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北国の暖かい方たちとともに › 真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感) › (増補版)712E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1899年1月~1899年1月)

2021年08月19日

(増補版)712E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1899年1月~1899年1月)

題:(増補版)712E2/3:3/3:気になった事柄を集めた年表(1899年1月~1899年1月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
...(悲惨な戦争を無くせないのでしょうか?)
.
 ☆真実の歴史を知ることは、国際社会をより公正なものにする。
  そして、その公正な社会の達成で、人々の、また、皆様の、そして、
  人間の幸福を創造していく力ともなる。
  世界に真実を公表していく事は、真にやるべき大切なこと・・
  そして、総べての真実を議論してこそ民主主義が達成される。
 ☆過去を忘れたら「歴史」は蛮行を繰り返す。
 ☆大きな解決を図(はか)ろうとすればするほど、原理原則に立ち戻ら
  なければならない。
 ☆正しい事実の認識があってこそ寛容が生まれ、捏造される認識の元で
  は寛容は生まれない。
 ☆中国と韓国は隣の国・・引っ越しの出来ない隣の国・・だからこそ、
  正しいことを言って正しい関係を作らなければならない。
  卑劣なねじ曲げ発言に躊躇(ちゅうちょ)してはならない・・正しい
  ことを教えてあげねばならない。
  また、中国・韓国は、隣国・日本の立場を理解することにつとめなけ
  ればならない。
 ☆国際社会は、中国へ民主化を強く求めなければならない・・民の選択
  を受けない指導者たち・・民主化が達成できない国=中国・・
 ☆力による現状変更をしている中国の九段線否定の国連決議をするべき・・
 ☆NHKは国や民を守る大事さを放送しない放送局・・
  国民の命や暮らしを護る大切さを放送せよ・・
  愛する人たちを守る話を放送しない親中放送局=NHK。
  ハワイまでの第3列島線の中華圏を主張する中国になびくNHK・・
 ☆1264年、モンゴルの元に襲われてアイヌが日本に逃げて来た・・『北
  の元寇』と言われる元に追われたアイヌの日本への逃亡移住・・当然、
  日本の先住民ではない・・しかし、アイヌを先住民と書く法律が日本
  にある、当然、正しい法律にしなければならない・・
 ☆世界の若者たちよ!、世界の不正に対してインターネットなどで正義
  の声を上げよう!
 ☆声を上げ続けることで社会は変えられる。
.
1899年1月1日、フィリピン第一共和国の初代大統領にフィリピン人の独立
 戦士アギナルドが就任した。
  アメリカとスペインの戦争である『米西戦争』後に大統領が就任し、
 フィリピン第一共和国は建国された。
  やっと、フィリピンの方々の望みが達成されたのだが・・
  1899年1月1日、フィリピンの人々のフィリピン議会は、独立戦士のエ
 ミリオ・アギナルドを大統領に選出した・・
  フィリピンの独立に向けて勇敢に戦ったフィリピン人戦士のアギナル
 ドが初代大統領に就任し、建国は1月21日だった・・
  1899年1月21日にブラカン州マロロス市で建国が宣言された・・マロ
 ロス憲法によって公式にフィリピン国家は設立された。
  フィリピンとアメリカは、米西戦争で一緒に戦った・・しかし、前言
 を翻(ひるがえ)されてフィリピンは同盟者ではなくなる・・次第に、
 アメリカは支配者となって行った・・変わってしまったアメリカという
 状態だった。
  1898年8月以降、米西戦争の過程で一緒にマニラを占領していたアメ
 リカ軍は、共和国派のフィリピン独立派がマニラの占領に参加すること
 を許さなくなった・・そして、とうとう両者が対峙するという二重権力
 状態となって行った。
  当然、その様なアメリカの変化で、アメリカ兵とフィリピン兵との関
 係は極度に緊迫して行く。
  そして、アメリカは、フィリピンの植民地化を開始する。
  その様な展開で、アギナルドと同志たちは、アメリカ軍に抵抗するた
 め、事実上の首都であったマロロスから撤退した・・そして、ルソン島
 北部の山岳地帯へと落ち延び、ゲリラ戦争を展開し始める。
  フィリピンとアメリカの戦争は始まった。
  (参考)アメリカは、米西戦争でスペインと戦う時、スペインから
     独立しようと戦っているフィリピン独立軍へ、勝利したら
     フィリピンを独立させると約束していた。
  日本からも、フィリピンの独立を支援するための志士たちが参加して
 いた・・しかし、武器弾薬を積んだ布引丸が沈没し、また、フィリピン
 に潜伏していた日本人志士たちは捕縛されるなどした。
  (参考)布引丸(ぬのびきまる)事件:1899年7月21日、フィリピンの
     独立革命を支援するため、武器弾薬を搭載した日本船の布引丸
     が、東シナ海の寧波沖で暴風雨によって沈没した。
      フィリピン大統領のエミリオ・アギナルドは、マリアノ・ポ
     ンセを日本に派遣した・・そして、宮崎滔天や中村弥六衆議院
     議員の支援を受けて、米比戦争のための武器弾薬(村田銃)と
     それらを運搬する布引丸を購入した。
      1899年7月19日、布引丸は長崎を出航した。
      独立革命に加わる日本人志士も同乗していたが、19名が犠牲
     となった。
      アメリカは、日本がフィリピン革命に参加していることを知
     ると厳重に抗議して来た。
.
1899年1月1日、クイーンズ郡とスタテン島がニューヨーク市に合併。
  アメリカ最大の都市・ニューヨーク市・・今、都市圏の人口は2000万
 人以上となっている。
  定住開始は1624年5月で日本の江戸時代、江戸幕府が出来て21年後・・
  オランダ人の手によって交易場として作られた・・故に、ニューアム
 ステルダムと呼んだ・・そして、イギリス人の支配が始まって名称が現
 在の呼び名となる・・1785年~1790年はアメリカの首都だった。
  概略の経緯は・・
  1524年、イタリア人の探検家ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノが、
   この地に来る、その時、レナベ族のインディアンの方々が住んでい
   た。
  1614年、ヨーロッパ人による定住による侵食はこの年から・・マンハ
   ッタンの南端に毛皮の貿易のための建物を建てた・・これが最初(
   ニューアムステルダムとなる)
  1626年、オランダ人のアメリカ植民地総裁が、レナベ族へ1000ド
   ル(約11万円)程度の物品を与えて、マンハッタン島を手に入れ
   た(24ドル・3000円程度のガラス玉という話もある)・・
    しかし、インディアンの方々には、そもそも「土地を売る」とい
   う概念が無かったので、売った気は無かった・・この契約は成立が
   してない、無効である・・一方的契約行為で契約は成立せず・・そ
   の証拠に土地を売り渡したという認識のないインディアンの方々は、
   土地を無断で使用する白人だと反目し、両者の間で、しばしば戦い
   が起きていた。
  1664年、イギリス人が武力で侵略し、この地を手に入れ、ニューヨー
   クと名付けた・・それから、イギリス・オランダのいざこざが起き
   る・・レナベ族は追い出されて行く・・この後、全米各地でインデ
   ィアンの方々が追い出されるという歴史が始まる・・そして、殺戮
   の行為も始まる・・
  1775年、イギリスとの独立戦争の年・・マンハッタンでワシントン砦
   の戦いが起きる、アメリカ軍は大敗する(1776年)・・ニューヨー
   クはイギリス軍であふれる、そして、イギリス軍の軍事拠点となる・・
  1783年、独立戦争も終わり首都となる・・
  1789年、初代大統領のワシントンが就任・・
  1790年代は、ニューヨーク市の拡大の年代・・
  19世紀、開発が進み、格子状に通りが出来、運河が開通し、ヨーロッ
   パとアメリカ内陸部の農業市場を結んだ・・
  1827年まで、奴隷制が続けられていた・・
  1861年、南北戦争・・
  1863年、徴兵制反対の『ニューヨーク徴兵暴動』が起きる・・そして・・
  1898年、ブルックリン(当時、独立市だった)、リッチモンド郡、ニ
   ューヨーク郡、クイーンズ郡西部が合併して現在のニューヨーク市
   ができた。
.
1899年1月1日、紀和鉄道の船戸(仮)駅~船戸駅間が開通した。
  吉野川という名の川は四国が有名だが、日本には数多くある・・奈良
 県にも吉野川がある(紀の川の上流)・・
  この奈良県の吉野川流域には大阪鉄道 (初代) が当初の広大な計画の
 一部として路線を建設するものと期待されていた・・しかし、実現は困
 難であることが明らかとなったため、1887年(明治20年)大阪鉄道発起
 人は一旦願書を提出したのち、その計画を縮小し、高田和歌山間は取り
 消した。
  地元は、独自資本で南和鉄道を高田から五条まで建設して開業させた。
  これに接続する路線として計画されたのが紀和鉄道であった。
  1897年(明治30年)3月14日、五條町二見において起工式が挙行され、
 和歌山側と五条側から着工した。
  五条から吉野川沿いの初代二見駅まで延びる南和鉄道の貨物線の途中
 に接続点を設け、五条からこの地点までを全線開業まで仮に共用とした。
  そして、紀和鉄道が、和歌山初の鉄道として、1898年に、和歌山駅(
 現:JR紀和駅)〜船戸駅間で開通した。
  この時、これを記念して1899年に作られた「中間起工式廼歌(ちゅう
 かんきこうしきのうた)」の歌詞が見つかった。
  その歌詞は・・「日進月歩の今日は 運輸の便の開けたる 夕に西の
 月を観る」と始まり、「紀和の鉄道は 和歌山船戸の七哩(マイル) 
 去年の春に開業して 他にも劣らぬ線路也」と続く・・「紀伊の国の魁
 (さきがけ)で 橋本五條の六哩 乗客貨物は最も多く 中間工事はや
 むなくも 一時中止はした物の 一般社会の熱望と このまま眠りて居
 るべきや 実に慶賀の至りなり」と経済事情で中断したことも伝えてい
 る・・そして、最後に「気笛一声勇ましく 煙は跡に残りても 粉河妙
 寺や橋本を 行くはわずかに一時間 愉快」・・
  日本で最初に鉄道が開通したのが1872年、その年から27年後・・鉄道
 唱歌が1900年以降に流行するという時の話・・
.
1899年1月3日、「ニューヨーク・タイムズ」紙の社説において、「自動車
 (automobile)」という単語が使用される(確認できる最も古い例)。
  1月3日 英語の「automobile」(自動車)という単語が、ニューヨー
 ク・タイムズ紙の広告ではじめて使用される。
.
1899年1月4日、フィリピンの領有
  アメリカが、欺瞞的(ぎまんてき、人の目をごまかし、だますこと)
 にフィリピンを領有する・・しかし・・アメリカは「これは、友愛的同
 化なのだ」と美しく表現した・・しかし・・
  アメリカは、その一方で、「アメリカは、あらゆるビジネスチャンス
 は失わない」と・・儲(もう)けたいのだ、利を得たいのだと表明した。
  フィリピンを同化させて、利益を得る対象にしたいのがアメリカの目
 的だった・・そして、友愛だから許されるのだ、正義なのだ・・とアメ
 リカは言った・・
  アメリカ大統領が国内機関に依頼した調査委員会は、「フィリピン人
 は、独立を与えられても、国を維持する事が出来ない」と、まったく馬
 鹿にした報告書を提出した・・
  そして、傲慢にもアメリカは、「だから、アメリカが居るのだ」と、
 アメリカが正しく、正義の行為をしていると報告した・・また、「小学
 校教育は、英語で行え」とフィリピン言語の英語化という卑劣な指示を
 した・・そして、これは公費でやれ『重点重要項目』だと言った。
  アメリカ化は、正義で、正しいのだだった・・
  アメリカは、一度手に入れた領土は手放したくなかった、そのため、
 硬軟の両面からの策を講じた・・
  また、卑劣な事に、アメリカは、自国民のアメリカ合衆国の方々へは、
 報道管制をして情報管制した。
  当然、自国民のアメリカの方々へ伝えるべき事項であるのに伝えるこ
 とをしなかった。
  記者たちが書いた記事は、厳重に検閲された、日本でもやられたこと
 である、卑劣である。
  アメリカ国民の方々へ伝わったことと言えば、「極めて楽観的な『う
 まく行っている話』ばかり」だった・・「問題はない」の検閲された記
 事だった。
  「反乱は問題なく、アメリカ軍の増援は無くても収まる」という嘘記
 事だった・・そして、戦闘で傷ついた兵のいる病院の報道は禁止させた。
  また、フィリピン軍との戦闘で、失敗した作戦の全面的な報道の禁止
 もなされた。
  また、過酷な状況の中で熱射病になった患者の数も秘密にされ、報道
 記事にすることが禁止された。
  過小評価したという記事も駄目・・違反すると報道中止が入った。
  そして、戦況はこうなるだろうという予測報道もすることも禁止だと
 規制した。
  報道の自由がまったく無いという状態だった。
  しかし、突然、アメリカ国民の方々は、アメリカ政府は嘘を言ってい
 るという事を知った。
  卑劣なアメリカ合衆国政府だった。
.
1899年1月4日、アメリカが、フィリピンを奪った。
  『門戸開放をする』が、唯一の、アメリカの大義名分だった。
  アメリカは、フィリピンが、門戸解放してないからと・・だから、武
 力でフィリピンを門戸開放したのだという論理を展開し言った・・幼稚
 な幼い論理展開だった・・
  1898年9月16日、アメリカのマッキンリー大統領は声明で言った「(
 フィリピンは、門戸開放をしていない)だから、門戸開放を求める」と・・
  アメリカは、この理屈だけで戦争を始め、進めた・・そして、自分た
 ちの非に気づいたのか?・・「(我々、アメリカも)他人に門戸を開放
 する用意がある」と言った。
  また、アメリカは理由を付けた、「(アメリカは)商業的機会を無視
 できない(逃したくない)」と・・
  まったく、フィリピン側の事情をくむ気はなく、アメリカ側の儲けの
 論理だけがあった・・さらに言った、「アメリカの貿易を、あらゆる合
 法的手段を利用して拡大すること(は、アメリカの方針)だ」と・・
  そして、また、アメリカは、「イギリスや、オランダの他国の様に極
 東に於いて権益を求めるものでは無い」と・・しかし、世界は、その様
 には見ていなかった・・「アメリカに領土的野心あり」と見ていた・・
  『フィリピンの領有』が意識にあると、アメリカ国内のマスコミの漫
 画も、そのアメリカの本心を描いていた。
  案の定、パリ協定で「フィリピンの主権」がアメリカに移った・・ア
 メリカは、「友愛的同化だ」と言った・・
  この事を、1899年1月4日に、アメリカは発表した、「アメリカの使命
 は、友愛的同化にあることを証明する事である」と・・
  美辞麗句で自国行為を美化するアメリカだった。
.
1899年1月7日、徳川慶喜が、実弟の昭武とともに小金地方にて狩猟、帰途、
 戸定邸に泊る。
  この年、慶喜は、頻繁に戸定邸を訪れ、狩猟などを共にする。
  慶喜は、昭武とともに趣味の写真撮影や陶芸などを楽しんだ。
  また、戸定邸には多くの皇族方が長期に滞在するなど由緒ある邸宅と
 なっている。
  戸定邸(とじょうてい)は、千葉県東葛飾郡松戸町松戸(現:松戸市
 松戸)に水戸藩最後(11代)の藩主であった徳川昭武が造った別邸で、
 国の重要文化財となっている。
  松戸宿は江戸時代には江戸と水戸を結ぶ水戸街道の宿場町であった。
  そして、松戸は古くから水戸藩とつながりの深い土地だった。
  徳川幕府の最後の将軍となった徳川慶喜は1837年(天保8年)に水戸徳
 川家生れた、そして、1913年(大正2年)に亡くなっている・・
  将軍となったのが30歳の時で、大政奉還から明治維新を経て、上野寛
 永寺に謹慎したのが32歳の時だった。
  慶喜は写真が大好きだった、最初期のアマチュアカメラマンだった・・
 精力的に明治という時代を撮影した。
  ちなみに、尾張藩主の徳川慶勝は自らが撮影もしくは整理した相当数
 の湿板写真を残していて、そこに、名古屋城、広島城、尾張藩の下屋敷
 であった戸定邸などが写し取られている・・古いものは、1864年(元治
 元年)まで遡(さかのぼ)ることができる・・
  徳川慶喜に影響されたのか幕末期に写真師を抱えたり、自ら撮影を行
 うなど写真に関わりを持った大名は少なくなかった、また、一橋徳川家
 では何人かの写真師を抱えていた。
  今、話題の渋沢栄一だが、その渋沢栄一が、禁裏守衛時代の慶喜の写
 真を必死に探したが見出せなかったとされている・・渋沢栄一がより古
 い写真を探すということは、彼はその写真の存在を知っていた、あるい
 は、存在の可能性を信じていたということ・・禁裏は京都御所のことで、
 慶喜は、警護を総括する役職(禁裏御守衛総督)で、幕末期、臨時的に
 設置されたこの職に1864年(元治元年)3月25日から1866年(慶応2年)
 7月31日まで、この役職にあった。
  また、慶喜は、種々の改革を行ない近代化に努めるが、軍制も改革し
 た・・第二次の軍制改革では組織の大変革まで行ない、フランスから軍
 事顧問団を招聘し、フランス式の陸軍演習を開始する・・1866年(慶応2
 年)12月8日、シャノワンヌ以下のフランス軍事顧問団は横浜に上陸し、
 軍服装備一式を幕府に献上する・・そして、西洋馬も移入された模様で、
 慶喜が西洋馬にまたがった写真がある・・慶喜の写真は外国にまで報道
 されている・・外国は慶喜を新しい将軍として紹介している・・
  ちなみに、イギリスも将軍・慶喜との接触を頻繁にしている・・1867
 年3月29日、イギリスの公使が大坂城に登城し、大広間の庭でイギリスの
 兵隊の調練を慶喜に上覧している・・このことが、ロンドン・ニュース
 に流されている・・この時、慶喜の姿を「金糸の布地でごわごわしてい
 た」袴を履き、「日本の高い位の人の普段着ている衣服(光沢のある羽
 織?)を着て」と表現している・・この頃のニュースは写真を掲載する
 事は出来なかったが、日本の最高権力者・将軍ということで版画によっ
 てその肖像が掲載され、この日の報道の主役となっていた・・
  また、1867年(慶応3年)4月、アラビア馬がナポレオン三世から慶喜
 へ贈られ、この時に横浜に上陸している・・そして、早速、飼育伝習が
 行なわれている・・しかし、伝習の後、この馬が慶喜の元へ届けられる
 予定であったが、1867年(慶応3年)10月の大政奉還と、その後の混乱が
 あり、慶喜の元には届けられることはなかった。
  慶喜は、1867年(慶応3年)2月、フランス公使ロッシュを引見し、幕
 政改革の意見を聞いたりして、幕府の所機構の改革を進めて行こうとし
 ていた・・そして、1867年3月5日、兵庫開港の勅許を朝廷に求めたが許
 可されず、改革が思うように進めることが出来ず、外国との約束も果た
 すことができなかった・・しかし、1867年3月28日、大坂城でイギリス、
 オランダ、フランスの各国公使を引見し、朝廷の勅許を得ないまま、兵
 庫開港をやむなく声明した。
  一連の大坂城での会見の時には、豪華な食事が出され、「料理も給仕
 の仕方もフランス式で、皿やグラスはすべてヨーロッパ製の最高級品だ
 った・・そして、大君(慶喜)自らが上座に座って主人役を務めた・・
 1867年5月23日に報道された記事の時は、ナポレオン三世から贈られた軍
 服を自ら着て、外交関係を重視し、彼の外交政策が完全に支持されるこ
 とを重視して、外国公使との食事では自身がホスト役を務めていた・・
 外国との友好をはかることをその第一歩としていた彼はそれを忠実に実
 行していた・・
  (参考)戸定歴史館
      https://www.city.matsudo.chiba.jp/tojo/rekishikan_shoukai/rekishi/tenrankai.html#cms1
.
  (今日の言葉)
.
  題:1943年11月27日以降、カイロ会談(第一次会談:1943年11月22日~27日)の数日後、
    ルーズベルトの側近のホプキンズは、中国の蒋介石から「大連についてはソ連側には言わないでほしい」と言われている。
    ルーズベルトが、ソ連を対日参戦させようと、ソ連への「おびき寄せの餌にされた大連」だった。
    このアメリカ大統領のルーズベルトは、日本の領土の南樺太、千島列島、北方四島を「盗ってしまえば」とソ連のスターリンに「おびき寄せの餌」にしたが、大連も餌にしていた・・卑劣な事である・・
.
1888年、ゴッホが「赤いぶどう畑」をアルルで描いた。
  この絵は、1890年2月にベルギーのブリュッセルで行われた展覧会「
 20人会展」に出品され、ゴッホの生前に売れた唯一の作品となった。
.
1934年3月、ナチス福祉局(NSV)は母子援助制度を開始し、女性の出産
 育児に対する経済支援を展開した。
  1935年12月、SS長官兼ドイツ警察長官ハインリヒ・ヒムラーは、母
 子家庭の支援団体の名目でレーベンスボルン(別名:生命の泉協会)を
 首都ベルリンに設置した。
  1936年8月15日、レーベンスボルンは、最初の施設「高地荘」をバイエ
 ルン州エーベルスベルク郡シュタインヘーリンクに開設した。
  レーベンスボルンのナチスの民族浄化へと繋がっていく・・
  レーベンスボルンは、ナチ親衛隊(SS)がドイツ民族の人口増加と
 「純血性」の確保を目的として設立した女性福祉施設で、アーリア人増
 殖のための収容所で、未婚女性がアーリア人の子を出産することを支援
 し、養子仲介なども行なっていた。
  一般的に「生命の泉」または「生命の泉協会」と翻訳される。
  この反対の対象にあるのが『ユダヤ人絶滅』のための強制収容所・・
  アーリア民族の「純血性」を保つためにナチスが進めた秘密計画。
  未婚女性とドイツのエリート兵との間に生まれた何万人もの子が、自
 らの出生の秘密を初めて知った衝撃・・。
  「レーベンスボルン(生命の泉)」計画の舞台の一つ、パリ郊外の森
 に囲まれた邸宅。
  選び抜かれた白人女性とナチスのSS兵士が舞踏会を楽しみ、住民は
 「乳児ベッドが並んでいた」と証言するが、記録は消された。
  ある里親が屋根裏に隠していた手紙がきっかけに、事実の断片が明ら
 かに・・
  過去に口を閉ざす「母親」のもとでフランス人として育った男性を例
 に、現代にも引き継がれている「民族浄化の落し子」の問題・・
  (参考)ナチスのSS兵士:親衛隊(しんえいたい)、シュッツシュ
     タッフェル、略号:SS、ドイツの政党(国家社会主義ドイツ
     労働者党の組織)、元は総統アドルフ・ヒトラーを護衛する党
     内組織(親衛隊)として1925年に創設される。
  (参考)アーリア人:アーリアン学説、アーリア人種論 は、インド・
     ヨーロッパ語族の諸言語を使う全ての民族を、共通の祖先アー
     リア人から発生したものとする学説。
      ミュラーは、アーリア人はインドから北西に移住していき、
     その過程で様々な文明や宗教を生み出したと言う。
      キリスト教は「一神教の壁」なる虚言を言って、インドの深
     い宗教性がこの虚言を主張してキリスト教に伝わっていないと
     言ったが、アショカ王もキリスト教の教域に仏教を伝道させて
     いるし、学者・ミューラーの言う如くに宗教は伝播している。
      事実、キリスト教の「コレヘトの言葉」の「空(くう)」は
     仏教の「般若心経」を手本としている。
  (参考)経緯として、ドイツは、第一次世界大戦に敗戦し、年間出生
     数も激減していた・・また、大戦後は世界大恐慌という経済的
     打撃で生活苦となり、堕胎施術が流行した・・そこで、ナチス
     は、1934年3月に、ナチス福祉局が母子援助制度を開始し、女性
     の出産育児における経済を支援するようになった。
      ちなみに、ドイツは、この3ヶ月後の1934年6月15日に、第一
     次世界大戦の賠償支払いを停止している。
.
1941年11月25日、日本機動部隊が、真珠湾への出撃を開始した。
  ハルノートを突き付けられ日本、最後の最後まで和平交渉を続けた日
 本も、これが判断の分かれ目となった・・出撃が決定された・・日本の
 中で戦いははっきりと「日本が負ける」という研究報告のあるその戦い
 (上層部の皆がその結論を承知していた)・・その戦いをせざるを得な
 かった・・
  この日の11月25日(ワシントン時間)、アメリカ海軍作戦本部は、下
 記の様な電報を、キンメル(アメリカ太平洋艦隊司令長官)とサンフラ
 ンシスコの第12海軍区に電信し送った。
  「太平洋を横断する船舶の航路はすべてトレス海峡とする。太平洋艦
 隊及びアジア艦隊の司令長官は必要に応じ護衛せよ。貴第230258
 番電参照」・・これは『真空の海』と言われる電文・・
  この命令は、南雲中将の機動部隊が単冠湾(ひとかっぷわん、日本領
 の択捉島にある湾)を出港し、北太平洋に出た約1時間後に、出された
 もの・・このぐらいにアメリカは日本の動きを、逐一、察知し知ってい
 た。
  この「『真空海域』命令」は、戦争への介入を切望していたルーズベ
 ルトと、ルーズベルトの下で任務を遂行するキンメルが、いかにハワイ
 を防御しようとしていたキンメルが絶望的状態におかれていたかを、如
 実に表わしている・・
  当然、太平洋艦隊司令長官のキンメルは、その役職から日本海軍を迎
 撃(げいげき、攻めてくる敵を迎えうつこと)をしたかったと考えられ
 る(しかし、撤退を命じられる)・・そして、無実のキンメルは責任を
 取らされる・・
  (参考)キンメル:ハズバンド キンメル、1882年~1968年、米国の
     軍人・・元・海軍大将、元・米国太平洋艦隊司令長官・・
      1941年、米国太平洋艦隊司令長官に任命されるが、日本海軍
     の真珠湾攻撃の責任を問われ、同年1941年12月更迭され、問責
     審問の後、退役を命じられ、大戦に関与できなかった・・ルー
     ズベルトが考えた「日本に奇襲の汚名を着せる」を成立させる
     ためこの様な無実の司令長官が罪を着せられた・・
      一時は大将だったが、真珠湾攻撃を受けるまでその対応をし
     なかったと責任を問われて降格された悲劇の人・・知らせよう
     とし迎撃しようとしたが上層部から潰(つぶ)された。
      日本が攻めてくることを知っていたが職務遂行ができない状
     況におかれた・・そして、キンメルは汚名が着せられた。
      1999年5月25日、ハズバンド・キンメルとウォルター・ショ
     ートの名誉回復決議が上院で採択され・・
      2000年10月11日、下院でも名誉回復決議採択されたが、時の
     大統領ビル・クリントンは署名を拒否・・最終採決は次代のジ
     ョージ・W・ブッシュまで持ち越されたが、ブッシュも、以降
     の大統領たちも署名をしていない。
  (参考)日本に戦争を起こさせたいルーズベルト・・それで、日本艦
     隊をハワイまでおびき寄せる海域を真空のような静かな海とし
     たルーズベルト・・
  (参考)「ルーズベルト大統領が、日本が数日のうちに真珠湾を攻撃
     することを知っている」というコーデル・ハル国務長官のリー
     ク(機密を漏らすこと)により、攻撃1週間前の11月30日、ハ
     ワイ島の新聞『ヒロ・トリビューン・ヘラルド』は一面で、「
     日本の攻撃が、来週末にもある可能性がある」(JAPAN MAY
     STRIKEOVER WEEKEND)と報じていた。
      今・現在、ルーズベルト大統領の前任者のフーヴァーや、マ
     ッカーサー連合国軍最高司令官などのルーズベルトへの非難も
     明らかになっている。
  ロシュフォート(電波傍受の班長)から報告される気がかりな傍受電
 報に基づいて、キンメルは、何が起きているかを知っていて、色々な場
 面や、多くの機会に、攻撃される真珠湾を防衛するため何事かをやろう
 と努力して来た。
  そして、真珠湾が攻撃されるまさにその2週間前(1941年11月25日頃)、
 キンメル太平洋艦隊司令長官は、ハワイ北方海域で日本機動部隊の捜索
 を命じた。
  ホワイトハウスの承認なしに、彼は、日本海軍が真珠湾攻撃のため航
 空機を航空母艦から発進させようと計画していた北太平洋海域に、アメ
 リカ太平洋艦隊を移動させた・・勿論、キンメルにはハワイを守ろうと
 いう意思があった・・だが、キンメルの賞賛に値する努力は彼が思うよ
 うには進行しなかった・・失敗に終わった。
  キンメルが率いる艦隊が、日本海軍の意図している母艦航空機の発進
 海域にいることをホワイトハウスの政府が知り、また、ホワイトハウス
 の軍部当局者たちが知ると、彼らは、キンメルに対して、太平洋艦隊を
 北太平洋海域から真珠湾錨地に帰投させるよう、急いで命令し指示した。
  キンメルに対する不幸なこの『反転命令』は、その後の度重なる真珠
 湾調査会において問われること無く避けられ、無視されて来た。
  アメリカは、この様に隠密に隠し続けて来た・・この件の検討は1941
 年から1946年にかけて8回も実施されて来た・・しかし、一度ととして、
 取り上げることが無く、避けられて来た・・この様に徹底的に避けられ
 たという事は「皆が知っていて承知していた」と明らかに言えることで・・
  そして、この件は、1995年に行なわれたストロム・サーモンド上院議
 員と、フロイド・スペンス下院議員による、両院合同真珠湾調査の時も、
 その調査対象から例のごとく外(はず)されていた。
  1995年になって、やっと、キンメル提督の「遺族の要請」によって、
 下院は、真珠湾調査委員会を開いてこの重要問題を扱った。
  しかし、キンメル提督自身も、提督の家族も、かつて、太平洋艦隊の
 北部太平洋海域への出撃と、上層部からの突然の呼び返しについて言及
 したことはなかった。
  しかし、キンメルが、ハワイの北方海域を迎撃の意志を持って精力的
 に動き回り、偵察したことが証明され、無罪弁明の証拠を提供していた。
  真珠湾が攻撃された後、キンメルは、この種の偵察を怠ったと批難さ
 れた。
  「真空海域命令」の電文にある「トレス海峡」は、潮流と浅瀬のため
 に、古くから航行の難所として知られている・・何故、この座礁の危険
 のあるルートにせよとアメリカ政府が命令したのか? 真空の海を作り
 たかったからだった・・
  そして、真空海域命令は、日本海軍のハワイへの進路を、日本海軍の
 存在が「存在し、あっても無いようにする真空の様な海域」という意味
 があった・・命令によってその他の艦船もまったく居なかった・・
  ルーズベルトの「日本を参戦させる」という意志に向かって、日本は
 和平交渉を精力的に続けてきた・・
  しかし、すべて、ルーズベルトのアメリカ自身も参戦したい、ヨーロ
 ッパ戦線を支援したいという意志によって、アメリカから通商条約の破
 棄をされ、鉄屑の禁輸が行なわれ、石油も禁輸とされ、そして、何も悪
 くない日本、その様な理由のない日本の資産を凍結され、ルーズベルト
 は、徐々に、日本を締め上げて行った・・そして、日本の過去のすべて
 を否定する判断の分かれ目であった1941年11月26日のアメリカ国務長官
 の出した「ハルノート」を突き付けられた、そして、遂に、ルーズベル
 ト・アメリカ大統領は、日本に矛(ほこ、むかしの武器)を取らせるこ
 とに成功した・・したくなかった戦争だが、せざるを得ない状況におか
 れ、せざるを得ない状況に置かれた・・
  このルーズヘルトに、また、日本は、ルーズベルトにそそのかされた
 ソ連(現:ロシア)のスターリンに、日本の領土の南樺太・千島列島・
 北方四島の日本領を盗られた(今だに返還されていない)
.
1941年11月25日頃、アメリカ太平洋艦隊司令長官のキンメルは、日本海軍
 の動きとその目的を察知し、日本機同部隊の捜索を命じた。
  今・現代は、アメリカの「卑劣な日本の真珠湾攻撃の『奇襲』のデッ
 チ上げ」は公知(こうち、世間に知られていること)の事実となってい
 て、アメリカ大統領の前任者のフーヴァーや、マッカーサー連合国軍最
 高司令官なども『ルーズベルトの嘘のデッチ上げ』を非難していること
 が明らかになっている。
  そして、キンメルは、ジョセフ・ロシュフォート(戦闘情報班、班長・
 通称ハイポ、日本海軍の位置を逐一同定し把握していた、日本海軍の電
 波の発信方向が分かり位置が分かる)・・ここから報告される気がかり
 な傍受電報に基づき、キンメルは、攻撃される真珠湾を防御するために
 何かをやろうと努力してきた。
  そして、真珠湾が攻撃されるまさにその2週間前(1941年11月25日頃)、
 キンメルは、ハワイ北方海域で日本機動部隊の捜索を命じた。
  そして、その日、日本海軍の空母がまさに戦闘機が飛び立たせようと
 計画していた時、キンメルは、その海域にアメリカ太平洋艦隊を向かわ
 せ、移動させた・・日本の動きを阻止する目的だった・・
  しかし、アメリカ政府がこの事を知ると、キンメルの率いる艦隊が、
 日本海軍の航空母艦の航空機発進海域にいることをホワイトハウスの軍
 部当局者たちへ伝え、キンメル太平洋司令長官に対して、太平洋艦隊を
 北太平洋海域から真珠湾錨地に帰投せよと、急遽(きゅうきょ、あわた
 だしく急いで)、命令・指示した。
.
1941年11月30日、ハワイの新聞が、日本の攻撃がこれから起きることを報
 じた。
  アメリカ大統領のルーズベルト等は、真珠湾に日本が攻めてくること
 を、すでに、知っていた。
  「ルーズベルト大統領は、日本が数日のうちに真珠湾を攻撃すること
 を知っている」と、コーデル・ハル国務長官はリーク(機密を漏らすこ
 と)した。
  このによって、攻撃の1週間前の1941年11月30日、ハワイ島の新聞『
 ヒロ・トリビューン・ヘラルド』は、第一面で、「日本が、来週末にも
 攻撃の可能性」(JAPAN MAY STRIKEOVER WEEKEND)と『ずばり的中』の記
 事を報じた。
  まったく奇襲など起きるバズは無いという状況ではなく、それを知って
 いてひたすら隠したルーズベルト等のアメリカ政権の作り上げた卑劣な
 筋書き『日本に奇襲をさせる』だった。
  今・現代では、アメリカ大統領の前任者のフーヴァーや、マッカーサ
 ー連合国軍最高司令官などがこの事についてのルーズベルト非難も明ら
 かになっている(何度でも書く)
.
1941年12月8日、真珠湾攻撃
  アメリカは卑劣だ、日本の真珠湾攻撃の時、「日本が攻めて来ること
 を知っていたが、アメリカ政府は、アメリカ国民の方々へその事を伝え、
 そして、教えなかった」。
  知らせなかった理由は、当時のアメリカ政権が卑劣な引っ掛けをアメ
 リカ国民の方々へ仕組んでいたから発表をしなかったのだった。
  アメリカ大統領のルーズベルトには参戦したいという強い意思があり
 「参戦はしたくないというアメリカ国民の方々を『戦争に引きずり込む』
 という目的」があった。
  アメリカ政府のルーズベルト大統領の引っ掛けは「日本に先に手を出
 させて、日本に汚名をかぶせて、そして、戦争を始める」という悪計(
 あっけい、悪い計略、わるだくみ)だった。
  日本に「どうしても戦うしか残された道は無い」という状況にして、
 手を先に日本に出させて、アメリカは何も知らなかったという事にして、
 しかも、日本が「奇襲をした」という卑怯な状態にして、引っ掛けたか
 った・・
  それまでには、アメリカ大統領のルーズベルトは、大西洋上の軍艦上
 でイギリスのチャーチル首相と会い、ヨーロッパ戦線でドイツ軍に散々
 やられ、降伏一歩手前の状況にあると説明を受けていた・・そして、ア
 メリカの参戦を懇願された・・しかし、アメリカ国民の方々の世論がそ
 の様なことを許さず、その様なことのできる状況にはなかった・・アメ
 リカ国民の方々は、ヨーロッパの戦争に巻き込まれることを心配し忌避
 していた・・
  ルーズベルトは『参戦しない』を公約にして当選した大統領だった(
 アメリカ国民の方々を裏切る仕掛けをする)
  ルーズベルトが思いついたやり方は、その様な状況の中で、アメリカ
 は嫌というほど日本の経済を絞った・・そして、戦略物資の最重要な「
 石油を禁輸」した・・これでは日本の息の根が止まってしまう・・日本
 の資産の凍結もする・・通商条約の破棄や屑鉄の禁止など様々な首を絞
 める工作がやられた・・そして、日本のすべてを否定するアメリカ国務
 長官のハルノートが突き付けられる・・日本は最後に日本の心までが奪
 われ、将来の展望もなくなされ、希望が奪われ、首を絞める方策で戦わ
 ざるを得ないというやむを得ない判断に至った・・
  そのアメリカは、何もかもの一部始終を日本の動きを知っていた。
  そして、日本の艦隊の動きも、当然、把握していた・・
  日本が、アメリカの艦隊がハワイの真珠湾に集結していることを知っ
 ているごとくに、アメリカも日本の連合艦隊の動きを、充分、知ってい
 た・・一触即発の相手のその中心にある連合艦隊の状況を、相互に、ま
 ったく知らないなどという事がある訳が無かった。
  しかし、しきりに引っ掛けを仕掛けているアメリカ政権のルーズベル
 トは、「まったく知らなかった」という幼稚な仕掛けを考えて、その前
 提で、全世界の方々とアメリカ国民の方々へ嘘を言い、引っ掛けた。
  しかし、このルーズベルトは、家族へは「明日、日本が攻めて来るよ」
 と漏らし、言っていた・・つい、口に出す心境だったのだろう・・
  日本が、アメリカ艦隊がハワイの真珠湾に集結していることを知って
 いるのと同様に、アメリカも、日本の連合艦隊が日本の北方領土の択捉
 島(えとろふとう)の単冠湾(ひとかっぷわん)に集結していることを
 知っていた。
  そして、日本の連合艦隊が単冠湾を発進し、ハワイを目指し向かって
 いることも「手に取る様にアメリカは分かっていた」。
  アメリカは、日本の連合艦隊が進む海域を「真空の海」と呼び、名付
 けていた。
  日本の艦船同士の無線も傍受していてその無線から航行位置も、逐一、
 つかんでいた。
  しかし、日本海軍の位置が十分過ぎるくらい分かっていてもアメリカ
 政府は何も国民に知らせず、発表もしなかった。
  日本が奇襲をしたと、騙しうちをしたと、アメリカ政府はしたかった。
  そして、アメリカ国民の方々の正義感をふるい立たせ、戦争に参戦さ
 せたかった。
  イギリスのチャーチルと大西洋上で約束したアメリカの参戦、そして、
 ヨーロッパ戦線で苦戦するイギリス軍の支援がしたかった。
  それで、アメリカ国民の方々の「戦争には加わらない」というアメリ
 カ国民の方々の世論の大勢を変えたかった。
  だから、日本に「汚ない奇襲の汚名を着せたかった」。
  進行速度の遅い潜水艦・・そのため、日本の潜水艦隊は連合艦隊より
 早くハワイの真珠湾へ向かっていた。
  そして、連合艦隊より早くハワイの真珠湾へ到着していた。
  その日本の潜水艦が、アメリカ軍艦に見つかってしまう。
  日本の潜水艦は、機雷攻撃を受け沈没させられる。
  このことを「クジラだった」とアメリカは嘘の発表をした。
  日本の奇襲をデッチ上げたいアメリカは、口が裂けても「日本の潜水
 艦だった」とは発表できなかった。
  沈没させられた潜水艦からは大量の空気の泡が海上に浮かび上がった
 り、機関の油が浮上したり、クジラと間違う訳はまったくなかった。
  しかも、5隻の日本の特殊潜航艇のすべてがアメリカ軍艦に発見され
 て沈められている。
  その『すべてがクジラだった』というのか? アメリカの言い訳は苦
 しかった。
  その日本の特殊潜航艇は二人乗りで、アメリカ軍艦はその5隻の日本
 の兵士の一人を救助している。
  クジラから出てきた日本海軍の兵士ということに、アメリカは口をつ
 ぐんだ。
  日本がハワイの真珠湾で攻撃を開始する前にアメリカ政府以外にも知
 る人はいた。
  決定的なことは、日本の真珠湾の攻撃の一週間前、ハワイの新聞で「
 日本がハワイに攻めて来る」と発表されていた。
  アメリカは、無理やり、日本はハワイの真珠湾攻撃の奇襲をしたとし
 た。
  日本を貶(おとし)めて、アメリカ国民の方々の世論をルーズベルトは
 変えたかった。
  ちなみに、アメリカは、米西戦争の時にも、マスコミの新聞が煽って
 アメリカ国民の方々の正義感に火を付けさせて米西戦争を始めている。
  アメリカは日本を貶めて戦争を始めた様なことは、アメリカは歴史上
 でよくやる国なのだ。
  西部劇の殺し屋も、相手を怒らせて先に銃を抜かせ、速打ちの殺し屋
 がその目的の相手の命を取るというシーンがよくあるが、アメリカは嘘
 でも何でも相手に銃を抜かせて速打ちに殺させるということを形を変え
 て歴史上でこの様な『汚ないことをよくやる』。
  2021年8月11日のTBSテレビのニュースが、まったく本当の真実を
 知らせないで、アメリカが捏造したシナリオ通りでニュースを報道して
 いた・・今でも捏造事項が洗脳されている・・
  もしかしたら、TBSは、真実を知っているが、日本の方々を洗脳し
 たいので、その様なニュースを報道したのだろう。
  それではマッタク終戦直後のGHQの洗脳シナリオで・・まったくお
 粗末としか言えない・・
.
1941年12月、アメリカ太平洋艦隊司令長官のキンメル氏が更迭される・・
 無実の罪の責任を取らされる・・
  真珠湾攻撃のアメリカの捏造(ねつぞう問題、本当はない事をあるか
 のように偽って作り上げること)の責任を取らされた。
  キンメル氏は、1941年に米国太平洋艦隊司令長官に任命されるが、日
 本海軍の真珠湾空襲の責任を問われ、同年1941年12月に更迭され、問責
 審問の後、退役を命じられ、大戦に関与ができなかった。
.
1943年11月27日以降、カイロ会談(第一次会談:1943年11月22日~27日)
 の数日後、ルーズベルトの側近のホプキンズは、中国の蒋介石から「大
 連についてはソ連側には言わないでほしい」と言われている。
  ルーズベルトが、ソ連を対日参戦させようと、ソ連への「おびき寄せ
 の餌にされた大連」だった。
  このアメリカ大統領のルーズベルトは、日本の領土の南樺太、千島列
 島、北方四島を「盗ってしまえば」とソ連のスターリンに「おびき寄せ
 の餌」にしたが、大連も餌にしていた・・卑劣な事である・・ロシアは、
 今だに日本に返還していない・・早く誠実な態度を示せ、ロシアよ!
     ・
     ・
1995年4月、アメリカの上下両院が、真珠湾攻撃に至るまでの状況を調査す
 る小委員会を発足させた。
  真珠湾攻撃の責任を負わされたハズバンド・キンメル(太平洋艦隊司
 令長官)と、ウォルター・ショート(ハワイ方面陸軍司令官、陸軍中将)
 の遺族が二人の汚名を雪ぐ(そそぐ、洗い清める、不名誉などを除き去
 る)べく、上下両院に対し両司令官に日本軍の決定的な電報傍受記録が
 通知されなかったことの調査を要請した。
  これは、アメリカ政府が、日本海軍の電信電波を傍受していて日本
 海軍がハワイに向かって近づいていることを知っていた、が、しかし、
 そのことを、この二人の責任者には伝えなかった、それは、アメリカ政
 府の上層部で日本の奇襲を成立させたかったからだった・・遺族の方々
 は、そこを問いただす当然の行為をした。
  これは、キンメル氏とショート氏に伝えて真珠湾に防御体制を取らせ
 れば、暗号解読のことが日本に露見して、その後の戦争で真珠湾の被害
 とは比較にならないほどの被害が出る、よって、真珠湾には大事の前の
 小事として目をつぶるという遠大な戦略だったと解釈された・・という
 屁理屈論理がアメリカにある・・この様な詭弁(きべん、道理に合わな
 い、ごまかしの議論)がアメリカでは正解とされていた。
  結局、ルーズベルトが策略したアメリカ国民の方々の戦争忌避(きひ、
 嫌だとさけること)の世論を変え、チャーチルと約束した戦争参戦への
 アメリカの国民の方々の世論を変えるべくした「ごまかしの策略」を容
 認し、アメリカの体面を保ちたかった・・しかし、やったことは不正義・・
  今でも、アメリカ政府は、この事を充分に知っていて理解しているが、
 国の名誉のために「この真実・事実をかたくなに認めようとしない」。
  結局、キンメル(元太平洋艦隊司令長官)とショート氏(元ハワイ方
 面陸軍司令官)の名誉は回復しなかった。
.
1999年5月25日、名誉回復・・ハズバンド・キンメル(アメリカの太平洋艦
 隊司令長官)とウォルター・ショート(ハワイ方面陸軍司令官)の名誉
 回復決議が『上院で採択された』・・つまり、『奇襲』はアメリカが作
 り上げたウソと決まった・・
  2000年10月11日、下院でも名誉回復決議採択された。
  しかし、この時の大統領のビル・クリントンは署名を拒否した。
  最終採決は、次のジョージ・W・ブッシュまで持ち越された。
  しかし、ブッシュも、以降の大統領たちも署名をしていない。
  奇襲だという嘘の話を通したいアメリカがそこにある・・しかし、事
 実・史実は変えられない・・頑(かたく)なになるほどアメリカの名誉
 は無くなることをアメリカは知らない・・愚かな状況だ・・
.
2000年10月11日、名誉回復決議・・ハズバンド・キンメル(アメリカの太
 平洋艦隊司令長官)とウォルター・ショート(ハワイ方面陸軍司令官)
 の名誉回復決議が、『下院でも名誉回復決議採択された』。
  すでに、1999年5月25日、ハズバンド・キンメルとウォルター・ショー
 ト(ハワイ方面陸軍司令官)の名誉回復決議が上院で採択されていた。
  そして、2000年10月11日、下院でも名誉回復決議採択された。
  しかし、この時の大統領のビル・クリントンは署名を拒否した。
  最終採決は、次のジョージ・W・ブッシュまで持ち越された。
  しかし、ブッシュも、以降の大統領たちも署名をしていない。
  奇襲だという事にしたいアメリカがそこにある・・しかし、事実は変
 えられない・・早く誠実に事実に基づいた行動をしなさい!
.
2021年5月26日、日本がインドを救助・・インドの日本企業が、コロナ患者
 が増えて酸素吸入用の酸素が不足しているインドへ酸素を供給の救助を
 している。
  2021年4月時点のインドでは、新型コロナウイルス感染者数が急増し
 ている首都ニューデリーを含むデリー首都圏やその他の地域の病院に向
 け、空路や鉄道、陸運を駆使して医療用酸素を緊急輸送する取り組みが
 続けられている。
  なぜ、こうした深刻な事態に至ったのか?
  この様な状況の中で、日本企業のダイキンは、コロナ対策として、イ
 ンドに酸素濃縮装置を寄付した。
  ダイキン工業は、2021年5月26日、新型コロナウイルスの感染拡大が
 深刻なインドに酸素濃縮装置200台を寄付すると発表した。
  空気中から取り入れた酸素を高濃度にして放出、患者の呼吸を補助す
 る。
  ダイキンは、インドで20年以上事業展開してきた。
  得意とする空調関連技術で現地医療を支援する。
  西部ラジャスタン州の工場付近などの病院や、自治体が運営する療養
 センターに5月末から順次提供する。
  酸素濃縮装置は室内の空気をコンプレッサーで圧縮し、酸素だけを濃
 縮した気体を作って患者が吸入する。
  主に日本国内向けに在宅医療のために販売してきた。
  また、新型コロナウイルスの感染拡大が続くインドの首都ニューデリ
 ーの空港に2021年5月8日、日本からの支援として酸素濃縮器100台が届い
 た。
  インドでは医療用酸素が不足しており、各病院に配ってその解消につ
 なげたい考えだ。
  また、日本政府は、2021年4月30日、インドへの支援策として酸素濃縮
 器300台と人工呼吸器300台を送ることを表明した。
  5月5日には、新型コロナへの対応のために最大約55億円の無償支援を
 インド政府に伝えた。
  感染者の急増に病床や医療用酸素が足りず、各地の病院で呼吸困難に
 なった患者への酸素の供給ができなくなり、死亡する例が相次いでいた。
  また、インド政府は、2021年5月8日、新型コロナによる1日の死者が
 4187人と過去最多を更新した、と発表した。
  1日の死者が4千人を超えるのは初めて。
  各地では食料の買い出し以外の外出が制限されているが、新規感染者
 数も約40万人と高止まりしている。
  そして、何故、インドの医療用酸素不足が、ここまで深刻化したのか?
  インドでは、新型コロナウイルス感染者数が急増している首都ニュー
 デリーを含むデリー首都圏やその他の地域の病院に向け、空路や鉄道、
 陸運を駆使して医療用酸素を緊急輸送する取り組みが続けられている。
  病院から酸素がなくなりつつあるのか?
  主な問題は、医療用酸素が適切なタイミングで病院に届かないこ。
  これは酸素工場の場所や輸送ネットワークの限界に起因しており、計
 画のまずさも批判されている。
  デリー首都圏に酸素を大量に生産できる能力はなく、現地のいくつか
 の病院は至急供給してほしいと悲鳴を上げている状況・・
  新型コロナの感染急拡大は近隣のハリヤナ、ウッタルプラデシュ両州
 にも波及しており、これらの地域の酸素工場は地元の需要に応じようと
 するだけで手に余る状態。
  このためデリー首都圏の現在の需要を満たすには、東部の工業地帯か
 ら酸素を運んでくることが必要になる。
  なぜ酸素の到着が遅れているのか
  デリー首都圏にこれから酸素を提供する地域は7州にまたがり、その
 一部は1000キロ余りも離れていることが、裁判所の書類で分かって
 いる。
  液体酸素は取り扱い危険物質である以上、限られた専用タンクローリ
 ーで輸送しなければならず、適時到着させるには事前の周到な計画が欠
 かせない、とあるガス業界関係者はロイターに説明した。
  ところがここ数日、州の間で酸素の奪い合いが深刻化し、一部地域の
 当局は地元分を確保しようとタンクローリーの移動を阻止し始めた。
  それも一因となり、デリー首都圏が21日に受け取った酸素は約177
 トンと、割り当てられた378トンを相当下回った。
  ただ、先のガス業界関係者は、デリー首都圏政府が輸送計画策定に随
 分ともたつき、陸路での酸素輸送に要する時間を計算に入れていなかっ
 た点も問題視。
  「彼らがもう2~3週間前に動いていれば、問題は発生しなかっただ
 ろう」と話している。
  デリー首都圏政府は輸送計画に関する質問に回答しなかった。
  インドは、産業用を含めて1日当たり少なくとも7100トンを生産
 しており、現在の需要に応じるのに十分な量のように見える。
  首相府は、感染が最も深刻な20州に対して連邦政府は1日当たり
 6822トンの液体酸素を割り当て、20州の合計需要は6785トン
 だと説明した。
  感染者急増が本格化した4月12日時点では、国内の医療用酸素需要
 は3842トン程度だった。
  各州への割り当ては、通常、パンデミック中の重要な医療機器流通の
 監視と円滑化を任された省庁横断型の専門機関によって行われる。
  首相府は、製鉄所など工業施設からの転用によって、利用可能な医療
 用液体酸素は過去数日で約3300トン増加したと指摘した。
  危機打開に向けて、連邦政府は、工場から最も必要とされる地域へよ
 り多くの酸素を届けるために鉄道の積極的な活用に着手している。
  また、産業・医療用ガス大手リンデ・インディアなどの企業と協力し、
 空荷のタンクローリーを工場に迅速に運ぶ目的で空軍の輸送機も利用。
  工場で酸素を詰め込んだタンクローリーは再び陸路で目的地に向かう。
  一方、陸軍はドイツから、移動式の酸素生成プラント23基を輸入し
 ている。
  いくつかの産業からは病院に酸素を提供するとの申し出があった。
  また、複合企業タタ・グループは、液体酸素輸送用の特殊コンテナ24
 個を輸入。
  政府は、アルゴンと窒素運搬用のタンクローリーを酸素運搬に転用す
 る命令も発出した。
  もっとも一部の専門家は、今後、数週間で1日の新規感染者数が今の
 3倍に跳ね上がると予想しており、インドは酸素生産と流通のシステム
 を劇的に強化する必要に迫られそう・・
.
2021年7月1日、中国共産党の創建100年祝賀大会が開始した。
  北京中心部の天安門広場で祝賀大会を開いた。
  会場の上空では、中国人民軍の最新鋭ステルス戦闘機「殲(せん)
 20」が飛行し、ヘリコプターも「100」という数字を形作り飛んだ。
  祝賀大会の参加者は、新型コロナウイルス対策のため、中国産ワクチ
 ンの接種を完了させることが求められた。
  未接種者や『海外製ワクチン』を接種した人は参加ができないという。
  中国国営新華社通信によると、中国共産党員の総数は6月5日時点で
 9514万8千人(国民を14億人とすると6.7%)
  この時、習近平は、この共産党創建100年の祝賀大会の演説で「共
 産党がなければ新中国はなく、中華民族の偉大な復興はなかった。歴史
 と人民が共産党を選んだ」と自画自賛を言った・・しかし、これは事実
 無根で、また、事実誤認の作り上げた論理・・中国の国民の方々の政治
 的選択をまったく受けず、その選挙をまったく行なわず、中国国民の方々
 に「選ばれた」なんて言える訳はない。
  また、政治思想の違う政党の立党を禁止している・・共産党だけにし
 ている・・選ぶ選択肢を奪っている・・その様にして共産党だけの独裁
 体制の温室の中で、共産党独裁政権は、武力を使ってその独裁体制を必
 死に維持している現:共産党政権が、何を根拠にぬけぬけとそんな事が言
 えるのか? 憤(いきどお)りと、半分、呆(あき)れで軽蔑でもって習近
 平の認識の甘さを見ている。
  復興を自分だけでしたと自分だけの手柄にしているのも「まったくお
 かしい?」。
  日本は、日本国民の税金を使って莫大な金を中国へ渡し、支援してあ
 げた。
  中国が体制を変えるからと言った嘘を信じて金を出して支援をしてあ
 げた・・また、その他、日本の技術を教えてやったり、色々支援してや
 った・・工場も進出させて、中国の経済的発展を支えてやった・・日本
 以外の国々も中国を支えた・・それらのすべてを習近平は忘れたのか?
  「お陰様で無事に中国共産党政権は100年を祝うことができました」と
 御礼を言うべきところではないか?
  また、習近平は、自画自賛もしたが、嘘もたっぷり入れて演説した「
 中国は、これまで、外国の人々を圧迫したことが一度もなかった」など
 とも言ったが・・よくもあきれるほどの大嘘を言うものだと思う。
  「革命を輸出するのだ」と独りよがりのことを毛沢東は言って、あち
 こちの国々・発展途上国の内政に手を出し、悪さをした。
  また、「懲罰するのだ」「その戦争だ」とベトナムへ、燈小平は、侵
 略した。
  習近平も、南シナ海を奪って、沿岸諸国の「領土や領海を奪う」勢力
 拡張を続けて各国を苦しめている。
  ウイグルの人々の国を奪い、また、今、人権迫害を行っている。
.
2021年、日本学術会議は、文系の会員が圧倒的に多く、何も学術的な会議
 体ではない。
  そして、特定のグループの既得権益が強く、特定グループの利益のた
 めに存在している。
  このグループは解体するか、民営化すべきである。
.
2021年、プーチンよ!! 君は永久に生きている訳ではないだろう・・君は、
 この世で、君に都合のよいことをして生きている様だが、モナコ公国の
 39倍もの敷地を、ロシア南部の高級別荘地に持っている・・そのモナ
 コ公国の39倍の広さと言えば敷地と呼ぶより「領土」と言った方がよ
 いくらいだが・・プーチンよ!! 君はもう王様だ・・そこにあらん限り
 の贅沢(ぜいたく)な建物を建てて・・この建物だってヨーロッパのど
 この王様より金をかけている・・こんなやりたいことをあらん限りの贅
 沢(ぜいたく)をして・・でも、君は永久に生きている訳ではない。
  結局、チャウチェスクと同じ運命をたどる。
  ロシア国民の理解を得られてないことをしている「その末路」は決ま
 っている・・君の妻や子や孫たちは君が居なくなった後も生きるから「
 その事を考えなさい、その運命も考えなさい」・・
  君の妻や子や孫たちは、チャウチェスクと同じ運命となる君の運命を
 望んでいない・・君が居なくなった後を口には出さないだろうが心配を
 している・・ロシアの国民の方々に理解を得てない「自分に好きなこと
 をしているから、その結末はどうなるかははっきり決まっている・・そ
 れを心配している・・君は今からロシア国民の理解を得られることを行
 ないなさい・・君の奪った敷地・領土はロシア国民へ返しなさい、返還
 しなさい・・そして、日本から奪った領土も(南樺太、千島列島、北方
 領土)も返還しなさい。
  ロシアのプーチンにしろ、また、中国の習近平にしろ、今の社会にか
 つてのドイツに出現したヒトラーの様な人間が居るということに国際社
 会は心して注意して行かねばならない・・
  ドイツのヒトラーは、国を自由に扱い、とんでもないことをした・・
 急に、機械化部隊を使って電撃的にポーランドへ武力侵略を始めた、こ
 の時、プーチンの国・ロシア(旧:ソ連)もドイツと同じことをやった、や
 ってはいけないことをやった。
  中国の現政権の習近平は、すでに、ドイツのヒトラーがやった様に南
 シナ海を侵略し、自分の領土だ、領海だとし、中国の許可を得なければ
 通行できないと勝手な主張をしている・・こんなことをやり始めた・・
 ヒトラーと同じことをやり始めた・・この後も、ヒトラーの様に侵略を
 し、自分の領土の拡大をし続ける・・
  歴史をすでに学び、また、莫大な代償を払った国際社会は、この重大
 な局面に、即、対処せよ!!
.
2021年、中国は南シナ海を自分の望み通りの状態にしたいならばそれが正
 統で正当だと説明すれば良いではないか。
  それが正統で正当だと世界が認めれば中国の思う様になる。
  しかし、中国はその様にはしていない。
  だから、中国は不正をし説明できないと判断されているのだ。
  説明しない中国が悪いと中国は思いなさい。
  そうでなければ説明をしなさい。
  結論を言わせて戴ければ・・中国はその根拠を持っていない・・ただ、
 自分に利する侵略をしているだけ・・
.
2021年7月22日、アメリカのサキ大統領報道官は、新型コロナウイルスの起
 源を探るため世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長が言う追加調査
 を中国政府が拒否する意向を表明したことに「深く失望した」と述べる
 とともに、中国の態度を「無責任で危険だ」と非難した。
.
2021年、デッチ上げられ作られた戦勝国の東京裁判・・欺瞞の裁判・・そ
 こで絞首刑にされた東条英機ら・・
  東条英機は、東京裁判で絞首刑にされて悪者とされたけれど、満州で
 ユダヤ人の方々を受け入れて、讃美される人命救助をされた・・満州が、
 ユダヤ人の方々の間に「救いの門」の様に知れわたり、その「救いの開
 かれた門」を目指して、杉原千畝の偽造ビザを持っていようが、持って
 いまいが満州を目指して逃れて来た・・そのユダヤ人の方々を受け入れ
 た東条英機・・
  この東条英機の行為は気高い人命救助の行為で、誉れ高く後世に語り
 継ぎ、讃(たた)えねばならない・・日本の誇りにしなければならない・・
  改めて東条英機の人命救助の行為の名誉を顕彰しよう。
  (参考)顕彰:けんしょう、功績を世間に明らかにし、表彰すること。
.
2021年7月23日、第32回夏季オリンピック東京大会が開会された。
  天皇陛下が開会を宣言された。
  アメリカの五輪の独占放映権を持つNBCテレビが7月23日の朝、開会
 式を生中継した。
  世界の主要紙もトップページやウェブサイトで速報した。
  コロナウイルス禍で1年延期となった東京五輪・・NBCは「待ち望
 んた大会だ」と報じた・・そして、一日中、五輪一色の特別な番組編成
 でアメリカ選手の活躍を伝えた。
  2024年に五輪を開催する予定のフランスも五輪ムードが高まっていて、
 パリのエッフェル塔の前広場には「ファンゾーン」が作られて応援行事
 が行なわれている。
  マクロン仏大統領は、G7首脳で唯一、開会式に出席された・・そし
 て、国営テレビのインタビューに「日本の当局が五輪開催を維持したの
 は正しい」と述べられた・・閉会式にもカステックス首相の出席の予定
 という。
  韓国は、例の日本の貶(おとし)め行為・・「ウイルスとスキャンダル
 にまみれた五輪」の様な報道・・しかし、韓国紙はテレビ観戦で出前で
 人気のフライドチキンの需要増で2〜3割増える特需だと報じた・・韓
 国の庶民感覚は報道と乖離(かいり、そむき、はなれること)がある。
  菅首相は、アメリカのNBCテレビのインタビューに「東京五輪開催
 を取り止めるのは非常に簡単なことだ」とした上で、「主催国として、
 私たちは世界に対して責務を果たさなければならない」と述べ、成功へ
 の決意を強調した・・そして、首相は「新型コロナウイルスを克服して
 五輪を開催できることに真の価値がある」と述べられた・・そして、ア
 メリカ大統領夫人の出席に「アメリカ大統領夫人の来日を非常にうれし
 く思う」と述べた・・そして、「日本人は控えめなので、すべての人々
 とメダルを分かち合いたい」と、日本のメダル獲得数を問われて述べた。
  天皇陛下は、東京五輪の開催に先立ち、来日したフランスのマクロン
 大統領やバイデン米大統領のジル夫人ら各国首脳12人を皇居・宮殿「
 春秋の間」に招かれ、挨拶ん交わされた。
  陛下は、出身国とは異なるであろう暑い気候に気をつけてつつ、健康
 な状態で最善を尽くすことを希望しますと述べられ、すべてのアスリー
 トの方々へお心を配られた・・その後、隣接する「松風の間」で各国首
 脳らからそれぞれの挨拶を受けられた。
.
2021年、中国の王毅国務委員兼外相は気が強いだけだ・・それだけで偉く
 なったと見える・・言っていることの理屈がまったく正しくなく、理屈
 が通らない・・気が強いだけの論理だ・・矛盾していても強気の論理を
 押し通す・・あれで外相だという肩書きで、話し相手だとされたって困
 る・・この中国外相と話をしたって、話しの合意点を見つけ様などとい
 う態度はまったくない王毅では、合意点は見つけられない・・
  合意点を見つけようという姿勢の見られない相手では、話し合いの前
 に、すでに、その前提がまったく崩れてしまっている。
  目の前の相手より『本国受けをする演技』で飯を食っている輩となっ
 ている。
  中国はこんな人間を平気で要職にし、就ける様なことをする政権。
  世界とうまくやって行こうという姿はまったく見られない。
  こんなのに世界は振り回されたら『世界の平和は永久に来ない』・・
 ただ気が強いだけじゃ『戦争の道しか残っていない』・・
.
2021年、日本の防衛力をものともしない兵器を持った習近平・共産党・現
 政権は、完全に増上慢となっている。
  そして、言ってはいけないことをずけずけ言う、「軍(中国人民軍)に
 核攻撃をする様に促(うなが)している」と、これは言ってはいけない言
 葉・・それも公知に公開されている・・習近平は何を考えているのだ。
  自分が発射した核兵器は相手を焦土として、大殺戮して終わりぐらい
 にしか考えていないのか・・そうではないのだ・・
  自分が吐いた唾(つば)は自分たちにも降りかかって来るということを
 思え・・感じよ・・考えよ・・
  北京も焦土と化し、北京の人々も居なくなってしまうと考え・・感じ
 よ・・思え・・上海も深圳も無くなってしまうと思え、考え、感じよ・・
  習近平はそんな程度の思考力なのか・・
  自分たちは無傷で相手だけが居なくなるという形の『生殺与奪の手が
 自分だけにある』なんて考えをしているのか・・
  「生かすも殺すも俺しだい」なんて習近平よ、考えているのか・・
  そんな浮き世ばなれした状況にはならないとすぐ分からないのか・・
  簡単に「軍(中国人民軍)に核攻撃をうながしている」なんてよくも言
 えたものだ。
  中国という国を動かすトップの立場で言ってはいけないことを言った
 習近平・・
  (参考)増上慢:ぞうじょうまん、仏教で、まだ悟らないのに、悟っ
     たと思って、おごり高ぶること・・転じて一般に、十分な力が
     無いのに、自信の強いこと。
.
2021年、反撃手段が無く、自分だけが核ミサイル攻撃を受け、敵地攻撃能
 力のない自国防衛力しか持たないならば、それは戦争にならない。
  核ミサイル攻撃を受け続けるだけだから「戦争になる訳がない」。
  それは戦争と言うより「一方的核攻撃で全滅」という成り行き・・
  中国の偉い要人が、オーストラリアへ行った時、オーストラリアのそ
 の要人に向かって言った「日本は○○年には無くなっているよ」の言葉・・
 この通りになるだけ・・敵地攻撃能力の反撃力を持つこと、そして、し
 っかりとした戦争抑止力を持つこと、これが大事(だいじ)だ・・
  これをしない今の日本は「国民を見捨てている」・・日本は隠密利に
 核を持て、それが相手に漏れ伝わって抑止力になる・・軍事バランスが
 崩れたら戦争が起きるのは歴史が教えている・・今の日本は戦争を誘発
 させる状態・・軍事バランスが違い過ぎている・・
   ・
   ・
2049年、中国は、建国100年にあたる2049年までに「社会主義現代化強
 国」の全面完成をするとしている。
  そして、習近平は言った「我々は最後に笑うだろう」と・・
  そして、また、「いかなる外来勢力が我々をいじめ、抑圧し、隷属さ
 せることも絶対たに許さない・・その様な妄想を抱く者は誰であれ、必
 ずや14億余りの中国人民が血と肉で築いた鉄鋼の長城の前で頭を割られ
 血を流すだろう」と言った。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
.
  https://hanachan28.exblog.jp/
または
  http://kitaguni29.sapolog.com/
または
  http://stff2010.blog29.fc2.com/
または
  https://32983602.at.webry.info/


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