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北国の暖かい方たちとともに › 真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感) › (増補版)583E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年6月~1893年7月)

2018年03月13日

(増補版)583E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年6月~1893年7月)

題:(増補版)583E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年6月~1893年7月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1893年6月、帝国海上保険会社が設立された。
  安田火災海上保険の前身の一つ。
  そして、この年、東京火災保険(株)を傘下に入れ、
  翌・1894年、共済五百名社を改組して、共済生命保険
 (資)とした。
  1899年、安田商事(名)を設立し、ここを拠点に金融以
 外の事業へも進出を図ったが、おおむね成功を収めなか
 った。
1893年6月、国産蒸気機関車の第1号が完成した(5月説あり)
  イギリス人技術者の指揮の下、日本初の国産機関車で
 ある860形の1輌が、鉄道庁神戸工場で製造された。
  故に、この860形は、日本国有鉄道の前身である逓信省
 鉄道庁が、自庁の神戸工場で製造したタンク式蒸気機関
 車で、
  記念すべき日本初の国産蒸気機関車(車軸配置2-4-2
 (1B1)で2シリンダ複式の飽和式タンク機関車)である。
  設計と製作の指揮を行ったのは、当時、神戸鉄道局の
 汽車監察方として雇われていた、イギリス人のリチャー
 ド・フランシス・トレビシック・・、
  彼は、当時、イギリス本国で注目を集めていた2シリン
 ダ複式機関車の試作を思い立った。
  そして、森彦三や太田吉松といった日本人の技術者た
 ちを指揮して、1892年10月、本形式の新製に着手した。
  また、実際の製造に携わった神戸工場の工員たちも、
 すべて日本人であり、外国人の工員は一人もいなかった。
1893年7月3日 筑豊興業鉄道会社線の小竹~飯塚間が開通し
 た。
  これによって、直方~飯塚間が全通した。
  かつては、石炭輸送が盛んであって、炭鉱などに通じ
 る多くの貨物支線が有ったが、炭鉱の閉山によって、現
 在はすべて廃止されている。
  現在の列車は、旅客列車のみとなっていて、直方市~
 飯塚市などの市町から、北九州市・福岡市などとの通勤・
 通学路線となっている。
1893年7月10日、東京美術学校で第1回卒業式が挙行された。
  横山大観らの11人が卒業した。
  東京美術学校は、1887年に設立された美術専門学校で、
 日本初の美術教員・美術家養成のための機関だった。
  1886年~1887年にかけて、文部省図画取調掛委員とし
 て、岡倉覚三(天心)およびフェノロサは、欧米調査旅
 行を行った。
  この旅行は、美術教育全般に関わる調査を目的とした
 もので・・、
  美術学校の組織管理、および、学科教授法も含まれて
 いた・・、
  1887年10月、2人の報告に基いて、勅令により図画取調
 掛および工部大学校内「工部美術部」を統合・改編し、
 東京美術学校が設立された。
  修業年限は2年で、基礎実技と学科を担当する「普通科」
 は3年で、専門科目を担当する「専修科」も設置した。
  取調掛委員長の濱尾新は、事務取扱にとどまり、
  1889年2月の開校後・・、
  1890年に就任した岡倉覚三が、事実上の初代校長とな
 った。
  副校長は、フェノロサが務め・・、
  開校時の他のスタッフは、岡倉を幹事、フェノロサを
 「雇」(外国人教師)としたほか・・、
  教官は、黒川真頼、橋本雅邦(教諭)、小島憲之(嘱
 託)・・、
  後に、川端玉章・巨勢小石・加納夏雄・高村光雲らを
 加えた。
  教官となったのは、ほとんどが日本画家などの伝統的
 美術家で・・、
  (狩野芳崖も、教授就任が打診されていたが開校直前
 に死去したため実現しなかった)
  伝統美術の振興をめざす岡倉とフェノロサの理念が具
 体化された形となった。
1893年7月11日、御木本幸吉が真珠の養殖に成功した。
  御木本幸吉が三重県の英虞湾で、真珠の養殖に成功。
  真珠5粒をあこや貝のなかから取り出した。
  この真珠は半円のものだった。
  御木本幸吉(みきもとこうきち、1858年3月10日~1954
 年9月21日)実業家。養殖真珠の創始者(ミキモト・パー
 ルとして、世界的に有名)、真珠王と言われる貴族院議
 員。
  1858年、志摩(三重県)の「うどん製造販売業」の長
   男に生まれた。
   幼い頃から、旧藩士や、洋学者のもとへ勉学に通う。
   少年時代には、青物行商など行なって、生計を立て
   た。
   商才もあり、鳥羽沖に停泊したイギリスの測量船に
   青物を売り込み、外国人を相手にする商売のうまみ
   を開眼した。
  1880年(22歳)鳥羽町会議員となる・・また、海産物
   取引などに従事し・・天然真珠の売買も行った。
   進取の精神のある祖父の血を受けた幸吉は、地の利
   を生かす海産物取引に着眼した・・
   そして、干しアワビを取り扱ううちに、真珠へ関心
   を寄せた。
  1887年(29歳)明治天皇陛下の母君(英照皇太后)へ
   真珠を上納する。
   この時を切っ掛けに、真珠貝の増殖に取り組み、腐
   心する。
  1888年(30歳)真珠貝の養殖を試みる。
  1890年(32歳)第3回内国勧業博覧会に、真珠貝(アコ
   ヤガイ)や真珠を出品した・・、
   審査官の動物学者である帝国大学 (現:東京大学)
   の箕作佳吉(みつくりかきち)氏に出会う。
   真珠養殖を決意(アコヤガイの乱獲による絶滅寸前
   を憂えた・・、
   当初は、アコヤガイの養殖を始めて・・、
   後に、真珠そのものの養殖を思い立った・・ここで
   箕作先生らの指導を受ける)
   (着眼したのは、アコヤガイに、ガラスや貝殻など
   で作った半球形の核を挿入すること・・)
   箕作佳吉・西川藤吉・見瀬辰平の各氏らの労苦ある
   指導を受けて・・、
   この後、稚貝の養殖に成功する・・、
   (アコヤガイは、水温8℃以下では死滅する・・
   冬季の湾内の真珠いかだは、冷潮に注意しなければ
   ならなかった・・そのため、西方の温暖な五ヶ所湾
   や、南方の海山町(みやままち)の引本や尾鷲市九
   鬼方面へ移動した)
   さらに、本格的な真珠養殖に着手する。
   幾度かの失敗を重ね、辛苦を重ねる・・
   また、真珠貝の他にも、カキ、エビの他県への移植
   などにも活躍した・・
  1893年(35歳)志摩相島 (おじま、現:真珠島) で養
   殖の成功をみる・・
   そこには・・タンポと呼ばれる金網の籠をつるした
   養殖いかだの点綴(てんてつ、一つ一つを綴り合わ
   せること)する湾の風景があった。
   この時、半円真珠を、初めて市場に出した。
   また、御木本は、養殖真珠に関する資料を収集し、
   相島の施設を整備し、この島を観光の島へとして行
   く・・、
  1896年(38歳)養殖技術に関する特許を取得する。
   この後、数々の特許を獲得・・、
  1899年(41歳)銀座裏に、御木本真珠店を開店。
   この頃から、ほぼ毎年、海外博覧会へ出品。
  1900年(42歳)パリ博覧会へ真珠を出品。
  1905年(47歳)真円真珠の養殖法に成功する・・天然
   真珠と異ならない品質だった。
   以後、これを事業化。・・、
  1907年(49歳)三重県の見瀬辰平氏が、真円真珠の特
   許を得る。
  1919年(61歳)ロンドン市場に売り出す。
   この頃から、ロンドン、ニューヨーク、パリなどに、
   直販店を開設し、「世界のミキモト」としての地位
   を確立して行く・・、
  1928年(70歳)養殖場を志摩郡の英虞湾・田徳島(後
   に、多徳島へ名称変更)へ移転する。
   また、県外へも養殖場を拡大する事に意を用いた。
   事業が成功に導かれたのは、この優良な養殖場が確
   保できた事にもあった。
   そして、3回の外遊の時にも、日本の真珠を積極的に
   宣伝し・・、
   養殖真珠は、日本の重要な輸出品にまで高められた。
   また、販売面において、海外市場の開拓に多大な功
   績を残した。
  1954年9月21日、死去する。96歳・・没後、勲一等が
   贈呈された。
   御木本幸吉の誕生の地には、パールアイランド、養
   殖真珠のモデル工場、真珠博物館、海女実演場など
   がある。
  [言葉]:人間は運と知恵だけでは成功しない。健康が大
     切だ。
  [モットー]:世界中の女性の首を真珠で飾りたい。
1893年7月11日、アフガニスタンとイギリス領インドが、国
 境線を画定した。
  アフガニスタンは、イギリスと第二次アフガン戦争を
 せざるを得なかった。
  1879年、この戦争の結果、アフガニスタンは、イギリ
 スに外交権を奪われ、保護国となった。
  本当は、アフガニスタンの激しい抵抗は功を奏してい
 た。
  そして、事実上は、アフガニスタンは勝利し、イギリ
 スは敗北していた・・が・・、
  しかし、イギリスは、外交渉に於いて・・、
  「イギリスは、アフガニスタンの内政には、一切、干
 渉しない。
  故に、だから、アフガニスタンは、イギリス以外のい
 かなる国とも政治的な関係を結ばない」・・という約束
 を、アフガニスタンから取り付けた。
  これは、事実上のアフガニスタンの『保護国化』だっ
 た。
  そして、また、イギリスは、イギリスになびく、また、
 イギリスに都合のよい「王の擁立に成功した」。
  このアフガニスタンの王と、イギリス領インドとの間
 で、この年・1893年、国境線の画定がなされた。
  この時、アフガニスタンの側が不利であった・・が・・、
 アフガン国王への補助金を、年間120万ルピーから180万
 ルピーに引き上げるという話で・・納得させた・・させ
 られた。
  しかし、無理に確定した、各民族の納得する確定では
 ない「無理があった」ため・・、
 「民族の意思を無視する面」もあったため・・問題を残
 し・・また・・、
  アフガン国王も、『暫定的なものだ』というようなこ
 とも言われていたので、その様に思っていた・・しかし・・、
  しかし、その後、改訂されるようなことは・・行われ
 なかった・・その様な・・イギリスだった。
  インド側にも不満があるし、この様な、『イギリスの
 ペテン的なやり方』は、現代に至っても、問題は解決せ
 ずに・・、
  現代に至っても『引きずる問題』となっている・・
  こういう意味で、イギリスは、世界のあちこちで、こ
 んなことをやって来ていて・・『問題を作る国』だった。
  今・現在の・・ターリバーン政権の誕生や、国際テロ
 組織がからむ問題にもつながっている。
.
  (今日の言葉)
.
  題:結局、中国は、軍拡は無駄だという事を・・理解すべきだ。
.
紀元前3300年頃、この頃からメソポタミアの地に、シュメ
 ール人の文化が生まれた。
  砂漠化が進む気候の中で・・、
  チグリス・ユーフラテス河に集まった人たちは、その
 豊かな水で、大規模な農耕をした。
  河は、定期的な洪水で、肥沃な土を運んで来た。
  紀元前2500年頃になると、このシュメール人は、『ウ
 ル第一王朝』の王国を築いた。
  エジプトは、砂漠と海に守られて、安定した社会だっ
 た・・が・・、
  ・・が、しかし・・このシュメール人の地は、侵入さ
 れやすい地だった。
  アラビア半島や、イラン高原や、アナトリア高原(小
 アジア、現在のトルコ)などから、様々な民族が、メソ
 ポタミアの地へ侵入した。
  そして、シュメールは、セム系のアッカド人に滅ぼさ
 れた。
  アッカド時代(紀元前3350年~紀元前2180年)になっ
 た。
  そして、セム系のアムル人が、紀元前1830年に、メソ
 ポタミア全土を統一し、『古バビロニア王国』を建国し
 た。
  セム系はアジア人で・・アラブ人、ユダヤ人、フェニ
 キア人、エチオピア人などがセム系。
  この古バビロニア王国は、紀元前796年まで続く・・、
  この王国は多神教で、神の総数は4000もあった。
  シュメール時代から受け継がれて来た神があったり、
 アッカド時代に加えられた神々があったりした。
  古バビロニアの時、君主が、マルドゥク神を最高神と
 した。
  メソポタミアも、多神教の神々の中の一つの神を、最
 高神とした。
  多神教から一神へ代わっていく、変化があった。
.
紀元元3000年頃、この頃より、地球規模で雨量の減少が始
 まり・・、
  紀元前1000年頃に至ると、現在の様なアフリカ北部か
 ら中近東を経て、チベットなどのインド北部に至る広大
 な乾燥地が出現した。
.
紀元前2300年頃、インドの北西部のインダス川流域にイン
 ダス文明が作られた。
  インダス文明は、現在、インド南部に居るドラビダ人
 によってつくられ・・、
  農耕に基礎を置き、多神教を信じた。
  このインダス文明は、地球が乾燥化して行く中で、紀
 元前1800年頃に終焉した。
  インドは、紀元前1500年頃に至って、北方の遊牧民で
 あるアーリア人の侵入を受けた・・そして、新たな文明
 となった。
  アーリア人は、この後、インド北東部のガンジス川流
 域に本拠地を移し、農耕を始めた。
  アーリア人は、火で樹木や草を焼く焼畑農耕を行なっ
 た。
  紀元前1200年頃より、アーリア人は、火の神を農耕神
 とする信仰となった。
  この後、一時的に、太陽神やモンスーンの神を農耕神
 としたこともあったが・・、
  アーリア人の民の間には根付かず・・、
  アーリア人の信仰は、バラモン教の形となった。
  紀元前650年頃には、バラモンと呼ばれる司祭者たちに
 よって、ブラフマンが最高神とされた。
  この最高神は、『全世界(宇宙)の創造者』とされ、
  この信仰は、この後に、仏教やビンズー教やキリスト
 教へ影響を与えた。
.
紀元前21世紀頃、この頃から、エジプトの中王国の時代、
 アメン・ラーを最高神とする信仰が広がった。
  だが、この頃のメソポタミアは多神教だった。
  いろいろの神を信仰の対象とした。
  君主が、一時期、マルドゥク神を最高神としたが、民
 衆には定着しなかった。
.
紀元前17世紀頃、中国の殷(いん)(紀元前17世紀頃~紀
 元前1046年)が成立した。
  殷は、中国の王朝で・・文献で、天乙が夏を滅ぼして
 王朝を立てたとされ・・、
  考古学的に実在が確認されている中国最古の王朝。
  殷王朝の軍隊は、氏族で構成され、殷王による徴集を
 受けると、普段は農耕に従事していた氏族の構成員たち
 が武器をとり、出征するという形で軍隊を編成した。
  この軍隊を指揮するのは、各氏族の貴族だった。
  強大な軍事力を誇ったこの殷王朝は、度重なる戦争に
 勝利を収めるために、兵種、戦法、軍備などを発展させ
 て行った。
  その中で、特筆すべきは、「三師戦法」という大量の
 戦車を活用する戦術だった。
  殷王朝が、歩兵中心の軍制から、戦車を中心とした軍
 制に変化するのは・・、
  殷の支配域が拡大して、黄河中下流域や、中原など、
 戦車を疾駆させるのに適した平原地帯が戦場となって行
 ったからだった。
  戦車は、歩兵と共同して戦いを行った。
  1輌の戦車には、3人の兵が乗り、左側の兵士が弓を、
 右側の兵士が矛や戈を持ち、中央の兵士が御者となった。
  戦車部隊は、5輌が最小単位で、戦車兵15人と付随する
 歩兵15人からなっていた。
  100輌の戦車と戦車兵と歩兵がそれぞれ300人・・、
  25輌の戦車と戦車兵と歩兵が75人というふうに、
  戦車が、5の倍数で、戦車兵と歩兵は15の倍数で編成さ
 れていた。
  戦車の運用法では、「三師戦法」が編み出され、これ
 は軍隊を左、右、中の3つの部隊に分け、互いに連携して
 敵に対処するというものだった。
  軍備は、戦車戦に適した戈や矛、弓矢、木製の盾、刀
 などが使われた。
  しかし、紀元前11世紀に、帝辛の代に周によって滅ぼ
 された(殷周革命)
  この殷は、農耕の繁栄をもたらす天の神「上帝神(じ
 ょうていしん)」を祀っていた。
  そして、殷の後半頃に「天(てん)」という最高神に
 なった。
  儒教を開いた孔子は、この天の考えを元に「『天』と
 は人間が従うべき真理である」と言った。
.
紀元前14世紀末、エジプトに、唯一神のアトン神の信仰が
 できた。
  しかし、このアトン神は、まもなく祀られなくなった。
  この一神教のアトン神は、新王国のエジプト第18王朝
 の国王と、アメン・ラーの祭司たちとの対立が切っ掛け
 で作られたものだった。
  エジプト第18王朝は、紀元前14世紀に入ったころから
 次第に国王の権力が拡大していたが・・、
  王都のテーベの神殿を本拠とする最高神アメン・ラー
 の祭司たちが、政治に色々と口を出し、王の政治を困ら
 せ、行き詰まらせ、王の権力を抑えるほどになった。
  アメンホテプ四世(在位:紀元前1377年~紀元前1358
 年)が王となった頃には、アメン・ラーの神殿の祭司た
 ちは、エジプト王国の収入の半分以上を自分たちが、思
 のまま消費するというありさまだった。
  忍耐の限界を超えたアメンホテプ四世は、新たな王都
 を築き、アメン・ラー神に代えて、アトン(アテン)神
 を新たな国の守り神とした。
  彼は、紀元前1373年、王朝発祥の地テーベを放棄し、
 新たな都テル・エル・アマルナを築いた(アマルナ改革)
  ここを、アトン神の聖地とし、神殿を築かせた。
  これは、王権と宗教的権力を一本化することを狙って
 もいた。
  (参考)エジプト第18王朝:紀元前1570年~紀元前1293
     年、新王国時代最初の古代エジプト王朝。
      アメンホテプ4世は、従来の多神教であったエ
     ジプトの宗教を変えて、世界初の一神教と言わ
     れるアテン神信仰を追求した。
      しかし、「実際は二神教であった」とする学
     説もある。
      それは、伝統的なエジプト宗教と同じく・・
     王たるアメンホテプ4世自身も神であるとされて
     いた。
      神アテンは、アメンホテプ4世だけの神で・・、
      民は、アメンホテプ4世自身を神として崇拝す
     る様に説かれ、このアメンホテプ4世の神が、民
     を救済するという形だった。
  (参考)アメンホテプ4世:紀元前1362年?~紀元前
     1333年?、古代エジプト第18王朝の王(ファラ
     オ)(在位紀元前1353年?~紀元前1336年頃?)
.
1274年、元寇
  この年に、文永の役の元寇があり・・、
  この時は、900隻の船で、3万の中国の「元(げん)」
 の兵が、日本へ襲って来た。
  また、7年後の1281年6月、弘安の役の時は、4400隻の
 船で、14万の兵が襲って来た。
  この時の日本政府の鎌倉幕府は、よく戦った。
  鎌倉幕府の御家人たちは、よく防いだ。
  日本側は、略奪と暴行の被害を受けた。
  中国の元に駆逐された朝鮮軍も一緒になって攻めて来
 た。
  日本の九州へ襲来する前に、日本の「対馬(つしま)」
 を襲っていたが・・、
  その時、朝鮮軍は、日本の対馬の女性方を手籠め(性
 的乱暴)を加え、また、連れ去ったりしていた。
  朝鮮・韓国は、この件については、一言も触れない。
  日本の兵士・御家人たちは、新しい武器の攻撃を受け
 たが、よく戦った・・
  例えば、夜の闇に紛(まぎ)れて、元の船に乗り込み、
 さんざん斬り回ったあげく、船に火をつけて引き上げた
 りした。
  今・現代、中国が、尖閣諸島を奪いに来るときも、こ
 の様な状況になるだろう。
  多数の漁船に、漁師に見せかけた中国兵が、尖閣諸島
 に多数で来襲するだろう。
  2014年10月に起きた、日本の小笠原の珊瑚を奪う時も、
 最多となる212隻が来て、この手を使った。
.
2018年3月3日、アメリカの大陸間弾道ミサイルが『無力化』
 する。
  中国は、IMF(国際通貨基金)の出資金は少ないの
 に(日本より少ない)、自国の武力増強にばかり、金を
 使うという国になっている。
  その中国が、アメリカのICBMを無力化したという。
  日本の『核の傘』でもある「アメリカの核ミサイル群」
 を・・、
  中国が『無力化できる技術』を手に入れた・・という・・
  世界破壊の兵器・・全人類絶滅の兵器となっている核
 兵器。
  この日の読売新聞に・・アメリカの核弾道ミサイルが
 『無力化した』という記事が・・記載された。
  その記事を参考にして・・以下に記述すると・・
  表題は、「中国の『多弾頭型』警戒」「防衛研究所報
 告書」「アメリカのICBM破壊可能」とある・・、
  防衛省の防衛研究所は2日、中国の軍事情勢などに関す
 る報告書「中国安全保障レポート2018」を発表した。
  中国が開発して来た多弾頭型の大陸間弾道ミサイル(
 ICBM)「DF41」の配備が始まれば、『中国の核先
 制攻撃』で、アメリカのICBMを破壊できる態勢が整
 (ととの)うと分析した。
  報告書は、中国に対抗してアメリカがICBMをさら
 に配備数を増やす可能性を説明・・、
  ・・米ソの核軍縮も極めて困難となり・・『頓挫』・・
  中国は、核戦力を秘密にして・・透明性は極めてなく、
 「不透明状態」で・・透明性の欠如で・・これは大きな
 問題・・、
  2017年7月、中国は、渤海湾でミサイル実験を行った。
  その実験は、アメリカ軍を牽制(けんせい)するため、
 「空母キラー」という対艦弾道ミサイルを使用した・・、
  北朝鮮は、偶発的に核ミサイルを発射する可能性が高
 い国・・
  また、中国は、アメリカの「核の傘」を無力化できる
 技術を得たという・・
  その様な中で・・日本だけが「ノホホン」として・・、
 防衛の努力もしないで・・、その足かせになっている改
 善(憲法の改正・修正)もしないで・・、極楽天国状態
 にいる・・周りがどうなっているかも知らないで・・
.
2018年3月6日、中国の軍拡が、アメリカを揺さぶっている。
  標記の表題で、この日の読売新聞に記事がある。
  その記事などから・・その概要は・・、
  中国の軍事費の伸び率は、GDPの伸び率を常に上回
 わる、急激な拡大をしている。
  今年の軍事予算も、対前年比8.1%となって加速して
 いる。
  新兵器も、次々と投入され、力関係が変化している。
  軍トップの習近平中央軍事委員会主席は「世界一流の
 軍隊」を目指している。
  海軍・空軍・ミサイル分野の軍備増強を進め、この中
 国の急速な軍拡は、西太平洋でのアメリカの軍事的優勢
 を揺さぶりつつある。
  中国国産の最新兵器は・・、
 ・ステルス戦闘機・・アメリカ軍の最新鋭ステルス戦闘
   機に対抗して作られた第五世代戦闘機で、2月に実戦
   配備した。
 ・空対空ミサイル・・射程が300~400キロと長く、追尾
   能力も大幅に向上した。
   1月の訓練で戦闘機に搭載した・・今年中に配備する。
 ・攻撃型原子力潜水艦・・1月に沖縄県の尖閣諸島の接続
   水域に侵入した後継艦で、建造中。
 ・空母打撃群・・2020年までに、中国海軍は、3個空母打
   撃群の配備を計画。
 ・空母の配備・・中国海軍の空母1隻が就役、さらに1隻
   が進水済。現在、3隻目を建造中。4隻目から原子力
   空母とする。
 ・空母の戦略的展開・・2025年に、遠洋戦略ができるよ
   うにする。
   (米中の海洋戦力の構図に大きな変動が起きる)
 ・戦闘艦の増強・展開・・空母だけでなく、駆逐艦など
   の「水上戦闘艦艇」増強が大幅に増え、今年末に90
   隻となる。
   (これが、日本、台湾、東シナ海、南シナ海で米中
   が向き合う形になる。
   アメリカは60隻程度が配備限度・・)
 ・ICBM(大陸間弾道ミサイル)・・核弾頭が10個を
   搭載可能(DF41)で、北アメリカ全域を射程に収
   めている。
   命中誤差は僅少(100m)・・今年の前半に配備。
   極超音速滑空兵器が搭載される兵器の開発も進む。
  (参考)極超音速滑空兵器:ミサイル防衛網を突破で
     きる(防衛システムの無力化)
      迎撃は極めて困難。
      中国の新型弾道ミサイル「東風17」
      中国は、実験を7回実施し、6回成功。
      (アメリカより実験回数が多く・・アメリカ
     より進んでいる?・・と言われている)
      地球上の如何なる地点でも1時間以内で攻撃が
     可能。
      超音速(マッハ5~10、マッハ17~22)で飛ぶ、
     または、運動エネルギー弾を攻撃目標へ撃ち込
     む。
      無数の弾丸を極超音速で発射して弾幕を張る
     レールガン。
  (参考)アメリカのトランプ政権も、中国を「最大の
     脅威」と位置づけていて・・、
      2018年1月公表の「国家防衛戦略」で、2019会
     計年度の国防予算に約75兆円強を要求。
      核兵器による抑止力向上、極超音速兵器に対
     するMDなどの研究開発、艦艇などの通常兵器
     の増強などで、総合力で中国との長期的競争に
     打ち勝つ方針を示す。
  日本政府の反応・対応についても、同紙に記載されて
 いて・・、
  急激な拡大に警戒を強め、重大な関心事になっている、
 今後も動向を注視・・、
  中国政策の透明性向上を働きかける。
  中国の予算は、日本の3倍以上・・だが、日本の増額に
 は限度がある。
  現況は、沖縄県・尖閣諸島での中国潜水艦航行など脅
 威が起きている・・偶発的衝突を回避するメカニズムの
 早期運用開始に向けた協議を進めている・・だが、十分、
 機能するかは不透明・・、
  中国の驚異的軍備拡張に対し、防衛省は、今後も、尖
 閣への圧力を強めて来ると見ている・・アメリカの関与
 は不可欠と指摘。
.
2018年3月6日、中国の領土欲
  この日の読売新聞に、「台湾を得たい」という中国の
 方針が記されていた。
  表面上は「台湾統一」という言い方・・、
  それ故、新聞の表題も・・「台湾統一」推進を強調・・
 とある。
  中国の李克強首相が5日に行った政府活動報告で、台湾
 を中国の一部とする「一つの中国」原則に基づき、「祖
 国の平和統一のプロセスを進めなけらばならない」と述
 べた・・とある。
  そして、習近平国家主席も「台湾統一」が悲願で、強
 い意志がある・・と・・、
  李氏は、「両岸(中台)の同胞は歴史の大勢に順応し、
 民族の大義を共に担えば、中華民族の偉大な復興という
 明るい未来を創造できる」と述べた・・と・・、
  「中華民族の偉大な復興」は習氏が掲げる政治目標・・
 と・・、
  台湾も「中華民族」の一員として、世界の政治・経済
 強国への道をまい進する中国の隊列に加わるべきだ・・
 と・・
  中国内では、武力統一を求める声が出ている・・と・・
  ・・以上・・
  中国には、沖縄も中国の領土だという声がある。
  この記事の「台湾」というところを、「沖縄」と置き
 換えて読んでみて戴きたい。
  台湾の次は・・沖縄となる・・
  また、中国は北海道も狙っている。
  新聞は、中国の声を大きく伝えている。
  中国の言いたいことを伝えている。
  中国には、少数民族と言われる諸民族の方々が多く居
 られる・・が・・、
  この様な中国の言い方で、すべての民族が漢民族の下
 で、民族の発言が抑えられて来ている。
  そして、漢民族の政権の下に居させられている・・、
  台湾の本音は「独立」にある。
  中国国内の諸民族の方々も「独立」にある。
  つまり、各々の民族の方々の意思が「まったく無視さ
 れて」・・今まで、この歴史が展開して来たところに・・
 この問題の原点がある。
  そして、この問題に関して・・当事者の各民族の方々
 を阻害して・・当事者の各民族の方々と「まったく関係
 のない外国」が介入して来たというところに、この問題
 の原点がある。
  例えば、第二次世界大戦末期に、アメリカのルーズベ
 ルト大統領が介入して・・
  ソ連が、日本の領土欲しさに参戦し・・日本の領土の
 樺太・千島列島・北方4島をソ連(ロシア)に盗られたと
 いう様なことがある・・
  この時のルーズベルトとスターリンの様な事が起きて
 いる・・、
  この時の、弱まった日本の軍事力をいいことに、けし
 かけられたとはいえ・・ソ連は卑劣な筋の通らない行為
 をして来た・・中立条約を破棄をしてまでして・・、
  つまり、武力の格差が生んだお粗末な歴史展開だった。
  この意味からも、アメリカは、台湾へ核ミサイルを
 供与すべきだ。
  そして、場合によっては、これから、核ミサイル包囲
 網を構築して行くべきである。
  インドも入れたりして行くべきである・・
  中国が行動を起こせば・・『自分だけのみが良い結果
 になる』ということは妄想である・・その様な『妄想は
 するな』という事を理解させるべきである・・、
  つまり、中国が行動を起こせば、『中国を含めて、す
 べてが蒸発する』という時代に入っている・・その様な
 時代なのだ。
  『中国の諸都市も蒸発する』ということも理解すべき
 だ・・
  結局、中国の軍拡は無駄という事を・・理解すべきだ。
.
2018年3月8日、今のチベット
  この日の読売新聞に、今のチベットの状況が掲載され
 ていた・・事は、2008年に起きていた。
  2008年3月14日、チベットの方々が反抗した。
  可哀想に、この行動は、必死のチベットの方々の祖国
 奪還の戦いであった・・が・・「チベット暴動」と呼ば
 れてしまっている。
  今、日本が、これと同じ状況になったとしたら・・、
  日本人は立ち上がるか・・
  そして、その戦いを「日本人暴動」と呼ばれたら・・
  あなたは、どう思うのだ・・?
  今、戦争ではなく・・防衛の大事さを知るべき時なの
 だ・・、
  この時・・明らかに、チベットの方々は、遠い昔から
 住み・・そして、生活をして来たチベットの地を・・今、
 奪われつつある祖国を・・その中に居て・・取り返そう
 と行動を起こした・・
  中国は、漢民族をどんどん移住させた・・、
  今や・・「漢民族の中国人」が一番多い民族となって
 しまっている祖国の地・・、
  この様な国の奪い方をする中国・・
  これに反抗したのが、この行動・・戦いだった。
  「中国チベット自治区」と呼ばれるいるが・・事態は、
 現実は・・まったく反する状態にある・・
  自治はあるのか・・?
  あらゆる抑圧のある中に居て・・
  その一例・・首都・ラサ(日本で言えば東京)で、チ
 ベット民族の方々の宗教抑圧がなされている・・
  信仰の自由のまったく無く、中国好みに抑圧されてい
 る状態・・
  また、長く住んでいる方が・・そこから、半分、暴力
 的に追い出される・・
  まさしく民族差別の圧迫に、チベットの民衆の方々、
 僧侶の方々が立ち上がった。
  「武器などは何もない方々」が、その中国の非人道的
 な抑圧に立ち向かった。
  「素手のチベットの方々」に何ができるのか?
  できる事と言えば、中国の政府機関の施設の破壊・・
 商店の破壊・・放火だった。
  この抵抗は・・青海、甘粛、四川省などのチベット族
 の方々が多く生活している地域にも拡大した。
  (今は、中国の力によって拡散され、散らされている)
  中国政府は軍を出動させ、その力によって、いつもの
 様に抑え込んだ・・天安門の時もそうだった・・
  死者は200名と言われているが・・実際は不明・・
  中国は、外国報道機関などの報道を規制した。
  そして、正確な事も説明していない。
  北京五輪が5か月後にあることから、中国政府がその配
 慮から、今までの様な卑劣なやり方を控えるとみて、こ
 の時が選ばれた・・という。
  インドのチベットの亡命政府は「平和的なデモだった」
 と説明した。
  それが、この様な状況に至らせてしまったと・・中国
 のやり方を批判した。
  また、編集された映像などで(日本のNHKも、よく
 この手を使う)、チベットの方々の悪意の存在が際立た
 せられたという状況も起き、「世界の世論が繰られた」
 という事も起きた。
  チベット仏教の僧侶に変装した人間を出したりした。
  この様な偏見した見方に、正確な情報を提示したのが
 ダライ・ラマ14世だった。
  ダライ・ラマ14世は、アメリカへの訪問時に、シアト
 ルの地元新聞社とのインタビューで、チベット亡命政府
 内の若い方々が不満を持って行動を起こしたという見解
 を示された。
  以降、世界も中国の暴力に反対する意を示した。
  いつもの様に・・中国は、これを機会として、ラサ市
 内にある僧院を封鎖し、僧侶たちを幽閉した。
  日本の沖縄県も、中国は、「自分のものだ」という声
 を発している・・言うのは自由だといっても、言って良
 い事と悪い事がある・・デッチ上げは止めよ・・
  今、沖縄県に多くの中国人が流入し・・その実態を隠
 し・・そして、騒いでいる・・このことが常態化してい
 る。
  そして・・
  2018年3月8日の読売新聞には、『その後のチベット』
 についてが記載されていた。
  習近平政権は、「少数民族に対する政策の成果」を強
 調しているが、力によって抑え込んだだけ・・、
  チベット民族の方々は、信仰の自由や行動の自由は
 厳しく制限されたままという状態。
  その内、沖縄県の方々も外出禁止になるだろう・・
  渡航禁止になるだろう・・
  中国当局の抑え込み、弾圧を恐れて、真実が話せない
 状態となっている。
  「中国への、ゴマすり発言」が公の立場のものが、日
 本でなされている。
  NHKや朝日新聞や・・某政党などは酷いものだ。
  中国国内でも、この状態を・・せいぜい「本当の所は
 よくわからない」と発言する程度で、言葉を濁す・・、
  少数民族の方々が・・民族の催しをしようとすると警
 察車両が・・半端ではない多数の車に取り囲まれるとい
 う。
  巡礼などの移動も「することが出来なくされている」。
  日本などへの渡航もできなくされている(パスポート
 の発給が抑えられている)
  漢民族の公権力の監視下の生活となっている。
  2009年から2017年まで、抗議の焼身自殺をした僧侶の
 方々は「152名以上」と、その示す数が「本当のことを
 知らせている」。
  この様な場合・・中国当局は、焼身自殺をした家族を
 弾圧して、焼身自殺の行為を抑え込むことをしている。
  『漢民族による制覇』を狙う中国政府の形となってい
 る。
  そして、今、習近平は、その立場の任期を撤廃しよう
 としている・・そして、撤廃された。
  永久に、中国の今の立場に留まりたいとしている。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive


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