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2018年04月05日

(増補版)586E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年9月~1893年10月)

題:(増補版)586E2/3:2/3:1/3:気になった事柄を集めた年表(1893年9月~1893年10月)
...(真を求めて 皆様とともに幸せになりたい・・日記・雑感)
.
1893年9月11日、万国宗教会議がシカゴで開催された(〜1893
 年9月27日)
  日本からは土宜法龍・野口復堂・釈宗演が参加した。
  日本仏教が、世界へ伝播して行く中に於いて、1960年
 代に、アメリカで『禅ブーム』が起きた。
  これは、世界では、よく知られていることで、「世界
 の禅者」と鈴木大拙は言われた。
  彼のZENに関する英文の著作に端を発していた。
  これ以前にも、このシカゴ万国宗教会議で脚光を浴び
 ている。
  鈴木大拙の禅の師である釈宗演が、日本仏教の代表と
 して演説した。
  鈴木大拙は、師の演説の英訳を引き受けている。
  釈は、この演説で、伝統仏教から脱却し、近代社会に
 合致した新しい普遍宗教としての仏教の可能性を示した。
  キリスト教国・アメリカに、仏教が、真理を体現する
 宗教としての価値があることをアメリカ社会に示した。
  この時、この演説が、『大乗仏教を基盤とする日本仏
 教』を、アメリカ社会に初めて示したという意義があっ
 た。
1893年9月19日、初の自動車用ナンバープレートをフランス
 が導入した。
  世界で最初に設置を義務化した。
1893年10月1日、安倍井磐根ら、外国人雑居を認めて条約改
 正を行う政府の政策に反対し、その運動のため大日本協
 会を結成した。
  神鞭知常、安部井磐根、大井憲太郎、坂本則美、大竹
 貫一らがかねてより組織していた内地雑居研究会を改変
 したもので・・、
  不平等条約の改正にあたって、第2次伊藤博文内閣の外
 交政策 (外相:陸奥宗光) に反対した。
  外国人への内地開放・・および・・内地雑居は、時期
 尚早だとして、現行条約の励行を主張した。
  領事裁判制の廃止の為には、当然、居留地を廃止し、
 内地開放を行なわなければならいという主張を批判した。
  内地開放を行なうか否かの決定権は、条約締結国にあ
 ると主張した。
  第5議会には、条約励行建議案を提出するなど、対外硬
 派の中心的存在として活動した。
  10日間の停会ののち、情勢不利とみた伊藤内閣は、12
 月30日に議会を解散した。
  そして、それと同時に、治安妨害を理由に圧迫を加え、
 大日本協会は解散させられた。
1893年10月5日、南方熊楠(みなかたくまぐす)の論文「極
 東の星座」が、イギリスの「ネイチャー」の懸賞論文第
 1席となった。
  1892年9月21日、熊楠の乗った船は、大西洋を渡り、イ
   ギリスのリバプール港に到着した。
    熊楠は、首都・ロンドンに入り、横浜正金銀行ロ
   ンドン支店長の中井芳楠を訪ねた。
    中井は、和歌山県人で、南方家とは古くからの知
   り合いだった。
    ロンドンでは、下宿代が安い下町に住み、植物標
   本の整理をしたり、カルキンス、アレンなどとしば
   しば植物標本や手紙の交換をする一方、大英博物館
   や南ケンシントン博物館、美術館を訪ねたりしてい
   た。
  1893年8月17日、アメリカ滞在の時より購読していた英
   国第一の週間科学雑誌『ネイチャー』にM・A・B
   なる人の「星宿構成に関する5条」の質問を見出し、
   下宿屋の老婆に借りた不備な辞書をたよりに、答文
   「極東の星座」を起稿した。
    ロンドンで知り合いになった片岡プリンスは、身
   なりこそみすぼらしいが、熊楠の博識の深さに気付
   いた。
    そして、大英博物館の考古学・民俗学部長で富豪
   のサ-・ウオラストン・フランクスに紹介した。
    また「極東の星座」の原稿の指導を受けたことも
   あって、博物館に出入りするようになった。
    科学雑誌『ネイチャー』への答文、「極東の星座」
   は、30日で完成し、それが『ネイチャー』に掲載さ
   れて、一躍有名になり、識者に名を知られるように
   なった。
    以後、しばしば同誌に論文を発表した。
  更に、随筆問答雑誌『ノーツ・アンド・クィアリーズ』
 にも寄稿を始め、多数の論考や答文を発表した。
  熊楠は、帰国した後も、議論に参加し、東洋学の権威
 者としてその名を馳せた。
  熊楠の名が知られるようになり、ロンドン大学事務総
 長ディキンスや、フランクスの後任ダグラス、リード部
 長などとも、親交を深めた。
  大英博物館には、毎日のように通い、収蔵されている
 古今東西の稀覯(きこう、めったに見られないこと)書
 物を読みふけった。
  主として考古学、人類学、フォ-クロア(民俗学)、
 宗教学などを勉強した。
  筆写したノート類は、52冊もある。
  「ロンドン抜書(ぬきがき)」として、今も、南方邸
 や、南方熊楠記念館に保存されている。
  英・仏・独・伊・スペイン・ポルトガル・ギリシャ・
 ラテンなどの小さい字で、ぎっしりと書きこまれている。
  熱心に大英博物館に通ううち、熊楠の博識に感心した
 同館東洋図書部長のダグラスから、館員になるよう勧め
 られたが、自由の身である方がよいと断った。
  しかし、自分の勉強をしながら、同館の書籍目録の作
 成や仏像の名称の考証などを手伝った。
  (『大英博物館日本書籍目録』、『大英博物館漢籍目
 録』の編纂に尽力)
  1897年3月、ロンドンで、中国革命の父といわれる孫文
   と知り合った。
    大英博物館のダグラスの部屋で初めて出会った2人
   は、たちまち意気投合し、毎日のように行き来し、
   時のたつのも忘れて語り合った。
  また、土宜法竜(後年:高野山管長)との出会いは、
 土宜がアメリカ.シカゴの万国宗教大会に日本仏教代表
 委員として講演し、その後、英国の正金銀行ロンドン支
 店長中井芳楠の家であった。 
  年上の土宜とは、最も心を許しあい宗教学を論じあい、
 その後も生涯書簡の交流がつづく・・、
  熊楠は、その学識が一部の学者などから高く評価され
 る一方で、有色人種だと、東洋人だということでさげす
 まれるようなこともあった。
  1900年9月1日、ロンドンの南ケンジントンの下宿を出
   発し、テームズ川の港で、日本郵船の阿波丸に乗船、
   帰国の途についた。
    その日の日記には、「4時出帆、夜暫時甲板に出、
   歩す」と書かれている。
1893年10月22日、東京市で近代水道起工式(淀橋浄水場予定
 地)
  淀橋浄水工場建設予定地で、改良水道起工式が盛大に
 挙行された。
  参列者のために、上野駅、及び、新橋駅から特別列車
 が仕立てられた。
  来賓は、3000余名の多数だった。
  しかし、府知事の設計告示の1890年7月から、既に、3
 年以上もの年月が経過していて、この起工式に至るまで
 に、様々な紆余曲折があった。
  1890年9月、設計告示後、市会は、水道建設及び関連す
 る道路建設等の費用総額1000万円の市区改正予算を全員
 一致で可決した。
  事業期間は、1891年度から5年間で、財源はすべて公債
 でまかなうこととした。
  当時の東京市の一般財政の規模は、50万円程度に過ぎ
 なかったので、5ヶ年継続事業とはいえ1000万円にものぼ
 る市区改正予算は巨額なものだった。
  公債発行に当たって、市の公債が、政府の公債と同等
 の価値を保証されるよう政府に働きかけた。
  しかし、思うように運ばず約1年が経過した。
  1891年10月、やむなく、東京市は、政府の許否にかか
 わらず市公債の募集を開始した。
  公債発行の遅延で、当初予定した明治24年度の工事開
 始は見送られた。
  しかし、この間、巨額な工事費を投じてまで水道を建
 設する必要はないとの意見を中心とした工事反対の世論
 が高まって来た。
  このため、公債募集を開始したにもかかわらず、着工
 できない事態となった。
  事態打開をするため、市会は、市区改正経済審査委員
 を選任し、問題点の調査検討を行うこととした。
  同委員は、「水料」収入方針を明確にし、道路事業の
 財源の一部を水道建設に充て・・、
  また、公債の一部募集延期、配水工費の分納・助成等
 を決めるなどして、市民の納得を得るよう務めた。
  1892年4月、市会は、前年・1891年12月に提案された用
 地買収の案件をようやく可決することができた。
  用地買収は、淀橋に限らず本郷、芝、新水路予定地等
 施設建設予定の各所で難航するが、買収完了を待たずに
 1892年9月、淀橋工場仮事務所盛土工事に着手し、
 1892年12月から、本工事が開始された。
  明治26年度に入って、施工体制が軌道に乗り、
 1893年の秋、盛大に起工式を開催することができた。
.
  (今日の言葉)
.
  題:人類は未定の中に生きている・・
.
138億年前、宇宙の誕生・・か・・?
  ビッグバン理論の全盛であるが、その理論を中心とし
 て成立する宇宙の始まり・・本当にそうなのか・・?、
  しかし、今だに解明が進んでいない最初期の宇宙とい
 う現状にある。
  キリスト教の神が創ったという「宇宙創造論」と一致
 するからと、この理論は喜ばれ、そして、もてはやされ
 ている・・が・・、
  しかし、このビッグバン論理の背景にあるインフレー
 ション理論などの大部分が、未(いま)だ推測の域の話
 の展開で・・推測から成立しているだけの理論という段
 階にある・・、
  「しっかりした科学の裏付けのある話」という訳では
 ない。
  しかし、さもその様にあったと思っている人々が多い
 のが現状・・、
  そして、以前は、「ビッグバンから始まった」・・と
 された・・
  しかし、そのうちに、「ビックバンは、急に起きるも
 のではない」のだ・・と言われる様になった・・
  つまり、ビッグバンの『前段階があるのだ』という事
 が分かって来た・・
  そして、それが、確かなのではとなって来た・・
  そして、ビッグバンの起きる前段階があるとされて来
 て・・その前段階は確かに存在するとされて来ているが・・
  ここで困ったのがキリスト教・・
  キリスト教の神が創った宇宙という『創造論』からキ
 リスト教の話は始まる・・
  だから、科学が、「宇宙はビッグバンから始まった」
 と言い出したら・・これだと、キリスト教はこの話の乗
 っかった・・
  このビッグバンが、「キリスト教の神」が宇宙を創っ
 た時だ・・とした・・しかし・・
  しかし、時を経て、そのキリスト教の神が創る前に・・
 「誰かが、そのビッグバンを起こす前段階の所作(しょ
 さ、ふるまい)をしている」・・となった・・
  その所作=ビッグバンを起こす前段階があるのだと・・
  (その所作をしたのは佛なのだろう・・)
  すると・・キリスト教は臆面もなく・・その前段階の
 初めが「ビッグバンだ」と言い出した・・
  今、その状況にある・・が・・??
  ならば、その前段階の前の状態は何なのか?・・と問
 えば・・、
  その前段階の前の状態は・・「時間さえない時代」な
 ので「遡ることは不可能な時代」と逃げた・・??
  それにしても、キリスト教は無理筋の論理を展開する
 ・・??
  ビッグバンは、Big Bangで、大爆発の意味・・、
  大爆発の「前段階の前」は、Big Bang(ビッグバン)
 ではない。
  ビッグバンという大爆発の大膨張があり、後に、宇宙
 の星々となる星間物質が作られた。
  キリスト教の神が創ったという物は、「この宇宙の大
 膨張(大爆発)のビッグバンの時に作られている」とし
 なければ説明はつかないのだが・・??
  それ故、その「前段階の前」に持って行っては、キリ
 スト教聖書に書いてあることと違って来る・・食い違っ
 てしまう。
  キリスト教の神は、6日間、せっせせっせと物を創った・・
 疲れたので7日目に休んだ・・、
  しかし、これも・・おかしい?? 
  ビッグバンは「6日間もかかっていない」・・一瞬だ・・
 だから、Bang(バン)で爆発・・ここも、キリスト教の
 聖書に書いてある通りではない・・
  キリスト教は、最初、「これだ}と乗っかったのは良
 かったが、そうは問屋が卸さない・・キリスト教の筋通
 りにはいかない・・
  キリスト教聖書の話は「作り話」となっている・・昔
 の人の「ただの想像なのだ」・・
  「無謬(むびゅう、キリスト教の神は、絶対、間違い
 はしない)だ」と、屋上屋を重ねる嘘を言う結果となる。
  キリスト教は、必死にもがいて、物質もできていない
 「前段階の前」をビッグバンだと言い、バンでも何でも
 ない段階をバンだと言った。
  また、キリスト教の神が言うような物は、ビッグバン
 で・・宇宙に物質が出来たからと言ったって、すぐに、
 そのキリスト教の神が言う様な物質が出来たわけではな
 い・・
  キリスト教の神は、「創った」「創った」と言ったっ
 て、そんなにすぐに出来る訳のないことを言っている・・
 「ここも嘘だ」と分かる。
  そして・・
  宇宙の終焉(しゅうえん)について・・
  宇宙進化の最終段階の議論に、様々な科学理論が存在
 して、その期限が『有限だ』と言う説だったり、『無限
 だ』という説・・その両方がある。
  宇宙の起源は、また、終焉は・・未確定だらけだ・・
  その終焉の一つが、開いた宇宙は、わずかに減速しな
 がらも永遠に膨張をし続け、熱的死を迎える・・という
 「開いた宇宙の熱的死」・・という終焉の形・・と・・、
  やがて、星間ガスは尽きて、新たな星形成は起こらな
 くなるという「星形成の停止説」・・、
  超巨大ブラックホールが、宇宙に散在した状態で、互
 いに宇宙膨張で離れていくという「ブラックホール成長
 説」・・、
  そして、ブラックホールの温度が外界よりも高い場合
 には、放射を出して蒸発して行くという「ブラックホー
 ル蒸発説」・・、
  そのブラックホールが総べて蒸発した後に、光子エネ
 ルギーが非常に低く、光子から再び物質粒子が生成する
 事はないという「放射のみの宇宙説」・・、
  大統一理論が正しいとして、陽子が崩壊するという「
 陽子崩壊説」・・、
  ビックバンがあるなら、その逆もあるという「ビッグ
 クランチ説」・・
  正の宇宙定数が、「宇宙膨張を加速」している可能性
 が発見され、それなら、ありとあらゆる物理的構造が、
 いずれ素粒子にまでバラバラになってしまい、かくして、
 宇宙は、永遠に加速しながらお互いから遠ざかる素粒子
 だけになってしまうという「素粒子だけ説」・・など・・
 実態は未定・・
.
46億年前、太陽系が形成され始めた。
  太陽は、過去の超新星爆発で散らばった星間物質がふ
 たたび集まって形成された星と考えられている。
.
45億4000万年前、地球が誕生した。
  太陽系の隕石や月の岩石の生成年代から、この頃、原
 始地球が形成されたと考えられている。
  地球が形成された位置は、後に、生命を育むことがで
 きる液体の水を保持することができるハビタブルゾーン
 に位置していた。
.
44億年前、地球最古の岩石鉱物ができた。
  西オーストラリア州のジャック・ヒルズで発見された
 ジルコン粒子のうち最古の物(44億400万±800万年前)
.
40億年前、原始海洋ができた。
  花崗岩(カナダ北部のアカスタ片麻岩)ができた。
  プレートができた。
  この海洋は、原始大気に含まれていた水蒸気が、火山
 からの過剰な噴出と温度低下によって凝結して、雨とし
 て降り注いで形成されたものであった。
.
40億年前、この頃、原始生命が誕生したと考えられている。
.
38億年前、現在、知られている最古の堆積岩が現れる。
  堆積作用があったことから、この頃には、海が存在し
 ていたと考えられている。
.
38億年前、真正細菌(バクテリア)と古細菌(アーキア)
 が出現した(共通祖先)
  共通祖先に近い原始的な生物は好熱性を示すものが多
 く見られる。
.
35億年前、生物活動の化石証拠
  地球上での最古の化石(西オーストラリア・ピルパラ
 地域からのバクテリアの化石)
  メタン生成の痕跡。
.
32億年前、光合成をする生物が現れる。
  藍藻(シアノバクテリア)。
  ストロマトライトは、藍藻(シアノバクテリア)の活
 動で形成された岩石。
  32億年前までには、光合成をする生物が現れ、海中に
 酸素を供給しはじめた。
  二酸化炭素光合成を行う生物が誕生すると、それらは
 二酸化炭素を酸素に変換するようになる。
  さらに、二酸化炭素が生物の体内に有機物として蓄積
 されるようになり(炭素固定)、長い時間をかけて過剰
 な炭素は化石燃料、生物の殻からできる石灰岩などの堆
 積岩といった形で固定される。
.
27億年前、シアノバクテリアが大量発生。
  酸素の供給量が増加。
.
25億年前、縞状鉄鉱層が形成される。
  シアノバクテリアの活動で海中の酸素量が増加し、海
 中の2価の鉄イオンが3価鉄に酸化して沈殿したため形成
 された。
  縞状鉄鉱層の形成が、およそ19億年前まで続き、これ
 以後は形成されなくなる。
.
24億年前、現在分かっている最古の氷期(ヒューロニアン
 氷期、~22億年前)
.
22億2000年前、マクガニン氷河時代(全球凍結)
.
21億年前、ミトコンドリア、葉緑体等に相当する生物と共
 生した真核生物の出現。
.
20億年前、大気中の酸素の増加。
  酸素は初期の生物の大量絶滅と酸素を効果的に利用し
 た生物のさらなる進化を導いた。
  海中の鉄イオン濃度が低下し、海中の鉄イオンが酸化
 し尽くされると縞状鉄鉱層の形成も停止し、余剰となっ
 た海中の酸素が大気中にも多く供給されるようになった。
  大気中の酸素は紫外線と反応しオゾンをつくった。
  オゾン層は、地表に到達するDNAを破壊する有害な紫外
 線が減少させ、生物が陸上にあがる環境が整えられた。
.
20億年前、最初の超大陸(ヌーナ大陸)出現か?(~19億年
 前)
  大陸移動説によれば、大陸は、数億年程度の周期で離
 散集合を繰り返していると考えられ、この頃、ヌーナ大
 陸と名づけられた超大陸が出現したと考えられている。
.
20億年前、酸素濃度が、現代の1/100以上のレベルとなり
 大きくは増加しなかった(~10億年前)
.
10億年前、ロディニア大陸誕生(~7億年前)
.
10億年前、この頃、多細胞生物が出現したと考えられてい
 る(~6億年前)
  多細胞生物は原口 (生物学)の獲得により強力な捕食能
 を有するに至った。
.
8億5000万年前、この頃の1年は約435日。
.
8億年前、大規模な氷河時代であったとされる(~6億年前)
.
7億年前、スターチアン氷河時代(全球凍結)
.
6億5000年前、マリノアン氷河時代(全球凍結)
.
6億年前、酸素濃度が現代の水準に近づく。
.
6億年前、エディアカラ生物群(~5億5000万年前)
  大型の軟体性の生物群であるエディアカラ生物群は、
 地球全体が氷に覆われていた時期(スノーボールアース)
 の直後に出現し、その大部分がカンブリア紀の始まる前
 に絶滅した。
.
6億年前、ゴンドワナ大陸がロディニア大陸から分裂。
.
5億4200万年前、生命の多様化、カンブリア爆発(~5億3000
 万年前)
  カンブリア爆発と呼ばれる生物の多様化が起こる。
  突如として脊椎動物をはじめとする今日見られる動物
 界のほとんどの門 (分類学) が出そろった現象。
  この頃から多くの化石が発見されるようになる。
.
5億3000万年前、 バージェス動物群
  三葉虫などの生物が現れる。
.
5億年前、二酸化炭素の濃度は現代の20倍程度(~4億年前)
.
4億6000万年前、一時的な氷河期(アンデス-サハラ氷期)
 (~4億3000万年前)
.
4億3000万年前、生物の大量絶滅(オルドビス紀末)
  6000光年以内で起こった超新星爆発によるガンマ線バ
 ースト仮説。
.
4億2000万年前、植物の上陸
.
4億年前、節足動物の上陸。
.
4億年前、アンモナイトが現れる。
.
3億6000万年前、生物の大量絶滅(デボン紀後期)
  寒冷化と海洋無酸素事変(海水中の酸素欠乏状態)の
 発生。
.
3億6000万年前、温暖期
  氷河の消滅。
  この頃、大森林が各地に形成され、石炭の元になった
 とされる(石炭紀)
  石炭の原料が地表に積もる。
  光合成により二酸化炭素が減少し、温室効果が減少し、
 寒冷化に向かい酸素濃度が増える。
.
3億6000万年前、脊椎動物(両生類)の上陸
.
3億5000万年前、大規模な氷河時代だったとされる(カルー
 氷期、~2億5000万年前)
.
3億年前、二酸化炭素濃度が現代の程度まで低下する。
  この前後寒冷化する。
  酸素濃度が最高の35%となる。
  これ以降、リグニンを含む樹木を分解できる菌類(白
 色腐朽菌)が登場し酸素濃度が徐々に減少に向い、二酸
 化炭素濃度は増加に向かう。
.
3億年前、昆虫が拡大。
.
3億年前、爬虫類の出現
.
2億5000万年前頃、ローレンシア大陸、バルティカ大陸、シ
 ベリア大陸などすべての大陸が次々と衝突したことによ
 ってパンゲア大陸が誕生した。
.
2億5000万年前、生物の大量絶滅(ペルム紀)
  地球史の中で何度か生じた生物の大量絶滅の中で最大。
  海生生物のうちの95%~96%、全ての生物種で見ても
 90%~95%が絶滅したとされる。
  メタンハイドレートが、大量に気化し、酸素濃度が著
 しく低下した。
..
 (詳しくは、以下のブログへ。そして、宜しければ、
        このブログを世界へ転送してください)
  http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009
または
  http://d.hatena.ne.jp/HACHI2009/archive