
     成させる過程で、紀元前8世紀ごろまでに貴族が
     政権を独占するようになった。
      紀元前683年には、貴族の中から選ばれた9人
     のアルコン(執政官)(任期1年)が政務を担
     当する・・貴族共和政の形態となった。
      アルコンの任期を終えた貴族が終身議員とな
     るアレオパゴス会議(元老院)が国政や裁判に
     あたった。
  貴族政は、アテネの場合、僭主政を経て、紀元前5世紀
 初め、民主政に移行し・・
  その民主政が堕落して、アテネでソクラテスが処刑さ
 れるような衆愚政の時代となる。
  その後、ギリシャは、マケドニア王のアレクサンドロ
 スの支配下に入る。
  (参考)僭主:せんしゅ、古代ギリシアのポリスで、
     非合法に独裁政を樹立した支配者。
      本来、この語には「暴君」の意は含まれず、
     悪い意味が付加されるようになったのは民主政
     期、特に、紀元前4世紀のプラトン以降・・
      王政と違い、その支配が正統ではないため、
     僭主の地位維持には困難もあり、多くは1代か2
     代で終っている。
      紀元前7世紀~紀元前6世紀の前期僭主と、紀
     元前4世紀~紀元3世紀の後期僭主とに分けられ、
      前者には、コリントのキュプセロス、ペリア
     ンドロス、アテネのペイシストラトス、シキュ
     オンのクレイステネスらがおり、多くは貴族の
     出身で、貴族政の動揺期に貴族と平民の対立を
     利用して独裁政を打立て、民主政への過渡期の
     ポリスにおいて、巧みな政策によって民衆の指
     導者の役割を果し、ポリスの発展に貢献した場
     合も多かった。
      後期僭主には、テッサリアのフェライのイア
     ソン、シラクサのアガトクレス、ヒエロン2世ら
     がおり、前期僭主以上に軍事力を背景に独裁権
     を握り、民主政の形式は守ったが、それも市民
     共同体のためであるよりも、自己の支配権保持
     のためであった。
  (参考)僭主政:せんしゅせい、古代ギリシアのポリ
     スにおける僭主支配の政治体制。
      僭主政は、紀元前7世紀半ば頃~紀元前1世紀
     にまでわたるが、僭主の現れなかった紀元前460
     年~紀元前406年を境にして、前期僭主政と後期
     僭主政とに分ける。
      前者は、貴族政の動揺期、まだ独力で貴族を
     倒すだけの力が平民にない段階において、野心
     家の貴族が、重要な官職や祖国防衛戦での功績
     などを利用して平民の人気を集め、彼らの協力
     と、外国の権力者の援助などを得てクーデター
     を起こし、貴族政を打倒して樹立した独裁政で、
     コリントのキプセロスとその子のペリアンドロ
     ス、シキオンのクレイステネス、アテネのペイ
     シストラトス、サモスのポリクラテスなどが代
     表的な僭主であった。
      僭主は、市民から武器を取り上げ、自身は親
     衛隊や傭兵部隊を擁し、貴族に対しては処刑、
     追放、財産没収などで弾圧した。
      市民一般に対しても、陰謀を企てる機会を与
     えないために、中心市に出て怠惰に時を過ごす
     ことを禁じたり、財源確保のために租税を取り
     立てたりしたが、平民の支持を保つために小農
     民の保護や商工業の奨励に努め、また主要な官
     職は一族で抑えつつも、従来の官職組織や制度
     習慣はできるだけ維持した。
      さらに、詩人や芸術家を保護して独裁政の飾
     りとし、建築事業や土木工事を起こして、中心
     市を美化し、市民の生活に便宜を供し、有力な
     外国勢力や宗教の中心と友好関係を結んで支持
     者を拡大した。
      最悪の政治体制という古代の多くの政治思想
     家の批判にもかかわらず、かならずしも過酷な
     支配ではなかったが、暴君政に堕したものもあ
     り、また、平民の成長につれて独裁政への反発
     が強まったため、多くは2代で打倒され、もっと
     も長く続いた場合も100年であった。
      その崩壊には、平民より貴族のほうが貢献し、
     外国の武力干渉によった場合もあったので、崩
     壊後ただちに民主政になることは少なかったが、
     前期僭主政は、独裁政の維持を追求しながら平
     民の成長を助け、結局、民主政の成立を促進し
     た。
      後期僭主政は、前期僭主政との共通点も少な
     くなかったが、ポリスと民主政の衰退期に現れ
     たという事情から、平民よりも傭兵に頼る軍事
     独裁者の性格が強く、平民の利益を図る姿勢も
     弱かった。
      シラクサのディオニシオス1世、2世やアガト
     クレス、テッサリアのフェライのイアソンなど
     が主要な僭主であった。
     ・
     ・
1391年、スペインで、ユダヤ人の方々に対する大虐殺が起
 きた。
  スペイン南部、アンダルシア州のセビリヤでユダヤ人
 の方々へ対する大虐殺(ポグロム)が起きる。
  これは、その後、各都市に飛び火して行って、悲惨な
 連鎖反応でユダヤの方々は虐殺され、また、キリスト教
 への改宗を強いられた。
  キリスト教による異端審問は、この当時、ヨーロッパ
 の国々で行われ、ローマ教皇庁によって任命された異端
 審問官が巡回して異端審問が行われて、大規模にこの様
 な惨事が起きていた。
  レコンキスタが1492年に完了すると、スペインに統一
 王権が確立した・・そして、同時に権力も手に入れた。
  そこで、この様な惨事が、ローマ教皇庁と一緒になっ
 て発生して行く。
  ユダヤの方々は、人権を奪われ、金融業をやらざるを
 得なかったが(職業の選択の自由を奪われていた)、こ
 のユダヤの方々への多額の債務(借金)を無くそうとい
 う悪計・魂胆もあった。
  また、スペインの王権所持者は、ローマ教皇との親交
 を深める事も考えていた。
  キリスト教の異端審問は、すべてローマ教皇(法王)
 の管轄下で行われていた。
  ローマ教皇側もこの異端審問の権力をスペイン王へは
 渡そうとしなかった。
  (スペイン王は渡してくれと言ったが拒否された・・
 卑劣な権力の取り合いが演じられた)
  異端審問はセビリアから始めら