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2014年05月30日

明るい未来の開始点こそが・・大切で重要・・

題:明るい未来の開始点こそが・・大切で重要・・
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい)
.
 キリスト教を創始したというパウロという男は・・、
 本当に、イエスを小馬鹿にしている、そして、無視して
いる。
 パウロが書いたという(「コリントの信徒への手紙1」
15・3~)に、
 (因みに、パウロが書いた書簡というのは、そのほとん
どが、少なくとも半分以上が、パウロが書いたものではな
い。キリスト教にはこんな話がいっぱい)
 「キリストが我々の罪のために死に、甦(よみがえ)り、
ペトロ等に顕現した」・・と。
 ここには、イエスの名など、微塵(みじん)もないし、
使うそぶりもないし、使いたくないと無視している。
 そして、パウロは言う、キリストは私の所にもあらわれ
ましたよ・・と(「ガラテヤの信徒への手紙」1・16)。
 そして、パウロは、はっきりイエスを捨てろと言う・・、
 「もし私たちがかつて肉のキリスト(イエスの事)を知
っていたとしても、今はその様な知り方は(してはいけな
いし)しない」(「コリントの信徒への手紙2」5・16~
17)・・と。
 生きていたイエスは、知る必要はないのだ・・と。(イ
エスは磔の血と復活だけでいいのだ・・と)
 何故、パウロは、生きていた頃の、イエスの言葉や行動
を捨てたのか?
 勿論、パウロは、生きていた頃のイエスの言葉や行動を
知る必要も無ければ、採用する必要も無い・・と言い、
 イエスの言葉や行動を無価値として捨てている訳だが、
 少なくとも、知る必要も無いと言うより、積極的に捨て
る必要性を感じて、『捨てた』という積極性が、パウロに
はあるのだが・・。
 『捨てるのが良いのだ』・・と。イエスをその様に見て
いた。
 その『捨てる必要性』・・、
 『有っては、害となる』という・・、
 「有っても無くても良い」というレベルではない。
 『律』を捨て、『イエス』を捨てたパウロ。
 しかし、今・現代のキリスト教は、パウロの思惑と違い、
 イエスに執着し・・、
 イエスの母・マリアにまでも・・手を伸ばし、
 歴史の一時期には・・、
 イエスの父のヨセフにまでも・・手を伸ばしていたとい
うキリスト教。
 神としていたという・・キリスト教。
 今もそうだが・・『立派な多神教』のキリスト教である。
 何しろ、パウロ路線から大きく外れている・・キリスト
教なのである。
 そして、「実質多神教路線」を歩んでいるキリスト教な
のである。
 このパウロのやり方を・・、
 苦々(にがにが)しく思っていたのが・・
 最初の福音書を書いたマルコさんだった・・。
 マルコは、「イエスこそが・・福音なのだ」と言った。
 そして、パウロへ・・呪いの言葉を・・投げ掛ける。
 イエスこそ福音で、自分勝手に、自分の考えで、自分の
為だけを言う者は救われない・・(地獄へ落ちる)・・と。
 イエスの福音のために・・これを行なう者が(地獄から)
救われる・・と。
 イエスの福音を捨てたら救われませんよという言葉を、
マルコは、最初の福音書で、パウロへ投げつけた。
 何で、パウロは、ここまでして、イエスの実質的な言葉
と行動を捨てたのか?
 そこには、非常に強い意思が感じられるが・・、
 確かに、個性の強いイエスだ・・、
 激情に心を失い・・奪われるイエスだ・・、
 常に、行動を共にしてきた・・弟子と言われる仲間たち
からも・・、
 必ずしも尊敬されていない言葉が吐かれ、言われるイエ
スだ・・が、しかし・・、
 その様なパウロだが・・、いい事も言っている。
 人間は新しく作り返されなければならないという考え方
を言っているのである。
 キリスト教の卑劣な所は・・、
 「人間には原罪がある」と・・大原則の根本の所で言っ
て、人間を、まず、否定的に見るというキリスト教で・・、
 その所から思考を始め、開始するキリスト教だが・・、
 そして、『ただただ神の恩寵(おんちょう)を待つ・・、
 そして、待ちなさい、待てというキリスト教だが・・、
 パウロのこの言葉は、新しい自分を磨き作って行けとい
う前向きな点は・・褒(ほ)められる。
 前向きな希望、明るい未来が開ける思考の開始点となっ
ている。佛教と同じ視点となっている・・。
 そして確かに、イエスには深い宗教性はない。
 ユダヤ教の改革者である。
 そして、イエスの頭の中には、ユダヤ教の改革を追い求
め、「ユダヤ教を捨てる必要はないが、私が来たのは改め
るため・改革するためである」と言った者である。
 行動のレベルは、「菩薩行まで」。
  (追伸):
 光り輝くあなたがたは、キリスト教の原罪などありませ
ん、鬱(うつ)になるほど悩むあなた、あなたは光り輝く
ものをお持ちです、光り輝く佛性をお持ちの方です。すぐ
キリスト教を離れなさい。
..
   (詳しくは、以下のブログへ)
URL:http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /  


Posted by 北国の暖かい方たちとともに at 15:44Comments(0)真を求めて 皆様とともに幸せになりたい