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北国の暖かい方たちとともに › 真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感) › (増補版)552E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年2月~1892年2月)

2017年09月11日

(増補版)552E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年2月~1892年2月)

題:(増補版)552E2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1892年2月~1892年2月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1892年2月8日、(氷川清話)勝海舟、予備海軍少佐・長男・
 小鹿(ころく)死亡、青山共同墓地に葬る。
  徳川精(くわし、徳川慶喜の十男)相続者と内定す。
  1892年2月8日、勝海舟は、嫡子小鹿が早世したため、
 徳川慶喜・家達に、精との養子縁組を申し入れる。
  同年・1892年2月14日、徳川慶喜は、精の養子入りを承
 諾した。
  1897年9月、兄・誠とともに、精(9歳)は、静岡から
 東京に移り、学習院初等学科に入学した。
  1899年1月20日、精(11歳)は、勝小鹿の娘である伊代
 子(11歳)の婿として、勝家に入った。
  養父・海舟の死去に伴い、同年・1899年2月8日に家督
 を相続し、伯爵を授爵する。
  1902年7月(14歳)、学習院初等学科を卒業し、慶應義
 塾に転校する。
  慶應義塾大学を卒業後、オリエンタル写真工業、浅野
 セメントなどの重役を歴任した。
  精は、家庭的には一男五女をもうけたが、妻の伊代子
 が1922年5月7日に他界した(34歳)
1892年2月11日、福島安正陸軍少佐が、ロシア調査を兼ねて
 ドイツ・ベルリンを出発(シベリア単独横断への発途)
  語学力に優れ、情報収集と外交に手腕を発揮し、
  1882年に、朝鮮に派遣され、対韓作戦計画の調査。
  翌年・1883年、北京公使館付武官となり、満州(中国東
 北部)およびモンゴル方面を踏査した。
  1886年には、インド半島を軍事視察。
  1887年に、ドイツ公使館付武官となり、バルカン半島
 を視察。
  1892年のこの騎馬でのシベリア横断行は、1年を費やし
 てウラジオストクへ、そして、帰国した。
  1895年3月から、約2年間、ヨーロッパ・アジアを探検
 旅行した。
  帰国後は、参謀本部第3、次いで、第2部長、
  1904年~1905年、日露戦争の時は、満州軍参謀。
  1906年、参謀本部次長、中将に進み、
  1912年、関東都督となり満州を管理した。
  1914年、大将となる。
  陸軍随一の情報将校だった。
  著作に「伯林(ベルリン)より東京へ単騎遠征」。
1892年2月15日、第二回衆議院議員、臨時総選挙
  選挙運動中に、政府と民党支持者の間で紛争が多発し
 た。
  品川弥二郎内相の選挙干渉が問題化したが、選挙干渉
 を指示したという命令書は発見されていない。
  逆に、複数の知事から、政府に対して、民党進出を阻
 止するために、警察力の行使を求める意見が寄せられた。
  25人が死亡し、388人が負した。
  結果は、民党の大勝利だった。
1892年2月22日、オスカー・ワイルドが書いた「ウィンダミ
 ア卿夫人の扇」が初演された(2月20日説あり)
  これは、四幕構成の喜劇で、ロンドンのセントジェー
 ムズ劇場にて初演された。
  この物語は、夫が、他の女性と不倫をしているのでは
 ないかと疑っているレディ・ウィンダミアを中心にして
 いて・・、
  レディ・ウィンダミアは、このことについて夫と対決
 し、夫は否定するが、妻の誕生日の舞踏会に不倫相手だ
 と疑われている女性・アーリン夫人を招待しようとする。
  夫が不実だと考え怒った。
  レディ・ウィンダミアは、他の恋人を作って夫のもと
 を去ることに決める。
  何が起こったか知ったアーリン夫人は、レディ・ウィ
 ンダミアを追いかけて夫のもとに戻るよう説得するが、
  このせいで、アーリン夫人は自分の名誉に関わるよう
 な状況に追い込まれてしまう。
  実は、アーリン夫人は、芝居開始時点より20年前に家
 族を捨てたレディ・ウィンダミアの母であった。
  アーリン夫人は、自分の身と評判を犠牲にして娘の結
 婚を救った。
  作者のワイルドは、公演の最初の年だけで7000ポンド
 (21世紀はじめの価値に換算して686500ポンド程度)を稼
 ぎ出すことになった。
  1ポンド=141円であるので、96,796,500円、約1億円。
1892年2月23日 伊藤博文が、選挙干渉の責任者の処分を主
 張して、枢密院議長の辞表提出し、辞任した(2月24日説
 あり)
  1892年2月15日に行われた総選挙、品川弥次郎内相が
 「選挙干渉」した。
  暴力沙汰も起き、流血、買収が横行した。
  松方は、警察を管轄している品川内相に選挙活動に対
 する取り締まりの一切を任せた。
  品川は、正直に、事を一生懸命行なう性分だったため、
 いかなる手段を使ってでも反対党に圧力をかけ、与党を
 勝利に導きたかった。
  それを自分の義務と考えた。
  そのため民党の選挙活動を妨害するため警察力を使っ
 た。
  民党側も、これに対抗して力で対抗した。
  それでも、与党は137名、野党は163名と、政府は民衆
 の信頼を失った。
  苦境に立った松方は、元老の助力を仰いだ。
  7人の元老は、2月23日に元老会議を開いたがなかなか
 意見の相違が埋まらなかった。
  伊藤は、選挙干渉に関係した官僚たち、特に、品川の
 処分を要求した。
  伊藤の要求に対し、「処分が厳しすぎる」と反対が出
 る、伊藤は、枢密院議長辞任の話までした。
  責任を感じた品川は、辞職を決意したが、松方は許さ
 なかった。
  すると、今度は陸奥と後藤が、品川が辞職しないのな
 ら自分たちが辞職すると迫り・・、
  結局、陸奥は農商務相を、品川は内務相を、そして、
 伊藤は枢密院議長の地位をそれぞれ辞職する事で、紛糾
 は治まった。
.
  (今日の言葉)
.
  題:「ビンのフタ論」は・・今でもある・・
.
1890年、アメリカ・インディアンの方々のゴースト・ダン
 スが衰退した。
  この話ほど悲惨な話はない・・、
  この話を聞くと本当に可哀想だと、いつも思う・・、
  圧倒的な強力な武器を持つアメリカは・・、
  弱者の方たちである先住民のアメリカ・インディアン
 の方々の殺戮をし続け・・全滅を狙って殺戮して回った。
  アメリカの正当性は、まったく・・ない。
  アメリカには、自分に都合の良い、また、自分勝手な
 権利を唱えた・・マニフェスト=デスティニーがある。
  (参考)マニフェスト=デスティニー:自由と自治政
     府とからなる連邦という偉大な実験を進展させ
     るために、(キリスト教の)神が与え給うたこ
     の大陸全体を、覆いつくし、所有するのは、わ
     れわれの明白な運命(マニフェスト=デスティ
     ニー)がさだめる権利なのである。
      そして、アングロ・サクソン民族は、最も植
     民地経営に適した民族である・・
      この様に、豪語し・・
      そして、何ら根拠のない「文明の西漸説」を
     打ち立て・・盲信し・・アメリカ西部へと・・
     太平洋にぶち当たれば・・太平洋の島々・・そ
     して、アジア諸国へと・・植民地化して行った。
  その最初の犠牲者=アメリカ・インディアンの方々へ
 の殺戮による民族の急激な減少に、悲嘆にくれたアメリ
 カ・インディアンの方々の間に、ゴースト・ダンスが・・
 流行(はや)った。
  その原因は、圧倒的な強力な武器を持ったアメリカ人
 による先住民のアメリカ・インディアンの方々への無慈
 悲な、そして、強力な殺戮行為だった・・殺戮し回った・・
  民族の消滅を予感したアメリカ・インディアンの方々
 は、民族のアイデンティティを示す踊り(ゴースト・ダ
 ンス)を踊った。
  しかし、白人・アメリカ人たちはその踊りを忌避した。
  『また、ゴースト・ダンスを踊っている』と、白人開
 拓民は騎兵隊へ通報した。
  そこで、騎兵隊が出動し・・殺戮が行われた・・こん
 な理由で・・。
  キリスト教に洗脳された「異」に対する不寛容が、そ
 の素地にあった。
  最新式の武器で武装した、また、訓練された兵士たち
 が隊を構成し・・この武力集団・暴力集団は、先住民の
 方たちを殺戮し、排除した。
  まったく、勝手な振る舞いの白人アメリカ人の思い上
 がりと倫理観とその行動だった。
  しかし、その様なアメリカ・インディアンの方々の『
 希望にすがるゴースト・ダンス』が衰退した。
  (参考)アイデンティティー(identity)は、広義に
     は、「同一性」「個性」「国・民族・組織など
     ある特定集団への帰属意識」「特定のある人・
     ものであること」などの意味で用いられる。
  (参考)ゴースト・ダンスは、「ゴーストダンス(幽
     霊踊り)を踊ることで、再び、インディアンた
     ちの自由な世界とともに、バッファローたちが
     草原に還ってくるという希望を与える終末的ダ
     ンスだった・・そして、信仰であって・・、
      スー族のもとで、呪術師マト・ワナタケ(キ
     ッキング・ベア)によって、「これを信じるも
     のに与えられる『ゴースト・シャツ』を着れば、
     白人の銃弾を受けても、弾が通らず死なないで
     平気にしていられるなど・・、
.
1909年、アメリカ大統領にウィリアム・タフトが就任した。
  アメリカと日本との戦争に、結局は至ってしまうとい
 う、「アメリカの日本に対する敵意」は、この大統領か
 ら始まった。
  アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルト大統領(大
 統領任期:1901年~1909年)は、日露戦争の調停を公平
 な形でしてくれた。
  この大統領は、日本に対して敵意を抱いているような
 大統領ではなかった。
  しかし、その次のウィリアム・タフト(大統領任期:
 1909年~1913年)は、日本の行動に対し露骨に足を引っ
 張った、その様な政策を始めた。
  そして、その後のウッドロウ・ウィルソン(大統領任
 期:1913年~1921年)も・・強い日本への対決姿勢を取
 った。
  そして、その次の次のカルビン・クーリッジ(大統領
 任期:1923年~1929年)も、今までは州法で「日本の排
 斥を色々していたアメリカ」だったが・・、
  この大統領は、連邦法で排日を行なった(絶対的排日
 移民法・1924年)
  しかし、この大統領は、『遺憾に思う』という反省の
 弁の言葉を、後に、残して居る・・が、そう思うのが遅
 った。
  昭和天皇陛下も、「アメリカへの失望は、この排日移
 民法の時に始まった」と言われている。
  アメリカには、弱肉強食的・帝国主義的・軍国主義的
 略奪の考え方があり、そして、それを正義と見誤る「ア
 メリカ文明の西漸説」があり、障害物としての日本があ
 った。
  その基本には、利権を得たい、利益を得たいというア
 メリカがあった。
.
1940年11月5日、フランクリン・ルーズベルトが、大統領再
 選(三選)した。
  この大統領は、はっきり、日本との戦争を起こしたい
 という意思のある大統領で・・、
  F・ルーズベルトは、本当に多くの工作員(スパイ)
 を日本に送り込んで・・工作していた・・
  日本を工作する外交官や、キリスト教宣教師の工作員
 などと・・日本を暗躍した・・そして、とうとう戦争に
 至ってしまった。
.
1945年8月14日 日本政府が、ポツダム宣言を受諾する旨、
 中立国スイスを通じて通告した・・、
  そして、勅語を発布した。
  しかし、この日から、4日も経て、日本が降伏をして
 いることを十分承知をしているソ連が、8月18日に・・、
 卑劣にも、ソ連軍が、千島列島へ侵略を開始した。
  占守島で、日本軍と交戦(21日、停戦令が出る)
  満州国は消滅。
  これ等の行為は、総て不法行為で、成立していない。
  完全な戦争終結後、終戦の後の行為である。
.
1945年8月30日、連合国軍最高司令官のダグラス・マッカー
 サー元帥が、神奈川県厚木飛行場に降り立った。
  そして、マッカーサーは言った・・、
  「メルボルンから東京までは長い道のりだった。
  長い長いそして困難な道だった。
  しかし、これで、万事終わったようだ。
  各地域における日本軍の降伏は予定通り進捗し、
  外郭地区においても戦闘はほとんど終息し、
  日本軍は続々降伏している。
  この地区(東京地区)においても、日本兵多数が武装
 を解かれ、それぞれ復員をみた。
  日本側は、『非常に誠意を以てことに当たっている』
 ようで、報復や不必要な流血の惨を見ることなく無事完
 了するであろうことを期待する」と。
  つまり、日本は連合国へ『8月14日に降伏の通達をすで
 にしている』・・そして、マッカーサーが言うように「
 その降伏状態も日本側の誠意をもって進んでいる」・・
  つまり、8月14日の降伏宣言を「降伏時点として」事は
 進んでいると言っている。
  それであるのに、この時点でも、ソ連の不法行為によ
 る日本の領土「南樺太」「千島列島」「北方四島」の略
 奪行為が行われていた。
  マッカーサーは、この厚木飛行場に降り立った後・・、
  車両で、当初の予定地である葉山御用邸を変更し、長
 後街道、国道1号経由で横浜に入った。
  そして、これから・・日本で・・、マッカーサーは、
 日本を武装解除し、二度とアメリカにチャレンジできな
 い国にするという「初期対日方針」を出した。
  この原型は、1942年、すでに出来ていた。
  メルヴィン・レフラー(外交史家、ヴァージニア大学
 教授〉は、この事を、1947年に、国務省の内部資料を明
 らかにした・・、
  (1)日本が独立国としての運命を歩む事を許さない。
  (2)日本は、ソ連の衛星国となるか、アメリカの衛星
    国となるか、どちらかを選ぶしかない・・と・・、 
  そして、1947年、アメリカの衛星国状態にとどめてお
 くと決めた。
  そして、この同じ年・1947年、国務省の政策立案局長
 ジョージ・ケナンが来日して・・、
  占領政策をしていたGHQに、「そんなに復讐的に意
 地悪しなくてもいいじゃないか」・・と、マッカーサー
 に言った・・、
  「あまり日本を弱体化しすぎると、アメリカの国益に
 ならない」・・と言った。
  ソ連に対するカウンター・バランス(牽制勢力)とし
 て日本を利用する事を言った。
  ケナンは、長期間、モスクワのアメリカ大使館に勤め
 ていたため、共産主義の危険性を熟知していた。
  このアメリカ国務省の政策企画本部長のジョージ・F・
 ケナン・・
  彼は、この年のフォーリン・アフェアーズ誌(1947年
 7月号)に、「ソヴィエトの行動の源泉(通称:X論文)」
 「封じ込め政策」の理論的根拠をなす論考・・を書いた。
  この論文発表後・・、
  論文は、著者不明(X)として書いたが・・筆者がケ
 ナンであると分かると、「冷戦政策の立案者だ」と世界
 に広く知れ渡り、論文の「封じ込め政策」の概念が独り
 歩きし始めた。
  それは、ケナンが書いた「ソ連が平和で安定した世界
 の利益を・・侵食しようとしたならば、どこであろうと
 対抗力を行使する事が重要である」・・と主張した・・
  この「対抗力」が・・「軍事力」に置き換えられてし
 まった。
  「軍事力による対抗力の行使が重要」ととられる・・
 解釈される様になってしまった。
  ケナンの「政治的な対抗手段の行使」の趣旨が間違っ
 た方向へ動き出した。
  ケナンの言う「封じ込め」は、「抑制」という程度で、
 「封じ込め」にある強圧的な意味合いはない(訳語の不
 適)・・
  訳語の不適で・・世界が大きく影響された。
  いま、「封じ込め」の説明として以下のように書かれ
 ている・・
  封じ込め(ふうじこめ、Containment)とは、アメリカ
 合衆国の政策であり、海外の共産主義の拡大を阻止すべ
 く、多くの戦略が用いられた。
  冷戦の構成要素たるこの政策は、東欧や中国、朝鮮、
 ベトナムにおける共産主義の影響拡大を図るソビエト連
 邦による一連の動きへの反応であり、デタントと巻き返
 しの中間的立場を代表していた。
  ドクトリンの基礎は、米国の外交官ジョージ・ケナン
 による1946年の電報で明示された。
  米国の外交政策用語としてのこの単語の起源は、ジェ
 ームズ・フォレスタル国防長官にケナンが提出した1947
 年の報告(のちに雑誌記事に使用)に遡る。
  この語は、1920年代のソ連に対する西側の政策を記述
 するのに用いられたフランス語「cordon sanitaire(防
 疫線)」の訳語である。
  「封じ込め」の語は、アメリカと西ヨーロッパ諸国に
 よる北大西洋条約の締結・北大西洋条約機構(NATO)
 の設立や相互防衛協定など、ハリー・S・トルーマン、及
 び、共和党の政策と最も関連している。
  ドワイト・D・アイゼンハウアーは、これと対立するド
 クトリンである巻き返し政策を弄(ろう)したが、1956
 年のハンガリー動乱への介入については拒絶した。
  リンドン・ジョンソンは、べトナム政策正当化のため
 に「封じ込め」の語を用いた。
  リチャード・ニクソンは、ヘンリー・キッシンジャー
 最高顧問と共に、ソ連、及び、中国との友好関係に賛同
 し、封じ込めを拒絶した。
  こうしたデタント(または緊張緩和)の例としては、
 貿易や文化交流の拡大などがあった。
  ジミー・カーターは、反共よりも人権を強調したが、
 1979年に、ソ連がアフガニスタンに侵攻すると、デタン
 トをやめて封じ込めに回帰した。
  ロナルド・レーガンは、ソ連を「悪の帝国」と非難し
 て冷戦を拡大し、ニカラグアやアフガニスタンで巻き返
 しを推し進めた。
  封じ込め政策下で始まった中心的計画(NATOや核
 抑止力など)は、冷戦終結後も効力を保った。
.
1945年9月5日、ソ連の不法行為が続く・・ソ連軍が、歯舞
 群島までを不当に占領した(後に、北方領土問題となる)
  さらに、ソ連の不当行為である瀬島龍三など関東軍首
 脳部が、ハバロフスクへ送られ、将兵、および、一般市
 民の57万人がシベリア抑留となる(何ら根拠のない拉致
 行為)
  日本は、この日に、第88回帝国議会臨時会議を召集し
 ている。
.
1951年9月8日、サンフランシスコで、日本国との平和条約
 (サンフランシスコ講和条約)が調印された。
  続いて、日米安全保障条約が調印された。
  サンフランシスコ講和条約で、日本は独立したと言わ
 れているが・・??、
  しかし、これは表向きである。
  アメリカは、心の底から「日本を独立させたと思って
 いない」。
  この時、アメリカのダレス国務長官が、イギリスへ伝
 えた内容は・・(言葉と文書で伝えたその内容)、
  (1)アメリカは、日本の真の独立を認めるつもりはな
    い。
  (2)日本には、アメリカに逆らえるような能力を一切
    持たせない。
  (3)今回、講和条約をしたが、真の意味は、「アメリ
    カの実質的な対日占領が続く」ということ。
  イギリスは、さすが、このアメリカの異常さについて、
 1956年に、イギリスのエスラー・デイング駐日大使は、
 本国の外務大臣ハロルド・マクミランへ、次のような文
 書を送った・・、
  「アメリカの日本に対する扱い方は、まるで、第二次
 世界大戦の我々・イギリスのエジプトに対する扱いの様
 だ」・・と。
  この意味は、「日本は、今だに植民地扱いされている」
 という意味だった。
  まったく、日本は、バカにされている状態。
  1963年になっても、イギリスの応援は続いた。
  イギリスのオスカー・モーランド駐日大使が、本国の
 外務省へ次の報告書を送っている・・、
  「アメリカ政府の日本に対する態度を見ていると、と
 ても、独立国に対する扱いとは言えない。
  こんな扱いを受けている日本人が、本当にアメリカを
 好きになることはないだろう」・・と。
  この事を、メルヴィン・レフラー教授は、「ダブル・
 コンテインメント・ストラテジー(二重封じ込め戦術)』
 と言った。
  (1)日本を封じ込めておき、日本人が二度と独立した
    外交能力と、国防能力が持てない状態にしておく。
  (2)同時に、アメリカは、ソ連を封じ込めておく。
    その為に、日本を利用する。
    「ソ連への封じ込め戦略」の駒として利用するた
   め、日本には限られた軍事力・・アメリカ軍にとっ
   て都合の良い軍事力しか持たせない。
    日本には、自主防衛力を持たせるようなことはし
   ない。
.
1964年4月5日、GHQ司令官だったダグラス・マッカーサ
 ーが死んだ。老衰による肝臓・腎臓の機能不全で入院し
 ていた。84歳。
  晩年のマッカーサーは・・、
  「憲法9条を加えたのは、失策だった」
  「旧軍を部分的に存続させるべきだった」・・と後悔
 していたと伝えられている。
.
1990年(平成2年)3月27日、ビンのフタ論
  この日のワシントンポスト紙に「ビンのフタ論」が掲
 載された。
  在日米海兵隊ヘンリー・C・スタックポール司令官
 (少将)が・・
  「もしアメリカ軍が撤退したら、日本はすでに相当な
 能力を持つ軍事力を、さらに強化するだろう。
  だれも日本の再軍備を望んでいない。
  だからわれわれ(アメリカ軍)は(軍国主義化を防ぐ)
 瓶のフタなのだ」・・と書いた。
  日本を封じ込める。
  それも、アメリカと中国とで日本を封じ込める。
  その卑劣な、そして、理不尽な米中による「共同封じ
 込め戦略」をしたアメリカ大統領は・・、
  ブッシュ(父)、クリントン、ブッシュ(子)などだ
 った。
  そして、1989年1月20日に、第41代アメリカ大統領とな
 ったジョージ・H・W・ブッシュ(父)(大統領任期:
 1989年1月20日~1993年1月20日)政権の・・安全保障政
 策補佐官だったブレント・スコウクロフト中将は・・、
  米中両国による「対日共同封じ込め」を熱心に支持し
 た。
  そして、彼は、日米同盟の事を・・、
  「アーティフィシャル・アライアンス」とか・・
  「人為的な同盟」とか、「嘘くさい同盟」とか、「わ
 ざとらしい同盟」とかと言った。
  (注〉アーティフィシャル(artificial)の意は、
    「本物でない」「作りごとの」「不誠実な」「わ
    ざとらしい」という意味。
  スコウクロフト中将が、日米同盟を「アーティフィシ
 ャルだ」という真意は・・、
  「日本を『潜在的な敵性国』と見なすアメリカが、日
 本を押さえつけておくために維持している同盟関係」と
 いう気持ちが込められている。
  (参考)1990年、ブッシュ政権のホワイトハウス国家
    安全保障会議が・・、
     「冷戦後の日本を、国際政治におけるアメリカ
    の潜在的な敵性国と定義し・・、
     今後、日本に対して封じ込めを実施する」とい
    う政策を決定している。
  また、アメリカは・・キッシンジャーの様に、裏表の
 ある・・それも・・この表裏の落差が非常に大きい・・
 注意を要する・・今までの逆のことも平気で言う・・
  アメリカのポール・ゴドウィン博士(ペンタゴン付属
 の教育機関であるナショナル・ウォー・カレッジ副学長)
 の言葉・・、
  「日米は、『価値観を共有する同盟関係』より優先さ
 れる『対日封じ込め政策』・・これは当たり前だ」と言
 った。
  (参考)1992年2月18日、この日に作成された「1994年
     ~1999年のための国防プラン・ガイダンス」
     (DPG)というペンタゴンの機密文書には、
     「アメリカのアジア同盟国(特に、日本)が、
     より大きな地域的役割を担うことは、潜在的に
     この地域を不安定化させる」と記されている・・
  アメリカに、この様な言葉がある原因の一つとして・・
  日本に・・「自分の国は、自分で守る」という事を真
 剣に考えてない・・、
  この当たり前の「道徳的義務すら果たそうとしない」・・、
  「エスケーピスト(逃避主義国家)」として蔑(さげ
 す)まれている・・、
  その様な日本だと・・受け取られている・・、
  びっくりする様な大金を出して、「これで良いのだ。
 大金も出したし・・」・・の・・日本のセンスが・・、
 「軽蔑され、蔑まれた・・」・・、
  この様な今・現代の日本のセンスは・・世界に通用し
 ない・・また・・、
  「日本も、血を流そうとしないと、アメリカの青年は、
 日本を助けようとは、しないよ!」・・と・・、
  尖閣諸島の問題の時に、アメリカから言われた・・
  このことも、しっかり覚えて置かなければならない!
.
1993年1月20日、ビル・クリントンが、第42代アメリカ大統
 領になった。
  クリントン大統領は「反日親中」だった。
  そして、クリントン政権の上層部は「親中嫌日」だっ
 た。
  ウィリアム・ペリー国防長官は、全体主義国家である
 中国と北朝鮮の核兵器生産には「融和的態度」をとるが、
  (今、北朝鮮に核がある遠因の一つ・・)
  民主主義・自由主義を実行してきた日本が、核兵器の
 材料を持つことは耐えられなかった。
  ペリー国防長官の言葉・・、
  「東アジア地域において米中両国は、日本だけには・・
 核を持たせてはならない」
  サミュエル・バーガー安全保障政策補佐官の言葉・・、
  「アジア・太平洋地域は、アメリカと中国が協力して
 共同支配する地域だ」
  このバーガーは、核武装した北朝鮮よりも、「日本が、
 それを口実として自主防衛しようとするかもしれない」
 ということを心配していた・・嫌日の輩だった。
  ロバート・ルービン財務長官の言葉・・、
  「アジア地域は、米中両覇権の戦略的パートナーシッ
 プにより共同支配する地域だ」
  この様に、アメリカ政権の「反日親中」の言葉の数々
 を聞くと暗澹(あんたん、見通しが立たず、希望が持て
 ないさま)たる気持ちになるが・・、
  ここで出て来るのが「ビンのフタ論」である。
  この「ビンのフタ論」は、前記したように、1990年3月
 27日に、在日アメリカ海兵隊のヘンリー・C・スタック
 ポール司令官が、ワシントンポスト紙に発言した言葉で
 ・・、
  「もしアメリカ軍が撤退したら、日本は、すでに、相
 当な能力の軍事力を持っているが・・、その持っている
 軍事力を、さらに強化するだろう。
  だれも、日本の再軍備を望んでいない。
  だからわれわれ(アメリカ軍)は(軍国主義化を防ぐ)
 瓶のフタの様に日本に駐留しているのだ」・・
  かつて、在日米軍の撤退を厳しく要求した中国も、 キ
 ッシンジャーが北京を訪問して、上記の様な説明を受け
 ると、 周恩来は大きくうなずいて、日本からのアメリカ
 軍撤退要求を取り下げたのだった。
  米中両国は、日本の単独防衛・核武装阻止という点で、
 利害が一致していた。
  以上のことは・・、
  ハリー・トルーマン、ジョン・フォスター・ダレス、
 ヘンリー・キッシンジャー、 ヘンリー・スタックポール、
 クリスティン・ウォーマスなどのアメリカの政府や軍の
 高官がその様に証言している。
  孫崎享(まごさきうける、日本の外交官、評論家、ハ
 ーバード大学国際問題研究所研究員、外務省国際情報局
 局長、イラン駐箚特命全権大使など)も、著書「日米同
 盟の正体 迷走する安全保障」の中で・・、
  日米同盟の目的は、日本の核武装・軍事大国化を阻止
 して、日本から力を奪うためであり、
  その考え方は、大戦直後も、今も、一貫して変わらな
 い・・と述べている。
  クリストファー・レイン(UCLA、海軍大学校大学
 院)は・・、
   日本の自衛隊を、自主防衛できない組織(属国の軍隊)
 にしておくのがアメリカの目的で、アメリカの対ソ政策、
 対中政策に都合の良い武器は持たしてもらえるが、
  『本当に自主防衛するための武器』は持たしてもらえ
 ない。
  また、アメリカ軍が出動しないと、自衛隊は、他国の
 軍隊に手も足も出ない軍隊となっている。
  『戦後、長い年月が流れたので、そろそろ、日米安全
 保障条約を廃棄し、日本単独防衛を検討してもいいので
 はないか』・・という意見もある・・ 、
  また、ロバート・アート(ブランダイス大学)は、日
 米同盟の『真の現実』というものは、地域的なアメリカ
 の帝国主義的支配権に組み込まれたものとなっている。
  また、マイク・マスタンドゥーノ:(ダートマス大学、
 国際政治学)は・・、
  「アメリカ政府高官は、東アジアにおける米国の圧倒
 的ドミナンス(優越、権勢、支配、優勢)を保つために、
 日本を、パーシャル(不完全な)な(バランスのとれて
 ない、独立していない)国家にとどめておく・・その為
 に、日本を必死に説得して来た」。
  また、カート・キャンベル(クリントン政権 国防省ア
 ジア政策担当次官補)は・・、
  日米同盟を維持しなければならない根拠は・・、
  「日本にこれ以上軍事費を使わせるない」「日本が、
 他のアジア諸国と軍事的な、また、外交関係を作るのを
 阻止する」「日本には自主防衛させない」・・、
  スコウクロフト(国家安全保障補佐官)は・・、
  「日本は、アメリカの仮想敵国であり、 封じ込めが
 アメリカの政府の対日外交政策方針である」
  (上記は、伊藤貫氏の証言で、1991年、伊藤貫氏が連
 邦議会外交政策委員の主要メンバーから聞いた)
  また、国防大学・National Defence Univ.(National
 War College)のゴッドウイン副学長の発言・・
  「封じ込めが対日政策である」
  また、1992年、ペンタゴンの防衛計画の手引き(
 Defence Planning Guidance)で、主要仮想敵国を、
 Other Advanced Industrial Nation(ドイツと日本)と
 位置づけ、地域のリーダーシップ(Regional Leadership)
 を 取れないようにするという方針となった。
  また、ペンタゴン日本部長 ポール・ジュアートは、
 1994年に、「アメリカは、日本を独立国として認めない」
 と発言した。
  そして、1972年、ニクソン&キッシンジャー&周恩来
 との密約は、現在の米国政府(国防省・CIA)におい
 ても有効で、「東アジア地域において、日本に核を持た
 せない」「アメリカが日本に駐留し続ける、それは、日
 本が独立国になるのを阻止する」「日本政府が台湾や朝
 鮮の問題で発言権を持つことを米中は阻止する」
.
1997年、明確な「反日親中だったアメリカ大統領カーター」
 の政権に居たズビグネフ・ブレジンスキー安全保障政策
 補佐官は、1997年、日本を「アメリカ保護領」と呼んで
 いて・・、
  自衛隊についても、「日本政府が自由に使える道具で
 はない。
  あれは単に、東アジア地域のアメリカ軍の延長として
 の道具に過ぎない」と言っていた。
  アメリカは、表面は『パートナーだ』と言っているが、
 本音は、ブレジンスキーのこの様な気持ちの人が多い状
 況。
 (参考)反日親中:日本に不利に、そして、敵対する
    政策を採り・・、
     そして、その逆に、中国に対しては有利に処し、
    そして、融和的な政策を採ること。
 (参考)ズビグネフ・ブレジンスキー、1928年3月28日~
    2017年5月26日)は、アメリカ在住の政治学者。
     1966年~1968年、リンドン・ジョンソン大統領
    の大統領顧問を務め、
     1977年~1981年、カーター政権時の第10代国家
    安全保障問題担当大統領補佐官を務めた。
     ポーランド出身、カナダ育ち。
     1971年には、日本に半年間在住した後に、急速
    な経済発展を遂げた日本が、政治外交領域ではい
    まだに独立した行動をとる力を持っていない「ひ
    よわな花」であると論じ、日本で大きな注目を浴
    びた。
     ヘンリー・キッシンジャー元国務長官と並ぶ戦
    略思想家だったとする評価もされている。
     2016年に、民間人としては最高栄誉の、アメリ
    カ国防総省公共サービス栄誉賞を受賞した。
.
2002年10月、江沢民・中国国家主席が訪米し、アメリカの
 ブッシュ大統領(子)をテキサスの牧場に訪ね、密約の
 確認をした・・?
  当時(1972年2月)のニクソン米大統領とキッシンジャ
 ー補佐官が北京を訪問し、周恩来首相との間で対日政策
 に関する密約を交わしている。
  この事は、日本人は、きちんと覚えておく必要がある。
  この時の密約の要点を書きとめたニクソンの手書きメ
 モも残っているが・・、
  密約の一つは、「東アジア地域において日本だけは核
 武装させない」というもので、
  このことを、2002年10月、江沢民・中国国家主席は訪
 米し、テキサスの牧場にブッシュ大統領を訪ね・・そし
 て、このときにも『再確認』したとされている。
.
2006年秋、ブレジンスキー元安全保障補佐官が、ワシント
 ンの公開シンポジウムで公言した・・、
  「アメリカと中国との間には、日本にだけは核を持た
 せないという密約がある」・・と・・、
  「リアシュアランス戦略」
  アメリカには、「リアシュアランス戦略」がある。
  「リアシュア」は「安心させる」という意味。
  アメリカが、「日本は安全だ」と言い・・、
  また、「日本人は、アメリカによって保護されている
 から心配しなくていい」と言う。
  日本は、「よかった、よかった、アメリカに保護され
 ているから日本は安全だ」・・と思う。
  アメリカの、この「日本人をリアシュアしておく」と
 いう戦略をとったのは・・、
  「敗戦国・日本から、永遠に自主防衛能力を剥奪して
 おきたい」という戦略から来ている。
  2006年秋、ブレジンスキー元安全保障補佐官が、ワシ
 ントンの公開シンポジウムで公言した・・、
  「アメリカと中国との間には、日本にだけは核を持た
 せないという密約がある」・・と。
  この密約は、ワシントンでは、すでに、「公然の秘密」
 となっていた。
  「アメリカと中国の政府間に、日本から、自主防衛力
 を剥奪しておくため、アメリカ軍は、日本の駐留を続け
 る。
  例え、「日本の周辺国が、すべて、核武装しても」、
 「日本にだけは、核は持たせない」・・と。
  1971年秋、アメリカのキッシンジャーと、中国の周恩
 来の間で、「対日共同封じ込め」が話し合われ、
  翌年の1972年2月、アメリカ大統領ニクソンが、北京を
 訪れ、米中首脳間で合意された。
  この米中首脳合意は、アメリカ政府の外交資料に公開
 されている。
  また、中国の公開論文などでも公開されている。
  日本が、真に独立できな根源が、ここから来ている。
  この後も、この日本の立ち位置は、その都度、アメリ
 カと中国間で確認されている。
  ニクソンの後の「フォード」「カーター」もアメリカ・
 中国による「対日共同封じ込め戦略」は続けられた。
  中国は、表では「アメリカの覇権に抗議する姿」を見
 せているが?
  『対日共同封じ込め戦略』の基本路線で、アメリカと
 つながっている・・この事は、ブランダイス大学のロバ
 ート・アート氏が指摘する。
  (参考)ロバート・アートは、アメリカ合衆国の国際
    政治学者。ブランダイス大学教授。MIT国際関
    係研究所フェロー。
     専門は、国際関係論、安全保障論。
     1964年に、コロンビア大学卒業後、1968年に、
    ハーバード大学で博士号取得。
     米国陸軍士官学校や米国空軍士官学校、中国人
    民解放軍国防大学、ベルリン自由大学などで講義
    をしてきた。
.
2010年1月21日、アメリカの連邦最高裁は、選挙資金の支出
 制限を違憲とした。
  『献金の上限撤廃』の判決が出た。
  また、2016年6月10日には、チャイナマネー疑惑が、ヒ
 ラリー・クリントン氏(民主党)を、突如、襲った。
  新たな火種が浮上し、連邦捜査局(FBI)が捜査し
 ていると報じている。
  大統領選や、知事選の候補者は、外国人から選挙資金
 を受け取ってはならないとなっている。
  しかし、中国は・・、
  アメリカの民主党に献金し、チャイナロビーを形成し
 て、アメリカを通じて日本に圧力を掛けていると言われ
 ている。
.
2017年9月3日、日本が、レーザーで、ミサイルを迎撃する
 「新システムの検討」をしていることが分かった。
  北朝鮮の核・ミサイル開発など、世情は不穏さを増し
 ているが・・、
  この新システムは、高出力レーザーを、発射直後の弾
 道ミサイルに照射し、無力化し、破壊する方法。
  防衛庁は、すでに、2010年度から研究を始めていて、
 高出力レーザーの研究を実施するなどしていた。
  また、アメリカの研究成果についての情報提供も受け
 ていた。
  2018年度から5年間で、装備化に向けた研究に入る。
  レーザー兵器は、アメリカや中国などでも開発が進め
 られていて、アメリカは、実戦配備を始めている。
  アメリカは、ミサイル防衛への活用も検討している。
  また、防衛省は、2018年度概算要求に、迫撃砲弾や小
 型無人機などを迎撃対象とする、高出力レーザーシステ
 ムの研究費として、87億円を計上した。
  北朝鮮が、「ロフテッド軌道」での発射を繰り返して
 いるため、新しい技術で対応する方針・・、
  開発を目指すのは、弾道ミサイルが発射された直後の
 「ブースト段階」の時点で、
  航空機や艦船などから高出力レーザーを照射し、熱に
 よってミサイルを変形させる技術。
  これによって、ミサイルが、空気の摩擦抵抗を受ける
 大気圏内への再突入などの際に、無力化・破壊する方法。
  この方法は、多数の弾道ミサイルの発射にも対処が可
 能。
  因みに、ブースト段階とは、弾道ミサイルが、発射直
 後に、ロケットエンジンの燃焼で加速する段階のことで、
  燃焼が終了して、慣性で大気圏外を飛行する「ミッド
 コース段階」や、
  弾頭が、大気圏に再突入してから地上に向かう「ター
 ミナル段階」とは違う・・
  ロフテッド軌道の場合、ターミナル段階の弾頭は、落
 下速度が速く、迎撃性が落ちる。
  この新システムの方法で、ロフテッド軌道に入る前の
 低速度の発射直後の段階で対処ができる。
  (読売新聞、2017年9月3日を参考にした)
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive



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