北国の暖かい方たちとともに › 2014年11月26日
2014年11月26日
天皇陛下の玉音放送が放送されて・・、
題:天皇陛下の玉音放送が放送されて・・、
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
1945年8月14日・・、
日本政府は・・、
ポツダム宣言の受諾を、駐スイス及びスウェーデンの日
本公使館経由で・・連合国側に・・通告した。
大東亜戦争(第二次世界大戦)が・・終わった。
.
1945年8月15日・・、
天皇陛下が・・、
玉音放送にて・・国民に・・発表された。
大東亜戦争(太平洋戦争)が終わったと発表された。
.
1945年8月15日の日本の敗戦の日の後に・・、
日本各地で・・約 700名の方々が・・自決した。
因みに、戦争中は・・自殺者は・・少なかった。
また、稲を・・、
まだ、未成熟であるのに、大急ぎで刈り入れる人が居た。
そしてまた、当時、労働力として各農家の方々が、この
上なく大切にされていた牛や馬を・・、
谷川で・・次々に殺した。
そして、村の人たちへ、その肉を共同に分配した。
その行動は・・伝染病のように・・あいついで広がった。
谷川は・・赤い血に染まった。
.
1945年8月15日以降・・、
日本の敗戦とともに・・、
英米仏蘭が・・、
アジアに、直ちに戻って来て・・、
植民帝国主義の行為を・・再開した。
欧米各国は、「民主主義」とか、「人権」とか、
「民族自決」とかと・・自国や国際社会では・・口にす
るが、
このアジアの植民地には、どこ吹く風と・・、
まったく関係ないと・・、
旧来の帝国主義の搾取行為を・・続けた。
.
1945年8月15日~1945年9月10日のこの頃・・、
終戦直後のこの頃・・、
まだ、進駐軍が来る前・・、
日本にはまだ、敗れたとはいえ・・、
精神に自由があった。
自分の言葉で・・「正義」を話す自由があった、
話せる自由があった。
.
1945年8月30日・・、
アメリカの最高司令官のマッカーサーが、
神奈川県厚木の日本海軍飛行場に来た。
マッカーサーは、靖国神社を焼き払えと言った、
また、すべての神社も焼き払えと言った。
そして、アメリカ占領軍は、日本へ慰安所を作れと命令
した。
.
1945年8月末~9月半ば頃・・、
この頃の新聞論調に2つの流れがある。
1つが、「なぜ戦争に敗れたか、戦力に関する真相を当
局は知らせる義務があるのではないか」「専門家には解か
っているかもしれないが、一般大衆には何が故に敗れたか
が解かっていない」・・である。
もう1つが、「米軍進駐が始まっても思いのほか国民が
平静で、日々の生活には予想していたような波瀾(はらん)
もなく、万事が平穏無事であることに、むしろ驚いている
声」・・である。
.
1945年9月1日付・・、
終戦直後で、まだ、自由に意見が言えたこの日に・・、
首相をした事もある石橋湛山(いしばしたんざん)氏が
した論評がある。
「週刊東洋経済新報」に「更生日本の指針」と題したポ
ツダム宣言に対する論評である。
内容(抜粋):
思うに我が国民が、この宣言を見て最も懸念し、当局者
もまたその受諾に際して最も注意を用いたのは、
その第一の「日本国民を欺瞞(ぎまん)し、世界征服の
挙に出でしめたる権威と勢力とを永久に除去すべし」・・
の記せる一条であろう。
しかし、断々乎として述べるが・・、
万一、我が国に、事実、「国民を欺瞞し、世界征服の挙
に出でしたる権威と勢力」如(ごと)きが存したるとすれ
ば・・、
あえて、外国から要求されるまでもなく・・、
我が国、自ら、これを永久に除去しなければならない。
・・と、石橋湛山は述べた。
その様な、「日本国民を欺瞞し、世界征服の挙に出るよ
うな権威と勢力なんか居ません・・と、石橋湛山は言った。
最近も、アメリカ大統領が言った言葉であるが・・、
名指しで、自分の意にそわない国を「悪の帝国」と言った。
自分だけが正しいのだ・・と。
あなたこそ、「欺瞞」なのではないですか?と言いたい。
一方的な言い方は慎(つつし)んで戴きたい。
(参考)ぎ‐まん【欺瞞】 [名](スル)あざむくこと。
だますこと。
.
1945年9月2日・・、
東京湾内に停泊するアメリカ戦艦ミズーリの甲板で・・、
日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美
治郎及び連合各国代表が・・、
宣言の条項の誠実な履行などを定めた降伏文書(休戦協
定)に調印した。
これにより、宣言ははじめて外交文書として固定された。
..
(詳しくは、以下のブログへ)
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか)
.
1945年8月14日・・、
日本政府は・・、
ポツダム宣言の受諾を、駐スイス及びスウェーデンの日
本公使館経由で・・連合国側に・・通告した。
大東亜戦争(第二次世界大戦)が・・終わった。
.
1945年8月15日・・、
天皇陛下が・・、
玉音放送にて・・国民に・・発表された。
大東亜戦争(太平洋戦争)が終わったと発表された。
.
1945年8月15日の日本の敗戦の日の後に・・、
日本各地で・・約 700名の方々が・・自決した。
因みに、戦争中は・・自殺者は・・少なかった。
また、稲を・・、
まだ、未成熟であるのに、大急ぎで刈り入れる人が居た。
そしてまた、当時、労働力として各農家の方々が、この
上なく大切にされていた牛や馬を・・、
谷川で・・次々に殺した。
そして、村の人たちへ、その肉を共同に分配した。
その行動は・・伝染病のように・・あいついで広がった。
谷川は・・赤い血に染まった。
.
1945年8月15日以降・・、
日本の敗戦とともに・・、
英米仏蘭が・・、
アジアに、直ちに戻って来て・・、
植民帝国主義の行為を・・再開した。
欧米各国は、「民主主義」とか、「人権」とか、
「民族自決」とかと・・自国や国際社会では・・口にす
るが、
このアジアの植民地には、どこ吹く風と・・、
まったく関係ないと・・、
旧来の帝国主義の搾取行為を・・続けた。
.
1945年8月15日~1945年9月10日のこの頃・・、
終戦直後のこの頃・・、
まだ、進駐軍が来る前・・、
日本にはまだ、敗れたとはいえ・・、
精神に自由があった。
自分の言葉で・・「正義」を話す自由があった、
話せる自由があった。
.
1945年8月30日・・、
アメリカの最高司令官のマッカーサーが、
神奈川県厚木の日本海軍飛行場に来た。
マッカーサーは、靖国神社を焼き払えと言った、
また、すべての神社も焼き払えと言った。
そして、アメリカ占領軍は、日本へ慰安所を作れと命令
した。
.
1945年8月末~9月半ば頃・・、
この頃の新聞論調に2つの流れがある。
1つが、「なぜ戦争に敗れたか、戦力に関する真相を当
局は知らせる義務があるのではないか」「専門家には解か
っているかもしれないが、一般大衆には何が故に敗れたか
が解かっていない」・・である。
もう1つが、「米軍進駐が始まっても思いのほか国民が
平静で、日々の生活には予想していたような波瀾(はらん)
もなく、万事が平穏無事であることに、むしろ驚いている
声」・・である。
.
1945年9月1日付・・、
終戦直後で、まだ、自由に意見が言えたこの日に・・、
首相をした事もある石橋湛山(いしばしたんざん)氏が
した論評がある。
「週刊東洋経済新報」に「更生日本の指針」と題したポ
ツダム宣言に対する論評である。
内容(抜粋):
思うに我が国民が、この宣言を見て最も懸念し、当局者
もまたその受諾に際して最も注意を用いたのは、
その第一の「日本国民を欺瞞(ぎまん)し、世界征服の
挙に出でしめたる権威と勢力とを永久に除去すべし」・・
の記せる一条であろう。
しかし、断々乎として述べるが・・、
万一、我が国に、事実、「国民を欺瞞し、世界征服の挙
に出でしたる権威と勢力」如(ごと)きが存したるとすれ
ば・・、
あえて、外国から要求されるまでもなく・・、
我が国、自ら、これを永久に除去しなければならない。
・・と、石橋湛山は述べた。
その様な、「日本国民を欺瞞し、世界征服の挙に出るよ
うな権威と勢力なんか居ません・・と、石橋湛山は言った。
最近も、アメリカ大統領が言った言葉であるが・・、
名指しで、自分の意にそわない国を「悪の帝国」と言った。
自分だけが正しいのだ・・と。
あなたこそ、「欺瞞」なのではないですか?と言いたい。
一方的な言い方は慎(つつし)んで戴きたい。
(参考)ぎ‐まん【欺瞞】 [名](スル)あざむくこと。
だますこと。
.
1945年9月2日・・、
東京湾内に停泊するアメリカ戦艦ミズーリの甲板で・・、
日本政府全権の重光葵と大本営(日本軍)全権の梅津美
治郎及び連合各国代表が・・、
宣言の条項の誠実な履行などを定めた降伏文書(休戦協
定)に調印した。
これにより、宣言ははじめて外交文書として固定された。
..
(詳しくは、以下のブログへ)
http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009